山窩だそうです

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501えびす
>>490,496,499
東沢様、しばらく仕事でレスできません。すみません。とりあえず

>ちなみになんですけど、本当の苗字が「般若」である埴谷雄高氏の故郷はかつて
>福島県有数の箕、竹細工の産地だったところです。

かねがね疑問に思っていることがあります。
「高度の業績をもつ人で、そもそも全くの常民出身の人っているんだろうか?」
という疑問です。その思いを深くしました。

ROMの方へ
「この人は?」などと聞かれても答えられませんので、よろしく・・・(^-^;、
個々の例は問題でなく、一般論として上記の問いを生涯(笑)抱き続けて
いただくと、見えてくる文化構造があるような気がします。
502天之御名無主:02/01/27 03:22
>えびす
 高熱隧道について訪ねたもんですけど。ROMの方は私のことだと
おもいます。そうですとはすぐに言えないくらい複雑な話だというこ
とはよくわかりました。ただ、レイマンですのでちょっと気になって
しょうがなくて。ま、それなりの、たとえばそうであってもおかしく
ないとか、で結構ですんで。このスレ読むまではさんかは河童と同じ
くらいるんだかいないんだかわからないものだと思ってましたから。
 あの小説読んで本筋より山奥に移動していったひとのほうが印象に
残っているので。
503草双紙趣味:02/01/27 09:43
えっ「高熱隧道」ってそういう人がでてくるの?
これは要チェック。新潮文庫もまだオッケーだよね。
504えびす:02/01/27 11:28
>>502
 高熱隧道について訪ねたもんですけど。ROMの方は私のことだと
おもいます。

いえいえ、違います。気にしないでください。
個人名をあげて、この人は?なんて聞かれたら困るなと思っただけで。
505天之御名無主:02/01/27 12:55
>えびすさま。
 そうでしたか。
>草双紙趣味さま。
 ちょろっとでます。吉村昭の本ですからきっとほんとにいたのじゃ
ないかと。400円です。
506500:02/01/27 14:16
>えびすさま
>個々の例は問題でなく、一般論として上記の問いを生涯(笑)抱き続けて
>いただくと、見えてくる文化構造があるような気がします。

ありがとうございます。生まれ故郷が蝦夷の里であり、個人的アイデンティティの
琴線に触れてしまいました。(笑)
先祖が山師ということも聞いております。しかし、なぜか先祖の話は、封印でも
されたかのように霧の中です。明治生まれの祖父母は、他界し詳細がつかめません。
ただ、個々の事例を一つ一つ確認していきたいと思っています。
507王様:02/01/27 14:51
500>蝦夷森(えぞもり、えぞがもり)にはどのような神社があり、
何を本尊として祭り、どういうご利益があるのでしょうか?また
氏子にはどんな方(名前)がおられましたか?
508ケアルイ:02/01/27 15:33
>500の天之御名無主(または506)さん

私は同郷出身者です。私なりの答えですが。。
>素朴な疑問です。蝦夷・アイヌ・サンカは同一として捉えていいのですか?
>解釈が今だよくわかりません。どなたか教えてくださると幸いです。

私は三者異なる、と捉えています。もっとも三者それぞれ一枚岩ではないのでしょうし、
文化的・出自的に密接に関連している、といっても過言ではないでしょう。
ただ、アイヌ民族とサンカは何か交流でもあったのでしょうか。

>30年も前ですが、住んでいた所が、盛岡市上田字蝦夷森という地名でした。
>何か関連があるのでしょうか。知っている方がいましたら教えてください

そこに私の知人がおられますが、現在、上田堤の北、盛岡競馬場(オーロパークが
出来た後は使っていないんでしょうかね?)の北の界隈とです。現在住宅地です。
同じ地名は二戸市仁佐平(にさったい)南の、軽米町に行く峠の途中にもあります。
具体的に何ゆえかは存じません(すみません)。しかし関連がないわけはないと思います。

エミシというものは普段無視できるのかもしれませんが、私には「根っこ」である
と感じています。よく洞察され探究されれば、いろいろぼんやり見えてくると思います。

>出来事の事実関係は抜きにして、アテルイ・モレは、誇り高い蝦夷の実像に迫
>っているのではないかと思います。いかがなものでしょうか。

どうでしょう?
私にはみな押しなべて、依然としてエミシについてよくわからない、「発想」、
「エミシ側の視点で理解する」という点で絡みとられている、というのが現状ではないのでしょうか?
また、その認識・自意識が反映されてしまっている、と見たほうがいいのではないでしょうか?

小さい頃からエミシという祖先代々の伝承を生活と共に語り伝えてこられたわけ
ではないと思うし、伝える家があっても普段巷に流れる情報はそれを風化し、否
定しさろうとする作用があるかのようです。(もっとも内在してもいるか.)
故に分かっているとは言いがたいのではないかと。しかし、そこが出発点であると私は考えます。どうでしょうか?

もし、自意識として系譜を感じられるのでしたら、それを大事にしてください
(消えるものでもありませんが)。同じような思いを抱いている人は多くいると思います。

自系譜の探究は困難ですが大事な取り組みと思います。とくにエミシの系譜は困難でしょう。
文献を鵜呑みにしては袋小路です。

また、マクロの地域史と密接に関わっていることもご留意されたらいいかもしれません。
それは、例えば江戸前期の領主権力は神社の縁起を「整理」して田村麻呂伝承
(「大武丸討伐」を代表とした)を縁起に塗りこんだようですし、奥浄瑠璃の「田村三代記」
でもっても伝承を広めていったようです。この辺り、「系譜への干渉」が見え隠れしている
ように見えます。どうでしょうか?
509天之御名無主:02/01/27 18:58
 ごめんなさい。ド厚かましいおたずねした教えてくんです。
調べたらどうも高熱隧道ではありませんでした。どうも同じ頃
読んだ水の葬列のほうが正しいようです。これもチェックしと
きます。ただ在庫がないらしいんです。すみませんでした。
510天之御名無主:02/01/28 02:54
サンカってジプシーに似てますよね。東沢さんは巫女の血脈みたいだし。
あと、まだ出てないと思うので、書いておくと、半村良のムスビノヤマ秘録
(漢字忘れた。)もサンカをイメージした作品ですね。泉鏡花賞作品。
511王様:02/01/28 12:24
蝦夷森の地名について。
民俗学の宮本常一は、山や峠の麓で、往還や脇往還沿の集落は物運び者の
地もあるといいます。地方により「荷駄」「ボッカ」「荷持」「持子など
と呼ばれています。この中に居着きサンカが含まれるのは当然でしょう。
矢切止夫はボッカは修験配下のサンカとしています。山名に森がつく地方も
ありますが、四国では修験の集落の場合もあるそうです。個々の集落の調査
をしないとはっきりはしないでしょう。
512王子:02/01/29 13:50
東沢美史さん、はじめまして。
>ポスト構造主義の宣伝マンだった栗本慎一郎氏

 王様に紹介頂きました。この項の論旨には、全く異論はないのですが、
 栗本氏は、当時のブームの中にいたのは確かですが
 ポスト構造主義ではありません。
 (ポスト構造主義じゃないから偉いのだとかいう意味ではないですよ)
513:02/01/29 16:27
キチガイ電波スレ。
「矢切」だってよ(大藁
八切だろ
514天之御名無主:02/01/29 18:55
キチガイ電波レス。
「大藁」だってよ(笑
大笑いだろ

というのと同じ位アホらしい…
515天之御名無主:02/01/29 20:54
八切さんに大変失礼しました。矢切でなく八切です。うっかりし
ておりました。八も矢も谷も野も歴史的には同意ともいいます。
 東沢さん、古くなりますが教えて下さい。
476>伊治城周辺ほどサンカの歴史、信仰、竹細工、武具作りが
かつて色濃かった、とありますが
ここの竹細工の特徴は、またその痕跡は何なのでしょうか?
486>宮沢遺跡近辺をおシラ様(お雛様)と、云々とありますが
 オシラ様の痕跡が多いのでしょうか?また関西では道祖神として
たりする所もあるようです。また久那戸神もあるのでしょうか?
またエミシ末裔の多いところでしょうか?
>金の噴出口を存在する場所を、大地に北斗七星の形に神社や井戸
を祭り示して信仰、とありますが
 ご存知<つもさん>の掲示板1月26日古代の夢にある、早池峰信仰
施設を直線で結ぶと星型になる、書いています。何かお考えはありま
すか?
>中国地方でもウズメを祀る社や祠があれば鉱山のある場合がありま
す。娼婦の職業神と考えていました。ウズメは小野氏と合体した猿女
一族に関連していたと聞きます。猿目一族は愛知の鳳来寺山で家康が
邪魔になったので配下の山岡一族に殺させたそうです。東北でも同じ
部族でしょうか?また何処からか移動してきた伝承はありますか?
516東沢美史:02/01/30 00:30
>>512の王子様、そろそろ深夜ですがコンニチワ!。
ココへは初めてこられたのでしょうか?
この番号周辺の書き込みをお読みになられるときには充分御警戒を。

サンカやサンカのシンパの連中がスレッドのあちこちに魅惑的な黄金にまつわる
美文などを散りばめては、いまかいまかと新しい人が参入してくるのを
待っています。

金鉱山など景気のいい話しに誘われて入りこまれた人々を
サンカの魅力の底無し沼に引きずり込んで
2度と常民の世界へ戻れなくしてしまおうっていう寸法らしいです。

なかには皆さんが山窟についていろいろ真剣に研究成果を発表してるところへ
突然やって来て、俺はサンカの子孫だなんて自ら名乗り出て、
口当たりの良い事ばっかり言ってた東沢なんて野郎がいますんで
特にお気をつけください。

世界一の金鉱山は北斗七星の形に地上に配置された神社の先っちょの剣先の
指し示す北極星にあたる神社が、金の噴火口だなどと
東北サンカの大秘密をバラしては、仲間サンカを喜ばせ安心させ逆に
他地域のサンカから黄金の眠ってる隠し場所の
神社の情報を喋らせ盗みとろうってのが手口らしい・・・。
抜け目ないサンカの上をいくサンカであるわけだ、そいつは。

