268 :
天之御名無主:2013/04/10(水) 02:58:24.94
いわくら
269 :
天之御名無主:2013/04/10(水) 05:34:30.23
ともみ
270 :
天之御名無主:2013/04/10(水) 06:10:06.71
ちゃん
271 :
天之御名無主:2013/04/10(水) 17:26:22.83
かわいい
272 :
天之御名無主:2013/04/11(木) 00:12:29.34
love
>>180 ははは・・
渡来の神、天津神の渡来経緯が韓・新羅渡来だと言うのに・・
百済渡来の神とは、どの神だ・・?
精々氏神レベルだろうに・・つつつ
日本最古の百済渡来と言うと・・桃太郎伝説の鬼・・温羅一族
後、百済渡来なら、多々良場豪族の多々良氏・・大内氏も古いね。
276 :
天之御名無主:2013/06/03(月) 15:44:17.13
277 :
天之御名無主:2013/06/09(日) 15:53:48.61
一説に藤原(ふじわら)はホゼ・ワラで縄文(沖縄やアイヌ語に残る)古語の転訛で、
その意味は、、ホゼが百済。ワラが倭国(どちらも国とか領地の意)。
「百済倭国」、「百済の国」??!
後の奈良(なら)もハングル由来の国の意味、
天皇から賜った一氏族の氏が一国の都の名前(藤原京)に冠せられる不自然さ。
>>277 wikipedia「藤原京」
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。
藤原氏が渡来氏族ならなんだって縄文語に由来する名を名乗るのよ
藤原って皇族のお姫様が住んでた地に一族が移り住んで藤原を名乗り始めたと言うだけだぞ。
藤原は天皇が与えた姓でね?
鎌足が高市郡藤原の出身だったから藤原朝臣の姓を天智天皇からもらったの。
だいたいもともと中臣だろうが
>>282 百済系蘇我氏を遣った藤原氏も百済渡来と何処かの日本史板スレか検索サイトで記載されてるのだが・・
そもそも、各地の古代豪族の総称だったよね・・中臣藤原氏って・・
確か、鎌足の時代辺りだったな、総称日本姓たまわり期って・・
何処かのサイトでは、一例で百済渡来が日本姓たまわり、在原氏となって、一代で出家し、
歌人の平民化したとかなんとかと言ってたサイトあったけど・・
百済渡来の一例的に高野氏とか以前に中臣藤原氏がそうだとすると、百済渡来のクグツ師と同族だとすると
同和に藤原姓多い理由が、東北の藤原南家の藤原仲麻呂=恵美押氏ゆえだけでの同和の藤原氏と言うわけだけでも無さそうだな・・。
完全なデタラメだな
どこかのサイトじゃ話しにならない
藤原の始祖は中臣、中臣の始祖は大鹿島
大鹿島とは鹿島神で鹿島神宮の宮司の家系だろう
さらに遡るとニニギ天孫降臨に同行したアマノコヤネだと言う
多氏と宇佐氏が気になるんですよね。中臣氏のルーツを考える上で。
藤原と出雲は関係ある?
出雲には藤原姓がやたら多いのだ。
>>288 卜部氏発祥の藤原氏とか
悪党・大和朝敵賊軍に括られた蝦夷寄りの一族など奥州勢は皆、出雲管理の国津神に分類されてる。
藤原だと、藤原仲麻呂の藤原南家や藤原北家の奥州藤原氏などだと思う。
ここって能書きすら垂れないんだな。
「調べろ」ばかりじゃん。
偉そうにかますなら、せめて能書きを垂れるくらいはしてくれよ。
空鉄砲を誇示し合うだけなの?w
293 :
天之御名無主:2013/11/22(金) 02:07:34.75
保守
294 :
天之御名無主:2013/11/23(土) 09:23:27.28
もう出尽くしたのでしょう
出雲大社もだが
新羅神社が一番古いから思う。
新羅大明神=素戔嗚尊=天照皇大神崇拝だから・・
諏訪大社の方が古いだろ
大津神社
http://www.geocities.jp/engisiki/hida/bun/hid240201-01.html 式内社大津神社御祭神並御由緒
本社
主神 大彦命 第八代孝元天皇の皇子に坐す
武渟河別命 主神の嫡子
建南方富命 信州諏訪神社御分霊神
境内社
摂社(合祀神社および御祭神)
神明神社 天照大神 鉱山神社 金山彦大神
水波神社 水波能売大神 金山姫大神
秋葉神社 火彦霊大神 菅原神社 菅原道真
大山祇神社 大山祇大神 事代主神社 恵美須大神
墨縄神社 彦狭知大神 猿田彦神社 猿田彦大神
手置帆負大神
飛騨匠御霊
津島神社 建速須佐之男大神
末社
稲荷神社 宇賀御霊代神
木魂神社 久々能智大神
御由緒
当大津神社の創始年月については不詳であるが平安時代の初期頃すでに祭祀されていたことは確かである。
