1 :
天之御名無主 :
2010/08/10(火) 20:12:52 何故ゆえ、戦後広まったのでしょう?
2 :
天之御名無主 :2010/08/10(火) 21:11:58 BE:2422332959-2BP(2034)
具体的にどんなの?
強かったから
でも柔らかい
5 :
天之御名無主 :2010/08/11(水) 13:29:28
零戦が強かったってのが零戦神話なんだよw
6 :
天之御名無主 :2010/08/11(水) 13:35:15
7 :
天之御名無主 :2010/08/11(水) 13:42:39
このスレ巣食うアンチの属性 陸軍厨:陸軍機をこよなく愛す反面、海軍機特に零戦に強い嫉妬心を持つ。【知識:高、品性:普通】 独逸厨:メッサーとフォッケをこよなく愛す、日本機は認めない。【知識:高、ただし、欧州作戦機に偏っている。品性:普通、ちょっと病的】
8 :
天之御名無主 :2010/08/11(水) 17:17:42
ジェット戦闘機まで実戦投入したドイツ軍に比べて、旧軍が弱小と言われてもしょうがないと思うがな・・・ 零戦は1944年まで防弾ありませんよ。陸軍機にはあるのに。
9 :
天之御名無主 :2010/08/11(水) 21:27:37
当時、戦闘機の航続距離は500Km程度だった。 一方ゼロ戦は通常で1000キロ、投下式の増槽(燃料タンク)を付ければ 2000キロの飛行が可能だった。 開戦当初、フィリピンを攻撃する際にゼロ戦は台湾から東シナ海を横断して いたが、それを知らなかったアメリカはフィリピン周辺海域の空母から発進 していると勘違いしていた。 だからハワイを攻撃した部隊は何処から来たのか、と余計に大騒ぎになった。 大洋を横断して遣って来る神出鬼没の日本海軍・・・・零戦神話は、パニ ックに陥ったアメリカ海軍の兵士達が作り出したものだよ。
11 :
天之御名無主 :2010/08/12(木) 15:28:30
>>10 蛇の目笑えないだろ、REDSUNの楽園なら俺でもかける。
12 :
天之御名無主 :2010/08/12(木) 16:05:49
>>9 F4F(低高度用FM-2)には零戦ではかなわない。紫電で互角。F6Fはどうにもならない。
と証言してる日本海軍搭乗員もいますがw
13 :
天之御名無主 :2010/08/12(木) 21:01:16
坂井三郎氏(2000年死去)の証言によると、
>>12 太平洋戦争での最優秀戦闘機はアメリカのP51ムスタング
(「零戦で2機撃墜した戦例があるが、それは全く幸運によるものであって、
まともに戦ったら零戦では勝てない」)。
速度、武装、運動性、航続距離、どれをとっても零戦の上。
2位は、日本の四式戦疾風、
3位が無くて、
同立4位が日本の零戦とアメリカのF6Fヘルキャット、だとか。
ちなみに。
イギリスのスピットファイアは、「我々は全て撃墜した」、だそうです。
14 :
天之御名無主 :2010/08/12(木) 21:46:54
>>13 その辺は旧日本軍弱小列伝のHP見れば、型落ち旧式のスピットファイアに対しての戦果だということが分かるよ。
隼はスピットファイア[と戦って撃墜もしてますが。零戦が戦ったのはX。
15 :
天之御名無主 :2010/08/13(金) 08:34:01
良くご存知ですね。 基本設計に余裕があってどんどん改良されていったスピットファイアは、零戦 とは別の意味で名機と言うべきでしょう。 ただ、スピットファイアMk[と零戦とではどちらが強いか。 カタログデータを比較してシミュレーションする事は出来ますが、本当の所は 実際にやって見ないと分からない。 どちらの機に乗るにしてもパイロットは嫌がるでしょう(俺も嫌です)。 まだ死にたくないから。
16 :
天之御名無主 :2010/08/13(金) 16:40:38
まぁF6Fヘルキャット最強ということで
17 :
天之御名無主 :2010/08/13(金) 21:21:57
>>7 追加し忘れてますよ
チョン:日帝の全てが嫌い。日本兵器スレではテロリスト。【知識:素人並み〜低、品性:下劣】
18 :
天之御名無主 :2010/08/14(土) 11:28:10
戦後日本の復興には、「シンボル」が必要だった。 そしてその「シンボル」には、人々が感情移入できる要素が必要だった。 その意味で、零戦と大和は「理想のシンボル」だった。 かたや世界最強、もういっぽうは世界最大。 「昔の日本人も、これだけのものができた。 戦後の俺たちだって…世界に売れる家電、車ができないはずがない。」 という、精神的なよりどころだったんでしょう。 だからこそ「事実」なんて無視し、 「神話=伝説」的要素が過大に広まっていたと。
あのぉー 零戦の評判って海外発の、つまり、逆輸入的なものなんですが…
20 :
天之御名無主 :2010/08/14(土) 22:04:13
まっ、戦後ドイツのロンメル将軍が敵である英米軍から評価されたのと同じだ から。 国家が平和の名の下に行う大量殺人である戦争を、美化するつもりはない。 ただ、敵であっても優れたものに対してはそれなりの敬意を払う文化や礼儀は どの国においても存在した。 それが嵩じて(「事実を無視して」、ではなく「尾ひれが付いて」)「神話」 になってしまうものもある。 零戦神話もその内の一つさ。
21 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 02:18:31
>>20 ロンメルは戦中から敵味方問わず賞賛を受けている。
公正な評価においても一流の指揮官。
ミッドウェー海戦のとき、零戦と対戦した米サッチ少佐の証言
『我々が生還できたのは奇跡としか言いようがない。
F4F-4型は上昇力、運動性能、速力のいずれの点でも、
情けないほど零戦に劣っている。』
ちなみにサッチ少佐は、対零戦戦法として有名なサッチウィーブの考案者。
少なくとも、この頃まで総合的に零戦にかなう戦闘機は存在しなかった。
以後、大戦中盤以後は連合軍の新鋭機の前に性能面で劣るようになり、
最終的には旧式の戦闘機となった。
22 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 09:51:34
>>21 FM-2知らないヤツ多過ぎでワロタw
F6Fの登場後もFM-2にF4Fを改造されて零戦を上回る性能になってるのにw
しかもこれ護衛空母用の機体だったんだけでどね。
23 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 16:15:54
24 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 20:00:05
>>23 慌ててカキコしたらミスったw
零戦が最強とかどの並行宇宙からきた人々かなとおもたら。。。
25 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 20:01:07
>>19 ディスカバリーチャンネルのアレだろw
あれは軍の提灯番組だからね。。。
26 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 22:11:37
ディスカバリーチャンネルは関係ないですから。 戦中、戦後の外国での評価は『伝承 零戦』(秋本実)などに海外専門誌の訳があるので 図書館でどうぞ。 FM-2はF4Fを軽量化して機体性能が零戦と同等になった型ですよ。"上回る"とは いえませんね。F4Fが零戦に優っていた急降下制限速度880q/hがFM-2では650q/hと 大幅に低下していますからF4Fと同じようには使えません。 敵である零戦五二型甲以降の制限速度は740q/hですので。
27 :
天之御名無主 :2010/08/15(日) 23:19:55
FM-2は護衛空母運用用の戦闘機だからね。 機銃数もF4F-4の6門から4門に減ってて火力も減少してる。
28 :
天之御名無主 :2010/08/16(月) 21:00:41
>>26 陸軍の飛燕は当初から制限が850キロで実戦では900キロ超えてるよw
これだから海助は。。。
零戦神話から抜け出せない人がおおいわけだw
>>26 護衛空母の低空専門のFM-2に急降下性能いるのかと。
後、
>>12 は渡辺洋二、決戦の蒼空の中の獅子は吠えたのか?からの抜粋だぞ。
零戦マンセーとみせかけた釣り?