加えてなんでもこの東沢に竹細工や箕の注文がドシドシ舞い込んだらしくて、
(そういえば、いつもメルアド公開してたっけな)
これらの金鉱山情報でカナリの大金持ちになり最近は大ホラが功を奏してなんでも
金のシャチホコ付いた「2ちゃんねる御殿」が建ったていうもっぱらの噂です。
・・・嘘だ!信じられないって?・・・本当のホントです。
当の本人が言うんですから、きっと間違いありません!!!!!。

・・・王子様、びっくりなさいましたか(笑)。
最近、あんまりに竹細工売りでの景気が悪いんで一発、パーッとかましてみました。

栗本慎一郎はポスト構造主義者じゃないっていうことでしょうか。
私が読んだのでは「鉄の処女」で構造主義やポスト構造主義を解りやすく解説を
していましたよ。登場人物の蓮見重彦、浅田彰、山口昌男、中上健次、吉本隆明を、
高橋春夫が漫画で描いたりしていて、やさしく現代思想やフランスの哲学を解説してた
ような記憶があるんですが。

ブダペストだったかのポランニー兄弟の経済人類学とかなんとかいう学問分野を
彼が理論的に発展させた「パンツをはいたサル」を書いてたから
経済人類学者というのかもしれませんが。
そういえば、彼は浅田彰のポスト構造主義とはこんなにも違うと
自分の研究成果をムキニなって説明してたっけな。

まっ、そんなことはどうでもいいでしょう(笑)。(笑ってごまかしてます)。
この今の高度資本主義社会の日本が崩壊して、電気、ガス、水道が止まってしまって
日本人のほとんど全てが農民に戻っても・・・大丈夫、
サンカがこの世に居る限り、充分幸せに暮らせます。

農作業に必要な鉄の農具や刃物はサンカが鉄鉱山を知ってるし、世界に
誇れるハガネを使って「ひい、ふう、みい」と野鍛冶ができます。(誰か様の受け売りっぽい、笑)。
テレビやパソコンなどの楽しみがなくとも
漂泊する芸能人が門付けにやってきますからチットモたいくつしません。
金鉱山で身につけた井戸掘りで、飲み水もおいしく大丈夫です。

サンカは、電気がない世の中になっても列島の人々を安心させる
最先端の「経済学」を超える『知恵』を身につけています。
517えびす:02/01/30 00:36
>>513,a様
ご指摘ありがとう。
一発変換で「矢切」と出るので、変だなと思いながら私もうっかりそのまま。
これは「矢切の渡し」用だった(笑)。

どこかで、ご本人が「八を切る」意味だと書いていたし、
ご指摘どおり、八切です。

もっとも、その名の意味はいまでも実はよくわからない。
八を切るのをとめる(止夫=これは一発)という意味だろうか。
ついでと言っちゃなんですが、教えて下さい。
518えびす:02/01/30 00:46
>>496,東沢様
>反論は、たとえ相手が戦後日本を代表する思想家であっても、新しい見解
>が生まれて来る可能性がありそうだし、やめられません。
>でも決して吉本氏を批判しているつもりはありませんので、あしからず。

私も吉本信者じゃないし、批判的な側面もあります。
人間って2通りあるんじゃないか、という気がすることがありますね。

むかし知人との間で吉本隆明『言語にとって美とは何か』が話題になったとき、
「吉本って何様だと思ってるんだ」という人がいてキョトンとしたことがあります。
某大学美学科を出た人でしたが、その人にとっては、真偽は論の中身ではなく、
「ナニ様が美を論じているかで決まる」という価値観だったのでしょう(笑)。

給田をご命令通りに耕して、代々年貢を納めてきたのが誇りの常民の末裔でしたが、
無意識に権威依存型になるんですね。こんな人も居ないと世は安定しませんが(笑)
何様でもないのに新見解なんて、という価値観は常民タイプに任せましょう(笑)。

ニューアカやポスト構造主義は、私はほとんど無視してきたのでよくわかりません。
なにしろバブル期だし、ファッションと同様、流行りすたりはどの世界にもあって、
これも隣の田んぼをいつも気にする方々に任せていいんじゃないでしょうか(笑)。

それよりやっぱり気になるのは、国家を作らず、つまり暴力の統一体制を作らず、
騎兵隊に惨敗、その結果、ほとんど皆殺しになった北米インディアンの前例です。
また実質統一のない部族地域であるために他国に振り回されたアフガンの惨状です。

「統治されず統治せず」の理念を貫くのなら、戦いに負けないシステムを作るか、
一見負けたようにみせて、いつの間にか戦勝国の実権を握るか・・・。

王様が書かれたように
>国民国家に代わる何かの形を作る事こそが21世紀の課題かもしれません
と思います。

すべては思い立たないと始まらない。
先例のある東北で21世紀ずっと生きる若い人に志を立てて欲しいですね。

519王様:02/01/30 23:51
517>>えびす様
>どこかで、ご本人が「八を切る」意味だと
八切は「八」を、日本原住民で反仏教徒で、ヤ・ヤ衆・八幡・蜂屋
など天の朝人の祇の民で、また八つとも呼ばれる。江戸時代は祇・堂
・稲荷などの紅殻色の拝み堂に関係。など「八」の解明をしたとして
八切と自称したようです。ここまでは私不勉強で理解に苦しむところ
ですが、「八」の呼称は地方により20近くあります。例えば竹細工
する関係では、豊後の鉢、丹後で竹細工、丹後・京で茶筅、紀州で八
節、出雲・芸州の蜂屋などがいたようですから、興味のある所です。
 なお八切の本名は矢留で、戦国時代に戦の休戦に入るために笹付の
竹をもち「矢止め!矢止め!」という事を触れ歩く役の者がいたそう
です。その子孫が矢止というわけです。九州柳川市に戦国大名の立花
氏の奥方の女傑の名に因んだ建物「お花」の近くか、矢留本町があり
ますが、彼らの住地だったのでしょうか?応仁の乱の時代に足軽とし
て動員された山賊やの上州新田郷の乱波・素波(サンカ忍び?)など
賤民を、露払いと呼んでいて、エミシ・俘囚の末裔ともいってます。
520クズシリ:02/01/31 02:00
何箇所が読ませてもらいました。面白いね。ところで、ハラコの人いますか?
もし、よろしかったら、タマゴトを聞かせてはいただけませんか?
固有名詞は○○で省きつつ……。
521東沢美史:02/01/31 02:10
>>515天之御名主様という名前でご出席の王様、
さっきまで田中真紀子外務大臣更迭のニュース見てて興奮してますので
今夜は簡潔に答弁させていただきます。

伊治城に来られれば一目瞭然です。矢になるであろう竹がありました。
竹細工は箕と目かご類と人魂型のスイノウだったはずです。
すぐ近くに弓作りしただろう弓削氏の名が古代の古文書より確認できます。
もちろん黄金伝説で全国の信仰者に名をとどろかした毘沙門様がいます。
最後まで世界一の産出量を示すこの黄金信仰の遥拝の地区は伊治城の
少し西南に人里離れてあります。最後まで縁日で黄金示す竹細工を
売っていたのが私の両親でした。

宮沢遺跡はオシラ様を持って遊ばせたり旅に出る
近江の多賀からきたであろう小野の巫女
一般に「こまち」という、ウズメの信仰の地です。
ここも有名な古代の巨大な水城だったと聞いてます。
くなど、ふなどはよく聞きますが、詳しくありません。

「早池峰信仰と☆型」の神社などの配置と「北斗七星と紫微宮(中尊)」の配置は
別に考えす。伊達政宗が仙台に示した☆型は同じモノです。
高橋克彦の小説も結局その☆型、つまり5つか6つの神社などで示します。

ウズメが世界一の産出量を示す北斗七星の形に神社を配置して
死んだアテルイや安部貞任、源義経などを新しい御霊、つまり新王として
甦らせるのための神社は普通7つか多くは8つくらいです。

これだけはウズメのウズメたる重要な祭祀です。金鉱山や竹細工などで
はっきり、子供にでもはっきりわかるように示されてます。
竹細工の産地は特に強烈です。
竹細工の風車作るところも注意されたいです。東北は宮城、新潟の産地の
風車を知っていますが、本数いろいろだが「8」が本来との意見も聞きました。
気になるのは九州の八女、八代なんかです。

東北ではご存知、全国に知れ渡った坂本竜馬が通った道場で有名になったし
平泉陥落させた頼朝の配下「千葉」家の妙見菩薩の信仰にも名残を残します。
522東沢美史:02/01/31 02:33
メールでお知らせいただきましたのと、おなじような政治家を指すだろう
書きこみを何度か見かけてるんですが、現在の日本の総理と外務大臣が
素晴らしい歴史を持つサンカの仲間であると読めるのですが・・・?。

更迭された田中真紀子外務大臣が私達と同じサンカの仲間だったら・・・
いいのになぁ。
筋を通す、嘘はつかない、話しに内容があり面白い。
人よりも何倍も真剣に誠実に行動してるのに結局、
外務大臣としての「クビ」を切られる。
悪いことなどなにもしていないのに、
無実の罪を着せられてたかつてのサンカみたいです。
523東沢美史:02/02/03 12:12
私の家には竹細工売りに東北を中心に全国を廻ってる人達が竹製品を買いに来ます。
東北の竹製品は北海道や九州にも少しですが売り子さんや行商人の方達に
よって販売されています。

家に来る皆さんが得意先の話をしてるのを聞いてると廻る家の建物の大小や職業
傾向がイロイロ違ってます。

普通竹細工の門掛けは民家を中心には廻りますが、仲間のみんなに言われて気付いたのは
私の家のように政治家や選挙事務所を寄って歩く竹細工売りは少ないということです。

明治生まれの祖父は政治家の家に売りに行った日は必ずその話しを帰ってから
してたものだし父も売れなくて調子が出ないときは有名な県会議員とかの家に寄って
気分転換してからまた民家を廻ることよくありました。

政治家の家は買ってくれる確率が高いし、話しの面白い人が多いし選挙参謀の中には
文化人みたいな人もいて寄りがいがあります。
家にきた滋賀の竹細工売りは全国の選挙事務所や政治家の家専門に廻るとの話しを
聞きましたがなるほどなあと思いました。

