【お題で創作】月間創作発表グランプリ作品投稿スレ

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8743月「クローバー」1/4 ◆W6r3EkuG1Y
 部屋が広く感じるようになってから二ヶ月。
 一人で過ごすには寂しすぎて、それでも慣れ親しんだこの部屋とも今日でお別れだ。
 積み上がっていたダンボールが無くなり、綺麗に掃除された部屋の中をレンズ越しに覗く。
 いつもならフレームの真ん中に居た、この部屋のもう一人の住人でもある被写体は、二ヶ月前から僕の構えるカメラに写らなくなってしまった。

「おーい、荷物無いなら車だしていいかー?」
「あ、あぁ! ここの鍵を返したら俺も行くから、先に始めててくれ」

 ベランダに出ると手伝ってくれた友人たちが見える。何処からか僕が引っ越す事を聞きつけ、勝手にやってきて勝手に手伝って。
 そして、この後は僕が新しく暮らす事になる部屋で朝まで騒ぐ、なんて事を勝手に決めていた。
 ベランダからまだ傷一つ無い、四葉のクローバーを模ったキーホルダーが着けられた鍵を落とす。
 それを受け取った友人が車に乗り込むと、短いクラクションが鳴り、滑るように走り出した。
 小さく手を振って見送った後、僕はもう一度カメラを構える。
 誰もいない家具も無い部屋。いろんな思い出だけが詰め込まれていて、ほんの少しだけここを離れるのを躊躇う。

「ふぅ……」

 こんなにも心細いのは久しぶりだ。だからこうして写すつもりも無いのにカメラを構えたりするんだろう。
 僕が覗くレンズの向こうにはいつも彼女がいて、いつも恥ずかしそうに笑ってた。ただ、今はそれが無いだけでこんなにも落ち着かない。
 きっと、これが惚れた弱みなんだなぁと思う。元々一人でも生きていけるなんて言えるほど強いわけじゃなかったけれど。

「これでよし……と」

 鍵のかかった音が済んだ春先の空に消えていく。戻る事はもう無いこの部屋がくれた、お別れの挨拶のように聞こえた。
 まだ道の隅には融け残った雪が、日の光を反射してその白さを主張している。
 暦の上ではもう春になってはいたけど、僕のカメラはもう少しだけ冬の名残を写すだろう。
8753月「クローバー」2/4 ◆W6r3EkuG1Y :2009/03/01(日) 05:11:34 ID:vbvwBHGt
 徒歩十分の場所にある不動産会社に鍵を返し、これから何度も「ただいま」を言う部屋を目指す。
 途中でスーパーに寄って足りなくなるだろう酒や食材を買い足した。
 土曜の昼間だからか家族で来ている買い物客に目が行く。
 子供の手を引いている父親と、それを幸せそうに見つめる母親。
 なんともいえない気持ちになり、気付けば僕の足はいつもより速く動いていた。

「あれ、まだ来てないのか?」

 近所迷惑で苦情も覚悟していた僕としては拍子抜けするほど静かな新居。
 今後使うかもと念のため契約した駐車場には荷物を積んでいたトラックもない。
 聞こえてくるのは階段を上る足音と、品物の入ったビニールが立てる音だけ。一人で過ごした二ヶ月間と重なる。
 僕の苗字の書かれた札の下に、301と部屋番号が打ってあるドアの前に立つ。今日からここが、僕の新しい帰る場所だ。

「ん?」

 鍵を差し込むが鍵は開いていた。この部屋の鍵は僕が持っている物と、友達に渡したスペアの二本だけ。
 管理会社なら持っているかもしれないが、勝手に入ったりはしないだろう。
 大方友人たちが鍵を閉め忘れて出て行ったんだと言い聞かせ、恐る恐るドアを開いた。
 夕日が玄関を照らし、なんとも不気味な雰囲気を醸し出している。友人たちの靴は無い。やはり鍵をかけ忘れただけのようだ。

「無用心なやつらだなぁ……ただいま」

 返事を返してくれる人のいない挨拶は慣れない。玄関の電気を点け、脱いだ靴をそろえてリビングへ向かう。
 カーテンの閉められたリビングは夕方でも真っ暗と呼べるほど何も見えない。記憶を頼りにスイッチを探すと、思いの他すぐに僕の手に触れた。
8763月「クローバー」3/4 ◆W6r3EkuG1Y :2009/03/01(日) 05:12:09 ID:vbvwBHGt
 指に力をいれ、スイッチを押す。
 パチリと小気味の良い音に続いて、明るくなった部屋に軽快な炸裂音と紙吹雪が舞った。

「祝、引越し! ア〜ンド――」
「祝、お父さん! おめでとー!」
「ただの父親じゃないだろ? なんたって双子だもんな!」
「おーっとそうだった、ほいこれ。引っ越し祝いな」

 クラッカーが一斉に鳴らされ、一瞬だけ思考と心臓が停止した。
 友人の一人が、まだ固まっている僕の手に綺麗にラッピングされたプレゼントをねじ込んだ。
 未だ考えられない頭のまま包装紙を取ると、中にはクローバーの描かれたアルバムが入っていた。
 それを見てもまだ反応できない僕を見て腹を抱えて笑う友人たち。 はめられたと気付いたのと同時に、顔が赤くなっていくのを実感した。

「お、お前らっ!」
「いいっていいって、お前の趣味って写真だろ? これなら生まれてくる子供の写真とかいれられるからな」
「あ、あぁ……ありがとう。じゃなくて!」
「しかしこんなに見事に引っかかるとはなぁ! はー、腹いてぇ! ほら、そんな事よりお前に電話だ」
8773月「クローバー」4/4 ◆W6r3EkuG1Y :2009/03/01(日) 05:12:41 ID:vbvwBHGt
 バカ騒ぎする友人の一人が差し出したのは誰かに繋がっている携帯電話。
 押し付けられるように出てみると、そこからは聞きなれた笑い声が僕の耳に入ってきた。

「ふふっ、まんまと引っかかったみたいね」
「お、お前が首謀者か!」
「そう、あなたが一人で寂しくしてるだろうから、みんなに励ましてもらおうと思って」

 そう言って二ヶ月前から僕のカメラに写ることの無くなった人が笑う。僕は彼女には敵わないんだと思い知らされた。
 彼女は今、出産に備えて実家に帰っている。予定日のひな祭りの日には僕も彼女の実家に行って、立ち会うつもりだ。

「さてさて、せっかくですからもうすぐ父親になるこの部屋の主に、もうすぐ母親になるこの部屋のもう一人の住人に、愛の言葉でも言ってもらいましょうか!」
「おいっ! 変な事いうなよ!」
「いいからいいから。ホラ早くしろよ、皆まだ一滴も飲んでないんだ、ちゃっちゃと始めたいんだって!」
「飲んでないのにこんな状態だったら余計性質悪いわ!」

 騒ぎ立てる友人たちと、それにノって僕の言葉を待ってる最愛の人。どうやら本当に朝まで騒ぐことになりそうだ。
 今日は僕が二人で過ごした部屋と、二人だった生活と、ただの夫だった僕が別れた日で。
 これから四人で過ごす部屋と、四人で送る生活と、父親になる僕が出会った日。


         クローバー 完