女人禁制について

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1名無しさん
大田大阪府知事は相撲の土俵における女人禁制は、
女性差別だと主張しています。
女人禁制の理由として民俗学的には、血のケガレとか、
山の神や女神のタタリなどがあげられます。
ここでひとつ、女人禁制について民俗学的に
考えてみませんか?
2プー:2000/02/27(日) 03:43
女性のお産が産穢として扱われた時期は長いし、全国にわたってありますよね。
でもそういう価値観って、自分も母親から血にまみれて生まれてきたことについて、
どう解釈していたんだろうか。
3野見宿禰:2000/02/27(日) 12:23
神罰を恐れよ
カシコメ
4かまいたち:2000/02/27(日) 12:59
知事に対しては、相撲ってのは一種の神事である訳だから、女性差別ってのは
ずれた考え方だと思うです。
宗教儀式だと思えば腹も立たないはず。
5名無しさん:2000/02/27(日) 18:11
まわしつけるからだと思うけど。
神事で、元々は全裸だったそうです。相撲の歴史
などについては知りませんが、神聖なエリアであり
元来裸でするものなので当然女性は無理ってそれだけ
だと思いますが?
6かまいたち:2000/02/27(日) 20:58
>5
オリンピックみたいなものか、考えれば。
7名無しさん:2000/02/27(日) 22:56
そもそも、女性が穢れだなんてことを言い出したのは男です。
刃傷沙汰、戦争によって流される血がけがれであって、
本来、女性がなんで穢れなものですか。
女性がいると気が散って修行に差し支える男が悪いのに。
もはや、神とも、修行とも無縁の大相撲ごときが
何を時代錯誤をほざくか。です。
8>7:2000/02/28(月) 09:39
あれ、本来土俵の上には力士と行司以外は乗らないって原則があんだよ。
大相撲の性差別の問題を言い出す人はパフォーマンスだけの人だから
自分は信用しない。
9かまいたち:2000/02/28(月) 12:06
言っておくけど私、女ですよ。
男女同権は主張すべきだと思うけど、主張すべき場は選んだ方がいい
と思うだけ。相撲の土俵に女が乗れるようになったからといって何だ
というのでしょう。
血の穢れの概念は、研究すると面白そうだね。
10名無しさん:2000/02/28(月) 19:16
たぶん土俵の神聖さっていうのは
我々一般人からしてのものでなくて
そこで闘う力士達にとって
土俵は格別な神聖さがあるんじゃないかなあ?
で、彼らには彼らなりの誇りとこだわりがあって、
「ここは我々が全身全霊をもって戦う場所であるから
それ以外のものや、男相撲では闘うことがない女は乗るな」
ってようなこだわりもあるんじゃないかなあ。

だから、彼らの力士としての誇りとこだわりを大切にしてあげるべきじゃ
ないかと私は思う。
11プー:2000/02/28(月) 20:16
疑問なんだけど、力士の人たちって、土俵上のあの一挙手一投足の
意味・意義ってどのぐらい理解してるんだろう。
完全に分かってやってたとしたら失言をわびるけど、お茶の作法みたいに
形骸化されてる部分も随分あるんじゃないかなぁ。
で、意味も分からず昔からの決まり事だから続けるって姿勢は疑問に思う。
女性が土俵に上がる・上がらないの問題の前に、神事だったらそれなりの
覚悟を決めてやってほしい。
型ではなく精神に力点を入れて。
スポーツじゃないんだから(そうなんでしょ?)。

