シェアード・ワールドを作ってみよう part3

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1名無しさん@お腹いっぱい。
惑星「ネラース」

人間、長耳族、獣人、黒翼族、長命種、賢狼等多種多様な人種が生活する世界
いくつもの文明が興り、滅びを繰り返してきた世界
様々な技術や魔法が存在する世界

しかし、いまだ知っていることは極一部
世界は広く、歴史は深く、知られていない事象がほとんどである

世界を解き明かすのは、一体誰の役目であるというのか

                        ――エンゲ・タリウム著
                          ネラース創世詩序章より抜粋


ここは惑星「ネラース」を中心にシェアード・ワールドを作ってみようというスレです。
シェアード・ワールドとは、共通した世界観で創作する亊です。
いよいよ3スレ目に突入し、さらに世界が広く、深くなっていきます。
この世界を作るのは、あなたです。

前スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1221835112/

議論スレ(重複スレを再利用しています)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1221835124/

まとめサイト
ttp://sites.google.com/site/nelearthproject/

過去スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1220224897/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:38:26 ID:XyX6ZiV5
2ゲト

>>1乙
貴殿にカエルの加護のあらんことを
3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:09:26 ID:SW/1JUKr
3スレ目おめでとうございまーす
4 ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:40:56 ID:h0yXmWam
前スレだと容量的に厳しいのでこっちに投下します。
5アカデミーにようこそ! ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:46:04 ID:h0yXmWam
1.朝のひと時

朝、それは、苦しみの始まり。
朝、それは、呻きの再来。
朝、それは、絶望の歩み……

 突然鈍い音がして僕はベッドに倒れこんだ。
「おはよう、リッド。あまりにも暗いから思わず殴ってしまったわ。
まったく、あなたどうしてそうネガティブ思考なわけ?」

 僕をフライパンで殴り倒した張本人がぬけぬけと言ってくる。
 僕は顔だけ上げながら、フライパンで二撃目を加えようとする少女をじと目で見る。

「サニティア。これでも僕はアカデミーに来る前はポジティブ思考だったと思う」
「ほうほう」
「寄宿舎で同室になったのがサニティア、君だったこと。それが僕にとって不幸だったと思う」
「ふんふん」
 僕の言葉にサニティアは右手を顎にやり適当に頷いている。
 その様子に軽い頭痛を感じながら、僕は言葉を続ける。 

「何回、僕が君の暴走に巻き込まれたと思う?」
「3回ぐらいかな」
「20回はとっくに超えてる。それでネガティブにならない方がおかしいに決まってる」
「要約すると私の所為、そう言いたいのね」
「そうだ」
「それじゃあ、しょうがないね」
「いや、そこで納得した揚句諦めないでよ」
 溜息を吐きながら僕はベッドから起きると着替えを始める。

「ほらほら、出て行ってよ。着替えるからさ」
「いいじゃない見たからって減るもんじゃないし。それに同室なのにいちいち出るの面倒くさい」
「君は少し倫理感という物と、恥じらいを知るべきだと僕は思う。
君だって、男に着替え見られたら嫌だろう?」
「相手による。変な目でみない相手だったら別に平気かな」
「それは君が変わっているからだよ。さ、どいたどいた」
「はいはい。じゃ、外で待ってるから早く来なさいよ」

 サニティアがようやく出て行った。
 ふぅ、いつも大体こうやって一日が始まるんだ。
 うーん。いつかサニティアに殺されるかもな。
 今のうちに犯人はサニティアとかダイイングメッセージ作っておこうかな。
6アカデミーにようこそ! ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:48:46 ID:h0yXmWam
2.登校

 朝食が終わり、校舎へと向かう。
 
 鉄製の巨大な門をくぐると、その校舎がはっきりと見えてくる。
 入口にはこの校舎名前がはっきりと刻まれている。

 ロイングラフ・アカデミー

 ここが砂漠の大都市、旧帝都であるゴールドバーグにある唯一のアカデミー

 僕とサニティアはここに来てから2年目になる。
 つまり、本科に無事すすんだ学生ってことになるんだ。

 中に入り、大きな噴水前を通り過ぎる。
 そこには大きな石造が飾ってある。

 ひと組の少年少女の石造。これはこのアカデミーの創立者の石造といわれている。
 でも実際の創立者がどんな人だったかは、実は良く分かっていないんだ。
 高齢の魔法使いだったとか、一人の少年もしくは少女が作ったとか、
 時の皇帝が直接作ったとか所説はあるけど、どれも証拠がないのが実情だそうだ。

 そんなことを考えているとサニティアはあっという間に校舎へと入っていた。
 だけど僕はサニティアを追わず、ゆっくりと歩いていく。
 どうせ授業は同じものを取っているし、まだ時間があるのだからゆっくりいこう。
 緑はいいものだ、もう少しこの空間にいよう。

 そう思い、この砂漠の中では珍しい、緑に囲まれた敷地内を歩いていった。
7アカデミーにようこそ! ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:52:59 ID:h0yXmWam
3.授業風景(魔法薬、長命種について) 特別講師:なし



「では授業を始める」

 その一言で教室は静まり返った。

「さて、本日の内容は"魔法薬"についてである」

 そう言って教授は黒板に字を書いていく。
 そこには、

 魔法薬
 広義:
 狭義:

 と書かれていた。

「魔法薬と呼ばれるものには広義と狭義に分けられる。まず、広義には」

 カリカリと音が響き、黒板に字が綴られる。

 魔法薬
 広義:錬金術で作った特殊な薬品関係の分野の総称
 狭義:

「言ってみれば、錬金術師が作ったらただの風邪薬だろうと魔法薬と呼べてしまう。
しかし、これは昔から使われてきた意味からすると範囲が広すぎるわけだ。そこで」

 魔法薬
 広義:錬金術で作った特殊な薬品関係の分野の総称
 狭義:マナを直接変化させ、通常の物理変化では絶対に起こりえない魔法効果を持つ薬品の総称

「狭義の意味が、本来の魔法薬の意味となる。
さて、そこで質問だ。なぜ、この狭義の魔法薬が本来の魔法薬の意味になるのかね」

 手を挙げたのはサニティアだった。

「昔は長命種しか、マナを直接操る魔法効果を持つ薬品を作れなかった。
そして長命種が自分たちが作った薬を魔法薬と呼んでいたからです」

 教授は頷くと、黒板に戻る。いくつかの魔法薬の材料や錬金術による魔法薬製作の基礎を書きながら説明を続ける。
 しばらく時間が過ぎ、教授はふと思い出したように手を止めて話し始める。

「今でこそ錬金術が発展し、他人種でも長命種が作る狭義の魔法薬を作れるようになったが、昔は制作不可能だった。
その大きな理由の一つが、長命種の血がマナを変化させるのに良い触媒となることが挙げられる。
いまだ錬金術を用いて10以上の過程を踏みようやく完成する魔法薬であっても、
長命種の血があれば直接制作できることも少なくない。
それだけ長命種は簡単に魔法薬を作ることができたのだ。
錬金術においても、長命種の血は大変貴重ではあるが非常に素晴らしい材料になる。
長命種の血の効果の理由として、マナの塊であるとする説や、マナの方向性を直接変化させるという説もあるが決定打はないな。
……ふむ、そこで一つ質問だ。君たちは長命種を見たことがあるかね?」

 その問いに、生徒は全員首を横に振る。教授は頷くと黒板には向かわず、生徒に直接話し始める。
 この教授が長時間黒板に向かわないときは、授業ではなく雑談ということを示している。
 生徒達も紙を置き、話しを聞くことに集中する。
8アカデミーにようこそ! ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:56:01 ID:h0yXmWam
「そうだろう。一説では長命種はすでに絶滅寸前なほど少ないと言われている。
理由としては、昔、その血を手に入れるため大規模な狩りがおこり、長命種が多数死亡したからだと言われているが
その真偽は分からない。実際は今でも意外と多く存在している可能性はある。
君たちも案外すれ違うことぐらいはあるかもしれないな。
外見は14歳前後の人間族と全く同じ容姿であるがために、気づくことはないだろうがね」

「教授は見たことはありますか?」

 生徒の質問に教授は首を縦に振る。
 おー、というざわめきが生徒の間で起こり、静まったところで教授は口を開いた。

「ある、といえばある。昔、私がまだ若かったころ、その血を求めて旅をしていた時だ。
長命種の少女……便宜上少女にしておこう。ともかく出会ったことは出会ったが血の提供を断られてな。
怒った私はその長命種の少女を捕まえようとしたのだ」

「うわー。教授らしくないですね」

 サニティアの呟きに、教授は苦笑を浮かべている。

「私らしくないかね。それはほめ言葉と受け取っておこう。
あのときは今以上に野心にあふれていたということだよ。
ともかく、その長命種が魔法薬を持たない無防備な時を狙って、最新の魔法薬と10人の傭兵を使い捕らえようとした」

「うまくいったのですか?」
 別の生徒の質問。それに教授は無言になる。

「……その結果がこれだ」
 そう言って教授は腕をめくる。そこにはひどい傷痕が残っていた。
 あまりの酷さに周囲の生徒から呻きが起こる。

「傭兵は全滅。私もひどいけがをしてね。結果として丸腰の少女に、武装した私たちが一方的に壊滅させられたのだよ。
しかし、重傷を負った私たちを治したのもその長命種の少女だった。
その後、傷が治るまでの一週間の間、傭兵達と共に説教され続けたよ」

 教授は苦笑し、めくった服を戻すと生徒に向け丁寧に話していく。

「これから本格的に魔法薬の研究を行いたいと思う生徒もいるだろう。
研究に没頭し、情熱を持つのは大いに推奨することだ。
ただし、研究のために何をしてもいいという考えに陥らないように。
自分にとっても、周りにとっても不幸なことになる。それをあのときの経験から私は学んだ。
もっとも私はまだ幸運だった。更生するチャンスを与えられたからね。
……君たちにはまともな錬金術師になってもらいたい。この事は常に肝に銘じておきたまえ。
おっと、そろそろ授業時間は終わりだな。以上で授業を終わる」

 その声とともに鐘が鳴り、授業は終わりを告げた。
9 ◆xyCklmNuH. :2008/10/26(日) 18:58:22 ID:h0yXmWam
投下終了です。

ゴールドバーグのアカデミーについて書きたくなったので新シリーズです。
基本として、てのひらを太陽にの作者さんの設定を借りています。
年代も帝国歴150年以後、「てのひらを太陽に」と同じ時間軸として設定しています。

また、このシリーズでは授業と称して今まで出た設定のまとめもしていけたらなと考えています。
まずは始めに自分で出した、魔法薬と長命種を例にして書いてみました。
主観が入らないか不安ですが、間違っていることがあればガシガシ指摘してもらえると助かります。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 23:34:32 ID:XyX6ZiV5
>>9
新シリーズ投下乙。
魔法薬の説明、分かりやすかったです。
11 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:35:38 ID:pXy7tsIa
投下します。
12 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:37:42 ID:pXy7tsIa
――――純正ラナ暦四百三十五年 前風の月 第二十五日
      今日、わたしは彼に出会った。
      それはきっと、運命だったのだろう。
      ただ生きているだけだった昨日までと違って、なんだかとても楽しくなった。
      明日も、明後日も、ずっとこのままだといいのにな。


 朝食が終わって、ジョン・スミスは寝室でのんびりしていた。
 シルキーの淹れてくれたお茶を啜りながら、『日記』をぺらぺらと読んでいく。
 ほとんど流し読みだが、元々大体の内容を暗記してしまうくらいに読んでいるジョン・ス
ミスにとってはこれで充分なのだ。
 懐かしそうに、そして大切そうに『日記』を読む彼の傍らで、シルキーは何か指示でもな
いかと待機している。が、指示を待っているというのは建前で、シルキーはただ単にジョン
・スミスが読んでいるものが気になっているだけである。
 ついでにジョン・スミスの手元にはムリアンの少女まで乗っている。幾らジョン・スミス
でもこれでは集中して読むことも出来ない。
「あのなぁ、何の用なんだよ」
「この日記、面白いねー」
「……いや、お前さんはもう良い。シルキーは何の用だ? ポットを置いておいてくれれば
家事に戻ってくれて構わないのだが」
「実は、その日記が気になりまして……」
 困ったように言うシルキーに、思いっきり深く溜め息をつくジョン・スミス。
 そして、ムリアンの少女をつまみ上げて『日記』に乗せ、両方とも一緒にしてシルキーに
渡してやる。
「読みたければ、そう言えば良い。どうせそんなもん誰も壊せないんだし」
 大きな外套を羽織りながら、ジョン・スミスはもう一度溜め息をつく。外套は音も無くジ
ョン・スミスの体へと絡みつき、手を触れずともボタンがはめられ、あっという間にいつも
の格好へと戻ってしまう。
 やはり長年着続けてきた外套は良く馴染む。むしろ、これを着ていないほうが違和感があ
るぐらいだ。
 うんうんと頷きながらジョン・スミスが外套の感触を確かめていると、シルキーが眉根を
寄せて手を上げる。
「あのぉ」
「なんだ」
「読めないんですが……」
「そこのムリアンは読めたんだがなぁ。まぁいい。んじゃ適当に昔のことを話してやるか」
 『日記』を返してもらい、ジョン・スミスは椅子に座ってぱらぱらと適当にめくる。
 そして、あくびを一つしながらゆっくりと口を開く。
「何が聞きたいんだ?」
「えっと、それを書いた方とのなりそめとかを聞かせていただけますか?」
「なりそめねぇ」
 苦笑しながら、ジョン・スミスはページをめくる。
 そして、あるページで止め、一つ頷いた。
「ああ、いや。なりそめねぇ。昔々ある島に一人の長命種の女が住んでてな。俺はそこに流
れ着いたんだよ。文字通り、海を漂流して海岸に打ち上げられてたそうだ」
「え?」
「いやな、なんでそんなところに流れ着いたのかは覚えてない……というか、それ以前の記
憶がないんだ」
 苦笑交じりに、ついでに懐かしみながらジョン・スミスは言う。
 そんな彼を、不思議そうに見るシルキー。
 記憶がない、というのならそれはそれで忌むべき過去だろう。それなのに、このジョン・
スミスはむしろ喜んでさえいるようだ。
 本当に不思議な人物である。
「まぁ、そんな俺を助けてくれたのが、この日記を書いたイヴだ。海岸に倒れてたところを
介抱してくれて、ついでに面倒も見てくれた。彼女がいなけりゃ死んでたかもな」
「そう、なんですか」
「ああ、そうとも。で、次は何が聞きたい?」
13 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:38:38 ID:pXy7tsIa
 笑顔で『日記』をトントンと叩くジョン・スミス。どうも興が乗ったようで、楽しいらし
い。
 というわけで、せっかくの機会なのでたくさん話を聞いておくことにしたシルキーは、聞
くべきことを考え始める。
 少し考えをめぐらせた所で、シルキーはポンと手を打った。
「えっと、長命種の方ってことは寿命なんてないに等しいですよね。でも、今はいらっしゃ
らないって事は、えっと」
「別に口ごもることはないさ。まぁ、そうだ。彼女は死んだよ。俺の目の前で、灰すらも残
らずに焼けてしまったのさ」
「え、そんな……」
「いや、だから遠慮したりする必要はないぞ。もう千年も二千年も前のことだ。俺だってそ
んな昔のことを気にするほど気は長くない」
 パタンと『日記』を閉じ、ジョン・スミスは遠い目をして窓の外を見る。
 その目に映るのは秋の紅葉でも、空の蒼さでもない。
 今遥か遠き昔に没した、一人の少女。その散り際の姿だ。
「三年ほど、俺達は幸せに暮らしていた。ドラゴンに守られた島だったからな、猛獣もいな
いし誰も訪れない。極めて平穏で、何の事件も起こらない日々が続いてたよ」
「もしかして、魔法とかもそのときに?」
「基礎はな。彼女は魔法はほとんど使えなかったけど、体内の魔力の使用法とマナの取り込
み方の知識を持ってたから教えてもらったんだ。おかげで力仕事は楽だったよ」
「そうなんですか。あと、ドラゴンに守られたっていうのは?」
「小型の知恵あるドラゴンが一頭、島に住んでてな。彼女と島を守ってたんだ。随分と長い
付き合いだったみたいだったんだが、まぁどれぐらいの付き合いかを聞く前に両方とも死ん
じゃったから、詳細は分からん」
「はぁ」
 曖昧に返事をするシルキーに笑みを返し、ジョン・スミスは軽く昔のことに思いを馳せる。
 何の事件も起きることは無く、基本的には平和な日々だった。事件らしい事件などたまに
どちらかが風邪を引いて、もう片方がものすごく慌てたりするぐらい。
 本当に、本当に平穏で幸せな日々だった。
 だが、それはあっさりと崩された。
 それは、誰も予想していなかったことによって。



――――純正ラナ暦四百三十八年 後火の月 第十二日
      見つかってしまったかもしれない。
      今日、誰かの魔力がわたしを捉えた。
      こんな精度を持つ魔法具なんて、あいつらしか考えられない。
      守る。彼を。殺させてたまるものか。
      彼に想いを告げられなかったのは残念だけど、絶対に彼を守ってみせる。


14 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:39:26 ID:pXy7tsIa
「他に何かあるか?」
「あの、失礼ですけど、なんで亡くなったんですか? 灰も残らないなんて、普通じゃない
と思うんですけど……」
「ああ、火竜だよ。強化改造された火竜が、『上』から派遣されたんだ。結果を言えば、俺
も守ってくれてたドラゴンも完敗。俺は尻尾の一撃で吹き飛ばされて全身骨折、ドラゴンは
火竜のブレスで真っ黒こげ。で、最後に残った彼女に俺は救われて生き延びたのさ」
 自嘲気味にジョン・スミスは笑う。
 その目に、感情はない。いや、違う。そうではない。
 あまりにも多すぎる感情がぐるぐると渦巻いているせいで、逆に何の感情も映っていない
ようにいないように見えるだけだ。
 だが、本人の言葉通り、それらの感情はもう磨耗して消え果ようとしている。彼にとって
も、過去のことということか。
 いや、そういうわけでも、ないのだ。
「なぁ、彼女がどうやって俺を助けたのか、聞きたいか?」
 にやりと笑うジョン・スミスに、シルキーは一瞬何も言えなくなってしまう。
 これは、シルキーの意志など聞いてはいない。自分が話すために、質問のような形を取っ
ているだけである。
 自分から進んで話したのではない、そういう免罪符が欲しいようにも見える。
 それはそう。贖罪のために懺悔する罪人のような。
 だから、
「はい、聞きたいです」
 シルキーは、頷かざるを得ない。
 シルキーはこの屋敷を預かる妖精であり、また今は彼の使用人でもある。
 ならば、主の意向にそぐわぬことなど、出来るはずもない。
「そうか。じゃあ、話そう」
 安堵したように、ジョン・スミスは息をつく。
 こんなことで何かが許されることなどない。それを知っていながら、ジョン・スミスはゆ
っくりと話を続ける。
「辺鄙な、誰も来ない絶海の孤島で俺達は暮らしていた。当然、武器らしい武器なんて存在
しない。そして、火竜に立ち向かえるような魔法薬を作れるような設備もなかったし、めぼ
しい魔法具もなかった。それなのに、どうやって火竜を打ち倒して見せたのか。簡単だ。彼
女は、たった一つだけ最後の手段としてある魔法具を持っていたんだ」
「どんな魔法具なのですか?」
「因果応報の魔法具さ。自分を傷つけた相手に自分と同じ傷を付けるという、相討ち前提の
魔法具。これの効果から逃れることは出来ない。どれほどの力を持つ相手でも、問答無用で
相討ちに持ち込むことを可能とする。むしろ相手が強ければ強いほどに効果を増すんだから
当然と言えば当然か」
 あんまりな魔法具の効果に開いた口を塞ぐこともできないシルキー。
 それはそうだろう。実際に目にしたジョン・スミスも、しばらくそれを信じることも出来
なかったのだから。
「それで、イヴは灰も残らず燃え尽きたんだ。当然、ブレスを吐いた火竜も同じように燃え
尽きた。ある意味壮観な光景だったよ」
「そ、う、ですか」
 微笑んでいるジョン・スミスの顔を直視できず、シルキーは目を逸らしてしまう。
 繊細な心根のシルキーとしては当然の反応だろう。ジョン・スミスもそれを責めたりはし
ない。
15 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:41:13 ID:pXy7tsIa
「それで、俺は島を離れることにしたんだが……理由が、分かるか?」
「復讐、するためですか?」
「いいや。そんなこと、考える余裕もなかったよ」
「じゃあ何でですか?」
 悲痛な目でジョン・スミスを見るシルキー。こんな話は別にシルキーの身に起こったこと
でもないのに、彼女は自分のことであるかのように心を痛めているのだ。
 そんなシルキーに微笑みかけながら、ジョン・スミスは口を開く。
「伝えるためさ。最後まで伝えられなかった言葉を、彼女に」
 そう言って笑うジョン・スミスが痛々しくて、シルキーは目を逸らしてしまう。
 だが、それは間違っている。まだシルキーは誤解をしている。
 このジョン・スミスという男を、まだ理解できていないのだ。


――――詳細不明 日記の最後のページの殴り書き
      大好きだったよ。だから、ごめんね。
      先に逝くわたしを許してください。そして、忘れてください。
      あなたには未来がある。わたしという過去に縛られちゃ駄目。
      絶対に、絶対にわたしの後を追うことは許しません。
      もしも追ってきたら、嫌いになっちゃうよ。
      うそです。嫌いになんか、なれるわけがない。
      でも、絶対に死なないで。わたしは、あなたのそばにいるから。
      あなたの作っていた指輪、嬉しかったよ。
      本当に、本当に嬉しかったんだよ。完成したのを、見たかったな。
      困っちゃうよね。こんなこと書かれても。
      でも、許してね。だって、最後だから。
      最後つながりで、あと一つだけ。
      わたし、イヴ・ローランドはあなたのことを、世界で一番――――


「だから、俺はまだ探している。彼女に伝える方法を。けど、なかなか見つからなくてなぁ。
蘇生魔法からアピールしたこともあったが、無理だった。だが、諦めることも出来ない。
とりあえず、今はいつか方法が見つかることを信じて、ひたすらに足掻いてる状態か。何で
も屋、なんてやってるのもそれだ。この仕事なら何に関わろうと疑われることもないしな。
ついでに趣味も一緒に出来る。お得なもんだ」
 笑っている。
 この男は、ジョン・スミスは笑っている。
 自分が必ず、目的をなし得ると疑いなく確信しているかのように。
 いや、実際に欠片も疑ってなどいないのだろう。一切の迷いがその目にはない。
「ちなみに、復讐なんてことを考え付いたのは島から出て随分経ってからだったな。山奥で
ヘマを踏んで、石化して動けなくなってからだったか。まぁ、今では復讐なんざ、考えても
いないが」
 しかし、なにやらいきなりふざけたことを抜かし始めるジョン・スミス。しみじみと意味
の分からんことを言っている様子に、先ほどまでの威厳はない。
 流石に話をいきなり吹っ飛ばされては、今まで真面目に聞いていたシルキーも話について
いけない。
 なのでシルキーは困惑した表情で口を開く。
「あの、石化って一体……」
「とある山奥に蘇生の秘術を記した凄い魔法の書があると聞いてな。探しに行ったら、見事
に偽物でトラップが掛けられていたんだ。いや、参ったよ。意識そのままで完全に石化させ
られて、永い事そのままでいることになったからな」
 ジョン・スミスは当時のことを思い出しているのか、苦笑しながら話を続ける。
「山奥の祠の中だったから雨に打たれたりはしなかったが、とにかく暇だった。死因、暇と
かになりそうなぐらいに暇だった。まぁ、一つ楽しみがあったんだが……そのせいで今の趣
味が出来ちまったんだなぁ、多分」
「楽しみ、ですか?」
「ああ。近くに村があったんだが、いつの間にか石になった俺の前にに団子やらお菓子やら
なんやらのお供えを置いてくれるようになってな。まぁ、俺は食えなかったが嬉しくてね。
で、週に一度の割合で置きに来てくれてたから、置きに来た奴を観察する習慣ができたんだ。
子供は段々と育っていくし、大人は段々と老いていく。千五百年、それは変わらなかった」
16 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:42:03 ID:pXy7tsIa
 古きを懐かしむように、ジョン・スミスは目を細める。
 日記の日付とジョン・スミスの言葉を信じるのならば、恐るべき年月を石像として過ごし
てきたことになる。信じられない話ではある。だが、妙なリアリティがそこにあった。
「そして、あるとき急に誰も来なくなってな。なんとなく寂しい思いを数十年も過ごしたら、
体が動くことに気付いてちと自分の体を見たら元に戻ってた。何があったかは知らんが、
トラップになってた本が焼けるかなんかしたんだろうな」
「はぁ、なるほど」
「それから、また探し始めたんだが……とりあえずこの大陸全てを見て回ったが、目的の物
は見つからなかったな。だから、どうせ全部覚えたし、場所をとって邪魔だったから集めた
魔道書の類はは全部共和国にくれてやった。ついでに私的研究も一緒にまとめてな」
 肩を竦めて、ジョン・スミスは笑う。特に笑える話題でもないのに、今日はどうも笑いっ
ぱなしである。もしかしたら、自分の過去を他人に話すのが好きなのかもしれない。
 対して、話を聞いているシルキーは笑えない。どちらかと言うと、こちらの反応の方が普
通だろう。ちなみにムリアンの少女は最初から物語として聞いているのか、ニコニコしなが
ら聞いていたり。
「ああ、そうだ。魔法を覚えたのは石化する前だったな。ただ、熟練といえるレベルになっ
たのは石化が解けた後だがね。っと、おお、話が脱線しまくったなぁ。さて、日記のことで
他に聞きたいことは? 無いならこれはこの屋敷に置いておくから、もしもプライドが許す
ならそこのムリアンにでも読み聞かせてもらうと良い」
「……うう、シルキーとして生を享けて幾十年。これほどの辱めを受けたことはありません」
 さめざめと泣くシルキーを見ながら、ジョン・スミスは『日記』をサイドテーブルに置く。
大事なものであるのだが、別にこの屋敷にある限り盗まれたりする心配も無いし、見られ
て困るものでも無い上に、無闇に頑丈なので結構扱いはぞんざいである。
 椅子から立ち上がり、思いっきり伸びをするジョン・スミス。結構話に夢中になっていた
ため、体が凝ってしまったらしい。
 そんなジョン・スミスを見て、今まで話に加わってこなかったムリアンが口を開く。
「今でも、そのイヴさんのことは、好き?」
「――――世界で、一番な」
 その表情は、窓からの逆光で誰も見ることは出来なかった。だが、シルキーにもムリアン
の少女にも容易に想像できた。
 なぜなら、その声音が。
 とても、優しかったから。




 シルキーもムリアンの少女もどこかへ行ってしまったあと、ジョン・スミスは寝室で一人
窓の外を見る。
 久しぶりに昔のことを思い出して人に語ったため、記憶が鮮明に甦ってきているのだ。
 黄昏るなど、似合わな過ぎて他人には見せられない。そのため、今、このときだけでも感
傷に浸る。
 なんとなく胸のロケットペンダントのある辺りに手を置き、ジョン・スミスは溜め息をつ
く。
「いつか、必ず会おうな」
 ただそれだけ呟いたジョン・スミスは、まだ本調子ではない体を休めるためにベッドへと
向かった。
 少々朝に無理をしたため、塞がりかけてきた傷がちょっとばかり開いてしまったのだ。
 体の中のように見えない傷を治すのは、今の状態では難しい。なので、仕方なくジョン・
スミスはベッドに横になる。
 今日は、良い夢が見られそうだ。
17 ◆zsXM3RzXC6 :2008/10/31(金) 12:45:12 ID:pXy7tsIa
投下終了です。
これで、ジョン・スミスシリーズは一応の完結。
ですがまぁ、ジョン・スミスは次作以降も登場します。が、主役になることはあまり無いでしょう。
読んでくれていた方に、ひとえに感謝を。
18 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/01(土) 00:05:04 ID:+HlnTy/W
投下します
19犬ども(9) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/01(土) 00:05:39 ID:+HlnTy/W
(1/3)

空賊狩り、三日目。巣を叩いて鼠を追い出す。
リビココ以外に大物は引っかからなかった。第四師団の対空砲も北に戻ってしまった。
おれたちは雑魚ばかりかかった網を喧伝する。実際、ダウンタウンを中心として
陸空賊の勢力は急速に縮小しつつはあった。本音――雑魚は着ぐるみ。
肝心の中身――マラコーダは一向に見つからなかった。

「マラコーダと『マレブランケ』は、昔は空賊殺しの空賊だったんだ」
これは二日目の晩のレイチェルの言。話しながら、彼女は大瓶からくそまずいジンをあおった。
染みだらけの布団におれたちも座った。空賊の何人かが壁際に追いやられて不満の声を上げる。
「って言っても、サマン帝国領内の航路に集まる山ほどの空賊の中から
仁義を知らない余所者や銭ゲバだけを剪定するって稼業でね。
空賊の警察みたいなもんで、まともな空賊には頼れる存在だった訳よ。
やつは他にも、船をなくした船員や、船員をなくした船なんかを買い上げて面倒見てて、
一頃は食いっぱぐれたら『マレブランケ』の世話になれって言われたほど慕われてたんだよ」
彼女の言う通り、マラコーダはかつて名の知られた空賊だったらしい。
マルエッソを根城に暴れまわった、元祖空賊狩りの頭目。ジェリコもやつを評価していた。

「それが途端に、船や武器や人間を買占めはじめてね。
買占めは『マレブランケ』の名前を出さず、マラコーダの息がかかった
二、三の空賊団を仲介して行われたから、最初はやつの仕業とは分からなかった。
そいでみんな困ったところに『マレブランケ』の金貸しがやって来た。
昔からの評判があるもんだから、みんなやつを信用したし
融資の条件もよかったから、船が担保と言われてもほいほい従っちまった。
もちろん借金は難癖つけてひどい取立てして、切羽詰ったら陸の仕事を斡旋さ。
連中は帝都以外にもサマンの砂漠のあちこちに基地を持ってるって噂で、
たぶん奪った船、あたしらのやなんかもその基地のどれかに隠してるんだろう」

「よく知ってるんだな」
おれは遠慮したが、シドとヴィッキイはレイチェルに薦められるがままにジンを飲んだ。
ヴィッキイはザルだが、一方シドは冗談じみたレベルの下戸だった。
早くも赤ら顔でふらつきだしたシドの背中を拳でどやした。
「うちも騙されちゃったけどね。
今は生き残った空賊団の寄り合いで、『マレブランケ』や陸空賊と戦う共同戦線てのがあってね。
連中の情報はそこが集めてくれるのさ。で、あたしらも貢献したいから、刑事さんたちを呼んだの」
「空賊行為は違法だ。ここでお前らを逮捕する事もできるんだぞ」
レイチェルのウィンク。長いまつげがばさばさとはためく。
「昼間にちょいと調べたのさ。刑事さんたちは、金と面子に関わる仕事しかしない」
「金と名誉は男の生きがいだ。それと愛」
シドの間抜けな合いの手。
おれがシドから酒瓶を奪ってヴィッキイに回すと、ヴィッキイが一息に飲み干して瓶を空けた。
「まあとにかく、あたしらは警察と仲間の両方に協力したいのよ。大目に見るでしょ?」
「ネタ次第だな」
20犬ども(9) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/01(土) 00:06:23 ID:+HlnTy/W
(2/3)

ヴィッキイがブリントを運転し、おれはサトゥルナーリアにシドを乗せて帰った。
翌日シドが生き返るまでおれが空賊狩り軍団の仕事をこなし、
朝方には二日酔いの相棒とラボを訪れた。
調査の経過報告を受け取るのと、鬼火通りで殺された娼婦の検死について聞くためだ。
空賊狩り軍団としのぎを削る、一課・市警の合同捜査。
新聞を使った宣伝は効果的だったが、勇み足という感が拭えない。
鬼火通りだけでなく、帝都の裏通りでは娼婦殺しは珍しくないのだ。
痴話喧嘩、金銭を巡るトラブル、そしてナイフを持った変態も狩猟機よりはずっと多く居る。
「ところが解剖されてたんだ」
ラボでエントゼールト警部補の話を聞く。彼はリサ・ラヴドの検死に立ち会っていた。
「喉笛を切って絶命させてから、死体の腹を一息に裂いて内臓を掻き出した。
消化器系は全部残ってたが、子宮だけが摘出されていて現場でも見つかっていない」
「で?」
「人間を捌く手際がばかにいいな。解剖学の知識を持ち、ナイフの扱いに長けたやつ」
「医者」
「かも知れん」
エントゼールトは机からペンを取り上げ、ナイフに見立てて振りかぶってみせた。
「『鉄槌』の事件では腸を取り出して人形に詰めた。だがナイフの腕はこれと互角だ。解体するまでの手口も同じ」
「で、同一犯説かい? 子宮を切り取るのはともかく、喉や腹を裂くだけならできるやつはごまんと居るぜ」
シドがげっぷ混じりの反論をする。出がけに、腰のサーベルの重さでよろけていた。
「それはそうだ。だが一課は真剣だぞ」
「一課は空賊狩り作戦に直接切り込む手が欲しいんだ。半分苦し紛れだろうよ」
「容疑者はほぼ揃った。おれたちが一人落とせばそれで決着さ」
そう言っておれも頷いたが、一課がそこまで攻めに出る理由がどうしても読めなかった。
「ところで狩猟機説はどうした?」
「部品ごとアカデミー送り」

おれたちがエントゼールトの研究室を出て本部に戻る途中、一課のニコルズ警部補とすれ違った。
やつは四課でおれと組んだ事があった。ジェインとアルフ、暴力刑事と仕事中毒の冷徹な刑事のコンビ。
黒縁眼鏡の奥の鋭い目がおれを見た。
おれが立ち止まると、やつは無精髭で青くなった顎をなでながら
「空賊狩りは楽しいか?」
答えた。
「でもねえな」
「うちよりましだろう」
アルフは疲れた様子で言った。
おれはローエン卿と会った晩の、ブルーブラッドの苦渋の表情を思い浮かべる。
やつらはどちらも自分の職務に暗い情熱やプライドを抱えていて、
他人にとやかく口出しされるのが大嫌いな人種なのだ。
ましてや上からの発破でけしかけられる現在の状況が、やつにとって我慢ならない事は明らかだ。
「空賊狩り対変態狩りか。ま、お互い頑張ろうや」
ライバルに厄介事ばかりか不機嫌までぶつけられてはかなわないので、おれは足早に立ち去ろうとした。
「手足に糸がついてなけりゃな」
アルフが苦々しく呟く。おれは振り返った。
「そいつもお互いさまだよ」
21犬ども(9) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/01(土) 00:07:18 ID:+HlnTy/W
(3/3)

今日の捜査対象は比較的小規模の拠点ばかりだったので、おれたちは現場に下りない。
ブルーブラッドの定例の呼び出しに応えて、捜査本部のある会議室からやつのオフィスに行った。
入るなり、
「二人のどちらか、体を空けられそうか?」
「内密の仕事ですか」
「そうだ――」
書類をおれたちの方に弾いた。
「一課のアルフレッド・ニコルズ警部補が、娼婦殺しの捜査開始後に自ら立ち寄った場所のリストだ」
読んだ。鬼火通りの娼館が幾つかと新聞屋、『シルフ』にも載った懐かしいあのくそったれ探偵の事務所と、
蒸気工房『サンジェルマン』と、イーストエンドの教会と、ファニー・アダムス蝋人形館。
妙な、全く妙な取り合わせ。五課の刑事に調査もといスパイをさせたのだろう。
「こいつをどうしろと?」
「探りを入れるんだよ。連中は、機会さえあれば『鉄槌』事件を横取りしようと考えているだろう。
あれは我々の空賊狩りの動機ということになっているから、事件を押さえられると少々厄介だ」
「同じ、余所者の――空賊の仕業という事になれば問題はないでしょう?」
「死んだ刺青の女と寝た坊やとかか?」
今頃拘置所で凍えている、あの可哀想なロロの事だ。
「そうです」
「あのぼんくらどもが真犯人でない事は、ここに居る三人とも判っている。そいつに一課が引っかかると思うか?」
「難しいでしょうね」
「よほど切羽詰っていない限りは。だから、一課の捜査状況を見て対応を考えておきたい」
アルフが何を調べているか、おれたちに嗅ぎまわれというつもりだ。
「五課の人間を使うんじゃ、駄目なのかね」
「清廉潔白が五課の身上だ、何かと制限も多い。だが君たちなら、いざという時にも動ける」
おれは答えた。
「汚れ仕事は元よりだ。おれがやろう」
22 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/01(土) 00:09:19 ID:+HlnTy/W
投下終わりました。

>17
ジョン・スミスシリーズ完結おめでとうございます。
自分の作品でも、もしかしたら彼を拝借する事があるかも……その時はよろしくお願いします。
23名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/01(土) 00:23:45 ID:YkaNcwPm
>>22
投下乙
随分ときな臭くなってきたなぁ
空賊を取りまとめて花火を上げようとすマラコーダと、
ヤマを横取りしようとする一課の警察達
ここからどう動いていくのかが楽しみだ
24名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/03(月) 08:49:21 ID:HlsBEh+c
元ネタの切り裂きジャックは王室のお抱え医師で
皇太子が娼婦を妊娠させたから、関係者もろとも殺したんだよな
あとは犯行がバレないように
娼婦を何人か巻き添えにして証拠隠滅
25名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/03(月) 23:25:51 ID:YDRfe718
新聞は記事を面白おかしく書き立てて部数アップ
警察は調べたフリして迷宮入り
26 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/03(月) 23:50:23 ID:Q2FDdhVV
新しくまとめサイトの共同編集者になりました。
まず、失敗しても問題ない自作を実験台にしましたが、
これで問題ないようでしたら他の作品も順次乗せて行きたいと思います。

どなたか確認をお願いします。
27 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 00:08:13 ID:WKVLkKv9
下がってきてるので、ageます。
28名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 00:09:58 ID:BVKoM6Gf
このスレの話は全く意味が分からん
29名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 00:10:54 ID:ms+RCcx0
>27
新編集者さん乙です
まとめサイトのほう一読しましたが大丈夫だと思われます
30 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 00:13:23 ID:WKVLkKv9
>>29
了解しました。
では、時間を見つけて更新していきます
31名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 00:19:37 ID:sWj6HlVr
>>14
ジョン・スミスが因果応報の魔法具で死ねばよかったのでは?
32 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 00:53:17 ID:WKVLkKv9
>>31
はぁ、日記に書いてある通りイヴはジョン・スミスを死なせたくなかったわけでして。
それに、その方法でイヴが生き残ってもどちらにしろ彼女に未来はありません。
完全に捕捉されている状況でそんな行動をとって逃げたところで、
すぐにまた他の戦力を投下されておしまいです。今度は確実に仕留めにくるでしょうし。
大体、ジョン・スミスはその魔法具が使われるまでその存在を知りませんでした。
そして、使われたときジョン・スミスは結構な箇所を骨折していたので、
彼女が使用するのを止める事はおろか言いたかった言葉すら言えなかった有様だったのですが……
33名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 00:54:54 ID:sYVn2qbv
いきなり便利な道具が出てきて全部解決とかどんなドラえもんだよ
34 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 01:02:21 ID:WKVLkKv9
>>33
アンカーがないので分かりませんが、私の作品のことでしょうか?
そんなに便利な道具でしたか?
どっちにしろ相討ち前提でしかない道具ですし、それ一個しか持っていないのに
ドラ○もんは言い過ぎでは無いでしょうか。

まぁ、『今の』ジョン・スミスがドラ○もんみたいだというのは否定しませんが。
35名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 01:10:20 ID:tEJ+fDsh
伏線張って存在を匂わせないと、やっぱただの秘密道具だろ
まぁ、その火竜ぶったおす意味すら分からないけど
36 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 01:21:29 ID:WKVLkKv9
>>35
そうですね。ただ、所詮は過去語りです。
全てジョン・スミスの口から話されるか、日記の内容を追っているだけです。
地の文などで当時の何かを語っているわけではありませんので、
当然のようにそういったご不満は出るでしょう。

ついでに火竜を倒した理由ですが、生き残らせたいと思っている人物がすぐ近くにいるのに
命を脅かす危険が非常に高い存在を放置しておくことはあまり良策では無いでしょう。
また、既に火竜はジョン・スミスに攻撃を加えていました。これは防衛の一環ですが、
もう攻撃を一度でもしている以上追撃を加えないとも限りません。
なので、あの状況ではイヴの取った行動は妥当だと、私は考えています。

それと、一つ質問ですが、貴方は>>33>>31を書いた方ですか?
37名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 01:30:23 ID:96M0U0au
俺の名はジョン・スミス、素人童貞だ、
オマンコしたいので女のために戦う正義の探偵だ。
ぶっちゃけ正義とかそういう代物はどうでもよく、オマンコにチンポを入れたい。
「早くヤラせてくれシルキー、正直な所それが目的なんだ」
「いやらしい人ね!」
シルキーはそういうなり、部屋から出て行ってしまった。
見返りのない仕事などする筈がないだろう、バカな女だ。
「俺は見返りが欲しい!金!女!金!女くれ!」
ジョンスミスは全裸で逃げるシルキーに襲い掛かると、
寸前の所通報された警察に捕まった。

38名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 01:40:37 ID:5EytM3Bc
日本の丁稚奉公はきれいな奴隷
39 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/04(火) 01:53:32 ID:WKVLkKv9
ついに壊れたか……
あぼーん……してもどうせID変えるんでしょうなぁ。するけど。

スルーするのが一番か。
40名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 01:58:40 ID:vHIgabeo
むしろお前のSSスルーしたい気分だよ
41名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/04(火) 14:43:30 ID:WKVLkKv9
まとめサイト更新しました。
漏れがありましたら、ご一報をお願いします。
42 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:48:07 ID:kYp7Rl8V
投下します。
43犬ども(10) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:48:39 ID:kYp7Rl8V
(1/4)

娼館から始めた。
アルフが訪ねた五軒では、どこも一時期彼女を置いていた事があった。
そこでおそらくアルフと同じように、リサ・ラヴドにまつわる噂を色々聞かされた。
何でも三十代後半で未亡人になったという彼女は、憂さ晴らしの贅沢とアルコールで身を持ち崩し
やがて酒代を稼ぐ為に路上に立つようになったそうだ。ありふれた、退屈な不幸話。
安淫売の吹き溜まり、イーストエンドの貧民窟『地獄穴』に落ちずに済む程度に器量が良く、
山の手の高級娼館で貴族や金持ち連中相手に商売するほどには才能のなかったアル中の女。
人気株だったが酒が入ると暴れて手に負えないので、どこの店でもトラブルを起こして
すぐに辞めてしまい、専ら一人で客を取っていた。
ロロ以外にも、鬼火通りで彼女と寝た事のある空賊は多いだろうと思われた。

次は新聞屋。リサの死体を発見した、新聞配達の子供が働いていた店。
「あの女の子なら、ついさっき辞めちゃいましたよ。あんな事があったんじゃ無理もないですがね」
新聞屋はまたかという顔をして、おれの質問にうんざりしたように答える。
おれは子供の住所を訊き、直接会う事にした。

鬼火通りの北、屠殺屋通りの酒屋。
建物に入ろうとした途端、見覚えのある女が入り口から現れた。
「あんたは確か――」
つなぎ姿の赤毛の女がおれを見上げる。
「カレンよ。刑事さんがどうしてここに? キャプテンに呼ばれた?」
「いや、偶然――あんたを見かけたから」
「そう」
カレンはとろんとした目で、両手を前に突き出し、見えない操舵輪を一人で回している。
薬でもやっているのかと思ったが、彼女の息から地獄草などの臭いはしなかった。
おれが案内を頼むと、操舵しながら酒屋に入っていったので後に続く。
一階の店舗部分には客も店員も誰も居ない。カレンと共に二階に上がると
銃を持った目付きの悪い男が三人と、十代半ばくらいの少女がテーブルでカードをやっていた。
「あんた帰ったんじゃないの? そいつ誰?」
栗毛のおかっぱ頭の少女がおれを睨んだ。彼女が新聞配達の子供なのか。
「例の刑事だよ。ああ、ここが例の反陸空賊連合の支部の一つ。
今までは真昼間に堂々出入りのできた場所じゃなかったけど、警察が近所の敵のアジトを潰してくれたからね」
「その連合のボスにお目通し願えるか?」
カレンは首を横に振った。
「いや、総長は外出中。見ての通り兵隊と、総長の助手が居るだけだね」
「リラックなら今日はもう帰んないよ!」
少女が邪険にするので、おれたちはすごすごと二階から退散した。
「また来る」
カレンは相変わらず、見えない雲上艇の操舵を続けながら
「だったらあたしらと一緒の時にしてよ。撃ち合いになっちゃうからさ」

