1 :
天之御名無主 :
2012/11/02(金) 17:05:24.16
2 :
天之御名無主 :2012/11/02(金) 17:20:24.08
>>壱 乙! テンプレって無いんだ。
3 :
天之御名無主 :2012/11/02(金) 20:04:04.32
4 :
天之御名無主 :2012/11/02(金) 20:50:56.97
日本全国六十余州に跡を垂れ給う 掛巻くも畏き天神地祇八百万神等、冥道精霊等の 御前を遥に慎み敬い恐み恐みも 天の八開手高らに清らに打ち鳴らし寿言仕奉り称辞竟奉らくと白す。
5 :
天之御名無主 :2012/11/03(土) 22:22:45.77
失礼
此方に宣伝させて頂きます
http://ameblo.jp/universe5555555555/ 日本神話の事もっと知りたければ此方にどうぞ(笑)
楽しいですよ、日本神話(笑)
此方で日本神話の御神々と話しているサイトが御座いますので
どうぞ御寄り下さい(笑)
ちゃんとした会社員が運営してますので
辺り障りない表現者ですので
どうぞ御寛ぎ下さい(笑)
宣伝でした
失礼です(笑)
失礼します
失礼します
有難う御座いました
此れにて失礼します
7 :
天之御名無主 :2012/11/05(月) 01:59:16.47
神話を読みもしないで神話を語ったり、 神話を何か他のものにスリカエようとしたりする奴はもう来ないでほしい。
8 :
天之御名無主 :2012/11/07(水) 17:52:58.41
紅葉狩りとは守旧派(神武天皇生母派)狩りだと思う。 紅葉=このはなさくやひめ 紅の葉咲く野姫(コノハナサクヤヒメ)=紅葉(鬼女紅葉) 神功皇后、応神天皇は仲哀天皇皇子と戦争して負かしている。
9 :
天之御名無主 :2012/11/09(金) 01:36:09.14
もし、海外からお客さんが来て、これという日本神話の話をするなら どれにしますか? 私は熊野が好きで、熊野古道も行って来ましたが、まだよくわからないです あと伊勢にも行きました 教えてください よろしくお願いしますw
>>9 まあ、初めから話す必要があるかと思うが、岩戸開きかな。
>>9 イザナキとイザナミの話
海外のお客さんなら、ギリシャ神話に馴染みがあるだろうし
オルフェウスとの類似性や、それぞれの違いを話の種にするのも良いかも。
越の八口って八岐大蛇のことなの?
>>9 神話に詳しくない人でも知ってる国生みから岩戸開きあたりのメジャーな話でいいと思う
どこらへんの海外ってのも考慮する必要な場合はあるのかな. みなさん暗にヨーロッパ・アメリカあたりからと想像してるように思うけど.
どこだろうとあんま関係ないんでは。 アボリジニ相手なら「同じアニミズム文化圏ですね(^^)」みたいな底の浅い話をするとかいうなら別だが。
どこの国だろうが日本神話の初心者未満ってのは同じだよ
無難なところで
>>9 の地元に伝わるような話でもいいとは思う
後は海外のお客さんがギリシャ神話とかに詳しいなら日本神話と共通する話とかでも
みなさん、ありがとうございます 日本史を勉強するにも外交史などがメインらしくって 神話は最も基本的な事なので押さえておいた方が良いだろうと思いました また聞きにきます
神話は別に「最も基本的な事」ではないような。 日本神話を学ばなくても、日本の外交とかはわかる、というか たぶん、下手な神話の学び方とかする方がまずい気がする。 ここでいう下手な学び方ってのは、なんか日本の社会の動きとかを なんでもかんでも、日本神話とか禅とかに結びつけて説明したがる種類。 日本好きの外国人とかの中には結構いるからな。 あんまそっちの方に誘導するような説明の仕方はやめた方がいいと思う。
20 :
天之御名無主 :2012/11/16(金) 01:24:30.85
アマテラス・スサノオの舞台って九州で時代が下るほど東に舞台を移しているって解釈で良い?
アマテラス・スサノオの舞台は高天原
日本神話の頃の日本人のルックスってどんな感じだったんだろう? もっとガタイが良かったのかな? マタギみたいな感じ? 野球選手みたいだったとか?
神話なんだから、どんな姿を想定してもいいんじゃない?
>>23 の言ってることがよくわからない。
まあ、想定スべき姿なんてものがあるかどうかはともかく
それがないからといって、どんな姿を想定してもいいってのは違う気がする
人類初の猿人とかの姿は復元されているのに、 どうしてあの頃の日本人の姿はこれだけCGが発達しているのに 復元されないんだろうね?
スレチかも知れないけれど、 この間は天平文化のCG再現をやってて、色とりどりですごく良かったよ
>>25 世間の人が興味ないからとか
だってさ、神話は神話のままのほうが美しいじゃん
>>28 問題設定自体がおかしいんじゃボケ神話の時代っていつだよ。
スサノオとかがいた時代なのか
そんな時代はなかったでFA。
ヤマトタケルはいたかもしれんが、それは「神話のヤマトタケル」の原型が実在したってことであって。
その神話が語られた時代の人間のイメージしていたものってことなら
記紀神話と中世神話ではだいぶことなるだろうし。
例えば、髪型とか中世の絵では、スサノオなども中世風の装束をしている
>>30 横レスで悪いが
>そんな時代はなかったでFA。
神話の時代が無かったと言う根拠は?
過去を見て来た上で言ってるの?
自己流の解釈を想像で…か?
前スレで神話の歴史性について論理的に議論するのは無駄だと判断したから
今スレでは黙って見てたけどさ、自分の意見と異なる人間の質問に対して
「ボケ」扱いするんだったら、日本神話がただの創作物語だと言う
お前の持論を論理的に展開して見せろよ。
チンギス・ハンは灰色の狼と白い鹿の間に生まれた。
これは事実か?事実じゃ無いだろう。
じゃあ、チンギス・ハンは現実に存在しなかったか?否、実在した。
神話における現実と虚構の境界線が何処にあるのか?
自分の頭で考える事も出来ずに思考停止するのは勝手だが
他人まで巻き添えにするのはやめとけ。
歴史が歴史として語られる様になる以前
遠い昔に人類は神話の中に生きている時代があったんだよ。
生まれたての赤ん坊が突然机に向かってクトゥルー神話の執筆を始める訳が無いだろ。
>ヤマトタケルはいたかもしれんが、それは「神話のヤマトタケル」の原型が実在したってことであって。 という一文を既に書いている相手に、 >チンギス・ハンは灰色の狼と白い鹿の間に生まれた。 >これは事実か?事実じゃ無いだろう。 >じゃあ、チンギス・ハンは現実に存在しなかったか?否、実在した。 とか書いて反論になると思うセンスがわからん。
>>32 >ヤマトタケルはいたかもしれんが、それは「神話のヤマトタケル」の原型が実在したってことであって。
これはアーサー王伝説の原型みたいな意味で、チンギス・ハンとは違うと思うが?
チンギス・ハンの元になるモデルがいて、それを元にチンギス・ハン伝説を創作したのか?
最近はそういう学説が主流なの?
論理的な議論をする事もせずに、ネチネチと絡んでくるのは止めてくれ。
お前らと議論するのは無駄だと知ってるけど
真面目に質問してる人間をボケ呼ばわりはどうかと思ったんで言わせて貰っただけ。
今度は、スサノオ辺りの話が全て虚構だと論理的に証明する準備が整ったら呼んでね。
ものすごい単純な話だが、神話で語られるとおりの事実があったわけではない。 本当に山や谷をまたぐ巨大な大蛇がいたわけでもないし、 女が引きこもって世界が闇に包まれたわけでもない。 男が死んで白鳥になって飛んで行ったわけでもない。 そのような意味で、神話の語ることが起きた時代は存在しない。
>>33 >これはアーサー王伝説の原型みたいな意味で、チンギス・ハンとは違うと思うが?
>チンギス・ハンの元になるモデルがいて、それを元にチンギス・ハン伝説を創作したのか?
「ヤマトタケルの原型」ならそういう反論もありだが、
「神話のヤマトタケルの原型」ならそういう反論は無効。
「灰色の狼と白い鹿の間の子孫のチンギス・ハーン」の原型が「ホモ・サピエンスのチンギス・ハーン」として実在したが
「灰色の狼と白い鹿の間の子孫のチンギス・ハーン」が実在しなかったのと同じ。
論理的な議論をする事もせずに、ネチネチと絡んでくるのは止めてくれ。
>歴史が歴史として語られる様になる以前
>遠い昔に人類は神話の中に生きている時代があったんだよ。
お前が言ってた、謎の「歴史が歴史として語られる様になる以前」の「神話の時代」ってのは、
チンギス・ハーン伝説が形成された頃なんていう最近も含むのか。
「歴史」が語られる以前じゃなかったのか。
そういう自分が何を言ってるかを、ちゃんと検討して、言ってることが支離滅裂になってないかを考えることが
「論理的」に考えることの基礎だぞ。
>>35 >>33 じゃないが、そんな細かい整合性にこだわってたら神話はわからないぞ
いや、神話そのものやそれを信じてる人々(複数形)に、論理的に整合的な首尾一貫した世界観や概念体系があるはずだ、とかということを仮定するのは問題だが それを理解しようとしているこちら側の概念がぐちゃぐちゃだとそれはマズイだろ。
なんだ、また例の「ぼくのかんがえたしんわがく」君が来てたのか。 自分の頭の中だけで通用するトンデモ理論を吹聴するまえに、 まずは「客観的事実」として「世界の神話」そのものをちゃんと読めよ。話はそれから。
>>35 チンギス・ハンが神話なんて一言も言って無いだろ。
1200年頃の実在した歴史上の人物でさえ、狼と鹿の子供なんて尾ひれがついてくる。
時代が古くなり、伝説や神話として語られる所まで遡ればより一層その傾向は強くなる。
それをもって
>>34 の様な神話の時代が存在しなかったなんてのは屁理屈に過ぎない。
アーサー王の実在を否定する議論は非常に論理的に行われているが
日本神話に関してはそれが無く「認めたくないから認めない」「実在する筈が無い」それだけ。
>「ヤマトタケルの原型」ならそういう反論もありだが、
「神話のヤマトタケルの原型」ならそういう反論は無効。
全く意味がわからないんだが
そもそも、神武天皇以降は神話では無く歴史として語られてるだろ。
日本だと、神武天皇以前が古代日本人と俺が言う神話の時代だ。
実在する筈が無いと思った物に神話のレッテル張りをするのは左翼学者の定義に過ぎない。
>>38 お前には日本神話よりクトゥルー神話の方がお勧めだよ。
>>39 主張していることは
>>35 とほとんど変わらない気がするんだが?
なぜなら
>>39 も「尾ひれ」の部分は実在しないと認めているのだから。
しかし問題は何を「尾ひれ」とするかだ。
>>39 は、単に実在性を肯定しようがない要素を
「尾ひれ」として排除することにより、実在性を肯定できる部分を残すことにより
「神話」の実在性を主張しているにすぎない。
しかし、この主張は「神話」の時代が実在するということを前提として行われている
恣意的な操作であってトートロジーに陥っている。議論として成立していない。
つまり、逆に
>>39 のいう「尾ひれ」が「神話」にとって本質的だと考えるだろう反対者を論破するには、
まず「尾ひれ」が「尾ひれ」であり、それを、実在性を議論するときに排除することの意味を論証しなければならない。
そして
>>39 はそれを一切行っていない。
そのような議論をしても誰も説得できない。
ついでに「アーサー王の実在を否定する議論」って具体的に何? 一般書やウェブページではなく、論文名で教えてくれ。
>>39 > お前には日本神話よりクトゥルー神話の方がお勧めだよ。
なんで何の脈絡もなく「クトゥルー神話」なんてワードが出てくんのかね? 意味がわからん。
ここは日本神話スレなんだから、ちゃんと日本神話の話しようぜ。
「スサノオと同体と言われているクシミケヌノミコトは、本来いかなる神格であったか」、とかさ。
最近出雲にも行ったし、この辺マジ興味あんだよね。
>>40 お前らは「神話の時代」が俺の頭の中にしか存在しない謎理論みたいに言ってるが
記紀の編纂者自体が神代(神話の時代)と人代(歴史の時代)を区別している。
その神代である神話の時代が存在しないと言うお前らの主張はつまり
神代の物語は過去から伝わっている話では無く、3〜4世紀頃に都合よく捏造した物であり
空想の産物である以上その時代に生きていた人間はいない!と言う事だろう。
だったら、神話が創作であると言う証拠を示せ。
お前らは神話の時代は存在しないと断言した。
そして、そう言いきる根拠を何一つ提示しない。
議論にはならない。時間の無駄。
>>42 >ここは日本神話スレなんだから、ちゃんと日本神話の話しようぜ。
>>38 はお前じゃ無いのか?
日本神話スレで世界の神話を読めと言ったのはお前だぞ。
神話は創作じゃ無いと気が済まなそうだから
完全な創作物語(小説)であるクトゥルー神話を勧めた。
>「スサノオと同体と言われているクシミケヌノミコトは、本来いかなる神格であったか」、とかさ。
もしかして、お前が好きなのは「神話」じゃ無くて「神道」じゃ無いのか?
>>43 指摘されていることに反論をしてから自分の主張を繰り返してもらいたいのだが。
まあいい。
この議論では、A「語られたものとしての歴史」とB「実際に起こった出来事としての歴史」を混同してはいけない。
そして
>>43 への反対者は、AがBではなかったから実在していないと主張している。
この根拠は
>>34-35 に示されている。
それに対して
>>43 は、Aが神武天皇の時代以前において語られていたことは事実だと主張している。
しかし語られていたこと(A)がすなわち歴史時代として(Bとして)実在していたことにはならない。
>>43 はこの齟齬を説明しなければならない。
ちょっと考えたんだが
現状は歴史家と宗教家が神話はどっちの物か取り合ってる様な感じだな。
古代の日本人は神話を歴史として語り継いで来た。
一方、神道は神話に立脚している。
「総合スレ」である以上、どちらの入り口もある訳で
スレタイに「信仰としての日本神話スレ」とか「神道としての日本神話スレ」とか入れたらどう?
聖書だって、歴史として研究してる人間と信者が議論するのは無理だし。
あと、テンプレにも「神話を象徴的な物語として捉えるスレです」とか入れといった方が良いよ。
>「スサノオと同体と言われているクシミケヌノミコトは、本来いかなる神格であったか」、とかさ。
こういう議論が好きな人間だけ書き込めるスレにしたら良い。
幅広く受け入れる気も無いのに総合スレにしたのが間違いの元。
そうしないと
>>22 みたいな質問した人間が
>>30 みたいなのに絡まれる糞スレになる。
386:天之御名無主[] 投稿日:2006/02/16 14:51:52 出雲大社の祭神は昔は大国主命ではなく、スサノオノミコトだったらしいが、 何故に祭神が変わったのだ? 387:天之御名無主[] 投稿日:2006/02/16 23:18:08 >386 中世の頃は神仏習合の影響で、 出雲大社と山を挟んで反対にある鰐淵寺に祀られる蔵王権現と同一視された為とか聞いたことがある 近世には大国主命に戻った 388:天之御名無主[] 投稿日:2006/02/17 23:38:48 >386 面白い質問だ。古事記/日本書紀ではヤマタノオロチは スサノオノミコトが退治しているが、出雲風土記では、 大国主(大穴持)命となっている。これに関連性があるの ではないだろうか? 389:天之御名無主[] 投稿日:2006/02/19 23:53:31 それって島根の安来ってところの話だろ? そこに母里郷というのがかつてあって、意宇(おう)国主が 大穴持の時代であったとき、古志の八口を平らげたという 話だと思う。 意宇国主とは今の島根県東部を治める王の称号で、大穴持 もスサノオもそれぞれの時代に即位した別人物だったと思え るがいかがかな?
>>43 お前、
>>40 の言ってることまっったく理解できてないだろ? レス内容があまりにも的外れだぞ。
>>44 > 日本神話スレで世界の神話を読めと言ったのはお前だぞ。
「神話とはいかなるものか」を語りたいなら、自分が語ろうとする対象の客観的データに当たるのは当然の作業だろ。
それをしないで屁理屈こねてるから、トンデモになるんだよ。
大林太良でも松村一男でもなんでもいいから、とりあえずちゃんとした神話学者の概説書でも読めって。恥さらさなくてすむから。
> もしかして、お前が好きなのは「神話」じゃ無くて「神道」じゃ無いのか?
日本神話が記紀だけだと思ってるのか?
そして、信仰や宗教とは無縁の、「物語」だけで完結した世界のみを神話として扱うと?
クトゥルー神話をありがたがる向きと大して変わらんよ、それじゃあ(笑)。
>>47 >>22 の質問に対しては、親切に画像あげてくれてる人がいるじゃん。お前の目は節穴か?
まあ
>>22 の質問自体、学問スレで聞くにしてはちょっとナイーブすぎんだろ。
アホなやつに「アホ」と正直に言ってくれるというのは、実はとても親切なことなんだぞ。自分を「客観的に評価する」いい機会じゃないか。
言われるやつは、言われる理由があるから言われる。それだけのことだ。それがシャクに触ると言うなら、言われないようにアタマを鍛えるか、2度とここへは来ないことだな。
>>46 意外にも論理的な反論で嬉しいよ。
>この議論では、A「語られたものとしての歴史」とB「実際に起こった出来事としての歴史」を混同してはいけない。
正論。その通り。
>そして
>>43 への反対者は、AがBではなかったから実在していないと主張している。
それが飛躍。チンギス・ハンの生まれが正にAがBでは無い状態だが
チンギス・ハンは実在した。AがBでは無いと言う事はAがBでは無いと言う事であり
実在を否定する根拠にはならない。
それこそ、AとBを混同している。AとBはあくまでもAとBでしかない。
>それに対して
>>43 は、Aが神武天皇の時代以前において語られていたことは事実だと主張している。
誤読。事実であるとの主張はしていない。
@神話の時代とは神武天皇以前の時代の事で、記紀でもその様に分類されている。
AAがBでは無い事が実在を否定する根拠にはならない。
神話の時代を否定する人間がその根拠をまるで提示せずにただ否定している事を指摘。
もう一度、齟齬があるか確認してくれ。
急に自演くさくなったな。
>>47 追記。
何か根本的に勘違いしているようなんだが、神道を本気で信仰しているやつは、
「スサノオと同体と言われているクシミケヌノミコトは、本来いかなる神格であったか」
なんて問いを発するわけがないんだよ。それは、神を疑う/否定する行為につながりかねないからな。
無知なくせに無理に他人を皮肉ろうとして、またぞろトンチンカンなレスを垂れ流す。あーあ、野暮野暮。
>>39 >チンギス・ハンが神話なんて一言も言って無いだろ。
何についてい反論したいのかわからん。
単に字面だけの問題なら、あなたがそんなことを言ったとは一言も言ってないんだが。
あとチンギス・ハーン自体が狼と鹿の子どもとされてるわけじゃないぞ。
>それをもって
>>34 の様な神話の時代が存在しなかったなんてのは屁理屈に過ぎない。
いや、
>>34 のいうことは、基本正しいだろ。
なんでそんな時代がなかったということを論証する責任が相手側にあると思うのか。
立証責任はあったという側にあるだろうw
いや、
>>34 的なマジで非科学的なことの立証責任もそうだが
神話は「神話の時代」の史実の反映である、という主張に関してもその立証責任は、そう主張する側に当然ある。
>>43 神話(myth)という現代の概念と、神代という当時の概念をごっちゃにしたらダメ。
さらにいうと、「神代」の話が、史実を反映していたとしても、
その時代の人々は、当たり前だが人間の世界を生きていたので、「神代」の時代の人間ではない。
神話と神代をごっちゃにし、なおかつ、記紀編纂時代の認識と、”神武以前”の人間にとっての認識をごっちゃにしている。
>>47 罵倒したのは
>>28 であって、
>>22 ではないんだが。
問題設定自体がおかしい点では同じだが、罵倒はしてない。
もう少し。 記紀の内容をすべて真実として受け入れろ、そうじゃないやつは反日ブサヨだ! みたいな言い草の方が、よっぽど妄信的だと思うがなあ。 聖書原理主義者みたいな。 神話には明らかに事実とは言いがたい内容が含まれており、 それは記紀に限らず世界中どこの神話でもそうだ。 「だから」、そうした事実でない記述を神話本来の語りの性向として捉え、 「人間は何ゆえ事実ではない内容を含んだ物語を神話として欲するのか」、そういう問いを発するのが正しいやり方だろうよ。 神話に含まれる虚構性を否定するのは、神話そのものを否定しているのと同じだ。
>>49 的外れでは無く、脱線しない様に本筋に戻したんだよ。
お前らは神話の時代は存在しないと言った。
だが、そう言い切れる論理的な根拠は提示しない。
で、神話を物語として扱ってるのはお前だろう?
神話も歴史もそこに人間の生活があったのなら、信仰や宗教も内包しているさ。
どうして、この神社にこの神が祀られているか、その歴史も語るのが神話。
>>50 >>22 をアホ扱い出来る程に賢いんだったら、神話の時代が存在しない根拠も
サラッと提示してやれよ。
戦争で活躍したから軍神として神社に祀られるのでは無く
軍神として神社に祀る為に武勇伝を創作した。
それがお前の主張する神話なんだろ?
そこを詳しく語ってくれよ。
鍛えた頭を披露するチャンスだぞ。
>>51 >それが飛躍。チンギス・ハンの生まれが正にAがBでは無い状態だが
>チンギス・ハンは実在した。AがBでは無いと言う事はAがBでは無いと言う事であり
自分は
>>35 だが
>>46 の要約の仕方はともかく、自分は、そんな飛躍はしてないが。
「狼と鹿の子孫としてのチンギス・ハーン」の実在なら否定したが。(←ただし、これはちょっと不適切だったかもしれない)
「神代の時代の人間」も実在しないよ。
>>34 が指摘するように神々の時代なんてなかったからね。
で、さらにいうなら、実際に神々が超古代に日本列島に活動していたとしても、「神話の中の日本人の姿」を問題にした場合
その実在した神々の下で生活していた人間の姿ではなく、記紀神話なり中世神話なり国学の神話なりの
神話を語っていた人々の観念が問題になる。
その意味において、「神代」と「神話」は全く別の概念だ。
ある文化の人々が「神々の時代」と「人間の時代」を区別していたとしても
単純に「神々の時代」が神話で「人間の時代」が非神話になるわけではない。
あくまでも「神話」は文化の「外」から分析する概念。
もちろん自文化の「神話」を研究することはできるが、それは自文化に対して距離を置くことによってしか成立し得ない。
>>56 はいはい、悪魔の証明。
存在しないものの証明はできない。「存在する」と主張するなら、その根拠を提示しなさい。
ちなみにだが、俺は「神話の時代は存在しない」とは一言も言っていない。
むしろ、記紀の神代編には歴史的事実の反映と見られる部分が濃厚にあると思っている。
もちろん、お前さんが言う意味での「神話の時代」と、それらはまったくイコールではないが。
そういうわけで、だ。
> 戦争で活躍したから軍神として神社に祀られるのでは無く
> 軍神として神社に祀る為に武勇伝を創作した。
> それがお前の主張する神話なんだろ?
こんなことは俺は1ミリも主張していない。
他人の主張を勝手に脳内で妄想・捏造して、勝手に叩いて悦に入る。そんなバカの相手は金輪際、御免だ。
お前も、いい加減に自分が糞バカ野郎だという「客観的事実」を認めて、責任ある行動をとれ。わかったか。
>>56 追加だ。
> 神話も歴史もそこに人間の生活があったのなら、信仰や宗教も内包しているさ。
> どうして、この神社にこの神が祀られているか、その歴史も語るのが神話。
だからクシミケヌの真の歴史を語ってみせてくれよぉ〜。俺本当に興味もってんだぞぉ〜。
ここで何人議論してるんだ?
たぶん、3人
主に発言してるのはそれくらいだが、もう1〜2人くらいは関与してるっぽいな。
時々、タメになります_(._.)_
というか単にネトウヨがリンチされてるだけじゃね?
そもそもこのスレには、津田左右吉流の「記紀神話はすべて官人の造作」なんていう古い理論を信じている奴はハナからいないだろ。いないよな? だからと言って、「記紀神話はすべて古代より語り継がれた真正の伝承だ」などと180度反対のことを信じている奴もいない。 津田流国史学がダメだからと言って、江戸時代の国学に先祖がえりしてしまったら、学問としてはタダの退化だ。 神話と言うものは実は、テキストに定着して「死んで」しまわない限り、語られるたびに変容するものだ。 だから、神話に現れる「太古=神話の時代」というのも、それを語る時点での太古へのイメージが投影されて出てくるもので、 DVDみたいに録画された太古を正確に伝承している、なんてことはまったくない。 だから、記紀神話の成立期の「神話観」と、中世神話の時代、国学の時代、そして現代の日本人の「神話観」、すべておのおの違っている。 そうした「語る主体」の歴史的・社会的差異を無視して、一切変化せず「太古」から伝承されてきた「真正の神話」みたいなものがある、と無根拠に想定するのは間違いだ。単純に、勉強不足なんだよ。
そこで、あらためて
>>22 の
> 日本神話の頃の日本人のルックスってどんな感じだったんだろう?
という問いに答えるならば、それは答えるものの「神話観」、つまり「神話の時代」をどう捉えているかによってまったく違ってくる。
ぶっちゃけ中世神話の時代には、日本の神々は道教の神や仏教の天部のような格好をしていると考えられていたし、
江戸時代の武者絵などでは歌舞伎役者と同じような格好をしているし、
明治以降現代までは、学問的に再現された弥生〜古墳時代人のような格好をしている。
ちなみに先日、出雲の八重垣神社で有名なスサノオとクシナダヒメの壁画を見てきたのだが、源氏物語に登場するような、平安時代の宮廷の官人・女官のような格好をしていた。
ちなみに俺は、イザナギ・イザナミは縄文人のような姿で想像している。
適当に纏めておくと
俺は神話の内容がそのまま事実だとは言って無い。
神話には古代人の考えや宗教がどの様に確立されていったのかが
歴史として刻まれている。
だから、古代史を知る手掛かりとして重要だと思ってるし
神話の時代の人間の姿がそこから見えて来るんじゃないかと考えてる。
それに対して、神話の時代が存在しないってのは
あくまでも神話は事実とは無関係に創作された物であり
そこから古代史は見えて来ない。
ただの物語である。って言う事だろう?
勿論
>>34 が実際に起こったのが神話の時代なんて定義もしていない。
神々も実際に神々として存在した訳でも無い。
あくまでも、物語を作るのは人間。
俺が言う歴史ってのは当時のありのままを真空パックした物では無く
当時を知る手掛かりが断片的に埋め込まれている物だ。
クトゥルー神話の様な創作物にはそれが無く
日本神話や聖書にはそれがある。
神話で語られる事がリアルタイムで生成されていた時代が神話の時代
と言ったら通じるのか?相変わらず無駄か?
>>67 > 神話で語られる事がリアルタイムで生成されていた時代が神話の時代
結局、神話の内容から事実性の高そうな部分を恣意的に取捨選択して「リアル神話時代」って言うだけだろ。
歴史の捏造だよ、そんなもの。
神話は、事実性の高そうな部分も、虚構性の高い部分も、すべて渾然一体としてはじめて「神話」なんだ。
神話は、そういうものとして語ることに意味があるから、地球上のすべての文化圏で、そういうものとしてある。ひとつとして例外はない。
これが、神話をめぐる「客観的事実」だ。いい加減に現実を見ろ。
>>67 >それに対して、神話の時代が存在しないってのは
>あくまでも神話は事実とは無関係に創作された物であり
>そこから古代史は見えて来ない。
>ただの物語である。って言う事だろう?
誰もそんな事言ってないよな。
いや、自分の場合、事実が元になってない場合だって普通にあるだろ、とは思うけれど
別に事実が元になっていたって別に構わない。
というか事実が元になった場合でも、「神話学」みたいな観点からは
史実を探る道標になるかどうかとは別の次元のレベルで関心がもたれる。
たとえば、あなたの神話ってのは史実が混ざってるからただの物語じゃないんだ、という理屈だと
その神話の元となった史実がはっきりしてれば、その神話はは用済みなわけだが
でも神話学、というか人類学などの神話研究に於いては、まさに神話それ自体に関心があるわけ。
史実がはっきりしてるなら、そこからどう変容したのか、とかその社会的意味とか、色々考えるべきことがある。
前スレで紹介した『伝説が生まれるとき』とかね。未読だけど最近↓みたいな本も出たらしい。
ttp://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121120/1353371309 神話が「ただのフィクション」じゃないのは、別に史実を探る手がかりになるから(だけ)じゃないよ。
>勿論
>>34 が実際に起こったのが神話の時代なんて定義もしていない。
あなたの脳内の自己完結定義なんてどうでもいいの。
せめて、それを「神話の時代」とわざわざ呼ぶことの意味を語ってくれ。
一歩譲って、あなたのレスがきっかけとかなら、「この人はそういう定義で語ってたのか、じゃあ…」みたいになっても
横から話を割り込んできて、「俺の脳内定義に従え」とか言ってもアホでしょ。
>神話で語られる事がリアルタイムで生成されていた時代が神話の時代
>と言ったら通じるのか?相変わらず無駄か?
神話で語られたことの原型となった史実がもしあったとして
たとえば、全然時代の違う人物が一つの人物に統合されたり、一緒に活動してたら、その「神話の時代」はいつになるの?
架空の人物と統合されることだってありうるよね?
前にも言ったと思うが、あらためて言う。 およそ記紀とか聖書とかいうやつは、世界中にある神話的文献のなかでも、最も「神話的でない」(=後人の恣意的編集がはなはだしい)部類のものだ。 神話を考える上で、こららを基準にすえるのは極めて危険だ。 もっとほかの、神話らしい神話をきっちり読み込んでから、自分の「神話とは何か」という考えの基盤を作ったほうがいい。 でないと、一生神話と言うものを勘違いしたまま死んでしまうぞ。
神代と人代を記紀編纂者が区別してるのに、
それを無視して神話かどうかを区別するのは左翼学者の傲慢ってのは、ちょっと考える余地がある。
でも、その場合、「神話」という概念そのものの放棄を目指すべきであって
「神話の時代」という得体のしれないものを導入するのは違うよな。
穂刈実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』では、アボリジニの語る(近代史の中で精霊とかが活動する)歴史を
「我々の歴史と彼らの神話」という対立に回収するのではなく、別の歴史実践として向きあおうとする無謀な試みの本だけど
http://ko-sho.org/page/41/ http://www.hokariminoru.org/indexjp.php 「宗教も科学もなかった神話の時代の人間」みたいな見下した立ち位置からのそれは、それとは正反対のものだしな。
>>70 ようするに記紀や聖書以外はもっと古代史が埋め込まれてるってことだな
>>72 ちげーよバカ。
「神話を語るという人間の生理がよりストレートに表れている」ってことだ。
神話を語るという人間の生理ってなんだよ 神話は現代人の概念だとか言ってたくせにw
>>74 > 神話は現代人の概念だとか言ってたくせにw
「俺」は言ってねえっつの。
自分への批判レスの内容をいちいちごっちゃにするな。
>>75 じゃあそいつもあんたがちゃんと批判しろよ
間違った意見が許せないんだろ?
