1 :
天之御名無主:
民族にあらず。
民俗とは何か?
今、非常に混乱しています。
何を以って民俗というのか?
民族と民俗は全然違う概念。まずは辞書を引きなさい。話はそれから。
>>2 「民俗と民族を混乱してる」と勘違いされているのなら、すいません。
それを混同している訳ではありません。
ちょっと、誤解を招く表現ですね。
もう少し言い方を変えましょう。
民俗学が対象とする民俗とはなんですか?
ちなみに、辞典類での「民俗学」の定義はこんな感じですね。
「民間傳承を通して生活變遷の後を尋ね、民俗文化を明らかにせんとする學問である。」(柳田國男監修『民俗学辞典』1951)
「民間伝承を素材として、民族社会・民俗文化の歴史的由来を明らかにすることにより、民族の基層文化の性格と本質とを究明する学問。」(大塚民俗学会編1972『日本民俗事典』弘文堂)
「世代をこえて伝えられる人々の集合的事象によって生活文化の歴史的展開を明らかにし、それを通して現代の生活文化を説明する学問。」(福田アジオほか編2000『日本民俗大辞典』吉川弘文館)
※「みん-ぞく【民俗】人々の伝統的な生活文化。民間伝承。伝承文化。―-がく【民俗学】(folkloreイギリスVolkskundeドイツ)一つの民族(主として自民族)の伝統的な生活文化・伝承文化を研究対象とし、文献以外の伝承を有力な手がかりとする学問。」
(新村出編1983『広辞苑第三版』岩波書店)
6 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 04:42
参考までに柳田國男の民俗分類を見ると、
第一部 有形文化 1住居 2衣服 3食物 4資料取得法(自然採取、漁、林、狩、農、交易と市) 5交通 6労働 7村 8連合 9家・親族 10婚姻 11誕生 12厄 13葬制 14年中行事 15神祭 16占法・呪法 17舞踏 18競技 19童戯と玩具
第二部 言語芸術 1新語作成 2新文句 3諺 4謎 5唱えごと 6童言葉 7歌謡 8語り物と昔話と伝説
第三部 心意現象 1知識 2生活技術 3生活目的
(以上『郷土生活の研究法』より
7 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 11:47
民俗は英米語で言うとフォークロアですね。
Folk-lore(民俗)とは、もともとは「民間の知恵」を総称的に指す言葉。
「民間療法」「民間信仰(民俗信仰)」「民間農法(民俗農法)」「民俗語彙」など、もろもろの習俗的に含まれた知恵を包括的に指し示します。
>>8 「民俗=知恵ってことですか?」とのご質問。
Folk-loreの原義は、「民間の・智恵」ですが。
“Folklore”自体は「民間伝承」や「民間の習俗」etcを指すことはおわかりになると思います。
えぇっと。少し、私なりの解釈も混入しますが。
Folk-lore≒民間の・智恵、と言ったときの智恵は、まず「近代的な意味での知識ではない」、ってニュアンスがあると思います。
例えば民具の形態や材質について、製作者や使用者が、科学的に説明できるわけではない。が、智恵として、用途に適した形態を知っている、って場合がママあると思います。
こうした場合、民具の作成方法、使用方法、民具自体から、民間の智恵の在り方を考察することができます。
民俗学の研究対象がFolk-lore、と言った場合、上のような観点を含んでいるのだと思います。
ちょっと文化人類学的な考えに偏っているかもしれません。ですので他の方から異論も出るかもしれませんが。とりあえず、私はこのように思います。
10 :
1:2001/05/19(土) 16:15
>>9 「近代的な意味での知識ではない」
わざわざカッコまでつけていただいたのですが、
これはどうしてその限定的ニュアンスが必要なのですか?
11 :
1:2001/05/19(土) 16:18
「近代的な意味での知識ではない」
近代的なものは、民俗に含まないとすると、
民俗というものは存在しなくなるということになると思うのですが、いかがでしょう?
12 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 16:37
>>10 >>11 >どうしてその限定的ニュアンスが必要なのですか?
一例を挙げました。
「製作者や使用者が、科学的に説明できるわけではない。が、智恵として、用途に適した形態を知っている」場合。
こうした智恵の在り方を私的に「近代的な意味での知識ではない」と概括しているだけです。
>近代的なものは、民俗に含まないとすると、
>民俗というものは存在しなくなるということになると思う
そんなことはありません。
例えば民間療法の類は民俗学の研究対象になります。
13 :
1:2001/05/20(日) 16:50
では、何が近代的で、何が近代的でないのですか?
