【今こそ】オリジナルヒーロー小説【変身】

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69 ◆MZ/3G8QnIE
一輝が去って行ってから数分後。
客が一人も居なくなった喫茶兎の脚の店内で、マスターは暇そうに頬杖をついていた。
付けっ放しのラジオからは気だるい音楽が流れるばかりで、今起こっているはずの立て篭もり事件を伝える速報などは一歳聞こえて来ない。
気配を感じ、ふと視線を上げる。
エプロンを外し、外出用のジャケットを手に持った沙名が無言で彼女を見ていた。
「行くんだね」
頷く沙名。
マスターを寂しげに笑って目を閉じた。
「帰って来るんだよ。必ず」
返事はない。
目を開くと、もう既に女の姿は消えていた。
店の外から、数分前と同じ様にバイクの排気音が響く。
騒音はあっと言う間に小さくなり、やがて消える。
ラジオは相変わらず眠気を誘うメロディを垂れ流していた。


「聞きなさい、子等よ。肉は醜い」
全国展開している大型ショッピングモールの中央ホール。
八階まで葺きぬけになっている開放的な空間の中ほど、商品の陳列棚を引き倒して作った即席の演説壇の上に、一人の男が仁王立ちしていた。
歳の程は中年くらい、複雑な文字が描かれた白いローブを身に纏い、窪んだ眼窩の奥の眼球がぎらぎらと光っている。
その傍らには、骸骨に鉤爪や棘など攻撃的な装飾を施したような奇妙な人形が十数体鎮座していた。
男は、眼下で震えながら座り込んでいる一般人達に、妙に優しげな声で語り掛けている。
「肉は不完全だ。数多の欲に縛られながら、それを恥じ、克服しようと願うのに、挫折する。
神は、文明を発展させながら欲に敗北し続けるニンゲンを、見放されようとしている。
間もなく審判のときが訪れ、地上は裁きの炎によって浄化されるであろう」
陶酔したようなオーバーな身振り手振りを交えて、どこかで聞いたような、ありきたりな、眉唾物の教義を述べながら、男は立て掛けて置いたアタッシュケースを開いた。
男が中から取り出したのは、光を反射しない漆黒の液体が込められた注射器。
「だが、子等よ、怖れる事はない。
我等が教祖様より与えられた洗礼のソーマを注がれれば、修行を経ずともたちどころに、清らかなる鉄と石の躯へと解脱することが出来るのだ。
さあ!」
その声を合図に、傍らで佇んでいた骸骨人形が二体突然動き出し、地べたに座り込んでいる人々の中から一人の青年を引きずり出した。
青年は必死に抵抗するが人形の腕は万力の様に彼の四肢を締め付け、身動きすらとることが出来ない。
「嫌、だ。嫌だいやだいやだ! いやだァ――――!!」
首を狂ったように回しながら拒絶の意思を示す青年の肩に、白いローブの男は優しく手を添えた。
「怖れる事はないのです。さあ、体を楽にして、新生の悦びに体をゆだねなさい」
骸骨が動かぬよう青年の首筋を掴む。
男は注射針をそこに突き立てた。
青年の瞳が恐怖に見開かれる。
人形達が彼を解放すると、その体は力を失って倒れ伏した。
周りの一般人達も固唾を呑んでその様子を見守っている。
暫くして、横たわったままの青年の体がビクンビクンと痙攣し始める。