だいたいあんたも敵をごっちゃにしてるぜ
>>60-61 の時点より議論への参加者が増えたみたいだな
ありがたやありがたや
>>76 > じゃあそいつもあんたがちゃんと批判しろよ
> 間違った意見が許せないんだろ?
「神話は現代人の概念にすぎない」という観念を批判するのは意外とやっかいでな。文脈によっては必ずしも間違いではないし。
> だいたいあんたも敵をごっちゃにしてるぜ
そいつはすまなかったな。
話は変わるが、
>>30 > スサノオとかがいた時代なのか
> そんな時代はなかったでFA。
後漢書に言う倭国王帥升が、スサノオの歴史的実体であった可能性はあると思うね、俺は。
>>69 随分レスが増えてるけど、結構人がいるんだな。
で、脳内自己完結定義って言うけどさ
記紀編纂者自体が神代(神話の時代)と人代(歴史の時代)を分けていて
>>22 はそのつもりで神話の時代について質問したんだろ?
それに対して、神話の時代は存在しない。アホ。って言ってたから
割り込んで横レスして、こうなった訳だが
そっち側こそ「俺の(神話時代など存在しないと言う)脳内定義に従え」って事じゃないのか?
神話解釈の多様性を否定しているのはそっち側だろう?
お前らのルール内でしか神話に触れたらたらいかんのか?
>>68 神話に限らず、歴史自体が事実と虚構が渾然一体になった物。
>>80 あなたの定義では神代の時代の元になった出来事があった現実の歴史時代なるものが神話の時代だが
普通、わざわざ”神話の”時代といった場合、
>>34 のような神話的状況が想定される。
だって、それこそが一般的に考えられる神話の神話の所以だからね。
あなたの脳内定義といった。
神話=神代ではないのはいいとして、
神代の世界は
>>34 的な神話の世界なので、どっちにしろあなたのいう歴史上の時代のことささない。
というか、記紀編纂者が神代をわけているのは、まさに”神々の時代”だからであって、
そこを否定して人間の時代が実在した(はず)だから、神代は実在した。だから神話の時代は実在したって理屈なら
そもそも記紀編纂者の分類に乗る意味自体をなくすだろう
あと、既に複数の人に指摘されているが記紀神話=(日本)神話ではない。、
ノアってどんな顔してたのかな?って疑問に ノアの洪水って恐竜の化石とか見て思いついたと思うんだよね。 ちゃんと歴史的事実を反映してると思うんだ、だからその歴史的事実を調べれば ノアの洪水以前の人間の顔もわかるよ。 だから、ノアは哺乳類の祖先のネズミみたいな顔をしてたんだよ このレベルのマジキチ
>>81 神話の時代に人間の時代が実在しなかったのなら、神話と言う物は
神々が語った内容を預言者が記録したか、後世の人間が創作したかの二択かい?
神話を語ったのは何時の時代の誰なんだい?
例えば、出雲の国譲りなら、その時代に人間がした事が神々の話として後世に伝えられたのか
神々が我々のした事として預言者に話して聴かせたのか
後世の人間が神々の活躍を想像してこしらえたのかどれなの?
そこまで考えた上で人の考察を「脳内定義」と馬鹿にしてるんだよね?
アスペルガー症候群を何だと思ってるんだこいつ
>>83 え、一般的な意味での「神話の時代」が実在しなかったと言ってるのに
なんで「神話の時代」(どういう意味で言ってるかは知らんが)とやらに「人間の時代」が実在しないと言ってることにされてんの?
>神話を語ったのは何時の時代の誰なんだい?
記紀神話を語ったのは記紀編纂の時代だし、中世神話を語ったのは中世だし、国学の神話を語ったのは国学の時代ですね。
>例えば、出雲の国譲りなら、その時代に人間がした事が神々の話として後世に伝えられたのか
>神々が我々のした事として預言者に話して聴かせたのか
>後世の人間が神々の活躍を想像してこしらえたのかどれなの?
どれでもいいよ。どれでも問題ない。
いずれにしろ一般的な意味での「神話の時代」も「神代」も現実の歴史(少なくとも我々の考える)の一部を指さない。
>>85 コレに関しては完全に俺が間違ってた。撤回する。すまん。
話豚切るが、神話時代の神が後年、何処かに現れたって話は全国各地にあるのか?
>>86 >記紀神話を語ったのは記紀編纂の時代だし、中世神話を語ったのは中世だし、国学の神話を語ったのは国学の時代ですね。
つまり、記紀神話の編纂者が創作したと言う事では無く
戦国時代の歴史を今語るなら、それは今歴史が語られていると言う屁理屈?
神話は生き物で常に二次創作されていると言いたいのかな?
で、オリジナルは既に原形を留めていないから歴史的な価値は無いとか?
どの様に語られたか時代毎の変遷そのものに価値があり
時代毎の神話の解釈について解釈するのが正しい神話学と言う事?
>どれでもいいよ。どれでも問題ない。
そういう態度で神話に向き合うのが正しいのか。
じゃあ、最初から話が噛み合う筈は無い。
もうこんなやつ相手してもムダだな、屁理屈でやり返すたびに自分の足元がどんどん崩れてってるのに気がつかないんだから。
>>89 >戦国時代の歴史を今語るなら、それは今歴史が語られていると言う屁理屈?
歴史と神話は、言葉の意味の時点で違います。
だいたい神話(myth)は「キリスト教徒から見たギリシア神話」を通過している概念なので
非事実性を半ば含意しているのだ。(実際には古代ギリシアの時点で虚構性のニュアンスがあることもあったりするが面倒なのでパス)
近現代の神話研究における神話概念も、大雑把に言えば、結局は”それを信じる人にとっての”ということが問題になる。
だから、神話を神話として問題にするなら、まさに信じている人、語っている人などに注目するのは当たり前。
勝手に、神話=歴史の史料に過ぎない物、に切り詰めている捉え方のほうが異常。
>で、オリジナルは既に原形を留めていないから歴史的な価値は無いとか?
それは個々の神話によるとしか。
ただ「神話一般」の話には拡大できないし
神話研究じゃなくて、歴史研究でしょ。(もちろん、個々の研究について単純にどっちかに分類できるってもんでもないが)
というか、むしろ歴史の史料として使えないようなものほど、(我々の概念において)神話らしい神話として認識されるわけで。
神話研究の場合、史実は目的ではなく、語られている神話を説明するためのもの。
史実から神話がどうできたかとか、史実が神話にどう反映しているかとかについての研究は、場合によっては大切なものだよ。
>どの様に語られたか時代毎の変遷そのものに価値があり
もちろん、そこに価値がある。
まさか、君は「史実を推測する手がかりにならない神話には価値がない」とでも思ってたの?
当然、”神話らしい神話”なほどそういうのが多いわけだが。
>>89 が記紀神話の冒頭の創造神話をどのように歴史と関連付けているのか興味ある。
神話の歴史、神話の中で語られる歴史じゃなくて 神話それ自体の歴史みたいなのはネトウヨ君にとっては何の意味もないものなんだろうな。 たとえば、インド・ヨーロッパ語族の諸神話を比較して 原インド・ヨーロッパ神話を復元する試みにはかなりの蓄積があるけど そういうのは、どういう位置づけになるんだろう。
神話の時代がかつてあったという斬新な捉え方にお前ら左翼学者に洗脳されたバカどもはついてこれ寝てないようなだな 君たちは新しい天才の登場を眼にしているのだよ
要するにここの奴らは神話をただのファンタジーってことにしたいんだよなw それこそクトゥルー神話でも呼んでろよって感じだなw
98 :
天之御名無主 :2012/11/22(木) 22:30:41.28
明日明後日、フェリス女学院大学で開催される日本文学国際会議って素人が行ってもいいもんなのかな? 誰か詳しいやつおらん?
神話の時代とは、大和朝廷成立以前を言う 大和朝廷とは、前方後円墳国家である 即ち神話の時代とは、縄文、弥生、古墳時代草創期を指す
鬼=オニについてネットでちょっと調べた上で質問です 「オニの語源は隠(オヌ)が変化したものだ」、というのをよく見るんですが このオヌっていうのは「居らぬ」か何かの音便無表記みたいな何かなんでしょうか? あ、古文漢文知識は高校生レベルでストップしてます
単に音読みです
月を見るのは不吉と本(タイトルは失念してしまいました)で読んだのですが、何故ですか? 月小屋と何か関係しているのでしょうか?
>>22 ガタイがよかったに決まってる。
鉾の雫で日本が生まれたんだからアメリカ大陸以上のガタイの大きさがあったはず。
神名って人によって解釈が全然違っててどれを信じればいいのやらだな 住吉大神の筒の意味とか
どういう説があるの?
星説:航海の目印となる星の神。宵の明星を夕づつと言うが、星を単独でツツと呼んだ例はない。 津説:底つ津、中つ津、上つ津の男。港の海底、海中、海面の守護神。 槌説:槌状の櫓や櫂のこと。 筒説:和船の帆柱受けの太い筒柱。
「○つ津の男」の誤分析が一番それっぽい ただ、いつも「つ」と「の」の違いが気になる
古事記伝では神名によくある「○○つち」のつちと同じ意味だと解説してたな
神名によくある「○○つち」は古事記伝は、どういう意味だと解説してあるの?
ヤマツミやワタツミの名前はヤマツチ、ワタツチではいかんのやろか?(´・ω・`)
∧_∧ ( ・ω・)づ☆ ペチペチ と_,、⌒) ) (_ ノノ ∧_∧ (・ω・ ) と_,、⌒)^)=3 ブッ (_ ノノ
>>110 チとミの違いってよくわからんね
魑魅魍魎とも言うし、チは漢字で霊と書いたりするけど
>>112 表記の問題じゃないだろw
ツチで一つの単語と思ってた可能性がありえるんだろ
軻遇突智 建御雷
日本書紀の固有名詞は、単語ずつ読むようなものじゃん 例えば、闇罔象神(くらみつはのかみ)は闇(くら)罔(みつ)象(は)神とは読まない 古事記の固有名詞は、訓と万葉仮名で読める 闇御津羽神は闇(くら)御(み)津(つ)羽(は)神 そうすると、訓と仮名で分割してる古事記の神名は当時の人間なりの神名の分析を表してると考えることができる そして、カグツチは迦具土、タケミカヅチは建御雷のように、ツとチをわけずに訓をあててる ヤマツミは山津見、ワタツミは海津見のように、ツとチをわけて訓(仮名?)をあててる ということは、少なくとも古事記編纂当時の人間は、 ツミのツは格助詞の「つ」だと認識することができたが、ツチ(イカヅチ)のツは格助詞として認識できなかったんじゃないか? という話がしたかった
×ヤマツミは山津見、ワタツミは海津見のように、ツとチをわけて訓(仮名?)をあててる ○ヤマツミは山津見、ワタツミは海津見のように、ツとミをわけて訓(仮名?)をあててる
119 :
天之御名無主 :2012/11/29(木) 16:37:45.68
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの婚姻話なんだけど…… 古事記だと天皇の短命の由来として語っているのに、日本書紀だと、どうして人間の短命の由来に代わっているんだろう?
>>119 古事記が皇室の私的な文書なのに対して、書紀は国家の公的な文書だから
121 :
天之御名無主 :2012/11/29(木) 21:25:58.12
>>120 サンクス
そういう意味合いがあったのか………
俺も、神話調べてみるかなあ……
このスレ的に戸矢学さんはどんな位置づけでしょうか? 学者さんですか? トンデモさんですか?
123 :
天之御名無主 :2012/11/30(金) 03:25:47.94
天皇家以外に女神を祖とする一族はいるんですか?
124 :
天之御名無主 :2012/11/30(金) 21:03:47.40
>>123 ウズメ(天津神)とサルタヒコ(国津神)だとどうなんだろうな?
猿女君の系図ってありますか?
ツクヨミって女神ですか?
記紀には性別は書かれていない。 ただ、紀で帯刀しているらしい描写があったことから、男神である可能性が高い。絵でも男の姿をしていることが多い。 また、中国には「女の最初の夫は月」という言葉があり、昔日本が中国から文化をもたらされたことを考慮し、ツクヨミを月の神と解釈すれば、ツクヨミが男神である可能性もやや高まる。 その上、ツクヨミの異称とされているものには男とつくものがあり、より可能性は高くなるというものだ。 しかし、陰陽的に言えば夜は陰であることから、女神であるという可能性も捨てきれない。さらに、記には月を月経の意として用いた部分がある。それもあわせると、女神でないと言いきれる可能性は低くなると予想される。 なお、上記は出任せであるということを留意してもらいたい。
岡潔は第十二織 男女の別を超える ができれば見神できるって言ってたな
>>129 逆に男説の方が高いわけですね。
ありがとうございました。
神産みでは黄泉津神は生まれてないみたいですが いつの間に存在してたんですか?
133 :
天之御名無主 :2012/12/22(土) 00:49:39.38
>>132 自然発生的にとしか言いようがない
まあ高木神や神産巣日の直接の子がいるわけだし神の起源はイザナギ・イザナミだけじゃないんでしょ
そのあたり、日本神話って一見きっちりまとまっているように見えて、そこまできっちりはしてないんだよな。 すべての神・英雄がきっちり系譜上に位置づけられているギリシャ神話とはわけが違う。
ギリシア神話も複数の矛盾する系譜があると思うが
>>135 もちろん位置づけのブレ(=矛盾)はあるが、黄泉津大神みたいに系譜から漏れてるってケースはないよ。
記紀神話以外でも黄泉津大神って系譜不明扱いなの? なんか記紀に系譜がなくても、後世の思想家が系譜を作ってたりしないのかな。
138 :
卍3286卍ss :2012/12/23(日) 02:36:48.58
大本教の善人 オレの発言のナガレを詠んで観てクレ! ウソツイテナイゾ。m
139 :
栗林正明 :2012/12/23(日) 04:30:16.18
創価諸君よ! 田浦本部横須賀桜山支部の高橋裕之氏が年末ジャンボで6億円当たるようにまた女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿を15分でよいので高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!
日本の神話や神道のエッセンスを含んだ映画を紹介してくれとドイツ人に頼まれました。 とりあえず日本誕生(1959年の映画)を紹介したのですが、もっと最近の映画でないですかね? 宮崎アニメは彼は知っているようでしたので、それ以外で実写、アニメどちらでも構いません。 彼はドイツにだって昔は固有の宗教があって、いまでもドイツ人は森や木に神性を感じると言っていました。 パガニズムの復興が最近注目されているようなので、神道に興味があるようです。 ちなみにいわゆる極右です。 かなりのインテリでもあります。
>>140 ネオナチか?
古いけど、東映アニメの「わんぱく王子の大蛇退治」が鉄板やで。
143 :
140 :2012/12/24(月) 20:26:37.19
ネオナチというのは蔑称であって、当人はそんな風にいいませんよ 二つ映画教えてくれて有難うございます。 すでに「神の国の歩きかた」を薦めた(彼は少し日本語もできます)せいで、彼の機嫌を損ねています。 私としては興味を持ってくれると思ったんですが、いかんせんドイツ人はおそろしくマジメでして。。 この推薦してくれた二つの映画を紹介すれば、機嫌が直る・・・わけねーだろ マジメにやれや
映画なんか見て異文化をわかった気になろうという根性だから お前は極右なのだ と叱り飛ばせばおk
「菊次郎の夏」とか 全然神話っぽくないけど、なんか日本っぽい雰囲気で意味深っぽい映画を見せて 「全然わからん。日本神話と何が関係あるのか」と言われたら、 柏手を打ちながら「やっぱり理解できないと思ったよ。君にシントーはわからない」とか知った顔をして答えれば なんか諦めてくれんじゃない?
146 :
141 :2012/12/24(月) 20:57:22.80
147 :
142 :2012/12/24(月) 21:25:26.15
もう出つくした感があるような・・・ 今年は古事記編纂1300年でその手の雑誌がたくさん出てるので、それらを見せるか、 神楽の動画を見せるとか。 てか、森や木に興味があって神道と絡めるなら神社に連れて行けや。
というか、映画が見れるほど日本語ができるんなら 日本語でググって自分で探すこともできそう それに映画見るより本読めばいいんじゃ 専門書がキツイって言うなら漫画もあるし(映画は良くて漫画はダメってことはないだろう。) 右派系の出版社がこの間古事記の漫画を出してたし。 というか、映画を普通に聞き取れるレベルなら、ちょっと固い本くらい楽勝だと思うけど。 俺は英語の専門書とか何とか読めるレベルだが映画を字幕なしで見るとか無理だわ
日本神話に森や木に神性を感じる要素ってあったけ? 個人的にはなんか潮っぽいイメージ。
>すでに「神の国の歩きかた」を薦めた(彼は少し日本語もできます)せいで、彼の機嫌を損ねています。 >私としては興味を持ってくれると思ったんですが、いかんせんドイツ人はおそろしくマジメでして。。 >この推薦してくれた二つの映画を紹介すれば、機嫌が直る・・・わけねーだろ いっそ多神教に色々幻滅しまくってもらってまともな道に帰ってもらった方がその人のためなんじゃw
日本神話の映画化は全く少なくて、公開されたのはここで出たのが全部 後はTVアニメのヤマトタケルくらい
妖怪ハンターの映画化とかは? Jホラー系の映画で日本神話要素のある奴とかあるんじゃね? 神話を感じられさえすればいいんでしょ?
153 :
140 :2012/12/24(月) 22:51:44.16
ドイツは今大変なんです。 リベラル左翼やら偽装保守どもが、やれグローバリズムだ、移民入れまくり、文化破壊しまくりで 民族国家として消滅しつつあるんです。 キリスト教はインターナショナル宗教でドイツ人のアイデンティティをバックアップ出来る代物ではありません。 第三帝国が古代ゲルマン宗教に目をつけたのには、あるいは、ヨーロッパの極右がキリスト教以前の文化にこだわるのは、ちゃんと理由があるんです。 なんとか日本人として微力ながらドイツ人に協力したかった。 映画はあきらめます。自分で調べて、それを伝えたいと思います。
自然と調和した生き方としての神道幻想を感じさせるなら 宮崎アニメで必要十分、むしろ他のは余計でいらないと思うけど。
韓国が全ての起源ニダ とか映画があったはず
実際に実践されてる民俗(not民族)文化を離れて、やれキリスト教以前の神話だの復元だ 遠く離れた異国の神話の映画だのをかき集めてつくった民族文化って 偽装保守の最たるものでは
復古と保存は別物だもんな
まあ極右が(独自解釈した)神道が復古神話にミックスされ それを元にした祭りとかが現実のドイツ社会に膾炙して言ったら、それはそれで 現実に実践されてる新しい民俗文化になるんじゃね? 宗教色が弱くてポップな感じで確立したら、移民なんかにも広まったりして民族主義の支柱にはならんかもしれんが。
>>150 ヒトラーの我が闘争で日本人を馬鹿にしてたのによく協力する気になったなw
>>153 ヒトラーの我が闘争で日本人は馬鹿にされてたのによく協力する気になったなw
とりあえず鎌田東二の「ケルトと日本」なんて書物はどうかな。 ヨーロッパの異教文化ということで、ゲルマンを考える上でも少しは参考になるかも知れん。 あと、鎌田東二オフィシャルサイトの論文集ページには、日本神道に関する概説も載ってる。英語でも読めるよ。
ごめん安価ミスった。
>>149 日本国総鎮守は大山祇神社だぞ
天孫の義父だぞ
宮柱太しりだの、真賢木をねこじにこじてだの
綿津見国のユツカツラの木に降臨する山幸彦だの
木=神聖イメージなんていくらでもあるわけだが
>>159 そういうのってドイツが本場で、何十年も前から「フォークロリズム」として民俗学的に研究する対象になってる。
本場だけに
>>153 みたいなのが現れるのもさもありなんといったところ。
具体的に宗教行事が描写されないといけないのかな、どうもそんな感じだけど 全く思いつかなくて笑った、泣いた 単にドイツに自然観を"取り戻す"為に、自然を取材した映画を見たいだけなら そもそも日本とは関係ないだろうし デルス・ウザーラ(黒澤明)八甲田山(森谷司郎) はオススメだけど こんな映画を続けて見たい奴は相当な変わり種だ^q^
古エッダちゃんと木のおうち
神道ちゃんぽんなゲルマン神話信者のネオナチが移民を排斥しようとするとかギャグにしかならねえなw ぶっちゃけそれに協力しようとする日本人も謎だが。
極右は馬鹿だからな 現実をみないで文句しか言わない
そもそも日本とドイツは全然状況が違うんだから、参考にはならんと思うぞ
ドイツの多神教時代の精神を、今となっては理解しようがないから、多神教精神が息づいている日本の文化を比較対象として知ろうとしてるんだろ? 何もおかしくないじゃん。 日本とドイツはもちろん違うが、よく知るにつれて「根本的にどう違うのか」が見えてくれば、「ドイツ精神とは何か」っていう本題にも迫れるってもんだろ。 それはこっちの側からも言えることで、「日本精神とは何か」をより深く知るきっかけとして、こういう比較は意味あると思うけどねえ。
よく知れば知るほど、「根本的違い」とか「文化の本質」みたいな全体を一気に説明できるような原理を見出すのは難しくなっていくもんだよ とか言ってみる。 まあ、そう単純でもないし、一種の「本質」みたいなのを仮定して全体を整理することで見えてくるものは多いけどね。 ただ、多神教精神とかいう発想は、もはや、あんま有効性のない概念じゃね?的な扱いになってる気がするが。 なんだかんだ言って現役な日本精神はともかく、神聖ローマもフランク王国も飛び越えて、多神教時代のゲルマン人と、国民国家ドイツをドイツ精神で繋ぐのも、さんざん試された挙句、今では過去の遺物でしょう。
173 :
天之御名無主 :2012/12/27(木) 22:42:20.56
石ノ森章太郎の漫画の古事記でも読ませとけよ
>>153 それだと参考になるのは神仏習合の方じゃないかな
キリスト教も土着信仰と習合してる筈だが
176 :
天之御名無主 :2012/12/28(金) 04:49:38.22
「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」は、デンパですか?
>>176 「推測に推測を重ねていく神話学者」を批判しておきながら、
自分自身も同じように推測に推測を積み重ねてしまっている。
デムパというよりは、論理的思考のできないただのバカだろう。
>>136 〜
こら!ちゃんと調べてから書けよなオマエら〜w
[古事記]
「愛しいわが夫の命よ。あなたがこんなことをするならば、
私はあなたの住む国の人間を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」
と言った。これに対して伊耶那岐命は、
「愛しいわが妻の命よ。お前がそんなことをするならば、
私は一日に千五百の産屋を建てよう」
と仰せられた。こういうわけで、この世では一日に必ず千人死に、
千五百人生れるのである。
それゆえ、その伊那那美神命を名付けて
黄泉津大神 (よもつおおかみ) という。
↑伊邪那岐命・伊邪那美命ね OCR馬鹿すぎw
>>178 わざわざ訂正入れんのめんどくさくて放置してたが、
そうそう。黄泉津大神じゃなくて黄泉神の方な。
ついでに言うと、黄泉醜女・黄泉軍もこの段で急に沸いて出てくる。
182 :
天之御名無主 :2012/12/29(土) 09:27:41.72
そこで黄泉神、黄泉醜女、黄泉軍の配役・役割だが・・・、墳墓がらみ?
>>182 どうやったら墳墓にからむの? 普通にただの妖怪っぽいんだが。
中国の古伝承やら志怪小説やら、仏教の地獄観やらの影響がありそう。
184 :
天之御名無主 :2012/12/29(土) 10:45:47.76
うん、その地獄観だな、理解。
醜の語感を嫌ってか、 なんかの本には黄泉醜女が黄泉女と書かれててわろた 葦原醜男も葦原男にしてあげりゃよかったのに
美しいと明示されてる神と醜いと明示されてる神って、日本だとどっちが多いんだろ? 醜さも畏れから神性を産むよね?
日本の山の神は基本ブス女だとされてるぞ オコゼにそっくりで、供え物にすると喜ぶ 嫉妬深いので女は山に入ってはいけない(たいていの女は山の神ほどブスではないため)
>>173 > 石ノ森章太郎の漫画の古事記でも読ませとけよ
ついでにサイボーグ009の「エッダ編」もつけてやれば完璧だなw
>>187 それは民間伝承じゃね?
神話に明示されてる女神は、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの一柱ずつだったと思う
むしろ美しいと書かれた男神が複数いる
神話=記紀神話ではないだろう
>>189-190 うむ、みんな記紀神話ベースで語りたがるから、あえて違う角度からな。
民間伝承をも日本の神話世界に含めて語るならば、「明示されている」ということの意味合いも変わってくる。
>>172 遅レスだが
> ただ、多神教精神とかいう発想は、もはや、あんま有効性のない概念じゃね?的な扱いになってる気がするが。
この件、もう少し詳しく語ってほしい。
多神教って一神教以外の宗教すべての総称にすぎないからでしょ。
てか日本神話の「○○の命」ってアブラハムの宗教で言う所の神と別物じゃん GODを神と訳しちゃったけど、立場的にはほとんどangelに近い物が多いし 物によってはspiritでしかなかったりする 天之御中主神も万物に宿る精霊も、全部「神」って大雑把過ぎる 別天津神は神=GODで良さそうなので、多神教と言うのは間違いじゃないと 思うけど
小文字のgods=多神教の神って用例もあるよ
2chでよく見かける、GODなんて全部大文字で書くことで「アブラハムの宗教で言うところの神」を意味するなんて用例自体があるの? 頭文字大文字のGodならあるが。 JackやAmericaといった固有名詞は頭文字大文字で dogとかの普通名詞は文頭以外や強調するなど以外は基本小文字。 Godの頭文字が大文字なのは、普通名詞godを固有名詞的に使ってるよ、ということなので 全部大文字にして、一神教の神を意味させることにはならんし。 さらに言えばGodってのは固有名詞化されたものなので、別天津神がGodってのもおかしい。 単に神といえば「別天津神」を指すのが普通というのなら別だが。 「江戸時代くらいには神といえば村の氏神を指していて、一種の一神教もどきだった」という説を島田裕巳が紹介してたのを読んだことがあるが その説が正しければそれはGodとは言えるかもしれない
大神 = the god of gods 大王 = the king of kings 大倭 = the Wa of Wa
というか神とgodは違う!翻訳ミス!という人はいても カミ(ミは乙類)を漢語(中国語)の神に当てたのは翻訳ミス!という人はあんまりいないよね 中国語の「神」が何を意味するのか、正直、いまいちわからんが 天神地祇の「神」は漢語でも神だが、精神の「神」は人の霊魂だし
日本語の神は意味として、上下の「かみ」だよ かみがみとしもじも
「神」はミが乙類 、「上」はミが甲類だから違うんじゃない?
それよく言われるんだが アケとアカみたいなのが同一語源と普通に認められてるし カムに変格することも認められているわけで kam-という語根から別れた同系の言葉って可能性がなんで無視されてんの? もちろん、だとしても語尾変化してる以上、”同じ”ではないわけだが。
貴様は何者だ どこで学問をしておる
>>200 同じ「かみ」でも、神と上で漢字を使い分ける様に
昔も甲類とか、乙類を表記上でわけてただけじゃないの?
天皇が大君(おおきみ)だから、徳川家康を大君(たいくん)と呼ぶみたいに
上様を「かみさま」と呼ぶと神話や神社の神様と混同するから
上様を「うえさま」と呼び変えただけで
上座が「うえざ」では無く「かみざ」である様に
本来、上様は「かみさま」と呼ぶのが正しいと思うんだけど?
しもじもの人間をしたしたの人間とは言わないし…
>>203 上古に語尾の甲類乙類で、同語源の使い分けがあった用例を持ってこないと何とも言えん。
>>202 学問の世界では完璧に同根語の可能性は否定されてるってこと?
そこら辺を説明してる本とかあったら教えてくれると嬉しいです。
蛇はなぜ人をたぶらかすのか?
>>203 そこから発展させるべき議論は、「うえ」と「かみ」、「した」と「しも」の使い分け、
つまり純粋に国語学的な議論になるので、スレ違い
>>208 甲類乙類が既に国語学的議論じゃないのか?
語源論自体がすでに というか国語学的な議論だとスレ違いってよくわからん 御言論と変換されたんだが御言論ってなんだ?
なんで海の神って少童とか海若とか書かれるの?子供なの?
>>211 まったくの私見で根拠はないんだが、
八幡神=胎中天皇(応神)とのイメージの混同によるものなんじゃないかと思ってる。
明治期に全国の神社の神様を記録したときに、田舎の方では土着の神様でわけがわからないため役人がてきとーに名前を書くことも多かったと聞いたのですが、そういったケースは比率としてはどのくらいなのか分かっているのでしょうか?
