1 :
名無し:
日本人のルーツを見せてくれてるけど、結構面白いよ!
見たらコメント書いてくれろ!
2 :
名無し:2001/08/19(日) 22:03
自分でレスしてるけど・・。
北からと南からの流れ(?)が良く分かった。ような気がする。
専門的にはどうなんだ・・?
3 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 22:07
お国自慢板がばかばかしくおもえた
4 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 22:11
ウォレの顔を調べたら、間違いなく北方アジア系だろな。
5 :
N+:2001/08/19(日) 22:14
次回に備えてGm遺伝子分布を予習しておこ。
6 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 22:15
シベリアの気候変化が、CGを見て実感できたなあ。
しかし、夏期のマンモスやトナカイだけの狩猟だけで
冬をやり過ごしたというのが、納得できなかったなあ。
それと、暖房用の木材も夏のうちに保存してたって事だよね。
7 :
名無し:2001/08/19(日) 22:28
>>6 オイラも納得出来ない。
本当に気候まで検証してるのか・・?
それより他の議論、学説が検討されるべきか・・?
縄文人って、ブリヤードみたいに鼻ぺちゃで一重まぶただったのかな。
9 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 22:33
>>8 顔つきが平べったい新モンゴロイドが誕生するのはもうちょっと後だよ。
だから日本に渡った人間は古モンゴロイド。
10 :
太古の住人:2001/08/19(日) 22:38
日本人の祖先はシベリアにいたのか。たしかにまえから中国とか
朝鮮半島の人とかより、サハリン,シベリアとかのアジア系の人
の方が親近感というか、懐かしさのようなものがもてた。
なんか日本人は大陸(朝鮮、東南アジア)から来たという説に
なんとなく違和感というか、わだかまりのようなものがあったが
今日番組を見てすっきりした感じだ。もちろん朝鮮の人とか
東南アジアの人が嫌いとか、いやとかそういうことではない。
シベリアにいた人々が日本や朝鮮に移っていったんじゃないか
12 :
8:2001/08/19(日) 22:53
>>9 でもブリヤード見たら無茶苦茶平べったかったぞ。
13 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 22:56
>>10 俺もそういう感じはした。(10同様に韓国人や東南アジア諸国
民への差別意識はない)
俺は雪国の出身なので、寒い所が日本人のルーツみたいな感覚
に親近感がわくように育っているのかもしれない(笑)。
ただ、昔(十数年前)は、縄文人というと南方起源というのが
定説で、真面目な本でも縄文人の顔として東南アジアにいる人
の顔に近いものを出していた。
その顔は骨の鑑定から導かれたものなのだろうか。「骨に肉を
付ける」というのは顔を復元する一番確実な方法だと思うが、
それで南方系という結論が出ていたとすると、いまDNAでブリ
ヤートというのは整合しないと思うが、ここはどう解釈したら
いいのか? 方法が違うので違う結論が出ました、というので
は、方法論を背負った専門家は立場上そう主張するにしても、
素人は納得できない。
DNAは30億塩基対あるそうだが、ある局部を調べればそれで系
統が判明するのか?
14 :
6:2001/08/19(日) 22:58
>>9 縄文人と現在のブリヤード人のDNAが一致したのは確かだろう。
しかし、ブリヤードに住んでいたシベリア人は、いなくなっちゃって、
2万年前に東アジアや日本、アメリカなどに移動した訳でしょ。
て、ことは、現在のブリヤード人は、どっか、他からやってきたことになる。
あのシベリアの化石人が、縄文人だという証拠にはなっていない。
15 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 23:01
>>14 俺もそれは思った。
どう辻褄を合わせればいいのだろう。
16 :
普通の男より:2001/08/19(日) 23:15
土器は日本が最古じゃないのか
17 :
6:2001/08/19(日) 23:21
14のつづき
て、ことは、縄文人と現在のブリヤード人は同じルーツとすると、
ブリヤード人は昔は、アイヌ的な顔をして、
シベリアのどこかに住んでいて、その寒さの中で顔が
のっぺりと寒冷対応し、その後にブリヤードに移動した事になる。
縄文人は、比較的早く温暖な日本にやってきたので、
原初的な、濃い顔を今に伝えていることになりそう。
一方、弥生人は、現在のブリヤード人と遺伝子が違う
訳だから、どっか違うルートの人種が、シベリアのどこかで
寒冷対応し日本に渡ってきて、日本人をのっぺり顔にしたということか。
てことは、いろんな、場所で、別個に寒冷対応が進んだ事になる。
こまったなあ。
18 :
名無し:2001/08/19(日) 23:22
いや!オホーツク焼きっていうのをもらったよ。
それにシベリヤにも焼き物はあったそうだ。
でも何故それがベーリング海峡の向こうには無いんだろう?
19 :
名無し:2001/08/19(日) 23:25
20 :
6:2001/08/19(日) 23:48
>>19 どんなに、防寒しても昔の技術では顔を出さざるを
得ないので、淘汰の対象になると言われてます。
まず、高い鼻は凍傷になりやすく、鼻がもげたら生きるの大変だし
Hもさせて(して)もらえない。
一重まぶたは、脂肪を貯めた防寒対策。
頬骨がふくらむ(鼻を埋没)のも、鼻腔内の空気を暖めるため。
てな感じです。
21 :
天之御名無主:2001/08/19(日) 23:53
>>17 思うに、顔などが慣例対応を進めてしまえば、DNAも変化する
ことにはならないのでしょうか。DNAは顔の輪郭などといった
こととは別問題なのでしょうか。
22 :
名無し:2001/08/20(月) 00:01
23 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 00:29
見ようと思ってすっかりわすれてた。
再放送はいつだ?
24 :
名無し:2001/08/20(月) 00:33
再放送って・・今日放送されたばかりだぞ!
25 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 00:37
再放送決定
9/4 0:15
26 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 00:42
最後のテロップに田口洋美さんの名前がありましたね!民俗やってる
もんからすれば嬉しい限りです!
