「三河」スレッド

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1境界線上の名無しさん
「三河」は出雲と日高見をつなぐキーゾーンである。
ヤマトに破れ、歴史から抹消された「三河」王権について語ろう。
2天之御名無主:2012/02/23(木) 14:26:23.32
三河って家康の出身地でしょ。んでたしか江戸弁の元は三河弁なんでしょ。

んだけしか三河のこと知らない
3天之御名無主:2012/02/23(木) 14:32:53.73
立てた後で後発であると悟った。
あちらは主に持統天皇行幸について語るスレッドのようなので、こちらでは主に穂の国=東三河と徐福伝説について語りたい。

穂→宝飫→宝飯(郡)らしいが、穂→豊とも考えられる。
つまり、穂の川→豊の川→豊川ではないかと?
豊の国は九州にも存在するから、重複を防ぐため豊の国と記載されることはなかったと考えられるが。

「ほむら」という呼び名もあったらしい。
穂邑であろうか?
攻められて燃え上がる炎の意味でもあり、東に逃げる人々の心に焼き付く風景だったであろう。

愛知と岩手には共通して多い名字がいくつかあるらしい。
岩手では炎を「ほのお」ではなく「ほむら」と呼ぶ。
人の感情を「ほむら」と呼ぶという意見もあるが、客観的ではない、炎を見つめる人の感情も込めているのだろう。
愛知、岩手での弾圧で自分たちの社会を破壊され続けるループの中で強くなっていった炎への感情が「ほむら」なのだ。

渥美郡は元は飽海郡だったとのことだが、同じ地名が山形県にある。
これも現渥美郡から現飽海郡への移住を示唆してはいないか?

東北地方との関連についてはよく調べる必要がありそうだ。
4天之御名無主:2012/02/23(木) 14:36:07.69
邪馬台国も穂の国にあったという説がある。
狗奴国が尾張にあったという説が有力すぎて、邪馬台国の位置がかえってわかりづらくなっている。

卑弥呼の後の女王は「トヨ」というが、豊川は実は「トヨ」川なんだろうか?
5天之御名無主:2012/02/26(日) 04:11:52.55
穂の国を主張する連中はほんと胡散臭いな
西三河から見てると噴飯もの
6天之御名無主:2012/02/26(日) 23:38:12.14
アホだ、こいつら。

飽海川(大和朝廷)→吉田川(江戸幕府)→豊川(明治政府)となったのは、確実。

三川穂評の木簡から、穂の国は実在しないのが確実。

先代旧事本紀は平安中期の偽書で、穂国造もインチキで、
古事記の三川穂別を摩り替えただけ。

豊川は集落名で、三川豊川里の木簡から明らか。

穂国造の存在が東三河人に知られるようになったのは、実は江戸末期。
西尾人による三河志で言及されてる。
古事記伝や国造本紀考などの登場で明らかに。

そのため、戦国時代の史料に、東三河を穂の国という別名または古名で
呼んでいるモノはない。

穂国造は、偽書の旧事記以外に記載がなく、旧事記以前の史料である
古事記に、三川穂別。木簡に、三川穂評。と記載されており、
穂国造は完全否定されている。

7天之御名無主:2012/02/26(日) 23:48:22.27
渥美郡は元は飽海郡だったとのことだが、

飽海評だけど。評の制度も知らないのか?このバカ?

ちなみに、八名評の木簡が出土しないことから、八名郡から後から
出来たのも確実。

設楽郡が宝飯郡から分割されているため、八名郡は渥美郡から分割?

650年〜700年ごろは、穂評と飽海評の2つしかない東三河。

そのうち、渥美郡は、伊勢神宮の神領として、三河国造が寄進したと
伊勢神宮の史料にある。

ゆえに、豊橋市が、八名郡にある穴倉を穂国造の王の墓なりなどと
言うのはまったくのデタラメなんです。

八名郡は、国造時代はおろか、650〜700年に存在しないし、
豊橋市は、宝飯郡ではないし、当然、穂の国でもない。

というか、今の豊橋中心市街が出来たのは、実は家康の時代。
それまで何もない原っぱ。



8天之御名無主:2012/02/26(日) 23:56:42.80
川名の初見は承和2年(835)で、両岸の間が広くて架橋できない川の
官営渡船の増加を命じた6月29日付太政官符(類聚三代格)に、
三河国の飽海川(豊川)と矢作川は従来各2艘であったが各4艘に
増やすようにとある。

