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天之御名無主:
日本の高度な文化は、新羅の貴族文化の影響をうけており、皇族もその系統。
奈良は唐式朝廷による百済系中心の中央集権的な都を目ざしたが、見事に失敗し
京都は唐式朝廷による新羅系中心の地方分権的な都づくりが成功したことからも、新羅系の優秀さは明らかである。
(平城京は百済色を前面に出した都で、平安京は表向き百済系、中身は新羅系という都であった)
新羅的洗練や、創造性を持たない多数派の百済系渡来人(関西を中心に)は
新羅系に対して劣等感を持っており、663年の白村江の戦いの敗北を機に
その劣等感にもとづく怨念が爆発し、多数派の百済系による新羅迫害が起こったのだと思う。
新羅系は近畿から脱出し、関東・陸奥・美濃・伊勢・志摩・南紀・阿波・土佐・豊前・薩摩・大隈などに向かった。
肥前北部・本州日本海側はもともと新羅系が多かった。
関西に残った新羅系は、一部の支配層を除き、賤民という扱いを受けた。
なおも東夷・熊襲征伐などにより、新羅系と縄文系の連合が生まれそうな地域をつぶしにかかる。
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天之御名無主:04/02/22 23:59
その後、差別制度の強化・緩和をくりかえし、そのつど新羅系を中心にした賤民集団を再組織化。
最終的には、士農工商穢多非人という身分制度に落ち着いた。
農(百済系稲作農耕民族)、工商(新羅系工業的交易民族)、穢多非人(新羅系反体制派)という序列。
現在の被差別部落をみると、百済色が強い近畿・福岡に多い。
近畿・福岡の百済系民衆は劣等感をバネにするため、たとえば福岡では平家の落人(百済系)などはスター扱いされる。
姫路・和歌山・岡山・広島・徳島・高知といった、新羅系がそこそこ強く、百済系地域とは言いがたい都市にも
近畿に近いことから巨大な部落がある。(愛媛には巨大部落はないと思うが、数が多い)
豊前・薩摩・山陰・濃尾・伊勢は、新羅色が強すぎるので、百済系による抑圧支配は難しいため、大きな部落はない。
一向宗は新羅浄土教の流れをくむから、部落と一向宗の関係は密接だが、一向宗が部落の起源というわけではない。
北陸は新羅系、浄土真宗が強いが、茨城などでは浄土真宗とは関係なくても
北陸出身というだけで加賀っぽと呼ばれて差別された。
皇族は百済系を装っているが、本来は新羅系であり、部落も新羅系のため
部落民は反体制派であっても天皇を崇拝したり、右翼的部分をもっていたりする。また伊勢参りする習慣が強い。
中上健次は、紀州の部落民は農耕民族(百済系)では無いことを強調していた。
三重は新羅崇拝が強いことから、関西文化圏のわりには被差別部落の規模が小さく
「部落民は平家の落人(百済系)に決まっている」という間違った俗説がひろまっている。
松阪や但馬などの高級牛肉の産地は新羅系が強く、屠殺に関しては、食肉文化が発達した新羅ということで
屠殺業を押しつけたというよりも、得意分野を任せたという感じなのでは?
水平社宣言以後、部落差別を利用した労働力補充が難しくなったため
慶尚道・済州島(新羅系)から強制連行するようになった。 …新羅差別はいまでも残っているとみてよい。
福岡(百済系)出身で、テレビで部落差別発言したタモリが名古屋を嫌っていたのも、反新羅から来るのかな?