1 :
天之御名無主 :
2012/01/27(金) 16:31:38.22 19世紀の100年に渡る人口調査(もちろん不正確なものであろうが)によれば、北海道のアイヌの人口は約(1)から2万である。 今の道民の数が500万以上だから、とても少ない数である。 北海道庁の大正7年の調査によればアイヌ語の(2)は約(3)ほどであるから、当時のアイヌ社会においては、まだアイヌ語が盛んに行われていたと言える。 狩猟、アイヌ語で(4)は(5)を人間の世界に迎えるという宗教的な意味を持つ。 真駒内というのはアイヌ語の地名であるが(6)にある川という意味であった。 この語の意味、すなわち(7)の(8)が日本語になかったため(9)と混同され「山奥にある川」などの意味だとされてきた。どちらにも、山があるからである。 真駒内は日本海沿岸地方と太平洋沿岸地方とを結ぶルートであった(10)の(11)にある川という意味であった。 オホーツクに近い町、遠軽の名はアイヌ語のinkarである。inkarはV1の「〜物見る」という意味である。だから、「物見山」と訳せよう。 名高い敢望岩の原名である。「遠軽」は(12)、「敢望岩」は(13)である。?inkarはまた札幌の(14)の名でもあった。 アイヌ語を知らない慌て者が誤って北隣の(15)の名であった(16)を(17)の名にしてしまった。 遠軽も敢望岩も札幌もインカルシペが本来の山名とされているが、これもまた誤りであろう。 このアイヌ語は「インカラにくっついてる川」と解されるから、山の名がインカラで、?inkar-us-peは?inkar-us-petであったかも知れないが、 いずれにせよ「インカラにくっついてる川」と解されるから、インカルシペはその傍らを流れる湧別川、(18)のことであったと考えられる。 上の2つの川の名にあらわれる?omaと?usは存在をあらわす(19)であって、存在する場所と(20)による。
2 :
天之御名無主 :2012/01/27(金) 16:32:24.09
?eはV2で「〜が〜を食べる」、?ipeはV1で「〜もの食う」ないし「〜が食事をとる」という動詞である。 だから、「私は肉kamを食べる」は(21)となり「私は食事をとる」は(22)となる。 また、nukarはV2で「〜が〜を見る」、?inkarはV1は「〜がもの見る」ないし「〜が視覚を働かせる」という動詞である。 だから、(物語では)「私は山nupuriを見る」は(23)となり「私はもの見る」は(24)となる。 物語を語るのではなく、会話を行う時は、「私は山nupuriを見る」は(25)となり、「私はもの見る」は(26)となる。 この話は、十勝方面で語られているが、胆振方面でhekaci「子供」というのを十勝ではekaciと言う。アクセントのない音節の頭のhは十勝方言では になる。 したがって、「〜が走る」を意味するV1は胆振でhoyupu/hoyuppa(sg./pl)というところを、十勝では(27)/(28)(sg/pl.)という。 ところが、物語では胆振の「私は走る」がhoyuppa-?anに対して十勝では(29)となり、会話では胆振のku-hoyupuと同様(30)となる。 ku−は(31)を前に1つ移動させるからである。 この話を最初に語った人は熊獲りの名人である。 したがって、cawetok、teketok、remetokの3ての(32)を備えて神の(33)のある(34)である。そのような男性の妻は(35)とか?iresu sapoと呼ばれる。 この語り手はこの時、網袋の、アイヌ語で(36)と網袋を背負うための紐、アイヌ語で(37)を1つずつしか持っていなかった。 この紐で網袋を(38)と背中で支える。そこで、もう一匹の小熊を捕らえて(39)をおりるためにフンドシ、アイヌ語で(40)を解く必要があった。 こんな簡単なのやらせるの忍びないんだが、穴埋めしてみてくれ
3 :
天之御名無主 :2012/01/31(火) 00:56:32.35
3
4 :
天之御名無主 :2012/02/01(水) 22:50:11.01
4
5 :
バイオ・ハザード → レベル5 :2012/02/02(木) 05:25:42.03
6 :
バイオ・ハザード → レベル5 :2012/02/02(木) 05:27:27.75
7 :
天之御名無主 :2012/02/02(木) 08:31:46.45
アイヌ人は元はD2ではなかった!
アイヌ人の元来のY染色体ハプロタイプはおそらく北アジアに多いC3。アイヌ人の中にも13%存在する。
以下ソース
10 :名無しさん@12周年:2012/01/28(土) 16:42:47.09 ID:udmCTrHt0
644 :出土地不明:2011/09/19(月) 15:09:53.83 ID:q9o0HeeF
>>640 アイヌなど本州からの病原菌の持ち込みで絶滅で2万人しかいない。
北海道の多数派である越後人や越中人と混血した者しか生き残っておらんだろう。
新潟県のD2とアイヌのD2は同じマーカーM55とP37.1陽性なのだよ。
アイヌの父系は、ほぼ越後人・越中人なのだ。
8 :
世界市民 :2012/02/07(火) 22:57:31.02
9 :
天之御名無主 :2012/02/08(水) 16:12:00.19
まぁ、 アイヌは アイヌ部族風習自体は確かに オホーツク〜東日本全般に確かにあったが、 今日でてくる。日本史の中にあるアイヌ風習と 原生アイヌって根本的にまったく違うんだよ。 そしてオホーツク東北の文化圏と今日のものは違うし、 そもそも現アイヌ文化は構成的に相当かわったもんで、原型ない。 さらに民族史学史観では 東日本、の大半は元アイヌになって、歴史人種系統はそうなるんだけど、 その状態で、あくまで 凡アイヌから生まれた、Bアイヌが別形態文化になった境。 Aアイヌがその私有を主張するのは変。 その理屈はBアイヌがアイヌ、オホーツクの主張と同じ。 担ってしまう。だから別。 まぁ確かに日本刀の前の刀は東北が作ったものだが、それを アイヌ全文化にするのは文化破壊と文化盗掘だろう。
10 :
世界市民 :2012/02/11(土) 19:41:48.90
>>9 その怪しすぎるニホンゴと、内容のまともさのギャップがすげえです。
>まぁ確かに日本刀の前の刀は東北が作ったものだが
ここが興味ありますね。
あなたの立場では、日本刀の系譜はどこにあると思っていますか?