何が民俗とされて、民俗でないということになるのですか?
そんなことが可能なのですか?
14 :
12:2001/05/20(日) 19:56
>>13=1
すでに、一例を挙げています。
例えば、民間療法の場合。
ある療法に効果が認められても認められなくとも。
その療法に効果が「期待される」と信じられ、かつ、なぜ、その療法に効果が期待されるのか、科学的な説明ができない場合、――多くの場合、なぜその療法に効果が期待されるかについて、なんらかの伝統的な説明は伝承されています。
この場合、「民間療法に対する信憑の体系」は民俗学の研究対象になるでしょう。
こうした「民間療法に対する信憑の体系」は既に記した「民間の智恵(fork-lore)」の一分野です。
>そんなことが可能なのですか?
何の可能性/不可能性が問われているのかよくわかりません。
15 :
1:2001/05/21(月) 14:01
>>14 >科学的な説明ができない場合
科学的というのは、何を以って科学的としているのですか?
論理的という意味で科学的なのですか
>なんらかの伝統的な説明は伝承されています。
伝統的というのはどういうことですか?
何を以って伝統的とするのですか?
>この場合、「民間療法に対する信憑の体系」は民俗学の研究対象になるでしょう。
>こうした「民間療法に対する信憑の体系」は既に記した「民間の智恵(fork-lore)」の一分野です。
では、例えば風邪をひいてしまった場合に、現在だとウィルスが原因だとされるわけですよね。
これは、多分貴方の言う「科学的」ですよね。
しかし、ウィルスというのは目に見えないものであるし、素人だと「あぁ、そうなのですか」と納得しますよね。
ウィルスというのも医学というものの中で「伝統的」説明かもしれません。
そうなると「『科学的』療法に対する信憑の体系」として民俗学としてなり得るということになりますが、そう理解してもよろしいのですか?
>>そんなことが可能なのですか?
>何の可能性/不可能性が問われているのかよくわかりません。
言葉が足りなかったですね。申し訳ないです。
近代、非近代という線引きが可能なのかどうか、ということを聞きたかったのです。
16 :
1:2001/05/21(月) 16:13
訂正
>>15 >ウィルスというのも医学というものの中で「伝統的」説明かもしれません。
「医学というものの中で」は余計かもしれません。
17 :
天之御名無主:2001/05/21(月) 23:53
>>15=1
えぇっと、まず私の「
>>7」や「
>>9」は、とりあえずの糸口として大ざっぱなところからお話をしたとご理解ください。
>近代、非近代という線引きが可能なのかどうか、ということを聞きたかった
とのことですが。民俗学は、民俗の対象事物を研究することで、「土俗の心性を理解する学問」とも言えると思います。この言い方も一面的で、極論めいた面ががあるので、民俗学を専門にやってられる方々からは異論も出るかもしれませんが。
最初は通念的に非近代とみなされるものを、より詳細に、よりよく理解してゆくのが民俗学、と思います。
強いて言えば、民具や民間伝承などの特定研究対象を通して「近代、の深層に続いている、あるいは残存している非近代の心性を主題として理解していく」と説明することもできるでしょう(これもいささか極論めいていますが)。
深層で非近代が継続していると観るか、残存していると観るかは研究者の立論によって変わって来ると思います。
なんだか遠回りな説明で混乱させたかもしれませんが。民具や伝承は研究対象の一部に過ぎない、と言うことを説明したいと意図していました。
民具を創る人、使う人など民俗環境の生活全般を観察し聞き取りをおこなうフィールドワークを通して研究されるのが、民俗学であるはず、です。
決して個別の民具や民譚の研究で完結するものではない。
「
>>7」でもお断りしましたが。やや文化人類学の考え方に偏った民俗学の説明であるとは思います。その点で、民俗学を専門にやってられる方々から異論も出るかと思います(改めてお断りしておきます)。
18 :
1:2001/05/22(火) 15:23
>>17 >やや文化人類学の考え方に偏った民俗学の説明であるとは思います
というよりは、民俗学というものを、旧来の認識であると思いました。
>民俗学は、民俗の対象事物を研究することで、「土俗の心性を理解する学問」とも言えると思います
言葉を定義しないで使われているので、意味わかりません。
「民俗の対象事物」、「土俗の心性」とは、何ですか?
それから、そもそも「近代」とはなんなのですか?
