1 :
天之御名無主:
関裕二氏が書く、藤原不比等が編成した日本書紀などによって、
ゆがめられた古代史を解き明かしていくのが面白い。
ヤマト政権から道鏡失策まで一つのストーリーになってるね。
反論異論お聞きしたい。
2 :
天之御名無主:2007/04/09(月) 19:43:44
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■■ (*゚ー゚) ■ ■ ■ ■ ■ ■
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3 :
公孫3:2007/04/09(月) 19:46:01
3げっちゅ
4げt
関裕二?
だれ?きいたことねえなぁ。
6 :
1:2007/04/09(月) 23:39:11
>>5 ホント?
アマゾンで検索すると、ずらっと出てくるはず。
7 :
天之御名無主:2007/04/10(火) 20:56:15
この人の本は読物としては面白いけど、鵜呑みにはできんよね。
小説家だからね。
キャラクターに古代人物の実名を使っている奇想天外な小説と捉えればいいんじゃない。
歴史家は誰も知らないけど、俺だけが知っている深淵な「陰謀」「策略」が、存在したのだというのが
おきまりのストーリー展開だね。
9 :
1:2007/04/11(水) 11:44:41
あらら、アンチ関裕二が多いですねー。
他もいろいろ読んだけど、聖徳太子の正体をこれほど明確に言ってる人は知らない。
他の意見は、聖徳太子はなんだと言ってるの?
10 :
天之御名無主:2007/04/11(水) 17:53:50
ぶっちゃけ、飛鳥時代の人物を同定する〇〇=☆☆説には食傷気味なんだよね。
鎌足=余豊章なんかも根拠が弱い。
聖徳太子については、梅原猛の説を発展させた感じかな。
個人的には、同じように梅原猛説を発展させてる井沢元彦に対して、井沢のアカデミズム批判を取り上げて関が批判してたのは笑えたなぁ。
関と井沢はお客さんが被るのかな?
11 :
1:2007/04/11(水) 18:19:26
>>10 そう、俺は被ってます。ついでに梅原猛も被ってます。
梅原、井沢、関と読んでいって、あなたの嫌いな人物固定を読むと、
するする古代史が頭に入って、全体像が見えてきて面白い。
古事記・日本書紀をまともに読むと、ぶつ切りの話で面白くない。
逆に、学者風の論調で、最後には「謎が深まる」で尻切れトンボだと、
んなもん慎重に書いて、事実を並べてるだけでつまらん!って思っちゃう。
むしろ俺は、そういう慎重事実論調に食傷気味だ。
みんな好みはそれぞれだね。
12 :
天之御名無主:2007/04/11(水) 18:37:58
梅原や関がツバ飛ばして力説してるが、
聖徳太子ってホントに怨霊なの?w
どんな評価されてるの?
13 :
1:2007/04/11(水) 19:33:27
日本の「怨霊」とは、「罪なく殺された・死んだ人」であり、
罪悪感ある者が、「祟られる」と信じたから「怨霊」となる。
少なくとも善人でいながら、まともに死んでないんじゃないかと思われる。
14 :
天之御名無主:2007/04/11(水) 19:37:02
>>12 とりあえず、梅原猛に反論してた武光誠(歴史学者)の説を引用しとくよ
(聖徳太子怨霊説は)なかなか好奇心そそられる、そしてロマンあふれる解釈である。
ただ、これらを裏付ける古文献はなく、証明しようがない。
また、時代的背景を考えても、「怨霊説」は採用しにくい。
というのも、飛鳥時代は首長霊信仰が主流で、「(太子をふくむ)王族は死後、首長霊となり、国内の人々の生活を見守る善なる神となる」と信じられていたからである。
皇族、貴族が怨霊を恐れるようになるのは、平安時代に入ってからである。
怨霊を恐れる発想は、密教と中国風の伝奇文学の流行から起こったからである。
密教ではみえない悪霊の存在を説くし、中国には恨みをもって死んだものの話が多い。
いわば「怨霊」は平安時代にやってきた流行だったわけである。
飛鳥時代のころまでの日本人の発想にはないものだったのだ。
たとえば、密教伝来以前に非業の死をとげ、怨霊になってもおかしくないと思われる藤原仲麻呂にせよ、道鏡にせよ、蘇我馬子に殺された崇峻天皇にせよ、「怨念で人々が苦しんだ」「たたった」という話は出てこないのである。
太子に関しても、同じことがいえるのではないだろうか。
(『誰も書かなかった 古代史ミステリー』監修/武光誠)
>>11 そうですよね。読書の楽しみは、おもしろいか、おもしろくないか、
それが決め手ですよね。
こちとら、学者じゃないんだから、学問的にどうかなんて、知ったこっちゃないですよ。
おもしろければよい。おもしろくなければだめ。
それがすべて。エンターテイメントですよ。
16 :
天之御名無主:2007/04/11(水) 20:38:19
いくら面白くても、飛鳥昭雄みたく、あからさまなトンデモ妄想本にハマル気は起きない。
小説でなく、いかにも事実を装ってる所もセコくてこざかしい。
毒電波・妄想垂れ流しでなく、その稚拙な矛盾点や、まともな専門家の意見とかも
並行して載せてれば、エンタメとして読まないでもない。
関って人が、アカデミズムや専門家などからどう評価されてるかは知らんけど。
17 :
天之御名無主:2007/04/11(水) 20:54:00
>14の反論とかに、梅原や関はどう反応するんだろう?
一方的な仮説垂れ流しでなく、互いの対談や討論の方が興味深い。
いたらない説も淘汰されていくし。
太子を怨霊と見なす考えがあったならば、太子にまつわる伝説、全国の太子信仰などに、
必ずその影が落ちてなければならない。
現実にはそれは、皆目見いだせない。
なにより、20世紀も暮れになって、梅原が初めて言い出したってのもイタイ
19 :
1:2007/04/11(水) 21:43:09
>>14 そうそう、この武光誠氏の著作も気付いたらたくさん読んだのだが、
事実の羅列で面白くない。
ちなみに平安前の怨霊で有名なところで、
奈良時代の長屋王(藤原四兄弟の陰謀)、長岡京の早良親王(後の祟道天皇)などなど、
そもそも引用内にある崇峻天皇もそうだが、「祟」はタタリと読み、怨霊封じの名付け。
古代でも出雲大社も怨霊封じと考えれば合点行くし、三輪山の大物主の神も怨霊騒ぎ、
怨霊の歴史と言っても過言でない。
多分、平安時代に初めて怨霊を明文化されたから、歴史学者は文章でしか判断できない。
(この辺が井沢元彦なんかは、歴史学者の悪口を言いまくりなところだが)
状況証拠で判断できるし、そもそも日本国内にそういうメンタリティーがなければ、
怨霊を輸入したところで、すぐにそう信じないに決まってる。
(一神教が輸入されても、メンタリティーが合わない日本人には浸透しない逆の例)
以上、井沢氏などの受け売り。
20 :
1:2007/04/11(水) 22:39:53
>>16 「飛鳥昭雄」は知らないが、トンデモ妄想本は腐るほどあるよね。
最近流行りは、ユダヤ人の末裔が秦氏とかなんとかいろいろあるね。
よく知らないけど。
多分トンデモ本には、もっと破天荒なものも多々あるんだろうね。
諸星大二郎のマンガがホントの話だと思ったり(あれはあれで面白い)。
21 :
1:2007/04/11(水) 22:42:56
>>17 「>14の反論とかに、梅原や関はどう反応するんだろう? 」
というわけで、特に井沢氏の主張はまさに歴史学者へのアンチテーゼ。
文書に載ってない宗教的メンタリティーを無視している歴史学者は、
なーんもわかってない、ってのオンパレード。
22 :
1:2007/04/11(水) 22:50:24
>>18 「皆目見いだせない」ってホント?
その点、教えて欲しい。
でも「太子にまつわる伝説」なんて、それこそ、空飛んだとか、魂だけ別に飛ばしたとか、
それこそSF色もない?
俺の解釈なんだけど、「何人もの意見を同時に聞いた」ってのは、
「様々な相反する意見が出ても、お互い納得する解決策を見いだした」と解釈する。
和の文化とは合議制、みんなの意見を出し合って、今風に言うとWin-Winの関係を作り出す、
そういう政治家だったと思う。
むしろ太子信仰ってのは、こういうのを飛躍して表現する、当時の独特のやり方だと思う。
以上、俺の勝手な推測。
連続投稿すいません。
23 :
1:2007/04/14(土) 21:50:56
あげさせていただきます。
>>7-8 同意。ありゃ空想読本だね。
なぜか手元に2冊あったん…で
ざっと斜め読みし直してみたけど、あんなの真に受けるのは餓鬼だけだな。
25 :
天之御名無主:2007/04/15(日) 10:59:51
ざっと斜め読みすると、確かに怪しいね。
その感度、正しいよ。
時間は相対的だなんて、それ聞いただけじゃバカバカしいね、
って、アインシュタインの相対性理論を発表した当時、ざっと斜め読みしたらそう思うだろうよ。
まあさ、あなたがどれだけ歴史の知識があるかどうか知らないけど、
俺からすると、歴史・宗教の学問として出てる情報を前提にすると、なかなか面白い仮説なわけ。
真偽を侃々諤々論ずるのは歴史家に任せて、俺たちはストーリーとしてリアリティを楽しむのがいいのでは?
あなたにお聞きしますが、
聖徳太子という政治家を信仰までするいきさつには、あなたはどういう理由があると解釈しています?
ここで、リアリティーある面白い解釈出してくれると、なるほど面白いって俺は思うわけです。
ま、答えなくてもいいですけど。
ある史実があって、その根を変えずに葉を変える。
史実に従ってウソをつく。
ま、これが書く方も読む方も一つの遊びになるのだね。
子供でも知っている大舞台の中に物語を放り込む。
どこまでも実の延長に虚有り。
28 :
1:2007/04/15(日) 13:44:20
もし、26,27が24と同一人物であれば・・・、
やっぱり答えないんですね。
もちろん会話にならない書き込みも、あなたの自由です。
荒れたくないから、これからスルーします。
29 :
24:2007/04/15(日) 15:14:24
>>25 そもそも俺は「聖徳太子なんて名前の個人が居た」とすら思ってない。
蘇我氏の功績のうち無かったことに出来ない事柄を
聖徳太子という架空の人物に仮託したんだろ?
30 :
24:2007/04/15(日) 15:20:42
あと、アンチは同一人物による荒らし〜みたいな妄想を膨らましてスルーするのは勝手だけど、
>読み物として面白ければ良い、学問としては興味ない。
↑
なら、読書板にでもスレたてしなよ。電波も多いけど、ここはいちおう学問板だぞ。
31 :
1:2007/04/15(日) 15:41:14
今気付いたが、25は1と書くの忘れた。1本人の書いたのです。
>>29 > 蘇我氏の功績のうち無かったことに出来ない事柄を
> 聖徳太子という架空の人物に仮託したんだろ?
↑
この文章だけ見ると、まさに関裕二氏の主張と一緒ですよ。
あと、聖徳太子なんて個人はいないのは、今や中学生の教科書もそう書いてるらしい。
当然そんなのは前提で、「なぜ信仰というのが根付いてるのか?」と聞いた。
言い換えると、「なぜ架空人物を信仰という対象にしたのか?」と。
>>30 お手数ですけど、誰に向けて言ってるのかを書いて下さい。
32 :
天之御名無主:2007/04/15(日) 17:50:48
>>30 >>1で反論異論お聞きしたいとも言ってるし、
学問的な話題・批判も大歓迎だと思う。
33 :
天之御名無主:2007/04/16(月) 02:27:53
とうとう、大山の「聖徳太子架空人物説」まででてきちゃったなぁ。
確かに、後世の諡(贈り名)である「聖徳太子」は教科書から消えたようだけど、教科書で贈り名表記されるのは天皇か皇后くらいで、贈り名のある皇子でも諱で表記されるのが普通で「聖徳太子」だけが例外だったから、統一しただけじゃないかな。
大山説の特徴の一つに、不比等みたいな権力者の都合で太子信仰みたいな信仰を他人に強要できると権力者を過大評価してる部分があるね。
その辺りはまだ、関の怨霊説のほうがましだと思うけどね。
最近では、妖怪ブームの影響もあり、水木しげるをはじめとする妖怪関係者が音頭をとって、怪異について歴史学者や民俗学者など共同研究できる土壌が出来つつある。
怨霊に関する概念の歴史的経緯がこれから詳しくわかるかもしれないと期待してる。
武光誠を引用したのはオイラだけど、正直なところ密教などの外来思想だけで怨霊信仰が説明出来るとは思わんのよね。
34 :
1:2007/04/16(月) 10:21:05
>>33 見解ども。
>歴史学者や民俗学者など共同研究できる土壌が出来つつある。
そう。「霊とは何か?」ではなく、「(当時)霊をどうとらえてたか?」と、
文献には残りにくいメンタリティーを加味した解説がどんどん出てくるといいなと思う。
>密教などの外来思想だけで怨霊信仰が説明出来るとは思わんのよね。
怨霊信仰の定義が難しいけど、俺が思うその基盤は、アニミズムにあるんだと思う。
この分野に詳しくはないんだが、縄文時代から続くアニミズム、
この時代はどの地域でも自然信仰で、他の地域と交流薄い島国の日本は、
そのまま原始アニミズムが続き、その怨霊信仰に結びついたのではないかと。
その山の信仰(後に言う雑密)が、役行者などにより広がり、
雑密に入った空海や最澄が、長安から密教を持ってきたのだと。
つまり密教=外来思想じゃなく、やはり日本得意の、日本式にしたんではないかというのが、俺の見解。
怨霊の根はアニミズムにあるんじゃないか、そのメンタリティーが密教と結びついた、という俺の解釈です。
35 :
天之御名無主:2007/04/16(月) 14:59:06
太子が後の信仰や伝説の中で怨霊として観念、或は現れてくるケースなんて見たことない。
最近の「聖徳太子いません説」って
日の没する方向にある国が裏で手を回してるのかと思ってた。
なぜか劇団ひとりとタカトシが熱弁ふるってたな。
聖徳太子伝説は、
キリスト教の救世主伝説と内容が被ってるから
どうしても架空性を疑いたくなるよね。
この人の説で一番面白かったのは、
持統天皇の百人一首の解釈かな。
38 :
天之御名無主:2007/04/18(水) 10:50:26
馬小屋から生まれたのも、イエスの話を持ってきた。
39 :
天之御名無主:2007/04/19(木) 01:02:51
厩での誕生譚は、ネストリウス派のキリスト教が唐代に流行ってたから、貴人の誕生譚として借用したのかもね。
まぁ、仏様関係の逸話のほうが圧倒的に多いから、マジで厩で生まれただけかもしれんけど。
逸話と名前がリンクしてたりするから架空だとかいう話が出てくんのかな。
41 :
1:2007/04/26(木) 10:57:43
法隆寺夢殿の救世観音を見た人います?
梅原猛の言う、光背が後頭部突き刺してるのって、確認出来るの?
ざっとスレを見て、
とりあえず
>>19が「祟」の「あがめる」という読みを知らない馬鹿だというのが解った。
43 :
1:2007/04/28(土) 09:43:02
>>42 あなたは頭良いですね。
ついでにあなたの意見が欲しいのですが。
「ざっとスレを見て」で、それだけだったらがっかりなので。
44 :
天之御名無主:2007/04/28(土) 11:12:50
★古文版ウィキペディアの成立のために同志の協力を仰ぐ★
《古文版ウィキペディア(テスト版)》
http://incubator.wikimedia.org/wiki/Test-wp/jpn-classical 《古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ》
http://meta.wikimedia.org/wiki/Requests_for_new_languages/Wikipedia_Classical_Japanese_2 いまメタウィキで古文版ウィキペディアを作ろうという提案がなされています。
成立には多くの人の賛成意見が必要なので、簡単ですのでぜひご協力ください。
日本語は長い歴史を持つ言葉です。古文版が成立すれば日本語は古典を有する偉大な言語だということを
世界に知らしめることになります。
今の日本語は多くの漢語を交えますが、平安時代には漢語が殆ど使われず、多く和語を用いていました。
これぞまさに大和民族の精髄といえましょう。
日本を愛するなら、この企画にご協力ください。上にあるのは飽くまでテストウィキであって、
提案が承認されなければなくなってしまいます。古文が書けなくとも、
賛成意見を書いていただければよいのです。賛成は多ければ多いほどいいのです。
【簡単】協 力 の 仕 方【短時間】
1、「古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ」(上のリンク)に行く。
2、画面の右上の「Log in / create account」という所をクリックし、メタウィキのアカウントを取得する。
3、ログインし、古文版のArguments in favourという項目に'''Support'''と書き込み、
後ろに理由を書き込む(英語でも日本語でもどちらでも良い)。理由は一言でもよいので必ず書いて下さい。
末尾に必ず--~~~~と書いて署名する。(--~~~~と書けば日付とアカウントが表示される)
■□■その他、宣伝等■□■
1、ブログやウェブサイトなどを持っている人はそこで宣伝して頂ければ嬉しいです。
2、記事を書きたい人はテストウィキに行ってください。
45 :
天之御名無主:2007/04/29(日) 09:57:10
>>41 写真か映像で見たことある気がするが、記憶違いかもしれん。
見てて痛そうな感じがしたのを、ぼんやり覚えてる。
46 :
1:2007/04/29(日) 13:13:47
>>45 そうなんですよね、俺も写真で見たような記憶がある。
でも一般参拝者は、開帳の時でも見られないんだろうナーって思って。
47 :
天之御名無主:2007/05/05(土) 17:58:24
関裕二の本はなかなか面白いけど、何でも強制的に物事を結び付けている気がしてきはります。
積算の名前を出したら、とんでも本とか妄想作家だとかいう人が沢山いてます。
48 :
天之御名無主:2007/05/05(土) 21:13:33
強制的に物事を結びつけたものを一つの説として
紹介するんじゃなくて、それを自分だけが解き明かした
真実であるがごとく書くんだもの。
49 :
1:2007/05/06(日) 00:38:42
>>47 京都の方でしょうか?
うーん、場所が場所だけに説得力あります。
>>48 確かに、それは俺も感じます。
結構書籍は多く、好意的な人が多いかと思ってたが、意外とダメだし多し。
スレ終了かな。
古代史研究家ではなく、なぜ歴史作家と名乗るんだろう?
自分の作品は小説とかのフィクションと同レベルで
楽しんでください、ってことなのか?
ヒストリーエンターテイナー・関祐二
52 :
1:2007/05/06(日) 12:28:53
>>50 どこかの大学教授なわけじゃなく、世間的常識で公式な歴史家じゃないからそうなんじゃない?
フィルハーモニーに所属してる人は演奏家で、バンドマンはミュージシャン、みたいなの。
というか、このスレ、支持者ゼロ?
何から何まで支持してるって人は、あんま居ないんじゃないかな。
指摘されているとおり、強引な推論を事実のように書き突っ走る面はあるけど、
ときどき、なるほどと思わせる指摘もある。
読んでそれなりに面白いことが多い。
個人的には注目している。
54 :
天之御名無主:2007/05/06(日) 13:35:26
ん?在野・民間で古代史研究家を名乗る人は普通にいるよ。
すばらしい実績を残した人も多いんだから
世間的常識がない、みたいな表現はどうかなあ(w
>>51の人の言うようにエンタテイメントというか、
読者を楽しませることを第一においているという
姿勢があるのかもね。
俺は楽しめないけど。
55 :
1:2007/05/06(日) 16:04:59
>>53 やっと味方だ。
俺も同じく盲信してるわけじゃない。
仮説として面白い、しかも説得力はある。
逆に、先に出た武光誠氏のような反論は、むしろ説得力無い。
史実の羅列で、その史実の矛盾点には「謎が深まる」で終わる。
>>54 名乗るのは自由だろう。俺だって名乗ったっていい。
ただ、常識的な感覚で考えたら、52なことだろうということ。
というか、関氏の外側の話なんてどうでもよく、
関氏の著作の中身を論じるべきじゃないの?
例えば聖徳太子怨霊だっていうのは、関氏だけじゃない。
誹謗中傷はそれこそ楽しめない。理屈でいこうよ。
なんでこの人こんなにカリカリしてるんだ?
敵だの味方だの言い出すのも変。
57 :
1:2007/05/06(日) 18:03:49
いやカリカリしてるわけではないです。
誤解を与えてすみません。
あと、確かに敵だ味方だはよけいなことでしたが、ただ罵倒して去る人が多いもんで。
すみません。
58 :
天之御名無主:2007/05/08(火) 00:13:28
59 :
1:2007/05/08(火) 11:11:15
>>58 その本は読んでませんが、その手の古代ダイジェスト版みたいな本はよく出てるようです。
(出版社的な企画・再編だと推測する)
その他の本、大化の改新や聖徳太子年代をフューチャーした本には、
その根拠がこれでもかと書いてあります。
(ただその「根拠」も人によっては断定的すぎる・説得力がないとされるところでしょう。
そこが議論が起こるところです。
この著者による本に限らず、古代にまつわる説には議論が侃々諤々つきものです)
もし機会があれば、その他の本を読んでみて、あなたなりの解釈をしてもらうのがいいと思います。
ふと思いましたが、関氏や井沢氏や梅原氏に共通する思想のバックグラウンドは、
当時の宗教的思想を加味して捉えてるところにあると思います。
俺も、時代時代の宗教思想を考慮しながら各本を読むのが好きで、
たまたま関氏の著作に興味を感じたかもしれません。
この手の本が嫌いな人は、宗教を加味するのが嫌いな人や、
史実にはかけない思想は史実にないから証拠にないと考える人が多いかもしれません。
60 :
河豚比礼:2007/05/17(木) 20:34:41
>>37 >持統天皇の百人一首の解釈
それって、
春過ぎて 夏来るらし白栲の 衣乾したり 天の香具山
の歌を、『丹後国風土記』の天の羽衣伝承と絡めて、天武天皇政権の
奪取を暗示した、ってヤツ?
『日本古代史 謎と真説』学研M文庫
しか持ってなくて、それには書いてなかったけど、中臣氏と天香具山
の管理権との関連性に触れていたら、もっと面白かったかも。
>>60 すごい亀レスになったけど、それそれ。
たまたま自分が高校の授業で
その歌の解釈をいろいろやったせいもあるんだけど。
(もちろん、その授業でそんな解釈は出なかった。)
62 :
河豚比礼:2007/06/03(日) 18:58:27
神功皇后=台与はちょっと飲み込めないけど、持統天皇の歌の解釈は
すんなり納得できた。
63 :
天之御名無主:2007/06/24(日) 03:14:26
>>19 >>42 ざっとスレを見たけど、
とりあえず、「崇」=「あがめる」と「祟」=「たたる」って似てるけど、全然違う字だよ。
分かってるとは思ったけど念のため。
さすが2ちゃん。ちゃんと関裕二作品のスレあるんだな。
史学書じゃないんだから、ある程度基礎知識を持っていて、ミステリー探求を楽しみたい人にはいいんじゃないの?
作者同様に奈良が好きで、古代ミステリーにロマンを求める人とか。
64 :
天之御名無主:2007/06/24(日) 05:10:11
「藤原 不比等」
画数:藤(18) 原(10) 不(4) 比(4) 等(12)
天画(家柄)28画 吉 身内に頑固でわがまま
地画(個性)20画 凶 暗闇を手探りで歩く弱運
人画(才能)14画 凶 浮き沈みの激しい波乱運
外画(対人)30画 吉 試練をバネにして成長
総画(総合)48画 中吉 福運にあふれた吉運
評価 : 57.1点
モバイル姓名判断(
http://n1.mogtan.jp/?s10489)
65 :
天之御名無主:2007/06/24(日) 09:38:30
「藤原 史」
画数:藤(18) 原(10) 史(5)
天画(家柄)28画 吉 身内に頑固でわがまま
地画(個性) 5画 大吉 行動力抜群!ツキの多い性格
人画(才能)15画 大吉 思慮深く謙虚な性格
外画(対人)23画 大吉 弁舌さわやか、頭角を現す
総画(総合)33画 中吉 強運ですが自尊心が邪魔を
評価 : 80.8点
モバイル姓名判断(
http://n1.mogtan.jp/?s10489)
66 :
天之御名無主:2007/06/25(月) 02:54:14
4・5年前ぐらいに法隆寺救世観音を見に行きました。
私も光背が刺さっているというのに興味があって…
夢殿の中には入れなくて、金網越しにがんばって覗いたんですが、
中が暗くて見にくかったような。
真横からは見れなかったと思います。
暗かったからなのか、見える角度の扉が開いてなかったのか…
忘れてしまいました、すみません。
正面からの顔がぼやーっと見えたのだけ覚えてます。
関裕二さんの本はとても興味深く読んでます。
本屋でタイトル見て「あ、これ知りたい」と手に取ると
なぜかほとんど関裕二さんの本です。
>>42.
>>63 「「崇」=「あがめる」と「祟」=「たたる」って似てるけど、全然違う字だよ。」
まさに、違う字だが似てるというのがポイントで、
井沢元彦説であるが、草書体で書くと同じ言葉になる。
「言霊信仰」を前提に出来ない人には理解出来ないのだろうが。
関裕二の古代史論がうさん臭い
69 :
天之御名無主:2007/07/08(日) 21:53:15
1の降臨まだ?
余豊ショウ=藤原鎌足は無いと思うな。
鎌足は白村江の戦いの後に新羅の金ユシンに船をプレゼントしているので。
71 :
天之御名無主:2007/07/12(木) 03:45:48
>>66本屋でタイトル見て「あ、これ知りたい」と手に取ると
なぜかほとんど関裕二さんの本です。
「闇」「祟り」「怨霊」「〜の秘密」とか、厨房好みのキーワードがデフォだからなw
専門書コーナーにあって嫌でも目立ちやすいわな
72 :
二番煎じ:2007/07/17(火) 12:50:05
関さんの本は大好きですが、結論を急ぎすぎてますね。
余豊章=鎌足は、個人的には支持したいのですが、なにせ藤原家
は支配者ですので、その秘密は抹殺されてしまって、各地の文献にすら
残っていないのではないでしょうか?
聖徳太子が怨霊であったというのは、正しいと思います。
怨霊信仰も平安時代から突如はやったわけではないと思われます。
縄文時代より、人形にくぎを打ち付けて、相手を呪い殺す呪術があった
ことが分かっているわけですから。
それよりも、重大なことは、現在の天皇家は、関さんのトヨの王家説や、
蘇我氏が日本国の正統な支配者であったという説に対して、どう考えている
かです。
少なくとも、天皇家は、権力闘争で滅び去ったにせよ、歴史的に一方的に
悪とされている蘇我入鹿に対して、新説が出て少なからず疑問点が上がって
いる以上、自らの見解を出すべきだと思います。
藤原家も、天皇家の所有しているものまでは、抹殺出来なかったのでは
ないでしょうか?
現在の天皇家は、全てを知っているのではないでしょうか?
73 :
天之御名無主:2007/07/22(日) 15:01:21
余豊章=鎌足の説は藤原氏があまりにも謎が多いことを思えば可能性は考えれるが、
もしそうだとしても何かの古文書等に暴露されてないからないと思う。
太子=入鹿も、もしそうだとしたら太子は70〜80歳ぐらいになってるけど、
あの絵ではそんな老人ではないので違うと思うが馬子なら同一人物の可能性はあると思う。
74 :
天之御名無主:2007/07/22(日) 17:07:36
神にしろ怨霊にしろ、人間にそう認識され、そう信仰されてなければ意味がなし。
太子は後の説話や信仰でも、怨霊としての観念はまったく無い。
むしろ聖人君子、預言者として古来から尊崇拝されてきた。
梅原が20世紀末になっていい始めた所で、今更怨霊になんかなりません。
法隆寺には厭魅(えんみ)(まじないで呪い殺す)を使う僧の行信が関わってて
夢殿にその像もあることを考えれば何かしら怨念があったと思う。
しかしその怨霊の正体は太子ではなく蘇我入鹿か物部守屋のような気がします。
また黒幕とされる藤原鎌足でさえ昭和初期に墓が偶然発見され遺体が本人であることが確認されたが
当時責任者の大学教授が変死した為あわてて戻された経歴があった。
これもやはり怨霊の恐怖があったのだろう。
76 :
天之御名無主:2007/07/28(土) 18:18:58
/ ̄ ̄ ヽ, ,.-――
/ ', /´ /;;;;;ヽ
{0} /¨`ヽ {0} ヾ,.。、 '゙,。、`. ',;;;;;;;;;;;l
l ヽ._.ノ ', i`フ `''´ l;;;;;;/,i
/\___/ヽ ,リ `ー'′ '、 i ゝ ,、) l;;/ィ/
/ '''''' '''':\ /. \/ ̄\/ .\ ', iニニヽ `'!;'`
. | . (●), 、(●)| | | _┌l⊂⊃l | | ',ヽ三ノ,' .';:
. | ,,ノ(、_, )ヽ、,,| .| | / ∋ |__| | | ヾ;.ニ, ' ';
. | `-=ニ=- ' .:| | /` ____ | | ヾ‐'┐ h
\ `ニニ´ / ヽ ,;''"´ `ヽ .ノ__ j ̄ ̄ |
ヽ、 ニ┌─┐ノ / ̄ '、-- ':: ヽ_,,ィ、 \ / ' ̄ ヽ\
// ノヽ─| | ♯| / }`、ヽ_,,. ... _,,_,,. _..,,,,,,_ノ,' {..) )\ i ./ |\\
| | / `i'lノ))┘/ , ─ -|ミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,'f-l⊂⊃l┐_ヽ__/\ /. | | |
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|_|/ヽ、_/ ./ `──ヽ,l ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ッノ  ̄ \-──| \|_|
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77 :
天之御名無主:2007/07/28(土) 18:20:47
/ ヽ ,, -''"⌒⌒丶、 ノ // /ノ´ヾ ヽ
/ ヽ / 彡ノノヾ \ / /// ⌒ ヽ ゝ
/ /´ ̄`ヽ i / 彡彡ノノノ \ヾ ヽ ノ / `・、 r・' ヽ イ
| ノ ヽ | 彡ノ,,⌒ ⌒,,ヽ、 l フ ( ノ(・・)ヽ )人
| /_,, \ /_,, | | ノノ|<●), 、(●>| ミ ノ ! ! トェロロロロェイ ! l リ +335
| /\ ●、 ノ●/ | ノ ..ノ(6| (、_, ) .::::|6)ミ... > ヽヽ `ニニ´ノ / / ,,,
| / ´ ̄ {  ̄` | | ...(( l ll .::l(ヽ) ⌒|/\_`ー一'_/|/
| l ノ( 、_, )ヽ ノ | ヽ ヘ ,:=ニ=:、 .:::/ ヽ) / ` ̄´ / lヽ、
ヽ | ヽヽ=ニ=イ ノ / / . )) )\ `ー-‐´.::/( ( ( /⌒ `''‐ - 、 '´,-‐' |⌒ヽ
',) 丶、 `⌒´ / . (( ( `ーr--r‐´ ) )) l ,r \/l\/ ヽ l
ノノノ从人 ` 、 __,ノヽ / \ / ! \/ l
78 :
天之御名無主:2007/08/13(月) 11:43:44
全く関係ありませんないが、関裕二氏は、バブル崩壊を言い当てたことで有名な特異な経済ジャーナリストである「浅井隆」氏の実の弟とのことです(浅井隆「億万長者の哲学U」220頁)。
先祖は米沢藩士で、大正時代までは大富豪であったそうですが、昭和恐慌で没落し、関氏と浅井氏の父親は国鉄に勤めた技術者であったそうです(同書)。ご参考まで。
79 :
1:2007/08/15(水) 20:54:58
この人着眼点は面白いと思うけど、検証をあまりせずに言いっぱなしの感じ。
たくさん本を出しているけど、他の著書と内容が結構かぶっているし。
あと「カラクリ」「相剋」の濫用も気になるw
PHP文庫のシリーズなら出雲抹殺、天孫降臨、物部の3冊あれば、だいたいの
謎や不思議な伝承の類はわかるのではw?別に意見は著者と違っていてもいいと
思うし。今の学生さんは漏れの頃に比べたらホントいろんな事わかってて羨ましい。
書記も物事の年代を60年やら120年やら繰り上げたり、一人の人物を数人に
分解して何度も同じ事を語ったり、同一人物に無数の名前を与えて正体を
わからなくしたり大変だな。そりゃ編纂何十年もかかるはずだわ。
たぶん日本の最大の謎は、天武系が途絶えて天智系復活、奇跡、大万歳が実は
大嘘で、天智系こそ百済から来てこの国を乗っ取った侵略者王朝で、園神を
信仰している事を隠蔽している事なんだろね。
82 :
天之御名無主:2007/10/29(月) 23:52:18
関さんの邪馬台国の卑弥呼が大和のトヨに滅ぼされて、トヨは
魏に卑弥呼の後継者と報告をした。トヨは神功皇后でトヨの息子
が神武天皇である。という説の本をよんだが驚いた。小説といしては
おもしろいが、自説の核となる部分になると思い込みで強引に結論を出しすぎる
傾向がある。例えば日田に大和勢力がくさびをうったことで邪馬台国が
苦境に陥り滅びたとする自説は、日田の遺跡から畿内のものが出てきたから
というのが根拠というのではあまりに強引である。関さんは自著の中で
物事は細かい部分にとらわれると本質が見えてこない、大局的視点により
本質がわかると言っておりますが、どう読んでも大局的視点というより
根拠が薄いまま都合がいいように解釈して物語を作っているようにしか
感じなかった。 私は割と真剣に読んでしまったのですがもしかして
日本史研究家のなかではとんでも本の部類に入る人なんですか?