ウェストエンドの探偵事務所は留守で、ここでも助手とかいう少女に追い払われた。
ダウンタウンに戻って魔女窯通り、『サンジェルマン』。ここも留守。
西から東へ。イーストエンドの教会では、流行りの墓荒らしの話を聞いた。
犯人は真夜中に、何かの機械を使ってものすごい音を立てながら墓を掘る。
墓守りや牧師が駆けつけるまでの一瞬で、死体を奪い去ってしまう。
去年からイーストエンド一帯でたびたびそんなことがあるものだから、
地元の有志を募って教区警吏と共に自警団を始めたが
うち一人が見回り中、墓荒らしらしい何者かに襲われ重傷を負う事件があり、中止になってしまった。
死体はもう十数体が盗まれているという。いずれも埋葬して一週間以内の新しい死体。
教会の牧師は市警の警官に何度も同じ事を訊かれたせいか、ずいぶんと話し慣れていた。
44犬ども(10) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:49:22 ID:kYp7Rl8V
(2/4)

それから一度本部に戻ってシドを手伝い、
夕方にはモンキーシュガー・コートのファニー・アダムス蝋人形館に行った。
受付嬢にバッジを見せると、館主を呼んできた。
アダムス夫人――厚化粧で年齢不詳の、肥えたおばさん。
喪服のような黒ずくめのドレス姿で、にこにこと愛想良く笑う。
「あら、あなた空賊退治の刑事さん?」
「分かるか」
夫人はオーバーアクションで頷いた。
「分かりますとも、新聞で見たもの」
「あの写りの悪い写真で分かるのかい」
「あら、本物のがずっとハンサムよ。でも私は職業柄、人の顔を見分けるのが得意なんです。
昨日もあのニコルズ警部補がお見えになりましたけど、あなたはどうして?」
夫人は付けまつげが音を立てそうな勢いでまばたきする。
「捜査じゃない、ドライブの途中。息抜きだ。いつもこんなに盛況なのか?」
ロビーから見える展示室の巡路は、見物客で詰まっていたし
新しい客がひっきりなしに受付にやって来る。独り者、カップル、家族連れ、ご婦人方、色々。
「ええ、繁盛してますとも。でもね、今日はちょっと特別。『ファンタスマゴリア』の興行があるのよ」
受付の後ろのポスターを指差した。
山高帽に燕尾服、眼鏡に山羊髭の怪しい男が、血まみれの僧衣を着た怪物とステッキで格闘している絵。
「そりゃ何だ」
「あら刑事さん、ご存知でなくって? 幻燈機のショーの事よ」
「ああ、それなら。子供の頃一度観た事があるよ」
幻燈機とはまた懐かしい。
今時は映画というのが流行っているらしいが、幻燈ならおれが生まれた頃からあった。
「別室を使ってやってるの。うちの別室はご存知?」
「いや」
夫人の笑みが広がる。煙草で茶けた乱杭歯が剥き出しになり、大きな口は耳まで裂けるかと思われた。
「じゃ、ぜひお入りになられて。私が案内致しますから」
「任せるよ」

政治家や有名人の人形なんかが置かれている展示場を素通りし、
おれたちは通常の巡路を外れたところにある地下への階段を降りた。
照明は石油ランプの弱い光だけの「別室」では、あちこちに大きくスペースを取って
死体の転がる路地、ナイフを持った殺人鬼、絞首刑などが丸ごと再現されていた。
血なまぐさい展示を物好きの紳士やご婦人が興味深々な様子で、
あるいはしかめっ面をしながら見て回っている。
「ここ二十年の間に大陸で起きた、有名な事件を再現してますの。
現場、死体、犯人、憲兵や警察官、その他関係者。あとは政治犯のデスマスク。
あそこには去年のクーデター事件のスペースを作って、もうすぐメドグリーゼン元帥の人形も上がるの。
彼って好みのタイプだから、死に顔作ってると私興奮しちゃうのよ? それで作業が進まなくって」
『地獄穴』の吸血鬼、『天国の門』の首吊り船事件、憲兵隊に蜂の巣にされる女強盗グリーン、
エルポネ軍の悪名高い『ジャッカルハートの虐殺』、チェーンファイアの黒魔術騒動、等々。
人形や舞台そのものの出来もいいし、薄暗いオレンジ色の照明の効果でより一層おどろおどろしく映る。
「ニコルズもここを見たのか?」
「ええ。とても面白いと言って下さったわ」
別室では、アダムス夫人の笑顔すら迫力を増す。おれはそれとなく彼女から離れた。
45犬ども(10) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:50:08 ID:kYp7Rl8V
(3/4)

夫人がクーデター事件のスペースだと言った場所には
スクリーンと座席が用意され、ファンタスマゴリア上演の準備が整っていた。
客も、百人くらいは入りそうな座席のもう半ばまで埋まっていた。
おれがスクリーンと客たちを眺めていると、突然
「ジェイン!」
後ろから名前を呼ばれた。振り返ると、『磔刑されるスプーン卿』の展示の前にドロシーが居た。
「ドロシー」
ワンピースの、やや長すぎるスカートをつまんで彼女が駆けてきた。
「どうしてここに? あなたもショーを見に来たの?」
「まあ、そんなところだ」
「こちら、娘さんじゃないのね?」
夫人に尋ねられ、しばし言いよどむ。
「ああ、その――友達だ」
「そう、友達なの」
ドロシーが微笑んで、おれの腕を取った。
深緑の瞳は、今夜は照明のオレンジと相まって灰色に光っていた。
「今夜のショーは、五年前サン・ゲノルの興行で大成功した『テテレクトリク』がやるのよ。
団長ロブロブの新作書き下ろし、『怪人トルチョック博士と血の聖母』。
『トルチョック博士』シリーズは内容が残酷過ぎて、スリーナでは興行禁止になってしまったの。
だから彼らオーラムに越してきて、うちと契約したんだけど――ひどくても上演中止しないでね、刑事さん?」
おれは女たちのように笑った。
「本物なら取り締まるが、人形と芝居はおれの管轄外だ。大目に見るよ」
「よかった。もうすぐ次の回が始まるから、席を取った方がいいわ。楽しんでいってね」
「おれはこのままだとただ見になるが、いいのか?」
「ええ。その代わり、『鉄槌』事件の人形作りの時はモデルを頼みますわ」

アダムス夫人が上に戻ったので、おれはドロシーと座ってしばし待った。
「あなたがこんなところに来るのって、何だか意外」
「仕事のついでさ。君はどうして?」
「暇だから。友達を誘ったんだけど、誰も付き合ってくれなかったのよ」
ショーが始まった。
ポスターの絵の男――トルチョック博士の仮装をした、愛想のいい団長がスクリーンの前で挨拶をする。
過去の公演での盛況ぶり、ショックで心臓の止まった女性客や、入れ歯を飲んでしまった老人に関する冗談。
今日の演目の解説、そして上演――にこやかな団長の口上と裏腹になかなかえぐい内容。

主人公は赤い目に出っ歯の怪人、ラビット・トルチョック博士。
かつてはアカデミーの生物学の教授で、かつ一流の自動人形職人でもあったが
動物の解剖実験を国教会に糾弾され、アカデミーを追われて以来
「生きた人形」を作る妄想に取り憑かれて狂気の実験を繰り返していた。
ある日、彼の評判を聞いた一人の青年が博士の研究所を訪ね、自分を弟子にしてほしいと言い出す。
青年はアカデミーの優秀な学生で、かつ敬虔な上霊教徒だったが
最愛の母の死をきっかけに信仰を捨て、科学の力で母親を蘇らせようと考えていた。
青年を見込んだ博士は彼を助手に、青年の母の朽ちた亡骸から霊魂を復活させる実験を行う。
幾度かの失敗の後、ついに彼らは青年の母の死体を復活させる。
母は生きた体ばかりか、生前の記憶、息子に対する愛さえも取り戻していた。

狂喜する青年と博士だったがそれも束の間、生き返った母親は日に日に体が崩れていく。
外見と同時に母親の精神までもが錯乱していき、彼女は次第に凶暴な怪物へと変身する。
実験は失敗だったと博士は青年に告げ、「母」を処分しようとするが
青年は博士に反抗し、あくまで母を守ろうとする。
やがて完全に人間の姿と心を失った「母」は研究所を脱走、これを追う青年と博士。
二人と「母」は、母親がかつて埋葬されていた墓場で対決するが
青年は「母」をどうしても殺す事ができず、躊躇したところを襲われ生きたままむさぼり食われてしまう。
残った博士は血みどろの殺し合いの果てに「母」を倒し、傷だらけの体で研究所へ戻っていく。
46犬ども(10) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:50:44 ID:kYp7Rl8V
(4/4)

スクリーンに大写しの「母」はちゃちな仕掛けながらも迫力充分で、
後半は観客席からひっきりなしに悲鳴が上がる。
息子の腸をくわえて這いずる怪物が、ありきたりの物語を視覚的に盛り立てていた。

「面白かったかい?」
「ええ」
おれたちは人ごみに押し流されながら人形館を出た。
入り口の階段で、ドロシーが足をもつれさせたので、咄嗟に肩を抱いて支える。
何故だか普段以上に白い顔をして見えるドロシーを、ゆっくりと道路に導いた。
「気分が悪いのか? あれを見た後じゃ無理もない」
ドロシーは力なくかぶりを振った。
「そこまでひ弱じゃないわよ。ただ、貧血気味かも……」
「送ってやるよ」
おれはドロシーを車に乗せた。ドロシーは小声で礼を言った。
イーストエンドのアパートに向けて走り出してすぐに、彼女は助手席で眠ってしまった。
家に着くと一度彼女を起こして鍵を受け取り、ドアを開けて中に入った。
ドロシーは鍵を渡すなり再び眠ってしまったので、彼女を抱えて二階に上がる。

彼女が使っている寝室――
本棚とベッドとランプだけ。他に家具も、絵も写真も、ぬいぐるみも花もない殺風景な部屋だ。
汗と石鹸の匂いのするベッドに彼女を横たえる。
毛布をかけてやりながら、何の気なしに枕を動かすと、その下に短刀が隠れていた。
飾りのない灰色の鞘と柄で、手に取るとずしりと重かった。抜いてみる。
幅広、肉厚の、鈍く光る刃。おれは刀と枕を元通りにしておいた。
さて、鍵はどうしようか?

一階の玄関に鍵をかけると、キッチンに行ってヤカンに湯を沸かす。
その間にまた二階のドロシーの寝室を覗いて、本棚の本を何冊か失敬した。
彼女の様子も、見た限り急を要する事態とは思えなかったので、医者などは呼ばなかった。
勝手にコーヒーを淹れ、本を読み、時々ドロシーの具合を見に二階に上がり、
あとはキッチンの椅子で一晩まんじりともせず過ごした。
47 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/06(木) 16:53:24 ID:kYp7Rl8V
投下終わりました。
サン・ゲノルはスリーナ王国の首都という設定で、
イメージは19世紀のパリに、アルジェリアを足して割った感じです。
48名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/06(木) 18:30:45 ID:XprZYBNA
>>47
投下乙!
墓荒らしと幻燈機のショーの内容の相似が気になってくるなぁ
あと、ドロシーもこれでなかなか秘密がありそう
49名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/07(金) 00:59:42 ID:XlSzPKO6
おっと、こっちにも報告。
まとめサイト更新しました。不備があったら、教えてくれるとありがたい。
50名無し・1001決定投票間近@詳細は自治スレ:2008/11/07(金) 15:24:17 ID:ZsFnep72
ジョン・スミ自体は面白いと思うけど
上の方でちょっと論争になってる様に、今回の話に限定すれば
何でも有り感と言うか、伏線無しにそういう道具を出してた辺りで
ジョン・スミの作者どうしちゃったの、とかやりすぎじゃねって感じがした

設定スレで魔法云々の議論が巻き起こっていたけれど
魔法のプロセスって大事だなと言うか、そういうプロセス上の弱点と
その弱点から来る伏線を持たせた方が良いんじゃないかな

そもそも、ジョン・スミの魔法の何でも有り感は世界観全体で見てもバランスブレイカーだと思う
単品作品としては悪くないけど、シェアード・ワールドでこういうキャラ出したらまずいよなってキャラの
典型例パターン
51 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/08(土) 13:07:07 ID:10yNcJOT
遺失文明全史を通して無敵を誇った黄金戦車が、いったいどのようにして破壊されるに至ったのかは長らくの謎だったが
研究家諸氏の不断の努力により、近年ついに解明された。
卑金属部品の錆びを食う目的で戦車内部に組み込まれていたカナクイの一種が、長年の稼働を経るうちに、
オリハルコン他魔道金属を食うことができるように変質していたため、気付かないうちに部品に甚大なダメージを受けていたのである。
メンテナンスの手間を省くための機構が、かえって命取りになったのである。無敵の黄金戦車は、節を変じた味方によって無力化されたのだ。

                                   E・E・ゲイリッヒ「古代への憧憬」より


8・家


 メイプルシュガーの色をした癖毛と整った容貌、艶のある目元、通った鼻筋。
 ラックス・アウルムの恵まれた容姿としなやかな物腰は、帝都社交界でより一層洗練され、アウルム財閥の貴公子とあだ名されるほどになった。
 彼がパクス皇帝属州への資金貸借契約の連絡使節団に指名された時、帝都の人々は、彼もいよいよ公職デビューだと騒ぎ立てた。
 若年にして公的な職務を帯びて地方に赴くのは、時代を問わずエリートコースの最初の一歩である。
「まったく、この僻地は出迎えも満足にできないのか」
 そして、総督府公邸に着いた若者が開口一番に放った台詞が、それだった。
 年齢的に一番下のユーグは、出迎えの官僚団の末席で小さくなっていたのだが
 自分の父親ほどの年齢の先輩が、何の配慮もなく罵られているのを見て、ユーグは官僚団の後ろにいて本当に良かったと思った。
 ここなら、大人しくしている以外の行動のためには、年配の官僚を押しのける手間がかかる。
 それだけの時間があれば、気分を落ち着けるには十分だ。
「手際が悪いだけならまだしも、総督が戦に出ている? アウルム財閥の使節団として、僕がわざわざ来たんだぞ。
戦など切り上げて、自ら出迎えるのが筋じゃないか」
「は……申し訳ございませぬ」
 頭を下げる最年長の官僚を見ようともせず、ラックスは官僚団を自分の従者であるかのように引き連れ、我が物顔に公邸を闊歩する。
「おい、僕はどこへ行けばいい」
「は、総督がお帰りになるまで正式な返事は出来かねますが、お話を伺う準備はできております。まずは応接間までお越しを……」
「早く案内しろ。気の利かない奴だ」
 案内に立とうとした衛兵を、頭から無視し去って公邸に踏み込んだのはラックスである。
「壁掛けのひとつもないのか。美観というものを理解する感性すらないんだな。父さんも、とんでもない所に僕を追いやってくれたものだ……おい、まだか。
こんな小さい建物に随分と時間をかけるじゃあないか」
 応接間に通されるや否や、ソファの刺繍や材質にまで文句をつけ始める。
「ユーグ、お前は外にいた方がいい」
 近くにいた同僚が、聞こえるか聞こえないかの声でそっと囁いてくる。
 女の子に間違えられることもある顔に似合わず、妙に癇の強いユーグの性格を慮ってのことだろう。
「そうします」
 拒否する理由はない。
 使節団のお付きの者たちは他の官僚に頼んで別の控え室に導かせ、あらかじめ用意しておいた客間割り振りを渡し、宿舎への案内を頼む。
 その後、ユーグは応接間の扉脇の壁に背をつけた。
 思ったよりも、聞こえない。内容は後で教えてもらう必要があるだろう。
 先方の主張に、事務官団の分析と見解をつけて、アルゴンが帰ってきた時に提出するのが、今官僚たちだけでできる仕事である。
 時折、独特の人を蔑む言い回しが聞こえてきて、それがユーグを妙に苛立たせた。
 常に自分が上であると思い知らせようとしている言動である。外交官に不必要とは言わないが、感情的なものであってはならない。
 彼はそれがわかっているのだろうか。これでは、ルーシアが吐き捨てるように評したのも、頷ける話だった。
 使節団の構成は、代表がラックスに変わっただけで、他の者は親しいわけではないがパクスとは顔なじみばかりのままだ。
 つまり、これまでの交渉に問題があったと判断したわけではない。財閥は一体何を考えているのだろうか。
 つい、扉に耳をつけた。
「こっちがこれだけ金を払ってるのにまだ惜しいか。まったく、これだから辺境人は」
「ですから、家宝の扱いと資金の借り入れは別のお話と……」
「そんなわけがないだろう! いい歳してるくせに、ガキのような理屈振り回すなよ。いいか?
父上があの槍を欲しがってるんだぞ? 帝都有数の資産家で、商業組合もいくつも主催してて、世界で一番ものの価値がわかる人間なんだぞ?
お前たちなんかが蔵に寝かせておくより、父上のコレクションに加えられる方が槍も幸せってもんだろ。なんでわからないんだよ、そんなことが」
「いえ、ですから……」
「そうやって槍が手元にあるのをいいことに、僕たちから金を巻き上げようって魂胆なんだろ? いい加減にしろよ。
お前たちがそんなんだから、僕がわざわざこんな辺境くんだりまで出て来なきゃならなくなったんじゃないか!
帝都が遠いと性格が意地汚くなるのか? そんなに金が欲しいのか? 少しは誇りってものを持てよ。まったく、田舎者はこれだから」
 耳を離した。
 これ以上聞いていたら、間違いなく扉を蹴破る。
 なるべく山積している政務のことを考えるようにしながら、ユーグは執務室の留守番へ向かうことにした。
 接待の人数のうち子供が一人、いつの間にか消えていようといまいと、難癖の付けようはいくらでもあるのだ。
 とりあえず、総督府市街の防備に残った兵力はまた心もとなくなってきている。
 消滅した第十四小隊の穴を埋め、さらに巨人に対するために、新たに召集をかけなければならない。
 召集の文面を強く意識しすぎたため、ユーグは足音を忍ばせるのを忘れていた。


 普段公邸を我が物顔に闊歩しているルーシアは、ラックスが到着する日の朝から、自室に篭り切りになっていた。
 朝から人を寄せ付けず、食事も扉の前に運ばせたきりだった。
 部屋の中では、彼女はじっと息を殺していた。
 元々活発な性質であるため、すぐにでも外に出られる格好まで支度を整えてあるが、部屋の外に聞こえる物音さえ立てまいと、慎重になっていた。
 財閥の人間が来ると、彼女は大抵顔を合わさないように控えめに行動していたが、今回はいつもより警戒が過剰である。
 こちらの様子を悟らせないためだった。今までも、取り立てて用事がなければ、財閥の人間が彼女のご機嫌伺いに出てくることもない。
 そのため、部屋の中で退屈を持て余しつつも、じっとしていたのである。
 だが、彼女の誰も入れるなとの言いつけを忠実に守ろうとする侍女の慌てた声と、よく憶えのあるねじくれた美声が
 彼女の部屋を目指して近づいて来ているのが聞こえた。
「一年ぶりに親戚と顔を合わせるんだ。部外者のお前たちが、なんで首を突っ込んでこられるんだ?」
「で、ですが……ああ!」
 ノックもなしに扉が開かれた。
「やあ、元気にしていたかい」
 帝都の社交界で持てはやされる、やや高めの甘い声。包み込むような優しさが感じられるとの評判である。
 思ったとおりの男が、顔をのぞかせていた。
「なあ、どうしたんだい? そんな顔をしていないで、声を聞かせておくれよ」
 ルーシアは寝台に腰掛けて、彼から顔をそむけた。その彼女の胸中を知ってか知らずか、彼は親しげに歩み寄っていく。
 戸口で侍女が、どうしたらいいかわからない態でまごついているのを一顧だにせず、険しい表情のルーシアの隣に、断りもなく座った。
「なあ、そんなに冷たくしないでおくれよ。昔みたいにさ、仲良くやろうよ」
 手が肩を抱こうとしていた。ルーシアのだんまりも、ここが限界だった。
 伸びてくる腕の手首を取った。
「断りもなく女の部屋に踏み込むなんて。相変わらず下品な男ね、ラックス」
「辺境で無聊を囲っていらっしゃる従妹殿を慰めて差し上げようという、せめてもの思いやりさ」
 つかんでいた手首を、投げ捨てるように離す。
「今更何の用なのかしら? 連絡係風情が人様の邸を我が物顔で歩くなんて、伯父様がお聞きになったらなんとおっしゃるでしょうね」
「連絡係? 使節団の代表さ」
 憎々しげなルーシアの言葉を、ラックスはわざとらしく笑い飛ばした。立ち上がって、部屋の中を悠然と歩き出した。
 暖炉を覗き、上に乗った飾り皿を一瞥して鼻で笑う。
「悪いけど、二人にしてくれないか。それともここの人間は覗きが趣味なのか?」
 まだ立ち尽くしたままだった侍女に一睨みをくれて、追い返す。
 廊下を逃げ去っていく姿を確認してから、扉を閉じた。
「なあルーシア、僕とここの人間と、どっちが上だと思っているのさ。僕が融資の引き上げを決めたら、明日の食事も立ち行かなくなるのは誰だい?」
「子供の使いの方がましね」
 使節団に選ばれたと言うことを、履き違えている。使節団の判断が、そのまま財閥の戦略になるなどあり得ない。
 だというのにこの青年は、綺麗に整頓された机を、馬鹿にしきった目で蹴りつけていた。
「使い走りなら使い走りらしく、書状を届けるだけをしていればいいでしょう。この度の乱行、私のお父様のお耳に入れておきますからね」
「へえ、君が?」
 ラックスの笑顔に、酷薄さが加わる。
「半年も前に、もう帰ってこなくてもいいと手紙を出してそれっきりの叔父さんが、今更君の話を聞くかな?
いいや、それどころかここに来るのだって、厄介払い同然だったじゃないか。
知ってるかい? 君がせっせと送ってくる手紙は、すべて読まれずに捨てられているよ。当然だよな、読む人間がいないんだものな」
 ラックスの存在に堪え切れなくなったルーシアが、先に手を出してくるのを待っていたのだ。
 彼女が強がるなら、本家の後ろ盾を出す他ないことを知ってのことだろう。喜悦に満ちた笑顔は、手負いの獅子を取り巻いたハイエナのそれである。
「重要な連絡に混じっているから迷惑しているって、叔父さんも言ってたよ。あんなのは日記帳にでも書いておけばいいのに
よくまあ恥ずかしげもなく送ってくるね。ばあやは君がこっちに来てからすぐに死んでるって、何度言ったら信じるんだよ」
 勝ち誇った視線が、ルーシアの顔を舐めるように通り過ぎた。
「わかるかい? もう帝都の本家では、君はいなかったも同然なんだよ。だからせめて僕が、かわいそうな君に声をかけに来てやったんじゃないか。
そうだね……まだ未練があるようだから教えておいてあげるけど、もしかしたらやることをきちんとやれば、居場所ぐらいはとってもらえるんじゃないか?」
 ラックスの視線がルーシアの体に降りた。直接肌を撫で回されるような不快感がまとわりつく。鳥肌が立っていく。
 端正な顔立ちに粘着質な笑みを浮かべて、小さく囁いた。
「もう総督には抱かれたのか?」
 自分の顔が豹変したのが、ルーシア自身にもはっきりわかった。
 気が付けば、シーツを握りしめている。手元に物があれば、間違いなく投げつけていた。
「総督がどんな奴か知らないが、どうせ助平親爺なんだろ。お手付きになって子供でも孕めば、槍の話もやりやすくなるってもんだ」
「出ていけ!」
 自分でも信じられないほどの声量が出た。声の大きさに僅かに怯んだものの、ラックスは知らぬ顔で続ける。
「その様子じゃあ、まだなのか? 何をしているんだよ。もう君にできることなんか、男に股を開くぐらいなものだろ?
何でもいいから一度抱かれたら、その辺の適当な男に孕ませてもらって来いよ。身に覚えがあれば、向こうも邪険にはできない……」
 ルーシアの食いしばった歯の隙間から、意味をなさない叫びが出た。
 ラックスに掴みかかったが、男女と体格の差がある。振り払われ、逆に抑え込まれた。
 両腕を掴む手を振りほどこうとするが、総督府の基準でなら貧弱以下でしかないラックス相手に、まったく力が及ばない。
 間近で薄笑いを浮かべた悪魔が、嗜虐的な視線でルーシアの体を舐め回している。
 目を覗きこみ、刻みつけるかのように低く唸る。
「もうお前のつまらないプライドなんか、誰も気にしちゃいないんだよ。まったく、一度くらい手がついてりゃ、ここで僕が仕込んでやったものを。
処女は助平親爺のために大事にとっておけよ。酒でも薬でも使って潰して、覆いかぶさってしまえよ。
うまく槍を持って帰ってくれば、飯ぐらいは食わせてやるよ」
 自分の喉から、聞いたこともないような引きつった声が流れ出ている。
 ラックスを振りほどこうと腕を滅茶苦茶に振り回そうとし、逆に投げ捨てられた。背中が寝台の側面に当たった。
「そうそう、その格好だ。いい眺めじゃないか、なあ?」
 尻餅をついた拍子に、ドレスの裾がまくれ上がって、色白の腿が剥き出しになっていた。
 ラックスの視線は、肌と裾の境目に無遠慮に注がれている。
 慌てて裾を足の下に巻き込むが、遅い。嘲笑を残して、ラックスは扉に手をかけていた。
 素手で心臓を抉られた気分だった。どころか、自尊心も心のよりどころも、土足で踏みにじって行ったのだ。
 空っぽになった心臓に、何か穢いものを詰め込まれたような感覚だった。辺りの空気が重さを持って、体を押し潰そうとしているようでもあった。
 いっそ潰れてしまえれば、どれだけ楽か。
 ぎり、と音がした。自分の歯が鳴ったのだと気づくのに、少し時間がかかった。

「なんだよ、お前」
 扉を開いたラックスは、こちらの顔を見てあからさまに機嫌を損ねていた。
 機嫌を損ねているのは、ユーグも同じである。後のことを考えれば穏便に抗議するだけで留めておくべきなのだろうが、
 わずかに漏れて来た破廉恥なやりとりを耳にしていて我慢しろなど、無理な話である。
 扉越しに見えたルーシアは、何かを必死に耐えているようで、今にも破裂しそうに見えた。
「……なるほど、よくわかりました」
 久しぶりに、冷え切った声が出た。やると決めた時点で、言うべき言葉が頭の中で組みあがっていく。
「聞いていたのか!? ふん、生活水準の低い所にいると、品性まで下がってくるようだな」
「あれだけ騒げば、みんな気づきます。それより、お陰様で帝都での女性の扱い方について、大変勉強になりました。僕たちには考えもつかない斬新な手法、
さすがは、何の問題もなく十分に役目を果たしていたイアソンさんを、更迭してまでおいでになっただけのことはありますね。『名誉』代表殿」
 口調は、部署に書類とともに指令を下す時のそれそのままである。
 しかし、ユーグが淡々とした風情ながらも意図していた通り、差し挟んだたった一語がラックスを抉った。
「お前っ……!」
 振るわれた拳を、ユーグは顔を少し傾けて額で受け止める。
 ラックスは襟首を掴み、間近から睨みつけた。ユーグが自分より小さいと見ての行動であるのは、間違いない。
「どういう意味だよ」
「何がですか」
「僕が何だ、と言った! 僕は父さんから交渉を委任された使節団代表だぞ! 舐めるなよ田舎者の分際で……!」
 ユーグを床に引き倒そうとしたが、少年はうまく体重を操って手から離れる。
 皇帝属州の人間は、一定年齢になると皆兵役訓練を受ける。ユーグも例外ではなく、重心の取り方など基礎の基礎である。
「ちっ……問題にしてやる! 帝都に帰ったら覚えていろよ!」
 腕力で押さえつけられない少年を睨みつけ、ラックスは足音も荒く立ち去っていく。
 廊下にかかっていた壁掛けを引きちぎり、これ見よがしに投げ捨てていった。
 部屋の中を顧みると、床に座り込んだままのルーシアが、俯いて身を震わせていた。
 思ったとおり、槍を取り上げるついでの厄介払いだったとは言え、ああまで嬲り者にされるほどでもない。
 彼女は、彼女なりに居場所を得ようと一生懸命だったことぐらい、ユーグは察している。
「今日はみんな忙しいですから、用があったら呼び鈴を使ってくださいね」
 ルーシアは反応を見せない。
「誰も近づかないように言っておきます。それでは」
 結局のところ、普段から彼女に向けているような冷やかな調子で言い残して、扉を閉じた。
 あれでいいのか、という気もしたが、ユーグには他にできるようなことはない。
 訳知り顔に慰めの言葉などかけたところで、ただ白々しいばかりだ。
 官僚の執務室へ向かって数歩足を踏み出したところで、室内で、彼女が破裂した気配がした。


 翌日、糸のような雨が降る中、アルゴン率いる二個小隊は帰ってきた。
 巨人は撃退したが、兵の面持ちは一様に沈んでいる。
 アルゴン自身、勝ったとは思っていなかった。だが、やれることはやったのだ。市街に残る住民たちに不安を与えないためにも、顎を引いて顔を上げた。
 南はもはや東端の七番基地を残すばかりで、広く開いてしまった防衛線を、小隊の野戦陣地でどうにか保っているような有様である。
 基地の再建には、時間も資金もない。
 敵の次の手は、順当に考えればそこを突破しようとしてくるだろう。
 だが、敵は三種族連合である。巨人なら、馬鹿正直にまっすぐ来るだろう。その際は基地があろうとなかろうと、大した差はない。
 黒翼族は単独なら恐れるほどではないが、長耳族との連携をうまく使われれば、裏をかかれないとも言い切れない。
 二個小隊を兵舎へ帰らせ、アルゴンは三日ぶりに公邸に入った。
「総督、お帰りなさいませ」
「ただいま、ユーグ君」
 不在の間の報告をするべく、ユーグが真っ先に駆け寄ってくる。
「どうだったかな、新しい使節団は」
 並んで歩くユーグが押し黙った。真剣な表情で、足元に目を落としている。
 他人の好き嫌いを比較的はっきりと言う少年である。
「総督、あれは駄目です」
 しかし、言い方にはきちんと気を使う子のはずだ。
「そんなにか」
「そんなにです。ルーシアさんが酷い目に遭いました。閉じこもってますから、後で声をかけてあげてください」
「穏やかじゃないね」
「すぐに接見しますか」
「その方がいいだろう」
「そうですね」
 一つ頷いて、ユーグはぱたぱたと走っていく。
 戦帰りの汚れを落とし、接見用の正装に着替えて一息つく頃には、先方に話が通ったとの報告が来ていた。
 応接室には使節団の数名と、不機嫌そのものの若者が座っていた。
 生まれ持ったきらびやかな容貌が、都会の華やかな社交界に洗練された姿は、それだけ揃っているにも関わらず、何とも言えない軽薄さを感じさせている。
 第一印象では、ルーシアが酷評するのもわからないでもない。
「僕を二日も待たせて、今まで何をしていたんだ」
 アルゴンの挨拶も待たず、ソファにふんぞり返った若者が脚を組んだまま、頭から質問を浴びせかけて来た。
「お待たせして申し訳ない。何分、国境防衛の本務がありましてね」
「そんなもの、さっさと切り上げて来いよ。お前たちにとって僕たちはそんな程度の扱いなのか?」
「ご用件を伺いましょう」
 事務処理以外を無視することに決めたアルゴンに、若者は表情を歪めた。
「おい、あんなので謝ったつもりか? きちんと作法があるだろ。私どもの不手際で、大変に長々とお待たせしてしまって申し訳ありませんでしたお許し下さいってな」
 若者の後ろで、見知った顔の使節団員がおろおろしている。
 彼らとて結構な古株だったはずだが、その彼らが若者を止めない所を見ると、アウルムのファミリーネームは伊達ではないらしい。
「地面に頭をこすりつけろとまでは言わないでおいてやるよ。この床じゃ、下を向くだけで埃がつきそうだ」
「どういった用件で来たのですか?」
「お前、人の話を……」
「自分の言葉がアウルム財閥の言葉、ということぐらいは承知の上での態度ですかな」
 お守役であろう使節団が場に出ないとなると、アルゴンとしても交渉は諦める他はなかった。
 アルゴンの口調の変化をわかっているのか、若者はあからさまに馬鹿にした表情で背もたれに伸びあがってみせる。
「僕を誰だと思ってるんだ? 僕の父親は帝都美術品商業組合の総元締めコルマルゴフ・アウルムだぞ。
父さんから金を借りてる分際で、随分な態度じゃないか」
「ならば、コルマルゴフ殿にご足労願ってください」
「なんだと?」
 若者の眉が跳ね上がるのを見て、アルゴンは自分の顔に不快感をにじまないよう、改めて表情を固くした。
 だがこの無表情自体が、不快感の表れと取られてもおかしくはないだろう。
 どちらにせよ、友好的には程遠い状態でしかないのである。
「確かに、我が皇帝属州は借金を抱えています。だがそれは、アウルム財閥のコルマルゴフ殿主催の美術品商業組合に対してであり、特定の個人に対してではありません。
個人の一存で商業組合の方針が決定され得るのは、コルマルゴフ殿のみと認識しています。それ以外の方の一存を財団決定とするのは
我々の資金運営に影を落とし、かつ貸借契約に対する背信の恐れも出てくるのです」
 組織の決定と、代表の一存とは別の問題である。組織の構成員を超越する全権大使は、最高責任者である商業組合の頭取をおいて他にない。
「だから僕が来ているんだろう! 父さんの息子だぞ! 全権大使以外の何だって言うんだ田舎者が!」
 それを、この若者は理解していないのだ。リスクを背負わせなければ、全権大使の重みを理解できないのだろう。
 仕方なく、アルゴンは切り札を切った。
「ならば申し上げますが、我々は先日帝都軍務局宛てに書状をしたためております」
 勢いづいてさらに罵ろうとした若者が、僅かに怯んだ。皇帝属州と軍務局は、「高度に政治的な行為」である軍事行為についての結びつきがある。
 民間人であれば、この時点でこちらに譲歩する構えを見せるところである。
「だからどうしたんだよ。軍務局に本家とつながりのある人間なんかいくらでも……」
「財政担当官に、こう申し送りました。パクス皇帝属州は、兵力兵站その他は十分であるが、資金の不足に困っている。
既に民間の財団より借財をしているが限界があり、軍務局からの予算の増額も希望したい。もし望むとおりに行かない場合は、我々が戦費を借用している
アウルム財閥に対し、貸借契約を続けるよう働きかけを行ってほしい、と」
「おい、話を聞いているのか? 軍務局に働きかけたって、僕が本家に頼めばいくらでも握り潰せるって言ってるんだよ」
「国境防衛の軍務は、帝国全体の保安の問題に関わってくるのだということを、お伝えしようと思ったまでです」
「何?」
「『皇帝属州』の名称、どういった意味なのかお考えいただきたい」
 相変わらず青年が浮かべている不愉快そのものの表情は、こちらの言うことを理解した上でのものだとは思えない。
 これがこの若者の限界なのだろう。
「これ以上は、お父上にお尋ねになるのがよいでしょう。他に用件はありますかな?」
 背後の使節団のうち何人かは察しがついたらしく、硬い表情に陰鬱な色を乗せてしまっている。
 彼らには申し訳ないが、アルゴンには強硬に出るしかない場面であった。
 皇帝属州がアウルム財閥からの援助を打ち切られるのは、帝都がパクス皇帝属州を保持する価値を認めなくなった時だけである。
 そして勅令によって建造された皇帝属州の後ろ盾は、サマン帝国皇帝その人である。
 皇帝属州の存続にかかわる問題は、元老院議会にかけて採決し、皇帝に奏上して勅令を得る必要がある。
 つまり、立場が弱いのは、むしろアウルム財閥の方なのだ。現実的な圧力である。できれば使いたくない手だった。
「ふん、気分を害した。何だ、お前たちは。ガキもガキなら総督も総督だな。立場も分かっていない奴ばかりだ」
 アルゴンを睨みつけながら、吐き捨てるように言い残して立ち上がる。
 使節団に目もくれず、扉を叩きつけるようにして応接室を出て行った。
 慌てて後を追おうとする使節団に、アルゴンは声をかけた。
「今のが、ラックス殿で間違いないのかな」
 顔を見合せながら頷く使節団に、代表をイアソンに戻すかコルマルゴフに直接来てもらえるよう計らうかを頼み、送り出した。
 応接室に一人残ったアルゴンがひとしきり溜息をついていると、ユーグがひょこりと顔を出した。
「お疲れ様です、総督。いつの間に、書状なんか送っていたんですか?」
 他所への公文書は、大抵少年に頼んで起草してもらっている。そうしたものを書き起こした覚えがないのが不思議だったのだろう。
 彼の記憶の正確さは定評がある。自分の仕事に関してなら、書棚のどの引出しの上から何番目に、何の案件が入っているかをほとんど覚えているほどである。
「あれはハッタリさ」
「はい?」
「そんな書状は出していないよ。予算増額申請なら、君の記憶にある以上を出しているけれどね。
そういうわけだから、アウルム財閥へ訓示をしてくれるように、軍務省への依頼状をしたためてほしいんだ」
 あっけに取られている少年に、債権者に嘘をついたなんてことになるわけにはいかないからね、と笑ってみせる。
 後付けになろうと、圧力を見せたのなら、いつでも使える形にしておかなければ脅威は半減する。
 今ひとつしっくり来ない表情で、ユーグは頷いた。
「あ、そうだ総督。この後お時間取れるようでしたら、ルーシアさんの様子を見に行ってあげてください」
「ふむ?」
 少年の手元を見る。数枚書類を持ってはいるが、アルゴンへの用件ではなさそうである。
 と言うことは、これこそが少年の本題なのだろう。
「珍しいね。君がルーシア君の様子を気にするなんて」
「……気にしますよ。あの馬鹿に手酷くやり込められていたようですから」
「そうか」
 正直なところ、予想外である。余程上の立場の人間でもなければ、噛みつかんばかりに言いつのるであろうルーシアである。
 泥試合の痛み分けならわかるが、手酷くやり込められた、というのは想像がつかない。
「あの、もしですけど、もしルーシアさんが帝都に帰るって言い出したら、絶対に止めてください。僕に言われたからとかじゃなくて、総督の言葉で」
 だが、ユーグの様子からすれば、あながち間違いでもないのだろう。
「わかったよ。でも、なぜ引きとめた方がいいと思ったのかな。君はルーシア君を疎ましがっていたと思ったんだけどね」
「ルーシアさんが帝都に帰っても、いいことないと思ったんです。あの人がひどいのは、お金のことを全然気にしないところと
みんなが仕事をしていてもお構いなしにうろうろしていることぐらいですから」
 それじゃあお願いしますよ、と少年は扉の向こうに引っ込んでいく。
 椅子に背を深く預けて、アルゴンは腹の上に手を組んだ。
 南部防衛線の再構築、減少した小隊の補充、異種族の次の攻撃予測、考えることは山積している。
 その上に、ルーシアの見舞いが乗った。
「……まあ、そう言うのであれば」
 打ちのめされて泣き伏せる彼女の姿は思い浮かばないことはない。愁いに沈む姿も絵になるだろうが、どうにも想像に現実味がないのである。
 属州経営問題に頭の半ば以上を占められながら、とりあえず自室隣のルーシアの部屋へ向かった。


 言われて見れば、彼女の部屋の扉に、確かにどことなく近づきがたい雰囲気が漂っているような気がする。
 幼い頃、失態を父の部屋に謝りに行った時なども、扉がこんな風に見えた覚えがあった。
 あの時は、父の叱責への恐れが、そう見せていた。今は何によって、なのだろう。
 鉄扉より厳重に部屋を蓋している木材を、音を抑え目に叩いた。
 返事はない。
「私だ。ルーシア君、入ってもいいかな」
 一拍置いて、今度は部屋の中で動き回る音が聞こえた。しばらく後、澄ました声で返事が来る。
「どうぞ、お入りくださいませ」
「失礼するよ」
 ゆっくりと、扉を開く。
 いつもと変わらない風を装って、ルーシアが寝台に腰かけていた。
「どうなさいました?」
 普段のように微笑みかけてくるが、すぐに崩れてしまいそうな脆さを漂わせていた。
「いや、財閥からの使者に随分と無礼な振舞いを受けたと聞いたのでね」
「その事でしたら、大丈夫です。あんな男に気を割くことなど、時間の無駄ですわ」
「そうか。ならいいのだが」
 ざっと部屋の中を見渡してみる。
 変わったところは何もないように見えて、どこか不自然な空気が漂っていた。
 気にしていないことはないだろう。財閥の人間が来たから引きこもっていました、という雰囲気にはとても見えない。
 だが、確たる証拠も突き付けられない上に、それを暴いたからどうするのかという問題もある。
「あの、アルゴン様」
「うん?」
「私、あの、アルゴン様の槍を、その」
「うん」
 目を合わせようとしない。
 官僚や侍女の歯切れが悪ければ、ずいと顔を近づける彼女が、である。
「私は……」
「君が槍のために来ていることは、最初から察していたよ。今更気にすることでもないじゃないか」
 はっとした顔でアルゴンの表情を確認し、すぐに目を伏せる。心なしか肩も落ちていた。
「……その、ですから、もう、あの、アルゴン様には槍を渡すお考えがないのですから、あの」
「うん」
「私、帝都に帰ります」
 アルゴンの方を見て、はっきりと言った。だが、真っ直ぐ見たのではない。顔をやや伏せたまま、上目がちにであった。
「なぜ突然に? 今までずっとここにいたじゃないか」
「ええ、でも、私はアルゴン様から槍を取り上げるためだけに来たんです。ですから、その、本家はまだ私をそのように見ていて……」
 一瞬言葉に詰まったルーシアが、何かを堪える素振りを見せた。すぐに元の通りに話し出す。
「私がここにいると、本家が私を理由にアルゴン様の大切な槍を取り上げに来るかもしれないんです。それで」
 それ以上は言わなかった。
 後でユーグからじっくりと聞かなければなるまい。
 本家からもアルゴンからも、再三にわたり帰還の催促を行っていたにも関わらず、気にもかけずに総督夫人の部屋を占拠していた娘である。
 その彼女がここまで追い込まれた経緯は、一体何なのか。
「残念だが、それは許可できない」
「どうして……」
 特に問題もなく受け入れられると思っていたのだろう。繕った表情が、目に見えて揺らいでいる。
「君がここにいることで、財閥が何らかの干渉をしてくるのなら、もう兆候が見えていてもいいはずだ。でも、そんな様子は見られない。
あちらはもう、積極的に君を利用しようという意思はないはずだ。それがわからない君でもないだろう。本当のところを、教えてくれないか」
 また、うつむいて黙り込んでしまった。
「新しい使節代表の青年と会っていたそうだね。何を言われたんだい」
 身動きが止まった。喉から押し出すように、一語ずつ呟いていく。
「既成事実を、つ、作って、言い逃れを、できないように、しろって……」
 歴史上、女性関係で治世を崩した権力者は数多い。彼らの好色さを突くべく送り込まれる女性もいた程に、裏工作としては定番のものである。
 だが、それを宣告された女はどうすればいいのか。
 大義や平和という、誰かのためなどとは程遠い、ただ一本の槍のコレクションのために、人生を捨てろと言われるのだ。
「大丈夫さ。私と君の間に、後ろめたいようなことは今まで何もないじゃないか。これからも変わらないよ」
「そうじゃない、そうじゃないんです」
 既に涙の混じった声で、ルーシアは頭を振る。
「確かに、雇い人でもない若い女性を邸に住まわせておくのは、世間的には聞こえが悪いかもしれない。でも、私は君を家族だと思っている」
 彼女は、服の裾を握ったまま、すすり泣きを堪えているばかりである。
「私には兄弟はいなかったし、父も母ももう亡い。この属州の皆が、家族の代わりだよ。
その中に君が加わってくれて、最初は困惑したが、今はとても嬉しく思っている。それでは引きとめる理由にはならないかな」
「ですが、私が、いると、アルゴン様の、立場が」
「何、巨人と戦うことを常とする我々が、仲間の人間をどうして恐れるかね。大丈夫さ、帝都も槍一つと国境線を秤にかけるようなことはしないさ。
それに君が帝都に帰ってしまったら、もう軍政学も異種族文化も、勉強する機会がなくなってしまうかもしれないよ。
帝都より書物は少ないが、実地で見られる絶好の場所なのだからね」
「……そんな、子供を釣るような、言い方を、しないでください」
 ルーシアは、服の袖で遠慮なく顔を拭い始めていた。
「そうそう、今まで通りでいいんだよ。それに公邸や下町の皆も、最近君の良さが分かってきたところだ。ユーグ君は遠慮がないとこぼしているがね、
皆は、もちろん私も含めて、その活発さに力を分けてもらっているんだ。君に帝都に帰られたら、明日から物足りない日々になってしまう」
「……はい」
「夕食は一緒に取ろう。執務室で片手間になってしまうかもしれないが、構わないかな」
「仕方ありませんわ。ご様子を窺いに上がります」
 もう、持ち直したようだ。ハンカチを取り出し、顔を押さえている。
「あの、化粧を直す時間をいただけませんか? お見苦しい姿になっていると思いますので」
 そう言いながら、少しアルゴンの視線から顔を隠すようにしていた。
 無理をしているような陰はなくなった。

