マリアの処女懐胎について

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スレが出来て以来、4年も経っているのに、未だに聞きかじりの誤謬がまかり通っている・・

まず「誤訳」説の整理。これは旧約ヘブライ語原典「イザヤ書」の7章14節の
「見よ、アルマーが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ」
という箇所の「アルマー」を、七十人訳で「パルテノス」と約されていることに端を
発している。この七十人訳が、マタイ伝1章23節にそのまま引用されていることが、
「誤訳」派の拠り所。

しかし、若い娘をさすこの「アルマー」が、乙女の意をも含むかどうかでは、
聖書学者・言語学者の間でも、意見は分かれている。一方、ギリシア語の
「パルテノス」は、若い娘をも、乙女をも指す単語であることは明らかなので、
仮に「アルマー」が若い娘のみを意味する単語だったとして、誤訳ではない。

話を新約に飛んで、マタイ伝とは全くパラレルに成立したルカ伝には、
イザヤ書を引用していないにも拘らず、処女受胎が語られている。
要するに、この奇跡物語の起源が、「イザヤ書」七十人訳の「誤訳」に
由来するという明証はない。

もっとも、新約の各文書から見て、マリヤの処女懐胎物語は、単にイエスの
誕生を神的にするための軽い付加的要素に過ぎず、当初はキリスト教の本質的
問題ではなかったようだ。