それともほかの文献では緻密な根拠を説明しているお方なのですか?
そもそも「日本史研究家」なるもの自体、根拠の薄いストーリーを作る
商売って感じだしなあ。おもしろさ優先で小説家との線引きが難しい。
他の連中と比べたら良いとも悪いとも言えないかと。
歴史学の学術論文として見るなら論外の一言。
84 :
天之御名無主:2007/11/07(水) 13:16:35
>>83 それじゃあ、あなたの基準でいけば、
近代以後に日本の歴史を論じた学者で、
「論外」でないのは誰がいますか・・・?
信者のしょうもない居直りキターw
86 :
天之御名無主:2007/11/07(水) 14:34:24
どのスレにもいる
しょうもない揚げ足とり厨キターw
「揚げ足とり」もまともに使えない池沼キターw
・・・つまらんな。
88 :
天之御名無主:2007/11/13(火) 13:31:13
mixiで藤上聖華を検索してみろ
89 :
天之御名無主:2007/11/21(水) 02:42:07
>>1 こいつは学術系じゃなくて
ただの物書き野郎だろう?
よって、終了!
ただの物書きだからといって検討の対象にならないというのは不当。
出自が学術系じゃなきゃいかんというのは、しょうもない権威主義にすぎない。
それを抜きにしても小説の域を出てないとは思うけどな。
91 :
天之御名無主:2007/11/21(水) 13:02:42
>>90 >それを抜きにしても小説の域を出てないとは思うけどな。
『記紀』以前の、文献も資料も圧倒的にない or
抹殺されたあの時代を語るのに、
関氏のように推論・仮説を積み重ねていく以外、
どんな方法なら「小説の域」を出るものであるといえるんだ・・・。
92 :
天之御名無主:2007/11/21(水) 13:54:04
>関氏のように推論・仮説を積み重ねていく
推論を重ね過ぎたらいかんでしょ。
学者は判らないことは判らないと言っても恥じゃないし。
93 :
天之御名無主:2007/11/21(水) 17:27:19
>>92 >推論を重ね過ぎたらいかんでしょ。
>学者は判らないことは判らないと言っても恥じゃないし。
関氏の推論の、どの部分を言ってるんですか・・・?
関氏は、自説を述べるにあたり、
つねに論理や事実や物証による
裏づけを挙げているでしょう?
それらが牽強付会だというのなら、
我われがエーゲ文明や先史時代のゲルマン人なんかのことが、
ほぼ正確にわかるのはなんで、といいたい。
94 :
天之御名無主:2007/11/21(水) 21:28:49
>>93 関氏の推論云々以前に、
>>91に書いてる君の考え方について書いてるんだよ。
学者はたとえ推論をしても、推論に推論を重ねるようなこと論文には書けないんだよ。
推論に推論を重ねるようなことでは「小説の域を出ない」と言われてもしかたがない。
あえて例を挙げるなら、書紀編者が三世紀の事情をよく知っていたのではないかという推論から、卑弥呼=山門の女酋長、神功皇后=台与として語り、さらにこれを前提にして大和朝廷の成り立ちまで語っているとことかね。
歴史エンターテイメントとしては面白いんだけどね。
>>94 これから仕事なんで、
気が向いたら、返事は後ほど。
>>91 小説の域を出ずに語れないことなら小説の域を出ずに語るか、
語らないかのどちらか。
君ら信者によく言っとくけど、あんまり持ちあげようとしても
かえって迷惑なだけだよ。「贔屓のひきたおし」って奴でね。
>>93 >つねに論理や事実や物証による裏づけを挙げているでしょう?
ロクに文献リストもないような体裁のものをとりだしてこんなことが
言えるって、素人さんてのはシアワセよね。
>>97 ロクに古文書の文献を読んだこともない人が
こんなこと言えるって、素人さんてのはシアワセよね。
>>97 ロクに、自分では生産的な推論ひとつ
挙げられないくせに、人の主張を高いところから
一方的にコキおろせるんだから、
素人さんてのはシアワセよね。
トンデモさんて、だいたいそうやって最後っ屁かますよね。
「批判するだけなんて卑怯だ。自説を述べない奴には批判する権利もない」ってさ。
批判も許さないような議論が生産的でなんぞあるもんか。あほたれ。
>>98 いくら古文書読んでても、自分のオハナシの飾りに使うだけじゃ意味ありませんよ。
批判的な読み方の訓練ができていない人たちには「論理や事実や物証による裏づけ」
に見えるんでしょうがね。
102 :
天之御名無主:2007/11/23(金) 17:33:59
>>98 批判的な読み方の訓練ができていない人たちには,
「自分の批判対象の具体的かつ実質的批判」
というものはできないんでしょうがね。
古代は推測に推測を重ねるしかない
邪馬台国や卑弥呼、倭の5王が誰かなんて語っちゃいけない
裏づけがとれないもんな
日本書紀や古事記も中国の史書と裏がとれたもの以外は語っちゃいけない
古代の豪族なんかいたかどうかわからない
系図なんか後で捏造できる
考古学と外国の史書で裏がとれないものはなかったことにしようや
104 :
天之御名無主:2007/11/24(土) 06:25:21
阿呆みたいな推論ひとつ、黙って聞いてやれんやつは女にモテない!
>>104 女のアホな話は聞いてやれても、いい年したおっちゃんのあほな話など聞いてらんない!
106 :
天之御名無主:2007/11/24(土) 19:48:12
この人の古代史観は、
栗本慎一郎さんのそれにもダブるね。
もちろん、どっちかがパクったなんてことはなく、
本物は通じ合うのかな・・・。
107 :
天之御名無主:2007/11/24(土) 22:45:13
関なんたらの古代史論が胡散臭い
関なんたらの信者の必死ぶりが面白い
109 :
天之御名無主:2007/11/27(火) 20:36:41
信者とアンチの相剋が大和朝廷誕生のカラクリ
この人の史料の取捨選択基準が「自分のストーリにあうかどうか」で
しかないように見えるのは俺の気のせいかね?
どういう基準で選んでるのかちっとも見えねえ。
私はこういうふうだと思う、その証拠にこういう記述がある、という
書き方ばっかで、史料そのものの信憑性についての分析が全然ない。
>>103 推測を重ねるしかないにしてもだ。
その推測の基礎である事実の扱いがいいかげんでは、その推測自体の
品質もやはり知れている。
小説はストーリーとしてのおもしろさ、納得しやすさが基準でいいのだが、
学術という話にしようと思えば、基礎部分の検討を常に繰り返し行う必要がある。
「こう考えれば納得できる」だけでは、小説の域を出ないと言われてもしかたない。
112 :
天之御名無主:2007/11/28(水) 13:41:39
>>110 >この人の史料の取捨選択基準が「自分のストーリにあうかどうか」で
>しかないように見えるのは
その資料自体、国内はもちろん外国のものも
ふくめても「取捨選択」するほど
数があるとお思いか?
>>史料そのものの信憑性についての分析が全然ない。
関氏は資料内の記述を検討するにあたり、
「どうせ神話・古文書だからいい加減に決まっている」
という態度も、「これは信用できるから、まるごと採用」
というスタンスもとっていない。
たとえば『記紀』を検証するにしても、
「どれだけ、このなかには実際の歴史が反映されているか、」
という点を問題にし、自説を述べる前にそのことを
彼なりにハッキリと明らかにさせているがね・・・。
>>112 >数があるとお思いか?
中世の記述まで含めるとけっこうな数があるんですが・・・
まさかと思うが記紀だけしかないとお思いで?
>というスタンスもとっていない。
何をいまさら。あたりまえでしょ。そんなこと。
文献ごとに丸呑み・全否定なんていうバカな態度で話が進みますか?
>「どれだけ、このなかには実際の歴史が反映されているか、」
>という点を問題にし、自説を述べる前にそのことを
>彼なりにハッキリと明らかにさせているがね・・・。
どのへんに?
記紀だけとっても、写本ごとにいくつかのバージョンがあるわけだし。
まあ、とりあえず信者のリテラシがどの程度かというのは112で明らかになったねw
115 :
天之御名無主:2007/11/28(水) 16:02:58
>>113 >中世の記述まで含めるとけっこうな数があるんですが・・・
関氏がテキストとして使う文献は、
たしかに中世のものもあるが、
それ自体、数は多くない。
せいぜい全体の2割ほどでしょう。
その他のものは、ほとんどが平安時代までのもの、
つまり古代までのものばかりです。
外国のものもふくめて。
>どのへんに?
どの著作を見ても、です。
ためしに、いま私は無作為に本棚から『天孫降臨の謎』(PHP文庫)
をとりだしましたが、そのなかでさえ、
P24〜26,P32〜34,P38〜40(以下略・・・
枚挙にいとまない。
まあ、とりあえず独創力ゼロの揚げ足取り厨たちの
国語力と記憶力がどの程度かというのは明らかになったねw
いやあ。その程度でいいんですね。敷居ひくいなあ。小説っていいなあ。
117 :
初子:2007/12/19(水) 16:41:49
はじめまして。
関裕二さんの本を読んで、古代史に興味を持ったんですが、
皆さんのハイレベルな会話についていけません。
古代史初心者として何から読んだらいいでしょうか?
アドバイスください。
>>117 やっぱり記紀と魏志倭人伝からでしょう。
そして、風土がイメージできるように、地図などもたまに見ておくといいでしょうね。
>>117 まったくの初心なんだったら、
文献にあたる前に、まず歴史から。
中学時代の歴史の教科書を
三回読み返してください。
120 :
初子:2007/12/21(金) 00:42:16
ありがとうございます。ちなみに、歴史の教科書とか参考書は読みました!
地図は以外でした。やってみます!!
あと、誰の説を信じていいか分からないのですが、関裕二さんの本はとっても面白いんですが
かなり信憑性がない人なのでしょうか?誰の説が一番いいとかありますか?
本当に素人ですみません!!
>>120 関氏の説に対する明確な反論が出てきていない現状から
信憑性はかなりあると思っていますが、学者ではないことで
信頼性はあまりないですねw
鵜呑みにするのは危険ですけど、これを出発点にするのは
いいことだと思いますよ
122 :
初子:2007/12/21(金) 01:42:02
そうですか!
学者じゃないと、やっぱり世間からは中々、認められないんでしょうかね?
ありがとうございます。まだまだ手探りで、かなり根が深い世界だなと思うので前途多難です。
123 :
初子:2007/12/21(金) 01:53:09
何度もすみません。ちなみに、読むとしたら、1、学者 2、研究家 3、作家&ジャーナリスト
だったら、やっぱり学者から読んだ方がいいんですか?
124 :
天之御名無主:2007/12/21(金) 06:36:45
いろんな出版社から『日本の歴史』といったタイトルの概説書シリーズがあるから、それの弥生時代〜奈良時代あたりの巻を一通り読んだほうがいいよ。
高校の教科書よりはるかにボリュームがあるから、最初は知らない言葉がたくさんでてきて大変かもしれないけど、基本になるからね。
自前で揃えるにはお金がかかるなら、市立図書館等必ず置いてるから借りて読むといい。
あと、巻末の参考文献なんかも参考にするといいよ。
あっ、概説書が難しいと感じたなら、漫画版の日本史シリーズも図書館にあると思うから、こっちから読んでもいいと思う。
125 :
初子:2007/12/21(金) 13:36:02
ありがとうございます!早速、探してみます!
また、何かあったら宜しくお願いします。
>>125 他の人の補足ですが、
神道や仏教の概略を知っておいた方が、頭にスッと入ります。
当時の政治は、この宗教観がベースにあるので、宗教性をおろそかにすると理解できないと、わたしは考えます。
127 :
初子:2007/12/24(月) 18:52:27
実は既に神道、仏教は調べている最中です。
本当にありがとうございます!!!!!!
>>126 でも、現在の神道や仏教ってのは少なからず後世における変容を
受けてるものなので、その頭で古代を見ようとするとかえって
見誤るもんだよ。
知らないよりはいいけど、とらわれすぎるのも危険。
さて、関信者の俺としては初詣は何処にしようか。
やはり住吉さんかのう。
132 :
天之御名無主:2008/01/04(金) 01:35:50
関信者ってわけじゃないけど、初詣は宇佐神宮に行ってきた。
八幡様・比売大神には百円玉を入れたんだけど、神功皇后の分がなくて五十円玉で勘弁してもらった。
神功皇后には、今度高良大社か香椎宮辺りで埋め合わせしますんで、勘弁して貰えるかな
133 :
ぴみこ:2008/01/05(土) 10:07:22
134 :
天之御名無主:2008/01/05(土) 17:20:52
大笑い。
住吉で大凶を引いた・・・台与様あんまりですじゃ
136 :
天之御名無主:2008/01/06(日) 13:04:34
137 :
天之御名無主:2008/01/07(月) 01:04:39
>>136 著書の「あとがき」の最後は「合掌」で絞めてるから、仏教徒なんじゃないかな。
著者紹介には仏教美術にハマッて奈良通いしてたのがきっかけで日本古代史を研究するようになったとか。
138 :
天之御名無主:2008/01/07(月) 07:32:00
>>137 >最後は「合掌」で絞めてるから
あれは、はじめて見るとドキっとするね・・・。
関係者がお亡くなりにでもなったのかと・・・。
今、初めてこの人の作品(「浦島太郎は誰なのか」)を読んでいる。
素人なもんで面白く読んでいるが、ここでちょっと疑問が。
この時代の日本の地名や人名の漢字表記で、
表意文字として漢字を使うことってあるのかな?
なんか都合よくその辺を使い分けて自説を展開しているような
気がしないでもないので。
その辺の基本的な知識を教えてください。
140 :
天之御名無主:2008/01/07(月) 19:42:14
>>139 >この時代の日本の地名や人名の漢字表記で、
>表意文字として漢字を使うことってあるのかな?
私もまったくの素人ですが、
日本の古くから伝わる地名は、
縄文・弥生時代からの、なんらかの由来によるものが
多いと聞きます。(例 ヤマト→ヤマ(重要な)+ト(場所)
私は『浦島太郎は誰なのか』は読んでませんが・・・。
ところで、よけいなお世話だろうが、
関氏は今後、大丈夫かな・・・。
たしかに、縄文時代から平安遷都までを、
ひとつの一貫した通史としてまとめあげた独創性は認めるけど、
最近彼が出している本を見ると、
どうももう風呂敷の中はカラのような気もス・・・。
在野の作家が、「日本古代史」などという限定された分野で
食ってくのは、キツいかも・・・。
将来、どこかの大学にでも就職できたらいいのだが・・・。
作家としてネタ切れなら学者に転向するにしたってしょせんネタ切れ。
142 :
天之御名無主:2008/02/02(土) 19:28:15
関さんは中高年ですからね
一応歴史街道にも連載しているみたいだし
それなりに認められていそうだから、やっていけているんじゃないかな
ほんの内容は妄想っぽいのがたくさんあるけど
知識も推理力もすばらしいから今後は大丈夫だと思うと見ているけど・・・
東京在住だからお金は大丈夫かな
要は面白いかどうかだからね>歴史読み物
検証に耐える代物かどうかというのとはまた違う観点で評価されるべきもの。
144 :
140:2008/02/05(火) 12:00:06
>>142 >知識も推理力もすばらしいから今後は大丈夫だと思うと見ているけど・
いや、関氏が優秀だというのはおおいに認めるけどね。
最近の彼の著作は、読んでみても、
前の本の内容の反復や焼き直しばっかりで
ほとんど新しい展開が見当たらないといってるんだよ。
あれだと、以前からの読者にはソッポむかれ、
新しいファンには「また同じ内容か」と愛想つかされちゃうぜ。
たとえば、井沢元彦みたいに日本史全体を自分の歴史観で
概括するとかしなければ、今後生き残れないよ・・・。
井沢ねぇ...
まあ、あそこまで見境がなくならないと、小説家としては苦しかろうね。
146 :
天之御名無主:2008/02/09(土) 15:48:30
>>144 確かに・・・・
どの本読んでも内容同じだモンね
近代史の知識もあるらしいから古代史に限定しているのが惜しい。
今後は学者なんかやらないと厳しいかもね。
まじで!
おいおい、学者は無理だろうよwwwww
文献なんて読めてないし、仮説に仮説を重ねて出来たもんばっかだしwwwww
小説家としてネタ切れだから学者でもやれば、ってか。
学術もナメられたもんだね。
150 :
天之御名無主:2008/02/10(日) 15:24:10
だって古代史の学者ってその風呂敷すら広げられないのばっかりじゃん
まだかつて広げる風呂敷があっただけでも良いよ
面白ければいいってもんじゃねーよ。
検証に検証を重ねた結果だろーが、研究ってのは。
風呂敷広げるなら、小説家で十分だ。
つーか、風呂敷広げるのは学者にとっては目標でもなんでもないよね。
153 :
天之御名無主:2008/02/11(月) 11:35:39
それこそ、小説家がやるべき風呂敷広げを学者が勘違いしてやってしまうとこうなる、
といういい例だろうよ。
おまえこそ氏んどけ。
関先生は、あえて衝撃的で目を引く表題や論を使って、
自分の本を買ってもらえるように工夫はしてるよ。
物部氏関係なら、蘇我氏とは対立的というのが世間では広く知られてるから、
あえて実は同族ともいえるほど親しい関係だった、といってみたり、
原田常治説を使ってみたり。
最近は読者が一巡して、新規開拓が難しくなってきたのと、
初期のころからの読者が古代史に詳しくなってきて、
浅い論証だと納得してくれなくなってきたのを意識したせいか、
物部氏の起源を出雲から吉備へと変更した。
これって考古学の成果から、纒向遺跡の構成要素を重視した結果で、
単なる裏切り・変節ではないんだよね。
まぁ物部氏の九州起源説を通説だといってるあたり、
本業の学者先生がたの論文はあまり読んでないなーとは思うけど。
古田信者の僕からみれば畿内説を唱えている学者はすべてトンでも論者だと思うけどね。
>>156 いやそうじゃなくて、物部氏は河内平野の開拓が飛躍的に進む五世紀に入ってから
集団形成された氏というのが今の史学界で割と有力なのよ。
纒向遺跡は無関係で。
関先生の場合は、神武以前に大和入りした饒速日を重視するから、
これと考古学の成果を結びつけている。
ちなみに、物部氏弥生・九州起源説論者は、
安本美典→関先生と同じ元はアマチュア
鳥越憲三郎→文化人類学者
谷川建一→民俗学者
田中卓→皇国史観ウヨ学者
といった感じで、史学者ではないか、史学者だけど主流派からは遠い人ばかり。
とても通説とはいえない。
関さんは、天智と天武がドンパチやり合う事になったキッカケ(火種)を
どう説明してるの?
つ『天武天皇隠された正体』
160 :
天之御名無主:2008/05/17(土) 10:28:14
関先生の聖武天皇の暗闘行幸の推理力には、本当に感心しました。
161 :
天之御名無主:2008/05/17(土) 23:56:20
歴史街道6月号
特集 古代史の謎が解ける! 関裕二先生の むかし話の暗号 100問100答
桃太郎,金太郎,浦島太郎,山幸彦,かぐや姫,カゴメ歌,…
みんな結び付けちゃってるけど、おまいら、どう思う?
164 :
sage:2008/05/20(火) 17:27:16
関先生って小説書いてたっけ?
一連の本を「小説家」扱いしてディスるのって、発想が貧困。
「史学系読み物作家(aka売文屋)」でしょ?
大学教授のように、高い給料もらって研究して、
大切に論文を書いて食ってるわけじゃないんだから、
同じような内容の論を何度も色んな出版社で出すしかないじゃん。
史学系エンターテインメントじゃん。
学会的/正調的信用をもって鵜呑みにする必要も無いし、全否定する意味も無いし。
ガチガチの論考読みたかったら、学術論文でも読んでりゃいいじゃん!
学術論文が関の出してる本と同じくらい簡単に
書店でも入手できる環境が整備されたらそうするよ。
高い給料もらってない若手研究者の論文には、
結構面白いものがあるからな。
ま、中○薫と変わらんって事だ
だれぞ原田常治スレ立ててくれ…
俺は立てられない…
大和朝廷以前の歴史研究ってアカデミズムではどの位進展してるんだろか。
一般人にはまるっきり停滞してるようにしか見えない。
考古学頼みな感じが否めないんだけど。
170 :
天之御名無主:2008/06/18(水) 20:36:57
ビッグコミックの『宗像教授』は、少しくらいは
関氏の古代史論の影響があるのかな・・・?
172 :
天之御名無主:2008/07/10(木) 21:50:57
小野妹子「太子〜太子、大変なことが起きています!」
聖徳太子「う〜ん、何だ妹子?」
妹子「何で太子は醤油でフィッシュ竹中さんと乾杯してるんですか!ワインのつもりですか!
それは良いんです。実は、民衆の間で「太子は蘇我入鹿だ」て噂が流れてるんです」
太子「え〜、入鹿さんって馬子さんのお孫さんだろ?何でそれが私になるんだ?」
妹子「何でも、噂の元は関之丸と言う物書きらしいんです。彼曰く、「天皇記」や「国記」を解読したらそうなったと」
太子「ふざけたことを言う。よし、私が「私と入鹿さんは違う!」と説得に行って来よう!」
妹子「お供します!」
太子「この槍でな!」
妹子「それだけは辞めてください!」
173 :
天之御名無主:2008/07/18(金) 21:38:01
「平成の八切止夫」
「二代目原田常治」
どっちが相応しい?
174 :
天之御名無主:2008/09/12(金) 22:17:55
自分の説を強引に通す為、
原典に書かれてもいないことを引用する。
何だか読んでて腹立つ。
175 :
天之御名無主:2008/09/13(土) 19:11:35
↑具体的にどこが?
ただ文句垂れ流されてもド素人にはわからん
あの時代ははっきりしないから、トンデモ説が溢れ、
関も胡散臭そうなのは何となくわかるが
176 :
天之御名無主:2008/09/15(月) 00:52:51
同じ与太話でも
関裕二:なんか必死。
鯨藤一郎:エンターティメント
177 :
天之御名無主:2008/09/15(月) 02:27:39
テスト
178 :
天之御名無主:2008/09/15(月) 14:58:37
税金泥棒の穀潰し(宮内庁)が古墳の発掘調査も禁止してるのが悪い
180 :
天之御名無主:2008/09/25(木) 22:08:35
いっそ完全なるフィクションとして書いたら
面白いんじゃなかろうか。
181 :
天之御名無主:2008/10/09(木) 09:30:01
最近、たてつづけに本を出したのに、
全然話題にならないね・・・。
182 :
天之御名無主:2008/10/10(金) 04:47:42
新刊、なにか新説や新ストーリー・歴史秘話とかあるの?
この人やたら本だしてるから、新刊とやらも既存の説の焼き直しイメージがあるので。
183 :
天之御名無主:2008/12/05(金) 14:53:17
関裕二さんは古代ユダヤ人と日本人の関係については言及していないんですか?
184 :
天之御名無主:2008/12/06(土) 12:19:01
>>183 私も、日本の古代豪族と古代ユダヤ人の関わりについて、関裕二さんが
どのような所見を持っておられるか、お聴きしたいですね。
185 :
天之御名無主:2008/12/06(土) 16:33:06
>>183 そういう言及はまったくないですね。
でも、ということはそれは、古代ユダヤ人やユダヤ教が、
少なくとも古代日本の主流になるほどの影響はなかった、
と考えていることは明白じゃないですか?
186 :
天之御名無主:2008/12/08(月) 19:05:34
テスト
187 :
天之御名無主:2008/12/08(月) 19:07:34
関裕二さんは、応神天皇と、崇神天皇(神武天皇)と同じ人格だと言ってますが、同じような意見の学者はいますか?
所詮小説家。売れてなんぼの世界の人。
189 :
天之御名無主:2008/12/08(月) 21:04:19
>>188 ノーベル物理学賞を受賞した益川さんが、アマチュア精神≠フ重要性を述べて
いました。これは自然科学ばかりでなく、歴史学でも当てはまると思います。
要するに、既成の概念に囚われない自由な発想を言っているんでしょうね。一般の
学者はとかく先入観で物事を見てしまう傾向があるからでしょう。
190 :
天之御名無主:2008/12/09(火) 18:19:08
関さんの「発想」は決してトンデモ説ではないと思います。
例えば、関さんが東日本(尾張、長野、新潟、関東)と
出雲(蘇我)を結びつけて考察しているのは感心しました。
その結びつけも、例えば、日本書紀の壬申の乱の記述で尾張の
役割を無視(矮小化)していることに疑問を持ち、その理由が
何故かと考え、続日本紀の記述(天武天皇崩御の際、尾張氏が
誄詞を読んでいる)から関連性を考え、さらに考古学的な裏打ち
を付加するといった、一連の過程は決して宙に浮いた議論では
ないです。
理由がいい加減なら即、本を放り出しますが、私は読み続けています。
191 :
天之御名無主:2008/12/10(水) 15:07:40
>>190 関氏の論理は、自由なアマチュアリズムを維持しつつも、
厳密な実証性に裏打ちされていて、ものすごい説得力ありますよね。
日本古代史など、まったくの専門外の私でも
そのスゴさは理解できます。
面白いことは面白い。読み返そうとは思わないが
193 :
天之御名無主:2008/12/12(金) 11:16:01
直木孝次郎は、応神天皇について「(実在する)仁徳天皇を神格化
するため、神宮皇后の父を仲哀天皇か住吉明神か曖昧にした」、ひいては
「応神天皇=仁徳天皇」と言っているようです。
この意見が発表された当時、考古学会は「トンデモ説」と糾弾した
のでしょうか。
関さんは、応神天皇の父を住吉明神(武内宿禰)、応神天皇(の子孫)
=神武天皇(なお崇神天皇=ニギハヤヒ(昔は神武天皇に同定していた
ようだが、その後ニギハヤヒとする?))と主張します。
初代から15代までが圧縮されてしまい、そこだけを読むと思いつき
かと思ってしまいますが、それに至るまでの論証(武内宿禰が迫害さ
れた等の日本書紀の記述その他)が為されていますね。
194 :
190,193:2008/12/15(月) 12:04:47
関さんの本を初めて読んだのは約3年前,以後その論述に惹かれて読み継いでいます。
そもそも関さんは、原田常治氏の「古代日本正史」に触発されているようですね。
私も読んでみましたが、独断と飛躍が多く(例えば、大国主の妻天照大神には十数名の
子が居て云々)、原田氏自ら日本書紀を通読していないと言切る等、原田氏を批判する
ことは極めて簡単です。関さんも、原田氏の独断と飛躍は断固批判されています。
ただ、ヤマトの誕生がせいぜい1800年程度前で存外古くないこと、神社伝承の
分析(合理的範囲で)が「何故か見過ごされてきた」こと等の原田氏の提言は重要だと
言っています。同感です。
関さんを原田氏(説?)の承継者と批判する人があるようですが、上記提言・精神の
承継者ということなら、関さんは歓迎するでしょうね。
195 :
天之御名無主:2008/12/15(月) 20:49:22
(続き)
ヤマト成立前後の日本人の思考・メンタリティーは、現在でも維持されているか。
民俗学の範疇かもしれませんが
・ストレートなものの言い方をしない(井沢さんの言う言霊信仰?)。
・反対勢力も取り込み同化する(石上神社=物部の祝詞?「ふるべゆらゆらとふるべ」
が天皇家の祭祇に取り込まれている)
・自然現象は怖いが貴重。稲妻は怖いが、なければ稲穂が実らない(∴稲の妻)。
たった1800年程度しか経過していない現代日本人も、これらのメンタリティーは
当時と大差なく維持しているのでは?