27 :
6:2001/08/20(月) 00:56
>>21 たぶんミトコンドリアDNAを調べてると思うんで、
外観や形質の変化で変わることはありません。
ミトコンドリアというのは細胞内器官で、
細胞核のDNAとは、別個に存在しており、
その変化のスピードが一定なので人種の分岐などの
分子時計として利用できるのです。
詳しくは生物学を勉強してね。
縄文は末期の人口7万5千人程度に落ち込んで、弥生にバトンを渡す。
この人口が1,000年ほど後の古墳時代には、540万人にもなったと推定されている。約70倍の膨張である。
稲作が伝わって食糧事情が改善されたのは確かだが、人口年増加率0.4%は世界各地で人口学者が推計して
いる農耕初期の増加率の何倍も高い。この間に大陸から渡来した人々がいた。渡来人の存在を計算に入れて、
埴原和郎・東大名誉教授が試みた人口膨張シミュレーションは学界にショックを与えた。純粋の人口増加は
年0.2%とすると、1,000年間に渡来人口が150万人必要になり、7世紀初頭の人口構成は縄文系56万人に対
して渡来系480万人だという。基礎にした数字に誤差を見込むとしても、渡来系の相当な優位は動くまい。
29 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 02:21
面白かった。5集全部みたい。
でも「日本人は多様な成り立ちだから今外国人労働者を受け入れよう」
みたいなくだらない話にもっていかれるのはいやだなあ。
国立民族学博物館の教授小山修三氏は「縄文学」が専門である。正式には縄文学などという学問はないが、
縄文時代にかけては今でも第一人者である。氏の、コンピュータを駆使しての縄文及び弥生時代に
おける「人口」のシミュレーションは、今でも多くの学者がその結果を引用する優れた業績である。
氏の研究は、全国各地の縄文・弥生の遺跡とその大きさ等から、単位辺りの人口を推定しそれを
コンピュータに入れシミュレーションを行うという方法によるものだが、それによれば縄文時代の
日本の人口は、中期終末期から後期にかけて約30万人ほどである。それが縄文晩期になると8万人
弱まで落ち込んでしまう。その原因はいろいろだが、最大の原因は一般には寒冷化だろうと考えら
れている。落ち込んでしまった人口は、弥生時代になってなんと60万人に達するのである。
現在の年代区分によれば、周知のように縄文時代は約10,000年の年月を持っている。これに対して
弥生時代は、紀元前300年紀元後300年の約600年間である。10,000年間、数千人〜30万人の間を
浮動していた人口は、弥生時代に約4,50万人の増加を見るのである。これは一体何を物語っている
のか。温暖化に伴う自然増も勿論ある。しかし、最大の原因は「大陸からの集団での民族大移入」
である。中国大陸及び朝鮮半島からの移住者達は、まず北九州に上陸し北九州各地に自分たちの
集落を築いた。そして南へ東へと移動していったのだ。これは推測や憶測ではない。弥生時代の
遺跡やそれに基づく各方面での研究結果が明らかにした、厳然たる「事実」である。
場所によっては、縄文人と戦い、或いは融合し、或いは駆逐して彼らをさらに北や南に追いやり、
次第に「渡来人」達は日本人となっていった。今日の日本人は、その殆どが、これら大陸や半島
からの移民者の子孫なのだ。東アジアの人々を蔑視・差別する人達がいるが、これは自分の出自
をおとしめている事に他ならない。天に向かって唾する、とは良く言ったものである。
さて、渡来人達はどうやって東シナ海、玄界灘を渡ってきたのだろう。大陸を捨て半島を捨て、
一族郎党を率いて船を操り、北九州目指して人々はやってきた。中には、海流に遠く流され山口県
や鳥取県や島根県に流れ着いた一団もあった事だろう。山口県土井が浜( 山口・土井が浜遺跡 )
の人々などは、明らかにその一団と思える。島根に流れ着いた一団は、「出雲の神々」として
一大勢力を誇るまでに成長した。また、最近発見された鳥取の「妻木晩田遺跡」などもこれら
大陸・半島からの大集団が住み着いた集落跡である可能性が大きい。石川県や、運が良ければ
能登半島を越えて越後の国辺りにまで流れ着いた者達がいたかもしれない。紀元前後、北九州
・山陰・北陸地方は大陸からの表玄関だったのであり、こちらがまさしく「表日本」だったのだ。
この時代、和歌山や渥美半島や伊豆半島などは、渡来人達にはその存在も知られていなかった。
完璧に「裏日本」だったのである。
各地から出土する舟の遺構は、埴輪も含めて、自分たちが玄界灘や日本海を渡ってきた実際の船を
模倣したものである。大きさは判明しないが、航海に耐えるようちゃんと構造船或いは準構造船の
様相を呈している。
各地の弥生遺跡から発見される人骨は、彼らが明らかに「渡来」系の骨格である事を示している。
福岡の「金隈遺跡」( 金隈遺跡 )や山口の土井が浜遺跡(前出)の人骨は、それまでの縄文人の
骨格とは異なっており、また今日では「渡来人」達の間での骨格間にも差異がある事がわかっている。
解剖学者であった金関丈夫(かなせきたけお)氏は、土井が浜遺跡を初めとする北九州の遺跡から
出土した人骨を調査し、結果から「混血渡来説」と今日呼ばれる学説を唱えた。それは、一言で
言えば「渡来人が従来の縄文人と混血し弥生時代を築き、やがて古墳時代人となっていった。」と
いうものである。世間にはあまり知られていないが、日本人の身長は第二次世界大戦前までは、
この渡来人達の身長が約2000年間を通じて一番高いのである。混血後日本人の身長は再び低くなり、
鎌倉、戦国、江戸、明治と続いていく約2000年間、一度も「渡来人」達の身長を抜いていない。
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。
------------------------
アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
33 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 04:01
つまり、朝鮮半島に攻め込んだ古代日本人がいっぱい奴隷をつれてきたんだね。
納得。
そういや秀吉が攻め込んだときも陶工を奴隷として連れてきていたな……
34 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 04:09
我々は現実を直視しなければならない。我々は「渡来人」の末裔である。ごく一部には南方からの
民族もいたかも知れない。しかし大多数が大陸からの渡来人と、少数の原日本人(?)即ち縄文人
との混血の子孫なのだ。混血比率はおおまかに10:1である。しかし、だからといって日本人の
アイデンティティーが無いわけではない。2000年の間に、我々は日本人として多くの独自の文化を
創造し、確立し、定着させてきた。これは明らかに現在の韓国・北朝鮮・中国とは異なる文化である。
これはこれで誇りにして良い文化であろう。人類の歴史200万年とか、400万年とか言う単位の中では、
韓国人もまた中国人或いはモンゴル人或いはその他の民族との混血人なのだから。
35 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 06:52
>>34 縄文人も立派な渡来人ですよ(藁
貴方は日本に韓国人や朝鮮人が渡ってきて日本人になったとでも
言いたいんですか?
36 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 08:41
顔調べてもらいたかった・・(冒頭のやつ)
37 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 09:02
日本に渡来したのが朝鮮族ではないし、当時の朝鮮族の国家と
現在の韓国や北朝鮮の間には、国家国体としての連続性はない。
ただ朝鮮族という民族が断絶せずに朝鮮半島で生き長らえて
彼らの版図と文化を保っていたのは事実だね。
大和朝廷を打ち立てた騎馬民族が朝鮮半島経由で日本に渡来した
という見方はほぼ確実だろうと私は考えるが、
その騎馬民族が朝鮮族という証拠は存在しないし、
そのルーツが身体的にも文化的にも大陸系であったとしても
その後独自に進化した日本固有の文化の価値はゆらぐものではない。
…と、ここで切ってしまうと国粋主義者を喜ばせるだけだし
嫌韓論者に口実を与えてしまうので付け足しておくと、
日本の文化は7世紀以降のものだけ考えても十分誇りを持って
我ら独自のものと主張できるが、それが大陸のものより優れている
彼等が劣っているなどという主張は、反日論者が好んで語る
中華4000年の歴史の猿真似とか、韓国を経由したのだから
我らの後追いであるといった主張と同様に虚しいものだ。
ルーツを語り出せばミトコンドリア・イブまで遡ることになるし、
アフリカ起源説をとるなら猿を崇め奉れという話になるのか。
38 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 09:52
弥生時代に渡来系弥生人がほとんどいないって事を、
どう説明する気なんだろう?
39 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 10:11
日本と朝鮮の関係はイギリスとフランスとの関係に似ているな。
40 :
こ、小山先生?:2001/08/20(月) 10:18
万博記念公園日本庭園でドングリひろって粉にして、
クッキー焼いて食べてる人?