当時の正史ともいうべき文徳天皇実録・清和天皇三代実録に神階昇叙の御沙汰があったこと
また醍醐天皇の御代に編集された延喜式神明帳にも、飛騨国内八社の一つとして祭祀されていたことが記載されている。
中世建武年間に至って高原郷の領主江馬氏は武神信州諏訪大明神を篤く信仰、この時その分霊を勧請し、社号も大津神社から諏訪大明神と改めた。
従って江馬氏は累代にわたってこの神の祭祀を怠らず、崇敬の誠を尽くした。
諏訪大社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%A4%A7%E7%A4%BE 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。
どちらにせよ、国津神土着信仰系なので出雲系統の神社だから出雲大社・・諏訪大社・・天津神系統の伊勢神宮だろうね。
諏訪大社には、秋宮境内社末社に皇大神宮社で祭神:天照大信と豊受大信と八坂社の祭神:素戔嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子神、賀茂上下社で祭神:賀茂別雷神(上賀茂)、玉依媛命・建角身命(下鴨)
稲荷社の祭神:倉稲魂神、大宮売命、佐田彦神と・・新羅系祭神列挙して祭られてる。
八幡社の応神天皇は、出石神社の新羅王子の天日槍神の子孫の神功皇后の皇子で次代天皇。
春宮境内社末社に、上諏訪社で祭神:建御名方神なだけ。
>>299の訂正。
諏訪大社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%A4%A7%E7%A4%BE 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。
どちらにせよ、国津神土着信仰系なので出雲系統の神社だから出雲大社・・諏訪大社・・天津神系統の伊勢神宮だろうね。
諏訪大社には、秋宮境内社末社に皇大神宮社で祭神:天照大神と豊受大神と八坂社の祭神:素戔嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子神、賀茂上下社で祭神:賀茂別雷神(上賀茂)、玉依媛命・建角身命(下鴨)
稲荷社の祭神:倉稲魂神、大宮売命、佐田彦神と・・新羅系祭神列挙して祭られてる。
八幡社の応神天皇は、出石神社の新羅王子の天日槍神の子孫の神功皇后の皇子で次代天皇。
春宮境内社末社に、上諏訪社で祭神:建御名方神なだけ。
厳密には、新羅系統の天津神は、下記の通り大陸渡来の秦国地域からの渡来倭人の信仰神。
新羅大明神は、素戔嗚尊の事で宇迦之御魂神が素戔嗚尊の子神
宇迦之御魂神は、秦氏の氏神
素戔嗚尊は周代の現在の四川省チベット人自治区からの渡来。
自動的に、天照皇大神が素戔嗚尊の姉神だから同地域出身の筈。
秦氏と倭人の民族的交わりは、ほぼ=な血縁なのは、神話から歴史、遺伝的にも明らか。
出雲大社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE 祭神:大国主大神
祭神の変化[編集]出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では
「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。
鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった。
14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」
と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。
また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していた。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、
寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。
これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神に復した。
孫の大国主神と祖父の素戔嗚尊が時代時代で、主神の立場を交代している神社ということだね。
でも、ほとんど、素戔嗚尊神社だね。
祀られてる合祀されてる神々見てると、素戔嗚尊の子孫の神々で大国主神は、その一神に過ぎない。
.