>9 かまいたちさん
出産や月のモノの穢れを忌むというのは神道的な思想だと思うんだけど、
出産の時だけでなく、生理のときにも忌屋とよばれる小屋にこもらなくては
いけなかったというのは、かなり強烈な穢れ意識が見られますよね。
ひとつに男に出産を見られることは死ぬより恥ずかしいといった感覚もあった
ようですが、それにしても‥‥。
フリーセックス状態だった昔の共同体が、なぜそれと隣り合わせの出産・生理を
これほどまで忌んだのか。
誰かおしえて〜。
12<相撲:2000/02/28(月) 23:17
意味を理解しているにこしたことは
ないと思いますが、形そのものに
精神は宿っていると思います。
13プー:2000/02/29(火) 02:31
>12
確かに呪符なんかも何が書いてあるのかわかんらなくてもいいって言いますものね。
でも相撲の場合、見ている観客ははたしてどのように感じているのか。
やはり理解がいきわたってないから、女性が土俵に云々なんて問題がでてくるのでしょう。
14名無しさん:2000/02/29(火) 15:37
格闘技は命のやりとりです。異性はリングの上のラウンドガールのように
「獲物」という記号を背負って現れるのでない限り、場違いです。母性の
記号によって優しくくるまれると、オス同士の張りつめた空気が壊れてし
まうのです。格闘技の持つ心地よい緊張感が台無しにされるからです。
知事という権力者の記号と、ふくよかなおばさんという母性の記号の
両方を背負ったまま、格闘を終えた力士たちの中でも最強の男に対して
「いい子いい子」と頭をなでなでするような図式を平気で完成させよう
とするこの知事は、相撲そのものの文化的な価値に対してやはり無知で
あるか、あるいは格闘技という文化を成立させている美意識に対して底
意地の悪い感情を抱いているとしか思えません。フェミニズムは文化を
解体させる方向に向かっていますが、この人のフェミニズムは解体を破
壊と取り違えた典型的な例です。中国ではこういう人が文化大革命の先
鋒として社会を破壊し尽くしたのです。
1514:2000/02/29(火) 15:46
最後のところ話が飛躍したので補足します。中国の文革は毛沢東思想によって起こった
のであって、もちろんフェミニズムと直接の関係はありません。大田知事は文化を破壊
する自分の行為を正しいと確信しており、その確信の根拠には「伝統=悪」という進歩
史観があり、その姿勢が紅衛兵に酷似していると言いたかったのです。
話を格闘技に戻すと、女子プロレスでは男女が逆転するので、私は女子プロのリングに
男が立つことに反対です。全部女性でやるべきだと思います。花束贈呈はジャニーズ系
の美少年(象徴的な意味での「獲物」役)がやったらいいでしょう。
16:2000/03/01(水) 07:31
このスレッドを立てたものです。
レスを読ませてもらいました。
格闘技における女性のタブーって、
単純に女性のケガレだけが理由じゃない
みたいですね。>14@`15

女性のタブーが厳しい所でも、生理のない女
つまり初潮前の幼女とか閉経した老婆は
立ち入りを許される例があります。
もしも大田知事がすでに「アガッて」れば、
土俵に上ることを許されるかも、と考えていたんですが…。
「生理がない。すなわち女とは認められないので、
土俵への立ち入りを許可します。」
こんなこと言ったら、また大問題だ。
17名無しさん:2000/03/01(水) 14:18

相撲の成り立ちについて
もともとは地鎮めの儀式といわれていますね。
土地を守る神を相手に行うもので、神に刃向かう準備は何一つありません、という意味で裸で行っていたもの。
そして、神を相手に相撲をとる(もちろんカタチだけですが)。
人間が負けることにより、神への服従を誓う、といったモノ。

次第に神の役割を人間が担うようになり、地を鎮めるために
体の大きな重い人物が選択されていき、今のような巨漢な相撲取りとなったのです。
土俵は聖域を表すしるしと解釈し、
聖域において力で神と闘うという意味からすれば女人禁制はいたしかた無いのかな、とも思います。
ただ現状の相撲は神事よりもいわゆるスポーツという色が強いのも確かですね。