>>29 カタログスペック厨だろ。
戦績調べれば、せいぜい互角か戦術確立された後、零戦は負けてる。
ワイルドキャット舐め過ぎw
31 :
天之御名無主 :2010/08/18(水) 13:54:06
戦闘機乗りになりたかったやや国粋主義気味の父から聞いた話を思い出す。 「零戦は一時期は世界最高の戦闘機だった。後半そうではなくなった。だが素晴らしい戦闘機だ。」 子供の頃「アメリカに保管されている零戦は現役で飛行可能」という伝説を聞いたが、今でもそうなのだろうか。
61-120の事? 普通に飛んでるでしょ。
33 :
天之御名無主 :2010/08/18(水) 15:13:15
>>31 栄エンジンで飛べるオリジナルの零戦は一機だけあるけどね。
レプリカとか復元した奴含めれば零戦はかなり飛べるのがある。
34 :
天之御名無主 :2010/08/18(水) 16:37:34
また、里帰り飛行しないかな? エンジン100%出力にはしないらしいね。 MAX80%くらい?って聞いた様な・・ ぶっ壊れたらお終いだしね・・
昨日のディスカバリーチャンネルでF4Fvs零戦ワロタ。 日本人は足が短いですからって言う零戦を運用してる人達に対して、 ラプターのパイロットが背が低いからですねと人種差別にならないようにフォローw
37 :
天之御名無主 :2010/08/18(水) 20:52:37
>>35 それはしょうがない。一機しかない上にスペアのパーツもない。
まぁでもアメ公って零戦好きだよねw あんなにバカバカ復元やらレプリカ造らなくてもいいのに。
勝った戦争の相手を褒めるのは自分は更に凄いんだぜと言うことに他ならないからな
40 :
天之御名無主 :2010/08/19(木) 00:53:31
零戦の里帰り飛行か…そんな機会があれば行ってみたいな。
41 :
天之御名無主 :2010/08/19(木) 13:04:50
>>39 ディスカバリーじゃ今でも煽ってるからねw
> 米技術専門誌が選んだ史上最強の軍用機とは? > > 米技術専門誌のポピュラーメカニクスは11月11日号で「史上最強の軍用機、ベスト6 > (The 6 Most Lethal Aircraft in History)」という特集記事を組み、独自調査に > 基づく航空機史上に残る名機ベスト6を発表した。 > > それによると、ベスト1の名誉に輝いたのは第一次世界大戦に活躍した事実上、世界初の > 戦闘機「フォッカー・アインデッカー(Fokker Eindecker)」。 > 2位は第二次世界大戦初期から中期に活躍した日本の「ゼロ戦」。3位は第二次世界大戦 (略) > > 2位に輝いた日本の「ゼロ戦」に関しても第二次世界大戦初期に米軍に与えた衝撃は並大抵な > ものではなかったとポピュラーメカニクス誌では米国の著名な戦史家、ジョナサン・パーシャル > (Jon Parshall)氏のコトバを借りて述べている。 > 曰く「(略)少なくとも大戦初期においてゼロ戦に太刀打ちできる機体は皆無だった」と。
44 :
天之御名無主 :2010/08/21(土) 11:44:24
零戦をマンセーしたいのは分かるけど、世界のレシプロ戦闘機を知ればそれはできないと思う。 アメリカが零戦ホメるのは俺はもっとすごいんだぜと言いたいだけ。
という妄想
46 :
天之御名無主 :2010/08/21(土) 18:47:36
零戦+飛行時間3000時間って言うパイロットの組み合わせを可能だった頃はかなり無敵 飛行時間100時間のパイロットが多数を占める様になるともう駄目 零戦がじゃなくて零戦+パイロットの組み合わせの問題 岩本大尉辺りだと終戦の頃まで無敵状態
47 :
天之御名無主 :2010/08/21(土) 19:37:26
>>46 変な妄想はよせw
エース岩本徹三でも、紫電改は回ってこないと著書にあるぞ。
48 :
天之御名無主 :2010/08/21(土) 20:15:32
>>47 回ってこなくてどうした?