仲間の竹細工売りは政治家の家は廻らないようです。でも私はやっぱし親譲り
なのか一般のサラリーマン世帯を廻るのは今でも恥ずかしいし苦痛なのに、政治家や
選挙事務所の家に入っていくのはわりと気持ちが楽で、
むしろ気持ちがウキウキするくらいなんですね。

この汚い恰好で「竹細工なにか要りませんか」と玄関で聞く私に、どんな反応を
示すか・・・面白いです。あからさまに差別をしたり「来るな」とも言えず
丁寧に「要りません」と断わられるんですけど、同じ断るにしても断り文句に
風格があったり、私に「遠くからよく売りに来られましたね」などと恥をかかせ
ないように言葉を掛けられたりすると売れなくても良い気分です。

父は1950年代頃門掛けした先の泊めてくれる民家の方が農民運動してたのに
感化されて社会党支持でしたので30年間くらい県会議員の家を得意先にしてました。
でもやはり竹細工を買ってくれて、私達を惨めな気持ちにさせないように言葉をかけて
くれる政治家の数では自民党や無所属保守派の議員さんが圧倒的に多いですね。
家に上げてくれるのも自民党系の議員さんがほとんどです。父は平気で自民党の国会議員の
良いところを何気なく話しの流れに入れて結局あとで一万円くらいも買ってもらうことは
なんどもありました。

日本共産党の市町村の議員さんは家が分かりやすくて安心です。共産党って地方では
知識階級というかインテリや文学好きの方とかいます。初めて売りに行くと
私に警戒心を持つ人も多いですが、いまは家に上げてくれる人も何軒かあります。
共産党は個人的に大の苦手なんですが、竹細工売りにいくぶんには平気なんです。
父は共産党の行く先々の議員さん方々を好意的に思ってましたが、
「商売にならない(金額的に買う額が少ない)」と長居はしませんでした。

新聞で4年ごとの各市町村自治体の議員さんの選挙の開票結果を見るのは
興味深いです。選挙に関係ない私共への応対にさえ丁寧だった家の議員さんは
やはり上位当選してます。
524天之御名無主:02/02/04 13:57
522>>東沢さん ありました。
http://ton.2ch.net/rights/kako/993/993786131.html
 これからみると猿のいない猿回しというのはいないと
思いますが。
525えびす:02/02/05 12:56
>一見負けたようにみせて、いつの間にか戦勝国の実権を握るか・・・。
でしょうか。
526えびす:02/02/05 18:20
>>519
王様、「八切」の説明ありがとうございました。

八切さんが「八」に共感を持っていただけに
「八切」という自称が解せないきがするのですが、
どこかで理由を書いていたときも(もう本が手元にない)
ぼかしてあってよくわからなかった。

いま思い出すと、八の女性に惚れられて、困って、逃げ出すために
縁切りの「切」を使ったとも取れる表現があったような・・
うろ覚えなので、違っていたら、あの世の八切先生ごめんなさい。

>>523
東沢様
>家にきた滋賀の竹細工売りは全国の選挙事務所や政治家の家専門に廻るとの話しを
>聞きましたがなるほどなあと思いました。

すごい政治・選挙情勢情報ですが、それを集約する人もいたのでしょうか。
527犬娘:02/02/06 09:53
 はじめまして
「矢切」の名前の由来についてですが、矢切の「切腹論考」のなかに
切腹の古語が、「八付」が「八切り」ともいわれ・・・とありますが
この「切腹」の「はらぎり」から名前をつけたと書いていたような気
がします。


528えびす:02/02/06 13:50
>>527
犬娘さま、ありがとうございます。
「切腹論考」は読んでいませんので、初耳でした。

つらつら思うに、みんな当たっているのかもしれません。
日本には1つの言葉に二重三重の意味を持たせる文化伝統があります。
掛けことばとか、和歌の本歌取りとか、連句とか。

八切さんがそれを知らないわけがない。
1つの言葉に1つの意味、という近代欧米風な考え方こそおかしいと、
あの世の八切さんは、苦笑してるかも知れないって気がしてきました。
529東沢美史:02/02/07 01:07
>>542の天之御名無主様、わざわざありがとうございました。
「サンカは影の支配者か」コッチのほうが日ユ同祖論とか出ててスリリングでしたね。
フリーメーソンとか・・・(笑)。
私が北上川で野宿しながら竹細工の門掛けしてたとき、花巻警察署に捕まってしまって
困ってたときに助けてくれたのが見ず知らずの立派なひげをたてた
おじいさんで社会党の議員をやった人です。
岩手の政界で知らない人はいないくらいの名士です。

この方のフリーメーソンの話しはとても面白かったですよ。
このおじいさんの家に10年以上住まわせていただいたんですが
一番驚いたのは石原莞爾の用心棒を死ぬまでしてた方だったことです。

私がそのとき27才でしたが、泊まると来なくて野宿してた私のような竹細工売りを
好奇心から面倒を見てくれるひとなんて・・・やはり大物しかいないんだなって
そのとき思いました。

それからは私は野宿をあまりしなくなったんですが、最近は道の駅と言うのが各地に
あるのでそれは利用しています。

みなさんサンカなら瀬振りしろと言いますが、実際には出来ないでしょう。
必ずといって良いくらい深夜でも警察はパトカーで来ましたよ。
1988年頃までの岩手県警です。
45才くらいの隣町の竹細工売りもやっぱり警察に注意をされて、イヤケが
さしたかそのとき以来やめています。
530東沢美史:02/02/07 02:24
訂正
「サンカは影の支配者か」は>>524でした。
どうしてこの掲示板が閉鎖になったんでしょうね。

>>526えびす様
この方は家にきたときは背広を着てきたんですね。
私達は生涯背広は着ないし、東北の竹細工売りで背広を着て売りに
歩く竹細工売りなんてみた事ないんですがね。

でもなぜか家に来る竹細工売りのうち関西、九州方面のみなさんそう言えば
ほぼ全員背広にネクタイを付けてかご、ザルなんか売りに来ますね。

選挙事務所を廻れと教えてくれた滋賀の人は注文が入ったら三千個でも
三万個でも竹細工品を用意するから売ってくれとのことでした。
4年に一回の国政選挙は特に儲かるんだそうです。今から10年くらい前の
話しです。そのころまだ100円均一の店って珍しいころでして
アジア(国名は伏せますが)の廉価な竹細工が日本ではかなり高く売れてた時期
でした。これがまだ珍しい品だったんで有権者に効き目があったんです。
台所の水切りにも使えて主婦には印象深い品物にもなります。

都会では有権者が告発すれば選挙違反になりますが、東北、農村は特に
選挙のとき立候補者からなにももらわない、食事会にも呼ばれないということは
家としての信用が無いっていう恥ずべきことなんで、立候補者は
実際は安くて大量に配れて得票に結びつく竹細工品に目をつけたようでした。

候補者の選挙対策本部から一気に大量の注文が来ると莫大に儲かるからとの
ことでしたが、父は全く乗りませんでした。

その方は自ら社長と名乗ってて、芸能番組の司会者みたいな
華のある方でしたが近江の行商人の流れかとおもいました。
東京、大阪など都市部専門の竹細工の行商人は滋賀や富山が多かったです。
滋賀の竹細工売りは来なくなりましたが、富山の行商人の方は今も
東北で作られた竹細工品を仕入れに家へこられます。
531えびす:02/02/07 02:36
>>529
東沢様、思わず聞きたくなってしまいました。すみません。
その石原完爾の用心棒をやっていた岩手県議会議員の方は、
いまもご存命なのでしょうか。

(多くある中の1つ、某石原完爾研究会の世話人です・・・)
532東沢美史:02/02/07 04:11
>>531 えびす様
その方の花巻のお店を倉庫として借りて、門掛けしてましたが
3年前に引き払ってきました。
そのときは元気でご活躍でした。
石原莞爾関連の書籍にも名が載っています。
記念碑も花巻市にお建てになられました。

骨董品の中
マルクス主義の講義を3時間ぐらい熱心に聞いた私にはご褒美として
関東軍のはなしとかに入っていくというようなとても楽しい方ですが
詳しくは・・・ここでは言えませんのでメールくださいね。
533王様:02/02/07 08:28
530>>東沢さん
「サンカは影の支配者か」は>>524でした。
どうしてこの掲示板が閉鎖になった?
分りません。最初の全文は熊野ライフ10〜11月頃に
のっていたようです。
534犬娘:02/02/08 20:09
今、読み返しましたら「八切さん」を「矢切さん」と誤字
失礼いたしました。
535王様:02/02/09 18:37
529>>東沢さん
>フリーメーソンの話
古い話ですが、第二次大戦を終結させるため連合国軍は日系米国から日本
史の聞き取りを大々的に行い、「戦争終結に協力してくれたなら日本を5・
6世紀の倭の国のようにして政権を譲る」と日本原住民組織に約束した。
戦後連合国司令官マッカ−サー(フリーメアソンNo2)は中ソとの緊張高
揚の予兆もあり、天皇勢力が意外に強かったので、約束をホゴにしたとい
う話を読んだ事があります。確か八切止夫も書いてたようですが。
 原住民組織とは出雲・新羅系サンカで、一方天皇制を望んだのは百済
系サンカではないか、と憶測してます。すなわち明治頃か?サンカも組織
分裂?があったのでは?状況証拠は、日系米軍の動向・沖縄秘密戦・米軍
用の日本国内地図作成・サンカへの弾圧などがあげられるでしょうか。
536天之御名無主:02/02/09 19:51
日本原住民組織?そんなものあったのか?
しかも、新羅系のどこが原住民なんだ?
537王様:02/02/10 15:09
536>>
 質問でしょうか、それとも抗議ですか?
 質問と考えてお答えします。
 日本原住民・日本先住民には戦前からいろんな
定義があります。菊地山哉や八切の定義に近いものを
考えています。まとまった八切流の定義は
 大田龍『日本原住民史序説』にあります。
朝鮮や中国大陸からの移民でないそれ以前の先住民を
いう場合もあり、例えば古代出雲人の系譜です。
戦前のものでは藤原氏の『日本先住民史』があります。
538天之御名無主:02/02/10 20:56
出雲系が先住民だというのは、わからんではない
しかし、それの間にに第二次世界大戦を終結させるだけの力を持った
組織があったのか?
そんな組織があるならば、なんらかの文献史料などが残っているはず
だが、それを根拠として出せないのか?
539東沢美史:02/02/11 00:00
>>537の王様
いよいよ核心に迫ってきたかもしれませんが、大東亜戦の頃はすでに私の家への
軍首脳部からの直接の調査はないとおもいます。
軍による民俗学の調査は明治30年代頃ではないかと
当時の民俗学調査の学者の名前などから推測してます。