こういったメンタリティーの持ち主が(不比等を気にしつつ)日本書紀を書くと、
個々の文章、単語に複数の意味を持たせるような気がします。
記紀学者の本を読んでいて、何が言いたいのか分からないのは、記紀を、あたかも
論理的言語を使用する他民族(中国とか)の文書の如く研究・著述しているからでは
ないかと思います(特に武光誠氏)。
19さんと同意見です。
196 :
天之御名無主:2008/12/16(火) 19:30:31
(続き)
日本書紀に記載された天皇(大王)の2文字御名を定めたのは淡海三船でしたか。
天皇のうち、「崇」(いくら何でも「祟」は露骨なので)が付く崇神、崇峻、崇道、
及び崇徳(保元の乱)の4名に共通するのは祟り神の意味を持たせているのでしょう。
少なくとも崇峻、崇道及び崇徳各天皇は、悲惨な最後を遂げています。
関さんは「神」(神=鬼)の付く神武、崇神、神宮(皇后)、応神の4名をも祟り神と
措定します。
また非常に興味をそそられるのは、関さんは、武(タケ)の名を持つ天皇たち、具体的には
神武、武内宿禰(天皇ではないが)、雄略(ワカタケル)、日本武尊、武烈、天武、
文武(←この方はあまり・・)、聖武、桓武それぞれについて非常に意味がある
(武内宿禰ひいては蘇我の血統、又はエポックメイキングな方々)とされている点です。
関さんの本を見ずに書いているのでうろ覚えですが、桓武を「武(タケ)(の流れ)を
止める、納める」と解釈されているのは、非常に驚きました。誰かの受け売りなのでしょうか。
文武、聖武、桓武は日本書紀成立後の天皇ですが、淡海三船流の2文字御名を引き継いで
定めたとすれば、関さんが初めて発見した、卓見と言わざるを得ないでしょう。
197 :
天之御名無主:2008/12/17(水) 06:04:15
>神が付く四名の天皇を祟り神に指定
なんで?w
根拠は?まさかストク、スドウらが御霊だからって、単純馬鹿な理由以外で
関って素人目で見ても、論理の飛躍・エンターテイメント狙いの推測が多く、
とにかく胡散臭いんだよな…
198 :
天之御名無主:2008/12/17(水) 14:34:47
>ストク、スドウらが御霊だからって、単純馬鹿な理由以外
関さんは、この点をかなり詳細に理由付けしてますよ。
「胡散臭い」と言われると反論するのがしんどいですね。
19,82,93などを前提に、後日私見を書いてみます。
(続き)
関さんの本を読んで初めて知ったのですが、先代旧事本紀でのニギハヤヒの賜号
「天照国照彦天火明櫛玉饒速日」の読み方は
「アマテラスクニテラス ヒコ アメノホアカリ クシダマ ニギハヤヒ」
と、非常に格調が高いです。さらに、字面と訓読みを併せると
「天を照らし国を照らす日の子、天をほの明るくし給う、ニギハヤヒ」となります。
日本書紀にも載っているニギハヤヒがこのように賜号されていること、また、今日でも
ごく普通の日本語であること(ひふみよ〜ここのつとたり、ふるべゆらゆらとふるべ、も)
から、1800年前の距離が一気に縮まった気がしました。それが3年前のことでした。
199 :
天之御名無主:2008/12/17(水) 20:20:25
(続き)
もともと歴史(中国、日本、西洋)が好きで広く深く読みましたが、日本の古代史
(奈良時代以前)は腑に落ちないことばかりでした。日本書紀(解説書)を読んでも
厚い壁(論理破綻、それこそ胡散臭い)に跳ね返され、江上先生の騎馬民族征服説、
水野先生の三王朝征服説も物的裏付けがなく、牽強付会の感を拭えませんでした。
関さんの本は非常に論理的です。
まず、関さんが取り上げる客観面(覚えている限り、です)について。
A 埋蔵物客観面
1 出雲が実在した事実(80年代の荒神谷、加茂岩倉各遺跡の発見)
2 2世紀〜3世紀初ころ、ヤマトに鉄が欠乏していた事実
3 纏向遺跡が3世紀中旬に成立した政治都市である事実
4 同遺跡の土器が吉備、東海、出雲、九州の集合体であり、九州が最も新しい事実
5 北九州の土器状況が遠賀川?で分離され、西南側がヤマトと異質である事実
B 地理的客観面
1 北九州は、大陸の鉄輸入の最前線だが、東からの攻撃に弱い。
2 ヤマト盆地は、瀬戸内海の奥地にあり防御に強い。日本の中心に位置する。
他方で、瀬戸内海(関門海峡)を閉じられると弱い。
3 出雲(山陰地方)は、北九州に近く鉄も入りやすいが、ヤマトからは遠い。
4 吉備は、瀬戸内海の中心であり、ヤマトにも出雲にも近い。
瀬戸内海(関門海峡)を閉じられると弱い。
A、Bという物理的に客観的な事実を基に、日本書紀の記述や神社伝承等を加えて
古代史を展開するのは、関さんのオリジナルでしょう。
200 :
山片蟠桃の介:2008/12/18(木) 12:02:41
(続き)
C 古墳客観面
1 纏向が最初の前方後円墳(3世紀後半)である事実
2 前方後円墳は、吉備を基に出雲、ヤマト(地元)、九州の合体作である事実
3 前方後円墳が、崇神の4将軍出動範囲地域とほぼ合致して拡がっている事実
4 四隅突出型古墳が出雲、北陸、東日本に展開している事実
5 前方後円墳成立の後、出雲等では前方後方墳が発達している事実
D 日本人(を取り巻く)客観面
1 日本人のDNAが、西と東(おおよそフォッサマグナで分ける)で異なること
2 1から、縄文人と弥生人の混淆状況がおおよそ分かること
3 存外簡単に日本と半島を行き来していたこと
4 日本の米作は、弥生初期よりも遡ること
5 鉄は農耕作業を飛躍的に高めること(生産量の飛躍的拡大)
6 海と山は川で繋がっており、少なくとも弥生時代、日本人の活動拠点が広いこと
関さんは、A、Bに加え、C、Dも物理的な所与の前提としていますね。
爾後、私のハンドルネームを「山片蟠桃の介」とします。
201 :
山片蟠桃の介:2008/12/18(木) 13:35:48
(続き)
次に文書類(神社は、伝承のうち客観的なもの)を取り上げます。
甲 魏志倭人伝
中国という、客観性を重んじる国(しかも直接の利害関係なし)の著作物
乙 日本の、偽書以外の伝統文書
1 日本書紀
2 古事記
3 先代旧事本紀(平安時代成立。偽書説があるが、偽書ではないとする)
4 その他諸文書
単体・相互に矛盾はあるが、A〜Dと合致する部分を抽出
丙 神社客観面
1 天皇家・伊勢神宮が、代々、出雲の神を手厚く祀っている事実
2 三輪神社、大神神社、ひいては三輪山が出雲の神を祀っている事実
3 三輪山に「日向の御子」が祀られている事実
さらに、おおよその経験則、メンタリティー(195参照)を加えます。
X 経験則
1 公的文書は、時の権力者に都合良く書かれる。
2 地方の文書や稗史は、時の権力者に摘発されない限度で真実を残している。
3 自然現象は怖いが貴重(稲妻が好例)。
Y メンタリティー
1 日本人は、ストレートなものの言い方をしない。
2 日本人は、反対勢力も取り込み同化する。
3 自然現象が政敵の怨みに化体すると考えられた(雷が典型)。
4 受けた怨みは、(仮に文字が無くとも)語り継がれる。
客観的なA〜D、周知事実の甲〜丙、説得的なX、Yを前提にして、関さんは各論点を掘り起こします。
202 :
山片蟠桃の介:2008/12/18(木) 16:28:33
(続き)
古代史の論点は細かく挙げればきりがないのですが、(思いつくままに挙げると)
関さんは、次のような謎の多い人物を中心に論じます(ここでは入鹿以前)。
1 卑弥呼
2 神宮皇后
3 武内宿禰
4 ニギハヤヒ
5 神武天皇〜崇神天皇
6 雄略天皇
7 物部氏
8 蘇我氏
9 聖徳太子
例えば1〜3は、A3・4・5、B1、C1、D1・3、甲、乙1、丙1・2、X、Y
を前提に、先行する論文を引用(批判的検討が多い)しつつ論じます。
客観的な諸事実が存在していることと、結論づけとの間の因果関係が飛躍している場合、
「論理破綻」との評価を受けます(天皇の鼻は代々高い。ユダヤ人の鼻は高い。よって
天皇の祖先はユダヤ人である、の類)が、関さんは非常に慎重です。
203 :
山片蟠桃の介:2008/12/19(金) 15:51:36
(続き)
さて、197さん。
今気づきましたが、「指定」ではなく「措定」(そてい・仮に定めるという意味)ですよ。
「指定」(してい)は断言的な意味合いですから、まるでニュアンスが違います。
ちなみに、関さんはあまり断言しません(ただしデビュー頃の「聖徳太子は蘇我入鹿である」
等のタイトルは、若気の至りか?・・・)。
神武〜崇神天皇がどういう人物かというご質問(祟り神ならどういう根拠か)、ですね。
1 神武天皇の出自
関さんは、卑弥呼(女酋長・田油津姫に措定)、神宮皇后(台与に措定)及び武内宿禰
について論じます。ヤマトからの指示を受けたトヨと武内の活躍で田油津を滅ぼす等、
北九州を平定したのに、制御できなくなったと考えたヤマト(ニギハヤヒかその前の人)
に裏切られ、武内宿禰とトヨの子は怨を含みつつ九州南部に落ちた(サルタヒコの嚮導)。
この、トヨと武内宿禰の子(又は子孫)を神武天皇と措定します。
以上の裏づけ証拠として、A〜Yの各事実、地域伝承芸能(最後に「住吉さま」が出て
きて東の勢力を倒す=真実は東の勢力(ヤマト)に負けたことの韜晦)等を挙げています。
204 :
山片蟠桃の介:2008/12/19(金) 16:03:09
(続き)
2 崇神天皇について
崇神天皇については、1が前提になります。
崇神天皇の御代、疫病で人口が半減したが、これは「出雲の祟りであり、出雲の子孫である
大田田根子(オオタタネコ)を呼び寄せて祀らせるべき」との神託があったことから同人を
呼び寄せた。結果、よく治まった(乙1(日本書紀)の記事)。
「祟る者でなければ祟りを鎮められない」という点はA4、丙、X、Yを間接証拠とします。
3 ニギハヤヒ、崇神天皇、神武天皇の関係
関さんは、元々崇神天皇の時代から660年遡って創作されたのが神武天皇であるという通説、
また崇神と神武に関する日本書紀の記述を重ねるとぴったり嵌め合わされることから、当初は
神武=崇神とされていました。
ただし、当時ヤマトを支配していたのはA3、B1〜4、C1〜3、乙1〜3、丙2・3から
ニギハヤヒであること、オオタタネコを神武天皇と同視するなら崇神天皇をニギハヤヒとした
方が一貫すると考え(と思う)、関さんは、今はニギハヤヒ=崇神天皇、オオタタネコ=神武天皇
とされるようです。
ニギハヤヒ=(吉備も含む)出雲(もとは共に天孫だと日本書紀)=祟り神、オオタタネコは
神託により呼び出され、祟りを押さえたから祟り神。
よって、崇神も神武も祟り神ということでしょう。
205 :
山片蟠桃の介:2008/12/19(金) 17:09:43
(続き)
A〜D、甲〜丙、X、Y、とりわけA〜Dを充分踏まえた古代史の論文は、私が見た限り、
学者では皆無です。戦前は皇国史観(記紀は全て正しい。矛盾も「かのように」読む)、
戦後は津田史観(有り体に言えば、記紀は大嘘)に縛られている中、荒神谷、加茂岩倉が
発見されて「しまい」収拾がつかなくなったのでしょう。
さらに古代史学者には「大先生には逆らえない」、学閥、論理能力欠如等の根元的欠陥が
あるようで、関さんの説に対して賛成も反論もできないと思われます。
ここ2〜3日、準備書面・弁論要旨作成のため、ちょっと休筆します。
本スレには「賛成も反対もできない」学者はいないと思いますから、書込みをお願いします。
>>203 まあタイトルってのは出版社が商業的につけることが多いし。
特に売上げ実績の無い新人の場合編集サイドの力が強いから。
207 :
山片蟠桃の介:2008/12/26(金) 18:56:54
古代史学者の「論理能力の欠如」は非道い、言いすぎでしたね。森博達氏(日本書紀の書体
から編者まで発見)や上山春平氏(持統天皇と不比等=天照大神と高皇産霊の系譜)、また
近藤喬一氏(九州勢力による関門海峡封鎖)等の各考察はとんでもなくすばらしい業績です。
関さんも好んで引用されていますね。
ただし、「古代史全体の提言」が為されていないのは本当に歯がゆいです。
古代史全体のバラダイムを構築した(しようと努力した)のは江上さんや直木さん位かと。
少なくとも出雲の発見(荒神谷、加茂岩倉)や纏向の研究成果があった以後、一民間人の
関さんに「先にやられてしまった」感じがします(井沢さんは今一つ、という感じですが、
関さんは言霊や怨霊考察は大いに参考にされていると思います)。
今後、関説が受け容れるためには、A〜Dを裏づける事実・それに関する学術論文を新たに
説得的に付加して行くことだと思います。
208 :
山片蟠桃の介:2008/12/26(金) 19:24:39
関さんの新刊ですが、これを全て「今までの焼き直し」と捉えられると勿体ないです(ただし
例外あり。「古代史の謎100門100答」など)。いくつか挙げると
1 既出ですが、吉備(物部)と出雲とを分離して考える
2 神武天皇=崇神天皇=応神天皇と考える
3 トヨと武内が兄妹で、その間の子(の子孫)が神武だからその事実を「隠したかった」
と言っていた(沈黙する女王の鏡・旧版)が、武内宿禰が蘇我氏の先祖という事実を隠し
たかったに変更。(なお、兄妹が通じ合うくだりは、別時代に、日本書紀にあり)
4 ツヌガアラシト=武内宿禰と考える
等々です。関さんの思考変遷過程が分かっておもしろいですよ。
209 :
天之御名無主:2008/12/28(日) 02:23:44
>>72 出雲では現在の天皇家は「朝鮮天皇」と言っているようです。
某有力神社の氏子さんから聞いた話です。
スサノオの尊ゆかりの須佐神社の脇を流れる川はソガ川です。
須佐神社の8キロ時点の場所に、スサノオの尊の第5子、
若き大歳が育った山村がある。
210 :
天之御名無主:2009/01/02(金) 22:26:24
いまいちすっきりしないんですが、意図的に蘇我氏と物部氏を混同させてないでしょうか?
スサノオが蘇我氏の祖であり、出雲の王で、
ニギハヤヒが物部氏の祖であり、吉備の王だとすると、
よくわからないのが、大国主命(大物主)の立場です。
武内宿禰&神功皇后の子=日向の御子=神武天皇=応神天皇と考えて良いのでしょうか?
そうすると、大国主命が出雲を国譲りした意味がわからなくなりますし、
ニギハヤヒ(物部)の立場もよくわからなくなるのです。
211 :
天之御名無主:2009/01/06(火) 04:27:03
コンビニで買ってきたよ
212 :
山片蟠桃の介:2009/01/07(水) 11:32:01
>>210 関さんは、蘇我氏の祖先は武内宿禰と言ってます(古事記に明記されていて日本書紀に
書かれていないことも、日本書紀=不比等(藤原)の書の根拠の一つに挙げる)。たしかに
出雲(広く日本海側)にスガ、ソガ等の地名・神社等があることを強調しますが、スサノオ
が蘇我氏の祖先だとは言ってないのでは。
213 :
山片蟠桃の介:2009/01/07(水) 14:09:24
>>210 「大国主命が出雲を国譲りした意味がわからなくなりますし、 ニギハヤヒ(物部)の立場も
よくわからなくなるのです。」
良い質問ですね。
大国主命はスサノオの子(又は子孫)、大物主は大国主命の影向(ようごう・霊的同体)、
先に大物主がヤマトに来て、次にニギハヤヒが来たこと。事代主命及び建御名命は大国主命
の子であることは大前提です(ほぼ記紀の記述どおり)。
さて、吉備の物部(ニギハヤヒや子・ウマシマジ)は出雲(大国主命、事代主命ら)を攻め
ました(=記紀の言う「出雲の国譲り」)。
何故か。
関さんは、ニギハヤヒがヤマトを中心にほぼ統一した(これは纏向の土器や前方後円墳の成立
過程から推論)後、出雲と北九州が連携し、再度瀬戸内海を封鎖する可能性を危惧したためだと
言います。
ニギハヤヒも天孫族(日本書紀)で出雲系ですから、ニギハヤヒは同族を討ったことになり、
たしかに奇異な気もします。
しかし、出雲や瀬戸内海の地理的条件、出雲が前方後方(円ではない)墳を採用していること、
出雲大社(大国主命を厳重に祀っていること)等からすれば、一応筋が通っているかと。
上記A1〜4、B1〜4、C2、3、5乙、丙1、Y辺りをご参照ください。
214 :
山片蟠桃の介:2009/01/07(水) 15:16:55
>>210 武内宿禰は、ツヌガアラシト(アメノヒボコ)と同体(又は子孫。子孫とした方が日本書紀
と合致する。日本書紀では、神宮皇后はアメノヒボコの孫)と位置づけているようです。
若干記憶に自信がないですが、関さんのストーリーは以下のとおり。長文ごめん。
aスサノオの祖先(出身地は「タバナ国」・但馬か丹波に措定しています)が対馬海峡を
横断して朝鮮半島に行き(鉄の利権か)、一定の成功を修めた。
bスサノオは再度日本(出雲)に戻ってきた(朝鮮半島の鉄精錬用木材の不足のせい?)。
cそれと同じ時期かその後(??自信ない)、ツヌガアラシトも朝鮮半島から来た。
d当時北九州勢力によって瀬戸内海が封鎖されていたため、ヤマトに鉄が入らなかった。
eツヌガアラシトは、豊岡〜琵琶湖〜〇〇川ルートで鉄をヤマトに搬入するルートを築いた
ため、それを契機に一気にヤマトが成長した。ツヌガアラシトは功労者的地位にあった。
f北九州は邪馬台国らが蟠踞・制圧していたが、後漢末期の動乱で中国の目が届かない。
g武内宿禰&神功皇后すなわちツヌガアラシト(の子孫)&トヨ(出雲の出身)がヤマト
の命令(委託)で北九州を制圧した(邪馬台国の卑弥呼・田油津姫討伐)。
h北九州で力を付けたこのコンビを危惧したヤマト(物部・吉備・ニギハヤヒら)は東から
攻め、武内宿禰と神武天皇(の父祖)を南九州に追落とした(「天孫降臨」)。トヨは
北九州か出雲で死亡。
iほぼ同時期に、ヤマト(物部・吉備・ニギハヤヒら)はスサノオの子(又は子孫)が治める
出雲の大国主命・事代主命らを制圧。
ということです(以上、A、B、D3、5、6、甲、乙1,2、丙、X、Y4)。
215 :
山片蟠桃の介:2009/01/07(水) 15:26:04
(続く)
ここから
1 ヤマトは、自分の利益のために大恩あるトヨ(神宮皇后)、武内宿禰(以上北九州組)、
また大国主命、事代主命ら(以上出雲組)に対して「すまんことをした」ので祟り封じ
をしなければならない。
2 スサノオひいてはアメノヒボコが朝鮮半島出身なので、神武天皇こと日向の御子も朝鮮に
由来する人物であり、ヤマトの本貫は朝鮮半島である。したがって欽明も崇峻も聖徳太子
も朝鮮出兵をして本貫回復を夢見ていた(のちの白村江とは別の意味)。
ことが導かれます。
>>209 「朝鮮天皇」は、上記のことを前提とすればある程度納得できますね。
桓武天皇の母、高野新笠(の父)が百済出身ということも加味しているのでしょう。
216 :
山片蟠桃の介:2009/01/07(水) 20:44:04
(続き)
北九州組の祟り封じが宇佐八幡(又は武内宿禰の子孫を神武天皇こと日向の御子として祭りあげた)、
出雲組の祟り封じが出雲大社(又は三輪・大神神社)+ウマシマジ(ニギハヤヒの子)の物部神社、
ということでしょう。
やっかいなのが、
>>209さんがおっしゃっているスサノオ第5子大歳(=ニギハヤヒ)です。
この伝承?や、大物主=ニギハヤヒ(諡号が似ているものがある)という考え方(原田常治説)
を取り入れると、物部(吉備)とスサノオ(出雲)がごちゃ混ぜになり、混沌としてしまいます。
関さんは、今は、吉備と出雲とを画然と区別していますが、スサノオ第5子等の伝承?について
どう言ってましたっけ。
217 :
山片蟠桃の介:2009/01/08(木) 10:26:54
>>215 欽明も崇峻も聖徳太子も朝鮮出兵「をして」
のところ、
欽明も崇峻も聖徳太子も朝鮮出兵「を計画して」
に訂正します。
218 :
天之御名無主:2009/01/08(木) 10:59:15
ストーリーとしてとてもよくわかりました。ありがとうございます。
関さんは以下のように書いているように思っていたのですが、
新羅から戻ってきたといわれるスサノオはここから外した方が良いですかね?
そうじゃないと、大国主命と神武天皇が同一人物ってことになりますもんね。
「新羅の脱解王⇒天日槍=スサノオ=浦島太郎=武内宿禰=サルタヒコ⇒蘇我氏」
219 :
天之御名無主:2009/01/08(木) 11:00:23
とすると、以下のような4パターンの勢力があったことになりますか?
出雲:スサノオ⇒大国主命→断絶
吉備:ニギハヤヒ→物部
日向経由:武内宿禰+神功皇后⇒応神(神武)天皇→蘇我
百済系:天智天皇⇒持統天皇→藤原系皇室
220 :
山片蟠桃の介:2009/01/08(木) 19:36:30
>>218 関さん、昔は括弧のとおりだったかも知れませんね。
でも、昔(やや原田常治説に引っ張られていた)と今(出雲と吉備を分離している)と
説が変わっています。
括弧内から「スサノオ」をはずした方が、少なくとも時系列的には一貫しますね。
説を改めたことで、古代史全体が真に関さんのオリジナルになり、迫力が出ました。
ちなみに私は、「浦島」と「サルタヒコ」については、武内宿禰の「ある側面」に止めて
おく方がよいと思っています。
221 :
山片蟠桃の介:2009/01/08(木) 19:38:30
>>219 「大国主命の第5子がニギハヤヒ」とすれば、「断絶」とまで言わなくてもよいかと。
出雲から一山越えれば安芸、その隣が吉備ですし。5番目の子なら「吉備の有力者の誰か」に
養子に行ったのか?このあたりの事情は分からないですね。吉備の古墳から「大歳の本貫」を
明示・暗示するようなものが出てくれば凄いですが。
「日向経由」は応神天皇まではそのとおり。なお「蘇我」(そが=われよみがえり)ですが、
一旦没落し、建御名命(の子孫)に身を寄せ、継体天皇に付随して東(北陸も含む)から
「よみがえった」勢力だと言っているような。それなりに根拠はあるようですが、大胆ですね。
「百済系」は、中大兄皇子が中臣鎌足の意思に、持統が不比等の意思に各々引っ張られた
とすれば、そのとおりでしょうね。
222 :
天之御名無主:2009/01/09(金) 02:13:54
何気に凄いことが書いてありました。以下引用
吉田大洋氏(「私の大国主」に、既に亡くなられているとありました)が大国主命が幽閉死
した岩屋を訪れようとしたとき、案内を頼まれたタクシーの運転手が「とんでもない、近づいたら
死ぬといわれています。行ったことのある者はいません」と拒絶されたとか。
天孫族が出雲の土地を欲して攻めてきた時、大国主命は二人の息子・事代主命と建御名方命に
どうすればよいかと尋ねます。
事代主命が船に乗って釣をしているときに大国主命の使者(もしくは、天孫族の兵だったかも
しれません)がやってきますが、彼は「わたしは許しがたく思いますが、従ったほうがよいでしょう」
と進言し、天逆手(拍手を逆向けに行った。故に、歓迎や賛同などではなく呪詛の意味がある)
を打ち船を引っ繰り返して入水します。「私の大国主」では天孫族の兵によって船に火を点けられ、
追い詰められた事代主命は無残で不恰好な死に様を晒すならば、と呪詛を残して自殺したとあります。
建御名方命は抵抗・戦闘の意を表しますが、天孫族との戦いに敗れ諏訪に逃走、そこに
第二出雲王朝を開いたといいます。
二人の息子の有様を見た大国主命は出雲を手放すことを決めます。
が、残虐な天孫族は大国主命や彼の側近・妻妾を鵜鷺峠(鵜峠と鷺浦の一帯を鵜鷺峠といいます)
の洞窟に幽閉し、拷問を繰り返した挙句餓死させます。
邪魔者を排除した天孫族は彼らの祟りを怖れたのか、鵜鷺地区の入り口にあたる場所に彼らを
慰霊する祭祀場(今の出雲大社)を造営したといいます。
「近づいたら死ぬ。夢に見た者は死ぬ」という何とも怖ろしい岩屋は、凄惨な殺され方をされた
大国主命や彼らの近従者の怨念によるものかもしれません。
「私の大国主」の著者である平野泰敏氏は、「大国主命の室屋」に慰霊のため詣でられました。
http://ashera.blog105.fc2.com/page-37.html
223 :
天之御名無主:2009/01/09(金) 02:22:07
224 :
天之御名無主:2009/01/09(金) 02:26:21
大歳が真にニギハヤヒノミコトだとすれば、
島根県須佐神社の、山間を縫って東方6−7キロの時点に、
スサノオノミコトの第5子とする
大歳の伝承(社伝)がある神社があります。その名前も大歳神社。
225 :
天之御名無主:2009/01/09(金) 02:36:51
209と224
同一人物です。距離的なことを若干訂正の理由。
直線距離と自動車を使った場合の違いです。
226 :
山片蟠桃の介:2009/01/09(金) 10:31:06
>>222 出雲大社の千家さんや北島さん(天穂日命末裔で、大国主命の霊の承継者)、大国主命の末裔で
代々「秘事」(絶対他言しない)を語り継がれているWさん(司馬遼太郎の本にでてくる)辺り
が本当のことを知っているのでは。
私としては、
>>222さんの引用する大国主命の悲劇、大いにありそうな気がします。
227 :
山片蟠桃の介:2009/01/09(金) 17:10:00
>>223 関さんが物部を吉備に措定しているのは、
1 纏向の祭祀用土器が吉備製であり、高い地位を占めていること(
>>199 A3)
2 吉備は、瀬戸内海全体を支配できる場所であること
(北九州とヤマトの中間という意味で)(
>>199 B4)
3 前方後円墳「完成型」は、吉備で既存の前方後円墳を基にしていること(
>>200 C2)
4 河内の前方後円墳に較べ「ごく僅か」小さい前方後円墳を、同時期に吉備に築いていること
といった客観的事実に加え、
5 ニギハヤヒと神武の祭祀形態(ニギハヤヒから神武に移された)がほぼ同一であること
(例・石上神社(物部)の祭祀・呪文と天皇・皇室の儀式で使われるものの相似性)
6 1の移転時期と5の成立時期とがほぼ同時期と考察できること
からと思います(いつものことながら記憶に頼っているので、大筋、です)。
関さんの説が絶対正しいとは思いませんが、1〜3を考えると、物部=吉備説が論理的かと。
もちろん、吉備が物部「発祥」の地かどうかまでは分かりません。
228 :
天之御名無主:2009/01/11(日) 09:36:50
関さんの本が面白いのは認めます。ただ、やはりエンターテイメントとしてなんですよ。
持統朝で無血革命があり、そのために日本書紀が改ざんされたという仮説をベースとして
いますよね。
古くからの神社伝承に、いくばくかの真実が含まれているのは認められますが、それに百倍する
虚構も含まれていますよ。テキストとして残さない限り、100年もたてば本当の事なんて
幾らも残らないんじゃないかな。
70年前の南京で一体どれほどの民間人が殺されたのか、もう分からなくなっているじゃないですか。
書記の書かれた8世紀初頭の段階で弥生時代の記憶がはっきりと残っていたなんて、本当なら先ず
ここから証明しなければならないでしょうが、関さんは前方後円墳の成り立ちから「知っていた
疑いがある」みたいな書き方をしていますよね。この時点で「お話」だと思いませんか。
229 :
天之御名無主:2009/01/11(日) 10:52:28
確かに知識量とか、大したもんなんだよね。
ただ結論ありきで、なんでもそこに結び付けようとする。
例えば天武と蘇我氏を結び付けたいらしくて、壬申の乱で「蘇我氏は天武に味方した」
っつてるけど、蘇我赤兄は子孫までひっくるめて流罪になってるっつーの。
で、そーゆー事は書かないでほっかむり。話一割くらいで読んどけば良いんじゃない?
なんか井沢もそうだけど、自分の読者をなめてない?
こいつら、どーせ自分じゃ調べねーだろーからとりあえず言っとくか、みたいな。
へー、こんな見方もあるのか、おもすれーとか思って読んでるな
無味乾燥な学術本とかよりはストーリーや名前が頭に残るし
全部真に受けたらさすがにアレだけど、あくまで正史では
こういうことになってるってことを頭に置きながら読む分にはおもしろ
ファンタジーとしてはおもしろいし
素人が年代やら人物名おぼえるきっかけとしては悪くないんじゃない?
232 :
天之御名無主:2009/01/12(月) 21:59:38
山片蟠桃の介さんはまるで本人みたいだ・・・。
俺も関裕二は昔好きでかなり読んだんだけどね。
だんだん、「ここに関しては拙著の×××に詳細を記すが・・・」
という記述が頻出するようになってきたのと、
前の著作でこのネタ読んだな・・・というのが随所に出てきて
いつからか読むのを止めてしまった。
自説をあんなに薄っぺらいのを何冊も出して披露するのではなく、
キチンとした内容も密度も濃いものを体系的にまとめて欲しい。
山片蟠桃の介さんのように自ら彼の論を体系的にまとめられない人間は
徐々に離れていっちゃうんじゃないかな。
233 :
山片蟠桃の介:2009/01/13(火) 11:00:46
>>229 そうですね。赤兄はどうするのかなと思ってました。
関さんの今までの著作物に赤兄は出てきてません(と思う)。
有馬皇子(たしか孝徳天皇の息子でしたね)が中大兄皇子に殺される際「天と赤兄と知る」?と
言ったこと、壬申の乱では大友の側近で敗戦後流罪になったこと等、少なくとも蘇我=天武の味方
という関説とは、赤兄は逆方向の人物ですね。
関さんが赤兄を書くなら、蘇我の中の例外として扱うしかないでしょう。例えば
1 蘇我の意思を嗣ぐ孝徳天皇の息子(有馬)を裏切った人物だ
2 大友の側近中の側近(左大臣でしたか)であり、救済不能だった
3 (蘇我に限らず)一族が全て同一方向を向いているわけではない
とか言うのでしょうか。
赤兄に限らず、触れられていない事件・人物は多々あります。関さん自身の論旨が固まっていない
段階で「逆方向」の赤兄を縷々記述するのは、しんどいでしょう。
ただ、赤兄は著名人ですし、関さんも無視はできないでしょうね。
234 :
山片蟠桃の介:2009/01/13(火) 11:25:18
>>228 南京虐殺事件はイデオロギーがらみになってしまうので、余り深入りしたくないところですが
日本軍が中国に入っていたこと、(人数は兎も角)民間人虐殺があったこと、中国人が今も怨みに
思っていることは事実でしょう?