 扉を開くと、ユーグが立っていた。
 手に持った書類をぴらりと強調し、こちらを見送るルーシアに口を挟ませない。
 目が逆三角になっている。あまり機嫌が良い様子ではない。促されるままに廊下を進むと、執務室とは違う方向である。
「ユーグ君、あれでよかったかな」
「十分です」
「それで、一体何を気にしているのかね」
 問いかけられて、ユーグは深々と溜息をついた。
「サーベラス隊長以下、兵舎の調子のいい人たちが、総出で廊下に張ってます。
三十年来浮いた話の一つもなかった我らが総督が、ついに女泣かせになったお祝いだって」
 納得がいった。ユーグでなくとも絶句するだろう。
 それよりも、今起こったことを何故もう知っているのだろう。この短時間で張り込みまで済ませているのは、訓練の成果どころの騒ぎではない。
「それはかなわないね……」
「迂回して農地に抜けます。兵の皆さんが飽きるまで、領内視察にしておきましょう」
「そうだね。相変わらず、憂さ晴らしになりそうなものに耳聡い者たちだ」
 裏口を目指して歩いているうちに、公邸の遠くの方で異常を察知した兵が、隊を組んで動き出した気配を感じた。
 南部防衛線の再構築、減少した小隊の補充、異種族の次の攻撃予測、考えることは山積している。
 それに加えて、アウルム財閥の使節団に返書を与え、送還させる仕事も残っている。
「ユーグ君、これを着てあっちへ。なるべく目立たないように動き回ってくれ」
「囮ですか。目立たなくていいんですか?」
「隠れようとする方が、真実味があるからね」
 だが、今くらいは、少し息抜きをしてもいいのではないだろうか。
「兵たちはおそらく公邸の中と外を通って、挟み撃ちにしてくる。農地に逃げ込むぐらいしかないが、彼らはそれを読んでいるだろう」
「僕が捕まること前提で作戦立ててませんか」
「もちろんだとも」
 父も母もまだ存命だった時、兄貴分を気取っていたサーベラスと、兵や官僚のの息子たちを引き連れて、こうして公邸の中で戦争ごっこをしたことがある。
 6つ年下のアルゴンは緒戦で撃退され、結局母の部屋に潜り込んで没収試合にしてもらったのだったか。
 今度もそれで行くことにした。
 洗濯物を抱えた侍女を、危うい所で突き飛ばしそうになる。
「おお、すまないね」
 身軽にかわしながら、一声かけてそのまま足早に通り抜ける。
 さっきの今では、ルーシアにはいい迷惑だろう。
 ラックスには、文句を言う余地を与えてしまうかもしれない。
 だが、いい。今日は無性に遊びたい気分なのだ。
 そして、子供の遊びは、夕食までと相場が決まっているのである。

/////////////////////////////////////////////////////////////////

長ェwwwwwwwwwwwwww
61創る名無しに見る名無し:2008/11/09(日) 21:24:15 ID:jc2ZwJT2
寝る前に読む本がいらなくなったww
力作乙&GJです! じっくり読ませてもらいますねー♪
62創る名無しに見る名無し:2008/11/10(月) 00:08:51 ID:AkyZcAlx
投下乙です。
あんまりコメしてないけど、読むの楽しみにしてます。
他の作品も期待して待ってます。
63創る名無しに見る名無し:2008/11/11(火) 00:14:11 ID:aZuSJ6VL
まとめページ更新しました。
不備がありましたら、ご一報ください。

>>60
投下乙。
いやはや、お坊ちゃんはどこでも困り物なようですね。
さて、この鬼ごっこはどうなるのか。
楽しみに待ってます。
64 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 22:59:33 ID:jYkZrjw6
投下します
65犬ども(11) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:00:08 ID:jYkZrjw6
(1/5)

朝になり、コーヒーも本も終わった頃にドロシーがキッチンへ降りてきた。
顔色は相変わらずよくなかったが、足取りはしっかりしていた。
「具合はどうだ?」
ドロシーは目を伏せた。
「私、その――ごめんなさい」
おれはガスレンジのところへ行って、湯を沸かしなおした。
「コーヒー勝手にもらってるよ」
「足のせいなの。事故でなくして、他にもたくさん手術をしたわ。
たぶんそれで体が弱ったのね、時々こういう事があるのよ。本当に迷惑かけてしまって」
レンジからキッチンのほうを振り返ると、彼女と目が合った。
横ざまに差し込む朝日で瞳が輝いていた。くたびれた表情なのに瞳だけは生気を保っていた。
「構わない、友達だからね」

新しく淹れたコーヒーをキッチンに運んだ。
棚からカップを選ばずに一個取り、注いでドロシーに渡すと、
彼女はカップの取っ手に指を引っかけて少し傾け、顔を突っ伏すようにして口をつけた。
彼女の手が、どことなく大きくて節くれだっているように見えた。それはエリカの手に似ていた。
関節のしわが深かった。爪の色は薄紫だった。肌は少し荒れていて、顔の方と比べると色黒だった。
彼女がコーヒーを二、三口すすった辺りで訊いた。
「誰かと暮らした方がいいんじゃないか? いざという時のために」
彼女は顔を上げ、カップを置くと気だるそうに言う。
「そうね、そうかも」
「一人が好きなのか?」
「ええ、正直言うと。でも、あんまりたびたびだったら危ないかもね。
でもそうなったら余計、友達に一緒に暮らしてくれなんて言えなくなるわ」
「仕事は見つかった?」
「ううん、まだ」
おれはエリカの店を思い出した――「今度は百貨店に置いてもらえるかも知れないのよ、出世したでしょう」。
「働き口を紹介しようか。ついでに下宿と同居人も」
彼女の瞳が心もち大きくなったようだった。おれは続けた。
「おれのガールフレンドが洋服屋をやってるんだ。
小さい店だが結構儲かってるし、従業員の一人くらい入れる余裕はあると思う」
彼女がまた、あの引きつるような笑みで答えた。
「いいの? 遠慮なく甘えちゃうけど」
「いいさ」
「友達だから?」
アダムス夫人ばりに、大げさに頷いてみせる。
ドロシーはちょっと戸惑う感じでいたが、すぐに彼女の限界らしい張りつめた笑顔で
「本当にありがとう」
66犬ども(11) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:00:39 ID:jYkZrjw6
(2/5)

帝都警察の建物では、一課の刑事とブンヤ連中が入り口で押し問答していた。
おれはその両方を押しのけて捜査本部に帰った。
今日は手入れがなく、捜査本部の刑事部屋は大勢が書類仕事で忙しそうにしている。
奥の長机に陣取っていたシドが、おれを見つけて朝帰りをとがめた。
「どこへ行ってた? エリカと居たのか?」
「昨日の野暮用ついででちょっとな。何かまずい事あったか?」
「うちじゃない、一課の事件だ。娼婦殺し、二件目! 現場は地獄穴だが手口は同じ」
インクのにじんだ『シルフ』号外を突きつけられる。読んだ。
被害者の娼婦――セルベール・アンラジェ、推定四十歳。切り刻まれ、内臓を掻き出されていた。
死体を担ぎ出す警官たちの写真。担架の上に、下半身をシーツに覆われた女の死人が乗っている。
粗い写真印刷は昨日の『トルチョック博士』の絵のタッチにそっくりだ。
「表の騒ぎはこれか。しかし、ばかに早い。きな臭いな」
「誰でもそう思うさ。とにかく、ブルーブラッドはおかんむりだぜ」

ブルーブラッドのオフィス。やつのあからさまに不機嫌な顔が愉快だった。
「随分とかかったんだな」
おれはあくびをしながら、昨日調べた限りのネタ――カスみたいな話をやつに聞かせる。
「後の細かい部分は、報告書の形で提出しておきましょうか」
「そうしてくれ」
話は終わったと思い、おれが退出しようとすると、やつは前置きなしで言い出した。
「四課と話をつけて、墓荒らしのヤマを向こうで取ってもらう事になった。
空賊狩りは今しばらく私とシドに任せて、墓荒らしの捜査をお前とオットマンでやれ。
一課が何を考えてるかまだ分からんが、私の推理では一番確実な的だ」
命令の意味を図りかねたので、おれは訊いた。
「市警も放置しているようなヤマだ。
結果はすぐには出ないだろうし、もしカス当たりなら時間の無駄ですよ。それでもやります?」
「内務調査五課をなめるな。
墓荒らしの被害が出ている地区を管轄する複数の分署では
以前から五課によって、死体売買に関する内偵調査が行われていた。
取り引きの決定的な証拠は押さえられなかったものの、去年の最初の事件の前後で
二、三の分署の特定の署員が大きな買い物をしている。家、車、貴金属、まあ色々だ。
連中の給料袋の中身と比べると、ずいぶん散財したものだ。どこかで捨て金でも入ったんだろう」
「買収工作の疑い有り、ね。本格的な死体の窃盗団? 黒魔術ですか」
「例の人形館にまつわる下らん噂を知ってるか?
アダムス夫人はサン・ゲノルの修業時代に、死体を加工して祭具を作る技術を学んだとかいうやつだ」
イーストエンドの死体泥棒が、連続殺人とどうつながるのか考える。
少なくとも一課、アルフは両者を関連づけているらしかった。
しかし、それにしてはやや攻めの姿勢が欠いていた。アルフが本気なら、とっくに墓荒らしの件に食い込んでいる。
やつの調べがまだ手探りなふうに思える辺り、あまり確実な情報に基づいて動いている訳ではないのだろう。
あまりにばらついて見えるやつの足取り――霊感、啓示、かけ離れた二つの事件を結ぶ何か。
匿名の誰かのタレ込み、あるいは指図。市警が死体ドロとの癒着を一課に白状するか? 有り得ない。
アルフには、市警とは別個の情報源があるのかも知れない。おれはブルーブラッドに言った。
「合同捜査の折に、ニコルズ警部補がどこかから死体漁りの情報を得たとして……
裏で糸を引いてるやつがいるんじゃないですかね? 娼婦殺しと墓荒らしが一体どう関係するんです?」
「分からん。二つの事件の関係も、一課と市警の黒幕もな。
誰の入れ知恵なのか、ローエン卿が彼のつてで探っている最中だ」
67犬ども(11) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:01:29 ID:jYkZrjw6
(3/5)

おれはブルーブラッドのオフィスを出ると、空賊狩り捜査本部ではなく四課へ行き、
ブルーブラッドの指示で墓荒らしの資料をまとめていたオットマンと打ち合わせに入った。
相変わらず愛想のいい男――コーヒーのひとつもすすめやしない。いきなり書類を広げる。
「同一犯と思われる案件は、イーストエンドの教区を中心に半径6ロキ以内の三箇所の墓地。
約一ヶ月から二ヶ月の周期で行われ、四度目の犯行の二週間後に自警団が襲われた。
犯行の目撃例は三件あって、一件は棺桶を背負って走る二人組と、
もう二件は『巨大な虎のような怪物が、棺をくわえて逃げていった』だ。
それ以外は、作業音で目覚めて駆けつけた時、すでに墓地には穴が掘られ死体も消えていたそうだ」
「怪物」
おれはイーストエンドの地図を眺めた。似たり寄ったりの証言を流し読みした。
カフェインが切れてきた。三日分の睡眠不足が一挙に押し寄せてきた。
船を漕ぎそうになる。くわえた煙草を落としそうになる。
「機械の騒音というのはほぼ全ての件で共通しているから、
おそらく二人以上の人間で、何らかの掘削機械を使用して墓穴を暴いているんだろう」
「蒸気工房には当たったか?」
「機械についてはラボを通じて調べてる。
今のところ、証言通りの作業時間で持ち運べて、棺の埋葬されている深さまで掘れる機械は見つかっていない」
不意に、『鉄槌』で発見された大量のジャンクの事が頭を過ぎった。眠気を堪えて思考する。
「狩猟機を使う?」
「まさか。狩猟機のジャンクを改造して掘削機を作る費用があれば、泥棒なんてせずに直接死体を買うだろう」

それは道理だ。街のジャンク屋ではネジ一本もちょっとした買い物だった。
狩猟機の解体には許可が必要だし、部品は全て保安局が回収する事に決まっていて、
局の保管庫から合法的にジャンクをもらい受けられるのはアカデミーと、認可を受けた国有企業だけ。
市場に流れているものは保安局の検査をパスした後、アカデミーの研究室や工場から横流しされたか
あるいは違法に個人蒐集したものだけだ。どちらにしろ裏モノで高価にならざるを得ない。
ジャンクでまともな機械一台組み上げる金があったら、普通は他のやり方で間に合うはずだ。

「どうしても死体が入り用で、しかし闇市場で流れているものは買えない事情がある、か」
「四課が把握している限りで、もぐりの葬儀屋と墓荒らしの専門家を洗っているが
皆、口を揃えてこんなやり方は知らないと言っている。最近急に羽振りのよくなったやつも居ない」
だが、ブルーブラッドの言う通りなら誰かが死体の為に金を撒いてるのは確かだ。
そいつは分署の人間を直接買収したのだから
同業や地回りには可能な限り、自分たちの活動を伏せておきたいのだろう。
「余所者」
疑り深い警官を説得できるだけの大金を払ってなお死体の欲しい、金のある余所者。
「そう言っている。手口が粗暴で、この街の流儀を知らない部外者」
「そういえば、教会は川に近いな」
「近頃は少ないが、昔は水葬をする事もあったと聞いた」
倉庫街が近い。空賊狩りで一暴れした高利貸しの事務所も近い。
「機械と余所者」
68犬ども(11) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:02:27 ID:jYkZrjw6
(4/5)

おれは立ち上がると、空賊狩り捜査本部まで走った。
目的のものを手に入れて四課へとんぼ返り。急な運動に目が眩む。
「イーストエンドの武器庫、押収物の一覧だ」
おれはファイルを開いて一気に読む。お目当ての記述に行き着くと、おれはオットマンに説明した。
「リビココの帳簿はまだ見つかっていないから詳細は不明だが、
武器庫の東北の角には車両か何か、重機が保管されていた形跡があった。
車輪痕や蹄の跡はないが、倉庫を出入りさせるために通路が確保されてた」
オットマンがインテリめいた仕草で眼鏡を直しながら、おれから受け取ったファイルを読んだ。
「空賊が墓荒らし?」
「分からん」
「被害にあった死体は闇市に流れてはいないようだが」
「それじゃ直接の買い手が居るのさ。アダムス人形館には定休日ってあるか?」
オットマンが首を横に振ったので、おれは内線で交換手を呼び出し
更にモンキーシュガー・コートの分署につないで確認してもらった。
「ソウイルの曜日――」
おれはシドにもらった『シルフ』を取り出して見た。
「ちょうど今日だ、こいつは幸先いい。お前さん、職務遂行の為のある種の暴力を容認できるか?」
「尋問室と強制捜査以外なら、あまり好かん」
「じゃ、武器庫の調べに回ってくれ。リビココたちが所持していた車両の状態について詳しく知りたい」
「現場で落ち合おう」
69犬ども(11) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:03:27 ID:jYkZrjw6
(5/5)

サトゥルナーリアで一路南へ。人形館は定休日で閉まっていたが
受付嬢はちゃんと居たので、昨日のようにアダムス夫人を呼んでもらった。
「あら刑事さん、また来てくれたのね。よかったでしょ昨日のショーは?」
今日も黒ずくめの夫人は、定休日に押しかけた刑事を見ても営業用の笑顔を崩さなかった。
「ああ、面白かったよ。ところでちょっと話があるんだが、応接室みたいなのはあるかな?」
「ええ、どうぞ」
彼女に通された部屋で、ソファに落ち着く間もなく言った。
「知り合いに墓荒らしのプロは居るかい?」
「あら意外なご用事ね。ここの変な噂でも聞いたの?」
夫人は笑顔のまま小首――肉のひだに埋もれてありもしない首を傾げる。
彼女の眼に一瞬緊張の色が走って見えたのは、おれの偏見からか。
「あんた自身は墓荒らしは好きかい? 青っちろい死体を見て興奮するのかい?」
「突然何を言うのかしら」
夫人の奥まった、小さな眼がちょろちょろ動くのが
何だかおれを値踏みしているように感じたので、おれは勝手にとさかに来て応接室を飛び出した。
それからまっすぐ展示場に向かい、規制線のロープをまたいで展示物の人形に近づいた。
「ねえ、何を――」
夫人がおれを追いかけてきた。おれは尻のポケットからブラックジャックを抜くと、振りかぶった。
「ちょっと、何すんのよ!」
棍棒で人形をぶん殴る。二振りで、当代一の人気女優と男優の人形が一緒くたに倒れる。
倒れた人形を思いきり踏みつけると首にひびが入った。
おれはブラックジャックをしまうと今度は拳銃の銃身の方を握り、それで別の人形に襲いかかる。
「ちょ、止めて、止めてよ! ねえ誰か! 誰かこいつを止めて!」
白檀の銃把が人形の顔面を粉砕し、陥没させる。小道具を踏み潰す。背景を引き剥がす。
片っ端から壊していく、死屍累々の無差別殺人。後ろでアダムス夫人がわめいている。
「訴えるわよ! 弁償させるわよ! 警官風情に払える値段じゃ――」
おれは銃を持ち直して、いかにも作るのが面倒くさそうな
大仰なポーズを取った昔の偉人の人形を狙った。しゃらくさい、これなら一発で粉々にできる。
「止めて! お願い、話すから止めて!」
アダムス夫人が絶叫した。もう充分だと思い、おれは銃を下ろして展示から離れた。

すすり泣く夫人をどうにか応接室に押し込み、話し出すまで待った。彼女は話した。
「去年の冬よ。マルエッソに居たちょっと悪い友達から人を紹介されたの。
死体を墓地から直接失敬したいから、あたしのつてを頼りたいってね。
それで、今度はあたしが東区14分署のブットゲライト署長を紹介したのよ。それだけ!」
「14分署とはどういう付き合いなんだ?」
「墓荒らしよ。あたしはやってないけどね」
「まあそういう事にしとこう。あんたに人を紹介した友達の名前は?」
夫人は目元から化粧が流れて、化け物じみたご面相になっていた。
「どうせ死んだ人だから答えるわ。レフリゴ・バンデラス」
「死体を欲しがったやつは?」
「名前は知らない、一度しか会わなかった。長髪に髭の色白の男と、チャドル姿の女と、あと黒ずくめの大男」
「もっと確かな特徴はないか? 傷とか、刺青みたいな」
彼女はしばらく考えていたが、
「ないわよ。ただ、長髪の男で覚えてる事があって、彼はものすごくきれいな緑色の眼をしてた。
普通の緑じゃないわ、深緑色。ガラスみたいに透き通った眼だったわよ」
それ以上話せる様子でなかったので、おれは人形館を出た。
出がけに夫人の泣き声が聞こえてきて、いささか気分が悪くなった。
罪悪感――たぶん、なし。後悔――コーヒーが出るまで暴れるのを待てばよかった。
70 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/13(木) 23:04:12 ID:jYkZrjw6
投下終わりました
71創る名無しに見る名無し:2008/11/14(金) 23:24:29 ID:kzSXcxyC
まとめサイト更新しました。
不備があれば、教えていただけるとありがたい

>>70
投下乙
きな臭さが加速してきましたねぇ
これから事態がどう動いて、どう解決するのかが気になります
72創る名無しに見る名無し:2008/11/15(土) 09:48:30 ID:OqbfgG0w
現場確認無し、聞き込み無し、物的証拠無し、脅しで取った証言有り

冤罪事件の典型的パターンですね
73 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:22:27 ID:hWKzfmoT
投下します
74犬ども(12) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:23:05 ID:hWKzfmoT
(1/5)

倉庫街の、陸空賊の武器庫でオットマンら四課の刑事たちと落ちあう。
弾痕で銀のまだらになった大扉は開かれ、空っぽの倉庫の中は声がよく響いた。
「近隣の証言では、監視が始まる直前は貨物車を四台置いていたらしいが、逮捕時押収されたのは三台だけだ」
「その残り一台を探そう。そいつが例の機械を積んでるかもな」
おれたちは報告書にあった東北の角を調べ、
乾いた泥に縁取られた、大きな四角形の何かの跡を確かに見つけた。
顔を床に擦りつけんばかりに近づけて注視すると、入り口まで続く、何かを引きずった跡も微かに残っていた。
墓荒らしの道具かは分からないが、陸空賊どもが頻繁に出し入れし
そして帝警の手入れの直前に持ち出すような、おそらくは重要な機材が保管されていたのだ。
おれたちが倉庫を出ると、武器庫の向かい、リビココの事務所だった建物の前から
一台のパトロール・カーが発進した。市警の車だ。乗っている二人の人間は、どちらもおれの知らない顔だった。
死体泥棒に賄賂をもらっている、十四分署かどこかの警官。四課のクレメル巡査部長が心配げに言う。
「おれたちが倉庫を開けてる間じゅう、この道を行ったり来たりしてたんだ。
市警の嫌がらせなら珍しくもないけど、今回ばかりはちょいと気味が悪いよ」
「何が?」
「助手席の野郎がショットガン持ってんだ」
おれは走り去る車を目で追ったが、クレメルの言う助手席は遠すぎてもう分からなかった。
おれたちも車に乗り込み、現場を離れる。四課の刑事たちは派出所へ、おれは本部へ。
オットマンたちは、消えた車両の隠し場所になるような建物や空き地を一帯で探す事になった。
おれはアダムス夫人の友人について調べる。シドを手伝う。
昨日の仕事といい今日といい、空賊狩りを外されたようで落ち着かない。
便利屋扱いにも、今更ながら腹が立ってきた。使われるなら身内より他人だ、何故ならアレックスは金を払うからだ。

川沿いをしばらく走ると、人だかりに行き当たった。
岸壁に大勢集まっていて、帝警のパトロール巡査たちが彼らに対応している。
毛布をかぶった若い男女が、見覚えのある若い巡査と問答していた。手回しで運転席の窓を下げた。
「よお、ジャックじゃないか!」
声をかけると、巡査が車に駆け寄ってきた。
「この間はどうも」
「そりゃこっちの台詞だ。何があった?」
ジャックは、別の巡査と話しはじめた男女をちらと見やりながら
「船が沈んだんです。ボート遊びくらいのものらしいけど
乗ってたアベック二人はもう助かって――野次馬が多いだけですね」
「お前さん、どこの派出所だっけ?」
「クイーン・オブ・オーガー病院前です」
アベックの女の方がくしゃみをして、ジャックが振り返る。
男はさっきからずっと何やらまくし立てているが、応対している警官は聞き流しているようだった。
野次馬らしい連中は退屈してか、その場から少しずつ散りはじめた。
「猫は見つかったか?」
「ええ、おかげさまで。あの後すぐ見つかりました」
「ふうん」
「もう少しで貧民窟に逃げ込まれそうで、こっちは一人なんでひやひやしましたよ」
「怖いところだからな」
「刑事さんもそう思うんですね。昨日の夜も殺人事件がありましたしね」
「切り裂き事件だろう?」
犯行現場の地獄穴はイーストエンドから南にあった。
地獄草で中毒した廃人と安淫売ばかりがのたくっている、帝都の貧民窟でも一等暗い土地柄だ。
「ぼくは行かなかったんですが、通報を受けたのがうちの所で。
現場に着くなり、後から来た市警の人たちに強引に追い払われたって同僚が怒ってました」
「何かおかしな現場だったのかな」
「さあ、相当ひどい手口だそうですけど。ああ、そういえば同僚は、現場で変な話を聞いたって」
「どんな?」
ジャックが顔をおれの耳に寄せた。市警のパトロールがおっとり刀で駆けつけていたからだ。
帝警のと比べると色の明るい、安っぽい群青色の市警の制服が見えた。
「市警の刑事が話すのが聞こえたそうです。
『ジョンの仕業』とか、『魔法』とか――よく分かりませんが、怯えた様子でそんな事を喋ってたそうですよ」
「何ていう刑事だ?」
「さあ、彼が名前を知らない刑事です」
75犬ども(12) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:24:06 ID:hWKzfmoT
(2/5)

帝警本部で帰ると数時間の仮眠を取った。まどろみながら、取りとめもなく事件を組み立てる。
『鉄槌』事件、殺害方法も分からない。現場には壊れた狩猟機のジャンクの山。
長髪に髭の男――容疑者。アダムス夫人、「マルエッソに居たちょっと悪い友達から人を紹介されたの」。
長髪、チャドル、黒ずくめの三人組――ジェリコの噂、「凄腕の便利屋」たち。空賊の助っ人?
ジョン・スミス――噂の殺し屋。娼婦殺しを捜査する市警の刑事が言ったらしい、「ジョンの仕業」。
誰かの偽名? ありふれていて、手がかりにもならない名前。深緑の瞳の男――ドロシーのような。
マルエッソのレフリゴ・バンデラスというやくざ――マルエッソはかつて『マレブランケ』の拠点だった。
やつがアダムス夫人に紹介したのは、やはり陸空賊の仲間? いや、待て――性急に過ぎる。
バンデラスと空賊のつながりについては、マルエッソの司法機関を通じて裏を取る必要がある。

仮眠を終えてすぐ電話をかけ、マルエッソ市警察の刑事とやり取りした。
「レフリゴ・バンデラスは南部出身の拳銃使いだ。
マーカス・”コールド・ターキー”・ヴィトルヴィアンの用心棒で、
ここ数年は禁制品の運び屋をやって、あちこち飛びまわってたが
去年のブラージの月に親分のマーカスが死んでからずっと行方知れずだった。
今年の春、リューヌの月に市内で轢死体で発見。犯人は不明だ、くそったれ」
電話口で、おれの兵隊仲間のチャック・アンウィン刑事が毒づく。
「うちは三年間ずっと、腐れ憲兵隊の武器密売に絡んだ狂言強盗を追ってたんだ。
やつら架空の列車強盗をでっち上げて、軍の輸送車両の積荷をマーカスの組織を通じて横流ししてた。
レフリゴ・バンデラスはマーカスと並んでその事件の最重要人物だったんだが、去年にマーカスが殺されて
今年に入ったらこれだ。あの屍姦野郎がくたばってせっかくのヤマはフイ、おれの出世ごとな。
クーデターの前後で軍部が尻尾切りに走ったんだろうが、全く、これまでかけた時間と手間を返してほしい」
「軍が殺し屋を?」

ため息、椅子を引く音、背もたれが軋る音。それらの音は、長距離電話では歪んで聴こえた。
「マルエッソの密輸業ってのは、長い事ラリ公マーカスの一党独裁でね。
小物はともかく、正面切って乗っ取りにかかるようなでかい組は他になかったんだ。
それが去年の秋からわずか半年の間に皆殺しにされたんだぜ、ありえないだろ?
こいつはおれの推測でしかないが、武器の横流しには軍上層部の人間が関わっていて
その内の何人かは例のクーデター事件で逮捕された。で、生き残った他の連中は
密売の捜査から自分たちが逮捕された反乱分子どもと結び付けられるのが怖くて、
事情を知ってるマーカスたちを消したんだ。自分たちの兵隊、あるいはK機関を使ってな」
「そりゃ大した陰謀劇だな」
「この一年、ぽっと出の新興ギャング同士の殺し合いをもみ消すのに
おれたちがどれだけ苦労したと思う? 誰かのせいにしたくもなるぜ」
「マーカスやバンデラスの武器密輸のコネクションに、空賊は含まれてたか?」
「買い手としては何人か挙がってる」
「仕事仲間、運び屋としては?」
「分からん。武器密輸の大部分は陸路で行われていたようだが、空輸も多少はあったかも知れん」
「バンデラスが組むとしたら、どの空賊だろう?」
「マーカスと取り引きがあった連中のリストをそっちに寄こすよ」
「頼む。そのリストの中に『マレブランケ』はあるか?」
「いや、なかったと思うが」
「分かった、ありがとう。そういえば、その強盗事件の日時は?」
アンウィンが答えた。彼には暗記済みの事件の詳細を早口で読み上げられ、おれは慌ててメモを取る。
「ひょっとしておたくのヤマは、おれの敵討ちになりそうかな?
事件を潰されて本当に腹が立ってるから、お前にこうして話したんだ。
それと今の話、うちの他の刑事に漏らすなよ。ばれたら上から大目玉を食らっちまう」
「大丈夫だ。敵討ちはまあ、努力するよ」
76犬ども(12) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:25:05 ID:hWKzfmoT
(3/5)

電話を切った。それから、捜査本部でシドに会った。
「リビココの武器庫の押収物、照会進んでるか?」
「いや、まだ」
「一四七年、マルエッソの列車強盗の記録を当たってくれ」
メモを手渡す。シドは読んでから、別の刑事に回した。
「ところでな、ジェイン。『鉄槌』の店主の、兵役当時の資料がやっと挙がった」
タイプされた書類を得意げに取り出し、おれに説明しはじめる。
刑事部屋には煙草の煙が工場街のスモッグみたく篭っていて、彼の手振りで空気が渦を巻くのが目で見えた。
「ウィリス・オハラ。一二○年から一二三年まで陸軍第一八師団の一兵卒として、
帝国領パルヴァティア北州でカレーを食う毎日。一二二年の冬、所属する小隊が
オハラを含む三名の生存者を除いて全滅したが、それ以外に特筆すべき事件はないな。
一二三年除隊。その後の足取りは知れず、二年前から魔女窯通りでひっそりと工房を開いたそうだ」
「全滅した小隊の、他二人の生き残りは?」
「ジョージ・オブライエンとゴードン・グリーン――」
シドはううんと唸ると、おもむろに顎を擦り、無精髭の長いのを一本引き抜いた。
「ゴードンてのはこりゃ、おれが会った事のある男だな。確かアレックスの闘技場で聞き込みやった時だ」

「そのノミ屋に、もう少し詳しく話を聞こうか」
善は急げ。おれとシドは同時に立ち上がってコートをはおった。シドがおれを見る。
「一課の探りはいいのか?」
「ブルーブラッドの呼び出しがない。それに、おれは別に空賊狩りを外された訳じゃないんだぜ」
きっと、たぶん、おそらく。ブルーブラッドはどこまでおれたちを利用する腹なのか?
考えるな、働け。このヤマにはさっさとけりをつけるのが正解だ。
やつが勝って、刑事部長になった見返り――警部への昇進? 三課の次期課長?
そこそこ稼いで、ぼろの出ないうちに帝警を退職する。
田舎の別荘地の警察署長とか、鉄道警備隊の管理職にでも再就職する。
エリカと結婚して、ドロシーを養子にする。賄賂で豪華な家を建てる。退屈な余生を過ごす。
差し当たっては現実――ノミ屋を訪ねる。おれの車で出て、ノミ屋へ向かう途中魔女窯通りに寄り、
知り合いの空き巣から錠前破りの道具を一式借りた。外出ついでに宿題を片づけようと思っていた。
77犬ども(12) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:26:06 ID:hWKzfmoT
(4/5)

ノミ屋のゴードン。黒い肌、歳は五十近く、禿げ頭、背は低いが肩幅のある筋肉質の男。
カウンターに出た彼に、オハラの兵役の記録を読ませる。狭い店の奥では、若い衆が投票券を整理していた。
ここでも充満した煙草の霧、銘柄は『キュニコス』。香りで判った。
「懐かしいな」
「覚えてるか、部隊が全滅した時の事は?」
ゴードンが耳をほじくる。でかい耳くそを掻きだして指で弾く。ようやく喋りだす。
「オハラの事は正直言ってあまり覚えてない。印象の薄いやつだったんだ。
おれがやつを覚えてるのは、やつと仲がよかったジョージのせいさ。
ジョージってのはありゃ、ゴリニシチェ人だ。下手くそなミカール島訛りのもどきで喋ってさ、
上官がぼんくらだったんでバレなかったが、おれみたくまともな連中はみんなやつとやつの仲間を疑ってた。
だがジョージってのは兵隊としちゃ本当にすごいやつでね。射撃をやらせりゃ百発百中、
ナイフさばきは一級品、火薬や爆弾の扱いは砲兵や工作隊も顔負けってね。いや、すごいやつだった……」
大仰な身振り手振りを交えて、ジョージ・オブライエンの武勇伝を披露する。
ゴリニシチェ赤軍――ゴードンがとうとうと語るジョージの思い出は、全く胡散くさい事に
あの革命闘士の生ける伝説、ジークフリート・アナクニンのエピソードそのままだった。
おれはカウンターの中の本棚に『革命家ジギー――ある無政府主義者の手記』を発見した。時間の無駄。
「隊が全滅した時の話をしてくれ」

ゴードンは話の腰を折られたので不満そうだったが、
後ろに居た若い衆から煙草をせびって一服すると、注文通りに話題を変えた。
「隊が全滅した日、おれたちは上官の命令で巨人族の遺跡を盗掘したんだ。
サマン帝国、スリーナ王国、ゴリニシチェ大公国の三国の領地が交わる緩衝地帯でね、
エルポネ軍の巡回の目を盗んでさ……やばいとは思ったが、儲け話だったからね。
盗掘は何とか成功して、おれたちが戦利品をしこたま担いで帰る途中さ、隊が襲われたのは。
おれの前をジョージ、後ろをオハラが歩いてたが、隊の先頭から銃声がするなりジョージが逃げたんだ。
おれも慌ててたがどうにか頭を使った。ジョージほどの人間が逃げるんだから、おれが逃げても構わない。
おれとオハラはジョージについてひたすら逃げた。荷物も捨てた。
夜明けまで走りとおして、運よく帝国軍の別の隊に助けられた。
襲われた場所を見に行ったら全員死んでた。盗掘品は全部持ち去られてた」
長々と一服。それからゴードンは、短くなった煙草を天板に押しつけて消し
「後になって聞いた話だ。パルヴァティアの原住民――
巨人族やら鱗族やらの抵抗運動にすげえ助っ人が現れて、盗掘品を奪い返してまわってるって。
ゴリニシチェの反政府組織は、当時から各地の異種族の独立運動を支援してたって噂じゃないか。そのクチかもな」
「じゃ、どうしてジョージは逃げたんだ? 死んだ兵士にジョージの仲間は居なかったのか?」
シドが首を傾げる。ゴードンは少し考えていたが、結局お茶を濁すような答えを返した。
「それがおれとしても引っかかるところさ。ま、あそこでお勤めした事のあるやつなら誰でも知ってるが
三国によるパルヴァティアの平和統治なんてのは表向きだけだ。
大陸東部と同じで、ありゃ未だに火薬庫のまんまさ。十二年前の虐殺事件がいい例だな。
だから、よくよく考えりゃばかみたいな噂でもずいぶん流行ったりしたもんだよ。
原住民の助っ人にしたって、数ある噂の一つに過ぎなかった。もはや真相は闇の中、よ」
「二人は故郷とかの話はしなかったのか?」
「二人ともミカール島の生まれとだけ。ジョージの方は嘘だろうがな。
おれたちは三人別々の隊に異動になって、そっからは行方知れずだ。オハラとも帝都で初めて再会したんだ」
78犬ども(12) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:27:04 ID:hWKzfmoT
(5/5)

ノミ屋からウェストサイドへ。シドが尋ねる。
「どこへ行くんだ?」
「ちょっとな」
探偵事務所の前に車を停める。裏通りの小さな路地で、夕暮れ時には通行人も少ない。
営業中とかいう看板も出ていない。ドアをノックする。反応なし。鍵はかかっていた。
おれは車に残したシドに目くばせし、それから、借りてきた錠前破りの道具で仕事にかかった。
シドが眉をひそめて言う。
「ばれてもブルーブラッドは助けてくれねえぞ」
「いつもの事さ」
鍵が開いた。靴の泥を落として中に入る。
玄関に置いてあった『クリストファー探偵事務所』の看板を蹴倒しそうになる。立ち止まる。
部屋の中へゆっくりと歩いていって、まず明かりを入れる。
これで部屋の間取り、置かれた物の位置がはっきり分かるようになったので、記憶する。

一階は事務所になっていた。机の上――乱雑に重ねられた書物、メモ書きを調べる。
本――『パルヴァティア・食べ歩き旅行』『エルポネ軍――血塗られたパルヴァティア統治史』
『パルヴァティア割譲・六カ国不可侵条約締結まで』『古代遺跡の探求・東南地方編』
『パルヴァティアの民間信仰』『辺境の宗教史』『知られざる異教神像の世界』『ネラース妖精・精霊紳士録』、
さらに別の本の山、『社会主義革命の思想』『赤色テロリストの肖像』『革命家ジギー』『テロルの系譜学』。
『異教神像の世界』に栞が挟んであったので開いてみる。
切り取られたページの跡と、前後にパルヴァティアの偶像崇拝に関する文章。
「狼の宝珠」という言葉に線が引いてあったが、その詳しい説明は、なくなったページの方にあったようだ。
メモ書きは悪筆でほとんど読み取れない。かろうじて判読できた部分――
重要らしい単語は比較的きれいに書かれていた。「ワーニャ」「狼の村」「発明品の実験」、
「抵抗軍/赤軍の活動範囲?」「宝珠」「一三三年?」、
「ジョン・スミス」。
79 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:27:53 ID:hWKzfmoT
投下終わりました。
80 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/20(木) 14:30:38 ID:hWKzfmoT
またage忘れたので。
ゴリニシチェ大公国は帝政ロシア、パルヴァティアは植民地時代のインドっぽい感じです。
81創る名無しに見る名無し:2008/11/21(金) 18:28:57 ID:G3FnfnKO
82創る名無しに見る名無し:2008/11/21(金) 23:42:07 ID:hT2q9cO/
まとめページ更新しました。
何か不備がありましたら報告をお願いします。

>>79
投下乙。
なんとなく真相に近付いてるのかな。
しかし、話が大きくなってきて、警察組織で解決できるのかが不安になってきたところ。
これからどう事態が動くのかが気になりますねぇ。
83 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/27(木) 14:23:14 ID:36ElvHAQ
次の話を書いている最中に気付いたことがあったので、『何でも屋の休暇』のおまけを投下します。
84 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/27(木) 14:24:00 ID:36ElvHAQ
「そういえば、そのコートのドラゴンさんはさっき話していただいた島にいた方ですか?」
 紅茶を淹れていたシルキーが、唐突にそんなことを言う。
 いきなりのことで不意をつかれたジョン・スミスは、二、三度目を瞬かせて頭を振った。
「んなわけないだろう。火竜の初撃でウェルダン以上の真っ黒焦げになったんだぞ、あのち
っさいドラゴンは」
 呆れながらジョン・スミスは頭を掻く。
 そして、嘆息混じりに言葉を紡ぐ。
「古代龍に会ったのは石の呪いが解けた後だな。俺も食ってく必要があるから経験と能力を
活かして何でも屋を始めた頃のことだ」
「そうなんですか」
「ああ、そうだ。あの頃は青かったな。自分の丈に合わない依頼を請けて、死にかけたんだ
った。ま、その時に古代龍に会ったんだけどな」
 懐かしそうに笑いながら、ジョン・スミスは遠くを見る。もう戻らないと知る過去を懐か
しむように。
 あまりにも永く生きているせいか、ジョン・スミスが感傷に浸ることは多い。だが、決し
てそれにとらわれることはない。
 過去を過去と割り切った上で楽しむ。それがジョン・スミスの強みの一つだろう。
「錬金術師のじーさんの依頼で山に生えてる茸を取りに行くことになったんだったかな。で
、それは出来たんだが、帰り道に崖から足を踏み外してなぁ。その頃はまだ魔法を使いこな
せてなかったから、そのまま下まで真っ逆さまだった。ま、下は柔らかい葉っぱとかだった
から死にはしなかったが、足を追った上に太い木の枝が体に刺さってしまってな。動くに動
けない状況だった」
「よ、よく笑っていえますよね」
「そんなの、その後に比べれば別に大した事じゃない」
 鼻で笑い、ジョン・スミスは髪を掻き上げる。
 そして、自嘲するように笑いながら、話を続けた。
「どうしようかと空を見上げてたらな、でかい影が見えたんだ。足と腹の痛みなんて吹っ飛
んだよ。あまりにも巨大な影。狩猟機なんて目じゃない。何十メルーもあろうかという恐ろ
しく巨大なドラゴンだ。それが、古代龍。遥かな太古から生きる存在。情け無いが、俺はち
びるかと思ったよ。これにはどうしようもないってな」
「はぁ、でも助かったんですよね?」
「いや、そのドラゴンに助けてもらったんだ。今の俺でも足元にも及ばないほどの魔法でな。
あの時はマジで食われるかと思ったよ。体全身ガクガク震えて、今思うと笑えてくる」
 実際笑いながら、ジョン・スミスは溜め息をつく。
「それでまぁ、色々あって弟子入りしたわけだ。俺も強くなりたかったし、向こうも話し相
手を欲しがってたからな」
「なるほど、そうなんですか」
「そうなんだ。ああ、そういえば何十年か前にシロって子をそのドラゴンに会わせたっけな。
あいつには、まだ彼の死を報せてなかった。次に会ったら教えてやらないといかんな」
 深い溜め息をつき、ジョン・スミスは少し冷めてしまった紅茶に口をつける。砂糖も何も
入れていないので少し苦いが、その苦味が今は心地良い。
 話を聞いていたシルキーはそんなジョン・スミスの様子をじっと見る。
 外からでは分かり辛いが、なんとなくジョン・スミスは自分を責めているようなそんな様
子があるのだ。
 しばしの間、部屋に沈黙が下りる。普段ならこういう空気はあのムリアンの少女が破るの
だが、今彼女は外で仲間達と踊っている最中でここにはいない。
 なので、ジョン・スミスは溜め息と共に口を開く。
「黙ってても仕方ない。で、他に何か質問はあるか?」
「いえ、今日はもういいです。お話してくれて、ありがとうございました」
「別に大したことじゃないけどな。んじゃ、茶をもう一杯いただけるかね?」
「はい、喜んで」
 シルキーが笑う。
 何の笑みかは分からないが、ジョン・スミスは少しだけ安心して椅子の背もたれに体を預
ける。

 そしてそのまま、二人はなんともまったりした休日の昼下がりを楽しむのだった。
85 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/27(木) 14:26:50 ID:36ElvHAQ
投下終了です。
この話でフォローを入れておかないと勘違いをされる方がいると思いましたので、一応。
86 ◆zsXM3RzXC6 :2008/11/27(木) 14:29:28 ID:36ElvHAQ
っと、本文中にシロという名前が出ましたが、クロの間違いです。
まとめページ編集のときに直しておきますので、ご容赦願います。
87 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:19:04 ID:BXwdUiKa
>85
作品投下&まとめ更新乙です

投下します
88犬ども(13) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:19:35 ID:BXwdUiKa
(1/4)

事務所にはメモと本の他、目ぼしい手がかりはなかった。
探偵業の重要な資料は、机の下の金庫に収まっているようだった。開錠は諦める。
二階の居住部も調べてみた。空になったクローゼット、ほとんど見当たらない日用品や食料、
ベッドの上に列車のダイヤの写し――探偵は旅行中だ。行き先はパルヴァティアだろうか。
「昨日の朝助手の女の子と二人して、でかいトランク担いで出かけたってさ」
シドが探偵事務所の隣に聞いたらしい。そのうち金庫破りが必要になるかも知れないと言うと、シドは笑った。
「ブルーブラッドに許可を取っとけ」
「個人営業の探偵風情にか?」
「ビル・クリストファーは、ダウンタウンじゃアレックスのお墨つきなんだ」
「へえ」

