新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。
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島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。
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島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html 惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。
伊邪那岐命の十握剣から生み出された人間が・・島族だった・・。
>>108の訂正。
豊受大神の祖神、火之迦具槌神からみたい・・。
豊受大神=国常立命=天之御中主神は、渡来系島族の島津の祖が秦氏で秦が漢族だから、盤古=で、国常立命と言う観念だな・・
伊勢神宮の中臣氏の本姓が伊勢志摩氏で島氏・島族だったのなぁ・・
伊勢津彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B4%A5%E5%BD%A6 伊勢津彦(いせつひこ)は、『伊勢国風土記』逸文内に記述される国津神で風の神。
元の名を出雲建子(イズモタケコの)命、またの名を櫛玉(クシタマの)命
三韓征伐 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90 神功46年以降[編集]神功46年以降は『百済記』が構文されている。
神功46年(246年または366年)3月1日、斯摩宿禰を卓淳國に遣す。
卓淳王の末錦旱岐は、百済の久?(くてい)、弥州流(みつる)、莫古(まくこ)らが日本に朝貢したいと斯摩宿禰に伝えた。
斯摩宿禰は、爾波移(にはや)と卓淳人の過古(わこ)を百済に遣した。百済の肖古王(近肖古王)は喜んだ。
王は財宝を贈り、また蔵をみせて、これらを朝貢したいと爾波移に告げ、のち志摩宿禰らは日本へ帰還した。
翌年4月、百済は日本に朝貢した。
神功皇后49年(249年または369年)3月には、神功皇后将軍荒田別(あらたわけ)及び鹿我別(かがわけ)を卓淳国へ派遣し、
新羅を襲撃しようとするが、兵の増強が進言され、百済の将軍木羅斤資と沙沙奴跪(ささなこ)と沙白(さはく)・蓋盧(かふろ)らに合流を命じて、新羅を破った。
比自[火+保](ひじほ)、南加羅、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
さら西方に軍を進めて、比利(ひり)、辟中(へちゅう)、布弥支(ほむき)、半古(はんこ)の四つの邑は抵抗もなく降伏した。
神功51年(251年または371年)3月、百済は久?を派遣し、日本に朝貢した。
神功52年(252年または372年)9月10日、百済王は、百済と倭国の同盟(済倭同盟)を記念して神功皇后へ七子鏡と七枝刀を献上した。
なお、七支刀に彫られた「泰和四年」は369年ともいわれ、この場合、百済が朝貢していた東晋の年号太和4年とされる。
国造 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
要するに、藤原氏秦氏説の実態だな。
そして、中臣の祖が、天之御中主神だからね。
豊受大神=国常立命=天之御中主神な訳だ。
中臣島族は、藤原麻生氏と似てる家系だな。
弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。
※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。
九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。
秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F
>>115訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
大陸の秦朝は、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。
こういうのってほとんどでたらめでしょう
122 :
天之御名無主:2014/05/01(木) 00:01:47.31
>>80 戦国期には北畠家臣福山出雲守、福山越後守
尼子家臣福山次郎左衛門茲正、福山肥後守、福山綱信などそうそうたる武将が
江戸期には徳川家康家臣の福山月斎、島津家臣、細川家臣、黒田家臣、高槻藩士の福山氏
又、越後新発田藩主溝口直薄側室の福山氏稲美
高槻藩主土岐頼行側室の福山氏、越前福井藩主松平重富の側室福山氏
これだけ排出していて出自が不明とか不思議ですよね。
宇多源氏佐々木氏族、清和源氏氏族、藤原氏族、惟宗姓伊集院氏族
の四系統があるとの根拠に乏しい説もあるようですが
徐福の末裔とかは余りにオカルトですよね。
124 :
創価fromにしごり:2014/05/04(日) 20:43:17.96
対馬・島根・伊勢志摩の地名の由来が島族が由来。
武蔵国造家も島族=出雲族で出雲族の開拓地。
諏訪大社と鹿島神宮は出雲族の健御名方命の末代。
>>126は
伊勢神宮・諏訪大社と鹿島神宮の官職・中臣氏の事
>>123は×
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