だいたい昭和以前の相撲なんて、神事どころか
いかがわしい興業の一つでしかなかったのも事実ですよ。


18>8:2000/03/01(水) 15:24
そうですねパフォーマンスだけ。
一応「伝統」ってなってるものにきちんと乗っかることが
出来ないような頭の固い人に我が大阪府を治めてもらいたく
ないですよ(笑)
あの人はあの人なりに「私は女なんだから女性問題を扱わないと!」
って意気があるのかも知れませんがね。ちょっとお門違いかなぁ
と思います。「伝統」に噛み付けばいいと思うのはとても浅はか。
って、私も女ですけどね。んなことより本当に財政立て直しなよ?
って感じですわ。
19名無しさん:2000/03/01(水) 21:58
>17
いまでも八百長疑惑とか出てるから
そういう意味では未だに「神事」であると言っていいんでないの?
20女性問題に取りかかるなら:2000/03/02(木) 22:24
そんなことより、大阪府職員の待遇に関して男女平等を推進するべきでしょう。
しかし、本当に男女平等にしようとすると、男女それぞれからの反発は必至。
それに比べたら土俵に上がる上がらないをうんぬんしてれば、世論は味方に付けられるからね。
それにしても、女は天皇になれないっていう男女不平等を太田さんがどう考えているのか、公の場ではっきりとした意見を述べてほしいものです。
できないだろうねぇ、皇室批判は(笑)
そういうエセ平等主義(強硬派)は、私のようなかなりリベラルな女の目からみてもむかつきます。
結局女性問題を道具にしかしてないじゃないのさ。
21名無しさん:2000/03/03(金) 06:33
神話スレッドらしく、まず神話から。
やはり「女性の穢れ」という意識から来る事は間違いないと思います。
同様の意識は神道だけではなくユダヤ教などにも見られますね。
旧約聖書のレビ記などにははっきりと月の障りがある時の女性を
穢れた存在と規定しています。ただしここでは「月の障りのある間」
として限定しています。出産期についても同様ですね。因みに現在も
ユダヤ教の女性蔑視については、大変厳しいものがあります。

相撲に関する問題はこの相撲が神事であると同時に国技であるという
ことです。ここにジレンマが生じます。国技であると言う事は神事、
神道が国教である。という事になり、信教の自由の問題が生じますし、
女性蔑視を孕んだ教義を国技とする事で国家が女性蔑視を認めるとい
う事になるかと思います。国技でなければ一つの宗教の教義として
認められますが。もっともそんな教義は個人的には御免です。
22名無しさん:2000/03/03(金) 08:27
だから、女性蔑視とかじゃなくて、
戦わない人間は土俵の内には入れないことになってるだけだって。
そんなどうでもいいことじゃなくて、
もっと日常で差別と戦えよ。
本当に文句を言いたいのなら、
世間にあふれる女性優遇のサービスも性差別として告発しろよ。
23名無しさん:2000/03/03(金) 15:37
文化・伝統というものは長い時間をかけて育まれたものであるから
単に男女同権と言う事で壊して良いものではない。
宝塚に男が入ったらどうなるか、それはもう単に養成所になってしまう。
宝塚という伝統はその瞬間に消えてしまう。
皆同じにしてしまえと言うのは、それこそ個性を尊重する自由・権利を
捨ててしまうことになる。
24>22:2000/03/03(金) 17:57
合コンで女だけ参加費が安いってのから始めよう。
25名無しさん:2000/03/03(金) 20:16
>22、23、24に賛成
そうそう、土俵に女があがれないことで
なんか女性が損害受けるのか?
それとも大相撲に女力士として登場したいのか?
23の人も言ってるけど
壊れた伝統ってのは二度と取り戻さないんだぞ。
26裕仁:2000/03/04(土) 04:45
あっそう。

・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・おや?スレッドを間違えたようだの。
27名無しさん:2000/03/05(日) 03:09
>相撲が神事であると同時