「弥生時代の記憶がはっきりと残っていた」の「はっきりと」をどこまで厳格に解明するか。
何年前の何月何日に、どこから来た誰が、〇〇との理由で、どこでどうした(5W1H)と
綿密に「はっきりと」させることは不可能で、上記程度の事実を忖度するのが日本古代史の
論議では?現段階で、古代史はその程度で論理を組み立てるしかないのでしょうね。
でなければ誰も触れられないか、武光さんのようにいっそ「分からんことは分からん」と言い
ますかねえ。
235 :
山片蟠桃の介:2009/01/13(火) 13:52:12
>>232 本人みたいだ、とはちょっとうれしいです。
3年半読み継いでいたので、概ね体系的に纏められるようになった、というところです。
(関さんが本スレを見たら「その纏め方は変だ」と言われるかも。)
日本古代史は難しいです。
記紀があるだけ「まし」ですが、それ自体、時の権力にゆがめられたもの、しかも皇国史観
や津田史観の負の遺産がら脱却できたのはつい最近のこと、さらに出雲の実在が確認できたり
纏向が分析されたりすると、学者でも「よくわからん」と放擲したくなるかもしれませんね。
私は関さんの信者ではないし、絶対的に従うつもりはないですが、最近の考古学を加味した
日本古代史で体系的な論文や著作がありません。これしかないから読み継いでいるのです。
>>232さんのいうとおり、一度腰を据えて強烈なやつを纏めてほしいですね。
読者は
>>1さんと
>>232さんと私くらいしかいなかったりして。
236 :
天之御名無主:2009/01/14(水) 00:18:56
流れをぶった切って
意見するが、
事実を検証するのにいろいろな角度から
検証するのが望ましい。
1。文献から
2。古代出土品から。
3。地の利、城を作るのに便利、鉄を生産するのに便利。
その地の弱点からの考察政権維持の努力
4。その時代の技術レベルでとり得る行動
などなど。
関氏の考察は他の著者の本を私はあまり読んだことはないが、
3の考察が新しいと思いました。
あと、怨霊信仰を軸に昔を考察も新しいと思います。
いろいろな観点で像(歴史的事実)が浮かんでくるのが安定した交渉と思います。
楽しんで読めました。
237 :
山片蟠桃の介:2009/01/14(水) 18:28:14
>>228 関さんは、前方後円墳の成り立ちから「書記の書かれた8世紀初頭の段階で弥生時代の記憶が
はっきりと残っていた、知っていた疑いがある」みたいな書き方をしています、この時点で
「お話」だと思いませんか、とのことですね。
「お話」かどうか、論理の進め方として非常に重要なところです。
そもそも関さんが「弥生時代(ここでは後期弥生時代・3世紀初め)の記憶が残っていた、
知っていた疑いがある」というのは
1 神功皇后は15代応神(5世紀)の母なのに、3世紀(邪馬台国)の記述がある
2 日本書紀は神功皇后が「卑弥呼かも知れないしトヨかもしれない」といっている
3 神武=崇神(通説)が九州からヤマト入りした記述があるのに応神も同様の記述がある
ことの矛盾に対する「悩み」の産物ではないでしょうか。
私も、神功皇后の記述でいつも挫折していました。皇后が69年も摂政でいた、とかも含め。
ある学者は論理矛盾といって切り捨て、ある学者は7世紀の女帝(斉明)を神功皇后に化体した
といいますが、その必要は。またなぜ神功「天皇」としなかったか(69年間天皇が不在)。
238 :
山片蟠桃の介:2009/01/14(水) 18:30:21
(続く)
関さんは、「後期弥生時代・ヤマト成立過程を知っていた」とすれば、「事実を無視は出来ないが
混乱させて(時期をずらし、同一人を分けて)時の権力に都合良く書く」方途もあったのでは、と
考えたようです。
この考え(以下「知っていた説」といいます)は、
>>189さんのいう「ひらめき」に近いでしょう。
「ひらめき」をひらめきのままにせず、
>>228さんのいう「お話」で終わらせないためにどうするか。
論理(説得力といってもいいです)は「ひらめき」を前提に組み立てられます。
関さんは、「知っていた説」の論拠(論理を支える根拠)として
1 まず、
>>199〜
>>201のA〜Dという客観面を挙げます。
2 また周知事実の甲〜丙、説得的なX、Yを論拠に付加します。
3 あと、著名な通説に対する反論をすることになります(が、「通説」自体穴だらけ)
>>228さんは「前方後円墳の成り立ち」(C1、2)のみを見て「知っていた説」を「お話」と
お考えでしょうか。とすれば勿体ないです。
「知っていた説」を「お話」と批判するための論理的方途は、
a 1、2を否定する
b 1、2を前提としつつ別の結論を導く
のいずれかです。前者はしんどいのでbが適切でしょうが、そういう学説がまだ無いんです。
239 :
山片蟠桃の介:2009/01/15(木) 14:22:51
>>231、
>>232 たしかに、少なくとも、年代や人物名を覚えるきっかけになります。
今はむしろ、日本書紀(それこそ「全部真に受けたらさすがにアレだけど」)の矛盾点を
探すのが楽しいです。不比等の鼻息を窺いつつそれらしいことを書くか、気に入られるように
上手く改変するかして、不比等に提出するときの顔を思い浮かべると。
お楽しみをひとつ。
森博達氏の指摘する、日本書紀ベータ群作成者の山田史(ふひと)と改変者の三宅藤麻呂。
ふたり併せると藤原不比等という名前に近づく、と言ったら笑ってしまいますね。
240 :
山片蟠桃の介:2009/01/15(木) 17:41:37
>>236 怨霊信仰を軸にしたのは梅原猛さん「隠された十字架」が最初、井沢元彦さんが「逆説
の日本史」で続きました。関さんはその発展形態と思います。
梅原さんの聖徳太子怨霊説に対しては学者から手厳しい批判が陸続と出されました。
具体的には東大の坂本太郎御大や鳥越さん(?)、武光誠さん辺りが急先鋒となって
批判していました。
武光さんの「怨霊思想はまだ輸入されていなかった」から祟りはなかった、というのは
自分でも「大したことは言っていない」と思っているでしょう(好意的な解釈としては
「定型的な御霊神社はまだなかった、ということ)が、坂本御大の「長屋王はどこに祀
られているのか」は流石によい指摘でした。
「親王」だった長屋王を(長屋王木簡に「長屋親王」とある)、藤原四兄弟は冤罪で殺
害しました。祟られる要因は充分にあり、
1 続日本紀に態態、落雷記事があること(長屋王の変・729年の2〜3年後)
2 737年、天然痘の流行で四兄弟は死亡したこと
3 不比等の子、聖武の妻である光明子が積善の寺、法華滅罪寺を作っていること
から、祟りが具現化したことは明らかです。
井沢さんは東大寺がそれだといい、関さんは(蘇我の流れの)法隆寺だといいます。その
是非はともかく、坂本御大の批判がなければ誰も思考を深めなかったことでしょうね。
武光さんらの後、「怨霊信仰」に対する反論、出てますか?
241 :
228です:2009/01/15(木) 20:28:53
えーと先ずですね、関さんは持統朝で無血革命があったとしていますよね。持統・不比等のコンビは
天智・鎌足の後継者だと、しかし私が見る限り持統の事跡は天武の遣り残した事業を引き継いでいるのですよ。
律令を整備してますし、アルファ群は持統在命中に書かれてますよね?
藤原京に遷都するのも奇妙な話じゃないですか?わざわざ天武の造りかけた都
など完成させずに新しい都を造ればいいと思いませんか?
夫の崇めた天照大神のために伊勢神宮を整備したのも持統の仕事ですよね?
どこに無血革命の痕跡があるのですか?
242 :
228です:2009/01/15(木) 21:52:46
ついでに、不比等が自家に都合よく歴史を改ざんするほどの権力があったとは思っていません。
元正が元明に譲位したとき、不比等の外孫となる首皇子は15歳、文武が即位したときと同年齢です。
不比等がそれほどの権力者だったら、さっさと即位させていたと思うのですが。
不比等の死後に朝廷の中枢に座ったのは、長屋王ですよね、不比等の息子じゃないですよね。
もう一つ、怨霊についてですが「どこに祀られているのか?」は長屋王「だけ」じゃないですよ。
聖徳太子以降でも石川麻呂、古人大兄、有馬皇子、大津皇子などはどうでしょう。
井沢さんは平安以降に死刑がなくなるのは怨霊を恐れたからだ、と言っていましたが、
だったらこんなに多くの人たちが大した罪もなく殺されることはなかったと思うのですよ。
彼らが殺されたのは怨霊という概念がなかったから、とは考えられないですか?
ですから関さんがつまらない、とは言ってないのですよ。多くの人が言うように
なるほどこういう見方も成立するのか、と思わせる記述も多いのです。
山片さんも、関さんの論のスタートがどこにあるかもう一度考えてみたらいかがでしょう。
私も武光さんが好きなわけではありませんが、わからない事はわからないとしておくのは
大事だと思いますよ。たとえば7割くらい確かそうなことでも、それを3段
重ねれば0.7の3乗で1/3位の確度になりますよね。
視点をいくつか持たれた方がいいと思います。お節介ですが。
243 :
山片蟠桃の介:2009/01/16(金) 18:31:50
>>242 「視点をいくつか持たれた方がいいと思います」とのこと、本当にありがとうございます。
「お節介」どころか、複数の視点(岩波古典体系その他の原典、関連著作、何よりも関説に
拘泥することなく自分の頭で考える努力等)を忘れて舞い上がってしまっては絶対だめですね。
>>242さんのようなご指摘は本当にうれしいです。自戒しないといけません。
今後とも、調子に乗ってきたらビシッと言って下さい。
関さんの論のスタートは、たしか聖徳太子を取り巻く疑問だったと思います。
太子の敵・蘇我入鹿が地元では大事にされていること、(日本書紀によると聖徳太子の子でない)
山背大兄王は何故か祀られていないこと、同王一族の全滅の際が異様に美化されていること、と
いう「ごく普通の疑問」からスタートしています。そこから、蘇我は何者か、武内宿禰は何者か、
魏志倭人伝・邪馬台国はどうなのかと進んでいったのでしょう。
論を起こす前に原典に当たりつつ、原田常治さん、梅原猛さんや井沢さんといった先行者の著作
を読み、かつ考古学知見を加えているから、迫力はでます。ただし、
>>242さんのいうとおり、
「7割くらい確かそうなことでも、それを3段重ねれば0.7の3乗で1/3位の確度になる」
わけですから、言い切ると、矛盾が出る羽目になります。それがいやだから、古代史学者は全体像
(もしかすると各自で持っているかも知れない)を披露しないのかもしれませんね。
244 :
山片蟠桃の介:2009/01/19(月) 13:32:29
>>241 さてと、反論です。
以下の反論は何だか準備書面を書いているみたいで、日常業務の如しですね。
表面的な反論はさほど難しくはないです。爾後、関説と私の意見を併記する形で進めます。
1 「律令を整備してます」について
(関説)豪族に対する土地の公平な分配のため天武に権限を集中し、律令の実態を整備した。
しかし、天武死後、律令の整備の成果がすべて藤原に換骨奪胎されている。
(私見)同意。ただし、藤原への「成果横領」に、誰も異議を言っていないようにもみえる。
2 「アルファ群が持統在命中に書かれてます」について
(関説)不明
(私見)アルファ群の筆者として措定されている続守言(音博士)は帰化した中国人であり、
官僚としての立場で、国記あたりを基に、政治家(不比等?)に言われたとおりの
記述を行うのでは。
3 「藤原京に遷都するのも奇妙」について
(関説)不明
(私見)遷都は694年(持統8年)ですね。持統3年に草壁皇子が薨去、すぐに飛鳥浄御原から
移転する準備が始まっていたとのことです。
大津皇子を殺し(たと思う)、最愛の草壁を無くした地を移りたかったこと、不比等は、
天武の息のかかった浄御原から出たかったのでは。あとは経費の問題か。
245 :
山片蟠桃の介:2009/01/19(月) 13:34:20
(続き)
4「夫の崇めた天照大神のために伊勢神宮を整備した」
(関説)多分、こういっているのでは。
「天武が崇めたアマテラスは男神であった(ニギハヤヒ)。持統は、自らをアマテラス
に準え、草壁をニニギに準えて、日本書紀を纏めさせた(上山説)。強引にアマテラス
を男神から女神に変更させた。」
(私見)裏づける傍証は多い。「三輪の神と伊勢とは同体」という能?の台詞?等々。
ただ、推定に推定を重ねているような。魅力的な説だが、客観的な裏づけが不足か。
5 無血革命の痕跡について
(関説)上記1〜4。加えて、高市皇子が実際は天皇〜皇太子であった可能性(「尊」と呼ばれ
ていた、子の長屋王が長屋「親王」であったとの木簡)がありそれを踏み躙っていること、
持統の即位が不比等の私邸で行われた可能性があること、大津を殺し(たと思う)他の皇子
をびびらせていること、「しろたえの」の歌の意味、等。
(私見)天武の後、持統がそのまま天皇になったのは奇異。天武には多くの皇子が居て後継争いの
紛争を避けるために(推古の場合同様)自分が天皇になった(通説)、は安直の極み。
それで納得するなら学者はいらない。
無血革命との言葉が妥当かどうかは疑問(革命の定義によるが)。ただ、上山説は強烈で
あり、この点に関する限り、関説には「推論に推論を重ねている無理」は少ない。
246 :
山片蟠桃の介:2009/01/19(月) 14:12:11
>>242 (続き)
6 「元正が元明に譲位したとき、不比等の外孫となる首皇子は15歳、文武が即位したとき
と同年齢です。不比等がそれほどの権力者だったら、さっさと即位させていたと思うのですが」
について。
(関説)不明(書いていたかも)。
(私見)首(聖武)は宮子と文武の子でしょう。宮子は皇族系でも蘇我系でもない、賀茂の娘
ですから前例になく、相当無理をしないと即位できないはず。
文武とは立場が違います。首を皇太子にさせる「無理」ができたこと自体、不比等が
非常な権力者だったということでは。
7 「不比等の死後に朝廷の中枢に座ったのは、長屋王」について
(関説)家柄その他申し分のない長屋王が、心太式に左大臣の地位に押し上げられた。その時、
藤原四兄弟は未だ若かった。結果として、長屋王の悲劇が始まった。
(私見)不比等の強権、したい放題に反発する人も多かったのでは。具体的には、橘諸兄らが勢力
を伸ばすことができた頃では。
247 :
山片蟠桃の介:2009/01/19(月) 14:13:50
(続き)
8 「石川麻呂、古人大兄、有馬皇子、大津皇子はどうなのか」について。
(関説)長屋王を含め、天武・蘇我系で藤原によるはすべて法隆寺を祟り封じの寺に祀っている。
(私見)粗いかも。
なお大津皇子は二上山に祀られている。持統が殺したとすれば特別待遇か。
有馬(孝徳天皇の息子)は、自分もクーデターに参加するつもりだったのでは。自業自得
なので、祟ることもなかろうと。
9 「こんなに多くの人たちが大した罪もなく殺されることはなかったと思うのですよ」について
(関説)不明
(私見)怨霊や祟りをおそれてばかりでは、政治はできない。
怨霊や祟り「だけ」で古代史を斬る(井沢さんにその傾向あり)のは如何かと思う。
附記すると、関さんは、祟り「のみ」を重視しているわけではないです。
248 :
228です。:2009/01/21(水) 21:07:53
山片さん、あなたが関氏のファンであることはよくわかりました。
私も議論好きなわけではないのですがとりあえず
1 「律令を整備してます」について
(関説)豪族に対する土地の公平な分配のため天武に権限を集中し、律令の実態を整備した。
しかし、天武死後、律令の整備の成果がすべて藤原に換骨奪胎されている。
(私見)同意。ただし、藤原への「成果横領」に、誰も異議を言っていないようにもみえる。
関説ですが具体的にどのような?大宝元年の時点での朝廷での席次は
左大臣 正二位 多治比島真人
右大臣 従二位 阿倍朝臣御主人
大納言 正二位 大伴宿祢御行
大納言 正三位 石上朝臣麿
大納言 正三位 藤原朝臣不比等
となっています。「律令の整備の成果がすべて藤原に換骨奪胎されて」いませんよね。
反論は具体的に根拠を挙げなければいけません。私はこれ一つで十分だと思いますよ。
私見、つまり山片さんの意見です。
先ず、同意の意味がわかりません。これでは同意の対象が関氏なのか私なのか判断できませんよ。
「ただし」以降を読むと関氏の擁護とも思えますから、私に同意と言うことなのかとも
思えてしまうのですが。これでは再反論もできませんよね。
249 :
228です。:2009/01/21(水) 21:09:20
2以下もよく考えてください。推測が多くないですか?
根拠をしめさない推測に反論しても水掛け論にしかならないのですよ。
6の反論はちょっとよかったと思います。譲位の2ヵ月前に持統が病気になってること
を挙げるともっと良いですね。健康に不安を抱いた持統が譲位を急いだのであって、
本来15での即位は早すぎるのだ、とか。
では6に再反論。首皇子以外には石川氏の皇子がいるだけ、皇族を母とする皇子
がいない以上、より上位の夫人を母とする首が皇太子になるのに不比等の権力を
想定する必要はない。で、どうですか。
250 :
山片蟠桃の介:2009/01/23(金) 19:42:02
>>248 228さん、議論好きではないとのことですが、ちゃんとご反論いただいてありがとうございます。
山片蟠桃「的」なネームを付けておきながら、私には概括的かつ雑駁な知識しかなく、かといっ
て疑問を「誰かに投げかける」方途もなく今日に至っていたので、228さんのように筋の立った、
明瞭で正当な意見を述べて下さること、心から感謝します。228さんへの反論や意見も、同時に、
私の考え方(おっしゃるとおり関説です)の検証にもなります。
なお(関説)は関さんの意見(と思われるもの)。(私見)は私の意見で、「同意」とあるのは
関説に対する同意です。説明がなくてすみませんでした。
さて、大宝元年(701年)の朝廷席次ですね。形式上不比等は第五位であり権力などないのでは、
ということでしょうか。
251 :
山片蟠桃の介:2009/01/23(金) 19:57:47
(続く)
たしかに席次からはそうかもしれませんが、実質的権限が下位の者にあること、現代でもよくある
ことではないでしょうか。701年(大宝律令制定)当時、イニシアチブを採れるのは鎌足の息子
の不比等しかいないと思います(後の不比等の豪腕からすれば)。
例えば、席次上位の阿部、大伴、石上(物部)という古代からの豪族には大宝律令制定時には力は
ありません(と思う)。最上席にいる多治比の島、この人よく知らないけれども、権力を振り回す
イメージはないです。
252 :
山片蟠桃の介:2009/01/23(金) 19:59:15
(続く)
具体的な根拠になるかどうか分かりませんが、701年律令で整備された班田収授について。
関さんは以下のように述べています。
「当時各豪族が所有していた土地を国家に集中させ、それを再分配(管理者として)するためには
相当な権力を持った者にしかできない。それができたのは天武であった(浄御原令の中で班田収授法
は(一応)整備されていた)。」
「天武死後、同法の運営段階において、持統には、国家に集中した土地を再分配する力はなかった
(天武死後ただちに大津を殺したような持統が支持され、スムーズに即位できたはずがない)。
具体的には黒幕の不比等こそが、管理分配する権限を有していた。」
「本来、皇族が管理分配権限を各豪族らに「公平に」行使するはずだったところ、権限を引継いだ
不比等(及びその子孫)は他の豪族を擺脱し藤原氏(最終的には北家)のみを栄えさせた。
要するに律令の運営局面で良いとこ取りをした」などと言います(記憶で書いているので自信ないが、
多分こういう趣旨だった)。
形式からすれば701年当時不比等は下位ですが、その後、長屋王の変を経て不比等の子、4兄弟
が死亡する737年まで、概ね、藤原が政治の中枢に居たこと、争いはないと思います。
だからこそ、「律令整備の成果がすべて換骨奪胎された」と思うのです。
他の豪族が文句を言わないのは、不比等らに文句を「言えない」からでしょう。
253 :
山片蟠桃の介:2009/01/26(月) 15:08:58
>>249 「2以下もよく考えてください。推測が多くないですか」について。
たしかにそうですが、推論の根拠を逐一記述するスペースの関係で、宜しければ(少しずつ)
「この点の推論の根拠は?」と、指摘又は再反論してくださいますか。
6の再反論に対する再主張です。
首(聖武天皇)以外に石川氏の皇子(文武の子、すたれ皇子広成のこと?)がいるだけとの
ことですね。
今となっては蘇我系の夫人を母とする時代ではないのでしょうが、首の他にも長屋王はじめ
天武直系の皇子は多数残っていたはずです。
宮子や石川娘ではなく、他の王系に移すこともあり得ます。
当時の力関係、具体的には新興貴族の藤原vs凋落しつつある旧豪族・天武系皇族連合、が
微妙で、首を皇太子にするにも相当な権謀術数が必要とされたと思います。
254 :
228です:2009/01/27(火) 07:33:48
片山さんは誠実そうな方ですね。久しぶりに覗いてみたもので、ご返事が遅れました。先ず不比等について、
単なる印象でしかないのですが、私も不比等が「相当な権謀術数」を駆使したと思っているのですよ。
で、「相当な権謀術数」を駆使しなければ自分の考える政策を実現できない人は、現実の権力を持っていない人なのです。
違いますか?関さんの言うとおり不比等が「土地を再分配する力」する権力を持っていたなら「相当な権謀術数」を駆使
する必要などなく、単に命令すればいいだけじゃないですか?
予想される反論を一つ。「権力ではなく、土地を再分配する能力の問題だ。」
それに対する私の反論「百済からの渡来人がごろごろいたと思いますよ。」
あえて自説に突っ込みを入れてみるというのは、視点を増やすトレーニングになります。
藤原氏が権力の中枢にあり続けたのは間違いありませんが、それだけに捉われず、
もっと具体的に、ある時点で不比等がどれくらいの権力を行使できたのか、考えて見ましょう。
例えば、平城京遷都などいい例だと思いますよ。時間がないのでこれくらいで、また来て見ます。
255 :
天之御名無主:2009/01/27(火) 13:56:08
「日本書記」に登場する神武、崇神、応神の各天皇は、実は同一人物「日向の御子」だった
という関裕二さんの仮説には納得しました。武内宿禰がアメノヒボコ、浦島太郎、住吉大神と
同一人物という仮説にも納得です。
武内宿禰が新羅から日本に戻って来た人ということは、その子が「日向の御子」ですから、
天皇家にはユダヤ人の血が流れている可能性があります。新羅の王族は失われたイスラエル
10部族のうちのダン族という説があるからです。
256 :
228です:2009/01/27(火) 18:22:03
以下は山片さんへの私信のようなものです。お若そうですし、誠実そうな方なので気になっています。
疑問を誰かに投げかける事も大事でしょうが、例えば他の人が書いた本を読んでみるという事もできますよ、できれば同じ人の書いた本を何冊か。
その中に疑問の答えがなくても良いんです。その人の考え方みたいなものを探すのですよ。そして自分が、その人ならばこう考えるのかな?とその疑問点について考えるのです。これって視点が一つ増えた事になりますよね。
ですから、歴史書じゃなくても良いんです。数学や物理学の本で論理的な考え方を身につける、というのも一つの方法ですし、心理学の本でも良いんです。
単に「力」と言ってしまうと、それが権力なのか能力なのか、わからなくなってしまいす。下位にあるものが実質的な権限を持つ、というのは現代でもありますし、どの時代でも当然のようにあったと思いますよ。
ただ、この時に下位にあるものが権限をもてるのは上位の人間の持つ権力・権限によって保護される事が前提です。
保護の理由が、その人の持つ能力なのか、もっと私的な(例えば姻戚関係とか弱点を握られているとか)ものなのかはともかく、より上位の人間によって保護されない限り、権限を駆使する事などできませんよね。
当然ながら、下位の人間の使える権限は保護してくれる上位の人間の持つ権力・権限以上のものではありえないのです。
257 :
228です:2009/01/27(火) 18:26:16
関説では、持統には土地の再配分を行う「権力・権威」はなかった、と解釈して良いと思うのです。ところが、不比等にはその権限があった、ということですよね?すると不比等の持つ権限は、誰によって保護されているのか?
となるわけです。持統にはその「力」がなかったのですから、他の皇族・王臣の合意の下に権限を委託されていた、という事になってきますよね?それ以外にはちょっと考えずらいのです。
この時には不比等の持つ権限はその「能力」によって保証されている、もしくは「土地の再配分を行う権限」の持ち主からその権限をゆだねられ、そのために他の王臣も不比等の権限を認めざるを得なかった、
ということになると思います。
前者ならば、不比等の持つ「能力」に匹敵する「能力」の持ち主がおらず、他の王臣もそれを認めたということでしょう。こう考えたときには不比等の「能力」を発見したのは誰なのか?と考えなければいけません。
持統によって発見されても権限を付与できませんよね。不比等の能力を発見し、権限を付与できるのは天武しかいないのです。
後者でも同様です。不比等の持つ権限は天武によって与えられたものとなる筈です。
さて、関説は天武⇔持統・不比等という構図を前提としていると思います。明らかな矛盾がありますよね。
数学でいう背理法で関説の前提は否定されなければなりません。関説の前提をこのまま受け入れると、論理的矛盾が生じてしまいますから。
258 :
228です:2009/01/27(火) 18:29:07
関説を支持したい山片さんはこの矛盾を解消するために、以下のような論理を展開してくることが予想されます。
「持統・不比等は天智・鎌足体制を復活させるために、天武生前中は天武に従うように振舞い、天武のもつ権限を不比等に委託することに成功していた。」これ以外はちょっと難しいでしょう。
この反論を予想している私は、当然これに対する再反論を用意しています。
「不比等の名が正史に始めて現れるのは持統三年(?でしたっけ)だ。それ程の権限を委託された人間が天武の死後三年も名前が見えないということはありえない。」です。
これに対する山片さんの反論は現在では予想できませんが、やり取りを何回かしている内に予想ができるようになりますよね、将棋や碁のようなものです。
相手が考えているうちに反論を予想して、再反論を用意しておく。かなりいやらしい論理展開をするものですから、議論をすると大抵の場合私のほうが優勢になるのですよ。
普通の人間はそれ程論理的な考え方をしないものです。
259 :
228です:2009/01/27(火) 18:31:40
すんなり納得してくれる人や、後日に備えて議論を切り上げてくれる人は良いのですが、たまに感情的になる人がいます。宗教関係や○○さんの熱狂的なファンという人の中に多いものですから、ちょっと敬遠していたのですよ。
ですが山片さんはそういう方ではなさそうです。
あまり関説に固執なされずに、他の人の本も読まれたほうが良いかと思います。個人的な意見ですが、やはりアカデミックな研究者の書かれた本を何冊か、ブック・オフで105円の新書で良いと思います、読まれてみてはいかがですか。
内容的に古いものもありますが、学問に対する真摯さや考え方は十分に窺える筈です。新しい知識を仕入れるのも大切ですが、しっかりした考え方を学ぶ、のはそれ以上に大切だと思います。
とりあえず、参考になればと思いまして。ところで、大阪の方ですか?
ここ数年は「偽書ヲタ」みたいな電波な人が増えたからこの板を
覗いてませんでしたが、228さんや山片さんのやり取りはROMってる側としても楽しいです。
学問カテにある民神板が学問らしくしているのが
本当に嬉しかったのでスレ汚しなレスのほどご容赦下さいませ。
m(_ _)m
261 :
山片蟠桃の介:2009/01/28(水) 16:24:43
>>254、
>>256〜
>>259 私はさほど若くないし、誠実かどうかも判りません。228さんにそう言われると忸怩たるもの
があります(韜晦しているわけではないですよ)。
出身は大阪で、大学からずっと(人生の半分以上)都心に居ながら、未だに関西言葉は抜けません。
関西弁は便利で、柔らかくも強い言回しもできるため重宝しています。本スレもほとんど会話体
から遠くない感覚で書き込んでますから、大阪出身と分かってしまいますね。
論理力が大切とのこと、所与の前提と考えます。法律の世界に身を投じていると、その重要性を
犇犇と感じます。尤も、裁判官の判断は経験、直感、悪く言えば「偏見」に基づくため、必ずしも
純理性が司る世界ではないですが。
勉強(というほどでもないですが)のきっかけをありがとうございます。虚心坦懐に最近の学者の
本を読み直してみます。水谷千秋さんと遠山美都男さんの本(いずれも新書)がありますので、
検証の意味も含めて読みます。
228さんに対する反論(不比等の権限、能力に関する点)は、すぐに書きたいところですが、
今度の日曜に漢検を受けるので、それが終わってからにさせて下さい。
ざっくりでごめんなさい。
262 :
天之御名無主:2009/01/28(水) 23:23:26
不比等を保護してたのは持統で、持統にはその権限はあったが能力がなく、
不比等はその逆で、権限は無かったが、能力(豪腕な政治力)があった。
と単純に解釈していました。
不比等が天武から権限を与えられていなくてはならない必要性はあまり感じません。
政治力という概念は曖昧ですが、経済力という面で不比等の力はどうだったんですかね?
263 :
228です:2009/01/29(木) 03:37:14
>>261 いえ、言葉遣いでなく名前からの判断です。大阪の人ですよね?山片蟠桃さんて、
確か司馬さんが主導して、文化賞を創設した記憶があるもので。
私の思い込みで、大変失礼なことを書いてしまったようです。すみません。
>>262 関説では天武の持っていた「力」が持統にはなかった、としていますのでそれを前提としての発言です。
不比等の政治力は、日本史上でもかなり上位でしょうね。やり手だったと思います。
264 :
天之御名無主:2009/01/29(木) 13:22:37
>関説では天武の持っていた「力」が持統にはなかった
そもそも、ここの根拠が弱いような気はしますね。引き継いだ「天皇」という職責に変わりはないわけだから。
「力」というのを、「人気や支持」というくらいの説明しかしていないように思います。
持統が天武派ではなく天智派であったというのは、
通説とは逆で関説のオリジナル(?)でもありキモでもあるところなので、
もうひと押し説明が欲しい感じはします。
265 :
228です:2009/01/30(金) 03:53:56
>>264 私は持統が天智派だったという関さんの前提そのものを疑っています。
持統の外祖父、山田麻呂が冤罪で死んだ後、衰弱死した麻呂の娘ミヤツコが持統の母でしょう。
母をそこまで追い込んだ天智に対して持統が良い感情を持っていたとは思えません。
山片さん、あなたが天武を信じて「土地の再配分を行う」権利を認めた豪族だったとします。
ところが天武の跡を継いだ持統は今一信用できません。そして持統にはお気に入りの不比等という
若手官僚がいます。持統を信用できないあなたは不比等に「土地の再配分を行う」権利を認めますか?
視点を変える、というのはこういう事ですよ。
266 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 16:23:45
>>254、
>>256〜
>>259 漢検無事に終了しました。今週から復活です。
主に持統・不比等の「権限・権力」論について。
228さんは
>>254で
>不比等が「土地を再分配する力」する権力を持っていたなら「相当な権謀術数」を駆使
>する必要などなく、単に命令すればいいだけじゃないですか?