以下は矢切氏の著作の内容とかけ離れてるかも知れませんが、意見のべてみます。

大きく約しますが明治政府が一番求めていたのは「金」だと私は推定しています。
東北の口寄せ巫女の祭祀する黄金の地をなぜ軍が利用したか。
民俗学の皆さんが「シャーマン」というこの神卸しは、ときに鬼神を甦らせます。
その実際の大きさは岩手の水城(推測)で300メートル×200メートル位は
あり巨大な古代の城です。
政府、県側は調査して解ってるのに一応伏せておいてます。
(私の間違いかもしれませんが、現地は見ました)

この後の黄金の奥州藤原王朝に連なる安部家とはいったい出自は何処なのか。
新羅なのか百済なのか、イタケルノミコトは新羅?阿弥陀仏は百済?
などなど信仰面から探る事は可能でしょう。
しかし私は東北の口寄せ巫女達はこの戦乱から人の生き死にの信仰にかかわるこの
世界一の黄金を見事に守りきったと思ってます。

千葉県の海上の東夷(または扶桑)島、下北の恐山。
このような事が明治期以降、中国地方、九州まで行なわれたと私は東北での例から
推測してます。

東北で「ザル」売りは鬼(東北でのウズメ達内での意味は鬼神を意味する)の
仕事です。世界一の産出量を誇る黄金を竹細工は編み込みんでると私自身は
考えてます。ザルの縦数が数えられるのは鬼(鬼神)だけ東北では言われてきました。
「縦」=「楯」。人がいつ死ぬか鬼神だけはわかります。
(岩手では鬼、宮城は鬼神がいずれも鬼神を意味します、京都では鬼、へたすれば
鬼神まで邪悪な鬼に意味付けてしまいます)

太田田根子にそっくりの地名も周辺に存在します。
第2次大戦を集結させる力があったとすれば、わたしたちサンカと同類のウズメへの
強制的、脅迫までして聞き取り調査敢行した軍などの組織を私は考えますが。
まあ、いずれにしても「金」の価値が下がった今では
リアリティーに欠ける話しかも、しれませんね。

太田竜がその辺書いていたんですね。
彼の本はしばらく前に1冊よんで、読むのをやめましたが・・・。
菊池山哉の「天の王朝」は一度図書館から借りたけど分厚くて解らなかったけど
・・・また挑戦してみます。
540天之御名無主:02/02/11 01:02
なんとなく懐かしいですね。
実家が岩手県一関ですが子供の頃一度だけ
竹細工を売りに来た人を見た記憶があります。
サンカと言う人たちの存在は小学生の時に読んだ
椋鳩十の動物小説シリーズで知っていましたが
全然それと結びついてませんでした。
541東沢美史:02/02/11 18:56
一関市へは毎年、民家を中心に寄らせていただいてます。
奥羽須川のふもと端山から東は弥栄まで。
北は山ノ目周辺から南は鬼死骸地区まで満遍なく歩いてます。
両磐はもともと竹細工品を多く利用しますし、なにより竹細工を好まれる
人々が多い地域です。

また我々竹細工品を作り売りに歩くものへの差別、偏見が全く無いといえる、
人心の明るい地域です。
私の家はもともと萩荘でしたが明治の頃は山ノ目で造り酒屋をしてた家です。
阿部家の講中で栗原へ行き来してるうちに竹細工をしてたオガミ様(口寄せ)の家に
養子に入りました。私自身はその4世代目です。

この一関及び周辺地域の民家の皆さんは竹細工売りに対して違和感を抱きません。
地区によっては一年開けて行くと「なんで去年来ながったの」などといわれるくらい
竹細工の門掛けは毎年この時期に来るもんだと思ってる集落もありました。
こういった、風土が育まれたのは
なんといっても黄金の鬼神『アテルイ』の砦(とりで)巖谷堂(岩谷堂表記も)が
ある地域だったからということが影響してるのかもしれません。
私にとってもかなり楽な気持ちで廻れる地域です。
542はと:02/02/16 08:30
東沢さんの言われる星の信仰をしばらく調べていました。
何故北斗七星や北極星に関する信仰が一般的ではないのか?
なんと1番残っているのは、天皇制の中でした。
天の皇=北極星=太一神だったんですね。

でもウズメ教と天皇制は、どうもしっくりきません。
巫女さんの役割は、どこに行ってしまったんでしょう?
アイヌ民族の信仰との、つながりもわかりません。アイヌの
シャーマニズム、巫女のアマテラス信仰(卑弥呼)、天皇制の太一信仰。
仏教と儒教はルートがはっきりしているので、他の信仰も民族と一緒に
大陸と半島から入ってきたのでしょうか。?




543はと:02/02/16 09:24
542はそらです。
544東沢美史:02/02/16 22:42
東北の私達ウズメの信仰者などは、明治期から今まで徹底的に弾圧、迫害の対象でした。
おとなしい平和なそれでいて信仰者人口が一番多く活気があり、人気が高かったからとの理由も
ありますが、文明にそぐわない迷信で人をだましているというのが権力者側の言い分でした。

しかし実際にはそのウズメに民俗学調査の名の元に科学的な信仰のこの口寄せ巫女達の
黄金のありかを示す祭祀の内容を聞き出し、横取りしようとした組織こそ
この明治期の軍部の一部の軍人たちだ考えています。

ウズメの信仰者、口寄せ巫女の地には、「旭日」「夕日」「長者」に関する古代からの言い伝えが
数の限りないほど陸奥の国にはあります。もちろん朝日に手を合わせますし、
太陽陽信仰の面、東を拝むし、西を拝む(阿弥陀様と2重の意味か)こともあります。
ただ皇室よりは北斗七星(北辰)への信仰や北極星(紫微宮)への信仰がそのまま昔ながらに
剥き出しになってるのかなとはおもいます。

伊勢神宮のご祭神アマテラスオオミカミは太陽神と普通考えられています。
しかし「太一」はご指摘の通り北極星を表わします。もちろん北極星、北を最上と
考えてる星信仰のようです。伊勢神宮に対して多くの国民の皆さんは星信仰の印象を
持ってなく、知ってる一部の人々は不思議ですからいろいろ憶測をするのかもしれません。

日神太陽信仰の一族が北極星と北斗七星、星辰信仰の一族を絶滅させたか
追い払ったかして、その祟りをおそれて太陽信仰の一族がが今でも北極星を祭祀してるの
だろうとか、太陽信仰の一族はもともと星辰信仰と両方を信仰してたかもしれない
とかいろいろ考えられるのかなと思っています。

サンカの信仰の形態が今一つ明瞭でないです。勿論、私の知識不足のせいもありますが
ウズメの信仰で詳しく説明できれば、サンカの信仰が連想ですがわかるような気がします。
お伊勢まいりに行く時、「あまてらすおおみかみ」に拝みに行ってくると言いますでしょうか。
私の家の神社などウズメに関するところは伊勢の宮でも社格制度で「神明社」となってますが、
だれも「あまてらすおおみかみ」に行くって言う人なんか聞いたことは無く
みんな、ウズメにお参りに行ってるはずです。
545東沢美史:02/02/17 10:06
昔の人の星空にたいする捉え方と現代の科学知識を持った我々の天体に対する
捉え方は違います。科学知識を持たない人達は「天」が「海」と感じてたかも
しれません。昼は「青い」、夜は黒く暗い中に点々光る星と波の照り返し。
「天」と「海」が一つながりに感じてかもしれません。
「天あまの」「海あま」ジックリ考えてみたいです。
546天之御名無主:02/02/17 10:08
sage
547天之御名無主:02/02/20 19:11
椋鳩十が山窩の出で
戦前に山窩についての小説を書いたら当局から発禁を喰らい
結果児童文学作家になったとか聞いたが
その小説って現在読むすべは無いんだろうかな。
誰かリアルタイムで読んだなんて方は…2ちゃんになんて来ないか。
548天之御名無主:02/02/20 23:38
547>>
 椋鳩十『鷲の歌』などは発禁になったなった本ですが、図書館にいけば
あります。ネットで探せば殆どが「荒鷲の唄」ですが、よくさがすと
『鷲の歌』があります。東北にいないことになってるサンカについては
田山花袋『帰国』がありますが、これも発禁になったものです。
 この『帰国』は掲示板熊野ライフにも紹介があったようです。
549547:02/02/21 01:18
>548
さんくす
勉強不足でした
550犬娘:02/02/21 21:31
547 548さん

椋鳩十「鷲の歌」「山の恋」「椋鳩十の世界」

理論社で電話注文できます。
各1200円位です。  電話03(203)5791
電話番号違っていたら調べて下さいね。

551天之御名無主:02/02/28 14:29
age
552天之御名無主:02/02/28 14:32
  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   
〜′,,,,,,,,,,ミ ゚Д゚彡<  
 UU"""" U U   
553天之御名無主:02/02/28 14:33
わん
554天之御名無主:02/02/28 14:34
にゃん
555天之御名無主:02/03/05 21:23
http://kisarc.com/

リンク先にそれらしきものが、、。
556東沢美史:02/03/06 00:53
「半村良氏、死去」の報道には力が抜けてがっかりしました。

>>510さんの紹介があり、大型新古書店やオークションサイトで
半村良の推理小説たくさん手に入れたので
2月下旬はこれらをパラパラ流し読みましてました。

特にサンカを意識した小説ではオシラサマが登場したり、
日露戦の頃の大尉が「黄泉の国」につながる洞窟のようなものを捜してたりという
一部私が書いたウズメの信仰者に共通しそうな内容のストーリーでした。
毎晩、読書してた最中の訃報でとってもくやしいです。
サンカ情報はどこから聞いたのか「神道拾遺」とは何を元にかいたのか
もっといろいろ知りたかったです。

三角寛、柳田国男、田中勝也、五木寛之、八切止男、警察など
研究者、小説家、組織によってサンカ感は様々です。
この方々はウズメとは似てるところもあるけど、ピッタリと合わないの部分も多く不安でした。