神社で神主が神様相手に一人相撲をとって
自分が負けて豊作を祈るというのが起源だという
説があって、そうなると人間同士の相撲は、神事でもなんでもなく
アトラクションになる。神社の境内は神聖であっても
土俵を体育館に造ったら、それは神聖ではないとも言えますね。
28>27:2000/03/05(日) 03:28
なるほど。だとすると「女性禁止」の理由はどういう事になるんだ?
「伝統ですから」だけでは理論的に弱い。
ここは一発、世の中のフェミから守る為の理論構築を皆で考えてみる
のはどうか。ちと、思いつかんが。<情けない。
                やっぱ裸かな〜?キーワードは。
29名無しさん:2000/03/05(日) 10:36
今の大相撲は
「東」と「西」でわかれてやっとるでしょ?
あれは豊作を占う神事なの。
だから、まだ相撲は神事です。
農業をなめんなよ。
30>21:2000/03/05(日) 23:20
概ね賛成だが、

「信教の自由」を履き違えているなあ。
31名無しさん:2000/03/06(月) 03:42
神道だのユダヤ教だのといった宗教面で言うより、
月経を汚れとみる考え方は、原始的な習俗の段階で
世界的に見られる。
金枝篇でも読んで下さい。
32どの男だって:2000/03/06(月) 03:59
母親の腹の中から血まみれで生まれてきたくせに
月経を汚れていると考えること自体変じゃないの
現在の相撲は神事じゃないよ。江戸時代の旦那衆
の道楽として維持されたもので、最初から金まみれ
だよ。
331です。:2000/03/06(月) 07:36
いろいろ意見があがってますね。
「信教の自由」にまで話が広がってますけど、エセフェミニストも
突つくところがなくなったら、多分そこらへんを槍玉にあげて
きそう。もうほとんどヘリクツだけど。

女性の月経は豊穣の象徴であり、月経中の女性は絶大な霊力を
秘めていると、昔の男性は考えていたようです。
男性にとって未知の力を持っているから、生理中の女性は隔離
されていたのでしょう。
単純に出血するからケガレてるとか、そういうモンじゃない
みたいです。
むしろ古来の男性は女性の月経パワー(豊穣の力)に対して
畏怖の念というか、女性に対するリスペクトがあったようです。
このような見解は女性研究者にも多いのですが、某知事みたいな
エセフェミニスト達が女性の民俗学者から意見を聞いたりする
ことってないのかな、と思います。
まぁ、結局自分たちに都合のよい学説にしか耳を貸さないのかも
しれないんでしょうけど。

34名無しさん:2000/03/06(月) 11:27
穢れは気枯れってな。
疲れてる奴は休ませよう。
大変そうやな、養生せーや。ってことなんだよ。
35名無しさん:2000/03/06(月) 11:49
相撲協会だかの見解を聞きたい。
太田との話し合いの場で何が話されたのか。
それこそ
公には言えないような
宗教的な取り決めがあるのかも、、、
と思うと興味が沸く。


3636:2000/03/06(月) 13:44
>1(33)
月経はその周期が月の満ち欠けの周期に近いこともあり、
そこに何か霊的な力が及んでいると考えられたのは確かでしょうな。
ただそれは男性にとって、というより、人知を超えた力として
人間そのものにとって未知の存在(勿論男性の方が接触をタブー
視される傾向は強いが)と見られたと思うけど。

出産についてもそれは同様で、生命の誕生という事象
自体、人の一生の中で、死とともに通過しなければならない
一つの危機としてとらえられ、そこに霊的な力の干渉を見た
と思われます。妊婦が隔離されるのもそこに起因するんでしょう。

霊的な力が及ぶと思われる対象を隔離する例としては、
・戦いで活躍した戦士(←殺した相手の亡霊)を隔離
・死者に触れた人間(←死者の霊)を隔離
また、神聖な首長や王(先祖から受け継いだ霊力を所持)が
実質的に隔離状態に置かれることが多いのも、これと相似の
関係でしょう。共感呪術の観点から見ても、未開社会においては、
神聖なものと不浄なものは、結果的に同様の扱いを受けるものです。

