例えば、十一月の公園に落とし、路上に散らばった記憶。
雲居に揺らぐ、静電気を纏ったウサギの記憶だ。
彼女は云った、
「いっそ虐待とか、されてたかったかもしれない。」
――あれは、誰の言葉だったのだろう、なんて。
凍て付いた遊歩道に、靴底の感覚さえ感じられず、
水分を奪われた喉の皮膚が刺さりあう、辛うじて得た生命感覚。
遊歩道はたぶん、睡蓮の葉で出来た頼りない橋だ。
一歩狂えば、彼女の如く―― どぼん。
不意に,
皮膚感覚――編集されたフィルムに映り込むサンダル履きの少女――記憶を捏造して、
まだ足りない。
まだ足りない。
まだ足りない、とねだる子供の群れが。
なんだ、あの子供たちはただのトラウマじゃないか。
嗤おうとして、ギアを入れ間違えたら、視界がまた浸される。
――悲劇役者なんて、好んで繰り返した癖に。
レコードが遠く、日曜日の終わりを嘆くのが聞えていた。
こんな時、彼女ならば,
◆ ◆ ◆ ◆
――記録映画のワン・シーンより
「私、別に家が暗かったとか、誰かが死んだとか、そういうのないもん。
シンデレラみたいにいじめられてたとか、
白雪姫みたく誰かにひどい事されたとかって、そういう話もないの」
私が勝手に暗くなってるだけなんだよ――リオの口癖だった。
そんな事を呟くたびに、余計にリオが小さくなっていくようで、
この腕で捕まえていないと消えてしまいそうで恐くなって、また腕に力を込めなおす。
体温が溶けて、世界の音が途切れる。
大丈夫だよ、彼女は慈しむように囁いてくれた。
「私、歩けないし。そんな強く抱きしめてなくたって、身体はずっと、ここにあるよ。」
居る、とは聞えなかった。それは、身体を置き去りにしてどこかへ消えようとするみたいに聞えた。
僕が欲しいのは心だったのに。
虚ろな意識と焼け付いた胸が熱病に浮かされたような僕たちを辛うじて現実に繋ぎとめていた。
このまま二人で「死」を始めてしまっても、吝かでないとすら。
だから、彼女は――
「君、私の事 愛してないって云ってたよね」
彼女の声は、彼女自身の部屋の中で反響して、僕には木霊しか聞き取れない。
壁に耳を澄ますように、心音を伝うように、願わくば血流さえも通えばいいと……。
僕が求めてるのは、君の心であって、君じゃないなんて、気付いてない振りして。
「でも、いいんだよね。私はただ、ばらばらになりそうな私を、壊れないようにしてて欲しいだけ」
君じゃなくてもいいのかもしれない、なんて嘯いたりして。
ねえ、知ってる。
ウサギって、肉食用のもいるんだって。
捌かれる事に慣れすぎた僕の心なら、君の虚ろな穴も理解できたのかもね。
君は、やっぱり私を食べてくれるんだよね。
私が死ぬときは、君だけに殺して欲しいの。
そんな日が来るといいな、なんて子供らしく思った、一年前の秋。
所詮僕らは良く出来た悲劇役者さ。
◆ ◆ ◆ ◆
子供じみた悪夢は、叶わない。
『本日の上映は出演者の都合により中止されました』
いつしか、「生きてて欲しい」なんて縋った僕は、彼女を羽ばたかせた。
ある意味で良く出来たラストシーンだったのかもしれない、なんて。
俳優には最初から向いてなかったのかもしれない。
――気付けば温かい、ベンチ。
名優ならば、ここで落涙するのだろう。
ただ、僕はあまりに心を売りすぎた。
翻って、彼女はなんて素晴らしい女優だったろう。
僕はもう一度、台本の不備を呪った。
けれど台本を書いたのは、結局僕たち自身で、
本日、俳優業を退職する事に決めました。
ごめんなさい、監督さん。
辞表は、靴の中にでも押し込んでおきます。
――――どぼん。
(了)