316 :
天之御名無主:2008/06/10(火) 19:28:11
>>314 どういう点で、その神社が神道の原点といえるのですか?
「元祖」って書いてある饅頭屋みたいなもんじゃないのか
318 :
天之御名無主:2008/06/11(水) 03:06:17
千年以上昔からの崇拝
天皇=神道
公卿=神道
武家=神道
天皇・公卿・神道を匿うも武家の習わし
公卿は派閥かされ二手に別れた。
追われた公卿は身を潜める為に仲の良い武家に助けてもらう。
七卿落ちだ。
実際に奇形の三本足の鳥もいて、そこからの連想かな。
日の神だけをみても問題は見えないものも、
対応する月の神を見れば見えてくる事がある。
欠けても満ちる月と埋められても生き返るカエル、
そして日と「夜は見えない(笑い?)黒い鳥」…いや、
「日は夜には光が消えて黒くなってるだけ」という伝承
があるんだ。 カラスだっていつも黒いとは限らないよ?
カラスを特定するのは色であり声であるから、それ以外の
特徴ではカラスの神話にはならないと言っていいだろう。
(ほらちゃんと釣られたぞ、マナーとして…つまらんが)
声の方だと他の鳥の声があって、その中の一つが
カラスの声でしかないから、あまたの星の中の
(特に秀でていない)ひとつの声でしかない。
だが、日の姿の見えない夜中にだけは
同じように姿の見えなくなる黒さが、
朝・昼・夕のそれぞれの日の
真の姿かも知れない。
っ【日時計】
勾陳としての北斗を象る勾玉の貴子スサノヲ神とは別に
方位の神格であるためには、対応するデフォルト格オ格
以外の日本の基本母音四つ組に対応する語尾格のうち
ア格における中央‐放射型の構文構造の例を必要とする。
ア格と同一の音韻環境において表れイ格と交替するのが
月神ツクヨミのウ格(=動詞類)であり、動詞類は数量と
同じ関係構造をもち(現実の物理法則の力学法則が、
相対性原理により等価交換型順序性、例えば空間、
と等価である為、それ以外が自然淘汰されたもよう)、
ツクヨミ自身は全体から部分をAND演算で取り出す
(「は」文脈で見られる)多少=MANY型順序関係性、
フツヌシ型の離散-デジタル文脈を同じ剣神としての
分担対象として持ち、自身は(非分離型=)切断型の
「人を人とする言語本能」の「動詞類」、そのうちの特に
(「が」文脈で見られる)大小=MUCH型、OR-包含性
による上位性が組み立てる外側切り離し型評価決断…
…脱線した…足場を固定しての部分への視線の移動、
「は」格の投射文脈構造ではなく、それぞれの影に対し
その交点の反対側にある直接見れば眼を痛める光源、
そのような同時相互配置関係(勾陳の陳が示す様な※)
―末尾のア格で表示されるような―はあるだろうか?
無ければ日本においては日の神格である事はできない、
鏡の関係者であることには変わりがないが。 影だから。
鏡で光線を反射するのと日につれて角度を変える影が
似ているといえるかは人によるだろう、証拠にならない。
だから同様の関連神格がいるか、同時に現れる神々が
対応する文法や他の関係構造として同時出現するのが
当然なほどに深い関係性を持っていなければならない。
※話し言葉(〜発音)として東はまず「凍」「棟」〜「陳」で、
方位は類似音としての単なる借用。
それが主神級の神々なら、過去の一時点での文法構造として
登場して消えていくのではなく、時代と共にその構造に向かい
他の可能性が収束していくような文法構造、あるいは他分野の
すぐれて人による関係構造として登場していなければならない。
人以外の原因の影響を受け易い、言語以外では「弱い」のだ。
人が人のために人に対して行う言語行為こそ第一級の証拠だ、
人を人らしくしている視野と価値観を反映しているはずだから。
神々が死ぬわけがない。 いなくなるならそれは神々ではない。
神々は言語を通して表れるが、それは固有名詞などではない。
神々は登場人物ではない。 むしろ舞台装置そのものである。
…神々とはよーするにそーゆうものだ。
長文書いても無意味なんだ
なんで携帯で長文投下してくる奴って個人的な妄想しか垂れ流さないんだろうな
長文も一行も、どっちも変なヤツが多いから、たまに携帯の書き込みで常識あるヤツが居ると、それだけですごく貴重品みたいに思える
携帯でもPCでも
常識のある文章と信憑性のあるソース付きで面白いレスはいいレスだ
米兵は神様
「トリイステーション」がその証拠
329 :
黒崎恵:2008/11/23(日) 18:51:12
私人柱なんですけど、本当に卑弥呼に生贄として殺されるんですか?