月経の場合、そこに血の汚れという観念が結びつき、畏怖の対象で
あったはずが不浄性を見出されるようになっていったのかも知れません。
最後のは推測ですが。
37>36:2000/03/06(月) 23:08
>神聖なものと不浄なものは、結果的に同様の扱いを受けるものです

素晴らしい洞察力ですね。
日本でも皇室と特殊部落にある種のつながりや共通性が
感じられるのはこういうことに起因するのでしょうね。
38名無しさん:2000/03/07(火) 00:20
神聖なものがケガレとして扱われるようになるというのは
割とあるようですね。
部落の人もも元は神事・祭りを行ったりしていたそうです。
39名無しさん:2000/03/08(水) 01:02
人間ではない物を自分の上と見るか下と見るかの違いか?
40名無しさん:2000/03/08(水) 08:54
>32
>母親の腹の中から血まみれで生まれてきたくせに
>月経を汚れていると考えること自体変じゃないの
月経や経血、胎盤や会陰切開など、女性の地位向上に熱心な方たちは、
女の肉体についてこれでもかといっぱいぐちゃぐちゃした血みどろの
ものを次から次へと見せたがる。ラマーズ・インポって知ってる?
よき夫たらんと見せたがる女性に媚びて出産に立ち会った結果、その
血まみれの現場に衝撃を受け、完全に女性に(あるいは妻に)性的な
興味を失った男たちの病理だ。家庭崩壊のきっかけになっている。
文化の理由付けを吟味しないままいたずらにイデオロギーに左右され
ると、こんな悲劇が起こる。
41名無しさん:2000/03/08(水) 17:46
男性には子供を産むことができないという
絶対的なコンプレックスがある為じゃないかな。
42名無しさん:2000/03/08(水) 18:29
>40
産婦人科医とか、インポ多いの?
気が小さいのに外科医になって、毎日酒浸りのひとを知っているけど。
43大江戸八百八町:2000/03/08(水) 19:25
相撲は
武芸の一つでもあり勧進相撲でもあるから、
女の見物は許されず観客も男だけ
だったんだって。

ちなみに私も古来からの日本男児のしきたりどおり
出産は部屋の外で、無事を一生懸命祈ることにします。
でも、出産現場に男は立ち会わないってタブーがなくなって
しまったおかげで、立ち会わないと「冷たい」って
思われそうで、困っています。
4432 俺は男だよ:2000/03/09(木) 01:50
自分の生まれてきた時の姿を忘れて、聖だの穢れだの
偉そうにほざいてる協会のクソ爺いどもがくだらない
だけだよ。別に出産に男も立ち会えとは言ってないよ
俺も見たくないね。
45名無しさん:2000/03/10(金) 07:03
男尊女卑と女人禁制を一緒くたにして抗議している人が多すぎる。
社民党のナントカって言う議員
46名無しさん:2000/03/11(土) 05:00
今週の文春にここで議論されてる問題のことを書いてる人が居ました。
そこに神道のなかで女性の役割は大きく、「女人禁制」は仏教的なも
のから導入されたが本来の仏教にもそうした「女人禁制」の概念はない
とあった。何故?どこから?何時?女人禁制が生じたのか。
神道の立場で女人禁制を言うのは「変だよ」ということでしたが、
その辺り詳しい方居たら教えて下さい。
あとやはり、国技としてやるから難しくなるのだという意見も出てた。
471です。:2000/03/11(土) 05:41
>45
「女人禁制」=「男尊女卑」の図式は、儒教(特に朱子学)の影響かな。
本来女人禁制とか女性へのケガレ観は、男尊女卑の精神に基づく
ものではないと思います。(儒教に詳しい方フォローお願いします)