でも半村良がオシラサマや「洞窟」らしきものを重要なモチーフとして小説に組みこんで行ったのにはドキドキさせられました。
彼自身による参考文献や解題はやっぱり読んでみたかったです。

妖星伝」は少し読んでいましたが「産霊山秘録」をご紹介いただき>>510さんには深く感謝いたします。
557犬娘:02/03/06 18:18
半村良さんが亡くなられたなんて知りませんでした。
残念です。
558天之御名無主:02/03/07 16:02
で、2月に現地へ行くと言っていた金太さんはどうしたんでしょう。
スレがあがっているので書き込めないんでしょうか。
559少将名彦名:02/03/10 23:48
本題にはあまり関心はないのですが、スクナヒコに興味があります。
本題は金太氏の韓国サンカ発見記ですが、質問が不自然ですね。(例え
ば、一般の旅行者同士でも話し始めに話題になる出身地の質問がない。)
その他、「毬と殿様」は昭和四年の作曲で、大正生まれの老婆が
子守唄のような感じで歌うのは、かなり疑問が残る。など、金太氏
には申し訳ないですが、私としては信憑性を疑っています。

ただ、御岳信仰で、スクナヒコが一番えらいという記述には、心を
揺さぶられるものがありました。オオクニヌシを、個人名ではなく
役職名だと考えると、神話に出てくる人はそのうちの一人だろうと
思います。スクナヒコというのも個人名とは思いませんが、国造り
に携わった技術者集団であろうことは推測できます。
そして、岐阜県周辺と関係が深いですね。技術系でいえば、飛騨の匠
とか、富山の薬などあります。歴史的にも、大海人が一散に目指した
土地でもあるし、両面スクナとか、反大和朝廷の牙城のような位置に
あると思います。思えば、小泉首相成立のきっかけを作ったのも、党
選挙を提案した岐阜県議の船戸氏だった。

そんなわけで、スクナヒコ系というのは、日本のルーツとしてかなり
コアなんじゃないかと思うのです。が、不勉強ながら、総本山という
ものがないような気がするんです。岐阜県かその周辺にあってもよさ
そうだと思うんですがね。どうなのかなあ。
しかし、岐阜の命名者信長も、岐神知っていたんだろうなあ。
560天之御名無主:02/03/13 00:16
ここのスレにはサンカの人がいるのですか?まあサンカじゃなくても
東沢美史さんって人はそれらしい人ってことなので質問ですが、
できれば簡単な生業暦を聞かせてください。何月ごろには何を山から
取ってきてどう作るとか食べるとか。それからおそらく山から色々
取ってくるのでしょうから「あく抜き」は食料その他でも重要になってくると思いますが、
この時にはこの方法であく抜きをするとか、木の灰を使うなら、食料などによってあく抜きに使う木の灰
の種類が違うと思うのですが、そこらへんを教えてください。ご自身がわからなくても
親に聞けばすぐに分かると思うのですが。
とにかくもっと実生活の部分が知りたいです。
561東沢美史:02/03/13 03:18
>>569の少将名彦名さん、気になる書き込み面白いです。岐阜の県名は織田信長だったんですね、はじめて知りました。
まだ一般に歴史家に全く知られてませんがウズメを信仰する口寄せ巫女によれば東北の日高見、鬼神に詳しいのは秀吉だそうです。
話しがズレるかもしれませんが、「飛騨」と「岐阜」について東北の海、湿原地帯の地名や伝説から連想してしまうこと書きます。

東北の「志田」「日田」「喜多」「北」など「ひた」「きた」に近い発音の地名の南には
「鬼神・キシン・キジン」もしくは「竃神・かまがみ」が祭られてはいないか、いつも気をつけながらあるいてます。
こんな事をするようになったのは、昔祖父らが竹細工の門掛けの仲間らと話してたのを思い出したのがきっかけです。
鬼神の話しにはなんであんなに興奮したのか・・・わかるかもしれないし。

ただし「鬼神」を祭ってるところは、山というよりも平地・水害地であることが多く金よりもナゼか「丹・に」の産出がうかがえます。
その鬼神を祭る真北、数十Kmにある「山」、「火山」が金の噴出口かなと勝手に予見しながら確認してます。
「日高見(地元発音:ひだがみ)山」「北上(地元発音:きだがみ)山」「北神山」という山を探してるんですが表記的に、実際にも幻の山です。
しかたがないので「志田」など「ひた」「きた」の音がつく土地の山(低くともしょうがない)の伝説や昔話などを読んで確認してます。

「鬼神」はいろんな表記があって「田奇(田と寄で一文字の漢字)神」、「鬼人」、「岐人」もあったでしょう。
それから陸奥国一ノ宮塩竃神社の神官の方々と「ウズメ」を信仰する口寄せ巫女ではハッキリ違うことがあります。
私の家ももちろんそうですが、「竃・かまど」そのものが祭祀の対象になります。湯立てと民俗学の方々は言ってくださってます。
海水を煮詰めて出る「塩」は大事だとは思いますが、「竃・かまど」のほうがより大事です。

なんとなく、そこから「ふなど」「くなど」の音が気になってました。北上川流域では「竃かまど」のことを「くど」とも言います。
まあ東北の地名から考えた子供じみた連想で申し訳ありませんが、
「飛騨」と「岐阜」は南北に祭祀の線でつながる一対の信仰のような気がしてなりません。
私のところの竹細工は、祭った鬼神から真北の「飛騨」に相当する山の竹で作ったものでして、遠くからの参詣に来た信仰者は特に
この山の竹で作ったものかこだわって買い求めていきました。
562東沢美史:02/03/14 01:46
>>560さん、お答えしておきます。
生業歴といえば立派ですが、本格的に歩きはじめてから23年目になります。
実際は40年になります。2才から親の自転車のかごに乗せられて
オムツを持って民家を廻ってたそうです。祖父と歩き始めたのは幼稚園ころからで、
祖父は昔テンビン担いで歩いてましたが、私の子供の頃は70才近かったので
テンビンはもうやめて通しひもでざる、かご、すいのう、螺拾いかごなどを肩に担いで
民家に寄って歩いてました。遅れ気味にアセリながらついて行った記憶があります。
小学校、中学校の頃靴昭和40年代は農村、山村を廻るときは軽トラックや
バンで門掛けしてました。もちろん竹細工もたくさん積むことができるようになりました。
距離も遠くへ行くし、またその頃は農村は収入が多く、若い人達にも活気があって楽しそうで、
東北の農村、山村に魅了された頃でした。

山での竹の伐採は12月、1月に行ないます。ただし実際はお彼岸前まではいいとも
言います。彼岸過ぎの竹は水を上げてしまうのでカビや虫食いのもとです。

私の家は昭和52年までありました。
200年前の萱葺きの口寄せ巫女を呼ぶ宇鈿(うずめ)の
境内にあった国の住宅を国から特別もらい住んでました。
囲炉裏にはクヌギ、ナラなどの木を主に焚いて灰は大事に取っておきました。
今でも、たくさんの竹を焼いて出てきた大量の灰は大事に保管し使ってます。
でも、山菜のアク抜きは手軽に重曹を買って使ってます。
私の家は10年ぐらい前までは山菜でもキノコでも大量にとってきてみんな塩漬けに
して保管してました。漬物屋さんなみに漬けてました。

山村の住民は一部の集落除いて山菜取り、キノコ狩りなんてほとんどしてません。
山のものでは、生計がたたないようです、今の時代は。
山菜取りとキノコ狩りの時期は田植え(G・ウィーク頃)と稲刈りにぶつかるので
とても山は人気がなく静かで民家の近くでも楽に採れました。
ただし、ここ数年は松木、雑木の伐採、杉の植林がないためか、山が荒れ放題に
なってて、キノコのほうは全く取れないという事態をひきおこしています。
563少将名彦名:02/03/17 10:12

>561 東沢さんの精力的な書きこみには感服しています。
岐阜の改名については、現在の行政区画では、県というより、市といった
ほうがいいでしょう。ゲームの「信長の野望」でも沢庵禅師との問答なんか
が出てきます。中国古典から採ったと記憶していますが、ほんとうのところ
はどうなんでしょうね。

実は私も子供じみた空想が好きでしてね。日本に渡ってきた多くの部族の
ことをあれこれ考えるのが好きです。
日高見の話は面白いですね。東北弁ではヒダガミですか。これは盲点でした。
これまでずっとヒタカミと読んできましたから。
竈もカマドと読んでましたね。でも、私は愛知県出身ですが、カマドなどとは
いわず、オヤジはクドといっていました。もっとも、私の家系は鍛冶屋でした
ので、その流れの言葉かもしれません。
しかし、クナトとの関連はどうかなと思います。私の想定しているクナ族は
水神系で、火神系ではないように思うのです。

鬼神のイメージは、むしろスサノオではないかと思います。荒神ね。あるいは、
産鉄民といったほうがいいのかな。武人ですから、鬼とか牛頭とかいうのは、
兜の換喩でしょう。産鉄民の朝鮮半島からの渡りは二度ほどあったらしいです
が、二度目のほうは古墳時代ですから、考古学的にも推定できます。石棺の底
に朱を敷きます。丹ですね。高温炉の技術があればこそです。私としては、
出雲→丹後→近江→大和→吉備といったルートを想定しています。
スサノオの渡来は紀元前になるかと思います。考古学的な証拠は見つかりませ
ん。ただ、民俗的には、左義長(どんど焼き)など、残っているものは多い
ですね。この移動ルートは、出雲→吉備→古志というふうに考えています。
おそらく、古志にいたときに飛騨・高天原との接触があったのでしょう。
この二波が別物であるのか、同じなのか、私には判断つきかねます。スサノオ
が一度朝鮮半島に帰って、その子孫がまた来たのかもしれませんし。
面白いのは、産鉄民が菊花紋を使うことです。これは吉備も諏訪もそうです。
先日古代アッシリア王族の宝物写真が公開されましたが、冠に無造作にあしら
われた菊花が、やっぱり十六弁でした。移動民ならでは、方位のシンボルなの
でしょう。
もともと日本にはあまり鉄がありませんし、鉄が金より値打ちがあったのも、
産鉄が新技術であった時代まででしょう。やがて時代とともに色々な要素に
分解していったのではないかと思います。鉱山技能。武具・農具の鍛冶屋。
フイゴが作れるような工作技能。しかも、ノマディックな習性がありますから、
東沢さんの仰る門掛けのような商売の仕方になるのかもしれません。