>>211 ワタツミは童形って認識があったらしい
あと「わた」=「をと(乙、若い)」説とかある
八幡ってヤマタノオロチのことでラゴウj星だろ
ラゴウJ星か なんか特撮映画とか三文SFぽい響き
217 :
天之御名無主 :2013/01/02(水) 23:57:00.44
神・・・かみ。かも。み。みわ。 み=神。み=巳。 神山=みわやま(三輪山)。みやま。 大神=おおみわ。 大巳=大蛇。オロチ 倭の大神(ヤマトのオオミワ)=倭の大巳=倭の大蛇(ヤマトのオロチ) 三輪山の祭神、大神(オオミワ)大神=大物主神が大蛇とされるロジックの深層。
論理をブン投げてるだろw
219 :
天之御名無主 :2013/01/03(木) 02:04:45.48
>>203 日本語とアイヌ語のカミ、カムイの語源は多分、漢倭か、漢委に関連してるのでは。
カンヤマトイワレヒコ神倭=漢委
すなわち
漢委奴国王と関連かも。
電波と言い切れないのは、漢和辞典を読むと漢と書いてカミと読む正式な読み方が有るから。
劉邦が大蛇を斬った剣が漢の三種の神器の一つだった。いつの間にか紛失した頃、倭に草薙剣が出現した。
男を表す字でもある漢の最高神は男性で、女を表す字でもある倭の最高神は女性。
全部多分誰かに仕組まれてる。
これまた論理も時代もブン投げてるな。
カミとカムイの同語源説はそれなりに支持があるようだけど カムイ‐カミ、ピト‐ヒト、タマ‐タマなど、アイヌ語と日本語の類似語が宗教的なものに集中していることも指摘されてる。 アイヌ語でh音がp音になってたり、カミのイがウイになってたりするのは、日本語でp→hの変化や、八母音→五母音の変化を反映しているとしたら それ以前の時代にわかれたということになる 現代インドで多民族がヒンドゥー教を信じているように 縄文時代やひょっとすると弥生時代の日本列島には たくさんの民族がいて、カムイ(?)という神を崇める宗教が共有されてたんだろうね。 そしてそれらの民族のうち、日琉祖語を話していた民族と、アイヌの祖先民族が、それ以外を全て飲み込んでいったのだろう。
222 :
天之御名無主 :2013/01/03(木) 07:27:00.61
>>220 神武天皇や古代の天皇の実在が有ったとして、
年代が本当に2600年前だったと思う?後漢末期以降でほぼ間違いないだろう。
223 :
天之御名無主 :2013/01/03(木) 07:40:36.68
>>219 最近は、呂氏とは何だったのか
ちょっと考えてる。
秦の始皇帝の黒幕であり、
劉邦の正室の一族であり、
恐怖政治と莫大な財産で色々な時代何度も政権を乗っ取ろうとした。
周の黒幕も呂尚。
一体何者なんだろう。
呂と言う字は日にも似てる。
日本にもどこかで影響を与えてる気がする。
神のカミのミは乙類、上のカミのミは甲類 (上代特殊仮名遣い)≠ノ関してな。 [日本語源大辞典] かみ[神][名] 〜略〜 @ 同音語である「上」と同一語源と考える説と、別語源と考える説がある。 同一語源説は、カミの元来の意味は「上」であり、「上方」という方向性をさし示す語であったものが、カミの毛(髪)、カミの存在(神)、というように用いられ、それが、カミだけで表されるようになったとする。 別語源説は、上代特殊仮名遣いにおける仮名の違い(神のカミのミは乙類、上のカミのミは甲類)と、上代における意味の類縁性の希薄さを根拠に、同一語源とは考え難いとする。 また、日本人の考える「神」が必ずしも上方に存在するものとは限らず、「上」と結びつける積極的な根拠にはなりにくい。 しかし、一方で意味分化が、仮名の違い(音の違い)を誘引した可能性も考えられるので、上代特殊仮名遣いの違いをもって絶対的な根拠とするわけにもいかない。 どちらの説も決定的な根拠を欠き、現在のところ語源未詳というべきだろう。〜略〜 ★ つまり神話を考えるかぎり乙類、甲類の違いなんて意味ないとw。
「決定的根拠ではない」と「意味ない」を同一視できる君に乾杯
無知で悪いんだけど月読だけ神話で影が薄いのってなんでなん?
>>181 そうでもないでしょ。
雷土x8はイザナミの体から生まれている。で、泉津醜女八人もその変化だろうし。
女神ひとりが最終的に軍になっちゃう変化は誓約(うけい)の前のアマテラスにもあるから。
「伊都之男と【として】建(タケ)ぶ」[記] 《アマテラスひとり》
↓
「稜威之雄誥(いつのおたけび)を奮(ふる)はし、稜威之嘖譲(いつのころい)を
発(おこ)して、ただに詰間(なじ)りたまひき。」[紀正文]
↓
「兵(いくさ)【軍勢】を起し詰問(なじ)りたまふ」 [紀一書〈第二〉]
と、だんだん大仰しく変化していく。 これは物語としての脚色の問題。
あと黄泉神はほぼカグツチでしょ。
イザナミ→黄泉津大神みたいに、状況の違いに応じて神の名が変化してしまうのだから、物語上その段階で黄泉にいるのが明確な神はカグツチしかいないしw イザナミ〔黄泉津大神〕>>カグツチ〔黄泉神〕のグレードの差も理解しやすい。
《造化の三神→御柱の神→神世七代→オノゴロシマ・ヒルコ・アワシマ≠フ流れは世界〔この世もあの世も含む全部〕の入れ物造りだから無関係。アワジシマから、カグツチの前まではその繰り返しだから無視してOK》
>イザナミ→黄泉津大神みたいに、状況の違いに応じて神の名が変化してしまうのだから、 >物語上その段階で黄泉にいるのが明確な神はカグツチしかいないしw 物語解釈としては論理的だけど、当時の信仰の推論としてはどうなんだろう。 いや、他にも根拠があるのかもしれんが。
>>225 日本神話の場合、実際に同じ神を使い廻して別の神にでっち上げるみたいなこと、
マジでやってるから、甲類・乙類ていど気にすんなってはなしw。
だって、あいつらはもっと悪いことやってるし! みたいな理屈
>>227 その推測って、カグツチ⇒黄泉神という解釈が存在していない以上、
系譜にない神を系譜に位置付けるという目的のために強引にこじつけているだけ。
>>229 神kamiと蟹kaniは同じ言葉
なぜなら、日本神話の場合、実際に同じ神を使い廻して
別の神にでっち上げるみたいなこと、マジでやってるから
口唇鼻音mと硬口蓋鼻音nの違いなんて無意味
こう言われたらどう思う?
傘と肩は同じとか、羽根と金は同じとか、虎と鳥は同じ
いくらでもつくれる。
>神kamiと蟹kaniは同じ言葉 >傘と肩は同じとか、羽根と金は同じとか、虎と鳥は同じ いくらでもつくれる。 こんな奴に神(かみ)と上(かみ)の話をしても無駄だろ 本人は皮肉のつもりだろうが
>>234 皮肉じゃなくて、現代語で考えたらどうなるかという反例を作って見ただけなんだが。
>こんな奴に神(かみ)と上(かみ)の話をしても無駄だろ
そりゃ現代ではどっちも/kami/だけどな。
甲音と乙音ってなんだと思ってるんだ。
具体的な音は特定できないが、当時の人は、ミ甲とミ乙別の音として区別していたという話なのだが。
イ/i/に二種類あったんじゃなくて、当時別々の音だった、二つの音が後世一つになったと理解するとわかりやすい
現代日本人がトラとトリを区別してるようにね。
なんか、「そんなテクニカルな専門的なことを昔の人が考えてたはずない」とか思ってる?
東北の方言でイとウが区別されずに「スシ」と「シシ」が同じ音になったりするが
それを基準にして、標準語のイとウを、一つの音の二つのバリエーションとか理解して
標準語話者にとっても、その区別がどうでもいいものと理解したらおかしくなるでしょ?
もちろん、それだけを持って神と上が同語源だったということが否定されるものでもないが
「日本神話の場合、実際に同じ神を使い廻して別の神にでっち上げるみたいなこと、
マジでやってるから、」ということは、全く理屈になってない。
「クリスマスを祝いその一週間後に初詣に行くいい加減な奴ら」という理由から
「スシとシシの違いなんて気にもしないはず」or「虎と鳥を同一視しててもおかしくない」etcの結論が導き出されたらおかしいでしょ?
>>235 だから、寿司とかどうでも良いから
お前は発音が似てる言葉を並べてるだけで言葉の意味を考慮してない
>>236 神と上が同一語源の可能性自体を否定しているわけではないのだから
そんなことはどうでもいい。
何が議論されているかを理解しろ。
>>236 たとえば、実際に同一語源だったとしても
そんなことは関係なく、それ以前の問題として
「神話を考えるかぎり乙類、甲類の違いなんて意味ない」
「日本神話の場合、実際に同じ神を使い廻して別の神にでっち上げるみたいなこと、
マジでやってるから、甲類・乙類ていど気にすんな」
という発言は間違っている。
「信長を殺したのは明智光秀だから、昆虫の足が六本なことがわかるわけだ」がおかしいのと同様。
アイヌ語のカムイと日本語・琉球語のカミが同一語源で 日琉祖語(またはさらにその祖先言語)を話していた民族とアイヌ語の祖先言語を話していた民族とが共有していた 宗教の言葉に遡るとしたら、日本語のカミ・シモが語源の可能性は下がるだろうな。 日本語の祖先言語からアイヌ語に借用された可能性もあるので、あくまで可能性が下がるだけだが。
日本語とアイヌ語に共通の祖語があって、その時点でカミ・シモの語源になる言葉があって アイヌ語ではカミ・シモに当たる言葉は失われ、日本語では、二項対立が保存されていて、 なおかつ、カミとカミの類似性も保存されてる可能性も微レ存
そもそも神はもともとカムで、それに後置定冠詞のイがついてカムイ→カミになったって説がある アイヌ語のカムイはその途中の段階 同じようにアマイ→アメ、ホイ→ヒとなった
甲乙の使い分けは、二重母音も含まれていたという説もあるね。
>>224 それ純粋に国語学的な議論で”神話を考えるかぎり”とか関係ないわ。
245 :
天之御名無主 :2013/01/04(金) 09:48:18.17
>>228 信仰の対象は神という名の物語〔神話〕なのだからいいんじゃね。
>>231 >その推測って、カグツチ⇒黄泉神という解釈が存在していない以上〜
解釈が存在していたら推測じゃないだろw
多少強引かもしれないけど、他に候補はいないってのも重要な論拠だろう。
二人きりの密室で殺人事件が起こったら、生き残った方が犯人として真っ先に疑われるのは当たり前じゃん。
なんでイザナミより後に死んだカグツチが黄泉の神様やってんだよ
いや、推測ならいいんだが、「ほぼカグツチでしょ」ってのは違うって話じゃね? 要するに推測が、どの程度説得力を持つかの話 特に他の誰に同定されるでもなく、単に黄泉神であるって推測で問題ない以上
黄泉神がカグツチだろうという説は「黄泉神は系譜に位置付けられた神である」または「記紀に現れた具体的な神格の役割名である」 という仮定を前提とした上での話なのだが、 この仮定自体には何の根拠もないので、その上に組み立てられた議論には何の意味もないよ。
251 :
天之御名無主 :2013/01/04(金) 18:07:21.93
いや黄泉津神がカグツチって初耳だぞ
>>246 いや、作者の意図とかを括弧に入れて、テクストに添う限り、
独創的だったり、深読みした方が価値が出る文学的な物語解釈と
そのテクストが生成された社会・言語・作者などの背景を踏まえて”正しい”解釈を目指す文献学的な解釈は違うから
文学的な物語としては、一応、理屈が通ってるんじゃない、ということ。
文芸批評なんてのは、作者に「なるほど、そんな事考えもしなかった!むしろ私の考えよりあなたの考えの方が正しい」とか言わせたら勝ちの世界だから。
黄泉神=カグツチって、 平田篤胤が「ちはやぶる神は他にいないので、ツハヤムスビはカグツチ」 って言ってるのと同じだな
平田が言ってたら、日本の信仰の一部ということで神話認定できるので
>>227 もありなのではないだろうか
日本人じゃない可能性もあるが
いや、平田が言ってる=トンデモってことだよ
記紀神話の解釈としてはトンデモでも 平田自体が日本の宗教史の一部なわけで、その意味では平田の信仰も日本神話の一部といえる。
257 :
天之御名無主 :2013/01/04(金) 23:08:30.60
スサノオは漢そのもの。 ス=サンズイ、サ=くさかんむり、ノ=の、オ=夫 スサノオ=漢 イザナキ=漢 イザナミ=倭 漢がアダムで倭がイヴ
>>248 の反論ってけっこうクリティカルだと思われ。
和製漢字レベルになってるものは発音を気にするより作りを考えた方が早いんじゃないかと 神は申し示す以外の何よと?
月読が目立たないのは月読が保食神をコロコロしちゃったから
あとアマテラスは別に太陽の神じゃなく遍照神
アマテラスが月読と兄弟扱いされてそれが正しいならその神は太陽の神かも知れないけど 遍照神では無くただの騙り
日月は基本セットで御者の神で牽牛織姫で日月と言うかラゴウとケイトが化けた
とっちらかったけど遍照神が太陽神だとして天照神と月読神は星の神
遍照神が地母 月神が天父
ヤマタノオロチが真太陽神 保食神が真月神
なんか変なのが湧いてきたぞ
なんで日本神話スレには自説を断定的に書く人が多いんだろう……
アマテラスがあだむじゃね?
271 :
天之御名無主 :2013/01/07(月) 08:17:55.35
高天原は、天やテングリのように、それ自体が神や神意のように使われることってあるんですか?
>>248 >>258 イザナミがやらなかったからだろうw
>>252 口頭伝承で伝えられてきた神話は、伝言ゲームのようにその過程で少しずつ変容していくでしょ、
ってコトは現代の俺たちから見れば、それを伝えてきた人たち全員がある意味作者なんだから、むしろ解釈可能な可能性は全部考慮に入れる必要があるんじゃないか〜 とか言ってみるw
実際、日本神話はそういう傾向があるし。
例えばみはしら≠ニかのみ≠ヘ、ざっと考えただけでも三・海・水・巳〔へみ(蛇)〕・神・霊≠ニかあって、どれが正しいのかって言うと、実は全部ですって感じだし。
○ 古代には「事」と「言」は文字を通用した。言葉として発したことは言霊思想によって「事」として発現するからである。〜 [日本古典文学全集 5 風土記/小学館] 486p 注五
このルールで四≠ェ死≠ノされちゃったりしてるワケだし。 神が死ぬことをかくれる≠チて言うのも重要なダイイングメッセージかもしれんw
○ かくり‐よ【隠り世】 あの世。よみの国。⇔現世うつしよ [広辞苑]
あと、記紀神話の構造とかをやってる人がいたら解るだろうけど、後にこのカグツチが八尺瓊勾玉〔たぶんツクヨミの象徴w〕とスサノヲになってるからね。 で、黄泉津大神〔姉・母〕とツクヨミ〔兄〕、アマテラス〔妹・娘〕とスサノヲ〔弟〕の組み合わせになってるはず。 これがウケモチ・ツクヨミ〔地から天(アマテラス)へ移動〕、オホゲツヒメ・スサノヲ〔天から地(カミムスヒ)へ移動〕に置き換わってもいる。 《オホゲツヒメはイヨノフタナの四つの顔〔♀♂♀♂〕の内の一つでもある、では他の三つはなんでしょう〔推論w〕》 イザナギの御子の天明玉〔天の明るい玉w〕が造った八尺瓊勾玉〔たぶんツクヨミの象徴w〕≠ェ正しければ、ツクヨミはスサノヲに噛み殺されていることになるねw。 弟が兄を殺す〔懲らしめる〕のは日本神話のセオリーみたいなものだしw
>イザナミがやらなかったからだろうw これじゃ誰も説得できないな……。 それと、神話の構造分析って、構造の同じ位置にいると想定される神格が 物語のなかの時間推移のなかで同一性を持っているという話とは全然違うけど。
275 :
天之御名無主 :2013/01/08(火) 21:41:37.32
久々に来たらキチガイが湧いてるな
276 :
卍3286卍ss :2013/01/09(水) 03:55:20.32
今月の標語。 「 神話は ソコソコ 信じましょう!」m
277 :
天之御名無主 :2013/01/09(水) 20:25:41.92
日本神話書いた奴がまず間違いなくキチガイだから キチガイじゃなきゃこんな変な話思いつかないよ
世界中どこ行っても神話は民話は結構キチガイじゃね? というかまともになる=近代化だからな…結局 近代小説のようにきっかりとしたリアリズム(それを意図的に外した前衛小説とかもあるが)は 当たり前だが近代の産物
まあ、近代と前近代がここで綺麗に切れるってもんじゃなくて 連続的だが
ありもしないファンタジー要素を導入しまくるのは大衆受けがいいからなんだろうな 娯楽のねぇ時代だし、ファンタジーは受けるで
神職にあたる特権階級の人の黒歴史ノートだったりしてな
キチガイ解釈はまた別の話しだろ
そもそも神さまなんてありもしないもの掲げてるんだから、いくらでもぶっ飛んだ展開で構わないのよ?
皇室の祖先も太陽も実在してますが何か?
実在したかどうかは誰にも分からん 歴史的資料が絶対であるとは限らない
いやいや、先祖がいなきゃ生まれてこれる筈ないだろw
神様 ≠ 皇室 だと思われ
先祖を神として崇め、太陽や月を神として崇める、まったくもって普通の行為だろ
崇めるという行動そのものが普通の行為ではないだろう 一宗教に支配されているなら、それはその区間内でのみ確かに「普通の行為」と言えるが
昔の人は皇祖神を手放しで信じたのかどうか。そこが気になるね
あれか、どこの場所だったか忘れたが、人類学者が「精霊のことを信じてるんですか?」と聞いたら 意味が通じずに「精霊の言うことを鵜呑みにするってことかい?」と返されたという。 英語のようにtrustやbelieveとbelieve inとの違いがないという言語的な問題も大きかったらしいが。 というか、ニーダムの指摘によって、believe in的な意味での「信じる」という概念は西洋的なものだと言われている。 日本語でも前近代に、「あの人は信心深くない」とか「信心深い」とか言った場合 「実在を強く確信している」とか「懐疑論者である」とかを問題にしているわけではないだろう。 もし当時の日本に「神の実在を信じる」という発想自体がなかったとしたら 皇祖神を手放しで信じる事もできないんじゃないかな。 傍から見て手放しで信じてるように見えることはあっても。
その西洋的じゃない人々が前提にしているbelieve in的じゃない考え方を 強迫観念的に省くのはやめてくださーい
そもそも「昔の人は皇祖神を手放しで信じたのかどうか」なんてのは、問いそのものが無効だろ。 「昔の人」も「皇祖神」も「手放しで信じる」もすべてが無限定すぎる。 王朝時代の貴族にとって、鎌倉時代の武士にとって、江戸時代の国学者にとって、明治の庶民にとって、すべてが違うしどの集団内でも個々人に差異があるしまったく一概に言えない。
まぁ信じさせるように誘導することは可能ではある。 同調現象だっけか?
神=ゴッドではなく神=上だと、こんなくだらない議論は成立しないな キリスト教の宣教師が日本の土着宗教について議論してるみたいだ
お天道さま信仰から、「天皇」という言葉に神聖なものを感じることはあったんだろうか?
>>274 >イザナミがやらなかったからだろうw
これは当然冗談だが、カクレル≠燒Yれないでね、この段階でツクヨミ〔月黄泉w〕がまだ居ないことも、このツクヨミと黄泉津大神がペアになることも。兄が父から♀〔妃・義母等〕を奪う話も日本神話のパターンだよ。
カグツチの母殺しの要素は、ツクヨミのウケモチ殺しとスサノヲのオホゲツヒメ殺しにちゃんと受け継がれているからね。《これはアマテラスから負の要素を抜き出したアマテラスの代行》
構造というのは、この神話がどのように作られたかってことで、それがどう解釈されたかとかは関係ないはなし。神格の同一性なんて認識でしかないから、確認しようもないのが大半でしょ。
例えば天空神であるイザナギの国つ神版である、大国主〔顕国玉(ウツシクニタマ)〕の天つ神版である天国玉(アマツクニタマ)とか、どうなってんのとw
〔天国玉の子のアメワカヒコと、大国主の子のアジスキタカヒコ(ネ)は一つの胞(ゑ)の双子に想定されているので瓜二つ。アジスキタカヒコ(ネ)はスサノヲ相当、共に八握のヒゲが伸びても泣き喚いている。〕
死んだイザナギが淡路の国〔実質冥界〕にいたり、高天原の日の少宮〔若宮〕にいたり〔天照大神の「日の大宮」に対応する[日本古典文学全集 日本書紀@ 注]。オオヒルメ⇔ワカヒルメ〕。
イザナギ固有の剣〔その神の象徴、剣は男根でもあるw〕のイツノヲ ハバリ〔ハシリ〕がアマテラスが引き籠もる天の窟に住んでいたり、大国主と大物主のあのよそよそしい会話はナニw
これらの神格が同一と解釈されていたか、なんてのは考えるだけ無駄な気がする〜〜〜 とは言っても、この同じ話の繰り返しが魂の再生〔転生〕≠ニいった発想の原点だとも思ってるんだよね。 じっさいこの構造そのものも信仰の対象になっている可能性があって、例えばヤマトタケルが父から「オマエは神そのものだ」とか言われたりしてるだろ、あのセリフの背景には当然ヤマトタケルがスサノヲのコピペだという認識があるからだし 〔兄のオオウスは当然ツクヨミ相当で、[記]では弟にぶっ殺され、[紀]では草に隠れて、美濃〔アメワカヒコの破壊された喪屋がある〕に封〔墓w〕じられる〕。 この繰り返しによって発生する矛盾の直し方を間違えて、過去方向にフィードバックしてしまった例とかがあるしね。《死んだカグツチから「正勝(まさか・まさかつ)〔オシホミミの名〕」って名前の神が生まれるわけがないw これは誓約(うけい)からのフィードバック》
★ おまけ 解りやすい系譜w 誓約(うけい)の時のヒノハヤヒ。 @イザナギ Aスサノヲ〔八尺瓊勾玉〔たぶんツクヨミの象徴w〕を噛み砕いて↓〕 Bヒノ速日 (ひのはやひ) 〔↓とは別神とされているがw〕 書紀のタケミカヅチの系譜。 この時、天岩窟に住んでいる神、 @稜威雄走 (いつのおはしり) の子 〔イツノヲハバリと同じ〕 A甕速日 (みかはやひ)、その〜子 Bヒノ速日 (ひのはやひ)、その〜子 C武甕槌 (たけみかづち) がいた。 古事記のタケミカヅチの系譜。 @大物主大神 が、 〔大国主の和魂(にぎみたま)〕 活玉依毘売 (いくたまよりびめ) を娶って〜 〔ニニギや神武の母もタマヨリヒメ〕 A櫛御方 (くしみかた) の子、〔スサノヲの異名にクシミケヌ〕 B飯肩巣見 (いいかたすみ) の子、 C建甕槌 (たけみかづち) の子で、私は、 D意富多々泥古 (おおたたねこ) です
>>297 菅原道真が雷神として現れた話を信じるか否か、ならわかるけど
徳川家康や、菅原道真の実在を信じるかどうか議論するのか?
神武天皇にしても、日本人の言う神様ってのは現実に存在する(した)物で
ゴッドの様な概念の物とは全然違うから、信じる信じないの議論は無意味
西洋の概念に無理やり当てはめてどうするんだ
アメノミナカヌシやクニトコやアマテラスが現実に存在したとは思えんけどな。
無理やり、「西洋のもの」と違うことにしてるだけじゃん。 偉人崇拝としての神はむしろ日本の神の中でも例外的だし 例外的なものを上げていいなら、ロムルスをはじめ西洋にだって居るわ。 というか菅原道真は死後、神に転生したんであって生前の道真は神じゃないし それならまだ、生前のイエスも神として崇拝してるキリスト教徒の方が よっぽど実在の存在を崇拝してるわ 西洋と違って、実在した人間の道真を崇拝するのが日本的概念とかヘソでお茶がわくわ。 というか、英語のgodが日本語の神と概念がずれることはよく指摘されてるが 全く重ならないのなら、そもそも訳語として採用されないわけで 単に「歴史上の人物に敬意を払う言葉」だったら、訳語にはならんよ。 さらにいえば、ここで話題になってるのは神一般じゃなく 「皇祖神」なわけでね。
>>301 というかさ
別に「江戸時代の人々/現代人は徳川家康の実在を信じていた/るかどうか?」という問いは、何の問題もなく普通に成立するだろ。
>>289 それは現代、それもつい最近の考えで、人類の歴史上、
人知を超える存在を崇めるのが普通だった時代が圧倒的に長いよ
崇めることが普通というのが何を意味しているのかによるだろ 崇める=その人間が妄信的に信じているという事と同義である、とするならば 崇めるための行為は行っていたとしても、信じていたかはまた別の話になる 信じていなくても崇めるという行為はする(せざる得ない)環境下であった時代の方が長かった、と言った方が正確
信仰の話になるとまた話が違ってくるけど、 神仏を拝む行為自体は、今でも普通に行われており、 現在は単なる慣習になってるそうした行為は、 つい最近まで、神仏の存在を前提に為されていたわけでね
昔の人が人知を超えた存在というものの話を聞いて、それを「信じる」と言う場合は、 今現代における「信じる」とはちょっと違うと俺は思う 言うなれば、人知を超えた存在と言うのはその時代における「知識」ではないだろうか? 各々の時代において、その現象を正確に説明する方法がない場合、その目に見えない何かで補ったものであったとしても、それを「知識」と言う形で取り込まなければならない その場合、それはあくまでもまた聞きの知識であり、懐疑的な真実、と言うことになる その知識はあくまでも大多数にとっては未経験の知識であり、永遠に経験することがない知識でもある 例えば、なんでもいいんだけど、「山に入るときにお祈りをすると無事に帰ってこられる」というのを聞いたとする もちろんそんなわけは無いのだが、隣村の奴がお祈りをしないで入って大怪我をしたとかそういう話が出ると、 じゃあ俺らも一応お祈りをしておくか。という事になる それは大多数にとっての経験ではないが、特にこの行為をやらない事にデメリットも存在しない 結果、それは「知識」という形で蔓延し、いつしか一人歩きを始めて、子供の頃から聞いていた人間には刷り込みのような形で植え付けられる
しかしやはり成長するにつれて何も起きなかった人間には、心のどこかでお祈りの効力を疑う余地が生まれる どの時代の人間も、本当に心の底から今の意味での「信じていた」という人間は、実はわりと少なかったのではないかと私は思う 反論どうぞ
>>309 突き詰めればそうだろうけど、
大抵の人はそこまで突き詰めて考えない
神仏を信じないと公言してる人以外は、
なんとなく「え? 神様? そりゃ信じてるよ」程度
いつの時代も何かすがるものがほしかったってことじゃねーの?
>>305 人類の歴史上、普通に行われていた、ということと
それが説明を要する事柄かどうかということかは別種の問題だということを理解しろ。
もっとも、その問いの立て方も複数ありうるだろうし、
その幾つかは擬似説明にしかならないかもしれないが。
313 :
312 :2013/01/10(木) 21:15:37.33
×擬似説明 擬似問題 推敲ミスすまん
信仰とは本音と建前の世界でその言動が本心からの物かどうか疑わしいのが問題か
「信じる」とは何かっていうのは根本を覆すようなものだから意味の無い議論、問いだと思うのだが 1+1はなぜ2か? みたいなもんじゃね
1+1はなぜ2か?に意味がないと? 数学基礎論涙目
1+1はなぜ2か? ですら信じるという基盤があってようやく成り立っているとも言える。
何らかの公理を「信じなければ」数学基礎論も論理学も集合論も成り立たないというわけね? それを認めたとして ”だから”「信じる」ということが何かについて論じることが無意味という根拠は? 激しい論理の飛躍があるぞ。
>>302 「仮に」天之御中主神や、天照大神が「北極星」や「太陽」だったら
現実に今でも存在してるし、「人間」だったとしても存在してたんだろ
>>303 菅原道真は特殊な例かも知れないが、偉人崇拝ではなく
日本人の基本は「先祖崇拝」だろ。皇祖神も皇室の先祖だぞ
人間の先祖を神仏として祀るのは日本的だと思うけど?
お前の家には神棚とか仏壇とか全くないの?
へそで茶を沸かす為の茶道具はあるのに?
あとゴッドの訳だけど、サッカーの神様や、ギターゴッドの場合は
日本語の神の概念に近いと思うよ
お前がなんで「歴史上の人物」に限定してるのかは知らんけど
>>304 俺が言いたいのは実在した先祖や自然を尊ぶべきものとして祀ってるのに
勝手にゴッドだか、精霊だかの西洋的な概念と混同して
実在を信じていたのか議論してるのがおかしいと言っているんだが
それを認めることは物事の前提として発生する無意識下の「信じる」の上に存在する「信じる」を模索することになる。 その中で「信じる」とは何かは? をいくら議論したところで真の意味で「解」というものが発現しない。 出た解は必ず何かを前提とした「信じる」でしかないのだから根本は覆されない。 根本が無ければ「信じる」の模索ができないのに信じるが根本にあるのだからいっくら議論してもその解は共有されず結論としてドグマに陥る。
322 :
321 :2013/01/10(木) 23:27:32.58
>>319 無意味だと思う理由は
>>321 で書いた通りだけれど。
好きなら考えてもいいとは思うけどお勧めはしないよ。哲学になるだろうから。
最初から一般論的な前提で「信じる」を使用している方がまだここでは議論しやすいかと。
>>320 >日本人の基本は「先祖崇拝」だろ。
単なる俗説。先祖崇拝に還元はできないし
逆に儒教(中国で仏教と混じった)などの影響も指摘されるよな。
>俺が言いたいのは実在した先祖や自然を尊ぶべきものとして祀ってるのに
>勝手にゴッドだか、精霊だかの西洋的な概念と混同して
>実在を信じていたのか議論してるのがおかしいと言っているんだが
お前の理屈だと、「太陽が天皇の先祖と信じていたのか?」と言い換えた時に、これは何を意味することになるんだ?
そもそも”西洋の神や精霊”(で何を意味させているかは知らんが)と前近代の日本の”神”との概念が一致するかどうかなんて問題になってないだろ。
>>321 ひどく自家中毒的でわかりにくい文章だけど
物事を論じるには、根拠がないといけない。そのためにはまずその根拠を認める≒信じる必要がある。
だから、「信じる」事が必要。
「信じる」ことを否定できないので、「信じる」ことについて論じることは無意味。
ということだよね?