>46
文春チェックしてみます!
仏教の教義に女人禁制に類するような項目がないという
ことでしょうかね。
仏教が伝播する段階で土着の信仰や宗教と結びついたことによって、
女人禁制という思想が生まれたのでしょうか。

48名無しさん:2000/03/11(土) 06:22
日本に仏教が伝わってきたのは百済を介してであり、後に留学生として
大陸に渡った僧もインドにまでは行かなかったのでは? だから日本には
中国の儒教思想に変換された仏教しか流入しなかった、と言う仮説は
どうでしょ? ・・・いなかモンのたわごとッス。批評求む。
49はちふし:2000/03/11(土) 10:31
>48
だいたいその通りです.

>47
原始仏教では男性と女性を区別するということは見られましたが,
必ずしも差別はしていないが,大乗初期にはすでに女性は悟れない
という思想が見受けられます.仏教が中国にはいると,父系の継続
を重んずる,儒教的な考えと一緒になり,仏教では女性を排除するように
なりました.
ちなみに日本の土着の信仰では,女性性は,畏れの対象であると
同時に忌み嫌われるものとなりました.その点を踏まえて,
神道も,土着神道と教派神道・国家神道とを区別して考える必要が
あるように思われますが.
50ワタシダ:2000/03/13(月) 03:57
個人的たわごとだとおもいますが、
日本の山岳信仰での「女人禁制」は狩猟民の生活上の要請からうまれたものでは
ないでしょうか。山中の厳しい環境下では体力の極度に劣る構成員の
存在や、異性の前での“格好つけ”による抜け駆け行動はすなわち
集団全員の生命を危険に曝します。
51かんわきゅうだい:2000/03/13(月) 05:01
逆に男性禁制ってのはないんですか?
52>51:2000/03/13(月) 05:28
尼寺と女子修道院
53名無しさん:2000/03/16(木) 02:30
>本来土俵の上には力士と行司以外は乗らないって原則があんだよ。

なるほど、ある程度説得力はあるね。
しかし前回の式典にはエロノック知事が堂々と上がっていたぜ。
外部団体の全ての役職には女性が就く可能性があるのに、
相撲協会はわざわざ女人禁制の場所で式典を行っているんだ、いやがらせか?
そんなに土俵が神聖なら素人を一切土俵にのせるなよ。
土俵に無粋な台の上に「トロフィー」なんて代物をのせるなよ。
革靴履きの素人が歩き回るのを、男ならOK、女なら駄目、
ってのは男優位社会にえらく都合の良い伝統だな。
54かまいたち:2000/03/16(木) 20:29
そうだねー。関係者以外立ち入り禁止にすればいいね。廃止廃止。式典廃止。
55割り込み失敬:2000/03/18(土) 02:07
土俵の四つ角の柱って、もともと宗教的な意味があったものらしい
(結界?誰かご存知の方います?)。で、その大事なものを「テレ
ビ中継の邪魔」って言うんで、とっぱらっちゃったらしいよ。

テーマは変わりますが、京都の祇園祭。山鉾巡行ってのがありますが、
この山車も女性が触れなかったんですよね。
でも数年前に「女性が引く山車」って話を新聞かなにかで読んだんだ
けど、どうなったのかなあ。このへんは観光産業の影響らしいけど。

で、何が言いたいかっつーと、「宗教性」なんて何か絶対的なものに
見えて、実は結構歴史的文脈に影響されるようなものじゃないかっつ
ーことです。わき道に逸れちゃったらごめんなさいね。

56>55:2000/03/18(土) 16:30
女人禁制の山も少しずつ開放されているのは事実。

というか江戸時代に精進した後でなければ上れない御岳山に、勝手に登っちゃた人が御岳教の開祖になってるし。

だんだん俗化するのはやむをえないのか?

