日ユ同祖論が真実ならば・・・。

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532天之御名無主

>石の柱は日ユでは「依代」としてお神酒をかけ御神体として祭っている
>>527のように、柱を崇拝するのは石器時代から世界中で見られます。
どうも話が民間信仰に飛んだり秦氏に飛んだり天皇に飛んだりしますね。
似てるようなのをあちこちからかき集めただけですね。

>それもユダヤの影響でしょ。チベット、カシミール、カナン、ミャンマーにはユダヤ系種族がいて
>アフガンのパタン人なんか当然イスラムだけどモーゼの律法や系統図を今ももってて、今は皮肉な
>状況だけどね。
パシュトゥーンはまあユダヤの系統かもしれん。がネパールから離れすぎ。
ネパールなんか紀元前後の「草の道」「絹の道」「海の道」どれからも離れてるんだが。
ところで、ユダヤ教でも塩まくの? 聖書に記述があった気がしたが、忘れた。教えて。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm
これが元ネタか。
>カシミールとかは、中世にはユダヤ人しか外部からは出入り禁止だった。
ソース希望。
>ペルシャ、ユダヤ系(大半はその文化的影響をもった他の民族)は波状的に渡来してきてるだろうが、
>重要なのは、三輪王朝崩壊以降の3〜4世紀の最新武器をもったニューウエイブ渡来人
3〜4世紀になってもカバラは成立してないですが。
>それは宮内庁にきいてくれ、情報公開がなされていないから、トンデモ論になってるわけだが、、
情報そのものがウソだから、トンデモ論になってるのですが。
>祇園祭りの山鉾巡行(当日7.17は聖書のノアの運ぶねのアララト山漂着日)に聖書をモチーフにした
>ペルシャじゅうたんがなぜ使用されるのかも、ついでに神社庁にきいてくれ(W
自分で聞いてください。仮説を提唱しているのはあなたのほうなのですからね。
祇園祭りでノアの箱舟の絨毯があったとは初耳だ。ソース希望。しかもペルシアの(笑
毎年輸入してるんですかね、「ノアの箱舟のアレください」って。
>おいおい、琉球は紀元前1〜2世紀にはユダヤ人街があったという開封に近いよ(W
あなたはどうやら地図が読めないみたいですね。
>出雲でしょ、混じるんだよ、特に諏訪神社は負けたほうだから
なにが「出雲でしょ」でなにが「混じる」のかはっきりしませんが。
なお、蛇の神様というのは出雲がくる前からの伝承ですよ。

>その「古事記」編纂の時代には秦氏主流派の河勝系統が山城を放逐されていた時だからでしょ
>多分、そういうのは他の部族も同様だから、改ざん焚書..でも政治中枢にいない時代も天皇家と
>直結した最大勢力(ていうか国体機構構築の当事者)であったことにはかわり無い
改ざん焚書がそんなに簡単にできるならなぜ古事記が改ざん焚書にあってないんでしょうね。
そもそも焚書したら、された書物の情報は消えるけど、焚書したという事実は残るんですよ。
古い古事記になにもない。ちょっと新しい日本書紀に弓月君が出てくる。ずいぶん経った新撰姓名録に
「秦の始皇帝の子孫」と出てくる。これは始祖伝承がどんどんと膨らんできている、ということを
示すに他なりません。そもそも、秦氏の子孫伝承は弓月君だけって統一されてるわけでもないし。
>坂越の大避神社にどうぞ
ケルビム風の聖獣ならシルクロード中どこにでもありますよ。
>その自覚がどこまで強かったか..おそらくせいぜい出自はペルシャ系中国人、
>多くは秦韓、弁韓人、新羅という認識だったでしょう。
うーん、初代天皇に面倒なヘブライ名をつけて、権力者に自分たちの儀式を導入させるほどの民族が
その程度の認識とは(笑)中国のユダヤ人コミュニティでさえそんなに簡単に同化してないのに。
>あの指の形は景教のシンボルとききましたが
>>527
>万葉集に「昔はいわれがあったらしいが、いまとなってはさっぱりわからん」と歌われてるぐらい
>だから、『いさら井』 には意味があったのでしょう
万葉集の時点で由来不明ってことは「3世紀〜8世紀」どころの新しさじゃないですね。