ho
mo
da
yo
ai
nu
18 :
天之御名無主 :2012/03/02(金) 23:25:37.27
司馬遼太郎(歴史小説家ですまん)はアイヌ文化に同情的だったよね。
滅び行く少数民族
ロマンですね〜
21 :
天之御名無主 :2012/03/20(火) 01:58:07.87
>>11 刀(カタナ)はアイヌから来たっていうアイヌ人がいるね
対馬も富士山も筑波山も
22 :
天之御名無主 :2012/03/20(火) 01:59:26.17
>>19 ロシアには日本とはちがってアイヌ人がいるよ
平戸ボボみつを
24 :
天之御名無主 :2012/05/08(火) 18:11:36.71
25 :
天之御名無主 :2012/05/08(火) 23:23:03.33
キリストはユダヤ人だとユダヤ人が主張してるよ アイヌとユダヤは別人でしょ アイヌは湊川人、縄文の古モンゴロイド ユダヤ人は旧約聖書によると中東・アフリカのイスラエル出身者だよ
港川人は沖縄出土でアイヌとは無関係です
27 :
天之御名無主 :2012/05/14(月) 22:19:47.44
主として首都圏だけど、 ユリ子のあだ名が「ゆりっぺ」だったり、 田舎モノを「いなカッペ」と言うだろ? 関西だと「ゆりちゃん」田舎モン」で 「××っぺ」とはまず言わない。 不思議ないいことだなと思ってたんだが。 アイヌ語には イキロクペとかウェンペ=悪い者 ウナルペ=おばさん クコルペ=私の所持品みたいに人間に関して 「〜ぺ」で終わる言葉多い。 ひょっとして「いなかっぺ」などの「っぺ」も アイヌ語と言うか縄文語由来の言い方じゃない? 他にも サンペ=心臓 チャペ=猫 チャワスルコルクンペ=話し合いしに行く人 とか……
あのね、C3は13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人が持ち込ん だもの。それから今のアイヌの何人かはロシアのRも検出されてるから。それで も縄文人のD2は和人よりも多く検出されてる。88%ぐらいかな。
>>28 書き間違えてるぞ。
オホーツク文化人が南下してくるのは古墳時代の話だ。
13世紀はトビニタイ文化人が擦文人に吸収された時期だろ。
>>29 オホーツク文化人の定義があいまいなため解釈の違いがあるようだ。
オレはトビニタイ文化も含めた広義としてのオホーツク文化人について
言及しただけ。ウィキにはこうある。
オホーツク文化(オホーツクぶんか)は、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化である。
トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部にあり、
両者の継続性を認めるか否かで話が分かれているらしい。
>>30 解釈の違いの問題ではない。
オホーツク文化人は3世紀頃に南下してきて、
道北から道東にかけて暮らしてたの。
で、道北は9世紀頃に擦文人(アイヌ)に奪還されて、
道東のオホーツク文化人は孤立してしまい、擦文文化の影響を受けて
オホーツク文化からトビニタイ文化に変化したって話だ。
>>28 の書き方だと、オホーツク文化人が13世紀頃に
道東へ移ってきたような印象を受けると指摘しているんだ。
>>31 以下ウィキ参照。
オホーツク文化(オホーツクぶんか)は、3世紀から13世紀までオホーツク海
沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化
である。
トビニタイ文化をオホーツク文化に含めるかどうかについては、現在のところ
意見が分かれている。トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部
にあり、擦文文化の影響を受け、海岸から離れた内陸部にも展開した。両者の
継続性を認めてオホーツク文化の一部にする考えと、生活の違いを重視して
オホーツク文化に含めない考えとがある。
オレは広義のオホーツク文化(3世紀から13世紀)、あんたは狭義のオホーツク
文化(3世紀から8世紀)つまりトビニタイ文化はその後の9世紀から13世紀だ
と主張していて、広義か狭義で解釈が食い違ってるわけ。
それにオホーツク文化人つまりウィルタやニブフ等は何も3世紀頃だけ南下
したとは思わんが。オレはただ分かりやすくオホーツクもトビニタイも
ひっくるめて広義オホーツクとして13世紀と言っただけなんだが。
>>32 だから、解釈の違いじゃないって。
君は
>>28 で> 「13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人」と書いてるじゃないか。
広義でも、狭義でも、オホーツク文化は13世紀に北海道から消滅したんであって、
13世紀にオホーツク文化人が北海道東岸へやってきたわけではないよと言ってるわけ。
だから、
>>32 で書いたじゃん。
オホーツク文化(広義)は3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸で栄えた。
つまりウィルタやニヴフもその間、往来していてもおかしくないでしょ?
君は3世紀頃に南下と断定しているが、3世紀から13世紀もの永い間、3世紀
だけっておかしくない?
オレと君の争点は9世紀頃の擦文人の奪還の所なの。もし君の言う通り、
奪還したというなら、オホーツク文化(広義)が3世紀から13世紀にかけて
栄えたというウィキの文面と矛盾することになる。
君はオホーツク文化(狭義)を支持していてそれが、3世紀から8世紀まで
続いて擦文人が9世紀に奪還した。東岸に取り残されたオホーツク人が
擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化が出来たと言いたいんだろ?
だがオレはそんな杓子定規で歴史は語れないと思う訳。オホーツク文化
(広義)は3世紀から13世紀の間、栄えた。つまりその間、ウィルタや
二ヴフがやってきていても不思議はないと思うわけ。
分かった?
>>34 君はオホーツク文化とトビニタイ文化の定義にこだわっているが、
俺が言いたいことは簡単さ。
君はなんで「13世紀に北海道東岸にやってきたオホーツク文化人」と13世紀に断定して書いたんだい?
>>35 別に断定したわけではない。ただオホーツク文化とトビニタイ文化の継続性
が曖昧なことから、両方が存在したと思われる13世紀が一番適切だと思った
だけのこと。
そもそもアイヌに文字が存在しないことから、周辺国の文献に頼らざるを
えない。もちろん曖昧な部分や誤差も生じるだろう。ただ俺的には13世紀
は特別な時代だったと思う。
まず元寇。当時、アイヌは中国の文献では骨鬼と呼ばれており、ギリヤーク
(今の二ヴフ)と対立していた。ギリヤークは元に頼み、アイヌを掃討しよ
うとしていた。13世紀はまさに激動の時代だったと言っていい。
アイヌの歴史は縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ→現代と言われる。
君の言う3世紀はちょうど内地では弥生時代に当たる。北海道ではその頃は
まだ縄文時代であり、オホーツク文化人の流入はあったにせよ、それほど
勢力が強かったとは思えない。
やはり13世紀が分岐点だったと思う。色んな文献にも13世紀という数字は
目にするし、縄文人とオホーツク人の文化を受け継ぐアイヌが誕生する直前
という意味でも意義深い。
ちなみにアイヌのイオマンテ(熊送り)は元々はオホーツク文化人の風習
らしい。またアイヌには縄文人のD2の他にオホーツク文化人のC3も検出さ
れることから、アイヌが縄文人とオホーツク文化人を土台にした存在だと
言えると思う。
>>36 アイヌ文化が確立した時期は13世紀だろうね。
擦文人は、道東へ取り残されたオホーツク文化人に女を送り込んで、
文化的に擦文化(トビニタイ文化)させ、時間をかけて吸収するという方法をとったそうだ。
これによって、擦文人にC3とオホーツク文化が流入したんだろう。
で、その同化政策が終了したのが13世紀。
さらに13世紀といえば、渡島半島の青苗文化を足がかりに、
和人が北海道へ定住を始めた時期だしね。
38 :
天之御名無主 :2012/09/30(日) 14:39:10.39
志賀島出土の金印にある倭奴国は倭の奴国という意味では 無くて 「倭奴=ワイヌ」つまりアイヌを表す言葉である! 漢倭では無く漢委なので倭国(倭人・和人)とは区別され るべき!スサノオは スサ(熊)のオ(男)という意味! アイヌ国=倭奴国 スサノオ=熊雄(熊襲国・熊野・狗奴国) 漢委奴国王印はアイヌ共和国に返却すべき! 九州はアイヌ共和国の飛び地として隼人・熊襲・和人自治区 としてアイヌ連合共和国に編入すべき!
