>>10 そうですねぇ。「民族・神話板について考える」に次のような書込があります。
「民族・神話板について考える」≫
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=974897236 >78 名前:天之御名無主 投稿日:2001/01/12(金) 23:06
>独立した神話学などというものはフィクションにすぎない。大抵の場合、民族学の神話学だから。
部分引用で、元書込での文脈から少し離れ、私の読み込みも加わりますが。うえで言われているるのは、「神話を語り伝えた民族についての考察を離れた神話学は“フィクション”だ」って含みかと思います。
私としては、語られた神話なり伝説なりのテキストを批評的に分析するアプローチもあるとは思いますが。ただ、民族学的な神話学と、テキスト批評的な神話学は、補い合う関係とも思いますが。
それはさておき、「神話を語り伝えた民族についての考察を離れた神話学は“フィクション”だ」の「民族」を「民俗」に置き換えてみると、「具体的な民俗社会を離れた断片的研究は“フィクション”だ」、ってことに、一応はなるかと思います。
ただ、これには先がある「一応」で。
都市民俗学っていうものを考えようとすると、「具体的民俗社会」ってどんなふうに捉えられるの? って問題が浮上するわけですよね。
私も「
>>5」の書込からは、具体的な民俗社会や都市生活は、ちょっとイメーヂできません。
また、「
>>4」で言われている、「都市というのは、宿命的に多種多様な出身、経歴を持つ人達の、希薄なつながりを持った(つまりは、共通の認識基盤が弱い)コミュニティー」でも、都市民俗の把握としては弱いような気がします。
そこで「
>>1」にあるような発門や、「
>>8」の方が示唆された、「妖怪の研究ってどうするのですか?」>11以降のやりとり、などが出てくるわけではないでしょうか。
(ただ、「妖怪の研究ってどうするのですか?」>11以降のやりとりも、はもう少し詳しくお聞きしないと、私には真意が掴めづらい面もあるのですが)
「妖怪の研究ってどうするのですか?」≫
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=984471028