稲荷はイエス・キリストの和名
へブルの預言者であるイエス・キリストの和名であるなり。
【イエスの教え】はへブライのナザレ派であるが、12使徒直轄のナザレ教団と
シリア、トルコ、ギリシャのへブル人が設立したメシアニック教団の二つの流れありなり
古代日本には二つとも伝わったと思うなり。
306 :
天之御名無主:2014/04/21(月) 13:29:32.45
307 :
天之御名無主:2014/06/01(日) 08:35:04.21
紀元前から半島には倭人が居住していました。
その後560年頃まで任那や狗邪等の倭人国家が存在しています。
【実際は多民族な半島】
当時の多民族地域である半島
(当時の半島の人口は日本の数分の一で特に人口密度が低い地域。そこに中国系の棄民(渡来)20万や、倭人国家、現在の満州族に近い高句麗・百済人の渡来、更に北方系の少数民族、中国南方からの渡来と2桁以上の民族が渡来する完全な混血地域)
元々人口密度が低かった為、先住の倭人や北方系・中国系の少ない地域に各地からの難民等が流入・渡来しました。
【大規模な混血と他民族支配】
これらの民族に更に時代が下り、李氏朝鮮時代に女真族(モンゴル系)が支配するにいたり大規模な混血が発生します。
現在の朝鮮人の顔(未整形)がモンゴル人にそっくりなのはこの頃のハイブリッドが原因です。(その後、元にも支配されます)
2世紀遅れの純血思想・民族主義に酔っている朝鮮民族(韓国人)は
言わば正真正銘・混血民族でしかも近年においてモンゴル系による塗り替えを経験しています。
【古代に存在しない朝鮮人】
朝鮮民族の成立はおよそ1000年前と新しく、彼らが主張する古朝鮮民族というのは、
倭人・中国人・満州系・その他多民族を指す言葉です。古代に朝鮮民族が存在したのではなく、
現在も存在する他民族が半島にごった返していた状況に民族主義を無理やり当て嵌めたのが古朝鮮民族という捏造の人種です。
在日朝鮮民族が好む「古代半島の朝鮮系が・・・」と言うセリフは、過去に朝鮮民族が存在していないため〜系とぼかしを入れた表現です。
実際には朝鮮系すら存在せず、他民族がそれぞれの民族史を作り上げていただけです。
ちなみに、韓民族という人種は現在の韓国人とは全く別人種です。過去中国中部・北部や半島に存在しましたが、この民族を近年の朝鮮民族が偽称して盗用しているだけです。
ですので、本来の韓民族≠現在の韓国人、となります。
309 :
天之御名無主:2014/07/18(金) 23:40:20.55
310 :
天之御名無主:2014/07/20(日) 13:01:28.31
林周夏は低学歴のバカ。
311 :
天之御名無主:2014/10/05(日) 14:30:50.55
「社稷を思う」とは、「社稷」を守る ことではなく、「社稷」を興す ことである。
社稷を守る = 祖霊まします この山河、 墓や「家」 の保守 =>自分も入る 墓・墓地が、既にある。
社稷を興す = 自分が初代となるような 土地や「家」 を手に入れる =>自分が 最初に埋葬される 墓 を作る。
神仏習合の時代には 神社(神宮寺を含む) は、単なる 祭祀所 で、墓地の近くにあった。
312 :
天之御名無主:2014/10/07(火) 18:41:20.46
(´・ω・`)あー税金使ったタニタのプログラムさぼったの思い出した
313 :
天之御名無主:2014/10/09(木) 23:30:57.48
インド
神とは紙であり神産みの秘密とは紙産みの
製糸(製紙)技術の秘密。
高度な製糸(製紙)を保有していたのは
日本の神社や平安京を作った秦氏。
つまり糸(ヒト)を紙(神)に変える、紙(神)に記録する
という秦氏自信の製紙(製糸)技術を自画自賛して
秦氏自信の権力の象徴を紙(神)として敬うフリをしたわけである
紙(神)様は偉いと崇拝の対象にすることで
秦氏の持つ紙(神)の利権、製紙(製糸)の利権を独占してきた
わけである。
ようするに神社仏閣とは糸(ヒト)と紙(神)を朝廷に売るための
秦氏の商売道具なわけである
重要なのはおみくじやら、神託やら、ことのりやら
朝廷の神階整理やらで紙(神)を消費させることにあった
わけである。彼らの目論みはかない日本は
秦氏の作る紙(神)無しでは立ち行かぬ紙(神)の国と
なったわけである。
まあ彼らは商売上手であったわけである
神社の起源はアトランティス
>>314 出鱈目。 秦氏と製糸(織物)との関係は文献にも出てくるが製紙との関連は見た事が無い。 どこに書かれてる?
織物の歴史は古いが、紙の歴史は新しい。 5~6世紀にならないと出てこない。 そもそも書く文字が無かったんだから。 それ以前は縄文字を使ってた。
縄文字と木に刻みを入れて通信に使っていた