ちゃんとそれで何とかしてるだろ、馬鹿か
>>46 いや性能で世界一だったんだよ。ゼロ戦は。
岩本大尉らエースも始めは初級者
> このすばらしい飛行機については、いまさらこと詳しく言及するのもはば > かれるほど、すでに多くのことが語りつくされている。文句なし、文字通り > 今次大戦のわが戦闘機のチャンピオン、とうじの世界の戦闘機の代表であり、 > 世界の戦闘機の歴史を通じても、その出来ばえにおいて、そのうちたてた > 偉業において、これに比肩するものは見出しえないほどの神品である。 > > 戦闘機としての零戦の史上にしめる意義は、またきわめて大きい。速度、上昇力、空戦性能、 > 重武装と、たがいに矛盾し合う必要のことごとくを実現し、世界に敵するもののない戦闘機を > 作りあげたということだけでも偉大であるのに、さらに零戦は世界の用兵家が夢としてきた > ことを可能ならしめた戦闘機であった。 > > 内藤一郎 元航空大学校助教授、防衛庁技術研究本部第3研究所勤務 同技術開発官付第5班長
あともういっこ装甲が抜けてるのが悲しい
時代が違うよ。零戦が開発された頃はアメリカもドイツも 戦闘機に装甲なんて無かった。
開発された当初はそうだが その後ヨーロッパやノモンハンの戦訓をうけて F4FもP39もP40も陸軍のブサですら防弾が実施されてるので 言い訳にもならんわアホが
零戦も後には防弾装備を付けてるが
あと後継の遅れは零戦の問題では無いから
> 零戦も後には防弾装備を付けてるが 昭和19年10月からの52丙からにすぎん しかも防漏タンクは実用化できず防弾板は積んだり積まなかったり 風防全面防弾ガラスと自動消火装置に頼るのみ 話にならんわアホが
関係ない。世代が違う。 米技術専門誌のポピュラーメカニクスでも歴史上の 最強軍用機世界一をフォッカー・アインデッカーと しているが、その「最強」と言うのは、同時期においてのこと で、後に出てきた新型機と比べてどうこうと言う話しではない。 新しい方が性能良いのは、なんだって同じ
58 :
天之御名無主 :2010/08/22(日) 12:03:08
>>57 黙れ!池沼。
世代が違うって零戦より一世代古いBf109やスピットファイアと比べて発展性のなさはどうなんだw
Fw190Aと同世代なのに装備の差が笑えるほどだぞ。
P51が一年遅れだけど同世代。 でも、あれはイギリスのエンジンで活躍できる戦闘機になったよね。 やっぱ飛行機はエンジンにつきるな。
>>58 笑えるのはお前だ無知屑w
零戦はな、『艦上戦闘機』だ。しかも航続距離が秀でて速度も敵と比べて十分。
逆立ちしても同じことが出来ないBf109やスピットとかそれこそ笑わせんなよ。
制限の少ない陸上機と比較して零戦中傷ってのも軍板でもう飽きたよ池沼君。
>>60 アホ、世代言い出したのお前だろw
一世代古い前線征空型の戦闘機と比較しても劣る零戦のどこら辺がいいんだよw
P-51と同世代でこの性能差はなんなんだw
>>60 F4Fと戦歴比べても優れてるわけじゃないね零戦。
F6Fと比べると絶望的なんですけど…
65 :
天之御名無主 :2010/08/22(日) 12:47:49
>>64 零戦神話から抜け出すためにはちょうどいいサイトだけどね。
>>58 スピットファイアと比べて? そいつは零戦のカモだったぞ。
確かに大戦前期において零戦は神話的と言えるくらい強かった
米軍戦闘機に対して「零戦と雷雲に遭遇したら退避して良い」という命令まで出たほど
>>65 変な捏造サイトなんか鵜呑みにするより専門技術誌や航空専門家の
評価を観た方が良いと思う
> 陸軍航空隊の第67戦闘機隊のP400は高度6000メートルに達することができなかった。 > ベルP400は存在しないも同然だった。飛行場の防衛に全然役に立たなかったから。」 これは当時のアメリカ陸軍の主力戦闘機の実態だが、もう強い弱い以前に問題外。 単なる役立たず。 零戦と同じ高度まで上がれなくて、そもそも戦うことすら出来ないんだから話しにならない。 よって神秘の戦闘機と恐れられた「ゼロファイターに遭遇したら逃げろ」という命令が出るのも仕方ない。
あと大戦初期でもスピットとかBf109とかは当時から世界最強戦闘機と 高く評価されていて、零戦から見ても少々歯ごたえの有りそうな相手では有った。 もっとも実際に対戦したスピットファイアは、一方的に零戦に撃ち落とされて行ったけれども。
>>69 エンジンの過給器と酸素装備がなかったからだろ。
P38に改変された後フルボッコ零戦されてるだろw
>>70 零戦が対戦したスピットファイアは2年落ちのXね。
それを言い出せば、ビルマの隼は[を落としてる。
>>70 お前が煽るから余計零戦のしょぼいところがガンガン出てきてる訳だがw
>>71 >>72 その日、その時に使えなければダメだろ。後になって出来た
新型の機材を持ち出して、どうこう言っても手遅れ。
零戦と欧米各国主力戦闘機の性能(1940年当時) 国 馬力 全備重量 最高速力 航続力 兵装 口径兵×装備数 製作社/名称 日 0940hp 2336kg 533km/h 3500km 20mmX2 7.7mmX2 ;三菱/A6M2 零式艦戦21型 (落下増槽を装備) 米 1200hp 3176kg 512km/h 1360km 12.7mmX6 ;グラマン/F4F-3 ワイルドキャット 英 1030hp 2415kg 571km/h 0805km 7.7mmX8 ;スーパーマリン/スピットファイアーMk.I 英 1030hp 2993kg 515km/h 0740km 7.7mmX8 ;ホ−カ−/ハリケーンMk.I 独 1050hp 3010kg 550km/h 0660km 20mmX2 7.9mmX2 ;メッサーシュミット/Bf109E-1 伊 0840hp 2295kg 440km/h 0785km 12.7mmx2 ;フィアット/CR.42 伊 0870hp 2208kg 512km/h 0870km 12.7mmx2 ;マツキ/MC.200 仏 0860hp 2720kg 486km/h 0800km 20mmX1 7.5mmX2 ;モラーヌ.ソルニエ/406 仏 0910hp 2780kg 529km/h 0998km 20mmX1 7.5mmX4 ;ドボワチヌ/D.520 出典 E.アンジェルッチ、P.マトリカルディ 「航空機−第二次世界大戦」 零戦と同時期の欧米先進諸国の戦闘機をみると、確かにスピットとBf109だけは零戦より速いかな。
神話スレで細かい数字を出すのは野暮・・・・
>>74 1940年って零戦って数十機しかないだろw
まぁ、海軍は宣伝上手だったってことで。 隼なんて一個戦隊で南方征服してるのになぁ。
>海軍は宣伝上手だったってことで ワロタwそりゃ陸軍だ どれだけ必死に宣伝打ってるやら
79 :
天之御名無主 :2010/08/22(日) 19:39:39
>>78 戦後の話だよw
海軍善玉論とかね。
零戦と大和とか象徴にしてね。
海軍の航空政策は陸軍より酷いのになw
主戦場が太平洋だから、零戦がメインになるの我慢出来ない陸厨ですか?