なんかヨシモトのハイヒールりんごとコンビ組んでる人でしょ?
が、学者だったの?
41 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 15:52
42 :
名無し:2001/08/20(月) 22:15
おもろすぎる
43 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 22:40
>>37 騎馬民族説はもう歴史学会から見捨てられた説。君は歴史を語る基本的教養がない。
44 :
ナガスネヒコ:2001/08/20(月) 23:34
いずれにしろ我らが祖先はこのすばらしい日本の国土にやってきて、すてきな
文化、民族を作った。後から来た者は先に来ていた者たちと融合した。大陸から
来た人が先にきていた人よりも多くても一度に来たわけじゃないから、ちょっとず
融合していったから縄文の精神を日本人は失うことなく受け継いで来られた。
それは日本の歴史上今も続いていると思う。百済の滅亡により660年ごろ
たくさんも人々がこの国に来て、融合していった。
元寇で日本につかまって捕虜になった人がいた。そのすくなくない人が融合し
た。
第二次大戦後日本に残ることを決めた人たちも融合している。
一つの民族が発展していくには同じ血で子孫を増やしていくより、少しづつ
違う血を入れていくのが一番いいそうだ。そうすれば古来の文化を失うことな
く民族的に優れていくのだ。
日本人のすばらしさ、日本の繁栄はここにあると思う。渡来が多いからどうの
こうの別に関係ない。半島から来たからって今の半島の人とは日本人はまったく
別の民族なんだからなに言われようが関係ない。日本人は日本人。
45 :
天之御名無主:2001/08/20(月) 23:43
みんな渡来人。縄文人モナ。
46 :
天之御名無主:2001/08/21(火) 00:21
んじゃ、人類皆兄弟じゃない。
47 :
天之御名無主:2001/08/21(火) 00:45
>>37 俺の個人見解は縄文人はNHK通りで良いんだが、残りの大部分を
占める弥生人はやはり俺も半島からの渡来人という見解になる訳だが、
ただこの弥生人がクセ者で、今の韓国人、北朝鮮人とはかなり違う
民族だったと考えている。何せ今から2400程年前、古朝鮮の一番最初
の王朝箕子朝鮮がまだ無い頃の民族で半島に一番最初にやって来た
最古の民族だったと考える。言わば、半島での縄文人的存在。
箕子率いる中国人政権を逃れる為に日本に亡命した平和的民族であった
と考える。その後、中国直轄で華北人の流入や数多くの異民族の半島
流入によって半島最古のこの民族は混血や駆逐分散され消滅してしまう。
この最古の半島人こそが、稲作を持って日本に渡来した弥生人だと俺は
個人的に考えている。
48 :
天之御名無主:2001/08/21(火) 00:50
>一つの民族が発展していくには同じ血で子孫を増やしていくより、
>少しづつ違う血を入れていくのが一番いいそうだ。そうすれば古来の
>文化を失うことなく民族的に優れていくのだ。
と自己正当化の為にチョンは言い(藁
49 :
47:2001/08/21(火) 03:39
実はこの話にはオチがあって、補足しておくと、その半島最古の民族は
実は大陸で新モンゴロイドに進化した2万3千年前に移動したブリヤート
直系の末裔で、やがて日本に渡来して出くわすことになる2万3千年前に
分かれたブリヤート直系の末裔である旧モンゴロイドのままの縄文人
と同祖同士が約2万年ぶりにただ合流しただけなのであった(藁
50 :
ナガスネヒコ:2001/08/21(火) 11:41
別に正当化もくそもない。馬鹿はすぐチョンがどうのこうのとか言う。
頭ん中はそれだけか?そんなにすきなら仲良くすれば、かれらと。
51 :
天之御名無主:2001/08/21(火) 11:59
52 :
:2001/08/21(火) 12:09
>>44その血は半島のものじゃなくてもいいんだけどね。
53 :
OBAKE:2001/08/22(水) 03:10
すごい面白かった。過去や未来を見つめる人は高等だよね。近くしか見えなかったり、未知のものを怖がる人は残念だけど下等だな。
54 :
黄巾:2001/08/23(木) 01:37
何で韓国人とか日本の一部の人は日本人や天皇家のルーツ、日本の文化を朝鮮
ルーツにしたがるんだ?おしえてほしい。
55 :
紅巾:2001/08/23(木) 02:08
日本の一部の人が日本人や天皇家のルーツ、日本の文化をユダヤ
ルーツにしたがるのと同じ理由だと思われ。
56 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 02:10
>>54 そうじゃなくて、日本の文化の一部が朝鮮ルーツなだけ。
57 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 05:31
58 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 06:03
>>57 それでいいんじゃないの。人も文化も動くわけだし。
59 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 07:58
逆もある。
曲玉とかは日本から朝鮮半島に伝わってるし、
漆器なんかは日本から中国に伝わった可能性の方が高い。
60 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 11:47
こちらも言ってやろう。韓国料理の命、唐辛子は日本から朝鮮
へいったんだと。お前らの国の料理は十五世紀においても未熟だ
ったから南米産のものが主流にとって変わった。日本料理はすで
に形ができていたから取って代わられなかった。ドイツもジャガイモ
にとってかわられたように。
61 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 12:26
>唐辛子は日本から朝鮮へいった
あくまでも俗説だけどね。ほんとのところはよくわからない。
なお、ペリーさんたちが日本に来たとき、お互いにご接待が
あったんだけど、その時、日本料理のあまりの味の無さに
米人さんたちがびっくりしたとの記録があります。
なんでも当時の日本料理はうす塩で素材の味を大切にす
る傾向があったそうで、現代日本人が食しても味が無いと
思うぐらいの味付けだったそうです。
まぁ、食文化は常に発展していくってことで。
あぁ、こんなこと書くと朝鮮人とか言われるんだろうな(苦笑
62 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 13:11
現代の日本人の舌は味覚障害を起こしているからな。薄味ってことは
それだけ繊細な舌を持っていたってことだろう。
誰も朝鮮人とは言いませんよ。すぐチョンがどうのこうのというやつ
ははっきりいってレベルの低い人たちですから相手にしない方がいい
ですよ。
63 :
6:2001/08/23(木) 15:03
NHKスペシャルの単行本、「日本人はるかなる旅第1巻」
を買って読んだよ。
そしたら、おもしろい最新DNAデータを発見。
朝鮮人、本土日本人、沖縄人、アイヌ人を比べた場合、
一番近い関係が沖縄人とアイヌ人。これはまあ良くあることなんだけど、
次に近いのが、沖縄人・アイヌ人のグループと朝鮮人何だなこれが。
てことは、沖縄人やアイヌ人が縄文人の直系とするなら
縄文人と現代の朝鮮人は同じルーツの可能性が高いということだ。
実際、韓国を含めた日本海周辺では縄文式土器が見つかるみたいだし。
そして、弥生人は、また別のルート(中国方面かな)だということだ。
てことは、弥生人のルーツは現代朝鮮人につながるという説は
ひっくり返っちゃうと言うことだ。
まあ、韓国ネタになってしまったが、冷静な議論を願う。(藁
64 :
61:2001/08/23(木) 20:29
なぜか、どんな話題でも韓国のネタに走ってしまうのが2chの良いところ(笑
この板の日ユ同祖論スレでも同様な展開でROMさんたちを楽しませてくれています。
ちなみに下戸(お酒に弱い)のも、遺伝的な問題だそうで、一説には、ある時期、中国
で突然変異により下戸遺伝子が発生したとのこと。下戸の方々の血には大陸の歴史
が脈々と流れているんですね。
65 :
天之御名無主:2001/08/23(木) 22:08
ちなみに韓国のDNAから如何に離れているかが
2chのステイタスになっていると見ていいのでしょうか(w。
66 :
名無し:2001/08/24(金) 22:38
面白いが、一々書き込みが長いな〜!