まず、「信じる」とは何かについて論じるにあたって、”根本”を”覆す”必要性がある根拠が述べられていない。
真の意味での”解”が何を意味するも不明確。
もちろん、あらゆる側面を説明する究極の答えなんてもんが、そうそう手に入ったら苦労しないが
それはこの場合に限った話でもない。
さらには「信じる」という概念の模索には、根本が存在することが必要だ、ということから出てくるのは
根本が存在”しない”場合には概念の模索ができない、ということのはずなのに
あなたの議論では、根本にあるのが”信じる”だからダメとなっている。
また、議論の答えが共有されないことの根拠もないし、ドグマで何を意味してるかも不明だ。
324 :
天之御名無主 :2013/01/10(木) 23:42:31.27
別に数学者が特定の公理を信じている必要はないんだが。 別々の公理系でお互いの公理が矛盾していてもそれぞれの公理に従って議論するのは可能。
>>322 哲学で何を意味しているかは知らんけど
別に何らかの信念の上に「信念という概念」についての信念を持つということが
概念考察の上で、絶対に問題を起こさないとは言い切れないが
常に問題を興すってわけでもないよね。
例えば、あなたの直接の批判対象かもしれない
>>315 のリンク先の議論とか
特にそのことで問題を起こしてるようには見えないんだが。
たとえば、「人間の思考は脳神経の構造に基づいているので、脳神経の構造について思考する(脳神経を働かす)ことは常に無意味」とか言ったらアホでしょ。
「信じる」という言葉の使い分けや、「信じる」振る舞いの状況などから
議論を組み立てて行ってるだけの話で、そういう行き詰まりが出てくるとも思えないけど。
まあ、哲学分野では「物理主義と反実在論」みたいな話もあるだろうけど。
(
>>322 のいう”哲学”が哲学業界の具体的な何かを想定してるとは思ってないが)
>>323 >ひどく自家中毒的でわかりにくい文章だけど
いう割にあんたも文章下手だよね
>>315 は>人類学者による「この民族は精霊を信じている」などというとき、「信じる」が何を意味するかに関する議論
前提を用いて信じるを語ってる
前提(根拠?)を用いて議論してはいけないという謎信念は何を前提にしているのですか? と聞いているのですが。 まさか無前提であるがゆえに自分は正しいなどとおっしゃるのでしょうか
なんかよく分からない議論だな
何にも属さない「信じている」の意味を考えることが「無意味」だと言っているのが
>>321 だよね?
何にも属さない「信じている」の意味を考えることは「無意味ではない(?)」と言っているのが
>>323 だよね?
「信じる」ってのは、単に「疑う」の対義語ってことでいいんじゃねーの? そういう意味でなら、過去の日本人の多くは、カミを疑うことなく、信じていただろ。 やっぱ、問題になるのは、信じるかどうかってことじゃなくて、だ。 「カミを実在と感じていたかどうか」、つまり、カミ概念の内容そのものってことになるんじゃないかねえ。
>>329 何にも属さないってのが何を意味してるかわからんが
「皇祖神を昔の人は手放しで信じてたのか」の信じるって何よ?という話だから
具体的文脈に束縛されとる話だよ。
ぶっちゃけ、皇祖神なんてモノを知らない庶民の方が多かっただろうね。 国学隆盛以降は浸透したかも知れんけど。
あ〜なるほど、たぶん議論が噛み合ってないと思われ
>>321 の指しているものと、
>>323 の刺しているものはたぶん違う
「皇祖神を昔の人は手放しで信じてたのか」って言葉の意味としての「信じる」の意味を追求してるのが
>>323 たぶんただ文字の意味として「信じる」って言葉の意味を探すことが無意味だって言ってるのが
>>321 って俺が説明しても説明できないよ、難しすぎるよ、誰か変わりに説明してやって
直感的な推測より根拠の方が知りたいね 庶民の考えをきちんと調べるのって、結構難しいと思うんだけど
人類学では、インチキ呪術医療とか、伝承を捏造しているように見える 一見、不信心な人々は本当に不信心なのか問題というのがあって 日本神話で言えば、古事記とかを”創作”した人は、自分の”創作”行為についてどう考えていたのだろうか、的な話になるのかな
そもそも庶民に難しい言葉が通じるのかどうか…作ったときは本当に黒歴史ノートで 広まったのは実は結構後の頃、という可能性も微レ存?
>>334 江戸時代くらいになると、庶民の信仰について記した知識人の書物がけっこう残ってるみたいだね。
>>337 抽象的な話ばっかじゃなくて、
そういうのを具体的に参照していった方がいいんじゃないの?
知識人の残した書物は主観性が強いという点を考慮すると話半分だろうけどな
ないよりましじゃね?
神=守 で守護職の事
342 :
天之御名無主 :2013/01/11(金) 14:27:48.06
んなわけない
イエスキリストって麻原彰晃みたいなだしな
日本神話ってほとんどが弥生系の神々だろうけど 縄文系の神はいるのだろうか
遠野の山神?
縄文人と弥生人は違うと言う説もあったような
イザナミは縄文だろ
なにそれw
イザナミは、オオゲツヒメ、ウケモチ、山姥などと共に、縄文の大女神の直系とされる
させる? 説もある。だろ? 明確にイザナミが縄文神である事実は無いぞ。 イザナミとイザナギは弥生時代の人間が前時代の移り変わりを記述するために作り出した神である可能性も否定できない。
だから直系だよ 縄文時代の信仰が形を変えて受け継がれてるってこと
縄文の大女神w あほくさw
更に言えば、縄文時代中期の、ランプに使われたと目される土器の中に、女性をかたどったと思われる物がある 火の神カグツチを生んだイザナミを彷彿とさせる
雷神が全身にたかっている地下のイザナミの姿は、たしかに縄文時代の土偶のイメージを彷彿させる。
縄文土人に神なんか居ないよ どんぐり拾って食べる猿の仲間だよ
>>355 キリスト教によると人の進化論はないって事になっているけど?
357 :
卍3286卍ss :2013/01/13(日) 06:29:59.22
>>355 聞き捨てナラナイナ....,ソコマデ言うなら
貴方は 縄文土器のレベルの高さは どう説明しますか?
>355 は、その縄文ド人の末裔じゃ。
人間は未だに猿の一種だ。思いあがってはイカン。
縄文土器のレベルの高さと弥生土器のレベルの低さは何があったのかと思うレベル
弥生土器は機能重視で、別にレベルが低いわけじゃないぞ
装飾レベルのことだろう。
縄文時代と江戸時代のものは、外との交流を断って練り上げられた独特のセンスがあるもんな それ以外の時代のものは、どうしても借り物っぽさがある 外国人のコレクターも欲しいのは、縄文時代と江戸時代のものって言ってたよ
猿のちょっとした種類の違いで装飾に振ったり、機能に振ったりしただけ レベルは似たようなものさ、 しょせん縄文猿と弥生猿
>>363 だからそう言うのはレベルじゃなくて価値観
>>364 平安は?
あとこう言っちゃ何だが、当時は通俗文化だった浮世絵とかの町人文化だけが持ち上げられて
当時の人間がハイカルチャーみたいなものと認識していた中国風の画とかが、あんま顧みられないのって
要するに西洋人が「日本らしい」とか食いついてくれたのを、逆輸入してるせいだよな
ある意味、価値観それ自体が借り物
まあ、美術史とかの方では、その問題がちゃんと認識されてて
俺が言ってるのはその受け売りなので、俺の価値観も借り物なんだがw
>>361-362 縄文土器だって、たいていは地味だぞ
縄文土器の代表的なものは作りに芸術性を感じるよな あれを今再現するのはなかなかに難しいらしいし、弥生にはその技術が受け継がれなかったんかねぇ
>>367 平安時代の芸術品でいいものって何がある?
十二単?絵巻物?
>>369 源氏物語絵巻とか、平等院鳳凰堂とか、仏像とか
しかし神話関係ないなw
その辺の絵巻とか仏像より、縄文土器や浮世絵の方がセンスがいいと思っちゃうのは、 西洋人に毒されてるからかな いい加減スレ違いな話をしてしまっているので、神話と無理やり結び付けると、 なんで日本人は神に具体的な姿を与えず、ほとんど神像や神の絵が作られなかったんだろう? 仏像は腐るほどあるけど、神像はごくわずかだよね
そもそも自然界・超自然界全体を見渡してみると、具体的な姿を与えていた対象のほうが少なかったんじゃないの? 野性動物とか植物とかたいして造形化されてないでしょ。とくに古代あたりは。
インドでもギリシアから入ってくるまで、神を造形する文化はなかったんじゃなかったっけ? それが巡り巡って日本に入ってきた。 「像を作り、それを崇拝対象にする」文化が入ってきたというより 「仏教儀礼の一種」という認識だったんじゃないかな。 仏教儀礼と神式の儀礼は厳密に区別されていなかったので 一部には神像もあったが、一応ある程度の区別はあったので全面的にはならなかった。 適当だけどね
神自体は他から入ってきたもので、各々の文化で超常現象的なものに後から当てはめた って考えた方がすんなりいく感じはするねえ
何を言ってるのかわからん。 各々の文化でってことは、日本にカミ信仰が外(例えば、アイヌのカムイなど?)から入って来たってことじゃなくて 地球人の外部外から神という概念が入ってきて、それを文化毎にってこと?
仏像と言うのは別に芸術として作ったわけじゃなくて、崇拝対象なんだから、 他に御神体と言う崇拝対象が既にあった神社では、作る必然性が無かったってことだろ
神仏習合の時代になると、神像なんて全国でやたらと作られるようになるわけだが。 無くなったのは江戸時代の国学隆盛で神道が純化されたからだよ、ただ単に。
仏教渡来以前の地域的な信仰の対象であった日本の神々には、 固有の神話も教義も神像もなかった。 仏教の影響を受けた後に日本書紀、古事記といった神話や教義が作られ、 神社建築が発達し、神像も制作されるようになった。 つまり仏教の日本化に対応して、日本の土着信仰は仏教的体裁を整えることになったと考えればいい。
それが神である。と決め付けるのは、神を神として持ちえる側だから、 神に近しい対象物がどこの文化にも元々あったとしても、それは神に酷似したものであって厳密には神ではない。 と仮定するのなら、元々神に近しいものをなんらかの物体として作るという概念がなかった時点では、神の絵なり像なりは作られることが無いだろうから、 神と呼ばれる対象物体が残っているとするなら、それはそういう文化が入ってきた後のことになるでしょう。
固有の神話がなかったってのは、ローマみたいな? 神々に対する儀礼はあるけど物語がなかったという説もある。 ”教義”がないってのはないだろ。
実在した先祖(人間)や、実在する自然を「かみ」として祀ってるんだから 後から創作した姿を与える必要がないのでは? 自分の祖父母が亡くなった後で、戒名みたいな物は用意しても「姿」は与えないだろ? どうしても、神は人間が信仰の為に用意した創作物って事にしたいのか?
>>378 そういう考えだと原始天皇は祭祀王ではなく、覇王として日本を統一して、
天武天皇あたりが支配の正当化のために、日本神話を構築したんかね
>>381 自然を擬人化したなら、姿かたちは必要なんじゃないの?
風神雷神とか
>>381 祖父母が亡くなったら「遺影」は飾るけどな。
鎌倉時代に作られた風神雷神像が三十三間堂にあるな
自然現象を崇めてた民族の元に、後から自然現象に神という形を与えている民族の文化が伝わったとしたら、 後から神が付属したことになるんと違うか? ただ、元の民族が崇めてた自然現象という対象は神に上書きされて伝わらず消えてるかもだけど
>>382 何でそうなるのかわからん
祭司王として祀る対象は架空の創作物でなければならないという事か?
例えば、北極星(天帝)一つ祀るのに、ファンタジーが必要か?
必要なのは、何故にそれが尊いかの理念では?
>>383 まず、擬人化する必要があるの?
>>384 遺影は本人の写真だろ?
姿を与えるってのは、キャラクターデザインから創作するんじゃ無いのか?
日本人が自然現象そのものを崇めてたという証拠もない
>>387 神は形じゃなくて概念だろう
自然現象を崇めて、なおかつそれを神と呼ばない民族とか聞いたことがないから、
そんな現象が起こった可能性は低いね
>>390 王権は神聖であり、尊いって概念は、万国共通だと思うけど
>>387 どんな民族でも、「自然現象」の背後に超自然的な力や存在を認めたうえで、
それを信仰していたというのが人類学的な定説。
この「超自然的な」ものを日本ではカミと言うことが多い。
外部から与えられるまでもなく、そういう観念はある。
草創期の日本人は水や太陽や石やときには静寂といった自然の現象を崇拝の対象として見た。 やがて彼らは特定の神聖な場所を見いだし、そうした場所そのものをきよめた。 この行為がやがて神道と呼ばれるようになったわけだ。 こうした先行する習俗を仏教の渡来が追いやることはなかったということだ。 仏教は土着の神々を吸収し、土着の信仰と価値の体系に出会って変容した。 そして日本の神々もまた仏教化した。 これが神仏習合だ。
395 :
天之御名無主 :2013/01/14(月) 00:49:42.30
アニミズムが世界の極めて広汎な地域に行なわれていることはいうまでもないだろ。 フレーザーの「金枝篇」は、ほとんどそのことしか書いてないぞ。
神という固有名詞が広がった理由は分からん。自然現象を崇めてたのは間違いなかろうが…。 高確率で侵略だと思うが
>>396 それは「神という観念がもともとなかった」という、よくわからない前提をもとに推論しているからであって、
「もともとあった」という常識的な前提をもとにすればそういうことを考えずに済む。
誰かが作らない限りは元からはないだろ
それをいうなら「自然」という観念のほうも、いつかどこかで誰かにより作られたものだろ。 「神」もそうだが、きわめて世界的に広まっている観念の起源を問うのは不可能に近いことだから 生産的な議論になるとは思えないな。
神という概念が一箇所だけで発生して、それが全国に広まった。 と考えれば神という基盤は一つだけで済む。 済むが、一箇所で発生したというのはかなり厳しい説にも感じる。
日本に信仰はあっても、神話がなかったってのは、今まででた話だけだと根拠薄弱だな 仏教伝来以降に神話ができたというのなら、日本神話を仏教的に説明できるんじゃないの?
>>396 「神」は固有名詞ではなく、普通名詞
唯一確認できる日本語の周辺言語のアイヌ語では、神はカムイで、
これは古代日本語で神を表した言葉「カム」に、後置定冠詞の「イ」が付いた形が語源
つまり神以外の言葉は今のところ確認できない
一方、神の固有名が広まったのは、名付けたからだろう
>>400 人類誕生の時点で発生したのだと考えるのなら、エチオピアのどこかの小さな共同体という一か所以外にはありえない。
ただし全く実証的な仮説ではないが。
>>403 発生したとすれば各地で独自に発生したんだろう
王国だって各地で独自に発達したわけで、
何の不思議もない
405 :
天之御名無主 :2013/01/14(月) 01:04:13.14
古来ヤマトコトバがいかにして成立したかについては明確化できないけど、 概念があって、それに言葉をあてはめただけだろ。 逆のパターンもあるだろうけどな。
>>404 「神」や「自然」は、「王国」のように限られた社会にのみ認められるものではなく
ほとんどすべての社会に普遍的なもの。そのアナロジーは妥当ではない。
>>406 まあ各地で自然発生的に発生したってことが伝わればいいよ
408 :
天之御名無主 :2013/01/14(月) 01:08:23.62
独自発生した可能性が高いだろうねぇ、人間てのは一定の環境,文明を超えるとどこも似たような行動を起こすらしい。 神という語源は違えども、日本内にいくつかの神と同等の概念が発生していた可能性は高い。 残ってるのが「神」という概念だけだから、空想にしかならんが。
「日本内にいくつかの神と同等の概念」 これってたとえばタマとかモノとかムスビとかじゃないの?
神の語源は上下(かみしも)のかみ 自分を下に置き、仰ぎ見る対象が上(かみ) それを尊ぶ内に上下の上では無く、神という概念として区別される様になった その結果、下々の人間と対比した際にお上(かみ)、上様(うえさま)とは呼べても 上様(かみさま)と呼ばせる事は恐れ多くて出来なくなった 日本語の「かみ」という言葉はこういう経緯を辿って来たんじゃ無いの? 神(かみ)>信仰の壁>上(かみ)>身分の壁>下々(しもじも)の民衆
結局、いつもの人かよォォォォォ!!
you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。 それを見ると中国人も中国の民主化を望んでいる事がわかります。 新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、 中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。 日本語による吹き替えも毎日アップしています。 日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。 新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない 日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。 さらに新唐人テレビを衛生放送を使って中国国内に放送する計画まであります。 これはある意味、中国共産党に対する強力な「兵器」です。 新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
>>414 上を語源に、神(上の存在)、髪の毛(上の毛)なら、そのまま意味が通じるが
神が最初だと、どういう理由で、上下とか、髪の毛とか、後から出てくるんだ?
上と髪だって、当ててる漢字が違うだけで意味は同じだし
「甲類と乙類だから違う」なんて「神と上は漢字が違うから意味も違う」ってのと同じだろ
神の語源が上下に関係無いと断言するなら
神(かみ)と上(かみ)と髪(かみ)の語源をそれぞれ説明してくれるか?
かみがみの存在…しもじもの存在 (神々の存在、下々の存在)
かみ座…しも座 (上座、下座)
かみの毛…しもの毛 (髪の毛、下の毛)
平仮名だと自然に対比出来る言葉が、漢字にすると不自然になるのは何故だ?
わりどうでもいいが、毛ってのは野蛮的な意味を含むらしい ソースは下野の国
若御毛沼命
>>415 「髪の毛・下の毛」という対立表現はあるし、上座・下座という対立表現もあるが、
「神々の存在・下々の存在」という対立表現が実際には存在していないのが一番の問題。
似たような表現があるというなら文献から例示してくれ。
カミ(神)の古形は、カムカラ(神の品格)、カムナガラ(神そのもの)などのカムである。 カミ(神)とカミ(上)とは本来別語だったが、カミ(神)は「カミ(上にあるもの)」という意味だと一般に信じられてきた。 ところが上代の発音にはミに甲類と乙類という二つの使い分け(甲類は万葉仮名の「美」「民」「弥」などの一群で、 乙類は「微」「味」「未」などの一群をいう)があり、甲類と乙類とを漢字の字音から調べると、それぞれ別音として区別されている。 それをローマ字で便宜上miとmïとに書き分ける。 実際の発音がどんな違いであったかについては異論があるが、万葉仮名の用法(上代特殊仮名遣い)から「相違があった」という点に ついては異論がなく、カミ(上)・ミコト(尊)ミチ(道)ミル(見る)などのミは常に甲類の万葉仮名で書いてあり、 この奈良時代の文献には例外がほとんどない。 カミ(神)のミは常に甲類のミで書いてあるので、その二つの語は、上代には発音上区別があったことがわかる。 それが中古に入り、片仮名・平仮名が使われ始めたころにはミの甲類・乙類の区別は失われ、仮名では片仮名「ミ」、 平仮名「み」一文字で書かれるようになったので、上代の区別がわからなくなって同音化し、 カミ(神)の語源をカミ(上)とする考えが生じた。 古典基礎語辞典 大野晋[編] 角川学芸出版
かみ(髪) 上代の文献に確例があり、それ以降、現在に至るまで、盛んに用いられている。 頭に生える毛、すなわち頭髪を指す。語源的にはカミ(髪)が体の上部にある ところから、カミ(上)の意に同じという説がある。 カミ(髪)もカミ(上)も、上代特殊仮名遣いでは同じミの甲類で、 中古末期の『妙義抄』によるアクセントでは「上」のカミは「平上」、 「髪」のカミは「平平」で第一アクセントは同一であるから、同根の語と考えられる。
>>419 訂正
カミ(神)の古形は、カムカラ(神の品格)、カムナガラ(神そのもの)などのカムである。
カミ(神)とカミ(上)とは本来別語だったが、カミ(神)は「カミ(上にあるもの)」という意味だと一般に信じられてきた。
ところが上代の発音にはミに甲類と乙類という二つの使い分け(甲類は万葉仮名の「美」「民」「弥」などの一群で、
乙類は「微」「味」「未」などの一群をいう)があり、甲類と乙類とを漢字の字音から調べると、それぞれ別音として区別されている。
それをローマ字で便宜上miとmïとに書き分ける。
実際の発音がどんな違いであったかについては異論があるが、万葉仮名の用法(上代特殊仮名遣い)から「相違があった」という点に
ついては異論がなく、カミ(上)・ミコト(尊)ミチ(道)ミル(見る)などのミは常に甲類の万葉仮名、
カミ(神)ヤミ(闇)、副助詞ノミなどのミは常に乙類の万葉仮名で書いてあり、この奈良時代の文献には例外がほとんどない。
カミ(神)のミは上代では常に乙類のミで書いてあり、カミ(上)のミは常に甲類のミで書いてあるので、その二つの語は、上代には発音上区別があったことがわかる。
それが中古に入り、片仮名・平仮名が使われ始めたころにはミの甲類・乙類の区別は失われ、仮名では片仮名「ミ」、 平仮名「み」一文字で書かれるようになったので、
上代の区別がわからなくなって同音化し、カミ(神)の語源をカミ(上)とする考えが生じた。
古典基礎語辞典 大野晋[編] 角川学芸出版
>>420 も古典基礎語辞典 大野晋[編] 角川学芸出版 から引用
古事記と日本書記読みたいんですけど どの出版社の読めばいいですか? 候補としては ・岩波文庫 ・講談社学術文庫 ・角川ソフィア文庫 あまり古文は得意ではありません
424 :
天之御名無主 :2013/01/14(月) 16:37:07.76
「新釈古事記」石川淳の名訳がある。 ちくま文庫だけど。
>>424 調べてみたけど良さそうだね
ありがとう
日本書記もその人の訳ってありますか?
>>381 >>388 どうしても日本の神は、単なる実在した何かを敬っているだけで
超自然的な存在じゃないとしたいらしいな。
あ ほ か
北極星は天帝じゃねえしw太陽は女神ではないし、天皇の祖先は太陽じゃない
何度言えばわかるんだ
>>395 いや、なんでいまさらタイラーやフレーザーを根拠にするのか
というかフレーザーのほとんどがアニミズムの話っておかしくないか?
>>403-404 神という”言葉””概念”の起源はともかく
現代人の人類学者がその社会に行って民族誌を書く場合
”神”や”儀礼”という概念で持って記述するような信念や儀礼が
人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の誕生・拡散以降に
バラバラに発生したしたって仮定の方が可能性は低いと思う。
ウィッツェルのローラシア神話仮説とかは考えないにしてもさ。
認知心理学や発達心理学などを使った、宗教心理学研究では
我々が”宗教的”と認識するようなバイアスは、元々生物学的な人の心に備わっているものというのが主流の見方だと思うけど。
>>409 つまり、ある一定のレベルを超えず、宗教を持たない社会があった時代が現代型人類の誕生以降にあったということ?
>>404-408 言語もそうだけど、日本列島に来る以前
というか、出アフリカよりずっと以前から存在して
今まで途切れていないと考えるのが妥当かと。
宗教については、まだ十分な証拠はないが
言語については、無言語状態に置かれた社会は言語を自然発生させてしまうことが
手話(音声を使わないだけで自然言語です)の発生研究からわかっているくらいに
強固な生物学的基盤があるので、無言語の人たちが、日本列島にやってきて
それから言語を発明してヤマトコトバを概念に当てはめた、などということは無視していいレベルの可能性。
現代型人類への進化の過程で、言語も宗教も少しずつ進化してきたと思われる。
世界各地で独自発生したってことはまずないと思うよ。
日本人はそんなオカルトな宗教本能はもってないよ 実在する祖先や太陽を上と読んでただけ
その辺りのことはパスカル・ボイヤーでも読んでくださいってことで。 あまり「日本」から外れすぎるのもどうかと思うので。
結局、日本には神話がなかったという説の具体的根拠は何?
そこそこの国土を持ち、外国からの侵略に遭わない島国の人間は心穏やかになります
>>426 「日本の神は実在しない超自然的な存在だ」という根拠は日本の何処にあるんだ?
それを教えてもらいたいんだけど?
実在した先祖や、自然は神として実際に沢山祀ってあるぞ
天帝崇拝は北極星を祀ってた気がしたけど、勘違いしてたみたいで悪かったね。
俺が言いたいのは、擬人化ファンタジーせんでも自然に実在する物は祀れるだろうって事
北極星だろうが、太陽だろうが、山だろうが、川だろうが、滝だろうが、ね
>何度言えばわかるんだ
訳のわからない事を何度言われても理解出来る訳ないだろ
太陽が女神とか、天皇の祖先が太陽とか、一言も言ってないんだけど、お前は何を言ってんだ?
>>433 横からすまんが、別天津神五柱と神世七代はどう考える?
天之御中主神が北極星ってのは付会の説のようだが
>>433 によれば、古代人が祀っていたアマテラス=太陽なのだが、
古代人は、アマテラス=天皇の祖先と考えていたので、
太陽=天皇の祖先ということになる。
しかし天皇の祖先であるような太陽=アマテラスは、現実には実在しない。
つまり古代人はアマテラス、つまり現実に実在しないものを祀っていたことになる。
単純に言えば現実に存在する太陽はアマテラスの一側面にすぎない。
>>433 はほかの非実在的な側面を無視しているだけ。
>>435 それについては、昔から天照大御神=太陽神と巫女の合体説がある
横槍だけどこアマテラス=太陽というのは天皇側の後付設定である可能性は?
太陽神アマテラスはその名から分かるとおり「男神」だった 世界的にも太陽神=男神と考えるのが通説 女系信仰の日本になじむように、おそらく天武時代に改変されたが 男神のイメージは江戸時代にいたってもまで完全には払拭できなかった (絵に残ってる)
本来の皇祖神はタカミムスヒで男神だったが、 天武時代ごろ、何らかの理由で、太陽の女神だったが大した勢力はなかったアマテラスに すり替わったっていうのが定説。
>>438-439 通説でも定説でもない
天照大御神は、本来の太陽神に、それを祀る皇祖たる巫女王、
即ち卑弥呼が合体したダブルイメージ
>>436 合体してる時点で、そいつはリアル太陽じゃねえよ
>>438 女系信仰の日本って認識をいいとして、
なんでその日本人は天武以前に男神だったんだ?
あと男神だったとしても、それはリアル太陽じゃねえよ
まあ、話の流れ関係なく自説を説きたいだけの相手にいうのもなんだが
>>440 溝口睦子『王権神話の二元造』『アマテラスの誕生』を読めばわかるとおり
>>439 が学会では定説。
>>433 >訳のわからない事を何度言われても理解出来る訳ないだろ
>太陽が女神とか、天皇の祖先が太陽とか、一言も言ってないんだけど、お前は何を言ってんだ?
わけがわからない方がおかしいだろう。
お前の頭のなかでは、昔の人はそんなこと言ってないことになってるのかもしれないが
そういうことを言ってたんだから仕方ないだろ
>>442 そう言う説があるってだけで別に定説では無い
>>439 の説に関して
落合莞爾が「金融ワンワールド」って本で考察してたわ
史学では無いが
天照大神をアマテラスって略しちゃう時点でセンスがない
448 :
天之御名無主 :2013/01/14(月) 22:56:27.15
タカミムスヒが皇祖神という説は、説得力があるんで、 この説を採用という感じだな。 アマテラスは地方神、というか伊勢の神さまだな。 まあ、この件をここで論争しても俺の意見がくつがえることはないけどな。
女系信仰って、よくわからないな 天皇家以外の祖神はほぼ男神だし
弥生人や日本の稲作文化の源流地である中国南部では、太陽=女神とする伝承が多いぞ。 太陽女神アマテラスにはそういう汎弥生的=稲作漁労民文化の下地があるんで、「伊勢の地方神」という程度に狭く限局するべきでない。 むしろ皇祖神タカミムスビの方が、北方的・外来的だ。弥生後期から古墳時代に到来した新文化、ありていに言えば朝鮮半島系の北方シャーマニズム・鳥トーテム・騎馬文化の神。
中国の文献にちょろっと名前が出てくるだけの卑弥呼がアマテラスとか本気で言ってるの?
>>450 に同意
日本民族の混血性、渡来経路や頒布を意識すれば
神話の由来・ルーツが見えてくる
>>451 痛い邪馬台国論者だけが言ってるならいいが、記紀学者の一部も本気でこういうこと言うのがいるから困る。
そういう連中は、基本文献史学的なアプローチで、神話学の知識があまりない、つまり世界的視野のない学者。
>>453 文献史学的なアプローチも必要だろ
一つの可能性を排除してどうすんの
皇祖神って天照大神だけか?w
>>454 どこに「文献史学的アプローチはダメ」って書いたよ?
ダメ学者はその手法「だけ」に偏っていて、他の知識がない=「他のすべての可能性を排除してる」って言ってるんだよ。
> 一つの可能性を排除してどうすんの
文献史学的アプローチ以外の「すべての可能性」を排除してるダメ学者に対して言え。バーカ。
>>456 だから両者を統合させたらどうかって言ってんの
>>457 優秀な学者はすでに色んなアプローチしてるわ。
てか、「統合」ってなんぞ? 意味わからん。「両者」って何と何だ?
お前が何を主張したいのわからん。自分の立場を明確にしてから発言せい。
文献学的アプローチと天照大御神の原型は卑弥呼って説が どうやればつながるのかさっぱりわからない。
頭悪いからじゃねw
461 :
天之御名無主 :2013/01/15(火) 01:56:18.01
そもそも神様や神話の源流をひとつにしぼる理由がわからない 普遍的なモチーフの伝播と、何らかの史実の両方に淵源を持っていては、何故いけないのか
>>344 〜
日本神話は原初海洋型神話、海洋民〔縄文人〕の神話で、農耕的要素は後からトッピングされているだけだよ。 それに弥生人って、基本的に弥生時代の縄文人のことだろ。
以前NHKで渡来系弥生人は、ごく少数でホトンドいないとかやってたぞ。
>>450 >>452 アマテラスとタカミムスヒを切り離して考えている時点で100%間違いだからそれw 日本神話を寄せ集めだと思っているかぎり正しい答えは解らないよw
● 風土記・逸文 〈山背の国〉(『山代国風土記』に次のように出ている)
久世の郡(くせのこおり)の条。水渡の社(みとのやしろ)。〔国つ社〕祭神は
天照高弥牟須比の命 (あまてらす たかみむすび のみこと)〜
● 神武[紀]
天皇〔神武〕はそこで道臣(みちのおみ)命に勅(みことのり)して、
「今、私は自ら高皇産霊尊の神霊の憑人(よりまし)〔依代〕となって
祭りを執り行いたい。《顕斎(うつしいわい)を作(な)さむ》
お前は斎主(いわいぬし)として、厳媛 (いつひめ) の名を与えよう。
そしてそこに据えた埴瓮(はにへ)を名付けて厳瓮(いつへ)といい、
また火を名付けて厳 香来雷 (いつの かぐつち)≠ニいい、
水を名付けて厳 罔象女 (いつの みつはのめ)≠ニいい、
食物を名付けて厳 稲魂女 (いつの うかのめ)≠ニいい、
薪(たきぎ)を名付けて厳 山雷 (いつの やまつち)≠ニいい、
草を名付けて厳 野椎 (いつの のづち)≠ニいおう」 と仰せられた。
《コレ全部、イザナギとイザナミから直に生まれた神》
つづき ● 古事記・誓約(うけい)〔構造上、カグツチの繰り返しに相当〕の前のアマテラスのセリフ。 伊都之男 建〔伊都之男 (いつのを) と(として)建(たけ)ぶ。〕 ● 古事記 天の安の河の河上の天の石屋〔アマテラスが引きこもった〕に坐す、名は 伊都之尾羽張 (いつのを はばり)の神 〔イザナギ固有の剣/[紀]稜威雄 走〕 つまり、姿形のないタカミムスヒが依代を使って実体化した状態がイザナギ〔イツノヲ〕、アマテラスも高天原でタカミムスヒの依代〔イツノヲとして〕となっていて、それはアマテラス〔転成したイザナミ〕とタカミムスヒ〔イザナギの中の人〕の結婚でもある。 だから播磨国風土記ではホアカリがオオナムチ〔大国主=イザナギのコピペ〕の子だったりもする。皇祖神がタカミムスヒとアマテラスのなのは当たり前って話。
>>448 伊勢の本来の地方神は伊勢津彦(いせつひこ)で、天の御中主の十二世の孫の
天の日別(あめのひわけ)が平定して〔伊勢国風土記〕、
後でアマテラスが、ヤマトヒメ〔アマテラスの依代〕に
「この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。
大和から片寄った遠い国で美しいよい国 《傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)》 である。
この国に居たいと思う」
〜と言って、移ったんだよw
で、その話は誰がどういった目的で作ったのかを考えてみ
「作った」とか言ってる時点でダウト
言葉尻やろw 〜と言って より100倍ましだろww
このスレには神的存在は実在したという事を前提にした上で議論したがるやつがいるのか?