A物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。
天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神)
>>128の事を調べた結果。
どうも、A物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
>>106>>107 友人の姓名が含まれているのですが<島○
彼女の祖父は日本で数名の「キリスト教の大司教」でした
優秀な医者家系です 顔もギリシャ人のような彫の深い美人です
キリスト教関係なので秦氏・安曇氏あたりなのかもしれないです
>>130 島津氏は、惟宗氏で、秦の始皇帝七世、弓月君の末代だからね。
武内宿禰の家系の末裔、葛城氏・紀氏の蘇我氏も島族で、島大臣名乗ってるよ・・蘇我馬子
綿津見大神=天照大神の皇統氏族・天穂日の出雲族や大国主命の神門臣島族の近縁を名乗る事で、権威を示していると思われる。
海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族
大陸・半島で斯摩宿祢と縁を結んで渡来したのが、三国志覇者の晋国の司馬氏なのかも・・
弓月君が渡来し、応神天皇を頼ったのも、徐福氏が時の天皇と、大国主の神門氏を呑も込んで支配に成功した出雲族としって、渡来してのかもね。
薩摩人の島津氏と惟宗島津氏に血縁無いと聞きました。
薩摩の島津氏は、薩摩国が惟宗島津藩領で、荘園制度で薩摩人が島津を名乗ったと聞きました。
140 :
天之御名無主:2014/10/19(日) 14:47:11.65
アゲ
141 :
天之御名無主:2014/10/25(土) 09:43:56.44
(;´Д`)江戸時代の呑百姓が明治維新で住所を苗字にしたのとはどうやったら見分けがつくのでしょうか御教授下さい
142 :
天之御名無主:2014/10/29(水) 15:28:57.09
>>141 見分けはつきません。
でも大半はその土地に昔から住み着いていた人しか土地の名前をつけてはいないんじゃないでしょうか。
そういう家系は地元でも重要な仕事をしていたり尊敬されている人が多いんじゃないでしょうか。
ただ昔の豪族の名前は各地に散らばって全国に同じ名前の土地が沢山できました。 だから、そのうちの一つの同じ名前をつけたからといって昔の豪族と繋がりがあるとは言えません。
143 :
天之御名無主:2014/10/29(水) 15:37:01.19
なんらかの繋がりがある家系は子々孫々言い伝えられているはずです。 必ずしも真実とは限りませんが。
大抵は家系図が親族の何処かに残っています。
神主とかの家系に繋がっていれば昔の家系の確率は高いと思います。
繋がりが薄いと、明治以降の皇統系譜筋の同じ姓だからと勘違いしてしまい易いのでしょうね。
>>141 その土地の近くに住んでいるのであれば墓を見ればある程度わかる。 古い家系であれば先祖代々一族が使う墓の集落が有ると思う。
例えばうちの一族は勿論同じ名前の墓がずらりと山一面に建てられている。
段々土地も少なくなっていくので何十年も墓参りにも来ないで放置されている墓はまとめて祖廟に移されている。
祖廟を持つ家系と言うのも珍しいとは思うが。 江戸時代より前の墓も祖廟に移されている。 毎年先祖祭りも行っている。
146 :
天之御名無主:2015/02/19(木) 14:29:00.30
飛鳥時代の仏師の鞍作止利(鳥)は姓は村主氏で渡来系の人だっけ?
147 :
天之御名無主:2015/02/20(金) 15:04:20.60
鞍作止利は中国からの渡来人の司馬達等の孫みたいだね。
古代は結構渡来系を名乗る家系も多かったみたいだね。
渡来系はエリートだったのかもしれないが。
村主でおもいだした。古代大友家の姓も村主だったな。もちろん渡来系
150 :
天之御名無主:2015/02/22(日) 00:09:48.32
藤原氏はよく目にする
天皇家に近い?由来に出て来る家系である
忌部系・物部系などいろいろあり過ぎて、バカな私にはまだ理解出来ていない
何故、藤原にしたのか。ふじわら・ふじはらの語源が分からない
富士は安易であり、藤原には通じない
鈴木も同じで、語源が分からない
日本の根拠地から発展した地域には同じ名が並び、根拠地を不明にするが
藤原も鈴木も根拠地には未だ見つけれ無い。地元民に頼るしかないのか
地図に存在しない地名が必要である
その他なら幾らでも説明できる地名が存在するのに
想像が足りないのだろうか
ここは間違い無く日本発祥の地である事だけは譲れ無い
古事記が現実である場所である
>>150 藤原という土地にその昔お姫様が住んでたんだよ。
高取(波多郷)、橿原市の辺り。
そこに藤原氏の祖先が住み着いたという話。
152 :
天之御名無主:2015/02/24(火) 15:17:31.79
古代の渡来人はエリート意識
153 :
天之御名無主:2015/02/25(水) 16:09:12.49
藤原。
一説にホゼワラ。百済倭国ホゼ・ワラ(倭国の百済)。
一氏族の姓が一時期とはいえ我が国の首都の名(藤原京)になるのは異常な事。
中臣氏の内、藤原を名乗れたのは結果的に本宗家筋のみ。傍系は藤原から中臣に戻された。
154 :
天之御名無主:2015/02/25(水) 16:20:22.22
藤(フジ)という文字と読みは我が国には元来なく、
同じ蔦植物の葛(カツラ、クズ)をもって表していた。
葛(弦植物)は龍蛇神様のトーテムで葛木族とはその龍蛇神様(天神)を信奉する者たち。
葛クズをクスとして同じような木肌の楠木を神木とした?
富士(フジ)山は万葉集に歌われてるよ