アイヌについて その2

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27理系の人
文化人類学者は、二重人格です。はっきり言って悪者。
でも、彼らが作るツール(理論)を使うことで、国連は動けます。

(で、この客観視(演繹的、エティック)を放棄し、
主観(帰納的、エミック)だけで望むとどうなるか。
それがロマンチシズムあふれる民俗学の立場だったと言えるでしょう。
自分の主観だけでとけこみ、勝手なロマンを抱き、妄想を膨らまします。
自分自身を含めて客観化する作業をしないものだから
無意識的な論理のすり替え、事象の曲解なんかを起こし、
文学なんだか論文なんだかわからんものをでっちあげ、
わけのわからん「差別的な文章」をしたまくりました。)

文化人類学者は神の座から降りることは許されません。
いくら悪者になろうが、それが社会的なコンセンサスということです。
もちろん、そのあり方は永続的に議論されるべきでしょう。
本当の意味での「神の座」についてなければ、
当然、民族の側から非難し、政治的な立場をとるな、と指摘すべきです。
ただでさえ紛争をおこしやすい「民族間」を比較するのだから、
どちらにもよい格好はしていられません。
A民族から非難され、B民族から賛美される、なんてことは避けるべきです。
非難されるんだったら、両方から非難されるべきです。

で、私事で恐縮ですが、俺は耐えられませんでした(笑
調査者と被調査者の対等な関係はありませんかって、先輩に尋ねても、
「それが理想的だよね」ということです。
だから、他人からいくらののしられようが、
試行錯誤し、理想に向かって邁進しろと。
でも、俺はそこまで精神的にタフではありません。