そんな中、「アイヌの側で主張している俺」だけをいちいち執拗に追求して、
もっといい加減な話をはやし立てている、和人だかアイヌだかもわからないヤツラ
(つうか殆ど和人だと思うけど)には、何も言わないのは、何故?
その理由は、俺に名前がついているというだけでは、ないのかもしれませんね。
だとすると、何が「客観的」なのでしょうか?
あと、財団がやっているのは、「アイヌ対和人に執着するような愚昧なこと」ではありませんって、
あの組織は、同化政策の最新版ですから、
むしろ「アイヌ対和人という溝から目をそらす愚昧な事」だと思いますが。
だって、あの本「歴史的事実」とやらを「現実に指導するため」の本でしょう?
ま、教育指導の現場でとれだけの人間が、あれに目を通すか知らないけどね。
すくなくとも、「(おおくは北海道における)アイヌの現実」を指導するための本ぢゃ無いよね。
いま生きているアイヌの子供がいて、色々とある以上、和人にこそ厳重指導をしなきゃいけないのに、
アイヌについての話が、「中世の歴史的事実」とやらだけが先行したら、どうなるのか。
歴史の話を歴史の上だけで、は結構だけど、
それを出来る中高学生(およびその教師)とかは、少ないと思うけどね。
それに「アイヌ側のお墨付き」とのことですが。
それ、ここの場で、どういう「意味」で言っているの?
http://www.alles.or.jp/~tariq/