貴方の規定している「近代」の定義がみえません。
それと、
>>15での質問にまだ答えてもらっていないのですが、答えていただけないのでしょうか。
私が質問しているのは、民俗とは何かということであって、民俗学とは何かではなかったのです。
もちろん、民俗とは何かということを定義することによって、民俗学とは何かということは可能ですが。
19 :
17:2001/05/22(火) 16:04
>>18 あなたが、質問の意図を明確にされないでの応える方も疲れます。
>言葉を定義しないで使われているので、意味わかりません。
とのことですが、質問意図をつかみたくて、アバウトなお話からはじめてることは既に申し上げました。
「民俗とは何か」が知りたいとのことですが。
それでしたら話は簡単でしょう。
「民間の習俗が民俗です」
定義云々は言わないでください。常識的に捉えられれば結構です。
何に混乱されているのやら。さっぱり、わけがわかりません
20 :
1:2001/05/22(火) 16:21
>>19 >あなたが、質問の意図を明確にされないでの応える方も疲れます。
たしかに、曖昧かもしれませんが、僕自身よくわからないので。
しかし、質問の意図は
>>4で、述べたとおりでございます。
民俗学が対象とする民俗とは何か、ということです。
>「民俗とは何か」が知りたいとのことですが。
>それでしたら話は簡単でしょう。
>「民間の習俗が民俗です」
>定義云々は言わないでください。常識的に捉えられれば結構です。
大変申し訳ないのですが、その常識が分かりません。
そうすると「近代的な意味は含まない」というのは、どうなるのですか?
「近代の深層」とは、なんなのですか?
21 :
1:2001/05/22(火) 16:29
私も、大変申し訳ないと思っております。
でも、なかなか、ピンとこないのです。
民俗学は、現在学ではなかったのですか?
近代の深層の残存とか、継続とかが、民俗と定義されているとしか思えません。
現在あるものは、民俗ではないのですか?
疲れさせて本当に申し訳ないです。
22 :
17:2001/05/24(木) 09:13
>>20=1
じゃぁ、もう1回仕切り直しますね。
>民俗学が対象とする民俗とはなんですか?
まず、民俗とは「民衆、または民間の習俗」です。ただしこれは、日常語彙での概念規定です。民俗学の話題としては特殊なニュアンスがつくのは当然です。
次に、民俗学では、「民衆、または民間の習俗」を対象に、フィールド・ワーク(観察、聞き取り)をおこない、その後に再整理、理論化をおこないます。
再整理、理論化の過程で探求されるのは、特定民俗をもつ民俗集団の生活意識なり世界像なりです。「民俗集団の生活意識なり世界像なり」が、伝統的に「民間の智恵(=folklore)」と呼ばれたものです。
ところで、「民衆、または民間の習俗」フィールドワーク→再整理・理論化をおこなう学問ジャンルは民俗学だけではありません。
例えば社会学や社会人類学でも、類似の研究がおこなわれます。
それぞれの学問が「民衆、または民間の習俗」を研究する場合、「民俗」には学問ごとに異なった、特殊なニュアンスがつきます。
なぜなら、フィールドワークの手法や、再整理の観点、などが異なるので、理論化された説明体系も異なったものが出てくるからです。
これは「重層的で多面的な在り方が予想される、民俗集団の生活意識なり世界像なりが、学問ごとに異なった傾向で分析されるから」、とみなすことができます。
「民俗学が対象とする民俗とは」、「民衆、または民間の習俗」ですが、その際に、民俗の古層が注目され重視されます。
私は詳しくありませんが、近年は例えば「都市民俗学」とか「観光学」とかを提唱し、「民俗の古層」以外にも注目しようって研究者の方もいるようです。
しかし、「都市民俗学」にせよ「観光学」にせよ、民俗学の一分野として、社会学や社会人類学と異なる学問ジャンルとしての独自性があるはずです。
まず、特色ある分析観念なり、フィールドワーク手法なりと考えられます。
「土俗の研究」または「常民の心性の研究」(←これは柳田が唱えたスローガンです)としてスタートした民俗学がストックして来た、研究手法(フィールドワーク手法)や、分析観念(理論道具)にもそれなりの傾向はあるわけです。
そうした、民俗がくならではの独自性が「民俗の古層への注目」だと思います。
「民間の智恵(=folklore)」を「近代的でない智恵」と言ったのも、こうした「民俗古層への注目」と「民俗学の独自性に基づいて再構成される民俗集団の生活意識なり世界像なりの傾向」を大まかに述べたにすぎません。
これでよいですか?