東沢さんが仰るような竈神信仰って、三重県にもあると何かで読みました。
探せば、他にも多いんじゃないかなと思います。秀吉つながりも、そんなと
ころかなと思います。でも、信長は鬼じゃなかったんですかね。私も八切を
読んだくちで、必ずしも信奉はしてませんが、八切自身のエピソードは今も
印象に残っています。記憶ですが、八切が近江にいた時に牛肉を投げ込んで
いく人があったとか。問い詰めると、信長信奉者であったとのこと。
564東沢美史:02/03/18 23:37
少将名彦名さんありがとうございました。

竹細工の種類は大まかに数種類に分類できますが、ざるはもっとも
ポピュラーな竹製品です。

気になったのは古代アッシリア王族の菊花が十六弁というところです。
ざるの底を組む場合には竹皮を薄く剥がしたものを八ないし九本真中を合わせて
放射線状にしますので、八本であれば、十六の弁になります。これを螺旋状に編んで
立ち上げてざるになります。これはおもに西日本、九州のざるの工程なんですが
「菊底編み」と言うそうです。

鬼神=スサノオ説、これを用いて地元で考えて見るとトンでもなく面白くなります。
天皇が鬼神軍と戦うという軍事演習、模擬戦でしたが、
アマテラス対スサノオということになり、全く古事記の世界を彷彿とさせます。
祖父によれば天皇から命を請けた八幡太郎義家が鬼神(アテルイだとおもいます)を
祭る安部貞任軍とに帝国陸軍の軍人達が実際に分かれて演習したそうです。
明治大帝が実際に御越しになられて指揮してたのは何度もききました。

秀吉の鬼神へのおもいは深かったと考えています。
歴史小説では、詫び寂びの茶室の利休を称え、黄金の茶室の秀吉を馬鹿にした
書き方が多い様ですが、宮城県の戦国時代の秀吉の歴史の地へ実際に行ったら
考えが変わり違った解釈の考えにいまはなりました。

金の茶杓、金の茶釜、敵将のガイコツ頭の皿で作った黄金の盃、金成瓢箪、
テレビドラマのこれら小道具は、永遠の命、永遠の豊臣政権を意味するものであって
浅はかな金満思想とは違う、秀吉らしい思慮深さを感じています。

信長=・・・スサノオということですね(笑)。あー恐い恐い。
565噂された連中:02/03/19 00:11
田中角栄、田辺誠、児玉誉士夫、旧東京相銀の長田一族、小泉の祖父、野中?・・・
結局シノガラは実在するの?どこまで権力にくい込んでるの?
566東沢美史:02/03/21 02:01
母に山菜、わらびのアク抜きの仕方を聞きました。
コガ、漬物たるにわらびをを入れ、重曹とナラやクヌギなどの「アク」を
一掴みいれて、熱湯をたっぷりかけるといいそうです。
あとは、重石をしておくそうです。
「アク」を早く欲しいときは豆殻を焼くということでした。
567東沢美史:02/03/21 03:06
1970年代初めの頃の事なんですが、父は竹細工売りの車のラジオから流れてくる
はしだのりひことシューベルツの「風」という歌が気に入ってました。
昭和11年生まれの父にとっては、自分より下の世代の歌に反応する事は珍しかったです。

♪人は誰もただ一人旅に出て 人は誰も故郷をふり返る
帰っておいでと振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ♪

私の家は遠くまで竹細工の販売に歩いていましたが、自分らを「サンカ」とは
名乗ってはいませんでした。
父はサンカは自分たち以外の組織と把握していました。
私も似てはいるけど自分たちをサンカとは認識できていませんでした。

東北の人々は朝鮮人や部落に対する差別を一民人としてはしません。
竹細工や竹細工売りにたいしても、差別するのは一部の人間だけです。
ただし、普段差別や弾圧しない人達も
政治家や公の位の高い立場に就いた場合は立場上、差別するだけでして
公の立場を降りれば「やーあのときはわるかったな、ごめん」で済みます。
そういう差別心や差別のほとんど無い東北にいながら
何故父が朝鮮人やサンカや部落の人達を高く評価してたのか不思議でしょうがありません。
だいたい、朝鮮人や部落の話しを東北の人々がする事体、少ないです。

私の近くへ引越させ定住させた仲間の竹細工職人の方が亡き父の昔の話しをしてくれました。
若い頃二人で星空をかごやざるを背負いながら歩いてて、泊めてくれと言う勇気がなくて
しかたがなく勝手に民家のクイ小屋に忍び込んで泊まったそうです。
でも、真っ暗ななかでも買ってきた酒を飲んだためか朝に寝てたところを
そこの家の主人に見つかったそうです。

でもその方に、「家さ入れ」といって暖かいご飯を食べさせてもらったそうです。
そこの家族の見てるなか緊張したけど、生卵でご馳走になったとのことでした。

この仲間の職人さんはいま63才くらいです。
「ほいどっこ、可愛そうになったど思ったんだべ」と言いました。
その家の主人はたいした偉い人だったと評価して話してくれました。
父、仲間の職人さんはこの方から見ればサンカに見えたかもしれないです。

今日、実は「風」のはしだのりひこが在籍してたフォーククルセダースの
「イムジン河」がCDで発売になりました。
子供の頃、私もモチロン大好きなフォークグループでした。
五木寛之作詩の「青年は荒野を目指す」、「悲しくてやり切れない」「ムサシ」とかね。
岡林の「チューリップのアップリケ」もモチロン好きでしたよ。
でも、イムジン河は北山修の本でその歌詞(実際は松山猛か)に自分で曲をつけて
歌うくらい、この曲が聞きたかったです。レコード発売禁止の幻の曲でした。
1990年代に入ってNHK−BSのフォーク大全集で堂々と歌えるようになってきて
そのメロディーの素晴らしさに感激してます。端田宣彦も歌いましたし、去年の紅白では
キム・ヨンジャさんも歌いました。ワールドカップの日韓同時開催の影響もあったのでしょう。
夕べのNHKのニュースでも「イムジン河」が紹介されてました。

私はまちがいなく日本人です。父は「アリラン」よく歌ってたし
弟は北朝鮮の音楽や民謡のレコードたくさん買ってます。
なんでこんなに朝鮮の民族音楽が好きなのか・・・ウズメと関係あるのかな・・。
568少将名彦名:02/03/21 22:16
>564 東沢さん、ヨタ話につきあっていただいてありがとうございます。

「菊底編み」の件は残念です。工業製品にシンボルが移されるというのは
考えられることですが、それが地域性に留まるとなると、産鉄民の移動を
傍証できません。私としては、金売り吉次とか大久保長安とか、降ってわ
いたように現れる鉱山技術者の系譜って、上古の産鉄民の技術継承による
ものではないのかと考えたいのです。
ところで、今回の居徳遺跡群での発見は、スサノオ実在説に一歩近づいた
ようで嬉しいです。約2500年前にドスがあったとしたら、ヒボコ以前
に産鉄民がいたという傍証になり得ます。自分の空想に考古学的発見が近
づいてくるのは楽しいもんです。
しかし、私の話題はスクナヒコのはずだったのですが、スサノオに流れて
しまいました。そろそろ退散時期のようです。(サンカについては、私は
南方熊楠説を取っています。よって、思いきりの意見を書くと、あらしに
なります。でも、私はサンカ好きの人って好きなんで、それは避けたいで
す。)

>信長=・・・スサノオということですね(笑)。あー恐い恐い。

そう書かれると、あらためて、自分でも失敗したなと思いますね。(九笑)
信長はクナトの系統じゃないかという文脈で最初に書いたわけですが、次
にはスサノオになっちゃってます。全く無意識でした。
どうも、八切の影響がなかなか抜けないのですが、またひとつさっぱりし
ました。ありがとうございます。
569ケアルイ:02/03/22 00:55
567の東沢さん、

東北は差別ありますよ。いろいろと。南東北には被差別部落もあるし、広義の
ものはその限りではないようです。東北では乞食をホイドともいいますね。
中近世は武士階級とともに革職人の賎民の方々も連れてこられたとか。

三陸でも昭和前期に洞窟暮らししていた人が定期市の日に里に繰り出して
蔑視の目で見られていたと、同郷のご年配の方から聞いたことがあります。

在日の方々への差別意識は自分自身が不本意にも身近な人たちから刷り込
まれてきたところがありまして、払拭するのに数年を要しました。

でも、おっしゃる人情は、山間部ほど顕著な印象(私の偏見ですかね?)です。
平野部より山間の人たちの方が純朴でのんびりしていて芯が強いかな?