また、土俵の柱は陰陽道の影響。今は四色の房として痕跡をとどめるのみ。
57名無しさん:2000/03/18(土) 20:22
土俵の女人禁制は山岳信仰のそれとは種類が違う。
途中から議論が一緒になってるけど、それでは本質がわからなくなる。

日本書紀によれば雄略天皇のとき「うぬめ」(宮中の女官)
を集め相撲を取らせたという。この話は、相撲には昔から
穢れの発想はなかったということをあらわす。
伊勢神宮にいた斉宮や天照大御神を考えると、
そもそも神道に女性差別の思想はないんじゃないかと思う。

にもかからわず明治5年まで女性は相撲を見ること自体禁止されていた。
これは江戸相撲の観客は荒々しく客同士の喧嘩が絶えず、女性が行く
所ではないと思われるような危険な場所だったからだ。

そういう背景からすれば、相撲の女人禁制は宗教からきたわけではない。
14さんのいったことが一番納得がいく。


58名無しさん:2000/03/20(月) 06:04
男だけの職業では日本に限らず女を近づけない風習が生まれやすい。
  
59あのねのね:2000/03/20(月) 19:24
現在はもうないのかもしれないけど、戦前は女相撲っていうのが
あったそうです。『AERA』2000年3月20日号には
男相撲の土俵で元女力士が土俵に上がって挨拶した証拠写真が
のってました。(40年以上前のものだそうですが)
60名無しさん:2000/03/21(火) 06:55
男尊女卑の思想は儒教からッスか?
61>55:2000/03/24(金) 10:14
元来,現在の相撲の土俵は,殯の際に行われる歌舞が原型では
なかろうかという見解があります.で,殯のときにつくられる
殯屋に四本柱があったわけです.で,そのときに踊り担当の
役人が踊ったのが「素舞ヒ(スマヒ)」→相撲というわけらしいです.
で,相撲が殯屋で行われていたという歴史性を示すものとして
四本柱は重要だったのですが,NHKのわがままによって取り払われて
しまいました.ただ,その名残として場所によっては四つの房を
天上から下げているところもあります.(五来重説+自説をちょっと)
62>58:2000/03/28(火) 04:20
   ☆ぴかっ
 /)_/)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (,’ー’) < トンネルなどの掘削工事の作業現場なんかでも女性はタブー視
_( U U)    されてるようでちゅね★
         \____________________
63>62:2000/03/30(木) 13:57
最近ではそうでもないです。
でも、古参の職人さんとかはいやがるようです。
64名無しさん:2000/03/31(金) 03:31
漁船に乗れるのも男だけだったような。
65名無しさん:2000/04/01(土) 04:34
船の神様は女性なんですよ、確か。>ふなだま
だから女人禁制だと聞いた事がある。
66横レス失礼:2000/04/21(金) 17:09
>40@`43
それは赤ちゃんが生まれてくるところを
真正面からモロに見てしまうからいけないのだそうです。
どうしても立ちあわなければならない場合は
奥さんの足側ではなく頭側にいればいい、と経験者が語っておりました。
立ちあわない=冷たいとはわたしは思いませんけどね。
立ちあうのが当然みたいな風潮になってくると
(事実そうなっているのでしょうか?? よく判りませんが)
男性も大変ですよねぇ……。
67名無しさん:2000/04/22(土) 03:02
俺、高校の時にビデオで見たこと有るよ。
インポになるほど凄惨な物ではなかったけどまじまじと見るモンじゃねえな。
女性の方も見られるのは厭なのでは無かろうか?
68名無しさん:2000/04/26(水) 03:07
>64
船そのものが女性だから。
「丸」が女性を意味するのは有名だよ。
69名無しさん:2000/04/26(水) 07:57
>68
ほんま? じゃあ牛若丸とか梵天丸とかの武士の幼名にも
そんな意味が込められてるのですかね。
小さい頃は女童として育てる、・・・ヘミングウェイみたいだな。
70神話板らしく:2000/04/26(水) 12:20
山岳信仰において女人禁制とされたのは、山の神さまは女神さまなので、
女性が入山すると、女神さまがヤキモチを妬くからだ、という考えを
聞いたことがあります。
71名無しさん:2000/05/01(月) 06:04
山の行場が、女人禁制だったのは、煩悩を捨てるべき行者が女の
姿を見て惑わされてしまうから、のようです。修行の妨げになる
ということですね。男って弱いもの…。
72そうですね〜:2000/05/01(月) 21:51
>70

