日ユ同祖論が真実ならば・・・。

このエントリーをはてなブックマークに追加
502ハダ
以下、あくまで伝承、あるいは後世の作成でしょうが...

●京都の大酒神社はもとは大辟(おおさけ)神社と称され、祭神を秦始皇帝、
弓月王(ゆんずのきみ・ゴンユゥェワン)、秦酒公(はたのさけき
み)。秦始皇帝14世の孫、功満王(こうまんおう・ゴンマンワン)が中
国の兵乱を避けて来朝し、ここに勧請したのが始まり。この功満王の子とされる弓月王が
百済から(広隆寺伝)127県18、670余人を統率して渡海、その孫が酒公だと
される。(日本書紀)畿内で40万の人口と推測されている当時、これは5%にあたる。
この神社の門柱には「ウズマサ明神」をまつっていると書かれている。
ウズマサとは、「ウズ・マサ」イエス・メシヤを意味するアラム語イシュ・マシャからか?
もう一つの門柱には「機織管絃楽舞之祖神」ともある。
「大辟」つまりダビデ(ダビデの子であるイエス?)の漢訳
(中国ではダビデ大王を大闢(ダーピー)大主と表記)
ダビデは、竪琴の名人。雅楽・楽器は、ペルシャ楽舞に源流を見ることができ、
シルクロードを通って渡来。
●弓月王は中国の巨丹(新彊・ウイグル自治区のホータン)に生ま
れ、弓月国とは、敦煌よりさらにはるか西にある原始クリスチャン国。
陽関地方を含めた120県から一族を集めて、AD238年に大挙し
て日本に移住して来た。この地方に「弓月の君、百二十県の民を率い、
大挙して日本に渡来、移住す。」(史記)という記録が残されている。
●当時のシルクロードはユダヤ人、ペルシャ人が支配。
旅程6日ごとにシナゴーグが置かれていたともいわれる。
●兵庫県赤穂郡坂越町、大避神社(おおさけ)。天照大神、春日大神、大避大神をまつる
秦氏の祖霊を祀った古社。大避大神とは、「大辟」つまりダビデの漢訳
(秦河勝を祭神とする分祀は三十余社あった)
●秦河勝(はたのかわかつ)の所持した神楽面をご神体として小祠をたてた大避神社。
神楽面は正倉院の湖王面と近似、頭上に天使ケルビムの像が彫られている。河勝は雅楽の祖とも
いわれる。観世弥、世阿弥親子は秦河勝の直系子孫