それ「藪から棒」的なニュアンスに聞こえるね
332 :
天之御名無主:2009/04/13(月) 22:11:21
321は、何を問題にしたいのか?丸っきりわからない。
言ってる結論?も意味が分かりません。
333 :
天之御名無主:2009/04/14(火) 21:52:27
スレ的に面白そうな議題なのに過疎ってて残念だね
334 :
天之御名無主:2009/04/16(木) 22:19:18
八咫烏
335 :
天之御名無主:2009/04/16(木) 22:25:16
八咫烏っていうのは神様の世界ではひとつの分野を成してるんだよ
カラスに限らず他にもいるよ
全部ではないけど龍のなかにもそういうのがいるんだ
けもの姿に代表されるんだけど彼らに共通する特徴がある
さてなんでしょう?
あまりこない板のようだからつい書き込みました
でも学問的ではないね
でも学問ではなかなか捉えられないかもね
学術的ソースの無い説は所謂「俺設定」と見なされまともに相手してもらえません。
明確なソースの提示はお忘れなく。
337 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 12:48:46
ソースは霊感と神覚だ
行者ならみな知ってるんだけどね
つまりわりと普遍性があるんだ
それも日本だけでなく世界中だ
世界中にこれがわかる人がいるんだよ
ただ学者さんは知らないらしい
そして行者は学問を鼻で笑う癖があるんだね
ただし学問には残りにくいだろうね
というのもいわゆる証拠物件てもんがないからだ
これがあれば、ははあ、なるほどとうなづかせることができるんだけどね
学問は証拠物件をかき集めるのがその仕事だ
後世にはわかる時期が来ると思います
338 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 18:24:21
でもこのスレは「学術的に追求し語るスレ」ですね
すみません
お呼びじゃないようです
失礼しました!
339 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 18:36:47
奇形の烏を拝む気持ちが解らない。
宗教は変だね。
21世紀に成ったんだから、
宗教は迷信だと気付いても良いのにね。
340 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 19:05:29
八咫烏が三本足なのは、後世につくられたイメージ。
中国には、太陽には三本足の烏が住むという伝説があり、
それが、日本の八咫烏と組み合わさっただけ。
記紀神話のどこにも、八咫烏が三本足とは書いてない。
シンボルを奇形としか読みとれないとは……
342 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 21:32:54
三本足はシンボルじゃなくて、後世に作られたイメージ。
どうして三本足のイメージがあるのか、考えた事もないんだな……
344 :
天之御名無主:2009/04/17(金) 21:38:38
>>340 カウ という鳥ですか?
たしか漢字だと活字にしにくかったような。
345 :
天之御名無主:2009/04/18(土) 00:04:09
347 :
天之御名無主:2009/04/21(火) 19:18:38
>346
すみません。
羽黒ではないのです。
修験と、よくつかみましたね
大峯です。
羽黒は記録を重視するのですか?
348 :
天之御名無主:2009/04/22(水) 00:22:07
>>347 自分で行者って書いといて何言ってるんだ
349 :
天之御名無主:2009/04/22(水) 06:59:20
神話見るかぎりヤタガラスは
『大きなカラス』であって、三本足ではなかった。
多分中世ぐらいに太陽に住む三本足の鳥
と混同されだしたんでしょ。
今こそ古来の姿たに戻すべき。
神話じゃトビと混同されてるんだがw
カーオースー なぜ鳴くのー?