>>63 買ってみるよ
67 :
6:2001/08/24(金) 23:08
>>66 そういわれりゃ、まだるっこしい文章だったな。
今度は、短く、新情報。
マンモス再生計画進行中だとさ。
冷凍マンモスから、精子、見つければOKとのこと。
68 :
名無し:2001/08/25(土) 03:05
マンモスは結構古い話じゃないかい・・?
69 :
天之御名無主:2001/08/25(土) 03:44
精子? 体細胞クローンが現実となった今、精子にどれだけの
意味があるのか。
もちろん、体細胞クローンが厳密にクローンを作り出せるかは
別問題として。
70 :
6:01/08/26 20:26 ID:HDRLKFzk
>>68 そうなんだけど、今もなお、具体的に進んでいるみたい。
ソ連からもOKでてるし、資金的バックもあり。
生まれたら、育てる場所も決まってるんだと・・・。
>>68 冷凍マンモスからは、完全な核DNAの採取は不可能なんだって。
でも、死んだ精子を受精させるのは可能とのこと。(この変の違いは今一わからんが)
で、死んだ精子を受精させるのは実験的にも成功してる見たい。
71 :
:01/08/27 19:46 ID:oW6nd6Zc
72 :
名無し:01/08/28 10:46 ID:r6OAIJ2Q
マンモスはチョットお休み。
話を人間様にもどします。
朝鮮経由・・朝鮮ルーツ・・これは何処まで行ってもきりがない。
それを言い出すと日本人のルーツは中近東迄行くんじゃないかい?
勿論、アジアと言う限度はあるにしても・・。
何処かで区切りを付けなきゃと言う考えもあるだろう。
学問的にはこの点はどう考えたら良いのか、どう考えてるのか
教えてくれろ・・。
73 :
防人:01/09/03 03:22 ID:6Vw9ra72
別に日本人の祖先の一部が朝鮮経由できたってただそれだけでべつにどうってこと
ないじゃん。もしルーツが同じならじゃあ日韓併合は祖国統一の大偉業で韓国併合
を正当化できるじゃん。それとも海を渡らず大陸に残ったできそこないと思うか。
74 :
天之御名無主:01/09/03 06:11 ID:e1DkoOH.
75 :
>61:01/09/03 15:30 ID:b3XIkKlI
ぺリーは琉球の料理の方が、日本や中国より上だったと言ってたな。
76 :
天之御名無主:01/09/03 16:11 ID:b3XIkKlI
a
77 :
中華大好き:01/09/03 18:40 ID:WP3kjVXo
>>75 海鮮と野菜中心の日本が下だったというわかるが、
中華が琉球より下ってのは不思議だね。
油がきつかったのかな?
78 :
天之御名無主:01/09/03 21:57 ID:b3XIkKlI
俺は75だけど
>77
沖縄料理っていうと、マスコミでよく伝えられるものとかを想像するけど、琉球王朝が外国の偉い奴をもてなしてた料理とは全然違う。敷居が高そうな琉球の高級料亭みたいなところで、出されるレベルの物がふるまわれてたそうだ。
79 :
天之御名無主:01/09/04 00:22 ID:F5frrevo
再放送あげ
80 :
天之御名無主:01/09/04 03:13 ID:9e1kVg2c
ちなみに焼き畑・漆・稲作・蒟蒻・味噌醤油・などの発酵豆食品等々、多くの文化の発祥は雲南や長江流域。
同時代の雲南(テン王国)から出土している青銅器も弥生時代の青銅器と非常に似ているらしい。
81 :
天之御名無主:01/09/04 20:05 ID:g2Wynb.k
82 :
天之御名無主 :01/09/05 01:46 ID:y6RZvnp.
唐辛子が十五世紀(?)に伝わるまで、四川料理もカレーも
辛くなかった。500年ほど前から、唐辛子が世界の食文化を大
きく変えていったんだろうね。
トマトが伝わるまで今のイタリヤ料理もなかったし、日本なん
か、味りんが料理に使われだしたのは明治に入ってからだっけ。
スレ違いだけど、こっちのほうがよっぽど民俗っぽいね。
83 :
天之御名無主:01/09/05 02:56 ID:bcFCJH26
縄文人がシベリヤ経由だったことには驚いたなあ。
南方からだとばかり思ってた。
84 :
天之御名無主:01/09/05 22:12 ID:RPR0qO8U
>83
日本人は暑さよりも寒さに強いんだとか言ってた学者が昔いた。
85 :
天之御名無主:01/09/05 23:14 ID:PHZD3ccw
それは縄文人が寒さに強いってわけじゃないんだよね?
>>82 四川料理は辛かったろう。唐辛子じゃなく、山椒の辛さだけど。
87 :
天之御名無主:01/09/06 09:46 ID:seTegTO.
中国では日本料理は受け入れやすいという。中華料理は味をつくるからだ。フカヒレ
のような味のないものにいろいろ味付けをして美味を作る。日本料理は素材の味を
生かし、引き出し美味を作る。おたがいに持ちえないものを持っているから日本人は
中国料理を受け入れやすく、中国人は日本料理を受け入れやすいそうだ。
88 :
天之御名無主:01/09/06 13:50 ID:grE7QS3s
>85
「縄文人が」とは言ってなかった。現代の日本人を寒さに強いのか、暑さに強いのか調べてみただけだった。
89 :
天之御名無主:01/09/06 15:03 ID:4EZ8sGu2
>>80 漆は日本の方が古いみたいよ。
>[167] 北海道南茅部町で世界最古の漆 投稿者:Stop Press! 投稿日:2001/06/15(Fri) 10:25 [返信]
北海道南茅部町の教育委員会は14日、同町の垣ノ島B遺跡で昨年8月に出土した漆の副葬品が、炭素14年代測定法によって約9000年前(縄文時代早期)の漆製品と判明したと、発表した。
発見された漆製品では世界最古となる。漆文化の発祥地は中国とされるが、同町教委の阿部千春・埋蔵文化財調査室長は「世界最古とされていた中国・揚子江流域の河姆渡(かぼと)遺跡の約7000年前の漆より古いことから、
日本独自の漆文化が生まれていた可能性もある」とみている。これまで、国内で発見された漆製品は、新潟県の大武遺跡出土のひも状の装飾品(約6600年前)が最古だった。
同町教委は、昨年8月11日、垣ノ島B遺跡の集落跡の深さ約40センチの地点で、縦1.4m、幅1.2mの土壙墓を発見。墓内から腐食した遺体と、遺体の頭や肩に着いていた腕輪や衣服など漆の装飾品6点が出土した。
約5800年前の駒ケ岳の火山灰層の下にあったことから、縄文時代早期(約6500年前)の漆と推定した。同町教委は詳しい年代を測定するため、昨年末に米国の民間企業に調査を依頼。
物質に含まれた炭素量で年代を測定する「炭素14年代測定法」で、漆が交じった土片などを調べた結果、約9000年前の製品であることが分かった。
同遺跡は、広さ約2500平方メートルで竪穴式住居跡5カ所と墓92基、縄文式土器など約1万3000点が見つかっている。出土した漆の副葬品は、今月12日から東京都の江戸東京博物館で始まった「発掘された日本列島2001展」に出展されている。
90 :
天之御名無主:01/11/14 03:46
下がりきってるけど人気ないのかな?
