「あなたも同じ症例ですか」
彼女は流暢な日本語で、そう訊ねて来た。
栗色の髪に青い目の、二十代前半に見える美人だった。
外人女性と話したのは、この時が初めてだったかもしれない。
僕が笑顔で頷くと、彼女は少し涙をにじませた。
「不安です。あなたは強いんですね」
僕だってそうだ。
世界中で謎の脳疾患が広まったのが、先月の事だった。
その方面の権威が、長期的な研究が必要と判断してコールド・スリープ装置の利用による患者の時期別保存を訴えかけたのが先週の事。
数十年に渡って床ずれの壊死を起こさない新型だというが、人間での臨床実験はもちろん世界でも初めてである。
その意味もあって、学術研究費はアメリカ合衆国の研究予算で負担されるらしい。
日本で第一号患者と推定されていた僕は、その権威の計画に同調する形で僕にロサンゼルスへの転院を進めた。両親は泣いたが、このままでは僕が日常生活できない事も知っているため、承諾してくれた。
――それにしたって、何年掛かるのか、目論見が全く経っていない。
「死ぬよりはいいさ」
僕が青目の彼女にそう言うと、彼女は頷いた。
「でも、起きたらリューグーでしょう? 起きた時に周りに誰も知ってる人がいなくなってたら、私、怖い……」
僕は笑った。竜宮城が出てくるとは、この日本語達者な外人さん、よほど日本マニアらしい。
「起こされる時は一緒でしょう。丁度いいや、僕がその『誰か知ってる人』になりますよ」
彼女はようやく笑った。
彼女の名前はマリーと言い、聞けば、日本語学校で先生を務めているほどらしい。
第一号のコールド・スリープ実験対象は、男女組で僕ら二人だけとの事だ。
スリープ装置の準備が整い、僕らは別々の機械に収納された。
僕の不安も、いつしか消えていた。
今の友達や両親は多少老けてるかもしれないが、その分僕らは若さを楽しめると思えばいいんだ。
「それでは、睡眠ガスを注入いたします。不安はありません。すべて、お任せ下さい。どうか、良い夢を――」
――起きたら、彼女に英語を教えてもらおう。
とても心地良い眠気に任せて、僕は長い長い欠伸をした。
――寒い。
寒い。
寒過ぎる。
暖房をつけてくれ――
半覚醒状態のまま、僕は薄目の先で視界が治り始めている事を知る。
長い夢が続いていた気がする。それは気のせいかもしれないが、視界に映る外の様子は僕に微妙に警鐘を鳴らしていた。
……天井が、崩壊しているのだ。
口はまだ開かない。冬眠からゆっくり醒めているような感覚だ。まだるっこしい。
意識は幾度となく睡魔に足を絡めとられたが、僕の興味は天井が崩壊していることに釘付けになっていた。
冷や汗のような感覚がずっと続いている。ようやく呼吸を急げるようになった。僕は肺と喉をゆっくりと叩き起こしながら、酸素の吸収を急かし続けた。
突如、装置のフタが開いて、僕はまぶしさに目を閉じた。
暖かい。日光があたっているようだ。日光――なんでだ。
ここは、地下じゃなかったのか。
誰かの手が伸びる。医師の手だろうか。彼もしくは彼女は、僕の耳に何かを埋め込んだ。僕はまだ抗議の声を上げられるほどには、四肢が覚醒していない。
体温が少しずつ戻っていく。四肢の神経が萎縮しきっている。
指先に力が戻るまで、五分くらい冷や汗を流し続けた。
耳に埋め込まれた装置から、なんらかの言葉が聞こえる。
何かの単語のようだ。外国語。さまざまなイントネーション。
ひとつだけ、明瞭に聞き取れる言葉があった。――「hello」と。
僕はようやく目を開ける。
僕は冷えきった体に鞭を打って、ようやく身を起こした。
それから、周囲を見回した。
――何もかもが、荒れ果てていた。
部屋の壁にはびっしりと苔が生えている。
……マリー。
マリーも起きたのかい。
これは竜宮の玉手箱どころじゃないみたいだよ――
そう語りかけようと振り向いて、僕は悲鳴を上げた。
マリーの入っていた装置は、崩れた天井にフタを貫かれていた。