飽海川を知らないバカ。

9天之御名無主:2012/02/27(月) 00:10:53.48
愛知県庁は、穂の国信者に占拠されているため、

豊橋の豊川が、江戸時代に吉田川と呼ばれていた事実を抹消している。

江戸幕府の公文書には、すべて吉田川。

徳川の三河物語にも、吉田川とはっきり書いてある。

ちなみに、徳川の史料に、吉田の古名あるいは別名が今橋なるぞ、という
ことは一切記載がない。
中央の公家の日記にも記載がない。

10天之御名無主:2012/02/27(月) 00:14:03.46
http://www.aichi-pref-library.jp/gazou/ezudata/all/all_642.html

江戸後期。高精細で、画像拡大。吉田川になってる。

11天之御名無主:2012/02/27(月) 00:41:00.78
朝廷、幕府の公文書で、豊川と確認できるモノ一切ナシ。

12天之御名無主:2012/02/27(月) 01:08:21.08
飽海川や吉田川と呼ばれていたモノを、豊川なりと
最初に言い出したのは、三河国ニ葉松の共同編集者たち。
序文に、自分たちが名付けたって言ってる。

根拠は、矢作の集落→矢作川だから。

豊川という集落→豊川なり。

アホというか単細胞。

さらにこのウソを流布させて、藤原せいかという著名な学者が言い出したなどと
大ウソに変わる。

13天之御名無主:2012/02/27(月) 01:40:32.15
豐河 (山崎闇齋・再遊紀行:參考)

吉田川 舊(もと)、豐川と謂ふ。今此の川より北一里ばかりに豐河といふ地名ありて河に非ず。蓋し風土記に所謂豐河上の長者の住みし處なり。

古くは、飽海川というので、間違いですね。

古事記傳  二十二〕
三川は、參河國なり、此國、男川、豐川、矢作ハギ川とて、三の大川ある故に、三川と名くと
り、〈男川は今大平川と云、豐川は吉田川なりと云り、或説には、男川は加茂郡より出て、池鯉鮒チリフの西今岡の東を、南へ流るヽ川なるべし、大平川には非じとも云り、〉

豊川は、江戸時代に吉田川と呼ばれていますね。

太政官符の飽海川から、旧名は飽海川。豊川は村の名前。

どうやら、最初に山崎アンサイという神道家が言い出したようですね。

14天之御名無主:2012/02/27(月) 22:22:31.73
豊橋の主張

今橋→吉田→豊橋 これウソだね。

伊勢神宮の史料に、吉田御園が出ている。

だから、吉田ずっと→豊橋。

今橋は牧野氏による捏造ですね。
15天之御名無主:2012/03/22(木) 11:16:06.89
三河スレッドはここと古代史専用の2つあるけど2つともいつの間にか豊橋叩きスレッドになってることにワラタ
16天之御名無主:2012/03/22(木) 11:23:27.82
現渥美郡(飽海郡)と、山形県庄内支庁に現存する飽海郡の間には関係や交流はあるのかな?
現渥美郡から移民された可能性とか?
江戸期に庄内藩を介しての関係は当然あっただろうけど、郡名はもっと古いだろうからここでは考えない。

大和朝廷の東北侵略の第一歩になったのが持統天皇による三河行幸=三河侵略だった。
その過程で降伏した三河の被侵略民を兵士や技術者として百年かけて東北地方に送り込んでいった形跡がある。
17天之御名無主:2012/05/03(木) 17:57:01.78
この地方ではおいなりさんは狐娘なの?
「…のお使い」って、だいたい神様の化身だから。
どうせお迎えするなら、この種島ぽぷらみたいな娘がよい。
http://www.moonphase.jp/minamoto/mt_img/koko.jpg
18天之御名無主:2012/05/03(木) 21:28:48.76
>>17
豊川稲荷は托枳尼眞天という仏教系の女神がお稲荷さんの使いとして信仰されている
まあ、子持ちの女神だから少女じゃないけどな
お稲荷さんの使いのそのまた眷族なら少女かもしれんが
そのコテキャラはしらんがマスコットキャラの狐娘ちゃんは可愛いと思う
19天之御名無主:2012/05/07(月) 11:02:43.32
ダーキニー様にも子供いた?
仏に帰依した際のエピソードが似ているハーリティー様(鬼子母神)と混同してません?
20天之御名無主:2012/05/07(月) 13:15:31.68
三河はサンカの落ち着き先ですね
21天之御名無主:2012/05/07(月) 15:26:22.52
でも、分布を見るとサンカの語源はどうも「三河」というわけではないようだ。
「山家」だろうか?
22天之御名無主:2012/05/07(月) 16:28:57.08
1 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/02/03(木) 10:44:37
「サンカ」の起源は「参河」であり、これは大和朝廷への服従を拒み持統天皇に放逐された「参河」地方の住民達の末裔である。