今週のイネはどうよ。
91 :
天之御名無主:01/11/14 09:53
つまりスンダランドから北へむかった種族のうち、
さらにベーリング地峡わたってったのがアメリカン・ネイティブズ
北回りで東日本に定住したプロトモンゴロイドが縄文人。
シベリアに留まって寒冷地適応してネオモンゴロイド化した一団が、南下
西日本に定住したのが弥生人か?
日本人遥かな旅第5回「そして”日本人”が生まれた」12/09 21:15-22:05を見ました。
BC4-3世紀の大陸からの大量渡来、急激な繁殖と濃尾平野までの土着人制覇、濃尾以東への平和的移住(=混血)
叙述を聞き、日頃解しかねていた西日本と東日本の風習文化の違いの発生源が氷解しました。
雑煮の具や味付けの違い、納豆の地域差などの東西の違いがです。
西でも東でも当然混血が生じたでしょうが、吸収した、されたの優勢の境目がフォッサマグナ帯だったのですね。
そおいや、弥生の遺跡から食われた犬の骨がでてくることとか
言わなかったなぁ。
どうやっても朝鮮の影響を低く見積もろうとしてるのが見え見えだった
最後も大和朝廷が全国的な力によって作られたみたいなこと言ってるし。
無理がありすぎ
94 :
天之御名無主:01/12/09 22:56
95 :
天之御名無主:01/12/09 23:09
渡来人は中国からやってきたのか。
すごいな。
>92
味の違い、は江戸時代にそこでとれた品物と、廻船なんかの影響の方が大きいでしょう。
そういった感覚で味覚の問題を根本からしらべるにはやはり、大陸の味付けなんかを歴史的にしらへるてから述べるべきだと。いきなりそこから解決するのは早計だとおもふよ。
水の違いもおおきくない?
関東の「硬水」って、ミネラル濃度が関西の五倍だって。
東京では、浄水器とおすだけでミネラルウォーターできる。
98 :
天之御名無主:01/12/24 21:02
12/23日本人遥かな旅第1集「マンモスハンター」を観ました。再々放送?
バイカル湖周辺の現代ブリヤート人とのDNA対比と同系石器出土による日本人シベリア原郷説ですね。
血液型の比率面からもシベリア原郷説を読んだ記憶が、埴原和郎だったか。
基幹語等の言語の比較も聞きたかった。
99 :
天之御名無主:01/12/24 21:43
今日は南方説だね。
スンダランド、フィリピン、台湾、沖縄から南日本へと
100 :
天之御名無主:01/12/25 05:50
大和朝廷は西日本勢力によって打ち立てられた政権だろうに。
その時代、日本の中心は瀬戸内海と日本海側で、
太平洋側や東日本・関東(吾妻)は辺境。東北に至っては蝦夷の勢力下。
蝦夷は異文化・異民族だったし、北海道なんて…
101 :
天之御名無主:01/12/25 11:07
だれか稲作は半島から持ち込んだというデマを流しているが、そうじゃない。
稲作は中国中南部からというのが今や常識。
その半島へは日本から伝わった。
決して日本の稲作は半島から持ち込まれたものではない!
102 :
天之御名無主:01/12/25 12:08
>>97 俺関西人だけど、水道水(特に夏場)の
不味いことと言ったらもう・・・
103 :
天之御名無主:01/12/26 22:11
12/26夜半、日本人遥かな旅第4集「稲−知られざる1万年の旅」を観ました。
稲は、縄文期に既に栽培されていた訳ですね。列島で最初の栽培地が北部九州地域であるなら、
やはり対岸から伝播したのでしょうか。陸稲と水稲では、伝播の流れがちがうかもしれないが。
陸稲の名残りらしきハレの赤飯炊きは、全国的な風習なのでしょうか。
私の在所では、秋祭りには赤飯でしたが。
104 :
天之御名無主:01/12/26 22:18
灯台の某教授で日本全国に誤った縄文・弥生論を垂れ流しつづけてたおじちゃんはもう落ち目状態になってるね。
105 :
天之御名無主:01/12/27 03:27
日本人は、まず3万年前頃にクロマニョン人が
ユーラシア大陸を横断する形でやって来て列島に住み付いた。
その後、インダス文明崩壊のあと紀元前1500年以前に分散したドラヴィダ族系の
東へ移動した流が中国を経て列島へ列島に住み始める。
これが稲作を持ち込んで来た弥生人である。
106 :
天之御名無主:01/12/27 22:02
日本人遥かな旅 第5集「そして”日本人”が生まれた」が、12/26放映されていました。
弥生人は、BC4〜3世紀に、大陸の華北、江南から渡来したと叙述していました。
水稲栽培と集団的殺戮概念を携帯してとも。弥生族は、イングランドを征服したローマ人のようなもの?
107 :
天之御名無主:01/12/27 22:13
神武系=蝦夷=サンカ系=おお=縄文となかよくやっていた
百済新羅系が伝説を作り変えちゃったと
関西人は承久の乱の時同様、古代においても
箱根の山を越えることができなかった。
関西人はたびたび、「関東平野を我が物にしたい」
という白昼夢を引き起こし、そのたびごとに、
自由を愛する関東人の手により、彼等の野望は見事うち砕かれたのであった。
109 :
天之御名無主:01/12/27 22:17
<<106
最初は戦ったけど5,6世紀まではなかよくやっていたんでしょ
110 :
天之御名無主:01/12/27 22:21
ユダヤ系はいってんのかな
111 :
天之御名無主:01/12/27 22:29
春秋・戦国時代から来た華北人にしては文化程度低くない?
いまいち、イメージがつかめないな・・・
あと、言語的には古代日本語と中国語ってかけ離れているよね。
よー、わからん。
112 :
天之御名無主:01/12/28 00:17
>古代日本語と中国語ってかけ離れているよね。
ええっ,そこまで研究が進んでいるのか?
113 :
天之御名無主:01/12/28 00:42
>古代日本語と中国語ってかけ離れているよね。
北京語、広東語あたりと比べると確かに・・・
中国の少数部族で日本語に近い発音とかないんですかねぇ?
