正化31年7月29日 1000時 関東図書隊管轄 武蔵野図書基地 大会議室
敵味方あわせて21名が殉職し、彼を含めて60名の重軽傷者が出た千葉ニュータウン総合図書館攻防戦はニュースとしては小さな取り扱いとなっていた。
図書隊としては、公務員同士の職務のぶつかり合いでそれほどまでの犠牲者が出る現状の異常さを大いにアピールしたいところである。
しかしながら、メディア良化隊としては、世論にそのような働きかけをされては困るのだ。
そのために、彼らは自分たちの持つ権力を存分に発揮し、テレビ・新聞・インターネット・その他出版物に対する強力な統制を敷いた。
本件については、それが発生したという事実以外については一切公表不可としたのである。
今のところ統制は非常にうまくいっており、近隣住民以外はこの攻防戦の情報についてほとんど何も知らない状況になっている。
「・・・以上のように、自分は交戦後の事については、ほとんど記憶していない状況であります」
被弾により重い打撲となった胸部の痛みに耐えつつ、俺はそう締めくくった。
先の攻防戦にて、通過した通路、加入した後の戦闘で、良化隊側に14名の死者が出た事から、再び査問会が開かれたのである。
「覚えていない、ね。
すまんが、もう一度最初から繰り返してくれ」
彼の報告を聞き終えた査問官は、呆れたような口調で促す。
「はっ、館内に入った所から繰り返させていただきます。
三階連絡通路にて敵三名と遭遇、その際の銃撃で飯田図書士長が殉職されました。
至近距離からの頭部および上半身への銃撃により、ほぼ即死。
自分が脈を取り、確認しました。
その後、鈴木、佐藤両図書士の支援を受けつつ、スタングレネードによる威嚇を実施。
訓練が足りなかったのか自分もその影響を受け、視界不良のまま発砲、敵三名の無力化を行いました」
「それでは、少なくとも三階での死者については、あくまで事故だったと言いたいわけだね」
報告しろといいつつこちらの発言を遮るという非礼を受け、彼は内心で腹を立てる。
もっとも、このような場でそれを表に出す愚はさすがに冒さないが。
「その通りであります。
スタングレネードの影響が消えてから発砲するべきだったと反省しております」
「まぁ、いい。続けたまえ」
さすがに露骨な嘘過ぎたかと彼は発言してから肝を冷やしたが、相手はどうでも良いようだった。
これは意外な反応である。
「はっ、続けます。
二階に到着後、現地の守備隊長に指示を受けようとしましたが、乱戦状態のために断念。
自身の判断にて戦闘に突入、階下への銃撃を行いました。
一弾倉分を発砲したところで、隣の隊員が殉職、この際に頭部への過度の物理力行使がありました。
ここで自分は弾幕を途切れさせてはいけないと、同僚の89式小銃を借り、階下への攻撃を継続。
複数の敵の無力化に成功しました。
しかしながら、直後に敵車両が爆発、咄嗟に身を引こうと上体を起こしたところで敵の銃撃を少なくとも三発受けました。
この際の衝撃で自分は意識を失い、結果として交戦後の事については、ほとんど記憶していない状況であります。以上です」
長い説明をほぼ途切れなく終えると、俺は査問官の言葉を待った。
想定される処罰の内容には予測が付く。
恐らく、出動待機、あるいは反省文提出か。
間違っても転属や処罰はありえない。
そう判断されるような形で行動し、報告したからである。
査問官は隣に座っている男の方をちらりと見ると、一転して笑顔を浮かべて口を開いた。
「状況は把握した。
繰り返させてしまってすまなかったな。帰ってよろしい」
この場で何らかの処断が下るものと覚悟していたのだが、まあいい、帰してくれるのならば喜んで帰ろう。
基地に帰ったらあれこれと書かなければならない書類が山のようにあるからな。