次は屠殺屋通りの反陸空賊連合のアジトを見に行く。
折りよく、酒場にあの貧乏空賊たちが居た。一人が酒瓶を掲げておれたちに挨拶する。
「大将、アポなし訪問か?」
シドがレイチェルを探して店内を見回していると、
「うちのキャプテンは上。総長と会ってる」
カレンが階段を顎で指した。手――やはり見えない操舵輪を操っている。
「行こうぜ」
「刑事さん、おらが先に上がるだよ」
長耳族の男に先導してもらい、二階に上がった。
昨日の少女と用心棒が、昨日のようにカードをやっていた。
少女は黙って階段の向かいの扉を指差すので、三人で入った。

中にはレイチェルと一緒に、空賊帽に片眼鏡の男が大きな机に就いていた。
シドがウィンクすると、レイチェルが微笑で応じた。おれは片眼鏡の男と相対する。
まだ若い、細身の男で、顔は地味で事務屋じみていて空賊らしからぬ風貌だった。
「マトグラ・リラックです。お二人の事はレイチェルから聞いています」
握手する。男は始終薄笑いを浮かべている。彼を見るシドの表情が心なしか強ばってみえた。
おれたちは適当にそこらの椅子を引いて座った。面倒な前置きなしに真っ先に訊く。
「おたく、どうやって陸空賊の情報を仕入れてるんだ?」
「スパイです。『マレブランケ』本体へは食い込めませんでしたが、雑魚に混じるのは簡単ですから」
即答。うざったいにやにや笑いがリラックとかいう男の顔に浮かぶ。
「それじゃ、ろくな情報も取れないだろう」
「噂程度のものでも集めれば、それなりに役に立ちますよ」
やつの返事にシドが被せる。
「マラコーダの潜伏先は?」
「残念ながらまだ」
肩をゆらゆら、口元はへらへら、おれは仮眠が足りなかったせいか、何だかいらいらしてきた。
「おれたちが陸空賊を叩き始めてから、どうなってる?」
「皆、しのぎも放り出して逃げまどっています。
船も金も行き先もない彼らは、警察に捕まるかギャングに殺されるかの二択しかない。
能力があって、深入りし過ぎていない人間は私たちが仲間に引き入れる場合もありますが」
89犬ども(13) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:20:11 ID:BXwdUiKa
(2/4)

こいつをどう扱うか、おれは図りかねていた。
シドに振る。この連中に関わったのもやつの考えからだ。責任を取れ。
「マラコーダってのはどんな男だ?」
「恐ろしく腕のいい空賊です。船と戦いを知り尽くしている。目端が利き、交渉術に長け、部下の信望も厚い」
「偉人なんだな、恐れ入ったよ」
おれは手を打った。後ろに背を伸ばした拍子に椅子が揺れて、転げそうになる。リラックは急にまじめくさった顔で
「本当のところ、ひどくたちの悪い悪党って事です。やつの略歴を?」
「レイチェルからな」
リラックはレイチェルを見た。レイチェルは頷き、リラックは話した。
「マラコーダと『マレブランケ』が空賊として旗揚げしたのは、三○年代始めの事です。
まず彼は十一人の部下と共に、落ち目の空賊団をヴェルト級改造商船ごと買い取った。
よほど相手が困っていたにせよ、彼らの買い物は決して安くない。どこから金を調達したか?
空賊以前のマラコーダの資金源、これは……ええと」
いきなり机の引き出しを引っかきまわしはじめる。が、探し物は見つからないらしく、大声で
「アリサ!」
部屋の外からあの少女が呼ばれて入ってきた。
「マラコーダの三○年代の監視記録」
少女は大きくため息をつくと、リラックが漁っていたのとは別の段の引き出しから紙束を取り、
「これだよ」
机に叩きつけて、部屋を出ていった。リラックは書類を片手に続けた。
「資金源は帝国抵抗軍の一組織であったそうです。
抵抗軍から借金して、見返りに工作員の輸送や武器の売買を行っていた。
『マレブランケ』は他の空賊と違って、商船や空中都市を標的にはせず
外国から来た弱小空賊団を襲って船や人員を奪う事で成長していきました。
彼らは独自の情報網――おそらく抵抗軍を通じて、いち早く獲物を見つける事ができた。
稼業は順調、他の真っ当な空賊にとっては縄張りを守ってくれる存在として、人望をも得ていた」
聞きながら、無意識にコートのポケットから煙草を取り出す。
一本くわえてシドにも渡す。シドはリラックにすすめたが、やつは断った。話が続く。
「『マレブランケ』が帝都で活動を始めた、その理由は定かではありませんが
まず一つには、去年のクーデターに加担した帝国抵抗軍や他国の無政府主義組織への協力があるでしょう。
また、空賊狩りを行わずとも密輸業等で稼げるだけの船団を得たので、
この機会により恒久的な収入源を確保したいという思惑もあったのでしょうね」

「クーデターが失敗して、帝都の守りは堅くなったと思うんだが
よりによってその難しい時期に、こうも攻め手に出た理由は何だ?」
「クーデター直後はむしろ政治的には混乱期にありましたからね。
特務や保安局の監視が強まっても、ある筋からは逆に入りやすいという状況があったのかも知れません」
「クーデター後の粛清を生き残った反乱分子が、
組織改革の口実でもって抵抗軍なんかの人間を招き入れたって事だな?」
リラックが笑う。おれはマルエッソの武器密輸の件に思い至り、彼に尋ねた。
「『マレブランケ』は技術者や機材の買占めにはダミーの空賊団を使ってたらしいな。
その、『マレブランケ』の隠れ蓑になった空賊団の名前とかってのは分かるかい?」
「これです」
書類束から一枚抜いておれに寄こした。
リストの名前は尋問室で聞き覚えのあるものもあれば、初めて見るものもあった。
「それ、持ち出し禁止ですから。ここで見るだけにしてください」
「ああ」
リストの内容を頭に叩き込む。取り立てて頭のいいおれではないが、この手の暗記だけは強かった。
そのあいだ、シドはずっとリラックを睨んでいた。レイチェルはおれの横からリストを読んでいた。
リラック――へらへら。やつの背広から、脇に吊った拳銃の銃把が覗いている。最新型の自動拳銃だった。
90犬ども(13) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:21:04 ID:BXwdUiKa
(3/4)

礼を言って、おれとシドは部屋を出る。
帰りがけ、まだカードをやっていた少女に呼びかけた。
「ちょっと嬢ちゃん」
「何」
彼女を手招きして一階まで連れてくる。
店では十数人の空賊たちがばか騒ぎしていて、うるさくて話ができない。おれたちは厨房の方へ移動した。
「こないだまで新聞配達やってたよな?」
おれが少女に言うと、少女は一瞬あっけにとられた表情をしたが、すぐに答えた。
「そうだけど」
「鬼火通りで死んだリサって女と何かあったな?」
勘は的中、おかっぱ頭の少女は青ざめ、苦虫を噛みつぶしたみたいな顔になる。
「くそ、ああ――そうだよ。あの人が死んだのもあたしのせいかもね」
「話せよ」
少女は厨房の床に目を落とした。片手を腰に当て、いら立たしげに頭を掻き
「金をやって、空賊と寝てもらって、やつらから情報を聞き出すのさ。
リサが聞き出せたのは、結局どれもカスみたいなネタばっかだったけど」
「それで?」
「夜は空賊と寝て、朝はあたしと会って情報を売ってたんだ、あの人。
でも、たぶん酒のせいだ。寝床で余計な事喋ってそれでばれたんだろう。
あたしらはまだ無事だから、詳しい話はしないでくれたんだろうけどさ。
あたしのアイデアなんだ。うちの上司、こういう仕事が苦手なのは見ての通りだからさ……」

「お前ら何だ? 特務、保安局、軍、それとも抵抗軍か?」
シドが訊く。少女はうつむいたまま、ぼそりと言った。
「特務だよ」
おれとシドは顔を見合わせた。シドは声を出さずに口の動きだけで、やっぱりな、とおれに言った。
少女が顔を上げる。シド好みの、骨のある女の強い目つきだった。
「あんたらは好きに陸空賊を追っかけてな。マラコーダの情報もやれる分はやる。
でも、深入りはしない方がいい。切り裂き魔は放っておきな。巻き込まれて後悔するよ、あたしみたいに」
少女は自嘲気味に笑う。
「他人を使う仕事ってのは苦手だね。死なれると、罪悪感って訳じゃないけどさ……」
「そのうち慣れるよ」
シドが笑う。いつもの優男の仮面はなく、彼自身の人狼めいた本性が歯を剥く無感動な笑い。
おれもあんな顔で笑う事があるのかと思うと、ぞっとした。
91犬ども(13) ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:22:04 ID:BXwdUiKa
(4/4)

サトゥルナーリアに乗ったおれたちの、本部へ帰るまでの会話。
「ジェリコの予感は的中だな。いや、誰が見たってそうなるんだが
こんなにあっさり踏み込んじまうとは予想もしなかった。特務とご対面たあね……」
そう言いながら助手席のシドは、窓を鏡に自分の横顔を確かめていた。
夜の黒い窓に映ると時々、それまで自分でも知らなかったような、全く新しい自分の表情に気づく事があるのだそうだ。
窓を閉め切っても暑くない季節はいいよな、とシドは呟く。
砂が入ってこないから内装が清潔に保てるし、白いワイシャツが黄色くならない。
もっとも気にするのはシドだけで、おれはそのどちらもどうでもよかった。
「ジョン・スミスだ」
「は?」
「ジョン・スミスって男が絡んでるらしい。陸空賊と娼婦殺し、両方に」
探偵事務所のメモに見つけた無気味なあの名前が、いまだにおれの思考に焼きついていた。
たとえくだらない噂や、ありふれた偽名でしかないとしても
空賊狩りと娼婦殺しを結ぶ星座はこれより他に知らないのだ。おれはそいつに強く惹かれていた。
「やばいんじゃないの」
「まさか。まだ平気さ」

だんまりになる。自問――シドの言うとおり、ここが水際だろうか? しかし、どうやって引く?
言い返してみる。
「レイチェルが居るじゃないか。陸空賊退治で彼女の気を引くんだろう?」
「おれは大丈夫だ。心配なのはお前の方さ、一課のヤマに首突っ込んでるじゃないか」
「それを言ったら空賊狩りも同じだ。ローエン卿と課長たちだけの付き合いじゃない」
「おとなしく注文に答えてりゃ文句はねえだろう、おれは内情を知らないただの駒だからな。
だがお前はやばい、一課とブルーブラッドの喧嘩に使われてる鉄砲玉だ。
あの子供も切り裂き事件には近づくなって言ってた。
一課や市警だけならまだいいが、もしかしたら特務を敵に回すかも知れないんだぜ」
「そこまで突っ込めればな」
ウェストサイドの大通りへ出ると、帰宅ラッシュの車の流れに行き当たる。脇から強引に合流する。
抗議のクラクションを無視して列に割り込む。こんなに自動車が走ってるのはサンゲノルと帝都だけだ。
「ときにジェイン、義足の子供はどうした?」
「どうもしない。彼女は無関係だ」
「だといいがな」
92 ◆/gCQkyz7b6 :2008/11/27(木) 21:22:53 ID:BXwdUiKa
投下終わりました
93創る名無しに見る名無し:2008/11/28(金) 07:39:19 ID:XtjWqP4b
94創る名無しに見る名無し:2008/11/29(土) 03:07:35 ID:6Qwxl5sB
まとめページ更新しました。
不備があったら報告をお願いします。

>>92
投下乙。
特務まで関わってきましたか、相当な大事になってきましたねぇ。
マトグラ・リラックと言えば上位エージェントですから、特務も結構本腰を入れてるのかな?
95創る名無しに見る名無し:2008/12/07(日) 19:02:10 ID:tNkoGYIz
質問というよりお願い
ジョン・スミスの話はもう続きを書かれないのですよね?
ならば自分がジョン・スミスの出自を決めてしまうネタを出していいですか?
96 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/07(日) 19:20:36 ID:1dgdNb9q
>>95
別に構いませんよ。
今までに出た内容に反しないなら、私は歓迎します。
97創る名無しに見る名無し:2008/12/07(日) 19:37:46 ID:tNkoGYIz
>>96
ありがとうございます
98創る名無しに見る名無し:2008/12/09(火) 23:27:32 ID:UsCAiemO
下がってるのでageて見る。
自分でも書いてるんだけど、なかなか進まない。
99 [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し:2008/12/17(水) 21:02:01 ID:qI2fP5Hw
ちょっとここのところ動きがないのかな
見てる人もいるんだろうか
100創る名無しに見る名無し:2008/12/17(水) 21:04:40 ID:eb+xEO56
見てるんだけどね
いろいろ設定やりすぎ複雑になりすぎてきたのがいけなかったんかも
101 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 00:55:44 ID:7t2XKk4X
やっとできたので投下します。
102 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 00:56:53 ID:7t2XKk4X
 朝。キッチンに何かを焼くジュージューという音が響いている。
 焼いているのはベーコンか何かだろうか。脂がはねる音が食欲を誘う。
 キッチンに立っているのは一人の腰まである長いブロンドの髪の小柄な少女。実に良い手
際で朝食を作っている。
「うあー、おはようございまふー」
「あ、ミャオさん、おはようございます。もうすぐ朝ごはん出来ますから、テーブルに座っ
ててくださいね」
「あいー」
 眠そうに目をこすりながら入ってきたスタイルの良い東方風の面立ちの美女……ミャオ・
リュウホアに、キッチンの少女が声を掛ける。
 東方風の美女はまだ完全には起きていないのか、寝間着であるネグリジェのまま自分の席
に着いてテーブルに突っ伏してしまう。外見は大人なのに、そういうところは子供っぽい。
しかし、色っぽい服装なのに一切の色気が無いのは何故だろうか。
 そんな彼女に苦笑しながら、少女は出来た朝食を運ぶ。朝だけは大きな妹がいるようで少
し嬉しいのだろう。
「はい、出来ましたよ。冷めないうちに食べてくださいね」
「あー、うん。フェリスさん、いつもありがとう」
「あはは、いいんですよ。その分お店で助けてもらってますから」
 照れたように笑い、少女……フェリシア・バクスターも席に着く。
 今日の朝食はベーコンをカリカリになるまで焼いたものとゆで卵、そしてこんがり焼けた
トーストだ。
 フェリシアは自分には牛乳を、ミャオには濃いコーヒーを淹れる。この濃いコーヒーを飲
んで、やっとミャオは目を覚ますのだ。
 コーヒーを熱そうに飲みながら、ミャオは一息つく。意識がはっきりしてきたらしく、虚
ろだった目に光が宿っている。
「ふぅ、やっと目覚めたかなぁ。朝は手伝えなくてごめんね〜」
「いえいえ。今日もお昼時の活躍には期待してますから」
「うん、頑張るよ」
 ニコリと笑うミャオにフェリシアも笑い返す。
 そして、その後は特に会話無く食事が進む。が、別に関係が険悪だったりするわけではな
い。単に二人とも食事中に話をする習慣が無いだけだ。
 もりもりと美味しそうに朝食を食べるミャオを笑顔で見ながら、フェリシアはなんとなく
微笑む。少し前まではこんな温かい朝の時間を過ごすことは出来なかったからである。
 と、何かに気付いたミャオがフェリシアの顔を覗きこむ。
「あれ、体調でも悪いの?」
「え? どうしてですか?」
「だって、朝ごはん食べてないから」
「あ、いえ、これは違うんです。あの、その……」
「?」
 何故か顔を赤くしてうろたえるフェリシアを、ミャオは不思議そうに見つめる。そして、
何かに思い当たったのか、ポンと手を打った。
103喫茶店『樫の木亭』 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 00:58:42 ID:7t2XKk4X
「もしかして、ダイエットでもしてるとか?」
「いえいえいえ、違います」
「むぅ、じゃあどうしたの?」
「うう、実はぁ……」
「実は?」
 なんとなく楽しそうにミャオが笑う。もしかしたら答えに想像がついているのかもしれな
い。
 あたふたしていたフェリシアだったが、そのうち観念したように溜め息をつく。
 そして、恥ずかしそうにミャオの顔を上目遣いで見る。
「美味しそうに食べてたから、その、なんだか嬉しくてですね、見入っちゃったといいます
か、そのぅ」
「あはは、そうだったんだ」
「わ、笑うことないじゃないですか!」
「ふふっ。違うよ。私もさ、嬉しかったんだ。ここに来るまではこういう風に誰かと食べる
なんて、しばらくなかったから。だから、実は私も同じようなことを思ってたんだよ」
 そう言って、ミャオは笑う。
 そんな彼女を見て、フェリシアからも自然に笑みがこぼれた。
 ほんの少しだけい賑やかな朝の風景。
 今日の朝食は、いつもより少し美味しかったに違いない。



 開店前の一時。フェリシアは厨房で仕込みを、ミャオは店内の掃除をしていた。
 厨房から聞こえてくる鼻歌を聞きながら、制服に着替えたミャオはせっせと掃除をする。
 制服は白いシャツと黒のパンツ、そしてその上にエプロンを着けるというもの。長身でス
タイルの良いのミャオがこの制服を着ると良く映える。
「ミャオさーん、掃除終わりましたー?」
「あとテーブルが少し残ってるだけかな。道具を片付ければすぐにでも開けられるよ」
「じゃあ、お願いしますね。わたしはお昼の仕込みに入りますから」
「はーい」
 元気良く返事をして、ミャオはモップやバケツを片付け、中に入れてあった看板を外に出
す。
 そして、店の扉に掛けてある札を『開店中』に替えたら、準備は終わり。
 今日のお仕事の始まりである。
 とは言ってもここはゴールドバーグの外れにある小さな喫茶店だ。
 常連の客はいるものの、そこまで流行っている店ではない。一日に百人も客をさばければ
大繁盛の部類に入ってしまうほど。
 なので、のんびりと過ごすのが普通だったりする。
「出したよー」
「じゃあ、掃除の残りをお願いします。終わったらちょっと厨房に来てくださいね」
「うん」
 厨房からの声に返事をし、ミャオはふきんを手にテーブルを拭き始める。
 とはいえ、狭い店内にあるテーブルだ。数など五つしかないので、数分も掛からず拭き終
えてしまう。
 最後にテーブルに備えてある砂糖などの調味料の量を確認したら、ミャオはふきんを手に
厨房へと向かった。
「はい、終わったよ」
「あ、じゃあこれ味見してもらえます? 今日のランチに出そうと思ってるんですけど」
「今日も美味しそうだなぁ。では、いただきます」
 ふきんを置いて手を洗ったミャオは、厨房の作業台に置かれた皿に盛り付けられた料理を
前に手を合わせる。
 今日のランチメニューは鶏肉のソテーにきのことジャガイモの細切りをを添えたもの。
 それをフォークで突き刺して、ミャオはぱくりとほおばる。
 そして、それの味を確かめるようにむぐむぐと咀嚼して飲み込み、いつの間にか準備され
ていた水をあおって一息つく。
 なんとなく期待したような目で見てくるフェリシアに苦笑を返しながら、ミャオは忌憚の
ない感想を述べた。
104喫茶店『樫の木亭』 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 00:59:28 ID:7t2XKk4X
「良いんじゃないかな? 朝の第一陣が収まったら、ボードにメニューを書いておくね」
「お願いします」
 ミャオがそれに頷くと、カラランというベルが鳴り客が入ってくる。
 それを聞いたミャオは慌てて厨房を出て、応対に向かう。
「いらっしゃいませー。お一人様ですか? では、席に案内させていただきます」
 笑顔で客に応対するミャオ。朝起きたときのような気の抜けた姿からは想像も出来ないほ
どにきびきびとした動きで、一つ一つの動きにそつがない。
 また、人当たりも良いので男女問わず客に好かれているようだ。
 そんなミャオを厨房からそっと見て、フェリシアはなんとなく微笑む。
 こうして、今日も一日が始まるのだった。



「ありがとうございましたー」
 夕方。笑顔で本日最後の客を送り出したミャオは、看板を中にしまい、入り口の扉に掛け
てある札を『準備中』に替えてガチャリと鍵を閉める。
 これ以降の時間は酒場の方にみんなが行くため、この店にはほとんど客が来なくなるのだ。
また、来たとしてもガラの悪い人だったりするので、女二人しかいないこの店は早仕舞いが
普通である。
 大きく伸びをして、ミャオは厨房に向かう。
 今日もいつもどおりの客の数。そんなに売り上げは多くない。
 でも、仕事が終わると達成感があるものだ。
「んー、終わったぁ」
「お疲れ様です。はい、お水」
「ありがとう」
 フェリシアが差し出した水を笑顔で受け取り、ミャオは一息に飲み乾す。
 かなり良い飲みっぷりだ。
「生き返るなぁ……この後の予定ってなにかありましたっけ?」
「ないですねぇ。片付けたらのんびりしましょうか」
「さんせー」
 仕事が終わって気が抜けたのか、ミャオの雰囲気がほんの少し前までの凛としたものから
柔らかいものへと変わる。
 とはいえ、特に動きは変わらない。
 掃除してくるねー、と言い残し、モップを持って厨房から出て行く姿はあくまでも芯が通
ったものだ。公私をしっかり分けられているということだろうか。
 厨房を出て行くミャオを見送り、フェリシアも動き出す。まだ洗ってなかったものを洗い、
それを拭いて棚に入れる。そして、油が散っているコンロの周りをたわしで掃除し、比較的
汚れの少ない作業台やシンクをそれぞれ専用の雑巾で水拭きする。
 結構な力仕事だが、子供の頃からやっているフェリシアは慣れたもの。手早く、しかし手
抜かりは無く掃除を終える。最後に今日出たゴミを袋にまとめると、フェリシアはその量を
見て途方に暮れてしまう。
 フェリシアがまとめたゴミを見て唸っていると、フロアの掃除を終えたミャオが掃除道具
を片手に戻ってきた。
「フロアは終わったよ。後はゴミ捨てだけかな?」
「あ、はい。まとめてはありますけど……少し多いですよねぇ。どう運びましょうか?」
「んー、これくらいなら私一人でも余裕だよ。すぐに運んじゃうから、閉める用意しておい
てね」
「え、あ、分かりました。お願いします」
105喫茶店『樫の木亭』 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 01:00:14 ID:7t2XKk4X
 少々動揺しているフェリシアを尻目に、ミャオは一抱えもあるゴミ袋を片手で持ち上げさ
っさと裏のゴミ捨て場へと歩いていく。
 成人男性が持つにも結構厳しいぐらいの重さがあったのにも関わらずそれを軽々と持って
いってしまったミャオをなんともいえない目で見て、フェリシアはなんとなく嘆息する。
「すごいなぁ。わたしもああいう風になれるかなぁ」
 羨ましそうに呟き、フェリシアは厨房を後にして店内の確認に向かう。
 もう一通りミャオが見て回っているので特に必要は無いのだが、一応確認だけはしておく
のだ。
 そう広くはないフロアを見渡し、フェリシアは何も異常が無いことを確認して厨房へ戻る。
 丁度ミャオもゴミ捨てから戻ってきたところのようで、汚れた手を洗っていた。
「ミャオさん、もう運べたんですか?」
「あはは、だってすぐそこだよ? そんなに時間なんて掛からないって」
 からからと笑い、ミャオは手をタオルで拭く。
 こういう些細なことで、フェリシアは自分が本当に助けられていることを悟る。
 つい半年前にフェリシアは両親を亡くした。それからしばらくは悲しみと無力感で何もす
る気が起きなかったのだが、しかし現実問題として働かなければならないときが来てしまっ
た。
 とはいえ、フェリシア一人で店を回せるわけが無い。仕入れなどのルートは親が連絡法を
残しておいてくれたので大丈夫だったのだが、根本的に手が足りない。なので、この辺りの
代表者のような人物を頼って人を雇うために新聞へ広告を出してもらったが、給金などの条
件が悪かったのかしばらくは誰も来てはくれなかったのだ。
 広告を出して半月ほど経ち、もうフェリシアが諦めかけたそんなときにひょっこりとミャ
オが訪れたのだった。
 以来、ミャオは公私を問わずフェリシアを支えてきた。本人にその意図がなかったとして
も、その事実は変わらない。
「さ、帰ろっか」
「はいっ」
 屈託のない笑顔を浮かべて伸ばされたミャオの手を、フェリシアは笑顔で掴む。
 子供っぽいと、そう言われてもかまわない。ミャオの温かさを、今は感じたかった。



 ゴールドバーグの端っこの通りにある小さな喫茶店『樫の木亭』。
 これは、そこでの日常を描いた物語。
106 ◆zsXM3RzXC6 :2008/12/18(木) 01:05:46 ID:7t2XKk4X
投下終了
最初のレスの題名入れ忘れスマソ

という訳で始まりました新シリーズです
書いててほのぼのが書けない人間だと実感しました
が、だからといって避けていても進歩は無いので挑戦中
これからはこの喫茶店『樫の木亭』を訪れる人やその周囲でのお話を書いていきます
107創る名無しに見る名無し:2008/12/20(土) 00:16:32 ID:w6y3SHGU

ただふと思った
この世界でも東洋西洋という言葉を使っても差し支えないのだろうか?
もちろん使えるに越したことはないのだけれども
気になる
108創る名無しに見る名無し:2008/12/20(土) 00:38:29 ID:eqbFT7tS
>>107
普通に考えれば世界自体がある程度広くて(ユーラシア大陸並かそれ以上)、
海があれば可能では?
差支えがあれば東方西方でも良いのだし

というか、海が無いってことはないよね?
109創る名無しに見る名無し:2008/12/21(日) 00:01:53 ID:862im6Qv
人口爆発と大戦争がもたらした未来。

それは貧と富の二極化だった。
徹底的に管理された大都市に住む富める人々と、彼らによって荒野のスラムに追いやられた貧しき人々

そして、”遥かなる闇”によって支配された砂漠地帯に住む放浪集団流れ人。

これは彼らが理想郷を探す物語。

流れ人の伝説によると、理想郷を見つけた者には、自分の世界の理想像がこの世界で実現するらしい 
普通に探しても理想郷は見つからない。
流れ人は誰にも味方しない。理想郷の理に従って生きるのみ

彼らは妖術師とも大地の魔法使いとも呼ばれる。その由縁は彼らは天候を操ったり、呪文(目くらまし、火おこし)を唱えたりするからである。

富める社会は、集団を求め異質を排除した管理社会。周りはHANMU(ハンム)という謎の兵隊によって警備されている。外にでる事ができない。
富める社会の規範を犯した者は、どこかに連れて行かれ、二度と姿を現さないという。

貧しい社会の中には国に対抗する革命派の組織がある 
彼らの中には、富める社会の為に、半ば奴隷のように働かされている者もいる。

流れ人は、普通どちらにも味方しないが、一人の流れ人が理想郷の真実を知った時、世界が動く。

主人公…かつてある事件により、友をあやめた過去を持つ青年。亡き友と約束した理想郷を探すため、流れ人になる。理想郷を目指すうちに真実を知る事になる。
110創る名無しに見る名無し:2008/12/21(日) 00:03:45 ID:862im6Qv
旅の仲間達

スターム・・盗賊団”義軍”のぼさぼさ髪の団長。貧しき民。仲間思いの性格だが、仲間以外の者には(特に富める者)容赦しない。
      単細胞でけんかっぱやくい。何でも盗るのがモットー。主人公の言葉に心を動かされ盗賊団を解体し、理想郷を目指す。
  
パール・・理想郷の精霊。理想郷の案内人。明るいムードメーカー。

カイン=マシアス=ルイ・・名門マシアス一家の一人息子。富める国のエリート軍人。頑固で自尊心が強く、貧しい者を軽蔑する。ある事件がきっかけで主人公に同行する。

ジール・・ある者に復讐を誓う女剣士。絶対的な強さを欲す。主人公と度々敵対する。

シーク・・元富める国の騎兵団長。今は流れ人。どんな人にも敬語を使う優男。その過去とは・・??
111 ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:29:45 ID:UqPlQS9b
投下します
112犬ども(14) ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:30:34 ID:UqPlQS9b
(1/5)

翌日、オットマンら四課の刑事は、消えた車両の行方を見事突き止めた。
川沿い、地獄穴からほど近い場所にある古い倉庫だったが
中に入ると、リビココの事務所からの押収品と同型の貨物車が一台横倒しになっていて
川に面した北側の壁には、何故か大きな穴が開いている。
おれたち刑事の後から、手伝いに呼んだ派出所のパトロール巡査たちがやって来た。
「どうなってるんです? 檻ですか、これ?」
ジャックが貨物車に近づく。荷台は巨大な檻になっていて、
上にかけられていたらしい幌代わりの大きな茶色の毛布が床に落ちている。
四角い檻は一面の鉄格子がほとんど抜かれていて、辺りにはひん曲がった鉄棒が散らばっていた。
「どんな化け物なら、こんな事をやるかな?」
壁の穴の縁をなでる。穴はきれいな円形をしており、
レンガは壁から外される事なくきちんと積まれたまま、ただ穴の部分だけがぽっかりと削り取られている。
床には砕けたレンガで小山ができていたが、大きな破片は少なく、ほとんどが粉にまでなってしまっている。
穴の向こうはすぐスナーク川で、曇り空を映した灰色の水面には蒸気船の船影と、
ダウンタウンの下水やイーストエンドの住宅街から流された廃油混じりの汚水がところどころに浮かんで、
そこだけが虹色の帯になってたなびいていた。
リビココの事務所を襲った日のように寒い朝で、対岸は霧がかってかすんで見える。
「ボート壊しの怪物!」
ジャックが手を打つ。
「ボートってのは昨日のあれだな」
「あの、沈んだボートに乗ってた二人が
何か大きな生き物の尾で船を真っ二つに割られたって言ってまして。信じなかったけど、こりゃあ……」
「この倉庫の持ち主は?」
派出所の刑事が、やくざ相手のもぐりの不動産屋から取り上げたという古い帳簿を開いて読んだ。
「地所の記録だと、最後の名義は一一六年のダグラス・オウヤン」
「リビココの事務所と武器庫とは別名義か」
「待て、市警だ」
オットマンが一同に声をかけた。倉庫の外に市警のパトロール・カーが停まっている。
刑事らしい男二人が車中から無表情のままおれたちを見回したが、何をするでもなくそのまま走り去っていった。
おれは自分でも気づかないうちに、腰の拳銃に手を伸ばしていた。
どうやら相手の目つきに、微かな殺気めいたものを感じたためのようだった。
「なるほど、気味が悪い」

五課、ブルーブラッドのオフィス。背広のしわが増えている――お互いに。
「墓荒らしの件はどうだ?」
「さすがエリート揃いの五課の課長だ、あんたの勘は当たったかも知れない」
「説明してみろ」
特務がらみの部分は抜きで、昨日の調査について話した。今朝の倉庫の件も。
探偵事務所に侵入したくだりでブルーブラッドは一瞬顔をしかめたが、おとがめはなかった。
「可能性ばかりで、空賊と墓荒らしの具体的な関係はまだ見えないな」
「十四分署を叩けば出てくるかも知れませんよ。賄賂をもらった警官が誰か教えてください。そうすりゃ……」
ブルーブラッドは首を横に振る。ご自慢のおつむをつかんで無理やり縦に振らせてもいいが、止しておく。
「そっちは五課にやらせる、君たちは檻の中身を探すんだ。
ニコルズ警部補の件についても追って指示を与える。とりあえず探偵と工房をもう一度当たれ」
「令状を作ってもらえますかね? 差し当たって探偵の分だけでも。
この街で私立探偵となりゃ、マエとか、そうでなくても後ろ暗いところは多少あるでしょう」
「当然準備してある。ものは後で回す、受け取ったらすぐやるんだ」
金庫破りにGOサイン、喜ぶべきか。おれはさっさと部屋を出ようとしたが、
「ところで、アダムス夫人からはどうやって証言を引き出したんだ?」
振り返る。珍しく、面白がるような顔をしている辺り、やつはすでに人形館での出来事をどこかで聞いたらしかった。
「よっぽど人形が可愛いんですよ、彼女。
館に火をつけるとでも言えばたぶん、自分の体だって差し出しますよ」
「忠告しておくが、あまり彼女を甘く見ない方がいい。
君ほどではないが、そこそこ危ない知り合いも居るようだしな」
今度こそ出ていこうとした。これからラボに行って、
エントゼールトに墓荒らしの工作機械に関するアドバイスをもらわねばならない。
ブルーブラッドから出がけに一言。
「あれは十四分署の署長と寝てる」
113犬ども(14) ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:31:10 ID:UqPlQS9b
(2/5)

「鉄格子をひん曲げて、壁に大穴開けて、土も掘れる化け物、ねえ」
今度はラボ、エントゼールトの研究室でコーヒーを飲む。かび臭い。
研究室は豆の古いコーヒーとインクと機械油の匂いと、微かな死臭を漂わせていた。
死臭の原因はエントゼールトその人だろうと思われた――白衣の裾が血で茶色く染まっている。
「自動人形ってのは一体どれくらいの力が出せるんだ?」
「アレックスが闘技場で戦わせてるようなやつじゃ、まず無理だろうな」
エントゼールトは右手にカップ、左手に手鏡を持ち、
頭を鏡に映して、白髪を探してはカップを置いて引っこ抜いている。
「『鉄槌』のファイターとか?」
「あれなんか、闘技場でも三流どころの出来じゃないかね。私でももっとましなのが作れそうだ」
おれは思わず作業台を見た。『鉄槌』のファイターはすでに倉庫に移動しており、
今はまた別の機械――錆の浮いた自動丸鋸が台に乗っていた。
発見、摘出、ちくしょう黒いやつまで抜いちまった。初老の鑑識官が悪態をつく。
「人気選手だったんだぞ? 連戦連勝って聞いてるが」
「そりゃ八百長じゃないのか? 触った限りじゃ、見てくれだけのハリボテだった。
それとも闘技場ってのはあんなのばかりかね? 拳闘のがずっと楽しめそうだな」
エントゼールトが抜いた髪の毛を灰皿に並べる。おれはまずいコーヒーを半分残して置いた。
「おれもそう思うよ」
「話を聞く限りじゃ、そいつは狩猟機としか思えんな。
あれを飼い慣らす費用を考えたら、普通は死体掘りなんて諦めると思うがね」
エントゼールトの、白衣の血が目についた。
「ところで、娼婦殺しの二件目はどうだった?」
「同一犯で間違いないと思うよ。手口はまったく同じだし、ナイフの扱いも上等だった」
「医者をしょっ引くのか?」
「一課はナイフを使う変質者のリストを作ってる。
よその家の洗濯物を切り裂くやつ、買った女を刃物で傷つけるのが好きなやつ、
刃物で傷つけられるのが好きなやつ、動物を殺して喜ぶやつ、長耳族の肉屋、堕胎医――そんなところだ」
「現場の聞き込みは進んでるのか?」
「地獄穴でか? 証言以前に、まともに会話できる人間を探すのがすでに難儀だな」
114犬ども(14) ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:32:05 ID:UqPlQS9b
(3/5)

「『鉄槌』は本当に八百長してたかもな」
「へえ?」
捜査本部でシドと打ち合わせ。手入れは粗方終わっているのに、
マラコーダや陸空賊の大物たちを逮捕できないでいるのが、いよいよじれったく思われてきた。
山のようなちんぴらだけでは宣伝に弱い。もっと分かりやすい手柄が欲しい。
そうした部下の苛立ちに煽られて、現場指揮のシドも多少焦っている。
鍵はリビココの帳簿なのだがこれが一向に見つからない。
「アレックスめ。大方へぼ選手を八百長で引き上げて、
そいつをチャンピオン・シップで負かして一儲け企んでたんだろう」
おれはエントゼールトの辛らつな批評について、シドに話した。
「だからオハラは金に困ってもファイターを売らなかったのか」
「ハリボテと分かってて金を出す男じゃないからな」
煙草の煙を深々と吸い込む。『鉄槌』事件の現場の様子が目に浮かぶ。
残されていた血の手形、足跡がラボに保存されてはいるが――
ロロや陸空賊を殺人罪で起訴するようなら、あれも処分しなければならない。骨の折れる作業となるだろう。
「やつは一体何に金を使ってたんだ?」
シドが言う。おれはかぶりを振った。
「ジョージ・オブライエンの情報は?」
「オハラとどっこい」
シドに書類を渡される。あやふやな身分証明、経歴。
オハラたちの小隊が全滅し、異動になった途端に除隊になっている。
「ゴリニシチェのスパイなんて幽霊も同然だし、これで行きづまりだ」
「そうだな」

おれは考えた。マラコーダとその側近たちは、帝国抵抗軍と交流があった。
『鉄槌』の店主オハラは兵役時代、ゴリニシチェ人のジョージと友人だった。
抵抗軍はスリーナ軍や、ゴリニシチェの革命家たちとつながりがある、というのが通説だ。
オハラの経歴は軍隊から、二年前の開店まで空白になっている。何をして食っていた?
先に除隊したジョージとは付き合いが続いていたのか?
サマン国内に居たのか、ミカール島に帰ったのか、パルヴァティアに残ったのか?
もしもオハラがテロ屋と関係していたら、抵抗軍を通じて陸空賊とも関わっていたかも知れない。

「抵抗軍とマラコーダの関係、リビココに裏を取るか?」
「無駄だし、無理だ。ブルーブラッドが許さない」
シドは吐き捨てるように言った。
尋問室では、五課の刑事だけが毎日毎夜リビココと睨めっこをしている。
ブルーブラッドの意向で、五課以外の空賊狩り団員はおれたちも含め、リビココに近づく事すら許されていない。
一度パララクス警部を通じて陳情しても、それは変らなかった。
やつの思惑なら触れずにおこうと思っていたが、五課もどうやら
聞き出したい事を聞き出せないまま、ただ踏ん張っているだけのようにも見えていた。
唯一捕らえた大物が囲われている。このままでは士気に関わると、シドも内心苦慮しているらしかった。彼は唸る。
「まあ焦るなよ。マラコーダの居場所に関しては、とにかくリラックの情報を待とう。
おれたちの空賊狩りはまあまあ上手くいったんだ。今日までの逮捕者が百六十三人、立派なもんだ」
シドが煙草を消した。彼はおれ以上に特務の存在を気にしている。
しかしおれには、あのへぼ諜報員と小娘が本当に特務なのか半信半疑でもあった。
「今更欲をかくなよ、相棒」
115犬ども(14) ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:33:04 ID:UqPlQS9b
(4/5)

ブルーブラッドが用意した令状を受け取ると、
パトロール巡査たちと共に再度探偵事務所を訪れ、押し入って書物とメモと金庫を運び出す。
金庫はラボに回して、おれは魔女窯通りのヴィッキイの店へ行った。
昼下がり、陽のまだ高いうちではあったが、運よくヴィッキイに会う事ができた。
「ジョン・スミスね」
ヴィッキイは、ラベルも腐って読めないような古い酒瓶をおれに渡した。
次いで塩の盛られた皿とライムの切り身を出されたので、こいつは何だと訊いた。
「テキーラ。鉄道警備隊の知り合いから買った」
「南部の酒? これ、つまみか?」
「そう」
手酌でグラスに一口注いで、飲んだ。辛い。
「辛いよ」
ヴィッキイはおれを無視した。カウンターの奥に、最後に来た時には見なかった
古い木箱がいくつも積まれていたので、その中身もおそらくテキーラなのだろう。
「ジョン・スミス――知らねえなあ。あ、いや、待てよ。
『便利屋ジョン・スミス』って言葉を何となく覚えてる。たぶんうちの客が話してた話だ……」
「どんな話だ?」
「いや、酔っ払いのヨタだと思うけど。報酬次第で何でもやる、凄腕の便利屋の話」
ある酔客が他の客にそんな話を聞かせていたらしいが、聞き取れたのは男が空を飛ぶとか
何だか訳の分からない内容で、彼はそれ以上の事を覚えていなかった。
「同じ客らしいのが来たら、聞いておくよ」
ヴィッキイは鍋を洗いはじめた。おれはテキーラをやっつけながら、
探偵事務所から持ち出した本を読み、クリストファーの旅行の目的を探ってみる。

パルヴァティア関連の書物から見つかった書き込みや栞は、主にエルポネ軍と
帝国領である北州の一地方に残る伝承についての記述に集中している。
エルポネ軍とは、帝国、スリーナ、ゴリニシチェを中心とした宗主六カ国が
帝国暦一○○年、パルヴァティア始め東南方の植民地における相互不可侵条約の締結に併せて
共同で組織した統治軍だ。やはり六カ国合同の軍事委員会が指揮権を持ち、
領地境界の監視や独立運動の鎮圧を行っている。
小規模の上に数カ国混成の部隊とあっては、並み居る大国の占領軍と比して一見微細な戦力にも思えるが、
その活動予算は宗主国の国庫以外に、東南方に支社を構える複数の貿易会社と、そのバックに構える
各国の大財閥の軍需産業からの出資があり、更には高度に訓練された傭兵と最新鋭の兵器の提供さえ受け、
これが軍事の最先端を見たければエルポネ軍を訪ねろと、世界中の軍隊で言われる所以である、云々。
116犬ども(14) ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:34:07 ID:UqPlQS9b
(5/5)

しかし歴史をさかのぼればエルポネ軍の真の起源はもう百年昔、
サマン共和国時代末期のパクス内乱の際に、反乱の飛び火を恐れた周辺国が
壊走した当時の共和国軍西南方面部隊の残党を抱き込む形で結成した「介入軍」にあるとも言われている。
介入軍結成の際に、サマンを含む上霊教国八カ国で締結された秘密条約の文言が
エルポネ軍の設立時に一部流用された、という説だ。
現在のエルポネ軍の指揮系統においても、当時の介入軍のそれがベースになっているとか。
異種族の抵抗運動を弾圧し、植民地統治を支える立役者たち。
おれたちの事件にどのように関わるのか、関係があるとすればオハラの兵役時代くらいだ。

もう一つ、北州の賢狼族伝承。パルヴァティアには古代、北方から山を越えて来た賢狼の一族がおり、
彼らが山岳民族の祖先となった、という言い伝え。しかし実際には、パルヴァティアに狼は生息していても
賢狼族は住んでおらず、居たとしても近代になってからの移民だけ。また、山岳民族というのもみな長耳族で
人種的には平地の長耳とほとんど変らないそうだ。「狼の宝珠」という品も伝承の一部らしいが、
肝心の説明部分が切り取られているので、これだけでは内容がよく分からない。
オハラたちは部隊ぐるみで盗掘をやらされていたが、この手の祭具や神像も対象だったのだろうか。
次いで革命家、テロリストやアナーキストの本――お定まりの内容。栞は挟まれていない。メモもなし。
走り書きの事を考える。「狼の村」「宝珠」というのはおそらく、「狼の宝珠」とその在り処、あるいは
伝承が残る場所、伝承に登場する場所だ。「抵抗軍/赤軍の活動範囲?」――
ゴードン「ゴリニシチェの反政府組織は、当時から各地の異種族の独立運動を支援してたって噂じゃないか」、
リラック、マレブランケの資金源は「帝国抵抗軍の一組織」。
オハラの友達のジョージは、ゴリニシチェの反政府組織の一員かも知れない。
「ワーニャ」「発明品の実験」「一三三年?」、これらはまだ見当もつかない。
「ジョン・スミス」、本命、今一番の有望株。手応えがあるまで押してみようと思った。

夕方帝警本部に帰ると、オットマンからの電話があった。
「あの倉庫と同名義で登録された建物は、イーストエンドにもう四軒」
「どんな建物?」
「倉庫一軒、アパート二軒、地獄穴の娼館が一軒。
ところでこの娼館がだ、昨日の切り裂き事件の現場のすぐ近くなんだ」
ジャックの同僚を追い出して、市警が押さえたという例の現場だ。「ジョン」の仕事について知るいい機会。
「そっちもついでに見ておけるといいな。動けるか?」
「昼間の方がいいんじゃないか?」
「空賊狩りをシドに任せたきりで暇なんだ。頭数が揃うなら、さっさとやってしまいたい」
「おれとクレメルは直行できる。派出所は――」
しばらくの間。電話口から、オットマンと派出所の刑事とのやり取りが聞こえる。
「今朝会ったダニング巡査と、ジャックとかいうパトロール巡査が居る。彼らに案内を頼む」
「五人か」
地獄穴の治安の心配よりむしろ、市警の動きが怖かった。
ブルーブラッドの警告もあった。愛人の仇なんてまさか、とは思うが
余所者相手に死体を売って贅沢三昧するような節操のない連中なら、何をやってもおかしくない。
「これで行くのか?」
「そうだな。ショットガンを積んで、待ち合わせて行こう」
117 ◆/gCQkyz7b6 :2008/12/27(土) 15:35:03 ID:UqPlQS9b
投下終わりました
最後の投下から一ヶ月もあいてしまいましたが、再開したいと思います
118創る名無しに見る名無し:2008/12/29(月) 01:01:28 ID:SW85y0A2
まとめサイトを更新しました。
不備があったら報告してください。

