日ユ同祖論が真実ならば・・・。

このエントリーをはてなブックマークに追加
390天之御名無主
横スレ、すまんが気になるので
>>158
  なお、景教が大陸で盛んに布教を展開したのは唐代になってか
  らで唐の滅亡と同時に景教もほぼ全滅する。
  秦氏は雄略天皇の時代に渡来したといわれており、残念ながら、
  唐代より約200年ほど早い。あぁ、ほんとに残念。
景教ーー4世紀に異端とされるが、中身はエルサレム教団と同じでむしろ正統派でしょ。日ユ同祖論、秦氏で重要な
のは、1世紀、後のシリア東方教会になるエルサレム教団(原始ユダヤクリスチャン)のほうで
特に12使徒のトマスはアッシリア、アルメニアを教国化した後、インド(一説にはチベット、
中国まで)で布教し南部ミラポールの現地で死んでるでしょ。
ユダヤコミュニティは紀元前には開封にも、シルクロード50カ国の多くにあったといわれてるし、
後漢の光武帝に侵入したチベット族はイエス伝説を残してる。つまり、2世紀にはすでに東洋で
最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)になっていた弓月国から、後に大量移民する秦氏
のなかに福音をもつ氏族がいるのは当然で、当時の国際語だったアラム語(イエスもアラム語を
使用、上流階級はコイネーギリシャ語を使用)が、漢字と同時期に後の大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはない。(シリア語はアラム語の方言、ヘブル語と兄弟語)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツング^ス系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。フケンも東方クリスチャン、マニ教などの
世界型先端宗教の影響を受けた当時の進歩派で、後の景教の影響で民族融和と宗教の自由化政策で
史上初のコスモポリタン帝国維持を成功させるフビライたちの先駆者。
秦氏がきた頃の大和は、確かに天皇制度確立以前だから、こういうと混乱するが、
五湖十六国時代の中国は、書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代でもあるわけで、あまり
トンデモよりの議論にもっていかないほうが面白いのでは
秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化してるし、後の長岡京、平安京開発が彼らに
よることは反証しずらいよね。最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めたし(w
その後成立する隋唐は、もう成立段階からペルシャ系とか移民複合国家なんだし、シルクロードの
終着駅である日本だけが中東、西域の影響がないという論こそ、トンデモですよ。