>予想される反論を一つ。「権力ではなく、土地を再分配する能力の問題だ。」 それに
>対する私の反論「百済からの渡来人がごろごろいたと思いますよ。」
とおっしゃいます。また
>>256で
>この時に下位にあるものが権限をもてるのは上位の人間の持つ権力・権限によって保護
>される事が前提です。保護の理由が、その人の持つ能力なのか、もっと私的な(例えば
>姻戚関係とか弱点を握られているとか)ものなのかはともかく、より上位の人間によって
>保護されない限り、権限を駆使する事などできませんよね
とされます。いずれも重要な指摘ですね。
267 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 16:30:33
(続き)
まず、686年に天武が死亡し、(称制を経て)690年に持統が天皇就任=「権威」を
獲得しました。
では、鎌足が父、車持が母=「権威、権力なし」の不比等が権力(頭の良さ又は政治力という
「能力」があることは所与の前提とします)を持つに至ったのは何故。
私は以下のように考えます。
壬申の乱後に権力が集中し、「神」(神代の「神=鬼」とは別の意味)と呼ばれるほどに権威
をも獲得した天武の死後、明らかに後継者問題で次世代が割れたと思います。
天武死後直後に大津(持統の姉の子)を殄戮し、我が子草壁(さほど有能とは思えない)を
皇太子にしようとした持統に支持は集まらないでしょう。かといって、高市に権威・権力が
集中したとも思えません(一瞬そうだったかもしれないが少なくとも長続きしていない)。
持統も単なるお飾り(ばか)ではありません。後に神がかる彼女(吉野に何度も往復し、
アマテラスに準えるのは端的な例)ですが、有力者を周辺に付けようとした筈です。
誰がいるか。
268 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 16:51:21
(続き)
持統は、皇族たちからはおそらく大津の一件で総スカンでしょう。物部や大伴ら旧来からの
豪族達も、班田収受で土地を供出し、経済的基盤が弱まっている時点でしょうから頼りに
ならない。とすると、不比等、ひては亡命百済人に目を付けることになりませんか。
天武当時、新しい大陸の法制度に(少なくとも日本古来の豪族より)通暁していた亡命百済人
たちは、日本の官僚機構を牛耳っていたと思います。
他方、不比等は壬申の乱当時10歳ちょっと、亡命百済人である田辺史の下で養育されて
いました。
推測ですが、優秀な不比等は、天武死亡時点で亡命百済一派の希望の星だったのでは。
関さんの言うように鎌足=豊璋とまで考えなくとも、百済びいきの(天智・)鎌足の子の
不比等を動かせば、亡命百済人らを組織できたという関係になっていたのでは。
269 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 16:54:37
(続き)
「土地再分配」を意図する場合、結局、手足となる官僚機構がちゃんと法令を運用しなければ
駄目ですね。その、官僚機構の言うことを聞かせられたのが不比等だったと考えます。
持統は「神」の妻、権威はあるが、大津の件で乾された可能性がある。積極的か、仕方なくか、
は知らないが、真っ先に不比等にコンタクトを取ったのが持統、ということでしょう。
少なくとも権威はある持統が、実権のある官僚・亡命百済人(そのヘッドが若き不比等)を
取込んだという図式です。
ではなぜ他の皇族・貴族達は、その点に(持統より先に)目が行かんかったのだろうか。
270 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 18:06:56
(続き)
注目すべきは高市皇子です。
最も有力者だったと思われる高市は、天武(百済のみならず、新羅等を含む全方位外交)の
意向を忠実に履行しようと考えていた。高市が天武の後継者たらんと考えていたとすれば、
天武の敵である(天智・)鎌足の子である不比等や田辺史ら亡命百済人とは疎遠だったと
思います。その後イニシアチブがとれなかったのが何よりの証拠でしょう。
疎遠であっても(過去の経緯は兎も角)ヘッドの不比等と手を携えておればと思いますが、
「たられば」の世界ですね。他の皇族は、高市に右にならえだったのか(日本人の特性)。
蘇我は、連子(石川)の家系しかなく、物部も石上麻呂では迫力不足、その他も亡命百済人
のヘッドの新興不比等は嫌いだったのか、仲間はずれにしていたのでは。
271 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 18:08:48
(続き)
「乾されたが権威のある」持統と、背後に亡命百済人官僚を擁する「嫌われ者」不比等が協力
し合った。他の皇族・豪族たちは冷ややかな目で見ていたが、亡命百済人が動かないと全く
政治が進まないことに今更ながら気が付いた、その時には既に遅く、持統・不比等らによる
新体制が整いました、ということでしょうか。
その間が持統の称制であり、新体制移行には4〜5年必要だったと思われます。
ですから、関さんの言う「持統が天智派だった」などという必要はない、後解釈の問題です
(泉涌寺が天武〜孝謙を無視していることも含め)。
272 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 18:19:48
(続き)
228さんは
>>257で
>不比等の持つ権限は、誰によって保護されているのか?
>持統にはその「力」がなかったのですから、他の皇族・王臣の合意の下に権限を委託され
>ていた、という事になってきますよね?
とされます。持統に力がなかったのはそのとおりです(少なくとも当初。あれば称制などしない)
が、他の皇族・王臣の合意は「やむを得ない、半ば強制された合意」ではないでしょうか。
また
>不比等の持つ権限は天武によって与えられたものとなる筈です。
とされますが、天武によって与えられたものではなく、天武から持統、持統から他の皇族の
「渋々の」同意の下、不比等(背後に亡命百済人官僚)に与えられたと考えます。
273 :
山片蟠桃の介:2009/02/02(月) 18:26:16
(続き)
さらに228さんは
>>258で、私が
>持統・不比等は天智・鎌足体制を復活させるために、天武生前中は天武に従うように
>振舞い、天武のもつ権限を不比等に委託することに成功していた。
と考えるのではと予見されておられますが、上述の如く、そのようには考えません。
天武存命中は単純に田辺史の下で「逼塞していた」のであり、不比等が重要なキーマンになる
ことに真っ先に気づいたのは「乾された」持統だった、と考えます。
だからこそ、不比等は持統の権威を胸壁にし、持統をお飾りにして政権を牛耳った、
その間は「新たな神様修行をして下さい」ということで、持統は何度も吉野に通った、
と言ったら、「推論に推論を重ねている」と言われましょうね。
天智・鎌足体制の復活は、上述のとおり「結果的に」「後解釈」でそうなったに過ぎない
と考えています。
274 :
228です:2009/02/02(月) 21:11:34
漢検お疲れ様でした。
すみません、私ちょっと勘違いしていました。あくまで関さんの前提、天武にあった「力」が持統になかった。
が論点だと思ってましたので、ならば不比等の「力」は誰によって保護されているのか?ということを聞きたかったのです。
山片さんは、持統は天武の「権威」は引き継いだといるわけですね。
先ず、私の感覚ではこの時点で関さんの前提から離れています。
また、関さんの言う「持統が天智派だった」などという必要はない、とも書いています。
関さんの前提に拘っていないということですね、一歩前進です。
では山片さんに反論。
山片さんの言い方だと、不比等と亡命百済人は運命共同体のように聞こえますけど、それで良いですか?
不比等と亡命百済人が同時に閉塞していたなら、彼ら以外の官僚が事務作業をこなしていたことになりますよね?
ならば彼らにそのまま任せれば、嫌われ者の不比等など頼らずとも良い事になりませんか?
私は天武が「土地の再分配」を自分でやったとは思っていません。自分では方針だけ立てて、事務作業は
官僚にやらせたと思いますよ。おそらく亡命百済人官僚を多用したと思います。
亡命百済人を起用するのに、不比等の力を借りる必要は無いと思うのです。
それに山片さんは亡命百済人が一枚岩だったと考えているようですけど、派閥があったかもとは思いませんか?
不遇感を抱いていた百済人がいたとは考えませんか?それを切り崩しにいく皇族がいなかったでしょうか。
275 :
228です:2009/02/02(月) 21:34:16
もう一つ、私には天武が鎌足を敵視していたとは思えないのです。
宴席で天武が槍を突き立てて、天智に食い掛かった時に仲裁に入ったのは鎌足ですよね。
鎌足の正室、鏡女王をご存知ですか?天武は彼女を見舞いに行ってます。
また、天武の後宮には鎌足の娘が二人います。皇子の年齢から推測すると天武が即位してからですよ。
これをどう解釈しますか?私には鎌足の遺族は天武によって保護されていたと思えるのですが。
山片さんが、天武朝で不比等が干されていたという根拠は何でしょう。
やはり、天武朝で不比等の名が出ない、ということですか?
276 :
山片蟠桃の介:2009/02/03(火) 13:30:34
>>274 早速にありがとうございます。
私が亡命百済人官僚を主体的に取り上げているのは、228さんの
>>254「百済からの渡来人が
ごろごろいた」との記述と、水谷さんの新書で「百済人が官僚として事務を牛耳っていた」との
ことから発想を得ました。おっしゃるとおり、関さんに固執せず他の人(学者)の著作を読むと
本当に勉強になりますね。この一点でも228さんに感謝します。
>持統は天武の「権威」は引き継いだ
についてですが、私は
天武が新たに作出した、天皇という地位の「権威」(内容は、新たな「神」という地位)を、
持統が、天皇として引き継いだ(利用した)という意味で使っています。天武という「人格」
の承継ではないです。
277 :
山片蟠桃の介:2009/02/03(火) 13:32:27
(続き)
>不比等と亡命百済人は運命共同体のように聞こえますけど、それで良いですか?(以下略)
とても大切なご指摘です。
丁度、天武が大海人一族と密接な関係にあった(関説です)と同じように、田辺史と密接な紐帯
があったと思います。田辺が「すべての亡命百済人を統合していた」かどうか分かりませんが、
相当な影響力・政治力はあったのでは。一応の前提とさせて下さい。
>彼ら(亡命百済)にそのまま任せれば、嫌われ者の不比等など頼らずとも良い事になりませんか?
について。
繰り返しになりますが、天武死亡後から少なくとも持統称制の期間、相当な政治的混乱があった
と思います。
書紀には明示されていませんが、高市を天皇に推す派閥、さしおいて大津を推す派閥、その他の
皇族を押す派閥があったのでは。持統は(自分を含めた)その他皇族派だったのか、大津を刹虐
し、結果「乾された」。
278 :
山片蟠桃の介:2009/02/03(火) 13:34:10
(続き)
ところで、
>>268でも言いましたが「天武当時、新しい大陸の法制度に(少なくとも日本古来の
豪族より)通暁していた亡命百済人たちは、日本の官僚機構を牛耳っていた」と思います。
天武死後、形式的に高市が天皇「的」な地位にあったが、
1 高市は、亡命百済人官僚を上手く使いこなせなかった(単に好きではなかった?)
2 天武の子である高市は、鎌足の子である不比等と疎遠だった
3 したがって、不比等をヘッドとする?田辺ら亡命百済人とますます上手く行かない
事情があったのではないかと推測します。
天武時代に亡命百済人官僚は(660年の亡国の際の悲劇を思い出し?)混乱を避けて傍観して
いたのでは?だから、天武時代に活動していた亡命百済人は天皇の地位が誰になるか明確に確定
されるまで、(高市をはじめ)誰の言うことも聞くつもりがなかったのでは。
そこに「乾された」持統が不比等(背後に百済人)と接触した、という流れは如何?
279 :
山片蟠桃の介:2009/02/03(火) 13:35:46
(続き)
>亡命百済人が一枚岩だったと考えているようですけど、派閥があったかも、とは
について。
あったかも知れませんが、天武死後は、亡命百済人にとって一種の危機だったのでは。
たとえば、天武時代は恩恵があったかも知れないが、(今の日本の人事院ではあるまいし)
代替わりの際における「地位の不安定」はあったと思います。派閥を主張するよりは、亡命
百済人(帰る故郷もない)はむしろ結束に走るのではないかと想像します。したがって、
「切り崩し」があったとしてもそれには応じないでしょう。
>>275 >宴席で天武が槍を突き立てて、天智に食い掛かった時に仲裁に入ったのは鎌足ですよね。
>鎌足の正室、鏡女王をご存知ですか?天武は彼女を見舞いに行ってます。
について。
「大人の対応」では。
また「仲裁に入った」云々は、鎌足を美化した藤氏家伝の記述でしょう?
280 :
山片蟠桃の介:2009/02/03(火) 13:37:58
(続き)
>また、天武の後宮には鎌足の娘が二人います。皇子の年齢から推測すると天武が即位してからですよ。
>これをどう解釈しますか?私には鎌足の遺族は天武によって保護されていたと思えるのですが。
「大人の対応」では。
あるいは、関さん流に言えば「百済の王子豊璋=鎌足」の娘を後宮に入れることで亡命百済人官僚
との融和の象徴として、
私流に言えば「今後重用しなければならない亡命百済人に、百済のために尽くされた鎌足の娘を
後宮に入れることで亡命百済人によい印象を与えようとして、
そうしたのでは。
>山片さんが、天武朝で不比等が干されていたという根拠は何でしょう。
>やはり、天武朝で不比等の名が出ない、ということですか?
について。
そうですね。
あとは、天智・弘文天皇「側」であった不比等を重用する気にはなれなかったということでは。
281 :
228です:2009/02/03(火) 20:38:56
私もですけど、山片さんも早いですね。
今日は一つ提案があるのですが、先ず天武と不比等の関係に論点を絞りませんか?
そこをはっきりしとかないと、話がかみ合わないと思うのです。もちろん一致するとは思っていないですけど、
お互いの考え方は理解できると思うのですが、どうでしょう。
提案する私から切り出すのもどうかと思いますけど、とりあえずお先に。
山片さんの指摘通り、不比等の母は車持君で良いと思います。ただ、車持君は単なる地方豪族ではありませんよ。
天武13年に朝臣性を授かった上毛野氏系豪族「六腹朝臣」の一員です。田辺史氏も渡来系とはいえ先祖を共有
する上毛野氏支族ですから、不比等が田辺史氏に養われたことと無縁ではないと思います。
大宝律令の編纂には同族の下毛野朝臣古麻呂も参画していますし、田辺史氏もいましたよね。
鎌足には鹿島の出身という説もありますから、藤原氏と上毛野氏には深い繋がりが感じられるのです。
単に、亡命百済人という括りだけで見たら間違うのではないかと思うのです。
282 :
228です:2009/02/03(火) 21:07:47
>天智・弘文天皇「側」であった不比等を重用する気にはなれなかったということでは
についてですが、なぜ不比等が天智・弘文天皇「側」だったと思っているか知りたいのです。
壬申の乱で田辺史小隅が大友側にいたから、ということでしょうか?
でしたら、兄弟一族が別れて闘うなど珍しい話ではないと思うのです。
そして、鎌足の正室と娘には「大人の対応」ができた天武が、なぜ不比等にはそれができなかったのか。
壬申の乱の時点では12,3の子供ですよ、天武にそれくらいの度量が無かったとは思えません。
天武13年には、中臣連は朝臣を授かっています。連性から朝臣となったのは物部氏と中臣氏だけです。
壬申の乱で功績のあった尾張連でさえ宿禰ですから、中臣氏はむしろ優遇されています。
この時代30位まで名前が出ないのはむしろ当たり前で、これを天武が不比等を嫌っていた根拠
とするなら殆ど言いがかりではないかとさえ思ってしまうのですが。
283 :
山片蟠桃の介:2009/02/04(水) 15:04:31
>>281 228さんが真っ当かつ優れたご意見を提示されるので、つい手が進みます。
>先ず天武と不比等の関係に論点を絞りませんか?
よい提案だと思います。私も考えていなかった(知らなかった)論点ですから、ウィキペディア
で調べつつ、です。様々とお教え下さい。
まず車持ですが、私は、竹取物語で(悪辣な)車持の皇子が不比等に措定されているのを知識と
して知っている程度でした。上毛野氏は豊城入彦命の流れ、車持が上毛野六腹朝臣の一員ですから、
車持は古代からの名門ですね。ただし、3〜400年後の天武の頃は完全に勢力を失っていた=
名前だけの存在、と考える方が実態に即しているのでは。
不比等の母は、車持を剽窃したか、支族に「入り込んだ」のでは?(この点後述します)
また田辺史は、通説は百済出身とされてますから、上毛野支族に「入り込んだ」のでは?
(丁度、継体天皇が応神5世の孫と言いつつ、武烈の姉を娶って立場を正当化したように)。
284 :
山片蟠桃の介:2009/02/04(水) 15:08:35
(続き)
>鎌足には鹿島の出身という説もあります
について。
大鏡や春日大社はそうでしょうが、関説はもちろん、反対有力説も多いところです。
関説のように鎌足=豊璋と考えなくとも、(亡命百済人の?)高い地位にある者でなければ
そもそも軽や中大兄に接近できるはずがありません。単純・素直に考えて、鎌足が鹿島(の神主)
出身では迫力不足です。あえて言うなら、中臣支族に「入り込んだ」のでは?
流れとしては、以下のように考えると合理性がでませんか。
1 天武時代では、亡命百済人は(官僚として能力は認められつつ)表に出にくい。
2 不比等は、田辺史のもとで養育されたが、それは鎌足の百済人閥に由来する。
3 後に不比等が世に出るに至り、古代からの名門であることを文飾しなければならない。
4 鎌足が車持の娘と結婚した、田辺史も車持同様上毛野一族である、かつ鎌足まで鹿島出身
「ということにして」、
>藤原氏と上毛野氏には深い繋がりが感じられる
ようにした。
草深き上毛野氏を持ち出し、鎌足が車持や田辺と縁があるように並べたところに、むしろ作為を
感じるのですが如何。
285 :
山片蟠桃の介:2009/02/04(水) 15:11:20
(続き)
>>282 >鎌足の正室と娘には「大人の対応」ができた天武が、なぜ不比等にはそれができなかったのか。
について。
後の世とはいえ、清盛(池の禅尼)と頼朝、頼朝と木曽義高などの古事を思い出しますね。
12、3歳でも「栴檀は双葉より芳し」だったとすれば、殺さなかったことが「大人の対応」、
まだ能力不明なら、放置することが「大人の対応」でしょうか。
>天武13年には、中臣連は朝臣を授かっています。連性から朝臣となったのは物部氏と
>中臣氏だけです。
>壬申の乱で功績のあった尾張連でさえ宿禰ですから、中臣氏はむしろ優遇されています。
について。
これは考えあぐねますね。「自陣1八・遠見の角」のような良い手です。
あえて言えば、「中臣連」と「中臣を剽窃した鎌足」とは別の一族と考えたらよいのでは。
286 :
228です:2009/02/04(水) 20:29:30
ああいえば上祐という言葉が頭を・・・。(古いですか?)でもちょっと楽しいですよ。
司法関係のお仕事をしておられるとのこと、流石、というべきなんでしょうか。
今のところ正直手持ちのカードは使い切ってますね、新たなカードが見つかるかどうか。
ただ上毛野氏はこの問題のキーワードになるかもしれませんよ。熊倉浩靖氏の論文から引用します。
総社古墳群は五00年ごろから造られ始め、六世紀代には一00b級の大前方後円墳をのこし、六00年以降、
三つの大方墳・愛宕山古墳(一辺五0bほど)・宝塔山古墳(一辺五三b)・蛇穴山古墳(三九b×四三b)が造られた。
この傾向は「畿内」における大王陵や有力貴族の古墳築造傾向と完全に並行しており、また宝塔山古墳・蛇穴山古墳の
石材加工技術は全国的にも当代最高レベルであることが指摘されている。そして遅くとも六八一年(天武十)にはこの地に
山王廃寺(放光寺)が造られ、両古墳と山王廃寺を基準に上野国府が計画されたことが明らかにされている。
287 :
228です:2009/02/04(水) 21:22:08
確か、関さんには方墳を造るのは蘇我氏の特権だ、という趣旨の記述があったように記憶しているのですが、
違いましたか?確かに用明・推古は方墳だったと記憶してますから、蘇我氏と上毛野氏は近い関係ということに・・・。
蘇我邸を守っていたのは東方の従者だったとありますから、話が膨らみそうです。
もっともこれだと山片さんの思惑からは、ずれてしまいますか。
そして、これは指摘しておきたいのですが、上毛野氏は決して草深い関東の田舎豪族ではありません。
総社古墳群を見てもわかるとおり、かなりの実力を持っています。特に天武・持統・文武朝では重要なポストについています。
東国六腹の朝臣の確実な登場を『日本書紀』『続日本紀』に拾うと、六六三年(天智天皇二)白村江の戦い前将軍の上毛野君稚子、
六七二年(天武天皐元)壬申の乱の佐味君宿那麻呂と大野君果安(田辺史小隅も登場)、六八一年(同十)天武朝史局諸臣首座の
上毛野君三千、六八四年(同十三)六朝臣への朝臣賜姓、六八九年(持続天皇三)奴婢解放の下毛野朝臣古麻呂と撰善言司諸臣首座の
佐昧朝臣宿那麻呂、六九一年(同五)墓記上申の上毛野朝臣、七〇一年(大宝元)大宝律令撰定実務統話者の下毛野朝臣古麻呂
(田辺史百枝、首名も参画)で、続いて七一〇年(和銅二)に車持朝臣益、七一一年(同四)に池田銅臣子首が見える。(熊倉氏)
坂東といえば武のイメージが強いですが、上毛野氏は文官としても優秀だったようです。
>「中臣連」と「中臣を剽窃した鎌足」とは別の一族と考えたらよいのでは
残念ですが天武朝と持統2年までは藤原朝臣大嶋がみえますが、持統3年以降は藤原朝臣不比等(史)の名が出てきます。
この間に大嶋が死亡もしくは引退し、不比等はその後釜と考えるのが妥当でしょう。
熊倉氏の論文はネット上から拾ったものではありませんので、urlを教えられないのが残念です。
あっ、小隅の件はどうでしょうか。他に何かありますか?
288 :
228です:2009/02/04(水) 21:28:56
熊倉氏論文最終行
×池田銅臣→○池田朝臣
すみません。ocrで読み取ったのですが、確認不足でした。
289 :
山片蟠桃の介:2009/02/05(木) 16:11:26
>>286、
>>287 >今のところ正直手持ちのカードは使い切ってますね、新たなカードが見つかるかどうか。
とのことですが、古代史について浅学非才な私には228さんの広汎な知識に対抗する術が
ありません。おっしゃるとおり「上祐」的かつ法匪的な反論をするのがやっとです。
どちらかといえば通説的な228さんの見解からすると、天武と不比等との関係に関する論点
は、存外、非通説的なご主張のようですね。今回は主として質問をさせてください。
田辺が古代からの名門上毛野氏(豊城入彦命の末裔)と同族であるとするなら、何故、
渡来系乃至百済系である田辺史が「同族」とされているのですか?
290 :
天之御名無主:2009/02/05(木) 16:13:01
(続き)
>蘇我氏と上毛野氏は近い関係
について。
蘇我=(又は近しい)上毛野氏ですか。関説を持ち出すかどうかは兎も角、その可能性は充分
にあるのでは。ただし、「近い関係」にあることと、(批判的におっしゃりたいであろう)
蘇我=天武vs上毛野=田辺、不比等
という図式が上手く対応するかは微妙と思います。
1 「上毛野=田辺」という前提ですが(上記質問と同様)イコールにしてよいか疑問です。
2 天武朝で蘇我はほぼ勢力を失っており、仮に過去において蘇我と上毛野が近い関係に
あったとしても、時代の進展と共に独自の動きをすることも充分あり得る。
この辺り、228さんは如何お考えですか?
291 :
山片蟠桃の介:2009/02/05(木) 16:18:34
(続き)
>六七二年(天武天皐元)壬申の乱の佐味君宿那麻呂と大野君果安(田辺史小隅も登場)
これもご質問ですが、佐味君宿那麻呂と大野君果安は近江側についたのですか?
>指摘しておきたいのですが、上毛野氏は決して草深い関東の田舎豪族ではありません
について。
お教えいただき、ありがとうございました。蘇我=(又は近しい)上毛野を前提としつつ、
天武新時代以後も上毛野氏が息づいていることが分かりました。本拠地は関東であり、
随分辺境の地の名族の方、というイメージでした。
ただ、重要ポストでも、政局を壟断する力まではなかった、ということでよろしいでしょうか。
292 :
228です:2009/02/05(木) 19:48:06
>>289>>290>>291 >何故、 渡来系乃至百済系である田辺史が「同族」とされているのですか?
熊倉論文より引用です。
七五〇年(天平勝宝二)上毛野君(公)の氏姓を得、八一〇年(弘仁元)朝臣の姓を獲得した田辺史、
七九一年(延暦十)住吉朝臣を賜姓された池原公を中心とする氏族群で、「豊城入彦命五世孫、
多奇波世君の後」という始祖伝承を共有している。
多奇波世は書紀では竹葉瀬とされ、仁徳53年に新羅に詰問に行っています。
田辺史氏はこの時、半島に残してきた子孫という伝承を持っていたようです。実際のところは
わかりませんが、奈良時代になっての婚姻関係は認められないとのこと、後に田辺史氏上毛野朝臣を
名のることから、両者の関係は一般からも認められていたと思います。
>「上毛野=田辺」という前提ですがイコールにしてよいか疑問です。
>佐味君宿那麻呂と大野君果安は近江側についたのですか?
まとめてお答えします。前にも書いたと思いますけど一族が一団となったなどとは考えませんよ。
むしろ一族内での主導権をとるために、熾烈な争いがあったと思います。現に宿那麻呂は天武、
果安は近江方です。
293 :
228です:2009/02/05(木) 20:47:39
田辺史の小隅と大隈も名前から判断すると兄弟の可能性が高いでしょう、おそらく大隈が兄。
弟の小隅が兄に反して近江方についても少しも不思議とは思いません。ですから片山さんが
○○氏vs××氏のような構図にこだわるのがちょっと不思議なんですよ。
>228さんの広汎な知識
すみません、知識が偏っててたまたま嵌ってるだけなんです。昔は戦国と幕末維新だったんですけど、
最近はこの時代が面白くて、あれこれと。邪馬台国までいくと資料が少なすぎて妄想混じりになりますし
平安以降は逆に資料が多すぎて、素人には手が出しずらいもので。
>通説的な228さんの見解
不比等(中臣氏)が干されていたというのは、一般的な解釈のようですね。
ウィキで見ておどろきました。天武14/9/18、朱鳥元年1月条には大嶋の名前が出て、
元年9/28には天武の殯で兵政官事の誄をしていますから、決してそんなことはないのですが。
書紀を読んで書いてるのかな、と疑いますね。おそらく、しっかりした研究者はそのような
通説を言ってないと思いますよ。
どちらかというと私の学問的素養(というほど大した物じゃないですけど)は理工系ですから、
事実は事実として受け入れる方ですね。
私がきちんとした研究者の本を読むべき、というのは情報の蓄積量が我々とは桁違いなんですよ。100の蓄積から
確かそうなことを5とか10を書いてるはずですよ。もちろんエンターテイメントとしては?ですけど、好奇心を
刺激してくれます。自分で納得できる本だけ読んでもつまらないですよ。
294 :
山片蟠桃の介:2009/02/06(金) 14:35:31
>>292、
>>293 >七五〇年(天平勝宝二)上毛野君(公)の氏姓を得、八一〇年(弘仁元)朝臣の姓を獲得した
>田辺史、 七九一年(延暦十)住吉朝臣を賜姓された池原公を中心とする氏族群で、「豊城入彦
>命五世孫、 多奇波世君の後」という始祖伝承を共有している
について。
750年あたりは藤原の第2黄金期ですね。751年に聖武が譲位し、仲麻呂が我世を謳歌し始め
る(除・奈良麻呂)ころですから、藤原の祖先やその周辺の人の祖歴を飾りたくなる頃、というと
叱られますか?「仁徳のご時世(それも53年)に新羅に行って」という伝承自体に疑問を感じます。
後世の「そもそも我家は清和源氏流6世の後・義家7男義綱の流れで」というのと似てませんか。
295 :
山片蟠桃の介:2009/02/06(金) 14:37:34
(続き)
>情報の蓄積量が我々とは桁違いなんですよ。100の蓄積から確かそうなことを5とか10を
>書いてるはずですよ。
そうですね。学者は違いますからね。
例えば私の漢字検定、1級は3回合格し、今回は9割近くまでいったと思いますが、それでも
白川静さん(名前を出すのもおこがましい)の青年時代の1%程度の実力だろうと思っています
(白川さんは中国を併せてもトップクラスでしょう)。
しかし、古代史学については本当でしょうか。例えば蘇我氏の研究などは戦後からようやく本格的に
為された(水谷氏)ことからすれば、「確かそうなこと」も主観(悪く言えば偏見)に左右された
ものではないかと思ってしまいます。
熊倉論文にある「上毛野=田辺」も、(そういう説の存在それ自体を否定するつもりはないですが)
「上毛野君(公)の氏姓を得た時期(750年)」を考えれば、どうでしょうか。
もちろん、通説を批判するためには「通説を誰よりも完全に理解した上でなければならない」という
箴言があること、百も承知です。時間を見つけて、読みます。
296 :
山片蟠桃の介:2009/02/06(金) 14:39:12
(続き)
>佐味君宿那麻呂と大野君果安は近江側についたのですか?
先にウィキで調べればすぐ分かったことでした。228さんをあたかも愚弄するような質問になって
しまい、慚愧の極みです。壬申の乱が血で血を洗う兄弟一族間の争いであったこと、改めて瞠目して
おります。
さすればこそ、未だ若かったとはいえ、鎌足の子・不比等の立場は「微妙なもの」があったのでは。
228さんの書き込みを本当に大事に思う(私のみならず、本スレに立寄る方も含めて)からこそ、
今後も宜しく御願いします。
297 :
228です:2009/02/06(金) 22:41:48
山片さん、あまり難しいことは考えないで下さい。私はむしろ単純な人間です。
山片さんとのやり取りがつまらなければ来ないだけですし、反論に理があれば素直にそれを認めます。
事実関係がはっきりしている現代でさえ、ある物事に対する評価は人によって異なります。
情報の限られた古代ならばなおさらです。研究者の間でも評価の分かれる事件はごろごろありますし。
実は蘇我氏と上毛野氏の関係は以前にちょっと考えたことがあるんです。
ちょっと名前が思い出せないんですけど、乙巳の変の目的の一つに蘇我宗家が把握していた仏教祭祀険権を大王家
の手中に収める事があったといった趣旨の文章を読んだのですよ。たしかに大寺に使いを送って仏教保護の詔を
出していますから、なるほどと感心したのですが、その前に東国じゃないか、と思ったのです。
至極単純で、孝徳政権発足直にに美濃・尾張の神祇を祀っているんです。その後に東国国司の派遣と続きます。
ならば乙巳の変にも蘇我宗家が把握していた東国の権限を奪う、という目的があっても良いんじゃないか、という発想です。
で、東国の雄となれば上毛野氏となるわけです。単純でしょ?