23 :
1:2001/05/25(金) 00:38
25 :
1:2001/05/25(金) 03:52
http://www.l.chiba-u.ac.jp/~hashi/cuff.htm 最初のほうの「民俗学とはいかなる学問だろうか。〜民俗学はどの学問にも増して「現代認識のフロンティア」たりえているのである。」までで良いですから読んでみてください。
>>22 >民俗の古層が注目され重視され
「民俗の古層」なんて、妄想じゃないんですか?
>研究手法(フィールドワーク手法)や、分析観念(理論道具)にもそれなりの傾向はあるわけです
民俗学におけるフィールドワークの手法は、人類学におけるインテンシヴ調査と同じものではないんですか?
>民俗がくならではの独自性が「民俗の古層への注目」
これが独自性ということになるのであったら、民俗学は、死に体じゃないんですか?
民俗学に先がないと言われて、何年かたってますよね。
対象とすべき「民俗(といわれるもの)の喪失」みたいな感じで。
それで、「民俗」とは何か、というスレを立ててみたんですけど過剰な期待をしただけかもしれないです。
民俗学が対象とすべき民俗とは何か、と言う風に聞かないといけなかったんですかね。
>>25 >民俗学が対象とすべき民俗とは何か、と言う風に聞かないといけなかったんですかね。
あたりまえです。
問題意識があるなら、はじめからそう書いてください。
まるで、民俗学ってなんですか?教えてくんのようなふりをした書込みにマヂレス続けた私はバカみたいです。
再三質問意図を明確にしてくれ、とお願いしていたのに、挙げ句がこれですか。
とて疲れました。
もし民俗学が死に体と思われるなら、社会人類学でも宗教学でもなんでもお好きなものをやられればよろしい。
そんなことは個人が選択すればよいことです。
ちなみに、世間では民俗学研究家とみなされている小松和彦氏の学生時代の専攻は、社会人類学だということをご存知か?
>「民俗の古層」なんて、妄想じゃないんですか?
妄想と思いたい人は思えばいいけどさ。
分析用の観念と考えればいいんじゃないの。
レヴィ=ストロースの「構造」だって、分析観念とみなせるんだからさ。
文化人類学やってる人でも、わかってないで文句垂れてる人いるけどね(ワラ
28 :
天之御名無主:2001/05/25(金) 11:30
すいません。もうレスつけていただけないですよね。
どうしても2ちゃんのレベルが信用できなかったものですから。
>小松和彦氏の学生時代の専攻は、社会人類学だということをご存知か?
都立。山口昌男の弟子。修論は原稿用紙1200枚の大著。
>レヴィ=ストロースの「構造」だって、分析観念とみなせるんだからさ。
>文化人類学やってる人でも、わかってないで文句垂れてる人いるけどね(ワラ
わかんなくって、本人しかわかんない所まで言ってるから、文句言われてんの。
小松和彦には、民俗学者であって、人類学者でもある。
千葉大でて、都立の院に行ったの。
そうそう、小松和彦の修論は、未刊行です、確か。
>もし民俗学が死に体と思われるなら、社会人類学でも宗教学でもなんでもお好きなものをやられればよろしい。
社会人類は、まだしも、宗教学はどうかと思うけどな。
民俗に感心があるのなら。
篠原徹
「生きていく方法」としての生活や民俗
いいなぁ。
>まるで、民俗学ってなんですか?教えてくんのようなふりをした書込みにマヂレス続けた私はバカみたいです。
>>5、
>>18を見る限り、1は素人ではないでしょう。
柳田國男監修『民俗学辞典』、大塚民俗学会編『日本民俗事典』、福田アジオほか編『日本民俗大辞典』で調べられるくらいの所にいるわけですから。
そこの項目を見れるくらいだったら、わざわざ聞かなくてもわかりそうなものを聞いているところに悪意を感じるな。
あ、そうそう、民俗学は、「世相解説の史学」ということもある。
これは、柳田の『明治大正史世相篇』が、それを物語っていると思うけど…。
それから、民俗学が追求してきたものは、変わっていくもの、変化していくものであったはずなんだよね。
当初の目的としては。それが、いつのまにか不変のものを追ってきた。
それは、それでいいと思うんだけど…。
「民俗」という言葉を定義するのは、結局のところ、統一の見解を見ていないし、研究者のとらえ方、その人の認識によるものになってる。
これは、学問としては非常にジレンマなのかもしれないが、文化人類学が、「文化」について明確な定義を与えられないのと似ているといえば似ている。
(これについては、あんまり突っ込まないで下さい。個人的な、直感的な感想ですから。)
「民俗」とは何か、と問われた場合に答えるのは、
>>7以降のレスで続けられているものになるとは思うが、不十分であり、一方的な見方である。
せっかくだから、柳田が「現在学」として、立ち上げようとした部分もあるのも軽く触れてあげたら、民俗学のとらえ方もまた違ってくるでしょう。
>>5で見るとおり、『日本民俗大辞典』では「現代の生活文化を説明する学問」と書いているではありませんか。
32 :
天之御名無主:2001/06/14(木) 21:53
さるべーじ
33 :
天之御名無主:2001/06/21(木) 00:29
なんか熱いのか熱くないのか分からんスレだな。
民俗学とは他の学問では扱わない無形の民間文化の研究のことでないですかねぇ
書物に記されれば国文学。史跡が残っていれば国史学。
それだけじゃ手が回らない文化を研究するために確立された
とかどうとか私の大学の先生が言ってました。
しんかー
35 :
天之御名無主:2001/07/06(金) 21:59
age(ニヤリ
38 :
天之御名無主:01/11/01 23:35
学部から都立にいたような気がしたが。>>37
編入とかはあり得ない?