>>117
投下と再開乙。
情報集めに奔走する警察組織と、それを嘲笑うかのような犯罪者達。
勝負は中盤戦といったところでしょうか。
さて、これからの展開に期待です。
119 ◆gRK4xan14w :2009/01/01(木) 15:04:11 ID:WhbcAEKt
今やっているTCGの企画で、ネラースを題材にしたカードを作ってもよろしいでしょうか?
ttp://miacis-joke.hp.infoseek.co.jp/mtm/souhatsu/index.html
120創る名無しに見る名無し:2009/01/01(木) 16:36:57 ID:w5f0J+wq
いいと思うけど
121 ◆gRK4xan14w :2009/01/01(木) 18:02:20 ID:WhbcAEKt
>>120
ありがとうございます!
ところで黒翼族って嘴はありましたっけ?
122創る名無しに見る名無し:2009/01/02(金) 00:29:15 ID:8KZeIlx1
>>121
なし。普通の人間に翼と、服が要らない程度に羽毛をつけただけ。あと全員黒肌。
123 ◆gRK4xan14w :2009/01/02(金) 09:30:42 ID:sfw88TSp
了解しました。
絵師募集の際にはその旨を絵師さんに伝えておきます。

とりあえずサンプルとして《空賊のワイバーン》《賢狼の戦士》《黒翼の交渉人》の3枚を作ってみました。
下記ページの下半分にうpしてあります。ご意見などをお待ちしております。
ttp://miacis-joke.hp.infoseek.co.jp/mtm/souhatsu/20090101.html
124 ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:06:16 ID:HiDBjBBK
投下します
125犬ども(15) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:07:33 ID:HiDBjBBK
(1/4)

おれたちは今朝見つけたあの倉庫の辺りで待ち合わせ、
それから二台の車に分乗して、派出所の刑事の先導で地獄穴へ入っていった。
街灯の数がにわかに減り、うらぶれた店々の軒先に掲げられたランタンの
淡い光ばかりが、月のない暗い夜景にぼんやり灯っている。
道幅は狭く、ぎりぎり一車線分。、石を抜かれた舗装は穴だらけで、ひどい走り心地だった。
いつもの事なのかそれとも切り裂き事件のせいなのか、日没後すぐにしては人通りがえらく少ない。
立ちんぼの娼婦も見かけない。途中、乞食の団体とすれ違ったが、
全員がびっこを引いたり杖をついたりして、まともに歩けるやつは一人も居らず、
傍目にはぼろ切れの寄せ集めが這いずっているようで、とても人間の集まりには見えなかった。
家々のほとんどは早々に戸を閉め切っており、時折、二階の窓から
大人とも子供ともつかない中途半端な大きさの人影が、おれたちを見下ろしていたりもした。
魔女窯通りとはまた違う部類、住人の衣食住に根ざした悪臭が漂っている。
道路にぶちまけられた汚物らしい水溜りを、車輪がもろに跳ね上げる。匂いが強さを増す。
「せっかく川が近いのに、無精なやつもあったもんだ」
人の声をほとんど聞かない。目的の娼館が近づいても、通夜じみた陰気さは一向に変る事がない。
騒ぐ気力のあるやつは、ここよりもっとましな所へ出張るのだろう。
ダウンタウンで一等貧乏な区域でも、ここに比べれば毎日が宴会だ。
いつの間にかおれは、昔砂漠で見た、餓死寸前の長耳族のキャラバンを思い出していた。
助手席のオットマンがショットガンを抱いて外を警戒しているが、こと今夜の地獄穴の住人に関しては
その必要があるように思えない。本物の貧民窟はどこも静かだが、ここまで活気がない場所も珍しい。
今夜はスモッグもないのに、地獄穴では夕闇がその濃さを増している。

右手の家並みが一瞬途切れて、スナーク川が覗いた。対岸の灯が眩しかった。
再び家の並びに当たって、そこから唐突に大きな建物が続いたかと思うと、
前を走っていた派出所の車が停まり、おれも後ろに着けた。
「着いたみたいだ」
両側を六階建てくらい、全ての階の電灯が点いた大きな建物に挟また。
車寄せのあるおかげで道幅が心もち広くなったとはいえ
車内から見上げた空が狭く、窮屈に感じる。そっと五連発の拳銃を抜くと、おれは車を降りようとした。
突然、銃声と共に助手席の窓が弾ける。オットマンが運転席側に倒れこむ。おれはドアを開けて外に転がりでた。
オットマンがおれに続く。暗いのでよく分からないが、コートの左肩が赤黒く染まっているようだった。
後部座席に居たクレメルも、車から降りて頭を低くしている。なおも銃撃は続き、
弾丸がおれのサトゥルナーリアの天蓋を穴だらけにした。敵は上から撃ってきている。
前の車から飛び出した派出所のダニング刑事とジャックが、娼館の玄関を指差す。
五人で中に入り、最後にクレメルが扉を閉じてかんぬきをかけた。
「待ち伏せされた。どういう事だ?」
答えなし。おれたち以外誰も居ない娼館のロビーの明かりの下で、四人とも白い顔をしていた。
中でも肩を撃たれたオットマンが一等悪い。彼が壁にもたれ、うめきながら
「市警か?」
ダニングが首を振る。
「敵の姿は見えなかった」
屋外からの銃撃で玄関扉に穴が空き、おれたちは階段へ走った。
殿になり、扉に向けて銃を構えた。銃声が一寸止み、誰かがかんぬきのかかった扉を外から蹴った。
扉は開かず、おれは見当をつけて三発撃った。命中したらしく短い悲鳴が上がったが、
すぐさま蹴りの代わりに散弾が扉を大きく穿ちはじめたので、もう二発撃ってからおれも二階に上がった。
踊り場でクレメルが待っていたが、
「入ってくる」
クレメルは慌てて駆け上がっていった。
126犬ども(15) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:08:35 ID:HiDBjBBK
(2/4)

おれは改造拳銃を抜いて踊り場に陣取り、上がってくる敵を狙い撃とうとした。
しかし一階で敵の足音がするのに、待てども追っ手のかかる気配がない。
そのうちに、ダニング巡査がショットガンを持って降りてきた。
「どうだ?」
「上がってこない」
「三階の窓から裏を見たぜ。ゴミ捨て場になってて、そこにも敵が」
ダニングが坊主頭を掻く。おれは五連発の方の銃に弾を込めた――二丁合わせて残り六発。
「何人くらい?」
「暗くて分からんが、明かりの数からすると最低三人。川に飛び込むのは難しいな」
話しながら、階段の手すりに銃を置いて狙いをつける。だが敵はやはり追ってこない。
今では銃声も、一階の足音も止んで、喋っていないと耳が痛くなるほどに静かだった。
おれは階段の下を見ながらも、横目でダニングの挙動をうかがっていた。
地獄穴の街路は狭い。車でここに来るまでに、尾行があれば気づいたはずだ。
考えてみれば、待ち伏せされたのは敵がこちらの動きを読んでいたか、あるいは誰かが情報を洩らしたからだ。
彼が裏切り者の可能性もある――あるいはジャックが。
「表で撃ってきた連中は?」
「向かいが連れ込み宿で、その各階に射手が一人ずつ窓から狙ってる。うかつに窓の前に立つと狙撃される」
「この建物には敵は隠れてないのか?」
「三階より上の部屋は大体見て回ったが、どうやらそれはないようだ」
「客は居ないのか?」
「何人かは居る。みんな地獄草でべろべろになってる、大砲の音でも起きないよ」
「ふうん」
ダニングは口ぶりこそ平静を保っているが、彼の額には玉のような汗が浮いているし
ショットガンを持つ手が落ち着かない。何度も構えたり下ろしたり、銃把を握りなおしたりしている。
視線はおれでなく階段の下辺りに向いている。おれを見ようとしないのは
おれに注意が行っていないためなのか、おれに殺意を悟られないためなのか。
「オットマン刑事は六階に避難させた。
医者じゃないから詳しい事は分からないが、まだしばらくは大丈夫そうだよ。ジャックが応急手当をしてる」
「どう思う?」
ダニングの目がようやくおれに向いた。
「戦況について? それとも敵の正体について?」
「両方」
ダニングが引きつった笑みを浮かべる。こんな時にも思い出す、ドロシーの頬の痙攣。
「正直に言うと、おれは撃ち合いは初めてなんだ。
相手のほうが数が多くて、とてもまずい状況なんじゃないかとは思ってる。
敵の正体なら、あんたらが知ってるんじゃないのかね?」
「まあ、そうだろうな」
ダニングはおれの横に来て、
「場所を代わるよ。作戦を立てたりとか、そういう事は本部勤めのあんたのが経験豊富だろう」
「白旗を揚げる事に関しちゃおれも素人だ」
おれは素直に退いて、殿をダニングに譲った。オットマンたちの無事を確かめたかった。
階段を上がながらダニングを観察したが、ショットガンを構えた彼はもうおれを見ていなかった。
127犬ども(15) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:10:12 ID:HiDBjBBK
(3/4)

六階の、階段から一番近くの大部屋に三人が居た。
オットマンは上半身裸で、ネクタイらしい即席の止血帯を左肩に巻かれ、ショットガンを抱いて
家具のないがらんどうの部屋の床に座っていた。
制服に血をつけたジャックと、手鏡を持ったクレメルが、奥の開いた窓の近くで横になっている。
「どうなってる、下の様子は……」
オットマンがおれに訊いた。やはり顔色はよくないが、具合はそうひどくもなさそうだ。
「芳しくない」
「裏庭の連中が何かしてるんだ」
窓辺に居るクレメルが言った。下手に顔を出すと撃たれるので、鏡を使って外を見ているのだろう。
「助けを呼べないか、こないだみたいに」
クレメルの反対側に寝そべったジャックが、顔を上げて答えた。
「ぼくだって空は飛べません」
「強行突破も難しいだろうな」
表通りは、建物にぎりぎり寄せた車の陰を除けば、全域が敵の狙撃手の射角に入っていた。
ショットガン二丁と拳銃で裏庭の敵と戦うのもリスクが大きい。敵の数が分からないし、
出口が狭いと狙い撃ちされるかも知れない。庭に出られたとしても、敵の側に掩体があれば暗中の泥試合になる。
二階以上からショットガンの掩護があるといいが、暗いので誤射の危険がある上、
銃撃戦が始まれば表通りの敵が殺到し、射手が取り残される恐れもある。
それ以前に、一階は既に敵の侵入を許しているだろうから、
裏口にたどり着くまでの間のリスクも考えなければならない。
「おれは置いていってくれて構わない」
オットマンが言うが、
「いや、こうなりゃ一蓮托生だ。全員出られるか、全員死ぬか」
「やはり市警だと思うか?」
「可能性からすればな。このままじゃ、相手が誰でも変わらないが」

「何――ああちくしょう、やつら油を撒いてるぞ! 火を点けるつもりだ!」
クレメルが素っ頓狂な声を出す。敵が踏み込んでこない事の合点がいった。
「現職の警察官五人が地獄穴の淫売宿で焼死か。いいネタになるぞ」
どうせ待ち伏せするなら人払いがしてあるだろうが、ヤク中だけは残されていた。
この建物に敵が隠れていなかったのは、おれたちを誘い込むため。
全ては凝った舞台設定で、単におれたちを射殺体にしたり失踪させたのでは
帝都警察の追求は必至だが、地獄穴の売春宿でヤク中に混じって事故死すれば
悪徳警官とその仲間たちの外聞の悪い死に様という事で、帝警も事件の隠蔽を考慮するだろう。
この場合、最も利する者は市警だ。帝警の空賊狩り作戦に泥を塗り、死体泥棒との癒着を暴かれずに済む。
ブルーブラッドがおれたちの擁護に回ったとしても、場所が娼婦殺しの現場に近い事から
一課と市警の合同捜査に介入したとの疑いをかけられるかも知れない。
死体売買の捜査のためとすれば四課や派出所は名目が立つが、おれまでがここに居る理由を説明すると
やはり娼婦殺しに言及せねばならず、やつの立場は必ず悪くなる。だから、やつはおれたちを弁護しない。
仕組んだのは市警の十四分署だ。アダムス夫人からおれの事を聞き、分署の刑事を張りつかせた。
では、おれたちがここに来ると分かったのは何故だ? 派出所にスパイが居たというのが一番ありそうだ。
推理したところで発表する場もない。このままでは焼き殺されるのを待つだけだ。だが名案は浮かばない。
128犬ども(15) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:11:12 ID:HiDBjBBK
(4/4)

「もしどうしようもないようなら、ぼくに考えがあるんですが」
ジャックが言った。おれたち三人は目を剥いたが、彼は落ち着き払って
「他言無用でお願いできますか?」
「この状況から生還できるなら、どんな要求も呑むよ」
寝そべったまま、懐から一本の赤銅色の棒を取り出した。
「それは何だ?」
「ぼくには生き別れの兄が居ましてね」
突然始まる身の上話に、おれたちは不安を駆り立てられる。
「ぼくが生まれる直前に、当時まだ二歳だった兄が行方不明になったんです。
母親が言うには、目の前で空飛ぶ船にさらわれたって……そんな話、誰も信じませんけどね。
でも兄が消えたその場所で、母はこいつを見つけたんです」
そう言って、ジャックは棒を口に当ててみせた。
よくよく見れば、それは銅製らしい、掌に収まるほどの小さな横笛だった。
真ん中が少し潰れて、曲がってしまっている。
楽器らしく穴こそ開いているが、数が多すぎるようだ。間隔は不規則で、しかも一列ではなく
笛のあちらこちらに散らばっている。ものの小ささも相まって、とても人間の指に合わせて作っているとは思えない。
「こいつを吹くと、どういう訳か狩猟機が寄ってくるんです」
「冗談きついぜ」
クレメルの嘆きを無視して、
「幼い頃、その事に気づかないで何度か笛を吹いた事がありますが
その度、ぼくらの暮らしていた町に狩猟機がやって来ました。本当ですよ。
そうと分かってからはさすがに吹くのを止めましたが、代わりにお守りとして身に着けていたんです」
「で、どうしようってんだ?」
「ぼくは、例のボート壊しの怪物はもしかすると狩猟機なんじゃないかと思ってるんです。
あの、車を見つけた倉庫の壁の穴も、まるで機械で掘ったようでしたから。
だとすればそいつはスナーク川に潜んでいるし、笛の音で呼び寄せられるんじゃないかと」

ジャックの表情は真剣だった。オットマンがやおら起き上がって、血染めのコートを羽織りながら尋ねた。
「怪物を呼べたとして、その後はどうする? おれたちも危なくなる」
「それはそうですが――どさくさに紛れて逃げられるかも」
「どちらにしても、おれたちだけ死ぬより気分はいい」
「駄目もとでも何でもいいからやってくれ」
「決まりだな。ジャック、成功したらお前さんは本部勤務だ」
オットマンが右手で足元の銃を拾った。おれも二丁を抜いておいた。クレメルは鏡で裏庭を見ていた。
ジャックが笛を吹く。手の形を器用に作って、指はいくつかの穴をしっかり選んで塞いでいる。
笛の音は細く、聞き取れるか聞き取れないかというところだったが、ジャックは構わずに息を長く続けて吹いた。
音色そのものは期待はずれの平々凡々、出来損ないの金管楽器という見た目に相応しいものに思えた。
それでもおれを含めて刑事連中は、固唾を呑んでジャックの演奏を見守っていた。
129 ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/04(日) 17:15:26 ID:HiDBjBBK
投下終わりました。
>123
MTGは少しだけやってた事があるので、楽しみにしています。
自分も何か思いついたら投下してみますね。採用してもらえるレベルの内容になるかは分かりませんが……
130123 ◆gRK4xan14w :2009/01/04(日) 22:57:35 ID:jUkOMeqD

続きが楽しみだ。

このスレにもMTG理解者がいてくれて嬉しいです。
無理にテキスト考えなくてもキャラ/アイテムの特徴、性格、能力などを教えて下されば、
私が“MTG語”に翻訳しますので大丈夫ですよ。どうぞ私をコキ使ってくださいなw
131創る名無しに見る名無し:2009/01/07(水) 23:26:50 ID:XNbmUG6O
まとめサイト更新しました
不備がございましたらご連絡ください

>>129
投下乙
この事態がどう打破され、どう進むのかが気になります
132 ◆zsXM3RzXC6 :2009/01/09(金) 18:34:38 ID:CtTgbHpV
投下します
133喫茶店『樫の木亭』2 ◆zsXM3RzXC6 :2009/01/09(金) 18:35:54 ID:CtTgbHpV
 昼が過ぎ、またおやつ時でも無く客がいなくなった暇な時間。
 簡単にフロアを掃除したミャオは昼食を摂るために厨房に入った。
「あー、お腹空いたぁ。今日のまかないはなあに?」
「大したものではないですよ。今日のランチの残りに、ちょいちょいっと手を加えたもので
すし」
「充分良いものじゃない。文句言ったらバチが当たりそう」
 ニコニコしながらミャオは厨房の隣にある休憩室に向かう。この時間は人がほとんど来な
いのでフェリシア一人でも充分に店を回せるのだ。
 が、流石に二人共が休憩に入るのはまずいので、交代で入ることになっている。ちなみに
フェリシアはもう休憩を終えていたりする。
 本当に楽しそうに休憩室へ入っていくミャオを見送り、フェリシアはなんとなく溜め息を
ついてしまう。
 何でも楽しめるミャオが、羨ましいのだろう。
 あの若さで東方から長い旅をして、わざわざこのサマン帝国までやってきたのだ。何か事
情があるはずなのだが、しかしそんな影は一切無い。
 ついでにゴールドバーグに来てまだあまり時間は経っていないらしいのだが、そのわりに
はこの辺りに思いっきり馴染んでいたりする。
 本当に不思議な人物だ。
 そんなことをフェリシアが考えていると、入り口のドアに付いているカウベルが軽快な音
を立てて開く。
 入ってきたのは風変わりな男性だった。
 灰色というか、白髪混じりの黒髪というかなんともいえない色合いの短い髪。特徴的なよ
うで妙にぼやけたような印象を与える顔。
 不思議と古ぼけた大きな外套と大きな体だけが記憶に残る。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「ああ、そうだな。窓際の席がいいんだが、構わないかね?」
「では、こちらの席へどうぞ。ご注文が決まりましたら呼んで下さい」
 営業スマイルでフェリシアは男性に対応し、自分は厨房へ入る。
 そして、水を入れたグラスをお盆に載せて男性の座っている席へと運ぶと、もう男性は注
文を決めていた。
「どうぞ」
「ありがとう。ああ、それとコーヒーを一杯もらおう。あと、チーズケーキをもらえるかな」
「はい、分かりました。コーヒーを一つと、チーズケーキを一つですね? かしこまりまし
た」
 注文を復唱しながら手元の伝票に書きこみ、フェリシアは一つ会釈をして再び厨房へと入
る。
 サイフォンのフラスコ部分にに温めてあったお湯をいれ、下のアルコールランプにマッチ
で火をつける。
 少し前に温めたお湯はもう結構冷めてしまっていたようで、沸騰するまでは少々時間が掛
かってしまうだろう。フェリシアはコンロで温め直してからにすればよかったと少し後悔す
る。
 が、沈んでいても仕方が無いので、なんとなく厨房から少し顔を出して今この店にいる唯
一の客を眺めることにした。
134 ◆zsXM3RzXC6 :2009/01/09(金) 18:36:54 ID:CtTgbHpV
 男性は楽しそうに外の風景を眺めていた。特に楽しい光景は外には無いのだが、それでも
彼は穏やかな笑顔で外を見る。
 外では子供達が鬼ごっこや石蹴りなどをして遊んでいる。転んで泣くものもいるが、笑顔
で外を駆け回っているものの方が多い。
 と、そこでフェリシアははたと気付く。恐らく、この男性は誰かを見ているのではないの
だろう。きっと、この平和な光景を見るのが好きなのだ。
 なんとなく溜め息をつくフェリシア。
「何か用かね?」
 そんな彼女に、それまで外を向いていたはずの男性が声を掛けた。
 面白がるような目で、彼はフェリシアを見る。
 まさか声を掛けられるとは思っていなかったフェリシアは、少し動揺しながら首を振る。
「い、いえ」
「そうかい。そういえば、ここにリュウホアが勤めていると聞いたんだが、アイツは元気か
ね?」
「え? ミャオさんのことを知ってるんですか?」
「まぁ、そりゃあな」
 男性は苦笑し、グラスに口をつける。
 そのグラスを見てフェリシアはサイフォンの事を思い出し、慌てて厨房に引っ込む。
 フラスコの中のお湯はまだぽこぽこと沸騰しかけている程度だったので、フェリシアはそ
っと胸を撫で下ろす。
 そして、手際よく漏斗にろ過布を敷き挽いたコーヒー豆を乗せて、サイフォンにその漏斗
をセットする。流石に専門家だけあり、少々慌てていてもこの辺りの行動でミスをすること
は無い。
 ぐらぐらと沸き立つお湯が漏斗に上っていき、コーヒーが出来るところを眺めながらフェ
リシアはミャオと窓際の席に座っている男性の関係について考えてみる。
 なんとなく恋人や友達とかの関係ではないことは分かる。ついでに血縁関係なども無いで
あろうことも。
 では、一体どんな関係なのか。
 良く分からない、というのがフェリシアの出した答えである。
 まだそれほど人生経験を積んでいないフェリシアにとっては、少々難問だったようだ。
 そんなことをつらつらと考えているうちにフラスコの中のお湯は全部漏斗の中に上りきっ
てしまった。
 急いで、しかし軽く漏斗の中を掻き混ぜるフェリシア。
 ほんの少し時間を置いてもう一度漏斗の中を掻き混ぜ、フェリシアはアルコールランプの
火を消す。
 一旦漏斗まで上っていたお湯は、立派なコーヒーになってフラスコへと落ちていく。
 全部フラスコに落ちたのを確認し、フェリシアはフラスコをサイフォンから外してフラス
コからコーヒーをカップに注ぐ。
 美味しそうな香りが鼻をくすぐるが、しかしこれは商品である。
 でっかい冷蔵庫からチーズケーキを出してきて、フェリシアはそれをコーヒーと一緒にお
盆に載せる。
 そして、こぼしたりしないように注意しながら、客である男性のテーブルへと運ぶ。
135 ◆zsXM3RzXC6 :2009/01/09(金) 18:37:41 ID:CtTgbHpV
「お待たせいたしました。コーヒーと、チーズケーキです」
「おお、うまそうだ。幾らだったかね」
「合わせて七百ダガーです」
「そうか。じゃあ、チップ込みでこれぐらいか」
 そう言って、男性は財布から何か硬貨をつまんでフェリシアへ渡す。
 渡された硬貨を見て、フェリシアは目を丸くする。
「え、あの、これ千ダガー銀貨、ですよ? それも、三枚も」
「少ないが、祝儀だとでも思ってくれればいい。まぁ、また今度何か贈らせてもらうが」
「そのぅ、ミャオさんとは、どういう関係なんですか?」
「あいつをこっちに連れてきたのが俺だよ。一応後見人もやってる」
 カップを手に取り、男性はコーヒーを啜る。
「で、リュウホア、いやお嬢さんに習ってミャオと呼ぼうか。ミャオは元気でやってるかい?」
「はい。いつも助けられてます」
「そうかい。それは良かった」
 静かに笑い、男性は満足そうにチーズケーキを口に運ぶ。
 フェリシアはまだ幾つか聞きたいことがあったが、なんとなく憚られ一礼して厨房へと戻
っていく。
 そのままフェリシアが厨房でどうしようか悩んでいると、フロアから声が掛けられた。
「ごちそうさま」
 え、と慌てて立ち上がったフェリシアだったが、もう遅い。
 出入り口のドアに付いているカウベルが軽快な音を鳴らしたかと思うと、男性はもう既に
店から立ち去っていってしまっていた。
 折角の機会を逃してしまったフェリシアは残念そうに溜め息をつく。
 と、休憩室のドアが開き、昼食を食べ終えたらしいミャオが食器を持って出てきた。
「ごちそうさまでした」
「あ、お粗末さまです。それよりミャオさん。今さっき、こんな男の人が……」
 自分で食器を洗い出したミャオに、フェリシアは先ほどの男性のことを話す。
 最初は頷きながら聞いていたミャオだったが、途中から段々と拗ねたような表情になって
いってしまう。
「ジョンさん、折角来たなら私の顔を見て行ってくれれば良いのに。相変わらずカッコつけ
しぃだなあ」
 その言葉を聞いて、なんとなくフェリシアは理解する。
 ミャオは拗ねているのではなく、寂しがっているのだと。
 しかし、なんと声を掛けて良いのか分からず、フェリシアは口を開きかけてやめる。
 まだ、そこに踏み込んでも良い時ではないと、そう思ったのだ。
「さ、フェリスさん。仕事仕事。まぁ、今は暇だけどさ」
「そうですね。じゃあ、ミャオさん。フロアの片付けお願いします。わたしはおやつ時の準
備しますから」
「はーい」
 元気な返事をしてフロアに消えていくミャオを見送り、フェリシアは深く息をつきながら
目を伏せる。
 自分はミャオの事をほとんど知らない。けれど、これから先ずっと時間はある。
 だから、きっと自分もミャオの過去を知ることが出来る日が来るのだと、そう信じて。
 フェリシアは、目を開ける。
「さ、仕事仕事」
 伸びをして、ゆっくりと動き出すフェリシア。
 まだ、今日の仕事は残っている。考え事は仕事が終わった後にすれば良いのだ。
 うんうんと頷いて、フェリシアは今日仕入れたものを思い浮かべて本日のオススメスイー
ツを何にしようか悩み始めた。



 ほんの少し波が起きても、樫の木亭では相も変わらずゆったりと時間が過ぎていく。
 きっと明日も、明後日も。
136 ◆zsXM3RzXC6 :2009/01/09(金) 18:38:59 ID:CtTgbHpV
投下終了しました
二つ目、三つ目に題名が入っていないのは単なるミスですのであしからず
137創る名無しに見る名無し:2009/01/22(木) 22:57:39 ID:HoI+KbAV
まとめサイトを更新しました。
不備があればご連絡ください。
138創る名無しに見る名無し:2009/01/26(月) 08:22:19 ID:anfihhvY
139 ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:31:03 ID:g0sE4VyX
投下します
140犬ども(16) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:31:46 ID:g0sE4VyX
(1/5)

クレメルが身を起こし、手の振りでジャックの笛を止めさせた。
「本当に来た」
裏庭で張っていた連中がにわかに騒がしくなる。何かでかいものが、水音を立てているのが聴こえる。
おれたちは耳を澄ました。叫び声、数回の銃声と機械の駆動音、
蒸気自動車の車輪が空回りしたような、唸るような音がした。湿った音、何かの裂ける音。
窓を開け、そこから乗り出さんばかりにして下を見ながらクレメルが叫ぶ。
「来た、来た!」
立て続けの銃声と、先と同じ機械音、蒸気機関の怪物が――たぶん、人間を――びちびちと裂く音。
おれは階段を駆け下り、二階のダニングのところへ行った。
彼は踊り場から動かずにはいたが、裏庭の騒ぎを聞きつけて動揺していた。
「何が起こってる」
「狩猟機だ」
「何だって?」
「狩猟機が裏のやつらを襲ってるんだ」
一階の連中が慌ただしく走っていく。
下りるなら今のうちだと心を決め、おれは身をかがめて、慎重に階段を下りていった。
途中、階段の手すりの格子から覗くと、ロビーには誰も居なかった。
全員が裏口に向かったと見える。銃撃は続いていたが、
砲声にかぶって弾丸が狩猟機の鋼の身体に跳ね返される音も聴こえた。狩猟機相手に並の銃では間に合わない。
おれがロビーに下りるなり、玄関からライフルを持った男たちが現れた。
連中の先頭は、今朝出会ったばかりの市警の刑事だった。
「一体どうなってる――」
右手の銃をぶっぱなす。一・八チサン口径の単体弾が先頭の男を吹き飛ばす。
残りは泡を食って通りへ引き返していった。ダニングも階段を下りる。裏庭から爆発音がして、建物が震えた。
やつらが撒いていた燃料が、どさくさの発砲で引火したようだ。上から三人もやって来て、
「狙撃手が消えたぞ、通りに出られるか?」
オットマンが訊くなり、さっきの連中が通りの向かいから撃ってきた。
おれたちは床に伏せて応戦したが、お互い命中しない。
廊下から煙が流れ込んでくる。裏庭ではもう銃声もしない。焦っていた――火事と狩猟機に。

不意に、車のヘッドライトが差し込んで通りが明るくなった。おれたちの車ではない。
まごついている間に帝警のパトロールカー二台が縦列で入ってきて、火線を塞いだ。
おれたちも向かいも銃撃を止めた一瞬に、二台はこちら側のドアを開いて、
「乗れ!」
意外や意外、ブルーブラッドの声。おれたちは起き上がって車まで走り、飛び乗った。
振り返ると、おれたちを追って、狩猟機の槍のような部分がロビーの壁をぶち破ってきた。
急発進でその場を離れ、車が百メルーほど走ったところでおれは後方を見た。
娼館の裏から黒煙が立ち昇り、通りにはジャックの呼んだ狩猟機がうろついていた。
狩猟機は虎に似た四足獣の胴体をして、そこにやたら長い蛇みたいな首と、あの槍の頭をくっつけている。
「追ってくるか?」
狩猟機が長い首を打ち振るって、おれたちと銃撃戦していた市警のやつらを襲う。
連中は応戦するもライフルでは歯が立たず、易々と叩き殺されていく。
「いや、いい囮が居た」
おれとダニングが乗ったのはブルーブラッドの車だった。
五課課長は助手席に収まり、シルバ警部補が運転をしている。
「どうしてここが分かった? 通報でもあったのか?」
二人とも答えなかった。
141犬ども(16) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:32:29 ID:g0sE4VyX
(2/5)

その晩、応援要請を受けた水上警察の装甲艦が、スナーク川から狩猟機を娼館ごと砲撃した。
ブルーブラッドは怪獣退治の後始末を本部の電話から指示し終え、少しくたびれた様子でオフィスに戻ってくる。
娼館を脱出した他の連中は、病院へ行ったオットマンを除いて三人とも、五課の机を借りて報告書書きに汲々としている。
おれだけがブルーブラッドのオフィスで、書類書きもなしに一時間ばかり、ただ待たされていた。
外はまだ暗いが、じきに東の空が明るみだす時間。椅子の上で身体を動かすと、煤けた匂いがする――おれの服から。

珍しく気を利かせて、やつは二人分のコーヒーを持ってきた。座ったままで一つ受け取る。
「終わったか?」
「水上警が狩猟機の残骸の引き上げている。朝には終わると言っていたから、見てくるといい」
「そうかい」
ブルーブラッドもデスクに収まり、二人してコーヒーをすする。
塵一つない部屋に中年男が二人、向かい合って、しらけた空気を漂わせている。途端にわびしい気分になる。
おれは腹が減っていた。空腹で睡魔も寄りつかない。
戦闘態勢を解き、興奮状態が終わってしまうと、後には重い疲労感ばかりが募る。
朝になったらまた街に降りる。たまにはまともな食事がしたい――水浸しのスクラップなんざ知った事か。
それから寝る。一度家に帰ってもいい。
おれとて普段から撃ち合いばかりする生活でもなし、この数日間が異常な体験だったのだ。
誰一人居ない家に帰って、自分の軸を多少でも現実に戻す努力をすべきかも知れない。
そうだ、おれはさっき死にかけたんだ。
「死ぬところだった」
口に出して言ってみた。ブルーブラッドがコーヒーカップを置く。
「いずれ何か仕掛けてくるとは思っていたが、本気で刑事殺しを企むとは」
やつはおれを釣り餌にしておいて、今さら悪びれる訳でもない。
それは初めから了解済みの事項で、おれも荒仕事と半分知っていて引き受けた。
だから、形の上での謝罪などはどうでもいい。問題は、やつがどこまで知っているかだ。これはいつでも問題になる。
「五課が尾行してたのか?」
「十四分署のやつらをな。署長が手勢を地獄穴に集めていると聞いて、すぐに標的が君たちだと勘づいた」
「やつら、何故おれたちがあそこへ行くと分かったんだ?」
「派出所にスパイが居た。その人間はうちで処理する事になる」
「おれたちを餌にして、収穫はあったかい?」
「残念ながらかかったのは雑魚ばかりで、それも全員死んでしまった。
だが大将を丸裸にする事はできた。これからが君の本当の仕事だ」

おれは両手を上げた。おれはやつの仕事を一つ果たしたのだから、腕を見せたら安売りは終いだ。
「いい加減にしてくれ、もう鉄砲玉はごめんだ。
空賊狩りから外してくれてもいい、おれをこれ以上ガンマン代わりにしてくれるな。おれだって仮にも刑事なんだ」
「私は恫喝はしたくない。これは報酬を用意した上での取り引きだ。そういうことにした方が君にとってはいいだろう」
おれは笑った。やつも笑った。
おれは、自分が二十年前の兵隊時代のペースに戻っているのを感じた――冒険心と自暴自棄。
「空賊狩り作戦はまずまずの戦果を挙げている。
このままトラブルがなければ、来年度の人事で私がシュメデスを退ける事も容易い。その時は君に三課をやろう」
「それがあんたの殺し文句か」
「君としても、本当の殺し文句を私の口から言わせたくはないだろうが」
「十四分署の署長を痛めつければいいんだな?」
「そういう事だ」
おれは了解して、やつは黙った――用済みだ、帰れという目をしている。
「おれは報告書は免除なのかい?」
「墓荒しの捜査は四課と派出所の仕事だ、君は関係ない」
「市警とはどうなる?」
「どうもならない。十四分署はともかく、市警全体と戦ってる暇はないし
こちらから仕掛けなければ向こうは黙殺するだけだろう。死体も全員、単なる賊として処分する。
これで子分は全員死んだ、意趣返しは署長個人に留めておけ。
更に言えば、加減をしろ、殺すな。どうせ市警で始末をつけてくれるんだから、必要以上に手を汚さなくてもいい」
算段――ジェリコの相場。やつは誘拐もやるし、そっちの評判は悪くない。だが自腹を切るのは癪だ。
「金、払ってくれるか?」
142犬ども(16) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:33:12 ID:g0sE4VyX
(3/5)

朝になった。夜明けすぐの半端な時間で、飯を食わせる店もないので
仕方なく、例の引き上げ作業を見にイーストエンドへ行くことにした。
出がけに、クレメルからあの娼館と同じダグラス・オウヤン名義の不動産を挙げたメモを受け取っていった。
十四分署署長の手下が全滅しているなら危険はないはずだ――
ブルーブラッドの言葉を額面通りに信じる気はないが、残りの物件は地獄穴よりは安全な場所のように思える。
まずは朝の地獄穴へ、帝警のパトロールカーで乗り入れた。住人の姿がほとんど見えず、やはり静かな町だった。
今朝は小雨が降っていて、凍えるように寒かった。霧も深い。地獄穴でなくても外に出る気にならない朝だ。
昨日と同じ道を走ると、娼館の焼け跡と、その裏庭の岸壁に水上警の作業船が着けているのが見えた。
おれのサトゥルナーリアは哀れ、黒こげのスクラップとなって道路の端に寄せられていた。
これでしばらく自前の車はなしだ。覆面パトカーをこさえなければならない。

撤去作業前の瓦礫の山を踏み越えて、連中の仕事には少々手狭に思える裏庭に下りた。
ぎゅうぎゅうと警官がひしめき合っていて、彼らの頭上には、狩猟機が作業船の起重機で吊り上げられている。
人ごみをかき分けて進み、一番前の列でスケッチを取っている、水上警の若い警官に近づいてバッジを見せた。
警官は身体をくの字に曲げて、上体でスケッチブックを隠して雨から守っていた。
気づくまで何度かバッジを押しやると、ようやく横目でおれを見て、スケッチの手を止めないままで軽く頷く。
「こいつは直で保安局にやるのか?」
「そうなりますね」
スケッチを取る間、警官はほとんど顔を上げない。
たぶん、狩猟機の格好を一度に覚えてそれを思い出しながら書いているのだろう。
絵は警官の身体の陰になってよく見えない。ばかに手の動きが早いから、あるいは速写なのかも知れない。
おれは狩猟機を見上げた。昨晩見たものがそっくり残っている。
もっとも、あの虎の胴体の脇腹は砲弾で抉れて、腰回りがえらくくびれてしまっているが。
胴体と同じくらいに長くてしなやかな首は、蛇腹の鋼板に覆われている。
円錐の頭部は花弁状の四つの部分に分かれていて、萎れた花のように半開きのまま、うつむいている。
また、昨日は気づかなかったが、首の付け根の辺りに、枝のように細い金属の腕が一対あった。
五本指、人間の手に似ていて、指は細くて器用そうだ。首よりは短いが、前肢よりは長い。何に使うのだろう?
よくばねの利きそうな肢、がっちりした肩、寸胴、全身これ錆色の鋼鉄で作られていて、
首の鋼板や関節部さえ隙間なく鎧われているように見える。
「お宅の方でジャンクとして流したら、これ全部でいくらになる?」
「さあ――おれなんかには一生かかっても使い切れない額じゃないすかね」
聞いて、ジャックの笛はさぞ高値で売れるだろうと思った。
おれは彼との約束を果たさなければならないようだ。約束――エリカにドロシーを紹介する約束もあった。

警官はスケッチを終えたらしく手を止め、スケッチブックを抱くと、
鉛筆を持ったほうの手で人ごみの中の一人を指差した。
「あれが保安局の人っすよ。しかし若いね、おれと大して違わないんじゃねえのかな」
見た。若くて顔立ちのいい、狐目の男。前のほうの列で、警官連中と一緒になって狩猟機を見上げているが、
他の人間が制服やつなぎを着ているのと違って、一人だけ私服姿で目立っている。
その保安局員の隣に、白衣を着た初老の男が立っている。男は保安局員に向き、何かを尋ねている。
「隣に居るのは誰だ?」
「さあ。学者さんみたいっすね」
周囲の誰もが話をしていて、彼ら二人の会話の内容は聞こえない。
それから少し狩猟機の見物を続けて、作業船への積み込みが始まってから現場を離れた。
車を走らせながら、ダグラス・オウヤンの不動産のメモを読んだ。一軒、見覚えのある住所があった。
嫌な予感がした。メモを片手に考え込んでいて、気づくと車がイーストエンドを離れていた。
急がば回れ、朝飯からやっつける。
143犬ども(16) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:35:05 ID:g0sE4VyX
(4/5)

ウェストエンド、屠殺屋通りの特務の酒屋に行くと、
一階の店舗で空賊どもが酒で潰れていて、レイチェルだけがテーブルに突っ伏さずに正気で残っていた。
おれが入っていくと彼女は、寝不足の重い瞼で冴えないウィンクをした。
「上の連中は?」
「居ない」
カウンターに入って勝手に棚を漁り、ベーコンと卵を見つけて
汚いフライパンで適当に焼くと皿に盛った。テーブルが埋まっていたので、
レイチェルの向かいでぐったりしているグスタフを蹴り出して、席を作った。床に倒れてもグスタフは目覚めなかった。
「今朝はあんただけ?」
「相棒には事務方をやらせてるからな。やつ抜きであんたに会ったのがばれたら、殺される」
レイチェルは笑った。
「昨日一度来たよ、あの人。口説かれた……」
「返事は船を取り返すまでお預け?」
「その通り」
今度は二人して笑う。自分の笑顔が、レイチェルの背後の壁にかけられた鏡に映る。
顔の筋肉が強ばっている。自分でも頬が重いと感じていて、その想像の通りの凝り固まった表情だった。
レイチェルが大きなあくびをして、涙を流す。
おれは、自分のテーブルで一番汚れ具合のましなナイフとフォークを選んで取った。
「眠い」
「ジョン・スミスって名前に心当たりはないか?」

彼女は眠たげな目でおれを十秒ばかり見つめたあと、答えた。
「『ジョン・スミス』? ああ知ってる。不死身の男、無敵の傭兵」
おれは頷いて、先を促しながら食事を口に運んだ。レイチェルが続ける。
「一頃流行りの冗談だよ。例えばある空賊が、せっかくでかいヤマに当たったのに
つまらない負け方でそいつをフイにしちまうとするだろ?
そうすると、仲間の空賊団に冷やかされた時に言うんだ、『相手方がジョン・スミスさえ雇ってなけりゃ』ってさ」
少し残ったワインの瓶を取り、やはりましなグラスを探して、注いだ。
レイチェルが自分のグラスを差し出したので、それにも注いだ。
「つまり、負け惜しみの冗談――
色んなやつが偽名にジョン・スミスって使うから、そいつら全部の噂がごっちゃになって
いつの間にやら不死身の傭兵って事になっちまったんだ。親父の代にはもうあったと思うよ、その冗談」
「冗談ね」
ワインを飲んだ。申し分のない不味さ。レイチェルも飲んだ。
彼女は息を止めながら、舌に乗せないよう喉に直接流し込んでいた。おれもそれに倣った。
変なところに酒が流れておれが咳き込むと、レイチェルが席を立ち、おれの後ろに回って背中を叩いてくれた。
「落ち着いた?」
「ありがとう」
144犬ども(16) ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:36:35 ID:g0sE4VyX
(5/5)

お互い睡眠不足の朝、静かな酒場で二人だけ起きていると、
根拠のない親近感がおれたちの間に漂いはじめるのを不意に感じた。宴会で寝そびれた最後の二人。

「子分どもが全員潰れてるのに、おれが入ってくる前は寝ないで何をしてたんだ?」
「算段。船を取り返すまで、取り返してから。ずっと居候してる訳にも」
「リラックは金払いがよさそうだったな」
「そうでもないよ。食事と酒代――実質は宿泊費もだけど、とにかくそれ以上は貰ってない。
というより、あたしらが貰わないようにしてるんだ。特務に余計な借りを作りたくない」
「知ってたんだな」
「そりゃ最初は信じらんなかったけど、でも空賊に特務のスパイが居るって、誰でも知ってる。
公然の秘密ってやつ。特務は空中都市やジャンクについて調べてる。それと、見ちゃいけないもの見た人間を消す」
「見ちゃいけないもの?」
「機密さ。とんでもない武器、とんでもない技術」
「ふむ」
「軍の雲上艇だけじゃ、世界中に散らばった空中都市をカバーできない。
だからあたしら空賊は盗掘行為を大目に見られ、その代わり特務のスパイを見て見ぬふりする。
特務がしゃしゃり出てくるような値打ち物は滅多にないから、その他の屑であたしらは充分食っていける。
ところが陸空賊どもが船を買い占めた。このままだと帝国領内の空中都市も航路も、やつらが独占することになる。
困るのはお国。陸空賊は抵抗軍と繋がってるから、古代文明の遺産が国家の敵に流出するに任せることになる。
だから特務のリラックが来た。やつはあんたら警察にも協力する。陸空賊を追い出すのに使えるから」
「特務の人間では手が足りないんだな」
「あんたたちなら、帝都では大手を振って人狩りができるし」

考える。空賊狩りを焚きつけたのは特務か?
ローウェン卿が特務と組み、帝都警察に空賊狩りをやらせる。
警察の人海戦術で狐の群れを巣穴から追い出し、検問で囲われている間に毛並みのいいやつを選んで撃つ。
リビココは立派な狐だが、特務より先に帝警が捕まえた。やつは『マレブランケ』――テロリストで、
色々な秘密を握っているので、おれたちが勝手に尋問することはできないようになっている。
だが、今リビココを預かっているのは五課だ。ブルーブラッドと五課が特務の飼い犬?
ブルーブラッドがどうにも煮え切らない態度で空賊狩り指揮官を務めているのを見ると、
五課が特務から干渉を受けているということは有り得そうだ。

