冠婚葬祭の習慣について

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1天之御名無主
博物館で地元の伝統的な冠婚葬祭展みたいなの見てきました。
非常に興味深かったです。
母親(50代)と一緒に行ったのですが
私は全く聞いたこともないような習慣を
母は当然のごとく知ってるんで驚きました。
独特の習慣とかあれば、教えてください。
21:2001/08/25(土) 01:40
面白かったのが
・婚家に向かう途中で引き返したらだめ。
っていうルールがあったそうで、
(葬列の場合でもそっくりなルールがあるようですが)
母によると祝儀袋を大量に持っていき、
対向車が来ると渡してバックしてもらってたそうです。
3天之御名無主:2001/08/25(土) 01:50
[冠婚葬祭の習慣]と言えば民俗学等で言う「通過儀礼」や「人生儀礼」と
いう範疇になり非常に範囲が広くなってしまうような気がしますので
婚姻習俗や葬送儀礼と言ったようにもう少し絞ったほうが良いのでは
ないでしょうか?
しかし花嫁行列と葬送儀礼が似ているという点は非常に面白いですね。
どちらも家を出る前に使っていた茶碗を割ったりしますもんね。
自分も前から気になっていました。
41:2001/08/25(土) 02:02
そうですね。
じゃあどっちかというと葬送儀礼の方が面白かったのでそっちに絞ります。
面白かったというか、
婚礼習俗は今でもやってることが多いのに
葬式は全然知らないことばっかりだったんで。

結婚式と葬式が似てるのは面白いですよね。
結婚式に着てきた白い着物が死装束になるとこもあるようです。
5天之御名無主:2001/08/25(土) 03:48
荷台が透明なトラックに家具を満載して見せびらかす(名古屋)
61:2001/08/25(土) 16:11
嫁入り道具っていうのは昔からあったんですか?
7天之御名無主:2001/08/25(土) 16:36
私は無かったと思います。
昔は通い婚?もしくは婿取りが主流だったと聞いたことがあります。
81:2001/08/25(土) 16:46
家具屋の陰謀か・・?
結納のとき渡すのは別扱いなのでしょうか。
うちの地方(徳島)は魚と酒を担ぎ桶に入れて嫁ぎ先に持っていったそうです。
9天之御名無主:2001/08/25(土) 19:55
3番です。絞ったほうがと言いましたが、一般的に冠婚葬祭と言えば結婚と葬式
を指すようなので大きなお世話だったかも知れないです。ちなみに冠は元服、
祭は先祖供養か年期法要を指すと思うのですけども。
>>7
嫁入り道具は時代はわかりませんが古くからあったと思いますよ。全国的なことは
専門でないのでわかりませんが、嫁入りの際に嫁入り道具に長持を持っていくのですが、
その際に「長持唄」を歌うと言う習俗を良く聞きます。大阪の南部が私の母の出身地
なのですが、嫁入り道具を持っていくときにおじいちゃんが長持唄を歌ってくれたそう
です(母は52歳)。婚姻形態は時代や地方によって変わるので画一的ではないですが。
10天之御名無主:2001/08/26(日) 02:20
百姓の葬式は晴れ着を着てやってたって本当ですか?
11天之御名無主:2001/08/26(日) 02:53
>>4>>10
晴れ着かどうかはわからないですが、葬式の時にいわゆる黒い「喪服」ではなく、
白い装束で葬式や葬送に参加したという話は今でも聞き取りできるようです。
詳しく思い出せないので、思い出すが本ででも見つけたらまた書きます。
直接自分が聞き取りをして覚えているのは滋賀県湖東地方などで葬送の時、
棺桶を担ぐ人の装束が白帷子に白袴だったと思います。そのほかの役割の
人(喪主や奥さん)でも白い装束を着る地域があったはずです。
12天之御名無主:2001/08/26(日) 04:51
戦前までは喪服は白だったそうです。
少なくとも死者の身内の女性は白い着物で参列したようです。
近所の人とか男の人はいろいろ動かなきゃいけないから
働きやすいよう必ずしも白とは限らなかったみたい。
13天之御名無主:01/08/26 19:24 ID:aC9IJ7fI
民俗学の伝統的な解釈だと、婚姻、葬送だけでなく出産も似ているという話ですよ。
それから、明治天皇の崩御の際の参列に東北の人が派手な晴着を着ていて、
警察かなにかに注意されたが、その地方ではそうするというのを聞いて納得したらしい。
要するに、冠婚葬祭時というのは、いわゆるハレの日であるので、普段とは違った服を着るということらしい。
14天之御名無主:01/08/26 23:45 ID:LitbC.GY
葬送儀式というのは意識的に非日常感を高めて
死という出来事の到来を象徴的に知らしめる役目を持っている。
一方、婚姻は実家から婚家の人間への生まれ変わり=「小さな死」扱い
という意味で葬式と似た点が多い。
のだそうです。
出産もある意味、死を連想しますし。
(というか昔は死に直結することも多かっただろうし)
15天之御名無主:01/08/29 00:34 ID:MzzwSi1Y
やっぱり人生儀礼って「生まれ変わり」なんですね〜。全体的に似てくるのも当たり前か。
葬送に付随する儀礼で有名なものを1つあげます。それは「霊呼び」(タマヨビ)
等と呼ばれる儀礼で、死にそうになった人の名前を屋根の上に上がって叫んだり、
井戸をのぞいて叫んだりして魂が戻ってくるようにする儀礼です。同系統では死にそうな人の
耳元でお米の入った竹筒を振るというのもあります。全国的にどれくらい分布しているかは
民俗地図でも見ないとわからないのですが、結構メジャーな儀礼です。まだやってる
地域があれば面白いですね。死ぬまでは呼んだりするのに、死んでからは茶碗を割ったりして
戻ってこないようにするという所が面白いですね。
変に観念的にならないこの様なスレッドが盛り上がらないのは少し悲しいのですが、
まだまだ全国には色々な儀礼があるので、「アオタン」や「わらべうた」みたいに
盛り上がったら良いな〜って思ってます。
実は明日からこの夏最後のフィールドに出ます。それでは!
16天之御名無主:01/08/29 01:08 ID:6JlMFTew
新潟出身ですが、葬儀の時にも赤飯でした。
ヤッパリ普段とは違う日だからって事かな?
173・9・11・15:01/09/04 00:11 ID:vLI6Gk12
 滋賀県湖東地方では、けっこう葬式の時に白装束を来ていました。「白張」という
タイプみたいなのですが、自分は衣服に関しては本当にうといのでまたゆっくりと調べて
確認したいです。
 葬送から少しはずれるかも知れませんが、湖東は典型的な両墓制地帯でした。
昔から民俗学では大きな問題となっていますが、墓制の問題も面白いですね。
サンマイ(埋め墓)を4つほど回ってきましたが凄かったです!
 家の本棚を何気なく眺めていると宮田登さんの『冠婚葬祭』岩波新書
という本が出てきました。かなり昔に買ったので自分でも忘れていたのですが、
>>1さんもしよかったら読んでみてください。宮田さんの新書のなかでもまあ
面白く読める方だと思うのですが。

(注)両墓制
遺体を埋める墓と、普段参る墓が別れているタイプの墓制。
18天之御名無主:01/09/04 01:14 ID:kSB6bBZk
葬儀の際の服装については、たしか地方によっては今でも子供には
七五三に着るような晴れ着の着物を着せると聞いたような?
東北方面だったと思いますが・・・
いずれにしても、誰でも真っ黒の喪服を着るようになったのは
かなり最近の習慣のようです。
19天之御名無主:01/09/06 00:08 ID:RiQkpzEQ
>>1
ありがとうございます。是非読んでみます。

両墓制を今検索したら瀬戸内の佐柳島も有名みたいですね。
先週両親が遊びに行ったところだ・・・(塩飽水軍の模型見に)
付いて行けばよかった・・・残念。
201=19:01/09/06 00:10 ID:RiQkpzEQ
>>17の間違いです。
自分にレスしてどーすんだ・・・失礼しました
2117:01/09/09 02:43
>>19
あまり気軽に見に行くようなモノではないと思うのですけども・・・埋め墓。
やっぱり怖いという気持ちもありますし、実際に今でも墓として機能している
地域もあるので、見ず知らずの人の眠る墓地に足を踏み入れるのはなんとなく
倫理的にも悪いような気もしますしね。だから勉強のためにと地元の人に言ってから
見に行く方がいいと思います。
でもさっきネットで見ると本当に観光案内みたいな感じで両墓制を取り上げている
町もありますね。
223=17:01/09/09 02:56
そうそう。埋め墓を見る一つのポイントは、埋めた場所に卒塔婆などを
立てるのですが、その周りに木や竹などで囲いを作る地域があります。
関西などではよく見かけるのですけども、なぜ囲うかについて現在二つの
代表的な説があります。
(1)埋めた遺体を山犬などに荒らされなくするため。
(2)霊魂が出てこないようにするため。

(2)は確か五来重さんが言っていたように思います。囲う形も色々あるので
面白いと思います。でも1人で行くと本当に怖いですよ!!
23天之御名無主:01/09/29 18:50
沈んでたな〜
葬式の衣装=黒の喪服というイメージが、みんなの事例報告により
最近創られてモノであるという事が、判明したなかなか
有意義なスレッドなんですが・・・専門的になりすぎると
倦厭されるのかな〜?気軽に書き込みできなくて?
それとも冠婚葬祭という重要な民俗に関心が薄いのか?
24天之御名無主:01/10/24 00:34
母方の祖母の葬式の時、
喪主やった叔父が、白の裃を着ました。ビクーリ。
近所持ち回りらしく、クリーニングのタグついてたのが印象的。
えっと、それほど田舎ではないと思います。
愛知県、三河地方のこと。

冠婚葬祭、特に葬送儀礼には、私も興味あります。
死に関する事だから、あまり公には語りにくいのでしょうか?
こうした情報の積み重ねで、何かが見えてくるといいですね。