81 :
天之御名無主 :2010/08/22(日) 22:02:38 BE:2260843867-2BP(2034)
>>78 必死に宣伝はしてたけど「上手」ではなかったね
『戦後』の『海軍』が『宣伝上手』とはなかなかの陰謀論ですねw
83 :
天之御名無主 :2010/08/23(月) 04:01:16
「神話」を語るスレなんだからアメリカの技術誌とか元航空大学校助教授の 説明はスレ違いだろう。零戦の技術的飛躍は物凄いが。 神話が誕生した経緯に付いて言うなら、開戦当時に遭遇した零戦の桁外れの 高性能に驚愕したアメリカ人パイロットが流布したことから始まった。 当時の米軍パイロット等は神秘の戦闘機ゼロファイター恐怖症に陥っていた。 当の日本国民には知られず報道でも「海軍の戦闘機」という風に発表されていた。 戦争末期になってゼロ戦と報道されるが、その頃には神話的活躍は無い。 そのためゼロ戦神話は当初はアメリカ内で広まっていただけだったのだが 戦後になって日本に逆輸入する形で広まっていった。
84 :
天之御名無主 :2010/08/23(月) 04:16:33
ゼロ戦神話について > 敵のゼロは、われわれのF4Fより、上昇性能が極めてよいばかりか、速力も大きく、旋回性能となると、 > どんな飛行機よりも優れています。 > 上昇性能や速力は我々の三倍はあるのではないかと思えるほどです。 アメリカ海軍パイロット サッチ中佐談 (零戦燃ゆ) これも「神話」といえる。時速500キロは出るF4Fの3倍も速かったら音速を超えてる。 しかし零戦と戦ったアメリカ人パイロットには、そう見えたんだろう。信じられない超高性能機と。 ただ米海軍のF4Fは、まだ上昇力と高々度性能がそこそこ有って零戦と一応は戦うことが出来た。 大戦前期の米陸軍機の主力は、低性能のアリンソンエンジンを使っているP39、P40、などで(他にP51Aも) 零戦の相手どころか、少し高度と速度を上げられると日本の爆撃機(1式陸攻)にさえ追い付かない状態だった。 戦うどころか、もう逃げ回るばかり。これらも神話の生まれる土壌となった。
> 敵のゼロは、われわれのF4Fより、上昇性能が極めてよいばかりか、速力も大きく、旋回性能となると、 > どんな飛行機よりも優れています。 > 上昇性能や速力は我々の三倍はあるのではないかと思えるほどです。 アメリカ海軍パイロット サッチ中佐談 (零戦燃ゆ) ちょっとこれ原文で頼むわ ホントにこういうこと言ったのなら、な
>>84 バイアスかかってるんじゃないのか?それP40が弱小という奴は少なくとも軍事板には居なかったけどな。
零戦の開発に携わった曽根氏は『戦後になって零戦の評価が高まったのは意外』という旨の発言をしている。 これはまさに零戦神話が戦後になって作られた事の裏付けにほかならない。 まあ、敗戦直後で打ちひしがれている時に、日本はただ負けたわけじゃない。 と溜飲をさげるために、中ば誇張気味に『海軍新鋭機の活躍』を読みもの等で紹介したのが始まりだろう。 また終戦後すぐ、日本における航空機研究は禁止となり 戦時中の航空機に関する情報伝達もいったんとぎれた。 講和条約発効後それは解禁され、 その先鞭を付けたものが昭和28.1.1刊行の 堀越・奥宮の「零戦」本である。 ここから昭和30年代の少年漫画雑誌を中心とした戦記ブームのなかで、 零戦神話の確立、その一方で隼のマイナー化が定着してゆく。
少年マガジン昭和36年12月17日号 「太平洋戦争日本が世界にほこる日本の飛行機特集号」 「ゼロ戦(海軍機) 太平洋戦争のとき、世界でいちばんすぐれた戦闘機といわれた名機で、 グラマンもロッキードも、ゼロ戦を見ると、すぐにげてしまったほどだ。 日本の戦闘機でいちばん多く作られ、その数は一万機以上にもなった。 ひといきにとべるきょりがひじょうに長く、ひとりのりの戦闘機として、 三千五百キロの新記録をつくった。最高速度五百六十五キロ。」 「隼(陸軍機) ゼロ戦とともに、太平洋戦争で大かつやくした陸軍の名戦闘機で、 数々の空中戦にてがらをたてた。おもに中国大陸やビルマなどで戦ったが、 ひじょうに馬力が強く、身がるでうごきがすばやいので、敵機におそれられていた。 形はゼロ戦ににているが、よく見るとエンジンのまわりや、座席の風よけ、 尾翼の形などがちがう。最高速度五百十五キロ。」 さらに少年マガジン昭和37年7月8日「ゼロ戦隼なんでもこい特集号」 ここでは、ゼロ戦と隼の比較がなされている。 「ゼロ戦と隼の力くらべ ゼロ戦と隼は、どちらがすぐれていたか。まず、スピードの点で、隼は ゼロ戦よりもおとっていた。ゼロ戦五二型の最高時速五百六十五キロにたいして、 隼三型は最高時速五百五十キロだった。 つぎに、機関砲二つ、機関銃二つをもつゼロ戦にたいして、隼は機首に機関銃が 二つあるだけだった。」 速度、武装といったわかりやすい点での比較がなされ、 零戦のほうが優れると結論づけたいようだ。
900 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2010/08/23(月) 16:33:32 ID:???
×戦後になって作られた
○外国での零戦評価が日本でも戦後知られるようになった
お馬鹿ちゃんや白丁には理解できない認めたくない真実でございます
902 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2010/08/23(月) 17:09:53 ID:???
>>900 それ以前に、その長文は昔のvsスレからのコピペだし。
しかもいかにもオリジナル文ぽくするため小改変w
粘着アンチってそんな奴ばっか。
戦中や戦後すぐの時期にゼロセンを評価した欧米の文献資料があれば見てみたいものだ
アクタンの零戦をテストした C.T.Booth 少佐のレポートでは。 「零戦は、小ささ、軽さ、脆弱さが印象的でちょっと目にはありふれた機体であるが、 よく見ると細かいところまで目が行き届いた設計がなされており、無駄が無く非常に すっきりしている。 主脚の幅は広く安定感があり、機体も長く安定性がいい。可動部はきわめてスムーズに動き、 すきまがないような設計がなされている。 機体の外板は非常に薄い。全体的にはありふれた工法であるが、主翼のおりたたみ機構は きわめてオリエンタルな謎解き箱のような巧妙な設計になっている。 (中略) 非常に短い滑走距離で離陸でき、着陸も容易であるがブレーキの効きは悪い。 操縦桿の感覚もよく、低速でも失速しにくく、失速特性もゆるやかで回復も容易である。 上昇力も良く、適当な速度ではロール速度が速い。これが有名な運動性の源泉だろう。 視界もすばらしいし、飛行安定性もよく、飛ぶことが楽しい飛行機である。 しかしこれで戦争せよといわれたら二の足を踏みたくなる。 上昇力、運動性、後方視界の良さはセルフシーリングタンクや防弾版の欠如と引き替えである。 戦争となったらその報いがくるだろう。」
92 :
天之御名無主 :2010/08/23(月) 19:49:03
世界の傑作機で零戦が廃盤になってるから、新しいのでた時にまた評価がされるんだろうな。 日本の航空機機種ごとの専門誌これしかないし。
>>82 戦後、作家になった人とかが宣伝してただろうがw
陸軍の作戦課が暴走してたのは事実だけど、陸軍悪く言われすぎ。
学研の歴史群像の別冊のムック本はどうだ?