39 :
天之御名無主 :2012/10/14(日) 06:52:45.62
>>38 だいぶ調べたが、アイヌ語でスサは柳葉魚(シシャモ)だし
スサ=熊ってするのはシュメール語を古代朝鮮語にしてから日本の音韻にしたら〜みたいなムリクリなのしか見つからない。
それでも熊が日本の古語でスサであれば方言に似た音がないか調べたが見当たらない。
そもそも日本語の熊=クマは鳴き声に由来する説もあるぐらいなんでかなり原型に近い音の言葉
アイヌ語スレで「スサ=熊」とする根拠をくれませんか?
40 :
天之御名無主 :2012/10/14(日) 14:54:39.96
スサは「大麻」のことだよ。だからスサノオは大麻の王ってこと。 でスサノオはイラクのスーサから朝鮮経由できたのはスサノオの縁起譚 クマはアイヌ語でカムイ=神の語源であり「熊送り」とかの信仰を今でもみることもできる・・ 確かに九州や紀伊、能登とか原縄文化が残っていたところは「カムークマー神」と同語起源らしい。 (中上健二の娘だっけ紀伊の話ででてたな・・噛むにも繋がるらしい。) ただ北海道で大麻信仰があったかは知らない(今自生地だが)がその他の地原日本では(出雲、伊勢・・) 大麻信仰があったのは隠されている(オカルト=信仰)が間違いない。
>>40 丁寧なレスありがとうございます。
しかしながら、手元にある『「日本語とアイヌ語」著者:片山龍峰』を読み返しながら書きますとカムイとは
@アイヌ語の「kamu=かぶさる。覆う」であり、日本語の被るとか冠(kamu-ru)に対応する語
Aアイヌ語の「i=もの・それ」であり、日本語の「斎」(i)神聖であること、タブーであること。に対応する語
この2つの合成語であると解ります。
先のレスにありました熊送りはアイヌ語でイオマンテ・イヨマンテですが、最初のイが当に「i=それ」であり神聖な神の名を出すことを避けて「それ(i)」としているそうです。
よって、クマがカムイの語源説は頭の片隅に追いやらしていただきます。
ついでなんで一度、「クマはクマと鳴く」で検索されると、ツキノワグマの警戒音を御自身の耳で確認できるかと思います。
42 :
41 :2012/10/14(日) 20:50:26.39
>>40 スレ違いだけどついでなんでw
>九州や紀伊、能登とか原縄文化が残っていたところは「カムークマー神」と同語起源らしい
九州や能登は知りませんが、紀州だと日本書紀に日熊神って出てきますよね?
以前に漢字の成り立ちを調べていたら、熊の源字はヨウという音で太陽を意味する字だったそうです。
それを踏まえて、熊襲が熊祖なら「太陽神が祖神」の一族ですし、文字通り熊襲なら「太陽を襲う」一族で神話のスサノオに相応しくなりますね
もっとも自分はスサノオ神話は月読神話の換骨奪胎だと考えているので、後者の場合は「月神を祖神とする一族」だと考えますがw
43 :
天之御名無主 :2012/10/14(日) 20:52:33.53
/イ////ミ\トト \ /イイ//// \ヽトトトト <=イ// \三トト トイ三/ニミ, ∠ニ \トト> \|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_|:|!/ f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T ト| | |ノ |:| (!___,! |:| !:| __/_ _ヽ__ l:リ \  ̄ / ' ー── '
>>41 ですが、熊はキムンカムイだし、神の名を憚ってと言う前提で
子熊の檻を言う時にカムイだけにしたりi(それ)で表す例はあるけどアイヌ語で熊がスサだとおっしゃる根拠はまだですか?
すまん檻の時はヘペとかで、熊送りとかがイ(それ)だったな
46 :
41 :2012/11/04(日) 20:56:25.67
>>38 >「倭奴=ワイヌ」
「倭奴=イト」だよなw
…は、さておき〜かなり待ったつもりだがスサ=クマの根拠は無いんだと判断させて貰います〆
最近ニセモノのイヨマンテが観光民俗として捏造されてるらしいね
最近? 少なくとも30年はたってるな。 某地方のイヨマンテに感動しそのむね、ワカシュウチョウと呼ばれていた人に話すと・・・ 無形文化に指定されたと喜んでいたが、 ただしシャモ向けに造ったもので、本物はシャモには見せないと言っていた。 色んな意味で、そ、そうか・・・ と思った。
>>41 ほー、勉強になった。
仮説の一つとして覚えておく。
イヨマンテノ、イが「それ」
で、神聖なものをさけ・・・
はややヤハウエぽい解釈でホントカイナと思うけど。
>>49 >ホントカイナと思うけど。
なら北海道アイヌ協会とかにでも問い合わせてみたらスッキリすると思うよ
いまのアイヌ協会のいうとこなど余り参考にならない、 汎神的な精霊思想で 神聖なモノを隠すしてイヨマンテ どうも後世のこじつけぽい 中近東一神ぼいなあ ま、説の一つとして聞いておこうっと
52 :
50 :2012/11/17(土) 21:52:37.50
>>51 ageても無いのにレス早っっっ!w
>いまのアイヌ協会のいうとこなど余り参考にならない
いや別にアイヌ協会はとりあえず書いただけだから、アイヌ協会でなくとも社会一般から見て信頼に足るとこなら何処でも良いよ。
>どうも後世のこじつけぽい
強要はしないが、否定するにせよ肯定するにせよ「ぽい」で終わらすなよな
同様の使い方がされているイの有無くらい調べてみるとかして、自身の「ぽい」という判断の是非くらい手繰ってみてくれ
論点見えてないな イの意味ではなく イヨマンテの意味解釈が いかにも一神的な解釈で 精霊的思想とぶつかるというてんに 疑問をもっている そこに君は触れてないし 俺としては さしあたり うさん臭いと思う分けだ。 だから 一つの説として記憶しておくと言ってるだろ それを越えて、信じろというなら 阿保か! と言うしかないなあ
神聖な、というより「畏怖すべきモノ」の名を直接呼ばないと言うのはすぐれて呪術的、精霊崇拝的感覚だろう。 コトダマの魔力を信じる呪術的感性では、「名を呼ぶ=そのモノを呼び寄せる」、ってことだからな。 来てほしくない恐ろしい(あるいは、嫌な)存在の名指しを避ける感覚は、よくよく考えたら現代人にもあるだろ。古い呪術的感性の名残りなんだよ。 十戒の規定も本来はそうした感覚の名残りとしてあったもので、別に一神教的感覚でもなんでもない。
55 :
50・52 :2012/11/18(日) 22:03:56.71
>>53 >イヨマンテの意味解釈がいかにも一神的な解釈で精霊的思想とぶつかる
ググるだけでも分かるけど「イオマンテは直訳すると「それ(つまり神)を行かせる」で「神の国に送り届ける」という意味な
で、「いかにも一神的な解釈で精霊的思想とぶつかる」が何を言ってるか理解できないんだが?