冠婚葬祭板でも、探すと興味深いレスありますよ。
25天之御名無主:01/10/24 09:34
座棺から寝棺への移行に関して調べたとき感じたのだが、案外最近変わった習俗を
相当昔からのことと考えられていることが多いようだ。
たとえば、神前結婚式もそうだし、喪服が黒になったこともそうだ。この喪服は、
遺体(遺骨)を「土に返す」という言い回しとともに明治以降のキリスト教の影響
が強いような気がする。
26天之御名無主:01/10/24 12:52
中国文化圏(華僑)では、今でも喪服は白です。
白いチャイナドレスは葬式用とか。

25さんの言うように、明治以降の西洋文化移入で、
冠婚葬祭にも大転換があったのでしょうか。
廃仏毀釈に伴う、神道と仏教の役割分担(?)も関係している?
詳しい方解説願います。

ところで、座棺から寝棺に移行したというのは、いつ頃ですか?
27天之御名無主:01/10/24 14:52
江戸時代は神主も仏教葬を強いられ、有髪である神主がなくなったとき
無理やり剃髪され、随分遺族がつらい思いをしたことなどが記録にのこっていま
す。維新後には、仏教僧が神道の布教を義務付けられるようなことが一時あ
りました。役割分担というより、国家神道となった神道が冠婚葬祭すべてに
介入してきたというのが実態のようです。
 棺については、結論を言えば民俗の転換期であった1950年代を中心に、
自治体が公的な火葬場を設置したことによるようです。燃料の消費効率から
寝棺になったわけです。もちろん土葬から火葬への増加もからみます。
28天之御名無主:02/01/01 14:58
昨日テレビでやってた
ムカサリ絵馬について教えて。
死後結婚の慣習?ってよくあんの?
29>28:02/01/02 02:07
『東アジアの死霊結婚』(松崎憲三編 1993年 岩田書院)に詳しくあるぞ。
30天之御名無主:02/01/11 13:42
白の喪服
儒教から来ているのではないでしょうか。儒教では、喪に服す期間は、質素を旨とする考え方があるようです。
ですので、儒教では、昔は、服喪の間わざとボロの服を来て、食事もほとんど取らない様にすることもあったとか。
その後、簡略化が進み、飾りけの無い白い着物を着るという形で残ったのが、中国から仏教とともに流入したと考えることはできそうです。

死者の着物を左前にする理由は、「さかさまの理論」が働くからだそうです。
つまり、黄泉の国はこちらとはさかさまである。という考え方があったそうです。
だから、無作法とされることをわざとすることがあるのだそうです。
左前に着せれば、あの世では普通になる。 というわけですね。

あと、郷里では、「一人でお墓に行くとご先祖様に連れて行かれる。」と祖母に言われたことがあります。
近隣ではそういう考え方はあまり無いようでした。
31あぼーん:あぼーん
あぼーん
32天之御名無主:02/01/16 22:47
>>12
>戦前までは喪服は白だったそうです。少なくとも死者の身内の女性は...
とは、どの地方の話でしょうか。戦前の農村部では、白無垢の和服を各自あつらえ持っていたとは
想像し難いのですが。貧困と多産からして、冠婚葬祭の婚祭両用の黒紋付和服だけで精一杯では。
33山野野衾:02/01/17 13:06
>32
4の方の様な例も多かったのでは無いでしょうか。
34天之御名無主:02/01/20 10:53
>>32
貧乏な場合、隣近所や一族で貸し合ったりしたのではないでしょうか?
今でも、特に和服の喪服はレンタルを利用する人が多いようです。

葬列で、五色の旗や四門、頭にかけるさらしなどは、隣組で持っていて、使ったら洗って返すようです。
葬儀用品なども、昔は隣組などでもっていることが多かったそうです。
維持管理の手間や隣組自体の消滅などによって、個人の貸し出し業者→葬儀屋から借りる形に変わっていったと葬儀屋さんに聞いたことがあります。
3534:02/01/20 10:56
もちろん、個人が着る死に装束は別に用意すると思いますが。
自己レススマソ
36天之御名無主:02/01/22 01:17
以前、中央線で山梨を通過した時の話ですが、車窓から外を眺めていると
線路沿いの墓地が眼に入ったのですが、おそらく新墓と思われる墓の前に
赤・青・緑(だったはず)の3色が一組になった幟が立てられていたのを
2〜3件ほど目にしたのですが、これは山梨特有の習俗なんでしょうか?
それとも他府県にも同様の習俗があるのでしょうか?ご存知のお方ご教示下さい。
37天之御名無主:02/01/22 10:08
>>36
>赤・青・緑
これに黒と黄色を足すと、仏教で広く使われる五色の旗の色使いですね。
曹洞宗のお寺の内陣にはこの五色の布が張られていることがあります。
宮城県の仙台周辺の田舎では、葬列を組む場合、五色の旗(それぞれの色
の五本の幟)を持つことがあります。お墓には立てませんが…。
38天之御名無主:02/04/29 23:17
近所で葬式あったとき小さな女の子が全身真っ赤な衣装(靴等も)だったのが印象的だったなあ・・・
うちは引越してきたよそ者なんで地元のことあんまりわかんないんだけどね。
すごい気になる・・・
39天之御名無主:02/04/29 23:41
どこの地方??気になる。
4038:02/04/30 17:47
>39
近畿と東海の狭間で揺れ動いている県です。
あんまり言うとバレるので(ワラ
41天之御名無主:02/04/30 18:02
三重?
違うかな。笙野頼子の「二百回忌」という小説で
真っ赤な喪服という描写があったけど、
彼女も三重県出身のはず。
4239:02/04/30 20:34
>>40
いやいや、このスレでは「喪服は白か黒か」ってことで地味に盛り上がって
たので、そこの「赤」が出てきたってのは凄いことだと思います。
ゼンゼン知らなかった!
4338:02/04/30 22:29
>41
大当たり!(w
バレバレでしたか・・・
そんな小説があったとは…興味深いですなぁ
44天之御名無主:02/05/01 20:11
喪服の色や形状なんか面白いですね。ちなみに遅レスですが、
>>36さんの幡は葬列の時の持ち物である「野道具」の中の幡
じゃないでしょうか。幡や提灯など色んな物を持って墓まで行列し、
それを墓において来るというか飾って帰るというのはそこそこ一般的
なんじゃないのかな〜?>>37さんの所は墓に立てないないみたいだけど。
野道具は基本的に派手なような気がするし。
45天之御名無主:02/08/31 16:31
>>25
黒木監督映画「祭りの準備」で、昭和30年代の高知県の葬送行列の場景があって、
寝棺を担いでいたが、その年代で既に寝棺に移行してたのかな。
寝棺は、火葬場への葬送行進が、徒歩から自動車に代わって必然的に移行したと
思っていたが。
46天之御名無主:02/08/31 22:07
>>45
寝棺から座棺への変化は、土葬から、公設の火葬場での火葬への移行なんかも
関係有るんじゃないですか。おそらく地域差もかなりあると思うので
それぞれの地方により事情が異なると思いますけど。
47天之御名無主:02/09/01 17:46
>>46
土葬から火葬への移行って、そんなに昔のことではないって事ですか?
4846:02/09/01 23:19
>>47
今でも土葬の所もありますもんね〜あと両墓制とかもあるし。
都市部では完全に火葬でしょうけど山間部なんかではまだ少し残ってる
見たいですけど。
49天之御名無主:02/09/02 19:11
近所の一部ではまだ土葬です。
10年前わたくしの祖父が亡くなったときは火葬でしたが、
まだ近代的な火葬場が出来ていない時期で棺桶のまわりにやぐらを
組み火をつけるという今から考えると凄いことしてました。
途中棺桶から凄い勢いで足が飛び出てきたり・・・。
最後まで燃え尽きるのを親族で一晩中見守っていたっけなぁ。
5046:02/09/02 23:08
>>49
十年前に野焼きってすごいですね〜!焼き方にも色んな方法が有るみたいで
そんなのも調べると面白そうですね。具体的にどの様にヤグラを組んだのかや、
薪の種類、焼いてからの遺骨の処理等興味は尽きないですね〜。
しかし野焼きでは内蔵が焼けにくいって話は良く聞きますが(笑)
51天之御名無主:02/09/04 23:08
やぐらは最初から組んであったような記憶がありますが、
どのようになってたかは良く憶えていません。
でもちゃーんと綺麗に焼けていましたよ。真っ白な骨だけ残りました。
祖父も近代的な火葬場で焼かれるより幸せだったと思います。
雰囲気もお祭りみたいなものでした。
5246:02/09/06 01:23
葬送墓制は奥が深いっすね〜

沖縄の人いてます?やっぱ亀甲墓とか洗骨とかって地元ではポピュラーなのですか??
53天之御名無主:02/09/11 18:31
>>52亀甲墓は少なくとも私の周りではとてもポピュラーなものだと
思います。洗骨というのは土葬後しばらくして骨を取り出し
お墓に納める事ですよね、戦前までは行われていたようですよ。
戦後でも私の叔父が幼くして亡くなった時はその方法だったらしいので
しばらくは続いていたようですね。離島の方では風葬をする場所もあったとか。
でも、今は火葬が主流です。あと、なぜか沖縄では北枕じゃなく
西枕なんです。なぜなのかはよく聞いてないので
機会があれば年寄りの人にでも聞いてきます。
54山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 18:46
土葬の場合死後硬直の進んだ体を寝棺に入れるものだからボキボキ鈍い音が
して大変。20年前の鳥取県西部の話です。
5553:02/09/11 19:09
西枕はどうやらうちの住宅事情によるものだったらしいです(恥
親に聞いたところお釈迦様の遺体の頭が北向きで顔が
西向きだったので北枕が出来ない時は西にするらしいです。
5646:02/09/11 23:20
沖縄の葬送墓制って興味深いですよね〜亀甲墓が広まる前は
ウタキのちかくで風葬してたのかな??葬送儀礼に関しては
研究も盛んで沖縄の事例も多くあつかわれてるみたいなんですけどもね。
勉強しなくては(^^;
5746:02/09/13 01:05
色んなお墓シリーズ!浄土真宗地帯の無墓制をしってる人いますか??
本ではちらっと読んだことあるけど、イメージがわかない?????
遺骨とか墓参りとかってどうしてるのでしょう?
58山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/13 23:51
良スレを上げさせて下さい。
5946:02/09/24 01:28
墓制は不人気なのか・・・・
『日本民俗事典』弘文堂の「墓制」の項目に、鳥取県東伯郡の東郷湖畔にある
浅津という所はいわゆる墓地を持たない村であったと紹介されてるのですが、
ここも真宗の無墓制と同じなのでしょうか?それとも別の理由なのか?
鳥取県の方か、墓制のエキスパートの方、おられましたら教えて下さい。
よく目にする墓制の研究書に載ってるのでしょうか?って結構研究書もでてますが(^^;
事典の開設は佐藤米司御大が書かれてます。あ〜本で探したらわかるかな?
土井、佐藤コンビの岡山県コンビの研究書もありましたよね〜確か・・・最近図書館に行けてないので
知っておられる方よろしくお願いしまm( )m
60足入れダー!:02/10/02 02:37
 民俗学では超メジャーな研究分野である冠婚葬祭(言ってみれば人生儀礼)ですが、
民俗板ではどうも不人気(呪術や妖怪以外はみんな興味ないのか??)のようです。