ひーとによって定義が違うんだからいーんだよ。細かく決めて学問したいやつはしてくんせぇ。
学問にしたってただの科学にしたって定義なんて人間の脳みそが個人によってやりやすいように個々分類しただけだっしょ。けっ!+
>>37,38埼玉大です。そのころは研究会で行き来が盛んだったらしい。ちなみに師匠は川田順造。中学時代から宗教学の関一敏と同級生、、、だって。
通りすがりですが全く無関係でもないので面白く読みました。
民俗学でも文化人類学でも具体性から離れたら話が進まない
と思うのですよ。「その研究で何が見えるのか」が大事なわ
けですから。
>>1さんは何が見える方だったのでしょうね?
もう議論終わってしまいました?
板自体、古層化してますか?
私は1の問題提起は非常に面白いと思います。
また、知識を整理整頓する近代的意味で「知」の体系として「民俗学」を説明された
天之御名無主氏の言も全然間違いではない。ちゃんと持論も展開され、素晴らしい。
しかし今回はやはり「民俗学は民俗学だから民俗学だ」という「である論」を、
1の問題意識である「民俗学が対象とすべき民俗とはなにか」という「する論」
として問いなおそうという努力が全体として最も滲み出してるのかと思います。
また、その「学」を問い直す行為は、さらに「近代とは何か?」、「知とは何か?」
の問いを必要とするので、現在の民俗学を未来や他の学問に対してより開かれたもの
としていくための契機を探る上でとても重要だと思います。
例えば、この板を一つのフィールド(仮にPとする)と見て、実際に書き込まれた
スレを蓄積した議事録(P)ととらえるならば、後世の人は、テキストのみから
一般的概念を抽出し、これを「P学」と称すでしょう。
近代的な意味での「知」はこのイメージです。
しかし実際に議事録に表層化しない論者同士の友愛?・優越感・不信感・猜疑心・
嫉妬心・過敏症や不感症は、このフィールドの重要な諸因子(Q)ですが、
現実の「知」の対象としては扱われません。
そればかりか徹底的な合理主義を信ずるならば、
そういった部分は科学的に「存在しないもの」(Q=0)であるとして、
意識的に捨て去る必要があります。
しかし、この諸因子(Q)は天之御名無主氏が述べた「近代の深層」を
構成するものに非常に近い。
「近代」と対立させる際、「民俗」が担うべき領域とはまさにこのイメージです。
したがって超未来型都市社会の中にも民俗は逆説的に見出されることにもなります。
本来的に民俗学という3文字に収めてしまった「民俗」と「学」は
相反するが、ほんとは双生児である2つの種類の知であるわけです。
だから民具からのみ「学」を抽出しようとしても限界が見えてきたり、
新領域を見出そうとすれば他の学問との境界があいまいになったりして、
既存の知の枠組みにこの上なくストレスを与えることになったりする。
(研究者が定義の時点で悩んでしまったりする)
それをどう克服していくのか。
大抵の歳いった先生方は「新しい価値の創出を。」と言いいながら
「若い世代に期待する。」とエネルギー不足を否めません。
そんな古い研究者にもまだ字引としての利用価値はあるかなと嘆じつつ。
「日本の近代」「近代における知」も含めてさらにつっこんだお話したいですね。
今日はどうもありがとうございました。
43 :
天之御名無主:02/02/22 01:46
結局、民俗って、なんなんだろう?
44 :
天之御名無主:02/11/26 14:02
>>42 「日本の近代」「近代における知」について、語ってほすぃ
(^^)