精霊的思想ってのはシャーマニズムのことだよな?
それで多神教的シャーマニズムなはずのアイヌの信仰に、ヤーウエみたいにイを使うのに違和感を感じるって意見なら
あなたは、多神教的シャーマニズムの中でイオマンテが何を目的とした祭祀かすら知らない、知ろうともしてないレベルで他人を阿呆と呼ばわる御仁なんですね
民俗学に興味がおありなら御存知でしょうが、八百万の神を祀る日本の山人(猟師・樵etc.)の慣わしにも
>>54 さんの言うように神や熊などの名を口にすることを避けて「それ」等で表しますが、同じことなんです
はいはい、カリカリ信仰者 投影なら任せとけってかー お疲れ様です
>ググるだけでも分かるけど と書いた手前、ググって確認したらWikipediaにも一神教と違うって解る記述があるじゃんw >単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。 しかし、本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。 またシャチを対象とするイオマンテもある。 「Wikipediaなんか…」って言うなら、それこそマトモに勉強しなよ
>>49 イオマンテがイ・オマンテ それ[物]・行かせる[送らせる]を原義とするのは
たいていの概説書に書いてある話だね。
ただ、イオマンテのイが日本語の「斎」(i)神聖であること、タブーであること。に対応する語
という主張は片山龍峰みたいなアイヌ語が日本語の原型だと主張してる人くらいしか支持していない。
どちらかと言うと偽言語比較論、トンデモ説の類。
実際にはアイヌ語と日本語の間には語の借用があるけど基本的に全く別の言語。
例えばアイヌ語は抱合語だけど日本語は膠着語。
このあたりはアイヌ語学者の中川裕あたりがちょくちょく書いてるので贅言はせんけど。
>>58 琉球語と日本語の古語の類似性や、琉球語とアイヌ語の共通点が言われる場合があるけど
それを踏まえて日本語の古語とアイヌ語の共通点があって何の不思議が有るんだろ?
としか思わないがな〜、どのみち三者は身近な交易圏内だったろうし
60 :
天之御名無主 :2012/11/30(金) 21:19:30.78
>>58 >実際にはアイヌ語と日本語の間には語の借用があるけど基本的に全く別の言語。
それは結局のところ、上の数レスの元である「神=カムイ」と同源の語と言うのも否定するし、そのさらに上の嘘臭い「カムイはアイヌ語で熊の意味であり神の意味であるから日本語の『神』の語源は〜」ってのも含めて丸ごと否定する話だから。
一連のやり取りが丸で終了だねw
都合の良いとこだけ「ここは違う」とか言うのならチラシの裏に書いてろレベルにさw
俺の地元の方言の幼児語で「ノウノウさん」てのがある、水木茂の「のんのん婆とオレ」の「のんのん」とニュアンス的に同じだし、アイヌ語だと地方によっては「花」(雑誌non・noの名前の由来)であったり「玩具」の意味だったりするけども 多くの地域ではアイヌ語の「ノンノ」は日本各地の方言と同じニュアンスなんだよな
62 :
天之御名無主 :2012/11/30(金) 22:55:51.21
なんか頭に血が上ってるみたいだけど落ち着けよ。
先に言っておくけど俺はこのスレに書き込んだのは
>>58 が初めてだからな。
>それは結局のところ、上の数レスの元である「神=カムイ」と同源の語と言うのも否定するし
それで構わんだろ?何か問題でも?
君は
>>46 で
>…は、さておき〜かなり待ったつもりだがスサ=クマの根拠は無いんだと判断させて貰います〆
と書いてるし私もそのことに異を唱えたつもりはないぞ。
で、私が答えたのは
>>49 のイオマンテの語源に関する疑問
そもそも「カムイはアイヌ語で熊の意味であり神の意味であるから日本語の『神』の語源は〜」
というのを擁護するつもりならレスアンカーは
>>49 ではなく
>>41 につけるわw
自分が書いたことの一部が否定されたからといって、
自分で〆た話を引っ張りだして揚げ足取りするのはいかがなものかと。
要は君がイオマンテの語源が日本語で説明できるなどという
怪しげな話まで筆を滑らせなければよかったという話。
>>59 >琉球語とアイヌ語の共通点が言われる場合がある
学術的に認められていない。
最初に真面目なことを書いて
どさくさ紛れに変な内容書いて怪しげなことまで事実であるように語るのは
似非学問の常だからな。
>>41 でイオマンテの話を出してチラシの裏に書いてろレベルの片山龍峰説を
布教しようとしたのに失敗してさぞお腹立ちなんだろw
面白いことを言う人達だなw じゃ日本語の古語とアイヌ語には借用レベル以外に関連はないとして どちらの文化にしても借用するまでもなく持ってる「神」に対して聞くが、日本語の「神」ってどういう成り立ちの言葉なの?
例えば「i=それ」で、髪だって「上から・覆う・それ」でカミだよね。iの用法が「それ(神聖ではない場合も使う)」になってアイヌ語よりになるけど、カムイの説明と同じに説明出来る。
>日本語の「神」ってどういう成り立ちの言葉なの?
「神」という言葉は自由形態素。
>>66 上代特殊仮名遣いって知ってる?