298 :
228です:2009/02/06(金) 23:42:38
それにしても漢検一級3回合格って言うのはどういうシステムですか?よくわからないものですみません。
でも大したものですね。最近はテレビのクイズでも多いですけどやはり漢字の読み書きがしっかりできる人は
頭も良さそうに見えますよね、尊敬してしまいます。最近は本当に書けなくなって。パソコンも良し悪しですね。
>本スレに立寄る方
確かに最近チャット状態ですね。そういえばROMってる人がいましたね、一緒に参加してくれたら良いのに。
今考えてみたんですけど、通説って古代史では殆ど無いと思いますよ。F=maみたいに万人が
認めざるを得ないものでなくても、例えば聖徳太子の実存性まで疑われているわけですから。
結局、どの時代についてでもあるレベルまでいくと定説って殆ど存在しないんじゃないのかな。ある事件、例えば
乙巳の変があったことを否定する人っていませんよね?多分。でもその実行者になるともう異論が出てきます。
本能寺の変が明智光秀によって起こされたことも否定する人はいませんが、その動機はわからない。
どのレベルまで同意できるか、ということになってしまうのですかね。
それはそうと、山片さんの不比等に対する評価を聞いてみたいのですが。そうですね、具体的に
文武と元明即位の時点としましょうか。月曜までちょっと忙しいもので顔を出せないかもしれません。
その間にゆっくりと。
299 :
天之御名無主:2009/02/07(土) 11:25:22
最近関さんの本をはじめて読んで、この時代に興味を持ったものです。
思ったことがあるので、質問させてくださいませ。
昔読んだ漫画日本の歴史とかの本では卑弥呼の後継者は「イヨ」であり、その別名として
「台与」となっていました。
そこで思ったのが豊国と伊予国なんですけど、両者は歴史的に交流が盛んですよね?
なにかしら因果関係があるんでしょうか?
既出であれば申し訳ないのですが、ご教授いただければ幸いです。
300 :
228です:2009/02/08(日) 06:55:51
>>299 豊国と伊予国ですか、今までそういう発想がなかったから考えたこともなかったですね。
とりあえず説明しておくと、イヨはトヨの別名ではなくて、トヨもしくはイヨなんです。
資料によって台代とするものと壱代とするものがあるんですけど、台の旧字の「臺」が
壱(一)の旧字の「壹」と似てますからどちらかが誤写したということになっています。
九州王朝説でヤマタイ国ではなくヤマイ国とするのもここからきてます。
ですからイヨがトヨの別名ということではないと思うんですけど、確かに豊国と伊予国
は地理的にも近いですね。関さんがそんなことを書いてるんですか?
ちょっとおもしろそうな発想ですね。
301 :
299:2009/02/08(日) 11:41:36
228さん、ありがとうございます。
うっすらとした記憶でしたので、確かに『別名』ではなかったかもです。
今回の件は関さんは書かれていないと思います。
なんとなく私が思っただけの疑問です。
ただこの2国あたりを押さえられると瀬戸内海の交通を完全に掌握できるな
と思いまして。
ここを寸断されると大陸との交通は外洋に出るしかなくなる、昔だと大変だろうな
程度の考えです。
302 :
天之御名無主:2009/02/08(日) 13:27:53
神武=熊襲という仮説で関裕二さんの考え方をなぞっていくと
更に納得できるものがぞろぞろ出て来る。
ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼とした場合これが熊襲出身か
どうかは微妙たぶん違うと思う。
303 :
天之御名無主:2009/02/08(日) 13:31:00
アマテラス=卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ
トヨ=豊受大神=神宮皇后 でいいよね
304 :
山片蟠桃の介:2009/02/09(月) 13:48:00
>>297、
>>298 漢検1級合格(200点中8割160点で合格)後も、実力を落としたくない(ゴルフのシングル
のようなもの)、あるいは合格しても自分の実力不足を感じる類の人が多いようです。
幸い何回受けても良いので、1級合格者の大半がリピーターだと言われています。
合格しても「8割そこそこ」と、9割を超えるのとでは実力も大きく異なるようです。
9割超えから、白川さんの本(字統、字訓など)を読んで研究に至るのが王道でしょうか。
228さんには困ります。
関さんのファンで表面的に読んで喜んでいた私に、まさに、漢検1級的な「深みを強要」
される(してないんでしょうけど、そうなってしまいそうで怖い)とは、実に悪い方ですね。
日曜日に直木孝次郎翁の本を買う羽目になってしまいました。
305 :
山片蟠桃の介:2009/02/09(月) 13:49:52
(続き)
>不比等に対する評価・・文武と元明即位の時点としましょうか。
このころの不比等、「実に悪い方」ですね。694年藤原京遷都、文武即位が697年、同年娘宮子
が入内。701年大宝律令、元明即位が707年、710年平城京遷都と、ほとんどの政治トピックスを
壟断している感じがします。他の高官、とりわけ石上麻呂をはじめ古代からの名門はなす術が
なかった気がします。
どうしてここまで力を持つことができたのか。
そのころは新羅統一(670年頃でしたか)後やや安定した状態が続く等、外交より内政に
力点を置けたと思われますから、百済官僚をベースに、一気に班田収授実施=土地権益配分
権限を把握できたのでは。法の制定もさることながら、どのように運用するかが大事です。
(この点は関さんも指摘しており、同様に考えます)
306 :
山片蟠桃の介:2009/02/09(月) 13:51:09
(続き)
実務家を従え、配分権限を集中させれば、豪族たちは誰も逆らえなくなること必定です。
皇族らは。当時、高市が薨去(696年、殺された説あり)、長屋王もまだ若く、政治力のある
皇子が居なかった時期で、とすれば、不比等を掣肘する人はほとんど考えにくいかと。
永井路子さんは元明天皇の意思を強調する(蘇我系の母が天皇、ということに拘り、不比等に
及ばずながら抵抗したとする)ようですが、実際はどうか。
関さんは、豊璋の子として、藤蔓のように蔓延する方途だと苦りつつ評価しているようです。
私も、「亡命百済人子孫」を強調するつもりはないですが、余り好きではありません。特に、
「日本書紀の、時の権力に迎合した記述を陰に陽に慫慂した」と推測されるあたりは殊更に。
ただし、隔絶した実力は認める外ないでしょう。
307 :
山片蟠桃の介:2009/02/09(月) 13:52:25
>>303 関さんは邪馬台国畿内説ではなく、ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼とは考えていません。
卑弥呼は山門の女酋長田油津姫、それを討った神功皇后をトヨに措定します。モモソヒメの
位置づけは明確にはしていないです。
関説では、トヨ=豊受大神=神宮皇后ですね。
308 :
1:2009/02/09(月) 23:49:01
>>305>>306 そうですね、不比等はやり手です。でも私あまり悪いイメージ持ってないんですよ。
とんでもない陰謀家だとは思ってるんですけど、あまり自分や子孫のためには動いてないんじゃないかと思ってます。
新しい国づくりが楽しくて仕方がなかったんじゃないか、と思うんです。鎌足にもそういうイメージがあるんです。
そうでなかったら途中で失脚してたんじゃないかと。
>実に悪い方
実は私ブログをやっているんです。どうも山片さんが私に対して抱いているイメージとは大分違うんじゃないか、
という気がしましたので今まで言い出さなかったのですけど、ちょっと覗いてみませんか?電波かもしれません。
日本史板でスレも立ててるんですけど、かなり変わったアプローチでこの時代を見ているものだから反論も賛成も
あまりなくて。自分では突っ込みどころが無くなってるので他の人に、と思っているんですけど、なかなか。
ttp://blog.goo.ne.jp/amaterasu-eclipse 山片さんに見てもらうのは恥ずかしいのですが、もし宜しければ「日食編」を頭から。
正直な意見を聞かせてもらえると有難いのですが。
309 :
天之御名無主:2009/02/12(木) 11:44:43
武内宿禰が倭国から新羅に渡った者の子孫で、浦島太郎のように倭国に戻って来たという説には
納得しました。それまで私は、浦島太郎は沖縄に行って戻って来たものとばかり思っていました。
関裕二さんの説によれば、沖縄でなく新羅あるいは伽耶のように朝鮮半島南部だったんですね。
310 :
山片蟠桃の介:2009/02/12(木) 14:37:00
>>308 井沢さんが、卑弥呼の死(248年)を日食と結びつけていましたこと、非常な卓見のように
思ってましたが、日食スレを見ると「うがちすぎ」のようにも思います。
そもそも歴代天皇は、太陽(神)をどう扱っていたのか。私の知っている中では
1 日向の御子を三輪山に祀っていること
2 時代は下るが、伊勢神宮の位置(当時の勢力範囲の東の果て)
3 東の野にかぎろい(夜明けの状態)の立つ見えて かえりみすれば月傾きぬ
(3は、白川静先生も論述あり)
の辺りから、「太陽」を意識していることは確かだと思っていました。
日食後の様々な儀式があるようですが、谷川、相馬論文(ちゃんと日本書紀をα、β群に分けた
上での論述ですね。凄い)を見ると、日食と、天皇・朝廷の挙措との関連づけには成功している
とは思えません、少なくとも現段階では。
でも228さんは筆力扛鼎ですね。トライされていること自体に感心します。
311 :
228です:2009/02/13(金) 07:12:57
幾日かお名前を見なかったので心配してました。これ以上、この時代について話をするためには自分の考え方を
説明しておかないと大変だな、とは思っていたもので「悪い方」にかこつけて誘導してしまいました。
ご覧の通り、通説とはかけ離れた考え方です。ただ、私なりに仮説を立て、それを検証し事実を事実として
受け止めて行ったときに一定以上の説得力を持ちうると考えているものですから、非力を顧みず無謀な挑戦
を試みています。先行する研究も探しているのですが、どうも無さそうです。
>筆力扛鼎ですね。
さすがに難しい言葉をご存知ですね。こういう時にネットは本当に便利ですが、過褒に過ぎます。
>トライされていること自体に感心します。
私も感心してます。偉いこと始めちゃったな、とチョット後悔混じりですが。
312 :
山片蟠桃の介:2009/02/13(金) 15:54:55
>>311 >幾日かお名前を見なかった
スレの読み書きは私の事務所で行っています。祝土日は他の趣味に傾倒し、基本的にパソコン
を開けることはないです(事務所に出る用があれば別ですが)。
事務所にいても、打ち合わせが長かったり急ぎの書面があれば書き込みは否応なく「お休み」
になります。今回は休みが多く、お客の相手をし、228さんの書き込みや日食論文をROM
るのが精一杯で、書き込む時間がなくなってしまいました。
>私も感心してます。偉いこと始めちゃったな、とチョット後悔混じりですが。
谷川、相馬論文をはじめ日食に関する論文はいくつか存在するようですね。それを踏まえて
新たな境涯を開こうとされているのでしょう。
「日食と古代史」をざっと読むだけでは、228さんの着地点が少しわかりにくいです。
日神という視点が(一時期にせよ)確実にあったということですか?
313 :
228です:2009/02/15(日) 10:15:09
>>312 >着地点が少しわかりにくいです
実は私にも良くわかりません。漠然とゴールだと思っていたものが、実はそうではなかったと気がついたようです。
本当は問題提起だけで良かったのですが、もっと知りたいという気持ちが強くなっています。
上手くまとめられれば良いのですが。
314 :
山片蟠桃の介:2009/02/20(金) 16:23:52
昨今、直木孝次郎御大の本(論文集)を読んでいます。関さんが言っていた、津田左右吉の
教条「応神以前は全くの架空話に近い」が大前提となっており興味深いです。
例えば、大和王朝東遷説に対し「九州に確固たる政権があったこと、その王朝が東に遷ったこと
が前提となっており、いずれも事実として判明していない」以上、「推定に推定を重ねている」
と論じられています。「推定に推定を」という言葉の語源を見つけてうれしくなりました。
関さんもこれを読んでいるのか、纏向遺跡の埋蔵物や日田遺跡(焼け跡)を基に、記紀の記述を
加え、大和王朝西遷説を論拠づけようとしているのでしょう(にもかかわらず、228さんのいう
「推定の3乗」かもしれませんが)。
また、壬申の乱の天武の進路と神武の奈良側の進路の相似性(実は殆ど重ならない)、あるいは
継体天皇が大和に入る迄の立ち寄り時間(7年と8年)と神武が九州から大和入りする迄の
立ち寄り時間(広島7年と岡山8年)が同一であるとの指摘(これは成る程と思った)、要するに、
戦後、直木先生の脂が乗り切ったころは基本的に記紀の否定だったのだなと思いました。
315 :
228です:2009/02/21(土) 13:54:18
どうも主流となる研究者の歴史観は時代時代によって異なるようです。
戦後に皇国史観への反動とマルクス史観から記紀の否定論が強くなったように思いますし、
それに対する反動からか記紀神話を歴史の反映とする見方が主に作家などから出てきます。
良くも悪くも皇国史観や唯物論に縛られた人たちには冷静な見方が難しいように思います。
本当に記紀の研究が進むのは、むしろ皇国史観やマルクス史観から解放されたこれから
だと思っているのですが・・・。
数百年単位で見ればマルクス史観は正しいのでしょう。ただ個別の事件に対しては話が違う。
経済的、政治的力学だけで全て説明できるほど歴史が単純だとは思っていません。
316 :
山片蟠桃の介:2009/02/23(月) 14:53:16
>>315 マルクス史観、史的唯物論といえば石母田さんでしょうか。日本の古代史の切り口としては
充分斬新でしょうが、そもそもマルクス史観(ないし主義)は、前提として、個々の人間を
余りにも肯定的、科学的に捉えすぎていると思います。
>数百年単位で見ればマルクス史観は正しいのでしょう。
228さんのおっしゃるとおり、数百年(以上)経過して人間のあり方や考え方が変わらないと
マルクス主義が「普遍的、常識的なものとして」受け容れられるのは難しいと思います。
(期待していた)労農派が理論的に壊滅してしまった現在では、左派は、新たなスキームを作出
して社会経済の「状況」を考え直すべきかと。
現在進行している社会経済の「状況」のため、先週はえらく忙しかったです。「破産」は最初の
一週間が勝負で、電話や裁判所書類等の事務処理に追いまくられました。
317 :
山片蟠桃の介:2009/02/23(月) 15:19:25
(続き)
直木先生の著作を読んで、の続きです。
「否定するのは簡単だが新たな論理を作出するのは難しい」とつくづく思います。
神武東遷説に対する直木先生の批判(70年頃の論文。「応神以前は全くの架空話に近い」が論拠)
は容易いが、記紀にはない邪馬台国畿内説(いかにも京都大学出身の先生ですね)が妥当なら
「クニ」が大和に作られた過程は如何なのか。残念ながら明確な意見はないです。
上記直木論文当時(70年頃)、纏向遺跡や出雲荒神谷等の発見、研究がまだで、仕方ないかも
知れませんが、応神以前の論述をしても「全くの架空話に近い」を切り札にされるとうら悲しい
ですね。
318 :
山片蟠桃の介:2009/02/23(月) 15:20:57
(続く)
仮にモモソヒメを卑弥呼に同定することで畿内説の根拠とするならば、当時の「クニ」に必須の
鉄が見つからない点はどうだ、と関さん等が反論しています(なお、淡路島で3世紀初の鉄器工房
の跡が発見されたとの報道がありますが、淡路(瀬戸内)と纏向(奈良東部)とでは、少なくとも
当時の感覚では相当な距離があると思う。奈良・纏向で使用する鉄器が淡路で作成されたとの考え
には疑問符)。
また、三角縁神獣鏡については、日本で作られたものにすぎない(景初「四年」が出てしまった)、
したがって「銅鏡があるから邪馬台国畿内説」という考えは疑問との森浩一先生の意見は尤もです。
319 :
山片蟠桃の介:2009/02/23(月) 15:23:28
(続く)
モモソヒメといえばホトに箸が刺さって死んだ、という記述が思い出されます。
また神武妻・ヒメ「タタラ」イスズヒメ(「たたら」は「あそこ」の具合が良いことを意味する?)
とか、神武妻の母に惚れた大物主が小さな矢に化け、用を足している彼女の「あそこ」に入り込んだ、
とか、この時代、結構、下がかった話が多いですね。
320 :
天之御名無主:2009/03/04(水) 18:30:43
この人の作品は読んだことないんだけど、加茂氏や三輪氏についてはどう考えてる人っすかね?
321 :
天之御名無主:2009/03/16(月) 19:22:44
メチャクチャ電波だな。
322 :
天之御名無主:2009/03/18(水) 03:06:24
>>321 どこがどう電波なのか、学問版なんだし語ってみれば?
関ファンの人たちもやる気満々みたいだし
323 :
天之御名無主:2009/03/20(金) 18:10:12
帰化人系の豪族などは妄想しているほどの権力は持っていなかったこと。
デンパ説はそれをオールマイティの札に使っているが、
たいした根拠はない。
逆にそれほど力があるなら帰化系だという出自を隠す必要もないのに。
「百済官僚」だとか都合の良いレッテルで脳内妄想をつみあげているだけ。
帰化した百済人の官僚は確かに存在したが、ほとんど下級官僚。
日本後記で平城天皇の時代に百済王なにがしが(桓武天皇の血筋で)
これが参議になった初めての百済系の人間だという記載があるし、
もちろん桓武天皇の母親の高野新笠についても
「後日本紀」等はっきりと出ている。
鎌足が百済系なら偽る必要もないし、百済の亡命王子なんて
どっからそんなデンパが出るのが、
写楽=朝鮮通信士説と変わらないレベル。
324 :
天之御名無主:2009/03/27(金) 07:52:05
>>323 >鎌足が百済系なら偽る必要もないし、
アホですか。
天皇の参報・摂関として朝廷内で権力をふるうのに、
正統な日本の家柄でなくてもかまわなかったと・・・?
325 :
天之御名無主:2009/03/28(土) 15:13:11
■誘致企業と警察の黒い癒着■
鳥取市の誘致企業リコーマイクロエレクトロニクスに
対する疑惑を書いたホームページを作った。
リコーマイクロエレクトロニクスはすぐに鳥取警察署に連絡をした。
警察は父親を呼び出し
「強制入院の手続きを取る。息子さんがかわいいでしょう」と言ったそうだ。
強制入院だと問題を表沙汰にせず処理できる。この時はホームページ閉鎖の脅しにすぎなかったようだが・・・
鳥取市で誘致企業の機嫌を損ねると怖い。
-----------------------------------
リコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。 勤務態度不良でリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。
その後、鳥取市のテスコという工場に勤め真面目に働いていた。
「真面目に働いているのはリコーに対する報復(あてつけ?)」という噂でテスコをクビになった。直後、テスコの社長から雇用保険の書類をとりに来るよう泣きそうな声で電話があった。
噂は嘘だと知ったのだろう。
雇用保険の手続きのため職安に行った。職安の次長と相談すると、口止めをされた。職安と会社は連絡を取り合っていたらしい。
しかし噂は狭い鳥取市である程度広がっているようだ。
リコーマイクロエレクトロニクスに電話を掛けた。
「君はうちのような一流企業が組織ぐるみでやったとでも思っているのかね?」
「そんなことはありませんけど」
「じゃあ会社には関係ないじゃないか」
しかし公的機関(職安)も巻き込んだ組織ぐるみの人権侵害の揉み消しである。
統治される側がどう受け止めるかって問題もあるだろうし 。百済王説を指示するわけではないが、仮にそうだとしたら、「大敗して逃げ帰ってきた、滅亡国の亡命王族」じゃ、威信に関わるし、政治的に睨みがきかんのでは。(源義経=成吉思汗みたいだ…)
327 :
天之御名無主:2009/04/24(金) 12:10:13
関裕二さんの古代史論は、ある程度の考古学的な研究成果に基いていますし、
神社伝承とか民間伝承にも耳を傾けているなど、いわゆる歴史学者が著した
書籍に比べて血の通った温もりと新鮮さがありますね。
現代日本と違って、あの時代は言論の自由がなく、たとえ真実を訴えても
為政者側の恥部を突くようなことをすれば自分の命を奪われる可能性が高い
のです。また、文字を使って文書として残せる人間も限られていました。そして、
為政者が文書として残したものが、いつの間にか(忘れ去った頃に)、史実でも
あるかのようになってしまうのでしょう。
328 :
天之御名無主:2009/04/26(日) 13:56:43
>>324 そんな意見が通るなら秦氏なんて
軒並み失脚しちゃうじゃん
329 :
天之御名無主:2009/04/29(水) 10:16:05
>>328 秦氏はおもに官僚だったろう。
別に天皇の参報や外戚であったわけでない。
330 :
天之御名無主:2009/05/04(月) 11:44:30
応神天皇と継体天皇の関係がいまひとつ不明瞭なのですが。関裕二さんの著作に
よれば、神宮皇后(台与)と武内宿禰との間に生まれた御子は後の第15代応神天皇と
建御名方神(諏訪大社の祭神)のふたりで、建御名方神の子孫が後に第26代継体天皇
として迎えられたということなのですか?
331 :
天之御名無主:2009/05/09(土) 10:37:39
>>303 >アマテラス=卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ
関裕二さんの説では、天照大神=持統天皇でしょう?
332 :
天之御名無主:2009/05/18(月) 01:53:53
関氏の本はなかなかおもしろいと思います。それがファンタジーなのかどうかはそれぞれの楽しみ方でしょうが・・・
上のほうでありましたけど、蘇我赤兄は一族島流罪になってるっつーのって。
まぁこういうのを持ち出しておかしいと言えるのはわかりますが、たとえば関が原、真田家は親族を東西に分けてましたね。
一族が生きながらえるため、もしかしたら兄弟親子で考えが違ったのかもしれませんよね。
それこそ日本書紀だろうがなんだろうが本人にしかわかりませんよ。
俺が言いたいのは説なだけなんですから、叩きとかしてもねぇ・・・って事です。
どうしてもそんな接はあってはならないという力が作用してる気がしてしまいます。
ただの「反論」をすぐに「弾圧」とすりかえて否定しようとする
お前のような発想こそむしろ不健全だと俺は思うがな。
関だの井沢だのの「説」はまともな検証に耐えるようなもんではない。
思いつきに文献の記述を付会していくだけのやりかたじゃ、どのみち
限界がある。
小説ないしファンタジーとして読むのがまともなセンスというもの。
334 :
天之御名無主:2009/05/19(火) 18:29:08
まともな検証っていうのは、具体的にどういう検証?
332は弾圧とは言ってないにしても、たしかにたとえば『書記が一番正しいのにそれに書いてある事と
違う事があったはずがない』的な反論は反論になってない事に気づいてないよね。
書物は立場が違う者が残してきたわけで、どこかの書物や立場に基準を置くとそこが盲点になって
しまうわけでしょう。
俺は関が正しいとは言わんが興味深い説、とは思う。
ただでさえ胡散臭い古代史なんだし、今までの定説一辺倒な流れ(自称主流派学会の支配ってことね)を
崩すにはまぁまぁいい事だと思うけどね。話題になる(本が出るOR売れる)ってことは。
一次資料、二次資料の弁別に始まり、他文献や遺物との整合性の
確認など、いくらでもやることはあるだろ>まともな検証
関の主張がどれだけ面白かろうとそこまで。
小説として楽しむのが正しいのであって、「主流学派の支配」なんて
ところから先はただの妄想。
「学」とつく程度のクオリティをだそうとするなら、自分の主張と
合致する記述がこれだけありました、というだけではまったく不十分。
それと矛盾する例について、なぜその例を気にする必要がないのかを
ひとつひとつ整合的に、かつ一貫した論理でもって説明するのが
最低限の仕事。それだけで十分なわけでもないのがつらいところ。
自分が受けいれられないのは主流派が学会を牛耳って封殺しているからだ、
なんてのは妄想以外のなにものでもなく、トンデモさんへの一本道。
まずは自分の話に説得力がないことのほうを疑うべき。
337 :
天之御名無主:2009/05/20(水) 17:51:26
ノーベル物理学賞をもらった益川さんが述べていたように、学問の世界では既成概念にとらわれない
という意味でアマチュア精神が必要です。古代史についても同じでしょう。
私は個人的には関裕二さんの古代史論には大いに共感するものがあります。正史『日本書紀』は、言論の
自由がない時代に書かれたものであることを念頭に置いて読み解くべきでしょう。あの時代、その記述内容に
正面から反論できる(文書を読み書きできて文書を残せる)人間は限られていましたし、また、正面から反論
したら、当時の為政者(藤原氏の独裁)から生命を奪われます。
そうこうしているうちに、歴史の表舞台から真実が忘れ去られ、正史『日本書紀』の記述内容が独り歩きして、
真実でもあるようなことになるのでしょう。神社伝承とか民間伝承とか、何らかの形で真実は今日まで伝えられて
来たという視点は正しいと思います。
既成概念を知った上でとらわれないのが大事。
必要なのはアマチュア*精神*であってド素人であることではない。
益川氏だって、微分も知らない奴が物理の「新理論」をもって現れたら
門前払いをくわすのは必定。
>言論の自由がない時代に書かれたものであることを念頭に置いて
>読み解くべきでしょう。
そんなもの、ド素人に言われんでも常識。
現存するものがオリジナルと違う可能性(実際、写本ごとの違いなどは
常に問題となる)まで検討するし、
>神社伝承とか民間伝承とか
なんてものが、実はせいぜいここ数世代程度で成立していたり、
記紀の記述をベースに作られたものである可能性まで認識している。
そしてそれを検証するための方法についても検討している。
素人の発想を無視しろと言っているのではない。
玄人なめんなと言っている。
では玄人の意見をぜひ
340 :
天之御名無主:2009/05/20(水) 21:33:54
誰でも出来る玄人ぶった知ったかぶりな批判するだけでなく、
どこがおかしいのか「具体的な例」を出して検証・批判して欲しい所
341 :
天之御名無主:2009/05/20(水) 22:17:08
俺の親父は決して悪くないなんとかならんのかね?
やはり関の本を鵜呑みにするだけあって単細胞ぞろいだな。
ここまで脊髄反射なレスはいっそ清々しいぐらいだ。
自分が玄人だと誰が言ったよw
日本史について素人なだけで、「素人だからこその発想」と
のたまうトンデモさんたちに辟易する程度にはアカデミーに
浸って生きてはいるがね。
俺の言っているのは、
・学会が権威主義で正統学説にこりかたまったところだ
・素人以外にはそれを突破できない
なんぞという妄想は金輪際捨てろという話。
関の本を見て、素人でも見ぬける恣意的な証拠の取捨にどうして
うんざりしないのか、逆に聞きたいぐらいだ。
日本書紀の扱いひとつとってもそれが言える。
たしかに権力の側が書いたものだろう。
だからと言って、権力に都合のよさそうな
(i.e., 自分の議論に都合の悪そうな)記述は
何でも無視してよいということにならないし、
権力に都合が悪そうに見えるというだけで真実とするのも
浅はかにすぎる。それを言うなら、日本書紀全体のストーリー
展開自体がすでに操作されたものだという話になぜならないのか。
恣意的に取捨することによって、自分の寄って立つ基盤を
どんどん掘り崩していくようでは、議論としてあまりに脆弱であり、
せいぜい「おもしろいお話」以上のものにはならない。
小説であればそれでいいというか、そうでなくてはダメ。
小説家としての関裕二はいい仕事してる(まあ最近はネタ切れが
顕著だけども)が、じゃあ事実に迫るようなものかというと話は別。
読み手のほうもそのへんはわかってやらないと贔屓の引き倒しにおわるだろう。
>>342 アカデミーに浸るっておかしくない?
アカデミズムとかなら分からなくもないが。
>・学会が権威主義で正統学説にこりかたまったところだ
>・素人以外にはそれを突破できない
>なんぞという妄想は金輪際捨てろという話。
まぁそうなんだけどさ、そんな妄想持ってる奴自体、議論の相手するに足らないお子様でしょ。
ここではその手の輩が多いのかもしれんが、ガチで相手する方が大人気(おとなげ)ないと思うよ。
お子様がお子様同士、お子様の論理でワイワイやってるところに
大の大人が口はさんでいちいち誤りを正すのは興醒めだと思う。
子供は子供、大人は大人でそれぞれ議論の相手選んでたのしくやってればいいんじゃね?
あるいは大人が子供の目線にあわせて一緒に議論するか。
345 :
天之御名無主:2009/05/21(木) 02:21:11
でもさ根本的に、歴史の真実なんかわかりっこない事になるだろ。
定説も恣意的だと思うがね。どっちもどっちでしょ。
現存してる文献と、発掘調査くらいしかないわけだし。
まぁ俺は素人で歴史にちょっと興味あるだけのお子様レベルだけどね。いったい大人なレベルの人はどういう人なのかは
興味あるな。仕事で歴史に関わってるとか?
教えて下さい
346 :
天之御名無主:2009/05/21(木) 02:52:00
古代史、神話関係でいいサイトないかな?
批判してる奴も具体例あげて批判できない知ったかぶり雑魚だから、
話にならん
ただ偉そうに一般論語って悦に入りたいだけの低学歴厨房なんだろう
>>345 うーん、論理性(説得力)と態度(慎重さ)の問題じゃないかなあ。
ファンタジーや小説としてなら評価するむきも多いわけだし、
真実がわからない以上、説得力ない論理展開であろうとも真実を引き当ててる可能性もなくはない。
問題は、それがあってるか違ってるかより、
子供だましな説明にまんまとまるめこまれるとこが子供ってことだろう。
面白いけどマジで信じてる人っているの?
350 :
天之御名無主:2009/05/22(金) 08:30:49
関は作家であり、研究者ではない
他人が書いた本をリライトしただけ
だから史実と違うことにも気が付かないw
351 :
天之御名無主:2009/05/23(土) 22:00:57
>>347 ほんとに、そのとおり。
>>348とか
>>350とかは、
無文字文明だった古代のマヤ、アステカ、ペルー文明なんかの
歴史や社会のあり方が、だいたい正しく推察できうることなんかを
どう思ってるんだろう。
352 :
武御名別:2009/05/29(金) 17:39:36
突然割り込んで済みません。ニュースで、箸墓古墳を調査した結果、240年〜260年に築造されたとありましたが、邪馬台国北九州説や関さんに与する方々は同古墳は誰のものと考えているのでしょうか。初歩から教えてください。
353 :
天之御名無主:2009/05/29(金) 20:28:28
>>352 とりあえず、これ読んでください。
古代史謎解き紀行〈3〉九州邪馬台国編 関裕二 ポプラ社
関説では、邪馬台国はふたつあったという立場をとっていますので、
『魏志倭人伝』内で述べられている『邪馬台国』は九州のものだが、
畿内にも、その元祖ともいうべき『邪馬台国』があったので、
箸墓古墳は、その女王の墓か、もしくは「トヨ」=「神功皇后」
のものと解釈するかもしれません。
卑弥呼=田油津姫、トヨ=神功皇后で、
神功皇后が田油津姫を討ち取ったけど、田油津姫が魏とつながりがあったもんだから
これはまずいってことで神功皇后が田油津姫の後継者ってことにしたんだっけか。
面白いんだけど、それだと魏志倭人伝にはなんで卑弥呼→トヨの間に男王が入ってるんだろ。
卑弥呼死んだからトヨがそのまま引き継ぎましたって魏に報告すりゃいいじゃん。
355 :
武御名別:2009/05/31(日) 15:35:19
畿内の「邪馬台国」の女王の墓とのことですが、その女王とは誰ですか?若しくはトヨ=神功皇后の墓かもと言われますが、ヤマトに神功皇后の墓が出来たとしても、年代的に言って、もう少し後ではないでしょうか。
356 :
天之御名無主:2009/06/01(月) 23:43:32
>>355 >畿内の「邪馬台国」の女王の墓とのことですが、その女王とは誰ですか?