その隙間には、朝日を受けた白骨が覗いていた。
255 :
タイトル未定:2009/04/22(水) 15:22:10 ID:/Ss1i6SV
つづく
書きかけ見切り発車で投下でした
夜頃に第一話分まとめて投下ます
そのうちサイバーパンク臭くなる予定
僕は今、ホットコーヒーを呑んでいる。
彼女は喋り続けている。
――僕の耳に翻訳装置を設置した人物で、名前はレマというらしい。
「まあ、ルームメイトさんはお気の毒だったけど。あんな杜撰な装置で冬眠させられて生きていたんだから、神様と私に感謝した方がいいわよ」
現実味がない。
僕の思考回路はまだ解凍され切っていないようだ。
何か、感情を表現する事がとても気怠い。頭蓋の裏側がひしひしと痛む。
彼女が言うには、今は二千五十四年。――四十四年も寝ていた事になる。
それ以上に受け止め難い事実がある。
その間に、戦争が勃発したというのだ。
「自立型の電源装置が幸いしたわね。あと十年は持ちそうな数字よ。なんならもう十年寝とく?」
彼女はさっきも同じジョークを言った。あと十年、この土地が無事で、解凍ボタンを押してくれる人が現れる可能性はないって話だったはずだ。
動悸はだいぶ収まった。
僕は聞いてみた。
「なあ」
彼女、レマは小柄ながら運動選手のように肉付きが良く、茶色の髪が肩にかかるあたりで縛られている。
「君は――なんで僕を起こした?」
「研究所跡地の探索中にね、生きてる装置を見つけたから助けてみたのよ。ま、小遣い稼ぎかな」
化粧っ気はなく、肌からすると成人女性くらいか。左の頬にすこし染みとホクロがあるくらいで、整った顔立ちではある。
始終、無責任そうな笑顔を絶やさない。もしくはそれが、彼女の素の表情なのだろう。
「機器の状況データを纏め上げて、取れそうなチップを頂くだけでも金になるのよ。
あとは写真ね。空白の二十年を補填する資料としても重要なの」
空白。二十年。僕にはよく判らない。
「あ、これ。ARサングラス」
彼女はサングラスを取り出して、僕に放り投げた。
「AR?」
「拡張現実(Augmented Reality)。あげる。持っとけ。今時じゃ、そいつがなきゃ売店でドリンクさえ買えないからね」
僕は礼を言って、戸惑いながらかけてみた。
少なからず驚いた。
サングラスの向こう側には、彼女の傍らにあるバイクや彼女の持っている工具などの上にオーバーレイされる形で、名前や各種の数字情報のような文字が表示されていた。
少なくとも、僕の時代にはなかった技術だ。サングラス上に映像が投影されているだけではなく、実際に見ている「現実」をトレスする形で、追加情報を表示する。
レマの持つ端末に焦点を合わせる事で、記号の羅列がポップアップされる。――おそらく名前なのだろうが、僕には読めない。
その記号はアルファベットに近似すれば「VOODIE」と読めなくもない。
「文字が読めない。英語、ではないのかい」
「この辺じゃラグノートしか使われてないよ。――英語が先祖ではあるけど。まぁ、街に出れば日本語の翻訳キットくらい入手できると思うよ」
「便利な時代だな」
「ARをハックする奴もいるからね、迂闊に何でも開こうとすんなよ」
「何でも? 開く?」
「名前に視点を合わせて、まばたき二回で『公開情報』を開ける」
改めてARと共にレマを見る。彼女の頭上にも、名前欄がポップアップしている。
そこを見つめると、文字色が強調される。
――どうやらこのサングラスは、目の焦点をトレスしているらしい。
僕は試しにレマの公開情報とやらを『開いて』みた。
それから笑った。
「失礼ながら、とてもそんな体格には見えないね」
彼女の胸、腰、尻周りにマリリン・モンローのスリーサイズと同じ値がポップアップされていた。
「嘘付き放題ってことさ。認証ロゴとかである程度見分けられるから、詳しくは役所で聞くんだね」
頭がすこしだけすっきりしてきた気がする。