そんな事を思いつつ、俺は退出した。
「しかしなぁ」
廊下を歩きつつ、思わず声が漏れる。
査問官の隣にいた男、一体何がしたかったのだろうか。
結局査問会の間、一言も発する事はなかったし、メモを取っている様子もなかった。
「すまなかった!」
考え事をしながら歩いていたせいで、目の前の堂上図書正に気がつかなかった。
急制動で激突を回避する。
畜生、胸が痛い。
「堂上図書正、自分に何か?」
「先日の負傷、あれは俺の責任だ。すまなかった」
堂上図書正は謝罪を繰り返した。
その隣には小牧図書正の姿もある。
どうやら、事務室で悶々としていた堂上さんに進言し、謝罪ツアーに同行したのだろう。
良い人たちなんだよな。
まあ、堂上図書正は戦場で隣に立ってほしくはないが。
「頭をあげてください。
自分の負傷、まあ、怪我といえるほどのものでもないですが。
とにかくこれは、ちょっとした事で遮蔽物から身を晒せる位置にいた自分の不注意ですから」
「そんな事はない!」
「堂上図書正、私はそのように報告したのですから、そのような事実で間違いはないはずです」
反論を封じる。
「そういうわけみたいだね」
「そういうわけなのです小牧図書正」
こっちは話が通じやすくて助かる。
あとはこっちでやっておくよ、と小声で言われ、俺は敬礼してその場を立ち去った。
同日同時刻 関東図書隊管轄 武蔵野図書基地 大会議室
「それで、どうするのかね」
査問会が終わったために照明がつけられた会議室の中で、査問官は隣に座っていた男に声を掛けた。
その男は、査問会の間一度も発言をしていなかった。
「冷戦作戦に変更はありません。
彼には今までどおり、いや、今まで以上に、役立ってもらいましょう」
男の言葉に査問官は不快な表情を浮かべた。
隣に座っている男とその一党が進めている作戦は、査問官の認める図書隊のあり方から大きく逸脱するものだったからである。
「私には、君たちがやろうとしている事を止める権限はない。
だが、理解は絶対にできそうも出来ないな」
査問官の言葉に、男は愉快そうな表情を浮かべた。
外見からは20代前半とも30代後半とも見えるこの男は、どのような表情をしても他人を小ばかにしているような印象を与える欠点があった。
「貴方の主義信条を曲げてまで、無理にご理解を頂く必要はありませんよ。
我々は我々がもっとも適切と考えるやり方で、この国の文化と言論の自由を守っていきます」
男は、丁寧語ではあるが大変に失礼な内容を言い放った。
「そういうわけですので、彼については、今後は査問はなしになるでしょうな。
隙はありますが、彼の行いには処罰を与えるような問題点はない」
そこまで言うと、男は許可も求めずに懐からタバコを取り出した。
一本を取り出し、咥えて点火する。
「しかしまあ、良化隊の連中には本当に呆れさせられますね。
戦闘行為で犠牲が多く出たなんて、よくもまあ恥ずかしげもなく抗議してきたものです」
男は愉快そうに続ける。
「死者の数はこちらの方が多いし、こちらの衛生兵を三度も攻撃しておいてその言い訳が、誰も気づかなかった、ですからね。
ルールが変わってきた事を、こちらも理解し対策を練らないと」
「無秩序な殺し合いを容認するのか?」
男の発言を看過し得なかった査問官は、厳しい口調で尋ねる。
「それを望んだのは彼らです。
まあ、彼らはそのずっと前、日野の悪夢の頃からそういうやり口が大好きでしたけれども」
全ての図書館員の心に刻み込まれている事件。
それが日野の悪夢である。
メディア良化法に賛同する暴力団体によって銃弾を火を叩き込まれたその事件では、多くの犠牲者が出た。
犠牲者とは銃弾を撃ち込まれて殉職した同僚であり、焼き払われた書物である。