八咫烏の名称は三本足にくれてやるべき
バカガラスでいいよもう
355 :
天之御名無主:2010/08/08(日) 01:43:56
3自体は三貴子でも分かるように別段、昔からあってもおかしくない
キトラ古墳には既に三本足のカラスが登場してるわけだし
いつごろかは分からないが、ヤタガラス=三本足のカラスという発想は相当古いといえる
三本足のカラスが太陽の象徴というイメージは中国古来からあるわけで、
太陽信仰の日本民族が成り立つ当初からそもそもからあった思想かもしれないし
後付だ!なんて断言できる種類の問題ではない
これは日本人、弥生人がどこから来たどういう民族グループに属する集団か?という
問題にまで広がる話しだからね
356 :
天之御名無主:2010/08/08(日) 10:40:11
キトラ古墳に三本足のカラスが描かれていることと、それが八咫烏かどうかというのは全く別の問題。
支那の伝承にある三本足のカラスをそのまま描いた可能性も高いわけだからね。
八世紀成立の記紀には「頭八咫烏」とあり、三本足とは一言も書かれていないことは一つの証明となる。
357 :
天之御名無主:2010/08/08(日) 10:53:37
全く別の問題じゃないだろw
「三本足のカラス」というモチーフがすでにあり、それが太陽とともに描かれている以上
太陽の使者として記述される八咫烏との関係性は当然考慮しなければならないのでは?
要するに倭人が神武東征より以後に三本足のカラスモチーフを知ったか
それ以前から知っていたのか?という話し。
それ以前からそういう情報に接してたのなら、当然元から同じものを指してるだろうし。
359 :
天之御名無主:2010/08/08(日) 18:01:04
いやだから支那の伝承にある三つ足ガラス自体が太陽の使者なんだってば。
だから太陽と共に描かれてるのは何の不思議もないどころか、むしろ当然で、
そこから八咫烏との関係を類推する材料にはならないってこと。
360 :
1/2:2010/08/08(日) 19:30:34
キトラ古墳が1300年前。
琢鹿の戦いの神話上の年代は4500年前に設定。蚩尤九黎の射日神話もこれと関係がある。
この神話である「山海経」は、一番古い説だと春秋末期の2500年前には存在したと考えられている。
ただし、「山海経」の写本自体で最古のものは、前漢の時代のものである。
もちろん射日神話は、太陽の鳥の話だが、三本足のカラスであるという話は「山海経」では確定しない。
地方の民話の中に射日神話が出てくることによって、三本足のカラスがあるという具合なので
春秋末期の2500年前に、三本足のカラスのモチーフが存在したとは断言できないのだ。
4000年前に二里頭文化が興り、青銅器文明が始まり、
この文化は、殷や周と関連があると考えられている。
ちなみに、3000年前が周の開始年代である。
よって、神話は何の投影なのか?が問題となる。
7000年前の仰韶文化からの住民が、青銅器文明の新住民によって、
河南省から南方と東方に追放されたとも読みとれる。
361 :
2/2:2010/08/08(日) 19:33:43
南方と東方に追放された民族が、その後に内部から興ったリーダーなのか
外来のリーダーによるのか不明だが、楚という国を中原からやや南の
湖北省南部or湖南省北部で興す。位置があいまいなのは楚都郢城が何箇所もあるからだ。
2200年前に楚は滅んで、前漢の一部となった。
神話は何の投影なのか?が問いに対する答えに、漢楚戦争の投影というのも論理的にはあり得る。
「山海経」の写本自体で最古のものは、前漢の時代のものであるからだ。
楚の遺民が、ミャオ族ヤオ族になったとされており、三本足のカラスはミャオ族や隣接するプイ族の民話によって
初めて確認されるのである。「山海経」では三本足のカラスが確認ができないのである。
そうなると、射日神話の成立は楚の滅亡より後か前か? それがわからないと射日神話がどこから来たのか確定しない。
次に現在のミャオ族の成分は、どういう構成なのか? 項羽は内部から興ったリーダーだったのか?それとも外来のリーダーだったのか?
現在のプイ族の成分はどういう構成なのか? 射日神話の伝播方向は、プイ→ミャオなのか?ミャオ→プイなのか?
今後も解決しない理由は、彼等は文字による記録を持っていないので、清朝以降に聞き取った文学でしかないことだ。
今の段階でいえることは、中国には2500年前ぐらいからあったんじゃね?ということぐらいだ
362 :
360:2010/08/08(日) 19:56:05
364 :
天之御名無主:2010/08/09(月) 23:14:23
>>362 この射日神話が、雲南貴州広西に分配されているということは
南詔や大理の時代の王国によって、人の植民や宗教の分配があった後
モンゴル大元ウルスによって更に再シャッフルがあったと見ていいんじゃないの?
シナではカラスとの結びつきでほぼ共通していて、台湾の高山族だけがカラスとの結びつきがない。
三本指がまちがって三本足になったとか
トリの絵をマンガっぽく描くと指は三本だし