>>95 独ソ戦シリーズはなかなかだけど、日本機を扱うとマンセーが酷いけどね。
>>95 零戦は艦隊防空戦闘機であるとか、新たな神話をつくりつつある
伝説か
>>97 艦隊防空任務は当然かせられてたよ。何のために20ミリ積んだのやら。
日本人が「海外で零戦はこんなに評価されている」と 自己満足にひたりたいときもっともらしい出典名を付けて紹介される。 このため結構恣意的な翻訳や都合のいい取捨選択がなされる場合が多い。 よく引用されるのが奥宮・堀越零戦本に記載されている、 零戦本の抄訳版が米国で出版されたさいの 書評の一部として記されたという一文。 「地方諸都市の新聞の書評は、おおむね短く、左の一例のように、 零戦の威力を称えるものばかりだったと記憶する。 ”零戦にかかっては、旧式なわれわれの軍用機はハエのように撃ち落とされた。 まったく零戦の連合国空軍に対する優越ぶりは、1943年までは圧倒的だった” (アトランタ・ジャーナル・アンド・コンスティテューション紙)」 「アトランタ・ジャーナル・アンド・コンスティテューション」紙は 米国南部の有力地方紙だが、実際にどのように記述されたのか興味深いところだ。 また、この一文はよくこれだけ取り出されて、 まるで同紙の統一見解であるかのごとく掲示されるが、 あくまで書評のなかの一文にすぎないということは認識しておくべきだろう。
>>98 第二次世界大戦の航空戦自体が神話時代の話になりつつあるからね。
零戦とそれを彩るエースたちも歴史の彼方だし。
>>97 近頃は零戦52丙型最強伝説もつくられつつある
umu
>>102 1945年(昭和20年)には零戦も整理対象機種になりそうだったんだけど。
零戦を切ると敵地侵攻の手駒が無くなるので残したって話だけどね。
零戦のクライマックスはやっぱ南方侵攻作戦だからなぁ。
ガダルカナル、ソロモンの攻防戦になるとアメリカ軍も対策ねってる。
106 :
天之御名無主 :2010/08/23(月) 20:52:15
>>102 7,7ミリ一丁、13,2ミリ三門、20ミリ二門で火力だけなら零戦シリーズ最強レベルなのは間違いないけど?
52丙といえば重量増で鈍重とか言われるが 実際の52丙は水メタ噴射装置も、内袋式防弾タンクも装備されず 防弾板も防弾ガラスも全機に装備されたわけではなく 重量増加分は自動消火装置と13mm機銃分のみ 速度低下は主翼の兵装関係点検口などの増加によるもので軽快性を失ったわけではなく 一方で役に立たない7.7mmのかわりに3丁も増えた13mm機銃と 自動消火装置は歓迎され 現場では概して好評であり601空などは実績も残していると BUNさんが言っている
俺もそうじゃないかとおもっていたよ
>>107 自動消火器って結構早い段階からあったような?
防弾板は現地部隊に配属されてた時撤去されたのがほとんど。
隼の防弾板も64飛行戦隊では撤去されてるのが多い。
相手が高性能機だと少しでも軽いほうがいいという気持ちの問題だっただけだけど。
sokka
13粍はよかったみたいね 乙ではじめて搭載された13粍は「面白いように当たる」だったそうだ
52型丙運用して有名なのは芙蓉部隊の夜間攻撃機としてかなぁ… 零戦で沖縄に夜間殴りこみかけるから凄い。 彗星の補助戦力だけど。末期の零戦は景気のいい話が少なすぎる。
そんな細かい話は軍板でやれ あくまで神話伝説の話をしろ 馬鹿共
たるんどる
>>86 >それP40が弱小という奴は少なくとも
でも一式陸攻に追い付かなかったのは事実だよ。
戦争がこんなに楽でいいのか?と搭乗員が思ったほど
ソース 「中攻」巌谷二三男著
116 :
天之御名無主 :2010/08/26(木) 22:11:38
>>87-88 戦時中は陸軍の戦闘機の方が多く宣伝され「加藤隼戦闘隊長」と言う歌まで作られるほど
有名だったんだが、逆に海軍の零戦は国民には始め名前も知られていなかった。
しかし戦後は逆に海軍機の方が有名になった。その原因として戦争史観の変革が有ると思う。
あの戦争は元々大東亜戦争と呼ばれていたのだが、戦後はGHQの指導によって太平洋戦争と
呼ぶことを強要され「大東亜戦争」と言う言葉は、使うことすら禁止された。
日本人への、アメリカ製太平洋戦争史観の押し付け教育。
その過程で本来日本国民によく知られていた陸軍機は脇に追いやられ、アメリカ人が
最大の脅威と見ていた海軍の「ゼロ戦」が脚光を浴びるようになったと考えられる。
戦時中のアメリカ人パイロットらは陸軍機の隼も「ゼロ戦」と混同していたから、その戦史教育を
押し付けられた日本人が、アメリカ人と同じような戦争史観を持つようになったのは当然と言える。
結果、アメリカ発ゼロファイター神話を戦後日本人は受け容れることとなった。
117 :
天之御名無主 :2010/08/26(木) 22:19:04
>>100 ゼロファイター神話がアメリカ由来である以上、神話のソースが
アメリカ発なのは当然でしょう。
最近でも
>>43 を見れば「ゼロの神話」がアメリカでは依然として健在であると判る
ここで原文が読めるわけだが
ttp://www.popularmechanics.com/technology/aviation/military/4290914 Tactics also changed.
Allied pilots learned to fight Zeros above 22,000 ft,
where the Japanese plane's maneuverability waned and the superior horsepower of American planes took over.
Americans not only created better planes as World War II progressed, they created more of them.
Parshall says Japan didn't have the manufacturing capability to keep up.
Because workers hand-built many of the Zero parts, assembly line mass production was impossible.