神はいないとか現代人の思い上がり
神の実在とか誰か議論してたっけ? 古史古伝には興味あるが
自然や過去の人物など実在していたものを崇拝していたのであって超自然的存在のようなファンタジーを崇拝していたのではない と主張していたやつはいたが、反論されて消えた。
神的存在が本当に実在したかを論じたいわけではない ただ昔の人間が本心から神的存在の実在を信じていたかを論じたいのだ
本心なんてそんなん解るわけないじゃん 信仰していただろうという前提での議論は理解できるが 本心から信じていたかどうかなんて永劫分からない話を論じられても
日本書記って読むならどれがいいの? なんかいろんなとこから出ててどれ買えばいいのか分からん
>>472 反論されてじゃ無く、あまりにも発言が曲解されて話が通じないからだよ
>>435 とか、何だコレ?
実在した先祖や自然は実際に昔から祀られているんだけど
(少なくとも、俺が住んでる日本では)
お前の言う、日本人は実在しない超自然的な物を崇めていたのだと言う根拠は何処?
また、太陽から天皇が生まれたとお前は言っているとか、訳のわからない事を言うだけか?
お前のすんでる日本は俺達の日本とは別の可能世界に在る日本だから そっちの世界の2chに書き込んでね
>>476 とりあえず確認しとくが、日本人が祀っていたアマテラスやイザナギ・イザナミ、タカミムスヒはこの世界のどこかに実在しているということ?
というか
>>388 とかを素直に読むと、擬人化とかもしてないことに成ってるらしいんだが
擬人化まではしなくても目に見える対象として何らかの形で表現はすると思うけどね 縄文土器とかまさにそんなんやん
擬人化といっても英語だと二種類あって anthropomorphismは人間の形態を与えること personificationは人間的な性質を与えること(人語を話し、戦い、結婚し、うまれて死ぬ…) 前者はあまり見られないかもしれないが後者は神話の中にはっきり見て取ることができる
元々自然や祖先を祀っていたのが、超自然的な神霊に昇華することはあり得ると思うし、 具象物でない「生成の力」「天の中心」とかを祀ることもあっただろう
>>482 というか、全く超自然かしないままで祀られてる状況が想像できない。
そんな例あるの?
明らかにねぇよって言う設定の歴史がある神社とか奉られてる神様あるじゃん? いわゆる伝説的なものさ。 例えば、あ〜今ちょっと出ないけど。後から超自然的な何かにこじつけたような結構多いんじゃないの?
485 :
482 :2013/01/17(木) 00:20:56.63
>>483 確かに神として祀ること自体が超自然化とも言えるね
486 :
482 :2013/01/17(木) 00:34:03.56
連投すまん ただ、例えば五男神なんか、生まれ方以外は特にチート能力もなく、極めて人間に近い
>>242 橋本進吉を始め、イ乙は二重母音だったという説も有力なので
カムイはその二重母音時代以前に日本語のカミと分岐しただけって可能性も。
神と人間は結婚が出来るけど、存在の格が違う
>>485 > 確かに神として祀ること自体が超自然化とも言えるね
そうそう。なんでカミを「祀る」かって言えば、
物理的な手段では対応できない災厄から守ってもらいたいだとか、
幸運を授けてほしいとかっていう、「超自然的なパワー」への期待があるからなんだよね。
「神は実在」クンは、そもそもこういう「祀る」という行為の持つ意味がわかっていないというか、
信仰というのは単に「尊ぶ」とか「敬う」とかいう精神的態度と同じだと思い込んでるような気がする。
アマテラスは天空神で遍く照らすから 太陽と月はその御者
おそらくイザナギがその天空神でイザナミが地母神 須弥山に座すインドラと周りを回ってる太陽と月が三貴子(鼻の頭が頂上)
日本の神に西洋的なゴッドな概念を持ち込むな!と言ってるが 「上=神は実在」論者の理屈なら、西洋的なゴッド(って何?)だって精霊だって実在するだろうから 持ち込んでもまったく問題ないな とりあえず経験則的に、ゴッドとか言い出す奴はみんな電波
ちょい質問 てんからっ っていうウェブ漫画の中でスサノオが海と大地の神って設定なんだけど 俺の知る限りスサノオは 父親に海の管理を任される 地上に降りてスサノオを倒したあと出雲に行って自分の国を作る 話が飛んでオオクニヌシの時代になるとなぜか地下世界、冥界の王になっている だから海と地下、死後の世界、霊界の神ならわかるけど大地の神ってこれ作者オリジナル? 俺が知らないだけでスサノオが大地の神様兼任してるって神話にあるの?
>>489 そうは言ったものの、神話に限ってみれば、人並み以下の神様もいるわけで、
アシナズチ、テナズチは、娘を片っ端から食われながら、泣く以外何一つできなかったが、
人間の方がもう少しましな対応をしただろう
神話だけ見ている限り、神様はあまり超自然には見えない
超自然という概念を何か勘違いしてる気が いや、専門的には超自然も問題含みなんだっけ?
実際あった出来事を利用して、ありもしない事を付け足して肥大化させて作られた神様というのもあるから 必ずしも超自然的な何かから神様が発生するわけではないと思うが、 そこは判断できないでしょう。 最初に私利のために作り出した人間がいたとしても、それを信じる人間はあくまでも超自然的な存在を信じちゃったんだろうから どちらとも有り得るとも言えるが。
神と悪魔ってのはゾロアスターに基く善悪二次元論?で製造されただけ
>>496 何を言いたいかよくわからんが、
ありもしないことを付け足して肥大させて神様にした時点で超自然じゃね?
>>493 書紀の一書の六に「天の下」とあるのがわずかにそれっぽいけど、
「大地の神」なら、大地主(おおとこぬし)の異名を持つオオクニヌシの方が相応しい
更に大国霊の神もいるが、どちらも大地の神とは通常言われない
日本の神様で「大地の神」と言われた神様はなく、現代の研究者がイザナミを「大地母神」と呼ぶくらい
日本の神様は、山とか坂とか野とか細かく分かれて、「大地を司る」という概念自体が薄いようだ
時代別国語辞典の上代語を引くと、クニは第一義的には土地を表す言葉だったらしいね。 そこから土や国土や故地が派生した
>>498 なんでそれが超自然なのか意味がわからんが
>>501 定義が難しいから、曖昧な答えですまんが
聖徳太子が十人に同時に答えたまで話を膨らませても、それだけじゃ超自然にはならないが
夢に出てきて色々導いてくれる不思議な存在にまで、死後なったとしたら
それは超自然の存在になったと言えるのでは。
霊犬神社とかだな、伝説は明らかに創作だろうが、でも犬は確かに奉られている。
偉大かどうかってことと超自然的かってことは、別の問題。
例えば、毎晩家の中で小人が現れてちょこちょこ遊びまわる
呪いをしたら簡単に追い払えるという怪異が伝承されていたとして
それはハッキリ行ってしょぼいけど、それでも超自然的存在だろう。
あと
>>496 は、ひょっとして超自然的というのを「超常現象が元になってできた信仰」と理解しているのか?
>>501 >>502 は言葉足らずだった、ごめん。
「神様」になるくらいになると、基本的に後者のカテゴリにはいっちゃうんじゃないかな、と。
まあ、「大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ」といった時の
神の凄さを後者のカテゴリの偉大さに入れられるかは微妙だけど、
それでも作歌した人は、超自然的な”神々”というカテゴリーを前提にして
天皇をその中にカウントしてはいると思うよ。
506 :
天之御名無主 :2013/01/18(金) 00:21:38.79
>>506 道真公の生前の業績に詳しくないので
「この誇張は超自然とはいえない」の例がわからない。
ごめん。
そもそも聖徳太子が夢に出てきても、出てくるのは一部の人間であって 当時の大多数の人間は聖徳太子そのものが出てこなし顔も知らないだろうから 認知させるのに無理があるんじゃねぇの?
でも、そ言って、周りにも信じてもらった人もいるんだしいいんじゃね?
別に当時に認知されていなくても、後から世に公表されて認知された。 という風でもいいと思うんだけど、ダメかい? 政治的利用的な…。
>>499 >>500 ありがとう
493ミスった、スサノオを倒したあとじゃなくて、オロチを倒したあとね
じゃあたぶんスサノオが大地の神ってのは作者オリジナルか
地下の王を地の王としてとらえたか
姉が太陽、兄が月だから弟スサノオを地球の神って設定にしたかったか
高天原から地上に降りて国を作った、の拡大解釈で地上を治めたととらえたか……
ごめん、日本神話でスサノオ以外に神の国高天原から直接地上に降りて王になったのって
ニニギのミコトとか天皇の祖先だけだっけ?
>>503 あれ本当のところはどういう経緯で犬奉ったんだろうな?
>>489 まともな議論も出来ない癖にネチネチとしつこいね
俺の言う「日本人は実際に実在した先祖を神として祀っている」が間違いで
お前の言う「日本人が祀っているのは実在しない超自然的な神である」が正しいなら
それを証明する根拠をここに書き込んでくれ
何時まで論点をずらして逃げるつもりなんだ?
神を祀るのは守って貰いたいからとか、お前の宗教観念はどうでもいい
>>492 全く意味がわからないんだが
実在した先祖を神(上=尊ぶべき存在)として祀ると、同時に精霊も存在している事になるのか?
どういう理屈を展開したらそうなるの?電波理論?
>>478 も見て愕然としたけど
「実際に実在した先祖を神として祀ってる」と俺が言えば
「確認するが、先祖達は今もこの世界に実在しているという事か?」と食いついてきたり
根本的に日本語読解力のおかしい奴が議論してないか?
「実在した」と「実在している」の日本語の違いもわからないで神話を研究するの?
>>516 >全く意味がわからないんだが
>実在した先祖を神(上=尊ぶべき存在)として祀ると、同時に精霊も存在している事になるのか?
そんなこと言ってないよ。
どこをどう読めばそうなるの?
西洋人だって架空の存在じゃなく実在する自然や実在した人を崇拝してるだけってことになるよ、といってるだけだよ。
>>518 > 西洋人だって架空の存在じゃなく実在する自然や実在した人を崇拝してるだけってことになる
自然はともかく、実在した人物の崇拝はキリスト教でも普通にあるよ
聖人信仰とか聖母信仰とかね
じゃ言い方を変えるが、かつて世界のどこかにアマテラスやイザナギイザナミは実在していたってこと?
なんらかのキャラクター性を持つ神様は元々実在していた存在を後から実在しない存在に昇華させた可能性が濃厚。 昔こういう人がいたんですよ、が、いつの間にか昔こういう神様がいた。になった(国を治める人間がそういう風に作り出した)パターン。
522 :
天之御名無主 :2013/01/18(金) 23:29:39.69
古代人のいうところの先祖をまつっていた古代人によると、 彼らの言う先祖は陰部から火を生み出したり、顔から太陽や月を生み出したりしたらしいのだが、 そういう先祖は実在していたのか?
>>521 そういうこともあっただろうし、そうでないこともあっただろうが
そういう場合でも、「単に実在した存在に敬意を表しているだけ」とはならないよ
524 :
天之御名無主 :2013/01/19(土) 00:19:51.12
>>521 そこで「作り出した」と断言するのは如何なものか
「いつのまにかそうなった」というのが事実に近いと思われる
例えば天神信仰などは、菅公の祟りへの恐怖に端を発しているが、
天神様のご利益それ自体は、誰言うともなく出来上がっていったものだ
誰言うとも無くとはいっても、単にその過程が特定できないだけで 誰かが言ってはいるんだけどね、 一人の人が意図的に、ではないにしろ。
>>519 だから何?
イエス自身を無視して聖母を持ち出すってことは
聖母崇敬や聖者崇敬は単なる実在の人物への敬意だと言いたいわけ?
じゃあ、なぜイエスはそういえないの?
>>518 >>519 つまり、
>>492 は実在した聖人や聖母を西洋人はゴッド、精霊と呼んでいる前提で書いてる訳か…?
と言うか、
>>492 をどう読めば、聖人崇拝の事になるのか
>>518 は解説してくれ
>そんなこと言ってないよ。
どこをどう読めばそうなるの?
自信を持って書いた文章なのかよ…
と言うか、ゴッド、精霊を聖人、聖母と読ませる様な事を平気でしてるから
日本語での議論に支障をきたすんだと思うぞ…
聖人崇敬のことに限った話じゃなくて、アマテラスもヨモツカミもみんな実在の対象をさしていることになるのなら ゼウスは語源的に言って空だし、雷の原因だし キリスト教の神はナザレのイエスだしで、普通に実在するものしかさしてないですよ
>>520 天皇の先祖である以上は実在した人間だったんだろ
業績(神話の内容)が歴史的事実かは別の話だけど
例えば、豊臣秀吉は「余は日輪の子である」と自称した事がある様だが
もし、太陽の子「豊国大明神」として記録に残ってしまった場合
俺は実在した人間を神として祀ったんだろ?と言うし
お前らは「太陽が子供を産む筈が無いから超自然的な存在で実在しない」と言うんだろ?
そこら辺でズレてるんだと思うよ
>>529 因幡の白兎に対する信仰は、実在した兎を尊ぶべき存在として祀ることなの?
>>529 たとえば海神が実在してたというなら「海そのもの」のことなんだけど、
神話上では海そのものと海神って明らかに別個の存在であって、
海そのものではなく海神という別の存在を信仰していたとしか思えないだけど、その点はどうなの?
>>529 超自然的要素抜きにしても豊臣秀吉の本質はほぼ変わらないが、
超自然的要素抜きにした記紀の神々の本質はまったく別物になる。
と思うのだが、
>>529 にとってはそうではない、ということか。
結局、指示対象の内包がどれだけ変化しても同一性を認められるのか?
という線引き問題であって、「どれだけ変化しても同一性を認める」というのが
>>529 の前提なら
それに反対する意見がいくらあったとしても不毛な争いに見えるな。
>>530 肯定的な補足だと思ったから一緒にアンカ付けたんだけど…
と言うか、
>>519 が
>>518 の補足になっていないなら
西洋人は実在する人物や自然をゴッド、精霊として崇拝している事になる訳だが
>>528 ゼウスは空の事だから実在すると言い出したの…?
あと、イエスは神の子であって、キリスト教の神はヤハウェじゃ無いの?
>>529 違うよ。
お前が言ってるのは、個々の神の原型に実在の人間がいることがあるということではなく
神=上、という日本人の「神」概念の話をしているのであって
そこが問題になっているのだよ。
あと、確定記述「アマテラスは応神天皇の十九代前の先祖」として定義できるという話と、天照の元に成った人物がいるかどうかの話がごっちゃになってる。
たとえば、天照が実在の人物を元にした神であり、天皇家と血縁関係がなかったら
「天照大御神」という語は誰を指し示していることになるの?
あと、実在の誰かを指し示していなくても太陽は?
>>534 日本人が実在するものしか信仰していないなら、西洋人だって実在してるものしか信仰してないだろ。
違うというのなら根拠を上げろ
>ゼウスは空の事だから実在すると言い出したの…?
とりあえず、歴史上の人物が神化されて、その後どんなに変化し、本来の性質が忘却されても、
その歴史上の人物に敬意を払っているだけとするのなら
ゼウスも、「(昼の)空」に敬意を払っているだけってことになるな。
>あと、イエスは神の子であって、キリスト教の神はヤハウェじゃ無いの?
ヤハウェ=父なる神ではいよ。
主流キリスト教の神は、三つの位格を持つ、単一の実体だよ。
父なる神、子なる神、聖霊、共に合わせて、一個の実体。
「主イエス・キリスト」は唯一神だよ。
天皇に人間の先祖がいるから皇祖神は、実在する対象を 上と祀っているだけが、なりたつなら 父なる神=子なる神の父=イエスの人間の父を指しているとかいうこともできるな。 たとえば、マリアの処女懐胎が後世の神話ってのは、まあ間違いないとして 何気に、イエスの父が普通にヨセフだったりした場合、面白いことになりそうだw
>>531 因幡の白兎を先祖として家系図に組み入れてる人がいるの?
「実在する先祖や自然」から論点がズレてるよ
そもそも、日本神話には色々な要素があると思う訳だが
それら全てを纏めて一括で「実在するか否か」語るなんておかしいだろ?
俺は神話の記述が歴史的事実かは別問題と書いてるが
お前の中では「全てを事実として信じるか、全てを否定するか」なの?
日本人は、実在する先祖や自然を崇拝してきた 違うというのなら実例を出せ!出せないじゃないか! とか言ってたのは誰なの? というか因幡の白兎は、実在にカウントされないのか よくわからねえ
>>535 神は上で日本語の意味が通るだろ?それとも神はお前の下に居る存在か?ちゃんと敬え
何で、天照大神が実在した人物だと天皇と血縁関係が切れるんだ?
太陽ってのも天照大神が「私は太陽です」と言ってるのでは無く、後世の解釈
日本人が実在するものしか信仰していないと誰が言った?曲解しか出来ないのか?
「日本の神の概念は実在しない超自然的なもの」と言う決め付けに
「実在の先祖や自然を神として祀ってるだろ」と反論したんだが
日本の神は「誰々の先祖です」と伝わってるのが多いけど
ギリシャ神話のゼウスも「昼の空の事です」として伝わってるのか?
一緒くたにするのはおかしいだろ
>>538 日本人が先祖を神として祀らないと言う根拠をいつ示したんだ?お前は
と言うか、本当に全てが実在するか全てが実在しないかの両極端な考えしか出来ないんだな
俺は「日本人が先祖や自然を神として祀ってる」と言う事実を言ってるんだよ
何で、因幡の白兎が出てくるんだよ?先祖か?自然か?
>>516 >「実際に実在した先祖を神として祀ってる」と俺が言えば
>「確認するが、先祖達は今もこの世界に実在しているという事か?」と食いついてきたり
>根本的に日本語読解力のおかしい奴が議論してないか?
>「実在した」と「実在している」の日本語の違いもわからないで神話を研究するの?
別に、実在した皇祖神だの氏神だのを祀っていた訳じゃなく
今なお、存在する皇祖神や先祖の御霊を祀っていたわけだが。
天照大神は太陽、月読尊は月、素戔嗚尊は海かなんかと言われているが 月読尊と言う名は月を読む神と言う事で月そのものでは無いとも考えられる 夜の食す国を統治すると言う説明と合わせて考えると 夜に月を読んで暦を作り農業計画等を立て食料を管理する者との解釈も可能 で、あるなら、天照大神が太陽と言うのも考え直す余地が有り 「照らす」と言う日本語には「影響力がある」等と言う意味の解釈も出来 (照らす神は他にも猿田彦神や、2つの山を照らす神など出てくる) 猿田彦神は高天原から葦原中国への道のりに顔がきくから案内役になったと解釈すると 天照大神は高天原で影響力を持つ指導者と言う意味にも取れる (2つの山を照らす神は地方の支配者か?) 勿論、太陽神が3人いるのだと言う解釈も出来るだろうが それが真実だと断言出来るのか?色々な角度から神話は検証出来るだろ? 何故、天照大神=太陽と言う古い前提(固定観念)を絶対視する必要がある? 念の為に言っておくと、日本神話は多様な解釈が出来る事を言っているのであって これが真実だと押し付けている訳では無いよ お前らは自分の信じる学説に捕らわれ頑なになりすぎると思うだけ
>>540 それって、仏壇を拝んだり、先祖の墓参りをする時に
「ご先祖様は今も我々を見守っていて下さる」ってのと何が違うの?
>>542 本気で信じてなくても、その文が文字通りに意味するのは
先祖がこの世界に存在し続けている、という意味だよ。
過去に実在して今はもういない先祖が、現在の我々を見守ることはできないからね。
「ご先祖様は今も我々を見守っていて下さる」が「過去のご先祖様は実在しないけど私は彼らに敬意を持っています」という意味だとするのなら
「私はご先祖様は今も我々を見守っていると、比喩でもなんでもなく、単なる事実として信じています」という文の意味するところを考えて見ればいい。
この文は「私はご先祖様は既にこの世界に存在していません」と並立できるかどうか。
>>541 皇祖神がオポピルメと呼ばれていたことは無視?
【信じる】と言う事の例え 現代人A「金髪豚野郎が合コンで何人女を食ったとか自慢してきてうざい」 〜数千年後〜 神話学者A「昔の人間は全身を金毛に覆われた半獣半人の怪物を信じていました」 神話学者B「全身では無く、頭部ですね。金毛に覆われていたのは」 神話学者A「合コンというのは生贄を捧げる儀式です。豚野郎は娘を食います」 神話学者B「…しかし、昔の人はこんな怪物の存在を本当に信じていたんでしょうか?」 神話学者A「人智の及ばない物を畏怖の対象としてですね…」 信じていない人間は信じている人間が馬鹿な話をしている様にしか見えないし 信じている人間は信じていない人間が常識の通用しないキチガイにしか思えない 信じている人間は自分が何かを信じていると言う意識は無く 当たり前の事を当たり前に話しているだけだと思ってる訳だが 神話の研究に限らず、何かを研究しようと思った時に 最も邪魔で足を引っ張るのは「こうに違いない」と言う思い込みじゃ無いのか? …と、俺は思うんだけど。変な例えで悪いね
>>543 「ご先祖様は今も我々を見守っていて下さる」って意味なら
天照大神を始め、今も存在するって事で構わないし、否定しないよ
「お前がお参りしてるご先祖様ってのは実在しないんだよ。創作なんだよ」
と言う意味で言ってるのかと思ったんだが、違うのか?
>>532 例えば、日本武尊の「吾妻はや」の所
弟橘姫は海の神と言う超自然的な存在を信じていたので、神の怒りを静める為に入水した
日本武尊は神の怒りを静める為に生贄を捧げると言う様な行為に否定的で
その手の神罰を信じていなかったので伊吹山で死ぬまで「神殺し」を繰り返してきた
日本武尊の悲劇は自分のやってきた神殺しの真意や意義を
(つまり、生贄を欲する様な超自然的な神の存在を否定してみせる事)
身近な存在の妻にすら理解されていなかった点にあると思う訳だが
この時代の人間でも、超自然的な神の存在を信じる人(弟橘姫)と信じない人(日本武尊)がいた
全てを一括で日本の神は実在するか否かを分けるのは無意味だと思うんだよ
日本武尊や神武天皇などは実在した神(先祖)で日本神話の神は大体これ
神罰を与える超自然的な神を信じる人間も昔は多くいた。それだけ
だから「昔の人間は超自然的な存在を神として祀っていた」と言う
お前らの主張は別に間違っちゃいないと思うんだけど
それが全てみたいに極端過ぎるから「実在した先祖を祀ってるだろ」って言ってるの
>>537 なんか、勘違いしてたようだ、ごめん
君は、「神=上、日本人は実在する先祖や自然を神として祀っている」ってのを普遍的に成り立つ考えだと主張してると思ってたんだけど、
天照大神とか一部の系譜が人とつながる神で成り立つと言いたいだけなんだね
普遍的に成り立つと主張してるなら、「実在する先祖や自然」以外のファンタジー的存在でも日本人は祀っている例を反例としてあげたくて、
因幡の白兎を出したんだが、
君は、「日本人は実在する先祖や自然を神として祀ることもあるよ」と言いたいだけなんだな
>>544 日本書紀だよね?
日本書紀自体、色々な説を集めて、当時の注釈を加えた物だと思う
別に、天照大神=太陽説の決定的な証拠になるとは思ってないし
現代の神話研究には色々な考え方があっていいだろう
俺は本居宣長も尊敬してるよ
>>547 で、西洋的な神や精霊の概念は日本には適用できないって話や
皇祖神をどれくらい本気で信じていたかという話は、神=上だから無意味とか
その手の話はどうなった?
極端すぎるって具体的にどの議論を指しているの?
祀るに際してファンタジー化は必要ないとか言ってたような…
十二支は恐らく巨人の種族名? 子巨人とか卯巨人とか辰巨人とか 鬼が丑巨人と寅巨人の集合体 巨人ってのは僧でデーヴァのこと日本で言う”でいだらぼっち”で意味が高天原巨人
高天原巨人はとりあえずとってつけただけで高原の巨人 山頂なりなんなりの巨人で恐らく須弥山に住む?帝釈天 日本の象徴が雉だから縄文人は酉巨人扱いなんだろうか? ヴィシュヌの乗り物ガルーダや天帝の乗り物の太陽と月ってのがどう関わってくるもんなんだか
>>548 横だけど、白兎神ってのは、あくまで因幡の白兎の話が実際にあったと信じて祀ったんじゃないの?
つまり祀った人は白兎が実在したと信じてた
>>554 話の始まりは、「古代人は皇祖神をどれくらい真剣に信じていたか」的な話。
それに対して日本のカミは実在する先祖や自然を祀っていたのだから、「信じてた」かどうかという事自体問題にするのはおかしい。
そういう擬似問題を議論するのは西洋的な神や精霊と混同している体、という主張がでてきたこと。
単に「当時の人達は実在を信じていた」ですむ問題なら、”西洋の”神や精霊でも同じ事が言えるわけで、ね。
トーテムか星座を使った隠喩の二択
>>555 そもそも洋の東西を問わず、神霊の実在は昔の人にとっては自明なんじゃないの?
それが実際に存在する(した)先祖や自然であろうがあるまいが、
神霊というもの自体の実在が自明である場合、大した違いはないと思うんだが
最初っから信じるように教育されていればそこは手放しで信じてるもんだと思うが 今のイスラム教徒の人なんてまさにそうだし。 いや今の人はもっと科学的知識が入ってくるから、心の底から信じてるって人は少ないとは思うが 昔の人にはそういうのが無いんだから、生まれたときから教育されてれば信じてる人間に育つだろう。
>>554 ×つまり祀った人は白兎が実在したと信じてた
○祀った人は白兎が実在したと信じてたに違いないと私は信じて疑わない
そもそも「ご先祖様」ってのは、「死んで霊的な存在となった」という含意があるのでなあ。 生きてる時は実在の人間であっただろうが、拝む対象となった時点で一種のファンタジー入ってる。 「霊的な存在として子孫を見守る」能力を備えた、かつて実在した人間をモデルとする、超自然的な存在だ。 逆に問いたいんだが、存在として「実在そのもの」であって、一切の霊的・ファンタジー的要素を(概念的に)備えていない存在を、「神」ないしそれに類する聖なる存在として崇める・祀る事例なんて「実在する」かね?
>>561 問題はその「ファンタジー」って表現だろうね
あくまで現代の価値観だし、学問的態度でもない
祀った当人たちはファンタジーだとは毫も思っておらず、
超自然も含めて「実在」と思ってたと推測されるわけだから
>>561 理神論者がそれに近いかもね。ヴォルテールとか。
どちらにしても17世紀以降近代科学が成立して「科学的/非科学的」の区分ができてからではないと
「霊的・ファンタジー的」を従来の神観念から意図的に排除した信仰というのは成立しない。
>>550 >>547 >>547 の日本語の書き方が悪い。
>だから「昔の人間は超自然的な存在を神として祀っていた」と言う
>お前らの主張は別に間違っちゃいないと思うんだけど
>それが全てみたいに極端過ぎるから「実在した先祖を祀ってるだろ」って言ってるの
こいつが最初から「実在したものも祀ってるだろ」と言っておけばよかったものを
つい数日前まで一貫して「も」を使うことを避けてきていたので
本人以外は誰もが「実在したものだけを祀っている」と理解した。当然だわな。
そもそも
>>301 で
>日本人の言う神様ってのは現実に存在する(した)物
と「日本人の言う神様」を一般化して語り、
>>320 で繰り返して
>実在した先祖や自然を尊ぶべきものとして祀ってる
って書いているのは本人以外には「すべての神様は実在していることを断言している」ようにしか見えない。
>>563 繰り返すけど「神=上は実在」論は、「どれくらい本当に信じてたかどうか」という問いは無意味。
「単に実在したものに敬意を払っていただけだから」というものだから、
そういう「当時の人達の世界観では超自然も実在」的な擁護法は成り立たないのよ。
さらに言えば、「超自然的なものを本気で信じていなかった、便宜上信じているように振舞っていただけ」や
「当時でも信じていない人がいた」というのは、「どれくらい本気で信じていたか?」問題の射程にガチに入っているので
>>560 とか、
>>537 とか、
>>547 のような意味だった、とか言っているが、それは言ってることが違ってきてるか
論理的思考ができないので、最初からそれが論拠になると思ってたかのどちらかだ。
>>561 > 存在として「実在そのもの」であって、一切の霊的・ファンタジー的要素を(概念的に)備えていない存在を、
> 「神」ないしそれに類する聖なる存在として崇める・祀る事例なんて「実在する」かね?
それについては本人の回答を待ちたいところだが、生祀を含めた、義人を祀る神社の中には、
そう言うものが含まれると記憶する
幕末のお雇い外国人ポンペを祀ったポンペ神社について、「門人が彼を敬愛する余りに祀った」といった記述を見た記憶がある
近世以降は、誰の魂でも祭れば神にできるって発想が出てくるから それだけじゃ根拠にはならないと思う。
>>565 自分が書いた文章を読み直してみろよ…
>こいつが最初から「実在したものも祀ってるだろ」と言っておけばよかったものを
つい数日前まで一貫して「も」を使うことを避けてきていたので
本人以外は誰もが「実在したものだけを祀っている」と理解した。当然だわな。
「も」を使わなければ「実在したものも」だと理解出来ないのに
「だけ」を使っていない文章を見て「実在したものだけ」と理解するのが当然?