なんか言語的に孤立しているようで
半島、大陸からの移民説は納得いかないんですが。。
114 :
天之御名無主:01/12/28 00:55
言語的にはネパールが近いらしいよ。
115 :
天之御名無主:01/12/28 02:13
モンゴル語と日本語は発音ほとんど同じ。
知り合いのモンゴル人の話す日本語なんか日本人そのもの。
あそこまでうまく発音できるのはモンゴル人ぐらいじゃないか。
中・韓人は清音と濁音の区別ができない。
例 ばかやろう→パカヤロ
朝鮮語は昔から、この区別はなかったのか、
それとも中国語の影響か。
中国語はシナ・チベット語族に属し、
ベトナム・タイなど南方と関係が深い。
確かタイ語もピンインがある。
朝鮮も新羅語は日本語とかなりちがうが、
わずかに残った、高句麗語の単語と
大和言葉はほとんど方言レベルの違いしかない。
116 :
神風ぜぴゅろ:01/12/28 02:46
>115
>中国語はシナ・チベット語族に属し、
>ベトナム・タイなど南方と関係が深い
そうかなあ。ベトナム語はオーストロアジア語だから
印度のムンダ語なんかに近いし
タイ語はオ−ストロ・タイ語といって、
オーストロアジア語やオーストロネシア語と
兄弟言語。
中国は関係ないんじゃないの。
(広東語はちょっとタイ語に似てるけど。
なにしろとなりの広西はタイ族が1200万人もいるから)
高句麗語と日本語が近いというのもどうかなあ。
高句麗と同じツングース系の満州語は日本語と似ても似つかないよ。
117 :
天之御名無主:01/12/28 03:59
ムツゴロウが弥生犬のルーツを求め、チベットの秘境に往った。
その集落の男性が「イチ、ニー、サン」と数詞を紹介した。
>117
あほか、「イチ、ニー、サン」はもともと中国語だろうが。
だいたい、チベットは日本と同じ唐代に中国文化を輸入したんだから
漢語の発音が似てるのは当たり前。
ベトナムだって「アチ、ニー、タン」だぜ。
119 :
tv-enthu:01/12/28 05:53
NHK板中心に見ていたが、ここも面白いね。でも、ここも見て欲しい。
http://tv.2ch.net/test/read.cgi?bbs=nhk&key=997712242 >>30 >場所によっては、縄文人と戦い、或いは融合し、或いは駆逐して彼らをさらに北や南に追いやり、次第に「渡来人」達は日本人となっていった。
CGの印象だけで決めつけてるぞ。
番組も、渡来人が征服したとは言ってない。
こういう印象を持たせる構成になっているが、私には、「勝った」のは縄文系としか思えない。
現代日本語に、縄文系の語彙のみ残っているから。
1000-2000年では、言葉はそんなにかわってません。
(ex.万葉集)
朝鮮でも同じでしょう。
現朝鮮語 <- (古朝鮮語) <--------------(相当古い時期(万年単位))
現代日本語 <- 古日本語 <---------------------┘
と思われます。日本語にも方言があり、語彙も違いますが、全て「似た」ものです。
朝鮮語とは全然違う。
渡来があったとされる時期も、その関係は今と同じだったと思います。
すると、渡来人は、言葉を捨てたと考えなければならない。
アメリカのように、「侵略者の言葉が残る」とすれば、渡来人は、勝てなかったと考えるのが妥当。
文明は渡来系が進んでいたが、「勝った」のは縄文系だった。
この現象は、「移民」のようなものに見えるのですが。
大和朝廷の先祖は縄文系と考えるのが自然だ。
すると、文明も人口(
>>28)も(?)低い方がなぜ勝てたのかという謎が、残される。
#渡来系はいつ言葉を捨てたのか、、、
(地名に残ってないか?)
(pat→畑)などいくつか単語が残ってるそうだが。
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/nhk/997712242/191 >>34 >我々は現実を直視しなければならない。我々は「渡来人」の末裔である。
あなたにも変実を直視して欲しい。
日本を統一し,その後支配し続けたのも、現在につながる日本「固有」の文化も、日本語も、ほぼすべて縄文人のもので、渡来人は「血」が残っているだけ。
極言すれば、「日本人のルーツは縄文人」と言い切ってもいいと思う。
番組が、その辺を言わないのは、いろんな筋から反感や攻撃を受けるのを懸念してのことだからというのは、うがった見方かな?
#1500年も前のことじゃない。どちらが勝ったのか、歴史を正しく描写しよう。
>>92 >BC4-3世紀の大陸からの大量渡来、急激な繁殖と濃尾平野までの土着人制覇、濃尾以東への平和的移住(=混血) 叙述を聞き、日頃解しかねていた西日本と東日本の風習文化の違いの発生源が氷解しました。
これもあてにならない。渡来人は、制覇していないし、番組でも、「平和的移住」とは言ってない。(民族浄化的虐殺がなかったと言っていただけ=渡来人が、労働力として、小田原に連れてこられたなんてこともありそう。)
>>93 同意。
121 :
↑お前、そんなにあの国に関心があるの?:01/12/28 10:52
>>120 板違い。そういうことは他の板でやりなさい。
122 :
天之御名無主:01/12/28 13:10
渡来人、って言われるとナンですが近畿から瀬戸内海沿岸の住民が
大陸から半島南部経由で畿内に吹き溜まり、のちに朝廷つくったってのは、
まあ納得出来ますな。
妥当な作りのおもろい番組でした。
123 :
tv-enthu:01/12/28 21:04
>>122 納得できない。
>>119見て。
大陸から来た人が、朝廷を作るほど力があったなら、なんで言葉を捨てたのか理解に苦しむ。その説明がないとその説は受け入れがたい。
124 :
天之御名無主:01/12/28 21:51
>>118 支那語は「王(ワン)、ツー、スリ」だよ
125 :
天之御名無主:01/12/28 23:46
>106 最初は戦ったけど...なかよくやっていた...
と12/27放送では述べ、”交流”と表現していましたが、侵入者の観点での交流(=混血)でしょう。
弥生族携帯の舶来技術(水稲と金属器)に迎合したのが関東在住縄文族、迎合せず固有文化を貫いたのが
東北在住縄文族だった。後者を弥生族が勝手に自分達の価値観で蝦夷と蔑称したわけですが。
水田に固縛された人生と、遊農遊採集人生ではその好悪以前に、価値観が変わったでしょう。
経済的生産力と人口増産力では、前者の圧勝ではありますが。
126 :
tv-enthu:01/12/29 10:53
>>37 >大和朝廷を打ち立てた騎馬民族が朝鮮半島経由で日本に渡来したという見方はほぼ確実だろうと私は考えるが、
不同意。
ref.
なぜ今NHKみないんだぁ?JAPAN人の起源
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/geo/998225275/ >>63 >縄文人と現代の朝鮮人は同じルーツの可能性が高いということだ。
言語的に見て、不自然じゃない。
日本語は、朝鮮語とは全然違いますが、文法はほとんど似ています。
そして、朝鮮語より日本語に似ている言語は、他にありません。
>そして、弥生人は、また別のルート(中国方面かな)だということだ。
>てことは、弥生人のルーツは現代朝鮮人につながるという説は
>ひっくり返っちゃうと言うことだ。
可能性あるかも。その方が、朝鮮語系の地名や語彙がたくさん残っていていいはずだが、あまりそういうのを聞かないということが納得できる。
>>44 同意。
127 :
tv-enthu:01/12/29 10:56
>>13 >南方系
の由来も、縄文人、ブリヤートとだいうのは?