そこまで,現在の段階でわかるはずもないでしょう。
>ヤマトに神功皇后の墓が出来たとしても、年代的に言って、もう少し後ではないでしょうか
そんなに厳密さを要求されるものだとは思いません。
『魏志倭人伝』の年代記述も、そんなに信用できるものでもないし、
関説では、「卑弥呼はトヨに殺され、その後すぐにトヨが後を継いだ」
としているので、卑弥呼の時代と連続していると考えていいんじゃないですか?
357 :
武御名別:2009/06/04(木) 19:25:36
ありがとうございました。お答えを拝見して、古代史謎解き紀行(3)九州邪馬台国編は読んでも無駄ということでしょうか。
それから、266年に倭の女王が西晋に朝貢したそうですが、この女王がトヨではないかと言われています。そうだと
すると、この年までトヨ=神功皇后は生きていたことになり、そうすると、箸墓の築造年代と矛盾すると思いますが。
358 :
天之御名無主:2009/07/31(金) 17:45:52
関裕二さんの古代史三部作『物部氏の正体』、『蘇我氏の正体』、『藤原氏の正体』のうち
『藤原氏の正体』だけが市内のいくつかの大きな書店を回っても置いてありませんでした。
そのため、この本だけ大手インターネット書店から購入しました。まさか藤原氏関係の団体が
情報規制でもしているんじゃないでしょうね? 考え過ぎかもしれませんが。
>>358 うちの近くの図書館にその三冊全部あるけど、
藤原氏の正体だけ天皇関係のところに置いてあった。
>>358 圧力かける藤原氏関係の団体って何だよ?w
世間的には飛鳥昭夫に毛が生えたようなもんなんだから、
いくらエンターテイメントな衝撃的なこと抜かしたって、無問題だろw
361 :
天之御名無主:2009/08/08(土) 13:50:37
最近、ポプラ社から「古代史の謎コレクション」シリーズの新しい本が出たとか耳にしましたが、本当ですか?
362 :
天之御名無主:2009/08/09(日) 21:15:15
この頃はまりました。皆さんヨロシクー。
ほんま物の学者先生と対談してる本ありませんか?
また、氏を批判している本も知りたいところです。
363 :
天之御名無主:2009/08/14(金) 08:25:38
>>362 どういうわけか、この人、アカデミーの関係者から
スルーされまくってますねー。
なにかの著作の参考文献に挙げられることもないし・・・。
まぁ、在野ということと、学会の主流からは大きく外れた主張
ばかりしてますからねー。
言ってることは、めちゃ説得力があるが・・・。
364 :
天之御名無主:2009/08/15(土) 11:49:49
互いの対談やった雑誌企画や本とかあれば最高なんだが
関とかムーの記事とかトンデモ側の一方的主張だけより、
一般的定説・アカデミー側の専門家・学者の生の反論異論も見たい
「関はトンデモ」と通ぶって切り捨てるだけでは、具体的にどこがどうおかしいのか、 素人じゃわからんからな
青龍を呼べ?
367 :
天之御名無主:2009/09/05(土) 20:40:47
大和岩雄氏のころとは違って、出雲の考古学もだいぶ進んできて、関裕二氏
なんかは、大和の勃興は出雲の鉄によるなどと言ってますよね。たしかに
島根県安来市などに古墳時代を先取りした四隅突出墳丘墓などを作った集団
は大和が鉄欠乏症だった時代にふんだんな、鉄器を埋葬していますからね。
368 :
天之御名無主:2009/09/15(火) 17:00:06
関裕二さんの著作を何冊か(古代史三部作、古代史謎解き紀行シリーズ、古代史の謎コレクション・シリーズは
すべて)読みました。
その中で納得したことは、現実的な権力を持たない天皇がなぜ古代から現代まで存続して来たのかということです。
ニギハヤヒ(物部氏の祖)が日向御子(神武天皇)をヤマトの地に迎えた動機が、そもそも、自分たちが裏切った
神功皇后と武内宿禰の祟りを恐れたからということでした。
このようは着想を歴史学会の学者さんたちはどうして受け入れようとしないのでしょうか?
369 :
天之御名無主:2009/09/16(水) 17:58:25
関裕二の兄ちゃんは浅井隆。
これ豆な。
371 :
天之御名無主:2009/09/25(金) 14:40:02
初めて関さんの「おとぎ話からなんとかってゆー本」を読みました。
タイトルだったり内容は面白そうだったのですが、
読んでみてちょっと あれ? って思いました。
なんか関さん、槍対砲台ですね。
まぁ自分の考えと関さんの考えがあまりにもずれていたのでそう思った
だけなのかもしれませんが。
ちなみに竹取物語の作者を紀貫之が書いたんじゃないかと関さんは書いてますが、
自分は空海じゃないかなーって思います。それは橘関係だからです。
最後の「竹取物語は藤原の世に生きる人々の心の叫びを代弁している」
ってところは感動した。
372 :
天之御名無主:2009/10/01(木) 22:29:42
基礎知識がない自称古代史ファンがこの手の本にはまる。
その手の人が「記紀」から始まってそのもろもろを
しっかり読み込んで自分の頭で考えるようになって、
洗脳が解けて、なんでこんなデンパ説にいかれたのか、
と自問するようになってやっと基本が身に付いた状態に成長したということ。
373 :
天之御名無主:2009/10/01(木) 23:15:14
>>372 そう思ったから
>>362で対談や批判を探していると書いたのです。
基本が身についているあなたの批判を書いてくださるといいのですが。
374 :
天之御名無主:2009/10/06(火) 17:27:56
>>372 関裕二さんの仮説は、ある程度まで考古学の成果を取り入れて推論したもののように
私には感じられましたけど。
ニギハヤヒ(物部氏の祖神)がヤマトに日向御子(神武天皇であり応神天皇でもある)
を迎え入れた動機が、自分たちが裏切って捨てた神功皇后と武内宿禰の祟りを鎮めて
もらうためという発想は、実に自然な感じがします。
菅原道真が天満宮に祀られたのも、結局、藤原一族が讒言により失脚させたことに
対して負い目があったからですよね。同じパターンです。
375 :
天之御名無主:2009/10/20(火) 13:22:05
新刊で出ていた「古代史謎めぐりの旅」って本を買った。関ってもっと暗い作家かと思いきやこの本は鉄道オタクネタや、うまいメシ屋のことも書いていて、今までの本よりも体温が感じられ関裕二って人のイメージが変わった。意外にフツーのあんちゃんか。
関さん面白いです。
立派な学者さんでも想像で物を言っているんだろうから。
軍事的な勝者が歴史を作り
また次に勝った者が一から歴史を作りかえる。
近代でさえそうなのに古代のことなんて真実は知りえない。
あるのはあれこれ夢想する男のロマンだけ。
個人個人のロマンをぶつけ合うのは心が傷つくことが多い。
でもそれはとても楽しいよね。
378 :
372:2009/10/20(火) 20:28:28
>どういうわけか、この人、アカデミーの関係者から
スルーされまくってますねー。
子どもの寝言をまともに相手にするようなもの。
どういうわけでもない。そういうわけ。
379 :
天之御名無主:2009/10/20(火) 22:45:19
>>372 何一つ議論せず。他人のコメントに難癖をつけるだけ。
なるほど、あらしと言うのは、あなたのような人の事ですね。
邪馬台国論争が決着つかないのは、両派の研究者が事実の解明でなく、
自説の肯定を目的としているから。
出雲は、神話だけの世界で、朝廷の正当性をあらわす為に
創作された国といい続けていた学者が荒神谷の発見で「困った」というのには笑った。
自分の権威のために必死になって凝り固まっている学者の説より
関さんみたいな切り口が事実という可能性も十分ありえると思う。
関さん自身はアカデミアからの評価をどう考えてんだろな
382 :
天之御名無主:2009/10/21(水) 12:28:34
アカデミーね。
日本の教育機関で歴史研究してる人たちって優秀な人ほとんどいないでしょう。
何となく大学入って社会に出るの嫌だから学校にそのまま残って研究してるような顔してる。
年に一度ぐらい差し障りのないような論文書いてキャリアだけ積み重ねて教育機関(ほとんどが国公立)から給料貰う。
中身は愚か者なのに先生面だけしていばってる。
おそらく、民間の会社なんかに入ってほとんど役に立たないような人種。
証拠に歴史関係の大学の学科って偏差値低いでしょう。
教育関係と歴史研究関係の人間がかぶるところも問題。
教育学部ってどこの大学でもカスの集まり。
無能で保身しか考えてないくせに他人が新しいことやり出すと難癖だけ自分が痛まないように巧妙なかたちでつけてくる。
関さんを非難してる歴史学者の正体ってそんなとこでしょう。
他人の説に文句言う前に自分の説を出すべき。
改革者が現れたら既得権を持った烏合の衆が抵抗するのは歴史の常。
智者なら歴史に学んで欲しいものです。
学界の実態や関氏がそれをどう評しているかは分からないが
自分がそういうところで評価されたいとかされるべきとは思っていないだろうね
385 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 18:04:23
386 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 21:50:40
>>374 天皇は今も昔もシンボルでしかなかった
というわけですよね?
九州の邪馬台国は出雲や吉備などを倒しながら
大和地方に入りました。ここは全国を統治するのに都合の良い場所だ
ということでね。つまり邪馬台国は大和地方にお引越ししたわけ。
大凶作や疫病か何か悪いことを滅ぼしてきた出雲なんかの人たちの
祟りだと思いました。神は「出雲から九州に逃げた出雲王を呼び寄せ
彼をリーダーにせよ」といいました。
これが俗に言う東征です。出雲王=神武ってコトネ。
これじゃぁ天皇に力は無ぇーわな。
387 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 21:59:37
関さんの言うとおり、卑弥呼の時代ではなく
トヨの時代のことだろうと思う。
卑弥呼時代だったら魏志倭人伝に書いてあるでしょうね。
空白の150年間がどうこうとか言いたくないけど、お引越しはたぶん
その間に行われたんじゃないかな。
あっちなみに、150年の空白は都合の悪い歴史だから消した、
というより、大陸のほうは忙しかったでしょ?んで、
国内も統治に忙しかったのだと思うよ。どっちも忙しかったから
記録を残せなかったんじゃないかな。
でも、すこしくらい資料が残っててもいいじゃんね。
388 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 22:07:41
>>386に付け足します。
神武を九州から呼び寄せた。
英語で言えば「COME TO YAMATO」
「神日本(かみやまと)」と似てませんか?
呼び寄せられたことはこれで説明できます。
(さすがに無理があるな・・・)
390 :
天之御名無主:2009/10/23(金) 10:37:19
「かむやまと」だった。間違えた。
391 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 19:03:37
関みたいな本でも売れるんだな。
本さえ売れればなんでもありかよ。
読者にウソの情報流しても、読者が喜んで本を買ってくれればそれでOKなの?
「関さんの言うとおりだ」って読者の声が聞こえて、関という人はウソをついてることに何の責任も感じないのか?
>>391 古代史なんてのは、すべて仮定の話しだからね。
魏志倭人伝を基に邪馬台国論争が行われているが
それだって難升米が政治的作為から嘘を教えた可能性もある。
あんたは、関さんの説を嘘だと言う証拠はあるの?
393 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 22:13:23
>>392 誠意のある著者なら、
「これだけの証拠があるから、●●の可能性が高い。しかし、間違いかもしれないので慎重に調査を続ける。」と記すだろう。
関の場合、
「これだけの証拠があるから、●●に違いない。もしそうなら○○は、△△だ。だから、××は、■■だ。」という論調。
いったい、どうやって関の本に信憑性を見出せるのかね?
>>393 いや、だから信憑性を見いだせなくてもいいので、うそだと断言できる根拠を・・・
395 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 22:19:54
心理学的な話をすれば、
人間というのは、「〜かもしれないなあ。〜だろうなあ。」という曖昧な意見より。
「○○は、△△なのだ!」と断定口調で語られるほうが、信じ込みやすいのだ。
訪問販売サギで言えば、
「この栄養補助食品は、家族の健康に役に立つかもしれません」と、丁寧にすすめられるより、
「いま、この健康食品を食べ始めないと、家族が病気になりますよ!」と脅したほうが騙しやすい。
関の本は、あきらかに、後者の方法論で書かれている。
396 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 22:23:48
関の本のどこかに
「自分は、これだけの証拠で、こういう結論を得たけど、
読者の方で違う情報があればどしどし聞かせてください。謹んで訂正いたします。」
というような表記があるかね?
普通の学術論文は、批判を受け入れ、訂正を重ねることを前提とするものだ。
そうでないものは、「ただの読み物」=「ウソ」だよ。
じゃあ君が関さんの本を読まなければ済むこと。
詐欺と違って、関さんの本を読んで、ロマンを感じる人こそあれど不幸になる奴はいない。
まずは、2ちゃんであれど公の場で「関」と呼び捨てにする人間性に問題あり。
398 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 22:27:41
>>397 本当に、君のように、すっかり騙されて信者をつくってしまった関という人は、
罪作りだと思うよ。
>不幸になる奴はいない。
ふざけたことを言うな。
関に揶揄された古代の人物の子孫だっているだろう。
天皇や藤原氏はもとより。
>>398 君は、事実を知っているようでうらやましいよ。
可能なら、ぜひ本当にあった事をおしえてほしい。
そうしたら、関さんでなく君の信者になる。
400 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 22:43:12
>>399 もちろん、俺は関の本に書いてある以上のことを知ってるよ。
神社の人に聞いたり、神事に参加したり、もっと多くの本を読んだりしてるからね。
だけど、信者はお断り。自分の頭で考えればいいことだ。
>>.400
僕は、出雲に住んでいて親戚に神社の神主がいる。
その神主から「お前はスサノオから数えて丁度100代目だ」と言われた。
そりゃ凄いと思うが空を飛べるわけでもなく霊感が働くわけでもなく。
ただ、自分の祖先がどんな生活を送ってたのかな〜と思うぐらい。
>>400 ごめん
今日飲み会があって酔っ払ってる。
歴史はロマンだから。
疑問はあるだろうけど完全な否定はできないと思うよ。
僕は、素人なので関さんの説も可能性無きにしも非ずとワクワクして読んでるだけ。
それもありでしょ?
もう寝ます。
今日は、ありがとう。
403 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 23:28:27
>>401 スサノオから100代目か、それはすごいね。
出雲大社で祭られてるのは大国主だけど、
もともと、出雲を代表する神はスサノオだよね。
なぜ、大国主が出雲大社で祭られてるのか、
関は見落としてるどころか、トンチンカンなことを書いてるのが残念だよ。
物部氏とか全然関係ないのに。
404 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 23:35:25
>>402 関の歴史観だけにロマンを感じるのはいいけど、
限定的にしか書いてないから、それ以外の「真実」は関の本だけじゃわからないということだよ。
古代史の様相は、関が考えてるよりもっと複雑なんだよ。数千年の歴史があるからね。
せっかく歴史に興味を持っても、知ろうとしないのは、もったいない話。
個人の勝手だけど。
405 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 00:22:03
物部氏は大国主を守護してたはずなんだんだけど、
どういうわけか出雲イジメとか書いてるよな。
406 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 09:36:04
面白くなってきました。
私のような素人は本すら探せないから、
こういう議論で見え始めるものが多いです。
407 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 09:46:42
・・・よく読んでみたら、
「俺はつえ〜よ。いっぱいトレーニングしてるぜ。実戦はしないけどな」
って、言ってるだけだな。
素人に「目を覚ませ」って言うのは大事だが、
説得力のある意見の出し方をしなければ。
「個人の勝手」「自分の頭で考えて」
と言うなら、はじめから何も言わない。
>>397さんの意見でとどめだな。
先般、関さんの「古代史謎めぐりの旅」という本を購入しましたが
神社めぐりの旅とかが好きな人には、面白いガイドブックだと思います。
409 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 12:37:53
信者を説得しても無駄なんだよ。
信じることしか、信じないから。
410 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 12:40:56
>>409 無駄なのに、ここに来てるって事は、
不毛な喧嘩したいってことか?
信者だってそんなに暇じゃないぞ。
411 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 15:30:05
関裕二の読者層=あまり物知りじゃない信者
ということを確認しただけだよ。
412 :
天之御名無主:2009/11/15(日) 00:43:27
ノンフィクション風妄想古代史随筆とでもいいましょうか…
読み物として面白ければ必ずしも歴史学的な妥当性を検証する必要はない
ということで、画期的な新ジャンルのエッセイリストですね。>関氏
413 :
天之御名無主:2009/11/15(日) 03:14:40
「俺はこう思う」っていうスタンスを貫けばいいんだが、
考古学とか他人の説を否定するのはいただけない。
関氏を妄想と言うんなら
邪馬台国の畿内説派、九州説派の
両派研究家どちらかも妄想を述べている事になるね。
もしくは皆が妄想だったりすることも
415 :
天之御名無主:2009/11/15(日) 13:11:05
その理屈はおかしい。
417 :
天之御名無主:2009/11/17(火) 13:46:28
今回の邪馬台国の意見で、
関の学説は沈没w
藤村せんせい しかり 考古学会などと言うものは
権威の為に捏造、歴史の捻じ曲げに必死。
関さんのように、囚われない人のほうがニュートラルのように思える。
420 :
天之御名無主:2009/11/17(火) 20:44:34
tes
>>411 へぇ、あなたは随分と物知りな方なんですねぇ。
関みたいな稚拙な本を読んで、わざわざ2chで読者を信者認定して下さるんですから。
>>412 そんなモヤモヤした気持ちで読んでるんだな。
糞ツマらんカテゴライズする位なら、
歴史学的な妥当性とやらを検証するような建設的な批評を展開してみたらどうだ?
ま、権威主義者クンにはそんな知性は無いか。
一生懸命に日本の歴史を研究されている皆さんには、
ぜひ頑張って欲しいと思うし心から敬意を表しますが、
関氏が素人相手に稚拙な説を吹聴し洗脳している
などと絡んでくる輩は、少々病的な人間だと思う。
425 :
天之御名無主:2009/11/24(火) 23:10:00
一生懸命に日本の歴史を研究されている皆さんは、関の本など読まないと思うよ。
427 :
天之御名無主:2009/11/25(水) 22:34:08
関信者なんて自分でまともに文献など読んだことがないだろう。
自分の頭で考えることをしない、
カルト信者と似たようなもの。
一生懸命に日本の歴史を研究されている皆さんには、
ぜひ頑張って欲しいと思うし心から敬意を表しますが、
素人相手に稚拙な説を吹聴してる関氏に
簡単に洗脳されるようなタイプは、
はっきりいって学問とか研究とかむいてないよ。
彼の本は、あらすじや紹介だけ読んで面白そうだと思っていたんだが、何がダメなんだ?
学術的な検証が不十分ってことでいいのか?
「歴史は小説より奇なり」なんて言葉もあるくらいだから
関さんの説に限らず、いかなる可能性も否定しきれないと思うのだが。
邪馬台国スレで畿内説論者と九州説論者が不毛の無限ループに陥っているが
誰も知らない事実の解明を目指しているんじゃなくて、
捻じ曲げてでも自説の肯定を目指しているとしか思えない。
まあ、それが専門バカの真骨頂としても、ゴッドハンドだけはやめてほしいもんだな。
明確に否定できる説なんてそもそも「説」と言われないよな。
でもその中で一定の確からしさを保証するのが学術的な検証なわけで。
明確に否定はできないけど肯定もできない程度の説と
肯定的な論拠がある説とは雲泥の差があると思う
そう。一つの説として楽しめば良いだけじゃね?
嫌なら読まなきゃ良いのにね。
それを信者だの洗脳だのと勝手に妄想して目くじら立ててる奴等ってさ、権威主義者かつ、冷静さを欠いた異常者だよな。
何だかんだ言って、放っとけない魅力があるんだろうね。
435 :
天之御名無主:2009/11/28(土) 19:39:44
武内宿禰が天皇になったとか、オイオイ何言い出すねん系の記述もあるが。
面白い。
いわゆる畿内説・九州説どちらも全面的に肯定していないから
邪馬台国論争で喧嘩している連中から見たら苦々しいだろう。
437 :
天之御名無主:2009/11/29(日) 20:58:31
>>435 関裕二さんは、武内宿禰が天皇になったとか書いていないよ。
武内宿禰と神功皇后の間に生まれた御子(日向御子)がヤマトに祭祀王として迎えられたと書いている。
>>354 遅レスだが、武内が男王として立った、と考えたらどうよ?
439 :
天之御名無主:2009/12/02(水) 22:29:04
つーか
>>1は本人だろ
コイツマジうぜEEEEEEEEEE
>>439 コイツマジうぜEEEEEEEEEE
そのままお前に返す。
441 :
日本@名無史さん :2009/12/05(土) 00:57:47
>>436 両方を全面的な肯定なんてしていない。
苦々しく思うのは両方の痛いとこついてるから。
無責任にいちゃもんつけるだけの外野が疎まれるのは当然。
少ない史料から無責任に畿内だ九州だ言ってる連中の無責任さと来たら、どう思うかね?
出雲に対して出土品がないと言うだけで法螺話扱いしていた連中の無責任さと来たらどうだね?
責任取らせて来いよ
445 :
天之御名無主:2009/12/11(金) 01:00:00
遷宮の本とおくりなの本が部区オフに出ていたので買っちゃった。
タイトルだけで何じゃこれ、読みてーってなるよね。
この人問題の見つけ方うますぎだろ。
桓武には考えさせられた
>>444 その「少ない史料」にすらあたろうとしない小説家の空想をありがたがる
信者が言っていい台詞ではないな。
>>445 まとめ買いするのは個人の自由だけど、同じ話を4、5回読まされるハメになるぞ。
「史料にあたらない」と「史料批判」は当然別物だろ
関さんがどっちなのか知らんけど
史料にあたってないかどうかを調べるのも資料批判
NHKブックスの大山誠一「天孫降臨の夢ー藤原不比等のプロジェクト」って、
関氏の本と内容がかぶってますが、
みなさんの意見を聞きたい。
>>447 『「少ない史料」にすらあたろうとしない小説家』
って何だ?本当か?そうは思えないが。
もっと冷静になってみれば?
お前、ある意味信者になってんぞ。
「史料にこう書いてあるから、お前の仮説は間違っている」と言い出すのは史料批判でも何でもなく、文献至上主義
鎌足の正体については飛躍しすぎで受け入れがたい。
発想は面白いし謎があるのも事実だが
何となく敬遠してたけどこのスレで興味持った
年末あたり読んでみるわ
どれ読もっかな
物部の謎か聖武天皇か・・・前者は荒削り後者は新しいので古い時代の話は「拙著を読め」が多い
>>456 サンクス
検証過程も気になるから前者からいくわ
神武−継体−神功
ヤマトタケル−天孫降臨−浦島太郎−出雲抹殺
物部−聖徳太子−入鹿と鎌足
天武−持統−藤原−聖徳
あたりは大体同じことを言っているので重複すると辛い時があるw
ふむふむ
突っ込んで読みたくなったら参考にする
>>485 神武とヤマトタケルと物部と天武は同一人物ってこと?
何を勘違いしているのか分からんが、とりあえず485に頑張って貰うとしよう
横軸で1グループってことだろ?
まぁ何が真実かはわからんが
歴史学者が言う正史である記紀には
あからさまな間違いや誇張が多いのは確かなわけで
あとはそこからどう捕らえるかの問題という意味では
歴史学者も歴史小説家も大して変わらんのかもしれんね
どっからどこまで信じるのが原理主義で
どっからどこまで疑惑補足するのが妄想なのかは時代によって変わるだろうしね
>>462 記紀に書いてないことを主張すると馬鹿にされる。そんな世の中が史学界にはあると言われるのです
特に応神以前
失礼。応神後
465 :
天之御名無主:2010/01/29(金) 20:12:29
新学説でも妄想でも面白ければ良いよ。
いずれにしても客観的な証拠を提出できる訳ないし。
そうなれば、どこかに軸を置いて推論を重ねていくしか前進はない。
それが後退かもしれないから、色んな人が色んな方向へ掘り進めて
発表してくれれば我々にとって良い暇つぶしになる。
関理論の面白いところは、新しい解釈の仕方を提示して見せてくれていることなんだな、これが
物的証拠の少ない時代の事実をあぶり出すためのツールの一つ
467 :
天之御名無主:2010/02/01(月) 17:27:57
>>466 確かに藤原氏が蘇我氏が保管していた文書を焼き払ったり、命の保障と引き換えに
禁書の提出を求めたりしたので、藤原氏に都合のいい記述しか公式文書には残って
いない。
そこで、物部系の『先代旧事本記』とか、神社に伝わる伝承とか、あるいは、
『竹取物語』のような文学作品にヒントを求めているのだろう。
大山さんは、所々で短絡的な結び付けが…。大海人皇子と中臣鎌足が友情で結ばれてたのだろうとか… むしろ戸矢学氏の『怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺』が類似してない?
漢風諡号の本、読んでみた
神武=応神で、崇神=ニギハヤヒノミコトに変えたようだね
諡号の話自体は今まで各所に出ていた内容と特に変わりはなく、淡海三船(天智天皇の玄孫)の説得力を力説するだけの内容でした
470 :
天之御名無主:2010/03/13(土) 12:30:33
任那、鉄を出せ!!ヒスイやらんぞ!!外国人参政権なんぞもっての他だ!!
,,ノ´⌒`ヽ,,
,,γ⌒´ ゝ,,
/ )⌒ヽ
/ γ""´´⌒⌒``゙゙゙゙゙ \ `)
/ ノ 友愛&故人 ヽ (
( 彡 i )
) i /\ /\ i (
( ! ヽ / i )
r⌒ (○)ヽ ( ○) ⌒i
{ ( ヽ,,__,,ノ ノ ヽ.,,_,,ノ .) }
\_! \ /( )\ !ノ
't / ^ i ^ ', /
ヽ _, -‐‐-、._ /
∧、 \_ヽ. `ニニU´ _/ ∧_
/⌒ヽ\ \. λ. //~⌒ヽ
|( ● )| i\ _,,ノ| 、` ‐-‐-‐/ ./ \ /i |( ● )|
\_ノ ^i | _,,..r''''" ノ .| \ / / / ̄`'''ー | i^ ゝ_ノ
|_|,-''iつl/´ ヽノ |. /~\ / 、│ l⊂i''-|_|
[__|_|/〉ヽ、 / |/ヽ;;;;;;/\/ 'く /〈\|_|__]
[ニニ〉 ', ヽ. | / ヘ / ゚/ / 〈二二]
└―' '─┘
471 :
天之御名無主:2010/03/13(土) 12:43:36
白村江の負け組みが、うるせーよ!!
拉致るぞ!!
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))
( 从 ノ.ノ
( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\
|:::::: ヽ 丶.
|::::.____、_ _,__)
(∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |
( (  ̄ )・・( ̄ i
ヘ\ .._. )3( .._丿
/ \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ. \__/\i/\_|
| ヽ \o \
472 :
天之御名無主:2010/03/13(土) 12:59:41
私は善徳が本名だそうです。アジアの平和は私の願いです。
両班の末裔がうるさいですよ。働きなさい!!
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
||||||||||||||||||ii
,,||||||||||||||||||||
i||||||||||||||||||||||||||||i
i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i
||||||||||||||||||||||||||||||||||| !||.
|━- -━━━ |||||||| |||
,・=-| -=・=- / ̄||| ,||||
| / _!|||||!! <
. | (_,  ̄|||||
| ━__━ ||||
ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__ ||||
||||||||||||
!|||||||!!
!||||!
473 :
天之御名無主:2010/03/13(土) 13:11:20
百済に言って、小野妹子ってねーちゃんレイプしてやるからな。
朝鮮族はレイプ大好きなんだぜ。てめーの国への手紙も盗ませるからな。
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))
( 从 ノ.ノ
( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\
|:::::: ヽ 丶.
|::::.____、_ _,__)
(∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |
( (  ̄ )・・( ̄ i
ヘ\ .._. )3( .._丿
/ \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ. \__/\i/\_|
| ヽ \o \
474 :
天之御名無主:2010/03/17(水) 18:12:02
http://www.youtube.com/watch?v=AhTatuOqC7Q 先生、日本人達はキチガイじゃないんですか?0:21辺り
┼ .| ̄| /、`二//-‐''"´::l|::l l! ';!u ';/:::l ', ';::::::l ';:::::i:::::
|二| | ̄| レ/::/ /:イ:\/l:l l::l u !. l / ';:::l ', ';:::::l. ';::::l:::::
|_| | ̄| レ /:l l:::::lヽ|l l:l し !/ ';:l,、-‐、::::l ';::::l::::
┼ ノ 」 /::l l:::::l l\l ヽ-' / ';!-ー 、';::ト、';::::l:::
_ク_ ヽ/ /::::l/l::::lニ‐-、`` / /;;;;;;;;;;;;;ヽ! i::::l:::
|__|__| 二|二 /i::/ l::l;;;;;ヽ \ i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l l::l:::
|__|__| _|_ /:::l/:l /;;l:!;;;;;;;;;', ';;;;;;;;;;;;;;;;;ノ l:l::
/ | | ヽ | /::::;ィ::l. l;;;;!;;;;;;;;;;;l `‐--‐'´.....:::::::::!l
人 /イ//l::l ヽ、;;;;;;;ノ.... し :::::::::::::::::::::ヽ /!リ l
/ \ /::::l';!:::::::::::::::::::: u ', i ノ l
ノ \ ./イ';::l ’ し u. i l l
__|_ ヽヽ ./';:';:!,.イ し 入 l l U
| ー /,、-'´/ し / ヽ、 u し ,' ,' l
| ヽー /l し _,.ノ `フ" ,' ,' ,ィ::/:
| /::::::ヽ ヽ / し ,' ,' / l::
| /::::::::::::`‐、 し ', / u ,、-'´ l,、-
| ``‐-、._::::::::::` ‐ 、 ',/ , -'´`'´ ,-'´
| _,、-‐'"´';:::::::::イ:l';:::` ‐ 、._____,、-‐'"´ u /
| | | | \ l::/ l::::::/リ ';:::::lリ:::::l';:::l l:l:::::l\ u /
こんなところで2ちゃんの練習しないでくださいww
476 :
天之御名無主:2010/03/20(土) 17:21:44
>>475 皆さん深刻に考えてるので、軽くしようかと思いまして。www
477 :
天之御名無主:2010/03/22(月) 11:09:33
何をどう深刻に考えているのか、「明確に答えない」に一票
478 :
天之御名無主:2010/03/26(金) 17:05:31
ずっとROMってきたが、まあ関裕二氏以上に頭の回転がいい者はここにはとんと見辺たらんなw
所詮は2ちゃんねるだからしょうがないかw
479 :
天之御名無主:2010/03/29(月) 12:09:39
水江浦島子、鶴になったら雄略天皇に許可を貰って撃ち殺してやるぜ!!