Parshall says that Japan continued to fly Zeroes until 1945, when they had become long outdated.
Other World War II fighters deserve mention for their prowess, including British Spitfires and Hurricanes,
German Fw-190s and Bf-109s, and American P-51s and P-38s.
But in its heyday, Parshall says, nothing could touch the Zero.
こういう前置きのあとの
"nothing could touch the Zero. "
この文が
>「(略)少なくとも大戦初期においてゼロ戦に太刀打ちできる機体は皆無だった」
こうなって、一人歩きすると・・・
確かに、日本における神話形成の過程を目の当たりにしているようだ。
>>118 「The 6 Most Lethal Aircraft in History」
直訳すると致命的、命取りの、意訳すると破壊力のある、というところか。
「最強」という意味でないところがミソだな。
1位 フォッカー単葉機
2位 零戦
3位 B29
4位 AC-130
5位 A-10
6位 AH64アパッチ
速度とセルフシーリングタンクと装甲の全てを犠牲にして
味方のエキスパートパイロットも沢山命を落としてるので
たしかに命取り飛行機という意味なら実に的確だ。
カミカゼ機材というのを付け加えてもいい。
最初期はその旋回性で敵を効果的に殺し、
後期は速度とセルフシーリングタンクと装甲の欠落でベテランパイロットを効果的に殺し、
最末期はカミカゼで新人パイロットを効果的に殺す。
確かに伝説的存在だな。
ところが、搭乗員の消耗数は特攻が始まる前迄では海軍より陸軍航空隊の方が多いんだ。 零戦=特にたくさん死んだ というイメージや伝説はどのあたりから来たのか、論文として 十分成り立つ研究素材だと思う。
>>118 > この文が
>こうなって、一人歩きすると・・・
昔の日本ニュースかなんかで、
中国かどっかで駐屯している日本軍の隊長が現地の小汚い農民に何かを聞いていて、
農民は一言「フェー」とかいっているのをナレーターが
「軍紀正しい日本の兵隊さんが来てくれたおかげで匪賊もいなくなりわれわれ村民は大変感謝している」
と意訳?したりしてるのと同じカンジだな。
122 :
天之御名無主 :2010/08/27(金) 20:59:39
>>118 > "nothing could touch the Zero. "
その通りだろうな。アメリカ人の言うとおり零戦は当時世界最強と言っていい。
>119-121
しかし曲解も、そこまで行くと立派w
>アメリカ製太平洋戦争史観 > 太平洋戦争史は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあった日本で、昭和20年(1945年)12月8日より > 約10回に亘り連合国司令部記述として全国の新聞紙上に連載された宣伝記事である。 > > 「太平洋戰爭史」は翌年4月、高山書院から聯合軍總司令部民間情報教育局資料提供[1]、中屋健弌訳として刊行された。 > > また、譯者のことばとして当局の厳密なる校閲を仰いだことが記されている。 ウィキより そのアメリカ人にとって大戦初期の神話的活躍をした日本の戦闘機はゼロ戦。陸軍の戦闘機(隼)は 日本国内では戦時中よく報道され人気があったものの、実は開戦時には数十機しかなく開戦時の日本の破竹の 進撃を支えたのは主として海軍のゼロ戦。 隼が東南アジアで戦った相手はイギリス空軍機などが多く、しかも陸軍機の隼は洋上航法が苦手で広大な太平洋で アメリカ空軍と交戦することは少なく、そのうえ隼はゼロ戦と誤認されていたからアメリカ人から見ると目立たなかった。 戦後、アメリカ式の戦争史観を教育されるに従い、戦時中に日本国内での様々な報道は忘れ去られていった。 併せて本来日本国民にとってゼロ戦より有名だった隼も目立たなくなっていく。 代わりにアメリカ製史観が日本国民に刷り込まれ、アメリカ製太平洋戦争史のなかで最大の脅威として 現れていたゼロ戦が改めて脚光を浴びていく。これがゼロ戦神話がアメリカから日本に移植された経緯
それは結構なことだが、 ゼロ戦の大戦初期の神話的活躍というものが 米側で記録された具体例が出てこないのが弱いな。 当時や戦後の書物にはどう書かれどう紹介されていたのだろう?
125 :
天之御名無主 :2010/08/28(土) 18:15:43
>>124 強力な零戦部隊を迎撃したカクタス航空隊の伝説ならアメリカで神話化してる。
ドイツと戦った、アメリカ陸軍航空軍(後のアメリカ空軍)の第八航空軍と対称にされてる。
伝説のエースたちのそろった日本軍を撃破する端緒になったとね。
アメリカって民主主義の国とおもってるけど軍事国家なんだなぁとおもった。
カクタスの時期は日本海軍航空隊の方が質量共に優勢だったからなあ 特に初期は補給が不安定で燃料や酸素ビンなんかにも事欠くようすだったらしいし 飛行場の外には日本兵が夜襲をかけて寝れないわ 夜には艦砲射撃があって機材が壊れるわ そのなかで午前の定期便となった陸攻の空襲 ゼロ戦が強力というよりはそういう悪条件総体の中でいかに戦ったかというカンジだけどね 従軍記者の戦記なんか読むと
このスレで日本人が零戦を持ち上げて自画自賛に励んでいるのを見るのは一興
パールハーバーやトラトラトラを見ても、 ゼロセンがP40にあっさりやられるやられメカであるのは一目瞭然。
129 :
天之御名無主 :2010/08/29(日) 19:42:19
結局アメリカの神話につられてるってことか?