 墓制の話題に集中してますのでここらで少し目先を変えて(墓制も引き続きガンバロー!)
婚姻習俗は色々ありますが、結婚式場でするようになってすっかり廃れてしまいましたね〜。

  では「いつくらいまで家で結婚の披露をしていたんでしょうか?」

ことによると今聞きに行かないともう聞けなくなるような気がして・・・・
ちなみに神社での結婚式は日本伝統的結婚式ではありません!あれも最近でしょ。
61天之御名無主:02/10/02 03:08
アメリカだと、bachelor partyというのがあって、
結婚式の前夜に新郎が男性の友人とパーティーをするってのがありますね。
新婦もする事も多いです。
ストリッパーを呼んだり、娼婦(新婦には娼夫)を呼んだりと、
酒を飲みつつ騒いだりしますね。
結婚したら真面目な結婚生活を送るための、通過儀礼的なものですね。
結婚のカーニバルみたいなものですかね。
62眠い:02/10/02 03:39
でもよ。

ゴミが1匹ひっかかったぜ。
63あぼーん:あぼーん
あぼーん
64足入れダー!:02/10/02 23:20
>>61
日本の結婚式の2次会みたいな感じですね〜。気持ちはよくわかる(笑)
しかし上の変なのは削除出来るんでしょうか??ま〜ほったらかしでもイイけど(^^;
65天之御名無主:02/10/02 23:58
うちんとこ(福井)も、葬式で喪主が白い裃つけます。
最近は黒いスーツが多いですが、昔は白でした。
赤飯を近所に配る地域があります。
あの世が極楽で、極楽に帰って仏さまになるから目出度いみたいな意味が
あるようです。
田舎の方で山がない農村地帯に行くと、田んぼの真中に焼き場
が集落ごとにあって、すすで真っ黒になっってますよ。
66天之御名無主:02/10/11 23:37
冠婚葬祭の「冠」でも語ってみますか♪
とある関西で「力試し石」を街角で見ました(少し田舎やけど)
今でも青年団なんかに入るときに、何か試練がある所ってあります?
67天之御名無主:02/10/11 23:42
うちの地域では葬式の時、焼場に運ぶ前に
家の庭の真中に棺をおき、その周りを親戚一同半時計回りに回ります。
そのとき、大人は歩きながらお金をまくのですが
それを「死に銭」と言って子供が拾ってもいいのですが、
3日以内に使い切らないといけないいう決まりがあります。
同じ地域でも、私の親戚筋だけの儀式(?w)なのですが…
おんなじことする家の方いませんかね?
68天之御名無主:02/10/11 23:47
神道のお葬式って喪服(黒服)着ないんですか?
晴れ着って本当?
69天之御名無主:02/10/17 20:38
>>67
葬式の行列の時なんかにお金をまく風習は、実感として西日本では結構あると思いますけども。
「日本民俗地図」なんか見てもらえれば良くわかると思いますが(^^;
「うちの地域」とかのような書き方しないで、できれば何県のどの辺りくらいは書いてもらえると、
色々とわかるのですけどもね〜。
>>68
一般的な黒の喪服自体、最近になってから全国に広まったみたいだからね〜。
ここの過去のスレも見てね。
70天之御名無主:02/10/19 18:21
喪服の色の話ですが
香港の葬儀関係サイトを見ていたとき、伝統の葬礼習俗として
子・長孫は白い麻の喪服、その他の孫や甥姪は白い苧の喪服
玄孫は黄色、玄孫の子は紅の服、とありました。

現実に玄孫の子がいる程の長寿は稀でしょうが
38さんの話にある赤い服も
中国から移入された仏・儒教儀礼が
変化しながら残っているってことでしょうか?

71山崎渉:03/01/11 03:20
(^^)
72あぼーん:あぼーん
あぼーん
73山崎渉:03/03/13 13:14
(^^)
74天之御名無主:03/03/20 00:18
拉致被害者の地村さんの お母さんの葬儀のVTRでお父さんが
額に三角の白い布を鉢巻にして、付けていたのにビックリ。あの地方では
みなそうなのでしょうか。地域によってずいぶんいろんな風習があるんですね。
うちの曾じいさんの葬儀(昭和3年頃死去)の写真は、みんな白いかみしもを
付けて白装束だった。黒服にはいつ頃からなったのでしょうね。
75天之御名無主:03/03/20 00:24
74です
ちなみに 曾じいさんの出身地は富山県です。
76山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/20 10:12
あの、さんざん既出なのですが。>白い喪服。それと「白い三角の布」は地域によ
って名称が異なりますが日除けと称する土地もあります。中世には存在したらしい。
なお日本や古代の支那では喪服は白でしたが平安以降の貴族の喪服は黒くなってい
ました。庶民は上記の通り。
77天之御名無主:03/04/05 20:58
>>60
>いつくらいまで家で結婚の披露をしていたんでしょうか?
社会学からアプローチの方が解りやすよ。今はなき日本住宅公団が、団地なるものを
日本に広めてからだろう。
78天之御名無主:03/05/06 23:25
通夜って、どういう語義なんだろう。
79山崎渉:03/05/21 22:02
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
80山崎渉:03/05/28 15:18
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
81山崎 渉:03/07/15 12:41

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
82天之御名無主:03/10/26 13:31
>>66
>今でも青年団なんかに入るときに...
青年団って、その地域の祭りや消防等の特定目的体や有志結成のものを除けば、
高度成長期以後は、消滅してるんじゃないかな。
83天之御名無主:03/11/02 23:15
葬式より火葬を先にやるところはどこ?
84天之御名無主:03/12/06 18:36
ある東北の地方紙で冠婚葬祭事典の執筆をしたものです。

白装束は戦前辺りまでは一般的でした。戦後、西洋のモーニング
に似せられて黒装束が一般的になったらしい。
ある地方ではその名残で襟に白い布を付けるといった習慣も。

>>83東北・北海道では通夜の前に火葬することが多いらしい。
これの理由は諸説あるけど、「生もの」をお寺の本堂に上げてはならないからだとか。
85天之御名無主:03/12/14 15:28
>>84
> これの理由は諸説あるけど、「生もの」をお寺の本堂に上げてはならないからだとか。
それはやはり神道の影響の方が強いってことなのかな。
8684:03/12/16 02:32
まあ、神道というか、「神道」という宗教の基となった
日本古来の思想ですね。

日本人が持つ「ケガレ」の思想は民俗学的にも興味深いです

87天之御名無主:03/12/18 03:42
穢れの話は置いといて、火葬が一般的になった最近では確かに
お骨にする→お葬式(お寺の本堂で引導を渡す)が主流でしょうが、
土葬の時代はどうだったのでしょう?
子供のころだったので式次第が思い出せません・・・。
襟元に晒しを手拭状・スカーフのようにしてつけるのは、
ウチの近所(福島県某所)ではみなそうなので興味深く拝見しました。
付け加えると、葬列の参加者は紐のように長く切った晒しを手に握り
ぞろぞろ連なってお墓へ参ります。
88天之御名無主:03/12/18 03:43
穢れの話は置いといて、火葬が一般的になった最近では確かに
お骨にする→お葬式(お寺の本堂で引導を渡す)が主流でしょうが、
土葬の時代はどうだったのでしょう?
子供のころだったので式次第が思い出せません・・・。
襟元に晒しを手拭状・スカーフのようにしてつけるのは、
ウチの近所(福島県某所)ではみなそうなので興味深く拝見しました。
付け加えると、葬列の参加者は紐のように長く切った晒しを手に握り
ぞろぞろ連なってお墓へ参ります。
89天之御名無主:04/01/03 01:47
>>87 火葬が一般的

いえ、法で定められているので、火葬にしないと死体遺棄などの犯罪になります
90王仁若丸 ◆wnnQq24bsM :04/01/04 21:33
>>89
土葬がOKの所もありますが。
91天之御名無主:04/01/04 23:53
Q. 土葬は法律で禁止されているの?