「思い込み」で「曲解」するのはお前にとっては当然なんだろうけどね
「日本人にとっての神は実在しない超自然的な存在」って決め付けに
終始一貫して「実在した先祖を祀ってるだろ」と反論してるんだろ?
何時まで続くんだよコレ
>>561 屁理屈だろ
「死んで霊的な存在」になるには「生きている時から体内に霊魂がある」前提が必要
つまり、お前の理屈だと人間そのものが霊的な能力を備えた超自然的な存在になる
存在として「実在そのもの」?
人間に霊魂があれば、それはファンタジー入ってるから実在を認めないんだろ?
「実在した先祖を祀っている」の実在を否定する為だけに屁理屈をこね回してるだけ
>>570 それで君は、超自然的な神霊の実在が信じられてきたことに関してはどう思ってるの?
「西洋経由の学問で言われる神や精霊の概念とは違うので信じていたかどうかという問いは無意味」の論拠に「実在したもの”も”祭ってるだろ」と言われても、はぁそうですか、だし
>>571 で自分自身で認めちゃってるように、実在してるものでも”ファンタジー化”を通して信仰しているので
「信じている」問題の無効化には全く成功していないので
「単に信じる信じない以前に、当たり前としかいい用のない何かしか認めていなかった」と解釈するのが当然
>>571 ここまで酷い屁理屈はじめてみたわ…。
つーか、無知すぎだろ。
> 「死んで霊的な存在」になるには「生きている時から体内に霊魂がある」前提が必要
> つまり、お前の理屈だと人間そのものが霊的な能力を備えた超自然的な存在になる
その通りだよ。ただし、生きてるときには霊的な能力がなかなか発揮できないとされていた。
発揮できるのは、シャーマンや修験者や陰陽師や高僧のような、特殊な修行を積んだ人。
なんで「昔の人」がそんな風に考えていたか?
さあねえ。俺は昔の人じゃないから、よくわからん。
でもな、昔の人が確かにそう考えていたってのは「事実」だ。お前は知らないかもしれんし、そんな事実は無視したいのかもしれんが。
> 存在として「実在そのもの」?
> 人間に霊魂があれば、それはファンタジー入ってるから実在を認めないんだろ?
はあ? おれは実在のものでもそうでないものでも、ファンタジーをこめた「観念」として扱ったっていいじゃん、って言ってるだけだよ。それが「昔」は普通だったし、どうかしたら今でもそうだ。「ご先祖様」のようにな。
「ファンタジー抜きの実在」に妙にこだわって、わけわかんなくなってんのはお前。
>>570 > 「日本人にとっての神は実在しない超自然的な存在」って決め付け
過去ログたどって今ようやくわかったけど、これ、お前の勘違い。
「“実在しない”超自然的な存在」とは、誰も言っていない。少なくとも、おれはそうは考えない。
おれの考えを正確に書くと、「カミとは、そう呼ばれる対象が実在しようがしまいが、ともかく超自然的な力を備えていると“観念される”存在」ね。
>>575 追記として。
どんな「観念」であれ、それを抱いている当人は、だいたいその観念の「実在」を信じているものだ。
そういうわけで、西洋人は聖書の神を、古代ギリシャ人はオリンポスの神を、日本人は記紀神話の神や仏教の諸尊やその他もろもろのカミ、また当然「ご先祖様」も、「実在」として信じていた(いる)だろうさ。
ただ、ここでいう「実在」は、お前の言う「実在」とイコールじゃない。どう違うか、そして(それゆえに)どうして議論が行き違ってしまっているか、よくよく考えてみてほしい。
あと、あれだ。 「人類の最初の信仰は自然崇拝」っていうのは、近・現代西洋の人類学・宗教学が生み出した「観念」に過ぎないからな。 霊的な意味づけのされないナマの「自然そのもの」という観念が生まれたのはそもそも近代西洋においてだ。そんなものを知らない古代人が、それを崇拝の対象にできるわけがない。 崇拝の対象物が自然界に存在するものである場合も、崇拝の対象とされる時点で、必ず「霊的な意味づけ」がなされる。これが「信仰」という現場においては普通だ。 そうでないのに、つまり、霊的な意味づけを施さずにナマの「実在物そのもの」を崇める・祀る例が、どこかの文化に「実在」するのかどうか、引き続き報告を待つことにするよ。
>>577 日本
昔っから日本人は宗教にとらわれなかった
宗教やってる人とか、まともに学校にも通ってなかったような現代の無知な爺婆は、割り素で信じてるぞ、神様
>>578 昔の日本人は神が実在しないと思っていた?
2chとかの”実体験”ものの怪談とかで、オカルトなものを お寺とか神社に持ち込むと、坊主や神主が、一瞬で見抜くとかいうアレは もちろん、それ自体は嘘なわけだが 実録という設定で、そういう嘘を書くのは、「実録風だけどネタだから、みんなわかってるよね?」ということなのか、 それともガチで坊主や神主がそういう霊的能力を持ってると信じてる人が意外に多いのか どっちだか迷う
昔の日本はインダス文化だったんだろーよ 縄文あたりな 陽石祭祀してたんだし
今の若い人でマジ信じてる人ってかなりイッちゃってるイメージしかないけど、 年齢層が上がるとまぁ信じててもおかしくないかな? みたいな先入観があるじゃん。 別に俺らが爺婆になったら信じるかってーと、そういうわけじゃないんだよね。 要するに教育段階で子供の時点でそういう観念が植え付けられてるかどうかだから、 実在するとかしないとかそういう第三者の観点的概念を持ってないんだと思うんだよね。
今の人は嵐が発生する理由を科学的見地から知り得ている (これは「これこれこういう理由で発生する」と信じているとも言える。 それは俺らが別に調べた訳ではない、あくまでそういう風に教えられているわけで、まさかそれが嘘だとはいちいち疑わないし、いちいち調べる気も起きない) これと同じで、昔の人は「雨が降る理由は神様怒っているからだ」と教えられて育ったら、いちいち疑わないでしょう。 (事実それを疑って解析した人間が珍しかったわけだから)
単純にそうとも言い切れないが、日本のカミは 実在したものの敬意に過ぎない もしくはその神を定義する要素のいくつかが実在することがあきらかな場合(ややこしい) 他の神とは違い、実在の対象への敬意に過ぎず、他のそういう要素がないカミと不連続なものとして受け止められていたはず、というのはないわ。 途中ややこしいけど、太陽神は太陽が実在するから実在と、天皇家に祖先いるから皇祖神も実在する(「龍の息子」と名乗る人にも生物学上の親が実在する(し、当時の人間にもそれは自明?だ)から「龍」も実在する、ともいえる)理論を 指しています。
×神=敬意を払う対象 ○神=A対象に後から付属した概念
龍も鬼と同じく既存の動物のトーテムを組み合わせた結果の支族なんじゃねーかなーと
恐竜の生き残りがいたんだろ
原始少年リュウですね分かります
>>204 亀レスすまん
”取る”の”と”は甲類乙類にまたがっている例で、強調の差か何か、使い分けがあったんじゃないかという説もあるんだそうだ。
というのを一昨日知った。
ちなみに、
>>203 は、「神は実在」くんとは別の人間だから、念のため
591 :
590 :2013/01/21(月) 23:19:49.45
>>577 >>568 にも書いて
>>569 が補足してくれてるけど、一時期の日本には、霊的な意味づけを施さずに、感謝と報恩のために義人を祀る文化が確かに存在することはした
ただ、神社新報社の『郷土を救った人々──義人を祀る神社』を見ると、その手の神社の創建は、近世どころか明治以降のものが多いので、むしろ近代の概念のようだ
インドだと、生きている人間が貧乏人に大金をやればシヴァなどとともに 普通に祭壇に祀られて供犠の対象になる。21世紀の現代でも。むしろ現代だからか?
595 :
天之御名無主 :2013/01/22(火) 02:32:27.61
反論だけど補足にもなってるという 神社神道って現在進行形だからね、今現在も多くの人に信仰されてるわけで
MF文庫Jの”忘却の軍神と装甲戦姫”ってライトノベル(小説)に登場する パワードスーツが英雄の名前と伝説通りの武装や能力持ってるんだけど 主人公のスサノオって機体が”日本最強の機体”で”ハバキリ”と”フツシミ” っていう武器持ってる一方で”超加速能力”持ってるんだけど神話のスサノオって 速さに関する記述あったっけ?
>>596 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。古事記。
熊野三神のこのイコールはあってますか? 家都御子神(ケツミコノカミ)=素盞鳴尊 速玉男神(ハヤタマオノカミ)=伊邪那岐命 夫須美神(フスミノカミ)=伊邪那美命
>>597 ああ、スサノオ自身に動きが速いような伝説があるんじゃなくて、名前にモロ
『速』って漢字が入ってるんだ。ありがとう。
でも漢字が伝来するまでは、神話や歴史って全部、係の人が丸暗記してたんだよね?
古事記を書く時に覚え係の喋る『たけはやすさのをのみこと』に漢字を当てる時に
どうやって決めたんだろう。
他の神様の名前も同じだけど、神様相手にてきとうな当字は使えないだろうし
それともいい加減だから神話の神様の漢字の書き方って複数種類があるのかな?
建速須佐之男命と建御雷神ってどっちが強いの? 須佐之男はフィクションの中では強い設定で出ることが多いけど、 武将が軍神として祀ってるイメージがない。
クロノス対ゼウス ファイ! 結果 ゼウスの勝ち 勝者 建御雷神
ゼウス「親父と戦って勝ったのに変な奴に勝ちを掻っ攫われた解せぬ」
スサノオがインドラじゃないかって疑い?もあるけどな
日本神話最強ベスト3作ったら 軍神スサノオ 雷神タケミカヅチ 力神アメノダヂカラオ なのかな?
スサノオを軍神って違和感・・ 八幡が入ってないとか
軍神なのは知ってるけど八幡って具体的にどういう武勇伝あったっけ? スサノオは最初の三神の一人だったり、八岐大蛇倒したり 高天原で最高神アマテラスに追放されるまで暴れまわってたけど誰も抑えられなかったし
ってかあーそーいやそうか インドラがスサノオでヴァジュラがタケミカヅチだ そして神格化すると梵天になる 帝釈天と梵天の強いのはドッチ?って形で決着付くな どっちが強いか知らんけど
八幡はヤマタノオロチで竜頭で羅? 残った蛇尾の計都から出てくるのが草薙 インドラがビシュヌでチャクラムがブラフマーかな?
>>606 応神天皇は、一応新羅遠征軍を派遣してはいるが、
八幡神=応神天皇は付会の説だからな
金毘羅=クンピラーと違って正体不明
八幡は宇佐八幡でウーサーペンドラゴンって説を聞いた時が面白かった
>>609 一概に付会の説とも言い切れないと思うぞ。
神功皇后の胎中に宿ったまま、母の三韓征伐を霊的に守護したと考えるなら、応神はまさに神の生まれ変わりなワケでな。
と言うか現行の伝承は、そうした応神の出生にまつわる神聖性をきっちり描いてる。
事績的には酒宴ばっかりだけど、まあそれも平和と繁栄の様子を描くことで偉大な君主性を示してるとも言えるしな。
>>603 スサノオのオロチ退治は、インドラやゼウスのような武神=嵐神による竜退治=儀礼的宇宙再創造、っていう印欧神話の形式にバッチリ当てはまってんだよなあ。
現行の記紀神話ではイザナキによって高天原追放を告げられるということになってるが、神話の筋としてはその直後にイザナキはなぜか引退してる。
ここは本来、天父イザナキを逆にスサノオが武力で追放し、王権の徴である十拳剣を奪い取った、というような筋だったんではないか、と妄想してみるのも面白い。
>>607 ヴァジュラの神格化が梵天ってことはないだろう。
インドラの持ち物(武器)だからなあ。
>>608 インドラとヴィシュヌは相当性格が異なるぞ。起源的にも一致してないはず。
>>613 じゃあブラフマーストラを持ってるブラフマーがインドラ扱いになったとかなのかもな
インドラとブラフマーが表裏一体でヴィシュヌの投擲武器扱いなのかも?
>>614 日本神話と関係なくなって来たな。つーか、本来のインド神話ともあんま関係ない気がするんだが。
>>615 日本の過去が神道以前に古代インドに通ずる文化を扱っていたようなので
そこの逸話?を元に古事記なりが纏められたと考えてるもんで
どうしても下敷きにして俯瞰しちまうんだw
やはりインドラから仏教・バラモンの流れになってたかw
ところでイザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。 この統治場所がスサノオが高天原でツキヨミが夜でアマテラスが海じゃないかとも思ってる
>>616 その意見と
>>614 の書き込み内容にも関連性があるように思えないんだが。
正直言って、
>インドラとブラフマーが表裏一体でヴィシュヌの投擲武器扱いなのかも?
この文章が何を言わんとしているのかまったく理解できん。
ゲームやアニメの設定的なお遊びでなく、きちんと神話学的考察にふさわしい内容であるのなら、もう少し詳しく書いてくれ。
そうでないなら、自重してくれんか。
620 :
天之御名無主 :2013/01/23(水) 00:23:58.69
デュメジルの説では、インドラがトールだとするとヴィシュヌはヴィーザル
>>619 先ず日本神話のイザナギの鼻からスサノオが目からアマテラスとツクヨミが生まれたって逸話と
須弥山世界観から帝釈天インドラが須弥山の頂に座し中腹に太陽と月が回ってるって逸話を
顔のパーツを元に比較して仰向けの状態の鼻を須弥山扱いして目を山の中腹扱いしてると見て同一視
そこを決定稿?とし
インドに伝わる逸話が
インド・イラン共通時代を経て上書きされてるらしいんだが
シヴァ信仰の原型が先ずあってそこにインドラが割り込んできて
三神一体の考えから先ず多頭の蛇の上にヴィシュヌが寝転がってて
その臍の蓮の華からブラフマーが生まれその額からシヴァが生まれたって
流れに摩り替え?られて話が語られてるから神格と名称が色々摩り替わってる
って部分の推察が必要になってくるだろうなってのが先の話が出てきたゆえん
今日の進行はタメになる 超自然的な神が とか意味分からんかったw
>>620 インドラがヴリトラ竜と戦う際に、「天地の間を押し広げて」援助したとされてるんだな。>ヴィシュヌ。
確かにヴィーザルの立ち位置っぽい。
>>621 インド神話の日本神話への影響関係を考える際には、最低限、
ヴェーダ期と仏教とヒンドゥーをごちゃ混ぜにするようなことは
やっちゃダメだと思うんだよなー
>>624 だが実際にごちゃ混ぜにした人らの裏をかきたい
日本でも寺社と神社が統合してまた別れたって歴史あるけどなw
そこを貫く一本の柱がインダス文化だと思ってる
縄文時代なりにその文化が世界中に広がってたと過程したうえで
色々推察
>>625 > だが実際にごちゃ混ぜにした人らの裏をかきたい
これもイミフ。「何を」「誰が」ごちゃ混ぜにしたって?
今のところ、俺の目には「お前さんがごちゃ混ぜにしてる」ようにしか見えんが。
> そこを貫く一本の柱がインダス文化だと思ってる
> 縄文時代なりにその文化が世界中に広がってたと過程したうえで
> 色々推察
インダス文明はインド先住民の文明で、ヴェーダの信仰をもたらした人々とは関係ないんだけどな。
「ローラシア神話」でググってみるといいことがあるかもしれんよ。
彌永信美でも読んで、中世日本でどれだけ 仏教含むインド神話がごちゃまぜになってたかを確認したらいいんじゃないかな 須弥山だけでどれだけ神話があることか
>>625 >インダス文明はインド先住民の文明で、ヴェーダの信仰をもたらした人々とは関係ないんだけどな。
その辺りがごちゃ混ぜになってる部分の一つだろうね
というか沐浴や神木や立石の文化が先に各種神話が後にって前提のうえで話してるだけだし
各種神話の逸話そのものはある程度の共通性があるだろうって予測の元で
篩いにかけて収まりの良い部分を探ってるだけ
そうした場合に日本神話の元になったらしき逸話と比べてどう変遷したぽいかを楽しんでる
書いてあったから正しいはずとかそのまま受け入れるのは無理だろw
日本の史跡的にもさ
あ、アンカ間違えた
>>628 のアンカは
>>626 宛てだった
>>627 隠したい人が居たとしてその人の挙動から裏を探るって方法もあるかもよ?
鬼の庭って地名の場所に陽石が祭ってあってそこがダムになったりとかw
>>627 記紀神話と中世神話は別物。記紀神話の「源流」とかを考えたいなら、その辺はいらんだろ。むしろ考察の邪魔。
>>628-629 すまん、相変わらずまったく何が言いたいのかわからん。
>>630 支配者が変わる度に伝えられる話は変遷する
けど
遺跡は神話とは別に残る
更に同じ文化を発祥とする神話同士と遺跡に残る文化を俯瞰することにより
その変遷具合を測る
前提として同じ文化から各種神話が派生してないと無意味になるけど
仮定としてインダス文化から各種勝者によって神話も派生したと考えた
その前提で日本神話とはインド・イラン方面の神話が下敷きになってると
共に仮定して語る立場でいますよーって感じかなー
過去に一つの文化圏が地球を覆ってその文化がインダス文明に語られるものだと推察してる訳だねー まー違う可能性はあるけどそーいう立場から日本神話を切開してますと
>>633 日本神話以前の日本列島にあった文化はインダス文化
日本神話はインダス文化を壊した側の視点での神話・歴史
その思想?を元に日本神話を各種世界の神話を参考に添削しています
>日本神話はインダス文化を壊した側の視点での神話・歴史 日本神話はインダス文化を壊した過程での神話・歴史 こっちかも?
>>635-636 あー、トンデモさんでしたか、了解。
悪いことは言わんから、「ローラシア神話」でググってみろって。
ローラシア神話も印欧文献学で実績のある、ハーバードの教授が提唱しているんじゃなければ 「実証性が薄いが壮大」じゃなく「トンデモ」に分類されて誰もきにしなかった気がする。
>>637 トンデモなー
神社の歴史って結構短いぜ?
それと別に他人の考えを追随したい訳でもないぜ?
陽石の史跡?遺跡?からドッチが早いかを考えたうえで日本神話を怪しんだだけでさ
>>638-639 同じキチガイ・トンデモでも、基本的な学問的素養があれば
このくらいの水準はいけるぞ、って実例を見ておくのも悪くはないでそ?
現状じゃまったく箸にも棒にもかからんから、それじゃかわいそうだし、
正直このレベルでイキッて書き込み繰り返されても困る。
>>640 チラ裏ならブログででもやっててくれ、な。頼むから。
ここは一応、民俗学・神話学について「情報を交換したい」「知識を深めたい」って人のための掲示板なんであって。
基礎教養イラネ、他人の考えなんかシラネ、俺様の考えを垂れ流したいだけ、そういう人は来ないでくれ。迷惑だ。
>>641 でも、ウィッツェル並の教養を身につけるってまず無理じゃね?
普通の人が、普通に勉強できるレベルで色々調べて
それを元に与太話をする…って俺らじゃんかw
>>642 因みに基礎教養としてローラシア神話とやらは適当なのか?
>>643 ウィッツェル並みになれとは言ってないよw つーか、そんなの無理だしな。
ただただ、
> 普通の人が、普通に勉強できるレベルで色々調べて
ほしい、ってだけだよ。
ウィッツェルの論考を読むのだってそう。
明らかにそれ以下なんだもん。ゲームとラノベとムー文庫みたいなのだけで来られても困る。ほんとうに。
>>644 ああ、不適当だろうね。それは基礎じゃない。
ここでおれのいう「基礎教養」は、少なくとも大学1年生レベルの世界と日本の歴史・宗教・民俗・神話の知識だ。
あと、あれだ。 陽物崇拝なんて、別に珍しいもんでもなんでもないからな。 世界中どこにでもあるんで。 伝播を考えるまでもない。
世界各地で自然発生したってか 液体をかける文化とかもセットぽいんだが
>>648 これを言うとややこしいんだが、自然発生ってのともちと違う。
元々人類は生物種として同一だから、ある程度共通の発想のあり方っつーのがある。
陽物みたいな身体にかかわる聖性の思考は文化依存度が低いから、どこででもだいたい同じような感じになるってだけ。
>>649 えーっ、
文化として存続してる以外で自然発生してるところとか無さそうなんだけど
意図なくしてもの立てて水かけるとか続かないと思うなー
こんなのもあるぞ。
中央アジア神話と日本神話
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/articlesintranslation/pdf/Witzel_ver100.pdf#search= '%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1'
>この論文はハーバード大学サンスクリット語教授(Wales Professor of Sanskrit)で
>比較神話学の分野においても、現在、最先端の理論を提示しているマイケル・ヴィツ
>ェル(Michael Witzel)教授が、國學院大學で開催された第3 回国際比較神話学会議
>〔2009 年5 月23 日(土)〕において発表された“Central Asia and Japanese Mythology”
>を日本の読者向けに翻訳したものである。
日本神話が印欧神話に類似してるって話の、その類似してなさは異常
騎馬民族征服王朝説が流行ったときに、無理やり説明をつけようとした感じがある
天津甕星
諸星大二郎先生のマッドメンを読むと良いと思います。
>>178 このエピソード、ベン・シラのアルファベットのリリスとアダムの話に類似してて面白い
>>656 この前の茨城南部の発光現象は隕石だと言われている。
現在放送中の大河ドラマ八重の桜、昨日のサブタイトルは妖霊星。
政変の前触れか?
永遠の門を開けよ。永遠の王とは誰か? 全能の神。神は栄光の王である。
661 :
天之御名無主 :2013/01/28(月) 20:38:14.19
よくわかるのは神武東征を架空としたい勢力が根強いってことだ
663 :
天之御名無主 :2013/01/28(月) 22:41:47.23
別にそんなもの読まなくても、神武が架空の人物だってことはわかる。
ここは日本史板より相当レベル低いな。 神武だけではない以後の天皇にも重複らしきところが見られるのも知らないだろう。 個人的解釈などどうでも良いんだよ。 考古学や自然科学分析からアプローチしていってるから好きにすれば良い。 架空としたい者は自慰で読みなさい。
いや考えというか思想を異にする物でも読むことは必要。既出の反復なら不要。 学者を目指すんでも無ければ思想に合うものだけ読めばいい。
667 :
天之御名無主 :2013/01/29(火) 16:16:53.56
>>665 重複というのは、本当に同一人物を指しているんだろ。
たとえばヤマトタケル=雄略天皇のように。
継体天皇への皇位継承を正当化するために、雄略らの業績を応神以前に移す必要があった。
668 :
天之御名無主 :2013/01/29(火) 20:04:31.38
天照と同じような別表現に忍・押/オシがあります。 天+忍(押)でマンマ天照と同じ
天皇の先祖は天忍穂耳ですか? 天皇の姓は天ですか? 忍者は天忍穂耳の子孫ですか?
>>667 単に名前が同じだけ
雄略天皇が尾張に来た事実はない
671 :
天之御名無主 :2013/01/29(火) 20:46:33.08
大日孁貴も忘れないでね
672 :
天之御名無主 :2013/01/30(水) 17:45:16.15
>>670 雄略=ヤマトタケルというか、応神〜武烈までの国内征服事業を応神以前にスライドさせて、
ヤマトタケル神話に象徴させたんだろう。そのモデルの中心人物が雄略だったのだろう。
記紀を好き勝手に読み替えて捏造日本古代史を妄想するのは楽しいかもしれんが、ここは神話学板なんでな。 日本神話について語ってくれ。
674 :
天之御名無主 :2013/01/30(水) 18:06:16.65
>>672 雄略天皇と日本武尊では、立場が全然違うし、
事績も全く被らない
武内宿禰とは何者だ?
676 :
天之御名無主 :2013/01/31(木) 17:57:49.88
天皇家の男系先祖は天忍穂耳命(天忍(押)は天照と同じ) 古代黎明期の女系(奥さん実家)は天忍穂耳命と梯幡千々媛命(高皇産霊神の姫)の御子、天火明命の一族(葛城、高尾張氏系)が延々と十代以上
天皇家も愛新覚羅家も男系継承なのに始祖を女神にしてるのはなんでだろう? しかも単為生殖。
男系継承という規範ができたのがいつかにもよるんじゃ? 現代の目からすると、「男系」に見えるだけで、当時はそういう意識はなかったかもしれない。
本当の始祖をあいまいにしたかったのかもしれないねえ。 まあ、神話っつうのはそんな政治的な理由だけで伝承が形成されるもんでもないけど。
国学者が謎解き終わらせての後付け?
681 :
天之御名無主 :2013/01/31(木) 20:36:38.93
>>672 蘇我氏を排撃する日本書紀が聖徳太子を創作したのも同じこと。
仏教受容などの業績を蘇我氏から切り離す必要があった。
太子のモデルは蘇我馬子。
日本神話にはこのパターンが多いと思う。
>>681 多いのはそうやって日本史を否定するパターン
日本最古の武術って相撲?
前に日本の信仰は祖先崇拝がメインって主張した人がいたけど、 祖先のことをやまとことばで何と言うのだろう?
685 :
天之御名無主 :2013/01/31(木) 22:35:00.41
おや[親・祖]
みおや
ということは、昔は父母のことをおやと言わなかったの?
おっとー、おっかー、だろ
父親はティティ 母親はパパ と呼んでいたはず
なんかアイヌのにおいがw
天照は推古天皇
因みに子孫は「うみのこ」ね
父=かぞ 母=いろは、おも、あも ってのもあるぞ
694 :
天之御名無主 :2013/02/01(金) 01:19:00.87
巫女と日本神話って関係あんの?
697 :
天之御名無主 :2013/02/02(土) 09:06:23.49
巫女様ばかりw 天照大神を憧賢木厳之御魂天疎向津比売命、 また(天照)大日[霊女]([霊]の下に[女])貴命 =大日巫女命。 雅日[霊女](霊の下に女)貴命(若日巫女命)。 (天照大神の妹とされる。//妹には一族(同族)の子孫、末裔の女性も内包) 日霊女はヒルメと読み、意味は日巫女。ヒミコ 市杵嶋姫命(所謂、弁天さん)=神霊を斎祀る島の巫女様 また、市杵嶋姫命は狭依媛命(狭手依媛命)とも白し奉り、 狭依媛命の語意は神霊(狭、サ)が依り憑く霊媒巫女(依媛)の意味。 あちこちに沢山ご出演の玉依姫命も同義。 須世理媛命(須佐之男命の末子、大己貴命の正后)は 通常スセリ媛命と読みますが、ス・ヨリ媛命とも読めますから御同類。 またこの「依(より)媛」には一家一族の惣領/相続人の意味も有ります ○○依媛と政略結婚することはその一族勢力を手中に治めること。 数多ある妻問い説話はそういうこと。 (ただ単にあちこちのオネイチャンと逢瀬を楽しむ為ではありません) 伊須気依媛命(神武天皇正后)・・・霊媒巫女様。 見落としがちですが「日女命」の文字が付与されている場合、 単なる姫、媛というよりは さらに高貴なお媛さま。かつ(霊媒)巫女様。 (日のヒは神霊=ヒを意味)
698 :
天之御名無主 :2013/02/02(土) 11:45:09.38
夜女はないの?
月読
草薙のナギは蛇の意味と言われてるけどナギが蛇の意味で使われたパターンて他にあるの?
ない
703 :
天之御名無主 :2013/02/05(火) 08:00:31.37
高間原て、みまな(朝鮮)辺りを指すのかな、後、イザナキとイザナミて部族の連合体のような気がする。
日本神話に台風の神っているの? 北部九州であれほどの自然の脅威はないと思うんだけど
スサノオ
竜が竜巻や台風を起こすという伝承がある。 一目連もそうかな。
708 :
天之御名無主 :2013/02/07(木) 11:51:37.73
高天原は奈良県御所市の高天(葛木一帯)地区。 延喜式(10世紀の律令/法典)には、神話の高天原はかの地であると朝廷が公式に認定。 今は、高天原の故地を示す標柱が在るのみ。 土地の口伝でも高天原はここ高天(葛木)であると。
>>708 日本史板に専スレあるんだからわざわざこっち来なくていいよ。
10世紀の朝廷は高天原をどういうものと認識していたんだろう? 「神は人なり」が出てきたのは、江戸時代だよね?
>>708 ここだ!じゃなく
もうここでいーや(棒
したってことか?w
なぜ「天」の名を冠する神々の国が地上にあると古代人が思ったのか
>>712 高天原観念が成立する以前の「神々の国」は、「海の向こう」とか「山の奥」とかだけどな
>>713 1.記紀以前の信仰体系をどうやって復元したのか
2.10世紀の「高天原はここです」宣言は、当然ながら高天原観念が成立したあとでは?
>>714 記紀自体の中にも並行他界から神が来訪する観念はあるだろ
それにそもそも国津神ってのは高天原には住んでないわけだし
>>716 補足
>>708 は高天原という存在を「歴史的実在」として考察しようとしているが、俺はそれには反対だってことだ
「延喜式で認定」という主張にも疑問を持っている
高天原ってどのくらいの高さを想定してたんだろうか?
>>715 それだと高天原概念が成立前に地上の他界の神々への信仰のみがあった根拠には弱いんじゃ
720 :
天之御名無主 :2013/02/08(金) 11:46:17.02
世界で一番速い動物は?
721 :
卍3286卍ss :2013/02/09(土) 01:12:11.34
頭で考えてもワカラン。。。本から離れて。。創造力----→イメージ-----→ナシ-------→m。
日本で大魔王ルシファーにあたる存在って誰になるんだろう 神々の子孫でありながら運命を呪い自ら大魔王宣言した 崇徳上皇辺りかね
アマツミカボシじゃね?
第六天の魔王か大自在天あたりでは
天津神とか言うけど、本当に日本で空にいると思われてる神様っているんだろうか? 日本の神様って、ものに宿るイメージ 日本人が何もない空に祈りをささげる例ってあるだろうか?
神様とは別に自然に御天道様に敬意は持つよな むしろそこにアマテラスとかを被せてきたんじゃないかと
天照大神は空にいると考えられて、信仰されてたの?
高天原が空にあればそうで違ければ違う
>>726 「お天道様」ってのはむしろずっと後代的な観念だろう。
もちろん記紀以前からの太陽信仰を継承している部分もあるが。
以前神道家のA氏の講演を聞きに行った時、 朝日に向かって印を結んで呪を唱える「日拝鎮魂法」ってのを教わった 何も無い空ではなく、空にある何かに祈りをささげることはあっただろう
>日本の神様って、ものに宿るイメージ これって『私は日本人である。日本人の私の持っているイメージは奈良時代などの当時の人間とも共有されているはずだ』論法? なんか、こんな感じの発想多いが。 おうおうにして、昔の”日本人”は、今の自分達にとって異文化って認識がどっか行っちゃってる奴多いよな
高天原が空にあるっていう記述ってあったっけ?
