2000年前、日本はアイヌの楽園だった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
313313
最新の埴原説がどんなものかは知らないけど>>273-276の説には少し疑問を感じる。

1)埴原が当時の平均的な人口増加率を求めるのに用いた地域はいずれも麦作地帯のもの。
314313:02/01/11 06:46
2)小山は人口推計(コンピュータシミュレーション)の基準となる土師器時代の
人口の推定の基礎として澤田吾一(1927年)による奈良時代人口の
推計値(600万〜700万人)を採用しているが、この数値は過大だという指摘の存在。
(鎌田元一(京都大学)による鹿の子C遺跡の発掘調査結果からの推計)
315313:02/01/11 06:47
古墳時代の人口を540万人とした小山の推計はかなり過大だろう。
鎌田の推計(8世紀前半の人口で440万〜450万)を元に俺が
おおざっぱに計算したところでは、6世紀初頭の人口は280万人程。
埴原が推計した弥生から古墳時代にかけての渡来人数267万人が
ちょうど打ち消される程度の人口になってしまう。

つまるところ>>273-276の結論は誤った前提の上に立っている可能性があるとおもわれ。
316天之御名無主:02/01/11 09:10
なるほど。
弥生(渡来)系がそんなに多かったら、
なぜ東日本にこれほど縄文系がいるのか、わかんなかった。
東日本ってよっぽど多産なのかとも思ってた。
前提がちょいまちがってたのかもね。
いずれにせよ縄文系(と言ってもいろいろあるみたいね)が東日本に集中していたところに
大陸朝鮮から渡来系がやってきて西日本定住。
しだいに東に進出し、ある程度の同化を果たしたってのが、大まかなところかな。
317天之御名無主:02/01/12 02:34
>>316
東日本の縄文系って奈良時代に相当薄まってると思うんだけど
318313:02/01/12 03:52
現代の日本人の特徴は統計的にかなり分散しているらしいです。
ですから「薄まる」と言う感覚よりも、未だに「縄文系」と「弥生系」
がモザイク状に入り乱れているというイメージの方が正しいのではないか
という気がします。
つまり「弥生系に置き換わった」というよりは、「入り乱れて共生」して
日本人という枠の中にいるのだと思います。
西日本と東日本の違いはその混合比の程度の問題でしょう。