警察も消防も、事態が決定的になるまで登場しなかった。
決定的とはつまり、実行犯が現場から消え去り、火災が消火不可能になった状態である。
今にして思えば、不謹慎ながらあれは良かったな。
肺の奥底まで紫煙を飲み込みつつ男は思った。
司法すら従えるメディア良化委員会。
法務省管轄なのだから当然といえばそうだが、とにかく彼らは絶大な権力、強力な戦力、便利な非合法活動組織を持っている。
いつまでも法律に従った体制でしのげるものではない。
日野の悪夢はまさしくそれを証明した出来事であり、それが今の図書隊創設に貢献している。
サブマシンガンやアサルトライフルを中心とした武装を持ち、検閲対抗権という名の戦闘許可を持つ。
戦闘許可とはもちろん人間を殺傷する事に対する免罪符である。
合法的に戦う権利を手に入れた事により、図書館は弾圧に屈さないという選択肢を選ぶ自由が与えられた。
「彼らがあくまでも力による解決を望むのであれば、我々は力による拒絶を選択する。
これは争いなどと言う生易しいものではなく、我々と良化隊との戦争なのですよ」
男は断固たる口調で言い放った。
彼は心の底からそう信じていた。
査問官は唖然とした表情でそれを眺める。
「人命も、税金も、何もかもを投入し、我々は戦い続ける必要があります。
彼らがこちらの人員を意図的に殺傷するのならば、我々も遠慮する必要はない」
「それが戦火の拡大を招く事は、当然理解しているのだろうね?」
査問官の問いに、男は歪んだ笑顔で答える。
「当然です。
彼らが更なる重武装を投入し、もっと大規模に戦闘をしたいというのであれば」
彼はそこで言葉を切り、査問官の目を覗き込む。
「更なる戦火の拡大を望むのであれば、こちらも付き合ってあげるまでですよ。
弱装弾をやめるのであればこちらも、重火器を持ち出すのであればこちらも。
どこまででも検閲に対抗してやればいい。
我々にはその権利があり、それは法律で保障されているのですから」
そう言い放つ彼の顔は、正しく悪魔のそれだった。
正化31年8月10日 1339時 関東図書隊管轄 武蔵野図書館 大会議室
その日、彼は午後シフトに入っていたため、遅い昼食を取ろうとしていた。
メニューはご飯、味噌汁、沢庵、焼いた鮭。
どこに出しても恥ずかしくない日本食である。
箸を手に持ち、いただきます、と行儀良く言う。
<<哨戒中の警備より入電。良化特務機関が当館周辺に展開中!総員至急警戒態勢に着け!
館内に残っている利用者は至急館外へ退去してください!>>
そんな彼に答えるように、スピーカーが敵襲を告げる。
彼の周囲で昼食を取っていた職員たちが一斉に立ち上がり、ある者は武装を取りに、またある者はシェルターへ退避するために移動を開始する。
「食い物の恨みは、おっかねぇぞ」
彼は恨めしそうに呟くと、自動小銃を受け取るために席を立った。
彼の位置から武器庫へは、駆け足でおよそ五分。
何事もなく館内への突入を許すはずがないため、十分な時間があると言える。
<<業務部より、敵の本命は館長室です!>>
非常ベルに混ざり、柴崎の声が聞こえる。
どうして彼女がと思わず歩調が緩むが、耳のイヤホンからは続けざまに命令が飛び込んでくる。
考えるのは後回しにし、彼は武器庫へと足を進めた。
幸い何事もなく到着し、武器弾薬を受領する。
先日から、俺もようやく89式小銃を持てるようになった。
まあ、いつもどっかから調達していたんだがな。
<<急ぎ武装し、上官の指示を受けろ。敵は複数のルートから館内への侵入を試みている>>
状況は芳しくないようだが、今回もせいぜい活躍させてもらおう。
それにしても、ここは図書隊の事実上の本拠地だというのに、敵は何を考えてここへ襲撃を掛けたのだ?