僕もそれどこかで読んだことあります。
宮田登さんが書いていたような・・・。

>71

修験道の峯入り修行においては、とりわけ対女性の煩悩を断つことを
もとめられていたそうです。
で、これは仏教の女人観に由来するものだとか。
(ただ、原始・古代仏教においてはそうは断定できないとか)
『日本民俗事典』(弘文堂)から
73名無しさん:2000/05/02(火) 15:50
>72さん
修験道も精進潔斎を考えますが、修験道は密教と日本古来の山岳
信仰が習合したものらしいですね。神道も精進潔斎と言いますし。
日本の古来からの宗教は、みなこのような傾向を持つのでしょうか。
(古来から、とまとめて言ってしまうと大雑把ですけれど)。
ストイシズムや清廉潔白が、日本の信仰のキーワードなのかも
しれませんね。
74う〜ん・・:2000/05/04(木) 19:32
>73さん。

レスをどうも。

>ストイシズムや清廉潔白が、日本の信仰のキーワードなのかも
>しれませんね。

う〜ん。
理想面はともかく、
現実面では、ストイシズム、清廉潔白ではないでしょう。

女性を放逐したために、性欲は同性に向かったわけで(^^;)
で、それを見たザビエルあたりが唖然としたわけです。

理想と現実の差なのか、それが本来なのかは知りませんが。
75女人禁制なのは、女性が尊い存在だから:2000/05/07(日) 04:18
>74
同性とエッチしちゃダメですね。煩悩捨てられないなら修行諦めれば
いいのに。

山の神が女神というのは、縄文人の考えのようです。縄文人は女性を
女神と崇めたのですね(逆に農耕する弥生人は、男神を崇めたそうです)。
ただ、神事を行うのは男性のみで、女性は参加できなかったそうです。
しかし、女性は神様になれちゃうのだから、立場としては明らかに
男性より上ですね。
縄文の地域の祭りは、誰でも参加できてオープンなんだそうです
(諏訪の御柱の祭り、青森のねぶたの祭り)。弥生は氏子しか参加
できなくて、土地の私有性からも特徴が出てます。
話を戻しますと、山で事故などが起こったときは、男性はいきなり
オシッコをするそうです。なぜかというと、山の神様は女神なので
オチンチンを見せて怒りを静める?ためなんだそうですよ。
76女人禁制は子孫を穢れや祟りから守るため:2000/05/24(水) 19:39
神事や祭事を行う時には間違って悪霊が取り付いてしまうことがあります。
神様と対峙する時は女性が執り行いますが、この女性は結婚をしません。
悪霊と対峙する必要がある時は必ず男性が執り行います。
女性に悪霊が付いてしまうと子々孫々まで祟られ部族が滅んでしまいます。
だから危険な場からはなるべく女性を遠ざけようとしました。
女人禁制は男が決めたわけではなく、原始共同体の中で自然に出来た禁忌なのです。
77>76
>女人禁制は男が決めたわけではなく、原始共同体の中で自然に出来た禁忌なのです。

あ、この考え、おもしろいですね。

でも、この場合の「原始共同体」とは、
進化主義的な「原始」概念ではないですよね?
この文は、「そういう土地が多い」という意味で解釈してよろしいのですか?

そもそも、沖縄は「男人禁制」なわけですから(^^;

興味があるんで、元ネタを教えていただけるととてもうれしいです。