状況については、少なからず混乱しているものの――
僕はとりあえず、目の前の命の恩人の事に興味を絞ろうと思った。
「レマ、君は何歳なんだい?」
「二十一。年より若く見えるだろ」
彼女は僕のベッドにケーブルを繋いでは切り、なにか小型の電子端末のボタンを押しまくっていた。
レマの太腿も二の腕も、細いなりに筋肉の形が判るほどに逞しい。一見熟練のエンジニアのようにも見えるが、体育会系の部活に嵩じる女子高校生が悪ふざけをしているようにも見える。
「僕より年下とは思えないな。この時代の女性はみんな、――そう、なのかい」
我ながら、なにを『そう』と表現したかったのかが判らない。
レマは手を止めて、僕の目を覗き込む。
レマはポシェットから双眼鏡を引っ張り出した。
僕は手渡されるまま、その双眼鏡で彼女が指し示す方向を見た。
「見える?」
「塔、かな。建設中のようだけど、やたら巨大――」
「軌道エレベーターだとさ」
彼女は憎々しげに口調を口先を尖らせた。
「あの周辺には選ばれた人間しか済んでない。人口穀物の利権で栄えた一帯なんだけどね――私兵まで雇って領土を作ってる。周りじゃ毎日飢えて死んでる奴が出てるってのにさ」
僕は嘆息した。何についての嘆息かは自分でもわからない。
ただ、この時代が相当厳しいという事だけは理解した。
やがて漠然とした不安が募る。
日常的に餓死者が出るような社会に、僕は属した経験がない。
「あの辺には、君の言う『そう』ではない女性も居るかもね。この辺じゃ、自活したけりゃ素手で泥浚うところから始めなきゃならない」
批難されてるのかどうかよく判らないので、僕は肩を竦めた。
「――格差社会もここまで来たか」
「聞き慣れない単語だね。翻訳機のエラーランプ点いてない?」
そのとき、遠くから、断続的な機械音が響いた。
「政府か」
レマは、僕から双眼鏡を奪うと、伏せるように指示した。
僕がそれに従うと、彼女は再び双眼鏡を押し付けて来た。
「見てみな。あんたの置かれてる状況を知る助けになると思うよ」
彼女が差す先は、目と鼻の先の広場だった。
荒れ地の中に、肉眼でも確認できる不穏な存在が点在している。
双眼鏡を通すと、その姿はなおはっきり見えた。
――ロボットだ。身長二メートルほどだろうか。人間の形を模しており、スリープ前の時代にあったロボットとは比べ物にならない機敏さで動き回っている。
両足は足首から膝までがキャタピラにもなるようだ。一体は正座しながらあたりを散策している。
その両腕は、なにやら物騒なものが取り付けられている。素人目には、機銃とかショットガンとかそういった類いの火器だろうと感じた。
「あいつらは世界政府の所有するロボット。この時代の嫌われ者さ」
世界政府。言葉だけ聞けば、国連のような超国境の機関のようにも感じる。だが、続くレマの説明は俺の印象をあっさりと打ち砕いてくれた。
「今は、世界統一機構が七つほどあるのかな。キリスト教系の世界政府と、仏教系の総合協会。他は地域密着型だからこの辺じゃ聞かないけど」
宗教と結びついた権力団体の呼称にすぎないのだろう。
「で、あのロボット達は、いったい何を?」
「粛正中」
「粛正?」
「この辺に済んでる『人間』は、奴らにとって敵なのさ。判る?」
僕は頷いた。
「なるほど」
「判るのかい?」
「多分ね。つまり、四十年経っても、社会の複雑さは何も変わっていない。違う?」
レマがにやりと笑う。
「――多分ね。技術だけは伸びたけど」
彼女は立ち上がり、急ぎ目に工具を片付けてバイクに乗った。
その物音に気付いたのだろうか。ロボット達がこちらに向かい始めて来た。
「生き延びたけりゃ、後ろに乗って。
安バイオ燃料だけど、あいつらから逃げるくらいなら楽勝だから」
僕は頷いた。
「あなたには二つの選択肢があるわ」
彼女は寂れた街角にバイクを隠し、ネオンと埃に塗れた『街』へと歩きながらそう呟いた。