神道家でも色々な説があるようで、北畠親房は天上説、卜部兼方は虚空説、平田篤胤は北極紫微宮、 さらには梵天説、一人一人の胸のなかにあるんだよ説もあり。
名前からして、ってのはダメなのか? 天にないとしたら、なぜそういう名前にしたのかから考えないといけない気が
735 :
天之御名無主 :2013/02/10(日) 21:21:23.60
世界で一番、首の長い動物は?
高天原って古事記にしかないよね
>>730 それって修験道の系統だろ
本来の神祇信仰とはちょっと違うぞ
>>725 > 天津神とか言うけど、本当に日本で空にいると思われてる神様っているんだろうか?
雷神の系統ならそのものずばり天から降ってくるだろ。
一般的に、雷、光、風雨などのイメージのある神なら、天空にいると思われるのが普通だと思うけどね。
> 日本の神様って、ものに宿るイメージ
> 日本人が何もない空に祈りをささげる例ってあるだろうか?
世界的に見ると、神話ではそもそも天空そのものを実体のある「もの」と捉えてる場合が実は多い。
「何もない空」って発想はあまり神話的でない。
>>722 > 日本で大魔王ルシファーにあたる存在って誰になるんだろう
どう考えても「天津罪」の元凶たるスサノオ以外にありえないな
しかし下界へ降りるとルシファーからミカエルへと豪快にポジションチェンジしてしまう、それが日本神話クオリティ
740 :
天之御名無主 :2013/02/11(月) 03:33:11.47
自分のイメージを好き勝手語ってる奴ばっか
>>740 「そのイメージは違う」と言いたいなら、きちんとアンカしてさらに反証もあげてくれんかね
そうでなく言いっぱなしで済ますなら、それこそただの印象批評だぜ
妄想スレに正解はない。 そこが面白いんじゃ。 所詮は妄想だから、好き勝手書いてるのさ。 ついでに言えば、このスレで他人の意見を採り入れて、 自分の意見を変える奴はいないから、相手を説得しようなんぞ 無駄なことはしないことだ。
>>742 > ついでに言えば、このスレで他人の意見を採り入れて、
> 自分の意見を変える奴はいないから、相手を説得しようなんぞ
> 無駄なことはしないことだ。
そんなことはないだろ
違う角度からの考察なり情報なり提示があれば嬉しいぞ
議論を読むだけでもためになるって人もいるみたいだし
便所の落書で考察とか言われてもなw ましてや2ch情報なんぞ糞の訳にもたたんしな 所詮は妄想書き込みなんだから、またくだらねーこと書いてんなって感じで 読むくらいがちょうどいい
ただの便所の落書きレベルだと、さすがに読む気が失せるんだが。 少し本気出してみた雑学トーク、くらいを期待したいね。
746 :
88 :2013/02/11(月) 19:48:41.37
高天原がどこにあるか知らんが、白菊大明神 金札でググれ。
ほとんどの「妄想」は先行する学説や意見の劣化した模倣でしかないのだから そこを自覚して、自分の妄想が何に由来するかぐらい意識して書くようにすれば いいと思うけどねえ。 オリジナルな「妄想」があれば、それこそ便所の落書きどころじゃない価値がある。
2chに書き込まれる妄想なんぞ読む方からしてみれば無価値だよ。
古代の人々の考えを語るのに、史料を引用せずに、現代人の妄想で語るからイカン。
2chで資料を引用して妄想を書いても読む方からしてみれば無価値だよ。
その問題についての自分の知らない史料だったりしたら価値はあるだろうな。 場合による。一律に価値がある・無価値であると決めつけるのに何の意味もない。
資料を引用しようがしまいが所詮は妄想。 2chに書き込まれた妄想なんぞ読む方からしてみれば無価値だよ。
読む価値がないと思ってるんだったらわざわざ書き込みに来るなよ。邪魔だ。 どっかよそでよろしくやってろ。荒らすな。
書き込まなきゃ伝わらんだろ。
伝える必要ないだろ。
なら書き込むなよ
757 :
天之御名無主 :2013/02/14(木) 13:01:53.55
天照皇大神。天照皇大神荒魂。=大禍津日神。
759 :
天之御名無主 :2013/02/20(水) 21:45:00.96
『神道大系』に収録されてるヤツって原文(漢字だけのヤツ)のみ? 素人が読むのはキツイ?
760 :
天之御名無主 :2013/02/22(金) 09:22:44.81
>>749 日本人は何処から来たのか考えるのが楽しいんだよね。
高天原(たかまのはら)は何処なのかとかね。
>>760 アナトリア、小アジア、諏訪流
そこの共同体がナイリとか言うのも興味深い内裏のことなのかな?とか
まー文化だけの話やも知れませんがね
なんでどこか地上の地域に同定できるはずって発想が出てくるのかわからない。
>>763 むしろ地上の話じゃなかったら妄想の類だろうと
妄想かもよって言ってるんじゃない?
最初から題が〜神話じゃなくて古事記だったりするけどなw
767 :
天之御名無主 :2013/02/23(土) 00:16:39.25
>>763 神話を神話とした単純に受け止めるて考えだよね。
分かる、分かる。
面白みも糞も無いけどな、キャハー。
歴史的な何かの反映に決まってるって考えの方が 単純だし、そのどこに面白みがあるのかがわからないんだけど もちろん歴史的な何かが反映されてるってことはありえるし なんらかの根拠に基づいて高天原が実際の土地に同定できるはずって話なら面白そうだけど どっか地上に同定できるはずだから、どこか考えるってことのどこにおもしろみがあるのかさっぱりわからん。 前者なんだろうな、と思ってたんだけど 単に歴史上の何かの反映じゃないとつまらないから、っていう理屈なの?
自分たちの祖先である古代日本人が、神話のような非合理的な物語をそのまま信じていたはずがない 非合理的な物語は何らかの合理的な現実の対象を象徴的に表現したものである だから非合理的に見えるものもすべて現実に対応するものがある それを探ることによって、彼らが直接表現しなかった日本人の心の深層を探ることができる こんな感じじゃない?
どうだろう?
その理解だと、なんだかんだ言って
彼らも「神話を語っていた人々の心」それ自体に興味があって
合理的な歴史を神話的な形でしか表現できなかった心性に関心があることになる。
でも、違う気がする。
確かに「我らの日本人の先祖が、そんな迷信深いはずがない」的な意識も(一部の人には?)あるかもしれないが
しばらく前に出た「神話の時代」の人もそうだが
この手の人達にとって歴史の反映であることそれ自体が重要であって
古代人の心性とかには興味ないように思える。
>>767 も、神話を「神話とし」て「受け止める」考え方は理解できるとした上で
それを「単純」とみなし、「面白みも糞も無い」と言っている。
神話を語っていた古代人の「異文化」そのものに興味がないんじゃないかな。
草薙が臭い蛇ってそんなに説得力あるとは思えないんだけど なんでこれが通説みたいになってるの?
772 :
天之御名無主 :2013/02/24(日) 20:05:54.89
記紀の成立以降、朝廷は定期的に豪族、官僚に強制的な講習会を開催してコレが我が国の有りようだと強弁して強要。 とくに古代から連綿としてある有力氏族には絶対服従の踏み絵のようにしていた節も。 ヤマト朝廷に様々な経緯で参加していた有力氏族らは一応は心服している体でも心底では・・・
講習会www
石破じゃねーんだからw
別に豪族ごとにそんなに神話が違ってたわけじゃないだろ。 いずれにしろ古代日本語を話す大和民族だったわけだし。 偉そうに書かれた『古語拾遺』だって書紀が包括する一書の多さに遠く及ばない。
日本書紀には色んなバージョンが収めてあるから、 有力氏族に気を使いながら書いたんだと思うぞ
>>771 越の八口。八つの口=ヤマタノオロチ。
秋田県の古四王神社、秋田県で最も社格が高い。
島根の大穴持命に退治された越の八口。
珠洲→高千穂→沖ノ島→出雲→大和→富士→鹿島→日高見→諏訪→淡島
779 :
天之御名無主 :2013/03/03(日) 20:23:12.42
最近神宮に参拝した 最近マスコミがよく特集を組んでいるが それに釣られてシートのかぶさったお宮さんを見て がっかりした人とかおらんのかねw ところで、最近思うんだけど アマテラスは「天照す」だから それだけで神の固有名詞となるの? 文法的に大丈夫なのか?誰が使い出した?
天照に続く字が複数あるから天照として纏めて扱ってるって話じゃね? そのせいで学問?的には間違っちゃう可能性高そうではあるけれど
天照大御神は、大御神までが名前 アマテラスなどと略すのは戦後の悪弊
高照日御子の尊(たかてらすひのみこのみこと)
神の名前を忘れるとか、改変するってのも文化の断絶なんかな
なんでアマデラスじゃないの?
785 :
天之御名無主 :2013/03/04(月) 14:56:57.22
戦後からだろうね
悪弊ってか国語力の低下
787 :
天之御名無主 :2013/03/04(月) 19:32:51.84
卑弥呼は日御子なのか?
当時、呼を「こ」と読んだのかどうかが問題だ
超級太極弾
卑 弥 呼 中 太 子 律 郎 唐津市呼子 岩崎弥太郎 田井中律
792 :
天之御名無主 :2013/03/06(水) 12:13:31.94
天照坐皇大神/あまてらしますすめおへみかみ。(正式なご神号) 天照皇大神/あまてらすすめおほみかみ。 天照大神/あまてらすおほみかみ。 またの御称号は、(天照)大日霊女貴命。(あまてらす)おほひるめのむちのみこと。 亦の号を、憧賢木厳之御魂天疎向津毘売命(荒魂)/つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひめのみこと (=秘神、瀬織津媛大神=極秘神、アラ●●キ大神)
天照大神がアマテラスになるまでって、戦後の思想史として面白いんじゃないの? 敗戦後、信仰が喪失していくプロセスと関わりがありそう
アマテラスは推古天皇。 聖徳太子の大化の改新。 聖徳太子と同じ時代のもう一人の皇子、蜂子皇子。 東北、山形県庄内地方。
796 :
天之御名無主 :2013/03/08(金) 10:47:00.94
平成六年「神道事典」ではアマテラス また戦前の「神道大辞典」ではアマテラスオーミカミ 平成十六年「神道大辞典」、 昭和四十三年「神道辞典」、平成六年「日本神名辞典」では カミやミコトを添えて記載している また田中卓氏の論文が神社新報に記載され、「神道事典」編集者、 阪本教授から訂正の予告の電話が田中氏に入ったそうだ。 しかし、再版はまだなのでその再版に期待。
797 :
天之御名無主 :2013/03/08(金) 10:51:26.65
あまてらしますすべおほんかみ。
そのくせアッラーを「アラーの神」と間違った言い方をする
アッラーフのやうな?
アマテラスって本当は男なの?オサーンなの?
801 :
天之御名無主 :2013/03/09(土) 22:40:06.46
802 :
天之御名無主 :2013/03/09(土) 22:40:56.84
あめのみなかぬしのみこと とかの初っ端に隠れちゃった神様の存在意義ってなんなんですか? 天皇家以前の有力者?
エリアーデがいうところの暇な神(デウス・オティオースス) 世界的に創造神への信仰は薄いのが普通 アブラハムの宗教とかが例外
蛇を悪者にしてるやん
807 :
天之御名無主 :2013/03/13(水) 13:42:58.49
土着の信仰が連綿と残っているのは、出雲、諏訪、高千穂のみ って本当?
808 :
天之御名無主 :2013/03/14(木) 11:59:28.69
三輪
三輪は風輪水輪金輪の三つ神社の発祥も古代インド哲学?から ってーかシュメール?ガンダーラ?極楽?辺りの文化
ワロス
東武鉄道 ヤマトタケル鉄道
812 :
天之御名無主 :2013/03/18(月) 16:41:45.57
巳は神(み、みわ) 大神(おおみわ)で「大巳」となり、 巳は蛇と同義なので「大蛇」 大蛇は「オロチ」。 神道/古代では白は現世を表す色。 オロチ(龍蛇神)を信奉したこの一族(勢力)は龍蛇神のトーテム(顕現)として「藤葛」を尊んだので葛城族とも葛木族とも。 古代、藤を表すのに葛(「かつら」、「くず」)を用いていたらしい。 「クズ/クス」・・・葛、国巣(大和朝廷に最後まで抵抗した勢力。ここからクズ=屑?)、九頭、玖珠、楠、 先日のNHK番組の(里山)で藤の蔦の樹皮(甘皮)から繊維を取り出し糸を紡いで衣服などを拵える云々があり、 藤葛から数行程をへて紡ぎ出した糸は日本最古の糸だそう。
結局は本地垂迹が正しい ものごとを確り周知しとけよ日本人と思う
815 :
天之御名無主 :2013/03/19(火) 02:33:39.32
>>814 仏教入ってくるずっと前から神話自体はあるじゃん
816 :
天之御名無主 :2013/03/19(火) 02:35:24.55
>>813 ち○こをもってるおばさんの顔がち○こに似ててワロタ
>>815 所謂学校で習う仏教伝来は大乗仏教の事で仏教系の教えの伝来としては
遥か昔から伝わってたんであろうと推察
つか空海とかも雑密とか普通に収めてから大陸に渡ってるって流れが話しに伝わってるしね
818 :
天之御名無主 :2013/03/22(金) 05:22:17.75
>>813 でもこんなにリアルになったのは、最近じゃないの?
高木神ってどういう神様なのでしょう? 国譲りの時に唐突に出てきて、天孫降臨では天照大御神と同格かそれ以上の神様のような振る舞いだし、 高御産巣日神と同一神っていうのも何が根拠なのかよくわかりません
820 :
天之御名無主 :2013/03/23(土) 00:16:30.77
高木神をタカギと呼ばないのは何故?
記紀の神話関係は矛盾と破綻の宝庫だからなあ・・・ 7世紀に無理矢理まとめすぎたって印象が強い。 それでも残ってるだけ非常にありがたい。
記紀の神話関係は矛盾と破綻の宝庫だからなあ・・・ 7世紀に無理矢理まとめすぎたって印象が強い。 それでも残ってるだけ非常にありがたい。
awabi鯖なんとかしろ・・・
>>818 リアルっつーか、祭り自体、この形になったのは戦後のこと
でも男根は昔から祀ってた
>>819 高い木(神籬)に降臨するから高木神
とある作品で木花開耶姫をモチーフにしたキャラがいるんだが、何故かキツネ系から進化するんだ 見た目も狐面被ってる 木花開耶姫が狐に関連する話は自分が探した限り見当たらないし、…浅間信仰と稲荷信仰が混同されたんだろうか?
>>828 九尾の狐で玉藻の前だし、悪徳オカルト結社アラハバキの刺客だし、
ラノベなんて何でもありよ
>>828 そういうのは元からある民話や伝承に、有名どころの神々があとから比定されたのが大半。
物語に登場する神明や妖異の特徴から、「この能力を持っているのは○○神だろうな」って感じで。
あと、ローカル伝承が伝播する過程で、特定地域だけの土着神では意味が伝わりにくいので、
メジャーな神々に挿げ代わっていったというのもある。
または、複数の伝承・信仰が習合していく過程で、物語や登場人物(神々)がごちゃ混ぜになったとかね。
831 :
天之御名無主 :2013/03/25(月) 08:51:03.96
木花開耶姫命。 亦云、多岐都比売命/多紀理毘売命。(神屋楯(多底)媛命) 多岐都比売命(多紀理毘売命とも)×大己貴命の姫御子・・・天道媛命。亦名、高光媛命(下照媛命)。亦云、手名屋ヲ止女命(八乙女・・・天羽衣伝説) どうもこの母子は豊受大神(大元神/天照皇大神)に仕える巫女様のよう。 豊受大神さまは言わずもがなの伊勢神宮外宮の御祭神。 衣食や職能、人間活動全般を主宰するかみ 「伊勢外宮神前祝詞」に記述によれば、豊受大神≒保食神/稲荷神。 内宮の大日霊女貴命も元来は大巫女様で在らせられ、オトナの事情から天照大神と御同体と祭り上げられた事を鑑みて、 外宮の豊受皇大神(天照豊受皇大神)≒稲荷大神 奉仕した巫女様の多岐都比売命≒木花開耶姫命。が御同体と?
832 :
天之御名無主 :2013/04/05(金) 03:00:40.86
古代中国は、幻獣を妄想してるヒマがあるほど、生活に余裕があっただけ
834 :
天之御名無主 :2013/04/06(土) 10:43:33.73
835 :
天之御名無主 :2013/04/06(土) 20:03:45.06
「玉藻」は通常、讃岐国(香川県)に掛かる枕詞。
ヒルメ(ヒルコ)以外で名前に助詞のルが入ってる神っている?
837 :
天之御名無主 :2013/04/12(金) 21:17:49.39
神ってキチガイなの? ウンコ食わせたりウンコ食ったりするやん。
コアラってキチガイなの? ウンコ食わせたりウンコ食ったりするやん。
839 :
天之御名無主 :2013/04/15(月) 02:41:53.64
つまり コアラ=神
なんで魏志倭人伝に出てくる倭人が記紀には誰1人出てこないの?
>>841 崇神天皇と同時代の人物がなんで十数代も前の神代にスライドするんだよアホか
倭人=大和民族でしょ?
>>844 違う
倭国も日本国とイコールの国家ではない
神功皇后って魏志倭人伝に書かれてる卑弥呼像と何一つ噛み合ってないじゃん
性別だけはあってるな。 ふと思ったけど、卑弥呼の記憶が世代を経て変容して伝わってるとしたら 実は男の天皇の中に卑弥呼がいたりして
848 :
天之御名無主 :2013/04/17(水) 19:25:30.14
卑弥呼はヒミコ。 日巫女であり日神子、また日御子とも日皇子(皇女)表記。 三輪山の山頂に鎮座する磐座の御祭神は漏れ聞くところでは「日御子大神」
卑弥呼がピミクォといったかどうかは不明でしょ 特に呼の部分の読み方は意見が分かれてる
wikipediaに眉輪王の7歳というのは誤記と思われるって書いてんだけど学会ではそういう見方が主流なの?
>>848 要するにどこで誰が名乗ってもおかしくない汎用性の高い称号ってだけだよな。
卑弥呼が誰かを特定するなんてほぼ不可能。
そそ。ましてや日本の実情をバレないようにぼやかし捲ってチウゴク人に報告してるんだから。
卑弥呼が敵対してた相手の名前が卑弥弓呼ってややこしすぎんだろ
>>854 古墳時代の開始を最大限遅く見積ったとしても、
卑弥呼を神代にスライドさせるのは到底ムリだろ。
大体、卑弥呼自体が大きな墳丘墓か古墳に埋葬されてるわけで、
記紀の所伝と照らし合わせればだいたい崇神朝くらいかそれ以降にならざるを得ないわけでな。
>>855 逆だ
崇神朝が3世紀ではなく、もっと後、4世紀くらいになる
スサノオって親から海の支配を任されて、オロチ倒したから戦神って崇められて その後地下冥府の王になったと知って 戦いと海と冥府の神ってスペック高すぎる気が過ぎるんだけど、日本神話含めて 他にこういう神っていたっけ? ギリシャ神話なら複数の神兼任するの多いけど音楽とか芸術とかなんか平和的
スアノオはアレス 天斑駒が蠍座でアンタレス(アンチアレス)を備えたりしてるし
>>857 ゼウスはたまに全知全能と言われたりするよ、ゼウスだけど
あと北欧のオーディンは戦い、知恵、嵐、死を司ると言われたり言われなかったり
平和的だけどシュメールやアッカドのシン(ナンナ)も、月、豊饒、安産、正義、癒し、時、知恵を統べると言われたり言われなかったり
>>857 海原は結局治めないまま根の国に下ったし、冥府の王は大国主命だし、軍神はむしろ鹿島香取の神だし、
武将の信仰が篤いのは熱田神宮や八幡神だし、
須佐之男命はむしろ疫病を防ぐ神だよ
スサノオは下手するとスクナヒコ
アマテラスはどうやって神の誰もが動かせない大岩を動かして岩戸を塞いだのか? もしかして神界No.1の怪力はアマテラスではないのか?
まあ最高神ですから
まあ、神話なんぞ所詮は人の作り話。
アマテラスが内側から鍵かける→外から開かない アマテラスが内側から開ける→外からも開けられる 外から鍵かける→アマテラス入れなくなる 怪力は関係ない
作り話にしては、とんでもない作家が考えたよな うんこから神様誕生とかひどすぎるw
極めつけは マンコが火傷して死亡とか、とんでもない想像力w
元のアマテラスは天神 岩戸から出てきたアマテラスは太陽神
文化が違うのだから、今の人から見てトンデモナイ想像力に見えても 当時の人間にとってはそうでもない「かも」しれない。 というか、複数のテキストにそういう傾向は見られるのだから 誰か特別に想像力に富んだ人が想像したと考えるより 文化の違いと考える方が自然 和歌や作家性の強い作品なら話は変わってくるが
文化以前に知識、教養、読解力が違う 例えば、明治の人間に王政復古と言えば孟子の王道政治(徳川が覇道)だと解るが 今の大学教授とかは孟子を知らんから、国王の政治だと誤解してる 日本は王政復古したから天皇は皇帝では無く日王なんだとかね 百年前後でも話が通じなくなる様な連中がずっと古い古事記を読む訳だから 理解の範疇を超えるのは当然だし、自分が馬鹿だと認められない以上 古事記の作者を馬鹿呼ばわりする事になるだろう
例えば、食べてすぐ横になると牛になるよと言われた時に 「ああ、食べ物が食道を逆流するから牛が反芻してるみたいになるね」って人間と 「人間が牛に変身するとか、凄い想像力っすね」って馬鹿にする人間がいる
また先祖を崇拝してただけなのに君か
天皇は皇帝じゃなくて天皇 王ではあるが皇帝ではない お前は何を言ってるのか
>>875 むしろ神だろ神武とかキリストの元ネタだろうしw
各地に王権を与えてたって流れの本流が天皇家
一応はなw
>>875 天皇は国際的にも皇帝(emperor)
王だと言い張ってるのは朝鮮人とお前だけ
>>877 1.「王政復古」という呼称を根拠にした、前近代の
日本における認識を語る際に、「国際社会」を持ち出している時点で概念が混乱しているのがまるわかり
2.emperorと翻訳される元の言葉が天皇なわけで
天皇が天皇の他に皇帝という属性を持っているからemperorなわけではない
3.朝鮮人とか引き合いに出してる時点で色々ものがwたってますね
>>876 お前は何を言ってるんだw
天皇が神であったのは事実だが別に、大王ではなく神だったいう排他的関係でなかったことは
万葉集などで「大王」を「神」だと表現していることから明白
他の部分については電波乙としか
「神話の時代」論の人系の新手か
それとも以前から住み着いている人がまた言ってるだけなのかわからんが
>>876 とか見ると、どういう世界認識をしているのか知りたくなってくる
>>878 出雲の国譲りの辺りと
キリスト教の親父大工で処女懐妊辺りを
エジプトの神話と比較するとそんな事になるw
大国主が国譲りの条件とした出雲大社がピラミッドみたいなw
>>879 世界認識的には蛭子がアメリカ発見で海の支配者として治め
月読が下エジプトを覇道で制圧とかそんな流れで観てるw
>3.朝鮮人とか引き合いに出してる時点で色々ものがwたってますね なんで日本神話スレに左翼がいんの?
>>878 1、いや、混乱してるのはお前だろ?
王政復古は孟子の言う王道政治と覇道政治の違いに基づいているのであって
武力で統治していた幕府(覇道政治)と対比している訳だが
国王の政治と勘違いしている人間がいると言う話
それに対して天皇は天皇であって皇帝では無いと言う方が文脈を理解していない
2、実際に天皇はemperor(皇帝)と訳されていてking(王)とは訳されない
皇帝としての属性?何と同一視しようとしてるんだ?
英国の王と朝鮮の王は属性が違うぞ?
3、現実に日本の天皇を皇帝より格下の国王扱いしてるのは朝鮮人だけだろ?
お前が過剰に反応し過ぎ
>色々ものがwたってますね
少し落ち着いた方が良い
>>882 竹内文書系は佐治芳彦さんの電波入った本しか読んでないんだけど
キリストが神武だとかエジプトに月読が行ったとか書いてあんのか???
割と星の神話寄りの話から割り出したりここまで来るの大変だったんだけどw
>>872 >>884 無知ですまんが、王政復古が王道政治と覇道政治の対比に基づいていて
天皇は王ではないってのはソース何?
大学の研究者も知らんような史料が根拠なの?
>>886 まず、欧米でも聖書やシェークスピアみたいに会話の中で引用されたりするけど
いちいち説明するまでもない、知ってて当然の知識みたいな物があると思うけど
江戸〜明治(第二次大戦頃までそうかも?)くらいには四書五経がそんな感じで
論語や孟子は特に有名な、説明しなくても通じる教養レベルの物だった
(今でも名前ぐらいは知ってるし、読んだ事ある人も普通にいる筈)
その孟子の中に王道政治と覇道政治の違いってのがあって
武力で統治するのが覇道政治、徳の力で統治するのが王道政治とされている
>>887 の続き
鎌倉幕府から続いて来た武家政治が武力で統治する覇道政治であって
700年振り位に武家政治(覇道)が終わって、天皇親政(王道)が復活するよ!
と言うのが【王政復古の大号令】
明治政府が王道政治かどうかはともかくとして
当時、一定の教養があって言葉の意味がわからなかった日本人は少ないと思う
大学教授が知らんと言うのは、全員がそうと言う訳じゃ無く(書き方が悪かった)
勉強不足(もしくは知らない振りか?)な奴が出鱈目な歴史を平然と広めてるって事
「王政復古で国王を名乗ってるじゃ無いか!?天皇は皇帝では無く日王だ!」ってね
論語や孟子がどの程度日本で知られていたかは極秘資料とかでは無いでしょ
孟子の「王政」は古の先王にならった、王としてのあるべき政治を説いたものなので 「徳による政治」であることは間違いないのだが、やっぱり王(君主)による政治の話なので 王政の王は王じゃないよ、というのはあんま意味がない。
というか、ここでいう「王」に、後世の中華皇帝も普通に含まれて考えられてきているので 「王」という言葉を使ったから、皇帝ではないとかいう理屈も、それはそれで普通におかしいんだけどね
ヤマトタケルのは覇道にも見えるがな。
892 :
886 :2013/04/30(火) 11:16:10.04
>>887-888 つまり当時の人には常識だったはずだって話で
具体的に当時の人間がそう理解してたことを示す根拠があるわけじゃないのね?
>>892 四書五経が普通に学ばれてて、皇国の政治について日本中で議論してて
すぐ側に中華皇帝と朝鮮国王がいて(王は中華皇帝の臣下、属国)
大日本帝国憲法が公布されて、国内外で天皇=皇帝(emperor)と認識されていて
それでいて尚、日本人は天皇を皇帝では無く王だと思っていた筈!
違うと言うなら根拠を示せ!って言ってるの?
だったら、日本人は四書五経を学んでいなかったとか
東アジアにおける皇帝と国王の違いを理解していなかったとか
そっちが否定する為の根拠を示してよ
894 :
886 :2013/04/30(火) 17:59:32.72
だから、四書五経に王道政治って言葉が出てくるから そういうことだろうとあなたが推測してるだけで 当時の人間が、王政とは王道政治という意味ですよ、という事を言っているわけではないのね? と確認しているだけなのに >だったら、日本人は四書五経を学んでいなかったとか >東アジアにおける皇帝と国王の違いを理解していなかったとか >そっちが否定する為の根拠を示してよ なんでこうなるの?
政治家の天下りが禁止されたと言うニュースに対して 天下りを危険なスカイダイビングと誤解していない根拠を示すには? 誤解に基づく議論が行われていない以上、意味を理解していると考えるのが当然では? で、当然、天皇=国王と言う誤解に基づく議論が行われていない以上 王政復古の意味は正しく理解されていたと考えるのは当然で それは推測に過ぎないと言うなら、そう思う根拠を示してよって事 二足歩行習得免許を提示出来ない以上、はいはいしていた筈と同じで 常識レベルで当たり前の事はいちいち資料で説明しないでしょ 資料云々を言うのなら、四書五経が普通に学ばれていて 天皇=皇帝で通っていたのが資料的にも証明されている筈なんだけど どうしても天皇=日王にしないと気がすまないのか? それとも、昔の人間に教養がある筈は無いと?
>>884 >いや、混乱してるのはお前だろ?
いや、してないよ。
>>877 は天皇がemperorと英訳されていることを論拠にしているのだから
どう英訳されるかが、前近代の日本での認識の根拠になるわけがないと反論するのは妥当だろ。
どこが混乱しているの?
>実際に天皇はemperor(皇帝)と訳されていてking(王)とは訳されない
だから、「天皇」と「皇帝」の近代における英訳が同じ語になるからといって、
そんなことは「皇帝」号の根拠にはならん。
将軍がカイゼルなどと訳されたことがあるからといって、徳川将軍が天皇だったことにならないのと一緒。
>皇帝としての属性?何と同一視しようとしてるんだ?
ちょっと何を言いたいか、わからん
>>893 >>895 孟子の王政は、だからそもそも「王によるあるべき政治」を唱えたもので
単に仁政を行うことではない
そもそも王=皇帝の臣下という認識自体が歪んでいる。
だいたい四書五経の成立時には、始皇帝以降の皇帝という称号などなかったのだから
四書五経を根拠に王と皇帝は違うなんて主張は意味不明だ
もちろん、江戸時代の人間だってそれはわかっているし
中国含めて、「王」という言葉は、わりとフレキシブルに使われていた言葉だ。
ただし、言葉のプロトタイプとして君主を指していたことは常に意識されていたがね
朝鮮王が皇帝に臣従していたのは事実だが、あくまでも王が臣従していたのであって
別に臣従していない国の君主も普通に王と言われていた
逆に四書五経の王についての話は、当然皇帝についてのものと中国では解されてきた。
日本でも、王家や王朝などの言葉も使われることはあったよ。
でも、それは別に中華皇帝の臣下という意味はなかった。
脳内設定が多すぎですよ
>少し落ち着いた方が良い そんなに日王にしたいのか!とか言ってる人には言われたくないわw
898 :
886 :2013/04/30(火) 22:03:02.35
>>895 天下りの当時のほかで使われ方や文脈を見ればわかるでしょ
王政復古にそういう根拠はあるの?