>私はまちがいなく日本人です。父は「アリラン」よく歌ってたし
>弟は北朝鮮の音楽や民謡のレコードたくさん買ってます。
>なんでこんなに朝鮮の民族音楽が好きなのか・・・ウズメと関係あるのかな・・。

九州筑豊辺りは所謂在日とは別に朝鮮系の系譜を持っている方々が珍しくないよう
で(もっとも炭鉱地域ゆえ、出自いろいろのごった煮ですからね)、
そこの私の知人の方は、新井英一さんのコンサートで「清河(チョンハ)への道」
を聞いて涙を流したそうですが、隣にいた在日の方が目をパチクリさせていたとか。

血が心を揺るがすのでしょうか?
570天之御名無主:02/03/22 19:28
東山さん、はじめまして。書き込み興味深く読ませて頂いております。
しばらく前、私も東山さんのおられる近くの市に住んでおりました。
もう5年程前の冬になりますが、ちょうど東山さんがおられる所からみると
山に陽の落ちる向こう側に用事で言ったことがあるのですが、場所が
イマイチわからないためコンビ二のお兄さんに場所を聞きましたら、
教えてはくれながら、あんな山奥に、あまり行かないほうがいいのに、
気をつけて行ってね、と余程辺鄙なところのように言われました。
親切だなと思いながら吹雪も吹いていたので覚悟して慎重に運転して
いったのですが、別に山道に入るわけではなくちょっと町の中心から
外れただけなのに、大げさダナと思った記憶があります。

ちょうどその地域は国道から袋小路状に細い道を入ると、家々の集落が
開けるようになっていて、その一番奥に迷いながら行ったところが目的地
だったのですが、そこの人は気立てがよくお茶菓子を接待してくれて、
気持ちよく用事を済ませることが出来ました。ただ行く途中でこちらを見る
おばさんの目線がちょっと怖かったのを覚えています。それと集落の作り
全体が比較的新しく目で、ともすると藁葺きトタン貼りが混じる周辺の家々
からみると取ってつけたような違和感を感じたのを記憶しています。

後で調べたところ、そこの地域は 蓑作りの部落 と書かれていました。
いまどきあの雨よけの蓑を作るなんて、文化工芸品を作っているんだな
位にしか当時は思わなかったのですが、その後で 箕作 の話を知るにつけ、
どうもあの集落の事が思い出されるのです。その雑誌はいわゆる今風の
タウン誌みたいなのものなので、箕と蓑との区別が付かなくてもまったく
不思議はありません。

あまり関係はないかも知れませんが、少し気になっていたので書き込みました。
571p:02/03/23 16:55
去年テレビ東京のニュースアイでサンカを特集していた。
572教えて〜:02/03/23 23:39
どんな内容でした?ディープなところまで進みました?
573東沢美史:02/03/24 01:56
>>570の天之御名無主様、ありがとうございました。

都会では見ず知らずの人同士が話しをしなければならない場面になっても
相手に不快感を与えないように気を使いながら、また何気ない表情で接しながらも
変な奴ではないか、探りながら、そつなく話しを進めるのが非常に上手だなって
見てます。

竹細工の部落、東北の何箇所か深く付き合ってますが、本当の意味で恐い
人なんていないとおもいます。心底からの悪人は箕作りなど割りにあわない
仕事などしないでしょう、今の世の中では。

地方の人が恐い目線をしてたというのは、そのおばさん自身が見慣れない人を
見て不安になったためかもしれないし、厳しい人生を歩んでこられてたり
閉塞的な人間関係に束縛されてて行き場のない苦しい日々の気持ちが、
正直に表情に現れてるだけかもしれないです。
ま、見たわけでもないし、その方の本当のきもちなど私にわかるわけは
ないかも知れませんが、悪意を持って恐い目で睨みつけるなんて事だけは
まずないでしょう。

それより昔はみんな平均に生活が厳しくて冷暖房もなく一年の寒暖も激しく、
さらに労働も厳しく当然、人間もたくましくなってて、
その強さみたいなのが恐さに感じたのではないでしょうか。

でもなによりも、天之御名無様は、もともと偏見を持ってないようなんで、
もし何度かそこへ通う機会にめぐまれれば
その地区の人達もたちまち慣れて違和感を抱かなくなるとおもいます。
574東沢美史:02/03/24 02:55
>>569のケアルイさん、いつもどうも。

朝鮮人の方々にたいする、
正直なお気持ちを書いていただき、ありがとうございました。

中世に武士とともに革職人が一緒に来てたいうのは史実でしょうが
はじめてききました。その頃は差別があったでしょうが
今は・・・どうなんでしょうね。
よくテンを昔取ってたりと言うことは良くありました。
そこからミンクの養殖で事業家になった方とも花巻の物産展で
ご一緒したことが何度かあったけど、彼等はまさかおそらく違うでしょうが。
そうだったからってモチロン、私は全く構わないし素敵な職業に違い
はないですね。
というよりも、皮革業、ミンクの衣服や、カバンなんてファッション業界での
大事な部門なのに、今でも差別とかあるのが不思議と言えば不思議です。
フランス、イタリアのカバンの竹根の手なんて、もろ日本製だったんですけど。

三陸の竹細工や箕の集落は私は一応全戸寄り、見ましたし、話しも
しましたが洞窟に住んでる方はいませんでしたよ、1989年頃に確認しました。

岩手は平均して純朴で強いという印象は受けます。でも純朴と言うのは
なにも思慮深さと相反するものではなく、同居できてるところに
素晴らしさを感じます。
もちろん、今現在の大正、昭和一桁生まれの世代に感じるものですけが。
特に、戦後の開墾地に入植した方々の精神力の強さには、凄まじいものを
感じます。

竹細工の家、箕作りの家にたいする差別は、実際かなりあります。
でも、蔑視されたからって、笑われたからって、どうってことないです。
むしろ、差別する人間を「生」で見れた、小説や部落問題の学術書でなく
実際に馬鹿にされ体験できたことは、なによりも面白かったです。

私の好奇心を満足させてくれる、差別人のパターンのカタログを
いろいろさまざま見れて、生まれてきたかいがあったというものです。

それを、差別された、蔑視された、挙句の果ては迫害されたと思うのは
どうでしょうか。
私自身は、被害者の意識はないです。それより、人の見てない
トコロでおもいっきり差別してくれた、今や偉い肩書きに就いてる方々に
反骨精神を与えていただき深く感謝を申し上げ、感謝状を送るとともに
少額でお恥ずかしいですが、金一封添えたいほどです。
575ケアルイ:02/03/24 20:41
東沢さん、

念の為申し上げますと、私自身は韓国朝鮮が大好きで、ハングルに魅了されてから
あらゆる物・文化・人などに関心をいだいていました。
しかし、80年代はマイナーなイメージで、しかも悪いイメージ(ステレオタイプ
で歪められた荒唐無稽な)
が跋扈している(現在はホントに随分よくなっていました)背景で、当時感受性の強い子供
である自分には
韓国朝鮮に関心を抱いている自体に罪悪感すら持ち始め、せっかく勉強していた韓国語も
放棄してしまいました。
自分の素直な心に向き合って韓国語を再開し、関心を抱いたのは12年後のことでした。
それからは友人・知人も出来たり、
自分にとってホントに身近な存在になったのでした。

北三陸の洞穴に住んでいた人の話は、昭和前期時点の今、75歳になる方が何度か
話してくださったことです。近年はいないのでは、と思います。
かつて城下町に被差別部落があったようですが、あまり定着しなく、今はほとんど
確認できないとか(実際わかりませんが)
しかし、他所から被差別民の方が移住してこられて、暮らしぶりがよくなったとか
聞きます。差別を受けなかったということもあって。

差別を受けられたお話、あるセールスマンが「お客さんにNOと言われたお陰で
今成功している私がいるのだ」とおっしゃる人がいたとかいう
話を思い出しました。

私自身、周りに「異質」に思われているようで、仕事関係のある現場に赴いたら
現場の方が
「何で外国人を連れて来るんだ。」と言っていたとか、仲間からあと
で聞きました。
別に深刻な気持ちなど全然なくて、「そんな目で見てるんだな〜」と改めて
思いました。私自身、この顔つきを誇りに思っていますし。

たまにそんな発言は耳にしますが、引き合いに出される対象(「OOみたい」の
OOのトコロ―様々です)の方への
露骨な差別意識が窺ると、その点で少し心苦しくはなりますが。。
576570改め銀毛:02/03/25 05:21
東沢さん、こんばんは。570で書込みしました天の某改め銀毛と申します。
お返事ありがとうございました。

>それより昔はみんな平均に生活が厳しくて冷暖房もなく一年の寒暖も激しく、
さらに労働も厳しく当然、人間もたくましくなってて、
その強さみたいなのが恐さに感じたのではないでしょうか。

そうですね。確かにあの日は分厚い吹雪か横から吹き付けてたびたび
視界がなくなるような天気でした。出掛け先ではそんな日の珍客だったらしくて
まあよくこんな中を。。。とそこのお姉さんには半ば驚きながら
歓迎してもらえました。冷えきった部屋の石油ストーブを全開にして
くれたのですが、屋根に分厚く積もった雪おろしが始まり、雪の塊
がどすーんどすーんとガス爆発かと思うような音をして地面に落とされます。
とその1回が見事にストーブの煙突に命中。雪で詰まってしまいました。
ストーブは不完全燃焼でガスくさい匂いがして利かなく、あんれまあと
2人で大笑い。

(自分がどこから来たのか説明するのに)
僕    丁度山の向こう側から来たんですよ、夏だと真っ直ぐ上がって
     真っ直ぐ下りれば来れるのに冬は随分遠回りしないといけないですね。
お姉さん ?そそうですねえ、言われてみればそうですねえ。うん。

(集落に入って道が分かりにくかった事を話すと)
お姉さん ....でそこの林檎畑のところをずうっと入ってくるとここに
     着くんですよ。
僕    ???(林檎畑?)
お姉さん …はははそうですね、家の前、林檎畑なんですよ、今雪が積もって
     ぜんぜん分からないですけど。

(帰り際、訪問中にも雪がだいぶ積もってかなり弱気)
お姉さん 大丈夫ですか、帰れますか?
僕    多分大丈夫です。でも途中ではまって動けなくなったら戻ってきます
     ので助けてください。
お姉さん ははは、分かりました。戻ってきて下さい。

…と、何だか話がとんちんかんだったり弱気だったりで
今思い出すと可笑しいのですが、暖かくなったらまたあの山を
越えて向こう側へ行こうと思っているうちに転勤になってしまい
ました。
 









577570改め銀毛:02/03/25 05:56
すみません、話がすっかりそれましたが、何が言いたいかというと、
ここに書いた出来事というのは、自分にとってはまるで映画を見るような
事なのですけれど、例えば冬季には閉鎖する道路と通す道路とはっきり
分け、通す道路は何があっても死守するという背景に、これまで雪国の
人が物資が手に入らなかったり、みすみす助かるはずの病人を死なさねば
ならなかったりと言った過去の歴史があるということを、たまには思い出さねば
ならないと言う事を東沢さんの書込みで思い出したのです。
(自爆)
578東沢美史:02/04/02 23:56
銀毛さん、なんとなくわかりました。
その箕を作る地区が普段の生活空間とは異世界のように感じられたんですね。
へたな映画よりだいぶスリルとサスペンスにあふれてたようだし
ココロに深くそのシーンが刻まれたようでいろんな意味で良かったのでは。

そのお姉さん今頃、首ながくして銀毛さんを待ってるんじゃないでしょうか。
(自爆しないでね)
579東沢美史:02/04/05 00:12
>>575のケアルイさん、心のこもったお返事どうもありがとうございました。