一人取り残されたらたまったもんじゃないので、僕も無言のうちに彼女の後に着いていた。
「選択肢?」
「総合協会の支部に行って事情を話すこと。『ならず者によってコールド・スリープ機器をこじ開けられたんです。ひとりぼっちです』ってね。彼らは保護してくれるでしょう」
総合協会――さっきの話でも出て来た組織名だったな。
そう思い返しているうちにも、レマはどんどん歩き進めていく。
街の様子はよくわからない。狭い道を他人とすれ違っている感覚はあるが、ARサングラス越しでも砂埃に塗れてしまう。
喋るにも口元を袖口で抑えなくてはならなかった。それでも口の中に砂が混ざる。
ARが表示し続けるマリリン・モンローのスリーサイズを目安に、僕は執拗にレマを追った。
「保護されたらどうなる」
「戦前のシェルターやコールド・スリープ機器が回収された前例は結構話に聞くわ。たとえば、あんな生活ね」
彼女が指を差した先には、吹きだまりでゴミ捨て場のようになっていた。そこを漁り続ける男達が数人いる。
僕は改めて自分の境遇を悟る。
この時代は、社会的な保障なんてものは望めないのだろう――
「もう一つの選択肢を聞こうか」
「ドクター・クロムという人物を紹介するわ。あなたは当面、その人の小間使いになりなさい」
ドクター・クロムという人物は眉間に深く皺が刻み込まれた、難しそうな顔の老人であった。
紹介されるや否や、僕は熱湯のシャワーを命じられた上に各種の衛生検査を命じられた。
全ての検査が別室からのリモートに寄った。その中には、いくらか性的に不快な検査も含まれた。
検疫の終了まで三時間、ようやく僕はドクター・クロムとまともな挨拶を取り交わす事ができた。
話してみると、彼は顔つきほど難しい人物ではなかった。良く話しを聞いてくれたし、時折ジョークを混ぜた返事を行う。
彼は、翻訳機越しでも通じるジョークは限られる、と締めた上で、衿を正した。
「だが、申し訳ないが、君が将来の治療のためにコールド・スリープを受けていたなんて話は正直考えにくい。
あの施設は当時、超能力者研究で人体実験を行っていたという事が記録に残っているものでな」
僕には彼の説明の方が信じ難い。
でも僕はその疑問を口には出さなかった。
信じる、信じないの前に、もっと沢山の説明が欲しかった。
「恐らく、君は騙されたと考えた方が都合が良い気がするな」
それじゃあ、マリーと僕はどこかの段階で騙されて、あの装置に就かされたという事になるのだろうか。
「もう一度、君があの施設に入った経緯を説明してくれ」
「当時、僕は世界的に流行していた奇病『ハリー・ヤコブマン症』にかかり、最後の頼みの綱としてその方面の世界的権威とされていたあの大学病院に収納されました」
「『その方面』というのは?」
言われてみると、どの方面の世界的権威だったのかを僕は知らない。
事件の前後ではテレビでもよく顔が紹介されていた――そう言った情報を受け取ったという形でしか、僕はその権威についての保障ができなかったのだ。
その事を正直に言うと、ドクターは叱責するでも呆れるでもなく、真摯な表情で頷いてくれた。
「もう少し遡れないか。そうだな……いつごろその病気にかかったのか。どのような症状だったのか。どれくらいの病院を当たった結果、あの施設に至ったのか」
僕は思い出す。
「初めは、不意に歩けなくなるほどの突発的な人事不省を繰り返してました。血液が沸騰するような感覚に襲われるんです。それで、幾度目か街中で倒れてしまい、救急車で運ばれました」
あの奇病とはなんだったのかを思い出し、早急にこの時代の技術で直してもらわなければいけない。
「症状から、脳梗塞が疑われましたが融解壊死の兆候は見出されてませんでした。大きな病院で精密検査を受ける事を勧められました」
そうだ。あの奇病。あの奇病についての手当をしてもらわないと。
「世界中で同様の症状が報告されている事を知りました。それで僕は――」
僕は。
僕は。