音声学の分野だと奈良時代以前の音では、
神はミの音が乙類、髪はミの音が甲類に分類されて別物。
両者の成り立ちを同じ形態素で説明した時点で、
片山龍峰説支持者は現代仮名遣いしか理解してないことがわかる。
まあゴロ合わせ、言葉遊びのレベルだね。
さて、かなり待ったつもりだが
神という語がアイヌ語由来だとする根拠は
>>66 のこじつけ程度の説明しか無いんだと判断させて貰います〆
69 :
天之御名無主 :2013/01/29(火) 13:20:10.75
>>66 は完全に屁理屈だろ。
日本の名詞、固有名詞をアイヌ語から説明するとかいう場合、
全てを否定するわけではないけど相当な注意が必要。
例えば、このスレでも何度か出てきてる富士山アイヌ語起源説についても
昭和7年の時点で金田一京助が北奥地名考という書物の中で明確に否定してる。
以下、参考に引用。
若し語原が、説者のいう如くアイヌ語のhuchiであったならば、国語にクヂ(またはクジ)となっていた筈で、
国語にハ行音でフジとなる為には、その語頭音は必ずやpかfでなけれだならない。
それは上代の国語の音には[h]音がなく、外国の[h]音はこれが為にみな[k]音に取り込まれる例であったからである。
現今のフジであるからとて、huchiをその語原に見立てたのは、国語の音韻史を無視した失考だった。
70 :
天之御名無主 :2013/02/11(月) 06:18:03.25
和人がアイヌ模様をファッションにしたら怒られるべか? 絶対、イカすと思うんだが…
何がだめなんか。好きにすればええが。
>>69 かなりに了見ふかいですね。
ぜひ弁論ひろげてもらいたい。
75 :
天之御名無主 :2013/03/07(木) 12:53:35.55
冬は雪に閉ざされたような生活を強いられると思われるんだけど、 それで保存食として鮭なんかの恩恵を受けてたんでしょうけど、 内陸の部族の人は塩をどうやって調達してたんですかね?
76 :
天之御名無主 :2013/04/10(水) 02:06:47.80
どこまでが本当なんだ?
4/2から東京 駒場の日本民藝館で特別展「アイヌ工芸-祈りの文様」開催
78 :
天之御名無主 :2013/04/29(月) 19:23:58.50
「シヤウレンテ」「ヲルハウシ」ってカッコイイ響きだけど 日本語でどう言う意味? あとサムスピのナコルルって本当はナコェルエルって 発音するって本当?
79 :
天之御名無主 :2013/05/20(月) 16:53:18.90
ざっと読んだ。 日本語・アイヌ語同系説が瞬殺されててワロタ。
じゃ、日本語と同系なのはやはり韓国語ということだな。 同系じゃないという人が強烈に反発していたが、google chrome の翻訳機能が充実してきたので、 各国の wikipediaを翻訳して読んでみると、韓国語の wikipediaは無茶苦茶素直に読めるぞw
ここはアイヌスレだからな、 韓国語と日本語の関係性を論じたいなら他所でやってくれ
82 :
天之御名無主 :2013/05/27(月) 23:19:39.25
>>70 近々、アイヌ文様が流行るような気がするけど、
スカートには抜群に良いだろし、シャツの柄でも良いし、柄を細かくしても良いね、
なんとなく大きな柄が流行そうな気がするし、
ボクサーのガウン トランクス 体操 サッカー 卓球 なんでも使えてインパクトを与えられるし、
アイヌ文様は原野に一生暮らす原住民とは思えない高度文明的な文様、
色彩的に自分は好みだし、
外国の人達にしてみれば日本 チョンマゲ、忍者、芸者、
アイヌ知らない人が多いと思う、
アニメも良いけど、服飾で日本古来の良いものをもっと海外に発信すればいい、
アイヌの写真を見れば威厳ある風貌、おおらかさが現れてるし、
>>79 それはそれで「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」とか言ってたバカの否定でもあるから
コトの発端になった「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」が否定されてるなら、「それ違う」言ってた方は、否定されても結果においては目的を果たしてるって時点で面白いわなw
熊送りはアイヌ、ツングース、サーミでもやってる。
>>83 その論争の中で日本語アイヌ語同系論者が怪しげな語源論を展開した結果、
労せずに同系論を瞬殺できた日本語アイヌ語別系論者は笑いが止まらない訳だ。
別系論者にしてみれば、神の語源が熊であろうとカム+イのどちらであろうと
同系論という点では一つ穴の狢。
それが勝手に潰し合ってくれた挙句、
勝った方ですら日本語の音韻の変遷の知識を無視した、
こじつけ程度の主張しか出来ていないことを示せたわけで
完全に別系論者が漁夫の利を得て一人勝ち。
なるほど面白いわな。
最近の三、四十年限定でアイヌにもトーテムポールはあるよね。
88 :
天之御名無主 :2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
♪〜トーテンポールの二番目の顔〜♪
熊祖はエヴェンキとかツングースっぽい。
エヴェンキの要素が強いのって、朝鮮人の血が濃い関西人の方なんじゃないの?
そもそも熊襲とアイヌ関係ないじゃん スレ違い
92 :
天之御名無主 :2013/09/10(火) 14:14:47.46
梅ちゃんの「イヨマンテの夜」最高だったぜ!
日本語とアイヌ語が同系統とか頭おかしい
94 :
天之御名無主 :2013/09/18(水) 11:52:41.77
95 :
天之御名無主 :2013/09/20(金) 12:29:39.75
アイヌ文化は韓国起源
96 :
天之御名無主 :2013/09/22(日) 00:18:39.90
日本のことより 韓国!韓国!韓国!韓国!