>>北三陸の洞穴に住んでいた人の話しは昭和前期の今、
>>75才くらいの方が何度か話してくださったことです。

それはとても重要なことをお聞きになりましたね。
私にとってもかなり貴重な事例を承知したことなり、
いろいろと考える事が多くなりそうです。
いままで東北についての山窩研究の本を読んだ事がなかったので。

北三陸でしたか・・・。
実は私が三陸と言ったのは南三陸と訂正しなければなりません。
南三陸といっても1靴残らず廻ったというのは
釜石以南から牡鹿町までの市街地を除く農漁山村です。
宮古までは大槌を少し歩いただけで北三陸はまだ行ってません。
気仙の箕作るところは集落になっていて、かつては高度な文化が花開いて居た所と
五葉山周辺を平安時代の和歌から読みこんで調査し始めました。

>>韓国朝鮮に関心を抱いてる自体に罪悪感すら持ち始めて、
>>せっかく勉強していた韓国語も放棄してしまいました。

朝鮮韓国に対する思いが一転二転までするものなんですね。
韓国語まで学ばれていたとのこと。
いくら朝鮮が好きといっても語学まではとても出来ません、私には。
主にテレビ(70、80年代は朝鮮半島の関連番組は少なかった)やラジオの
民族音楽の番組をエアーチェックしてたりしてました。
文芸誌では金石範はちょっとだけだけど読んでました。でもやっぱり中上健次が
一番スリリングに朝鮮&在日朝鮮を書いてくれたひとでした。
サムルノリの日本でのブームの火付け役でもありましたし、
なんといっても韓国に渡ってのリポートが濃いもので面白かったです。

東北の山窩の人達の人種的特長はどんなでしょうかね。
私にその良い血が流れていればいいんだけど、見た目がわるいので山窩のイメージを
損なっては申し訳ないんで自分を参考にはいれませんが、田中勝也「山窩研究」の
写真に出てくる女性にそっくりの人が仲間や知ってる人にいます。

東北や九州にほっぺが冬に赤くなるほど色の白い人達が多いですがこれはどうかなとか
身長が高くがっしりした体型の人はそうかなとか、目が水色とか薄褐色とか黄緑?とか
の人はなんなのかとか、家族が皆黒髪なのに生まれつき金髪の子が生まれてくるのは
どうかとか、歯並びがとてもきれいな人達はとか考えて
これらの特長のうちどの人たちが山窩の源流になるのか、
どの人達が山窩の生活様式を継承したのか、どの人達が山窩と婚姻を重ねていったのか
とか、考え始めています。

それと朝鮮語の会話のイントネーションを聴いてると
青森とか東北の音に近いものを感じてしまいます。
半島からの渡来系が高度な文化を保持してた
山窩と交わったのではの線でもこれから考えて行きたいとおもってます。
580東沢美史:02/04/05 00:21
>>579文字化け訂正 10行目「一靴残らず」→「一軒残らず」です。
581衒学的過ぎるよもう:02/04/09 00:06
ねえ、もうそういう方向には未来なんてないよ。
いい加減現実的な方向に進もうよ。いくら探してもいないよ、とっくに滅んだ。
シノガラとか、滅んだ中で遺ったものを捜すべきだよ。
582銀毛:02/04/10 23:11
東沢さん、先の支離滅裂の書き込みお恥ずかしい限りです。
若気の至りと言う事でご容赦の程を。
今ごろみちのくは1年で一番麗しい季節でしょうね。
川の水も温み、青く澄んだ流れが陽の光に輝く光景が目に見えるようです。
桜のつぼみもこれから開き始めるのでしょうね。

それでも須川岳への道はまだ通れるようになるには2ヶ月近くかかりますね。
今年は暖かいので少し早まるのでしょうか。
ところで、この須川岳への道には一関から瑞山経由でバスも通っていたはずですが、
まだありますよね。(北上から夏湯温泉に行くバスは廃止になってしまったそうですが)
真湯から先は大変な上り坂となり標高1400mまで上りますが、その途中何やら
カタカナの妙な名前のバス停がありますが、これは昔のアイヌの人たちのが付けた
地名という説がありますが実際のところどうなのでしょう。

柳田国男の本だったかに、仙人は深山に篭っているように言われるが、
実は道路の発達した今となって見れば意外に人里近くにいたものだ、
とあり、また山窩の人たちについても同様の記述があったと思うのですが、
アイヌの人も交通の便が足か馬だけだった時代にあの深山を往来するのは容易な
ことでは無かったと思われます。

山の人生に、夜中の山中の谷底は恐ろしく魔物が出そうだけれども、
魔物は往来を通るので却って谷底の方が安全なのだ、という説がありますが
これを考える時いつもあの須川への道を思い出すのです。
583天之御名無主:02/04/11 05:47
sage
584ヒヒヒの民:02/04/14 21:56
半村良先生マージナルインタヴューで「差別問題で書きに
くい」みたいなこといってたよね。読み返そうっと。
それはそうと、先生の死の一ヶ月くらい前、「噂の真相」HP
のNG一行噂に、借金苦で行方不明説の先生が今度は瀕死説
つーのが出ててそれで、これでしょ…。何か裏ありそ。
↓これの150のネオギルドがらみとか…妄想全開でーす。
ttp://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/949066103/
585天之御名無主:02/04/15 17:55
で、金太はどこいったの?
586天之御名無主:02/04/18 19:49
金太さんやーーい
587犬娘:02/04/29 20:01
サンカの宿
山形地方などで、春になるとどこからかサンカがやってきて、秋頃まで泊まる宿
があった。上下宿みたいなものなんでしょうか。その泊まる家を村人達はサンカの宿
と呼び、その家の人を特殊民とみていた。しかし、その家にはサンカ達が稼ぎの
中から、かなりの分け前を置いていくので、暮らし向きはかなり裕福であったら
しい。

588犬娘:02/05/09 21:54

野性的で勝気なサンカ娘が、髪の毛を竹櫛に巻きつけ、アップにする結い方を
タカマキというそうですが、この竹櫛は、サンカ達が、行き先や、集会の「コ
トツ」といわれる伝言などの目印を、地面に筋をたてる時にも使われ、また、
追い詰められた時の武器にもなります。
櫛は呪術性もたかく古墳の出土品の中にも多くみられるそうですが、魔よけの
呪物と考えられていたようです。富山県の櫛田神社には、田植女を呑んだ蛇が、
女のさしていた櫛が喉にひっかけて死に、その蛇を神に祀ったという伝説があ
るそうです。モノモライやヒキツケには、櫛でこすると治るという言い伝えの
ある地方も多いとか。
589天之御名無主:02/06/09 23:17
金太の話はどうなった?
590天之御名無主:02/06/10 12:59
なつかしい名スレがあがってきたage
591天之御名無主:02/07/02 21:46
たまにはあげとく
592御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/07/06 18:28
うちの隣り町に竹細工を生業にしてた家あるんですが
作業場は随分昔に無くして普通の住宅になったので
廃業してたと思てたら、最近前通うたらご主人嬉々として
籠作ってまして、目が合ったら自慢そうな雰囲気やった・・。

話し聞き出すのは、どうしたら良いかネ。
593:02/07/11 15:18
↑竹細工屋がみんな山窩だと思ってるバカ
うせろ
594東沢美史 :02/07/12 02:24
>>592の御殿山さん、はじめまして。

竹細工してるとか山窩だったとかということはごく普通のことでありますので
いつもどおり普通に疑問の点をお聞きになられたならどうでしょうか。

「山窩でしたか」と聴いてもわからないおもいますので、「作った籠を売りに歩くんですか」
と聴いてみたらどうでしょうか。または「カゴ作りはどこで修行されたんですか」と聴くのも
早くわかっていいかも知れません。答えが「売りには歩かない」「注文に応じて作る」「竹細工の
親方に弟子入りして覚えた」「親がここで昔から竹細工の店をしてた」とかいうお答えの場合には
その方は山窩の生活を過去にしてた可能性は少ないでしょう。

欲しい竹細工をなにか一つ注文されてお話しをきいてみるのもいいとはおもいます。

でも竹細工をしてる人や山窩の生活をされてた方々は現在の日本社会のなかで
身分の低い人間であり、自分は高い身分の階級だとか自分自信でココロに強く
認識なさってるような場合の単なる身分差の確認のためでしたならば、
お話しを聴くようなことはなさらないでくださいね。
595天之御名無主:02/07/12 02:49
山窩は農村を廻ってお米と箕を取り替えていたかもしれません。
596東沢美史:02/07/12 02:52
>>銀毛さん、しばらく山窩関係のサイトに参加しており、レスもせず申し訳ありません。
こちらも、またときおり寄ってみます。

じつは須川方面は一軒残らず門掛けしてますのでよく知ってます。
また山の名前、川の名前があまりにも山窩を想起させるもので不思議ですよね。
実は、ここで「瀬降り」してた事があります・・・(笑うしかないけど)。
鍋釜を持っていって、山の木で煮炊きをして父や竹細工仲間と須川のキノコをとっていれて
テンジンではないけど、テンジンのように鉤で鍋をつるしたんですね。
・・・ま、芋煮会に近いかもしれないけど、芋が煮えるまでそこの竹でザルの一つくらいは
作れますし、磐井川の瀬音聴きながらですから、強いていえば瀬降りといえるかもしれません。

ここの民家から、熊の肉を父がザルと交換してだか、買ってきてだか食べたこともありました。
もう1980年前後のことになりましたね。
・・・どうでしょうか、一緒に「瀬降り」いたしませんか?
597天之御名無主:02/07/16 04:35
age
598あぼーん:あぼーん
あぼーん
599東沢美史 :02/07/20 01:03
宮城の奥羽山脈の刈田のふもとの川の両側には、春先と冬を前に鈴竹切りのために箕作りは瀬降りをしてました。

それを見てた地元の子供達が箕作り山窩を真似て「山窩遊び」をしてたと地元郷土誌は伝えています。
松の木に松の枝で作った簡易の小屋での瀬降りです。

600学生:02/08/05 09:07
なんかもう一度確認したいんだけど

金太さんの話ってネタってことで消化していい話なんですよね?
なんか落ち着かなくて・・

だってもしも途中で内調が出てきて日韓関係の微妙な問題ということなら
こんなところで言うはずないもんな。