日ユ同祖論が真実ならば・・・。

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405ハダ
オイラ思うに、秦氏が渡来系氏族だけでなく古代日本(国家成立期
以前)のなかで最大人口の氏族だったことは事実(雄略時代に推定
19万人)なのだから、たとえ、来朝伝説に後世の創作による部分が
あったとしてもそれは、同時期の漢氏一族も古来からの物部一族も
同様。むしろ王権力、国家形成との関係性が重要。
加藤兼吉という研究者は以下のようにいっている。
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長任命権をもって
いた可能性大、族長シンボルのウズマサに天皇の命で、16階級飛び
で就任した者までいる。
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括され、クラの役
職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。最大の組織
集団制をもつが、あくまで下級官吏が通常であり、全国的な殖産、
市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
その内容は製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開
発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務
の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たちからなる
小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち
(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を率いていた点。
なんとなく、天皇制国家の成立根幹の秘密が覗けたような...
いずれにせよ、天皇家と秦氏の関係は史実をみるだけでも、大変
興味深いと思われ