2 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/02/03(木) 10:51:01
「参河」こと「御河」は出雲勢力が北陸地方、次いで中央高地を経て南下してようやく得た降雪量の少ない温暖の地であった。
古事記の記述から出雲勢力が諏訪に逃れたことが推察されるが、その後の進出ルートは詳らかではない。
「日玉」から山脈の西側を南下した勢力もあるが、この両者が南下した先はに「御河」地方がある。
イセ、オワリから侵入した大和朝廷の勢力と衝突する場所となり、出雲、吉備、東毛とは異なり、こちらは完膚無きまでに歴史上から消された。
穂の国も同様。
23天之御名無主:2012/05/07(月) 23:35:26.68
むしろ、伊勢湾岸の人達が、ヤマトの侵略を受けて、逃げのびた先が出雲なのではないかと思うようになった。

p.s.その駄文書いたのは昨年の自分だ。デタラメだから信じるな!
24天之御名無主:2012/05/07(月) 23:45:29.95
邪馬台国が三河近辺にあった可能性がある。
土器の形から倶奴国が尾張にあったという説が有力なようだが、それを前提にすると、三河にあったと考えるのがむしろ妥当だ。

誰も主張しないのが不思議!
25天之御名無主:2012/05/08(火) 21:09:20.41
お前が主張したじゃないか!そう思うのならもっと大勢の前で叫んでこい!
26天之御名無主:2012/05/08(火) 21:28:55.68
サンカを愚弄し、三河を愚弄し、今度は邪馬台まで愚弄するか!?
27天之御名無主:2012/05/10(木) 12:49:23.57
蒲郡市 赤日子神社
28天之御名無主:2012/05/12(土) 00:50:16.34
三河ってサンカから転じたの?
29天之御名無主:2012/05/12(土) 16:40:40.57
嘘を広めるのはやめろ。
30天之御名無主:2012/05/21(月) 11:16:33.89
ウソかな?本当かな?w
31天之御名無主:2012/05/21(月) 11:36:31.14
尾張、三河あたりの独自性というか奇矯性を見るに、
あながち…
32天之御名無主:2012/05/21(月) 12:11:26.66
本当にウソかな?

クックックw
33天之御名無主:2012/05/26(土) 19:31:51.53
 伊勢“夫婦岩”に異変!根元まで露出の不気味…巨大地震の前兆か
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120425/dms1204251119006-n1.htm

伊勢「夫婦岩」の古文書記録は相当古い。 古代神道の重要なご神体。
この岩の間の海底に、半島出身の大王の墓があるという。
冬至に巫女が太陽神に祈りをささげていた。
34天之御名無主:2012/05/29(火) 17:38:49.22
ずり向けしちょるのか?ブルっ
35天之御名無主:2012/05/30(水) 19:11:52.67
んん mr1966
36天之御名無主:2012/06/14(木) 08:43:07.99
>>31
>尾張、三河あたりの独自性というか奇矯性を見るに、

要するに「愛知県」じゃねえか!?
37天之御名無主:2012/07/22(日) 17:28:46.77
愛知県には間もなく大災害が来るかな?
38天之御名無主:2012/07/27(金) 22:25:23.65
なぜ?
39天之御名無主:2012/11/05(月) 10:04:43.41

>>3

悪路王(あくろおう)や大嶽王(おおたけおう)やアテルイ。
40天之御名無主:2012/11/05(月) 13:02:00.76
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41トチロウ:2012/11/06(火) 00:02:51.01
雛形理論を持ち出して尾張はアラビア半島、三河はインド亜大陸ふきん
と考えたことがある。インドが最後の世界革命を起こすと言われている。
やはり三河か。偉大な哲人 現わる予感・・・。
42天之御名無主:2012/11/16(金) 23:38:38.04
三河が何かの中心だったことなんぞただの一度もねえよアフォども。
家康もとっとと出てっただろ?

現実を見ろ現実を。
43天之御名無主:2012/11/25(日) 16:55:54.19
田村麻呂に征伐された東北人がサンカになって、
その一部が新城とか岡崎に降りてきて定住したんじゃない?