死にたくない――
「検疫に立ち会った医師として断定させてもらうが、君は健康だよ」
今日、あの装置から起きてから、この言葉に最も驚いたと思う。
ただ、驚いた結果の僕の反応はというと、「うへ?」という情けない言葉を漏らす事で表現されるに留まった。
「脳検査機器も随分進化してるからのう。まずそのような症状は発症すまい」
彼はコーヒーのおかわりを進めてくれた。
だが僕はというと、コーヒーカップを手に持っていたら取り落としてしまうんじゃないかというほどに、呆然としていた。
「こんなシナリオはどうだい。当時、表面上大学病院を演じていた超能力者研究所が、ある日ウィルスをばらまいた。そいつは超能力の素質がある者にかかり、『血液が沸騰するような感覚』に襲われて倒れるような発症の仕方をする――」
医師は満足げにそこまで呟いて、言葉を止めた。
僕は失望の色を隠せなかった。
「ドクター・クロム、でしたっけ」
「ああ」
「あなたご自身は、そんな与太を聞かされて鵜呑みにできますか?」
「全然」
僕は失望の色を勤めて強調した。具体的には口を半開きにして顔を少し傾けて、無表情に睨みつけてみた事になる。
「……ま、適当にやれや。金に困ったら言ってくれ、健康な臓器は需要が高いからな」
「臓器を売れと?」
「機械の体もいいもんだぜ。肝臓気にせず酒を呑める。差額で酒を買える。一石二鳥だ。
まあ、すぐに検討する必要があるかもしれんがね。検疫料、まけてやってもそれなりにかかる。来週までにこの金額だ」
僕は、おそらく請求書であろう紙を渡された。
幸い、数字は読める。
しかし、僕にはこの七桁の金額がどれくらいの貨幣価値なのかを知らない。
僕はそこで、レマの言付けを思い出した。
「レマには、『当面あなたの小間使いになれ』と言われました。その意図はよく判らないのですが――」
ドクター・クロムの双眸がぎょろりと僕を見た。
「――ああ、そう言う事か――畜生、レマのやつ、厄介ごとを増やしやがって。
だが、半年で翻訳機なしでラグノート喋れるようにならなかったら追い出すからな。まあ雑用ならいくらでもあるから、掃除でもやってもらうとするか」
僕は戸惑いながら
「すみませんが、あなたとレマの関係は?」
「育て親じゃい」
僕は、何故だか少しだけ安心した。
西暦二千四十年ほどに戦争があり、その戦争には資源戦争という通称がつけられた。
核は使われなかったが、BC兵器の類いが濫用されたらしい。自然を痛めつけるテロも多い。
レマが用意してくれた電子書籍を、逐一日本語音声に通しながら解釈を進めた。僕が寝る前の時代より、自動翻訳の技術は随分高まったようなのが幸いだ。
第三次世界大戦という名称でない理由が語られていた。
テロに次ぐテロ、その抑圧のための軍隊行動、疑心暗鬼な政治応酬――
「なんだって」
僕はつい声を上げた。
石油の枯渇。
この時代は、石油が枯渇しているらしい。
僕は慌てて、あたりを見回した。
僕にあてがわれた部屋は文字通り物置であり、中の棚に寝るだけのスペースが急ごしらえされたような部屋だった。
身を起こすとすぐ目の前が扉だ。そんな狭い部屋ではあるが、電子機器はいくらかある。ライト、空調、もちろんARサングラスだって同じことだ、電気でなくてなんで動いているというのか。
「電気はどうやって?」
「発電のこと? 石油がなくても風力、水力発電はできるし、原子力発電装置も稼働できる」
「君の乗っていたバイク――」
「合成燃料よ。ガソリン時代にくらべたらチンケな速度だったでしょ?」
代替燃料の登場と普及が間に合ったということだろうか。それにしても――僕の時代では、石油の枯渇はもっと先だと予測されていた気がする。
「資源戦争はね、石油を奪い合って浪費し合う、滑稽な戦争だった」
彼女は部屋に身を乗り出して、僕の隣に腰掛けた。
――どうやら彼女は風呂上がりらしい。
「今、完全に枯渇したのかどうかは別にしても、実際に採掘できる油田なんてないわ。