だが、それならいっそ身柄を特務に渡してしまえばいい。わざわざ五課を挟んで尋問する必要はないだろう。
面子の問題を気にしたブルーブラッドが、特務の要求に対して粘っている?
また、ブルーブラッドはおれに、一課と市警の合同捜査を探らせている。
出世レースに勝つ為に、ライバルの揚げ足取りがしたいだけか?
一課にも黒幕が居るらしいが、やはり特務だろうか? 特務が空賊狩りと娼婦殺しを競わせている――何故?
そもそも何故、特務は娼婦殺しを気にするのか――「切り裂き魔は放っておけ」。
娼婦殺しには陸空賊が関わっている。オーラム市警十四分署は陸空賊の助っ人に関わっている。
まだ分からない。まずはジョン・スミスだ。例え噂や冗談の隠れ蓑を被っていても、実在の事件に関係する誰かが必要だ。
そう思うとまたジョン・スミスの名前が呪文のように頭の中を駆け巡って、
全身全霊が刑事の職務に引き戻された気になった。食事をかき込み、レイチェルにさよならを言って店を出た。
145 ◆/gCQkyz7b6 :2009/01/30(金) 20:37:06 ID:g0sE4VyX
投下終わりました
146創る名無しに見る名無し:2009/01/30(金) 23:02:54 ID:T+uYPSs3
>>145

これからどうなるのかに期待
しかし、今更ながらにここの警察は役には立つけど頼りにしたくないなぁ
皆さん黒すぎるぜ
147創る名無しに見る名無し:2009/02/01(日) 19:08:55 ID:2mlCpCic
まとめサイト更新しました。
不備がありましたら、報告をお願いします。

……ちょっと犬どもに目次を付けようとしましたが、出来ませんでした。
まとめサイトの管理者さんがまだ見ていましたら、目次だけで良いので作っておいてくれるとありがたいです。
148 ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 19:56:22 ID:nskaPXSC
>147
いつも作品投下とサイト更新乙です
今長々と書いてる話が終わったら、自分もほのぼの系に挑戦してみたい今日この頃です

投下します
149犬ども(17) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 19:57:25 ID:nskaPXSC
(1/5)

探偵事務所の金庫が保安局に差し押さえられた。
昨日持ち出して、ラボに送ったやつだ。おれはエントゼールトに詰め寄った。
「どういう事だ」
「文句は本人たちに言え。まだ近くに居ると思うよ」
訳が分からなかった。保安局がビル・クリストファーの金庫を横取りする必要が何処にあるのか、分からない。
急に、どっと疲れが出て、研究室の丸椅子に座る。背もたれがないので後ろに転げそうだった。
「保安局」
「令状は読んだろ」
「読んだ」
国家機密に関する重要資料の可能性、と来た。
ブルーブラッドが事務所の立ち入りの口実に使ったのはごくごく下らない軽犯罪で、
そんなものでは金庫を差し押さえる十分な理由にならない事は誰の目にも明らかだった。
それでも、邪魔が入るとすればアルフからだろうから
身内相手なら金庫を破って中身を見るくらいの時間は稼げる、と踏んでの行動だったのだが
まさか保安局がねじ込んでくるとは夢にも思わなかった。
「どんなだった、令状持ってきた保安局の人間は」
「若い男と、白衣着たおっさん」
ピンと来た。
「若い方は背広姿?」
「そうだ。心当たりが?」
「ある」
現場で見た、保安局員と白衣の二人組だ。朝の出来事をエントゼールトに話した。
「昨日の狩猟機騒ぎはお前だったのか」
頷いた。相変わらず自分の服が焦げ臭い。エントゼールトは片手でペンをいじりながら
「おれも今朝見に行ったよ、引き上げ作業」
「気づかなかったな」
「お前が帰った後だったんだな。たぶん、倉庫のやつで間違いないよ。
壁の穴は頭部の掘削機で、鉄格子を抜いたのは首に付いてた副腕でだろう」
あの細い腕は器用仕事の為かと納得がいった。古代人は色々気が回る。
「使おうと思えば墓を掘るのにも使えるな。自分でいじった訳じゃないから、推測ではあるが」
墓荒らしが狩猟機を操っていたのは間違いなさそうだ。調教師はジョン・スミスだろうか。
魔法で狩猟機を手なずける。荒唐無稽だが、狩猟機を飼う事のできるやつが居たのは事実だ。

エントゼールトがふとペンをいじくる手を止めた。足元を見て、何かを思い出そうとしている。
「あの白衣のおっさん――」
「保安局の若造と居たやつか?」
彼は手を叩いた。
「そう。ありゃドクター・ノースだ」
「ドクター・ノース?」
「アカデミーに居た頃、一度だけ講義を受けた事があるがまあ、変な野郎だった。どこがどう変とは言えないが」
「ただの教授先生?」
「いや。何かやばい研究してて学校を追い出されたらしいよ。
おれが受けたのがちょうど最後の講義だったんだ。今は魔女窯通りで工房やってるって聞いたな」
「何て工房だ?」
「忘れた」
研究室のドアが開いて、研究員がエントゼールトに電話を取り次ぎに来た。エントゼールトと一緒に部屋を出た。
彼は研究員と話しはじめたので、おれは帰ろうとした。いきなり呼び止められた。
「おい、お前いい時に来たな。娼婦殺しの三件目だ」
150犬ども(17) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 19:58:06 ID:nskaPXSC
(2/5)

三件目の現場――イーストエンドの住宅地のど真ん中。
エントゼールトと連れだって小さな二階建ての廃屋に入ると
カビと埃臭さを遥かに上回って、濃密な死臭がおれたちの鼻孔を刺激した。
二階の一室に、二人分の死体が仰向けで転がっている。
どちらも服をつけたままの、身なりのいい女だった。
顔は血まみれでよく分からないが、たぶん美人なのだろう。そんな気がした。
「これは娼婦じゃない」
「調べてみなきゃ分からんよ」
狭い部屋の中をうろうろしている一課の捜査員たちを押しのけて、エントゼールトが死体に近寄った。
ひざまずいて、ぱっくり開いた喉の傷口や、切り裂かれた下腹部を調べる。そして、誰を見るともなく言った。
「手口は同じだ。喉を一裂き、それから解剖」
家具の一つもない部屋だった。西向きの窓は暗く、そこから灰色の弱々しい光線が差し込んでいる。
死体の腹には四角形の日光が落ちていて、薄暗い部屋の中で、埃と乾いた血の色だけが輝いて見える。
壁の白い漆喰に血の跡。押しつけられた、真っ赤な手形がある。靴跡は床中にあって、外の廊下まで続いている。
あの『鉄槌』の事件にそっくりだった。一ヶ月前に逆戻りした気分だ。
ドアの横に立って死体を眺めていると、アルフが部屋に入ってきた。おれは彼に声をかけた。
「一週間足らずに四人、トップ・ニュースの仲間入り確実だよ。また仕事が増えたな」
アルフは一瞬おれを睨んだが、すぐに目を逸らし、
二人の死体のそばに行ってエントゼールトと話し始めた。おれは後ろから彼に言った。
「お前の友達の探偵は何処に旅行中だ? 何故保安局がやつの金庫を欲しがる?」
アルフはおれに背中を向けたまま、返事をしなかった。おれは続けた。
「墓荒しは誰だ? 地獄穴で死んだ女は何者だ? どこまで知ってるんだ、お前は?」
アルフを除いた一課の連中全員がおれを見た。アルフはおれを見ないで、答えた。
「出ていけ」
その通りにした。

雨が激しくなってきた。廃屋の軒先で煙草を吹かしていると、突然アルフが中から出てきた。
黙って『キュニコス』の箱を差し出すと、彼は一本取った。マッチを渡してやる。
玄関ポーチの庇から雨漏りがした。おれは少しうつむいて、煙草の火を守った。アルフもそうした。
出し抜けにアルフが言った。
「今夜、時間あるか?」
「少しくらいなら」
「話がある」
魔女窯通りの、ヴィッキイの店をアルフに教えた。何処か遠くで誰かが発砲する音が聞こえてきた。
雨に濡れながら廃屋の門戸を守っていた、合羽姿の巡査たちが騒ぎ出す。
「銃声だ!」
アルフが首を回して、音の方向を探した。二発目が聞こえた。聞き覚えのある音だ。
「うちの警官が撃ってる」
「分かるのか?」
「制式拳銃じゃねえか、A&Jの十号。六連発、ダブルアクションのやつ」
「おれは使ってない」
巡査たちが走っていった。車も出た。おれたちはしばらく待っていたが、三発目は聞こえなかった。
「止んだみたいだな」

アルフとも別れてイーストエンドを歩く。コートに雨が染みる。
帝都生まれのおれは暑気には強くても、今日この頃の寒さは身に堪えた。
今年はひどく寒い年なのだ。このまま行けば、冬には雪というやつが降るかも知れない。
激しい雨音に沈んでいくかのような午前十時を歩いていると、足はいつしか
ダグラス・オウヤン名義の物件の一つに向かっていた。
リストを見たときからとうに気づいてはいても、実際にこの目で確かめると恐ろしい感じがするものだ。
ドロシーのアパート。
151犬ども(17) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 19:59:07 ID:nskaPXSC
(3/5)

雨に霞む家並みは、中に入れば死体の二、三体転がっていてもおかしくないような
おどろおどろしい雰囲気をまとっていた。豪雨のせいで、辺りは夕暮れどきの暗さになっている。
ドロシーのアパートの二階には灯が点っていた。偶然を装っての訪問は、真実に近づく第一歩となるだろうか。
彼女の存在がおれに切り札を与えるか、致命的な一撃を与えるかのどちらかになると、半ば信じていた。
彼女がダグラス・オウヤン名義のアパートに住んでいることは全くの偶然で、
『鉄槌』での目撃談も同じく偶然に過ぎない、とはどうしても思えなかった。
また、事態がこのように展開することを、おれはある段階ですでに予知していたかのようにも思われた。
おれは驚きや意外性をもってではなく、充分に腑に落ちる、当然の帰結として、
ドロシーという新しい星座の部分を認識していた。おれが今置かれている状況はどうしようもなく劇画めいていて、
真実など薬にもしたくないと考えていた、事件の発端としての『鉄槌』が不意に頭をもたげてくるのだった。
あるいはこれは罠で、ノッカーを触るなり背中から撃たれるとか、居間に入るなり音楽が鳴り出して
登場人物一同が踊り狂うといった結末も考えられた。

実際は何事もなくドロシーが現れて、濡れ鼠になったおれを通してくれただけだった。
「コート脱いで」
ドロシーはたっぷり水を吸って重くなったおれのコートを受け取ると、台所に持っていった。
おれは代わりに渡されたタオルで顔や首を拭いたが、全身が水浸しになっていたので
それだけではあまり気分はよくならなかった。
「突然邪魔して悪いね。いきなり降られちまったもんだから、助けを求めてたところで」
「あら、いいのよ」
ドロシーは暖炉に火を入れ、そのそばにおれのコートを置いた。おれも暖炉の脇に座った。
彼女は椅子を後ろ前にして膝で乗ると、塀に乗り出した子犬よろしく
背もたれに顎を乗せておれと向かい合った。細い両腕が背もたれを抱いた。手はやはり大きく見えた。
「服が乾いたら出て行くよ」
暗緑色の瞳が、ぐっしょりと濡れて黒くなったおれの背広を見た。
それから視線が一瞬窓の方にぶれると、
「外はまだ降ってるけど?」
「止むのは夜だよ」

彼女が微笑む。一昨日より血色がよくなっていた。頬のつりも、おれの想像の中の彼女より和らいでいたが
彼女の些細な身振りがかもし出す親近感のせいで、そのように見えただけだろうと推測した。
しかし、こうして実際に相対してみると、彼女とあの陰惨な事件との係わり合いなど想像もつかなかった。
寝室で見つけたあの短刀を、女の喉を裂くのに使ったのだろうか? イメージが浮かばない。

「いいから、急ぎでないなら待っていったら」
奥のガスレンジでヤカンが火にかけられている。節々の目立つドロシーの指が、椅子の背の格子に這う。
雨の日の中途半端な光が、彼女の目に、おれが初めて見るような暗い輝きを与えていた。
ふと初めて会った晩のエリカの目つきを思い出し、不愉快な結論を予感したおれは彼女から慌てて目を逸らした。
「お仕事が忙しいのね? こんな日まで外回りなんて」
「雨天決行だ。よりによってこんな日に死体を見つけなくてもいいとも思うがね」
ここもあの廃屋と同じだ――あの陰鬱な光の粒子が、暖炉の明かりを避けて、部屋の隅々に集まっている。
荒れた部屋、軋む木床、酒瓶からジンを呷る親父のロッキング・チェア――幼年時代の記憶を呼び覚ます。
埃を被った武器の山、ぼろきれ同然になった軍用毛布、血のこびりついた賢狼の毛皮――これは兵隊時代の記憶。
現実の自分がくつろいでいる平和な暖かい台所に、それら雑多なイメージの洪水が覆いかぶさると、
暖炉の火などは見る間に湿気て萎んでいってしまうかのように感じられた。
152犬ども(17) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 20:00:05 ID:nskaPXSC
(4/5)

「今朝は小雨だったのにね」
ドロシーの言葉で我に返る。
「異常気象ってやつかな、今年はばかに雨が多い」
「冬には雪が降るでしょうね」
「雪を見た事あるかい?」
ドロシーの瞳の色が変わる。どういった変化とは言葉で説明できないが、とにかく変化を感じた。
ただ目に入っただけの無意味な文章の切れ端からも
自然とおぼろな風景や色彩が連想されるのと同じように、おれは彼女の瞳の光から
心境の変化、動揺を読み取ることができたのだ。例え独りよがりの妄想に過ぎないとしても、とにかくおれには見えた。
「……いいえ」
「じゃあ、楽しみだな」

会話が途切れた。おれは身を屈めて、乾きはじめたズボンの裾を触った。ドロシーが言った。
「死体って、どんなだった? どんな事件?」
「流行の切り裂き魔だ」
「近所?」
そうだと答えた。
「怖いわね」
「すぐエリカに話して、君が引っ越せるようにするよ。
彼女の家は商店街だ、昼も夜も人が多くて、少し騒がしいが安全だろう」
「いつか事件のあったお店の場所も、賑やかな界隈だったけど」
おれが答えなかったので、また間が空いた。
「ごめんなさい」
「あれはやくざ絡みの事件だよ。
前に言ったように、頭のおかしい犯人には違いないが、このところの事件とは無関係さ」
「ねえ――」
ドロシーが椅子の向きを直した。瞳に暗い光が戻った。分厚い瓶の底のような深緑だ。
「義足を見たい?」
「どうして?」
「見せたいから」
彼女は、何となく見せたい気分なのよ、と付け足した。やや考えたつもりで、結局ろくに考えもせず返事をした。
「見るよ」

ドロシーが椅子を動かして、おれの前に来る。
ちょうど彼女の脚の長さくらいの距離を空けて、おれたちは向かい合った。
彼女が靴を脱ぐ。おれに向かってまっすぐに右足を差し出す。妙な気分だ。彼女の「裸足」がおれの膝に乗る。
全ての動作が実際には一瞬で行われたが、それをひどく緩慢に感じたのは
彼女の演出やおれの心理状態のせいだったのだろう。一体どうしたらいいのか分からず、
自分の膝に乗せられたものをただ眺めていた。少女の足らしく、爪先まで精巧に模られた赤銅色の義足は、
いまや暖炉の熱を受けて脈打つかのように思われた。
知らぬ間に手が彼女の、蝶番のある足首を掴んでいて、ざらついた冷たい金属の感触が手の中にあった。
彼女を見た。硬直した笑顔――喉が鳴る。
初めて会った日着ていたのと同じ青と紫のワンピースの裾が、小さな膝を隠していた。
すねの両側に、形に沿って流れるような細く浅い畝が浮いていた。
手を触れ、指で追うと、それは脚全体を縞模様のように覆っている。
ゆず肌になった、艶の弱いメッキの表皮を擦る。雨音が、次第におれの背後から遠ざかっていく。
ふくらはぎの曲線が、寝室の短刀の、ゆるやかな刃の反りと重なった。
やがて行き当たった膝のソケットは革製で、そこだけが柔らかかった。
ぎょっとして手を離した。ドロシーがけらけらと笑う。
「よくできてるでしょう? 作ってくれた人がね――」
153犬ども(17) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 20:01:20 ID:nskaPXSC
(5/5)

アパートのドアを誰かがノックした。ドロシーがおれの膝から足を下ろし、玄関に駆けていった。
「どなた?」
ドアが少しだけ開く。訪問者がその隙間から何かを突き出し
「帝都警察のシルバ警部補ですけどね、ちょいとお伺いしたい事がありまして」
おれは無意識に、玄関から見えない台所の奥へと退いていた。レンジで湯が沸いていた。火を止めた。
遅ればせの困惑――何故、五課のシルバがここに? ブルーブラッドの指図か?
シルバ警部補が入ってきて、ドロシーと話す。
「お名前は?」
「ドロレス・ジョーン」
「本名は? サントゥーナ?」

シルバがうっと呻くなり、ドロシーが二階へ駆け上がっていく足音が聞こえた。
おれが台所から出ていくと、玄関で股間を押さえてうずくまるシルバと目が合った。
「どうしてあんたがここに居るんだ」
「彼女とは知り合いなんだ。お前の方こそどうなってるんだ?」
「知り合い――」
ドロシーが下りてきた。おれが行くと、彼女は階段の踊り場からシルバを狙って拳銃を構えていた。
銃を握って伸ばした右手に左手を沿えて斜めに立ち、
両足は肩幅くらいに開いてしっかりと射撃のスタンスを取っている。
銃はどうやらおれの知らない型のようだったが、こけおどしの玩具とも思えなかった。
彼女の顔は無表情だった。必要とあらば彼女は躊躇しないだろうと、おれは確信していた。
「止めろ」
「邪魔したらあなたも撃つわよ」
言いながら、銃の狙いはシルバから外れなかった。だがおれが抜けば、彼女はシルバを撃つ。
おれがまごついている内に、うずくまっていたシルバがやおら起き上がって銃を抜いた。
彼女が撃った。立て続けに二度発砲し、どちらもシルバの顔面に命中した。
シルバが仰け反り、そのまま仰向けに倒れた。おれは彼のもとに駆け寄った。
ドロシーがまた撃った。おれが伏せるとドロシーが階段から飛んで、おれたちの脇をすり抜けて外へ出て行った。
シルバが落とした十号拳銃を拾って彼女を追った。ドロシーはもうアパートの庭を抜けていた。
道路に出て、走る彼女の後ろ姿に照準を定めた。
「待て!」
足を狙った二発――外れた。もう三回引き金を引いたが、二発はまた外れ、三発目は出なかった。
自前の銃を抜いたが、抜いてからそれも空だと思い出した。おれはただ追いかけ、そのうちにドロシーを見失った。

アパートに走って戻り、シルバの死体を踏み越え、二階の寝室に上がった。
彼女の本棚を漁る。ベッドを漁る。ランプを調べる。見つかったもの――日記帳、短刀。
日記を開く。この街の本屋や雑貨屋ではよく売っている、紙も装丁も平凡な日記だった。
中身――「純正ラナ暦四百三十五年」「今日、わたしは彼に出会った……」。
短刀を懐に収め、日記を脇に抱き、急いで階段を下りる。
踊り場の、ドロシーが立っていた場所に空の薬莢が三つ落ちていた。あれは自動銃だったのだ。三つとも拾った。
154 ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/10(火) 20:02:01 ID:nskaPXSC
投下終わりました
155創る名無しに見る名無し:2009/02/12(木) 16:00:49 ID:htukeCFg
>>154
投下乙
ジェインは騙されてた感じかな
殺されたシルバには合掌。というか、ドロシーを調べに来た理由と、ドロシーが拳銃を持ってた理由が気になるところ
ついでにジョン・スミスの持ってた日記がここにある理由も気になる
その辺りを含めて続きに期待
156創る名無しに見る名無し:2009/02/13(金) 19:51:12 ID:MYIEZtts
まとめサイト更新しました。
不備がありましたら報告をお願いします。
157 ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:10:36 ID:86CgCHtA
投下します
158犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:11:11 ID:86CgCHtA
(1/7)

「やってくれたな」
ドロシーのアパートに警官たちが上がり込む。シルバの死体はすでに運び出されて、
玄関の床の血の染みだけが目に見える殺人の証拠だった。
ブルーブラッドは怒りで真っ青になって、ドロシーの台所の水場でおれに食いついた。
「おれが殺った訳じゃない」
「報告の義務を怠った。貴様の責任だ!」
お前こそ、空賊狩りに不利になりそうなややこしい証拠は隠しておけと命令したじゃないか、
と言ってやりたかったが、やつの命令に証文があるでもなし、おれの反論はつまらない弁解に終始した。
「彼女は無関係だと判断した。おれは五課じゃないし、大体あんな子供を疑えってのか?」
「『鉄槌』事件の捜査は空賊狩りに含まれているし、その指揮官は私だ。
例の少女は十四歳と言ったな。貧民窟の餓鬼どもは七、八歳から殺しを始める。その倍の歳だ」
「シルバが撃とうとしたんだ」
「先に銃を突きつけたのは、その女の方だろうが!」
「怒鳴るな、制服連中に聞こえる」
ブルーブラッドは懐刀を失って逆上していた。おれはおれで混乱がまだ醒めていなかった。
シルバがドロシーの存在に気づいたのは、おれの情報屋からかも知れないし
ブルーブラッドの指示でおれを尾行していたのかも知れない。
「あんた、おれにも監視をつけてたのか?」
「そうしておけばよかったと後悔してるよ。部下にも少しは汚いものを見せる必要があったな」
「シルバは彼女に用があったらしいが、あんたの指示じゃないんだな?」
「指示はしていない。義足の少女がここに居るとも知らなかった」

ブルーブラッドの顔に色が戻ってきた。落ち着きを取り戻しはじめて、
ようやくシルバの行動の不可解さに目が行くようになったらしい。演技ではないと踏んで、おれは尋ねた。
「シルバに何をやらせてた?」
「リビココの尋問で私の補佐をしていた。やつはほとんど何も吐いていないが」
情報屋でも五課の監視活動でもなければ、リビココの尋問からドロシーを知ったという可能性もある。
つまり、ドロシーが陸空賊と関係していた可能性。証拠はないが、つながりらしきものはある――アパートの名義。
「あんたらは何故リビココを囲うんだ」
「やつは手ごわい。五課の手練がチームを組んで、やつを落とす策を慎重に進めているところに
次々と新しい刑事が加わったのでは逆効果なんだ。シルバは優れた尋問の技術を持っていた」
理由がそれだけとは思えなかったが、やつがシルバを信用しきっていたというのは本当のようだ。
シルバがブルーブラッドの指示なしに独断専行した理由も考えなければならない。
159犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:12:05 ID:86CgCHtA
(2/7)

「あんたが手綱を引いてないとき、やつが何をやってたか調べる必要があるんじゃないか?」
「私の部下だぞ、疑うのか?」
「おれの部下じゃない。それに、やつがドロシ――ドロレス・ジョーンの情報をあんたに挙げずに、
単独で動いてた事は確かだぜ。やつは彼女に妙な事を訊いてた」
「どんな?」
おれが見損ねたキックの瞬間と、直前の会話を思い起こす。
「名前だ。サントゥーナ、とか言ってたな。彼女をそう呼んだ」
「それが女の本名か?」
「知らんがね、彼女はその名前に反応して、シルバのあそこを蹴って銃を取ってきたんだ。彼女の逆鱗なんだ」
「貴様は彼女をどこまで知ってる? 今更隠し立てはできんはずだ」
「ゴールドバーグに住んでいたが、最近両親が事故で死んで、知り合いを頼って越してきた。
仕事はない。遺産を食い潰して生活してる。家は父の友人から借りていると言ってたが、どうやら嘘くさい。
時々遊びに来る友達ってのもおれは見た事がない。家の名義はダグラス・オウヤン。
空賊の助っ人で墓荒しの三人組がリビココの武器庫から狩猟機を移して、隠していた物件と同じ名義だ。
事件があった日、義足を『鉄槌』で修理した。よくできた義足だが、どうして両足を失くしたのかは聞いていない」
「それだけか?」
コートのポケットから薬莢を掴み出し、ブルーブラッドに手渡す。
「これは?」
「階段に落ちてた薬莢だ。おれは彼女が弾を込めなおすところを見ていない。

ドロレス・ジョーンは自動拳銃を使っていたんだ。となると、そこらのちんぴらの得物じゃない」
現在実用化されている自動拳銃は大半が軍用の、それもほんの一部に配備された最新型ばかりだし
市井の発明家や鉄砲鍛冶、開拓者精神溢れる兵器会社が民間に卸すようなものは
精度の低い試作品や格好ばかりの粗悪品だ。弾も高価で、あえて持つメリットは少ない。
だが彼女の銃は命中した。射手の技量以前に、武器として及第点の性能を持つ自動拳銃と考えれば
そこらのませた子供が護身用に帯びるようなものではないとすぐに分かる。
出所――例えば、リビココの武器庫。陸空賊の三人の助っ人を手引きしたレフリゴ・バンデラスは
憲兵隊の武器密売に関わっていた。では、リビココの武器庫に自動拳銃があったとして
どうして彼女がそれを入手できたのか? 彼女が陸空賊の手先か、それ以上に悪い大きな組織と関係していたかだ。

ブルーブラッドは空薬莢を掌に乗せて眺めながら、
「これだけか?」
「これだけ」
睨まれた。しかし、やつの目は虚ろで迫力に欠けていた。
「まだあるな」
「ないよ。ところで訊きたいんだが、五課と特務とはどういう関係だ?」
ブルーブラッドの目が泳いだ。何の事だと言い返す声も弱かった。
「顔に出てるぜ」
おれはブルーブラッドの胸を拳で軽く突いた。
「ダグラス・オウヤンの物件の残りは調べてるな?」
「当然だ。逃げた女はすでに手配が回っている」
「それはそうと今朝、イーストエンドの周辺で警官が発砲しなかったか?
シルバの銃は二発撃った後だった。やつの仕事かも知れない、調べといてくれ」
「これまでにお前が得たドロレス・ジョーンの情報を全て、文書にまとめて今日中に提出しろ」
手を振ってブルーブラッドと別れた。
雨は降り続きだった。空いているパトロール・カーもなく、馬車を拾おうと大通りまで歩いていった。
160犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:13:37 ID:86CgCHtA
(3/7)

本部、刑事部屋、シド――誰も彼も疲れている。シドはおれに書類の束を渡した。
「マルエッソ市警のアンウィン刑事から贈り物」
マーカス・ヴィトルヴィアンとレフリゴ・バンデラス、マルエッソのギャングどもが
武器密売の取り引き相手にしていた空賊団のリストだ。
読んだ。リラックの部屋で見て記憶に残っている、『マレブランケ』配下の空賊団の名前がいくつもあった。
「見覚えのある名前が多いな」
シドがにやりと笑った。ちんぴら狩りに倦んできたようで、陰謀めいた話が楽しいのだ。
特務との遭遇によるショックが薄れてきて、彼本来の好奇心が戻ってきた。
一方おれもドロシーの銃撃のショックが和らいで、今度は嵐を待つような期待感が募っていた。

おれはブルーブラッドを出し抜いたのだ。
やつがだらしなかったとも言えるが、おれはやつの知らない事、知らない物を知っている。
その事がやつにもはっきりして、やつは動揺している。おれも笑顔を作った。今朝に比べて頬の重さが減じていた。
「それから、お前が言ってた一四七年の列車強盗の記録を調べてこれも大当たり。
リビココの武器庫の中身全てではないが、その大部分が強盗事件で軍の貨物車から盗まれたものだった。
おれは昨日マルエッソ市警に連絡して、強盗事件の当時の捜査班と、組織犯罪課の空賊担当の協力を取りつけた」
「チャックは喜んだだろう」
「偉いさんたちは煙たがってるよ」
それは納得できた。事なかれ主義のマルエッソ市警としては、危険な背景の見えはじめていた事件が
関係者の死によって幕切られた事は、ある意味で望み通りだったのだろう。
アンウィンの推理のように軍が絡んでいれば、ギャング抗争の激化でただでさえごたついている地元に
おれたち余所者が新しい火種を放り込んだも同然だ。圧力があるだろうかと、シドも思案顔になっている。

「マルエッソの心配はマルエッソ市警に任せよう。まずはオーラムからだ。
レフリゴ・バンデラスは武器密売をやっていて、『マレブランケ』も一枚かんでいた。
『マレブランケ』は盗品を自分たちのところで買い取り、あるいは輸送を請け負って帝都に持ち込んだ」
シドが頷いて、おれの後に続ける。
「軍か、特務の殺し屋がバンデラスを消し、今は『マレブランケ』を追っている。
密売絡みで連中に後ろ暗いところがあるからだ。口封じのため――」
「テロ屋狩りという名目も立つ。ここからはおれの説だが、今回の帝警の空賊狩りは
特務がおれたちを猟犬代わりに使って、連中の隠れ蓑の陸空賊稼業を蹴散らすためだった。
おれたちは人海戦術ができるし、地回りのやくざにコネがある。余所者を選別するのに便利だ」
161犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:14:58 ID:86CgCHtA
(4/7)

シドが唇の前に指を立てた。気づかない内に、自分の喋る声が大きくなっていたようだ。

「ローエン卿が特務に雇われてたって事だね。で、特務自身でやる仕事もある。
おれたちに追い立てられた獲物の中から、『マレブランケ』を見つけてかっさらう仕事だ。
これはリラックの役目だろうな。しかし理屈は通るようだが、どうも妙じゃないか?
切り裂き魔はどうなんだ? あれは特務とどう関わるんだ? スパイをやってた娼婦が一人殺されたが」
「死んだ他の女も、特務の使い走りをやってたのかもな」
「娼婦殺しに近づくな、ってのは、その犯人が武器密売の関係者で、
おれたちに取られるとまずいってのか? でもな、リビココにしても切り裂き魔にしても
おれたちが逮捕したのを横取りする方法はある訳だし……」
「絶対にリークされたくない重要機密か、特務にとって都合の悪い情報」
「どっちも同じじゃないの。あとは、『鉄槌』事件の犯人が実は特務とか。オハラも密売人で、口封じに――」
「あんな目立つ暗殺があるかよ」
「異常者の無差別殺人って事にすれば」
「だが、おれたちが事件を空賊狩りに結びつけるのに横槍は入らなかった。
無差別殺人に見せかけるなら一課の仕事だ。特務としては、事件を陸空賊から遠ざけた方がいいだろう」
「しかし事件は陸空賊と結びつけられた」

シドが唸る。何にせよ推測だけでは限界がある。おれは考えを打ち切った。
「これ以上の推理ごっこはやっても無駄だ。モノを探すか、知ってる人間に当たらなけりゃな」
おれが席を立とうとすると、シドがおれの耳もとに寄ってきて、小声で
「そういえば、昨日撃ち合いしたんだろ? どうだったよ」
今日もだ、と思わず言いかけた。おれは小声で返した。
「ジェリコに連絡して、オーラム市警十四分署のブットゲライト署長を誘拐するよう依頼してくれ。
期限は今日明日中だ。市警の警護があるかも分からんから、その辺りは上手くやるよう伝えておけ。
代わりにやつの言い値で払う。この件はブルーブラッドのおごりだ、頼んだぜ。あと、車貸してくれ」
「へい、了解で」
「後でヴィッキイの店で会おう」

ラボに寄って、エントゼールトの研究室を訪ねたが留守だった。
書き置きとドロシーの短刀を残して帰った。おれはブルーブラッドからドロシーを隠しておきたかった。
日記と短刀はおれだけのネタで、ブルーブラッド――特務には秘密にしておく。
理由は自分でも判然としなかったが、これらを明け渡すのは友人を売るようで気分が悪かった。
昼から一向勢いの衰える気配がないどしゃ降りの中、シドのスケルトンで『ど腐れ犬ども』まで走った。
まだアルフはおらず、店の隅を借りて報告書を書き、余った時間でドロシーの日記を読んだ。

日記は見かけこそ平凡だったが、中身は持ち主以上に不可解な代物だった。
まず年月日の表記が純正ラナ暦で、これは古代史に登場する暦、
あの空中都市にまだ人間が住んでいた時代のものだ。
それもただ表記だけ旧暦を真似たのではなく、本当に共和国暦以前の年代になっていた。
日付は約三年に渡っているが飛び飛びで、文章は現代のサマン語で書かれている。
内容は退屈な日常雑記だが、書き手を含めて三人の登場人物の内一人が時折『竜』と呼ばれている。
彼の翼や尻尾に言及した文章があり、どうやらあだ名や比喩ではなく本物の竜として扱われているらしい。
名前が出てくるのはその竜だけで、他の二人は「私」と「彼」と呼ばれて恋人同士のようだ。
162犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:15:52 ID:86CgCHtA
(5/7)

夕方になってアルフが来た。眼鏡についた水滴を背広の袖で拭きながら、おれの隣に座った。
彼は無精髭で顔の下半分が青かった。やつれてはいるが、目には三日前より生気があった。
「こりゃけったいな店だな。待ったか?」
「それほどでも。話ってのは何だ?」
ヴィッキイがアルフに気づいて、蒸留酒のグラスをカウンターを滑らせてアルフに寄こす。
眼鏡をかけ直してアルフが叫ぶ。
「つまみはなしかよ?」
皿が回ってきた。カシューナッツ、素晴らしい。人間の食い物だ。
まだ宵の口で客は少ない。会話の代わりに、幌を叩く雨の音で賑やかだった。
「お宅のボスがおれに尾行をつけただろう」
「やはり気づいたか。誰が尾行してる?」
「名前も分からん刑事だ。たぶん五課の人間だとは思うが」
おれはアルフの頭を見越して店の入り口をうかがった。
豪雨で少し人間が減った事を除けば、何の変哲もない普段の魔女窯通りだ。こちらをうかがう怪しい人影などはない。
「今夜は?」
「ないようだ。今日五課の刑事が一人死んだそうだが、それと関係あるのかな?」
「たぶんね」
注意する間もなくアルフが蒸留酒を呷った。彼はむせながらおれに言った。
「おれたちの飼い主は保安局だ」
「くそ」
おれはナッツを頬張った。アルフは半分以上残っているグラスを手元からそっと除けた。
「お前のところは?」
「まだ確証はないが、おそらく特務」

ヴィッキイがグラスを磨きながらおれたちの前に来た。
「何だお前さんら、お国を救う仕事の話なら余所でやってくれよ」
「聞きたくなけりゃ、酒だけ置いて奥に引っ込んでな」
ヴィッキイは兜の下でふんと笑うと、去っていった。
おれは身を乗り出してカウンターの内側に手を伸ばし、テキーラの木箱を漁った。
「で、どうして保安局が?」
「切り裂き魔の身柄を欲しがってる。が、どうやら表立って動けない事情があるようだ。
おれたち一課と市警のチームは連中の隠れ蓑になってる。そこまでしか分からん」
瓶を二本取って、一本をアルフにやった。グラスがないので瓶のままらっぱ飲みする。
疲労のせいか、前回以上にテキーラがきつく感じた。アルフが来るまで寝ておけばよかったと後悔した。
「じゃあ、お前と探偵は何をやってる?」
「切り裂き魔の正体らしい男の、詳しい情報を独自に得た。それを調べてる」
アルフはカウンターに肘をつき、汚れた瓶を眼鏡みたいにコートの裾で拭いていた。
視線は瓶のラベルを読んでいるようで、その実何も見ていない。おれはまたナッツをつまんだ。
「保安局としては困るんじゃないのか? 情報の出どころは?」
「保安局は頃合いを見ておれを捜査本部から外すよ。今も実質外されてるようなもんだ。
当然監視はあるが気にしちゃいない。帝警を巻き込む必要があるだけあって、人手不足なんだな、ザルだよ」
そう言ってアルフは笑った。相変わらず彼は目がいいのだろう。
視力の事でなく目端が利くという事だ。また、彼は昔から射撃が下手だが、一方弾を避けるのは得意だった。
所謂刑事の勘というやつを、おれは四課時代にアルフから学んだ。向き合うたび微かにコンプレックスを感じる。
「探偵の金庫を保安局に取られちまったぞ、やつは何処に出かけてる?」
「ビルはパルヴァティアだ。あの国は切り裂き魔の来歴に関係があるんだ。
金庫を取られたのはまあ、やつが帰ってきたら謝っておくさ。中身を入れとくほど馬鹿じゃないとは思うがね」
163犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:16:54 ID:86CgCHtA
(6/7)

「切り裂き魔の正体、教えてくれるのか?」
アルフが瓶を置いた。一呼吸入れてから、
「名前はワーニャ。ゴリニシチェ公国出身の革命家くずれで、故郷じゃ国外追放の身分だ。
若い頃は優秀な科学者の卵で、帝都のアカデミーに留学していた。この情報はアカデミーに残ってる。
こっちに居る間に国外追放になり、ゴリニシチェの秘密警察の追っ手を逃れて一三○年ごろ東南方に移った。
そこで技術者としてあちこちの無政府主義組織や革命運動に協力していたが、つい数年前から
帝国抵抗軍のある事業計画に参加して、この国に戻ってきたそうだ。現在オーラムに潜伏中の疑いあり。
名前と、元ゴリニシチェ赤軍の共産主義者って事以外は保安局は教えちゃくれなかったが、ま、その他はちょいとな」
「どうしてそいつが切り裂き魔をやるんだ?」
アルフは片手をぶらぶらさせた。相変わらず目はカウンターの向こうに行って、虚空を見つめている。
「分からんが、とにかくこのワーニャが切り裂き魔だと保安局は踏んでるんだ。おれの情報源もそう考えている」
「情報源って誰だ?」
「蒸気工房『サンジェルマン』を訪ねろ、おれの紹介で来たと言え」
「探偵のメモにあった『狼の宝珠』って何だ? パルヴァティアには何がある?
ジョン・スミスってのは何者だ? 『鉄槌』事件もそのワーニャとかいう男の仕業なのか? 墓荒しは?」
「それも『サンジェルマン』に行けば教えてもらえる」

それだけ答えると、彼は思い出したようにテキーラのコルクを抜き、瓶の口から匂いを嗅いだ。
おれは彼から瓶をひったくろうとしたが、彼がひょいと手を振るだけでかわされてしまった。
「どうしておれに教える、おれは敵じゃないのか?」
「そりゃうちのボスとあんたのボスがだろう……おれたちは関係ないよ。
課長だって、本当は一刑事の方が向いてるんだ。確かに優秀な人だがあれはリーダーとは違う才能だ。
師匠が悪かったんだ、担ぎ出されて舞い上がってるだけさ。
普通なら、手柄はやるから保安局の使い走りをやれ、なんてなめた話、聞くはずじゃなかったのに」
「お前はどうなんだ。出世に興味はございません、ってか」

黙って瓶を振るだけなので、今度はワン・ツーで奪い取りにかかった。
すんでのところで万歳をされ、あっさり避けられた。アルフは瓶を持つ手を高々と上げたまま、
両腕を繰り出して空気を掴んだだけのおれを笑った。左で彼の鼻先にラビット・パンチを出すが、これも避けられた。
「待てよ、ジェイン。おれは格好つける訳じゃないが実際そうなんだよ、絶対向いてない。
向いてない仕事でヘマするよりはこうやってちまちまやってる方が安全だし、性に合ってるんだ」
「だが保安局は出し抜きたいんだな」
「勝手をするなと言われると勝手にしたくなる性質なんだ。
おれの相棒のビルは私怨で協力してくれてる。保安局に借りがあるんだとか」
「名探偵登場かい。で、結局どうしてそんな話をおれに聞かせるんだ?」
164犬ども(18) ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:17:33 ID:86CgCHtA
(7/7)

アルフの顔つきが俄かに真剣になり、おれは驚いて軽く身を引いた。彼は言った。
「お前は昨日の晩と今日の昼間、二回撃ち合いになってる。
便利屋仕事となると、色々まずいもの見てるだろう? だから逃げられない。
それにお前は信条ってものがない。必要最低限のプライドと、金と、保身が全てだ。
しかし一方で厄介ごとを呼び込む才能があって、なおかつそれに耐えられるだけの根性がある。
お前は台風の目になる。お前が動けばみんながびびるし、それだけ隙が増えるからおれたちが動きやすくなる」
返答に窮した。彼が言うほど、自分は抜き差しならない状況にあるものか、分かりかねていた。
「言いたい放題だな。おれはもう何もかも止めにするかも知れない」
「お前は逃げられないよ。保安局はとっくにお前をマークしてるし、どうやら特務も同じだろうな。
身内にゃブルーブラッド課長が居て、市警と悶着も起こした。関係者全員を怒らせる可能性がある」
「そんときゃテロ屋に転職するよ」
「お前は誰の味方にもなれない、金を貰って働くだけだ。
おまけに、事態は金で解決できる段階をとうに越しているようだ。
お前にできるのは、全員やっつけて金をぶんどる事だ。自分で自分の雇用主になる事だ」
瓶のコルクを戻しながら、アルフは席を立った。おれを見下ろして、言った。
「お前はもうワーニャという名前を知っている。おれに会ったのが命取りだったな」
「それなら、おれはサントゥーナという名前をお前に教える。女の子供の名前だ、心当たりはあるか?」
「探してみよう」
アルフはきびすを返して、店の出入り口に歩いていった。去り際に、彼が小さな声で呟くのが聞こえた。
「しかし特務か、面白くなってきた」
165 ◆/gCQkyz7b6 :2009/02/16(月) 22:18:15 ID:86CgCHtA
投下終わりました
166創る名無しに見る名無し:2009/02/20(金) 23:42:24 ID:4SY6qKya
まとめサイト更新しました。
不備がありましたら、報告をお願いします。

>>165
投下乙
次で色々な種明かしですか、期待してます。
167 ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:48:54 ID:GGKGvDst
投下します
168犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:49:34 ID:GGKGvDst
(1/6)

アルフと入れ替わりに、シドがレイチェルの肩を抱いて現れた。
「ハイ、来たよ」
レイチェルがおれに手を振った。二人の後ろから、ぞろぞろと空賊たちがついて来た。
二日酔いと寒さとで連中の顔色は悪かったが、表情は陽気で、今夜も潰れる腹と見えた。
レイチェルがヴィッキイと話しはじめたので、シドは彼女から離れておれの左隣、アルフの座っていた席についた。
「ジェリコは何と?」
「彼は引き受けた、今夜さっそく仕掛けるとよ。値段を言うぜ」
耳打ちされた値段に二人で顔を見合わせる。相場の倍はふっかけられた。
シドがテキーラの瓶を取り、おれも瓶を差し出して乾杯した。
「お勘定するのがブルーブラッドだと思うと愉快だな」
レイチェルがおれたちの側に来た。彼女の仲間たちは、店の少ない席を埋めてもう飲みはじめている。
「今夜はあの店じゃないんだな。ヴィッキイは絶対負けちゃくれないが、いいのか」
「余計な借り作りたくないって言ったろ? 飲み代だってたまにゃ自分の懐から出さなきゃ」
彼女はシドの左に座り、
「用事もあんだよ、飛びっきりの情報だ。
帝警の手入れを生き残った陸空賊たちが明日の夜、帝都から高飛びする。船が出るんだ」
シドが重々しく頷く。
「ダウンタウンは清潔になったが、まだしぶとく貧民窟に潜ってるやつらが居る。
何とあの『ハルム』の自動鎧が魔女窯通りに売りに出されてね、売り手を探したら
そいつが地獄穴の大地主の子分だって分かったのさ。ついさっきの事だ。
で、その貧民窟の王様に取り入った陸空賊の連中が帝都脱出を画策してるらしく、
市内に残ってる仲間に声をかけてるんだ。集合場所はイーストエンドの倉庫街」
「港じゃないのか」
「リバー・ボートならそこらの岸壁にもつけられるよ」
「だが、大した人数じゃないな」
「貨物船を使うのかも」
「ずいぶんとあやふやな話だ。自動鎧を売ったやつの尋問からか?」
シドがまた頷く。
「まあね。それと後は、レイチェルの調べだ」
「連中大急ぎで仲間をかき集めてるんだよ。あたしらにまで声がかかったくらいさ」
レイチェルがシドのテキーラを自分の側に寄せて、瓶の口を嗅いだ。
「人数が必要な仕事なのか、そんな宣伝してまで?」
「帝都で処分しきれなかった在庫を運ぶのに人手が要るんだとよ」
「自動鎧を売ったやつを見せてくれ」
シドに言った。彼は立ち上がると、レイチェルの肩に手を置いて、
「悪いなレイチェル、そっちで分かった事があったらまた伝えてくれや」
テキーラ片手のレイチェルがウィンクで応える。おれたちは店を出て、スケルトンまで走った。
雨を払いながら慌しく乗り込むと、シドの運転で人通りの少ない魔女窯通りをゆっくりと流した。
「そいつ、地獄草の中毒者じゃないだろうな」
「少なくとも今は素面だ」
169犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:50:07 ID:GGKGvDst
(2/6)