A. 東京都や大阪府などの大都市では、条例によって一部地域を除いて土葬を禁じています。
   しかし、「墓地・埋葬などに関する法律」の上では、土葬も火葬も平等であり、どちらを選ぶか
   は遺族の判断や故人の意思によります。土葬より火葬が圧倒的に多いのは背景に様々な
   事情があるからです。その一つに、墓地管理者が土葬を認めたがらないということがあります。
   禁止条例のない地域で、墓地管理者が納得した場合、あるいは私有地に墓地がある場合
   土葬が可能となるのです。   ttp://shimizukouekisha.jp/dosohahorithudekinshi.html
92天之御名無主:04/01/05 00:07
(参考)

墓地、埋葬等に関する法律(抜粋)

第1章 総則
 第2条 この法律で「埋葬」とは、死体(妊娠4箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ることをいう。
    2 この法律で「火葬」とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう。
    3 この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は作成し、若しくは収蔵した焼骨を、
      他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

第2章 埋葬、火葬及び改葬
 第4条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。
    2 火葬は、火葬場以外の施設でこれを行つてはならない。
93天之御名無主:04/01/05 00:14
火葬場って民間が運営してるの?自治体の施設なの?
94天之御名無主:04/01/05 10:14
>>93
東京などでは民営の火葬場がありますが、多くの地域では
現在は自治体の施設です。
昔は自治体より小さな集落レベルの火葬場などもありました。
詳細は冠婚葬祭板の「火葬の科学」スレッドでお尋ねあれ。
95天之御名無主:04/01/05 21:15
霊柩車をみると親指を隠す。これは全国区?
96天之御名無主:04/01/05 21:55
>>95
「霊柩車 親指」で検索するとわかるけど、かなり全国的のようだ。

自分は新潟県出身の門徒なので(?)そういう迷信は子供の時から
聞いたことがなかったし、したことがないが。
97裏小泉:04/01/06 01:33

【こんなA型は嫌だ!】

・自分と他人を比較するのが大好き。
 勝った時はくだらない優越感に浸り、負けた時はネチネチと妬む(本来「世界に一つだけの花」のはず)。

・他人の不幸が大好き。
 他人の不幸を見て自分の幸せを実感する(「人の不幸は蜜の味」とはA型が最初に呟いた言葉)。

・表では善人のような顔をして、実は根回し上手で悪意がある偽善者(「自己保身命」) A型(全体の38%)だけは「性悪説」が妥当?

・表面的な優しさはあるが本当の優しさはまったくない。
 皮肉・ほめ殺しとなって現れることも多い。

・イメージに振り回されがちで本質を見る才能がない。
 完全に舐めていた相手から実は舐められていたと後で気づかされる(「裸の王様」)

・ひとりでは何も出来ない。すぐに徒党を組みたがる。
 例:群れの中からの遠吠えなど。

・自分と同類以外を非難・差別する。
 自分が一番まともだと勘違いしている(実は一番おかしいと気づかない)。

・人を利用する(A型流)。
 気に入らない奴がいると自分は手をくださず、他人に悪者役をやらせる(陰の黒幕)

・体裁が第一・見栄っ張り。
 家庭内が険悪でも世間には家族の仲の良さを強調(見事なまでの猿芝居)。
 世間から良く見られていれば安心(中身ガタガタでも「世間体命」)。

98天之御名無主:04/01/06 03:06
土葬は現在では圧倒的に少なく、特に伝染病で死亡した場合は
法律で火葬が義務付けられています。
キリスト教国では死後の復活云々の理由から土葬が一般的ですが、
わが国ではキリスト教徒でも火葬が一般的です。
火葬が多い理由は、衛生面と墓地のスペースの問題でしょうね。
あと仏教=荼毘(だび)ってのもあるのかな
99天之御名無主:04/01/17 08:02
>32
亀レスもいいところですが、
「嫁入りは普段着でしても、喪服は必ず持っていかなければ村八分にされた」
という話もあります。
地方では結婚式(披露宴)をしない場合も多かったらしく、
結婚式よりもはるかに葬式が重要だったようです。
『死ともののけ』(斎藤たま著:新宿書房)に葬式についての証言が豊富に載っています。
もう新刊では手に入らないと思うので、図書館で読んでみてください。
100天之御名無主:04/01/17 20:28
↑ウホッ 3年越しのレス。さすが民俗板。
そういえば、村八分で除外されている「二分」は
火事と葬式で、これだけは村人みんなで協力するとかって
昔社会の授業で聞いたな
101天之御名無主:04/02/28 01:20
布団に鎌を乗せる。行列作って皆で墓で運ぶ。土葬で、埋める前に皆で回す。皆、頭に白い布つけて紙の衣装つける。15年前爺ちゃんの葬式。今となっては貴重な光景になった
102天之御名無主:04/03/05 22:37
私も土葬にしてもらいたいな。 田舎の土葬地域にお嫁にいきたい
103あぼーん:あぼーん
あぼーん
104最近葬式多くて大変!:04/03/09 00:49
長野だったか山梨だったか、受付では香典のおつりを払わなくてはならないので会計があわなくて大変だと聞きましたが。
105天之御名無主:04/03/12 12:30
長野にはそんな風習はない!(と思うw)
南と北で(というか盆地ごとに)結構違うし、無駄に几帳面だからおつりもあるかなあ。
106天之御名無主:04/03/17 05:12
札幌の里塚火葬場(もう一軒あるが、ほとんど使わない)だと、
遠隔地の人が札幌の病院で亡くなったときに、葬儀前に焼く人も多い。

火葬場には、そば・コーヒーコーナーや広い待合ロビーもあって、
(普通に葬儀後、親族沢山で来る人は、棺が入るとこのある霊柩バスで来て、焼き上がりまで小部屋を借りて、持ち込みの弁当を食べて待つ。
残った弁当などは旧平岸火葬場では持ち帰りできなかった。)親族が一人か二人で来てもいいようになっている。

道内では、葬儀のとき名前だけのような葬儀委員長をたてることが多い。

結婚披露宴でも、同様に発起人会、発起人代表を立てる。
宴会は会費制で、参列者はのし袋などに会費を入れないで、裸で受付で払う。(金額は決まっている、一万五千円位)領収も貰う。
107天之御名無主:04/06/29 21:31
関東 墓参りは午前中に。法事に歌を歌う。(これは可笑しくて、笑いそうで参りました)
東北 ばあさんが嫁入りの頃は、長持ちに一生分使う服を入れ最後にその長持ちが
   棺桶になるように持ってきた。と、聞いた。
108天之御名無主:04/07/03 16:43
>>99
>結婚式(披露宴)をしない場合も多かったらしく...
そもそも近代以前の日本には、結婚式なんて概念はなかったんじゃないか。
家としての嫁とりを報せる披露宴も当時の大多数の農民には無縁だったんじゃないか。
109天之御名無主:04/08/01 15:06
>>107
>長持ちが棺桶になるように持ってきた...
は聞き違いと思われ。それまでの棺から寝棺に切り替わったのは、地方では
たかだかここ3、40年のはず。
110天之御名無主:04/08/11 23:13
いきなりですまんのだがお聞きしたい。
四十九日前に他の血統の墓参り等はしていいものなのだろうか?
111天之御名無主:04/10/13 11:07:41
足入れ式ってやってる地方有りますか?有るとすると、どんなことするの?
112これって何なんだ?:05/01/07 09:31:16
113天之御名無主:05/01/31 19:22:06
>>67
茨城県南部ですが、行列のときに小銭まいてましたよ。
「捲き銭」とか言って、その日のうちに使わないといけない
ことになってました。
目的はなんなんでしょうね...
114天之御名無主:05/01/31 22:40:09
子供の頃の思い出。
集落には必ず火葬場が1箇所、村外れにあった。今も使われてはいないが
田んぼの中に残っている。木製の4本の柱が蔦に覆われながら、やっと建って
いるという風情の、なんか薄気味悪い感じで。
あれは風の向きで、焼く臭いをモロに嗅がされるんだよね。
小学生の頃、通学路の近くの焼き場で焼いていると、鼻を押さえて走って通り
抜けた覚えがある。あの頃、手の甲をこすり合わせると死人の臭いがするって
いう遊び?があったのを思い出した。
燃料は藁。大量に必要なので、村中で何束か決まっていて出し合ったそうだ。
今日では公害やらダイオキシンやらで、とうてい許されないでしょうね。

115天之御名無主:05/02/01 05:33:42
在野で民俗学をやっている神主さんが書いた、
それほど学術的でもないけど
面白かった本で「三々九度」神崎宣武著というのがありました。
記憶が定かではないのですが、日本の契約と三々九度について書いたもので、
その筋の方の親子盃とかもとりあげておられて、
もちろん、祝言の盃も取上げられておられました。
昔は結婚式というのはちょっと人を呼んでの三々九度の盃を上げることのこてで、
結婚式というものもなかったと思います。
神主さんも介在せずに、仲人を立てて盃を交わす。
ある種の契約ですね。
そういった観点を含んでいる良書はありませんか?
116天之御名無主:05/02/01 16:28:24
話が全然違いますが、棟上式でうちの方では
紅白丸餅とお菓子(小分け袋菓子など)と小銭(紙に包んだ物)
をまきます。これって普通ですか?