あーあ、
>>80 が韓国起源論とか言うから・・・。
ほんとダメな子だ。
98 :
天之御名無主 :2013/10/05(土) 06:39:06.61
1000年前から京鎌倉江戸とみてきたはずなのに 武家政権やモンゴル帝国を見てきたはずなのに それに模した世界観をしらないんだけど 一般人が知らないだけ 織豊時代や江戸期や明治期の高度成長をめのあたりにしたんじゃないのかな たとえば北北海道や樺太や千島に5万都市つくってたら 松前が攻め込んだのかね 他者からみれば1000年和人との交易がベストで生きてきたようにしかみれないが そんなに過酷なら北方に逃げだしたんじゃないの 元や明とむすびつくだろうし 本気の危機感が(和人のとってのアヘン戦争や黒船みたいな)感じない
日本語でおk
101 :
天之御名無主 :2013/10/07(月) 23:55:49.20
北海道におけるアイヌ人みたいに、朝鮮半島の南側一帯の先住民である倭人から 土地を丸ごと奪って国を建国した韓国に抗議して、謝罪と賠償と国土の返還を請求しよう。
102 :
セイロン紅茶 :2013/10/09(水) 20:19:01.86
突然書き込んでスミマセン。 妖怪ってどう思います?(女の妖怪。例えば、お岩さんとか。)
お岩さんは妖怪じゃなくて幽霊な。
う〜みゅ 申という字が熊を示し得るか否かって観点だと在り得る事は在り得るんだよなw アイヌ云々での考察が正しいかは兎も角としてw
しつこい アイヌと関係ないならよそでやれよ
■日本人(モンゴロイド)が差別される理由〜人種差別の本質は容姿差別〜 皆さんはダウン症をご存知でしょうか?染色体異常が原因と思われる病気で、身体、 知能の発達が著しく低くなります。この病気は世界中で見られるのですが、とても奇妙な、 そして興味深い特徴があるのです。それは、この病気を持って産まれた人はいかなる人種でも、 皆同じ顔をしていると言う事です。そして、その顔とはまさにモンゴロイドそのものなのです。 欧米でも中東でもアフリカでもモンゴロイドの顔をした人がしばしば産まれているのです。 そのため、外人はモンゴロイド顔にとても敏感なのです。 勿論、周りの人はそれが遺伝子に異常を持って産まれたであろう事を知っていますが… これは同じモンゴロイド顔をした日本人同士が議論していても決して理解できる物ではありません。 ■「ダウン症候群」=「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」 ダウン症は、1866年に英国の医師ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが初めてその存在を発表しました。 ダウン医師は発達の遅れを持つ子供の中に両親は違っていても、兄弟のようによく似た子供達が いることを発見しました。ダウン症の特徴は、モンゴリアン(蒙古人)の特徴とよく似ていることから、 ダウン医師はヨーロッパ人の中で能力の劣った蒙古系の人種が生まれてきたと考えました。 そしてモンゴリズム(蒙古症)という名を付けたのです。その後、1965年にWHOによって ダウン医師の名前から「ダウン症候群」を正式な名称とすることが決定されました。 ■ダウン症の特徴はモンゴロイドの特徴 ダウン症の容貌の特徴に短頭・首が太く短い・低身長・短い手足 凸凹してない平面顔・筋緊張低下・内眼角贅皮(蒙古ひだ)・厚いまぶた 平坦な鼻根・あごが未発達・エラなし・直毛… 全ての特徴が現れる訳ではありませんが、モンゴロイドはダウン症の特徴が多く集まっています。 コーカソイドでも、この病気を持って生まれてくるとモンゴロイドのような顔になります。
110 :
天之御名無主 :2013/11/10(日) 10:56:47.17
>>66 みたいに自信満々に嘘書かれると信じる人も多そうだな
(幸運にも今回は
>>67 であっさり反論されて恥を晒してるけど)
一番の問題は同祖論の人が自己弁護のために
捏造した語源論や韓国起源論みたいな支離滅裂な書き込みしたことだが
111 :
天之御名無主 :2013/11/11(月) 19:47:24.60
上代特殊仮名遣いと言っても、転訛とかがあるから万能じゃないけどな
アイヌ文化と言えば銀の雨降る降るとか 木彫りのクマとか木彫りアイヌ人形とか 最近のアイヌ少女の横顔木彫りは昔からあったのか? コロポックルの神話とか トンコリやらはテレビで見たが アイヌがクマの保護を訴えないのはおかしい クマとは仲良しのはずだ
木彫りの熊ってのは、徳川の殿様の子孫が、北海道の人の冬の副業に彫らせたのが始まりとか…。
>>113 そのわりには本州であまり見ないな
北海道の土産物屋にしかない
そういやアイヌの博物資料でも楽器はあるけど模像は見ないし、像を作ってたという説も見たことがない 木彫り細工は比較的新しいんだろうね つまりアイヌは偶像崇拝を一切排した純潔のラb……おっと、誰か来たようだ
スイスのまねっこだから 本土に置いてないと言うのは理屈になってない 土偶作れば売れそうなのに 土偶欲しい
土偶は一部を壊して埋めるのがデフォ。それで、縄文人は厄を祓ったのだろう。 一番有名な土偶である木造村の遮光器土偶(デニケンが宇宙人と名指ししたものw)が右足が無いからと、重文なのは解せない!! ハート型土偶や合掌土偶は壊されていないから国宝なんだよなw やっぱり、土偶と言ったら何と言っても遮光器土偶だべ。アイヌ文化の基底文化と繋がっている。
草生やして面白いこと言ってるつもりなんだけど 支離滅裂すぎて全く理解できない
122 :
天之御名無主 :2013/11/13(水) 22:07:36.32
中世にアイヌの人々が北海道に出現するまで、700年以上も北海道の主で先住民であり 当時の本州側の文化や生活様式との共通点も多々あった縄文系の擦文人の人々は 何でアイヌ人が現れたら突然、北海道から消えたんだ? アイヌは縄文系だとの説をことあるごとに全否定し、アイヌは日本人とは完全に別の民族だとやたらに強調する人は、 そのあたりをどう説明出来るのだろう。アイヌが擦文人から北海道を奪い取ったとでも言うつもり? アイヌは擦文ほか縄文系からの分派進行型だと思うのだが、そうじゃないならアイヌは擦文から北海道を奪った侵略者か? 中世に至る迄の長い間、アイヌの人々は一体どこで何をしていたのだろう。てのが余計に謎になるんだが…
>>122 消えてなくて中世に世界的な寒冷化で北海道が狩猟生活のみになった時に
より北方の住民と文化融合が有ったと思われる
あと気になるのが義経の存在
アラスカでエスキモーとユダヤ人が混血しまくってたらしい その辺が北海道の情勢に関連しているのでは
つまりアイヌは縄文系の一派であった擦文人とオホーツク文化人との融合型かいな? なら納得。でもその場合、アイヌは縄文人とは関係ない。全く日本とは関わりのない別の人種民族だったんだ って話は真っ赤な嘘なのか。反日プロパガンダ的なさ。
単に文化で区分しているだけ。人種で考えると、アイヌは縄文文化の後継者。
>>126 は妄想。
>>122 >中世に至る迄の長い間、アイヌの人々は・・・・・・・・
東北・北陸地方各地に残るアイヌ語系地名からみて、本州にも
分布していたが、西方から東進してきた倭人集団に吸収されたのだろう。
アイヌ語地名説は慎重にあつかう必要があると思う。 盛岡の菅原進氏なんかアイヌ語地名で高い本を出しているようだけど…、彼の解釈をみると納得できるコトも多いんだけど 外しているなあと感じるトコは、まあ一部なのだろうが、彼の説が引用されるととっても「目出つ」んだよね。違和感持っちゃうよ。 労作な分だけもったいないなーと思う。
135 :
天之御名無主 :2013/12/07(土) 09:42:32.01
>>122 何をもって縄文系とあなたは呼んでいるの?