服を乾かす間もなく尋問室へ――五課の刑事たちが奥に固まって何か相談している。
一番奥はいつもリビココを入れている部屋だ。ブルーブラッドの顔も見えたが、やつはおれたちに気づかなかった。
おれたちは廊下の途中のドアを開け、尋問室の椅子にだらっと腰かけた乞食と対面する。
乞食は顔面が髭と垢で真っ黒になった若い男で、煤けた外套を羽織っており、
前髪と眉毛に半ば埋もれた、鉛色の、光のない二つの目が狭い尋問室の中のおれたちの動きを追った。
机の上には、持ち物らしい磨り減った骨のサイコロ二個と木のカップが置かれていた。おれは呼びかけてみた。
「よう、元気か」
「ん、元気だあ」
乞食はしゃがれた声で答えた。おれが座って、シドが乞食の横に立つ。
シドは乞食の肩に手を乗せ、親しげな口調で話しかけた。
「こいつはジェイン、おれの相棒なんだ。さっきの話をもう一度、こいつにしてやってくれないか」
「大将がこれ売って金作ってこい言って、一昨日くれえに魔女窯ん店で売ったんよ」
言いながら、乞食の両手は忙しなく動いた。手を前に出し、指を立てたり引っ込めたり、
何かサインのつもりらしいがおれには全く分からない。
「『これ』ってのは、自動鎧の事だな」
「んでおれ大将これどこで拾ったのよてえ聞いたらさ、空賊さんがくれたあ言うて
その空賊さんが代わりに船買いたい言うから大将売ったんよ」
鎧を売った空賊とは、おれたちが一ヶ月前、ノミ屋を叩いた時に逃げたあの男かも知れない。
シドに目を向けると、やつも勘づいているようでおれに目配せを返した。
「で、お前の大将は船まで持ってるのか、羽振りがいいな」
「偉いさんのお客がいっぺえ居んのよ、あん人にゃあ」
「どんな船を売った? それは何処にあるんだ?」
「知らん」
「大将さんに会わせてくれないか?」
「いんや駄目だ、あん人出かけてる」

その後も幾つか質問をしたが、要領を得ない答えばかりだった。
地獄草の常用者は痛覚が鈍になる。棍棒でどやしてもたぶん無駄だと考え、おれたちは質問を諦めた。
尋問室から出てシドと話す。廊下の奥を見ると、五課は全員リビココの尋問室に篭ったようだ。
「地獄穴の大将が手引きか。連中、上手くやったな」
シドが深呼吸する。今晩は湿気が乞食の体臭を強めていて、尋問室は少しきつい匂いがした。
おれは平気だったが、シドはずっと唇の端だけで息をしていて、顔が赤かった。
彼は乞食の肩に置いていた手を廊下の壁に擦りつけながら、言った。
「貧民窟は潜入捜査ができない。まさか陸空賊が、あそこの住人とよろしくやれるとはね」
「あの男は伝書バトだ。おれたちが目をつけるように、わざと自動鎧を売りに出したんだ」
「地獄穴を直接叩くか?」
「それは危険だ。市警とトラブルになったばかりだし、今おれたちが踏み込むとやばい」
そう答えた。昨晩の銃撃戦は表向き平穏な決着を迎えたが、
帝警とイーストエンド一帯の市警分署とは確実に遺恨が生じている。
娼婦殺しの捜査で一課も出張っているから、どちらかと現場でややこしい事態になるのは目に見えている。
おれ自身が出向かず誰か他人に任せたとしても、立場上おれは空賊狩り軍団代表の一人になっているから、
昨日と今日の二つの事件はおれ個人でなく、空賊狩り軍団全体が関係していると見なされているだろう。
隠密裏に動く手もないではないが、貧民窟には手がかりがない、つまり案内役が居ない。
貧民窟内奥部の治安の悪さを考慮すればどうしても一定人数が必要で、それでは目立ってしまう。
170犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:51:04 ID:GGKGvDst
(3/6)

「『マレブランケ』が、その船で逃げるつもりだと思うか」
半信半疑な様子でシドがおれに訊いた。
「わざわざ知らせてくるからには陽動だろう。だが陽動にしちゃあからさますぎる」
「地獄穴の大将が陸空賊を、おれたちに売ったって事かな」
おれは考えた。地獄穴の大地主というのが、一体どれだけの権威を持つ名前なのかを知らない。
「やつが言ってた、偉いさんの客ってのはどういう意味だ?」
シドがにやりと笑って、
「貴族や金持ちの火遊びだ。山の手よりもああいうところで楽しむやつが居るんだ」
「そして、そいつらとのつながりを喧伝する――脅しだ。地獄穴には手を出すな」
「だが陸空賊は明日船出するぞ、と教える。面倒くさい、逃がしちまうか? 聞かなかった事にして」
「陸空賊の宣伝はどの程度なんだ?」
「情報はレイチェルからだったが、捜査員が裏を取ってるところだ」
「もし街で派手に宣伝されていて、それでおれたちが食いつかなかったら
本当に逃げられた時に名目が立たんぞ。地獄穴からのタレこみもそうだ。
これがきっかけで、貧民窟が放置されてる現状を『シルフ』辺りが騒ぎ立ててみろよ」
「陽動かも知れないと分かっていながら、おれたちは動かざるを得ない」
話しながら外に出ると、ジェリコの使い走りのちんぴらがおれたちを待っていた。
ちんぴらは獲物――市警十四分署のブットゲライト署長の居場所を託っていた。おれはシドに言った。
「ブルーブラッドに話を挙げて、捜査と戦闘準備を頼む。おれは今から十四分署を締め上げてくる」
「義足の子供の件は気にするなよ」
「してねえよ」

準備してあった金を持ち、シドの車でまたもイーストエンドへ――ここ数日通いづめだ。
教えられた倉庫に着くと、ジェリコが出迎えた。
「えらく早いな。首尾は?」
「上々」
ジェリコは倉庫の中へ顎をしゃくった。最初は分からなかったが、
彼が灯りを向けると、暗がりに制服姿の男がふんじばられているのが見えた。
「中に居るよ。彼はおおむね健康だ、尋問に支障はない」
171犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:52:11 ID:GGKGvDst
(4/6)

「そんなにかからないと思うんだが、見張っててもらえるか?」
「もちろん。どうぞ楽しんで」

灯りを渡された。おれが倉庫に入っていくと、後ろでジェリコが扉を閉めた。
床に転がってもがいている男に近づいて、ランタンの光で顔を確認する。
髪の薄い、げっそりと痩せて気味の悪い男だった。くつわを噛まされたまま奇妙な声で唸っていた。
男の制服を漁り、手帳とバッジを取って、見た。こいつが十四分署の署長で間違いない。
壁際まで引きずっていって、それから猿ぐつわを外した。
「お互い誰だか知ってるだろうだから、自己紹介は省く」
手足を縛られたまま壁にもたれた署長は、おれをじっと見つめて動かなかった。
「昨日は世話になったな」
署長の眉が一瞬動いた。
例え一目で気づかなかったとしても、おれが誰だか、これでもう見当はついているはずだ。
「お前の兵隊は全員死んだらしいな。連中にとって命を賭けるほど、大事なお宝だったのかい?」
答えない。
「三人組にいくら貰った?」
反応なし。皿のような目でおれの胸元を見ているだけだ。頬を張って、
「あんたの愛人、あの人形屋の女から紹介されたんだろうが、いくら貰って死体を売った?」
答えないので、裏拳で殴った。鼻血がたれたが、まだ平気なようだ。
しかし、目にうっすらと怯えの色が浮かんでいた。視線がふらつき始めていた。
もう一度殴ると、顔が引きつりだした。あまり辛抱強いほうではなさそうだ。
「言えよ」
おれは署長の背中に手を回して、後ろで組んでいたやつの両手をこじ開けた。
手探りでどちらかの人差し指を一本引っつかみ、手の甲の側へゆっくりと曲げた。やつはびくりと震えた。
「言うんだ」
指を折った。小さな音と、嫌な感触がした。署長は息と一緒に泡を吐き、広い額には青筋が立った。
次に中指を折ると、いよいよ声を上げた。おれは今度は親指を掴んだ。署長がわめく。
「言えば殺される」
「言わなきゃここで死ぬぜ。どっちか選べ、それくらいしか今のお前にできる事はない」

五連発のほうの拳銃を抜いて、眼の前で弾を一発詰めてみせる。
おれは銃を見ないで回転式弾倉を何度か回し、署長に突きつけた――ゴリニシチェ発祥のルーレット遊び。
「賭けるか? 確率は五分の一だ」
本当は、銃を構えたおれのほうからは弾倉のどこに弾が詰まっているかが見えている。賭けにはならない。
それでも、立て続けに二度引き金を引いてやると署長は観念して、
「言うよ」
「よし、言え。どういう取り引きだったんだ?」
172犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:53:20 ID:GGKGvDst
(5/6)

署長は話した。アダムス夫人に紹介された三人組は、
イーストエンド一帯の墓地の死体を安全に盗掘したいと、彼に取引を持ちかけた。
署長は商談に応じ、大金を貰う代わりに新しい埋葬の情報を三人に教え、また、
墓荒らし事件を自ら担当し形だけの捜査を行うと約束した。自警団を襲撃したのも彼の部下の警官だ。
彼は墓荒らしの人員まで斡旋しようとしたが、三人は自前の道具があるので大丈夫だと答えたそうだ。
おれはヴィッキイの店から持ち出したテキーラを彼に飲ませながら、質問を続けた。

「三人組の格好は覚えているのか? 何て名乗ってた?」
「話したのは黒ずくめの男だけだ。マントと帽子――大男だった。
顔は帽子で隠していて分からなかった。そいつはジョンと名乗った」
「ジョン・スミス?」
「そうだ」
署長は何度も頷いた。青かった顔は、今は酒で赤みを帯びていた。
「後の二人は? 覚えているか?」
「髪の黒くて長い、それと山羊髭で、色の白い男が居た」
「目の色は?」
「覚えてない――青か、緑だったような気がする」
「名前は?」
「そいつは一言も喋らなかったが、ジョンは『ダグ』と呼んでた」
「もう一人」
「たぶん女、真っ赤なチャドルを着た女」
「名前は?」
「分からない。その女も喋らなかった」
「ジョンの喋り方に特徴は? 訛りとか」
「ああ、あった! ジョンにはすごく変な訛りがあった」
「真似できるか?」
「無理だ」
「冗談だ。どこの訛りか分かるか?」
「ミカール島訛り、だと思う」
「そいつは魔法使いなのか?」
「そう名乗ってた。冗談だと思ってた」
「切り裂き事件はやつの仕業だと思うか?」
「かも知れない。得体の知れないやつだった。取り引きの事が誰かにばれたら、おれたち全員を殺すと言った」
「何故あの娼館でおれたちをローストしようと思いついたんだ?」
署長は少し固まったが、おれが瓶で脇腹を小突くとまた喋りだした。
「病院前派出所の職員を買収してたんだ。あんたらが嗅ぎ回ってるし、変な事件はあるしで
やばいと思ってた。部下に警告をさせて、それでも続けるから――」
「あの建物の事は知ってたのか?」
「おれたちの地元だ。あそこは貧民窟でも比較的ましなところで、おれたちも出入りできたんだ」
「三人組に不動産を紹介したりは?」
「してない。おれは紹介しようと言ったんだが、やつらが断った」
173犬ども(19) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:54:06 ID:GGKGvDst
(6/6)

「貰った金は全部使ったのか?」
目が泳いだ。俄かに欲が湧いてきた。
何も私腹を肥やそうというだけではない、これからの捜査の費用として使うのだ、と自分に言い訳する。
「まだあるんだろう? 教えろよ。隠し場所は?」
答えないので、脇に置いてあった拳銃を取ると、署長はまたぺらぺらと喋った。でたらめではなさそうだった。
部下が全滅した今、署長にそれらを回収する手段もなく、
隠していてもいずれ五課か市警が見つけて、横取りされるだろうし
それに、署長自身にしても必要最低限の金は手元には置いてあるはずだ――逃亡資金くらいは。
取られるなら誰に取られても同じだと、イーストエンド中の隠し場所をおれに教えた。最後に訊いた。
「地獄穴の大地主ってのと仲はいいのか?」
「話には聞いてるが、会った事はない。オーラムの貧民窟の総元締みたいなやつだって」
縄を解いた。署長は立ち上がり、おれが指を折った手を擦っていた。倉庫の入り口まで連れて行く。
「よし、家に帰れ。そしてすぐに荷物をまとめて、この街から出て行くがいい。
おれは優しいからこれぐらいで勘弁してやるが、ジョンやお前さんの職場はそんなに優しくないと思うぜ」

扉を開けて、ジェリコに署長を引き渡した。
「署長殿をお送りしてやってくれ」
「いいよ」
署長はジェリコの車に放り込まれた。運転席には、おれの知らない新顔のちんぴらが座っていた。
おれは一服しながら、ジェリコがおれの持ってきた金を勘定するのを見ていた。
「しかし、早かったな」
「市警の警護はあったが、アレックスが普段から鼻薬嗅がせてるやつらだったからな。
そういったコネ代も経費に入れてるが、今回はボスの払いとシドに聞いた。いくらお前に戻せばいい?」
「取っとけ。代わりに、新しい仕事を頼んでいいか?
おれたちのボスを尾行して欲しいんだ。帝都警察本部、内務調査五課課長のブルーブラッド警視」
「それもボスの払いか?」
「自腹だ」
「少し負けといてやるよ」
174 ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/03(火) 11:54:48 ID:GGKGvDst
投下終わりました
175創る名無しに見る名無し:2009/03/04(水) 01:26:17 ID:T/AMCtha
>>174
投下乙
5/6の尋問のところだけ台詞が少々多すぎる希ガス
他のところのように間に仕草とかを挟んだほうが良かったのでは?
176創る名無しに見る名無し:2009/03/10(火) 13:16:16 ID:ftgPm/P4
まとめサイト更新しました。
不備がありましたら、報告をお願いします。
177 ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:13:17 ID:/bz5E9bj
投下します
178犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:13:57 ID:/bz5E9bj
(1/7)

署長の尋問から帰ると、明日の出入りに備えて仮眠を取った。
一晩中悪夢にうなされ、朝方目が覚めると人差し指が痺れていた。夢の中で何度も引き金を引いたせいだ。
仮眠室を出て、刑事部屋でおれの代わりに徹夜していたシドと会った。
今朝は、昨日の大雨が嘘のような快晴だった。
徹夜組の刑事たちは直射日光に耐えられず、捜査本部の窓には全て日除けが下ろされた。
「裏は取れた。今朝早くから、陸空賊の連絡員らしいのが何人も、街をうろついてるのが目撃されてる。
残党どものせこいアジトが幾つもあって大忙しみたいだ、交番の前でも平気で歩きやがる」
シドは灰皿に積もった吸殻の中から、比較的長めの一本を取って火をつけようとしたが、
おれが自分の『キュニコス』を差し出すとそっちを取った。
刑事部屋の他の机と同様、シドの机はインクと灰とコーヒーで汚れていた。
「手持ちが切れてんだ」
「何人かしょっ引いたのか?」
「それが駄目なんだ。必ず三人連れ以上で、あからさまに武器を帯びた感じでいるらしいから、
拳銃を持ってないパトロール巡査には危険で近づけないよ。
刑事でも駄目だ。撃ち合いになれば殺しちまうし、そしたら今しょっ引く意味がない。
尾行はつけてるが、連中尾行されるのを見越してやたら走りやがるから一人じゃ足りない。
おまけに貧民窟をまたぐやつもある。あの中だけで歩き回ってる陸空賊も居るようだな」
「アジトは?」
「どれも規模は小さくて、一個ずつなら潰すのは簡単だ。
ただ、数が多いし街中に散ってる。二日ありゃ綺麗に片付くだろうが、一日じゃ限界があるね」
「そんな戦力、本当に残っていたのか?」
「いや、どうも水増ししてるようで、ほとんど空き家らしいのを回ってるよ。
ただ、中には本物のアジトもあってそこは武装してる。空き家に見えても、隠れてるやつが居るかもな」
「仕掛けてみないと分からんか。烏合の衆とばかり思っていたが」

聞く限りの連中の行動は、一日時間を稼ぐには悪くない方策のように思えた。
ダウンタウン始め、街中の地回りは空賊狩りの手入れに巻き込まれないようなりを潜めているから
今なら街を歩いてもやくざ同士で潰しあう心配はない。
また、連絡員は武装しており、おれたち警官にとっても接触はリスクが大きい。
頭数を揃えてかかってみたところで、貧民窟に逃げ込まれたらそれまでだ。
市警の応援も当てにはならない――十四分署の件があってからはなおさらの事。
陸空賊が明日まで街に残っているなら、一日待って安全な作戦が立てられるが
地獄穴からのタレ込みでは今夜にも逃げ出してしまうというから、それでは間に合わない。

「貧民窟に逃げ込んだ生き残りを『マレブランケ』が教化したんだろう。
雑魚は大物を逃がす為の盾に使われるが、連中にしてみりゃ街に残るより逃げられる確率は高いだろう。
ずっと貧民窟に隠れてるなら別だが、この街で貧乏暮らしするくらいなら砂漠で強盗団やった方がましだ」
「どうやって貧民窟と組んだんだ?」
「地獄草や武器と交換だろう」
シドは答えたが、その答えに然して自信のある訳でもなさそうだった。
「だが、話が通じる人間じゃないぜ、あそこの住人は。それに、狩りが始まる以前の監視じゃ
陸空賊が貧民窟に出入りした例はない。あの自動鎧の男くらいのもんだ」
「『マレブランケ』なら分からんさ。それとも例の三人組かな? 誰かが話をつけてたのは事実だ」
「一年かけてゆっくりと?」
「どうだろうね」
179犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:14:40 ID:/bz5E9bj
(2/7)

ブルーブラッド、おれとシド、ガーランド、その他空賊狩り軍団の主だったメンバー十人ほどで
本部え一番広い会議室を取って集まる。
レイチェルからの情報と今朝行われた裏づけ捜査の結果を吟味し、連中の逃亡を阻止、摘発する作戦を練る為だ。
おれたちが長机にオーラムの地図と捜査資料を積み上げていると、オットマンまでが病院から帰ってきて会議に加わった。
具合を尋ねると、ただ黙って頷いて返した。着席。「倉庫街全体では範囲が広すぎる」とブルーブラッドが言った。
「地獄穴の大将を探して、船の在り処を聞き出すか?」
「貧民窟を突くには人手が足りない。今は倉庫街の周辺に停泊中の船を調べ上げるより他ない」
ダナウェイが頭を抱える。他の刑事たちも、情報のあやふやさに戸惑っている。
「その船が多すぎるんだよ。港も含めたらどうなる、絶対間に合わない」
「やるだけやって、相手が怖じ気づいてくれたらな」
誰とはなしに呟くが、ブルーブラッドがにべもなく否定する。
「それはないだろう。事ここに至っては、帝都を脱出する以外にやつらが生き延びる術がない。
そのつもりで連中は喧嘩を売ってきたんだ。もう、海の上しか逃げ場はない」

長机の上座についたブルーブラッドは頬がこけ、顔色も青黒く、眼光ばかりが鋭い。
おれたち以上には眠っていないのは明らかだが、どこか腹をくくったような表情をしていた。
おれと目が合うと、妙な笑い方をした。気味が悪い。シドが地図を食い入るように見つめて、言った。
「陸路は絶対に無理か?」
ガーランドが首を振る。やつは早くも、背広からあの汚れた迷彩服に着替えていた。
「無理だね。大勢で動けば目立つし、ばらけたら検問を強行突破できない。
確かに徒歩か小型の車両で道を選んで移動すれば、時間はかかるが検問は逃れられるかも知れない。
しかしどの道砂漠に出るし、出たら公共の交通機関を利用するしかないんだからね。そこで捕まるよ」
「乗り物や装備があれば単独で砂漠を越えられる」
「装備を担いで街を歩くか? それこそいっぺんに捕まっちまう。
外壁の門にも検問があるからな。壁をよじ登るんなら別かも分からんが」
「水上警をかわして川を出られるか? 海に出て、海軍の追跡を逃れて南部や外国に行けるか?」
二課のスターリングが指でスナーク川をなぞった。シドが答える。
「外海に出るつもりなら、燃料や補給の問題を考えて大型の帆船を選ぶだろう」
「汽帆船だ」
「地獄穴の大地主が、どの程度の資産を持っているかだ。それで船のレベルが決まる」
「金持ちならさっさと貧民窟を出る。だから、それほどではない」
「だが、もしやつが地獄草の貿易にまで噛んでたら、結構な船が手に入るぞ」

「水上警の検問はどうする、偽装できるか?」
とおれが言うと、
「最初から貨物船を買うだろう。水上警に見せる書類の判子が本物かどうかは分からんが」
「立ち入り調査で荷を調べられればどうする?」
ガーランドが答えた。
「時間があれば、人間は船員に化けさせる。
だが帝都で処分できなかった在庫を運ぶってんで、仲間を集めてるんだろう? それも積むはずだ」
ブルーブラッドが口を挟む。
「地獄草も武器も許認可制で、規制は決して緩くない。生半可な偽造書類じゃ水上警は騙せんぞ」
180犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:15:30 ID:/bz5E9bj
(3/7)

シドが手を揉む。地図を睨み、倉庫街を見下ろしながら
「あるいは地獄穴の大地主のコネで、認可を受けた会社の名前を使えるのかも知れんが
そうなればその、看板の枚数ってのは限られる――そもそも会社の数が少ないって事だ。
イーストエンドの倉庫街で、公式に武器か地獄草を扱ってる会社だけ選び出すのは簡単だ。
その中から条件に合う船を絞り込み、重点的に調査と張り込みをする」
頷きながら、ブルーブラッドが椅子にもたれた。
「よし、ひとまずそれでやろう」
「追跡班が発見したアジトは放置か? 全部でなくてもいい、潰して回れないか?」
おれの意見に、ブルーブラッドはガーランドを見やりつつ、
「本当に空賊が隠れていると確認できたアジトには、ガーランドの遊撃隊を寄こす。
ただし夕方までだ。夕方になったら呼び戻して、倉庫街の警戒に当てる」
ガーランドがにやにやする。撃ち合いが楽しみで仕方ないらしい。
線が細く見られがちの詐欺・知能犯二課の刑事たちの中で、やつだけは露骨に武闘派の刑事だ。
おれと立場を変わって欲しかった。アルフのやつ、「台風の目」だと?
「見つけたアジトってのは、具体的には幾つあるんだ?」
ガーランドの問いに、シドが肩をすくめる。
「今の時点で十五箇所。どうせ次の連絡時間にまた増える」
「ほとんど嘘じゃないの」
「空賊団残党は、確認されているだけだと十七人。
捜査中に名前が挙がっただけで、存在が確認できていないのを含めると二十八人」
「減ったねえ」
「それだけ精鋭揃いって事だ」
「名前だけで確認できてない十一人――」
おれとブルーブラッド、同時に呟いた。
「『マレブランケ』」

その後も計画を煮詰め、朝の九時ごろには刑事部屋から空賊狩り軍団の刑事どもを招集する事になった。
今の空賊狩り軍団には、数日間の尋問とデスクワークに倦んで
気分転換がしたいという凶暴な男たちが少なくない。入ってくる誰もがぎらぎらと目を光らせている。
その中で一番、目に危険な光を湛えたブルーブラッドが、
外回りを除く三百人全員の着席を確認して、作戦の説明を始める。
「今夜、空賊団の残党がイーストエンドの倉庫街に集結するとの情報が入った。
彼らの目的は、イーストエンド南部の貧民窟、通称『地獄穴』の大地主と呼ばれる男から
自動鎧一体と交換で入手した船舶を利用し、スナーク川より帝都を脱出するものと考えられる。
彼らが入手したという船舶の所在、船種、搭乗員数等の詳細は不明。
最終的な目的地も分かっていないが、おそらくオーラム港を通過するつもりだろう。
乗船後の追跡をかわす為には貨物船、客船等商船を装う、
あるいは港で何者かの手引きを受けてそれらに乗り換える、乗っ取るといった手段が考えられるが、
今回の摘発では彼らが船舶に搭乗する直前、彼らが停泊地に集合する段階でこれを叩きたい。
具体的な方策としては倉庫街周辺での検問、倉庫街に係留されている船舶の調査、
これらをオーラム市警察およびオーラム水上警察と連携して陸・水同時で行う」
ブルーブラッドが喋り終えると、そこにシドが続く。
「なお、現在追跡班が監視中の空賊団員は強固に武装しており、
今夜の逃亡計画に参加する他の空賊団残党も、同様に武装しているものと思われる。
捜査員各員は、この後伝える配置や個別の任務の内容の如何に関わらず
必ず装弾した火器を携行し、二人ないしは三人一組で行動する事」
次に刑事たちの配置が告げられた。人員の大半は倉庫街へ集められ、大型商船、
特に武器と地獄草の輸送に使用されているものを優先して乗船調査、監視する。
更に工場街、オーラム港へも人を遣り、貧民窟の周辺や宿場町で警戒に当たる。
帝警の各支部と、水上警の協力も取りつけられた。万一の事態を予想して帝国陸軍にも連絡が行っている。
「現時刻をもって作戦開始とする。配置につけ」
ブルーブラッドが立ち上がる。三百人の刑事たちも一斉に立ち上がり、各々の仕事に向かう。
おれも立って、その足でアルフに教えられた蒸気工房へ行く。
181犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:16:42 ID:/bz5E9bj
(4/7)

魔女窯通り、あの『鉄槌』の隣、『サンジェルマン』にはシャッターが下りていた。
休業中と書かれた張り紙があったが、構わず拳でどやした。
見た目はごく普通のシャッターだが、素手ではびくともしない。今度は改造拳銃の銃把で叩いた。
五分ほど音を立てて叩き続けていると、シャッターがいきなり左右に蛇腹に折れて開いた。
工房主の技術力を見せつけるかのような滑らかな動きだった。
代わりに現れたのは時計台の中身のような錆色の歯車の密林で、おれがあっけに取られていると
巨大な歯車の隙間から、エプロンドレスの女が身を屈めて出てきた。奥から男の怒鳴り声がする。
「休業中と張ってあるだろう、見えんのか」
おれはエプロンドレスを越して、工房の奥の男に聞こえるよう怒鳴り返した。
「帝都警察組織犯罪三課のジェイコブズラダー警部補だ。
殺人・強盗一課のニコルズ警部補からこの店を紹介された」
エプロンドレスがずい、と前に踏み出してきたので、コートを開いて胸のバッジを見せた。
女は表情のない、冷たい雰囲気の美人だった。互いにそのまま動かずにいると、男の声がした。
「デルタ君、お通ししなさい」

デルタと呼ばれた女に案内され、壁中が蒸気機関と時計仕掛けの工房に分け入っていくと、
奥で技術書に埋もれて白衣の男が、工作機械のような鋼鉄の椅子に座って待っていた。
その男の頭にまで、何に使うのかも分からないゴーグル状の機械が乗っかっていて
一瞬顔が分からなかったが、彼が重たげなそれを外して床に置いてしまうと
その顔は昨日の引き上げ作業とラボとで見た、保安局の若い私服の連れで間違いなかった。
「ドクター・ノース?」
「いかにも。何を聞きたい?」
おれは床に積まれた本の山に勝手に腰かけたが、ドクター・ノースは特に気にする様子もない。
「全部だ。ワーニャという男は何者だ? ジョン・スミスというのは?
保安局の目的は何だ? テロ屋は何を企んでる? 切り裂き事件と空賊とは関係あるのか?」
訊きながらおれが煙草を吸うと、どこかで小さな歯車の動く音がした。
室内に静かな風が吹いて、紫煙がおれの背後の溝を切った壁に吸い込まれていく。
ドクターがにやりと笑って、いつの間にか足元に置かれていた灰皿を指差す。
「我輩はこうして蒸気工房を開いて空賊相手の仕事なんぞしとるが、
本当は個人的な研究が第一でな。これも資金集めの為、研究の為なのだ」
「アカデミーを追い出されたんだろ? 昔は教授だったって聞いたぜ」
おれがエントゼールトに聞いた限りの事を話すと、彼はふん、と鼻を鳴らして、足を組んだ。
「我輩の方からおさらばしたのだ。頭の固い老人たちの、退屈な政治ごっこに付き合うのが嫌だった。
我輩は純粋な学問の徒だ、純粋に研究に没頭する為、野に下ったのだ」
「女のはらわたを集めるのも研究か?」
「彼にとってはそうかも知れんな」
デルタが盆にコーヒーを乗せておれたちのところに来た。煙草を灰皿に捨て、
カップをひとつ受け取って飲みながら、ドクターに先を促した。
「我輩はこれまでずっと研究第一に生きてきながら、
若い時分はそのあまりの優秀さ故に、期せずして様々な人種と関わる羽目になったものだよ。
だがお陰で、今ではちょっとした情報屋などという稼ぎもできるようになってな」
「コーヒーがうまい。豆屋の知り合いも?」
「知り合いの事業家が南部に農園を持っている。それも確かに若い頃からのコネだな」
ひとしきりコーヒーをすすると、ドクターがカップを置いた。
182犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:17:39 ID:/bz5E9bj
(5/7)

「ワーニャは二十二年前、我輩がまだ教授をやっていた頃の教え子なのだ。
初めて会ったとき、彼は二十歳だった。彼もまた優秀な若者であったが、
諸々の理由で母国の革命運動に巻き込まれ、結局二年ほどでアカデミーを去らざるを得なかった。
風の便りで、その後彼が東南方の植民地解放運動に加わっていると聞いていたが
去年の冬に突然我輩を訪ねてきてな。彼は帝国抵抗軍の下である研究を行っており、
その研究の為に我輩の技術や機材を買いたいと言ってきた。
我輩はテロリストは嫌いだが、若い頃の彼は素晴らしく才能のある学生で
よく我輩を慕ってくれてもいたし、彼の現在の研究というのもなかなか面白かったので、
この工房の売り物を直接テロ活動に使わない、という条件つきで協力したのだ。
しかし、後で調べると彼の発明が実は危険極まりない代物で、
また帝都における彼の活動というのも同じく危険なものだと判明し、今年の春には協力を打ち切った」

またもや脳裏に探偵のメモ――「ワーニャ」「発明品の実験」「抵抗軍/赤軍」。おれは黙って続きを待った。

「その後我輩は、保安局から彼と彼の仲間に関する問い合わせを受けたので
帝国臣民の義務として彼らを密告した。我輩は、今度は保安局のテロリスト狩りに協力した訳だ。
しかし、その保安局の捜査も段々怪しく思えてきた。陰謀の匂いがした。
ある筋から特務もワーニャを追いかけているらしいと聞いて、我輩は気になった。
その内に、壁一枚挟んで隣の工房で殺人事件が起きた」
「それがワーニャの仕業か」
「そうだと思う。隣とはあまり付き合いもなかったが、やくざな商売をしていた事は
匂いで何となく分かるものだ。我輩も似たようなものだからな」

ドクターは自嘲めいた口振りで話した。
テロ屋のワーニャ、テロ屋の友達だった『鉄槌』のオハラ。
繋がりはありそうだが、具体的な関係までは推理できない。
アルフもドクターも信用しきれない、裏づけが必要だ。
183犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:18:17 ID:/bz5E9bj
(6/7)

「留守にしてたのは、あんたも殺されると思ったからか」
「偶然余所で用事があっただけなのだが、まあ、半分はそうだ。うちの鍵は頑丈だったろう?」
おれとシドに、砲兵を呼べ、と言った警官の報告を思い出して笑った。
「どうもこのところの娼婦殺しは、ワーニャじゃないかと考えていてね。
確証はないが、あの死体を解剖する手口は彼の研究に関係があるんじゃないかと思うんだ。
保安局やニコルズ警部補の捜査からも、このところオーラムの裏社会に何か騒動が起こっているのが分かる。
殺人者に協力した道義的責任と、我輩個人の好奇心から
保安局に任せるばかりでなく自分でも調べてみようという気になって、ニコルズに依頼したのさ」
「ワーニャがテロリストなら、仲間のテロリストは誰なんだ?」
「ジョン・スミスと名乗る男だ。黒ずくめの大男。そいつには一度会ったよ」
「女は? チャドルを着た女」
「ああ、居たね。そっちは知らない。それと、ワーニャはダグという偽名を使っている」

ブットゲライト署長の証言――ジョンは緑の目の、山羊髭の男を「ダグ」と読んだ。
「ダグ」――ダグラス。ダグラス・オウヤンだ。
リビココの武器庫から狩猟機を移し変えた倉庫、おれたちが襲撃された娼館、ドロシーのアパートの持ち主。
だが、建物が登記されたのは一一六年だから
当時まだ生まれていないはずのワーニャは、最初の持ち主のダグラスその人でない。
抵抗軍のコネクションで入手した物件なのだろうが、偽名にまで同じ名前を使ったのは何故か?
この街で、ワーニャがダグラス・オウヤンという人間になりすます必要があったのか?
だとすれば、切り裂き魔のワーニャと陸空賊、そしてドロシーは何の関係が?
見えてくるのは繋がりらしきものばかりで、未だにろくな証拠がない。

「その三人は陸空賊と関係してるか?」
「陸空賊? そういう呼び方があるんだね。そう、三人は彼ら陸空賊に協力していた。
テロリストの隠れ蓑だよ。事業の顧問みたいな事もやってたようだ」
「『マレブランケ』とマラコーダには会ってないのか? 陸空賊の頭目だ」
「名前は知ってるが、会ってない。我輩が付き合ったのはワーニャたち三人だけだ」
「三人はイーストエンドで墓荒らしをやっていなかったか?」
ドクターがおれを見つめたままで口を閉ざした。別に困った様子でもないが、とりあえず水をかけてみた。
「昨日の朝、あんたが保安局の若いのと一緒に狩猟機の引き上げを見物してるのを見たんだ」
「そうだ、やってた。あの狩猟機は我輩がワーニャと一緒に作ったものだ。
ワーニャが管理を止めた為に暴走したのだろう、無責任な工作だった」
「おれはあの工作に助けられたから、そいつは許してやるよ。狩猟機を操れるのか?」
「実験段階ではあるがね。ついでに言えば、あの機械はワーニャにしか自由にできない。
我輩も、ものを作るのを手伝っただけで、あれを扱える訳ではないのだ。悔しい事だが」
「それがワーニャの発明か? テロ屋どもの研究ってのは一体どんなものなんだ? 死体と女の子宮を使う?」
「我輩からは説明できないし、言葉で説明しても分かるまい」
184犬ども(20) ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:19:05 ID:/bz5E9bj
(7/7)

少し待ったが、ドクターには喋る気がなさそうだと見ると、おれは立ち上がって彼に詰め寄った。
彼はさすがに動じない。白衣の襟を掴んだところで、おれの後ろに誰かが立った。
「君、止めておきたまえ。我輩は殺人は野蛮な行為だと思っているが、我が身を守る為ならば躊躇はせんよ」
どうやらドクターも、おれの背後の人間――まさか、あの女中だろうか――も本気らしい。
おれはドクターの白衣からゆっくり手を離した。背後の気配は靴を鳴らして去っていき、おれは座り直した。
「それに残念だが、我輩にとっても彼の発明は未知の部分が多いのだ。
一つ言える事は、力のある組織が彼の発明を転用すれば、じきに大きな戦争が起こるだろうという事だ。
大げさに聞こえるかも知れんが、今はそのようなものだとだけ考えていてくれ。それは事実だからな。
しかし、代わりに君に教えられるネタがある」
ドクターがデルタを呼び、彼女に耳打ちして何かを持ってこさせた。封筒だった。
「我輩は特務に友人が居てね、その友人が数年間ずっと追いかけ続けているテロリストたちが居るんだ。
そのテロリストたちの名前を教えてあげよう。ワーニャもその中の一人だ」
ドクターは封筒を差し出し、おれは受け取った。
中身は書類束で、上の方はテロ屋の手配書だった。全部で五枚、書式は軍関係の資料に似ている。
内容――テロリストとしての経歴は華々しいが、それ以外の事項は空欄が目立った。
人相書きはない。大まかな年齢と、性別が分かっているくらいで、外見等についてはほとんど情報がないようだ。
二人だけ知った名前があった。ワーニャ、そしてジョージ・オブライエン。
ジョージとは、軍隊でオハラの友人だったあのジョージだろうか。
「全員ゴリニシチェ赤軍の出身で、世界中飛び回って活動してる大物ばかりだ。
そして、その友人の第一の任務は『ジョン・スミス』と名の謎のテロリストの追跡だそうだ。役に立つかね?」
「さあね。あんた、ドロレス・ジョーン、あるいはサントゥーナという名前を知らないか? 両脚が義足の女の子」
「いや、知らんな。我輩の情報だけでは、ワーニャ以外の登場人物がまだ定まらんのだ。
ワーニャの人脈については、彼が活動家としての頭角を現しはじめた
パルヴァティア滞在当時が鍵だと思うんだがね、その情報を持ってクリストファーという探偵が船出した。
資料はさっき渡した紙の中に入っているから読みなさい。後は探偵を待つしかないが」
書類をめくってしばらく考えていたが、これ以上彼にものを訊くより
情報の裏づけや、もう一度アルフと会う事、そして陸空賊の一件の解決を何よりも急いだ方がいいと思った。

最後に尋ねる。
「保安局の人間で、あんたと情報をやり取りしてるのは誰だ?」
「担当者なら何人も居るが、我輩が名前を知っているのは一人だけだな。
君が調べればどうせすぐに分かる事だから、教えよう。ロビン・ライサンダー」
「あの若造か?」
ドクターは笑うだけで、否定はしなかった。
「ところで、アルフはあんたを逮捕したいとは言わなかったか?」
「ワーニャが捕まるまで彼とは休戦だよ」
185 ◆/gCQkyz7b6 :2009/03/10(火) 22:23:26 ID:/bz5E9bj
投下終わりました

>175
どうしても会話で説明して楽をしようとする癖があるので、
その辺りは自覚していて、もっと地の文で情景、心象、動作等を上手く描写して
必要な情報を有機的に表現していけるよう、どうにかせねばと思うのですが……目下修業中です

>176
まとめサイト更新乙です
樫の木亭の方も続きをお待ちしてます
186創る名無しに見る名無し:2009/03/13(金) 01:29:48 ID:TjRWFpxQ
>>185
投下乙
ゴリニシチェの元ネタはロシアかな?
それはさておき、段々と事件に対する包囲網が狭まってきているみたいだ
187創る名無しに見る名無し:2009/03/15(日) 23:23:15 ID:Kcyxgg9R
まとめサイトを更新しました。
不備がありましたら、報告をお願いします。
188 ◆zsXM3RzXC6 :2009/03/17(火) 02:14:23 ID:EM9rULeu
短いですが、投下します。
189 ◆zsXM3RzXC6 :2009/03/17(火) 02:15:10 ID:EM9rULeu
 深夜。額にたくさんの汗をかきながらフェリシアは飛び起きた。
 最悪の夢見だった。まさか、あのときのことを思い出してしまうなんて。
 目を閉じるだけで夢の内容がフラッシュバックしてくる。これではしばらく眠れそうにない。
 溜め息を一つつき、フェリシアは水でも飲んで心を落ち着けることにした。
 どんな悪夢でも所詮は夢。落ち着けば、きっとすぐに忘れることが出来るだろう。
 そう思い、部屋履きを履いてフェリシアは台所へと向かう。
 扉の開け閉めの音や足音が良く響いて少し不気味な感じがするのは何故だろうか。
 いつもは何も感じない夜の闇が、今は少し怖かった。
 台所に着いたフェリシアはガス灯の火をつけて、水道の蛇口を捻って水を出し、途中で棚から出したグ
ラスに入れて一息に飲み乾す。悪夢ごと全部を飲み乾してしまえるようにと。
「ふぅー……」
 水を飲んで少し落ち着いたフェリシアは、グラスを洗ってシンクの脇においておく。どうせ明日の朝も
使うので、一々拭いてしまうのが面倒だったのだ。
 ガス灯の火を落とし、フェリシアは寝室へと向かう。
 その途中、行きは気付かなかったが、フェリシアはミャオの部屋から少しだけ光が漏れているのに気付
いた。
 もう結構遅い時間である。もしも、ガス灯などの切り忘れだといけないのでコンコンとフェリシアは扉
をノックしてみる。
「フェリスさん? どうぞー」
 どうやらミャオはまだ起きていたようだ。なので目的はもう達したのだが、フェリシアはなんとなくミ
ャオがこんな時間に何をしているのかが気になったので部屋に入れてもらうことにした。
「失礼します」
 ガチャリと扉を開けてはいると、ミャオはベッド脇の壁にもたれかけながら本を読んでいるところだっ
た。
 月明かりだけではなく、白く淡い光を放つ玉がふわりふわりと本の上に浮かんでいる。
 フェリシアは見たことがないが、魔法具というものだろうか。
「どうしたの? もう夜も遅いよ」
「夢見が少々悪くて、ですね。水を飲んできたところです。そしたら、この部屋から光が漏れてたもので
すから」
「ああ、ごめんね。私もちょっと眠れなくて」
 そう言って浮かんでいる玉を手に取り、ミャオは何事かを呟いて光を消す。
 光が消えた玉を袋に入れて、ミャオはそれをベッドサイドのテーブルに置いた。
「あ、そうだ。フェリスさん、一緒に寝る?」
190喫茶店『樫の木亭』3 ◆zsXM3RzXC6 :2009/03/17(火) 02:16:09 ID:EM9rULeu
 それが当然であるかのように、ミャオは言う。
 特に何も考えずに言っているのか、それともなにか深い意味があるのか。いまいちフェリシアには読み
きれない。
「一緒に、ですか?」
「うん。だって怖い夢を見たんでしょう? 一人で寝たら、また見るかもしれないじゃない」
 あっけらかんと、ミャオは笑う。とても良い考えだと思っているらしい。
 しかし、そう言われてみるとフェリシアにもそう思えてくるから不思議だ。
 とはいえフェリシアも流石にそんな理由で誰かと一緒に寝るなんて恥ずかしいとか思えてしまう年頃で
ある。
 なので遠慮しようとするが、あっという間にミャオにベッドに引きずり込まれ、一緒に寝る羽目になっ
てしまった。
「あ、フェリスさんって温かい」
「わ、わわっ」
 むぎゅー、と抱き締められ、動揺するフェリシア。
 ミャオはぬいぐるみか抱き枕同然にフェリシアを抱きすくめて、満足そうにしている。
 が、抱かれているフェリシアの心中はあまり穏やかではない。
 こうして誰かと寝ることなどほとんどなかったのでこういうときにどうしたら良いのか分からないし、
ついでに顔に当たるミャオの胸が少々嫉妬を沸き立たせる。
 大きいとは思っていたが、こうして押し付けられる形で触ってみると差がはっきりと分かってしまって
負けたとすら思えないらしい。
 そして、なんとも泰然としているミャオを見ていると、何故か動揺している自分が馬鹿らしく思えてく
る。
 溜め息をつき、フェリシアは顔を上げる。と、ミャオと目が合ってしまった。
「え、っと、あの」
「どうかした?」
「あの、その……ミャオさんって、好きな人います?」
 なんとなく焦ってしまったフェリシアは、これまたなんとなく頭に浮かんだことを口にしてしまう。
 別に気になっていたわけでも無いし、聞く必要も無いことなのだが、口から出てしまったのだ。
 そんなフェリシアの問いに、ミャオは少し悩むように首を傾げた。
「うーん、いないかなぁ。今はまだフェリスさんと仕事してるだけで精一杯だよ」
「えと、じゃあ、あのジョンさんとかいう人は?」
「ふぇ、ジョンさん?」
 意表を突かれた、という感じでミャオは目をパチクリさせ、少し考え込むように唸る。
 フェリシアはそんなに考えずに言ったのだが、ミャオにとっては結構な難題だったようだ。
「ジョンさん、ジョンさんねぇ。とりあえず言えるのは、あの人とそういう関係になるのは絶対にありえ
ないってことかな」
「はぁ」
 困ったように笑うミャオ。その表情に嘘をついている様子は無い。
 が、そこまで言い切る理由もフェリシアには分からない。
「でも、なんで絶対、なんて言い切れるんですか?」
「あはは。だって、あの人には好きな人がいるんだもん。ずっと昔に死んじゃったらしいんだけどね。で
も、まだ好きなんだって」
「そうなんですか」
「そ、一途だよねぇ。それで、こんなことを私に聞くってことは、フェリスさんも聞いて欲しいってこと
かな?」
「え?」
 ぽかんと口を開けてしまうフェリシアに笑いかけながら、ミャオは自分の髪を掻き上げる。
「好きな人、いるの?」
「え、あの、そのぅ……いません」
「そうなんだ。一緒だね」
 真っ赤になって布団に潜り込んでしまうフェリシア。
 それを見送ったミャオは、一度窓の外を見てから自分も目を閉じる。
 ポツリポツリと降り出した雨。もしかしたら、誰かの涙雨だろうか。
 そんな益体の無いことを考えながら、ミャオはも静かに眠りにつく。
「おやすみなさい、フェリスさん」
「……おやすみなさい」