お祭りの時などに近所の神社でも紅白丸餅とお菓子をまきます。
117天之御名無主:05/02/08 00:38:03
>>60
婚姻だと個別スレのある初夜権のようなものになるんでしょうか。

田舎では火葬場への行き来で道を変えてたけど普通だろうな。
この頃は葬式の際の清め塩を止めるところも増えてきてるようで
明治か大正頃の三河のお坊さんの考えが大きく関係もしているそうですが
先述のように、死者が帰ってこないように道を変えますよね
で、家に帰ると連れてきちゃわないように清め塩(割と最近から?)
これがお盆には、帰ってこれるように便宜を図る
家に帰って来られては困る死者が
家に招かれる(居着く)祖霊に変わるのはいつ(どこ)なんでしょうか。

もしかしたら個人名なのかも知んないけど、田舎の葬式には
世話役みたいな感じのセンドウ(船頭?先導?)さんって方がいた気がします。

日本ではないけど確か、中国の映画「初恋の来た道」では行列を作って
棺桶を御輿のように運んでた。イスやなんかも運んでたかな(全部あやふやな記憶)。
学校建設中の昼食の風景もおもしろかった、日本も昔はああだったのかなあ。
118天之御名無主:05/02/08 01:32:52
>22
個人的には(1)の方だと思うな、以前に地元(中国地方)の「間引き」の風習について本を読んでいた際に、
行き倒れや間引いた子供の亡骸を<ひとまとめにして>埋める【むそば】などにも囲いがあってそれも
笹を植えて囲んだり とがった竹や木を挿したりしたのが(1)の方だった気がする。
あと、東南アジア域での風葬も同様の理由で囲んでいたはず・・・


昔は慶事も葬儀も白黒の幕を張ったんですよね?
どちらも本来は目出度い事だったはずのものを 近年になって区別して紅白・黒白に分けちゃったりして
>23
おれ、気軽に書き込みしちゃいましたけど俺程度の知識の書き込みも無問題?
119118:05/02/08 01:35:47
って>23はよく見たら1月10日の書き込みじゃなくて、
2001年の書き込みじゃないか〜!w

そんな古い書き込みにレスを求めるような書き込みするなんて
俺の馬鹿〜!!ヾ(´▽`;)ゝ ウヘヘ
120天之御名無主:05/02/08 01:52:11
当方は岡山県なんですけど、祖父の1周忌の時に祖母(直系親族なら可?)が墓へ行き、
故人を負ぶって帰りました。あくまでも背負う格好をするだけですけど、
道中で知り合いにあっても【話をしてはならない】という風習です。
話した場合は「最初からやり直し」だったかな?
他所でもこんなことしてるんでしょうか?
121天之御名無主:2005/09/23(金) 11:28:01
捕手
122天之御名無主:2006/01/05(木) 18:44:27
冠婚葬祭の最後の祭に不統一感を覚えるんだが。人間の一生の儀礼を順に
並べると、誕生−元服・袴着−婚姻−死亡なんだから”誕冠婚葬”と表わ
すとしっくりくるんだが。漢語の熟語で中国人の考えなのかな。
123天之御名無主:2006/03/05(日) 18:44:26
>>114
>集落には必ず火葬場が1箇所、村外れにあった・・・
集落ごとの焼き場から、町なり広域共同体の公営火葬場に火葬場所が
移行し出したのは、何年頃からですか?
124天之御名無主:2006/03/08(水) 16:42:17
私の地方では、嫁入りした家の2階から(平屋の場合は屋根の上から)、
お菓子を投げて、近所の人に配る風習があったが、すっかり廃れてしまった。
子供の頃は、タダでお菓子がもらえるからと、子供同士で情報を集めたものだが。
125天之御名無主:2006/03/08(水) 23:07:25
>>124
>お菓子を投げて...
ポテトチップス等のスナック菓子のまだない時代のお菓子って、どういう
種類のやつ?飴とか小豆餡饅頭の類ですか?
126天之御名無主:2006/03/09(木) 14:11:24
>>83
島根県松江で今年祖母の葬式をだしたのですが、火葬→葬式の骨葬でした
127天之御名無主:2006/03/09(木) 14:21:20
>>116
うちの方、と言うのがどこら辺かはわかりませんが、茨城県ではやっていました
餅は頭に当たると死にかねませんよねw
葬式の撒き銭もあったなあ
128天之御名無主:2006/03/11(土) 15:30:03
>>125

昔は紅白のお餅を投げたりしていたそうです。
私の見た限りでは、普通のスーパー、コンビニで売ってるようなパッケージのお菓子を
そのままばら撒いてましたね。
129天之御名無主:2006/03/27(月) 18:25:05
家の建前のときは餅とお菓子まくけど
嫁入りの際のお菓子まきは記憶にない。
ただ、お菓子を配るのは普通に今でもやっている。
砂糖と青のりがトッピングされたせんべいが多い。

今は式場で披露宴のあと友達と二次会、そのまま新婚旅行行っちゃったりするから、やらないこともある。
130天之御名無主:2006/05/05(金) 03:12:09
「清め塩は死者への冒涜なので、清め塩の風習をなくしましょう」と、宮津市が
廃止を呼びかけて、反発が湧いているらしい。
清め塩の慣習は、死を「穢(けが)れ」とする神道で、それを払う一つの形として
中世ごろに生まれたといわれるとも書かれているが、全国的な風習なのかな。
【社会】 「葬式の"清め塩"は死者を冒涜」 市が広報誌の「人権」欄で廃止呼びかけ→市民から苦情…京都・宮津市★8
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1146586130/
【社会】「こんなに抗議くるとは」"葬式の清め塩、迷信だからやめよう"呼びかけ撤回…京都・宮津市★3
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1146711726/
【社会】「こんなに抗議くるとは」"葬式の清め塩、迷信だからやめよう"呼びかけを撤回…京都・宮津市★4
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1146735700/
131不明:2006/05/05(金) 21:23:44
【韓国】アイゴ!アイゴ!全身揺らし連呼する姿を見てもらい泣きしない人は、薄情と疎外される…
それが伝統的社会であった[5/5]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146830884/l50

>韓国のもっとも古い古代国とされている古朝鮮を開いた檀タン君グンも日本の最初の
>天皇とされている神武天皇も天孫降臨神話を共有しているように、韓日では聖人の
>ほとんどが天孫であり、その聖人はこの世の任務を終えると山や天に隠れる。

神話までパクっているのか???
132天之御名無主:2006/05/08(月) 10:02:09
>124
うちの方では、嫁ぎ先では無くて生家で菓子をまくよ。
現在でも、家で花嫁衣装の着付けと化粧を拵えるのが一般的だから。
仕度が整って神棚、仏壇、家人への挨拶が済むと表へ出て近所の方々へご挨拶し、お世話になりましたの意をこめて菓子をまく。
その後、氏子になっている神社へ詣でてから会場入りするんだよ。

目出たい行事は大概 午前中にするものなんだけれどね。
花嫁不在の嫁ぎ先で菓子まきするんだ〜!
まさか、披露宴後の午後には菓子まきしないでしょ?

@茨城県東部
133天之御名無主:2006/05/08(月) 10:15:44
>116
茨城県東部では、上棟式に紅白餅をまきます。
普通にまくのは、雑煮に入れる様な小さな紅白の丸餅、お菓子、インスタントラーメン、カップラーメン、お懐紙に包んだお金、ゴムボールにマジックで品名を書いたもの(これは投げられない物や壊れ物等で後程、現品と交換)等々をまきます。

そして、東西南北の四つ角から『四方餅』なる一升餅より小ぶりの紅白餅をまきます。

上棟式の締めに『親餅』なる一升餅を施主がまき、御開きになります。

四方餅、親餅を拾うと縁起が良いとされています。
134天之御名無主:2006/06/14(水) 17:04:30
火葬したあとに死者の骨を食べるっていう、骨噛みの習慣が残ってる地方の方います?
135天之御名無主:2006/06/14(水) 19:38:08
116
タテマエ?血沸き肉躍るイベントだっぺなぁ。
うちは茨城県南ですが、小さい頃はありましたよ。
136:2006/06/15(木) 14:38:51
 撒き銭。
 縁があるとヤバイので5円とか50円は絶対混ぜない。
 こっち(宮城の海岸沿い)では10円とか100円玉を白い紙(障子紙?)で包んで投げる。
 寺のまん前で撒いて、家に帰るまでに使ってしまう。
 葬式関係のものは家の中に入れないという習慣あり。父は堂々と破っていました。臨機応変な対応をする人も多いらしい。

 それと、葬式の後にゴミ収集所で焼いた1円玉とか10円玉がよくある。
 真っ黒でひしゃげてるのとかもある。どうやら厄落としみたいなものみたいです。
 金額は小さいですが、お金には変わらないので拾ってきたり……。

 タテマエは今でも健在(ちょっと違う)です。
137sage:2006/06/27(火) 11:00:02
冠婚葬祭での不思議といえば、海沿いの漁師町では大安に葬儀をするらしい。
そして7日(だっけか??)間の期間があるとも聞いた事がある。
@香川県高松市

てか、生きてるうちの北枕ってダメだってよく聞くんだけれど、
ウチの家ではばーちゃんが「頭良くなるから全然良いよ!!」つってたよ。
地域や宗派によって違うんだろうか…因みにウチは真言宗オモロ派らしい。
138天之御名無主:2006/06/28(水) 00:59:00
ゴメンナサイ。
思いっきり名前欄にsage入れたww
139天之御名無主:2006/06/28(水) 16:33:41
774IAYEORE <= #5J,SX}JZ
774W5QpEm6 <= #@J,VR1uQ
774DuNmZl6 <= #uJ,%jh~P
774bsBAK1U <= #@J,*Z:?d
774Fq6tHnQ <= #^[email protected]
774NtDVzbs <= #i=4W%uH3
774T3W0s0g <= #5=4fTT8:
774Iue9kYQ <= #`H[;!$`o
774CpfosoE <= #7s^0K,6r
7Si3GU5gM. <= #[email protected]
7SI3G8AVls <= #(hTnN5S$
7743OXU862 <= #m!vdk84f
7SI3A0xQ0c <= #8;Nd5i{{
7743/taZVI <= #ihuiM\YI
7si3kgdcKU <= #wUQUcEMv
7743aTGfsk <= #h:VOe$-0
7si3sIqN5g <= #FXzyW]G]
7743VH/p2Y <= #64k0OA%R
7Si3UeJQ4k <= #)Uw3kcG'
7SI3JMZV5Y <= #Xs_c8L3G
7SI3AbULq. <= #N0S-_(h|
7743lwNuss <= #c%RfwE*L
7si3NLVv4g <= #ppj.A29G
7SI3bts9Ec <= #DGe3JIZy
7SI3Abgv/c <= #xk`y?Gw]
7SI3wxtv6Q <= #JIeOFc1K
7743QPtpUI <= #PIep}Q:u
7SI3k2PEBo <= #Z:EHT@P*
7si3aOdNIo <= #VM5nN5ml
7Si3UfVtTo <= #BI/5;1n@
7Si38JHAKY <= #CD'-/G,2
7Si3aEuscs <= #3dtX%4~&
140天之御名無主:2006/08/17(木) 13:22:03
>>136
>タテマエは今でも健在・・・・
現在でも、棟上式で餅とお菓子と小銭を撒く>>116風習があるってこと?
141天之御名無主:2006/08/17(木) 23:30:06
建て前健在の地域はあるでしょう。
自分の郷里では未だ健在。
うちのほうは建て前じゃなくて建ち前といいます。
棟梁迎えから棟梁送りまでキッチリやってますよ!