130 :
天之御名無主 :2010/08/30(月) 16:41:05
弱い日本軍をボコボコにしました じゃ神話にならない
>>126 アラモ的状況だな
そこから逆転したというストーリならそりゃうけるわw
>防弾版の欠如 ゼロ戦の防弾装備といえば、良くあるのが・・・ 日本人は大和魂と武士道精神により生命を重視しない。対するアメリカ人は人命を重視していた。 だから太平洋戦争が始まった時には、日本機には防弾が全く無く、アメリカの航空機の方は防弾装備が 充実し・・・と言ったパターンの批判が繰り返される。 でも本当は、こういうのも「神話」と言って良い。まず戦争というのは太平洋戦争から始まったわけではない。 ヨーロッパではドイツがポーランドに侵攻してから世界大戦が始まったとされる。 当時アメリカも英仏へ支援の為に各種兵器を送り、その中には主力戦闘機のカーチスP40ウォーホークや 空の要塞と呼ばれた巨大重爆ボーイングB-17フライングフォートレスなどが有った。 しかし当時どちらも防弾装備は極めて貧弱。 結局、強力な戦闘機を持つドイツ空軍相手では使い物にならず防弾が強化された。 人命重視のアメリカ人は戦争が始まる前から先を読んで防弾装備を装着したとか、日本人は特殊な思考をするから 防弾を不要と考えたとかは、実は神話・迷信。 日本人もアメリカ人も戦争が始まる前は防弾なんか不要と考え、戦争が始まり必要に迫られてから始めて防弾を実施したというのが事実。
もっとも日本の戦争も太平洋戦争より早く支那事変から始まっている。その中で新鋭機ゼロ戦や一式陸攻などが開発された。 ちなみに太平洋戦争とは真珠湾奇襲から始まる日米戦だが、大東亜戦争と呼ぶ場合は支那事変も含まれる。 中国に派遣されたゼロ戦はたった13機だが空中戦では一機も撃墜されず160機もの中国軍機を撃墜した。 日本の爆撃機も性能が向上して行き、特に新型の一式陸攻となると中国軍機を楽に引き離し安全に行動できた。 そのため防弾装備の必要性は全く無かった。 太平洋戦争が始まってからも日本軍は圧倒的に強く、破竹の快進撃で南方を攻略できてしまって、当初は 防弾の必要性の認識が薄かった。 南方のジャングル地帯を日本が簡単に占領できたのはベトナムなどで苦戦したアメリカ軍などを見ると不思議に 思えるほどだが、これは現地住民が日本軍を欧米植民地支配から脱却させてくれる救世主と思い有形無形の支援を してくれたお陰でもある。 で、結局、昭和一八年頃から防弾装備の検討が始まった。
>>124 >ゼロ戦の大戦初期の神話的活躍というものが
>米側で記録された具体例が出てこないのが弱いな。
戦後発売されたアメリカ人パイロットの空戦記・戦記物に出てくると思うが。
> P-400(ベル・P39・エアコブラ輸出型)は迅速な敵零戦にとって良いカモであった。
>
> 重いノロノロしたP-400に乗った六七中隊の操縦士は、自分たちがまるで足の速い狼に
> 四方から攻撃された牛の群れのように感じた。
>
> 空中ではP-400が全部、2〜3機の零戦から追われながら我先にと雲の中に逃げていった。
> 翌日、はじめ14機だったP-400のうち、飛行できるのはわずか3機となった。
アメリカ陸軍エースパイロット ワーグナー大佐の報告 (日米航空戦史)
他に上に出ていたアメリカ海軍サッチ中佐の報告なども有るが、彼らはエースパイロットで
しかも使用してる戦闘機は当時のアメリカ陸海軍機の中で最も優秀な第一線機。
今の航空自衛隊でも主力のF15イーグルから旧式なF4ファントムまで有るが、当時の米軍機も
第一線機から旧式化した第二線級のF2A以下いろいろな機体が使われ日本機と交戦している。
そして第一線機+エースパイロットで、上の様な状態となると、第二線級+平凡なパイロットでは
一層非道い目に有ったと思われる。
戦い運良く生き残った欧米人パイロットの報告や、あるいは彼らの流す噂話がゼロ戦神話を広める元となる。
135 :
天之御名無主 :2010/08/31(火) 13:27:59
ゼロ戦神話の育成過程に付いて、航空評論家の指摘 >神話的とも言える空戦性能と、長距離の海上を超えて飛べる能力が連合軍将兵の心の内に、その”無敵”の神話を植え付けて、育て上げたのである。 >航空評論家 ウイリアム・グリーン
>日本の爆撃機も性能が向上して行き、特に新型の一式陸攻となると中国軍機を楽に引き離し安全に行動できた。 >そのため防弾装備の必要性は全く無かった。 軍板的基準からすると話にならんお気楽妄想だな == 元 第七〇五空飛行長 中村友男 氏の手記から 中攻空戦のパターンと端境期の苦戦 支那奥地攻撃からカダルカナル島(ガ烏)攻防戦までの中攻による基地爆撃は、二十七機の大隊を単位とし、 編隊成形可能限度までの高高度をとり、横一線に近い編隊で敵の基地上空に進入して爆撃するやり方であった。 これに対して敵は先ず高角砲群の砲火を浴びせ、次でこの弾幕を出た途端に上空に待ちかまえていた戦闘機が 邀撃した。高角砲群との戦いは高角砲陣地の配置、射撃装置、砲の有効射程、一弾の破壊力、等の総合力と、 中攻に装備した発動機の高々度性能、搭乗員の編隊成形技倆、射撃技倆とのシーソーゲームである。
重慶上空第一回目の端境期は、敵の高角砲の精度におし上げられて、酸素吸入装置無しの状態で、爆撃高度を 当時常用の爆撃高度四千〜四千五百mから五千〜五千五百mまで上げた時機であった。短期間ではあったが、 酒に酔つての千鳥足よろしく、舵の操作が反射的にできず、編隊が近よったり離れたりする。 被害は無かったが苦しい爆撃行であった。次の端境期は装備発動機が金星三型から金星四二型への転換期である。 前者は爆撃高度五千〜六千m、後者は六千五百〜七千mであった。この当時重慶の防空戦闘機も同様の経過が あったものか、六千m以上ではその攻撃はあまり執劫ではなく、あっさり一撃で引き揚げたが、これとても しばらくのことで、やがて八千mくらいで我々を待ち備えるようになってからは、被害が出るようになった。 (中略) 次に対戦闘機戦闘の端境期は対戦する戦闘機の機種(装備機銃の性能が左右する)と戦法の転換が行なわれた 時機である。支那奥地攻撃の際におけるE15、E16等七・七m装備機との交戦では、被弾による火災は比較的 少なかったが、敵が撃墜した中攻の死角を研究し尽して、側下方から死角中を浮き上がるように近接して来て 射撃する戦法をとるようになってからは、十三空奥田再久司司令が戦死されるなど相当の被害を出し、零戦の 出現まで苦戦を強いられた。 (後略) ==
>日本人もアメリカ人も戦争が始まる前は防弾なんか不要と考え、戦争が始まり必要に迫られてから始めて防弾を実施したというのが事実。 日本陸軍はノモンハンの戦訓から防弾装備の必要性を認識、 大東亜戦争開戦時の第一戦機は九七戦も含めてなんらかの防弾装備を実装している。 通説の批判は結構だが ろくに調べもしない妄想で頭の中の仮想的と戦っても噴飯モノだな。
> 戦後発売されたアメリカ人パイロットの空戦記・戦記物に出てくると思うが。
軍板の過去レスから引っ張ってきたコピペをいまさら貼り付けられても笑うしかない。
しかも
ttp://www.unkar.org/read/gimpo.2ch.net/army/1221986327 「【文庫引用】零戦は無敵1型【1行空け】」スレなど、