それどころか、どんな組織や国家も、ここ十年ほど石油を採掘しようともしていないはず」
二、三畳ほどとも思える部屋一杯に、彼女の湯上がりの香りが充満した。
「皮肉だけど、戦争は技術の進歩も加速させるのよね。
核融合って、あなたの時代には絵物語だったでしょう」
彼女は僕の横顔に顔を近づける――
「れ、レマ? どうしたの?」
彼女は僕の耳元に唇を近づけて、ごはんだよ、と呟いた。
それから彼女は勢いよく部屋から飛び出した。
どうやらからかわれたらしい。
リビングとは言い難い狭さに、食事が一列に並べられていた。
天井には配管が唸っている。二階からは赤子の泣き声が漏れて響いていた。
人の住める場所というのが、いかに少ないかを物語っている。
夕餉の内容は、パンのようなものと肉のようなもの、そして申し訳程度の生野菜が入ったスープで構成されていた。
「どちらも人工穀物ブレイクファスト、通称BFの種類違い。小麦の七百倍の効率で生産できるという触れ込みの食材よ」
空腹に促されるまま、僕はまず肉の方にとりかかった。
味は悪くない。焼いた際にどういった調理を加えたのかは判らないが、パリっとした食感の中から、肉汁に似た旨味が広がる。
香りも食欲をそそる種類のものだ。潮の香りが混ざったクッキーのようなものだろうか。
香辛料には困っていないらしく、胡椒がふんだんに使われている上に香草が添えられている。
「美味しいじゃないか。これが人工だって?」
「ええ」
人工パンの方は味わいが少なかった。量も多くて閉口する――主食ということなのだろうが、正直米食が欲しいと思うが、我慢できないほどでもない。フランスパンの内側に塩を降って食べているような感じだ。
バターかマーガリンが欲しくなるが、この簡素な食卓に要求を加えるのは早過ぎると思って口には出さなかった。僕は闖入者であり、乳製品が存在しているのかどうかも判らない。
人工肉の旨さは普通に喜ばしい。
「ふうむ。BFを旨そうに食う奴、久々にみたわい」
振り返るとドクが立っていた。
彼はつかつかと彼の椅子に座り、パンを頬張り始める。
「家畜を育てられる土壌さえ確保できりゃ、酪農でも初めてみたいもんだ」
「露天にゴキブリの唐揚げが並んでましたよ。今度、買ってきましょうか」
そう言ってレマが笑った。正直、食事中にされると不快な話題である――が、思い直してみればレマが生まれた頃には既に戦時中か戦後だった事になる。彼女には日常だったのかもしれない。
そう言えば、ウーパールーパーさえ食用になるという話を聞いた事がある。その気になれば、ゴキブリだって衛生面の問題さえどうにかなるなら食えるのかもしれないな。
「どうじゃ、初めてのBFは」
「悪くない、というのが正直な感想ですが、製法が気になりました」
「肉の方は栄養満たしたでっかい樽の中で、人工筋肉を回し続けるんだとさ。そこまではメーカーがバラしてるが、それ以上は当然企業機密さね」
僕はフォークで持ち上げた肉を眺めてみた。
脂肪の線が規則正しく並んでいる。
小麦の七百倍の効率というのはどれほどなのだろうか。こんな技術が完成しているのであれば、街の痩せこけた難民たちを救えるんじゃなかろうか――
「そいつの利権がこの街の存続を許しとるようなもんだ。それをあろう事か、H.I.Cって企業はその企業秘密を南側に売りやがった」
「……その話、決定したの?」
レマが驚きの声を上げた。
「ネットで早速話題だよ。節操なく核武装始めやがった――あっちの食料問題が解決しちまった訳だからな」
僕は食事の手を止めた。
なにやら、不穏な会話になってきた。
レマは不機嫌そうにドクターを睨んでいた。
「レマ。それ食ったらこいつを連れてモンドと合流してこい」
「わかった」
彼女が食事を再開したので、僕も慌てて食事をスープで流し込んだ。
最後に気付いたが、スープだけはどうしようもなくマズい。