逆に不祝儀の捲き銭は自分が子供の頃は見かけましたが、現在はよほどの御長寿で大往生じゃない限りなかなか行き当たらないです。
142天之御名無主:2006/08/24(木) 11:45:11
冠婚葬祭は最近はあまり昔の風習に従っているのは少ないね。
伝統が消えつつあるかな?
143天之御名無主:2006/11/19(日) 22:06:56
遺骨について訊きたいのですが。
東日本のあるお寺の縁の下に転がってた骨壷の大きさにびっくりして、
周囲の人間に聞いたら、東日本では遺骨は全部骨壷に入れるとか?
私が見た骨あげでは、全部は拾わなかったし、
骨壷もそんな巨大なサイズではなかったように記憶してます。
そう言ったら、残りの骨はどうするんだと尋ね返されてしまいました。
これって、私の記憶違いないんでしょうか?
もし、地域で違うとしたらなぜ違うか、御存知の方いらっしゃいませんか?
144天之御名無主:2006/11/20(月) 00:46:21
143自主レスです。
冠婚葬祭板で骨壷サイズの違いがあるというのは教わりました。
145天之御名無主:2007/01/06(土) 19:12:41
>>132
>近所の方々へご挨拶し、お世話になりましたの意をこめて菓子をまく。
>その後、氏子になっている神社へ詣でてから会場入りする・・・
菓子の種類は、婚礼専用の何か?普通の駄菓子?会場というのは、
神前婚なら社、教会婚ならチャペル等の結婚式場のこと?
146天之御名無主:2007/01/07(日) 13:36:36
撒き銭、についてマジレスです。

成城大学の民俗学教授 田中宣一『祀りを乞う神々』「第3章散米と撤き銭」、
が参考になるでしょう。
147天之御名無主:2007/01/07(日) 13:43:17
究極の香典返し!

千葉県旭市周辺では、その場で現金の香典返しと聞いた。

例えば、3000円の香典を受け付けで渡すと、その場で3000円が入った封筒を
香典返しをしてお返しされると言う。

この話が本当かどうか、詳細を知っている人は、報告をお願いします。
148天之御名無主:2007/01/22(月) 01:09:17
>>147
田舎は近所だけどそんなことなかったよ、
149天之御名無主:2007/02/26(月) 13:59:47
茨城県では、天寿を全うすると、香典返しに紅白のタオルセットをくれる。
昔は天寿を全うする人は少なく、長寿(70,80歳)で亡くなると、「あやかりたい」といって
みんな葬式に行ったという。
150天之御名無主:2007/04/12(木) 01:34:50
茨城では、七五三に結婚式並みの金をかける。
参列者も結婚式と同規模の人数で、御祝儀も2〜五万円ぐらい包むらしい。
女児は、お色直しもある。キャンドルサービスもある。

こんな七五三、他の地域でもやっているのか?
151天之御名無主:2007/04/17(火) 01:49:30
冠婚葬祭の派手な愛知でも、七五三では、そこまで派手にやってません。

いきなりの質問を失礼します。
「お葬式で、出棺の時に、霊柩車のホーンを鳴らす時がありますが、
 なぜ、鳴らすのでしょうか?」

ご存知の方、お見えでしたら、ぜひ、教えて下さい。
152天之御名無主:2007/04/17(火) 02:01:29
”名古屋を中心とする尾張地方、特に西部地方の結婚式は、とかく「派手」であると
喧伝されてきた・・・”
尾張の嫁入り−西部地域の婚姻儀礼 服部誠
http://www.geocities.jp/minzoku_hm/yomeiri.html
153天之御名無主:2007/04/17(火) 02:11:31
>>151
昔、野辺送りの時、鉦を「ボーン」って、鳴らしていた名残か?
154151:2007/04/22(日) 23:57:02
今でも、前火葬して、葬儀終了後に、列を組んで、墓参りに出掛ける地域があるんだけど、
その時、先頭は、やっぱり鉦で、鳴らしながら、歩いて行きます。
車のホーンも、同じような意味あいなんですね。

>>152・153
レスが遅くなって、すみませんでした。
教えていただいて、ありがとうございました。

155天之御名無主:2007/10/04(木) 22:26:14
『SPA!』2007年9月25日号

日本全国[ビックリお葬式]大全

未だに土葬(山梨)、遺体と添い寝(高知)、親族は白装束(鳥取)etc.
現代日本に残る風変わりなしきたりを体験者が驚愕ルポ!

突然ですが、皆さんが実家のお葬式では、火葬は葬儀の前ですか? それとも後ですか? 
これって、意外と地方によって違うものなんです。
今回はこのような、お葬式にまつわる地方独特の風習をリサーチする特集です。
ちなみに、葬儀の前に火葬をするのが10県、後に火葬するのが28県、併用しているのが8県だそうです。
156天之御名無主:2007/10/06(土) 03:16:42
↑これ、本屋で立ち読みしたんだけれど、出棺の時、お茶碗を割る風習は、
西日本だけって、本当?
関東や東北は、そういうことはしないの?
157天之御名無主:2008/07/11(金) 13:29:12
>>156
うちの地方でお茶碗割るのは厄落としの時だけだね(中部地方)
158天之御名無主:2008/07/14(月) 01:41:52
結婚して1年ほどの頃、旦那の方の父が急死で葬儀があったのだけど
(愛知県尾張地方です)、結婚式も、2人の職住のある関西で親兄弟だけを
呼んだ簡素なものにしたし、3〜4回程しか旦那の実家に行ったことのない私は
義父の葬儀で面食らってばかりで、一段落付いた時は、一人でおいおい泣いて
しまいましたよ・・・
義父は優しい人だったので寂しかったのもあるけど、そればかりではない何かが。

喪主のダンナは白い着物に裃、喪主の妻は白い着物でした。
ドレス一着で結婚式を済ませてしまったから、白無垢を着ているような気持ちに
なっちゃって、ああ、この家に嫁入りしちゃったんだな・・とシミジミ。
葬儀中は喪主の妻は絶対に台所(お勝手に)に入ってはイケナイということで。
近所の奥さん方が料理を作りにぞろぞろと・・
でもその家、台所を通らないとトイレに行けない・・
という事で、私一人のために暫く使ってなかった離れのトイレを。
159天之御名無主:2008/07/15(火) 06:16:15
今時、白い喪服を着るところは珍しいが、江戸時代では一般的。
戦前までは多くの地方で見られたよ。
たぶん、黒い喪服は、西洋の習慣を受け入れた明治以降の流儀でしょう。

それと、近所付き合いがしっかりしている所では、
葬式は近隣の人がすべて取り仕切ってくれるというのも一般的。
たぶん、香典の受け付けや計算も近所の人がやってくれたのでは?

160天之御名無主:2008/07/15(火) 12:02:03
勘違いが生んだ「黒い喪服」
http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000136_03.html

──では、最初に白から黒へ変化したのはどんな理由だったのですか?

増田 718年に養老喪葬令が出されて、
「天皇は直系二親等以上の喪には『錫紵(しゃくじょ)』を着る」
と定められたのがきっかけです。
当時の注釈書によると、「錫紵」とは「いわゆる墨染めの色」のことです。
これは中国の『唐書』に「皇帝が喪服として『錫衰(しゃくさい)』を着る」
と書いてあり、この中国の制を真似して定めたものと考えられるものです。
ところが、実はここで大きな勘違いを犯してしまったんです。

──といいますと?

増田 唐でいう「錫」とは、灰汁処理した目の細かい麻布のことで、
それは白い布のことなのですが、どういうわけか日本人はこれを
金属のスズと解釈し、スズ色、つまり薄墨に染めてしまったというわけなんです。

この「錫紵」の色は、平安時代になると貴族階級にも広まって、
薄墨だった色合いも次第に濃くなっていきます。
これはより黒い方が深い悲しみを表現すると考えられたからで、
あの『源氏物語』でも、妻を亡くした光源氏が
「自分が先に死んでいたら妻はもっと濃い色を着るのに、自分は妻の喪だから薄い色しか着られない」
と嘆く場面があります。

白が復活したのは室町時代で、
途中江戸時代に水色が登場したりしますが、基本的には白が続きます。
そして、明治維新を機にヨーロッパの喪服を取り入れて黒になり、現代に至っています。
161天之御名無主:2008/07/17(木) 19:40:19
室町に白が復活したのは何故?
そんな文化の民族が台頭して来たから?

いずれにしろ現代の寺の跡継ぎが激減ってほんと?
奈良から?必死に歴史作って来たのにさ〜。
このバチカンなみの努力をどうしてくれるよ!?
162天之御名無主:2008/07/18(金) 11:28:33
リンク先に予想が書いてあるジャン。何故読まないんだぜ?
163天之御名無主:2008/07/18(金) 21:28:22
読んだよ〜スマソ。いつも最大サイズがどうの、とか出てくるからつい遠のいちゃう。

つまりこの人の考え方だともともと変化してなかった、て事だよね。
じゃあ上と庶民が別文化、なぬっ?下手したら民族違うって事か?
なんちゃって〜

死の儀式を簡単には変えない、って事だけど蝋燭の立て方とか野心家の住職が跡継いだりすると小さな取り決めは変えたがったりもする?
それが広まるかどうかはともかく、浴衣だってたかが15年程度でミニスカスタイルが出て来たりしてる。

どういう残り方をするかは私達が20年30年後に知るわけだけども。
164天之御名無主:2008/07/24(木) 20:01:59
寺の跡継ぎだとか野心家の住職だとか どこからそんな話が出てくるんだ 何が言いたいんだ
165天之御名無主:2008/07/26(土) 07:40:06
7/22八王子駅ビル斉木愛さん(22)無差別殺人事件でのこのレスは実在風習なの?
168 :名無しさん@九周年:2008/07/25(金) 17:09:23
・・・北関東の一部の地域では「人違いであってほすい」。は、亡くなった方の礼儀だよ。
訃報を聴き付けたとしても「人違いであってほすい」。
御見舞い袋(祝儀袋)持参で駆けつける。
これが礼儀。
宇都宮だったら、この風習はある。
【社会】「理不尽、信じられない」 しめやかに八王子事件の被害者の通夜−宇都宮
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216903283/168
166天之御名無主:2008/07/30(水) 07:58:59
>165 御見舞い袋(祝儀袋)持参で.