家康のルーツもサンカじゃないの???
44天之御名無主:2013/04/19(金) 15:03:30.29
愛知には基地害とクズしかいない 
・下品でマナーを知らず、柄が悪い  
・イジメ・盗難・交通事故・汚い音の咳払い・視姦は愛知民国が育んだ文化
・物凄く周囲を気にする、とにかく他人が気になる
 ちょっと見渡せば必ず知らない奴と視線が合う
粘着質で纏わり付くような視線 「あれ?知り合い?」ってぐらい見てくる
 スーパーでは物より人を見ている  これも閉鎖的な村の特徴 
 まあ地元民は滅多に県外へ出ないからしょうがないか
 そのせいで似たような顔の奴しかいない
・咳をする時、口に手を当てるということを知らない 汚ねえんだよ
 おかげで風邪流行りまくり 
・治安が悪く、悪口が日常会話、 
・名古屋飯とか言うけど、あれは甘ったるいだけの味覚障害 
・黒縁眼鏡湧きすぎ(特に岡崎) 駅前行けば10秒に一人は見かける
 かけてる奴は例外なくクズ 
・大人でも幼稚、小学生レベルのイジメも平気でやる
・人間観察とかいうけど要するに覗き好きなだけ
 もちろん盗撮も流行ってる
・一度目をつけた奴はとことん付きまとう、まるでマムシ
 ネチネチと文句をつけるのが非常に上手い
 哀恥において眼鏡をかけてる奴は全て性格悪いと思っていい
・どいつも導火線が短く、攻撃的で常にイライラしている
 特に岡崎は基地外天国、味噌で頭イカれてる
総合して民度が低い まさに土人  
観光がてら名古屋でも行こうものなら失望して帰るか味噌車に轢かれて死ぬ
45天之御名無主:2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN
612 名前: 610 投稿日: 2013/07/20(土) 11:28:02 ID:zSC3PU+A [ i61-195-250-229.us.catvmics.ne.jp ]
>地元の有力者が一声掛けたらその瞬間に予約が飛ぶような土地柄]

分かりにくいね、解説する。
地元の有力者(=武士の子孫、政治家、企業役員、金持ちなど)が、一言「俺のために部屋を開けりん」と言えば、既に予約していた一般人は遠慮させられるということ。
その際には有力者はエクストラマネーを要しないし一般人は違約金をもらえない。

ただ、それは岡崎だけではなく、田舎の城下町ってこんなもんなんだよ。
だから、会津藩、庄内藩は武士だけで戦争をして負けた。
藩領内は切り捨て御免し放題で、庶民は武士に反感を持っており、新政府軍への協力者も多かった。

会津藩の中でも優秀な武士として名高い山本覚馬も温泉で少しはね湯がかかっただけで庶民を切り捨てている。
庄内藩では真如海上人が出家したエピソードも同じようなものだった。
運んでいた肥が飛び散っただけで斬られそうになったので咄嗟にそこにあった杭を身構えたら武士に当たって殺されることが確定、寺に逃げ込んだという話だった。

で、どっちの藩も三河武士の末裔なんだな(笑)
ということは、諸悪の根源は岡崎なのか?(全国大爆笑)
46天之御名無主:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN
>>45
お前あっちこっちにそれはってるだろ
マルチはダメだろ

あとお前石田三成のファンか?
47天之御名無主:2013/10/05(土) 14:14:09.77
遷宮
48ジズミィーが政権から転がり落ちると巨大地震が起きるよな:2013/10/18(金) 02:41:12.82
そういや地震警報で誤報出たのは三河だったよな
49天之御名無主:2013/10/31(木) 19:22:20.70
「だらりん」とか
ちんぽかよw
50天之御名無主:2013/11/03(日) 18:05:59.87
天上の虹、四年ぶりにやっと22巻が出たが、次が最終巻らしい。
最終巻で三河行幸と瀬織津媛をどう処理するかとても楽しみ。