擦文人が縄文系であれば平安の関東人だって関西人だって縄文系だよ。
だいたいmtDNAからみると北海道縄文人は本州その他の縄文人と明らかな違いがる。
アイヌは10世紀前後に北海道道東道北でオホーツク人と混在していた部族が南下し、
全道に拡散したのがその起こりだよ。それを単純に縄文系とよぶのは間違い。
>>131 10世紀以降の道東のアイヌ系が「日の本」と呼ばれていたが彼らは東北と交易し、
諸点ももっていた。地名が残ってるのはそれが原因。だいたいアイヌ語と縄文語は別だよ
136 :
日本人だけではなく、アイヌにまで偽装する朝鮮人 :2014/02/28(金) 16:30:55.39
チロンヌプカムイ
アイヌにおいてキタキツネを顕現体とするカムイ。
「チロンヌプ」とはアイヌ語で「キタキツネ」を意味すると同時に「われら(アイヌ人)がどっさり殺すもの」という意味もある。
つまり、数も多く捕獲することがあまり危険でないキタキツネは、アイヌ人に狩猟対象として身近な存在であった。
アイヌ人も世界の人と同じように、キツネという動物をずるがしこく、悪知恵を使って人を騙し、また少々間が抜けていて人に騙し返されるような生き物だと考えていた。
http://wwwc.pikara.ne.jp/worldsend/fantasia.html したがってチロンヌプカムイは主人公として神謡に登場することもあった。黒ギツネのカムイは特にシトゥンペカムイと呼ばれる。
137 :
天之御名無主 :2014/06/16(月) 19:41:21.71
アイヌは縄文系だと思う。 結構本が出ています。
アイヌの子孫(数十代続く家系、父親が北海道)の男性と大学生の頃お付き合いしたことがある 結婚したらお墓だけは一緒に守ってほしいと言われた 寝る前に必ず自然と先祖への感謝を唱えていて質素な生活を好んでいた これは子供のころからの習慣だと言っていた 身長183cm、スタイルよく肌はきめの細かい色白、顔は妻夫木さとしに似ている濃い目の顔 モテる、性格は温厚だけど高校生の時喧嘩で複雑骨折していたので気質的に弱いわけではない むしろ男らしいが繊細さもあり 典型的な縄文顔 父親も俳優の様なイケメンだった
ちなみにそのアイヌ系の男性の血液型はB型 縄文系がB型、渡来系がA型という情報を最近知った 経験的にそうかもしれないと個人的に思っている
紀元前から半島には倭人が居住していました。 その後560年頃まで任那や狗邪等の倭人国家が存在しています。 【実際は多民族な半島】 当時の多民族地域である半島 (当時の半島の人口は日本の数分の一で特に人口密度が低い地域。そこに中国系の棄民(渡来)20万や、倭人国家、現在の満州族に近い高句麗・百済人の渡来、更に北方系の少数民族、中国南方からの渡来と2桁以上の民族が渡来する完全な混血地域) 元々人口密度が低かった為、先住の倭人や北方系・中国系の少ない地域に各地からの難民等が流入・渡来しました。 【大規模な混血と他民族支配】 これらの民族に更に時代が下り、李氏朝鮮時代に女真族(モンゴル系)が支配するにいたり大規模な混血が発生します。 現在の朝鮮人の顔(未整形)がモンゴル人にそっくりなのはこの頃のハイブリッドが原因です。(その後、元にも支配されます) 2世紀遅れの純血思想・民族主義に酔っている朝鮮民族(韓国人)は 言わば正真正銘・混血民族でしかも近年においてモンゴル系による塗り替えを経験しています。 【古代に存在しない朝鮮人】 朝鮮民族の成立はおよそ1000年前と新しく、彼らが主張する古朝鮮民族というのは、 倭人・中国人・満州系・その他多民族を指す言葉です。古代に朝鮮民族が存在したのではなく、 現在も存在する他民族が半島にごった返していた状況に民族主義を無理やり当て嵌めたのが古朝鮮民族という捏造の人種です。 在日朝鮮民族が好む「古代半島の朝鮮系が・・・」と言うセリフは、過去に朝鮮民族が存在していないため〜系とぼかしを入れた表現です。 実際には朝鮮系すら存在せず、他民族がそれぞれの民族史を作り上げていただけです。 ちなみに、韓民族という人種は現在の韓国人とは全く別人種です。過去中国中部・北部や半島に存在しましたが、この民族を近年の朝鮮民族が偽称して盗用しているだけです。 ですので、本来の韓民族≠現在の韓国人、となります。
141 :
天之御名無主 :2014/06/19(木) 01:23:00.94
アイヌは黒狐をシトムベカムイと呼ぶらしいけど、 一応神扱いということ? 本州の化け狐の類とは違うの? アイヌは本州と比べて、神や妖怪の区別がますます曖昧になっててややこしい
原始日本人であるアイヌが沖縄と北海道に集中しているのは間違いないと思う
沖縄にアイヌが集中しているとか頭おかしい それに原始日本人も何もアイヌ民族の成立は鎌倉時代後期になってからだぞ
(こういうのに触ってあげてもイマイチ延びないあたり過疎板を実感する
そうやって、煽ってわざとスレを伸ばすって2chの典型的行為に、皆飽き飽きしているんじゃないの?
狩猟採集民ということで アイヌ人に平和的なイメージ持ってる人多いけど全然そんなことないよな。 民話だと相当な比率で自分の部族滅ぼされた子供の復讐譚とかだし。
縄文人=アイヌという誤解がいまだにあるのね
148 :
天之御名無主 :2015/01/27(火) 01:26:59.77
>>146 >狩猟採集民ということでアイヌ人に平和的なイメージ持ってる人多い
中国と接した狩猟採集民=女直
日本と接した狩猟採集民=アイヌ
商品植物を採集し、
商品動物を狩猟する、
商業民族だぞ
149 :
天之御名無主 :2015/01/27(火) 02:09:20.96
151 :
天之御名無主 :2015/01/30(金) 17:19:49.62
152 :
天之御名無主 :2015/01/30(金) 21:06:55.45
アイヌのDNAから白人の痕跡なんて見られない
153 :
天之御名無主 :2015/01/31(土) 22:01:18.08
N系統居るだろ
154 :
天之御名無主 :2015/01/31(土) 22:12:21.04
N系統は南方由来
155 :
天之御名無主 :2015/01/31(土) 23:24:34.00
>>154 ガガーリンは南方系なんだね
南方系って言い方アバウトだよな
ロシアより北は無いんだしバカっぽい
156 :
天之御名無主 :2015/02/01(日) 00:55:31.70
NOからN系統とO系統に分岐したんだろ
157 :
天之御名無主 :2015/02/01(日) 15:57:52.56
明治維新前後の写真のアイヌの人々見るとインド人ぽいというか、けっこう南方系をイメージする顔つき
158 :
天之御名無主 :2015/02/01(日) 16:16:09.20