見舞いって、病気見舞いのこと?
もし、そうだったら、千葉・茨城にもある風習だよ。

病気見舞いを贈っていない人が死ぬと、まず、病気見舞いを持っていく。
それから、通夜見舞い・香典を持っていく。

ムラ付き合いの基本だね。
167天之御名無主:2008/10/30(木) 01:50:39
近々舅の49日をするのですが、「笠の餅」というのを用意するように
お寺さんから言われました。ポンデリング状に6個の小餅が連なりその中心に
もう一つ。計7個。それが7層で49個。てっぺんに人形に切った餅をのせ
なんかするらしいです。初体験なのでわくわく。大阪は泉州地方です。
他の地方でもこれに類することをしますか?
168天之御名無主:2008/10/30(木) 04:04:25
>>159
母方の実家(といってもうちの隣町)は死んだ人と近しい身内の女性が、
式の途中で白い着物に着替えて棺を取り囲んで何かをするんだよね
そしてその時はしゃべっちゃいけないの…でも何をするかは忘れた……
じーちゃんの葬式のときは母と叔母、伯母たちがその役目をしてた
白い着物に着替えたときはみんな何かのイベントのようにキャッキャとしてたw
ほんと棺を取り囲んで何してたんだろー
ちなみにキンキラキンの派手な仏壇の宗派なんだけど
場所は新潟県の山間、群馬に近いところ
あとうちのあたり一帯は葬式のときに巻き寿司といなり寿司のセットが必ず出る
葬式とは別に近所の人が集まって念仏というのをするしね
169天之御名無主:2008/10/30(木) 11:00:49
関東では、通夜や告別式の料理に、握り寿司がよく出されてるよね。

俺の子供の頃(昭和40年代)は、仏事には、なまぐさ物は御法度という決まりだったのだが、
いつのころから、刺身や寿司が出るようになったのだろう?
170天之御名無主:2008/11/01(土) 10:28:12
(。・_・。)ノ
171天之御名無主:2008/11/02(日) 00:28:56
西洋の結婚式で新郎が新婦のガーターベルトを手を使わずに口で降ろすのは興味深い
172天之御名無主:2008/11/02(日) 18:13:04
握り?
ちらし寿司とかじゃなく?
まぁ失礼がなく便利って事かな?お盆に平気で刺身や鰻も、もう慣れてしまったような……
冷静に考えたら有り得へ〜ん
173天之御名無主:2008/11/02(日) 19:02:14
>>169
関西でもあるよ。
昔は通夜に来てくれた人に巻き寿司を1本ずつ渡していたが、皆、食事をしに来ている訳では無いし、
握り寿司なら5人前の桶で8人分とか10人分こなす事も可能。
経費節減になる上、来る方も巻き寿司より上等感が味わえ、両方得した気分になれる。
だいたい今から30年余り前には既にあったし、20年前なら一般的だった。

告別式の後の精進揚げは松花堂弁当が多いが、握り寿司より刺身が入っているのが一般的。
これはかなり昔からそうだったように記憶している。
174天之御名無主:2008/11/02(日) 19:52:50
仏事には、精進料理という仕来りは、以外に早くに消えたなぁ。
175天之御名無主:2008/11/02(日) 20:08:59
じゃあ未だに生寿司や刺身じゃなく巻き寿司が出るうちのあたりは昔のやり方なんだね
ちなみに葬式用の巻き寿司はピンクのでんぶのかわりに細かくしたクルミを甘く煮たのが入ってた
それが実にうまーいんだな
176天之御名無主:2008/11/02(日) 20:14:00
家族・親族が身を慎むより、自分の日常の仕事を放り出してやって来てくれた人に対する
お礼の気持ちを表わすものになってしまったからではないかと思う。
177天之御名無主:2008/11/02(日) 21:16:43
つーか、見栄の張り合い?
178天之御名無主:2008/11/02(日) 21:56:39
それもあるだろうけど、隣組の連帯が消滅しているのも大きいだろうね。
179天之御名無主:2008/11/02(日) 23:34:57
はぁ〜なるほど
昔は確かに総動員で準備してたもんね
来客用の沢山な湯呑み茶碗とか朧げ記憶にある

こうして見るとなんか淋しいねw
180天之御名無主:2008/11/03(月) 08:30:24
田舎はまだまだ総動員だから大丈夫
181天之御名無主:2008/11/03(月) 09:22:51
その連帯感の強さを受け入れられる人は田舎で暮らせるけど、そうでない人は絶対無理。

葬儀にしても、昔は最低親族だけは呼んだけど、今はそれすらも拒否して家族だけで
そっと行なう家族葬が増えている。
また、親族には知らせても、近隣の人間にはわからないように、葬儀社の会館等で葬式を
済ませてしまう事も多い。
他人にあれこれクチバシ挟まれるより、ずっとマシだから。
182天之御名無主:2008/11/03(月) 22:58:36
で?何が言いたい?
183天之御名無主:2008/11/04(火) 00:13:12
田舎と都会の人付き合いの差が、冠婚葬祭にも現われてるってことだろ
184天之御名無主:2008/11/04(火) 17:26:57
いや、いなかはウザイって言いたいんだろう
185天之御名無主:2008/11/04(火) 19:57:57
うん
186天之御名無主:2008/11/04(火) 22:37:16
あーいるよね
田舎出のくせに田舎を馬鹿にする人
187天之御名無主:2008/11/05(水) 00:04:10
馬鹿にしてるのとは違うな。
テリトリーとかプライバシーとか、そこら辺の感覚が宇宙人相手にしてるみたいで、
話してるだけでへとへとになる。
だから関わりたくないと思うんだ。

田舎出で田舎の事を馬鹿にする人は、言葉のイントネーションが多少変わるだけで、
言動は田舎そのままだから町じゃ結局油虫だし。
188天之御名無主:2008/11/05(水) 12:30:14
はいはい、田舎が嫌いなのはわかったよ
189天之御名無主:2008/11/05(水) 20:27:22
田舎は好きだよ。
田舎者は嫌いだよ。

分かり易いね。
190天之御名無主:2008/11/05(水) 22:23:30
わがままだな〜
191天之御名無主:2008/11/05(水) 23:59:09
友達のところは、お葬式のあと何日間かはお線香を絶やしちゃいけないし、お茶も湯気が
上がってないといけないと言ってた。

誰かがずっと家にいられた頃ならともかく、そう言うのって無理な場合があるでしょう。
その時はやっぱり宗旨替えした方がいいのかな?
192天之御名無主:2008/11/06(木) 03:02:44
忌引き休暇を最大限使えばいいじゃん。
親の場合、1週間取れるんじゃないの。
それ以上は、故人にご寛恕を願うしかないでしょう。
193天之御名無主:2008/11/06(木) 05:08:54
夜も寝ないで?
194天之御名無主:2008/11/08(土) 13:13:03
故人を悼む気持が強ければ、眠気に耐える。
そうでもなければ、寝る。

それだけだろう。
195天之御名無主:2008/11/08(土) 15:19:34
一週間、自分がやり通せる人ならいいよねw
196天之御名無主:2008/11/08(土) 16:48:29
>>187
家の近隣と子供の頃から家族同然に接しながら暮らしてきたか、
転勤族などで、自分の家がいわゆる「よそ者」の立場で生活してるかでも感じ方は違うよね
上手く溶け込めないことが悪いとは思いません。
同時に自分が溶け込めないからと田舎者と罵るのは良くありませんよ。

ちなみに自分は昔は前者で、今は後者
現在地域の活動にはぜ〜んぜん縁が無いです。回覧板で訃報が回ってきても
誰のことかサッパリわからないし、手伝いも声がかからない
子供もいないから尚更かな

実家にいた頃は近所の糞ババアすら身内みたいに感じたもんです
どっちも、自分の今おかれている状況に合わせて暮らすのが自然と思います

ややスレチで申し訳ない
このスレは面白いですね
197天之御名無主:2008/11/08(土) 18:27:53
>>196
激しく同意だあ〜
隣近所との付き合いは必要ない人もいるだろうし、田舎の地域みな家族的な暮らしが合う人もいる
暮らしやすいように自分なりに応用きかせていくしかないよね
198天之御名無主:2008/11/08(土) 18:56:49
>>196
>家の近隣と子供の頃から家族同然に接しながら暮らしてきたか
そんな気味の悪いこと出来ないよ
家族だって、みんな自分のプライバシーがあるのに、他人にそこへ踏み込まれて平気?
風呂場とか、トイレ覗かれるのと同じでしょ?
何でそんな恐ろしいこと考え付けるの?
全然理解出来ない
でも、そういう考えの人が実際に存在するんだよね?
信じられないけど

もし、隣に住んでる人がそんな考えの人ならたびたび警察呼ぶことになるかも・・・
だけど、その人にはこっちの気持ちが理解出来ないだろうから、こじれるだけこじれて・・・
想像するだけで恐いよ
199天之御名無主:2008/11/08(土) 19:20:30
>>198
理解できないこと=全否定 はやめましょう。子供ならしょうがないけど

近隣がもう何代も同じ苗字の家という地域はあるもので・・・
簡単な例だとおじいちゃんの代からお付き合いがあるとかね
極端な話、隣近所が親戚ばかりだったり、姻戚関係があったりするから

>風呂場とか、トイレ覗かれるのと同じでしょ?