また何年もかかるのかも知れないけど。
51ハンガリーにおける哲学者の迫害に抗議する署名:2013/11/03(日) 22:48:15.00
三河って雛形にするとポーランドって感じがするけど
52天之御名無主:2013/12/07(土) 20:16:37.14
三河
53天之御名無主:2013/12/08(日) 12:54:13.87
>>49
www
54天之御名無主:2014/01/02(木) 19:11:04.55
豊川市は三河国府があって、三河の中心なり。
三河は、三本の河から成る国である。
>>>
その後、いろいろわかってきて、どうも東三河=穂国 西三河=三河国
らしいということがわかってきた。
つまり、三河国府は三河国じゃなかった。
さらに、発掘調査で、国府町に国府はなく、あったのは白鳥町、
国分寺は八幡町にあった。そう、国府町には国府はなかった。
当然、三本の河もおかしいわけで、豊川という河は三河じゃなかった。
古代は飽海河という河名だったのである。
55天之御名無主:2014/01/20(月) 05:35:23.41
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56天之御名無主:2014/06/01(日) 06:40:56.45
>>73
>高氏所領
>・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)


>■高師氏
>・父は高重氏
>・右衛門尉、法名心仏
>・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(愛知県岡崎市)地頭
>・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲った(総持寺文書)
>・正安3年(1301)2月15日に満性寺(愛知県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進した
>■高師重
>・父は高師氏
>・三河国額田郡菅生郷地頭
>・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(愛知県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する
>■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
>・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
>・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
>・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
>■貞円
>・父は高師重、高師直・高師泰の弟
>・滝山寺(愛知県岡崎市)大勧進
>■三郎
>・父は高師秋
>・滝山寺(愛知県岡崎市)僧
>■明阿
>・父は高師泰、夫は高師冬(高師直養子)
>・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に総持寺を建立する、
>・三河国菅生郷(愛知県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された
>■いち
>・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
>・明阿が三河国菅生郷(愛知県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持
57天之御名無主:2014/06/01(日) 06:41:45.92
>>63
>どーせ、義清が戦死して、息子の義実の面倒をみたのは三河の藤姓熱田大宮司家なんだろ
>苗字の広沢は豊田か豊橋の地名、広沢が由来だ
>だから豊田に菩提寺がある

>隣松寺(豊田市幸町隣松寺126番地)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CE%D9%BE%BE%BB%FB



>義実のもう一人の息子義宗が、村積神社の神官だったのも、土着性がうかがえる
>母親が三河の物部氏だったんだろな


>村積神社(岡崎市奥山田町字山田46)

>村積山(奥山田町 256.8メートル)は、花園山とか、その麗姿から三河富士とか呼ばれているが、
>山頂に、真福寺(天台宗)の開祖物部真福が、同寺の守護神として大山祇命(おおやまづみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)、木花咲耶姫命の三神を勧請したという村積神社がある。
>鎌倉時代には細川氏の守護神となったと伝え、近世には奥殿藩主大給(おぎゅう)松平家の祈願所となった。この神社正面左側の一段低い所、石の玉垣の中には、しめなわの張ってある「毒石」と呼ばれる2つの岩(右が約1メートル、左が1.3〜1.4メートル)が立っている。
>これにさわると病気になるといって村人に怖がられ、玉垣にすら触れる者がないという。昔、那須野が原(栃木県)にあって人や動物が触れると病にかかったり死んだりするという殺生石の破片が、村積山頂に飛んできたものだという。
>あるいは、細川氏の祖細川義季(右)と、一族の村積神社神官である弟義宗(左)の墓とも言われており、村人に大切にさせるために毒石と称したとの説もある。
>豊田市隣松寺に所蔵されている『細川家御由緒』には、この毒石は「神霊石」とか「石神」とか書かれ、細川氏の守りの石塔であることが書かれており、墓とは書かれていない。
>なお細川町蓮性院にも、類似の伝承をもつ石がある。権水(ごんずい)城(3つの細川城のひとつ)のすそ(イタチの道)にあったもので、三本石塔と言われる石碑と共に蓮性院に移された。供養塚との説もあるが、不完全な五輪の塔である。
>動かしたり、さわったり、不浄にすると祟るといわれるが、けが程度かあるいはオコリを震うという。これが細川頼之の墓ではないかとの説もある。
58天之御名無主:2014/06/01(日) 06:42:22.25
>>60
>>矢田義清は木曽義仲に付いて出奔してますけど?


>最初は頼政に付いていただろ、早々と死んだから義仲だろうが


>義清の息子の義実や孫の義季が北関東にいた伝承は一切ないんだよな
>出世した細川氏が、北関東で何かした事実も一切ない、義実の墓があるはずだよな
>本当に北関東から来たのかよ


>こんなか感じで何かしないのかよ



>空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


>「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
>初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


>永源寺

>中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
>「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
>応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
59天之御名無主
三河51い5465 ウィンカー出さない顔面蒼白でAV男優のデブニート廣井って中卒のバカ見つけたら煽っていいよ。