結局のところ、プロレスとは何ぞやという問いに答えられる人は多くない。
いや、正確に言えば、皆を納得させられる答えが出せる人は多くない、と
言うべきか。
スポーツであると考える人間もいれば、スポーツとは違うエンターテインメント
であると考える人間もいる。演劇の一形態だという人間もいれば、タフマン
コンテストでしかないという人間もいる。シリアスな魂のぶつかり合いだと
言う人間もいれば、茶番劇だと一笑に付す人間もいる。
要するに、人の数だけプロレスについての見解はわかれる。それに
全て適合する答えを出せる人間など、多くいないどころではなく、存在
しないと言っても差し支えないだろう。
だが、そんな机上の論理とは別に、今日もプロレスラー達はリングの上で
闘っている。そう、闘っているのだ。プロレスがどのように定義されるもの
であろうと、そのリングの上でレスラー達が闘っているという事、これだけは
変わらぬ事実であった。
そして、その闘いの相手は、対戦相手とは限らない。
「ぁぁあっ!」
咆哮と共に、腰の入ったチョップが相手の胸板を襲う。乾いた破裂音に、
客席からはどよめきが起こる。だが、プロレスにおいてチョップは何かの
決め手になる技ではない。痛め技と呼ばれる、序盤において繰り出す、
ヒットしやすいがダメージも少ない技だ。相手は当然態勢をさして崩す
わけでもなく、逆にチョップを繰り出してくる。
チョップが交錯し、いわゆるラリーと呼ばれる状態になり、乾いた音が
連続して会場に響き渡り、その度に客はどよめく。
やがて、ラリーは唐突に打ち切られ、最初にチョップを放った方が、相手の
腕をロックし、ロープに振る。ロープの反動を利用して加速するという、
プロレスでなければ見られないムーブは、最初にチョップを放った方が
ショルダータックルを喰らって倒される事で一旦止まる。リングマットに
倒れる音が、チョップの音と同じく会場に響き渡る。
関節の取り合い、ブレーンバスターのかけあい、そしてバックの取り合い
――お互いに、相手に有利なポジションを意識し、相手に少しでもダメージを
与えられる技を放とうと苦心している。
やがて、二人の身体に珠のような汗が吹き出し、呼吸も徐々に荒くなって
きはじめた頃、勝負は決した。
「ああぁあぁああっ!!!」
バックを取ったのは、最初に攻めていた方だったが、それを切り返して
バックを取り返した方が、雄たけびをあげながら相手を持ち上げ、腰を
反らして投げつける。ジャーマンスープレックス。レスリングの反り投げを
より見栄えよく、破壊力が出るように改良した、プロレスにおける代表的
フィニッシュホールド――必殺技。
1、2、3。レフェリーの腕がマットを三回叩く。3カウントだ。
客席からは、僅かながらとは言え、どよめきと拍手が沸きあがる。
勝者の顔に浮かぶのは、喜びだ。対戦相手との闘いに勝利した事、
そして何よりも、観衆との闘いにも大きなものではないにせよ結果を
残せた事が、その喜びをもたらしているのだろう。
逆に、敗者の顔には悔しさが浮かんでいる。彼ら二人はキャリアも
同じで、互いに若手の中ではライバル視している関係であったのだから、
悔しがるのも当然の話だ。
その表情に、嘘は無い。その闘いには嘘があると、そういう人間もいるだろう。
実際に、詳しくなればなる程、そういったしがらみは目の前にどんどん
現れてくる。
だが、彼らの表情には――彼らの喜びと悔いには、何も嘘は無い。
プロレスとはなんぞや。
この質問に答えられる人は多くは無い。この質問に、誰もが納得できる
答えを出せる人間は多くはない。
この答えに、皆が納得してくれるかどうかは私にはわからない。だが――
プロレスとはなんぞや……そう問われた時、私はこう答える事にしている。
プロレスとは、嘘の無いフィクションである、と。
終わり