「通俗書を引用し、零戦についての耳心地のいいエピソードを語り合うスレです 」と
揶揄されている始末。
原典もあるのかないのかわからず、
海外での一般的評価かどうかの検証もなされず
日本人ウケするエピソードを選択的に集めただけといわれて反証もできない。
もうちょっとマシなものを持って来れないのか。
馬鹿みたいなレスを連続されると却って逆効果、迷惑だ。
>>46 > 零戦+飛行時間3000時間って言うパイロットの組み合わせを可能だった頃はかなり無敵
あと、これも「神話」じゃないかな? 極少数のパイロットなら長い飛行時間の人も居るだろうが
開戦初期の日本のパイロット全員が、そうだとは言えないはず。
質量共に充分なパイロットを養成するとなると大規模な航空施設が必要だが、さらに燃料弾薬などの
消耗品も要る。しかしそれらが無限にあるわけもなく当時の貧乏な日本にとっては非常に厳しい。
欧米先進国の航空関連施設に比べたら、むしろ日本は貧弱なくらい。それで訓練量が充分と言うのは
何らかの根拠が必要だと思う。
よく日本人パイロットの練度が開戦時は高いかったと言うのは、開戦時と戦争末期の日本軍同士を
比較してのことで、実は同時期の開戦時のアメリカ軍パイロットの平均飛行時間と比べてではない。
>>136-137 そう、旧式な九六式とかだと苦しんだ。
しかし一式陸攻が出現すると問題なかった。
>>139 具体例が欲しいと言われたから出しただけで
”引用するな”と文句を言われても困るな。
>>138 それは良いが、ここはゼロ戦スレ。ゼロ戦の防弾の話をしたんだよ
防弾ゼロ戦ということね
> 日本人もアメリカ人も戦争が始まる前は防弾なんか不要と考え、戦争が始まり必要に迫られてから始めて防弾を実施したというのが事実。 事実は逆です。陸軍も海軍も既に開戦前、防弾は必須とする認識を持っていました。 陸軍は開戦当初から防弾装備のある戦闘機を持っているのに何故、海軍は防弾装備に欠ける機体が目立つのか、 という問題については、通常「海軍首脳の攻撃偏重の精神主義が悪い」といった語り口になりやすいのですが、 一式陸攻のように自社機採用の為に防御装備を切り捨てた設計者にも相当な責任があると考えるべきです。 零戦の無防弾は最初に配備された十二空で、15年8月頃早くも問題にされています。 搭乗員からの指摘があったようでもあり、これに対して現場にいた技術スタッフ(空技廠飛行機部員)が、 軽量化によるメリットと防弾を天秤にかけた発言をしています。 結局大西瀧治郎が後者を支持する姿勢を示してこの場をおさめたと言いますから 搭乗員からの突き上げはちょっと厳しいものであったようでもあり、 零戦が初空戦を経験する前の話であることを考えると「戦闘機に防弾を施すという常識」が 既にあったことが分かります。零戦の登場がその常識を捨てることを迫ったのです。
一方、大西瀧二郎の防弾重視発言は一式陸攻の計画審議案の検討時からのものでしょう。 この時も大西瀧二郎の「搭乗員の命はかけがえの無い貴重なものだ」との主張が技術側と業者からの 否定的な意見によって押し切られています。一式陸攻は実戦参加直後からその防御面での大欠陥が指摘される飛行機でしたが、 その改修型であるG4M3について、設計者は一式陸攻の高性能を保証したインテグラルタンクの利点を損なう改造であり 実利が無いばかりでなく無意味、と平然と発言しています。また、 「そのため(重量軽減要求が過酷ということ)にどうしても防弾面の研究がおくれてしまう。 みんな元気のいいパイロットにおぶさってしまう。体当たりさえしようというんだから(笑)」 とは、ある主力戦闘機設計者の言葉ですが、愚劣な発言というよりも、第一線と設計者達の居た世界との 距離の大きさをそこに見るべきなのでしょう。 設計者には何も見えていなかったと考える以外、彼等を免罪する道が見つけられません。 一式陸攻の計画要求審議案決定までの記録は一般人も読むことが出来、計画要求は市販の出版物で読めると思いますが、 明確に防御の要求があります。これが全くの無防御に転換した理由は主翼の独特な構造によるのですが、 それは軍が押し付けたものではありません。設計者達のオリジナルと言われる機構、構造も海軍側の研究と発案に依っている 場合が多くありますが、この件は独自の発想と設計者の口から語られています。 そして設計者は「(当時最も効果的であったことが立証されているG4M3の内袋式)防弾タンクは被弾炎上までの弾数が やや多くなるだけ」と発言してるのですから、当然責任はあるということでしょう。
コピペはそう分かるように貼れよ…
神話神話と言ってる奴が、 適当なことを言っていることはわかる。
まあ、零戦という存在が理知より情に訴える存在なんだろうな。
松本零士のあのグニャグニャした、陰影のある描線の零戦がいいんだよな。
150 :
天之御名無主 :2010/09/03(金) 20:44:16
151 :
天之御名無主 :2010/09/06(月) 12:12:22
必死な人居ますねw
神話なんですか? 知らなかった。
153 :
天之御名無主 :2010/09/07(火) 09:48:51
昔テレビで、元P38のパイロットが零戦は一対一の勝負なら第二次大戦中 最強の戦闘機と語っていたがマジ?
軍板の反応
837 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/09/07(火) 10:29:55 ID:LiVeUejA
昔テレビで、元P38パイロットが零戦は一対一の勝負なら第二次大戦中
最強の戦闘機と語っていたがマジ?
838 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/09/07(火) 11:19:14 ID:???
>>837 ラナー米海兵隊少佐いわく
ttp://www.microsoft.com/games/combatfs2/articles_renner_interview.aspx " One Zero against one Grumman is not an even fight,
but with mutual support two Grummans are worth four or five Zeros."
”零戦とF4F、1対1ではとてもかなわないが、
相互支援する2機のF4Fなら4〜5機の零戦を相手取ることが出来る”
839 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/09/07(火) 12:03:06 ID:mVNgQS8H
>>838 で、一対一の勝負なら第二次大戦中はやはり最強だったの?
840 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/09/07(火) 12:07:08 ID:???
第二次大戦が1942年半ばで終わってるならその可能性があるがw
841 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/09/07(火) 12:33:28 ID:???
零戦は(あれでも)しかたなかった。