128 :
天之御名無主:01/12/29 19:25
日本語の原型、縄文時代前期に出来たとか、
民博の誰かが言ってた。
縄文語再現した先生が。
となると、渡来(弥生)と縄文(原住)の比率どうなんだろう。
百万人渡来つうたって、まあ年千人程度。
「異国語」話してた連中が日本語になれた頃に、また別グループが。
なるほど、東京都民の九割ぐらいは、明治以降の流入者子孫だけど、
みんな一応東京方言しゃべってるわなあ。
NHK総合で聖徳太子の再放送やってる
130 :
天之御名無主:01/12/30 07:30
ウマヤト皇子、もとのっぺりした顔してたと思う。
「日本人」なんてつくった局が、もうちょっと配役考えて欲しかった。
あと、どの古代モノにも言えるけど、建物立派すぎ。
131 :
ヒロヒトラー天皇:01/12/30 07:56
朕は国家なり。チョンよ朕に従え。
132 :
天之御名無主:01/12/30 13:31
少年期のウマヤド皇子の方がそれっぽかったね。
133 :
ウマナミ皇子:01/12/30 13:46
ま、なかなかの番組でしたな。
これが民放だと、アイドル学芸会が関の山。
134 :
天之御名無主:01/12/30 18:31
>132
設定10歳前後ですがな、あれ逆算すると
135 :
天之御名無主:02/01/02 21:04
>>126 >朝鮮語系の地名や語彙がたくさん残っていていいはずだが、あまりそういうのを聞かない
地名だけでも有り過ぎるくらいですよ。
アラ、カラ、タラ、シラ、アヤ、カヤ、クレ、コマのつく地名は、阿羅、加羅、多羅、新羅、阿耶、
伽耶、高句麗から。郡、村社、添、村主は、コホリ、ソホリから、牟棲郡、牟礼郡は、ムラから...
香具、軽も。
136 :
天之御名無主:02/01/03 06:50
紀元前後、朝鮮半島南端に住んでいた人たちは、どんな言葉話してたんだろう。
北部九州とけっこう通じる言葉だっの?
ドイツ語とオランダ語ぐらいの近さはあったのかな。
137 :
天之御名無主:02/01/03 13:21
-------------> 見た?
138 :
天之御名無主:02/01/03 17:40
ウリ(我)= オレ
ナラ(国)= 奈良
139 :
天之御名無主:02/01/03 22:14
>>119 >現代日本語に、縄文系の語彙のみ残っているから
具象語では、海、畑...抽象語では、
>>135,
>>138の社会集団用語があります。
言葉で古語を保ちやすいのは、地名、地形・親族用語等かと思いますが、
地名では、特に中国・近畿・関東に朝鮮からの移住の足跡が窺われますね。
地形用語(山、瀬、沢、岬etc)は、在来人・渡来人のうち、在来語or多数派語が残るのでは。
親族用語も地形用語と同じでは。
チチ、ハハとアポジ、オモニはどうみても異系です。もっとも現代朝鮮語でなく、渡来時代の韓語と
比較が必要ですが。比較言語学の先達の方、おでましを望む。
>>136 5〜7世紀の大和政権公用語とは、通訳不要だったのでしょうね。記紀に通訳職の記事って
ありましたっけ。
スポーツで活躍している人たちは縄文系の顔立ちの人が多くありませんか。
戦も縄文系の人の方が強いと言う事ですかね。
141 :
天之御名無主:02/01/04 12:03
>>140 金属と結核菌持ってきた方が強いと思います。
142 :
天之御名無主:02/01/05 00:45
>135
地名に関しては谷川健一の本を読むのだ。岩波新書からでてる奴とか良いのだ。主観に頼り過ぎてるいい加減な説に騙されてる人達は読んでみるのだ。
143 :
天之御名無主:02/01/05 07:16
ヒノモト日下か
河内のあんなとこ(失礼)が日本の原点なんて
欝だ……
144 :
tv-enthu:02/01/05 08:09
>>139 前半部のレスは待って。
>>136 >5〜7世紀の大和政権公用語とは、通訳不要だったのでしょうね。記紀に通訳職の記事って
>ありましたっけ。
これは、間違いでしょう。あんな遠い言語と通訳なしで通じるわけがない。
「飛鳥の高官は、朝鮮語が(外国語として)話せるのがほとんどだった」と、どこかのスレにありました。これなら、通訳職はいらないでしょうね。
145 :
天之御名無主:02/01/05 17:43
>145
そうです
149 :
天之御名無主:02/01/06 19:24
>>113言語的に孤立しているでしょうね。ただ文法は朝鮮、満州、モンゴルなど。
北部アジア民族に近いんじゃなかった。
150 :
tv-enthu:02/01/06 20:59
151 :
天之御名無主:02/01/07 22:40
北京旅行から今日帰ってきました。
現地の女の子と話す機会があったのですが、
その娘は、自分は「婬◯◯里人」だと紙に書きました。
(最初の1字目は女辺でなく糸辺だったかもしれません、◯は、判別不明)
この意味が知りたいのです誰か教えてください。
それであなたは、なに人か聞いてきました、紙に私の名前を書いたら、
日本人と分かったのでしょう、ビックリしたように
リーベンレンと何度も言ってました。
そのとき友達と二人でいたのですが彼は何も聞かれていません。
私は、なに人と思われたのでしょうか?
(私は、肌の色が相当白く、目は細長く瞳は茶色です。身長は170センチ)
どなたか何か知識のある方教えてください。
152 :
天之御名無主:02/01/08 05:40
写真アップしなさいよ。話はそれからだ。
153 :
151です:02/01/08 13:48
写真アップは無理です、すみません。
せめて「婬〇〇里人」が何なのか知りたいです。
154 :
天之御名無主:02/01/08 13:55
ポリネシアから来た人はいないの?
コンティキ号漂流記では南米インカ帝国に行っちゃったけど。
「コンティキ号漂流記」は小学生のころ
読んで結構面白かったよ!
155 :
天之御名無主:02/01/08 21:47
ベトナムやインド人は?
156 :
天之御名無主:02/01/09 00:37
ムー大陸から来たが質問ある?
157 :
天之御名無主:02/01/09 09:19
マンダは元気か?
あぼーん
159 :
天之御名無主:02/01/12 11:05
>>154 >ポリネシアから来た人はいないの?
スンダランド
>>99から、北上したのが琉球諸島へ。東上したのがポリネシア人でしょう。
160 :
天之御名無主:02/01/13 19:36
そうか、東日本人は寒冷地適応小進化せず、北まわりで列島やってきた
プロトモンゴロイド。
南九州、琉球人はスンダランドからじかに北上したプロイトモンゴロイド。
西と東の微妙な違いはここに起因するの?