塩水と胡椒で野菜を茹でただけなのかもしれない。
日は完全に落ちていた。
砂埃は相変わらず街中に吹き荒れていた。
僕は、この新しい日常に困惑し始めていた。
食事が済んで、余計な事を考える余裕ができたせいかもしれない。
はたまた、レマのバイクに乗る際は彼女に抱きつかないといけないせいかもしれない。
作業服の上からではレマの体を触っているという感じはしないのだけれど、それでも今日初めて出会った、それなりに可愛い女性に密着しているという意識はいささか心の平穏を奪う。
彼女はやがてバイクを止める。
荒れ放題の土地のど真ん中である。
そこに、バイク乗りが集まっていた。
――三十人以上はいるだろうか。
彼女は他のバイク乗りに手で合図した。仲間だろうか。
彼女はその仲間に挨拶もせず僕に向き直って言った。
「アメリカという国家は管轄区を縮小して、このロスのような廃墟街を無数に放置した――悪く言えば、手が回らないから見捨てた、勝手にやってくれって状態ね」
ああ。
これはどうやら、これから起こる事の説明だ。
聞かないと。
「ところで、帰り道は判る?」
僕は首を横に振る。
「でしょうね。良かった。――まあ、万一の時はどうせまた住処を変えるんだけどね」
僕が何かを質問しようと口を開ける度に、彼女は静止するかのように言葉を重ねて来た。
「『世界政府』も『統合協会』も、本部を持たないネットワーク型組織。形骸化した国家主権に寄生する形で勢力を伸ばした」
想像で補うしかない。
そういえば。
彼女の最初の二択は、なんだったんだろうか。
あれは、――明らかな誘導尋問ではなかったか。
「私たちはこれから、『統合協会』の支部を襲う。狙いは、そこの地下にある人工穀物生成プラント」
ああ。
僕はどうやら。
「――例の二択、もう一度だけ選ばせてあげる。
『私たちの仲間になる』か、『権力にひれ伏す』か。
この時代、ひとりぼっちのあなたの生き方は、その二つしかない」
レマは僕に、錆びた自動小銃を横にもって突き出した。
受け取れば。
この時代で、テロリストとして生きることになる――
僕は
「いやだ」
僕はしばらく、頭の中が真っ白になっていたんだろう。
ふと周りを見回すと、レマもレマの仲間達も、誰も、いない。
そうだ。確かレマはこう言ったんだ。
『そう。残念ね――それじゃ、今から私たちとあなたは敵同士ね』と。
そこまでは、一語一句漏らさずに、覚えている。
あれから何分経っただろうか。
「日本に……帰りたい……」
唐突に、全身の毛が逆立つほどの寒気に襲われた。
帰る?
帰るって、どこに。
日本に帰って、どうする。
日本という土地は、どうなっているのだろう。
どうやって帰るというのか。
僕は、もしかしたら、今の今まで『まだ帰る場所がある』と、勘違いしていたのか。
そうか。
どこかで、夢物語でも見ているかのような、そんな気分だったんだろうか。
そうか。
よく判らないけど可愛い女に翻弄されて、薄汚いけど新しい世界に今の今まで違和感を覚えずに。
なんとなく、レマの後ろ姿に付いて来て、一日が終わったのだ。
父さん。
母さん。
あなた達は、何歳まで生きてましたか。
仮に二千五十四年の今に生きていたら、どちらも百十歳を超えている事になるのですね。
十四年前の戦争とやらを経験せずにすみましたか。それとも。
考えれば考えるほど、
何もかもが空しくなる。
考えれば考えるほど、
今、自分が何故ここに立っているのか判らなくなる。
周囲には誰もいない。
どちらに歩けばいいのかも判らない。
どちらに歩いても、廃墟ばかりが続く社会。
僕は、体全体で雄叫びを上げた。
第一話「セカンドライフ」:完
266 :
創る名無しに見る名無し:2009/04/22(水) 17:21:44 ID:/Ss1i6SV
タイトル未だ未定ですが、いかがでしたでしょうか。
お楽しみ頂ければ幸いですが、無駄な描写多くて詰まらんかも判りません。
感想などお気軽にどぞ