 こうして、その夜は更けていく。
 それは蒸気乱雲の濃い夜の一幕。
191 ◆zsXM3RzXC6 :2009/03/17(火) 02:16:55 ID:EM9rULeu
投下、終わりました。
192創る名無しに見る名無し:2009/03/20(金) 12:46:49 ID:hNyj9gtc
まとめサイトを更新しました。
不備がありましたら、報告をお願いします。
193 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:46:45 ID:XRaGUXGU
さて、投下します。
喫茶店『樫の木亭』はしばらくお休みで、こちらを主にします。
194 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:47:36 ID:XRaGUXGU
(1/15)
 荒れた大地に点々と散らばった黒い場所。
 それは動物達が住まう、この不毛の地では限られた緑のある場所だ。
 そんなところに、二人の男がいた。
 片方は大きな外套に身を包んだ男。
 もう片方は旅慣れた軽装の少年だ。
 彼らは周囲にいる猛獣たちを一切気に留めることなく、焚き火を囲んでいる。
 この焚き火は別に動物たちを近づけないための物ではない。たんに暖を取るためのもの。
 根本的に、この二人は動物などに恐怖を覚えたりするようには出来ていないのだ。

「……で、こんなところにまで出向いた意味はなんなんだ?」
「ああ、多分もうすぐだ。感じられないか、次元の歪みが」
「次元の歪み、ねぇ。確かにマナが不安定な感じだ。それ以上はわからん」
「充分だ。恐らく、今日中には良いものが見られるぞ」

 鷹揚に頷き、少年は焚き火で弾ける火の粉に目を向けた。
 そんな少年に溜め息をつき、外套に身を包んだ男は自分の持ち物から酒を取り出す。
 この偉そうな少年とはそこそこ長い付き合いなのだが、未だに彼の考えていることは分からない。
 だが、この少年は依頼人だ。流石に仕事中に依頼人の非難をするわけにもいかない。
 外套に身を包んだ男は取り出した酒瓶の栓を開け、一気にあおる。
 所詮はアルコール度数だけ高い安物の酒。味もへったくれもないが、こんな場所で飲むのだ。
贅沢なことは言っていられない。

「来た、な。ふふふ、ジョン。お前も見るのは初めてだろう。これが『旅人』と呼ばれる者だ」
「は?」

 酒瓶を一本空にしながら、外套に身を包んだ男が訝しげに少年の顔を覗きこむ。
 そして、何かを言おうとし、何かに気付いたようにスッと目を細めた。

「マナが、空間が揺らいでいるな。チッ、我が力、我が魔力。壁となりて我らを護れ」

 外套の男が呪文を唱えると同時に少年と外套の男を包むように半透明のガラスにも似た半球状の障壁が展開される。
 その直後のことだった。
 何も無い空間にいきなり亀裂が走ったかと思うと、そのまま弾け飛び、凄まじい衝撃を周囲に撒き散らす。
 当然、近くにいる少年達にもその衝撃は襲い掛かる。もしも、外套の男が障壁を展開するのが遅れていたら、
二人ともどこかへ飛ばされてミンチになっていたかもしれない。
 どうやら衝撃は大地をも幾らか吹き飛ばしたようで、土煙をもくもくと巻き上げていた。
195迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:48:32 ID:XRaGUXGU
2/15)
「生きてるか?」
「どうにか。まさか、俺の障壁を粉砕してくれるとは思わなかったがな」
「ははは、生きてればそんなこともあるさ」
「違いない」

 笑いながら、外套の男は立ち上がる。
 障壁で幾分衝撃が弱まったおかげで生きてはいるが、結構ズタボロである。
 外套の下は全くの無傷なのだが、外に出ている部分……顔や手足に酷い擦り傷が出来てしまった。
 ドラゴンの革……というかドラゴンまるごと一頭で作られている外套を身につけているこの男でさえこの有様なのだ。
軽装の少年の方は目もあてられない惨状になっていた。
 骨折などの重傷は負っていないが、その代わり全身に打撲と擦過傷が酷い。
 そんな少年の血を何故か勿体無そうな目で見ながら、男は呪文を唱えた。

「癒しを。そして、安らぎを」

 少年の体を青白い光が包み、そのままあっという間に傷が消える。
 力の具合を誤れば逆に体を壊してしまう危険な魔法なのだが、どうもこの男は自分の腕に相当な自信があるようだ。

「見事。さ、出てきた奴を見ようじゃないか。なにせ数十年ぶりの来訪だからな」
「知り合いなのか?」
「知らんよ。さて、此度の来訪者はどんなものか。楽しみだ」

 今にも踊りだしそうな様子で、少年が空間破砕の衝撃で出来たクレーターの中心へと歩いていく。
 外套の男は渋々とその少年に続く。
 果たして、そこには一人の青年が倒れていた。
 年の頃は十代後半から二十代前半までの間か。見慣れない材質の服を着ている。
 あの衝撃のど真ん中にいて良くもまぁ無事だったものだと感心しながら、外套の男は口を開く。

「で、この人物が探しものか?」
「そうとも。ここは少し危険だ。昨日キャンプを張った場所まで戻ろう」
「誰がコイツを運ぶんだ?」
「君だ。荷物持ち君」
「……なるほど、そのために俺を荷物持ち兼護衛として雇ったのか。この借りはいつか返すぞ」
「はっはっは。いいではないか。その分の代金は先払いしてある」

 楽しそうに笑い、少年は逃げるように走り去る。
 外套の男は溜め息混じりにそれを見送り、まだ目を覚ます気配の無い青年を担ぎ上げた。

「……何がしたいんだか」



196迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:49:18 ID:XRaGUXGU
(3/15)
 前日に張って、まだ片付けていなかったテントに青年を放り込み、少年と男は遅めの昼食を摂る。
 二人とも慣れたもので、持っていた干し肉や魚の干物を焼いたり、野菜の水煮の缶詰と一緒に煮たりしている。
 この辺りには人間が食べられる植物が自生していないので、植物性の栄養を摂るには缶詰に頼るしかないのだ。

「出来てきたな」
「うむ。しかし、お前は本当にそれだけで良いのか?」
「俺にとって食事は娯楽に過ぎんよ。一人増えてるんだから、食わなくても良い奴が控えるのは当然だ」
「そうか。しかし、すきっ腹に酒はどうなんだろうな」

 缶詰と干し肉を煮ている小さな鍋を掻き混ぜながら、少年は訝しげに外套の男を見る。
 安酒を水代わりとばかりに飲みまくっているのを見ると、実際には腹が減っているのではないかと疑いたくなるのも当然か。
 だが、外套の男はそんな少年の気遣いなど一切気にすることはない。

「で、『旅人』ってのはなんなんだ? 俺も結構長いこと生きてるが、そんな奴ら聞いた事も無いぞ」
「ああ。この私も詳しくは知らん。どうも、他の世界だかなんだかから紛れ込んでくるらしい。
分からん事だらけだが、これが我が家系の務めなのだ。『旅人』を出迎え、そしてここに馴染ませるのがな」
「そうなのか。まぁ、頑張ってくれ」
「当然だとも。君にまた何か依頼することもあるかもしれん。そのときはよろしく頼むぞ」

 なんとも偉そうに少年は外套の男へと笑う。
 見た目の年齢から言えば少年の言動に外套の男は何か言うべきなのだが、両者共に特に気にした様子も無い。
 別に少年が貴族かなにかという訳でもないので、不思議と言えば不思議な光景である。
 と、そんな風に世間話ともいえないような会話をしていると、
食事の匂いに釣られたのかテントに放り込まれていた青年が起き出してきた。
 どうも自分が置かれている状態を理解していないようで、キョロキョロと辺りを見回している。

「……ここは、どこだ?」
「君の知っている場所ではないよ。とりあえず君の置かれている状態を説明する。長い話になるからこっちに座ってくれ」
「はぁ」

 少年はそんな青年を手招きで呼び寄せ、煮炊きしている焚き火の近くに座らせる。
 外套の男は完全に傍観を決め込むつもりらしく、酒をぐびぐびあおっていたり。

「まずは自己紹介をしよう。私はイーノク。そこの彼はジョン・スミスという。君は?」
「あー、ぼくは……あれ、わからない。名前、あれ?」
「おやおや。これは大変だ。仕方が無い。では、名前を付けてあげよう。ジョン、良い案は無いか?」

 完全に傍観の態勢に入っていた外套の男……ジョン・スミスは、
いきなり話を振られほんの一瞬だけ思案するような顔をする。
 しかし、すぐに諦めたようでヒラヒラと手を振った。

「良い名前なんてそうそう思いつかんよ。それに、一時の名前くらいなんでも良いじゃないか。
ジャック、イワン、ヨセフ、ピエール、マルコ、アドルフ、こんなところか」
「確かにそこらへんの名前なら覚えやすいか。マルコなんてどうだい?」
「……まぁ、なんでも良いけど」

 本人を置いてけぼりにして命名されてしまった『旅人』の青年……マルコはなんとも微妙な表情で溜め息をつく。
197迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:50:04 ID:XRaGUXGU
(4/15)
「で、ここはどこなんだ?」
「サマン帝国のゴールドバーグという都市のそのまた西だな。一応、名前のある場所だが、忘れた」
「はぁ、そうなのか」
「その顔は聞き覚えが無いという顔だな。当然か。君はどこか他の場所から迷い込んできたのだろうから」

 迷い込んできた、その言葉にマルコは訝しげに眉を寄せた。
 もしかして、この二人が自分をさらって来たのではないかとでも思っているのだろう。
 そんなマルコの心理を読みきっているように、少年……イーノクは笑った。

「はは、私たちは何もしていないよ。
私たち……いや、私がただ君のような『旅人』のが出現する場所と時間を知ることが出来るだけだ」
「本当かよ」
「嘘をつく理由も無い。それに、この仕事は結構危険なのだ。ついでに、金も掛かる。
私に儲けも無いのにわざわざさらってきたりはせんよ。大体、さらわれるのは若い娘さんと相場が決まっているものだ」
「……うっ」

 冗談交じりのイーノクの言葉に何も言い返せず、マルコは黙り込む。
 それを傍から見ていたジョン・スミスは感心したように息をつく。
 上手い交渉術だ。
 嘘は言っていないし、こんな少年に諭されるように話されたのでは外見的には年上のマルコは納得せざるを得ない。
 なるほど、長くこの役目を果たしているだけあるということか。

「じゃ、じゃあ、そっちのコート着た人はなんなんだよ」

 答えに窮したマルコはジョン・スミスを指差す。
 今度はまだイーノクの説明になかったジョン・スミスを疑い始めたらしい。
 そんな彼に対し、ジョン・スミスは軽く苦笑を漏らすだけ。どうも自分で説明する気は無いらしい。
 というか、説明好きなイーノクに話す機会を譲っただけか。

「彼は護衛だよ。言ったろう、この仕事は危険なんだ。ほれ、向こうを見てご覧」

 イーノクは先ほどいた雑木林の方を指差す。いや、雑木林のあった方、と言うのが正しいか。
 指差されたほうにあるのは結構広い範囲が吹き飛ばされた跡。
 木々はほとんどが根元からひっくり返り、まだ地面に根を張れているのは外周にあった一部の木だけ。
それも大体が折れてしまっていて、しばらくは元に戻ることは無いだろう。
 そして、その辺りの地面にはべっとりと赤い何かが付着している場所がある。
衝撃で吹き飛ばされた獣たちの残骸だ。いくつかはまだ獣の形を留めているため、非常にグロい。

「あれは君がこの地に出現したときの衝撃で起きた惨劇だ。私もジョンがいなければ、あの仲間入りをしていただろう」
「……そんな、バカな」
「信じる信じないは君の勝手だがね。まぁ、どちらにせよ、私たちがここにいなければ君もアレに食われていただろう」

 どうもまだ実感の湧いていないらしいマルコだったが、イーノクが次に指差したものを見て顔色を変える。
198迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:50:53 ID:XRaGUXGU
(5/15)
「な、なんだ、あれ」

 指差された場所にいたのは、数十匹で群をなす中型の猫科の肉食獣。毛皮の色は黒い斑点のある灰色だ。
 なかなか食欲旺盛なようで獣たちの死体に群がっている。見る限りどうも骨までかじって食べているようだ。

「ハイエナの一種だ。頑丈なあごで獲物を骨まで食い尽くす。ついでに執念深いから、狙われたら最後だな」

 無表情に淡々と、イーノクは言う。なんというか、辞典の内容でも読んでいるかのような言い方だ。
 が、それがまた恐怖をあおる。面白がっているなら冗談の可能性もあるが、
こうも真面目くさって言われては信じるほか無い。
 ハイエナ達を見て、そしてイーノクの説明を聞いてやっと恐怖がやってきたのか、
マルコは一度身震いをしてから頭を下げた。

「あー、えーと、ありがとう」
「どういたしまして。まぁ、なんにせよ目的は果たしたから、飯を食ったらさっさと撤収しよう。
実は、一番近い町まで歩いて半日の距離なんだ。急がないと野宿することになる」

 とても爽やかに笑い、イーノクは焼きあがった魚の干物に手を伸ばす。
 その笑みに、なんとなくマルコは嫌なものを感じていたのだった。





199迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:51:41 ID:XRaGUXGU
(6/15)
「いや、疲れた。しかし、君は根性が無いな」

 夜も深まってきた、町の酒場兼宿屋の一室。
 長椅子にどっかりと座ったイーノクは苦笑しながら、ベッドに大の字になっているマルコを見る。
 実はマルコは半分の道のりも越えない内にばててしまい、残りを全てジョン・スミスに担がれてきたのだ。
 成人男性一人を軽々と担ぎ、ついでに結構重い旅の道具も担いでいたのに一切息を切らしていないジョン・スミスも化け物だが、
逆に十代前半の少年の体力しかないイーノクでさえ楽々踏破できるような距離を歩けないマルコも少々情けない。

「うぅ、あんなに歩くなんて初めてだったんだよ……」
「では体力をつけることだ。ここでは歩くのが基本でな。体力が無いと生きていけんぞ」
「頑張る、しかないのか……」

 マルコはベッドでがっくりとうなだれる。
 そんなマルコを笑いながら見て、イーノクは水差しからグラスに水を注いで飲む。
 そして、溜め息と共に眉を顰めた。

「やっぱり雨水か。あー、マルコ。ここの水は飲まないほうが良い。腹を下すぞ」
「じゃあ、どうするんだよ。喉が渇いて死にそうなんだが」
「ジョン。頼む」

 軽くイーノクに言われ、ジョン・スミスは溜め息をついて頭を抱える。
 が、本当に死にそうな顔をしているマルコを見て、不承不承に空のグラスを手に取った。

「はぁ、俺は水道じゃないんだがな。水よ、我が元へと集え」

 深い溜め息と共に紡がれた呪文により、ジョン・スミスの持っていたグラスの中に水が満ちる。
 それをマルコに渡し、ジョン・スミスは酒を取り出してあおる。

「これ、大丈夫なのか?」
「不純物のほとんどない、純水に近い水だ。そりゃ大丈夫だろう」
「そうなのか。ありがとう」

 礼を言われたジョン・スミスは満足そうに口端を歪め、また酒をあおり始めた。
 そんなジョン・スミスを横目に、イーノクが口を開く。

「あー、マルコ。今のも魔法だ。その水を飲みながらで良い。聞いておけ」
「あ、ああ。分かった」

 起き上がり、素直に水を飲みながらマルコはイーノクの方を向く。

「ここでは魔法と蒸気機関が両方発達している。まぁ魔法の道具は高いし、そんなに普及していないがね」
「ふんふん」
「だから概ね、金持ちは魔法を刻んだ機械や魔法の道具……魔法具を使い、一般人は自分の所得に見合った機械やら道具を使う。
一般人が魔法具を使うことはまずないな」
「えーっと、なんで魔法を機械に刻むんだ?」
「機械には駆動音があるだろう? あれを小さくしたり、機械だけでは無理なぐらいの精度で動かしたりするためだな。
この魔法を刻む処理を、呪紋処理という。頭の片隅にでも入れておくと良い」
「なるほど。便利なもんだな、魔法ってのは」
200迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:52:38 ID:XRaGUXGU
(7/15)
 感心したように何度も頷くマルコ。
 それを見てイーノクは気を良くしたらしく、話を続ける。

「確かに魔法は便利だが、習得するにはアホらしい位に学ぶことが多くてな。
あまり魔法の技術を持ってるものはいない。それに、物に呪紋処理を行える者はそこそこいるが、
魔法を自分だけで行使できるものは極めて少ないんだよ」
「それは学ぶ事が多いからか?」
「それもあるが、こちらは素養の有無が大きい。いわゆる魔力の量がある程度ないと使えんのだ」

 ふん、と鼻息をつき、イーノクはジョン・スミスの方を向く。

「で、このジョンはそんな数少ない純正の魔法使いの一人だ。
それも現代の魔法とは違う、まさに御伽噺に出てくるような何でもできる魔法使い」
「……もしかして、ぼくが今飲んでる水って実はとんでもないものなんじゃあ」
「正解だ。その水はゼロから生み出された、今さっきまでこの世には存在していなかったものだからな」

 サッと顔を蒼褪めてさせてしまうマルコを見て、ジョン・スミスは一つ溜め息をつく。
 そして、外套の袖から小石を取り出し、イーノクに向けてピンと弾き飛ばす。
 見事小石を額の中央にぶつけられたイーノクは、呻きながらあたった場所を押さえる。結構痛かったらしい。

「脅かすな。この程度、大した事でも無いだろうに」
「いやいや、物理的にありえない現象ではあるんだぞ。まぁ、似たようなことは簡単に出来るが」
「な、何だ、良かった」

 露骨に胸を撫で下ろすマルコと、悪戯がばれて悔しそうにしているイーノク。
 普段から見た目に合わない物言いをするイーノクだが、
こういうときばかりは外見相応の振る舞いとなるので微笑ましいといえば微笑ましい。
 が、イーノクの実年齢を知っているジョン・スミスとしては若作りにしか見えないのだが。

「まぁ、そんなわけで魔法は身近にあるけど一般人ではなかなかお目にかかれない代物だ。
それに対して、機械の方は日常的に使うな」
「そりゃそうだよね。どんなのがあるんだ?」
「生活に密着してるからどんなの、と限定して教えるのは難しいな。まぁ、代表的なのは蒸気機関車か」
「機関車かぁ。で、なんでぼく達はそれを使って無いんだ?」
「そりゃこっちには線路が無いからな。ここらは線路を敷くには少し条件が悪いんだ」
「条件? この辺りってそんなに起伏が無いから線路なんて敷きやすそうじゃないか」
「地形はな」

 苦笑し、イーノクは天井を見上げる。年代ものの宿に相応しく、染みがたくさんある。
もしかしたら、雨漏りとかするかもしれない。
201迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:53:38 ID:XRaGUXGU
(8/15)
「問題はあの場所に住むハイエナだ。あれらは魔法を使う。一頭だけならまだ対処のしようもあるが、
なにぶん数が多い。あの平原を中心に、かなり広範囲に生息しているしな。まぁ、警戒心が極めて強いから、
人里近くには寄ってこないが」
「警戒心強いって言っても、魔法とやらが使えるなら人間より強いだろ。なんで寄ってこないんだ?」
「はは、人里に来ると痛い目に遭うからな。ここらの集落は遠距離攻撃専用の魔法具を持った専門家が必ず守ってる。
頭が良いとはいえ、所詮はハイエナだから脅かせば逃げていくしな」
「あれ、魔法具って高いんだろ? なのにこんなド田舎がそんな良い物買えるのか?」
「ここらの魔法具は国から貸与されてるものだよ。ここでしか育たない珍しい薬草の類があるから、
国は安定してその薬草を得るためにこの辺りを守ってくれてるのさ。
魔法具を持った専門家も、国軍で徹底的に訓練された精鋭だしな」
「ふーん。薬草ねぇ。そんなもんに価値があるのか?」
「薬草自体は安いものだよ。繁殖力も強いし、驚異的なまでに連作に耐えるし。
ただし、安定して供給されないとまずいものなのさ。何せ、主要な都市で流行ってる蒸気病の特効薬の材料だからね」
「蒸気病?」

 聞き慣れない言葉なのか、マルコは首を傾げる。
 そんなマルコに力強く頷いて見せ、イーノクは話を続ける。

「そう、蒸気病。蒸気機関が発達していると言ったろう。
その機械を動かすと煙が出るんだが、その煙に肺をやられてしまう人が結構いてね。
そんなときにここらで採れる薬草……アッサマールというんだが、これで作った魔法薬を専用の器具で吸入するんだ。効果は絶大だぞ」
「吸入するだけか。お手軽なんだな」
「まぁ、魔法の薬だしな。今後お世話になるかもしれんから覚えておくと良い」
「お世話にならないように頑張るよ」

 そう苦笑しながらグラスの水を飲み干し、マルコは一息つく。
 喉を潤せたことで思い出したように疲れが噴き出てきたらしくマルコが眠そうに目を擦り始めたため、
イーノクは話を打ち切り、優しく笑いかける。

「さ、もう寝よう。この町からは馬車が使えるから、続きは明日、馬車の中で話すよ」
「ん、ああ……分かった。おや、ひゅみ……」
「お休み」

 挨拶を終えるや否や、ばたりとベッドに倒れこみ寝息を上げ始めるマルコ。
 そんな彼に布団を掛けてやり、イーノクもその隣のベッドに寝転がる。
そして、立ったままのジョン・スミスの方に目を向けた

「で、お前はどこで寝るんだ?」
「この椅子に座って休むぐらいだな。まだベッドで休まなきゃいけないほど疲れてない」
「そうか。体を壊さんようにな」
「ちゃんと限界は見定めてるさ。んじゃ、お休み」
「ああ、お休み」

 窓際の椅子に腰掛けたまま目を閉じたジョン・スミスを見て、イーノクも眠りにつく。
 静かに、静かに夜は更けていった。




202迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 02:55:02 ID:XRaGUXGU
(9/15)
 朝、もう日が高くなって来た頃。
 ようやくマルコは目を覚まし、身を起こした。
 起きたところでまだ自分が今どうなっているのかを忘れているらしく、キョロキョロと部屋を見回している。

「あれ、ここは……」
「おはよう、マルコ。体調はどうかな?」

 どうも目が覚め切っていないらしいマルコに、イーノクが話しかける。
 マルコは数度目を瞬かせるとようやく自分の今の状況を思い出したようで、少々恥ずかしそうに頭をかく。

「あ、ああ。おはよう、イーノクさん。体はなんとも無い。ちょっと寝ぼけてたみたいだ」
「気にすることはない。疲れてたんだしな」

 特に気にしていない、という表情で言うイーノク。手にはなにやら小冊子を持っている。
恐らくは今まで読んでいたのだろう。
 まだ少し寝ぼけた頭を目覚めさせるために、マルコは軽く頭を振る。
と、部屋にジョン・スミスがいないことに気付いた。

「あれ、あのジョンって人は?」
「ジョンか。アイツには今、馬車とかの手配をしてもらってる。ジョンが戻ってきたら、飯を食って出発しよう」
「えっと、ここからは馬車なんだっけ?」
「ああ、街道を通っていくからな。途中の駅町まではトイレはないから、乗る前に行っておくんだぞ」

 イーノクの言葉に頷き、マルコは思いっきり伸びをしてベッドから起き上がる。
 起き抜けでのどの渇いているマルコはベッドサイドに置いてある水差しに手を伸ばすが、
昨日目の前のイーノクに言われた言葉を思い出して手を止める。
 しげしげと水差しの中身を見てみるが、無色透明の水であるということ以外は分からない。
 なので水差しを手に取り、マルコはイーノクに尋ねてみた。
203迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:00:12 ID:XRaGUXGU
(10/15)
「これ、飲んでも大丈夫か?」
「ああ。朝にジョンが魔法で出してた水だからな。
まぁ、でかい町以外ではあまり生水は飲まないように注意していれば良い。
その代わり茶や、酒の類ならがぶ飲みしても大丈夫だ」
「注意しよう。もし飲んだらどうなるんだ?」
「腹痛を起こして、そのあと下痢だな。どうしても飲まなきゃ駄目、って場合は覚悟しとけ」
「うはぁ」

 サーッと顔を青くするマルコ。
 そんなマルコの顔を楽しそうに見て、イーノクは満足気に頷く。
思ったとおりの反応をしてくれるため、嬉しいらしい。
 と、そんな風に談笑していると、コンコンとドアがノックされた。

「誰だ?」

 ドアの向こうの相手に向けて、イーノクは冷めた声を掛ける。
 それまでマルコに向けていたような人間味のある声ではない。

「俺だ」
「ジョンか。ノックなんかするから、誰かと思ってしまった」

 ジョン・スミスの声が扉の向こうから聞こえてくると、
イーノクは先ほどの冷たさが嘘のようになくなり、マルコと話していたときと同じ熱を取り戻す。

「それじゃあ、食事にしよう。下の食堂で待ってるから、着替えたらすぐに来いよ」
「分かった」

 イーノクの言葉にマルコが頷くのを見てから、イーノクとジョン・スミスは去っていく。
 一人残されたマルコは、ベッドサイドに置かれていた寝ている間に用意してくれたのであろう服に手を伸ばした。




204迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:01:07 ID:XRaGUXGU
(11/15)
「さて、聞きたいことはなにかあるかね?」

 幌付きの馬車の中、イーノクがマルコに話しかける。
 ぼーっと外の景色を見ていたマルコは、ハッとした表情をして何故か慌てながらイーノクの方を向いた。

「あ、ああ。んーと、そうだ。昨日、ここらに線路を引けないのはあのハイエナがいるからだって言ってたけど、
魔法具の一発で追い払えるぐらいなら、軍隊かなんかでどっかに追いやれないのか?」
「なかなか鋭いな。実は、そういう計画が立てられたことはあるんだが、失敗したんだよ」
「そりゃまたなんで?」
「あいつらは大地の魔法を使う。迷って町に近付いて来た時のように一匹二匹なら別に怖くは無いが、
あいつらが本気で戦いに来たら極めてまずい。
例えば、大地に潜って奇襲してきたり、魔法で連携行動まで取るからな。
ついでに、一つの群に手を出すと、あっという間に近くにいた群がやってくる。
そうなればお仕舞いだ。昼夜の別無く奇襲と魔法攻撃を受けては、どんな屈強の兵達だってやられてしまう」
「なるほど」
「オマケに、人間が必死に陣地を築いても、その土台を泥に変えられたりしてあっという間に崩されてしまうんだ。
一度そんな目に遭ってから、あの場所に手を出そうという奴はいない。それにトンネルを掘る技術が確立されたし、
大都市同士を繋ぐのに遠回りになるから線路を通そうという計画もおじゃんになったわけだ」
「へぇ」

 何気なく訊ねたことからちょっとした歴史の一幕を話され、感心して聞き入っているマルコ。
 と、そこで少し気になることが出来て、マルコは首を捻る。

「えーっと、なんでイーノクさんはそんなことを知ってるんだ? 学校とかで習うもんだったりするの?」
「学校……ジョン、今のってボードスクールで習うか?」
「一番早くてもアカデミーの科学科の本科の第一課程だな。
魔法学や錬金系統の学科だと第二課程か第三課程だったと思う。ボードスクールでは習わないだろう。無意味だし」
「アカデミー?」

 イーノクとジョン・スミスの会話に出てきた聞き慣れない単語に、マルコは更に首を捻る。
 ボードスクールはマルコにも分かる。公立学校だ。だが、アカデミーとはなんだろうか。
 そんな風に悩むマルコに気付き、イーノクは苦笑しながら説明してくれた。

「アカデミーは寄宿学校の一種で、錬金術だの科学だの理系科目が多いな。文系は昔の本を解読するぐらいか。
ちなみに才能さえあれば魔法も教えてもらえるぞ」
「なるほど。それで、あの」
「なんだ?」
「イーノクさんって、いくつなんだ? 見た目は十代前半ぐらいなんだけど、もしかしてもっと年上とか?」
205迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:01:54 ID:XRaGUXGU
(12/15)
 ある意味至極真っ当な質問である。
 確かに普通は気になるものだろう。
 だが、そんなマルコの何て事の無い質問に、イーノクの表情が凍りついた。
 不審に思ったジョン・スミスは、アゴを撫でながら口を開く。

「まさか、まだ言ってなかったのか?」
「うむ。どこまで誤魔化せるか試していたのだが……結構、聞かれるのが早かったな」
「?」

 呆れたように話すジョン・スミスと、少々残念そうなイーノク。ついでにそんな二人を不思議そうに眺めるマルコ。
 仕方が無いので、一旦目を伏せ、イーノクは溜め息をついた。

「私は長命種という種族だ。
人間と違い、寿命はほぼ無限に近いが、その代わり十代前半ほどで肉体の成長が止まってしまう。まぁ、そういうもんだ」
「はぁ、長命種、ねぇ」
「そうだ。とりあえず、私が長命種だということは口外無用にしておいてほしい。知れると少々厄介なのでな」
「分かった。で、幾つなんだ?」
「三百五十だ。ちなみに、そこのジョン・スミスは二千歳超。長命種でもないくせに桁外れに長生きしてる化け物だ」

 は、とマルコは口を大きく開けたままイーノクとその隣にいるジョン・スミスを交互に見る。
 片や少年、片や何故か顔がぼやけて見える大きなコートを着た男。
 ……イーノクの方は置いておいて、確かにジョン・スミスの方は年齢不詳な感じではある。

「えっと、イーノクさんは長命種とかいう種族だから良いとして、ジョンさんは普通の人間じゃないのか?」
「いや、分類的に言えばジョンは間違いなく人間だ。ただし、この男は鉱物と同じ寿命を持っているのだ」
「鉱物って、石とかそういうのだよな。えっと、なんでそんなことに」
「ああ、千五百年ほど石化していたからな。どうも、肉体が鉱物の時間を生きるようになってしまったらしい。
おかげで探し物は長く出来るから、それはそれでありがたいことだ」

 さりげなくとんでもないことを言うジョン・スミスに、マルコは呆れて物も言えない。
 ぽかんと口を開いているマルコに肩を竦め、ジョン・スミスは続ける。

「理論的には間違ってないんだがな。まぁ、普通は奇異に見えるか」
「理論?」
「難しいことじゃない。魔力、というものはそれだけで結構不思議な性質を持つ。
例えば、長期間に渡り高濃度の魔力に曝され続けた物質は命を持つようになったりな。
で、俺は相当に強い魔力を持っているんだが……後は分かるか?」
「石になった後も魔力を持ってたから、石としての命と、人としての命の両方を持ってしまったとか?」
「良い考察だ。まぁ、正確には混ざってしまったんだがな。鉱物の持つ不変性と、人間の生物的性質が。
つまり、寿命の存在しない人間の完成というわけだ。
ちなみに、混ざったって言っても何かの検査に出るわけでも無いから、あくまでも分類上は人間以外の何者でも無い」

 なんともこずるいことを言いながらジョン・スミスは自嘲するように笑う。
 と、マルコは何かに気付いたように軽く首を傾げた。
206迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:02:48 ID:XRaGUXGU
(13/15)
「そういえば、宝石とかはどうなんだ? 魔力とやらを相当長い時間浴びてると思うんだけど」
「ああ。だからたまーにあるんだよ。例えば、呪いのダイヤとか、何故か持ち主を転々とするエメラルドとかな。
ちなみに溶かされて他のと混ぜられる金属類にそういう類のものの話を聞かないな。
喋ったりする奴がいないから、分からないだけかもしれん。案外、魔剣とかがそういう類のものなのかも知れん」
「ふーん。じゃあ、動いて喋る金属を見つければウハウハってことか?」
「そういうことだな。俺も見た事は無いが、もしかしたらいるかもしれん」

 はっはっは、と二人して笑い、ジョン・スミスはひょいと隣を覗く。
 隣でイーノクが何故か少々つまらなそうな顔をしていたので、そろそろ話し手を変わるために話を切る。

「ま、そういうことだ。んじゃ、そろそろ話したがりに変わるぞ」
「……いや、話したがっては」
「へぇ、そうなのか。じゃあ、俺が続きを――」
「ごめんなさい、話したいです」
「最初からそういえばいいものを」

 ジョン・スミスは苦笑しながらヒラヒラと手を振り、馬車の壁にもたれて目を閉じた。
 しばらくは何も言う気が無いらしい。
 そんなジョン・スミスを憮然とした表情で睨んだ後、イーノクは溜め息をつく。

「さて、続きだ。まぁ、そんなわけでこの辺りには線路はない。舗装された道路も、同じ理由で無い。
大都市に行けば自動車が走ってるが……まだ技術が低くて悪路を走破するだけの能力が無いのが現状だな」
「ふーん、じゃあ飛行機とか船はどうなんだ?」
「いい質問だ。飛行機はかなりのレベルだと思う。少なくとも、空賊なんて稼業が成立するくらいにはな。
蒸気機関車よりも速いし、こっちを好む奴らも少なくは無いが……まだまだ金持ちのものだな」
「空賊ねぇ。自由そうな感じだ」
「まぁ、確かに自由な連中だよ。大空を自由に駆け、貨物艇を襲ったり、空にある古代の遺跡を荒らしまわる。
んで、たまに町に来て酒を浴びるように飲むんだ。奴らほど自由という言葉が相応しい奴らも少ない」

 幌についている窓を覗き込み、イーノクは眩しそうに空を見上げる。

「飛びたくても飛べない私からすれば本当に羨ましい話だよ」
「飛べないのか? 飛行機はあるんだろう?」
「あー、うちの一族に科せられた罰みたいなものでね。
上から離反した際、絶対に空を飛ばないことを約束させられたのさ。お陰で面倒でたまらない」

 なんともいえない表情を浮かべ、イーノクはマルコに向き直る。
207迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:03:43 ID:XRaGUXGU
(14/15)
「まぁ、生活でそれほど役に立たない知識はこんなもんか。ここからは生活に関係したものを話そうかな」
「たとえば?」
「そうだな、単位だ。重さはギャラム、長さはメルーとチサンを使う。百チサンが一メルーだ。
それで、大体ジョンの身長が百八十チサンぐらい。私は大体百五十チサンほどか」
「ふんふん」
「で、長さも重さも一つの単位じゃ使いにくい。大きい数や小さい数を表しにくいしな。
で、千倍でキロイ、千分の一でミールを頭に付ける。たとえばキロイメルーやミールギャラムか。
例を挙げると、ジョンの体重は約九十五キロイギャラムだ。
あと、ここから目的地であるゴールドバーグまで大体三百キロイメルーほど。
ああ、ちなみに面倒だから長さか重さか分かってるときはメルーやギャラムは省いてもいい」

 例を示しながら、できる限り分かりやすく説明するイーノク。
 それを相槌を返しながら聞き、マルコはイーノクとジョン・スミスを見比べたりしてみる。
 と、ジョン・スミスがどこからか物差しを出してマルコへと放った。

「それの大きい一目盛りが一チサンだ。小さい目盛りは一ミール。
それはやるから、いろいろと測ってみるといい。口で言われるより、自分でやってみた方が理解は早いだろう」

 そっけなくそう言い、ジョン・スミスはまた窓の外へと目を向ける。
しかし、この男、何故物差しなんかを持ち歩いているのだろうか。
 色々と疑問はあるが竹で出来たその物差しを手に取り、マルコは一つ頷く。
確かに自分で測ったり出来るとわかりやすい。
 なので、素直に頭を下げる。

「ありがとう」
「ああ、どういたしまして」

 マルコの言葉に視線すら動かすことなく返答し、ジョン・スミスは窓の外を見続ける。
 面白いものがあるわけでもないのだが、どうも景色を見るのが好きらしい。
 少しの間、ジョン・スミスの言葉を待っていたマルコとイーノクだが、
ジョン・スミスが何も言わないのでイーノクは話を続けることにする。

「まぁ、慣れるまではそれでいろいろ測ってみることだ。
さて、今からは少々ややこしい単位のことを話すぞ。容積の単位だ」
「容積? 水とかの量のことか?」
「ああ。これがまたややこしい。ジョン、酒瓶いくつか持ってるか?」
「ほれ」
「流石だ。さて、これを見てくれ」

 ジョン・スミスから懐どころか袖口からごろごろ出てきた酒瓶を受け取り、イーノクはマルコにそれを渡す。
 と、マルコは何かに気づいたように声を上げた。
208迷子1 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:05:06 ID:XRaGUXGU
(15/15)
「あ」
「おお、早いな」
「これ、全部大きさが違うな。何でだ?」
「分かりやすいようにジョンが選んでくれたんだろう。それ、全部一何とかの量の瓶みたいだしな」
「へぇ」

 マルコはまじまじと渡された瓶を見る。全部空っぽだが、形も大きさも違うので見ていて飽きない。
 しかし、これ全部が違う単位だといわれても少々信じがたい。

「これでかいな。一番でかい」
「それは基本の大きさだ。一ガロンって言って、それを元に量が決まってる」
「ふぅん。じゃあ、この二番目にでかいのは?」
「クォートだ。一クォートは二分の一ガロン。
店で売ってる飲み物はこの大きさの瓶が多い。覚えておくと便利だ」
「それじゃ、この三番目のは? 持ちやすい大きさだけど」
「パイントだな。酒場での飲み物が大体この量のグラスで出てくる」
「んじゃ、この一番ちっこいのは? あんまり量が入りそうに無いんだが」
「それはジル。ぶっちゃけた話、あまり使われてない。つか、ジョンはこんな瓶よく持ってたな。初めて見たぞ」

 マルコから一ジル瓶をひったくり、イーノクは苦笑しながらその瓶のラベルを見る。
 そこにはゴリニシチェに程近い小国の特産品である『最強の酒』の名前が刷られていた。
 名を『スピリトゥス・レクティフィコヴァニ』。無駄に高いアルコール度数を誇る、蒸留酒の一種だ。
 よほど酒に強くないと、ショットグラス一杯でさえ泥酔できる代物。さりげなく火気厳禁とか書いてあるのが恐ろしい。
というか、現地の人々はストレートでは飲まない。必ず水で割るか、果実酒にして飲むのだ。
 引きつった顔でそのラベルを見た後、何かに気づいたイーノクはジョン・スミスを横目で見る。
 普通はストレートでは飲まない酒でも、このジョン・スミスという男は必ずそのまま飲む。
ついでに、瓶を開けたら、絶対にその日のうちに飲み干すのだ。
 正気の沙汰ではない。
 なんというか、恐れるような目でジョン・スミスを見ていたイーノクだが、溜息をついて諦める。
どうせ常識など通用しない。

「ま、まぁ、こんなところだ。今教えたのは生活に密着してるから、すぐに覚えるだろう。
他にも生活の中で必要なことはあるが、そこら辺はおいおい教えていく」
「分かった」
「あとは、でかい街に入る前に注意しておくことをいくつか話そう。たとえば――」

 イーノクの話す声が途切れることなく続いていく。
 スリに注意しろだの、あんまりきょろきょろするなだの、まるで旅行のガイドのようだ。
 そんなイーノクに対し、いちいちクソ真面目に相槌を打つマルコ。
 なんとも相性のいい二人を尻目に、ジョン・スミスは気づかれないように笑う。




 四日後、一行は旧都ゴールドバーグに着くのだった。
209 ◆zsXM3RzXC6 :2009/04/23(木) 03:08:50 ID:XRaGUXGU
投下終わりました。
210創る名無しに見る名無し:2009/07/27(月) 12:50:27 ID:Jvhece74
続き書きませんか?
211創る名無しに見る名無し:2009/07/30(木) 17:36:22 ID:OsZKWAZz
生物災害で全人類の七割がゾンビになった世界を舞台にした
「終末世界シェアードワールド」というのをやってみたいのだがどうだろう?
212創る名無しに見る名無し:2009/07/31(金) 13:49:28 ID:BLv+RraT
>>211
ここよりも雑スレ辺りで聞いてみたら?
213創る名無しに見る名無し:2009/11/08(日) 04:11:40 ID:h5lSNwYh
帝都情報マップvol.125 特集「噂の獣人酒屋モッフ」

帝都にお住まいの皆様に階級の別無く帝都の便利なスポットや刺激的な話題をお送りする帝都情報マップ!
今回はモサモサハフハフ獣人や黒翼族に大人気の酒屋、モッフについての情報をお送りいたします!

モッフ突撃レポート

筆:突撃一番槍ことトレヴィー・ハボット

帝都の北門より五分ほど歩いた場所にある居酒屋「モッフ」。
獣人や黒翼族の方たちの中には既に知ってるという方も居るかもしれない。
何を隠そう帝都で唯一、トリミングがサービスに含まれているという珍しい酒屋なのである。
今回筆者も実際にモッフに潜入し、その至れり尽くせりなサービスを体験する事となった。
(写真1、あぁ、撫で回したい…顔とかぼふってしたい〜)
獣人や黒翼族は衛生上、どうしても毛(羽)づくろいが必要である。
特に黒翼族の羽はデリケートなので水で直接洗ったりは出来ないのだという。
手の届かないところの大体は同胞や家族、信用のおける他人種にしてもらってるが苦労が多いそうだ。
そこを狙ったのがモッフの主人、ジェイミーさん(45)である。彼は店で獣人の悩みを聞いて以来、
店員と共に毛繕いの練習に明け暮れ、遂にサービスとして完成させてしまった。
(写真2、ジェイミーさんとチークダンス。酔っ払ってこの辺は覚えてません(笑))
この毛繕いキャンペーンを始めたところ、店の売り上げは三倍に。
トリミング自体をサービスとして行っている店も皆無な所から
潜在的な需要を見出したジェイミーさんは今度専門店を出す事を計画しているようだ。
(写真3、髪の毛のトリミング中。ちょっと気持ち良いです)
さて、説明はこのあたりにしておいて店に入った感想であるが、トリミングサービス以外に
酒類のチョイスにも店主独特の光るものがある。
獣人好みの匂いの弱い酒の種類は非常に多く、案外女性の好みに合うかもしれない。
それに黒翼族は意外にも酒豪が多く、それにあわせて非常に強くて旨い酒も
多数揃えているので酒豪自慢の方にもオススメだ。
店内の調度品も古いが高級感があり、照明と合間って落ち着いた調子。
店員も接客態度に問題なく、美男美女揃いである。
ただし、店内で気を付けるべき事が一つある。それは相手に対する偏見を取り除く事だ。
獣人などによる犯罪が取り沙汰されているが彼らの大多数がこの帝都で我々と肩を並べ、
共に生きようとしている事を忘れてはならない。
(写真4、最後に店の皆さんと集合写真! 翌日目を覚ますと魔女釜通りのど真ん中で寝てました(笑))

久しぶりに見たらスレが止まってるとは思わなんだ…
214創る名無しに見る名無し:2009/11/09(月) 19:00:47 ID:cu/wZYe3
投下乙
なんという癒し系の居酒屋だ
こんな場所があったら絶対に毎日通っちまうぜ
215創る名無しに見る名無し:2010/01/14(木) 09:26:40 ID:DXnNoCTc
ちょっと疑問。
ここの設定使って書いたのを、例えば自サイトとかに載せるのはアリなんかね?
または、ここに載せたのを自分で書き直して掲載するとか。
216創る名無しに見る名無し:2010/01/15(金) 21:18:31 ID:rOdteQvX
設定はここから借りましたという注釈をつければありなんじゃない
自分で掲載したのを再考して載せるのは、本人の証明が出来ないと
ちょっとツッコミとかが来るかもしれない
217創る名無しに見る名無し
>>216
レスサンクス
やっぱり書き直すほうはやめといたほうがいいのか
んじゃ、設定を借りるにとどめておこう