159 :
天之御名無主 :2015/02/01(日) 18:17:14.79
>>157 日本海側が沖縄やインドっぽいオホーツク側は白人ぽい
海流が影響してるのかサハリンから南下しやすい流れはオホーツク側なんだよね
陸路が無くなってからは船だからかな?と予想
ビックリするほどの美人は東だな
なるほど
161 :
天之御名無主 :2015/02/03(火) 15:54:28.60
162 :
天之御名無主 :2015/02/03(火) 20:40:31.48
アイヌ民族解放運動を担っているのは、北朝鮮シンパの自主の会(主体思想信奉者)メンバー
163 :
天之御名無主 :2015/02/09(月) 22:46:49.88
アイヌの一系統サルンクルに就て
http://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/47/4/47_4_137/_pdf 奥茶Aイヌとサルンクルとの關係
サルンクルには所々に祖先が本州の南部領から來たといふ傳説を傳へて居る。
私は勇拂郡累標のアイヌ部落を調査した時(1931年7月)同地のアイヌの古老から、先祖は南部から來たといふ傳説があるといふことを聞いた。
叉長年日高に居た太田岩太郎氏が拙宅を訪れられた時(1931年3月)昼(ハクチ)のアイヌには、
青森縣打越(ウテツ)から來たといふ傳説が殘つて居る旨御ヘ示を得た。
吉田巖氏が亡父河野常吉に宛てた手紙(大正7年)にも、幌去アイヌ「テマンナ」と云ふ者の祖先がシヤモ地から來たといふ言ひ傳へがある旨書いてある。
同様の記事は古文書にも散見する。例へば東蝦夷日誌第三篇七月三日の項に、
「ホロサルに宿、此村昔十勝より來りし者と津輕の宇鐡より來りし者の子孫なりと、今に乙名また外の家等にも持來りしと云ふ種々の寳物有と」
山崎某の東蝦夷地紀行(文化3年)には、「宇鐡の夷は此サルより來れりとなり、
夷人に之を尋ぬるに津輕の夷は元此サル川目の惣乙名なりしが、故有て爭論起り雌雄を爭ひしが、
终に軍に負けて一門徒類を引連てエソが嶋に住居叶はず遠々日本國津輕宇鐡と云處へ迯渡りたるよし老夷申傳へたりとなり、
共夷のウタレ(家來ないふ)の子孫今酋長となりて甚だ富貴に暮し居るといへり」とある等である。
後者は前者と反對に、宇鐡のアイヌがサルから渡つて行つた様に書いてあるが、南部アイヌと血族であるといふ點では變りない。
前出累標(ルペシベ)・幌去(ホロサル)・沙流・昼等は何れもサルンクルの分布區域であり、
この様な傳説はサルンクルのみに限られて傳つて居るのであつて、他のアイヌは全く知らない様である。
事實の有無は輕々しくは判斷出來ないが、少くとも昔時奥茶Aイヌとサルンクルの間に密接な關係があつたことは想像出來る。
164 :
天之御名無主 :2015/02/09(月) 22:47:38.99
サルンクルと他のアイヌとの鬪爭 サルンクルは古くから和人と親密であつて、周園のアイヌとは犬猿もたでならぬ仲であつた。そして周團の諸分派と常に爭を績けて居た。 著名な寛文の亂に於けるオニヒシー族はサルンクルの精英であり、 その敵方染退のカモクタィン、シヤクシヤインー族は釧路厚岸等に分布する海岸地方メナシクルと同一系統に屬する。 トカチアイヌとサルンクルが仲が悪いてとも有名で、これに關する多くの言ひ傅へがあり、 nR秘府にも明和7年(1770年)に十勝と沙流のアイヌの爭のことが書いてある。 シュムクルと著しい爭をしたことは知られて居ないが、文化年間にイシカリアイヌとイサリ、 ムイサク兩河の間のウラエ(地名)の領有に關する論爭があつたことは「蝦夷人ウラエー件」として知られて居る。 その他、バチェラー氏もアバシリ地方に行つた時、サルアイヌと間違へられてアバシリアイヌにはづかしめられたことがあるといふが、 現在でもメナシクル、ぺニウンクル、シュムクル等のコタンを訪れる時サルンクルに對する侮蔑の言葉を何處でも聞くことが出來る。 西エンヂウとは近接して居ない爲かあまり仲が悪いこともない様である。
165 :
天之御名無主 :2015/02/09(月) 22:48:28.19
其の他 前述の様にサルンクルは周園のアイヌの諸分派と著しく異なる多くの特長を有し、且他のアイヌから嫌はれて居たのであるが、 サルンクルの文化は、少くとも金屬期使用時代に入つてからは、他のアイヌのそれに比して著しく高かつたのである。 その分布區域が溫暖な氣候に恵まれ、従つて魚介が豊で、冬は鹿が群をなして集る等、天産物が豊富であつた爲に人口の稠密を導いたことも、 サルンクルの文化を高めた所由であらうが、彼等が早くから原始的農業を營んで居たことや、奥鋳n方との交渉も看過することの出來ない要因であらう。 北海道に於けるアイヌの農業は、古文書によれば、昔時はシュムクル及びサルンクルのみに知られて居り、メナシクルは全くこれを行つて居なかつた。 シュムクル及びサルンクルが原始的農業を營んで居たことは、その居住地域が内地に近かつたことより判斷すれば、 奥忠レ夷叉は和人から習得したとも考へられるが、他面、若しサルンクルが奥窒ゥら北海道に移住したアイヌであつて、 その移住前に既に奥窒ナ行つて居た農業を、移住と共に北海道に持ち來つたのであり、シュムクルは始め農業を知らなかつたが、 その分布區域の關係上、移住後のサルンクル叉は松前地方から農業を學んだのではあるまいかといふ疑念も生ずる。 現在に於ける北海道アイヌの人口の半ばを占めて居るのはサルンクルであるが、他のアイヌが急速に衰亡して行くのに反して、 分布區域も狭いサルンクルの燭り減少の度が著しく少ないのは、サルンクルが他のアイヌと體質が異る點にも起因するであらうが、 寧ろその最大の原因は、彼等が早くから原始的農業に慣れて居た爲ではあるまいか。 卽ち、農業と茶食に不慣れな他のアイヌは、食物の急變と生活状態の急激な變化に堪へられす、健康の度が急速に低下したが、 サルンクルは早くから原始的農業を營んで居た爲に、この點ではあまり大きな打撃を受けなかつた爲ではなからうか。 その他サルンクルは他のアイヌに比して毛が少なく、又細長い顔の型が多い等肉體的にも異なり、 又刺墨、文様その他の風俗習慣にも幾多の相違を見出し得るが、私の氣のついた大き特徴は大略を述べ得たから論及しない。
166 :
天之御名無主 :
2015/02/09(月) 22:49:19.70 要するにサルンクルは北海道に於けるアイヌ中、特殊な一系統を形造つて居り、他の諸分派の中に楔狀に割り込んだ島の様なもので、 少なくともある時期の間他のアイヌ、シュムクル、メナシクル等とは交捗の少ない地域に隔離して居たらしいことゝ、 奥茶Aイヌと密接な關係を有するのではあるまいかといふ疑念を述べて、今後アイヌを研究せられる人々の御注意を乞ふ次第である。