近畿中国の人口希薄地帯には東西両系のプロトモンゴロイドがまばらにすんでいて、
そこへ山東省や朝鮮半島南部から、何派かのネオモンゴロイドが「渡来」
あるいは征服しあるいは同化しつつ、近畿中央に集住した。
てなとこかな。
161 :
天之御名無主:02/01/13 19:58
関連のページ
【朝鮮半島南部沿岸の遺跡】
→勒島遺跡群
慶尚南道の三千村(サンチョンチョン)の沖合にある勒島で、架橋工事に伴っ
て現在発掘が続いている遺跡群。遺跡からは3千〜2千年前頃、対岸の日本列
島からやって来た人々の土器(弥生土器や縄文土器)が見つかっている。
【東三(トンサム)洞貝塚】
釜山広域市影島(ヨンド)区にある7千〜3千年前(縄文並行期)頃の遺跡。
縄文人が日本列島から持ってきた縄文土器や、交易品であった九州産の黒曜石
などが数多く見つかっている。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0011/l1111s.html 三内丸山遺跡や縄文文化と関係のある海外の遺跡を調べるために、韓国の先
史文化について調査を行いました。
各地の博物館や遺跡を実際に踏査し、関係者の話、展示されている遺物など
を通じて、三内丸山遺跡や日本の縄文文化との関係について検討しました。
ソウル市内にある、韓国の新石器時代(日本の縄文時代)最大の集落跡であ
る岩寺洞(アムサドン)遺跡では、櫛目文土器(くしめもんどき)と呼ばれる
縄文土器と形のよく似た土器が数多く出土しています。
さらに、東北部の海に近いヤンヤン郡オサンニ遺跡や釜山市の東三洞(トン
サムドン)貝塚からは、土器、石器、骨角器など日本の遺跡と同じような遺物
が出土しています。
また、ソウル大学の任教授から、朝鮮半島の新石器時代人が海流に乗って青
森の方まで来た可能性を指摘されました。
http://www.capa.ne.jp/a-bank/maruyama/topics/topics2.html
162 :
天之御名無主:02/01/14 15:05
>>160 随分誤解してるな。
南九州も琉球もスンダランド系は少ないぞ。多くは縄文(北方系)・弥生・混血です。
港川人はその後の琉球人の主なタイプにはなれなかった事は研究によりはっきりしてる。
環境に適応できなかったからという説もある。
それと港川人=縄文人と誤解してる人もたまにいるが、それは「似ている所」と「似てない所」がはっきりわかっており今の所意見がかなりわかれるそうだ。
163 :
訂正162:02/01/14 15:07
それは「似ている所」と・・・
↑“それは”を省略
⊂( □ー□ ⊂⌒`つ≡≡≡ズサァァー! <ヒロシ(164)ゲトー!!
小山先生はこのシリーズをおおむね評価してたぞ。
縄文人=寒冷地適応しなかったモンゴロイド説みたい。
166 :
天之御名無主:02/02/14 06:03
age
167 :
天之御名無主:02/02/17 14:34
168 :
天之御名無主:02/02/21 23:11
NHKスペシャル『日本人』はアイヌのことには
全く触れていなかったな。
縄文や弥生のころアイヌってのは。東日本人とアイヌ(アイヌ語で「人」ですか)
がわかれだしたのは、鎌倉以降では?
170 :
天之御名無主:02/02/23 15:39
171 :
今頃亀レス:02/03/10 15:39
旧唐書 日本伝
其の国の界、東西南北各々数千里あり、
西界南界はみな大海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、
山外は即ち毛人の国なり、と
東界北界の大山より東が東日本
まあ中央アルプスだろうな。
172 :
天之御名無主:02/03/11 15:23
寒冷適応済みモンゴロイドは
一体いつ生まれたんだろね。
人類の中では厳しい自然を耐え抜いた
もっとも新しい人類のようなきがする。
3000から2500年まえじゃないかな。
原モンゴロイドが寒さに耐えかねて北回りで北海道を南下したあと、
比較的寒さに強い連中がシベリアに踏みとどまって繁殖。
でもって食料不足かなんかで大陸南下(以下略
ってところか。
174 :
天之御名無主:02/03/12 06:47
> 202 名前: 投稿日:02/03/03 12:34 ID:KaqKcEbg
>水田稲作文化の担い手はだれか?
>
> 紀元前四世紀には定着し始めた弥生稲作文化は新しい大陸系農工具や金属
>器、水田造成の技術、住居や集落の形から宗教、墓制まで従来のスタイルを一
>変させる生活革命を伴っていた。
> しかし、その担い手まで渡来系集団と決め付けられないことが発掘でわかって
>きた。例えば、弥生前期の石オノにしても手オノのような新しい道具は渡来系の
>を用いるが、伐採(ばっさい)用オノなどは縄文系のものをそのまま使っていた。
> さらに、人類学的にも福岡県志摩町・新町(しんまち)遺跡の渡来系の「支石墓」
>に葬られていた人骨は縄文系の骨格で、縄文的な抜歯(ばっし)の風習が見られ
>た。神戸市・新方(しんぽう)遺跡でも弥生前期の墓に縄文系の人が葬られていた。
>渡来文化の影響は強烈だったものの、担い手の主体は在来人だったようだ。
>
http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/tokushu/kodaisi/minijiten.htm >
>東日本の弥生時代の遺跡から、縄文人骨は出てるの?
↑地理・人類学板から転載。1つもレスがついていないので、どなたか教えてほしい。
むずかしい。まず道具については、不足分や日常的な消耗品は
現地調達したでしょうな。あとはやくから渡来文化に「かぶれた」縄文人も
相当いたはず。たとえば、1860年頃、純和風生活おくってた武士が
1870年頃は洋服着てワイン飲んでいたみたいに。
農耕に関しては縄文農耕が最近認められている。
弥生人にしてね全員がネオモンゴロイドだったかどうか。
半島南部に停滞した時期、いろんな人と混交した可能性もある。
これからもっと標本出てこんと、わからんなあ。
しかしオモロイ。
176 :
天之御名無主:02/03/27 21:21
縄文人が弥生文化受け入れて、労働を尊ぶ。
これ最強。
でも生真面目さが馬鹿な方向を目指すと、太平洋戦争になっちゃうと言う
諸刃の剣。
そもそも狩猟採取生活をしていた人々が
そうそう簡単に農耕文化を受け入れられるのでしょうか?
むしろ後から来た、農耕文化を持った人々に
駆逐されたと考えるのが自然な気がするのですが。
178 :
天之御名無主:02/03/28 02:31
採取生活と言っても栗を栽培したりしていたわけで、
より確実に食物を得られるなら受け入れるのでは?
スレを1から読み直してみました。
みなさんいろんな意見で面白いですね。
>178
生活習慣の全く異なる人々同士が
満足なコミュニケーションをとれたかどうかという点も気になります。
長い時間をかけて受け入れた人々がいたのかもしれませんね。
181 :
天之御名無主:02/04/07 22:20
aghe
183 :
天之御名無主:02/04/09 02:44
age
184 :
天之御名無主:02/04/30 16:55
>>174 >東日本の弥生時代の遺跡から、縄文人骨は出てるの?
この辺は、「日本人遥かな旅」の第4か5週で放映されたと思うが。
東北地方の出土人骨の頭骨例で、縄文系と水稲耕作伝播人系の双方の特徴があるって。
眼窩の形状だったかな。即ち、混血が進んでいったわけです。
>手オノ...は渡来系のを用いるが、伐採...用オノなどは縄文系...
石斧が、ひとりでに混在する訳はないんで、持ち込んだ人間が混住即ち混血していった。
言語は、多数派の言語に収斂していった。
185 :
天之御名無主:02/05/02 15:40
大陸人はそのままでは海を渡ってこれないでしょう。
だから、弥生人は縄文人に連れてこられたのではないでしょうか。
縄文人は、海洋民だからシナの海岸あたりにも結構いたんじゃないんですか。
187 :
天之御名無主:02/11/03 12:55
>>186 大陸人といっても、いきなり内陸から渡海してきたわけでなく、
沿岸部へ移住後に、渡海という順番だったでしょう。沿岸部で、
先住の海洋民から漁労技術や造船技術や航海技術を、伝習したでしょう。
弥生人は山東半島から一旦朝鮮半島南端に漂着→狗耶韓国
のちに対馬経由渡海、キターーーーー九州上陸か。
(^^)