>>198が家族はお互いの風呂やトイレを覗くものだと思っていることだけは分かった
イザというときは家族より厚かましく他人の家に踏み込みそうだよ・・・

>もし、隣に住んでる人がそんな考えの人ならたびたび警察呼ぶことになるかも・・・

こっちもお宅みたいのとは一生縁無いから安心しなよ
何の縁も無い人に踏み込むわけないでしょうがw
頭悪いのか・・・理解力も想像力も無い人に何言ってもしょうがないなw
200天之御名無主:2008/11/08(土) 20:37:50
>>199が人の話を半分以下しか理解出来ない事がよくわかった。
何歳か知らないけど。
201天之御名無主:2008/11/09(日) 00:33:18
>>200こそ何歳?
202天之御名無主:2008/11/09(日) 00:46:35
>>200
田舎者って察すると言う事が出来ないし、プライバシーも分からないから困るよね
ほんと
203天之御名無主:2008/11/09(日) 00:50:55
人の話を理解できてないのは>>198だと思う
204天之御名無主:2008/11/09(日) 13:54:13
みんな、釣られて関係ない話に走ってるような気がするのは私だけ…?
205天之御名無主:2008/11/09(日) 14:37:56
話を元に戻すと、俺の知っている茨城県のある町では、
今でも隣組組織が強く生きていて、葬儀は隣組がすべてを取り仕切る。

葬儀や料理の手配、僧侶や役所への連絡、香典受け付けと管理、交通案内などすべて。

かかった費用は、隣組の責任者が香典から支払う。
あまった香典は、次回の葬儀費用として、隣組名義で貯金される。
足らなかったら、その貯金から補填する。

葬儀を取り仕切るのは、完全に隣組。
かなり驚いた。


206天之御名無主:2008/11/09(日) 15:36:28
じゃあ、家族葬なんて出来ないね((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
鬼女板でよく県名が上がってる訳だ
207天之御名無主:2008/11/09(日) 15:42:06
>>205
うちは北陸だけど隣組が色々やってくれるよ
それが普通
やっぱり田舎だと親戚縁者は多いし家はデカイしで家族だけで葬儀をまわすのは難儀だと思う
208天之御名無主:2008/11/10(月) 20:34:00
田舎の葬儀は他人が仕切るってわかったけど、結婚式はどうなんだろう?

親類の兄ちゃんが結婚する時、引き出物を選ぶのに、こっちの親はなるべく小さくて邪魔にならず、
すぐによそへあげても結婚式の引き出物だとはわからないような、洒落たものを選ぼうとするのに、
嫁の親が金(塗装)の鉄アレイ(1個5s×2・両家の家紋入り)とか、南部鉄瓶セット(大・中・小)
とか、火鉢セット(高級瀬戸物、火箸、灰付き)みたいなのがいいと言って譲らなくて、もう少しで
結婚式がなくなるところだった。

親だけでもこんなに認識が違うんだから、周囲の見方とかやり方もやっぱ違うのかな?
209天之御名無主:2008/11/10(月) 21:28:13
葬式と違って、田舎でも今は自宅で式を挙げるところは、まずないだろう。
式に隣組を呼ぶ田舎はあるがw。
210天之御名無主:2008/11/10(月) 21:56:47
隣組って、班みたいな単位?
それとも両隣とか、そう言うこと?
でも、幾ら習慣でも仲悪かったら、呼びたくないんじゃないのかな。
それでも呼ぶの?
海外挙式もやっぱり隣組呼ぶの?

なんかすごく疑問。
211天之御名無主:2008/11/11(火) 00:51:33
>>210
隣組は班単位

結婚式に絶対呼ばなきゃいけない決まりとかないから
つーか海外挙式なんて親戚でさえ呼ばなかったりするのに近所の人なんて呼ばないよ…
212天之御名無主:2008/12/03(水) 13:45:15
十年くらい前までの北陸の農村部のことです。
葬式のときに故人の孫や曾孫が未就学くらいの幼女の場合
その子に真っ赤な振袖を着せているのを何度か見ました。

そのときは誰かにその謂われを聞いたように思うのですが
忘れてしまいました。

最近は農村部でも葬祭業者のホールで葬儀を営むようになって
そんな格好を見なくなりました。
自宅や地区の公民館を葬儀の会場にしていたころに
何度か見かけたことです。

葬式で幼女に真っ赤な振袖を着せる風習の謂われを
どなたか教えてください。
213天之御名無主:2008/12/04(木) 01:07:32
その地域では、幼女が真っ赤な振袖を着るのは、葬式の時だけですか、それとも別の機会にもみられることなのですか。

全くの想像だが、赤子として生まれ変わるというか、命が受け継がれていくことを、儀礼的に暗示しているのかな。

あるいは、北陸と言えば、真宗地帯だが、真宗の慣習とは、関係ないの?
214212:2008/12/04(木) 21:28:07
>>213
レスありがとうございます。

すいません。>>212に補足しておきます。
「真っ赤な振袖」というのは、ようするに幼女の晴れ着です。
幼女の晴れ着は赤の振袖が多いので「真っ赤な振袖」といいました。
百日の宮参りや七五三で身に着けるような振袖です。

北陸の真宗信仰とは関係ありません。地域の民俗習慣のように思います。

付け加えておくと、喪家の年長者が亡くなったときに限られるようです。
曾爺さんが生きているのに先に爺さんが亡くなったときには
晴れ着を身に着けないというもの聞きました。
男児の場合は晴れ着ではなかったように思います。

近頃見られなくなったので気になって質問しました。

他にも何かご存じでしたらお願いします。

私も機会があったら年長者に尋ねてみます。
215天之御名無主:2008/12/06(土) 09:07:56
葬式における孫の役割っていうものがあったみたいだね。
野辺送りをしていた時代、孫は、棺桶を担ぐ役、あるいは遺影を持つ役と決まっていた土地もあったようだね。
葬式で孫が重要な役割に付けられるのは、一応、「命の連鎖」と言うことで解説されているみたい。

あと、年長者の死に限られるというのは、「円満な死」ということではないでしょうか。
家族の年長者から死んでいくことは、ある意味、悲劇の若死ではないということで、
「順当な死」であり、望ましいことでしょう。

長寿を全うして死んでいくと、葬列の先頭で、お金を撒く習慣や、香典返しに紅白饅頭を配る土地もあった。
人として天寿を全うした御祝いと一応、考えられているみたい。
216212:2008/12/07(日) 22:38:33
たしかに「円満な死」というのはありそうですね

そんなことを知っていそうな年長者が生きているうちに
急いで尋ねてみることにします。

ありがとうございました
217天之御名無主:2009/07/16(木) 21:49:06
広島県山間部でのことなのですが、
遺体を拭いたり、柩にいれたりするあいだ、
その場にいる人は、体に斜めがけに直径二センチくらいの麻紐をかけるように
いわれたのですが、これにはどんな意味があったのでしょうか?
218天之御名無主:2009/07/16(木) 21:50:58
あげ
219天之御名無主:2009/07/16(木) 22:22:08
>>217
麻自体“魔除け”だよ
220天之御名無主:2009/08/07(金) 20:19:32
20年前、母方の祖母のお葬式に出席した時、一族で葬列を作って出棺しました。
前のスレにも出てた滋賀県湖東部での体験です。
兄は白装束(下着も白)で祖母の棺を担ぎ、私は「鶴亀」と言う文字通り亀の甲羅の上で鶴が翼を広げた意匠の燭台を持ちました。
「葬式で何故目出度い鶴亀?」と疑問に思ったのを覚えています。
…未だに分かりません。
221天之御名無主:2009/08/28(金) 22:00:20
あの世(極楽とか浄土)へ新しく生まれるから
222天之御名無主:2009/09/03(木) 19:46:31
葬の話題が続いているが、婚儀式事情の本があったよ。
結婚式 幸せを創る儀式 石井研士 NHKブックス No.1049 2005/12 \914 
http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=00910492005
223天之御名無主:2010/08/13(金) 09:49:52
先日、NHKで与論島での洗骨についての番組をやっていましたね。
今でもこういう風習がのこっているんだなあと興味深く見ました。
224天之御名無主
悪石島(あくせきじま)の奇祭・ボゼ祭りが8月26日、行われた。写真を見ると冗談のような祭りだが、盆の
終わりに行われる、島民から悪霊を追いはらうという神聖な祭りだ。

悪石島はトカラ列島の一つで、鹿児島県十島村に属し、女優沢尻エリカ夫妻が奄美大島で観測して話題に
なった昨年7月の皆既日食では、皆既継続時間が約6分半の“特等席”として注目された。年に一度、仮面神の
ボゼが村中で大暴れするボゼ祭りが開催される。普段の島の人口は77人だが、この日ばかりは奇祭好きの
マニアや観光客が島を訪れるため、300人以上に膨れ上がる。また、世界的にも珍しい祭りで社会学や
民俗学的に大変貴重らしく、国内外の民俗学者と学生たちも訪れた。

ボゼは神社から出現し、ゆっくりと歩きながら公民館を目指す。ヒラボゼ、ハガマボゼ、サガシボゼと呼ばれる
3体が下の道から行き、今回特別に出現した名称不明のもう1体が上の道から行く。

島の若者は「今年は4体もボゼが出たんですよ! こんなことは初めてです」と大興奮。どうやら、例年は
3体しかボゼは出ないらしい。 そして、4体が公民館の前に集合すると奇襲攻撃が始まった。

ボゼの仮面や全身を覆うビロウの葉、手に持った男根を模した棒“ボゼマラ”には、赤土がたっぷり塗られて
いる。棒で叩くなど暴れ回って、人々に赤土をなすりつけまくるのだ。赤土をつけられると、御利益があり、主な
ターゲットは女性と子供。子供は健康に育ち、女性は子宝に恵まれるのだという。

http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=9874

画像
http://121.119.192.121/blog/media/38/20100903-kisai02.jpg
http://121.119.192.121/blog/media/38/20100903-kisai01.jpg
http://www.minc.ne.jp/~hotei/08130022.JPG

動画
http://www.youtube.com/watch?v=aiC4dc6NRdU