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天之御名無主:
>殺牛祭祀や人身御供、呪いの儀式
前近代日本というより、百済系渡来人=大和朝廷に敗北した新羅系(ユダヤ系)渡来人の風習じゃないのかな?
新羅系(ユダヤ系)渡来人は百済系渡来人に追われる形で日本海沿岸から南下した。
そうして落ち着いたのが「衣」、「しんら」(新羅)と呼ばれていた地域。
7世紀までこれらの地域で行われていた風習がこれ。
穢れを払うため思春期の乙女(巫女)を生け贄に捧げ、その巫女をシェオル(瀬織)の神として祀る。
コミュニティの外で捕らえられてきた乙女を差し出した場合もあったし、コミュニティの中で乙女の家族に何らかの見返りがある形で選ばれたこともあった。
乙女達は国やコミュニティ、家族のために命を差し出すのだが、このような非道な所行は当然多くの場合には呪いも産む。
その呪いが国に穢れをもたらし、新しい生け贄が必要になる。
このような生け贄の儀式が実在した証拠については「子だが橋」でググるべし。
続き
その繰り返しにとどめを刺したのが国家神道の確立者として有名な持統天皇。
彼女は命がつきる直前に新羅系(ユダヤ系)渡来人の神官を虐殺したとされる。
いわゆる「東国行幸」は宗教戦争であった。
それどころか、国家神道の象徴である伊勢神宮は実はシェオル(瀬織)の神のための鎮魂装置である。
確かに乙女達の崇高で透明な精神エネルギーの集合体が神として畏敬されたとしても何ら不思議はない。
一説に持統天皇は子をなせるようになり、子をなした頃、15歳くらいの風貌のまま50代まで生きたらしい。
天武天皇の出自も相当怪しいのだが、その妻である持統天皇も実は乙女として生け贄に捧げられそうになった女性なのではないか?
天武系の者達は実は皇室の菩提寺に祀られていないという。
壬申の乱は皇室が皇統以外の者達に乗っ取られてしまった事件なのかも知れない。
そして、残酷な制度を廃止させることをライフワークにしたであろう持統天皇と呼ばれる女性が仕掛けた壮大な「ウーマンリブ」運動なのだろう。
ご清聴ありがとうございました。
ちなみに、上記は必ずしもデマではございません。