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す 天子、即ち皇帝です 後に「皇帝じゃないよ天皇だよ」と名乗り直しました
>>896 要するに、言わんでもわかるだろ?って常識が通じなくて
言葉を額面通りにしか受け止められないのかね
王道とか、王者の「王」と君主としての「王」は違うよ
天皇が皇帝でなければ、国際的にもemperorとは訳されないの
emperorはemperor、kingはking、presidentはpresident
脳内設定では無く、これが事実で有り、国際常識
将軍がカイゼル云々は当時、日本の政治体制に対する理解不足で
天皇では無く、将軍が皇帝だと勘違いしていたってだけの話だろ
しかも、その時点で国王では無く皇帝に統治されている国と認識されている訳だし
日本国王にしても、足利義満とか、地方大名とか
貿易等の目的があって、中華皇帝の承認を受ける物と言う認識は古くからあるし
日清戦争を見ても、清の属国である朝鮮の独立を中華皇帝に認めさせた結果
独立した君主である「大韓帝国皇帝」になった訳で
皇帝と国王の違い位、当時の日本人なら誰でも知っとるわな
こんな最近の事もわからなくて古事記とか…
>>898 徳川家康や江戸幕府が覇府(覇者、覇道政治に基づく)と呼ばれていた事もあったし
王者、王道、覇者、覇道が四書五経に基づいて使われていたケースなんて
日本の歴史上、沢山あるんじゃ無いの?
そういう使われ方や、文脈を見れば王政復古の意味もわかるでしょ
王政→幕府が覇道政治なので、天皇親政は王道政治
復古→約700年振りに武家政治から天皇親政に戻るので
そもそも四書五経の時代に皇帝なんてないと言ってるのに 四書五経の用法(ry ローマ皇帝の流れをくむemperorの概念と前近代東アジアの「皇帝」も 本来違うものだし、現代の「皇帝」という言葉は翻訳などを繰り返す過程でできた あまり具体性のないものにすぎんよ 脳内国際常識乙としか
>>902 お前、頭大丈夫か?
議論が通じないにしても程があるだろ…
誰が四書五経が書かれた当時の話をしてんだ?
お前一人で皇帝の定義について脳内国際会議でも開いてろよ
で、この話は神話とどこまで関係ある?
今では文字が読めれば誰でも歴史書を読む事が出来るが 元々、歴史は知識ある者から知識ある者へ受け継がれてきた物 前提となる知識や教養が無ければ正しく理解出来ないのは当然の事 例えば、食べてすぐ横になると牛になると言うたわいの無い言葉でも 相手に逆流性食道炎と牛の反芻に関する知識がある前提での簡潔な言葉選びであって 「人間が牛に変身する訳ねーじゃん」って人間は始めから相手にしてない その辺を理解していれば「古事記は意味不明なファンタジー小説」と笑う前に 何かしら思うところがあるんじゃ無いかな〜って思っただけだよ たとえ話の部分にやたらと食いつかれてもこっちが困る
要するに「神話の時代」とか「天皇の先祖の人間はいたんだから皇祖神は実在」とか言ってた類の人がまた現れただけの話。
>>905 寝ると牛になると言うのは畜生道に落ちるぞと言う戒めでは?
感謝や喜捨なしで怠惰にしていると地獄に落ちるぞと。
仏教は朝鮮の百済の五経博士が持ってきたから。
江戸時代の差別も牛の反芻などの医学知識とは無関係。
王政復古って儒教より国学の影響が大きいんじゃなかったっけ? 「夜明け前」とか。 王政は王道政治として復古は何を意味してるんだろう?
覇道政治である武家政治(幕府)が約700年続いて来たから 約700年振りに古の天皇親政が復活する=復古じゃ無いの? 皇国や神州について熱く語らってた志士達は感慨深い物があったと思うよ 【王政復古の大号令】 大楠公とか人気が高まってた頃だし
いや、復古する王政が天皇親政のことじゃまずいんじゃないの?
>>910 王道政治ってのは、あくまでも君主の統治理念として解釈されていて
王道=国王では無いけど、そう言う事では無くて?
天皇親政の親政の部分に引っかかってると言う事?
とりあえず、幕府に大政奉還させて、天皇の元に政治を取り戻してから
大日本帝国憲法の公布、内閣の設立、立憲君主制への流れだと思うけど
あくまでも、天皇→幕府(約700年間)→天皇→大日本帝国政府と言うか
どんどん神話のスレでする話題じゃ無くなってるけど…
あと、天皇親政ってのは自分がわかりやすいと思って選んだ言葉で
実際は幕府の政治=覇道政治、天皇の政治=王道政治って事が言いたい訳だから
親政が引っかかったなら、自分の書き方が悪かったんだと思う
孟子の「王政」は王道政治の略という時点でおかしいし。
孟子は普通に「王政」という語を使ってるし
王政の王が王とは関係ないと言う認識も王=皇帝の臣下という認識も根本的に狂ってる
>>899 天子=皇帝ではないぞ。
たとえば、孟子が王政で王として習うべき道の例としてでくる文王は天子ですが。
というか、そのあとも天皇は大王と呼ばれ続けているのだが…。
「王」が中国の皇帝に臣従することもあるという話から、
「王」は皇帝の臣下を意味するというトンデモへは論理の飛躍が大きすぎるだろ。
王=皇帝の臣下などというわけのわからん理論で読もうとするから 孟子の読み方も他人のレスの解釈もなにもかもおかしくなる。
むしろオカルト的なものを、(自分にとって)合理的で科学的な理由があるはず 昔の人は馬鹿じゃないはず!と思い込んでいるので 資格のある人に地位が巡ってくる天命系の発想が理解できずに、王道とかの規範は、地位としての王とは無関係だという発想に言ったんでは
この人の言う馬鹿じゃない記紀神話の読み方ってのが気になる。 寝ると牛になる理論みたく科学現象の比喩扱い?
>>912 大王は当て字であって、ダイオウでは無くオオキミ(大君)と読む
勿論、国王の事では無く、陛下的な意味合いに近い
あと、これ以上お前の相手をするのは面倒だから
四書五経を学んでる人間の所に行って
「孟子の言う王道政治は覇者と王者の違いは関係無いんですよね?」
「国王の政治の事であって、皇帝が王道政治とか有り得ないですよね?」
って質問して来い
勿論、日清戦争の結果、朝鮮国王が大韓帝国皇帝にランクアップしたのも
とんでも理論のオカルトだと訴えて行く必要があるな
>>916 >大王は当て字であって、ダイオウでは無くオオキミ(大君)と読む
当時はオホ(乙類のホ)キミで発音も違ったので、現代かな遣いをされると微妙に違和感があるが
そこはいいとして、意味的に対応するとみなされたから、その字を当てたのだよ。
>「孟子の言う王道政治は覇者と王者の違いは関係無いんですよね?」
>「国王の政治の事であって、皇帝が王道政治とか有り得ないですよね?」
すごいな。
誰もそんなこと言ってないし、後者に至っては、王政の「王」は、当然皇帝なども含むってツッコミをなんどもされてるのに
全く理解していないで、「王は皇帝の臣下という意味」という脳内理論に基づいてしか
他人のレスを理解できないのがまるわかり。
せめて、相手が何を言ってるのかぐらい理解しようよ。
前者の王者も、「王」の意味を前提として、儒教的考えにおける王のあるべきものを説いたものなので
「王者、王道は、君主としての「王」とは無関係なのですよね」と君が聞いてくるべきだろう
>勿論、日清戦争の結果、朝鮮国王が大韓帝国皇帝にランクアップしたのも
>とんでも理論のオカルトだと訴えて行く必要があるな
確か、日本的には皇帝を名乗ろうが王のままだろうがどうでも良かったはずだが?
王という号を使えば、自動的に皇帝の臣下って理屈だとこれはどう説明するんだw
それよか、合理的古事記論をはよ
>>917 だから、王道政治の王(君主としての理念)に皇帝(現実の地位)を含むから
王道政治(理念)を語る=国王(現実の地位)にはならんだろって言ってんだろ
君主論、統治理念としての王として解釈されているのであって
皇帝、国王、大統領等の直接の地位としての王を表している訳では無いと
王道政治と言う言葉を使ったから国王なら、中華皇帝も国王になるだろと
何日もかけて一体何をガタガタ言ってんだよ?
自分こそ、相手が何を言ってるのか理解出来てるのか?
曲解に基づいてケチつけてるだけだろ
>>919 その中に俺の書き込みは一つも無い
冗談のつもりか?
で、古事記の合理的解釈まだ?
>>920 なんで王政という言葉を普通に孟子が使っているのに
王道政治という言葉にこだわるのかわからんし
王を国王という言葉で表現しようとするのかもわからん
>王道政治と言う言葉を使ったから国王なら、中華皇帝も国王になるだろと だから、王という言葉が中華皇帝を指すことは普通にあった。 既に指摘されてるのに何言ってるんだ。 本当に読めてないのな。 逆に「皇帝」という言葉が天皇を指すことはごく特殊な例を除けばなかった。 前近代日本で「皇帝」という言葉が指したのは基本的に中国の皇帝。 どっちが上という問題でもなく。
>>920 >だから、王道政治の王(君主としての理念)に皇帝(現実の地位)を含むから
>王道政治(理念)を語る=国王(現実の地位)にはならんだろって言ってんだろ
読み返してみたけど、言ってないじゃん。
王が王としてやるべき…というものでという意見に対しても
「王が皇帝/天皇その他の君主を指すのはそうなのだが」などと反論することもできたのに
それもできずに、王道と覇道の区別ばかりを連呼していたわけで。
単に否認しきれなくなったから、しかたなく認めただけだろ、としか言えん。
>自分こそ、相手が何を言ってるのか理解出来てるのか?
>>916 で、言ってこいと君が言った二行は、普通に明記されてることを曲解しないと出てこない二行ですよね
というか、君のいうアホな大学教授って誰?
色々曲解してるんだろうな、と思えてきたよ/
そんなことはどうでもいいから 早く「寝ると牛になる」は医学知識の反映論みたく古事記を読みといて欲しい
>>924 1、王政復古と言う言葉から、天皇は皇帝(emperor)では無く国王だと言う奴がいる
2、王政復古の王政は四書五経の王道政治の事なので国王とは関係無い
(例えば、国家主席が王道政治を語れば、中華王国国王宣言になるのかと同レベル)
3、実際に国内外で天皇はemperorとして扱われている
こんな程度の事に何日もかけて粘着するなよ…
王とか皇帝とかの字面にだけ反応してて、文脈が読めてないだろ?
天皇が皇帝と呼ばれた事が無い?天皇なんだから当たり前だろ
ローマ皇帝がkouteiと呼ばれるか?emperorはemperorだし、kaiserはkaiserだ
それでも、emperorもkaiserも皇帝として訳されるし、天皇はemperorと訳される
もう疲れたから、いい加減にして
>>902 はお前の書き込みであってるよな?
もう一度言うが、お前に議論は無理
だから、なんでこの人は孟子に「王政」って言葉が出ているのに 四書五経の王道政治の略だと言い張るのか 何度指摘してもスルー。 あと国王という言葉にこだわるが、これも意味不明。 親魏倭王の例にもあるように、別に柵封された=国王という意味でもないし 卑弥呼の対立相手の王も柵封されていないのに王と呼ばれているように 王=柵封されているということでもない。
>>926 >1、王政復古と言う言葉から、天皇は皇帝(emperor)では無く国王だと言う奴がいる
だから誰よ?
>2、王政復古の王政は四書五経の王道政治の事なので国王とは関係無い
>(例えば、国家主席が王道政治を語れば、中華王国国王宣言になるのかと同レベル)
いや、王政の王は君主としての王を指していていて、その上で王としてあるべき、という意味を込めた話なので、それは違う。
国家主席が王政を比喩や、ただの引用としてではなくガチで宣言したら、それは文字通り、王だと名乗っているものとして扱われるだろう。
もちろん、王=皇帝の臣下という意味ではない。
>3、実際に国内外で天皇はemperorとして扱われている
前近代の日本での認識の話と訳語の話をごっちゃにしてはいけない。
元の批判対象が、もしそうしていたのなら、それはその人がおかしい。
君もそれと同レベルで反論してるので同レベルだが。
>>927 王政が、普通に王の親政を指しているところがあるからじゃね?
王の政治と王としてあるべき政治を曖昧に使い分けているのが孟子
>>927 王政復古が王道政治なのは、幕府の覇道政治と対比しているからだと
何度説明しても理解出来ない
国王と言う言葉にこだわっているのは
>>926 の1に対する指摘が発端であり
明治前後の国際情勢に基づく政治用語の話をしているのであって
卑弥呼だの何だのこれ以上の余計な脱線をして欲しくない為
朝鮮国王と大韓帝国皇帝の例を出したのも、当時の国際情勢を表す一例
>>902 を読む限り
アメリカ大統領のこの発言は聖書の一節を引用していると言う意見に
「聖書の書かれた時代にアメリカは建国されてねーよ」と反論する様な人間が
いつまでも文脈が読めずにネチネチと粘着している様にしか思えない
何度も言うが、いい加減にしてくれ
>>928 確かに、君主では無い国家主席の例えは失敗だった気がする
皇帝が王道政治を語っても、国王にはならないと
何度言っても通じないからなんだが…
覇道政治との対比はそんなに理解しがたい概念なのか?
>>930 は?
王は皇帝の臣下のことだから、王が天皇を指すことはありえない
ここでの王政は四書五経の引用だ!といってることへの反論なわけだが
そもそもその引用元が描かれた時代に、皇帝などいないのだから
その文書の中の「王」が皇帝の臣下を意味することなどありえない
そんなことは当時の人間も知っていたわけで
四書五経の引用だから、王政の王は天皇を指さない。
天皇は皇帝の臣下ではないのだから、などというロジックはおかしいと指摘してるだけだが?
そもそもこの話が神話と何の関係があるんだ?
935 :
932 :2013/05/03(金) 23:56:38.89
>王は皇帝の臣下のことだから、王が天皇を指すことはありえない >ここでの王政は四書五経の引用だ!といってることへの反論なわけだが ああ、ちょっとココらへんのようやく仕方はおかしいな。 王政の王が天皇を指していた場合、天皇は国王ということになり、 国王=皇帝の臣下の臣下なので、王政の王が天皇を指していた場合、天皇が皇帝の臣下になる。 というロジックがおかしい、と言い換えよう。
>>933 引用してるとした上で、そのロジックの建て方がおかしいと言っているのだが?
>>902 で、「言っているのに」と書いたように、それ以前に
皇帝と違うものとしての「王」を四書五経に読み込むのはおかしいし
それは江戸時代の人間もわかっていたことを指摘済みなのだから
>>902 だけ読んでもわかるはずだが?
937 :
天之御名無主 :2013/05/04(土) 00:04:06.49
自分の主張を通すためには場違いだとわかっていても延々と主張し続ける面倒な人が このスレに少なくとも二人はいる、ということがわかった。 いい加減、日本史板、皇室板にでも移れよ
既に、英国の国王と朝鮮の国王は違うと書いている通り 国王が全て皇帝の臣下だとは言っていない (当たり前過ぎる事なので…) 日清戦争における、朝鮮国王と大韓帝国皇帝 足利義満や、地方大名の名乗る日本国王… なんとなくで、天皇が天子を名乗ったり、国王を名乗ったりする訳が無い 王政復古を国王宣言だと言うのは言いがかりで 四書五経に基づく覇道政治と王道政治の対比に過ぎないと言っている 四書五経が書かれた当時に皇帝が〜とか、いい加減にしろよ
話題を振ろうと思ったが直近の話題に引きずられる 天皇は天子様だったわけだが、その場合の天って天照大御神だったの? 超低レベルな質問ですまん
もうそろそろ適切なスレを探した方がいいかもね。長続きしそうなら専スレ立ててもいい。
そろそろループに入って来てるので、どっちにしろやめた方がいいと思う
でも、合理的古事記論の話は聞きたかった。 特に深く考えてなくて言ってみただけの可能性もあるけど。
そっちはここで話していいよね
まあ、トンデモ理論にはなるだろうけど そういうのが来るのはいつものことだしな
毎回ぶっ叩かれるじゃん
孟子の話で叩くよりは叩きがいがあるでしょ
>>947 これ以上蒸し返す必要も無いと思うんだけど
>大昔に行われていた日本の天皇親政のことと認識されてる。
それが王政復古だと何度もずっと主張している訳で…
「朝鮮人は日王と呼ぶが、日本人自ら王政復古と言う言葉を使っている」
「これは天皇が皇帝では無く日本国王と認めている証拠である」
「従って、天皇をemperorでは無く日本国王と見なすのは正しいのである」
と言いたいので無ければ反論する必要は無いんじゃ無いの?
昔から、天皇親政=王政(日本国王の地位とは無関係に君主としての)
幕府=覇道政治=覇府みたいな認識が普通にあって
王政復古=天皇の日本王国国王宣言では無いと言う事であってるんでしょ?
Q 王政とは日本国王の事だろう?
A いいえ、孟子にある覇者と王者の違いです
ってだけの話だから、これで終わりにしても良いよね?
949 :
886 :2013/05/06(月) 11:20:31.91
何度も書いたけど、こうだったはずという話もいいけど それなりの史料を持ってこないと、あくまで推測だよ その推測を固めるためには、情況証拠なり直接的な証拠が必要 まして古事記の時代じゃなくて明治時代なんだから 文献資料も豊富でしょ。 当時の人間にとって常識というのなら尚更
逆に考えると記紀神話についての解釈って根拠が曖昧すぎるのがどうしても多くなるよな だからこそ「斬新な新説」みたいなのが多くなりまくるわけだが 推測多用しながら、大枠としては今尚認められてる本居宣長はやっぱすごいわ
>>949 こちらも何度も言ってる事だけど
天皇が日本国王では無く、emperorとされているのは推測では無く事実だから
それを否定するなら、否定する側が天皇=日本国王の証拠資料を提示すべき
朝鮮国王と同じ様に冊封していたとか、豊富な資料の中に見つけられたの?
王政復古の王の字が日本国王の証拠とか、言いがかりでしょ?
反応してる俺も悪いけど、ここは神話スレだし、もう終わりにしよう
いや、史料って孟子語源説の話だろ
古事記を読もうと思うんだけど、どの訳がいいですかね? ・岩波文庫 ・講談社学術文庫 ・文春文庫 ・角川ソフィア で考えているんですけど、それぞれ特徴とかありますか?
小学館の古典全集がいいと思う ちくま学芸文庫も注釈が詳しい
古事記の現代語訳だけでいんなら、石川淳「新釈古事記」、 原文に就くのなら、小学館「新編日本古典文学全集・古事記」がおすすめ。
>>952 幕府=覇府も含めて、覇者と王者の違いに孟子以外の語源があるなら
資料を提示してから「孟子は関係無い」と書き込んで
否定するだけで、自分は何も提示しないから話題がループするだけ
今度こそ、この話題は終了
957 :
886 :2013/05/07(火) 01:22:07.29
王者と覇者の違いじゃなく王政の話ではなかったの? 天皇がemperorと訳されようが、王者と覇者の区別が孟子起源だろうが 幕府が覇府と呼ばれてようが、それは十分な論拠にはならんわけで 少なくとも明治時代人にとっては王政と言ったら孟子を意味するのが当たり前で 当たり前すぎて証明の必要がないって主張が 明治時代の人の書いた 我が国古来の万事を朝廷が決裁して天皇の支配のもとにある政治という 孟子が出てこない説明文で崩れたんだから(そこまで当たり前ならそういう説明がされるはず) ちゃんとした根拠を出さないといけなくなったのはあなたの方だよ
「馬鹿じゃない古事記解釈」ならソースのない思いつきでも歓迎するよ あくまで俺個人がだけど
>>957 相変わらず、文脈が読めてないみたいだけど、もう一歩なんかね?
>少なくとも明治時代人にとっては王政と言ったら孟子を意味するのが当たり前で
俺は、王政と言って、天皇=日本国王と誤解する人間はいないと言っている
孟子を知らない人間には、覇者と王者の違いから説明しなければいけないが
王道や覇道、覇府等、孟子に基づく「王」と「覇」の言葉の知識があれば
いちいち説明しなくても王政復古の正しい意味は理解出来ると言っている
だから、
>>947 を受けても、俺の主張は全く崩れてないし
当たり前だからこそ、いちいち説明する必要が無い訳で
天皇親政=王、幕府=覇に孟子以外の言葉の意味があるなら
まず、それを提示してから
「こっちの意味で使われている筈だ」と反論してと言ってるの
別の意味が無いなら、孟子の意味しか残らないでしょ?
あなたのは「反論」にすらなってないからループするの
>>947 は「当たり前」のレベルから説明して啓蒙しようっていう本なんだけどね
いい加減にスレ違いはやめろよクソどもが
>>954 >>955 ありがとうございます。
小学館のが書店になかったので、ちくま学芸文庫のを買ってきました。
8冊もあるんですね。
これから読んでいきます。
王政論争がスレ違いなのはそうなんだけど 流れ追ってて気になったのでこれだけ教えて下さい。 批判されてる馬鹿な大学教授ってのが誰なのか 王政=王道政治説ってのが、自分で考えた説なのか、それとも 史学での通説か少なくとも誰か学者が唱えてる説なのかが知りたいです。 そういう説があるとしたら、なんて本を読めば載ってるか、 ということだけ教えて欲しいです。
964 :
天之御名無主 :2013/05/09(木) 12:10:19.63
民俗学は専門ではなく、作家なので無知で申し訳ないんですけど、 縄文や弥生の自然に対する意識というか、原始神道の思想を紐解くのに最適な書籍はあるんでしょうか
これ読んどけばいいっていう最適なものはないんじゃない? ただ、ある程度ちゃんとした本を読んだ場合、何を読んでも 縄文や弥生の自然に対する意識、と原始神道とを結びつけるような考え方は少ないと思う
おおありがとうございます 原始神道は古墳時代前半くらいなんですかね…不勉強でした
>>967 今の『神道』っていうのは、仏教が入ってきた後に
仏教や儒教に対して神社や国粋主義者どの勢力が
「かんながらのみち」みたいな風に古来のあり方としての自分たちを主張していく中でできた概念で
一個の宗教としての「神道」が確立したのは、江戸時代以降みたいな認識が主流
原始神道と呼べるようなものがあった可能性もあるし、そう主張する学者もいるけど、
神道と連続した単一の古層のようなものがあったという前提を置くのは危険であるとして
仏教が入ってくる前の日本の土着の宗教ないし諸宗教は
原始神道という言葉は使わずに、「神祇信仰」という言葉で呼ぶのが普通。
弥生や縄文に遡ると更によくわからなくなる感じかと、
弥生や縄文は現代人や奈良時代人の先祖ではあるのだけど
「日本の古層」みたく後世の日本列島の文化を(弥生時代はともかく)縄文に投影することは
解釈を歪める可能性が高いとみなす人も多く
>>966 とかみたく、わかってる物的証拠などから頑張って推測して研究しているのだけど
よくわからない中から推測をしている状態なので
これが”最適”ってな書籍はないと思う。
いろんな学説を網羅的に紹介する一般向け書籍とか需要あるかもね
小説のネタにするにしても
「日本の古層」と見る見方から書くか、「異文化としての縄文(諸)文化」って見方をとるかによって
だいぶかわってくるんじゃないかな
(江戸時代とか昭和とかでも、異文化性を重視した書き方はできると思うけど)
>>963 で質問してだいぶだつのに返答なし
答えられないのか、いなくなったのか。
まさかあれだけしつこくやっていて、スレ違いだからって理由で
ほんのちょっと書籍を上げるだけのこともしないとか言わんだろうに。
答えたら話が続く。答えないのがここでは正解だ。
答えるだけ答えて、批判が出たらスルーするなりすればいいだけ 書籍も上げられないなら個人の妄想だったんだな、とでも思うしかないよ。 あれだけしつこくやってていまさらそんな殊勝な振る舞いされても。 むしろ真っ先に通説だってことを示す書籍とかを出しとけば、こんなに荒れずにすんだんじゃね?
あとちょっとでスレ終わるんだから、今のスレのうちに決着つけちゃえばって話だな
煽るなよ。そうやってあとちょっとこれだけとかでこのスレチな話題が続いてたんだよ。学習しろ。もう答えなくていい。
974 :
天之御名無主 :2013/05/11(土) 20:42:05.91
日本神話って面白くない糞話だわ時間返せ。
>>964 ,
>>968 記紀神話以前の信仰の、たぶん唯一の文献史料は、書紀神代巻のニニギ降臨の
段だよね。草木も石も勝手にワイワイ喋って、火の玉とか飛んでる怪しい世界。
あとは魏志倭人伝の鬼道とか持衰とか。
たぶんそういう賑やかな南国風アニミズム的世界観を北方ユーラシア的な秩序の世界観で
上書きして「清浄な世界」を現出したのが、今の俺らが「神道」と言ってるものなんだろなと。
もちろんその後に仏教と習合して今となっては完全な復元は不可能だけど、その上書きの
わずかな綻びをこじ開けようという試みも、それなりに成果を挙げてるんじゃないかと。
・山折哲雄「死の民俗学」(岩波現代文庫)
本論は遺骨崇拝と天皇の代替わり儀式(大嘗祭)だが、沖縄のニライカナイの
ような水平の異界観と、記紀神話の高天原−中津国−根の国の垂直の異界観とに
関する研究レビューが秀逸。
・吉田敦彦「昔話の考古学」(中公新書)
環太平洋焼畑文化圏のハイヌウェレ神話から記紀神話のオオゲツヒメにいたる考察を
おこない、昔話の山姥は実は縄文の女神の成れの果てだという仮説を提示。
・工藤隆「古事記の起源」(中公新書)
長江流域の少数民族の口承文芸との比較から、無文字文化時代の神話の構造を抽出。
・岩田慶治「カミの誕生」(講談社学術文庫)
東南アジア・西太平洋の原始宗教を収集して、この地域(もちろん日本も含まれる)の
「カミ」の本質を探る。
・岡谷公二「原始の神社をもとめて」(平凡社新書)
三輪神社のように山(森)そのものを神体にした神社である、朝鮮半島の「モイドン」、済州島の
「堂」、沖縄の「御嶽」の比較から、古代の環東シナ海に広がっていた文化圏を考察。
・三宅和朗「古代の神社と祭り」(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
いわゆる神宮系の神社と田舎の神社の祭りの比較から、「王権によって
付け加えられた部分」を抽出する試み。
>>973 こんだけ続けといて、結局何も答えないとかないだろ。
それこそふざけんなだ。
どうせもうすぐスレ終わるんだから、いまさらごまかさずに
書籍名くらいちゃんと答えるのが当たり前だろ。
これだけやっといて、いまさらもう答えませんとかないわ。
次スレたってからでいいから、ちゃんと答えないと。
孟子と日本神話と言えば、王道から外れた君主は、易姓革命によって新しい君主に取って変わられるってのを説く孟子の書を 日本に持ち込もうとする船は八百万の神々が怒って沈めてしまうっていう雨月物語の話だな 天皇と孟子の王道政治論って相性悪いんじゃないのとかちょっと思いながら読んでたw
答えないのは別にスレ違い配慮とかじゃないと思うぞw 俺が君乃批判する大学教授って具体的に誰なのか 実際にはどんなこと言ってたか確認したいから教えて欲しいと なんどたずねても 延々レスし続けながらスルーだったし
山折哲雄は、専門外?の宗教論などの発言がひどすぎて読む気に慣れない。 宗教学者なんだし専門外とはいえないのかもしれんが
次スレ立ててきていい?
この期に及んで出典の提示を拒否するのはちょっと恥ずかしいよね。
提示した所でどうせ論争相手の方が「確認したけどそういう意味じゃない!」とか屁理屈こねだして話が伸びるだけじゃね?
主張に根拠がない状態よりはずっとマシだよ。
そんな反論できないようなはっきりした根拠を出せばいいだけでは
おつおつ
あまりにも当たり前すぎてわざわざ書く必要がないと何度も指摘されてるじゃんか 文献出せと言ってる連中は相手の言ってることも読めないのか むしろ自分たちがそうでないという文献を出すべきだろう
「当たり前」なことの根拠を問うっていうのが文系学問の根本だと思うのだが、 そうしたことを拒絶する人って何のためにこの板にいるの?
990 :
天之御名無主 :2013/05/13(月) 20:58:16.04
神=土民
>>988 当時の人にとって書く必要がないほど当たり前である、ということと、
現代の学者にとって書く必要がないほど当たり前である、ということは違うだろ。
>>872 君が言うほどに孟子さえ読んでれば、当然わかることであり、それを主張しても立証責任なんておわないくらいであり
なおかつ、
>>872 で認めているように勘違いしている人も多いような話しなら
大量にそのことを書いた現代の文献が大量に見つかるはずなのだけどね。
>>959 を最後に相手にされなくなって一週間経過してるのに、まだ続けるのか?
もういいよこれで。続けるならその先のスレに誘導してからやってくれ
「教養のない人に向けて初歩的なところから説明した啓蒙書」に対しても
「教養ある当時の人にとっては、当たり前だから言うまでもなかった!」っていうあいもかわらず無根拠に持論を繰り返し
突っ込まれただけの
>>959-960 がどうしたって?
もう一週間経つけどスレが落ちるまでにまともな典拠が見つかるといいね
ギリギリでいい加減な何かを提示して勝ち逃げの形をとる作戦?
>>991 >大量にそのことを書いた現代の文献が大量に見つかるはずなのだけどね。
大量にを二回書いているが君は日本人かね?
日本語として不自然なのだが
日本人なら天皇が王ではないことは常識として知っている
その常識も踏まえないで粘着するから呆れられたのだろう
>>951 で朝鮮国王と同じ様に冊封していたとかの史料の提示を求めているのもスルーされてるよな
なんで片方だけに文献の提示を求めるのか
>>996 いや、単純に柵封されてないことが彼の議論の根拠にはならんからでしょ
逆に柵封されてた所で、王政の王が天皇のことを指しておらず
孟子の王道を言っているだけ、ということもありうる。
つまり、全く論理として成り立ってない。
2つの選択肢があって、そのどちらかを選ぶって話ならともかく
積極的なテーゼを主張している側が立証責任を持つのは当たり前
真面目に議論する価値があると思うなら新スレ行きな
ごめん書き忘れたけどスレチならふさわしいスレに誘導して。
>>959 を最後に相手をされなくなって一週間たつのに
まだ粘着してるのか?と言われての返しが
>>994 って、本気で日本語通じてないぞ
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