,,ノ´⌒`ヽ,,
,,γ⌒´ ゝ,,
/ )⌒ヽ
/ γ""´´⌒⌒``゙゙゙゙゙ \ `)
/ ノ 友愛&故人 ヽ (
( 彡 i )
) i /\ /\ i (
( ! ヽ / i )
r⌒ (○)ヽ ( ○) ⌒i
{ ( ヽ,,__,,ノ ノ ヽ.,,_,,ノ .) }
\_! \ /( )\ !ノ
't / ^ i ^ ', /
ヽ _, -‐‐-、._ /
∧、 \_ヽ. `ニニU´ _/ ∧_
/⌒ヽ\ \. λ. //~⌒ヽ
|( ● )| i\ _,,ノ| 、` ‐-‐-‐/ ./ \ /i |( ● )|
\_ノ ^i | _,,..r''''" ノ .| \ / / / ̄`'''ー | i^ ゝ_ノ
|_|,-''iつl/´ ヽノ |. /~\ / 、│ l⊂i''-|_|
[__|_|/〉ヽ、 / |/ヽ;;;;;;/\/ 'く /〈\|_|__]
[ニニ〉 ', ヽ. | / ヘ / ゚/ / 〈二二]
└―' '─┘
480 :
天之御名無主:2010/03/29(月) 23:50:05
何で、浦島太郎って記紀から風土記、万葉集などで取り上げられてるん?おとぎ話じゃないの?
ちゃんと著作を読めば分かるよーん
482 :
天之御名無主:2010/04/01(木) 14:15:37
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
,!;:;:;:;:;:;:;:;:__;l__;:;:;:;:;:;:;:l
ム;:''"´ ̄__;:;|;:;_~`丶、! /l(O)ヽ
,{__, ィ''"´ r‐っ  ̄ r-、丶、;:;l / ヽ_ 。'
,'ミミ:::::ゝ , .  ̄:. ``′,}:`i! ./:::::::/::::ヾノ
,'ミミ:::/ ,. -‐- 、:. , - 、ヾ:::l /:::::::::::l´:://
lミ:::::' ,:' ,ィヌニ>,:' : ィヌゝ、゙i::l /::::::::::/ヾ:ノ
〃ヘ:::j :. ‐ '" ,. ヽ` ニ !:l /|:::::::::/::::/l
{に}ハ::, :.:.:.:.. (r:、 ,、〉 l:ハ /|/:::::/:::://
ヽいjl::', :ヽ ,' ; ヽ ノlノ} l:::::::::::::/::::/:( 卑弥呼はこれで死んだのじゃ
丶-ltツ .:.: l:.: ,r'ニ=ニ、 ゙i, i_ノ _',:::::::/:::,..'.___|::::|
l 、:.:.l:.: ` ''―''" 、 / `',/:::/:::(_| ::l )
ト、、ヽ丶、:.:.. ノ:/ ,- ' /::::...、:'、/:://
,(ニヽミミ=、、::.::.::.::''"/ ⌒`l,,.-'''")x', :::.',
/:.:.:.`ヽヽ、:.:.:  ̄ ,! / /ox、''''"~´)
___,,r―'‐-- 、、:.:\\:.:.:. l、 { ノ',xxx,,`- ''''"´〕
/"´⌒丶:::::::`ヽ、``ヽ、::::::`ミニゝ丶、 八 / 〕l::::',xxx "(''''"´〉
:::::,r―-、:ヽ::::::::::`丶、`丶、::::::::::::``7=く、L,_ / i.l::::',xxoxx',::::',
483 :
天之御名無主:2010/04/02(金) 07:30:42
私の名は「ホトナメナメドメ」。実は老女なの。
恥ずかしいから「トドメ」って呼んでね。
ドドメ色じゃないわよ。桃の様にピンクよ。
,. -─‐-、__ト,ハ//: . /
,. :'´: . : . : . : . : . : .`丶、:/ ' ,:ニ=-
/ : . : . : . : . : . : . : . : . : . \/_
/: . :/: . :/: ./!: . : .\、: . ヽ: .`,⌒`
./: .../: . : ./: ./ !: . : . : ヾ: . : ',: ..i
' : l/:/: . :/: / '、: ヽ: ヽ:゙i: . : l:.ノ!、
|: . |:,': . ;.イ:/ ,. -- \; ヽ*|: . :|ノイハ
|: . |!: ./`7゙ ´ r 、,...,,_ `ヽ,ミ;:ヘ: |イi:.|:|
ヽ: .{://ふ ´ {:ヒか, !゙く }:.|イ、ソ
ヾ、!゙' ヒリ 、 v_;ソ! レ/: |: |´
l `´ rf: . :|:..|
', 、 / |/: ..|: .|
\ ¬ / !.: .:|: . |
|`ヽ、 , イ |: . ハ: ..|
|: . : .l`7ヘ:.:. ィ,': .∧`,:..|
|: l: . |.ゝ'´!: / /: ./ ヽ',::',
|. |:.. | ハ/ /: ./ ヾ、
/!:.l: .,! /.ン /: ./ ヽ
.! |: ./ |/ /: ./ ヽ
| |/ /// ;l.:l:/ ヽ
.| ノ / / トソ ヽ
484 :
天之御名無主:2010/04/06(火) 07:39:23
>>78 「浅井隆」氏の実の弟とのことです
オレはこの兄弟に騙され続けている。
この二人には是非「竹書房」で出版して頂きたい。
副島、関、浅井の三人で「古代の浪漫」本を出して下さい。最強です。
485 :
天之御名無主:2010/04/06(火) 08:00:43
ついに発見!?トヨの末裔
彦太尊で断絶説
__,,,,_
/´  ̄`ヽ,
/ 〃 ヽ
/ リ i }
,i _,-=‐'`―'=ー、;!
i リ ーー' 、ー‐'i |
| リ゜ ´ (. .〉 } !
| ii! | ー=-' ! |
| ヽ、_  ̄,/ j
| i ii !! ._ノ  ̄ ̄|_,_,,ノ
,、ゝ-ー'"i´ \__/ |`ー、
/ ヽ >''" \/`-< iヽ
| ! \ \/ | |
487 :
天之御名無主:2010/04/16(金) 11:22:00
そもそも魏志倭人伝とかそいう書って支那側から書いた記述だし、倭国は
合議制で政治が行われていた背景を考えたら、九州豪族が勝手に支那大陸に
行って倭国王を名乗ったのはあり得ると思う。
出雲と九州北部と大和地方に権力が集中していていがみ合っていたのは事実
だと思う。701年辺りに国名を大倭国から日本に変わったとしたら、3世紀頃に
できた仁徳天皇稜など世界最大のお墓が作られた事を考えると、九州王朝が
大倭国を束ねていたというのは現実的では無いと思う。
また、倭唐戦争の後、筑紫君が唐に連れて行かれて帰って来たら国が変わって
いたというのは、九州豪族と出雲、大和の中で権力争いがあったと思うのが、
普通の感覚だと思う。
488 :
天之御名無主:2010/04/16(金) 11:31:40
例えば、懐良親王や足利義満、徳川家康などが国王と名乗っているが、日本からすれば
外交上その方が得なのでそうしただけで、国内からすれば、権力者であっても
最高権力者ではなく天皇の下という認識があった訳で衝突を避ける為に
便宜上そうしただけ。
もし仮に戦争をした場合、勝てる可能性があったとしても敢えて国力を疲弊
させない為に柔軟に対応した事もあると思う。
東アジアの歴史は、倭族の朝鮮支配と余族(満州族)の大陸支配があって
その対立が倭唐戦争や日清戦争に繋がったと思う。
489 :
天之御名無主:2010/04/16(金) 11:35:54
また、余族の国家で渤海国と大きな国家があったが、高句麗の継承国と
して存在したが、平安時代、日本に朝貢してきた、その国書に、元々
日本も渤海国も同じ余族の流れを汲む訳だから仲良くしましょうと。
大和民族は、倭族と余族の混血だと思う。だからこそ、朝鮮族や漢民族に
とって憎みべき相手という概念が古代から続いているのだと思う。
490 :
天之御名無主:2010/04/17(土) 07:52:34
藤原氏の祖である、中臣鎌足は百済の王子である豊璋であるというのはその
可能性が高いと思う。しかし、百済王家は、余族だったが、后は必ず倭族と
決められていたので、豊璋は倭族との混血という事だろう。
倭唐戦争後、百済や高句麗の王族は、倭国に亡命し天皇家に仕えたとされる
から、倭人化していったんだと思う。また、新羅王家は、倭族だったので
新羅派と百済派に別れたのも納得がいく。
さて、今の朝鮮人の先祖は、ワイ族(エベンキ)と言って、支那大陸から南下
してきた。恐らく統一新羅が滅び高麗建国辺りに北から南下してきて政権を
奪ったんじゃないかな。
491 :
天之御名無主:2010/04/17(土) 10:43:42
日本人が一番気を付けないといけない事は、先ず、古代の歴史について
支那人(漢民族)や朝鮮人(ワイ族)が特に優位性を持ちたいという感情的な背景がある事を
忘れてはいけない。また、日本人にとって都合の良いことや価値が高まる発見をした場合
叩こうとする輩は、殆どが在日だと思ったほうがよい。
今、国内に10万人近く外国人留学生がいるが、その9割は支那人、朝鮮人
だからね。
関氏の本を読んで、肯定派やどちらともいえないの答えなら日本人だと思うが、
否定派は恐らく支那、朝鮮系だと思う。何故なら彼らにとっては都合が悪い
解釈だから。
日本人からして別に嫌な感情は起きないけど、もし仮に彼らだったら余り気持ちの
良い話ではない。
関氏はまだ遠慮気味に書いているけど、百済、新羅は倭国の属国であったという
のは、世界でも認識されている事実。高句麗と大倭国の大きな対立があってその
主導権争いを南宋や隋などが傍観していたということ。
大倭国の内部でも九州、出雲、大和と対立していた背景があったのでややこしく
なってるんじゃないかな。
高句麗も大倭国も朝鮮半島をどちらの勢力圏に組み込むかに奔走していたんだと
思う。朝貢と言っても朝貢する側の方が儲かる仕組みだったし、第三者に認めさせた
ら大義名分が立つ。
高句麗王族は余族
新羅王族は倭族
百済王族は倭族+余族
倭国は倭族
結局、古代東アジアは、倭族と余族の歴史ってこと。その潰し合いの世界が
崩壊した後、やってきたワイ族(朝鮮人の先祖)が乗っ取り余族国家が崩壊した
後、漢民族達が乗っ取りをしたということ。
だからこそ余族と倭族の混血である大和民族に対し、敵視し一生懸命叩こうと
するんだと思う。彼らのアイデンティティーが崩壊するからね。
492 :
天之御名無主:2010/04/19(月) 01:15:33
関氏の論中最も重要で斬新な論点が聖徳太子=蘇我入鹿であり中臣鎌足=百済王子豊璋であるということだろうね?
493 :
天之御名無主:2010/04/19(月) 02:25:55
織田信長
- 2代織田信高(七男)
- 3代織田高重
- 4代織田一之
- 5代織田信門
- 6代織田信倉(養子)
- 7代織田信直(養子)←←← 大和宇陀松山藩主織田高長の孫(信雄の系統)
- 8代織田長孺
- 9代織田長裕
- 10代織田信真 ←←←疑問点@ 明治維新後、写真師になって、その後消息不明
- (11代から14代は不明)←←←疑問点A 親戚に迷惑をかけるから、16代信義氏が製作配布した家系図では4代不明とした(週刊新潮の記事より)
- 15代織田重治
- 16代織田信義
- 17代信成(次男)
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
>>492 論点としては
1.神話の中の事実と向かい合おう(トロイだって神話の出来事だったろ?)
2.日本書紀は藤原氏のための歴史書(天武天皇の前半生が不明なのに「天武天皇に都合が良い内容だ」とか馬鹿だろ?)
ってところであって、その2点は斬新な結論(主張)の部類
495 :
天之御名無主:2010/04/19(月) 18:19:24
確かに神話と言っても縄文、弥生時代の話だし現実問題として縄文土器とか
出土してる訳なので正史として捉えても不思議ではないと思う。
それに隋書や宋書、漢書などに同じ時期に似たような内容が書かれている訳
だから史実として考えても問題ないかと。
聖徳太子=蘇我入鹿で中臣鎌足=扶余豊璋ってありえるしそうだったとしても
何ともないと思う。朝鮮半島は元々、倭国圏で倭族も住んでいた地域だし
今の感覚と全然違うからね。
百済、高句麗は余族系って分かるけど、加羅、新羅、耽羅って全て羅が付くけど
羅って絹の意味があって養蚕を意味するから倭族と繋がりがあるんじゃないかな。
日本では主に冠などに使っていたしね。
7世紀〜8世紀の間、新羅と日本の関係は良かったし百済王族や高句麗王族を
新羅王朝に仕えさせた所も日本と似ている。大きく違うのは先祖伝来の姓や従来的な名
も全て唐風に改められている所かな。日本より唐に近かったから影響が大きかった
だろうね。
只、日本の属国であった新羅が対等外交を行うとした時から関係が悪化していった
のと、新羅の末期は国内が乱れ高麗が建国し後に元に支配されボロボロ。
新羅の末期から高麗時代までの間に混血が進み、新羅王朝の系等は断絶して
滅茶苦茶になったんじゃないかな。
「绫罗」と熟語になれば、絹の意味だわな。
「罗●」とか頭のほうについているのは、中国と朝貢関係がある邦に多い。
よって、加罗、新罗、耽罗はわりあい中国に従順な勢力である証かもしれない。
ところが、高麗は新羅の文化を破壊したりせず承継関係を持っている。
そして、高麗の前半は、古い中国のような形の女系社会の残る社会である。
摩梭と呼ばれる現代中国の集団も、女系社会が残っていた。
新羅も高麗も女系社会が残る社会であり、あまり北狄の影響を受けておらず
三韓→新羅→高麗は、日本の卑弥呼・臺與の時代を彷彿させる存在なのである。
498 :
天之御名無主:2010/04/19(月) 19:24:15
李成桂(이성계)とは、何者だろうか?
499 :
天之御名無主:2010/04/19(月) 19:42:23
これが、新羅・高麗人の姿とされる画像だ。
______________ ____
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄
韓国人は、整形美人よりも、
眠た〜い顔の子のほうが本当は好きニダ
薄幸な国 韓国
「原始、女は太陽だった」
邪馬台国、三韓・新羅・高麗、雲南の摩梭
みな男の統治者と女の統治者の二元論理なのだ。
男尊女卑の世界は、日本の後期武家社会や朝鮮王朝が成熟してからなのだ。
カイラスのシャンシュン王国が、西遊記の東女国らしい。
シナ・チベット語族だというのが判明している。
摩梭もシナ・チベット語族なので、シナは女系社会が残っていた模様。
みゃお族も元は女系男系並立だった伝承があり
北方のもんごる系が南下してきてから後に、男尊女卑の社会になったみたいだ。
504 :
天之御名無主:2010/04/20(火) 07:52:50
日本は男尊女卑の世界は存在してないよ。武家社会は男と女の違いがあるから
役割分担的な社会だったけど、農民、商人や公家社会ではそんなに変わらなかった。
三韓→新羅→高麗は、日本の卑弥呼・臺與の時代を彷彿させるね。
高麗も最初は仏教を重んじ平和な世界を築いたみたいだけど、元に支配されて
から可笑しくなったね。
もし高麗も新羅みたいに日本の属国として存在していたら元の攻撃に支援した
かもね。結構、頑張ったみたいだけど。でも倭唐戦争(ハクソンコウ)の時、
新羅が倭国側についたら高句麗を滅ぼす事もできたし唐にも勝てたかもね。
元寇の捕虜をみると、漢人、ウイグル人、高麗人、南宋人と様々。南宋人以外は
全て殺したらしいね。南宋人って漢民族と違う民族なのか?
507 :
506:2010/04/20(火) 18:05:45
南宋の時期だと、楚の末裔も江南に集結しているんか・・・
ミャオ・ヤオとかもいるわけね。
>>504 回鶻の頃のトルファン付近のウイグル人って
ソグド人と混血した雑種のいまの維吾爾族と違う。
ムスリムにもなっていなかった。
509 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 06:10:22
大陸はややこしいな。日本の場合、民族的には一応、単一民族。混血であっても
同じ日本語を使い同じ風習。アイデンディティも日本人という意識が強い。
アイヌの人も日の丸が上がると熱くなるからね。
武力による同化は反発が生まれるが、お互い尊重しながら時間を掛けて同化する
日本人のやり方は成功してるよね。台湾やパラオみてもそう思う。
朝鮮は例外だな。
510 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 06:24:12
台湾が日本を心の底から好きな訳ないだろうw
面従腹背・腹背面従の海千山千のワルどもだぜww
もとが福建蛇頭(じゃとう)なんだからよ!
511 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 10:14:02
台湾の国民党と嘘捏造に洗脳された一部の人達は反日だろうけど。
まともな台湾人は親日的だよ。
512 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 11:23:06
台湾語には、漢羅といって土人のスラングが含まれていて
普通話や客家語には無いものがあり、そのスラングを口にすると
あまり高級な人間とはみなされない。
スラングを含む台湾語で思考している者が、純粋な内省人だが
日本人が真似てスラングだらけの言葉を台北や新竹で使えば、
間違いなく台湾ビジネス界での地位は低下する。(漢羅は、代替不能な名詞のみに使用するとべき)
台湾原住民の言葉はきちんと別にあるので、敬意をもって
民族語の文法にしたがって話すべきだとされている。
台湾は、微妙繊細な問題があるので、緻密にやる必要がある。
台湾民俗学で別スレ立てたほうがよさそうだな。
関裕二も、台湾には触れていない。
>>509 アイヌと琉球はモロ武力併呑♪そして、北海道は屯田兵まで派遣
台湾については
1.もともと捨てられていた土地
2.近代、反清活動の拠点にもなっていた
3.今は外省人が占領している
という当たりがあるから、今と過去は混ぜずに良い思い出に浸るべきだと思います。
516 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 12:50:39
北海道と沖縄、台湾 について熱くなるのは大体、在日朝鮮人。
これは定説。 古代日本史に興味があるのは、自分達が支配したという
証拠を一生懸命探そうとする心理があるから。
いくら探してもそんな物は見つからないよ。日本人感覚からすれば、笑い話にしか
ならない。
517 :
天之御名無主:2010/04/21(水) 12:55:15
アイヌについて何も知らない人が武力併合なんて言うなよ。大和に協力した
アイヌもいたのだから何も言えない筈。
アイヌ利権を叫んでいるのは殆どが在日朝鮮人という事を国民は知らないければ
ならない。
実際、アイヌの人達は、困っているとアイヌの血を引く人が言っている。
真実を知るべきだな。
ここは、民俗・神話学のスレなのだが・・・
519 :
天之御名無主:2010/04/22(木) 10:43:37
アメノタリシヒコ大王って蘇我入鹿ということ? ということは、九州王朝の
王族って蘇我家になるよね? 出雲と九州の関係が良く分からない。
520 :
天之御名無主:2010/04/22(木) 19:29:44
蘇我馬子だろ。馬子の長男の蘇我善徳(和哥弥多弗利)=聖徳太子じゃないのかな。
521 :
天之御名無主:2010/04/23(金) 09:05:12
>>234 面白い記事を発見。 南京大虐殺は大嘘で捏造された物。
本当の南京虐殺は、日本人留学生や親日派支那人が、支那政府に虐殺されたのが
本当の歴史。日本軍人は殆ど民間人を殺した事はない。それどころか民間人を
助けたり保護したりしていた。
こういう間違った歴史認識のまま古代史を見ているとトンデモになる。
>>519 関さんの本では皇室の祖は蘇我氏だと書いてあるね。
>>522 武内宿禰(蘇我氏の祖)と神功皇后(トヨ)の子か子孫が
神武天皇(応神天皇)=おおたたねこ
崇神天皇=大物主=物部氏の祖先
歴史としては応神天皇からスタートで、その前の15代については時間を前後させて作り出された
神話創造の理由は主に蘇我氏の正当性の隠蔽・・・・
こんな感じかな?
524 :
天之御名無主:2010/04/24(土) 00:34:59
倭国王 帥升は、九州王朝の王だよね?
525 :
天之御名無主:2010/04/24(土) 12:43:08
韓国岳を古事記に書かれていたように、空国岳に変更してほしい。
526 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 07:02:30
「大秦より使者が訪れた。(中略)国王の名を滅加伊霊改撒(ミカイルカイザー)という。
かつて九百余年前に朝貢したがその後朝貢せず、今再びやって来た」
大秦とは、ローマ帝国である。ローマ帝国が北宋に朝貢したと支那では書いている
けど、ローマ帝国は、朝貢したとは思っていない。
ということは大倭国が南宋に朝貢したとかいう記述も実際の上下関係を表す物ではなく
支那側が勝手に書いているということになる。
そういう観点で物事を見ないとトンデモ無いことになる。
527 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 07:42:10
出雲辺り、九州、近畿の地域に三大勢力があったのは分かるけど、前方後円墳
を見ると北は岩手の角塚古墳(46メートル)で5世紀頃、南は九州の
花牟礼古墳(66メートル)4世紀頃。
ということで、同じ文化圏といえる。大倭国が日本と名を変えるのは
8世紀初頭なのでひょっとしたら大倭国って北は東北から南は九州、西は
朝鮮半島南部まであったんじゃないか?
で九州勢力が南宋や隋などと交易をするために我が王こそ倭国の王であるから
認めろと。で倭唐戦争後、他の勢力と争い出雲か吉備か近畿か分からないが
権力を握り日本という名に変えて新しい国家の概念を築いた。
で朝鮮半島は高句麗との争いがあったのでよく記述されてるのだと思う。
大倭国と高句麗の争いに百済と新羅が翻弄されていたというのが古代東アジアの
歴史ということに。
その全体の流れを見ないと近場だけでどっちがどっちって語っても分かり難い
と思う。
528 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 08:17:16
「桃太郎のお供は?」「アンパンマン!」 昔話知らない子供たち
4月24日18時42分配信 産経新聞
桃太郎の鬼退治にお供したのは犬、猿、おばあさん!?
桃太郎や浦島太郎といった有名な童話や昔話を子供たちが知らない傾向にあることが、
大学教授らのグループが行った調査で分かった。
人気アニメキャラクターが昔話に登場すると考える子供もいた。
背景には、親がこうした物語の絵本を子供に与えないという近年の事情もあるようだ。
529 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 08:25:06
>>527大倭国って北は東北から南は九州、西は朝鮮半島南部まであったんじゃないか?
古代南鮮は邑なので国とも言えないのでは。
どっちかと言えば、風見鶏みたいな地域。しかも、
北鮮に虐められてたと思われる。
530 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 08:36:28
古代朝鮮半島南部は九州王朝の一部みたいな物じゃないかな。前方後円墳が
沢山見つかっているし。
今の国家の概念と少し違うけど大倭国といえば朝鮮半島南部(加羅)も含まれるということ。
新羅と百済は大倭国の属国。朝鮮半島南部まで倭族圏で百済、新羅は緩やかな
倭族圏という事だと思う。
高句麗とは敵対し百済と新羅は、どちらに付くか翻弄されていたと見るのが常識的だと思う。
531 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 08:51:47
>>530 あー、ゴメン。よく読んでなかった。文化圏と書いてあった。
圏と影響下と国の概念は古代ロマンを難しくさせて夢を破壊するので
嫌な問題だよね。個人的にはオレも南鮮は倭人系だと思う。
そこから掘り下げるとキチガイ右翼になるのでやめときます。
532 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 09:27:27
キチガイ右翼でもなんでもないですよ。 普通の解釈。
歴史の解釈ってその人のアイデンティティーに強く影響されるので、
戦後、アメリカのよる自虐史観があってその隙に、支那、朝鮮が乗っかって
来た訳だから。
どうしても大陸から日本列島への解釈になるんですよ。本当は違う事であってもね。
史料として参考にはなってもどこの国でも自分達が良いように書くので、他国の
文献でも他国の利益にならない記述は信憑性が高いと思う。
広開土王碑の百済と新羅は倭国の属国であったとか、新羅を建国したのは倭人だとかね。
533 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 12:08:47
『南史』倭国伝
順帝の昇明二年(478年)、遣使が上表して言う
「昔より祖先は、自ら甲冑を身に着け、山河を跋渉し、
安らかに暮らす暇なく、東に毛人を征すること五十五カ国、
西に衆夷を服すること六十六カ国、陵墓を平らげること海北の九十五国。
王道は安泰に調和し、国土を拡げ、京畿を遠く離れ、累代に亘って朝廷を尊び
歳に誤りなし。
道は百済に直行し、船舶を装飾する。而して高句麗は非道にも、
併呑を欲して謀る。臣の亡き済は、まさに大挙せんと欲したが、
突然に父兄が亡くなり、垂成の功をして一簣も獲れず。
今、練兵して父兄の遺志を明らかにせんと欲す。
密かに自らを開府儀同三司と仮称したが、その余は皆、各々仮授(して頂ければ)、
以て忠節を勧めん」。
534 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 12:09:34
『唐会要』倭国・日本国伝
古の倭奴国なり。新羅の東南に在り、大海の中で暮らす。
代々中国と通交する。その王の姓は阿毎氏。官には十二等を設けている。
習俗は文字があり。佛法を敬う。椎髻で冠と帯はない。
隋の煬帝がこれに衣冠を賜う。今、錦綵を以て冠を飾る。
衣服の作り方は大変新羅に類似している。腰に金製の花を佩びる。
長さ八寸。左右に各数枚。これを以て貴賎や等級を明らかにする。
535 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 12:10:20
魏志倭人伝
自女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載しえたが、
その余の国は遠くて険しく、詳細を得ることが出来なかった。
次に斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、
不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、
為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国があり、
これが女王の領域内の全部である。
その南に狗奴国があり、男性を王と為し、官には狗古智卑狗があり、
不属女王に従属していない。郡より女王国に至るには一万二千余里である。
536 :
天之御名無主:2010/04/25(日) 12:12:53
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、
故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み
、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せた
という。そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だった
ので、中国はこれを疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、
西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、
山の外は、すなわち毛人の国だという。
当時の国は今でいう都道府県と同じ感じだと思う。
九州の人達は温厚なイメージがあるが、大和の人達は、自惚れ強く態度がでかい
感じを受ける。
>>532 事実と解釈の間の深い溝を普通の人は理解してないですからね
そういうのに引っ張られると、関理論は理解することが出来ない
正しく理解した上で肯定・否定するってのが正しい姿勢だよな
538 :
天之御名無主:2010/04/29(木) 08:49:20
倭国王 帥升は、大倭帯日子国押人命こと第6代孝安天皇じゃないか?
539 :
天之御名無主:2010/05/01(土) 14:08:24
関理論の出発点でありエッセンスであるのはやっぱり聖徳太子=蘇我入鹿説だろうから、そこを検証するのが大事じゃないか?
後世の鑑真が聖徳太子は中国の高僧の生まれ変わりだと話したそうだから、蘇我入鹿が仏教興隆のためにそう言われるにふさわしい大きな事蹟を残していることが検証できれば、関説の有力な傍証になるだろう。
穴穂部間人皇女 厩戸皇子 みんな蘇我と近縁じゃないか?
>>539 関理論から言うと、それらの事跡は全て聖徳太子の功績と言うことになっているから、そんな検証をするのは無駄
542 :
天之御名無主:2010/05/06(木) 23:27:02
>>541 例えばだな。蘇我馬子が物部守矢を討った時は馬子が何歳で太子が何歳だったかという計算をしてみる。
改新で討たれた蘇我入鹿が何歳で討った中大兄皇子が何歳だったか調べれば見当がつかないかな?
鑑真の来日後の頃は関説で聖徳太子の孫にあたる長屋王の没後だから改新の何十年か後になる。
そのころはもう聖徳太子は伝説化してただろうけど、少なくとも生まれ変わりと言った以上は中国の高僧の没後にすぐ聖徳太子が生まれたことだけはほぼ確実にそう言った時の鑑真の脳裏に知識としてあったということだろう。
ここは関説を面白いというスレだからそういう検証も無駄じゃないと思うけど。
それで見当が付いたとしてもなんの証明にもならん。仮説のための仮説のヒントが見えた程度だろが。マスかいて一生寝てろ
544 :
天之御名無主:2010/05/11(火) 08:05:17
聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2 月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4 月8日)(同29年2月5日説あり-『日本書紀』))
慧思(えし, 515年(延昌4 年) - 577 年(太建9年))
どうも日本書紀は聖徳太子の生まれた年についても3年以上古くごまかしてるようだ。
545 :
天之御名無主:2010/05/11(火) 20:07:48
wiki
>推古天皇15年(607年):小野妹子、鞍作福利を使者とし随に国書[5]を送った。
>翌年、返礼の使者である裴世清が訪れた。[6]
>日本書紀によると裴世清が携えた書には「皇帝問倭皇」(「皇帝 倭皇に問ふ」)とある。
>これに対する返書には「東天皇敬白西皇帝」(「東の天皇 西の皇帝に敬まひて白す)[7]とあり、
>隋が「倭皇」とした箇所を「天皇」[8]としている。
日本書紀の嘘が明らか。
1.天皇は日本では持統天皇以後の呼称である。
2.聖徳太子は日本書紀の中では即位していないのにここで自らを天皇と称している。(最初の遣隋使の文では天子と僭称していたことになる)
546 :
天之御名無主:2010/05/11(火) 20:41:48
>推古天皇15年(607年):小野妹子、鞍作福利を使者とし随に国書[5]を送った。
蘇我入鹿は日本書紀では蘇我鞍作大臣入鹿という呼称もあるが、
wiki蘇我入鹿
>生誕 不明
>死没 皇極天皇4年6月12日(645年7 月10日)
とあり、日本書紀では年齢不詳になっているところに書記作者に虚言癖があることを確認できる。
547 :
天之御名無主:2010/05/12(水) 05:48:17
唐会要に
其王姓阿毎氏。設官十二等。俗有文字、敬佛法、椎髻無冠帶。隋煬帝賜之衣冠。
新唐書
「用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通」内官有十二等 一曰大コ
次小コ 次大仁 次小仁 次大義 次小義 次大禮 次小禮 次大智 次小智 次大信
次小信 員無定數」
って書いているから官位十二階と仏教を信仰している背景から蘇我馬子と聖徳太子
は親子で蘇我馬子と長男の蘇我善徳が、阿毎多利思比孤(アメノ・タリシヒコ)と
和哥弥多弗利じゃないのか?
物部、葛城、蘇我、藤原の一族同士が天皇を巡って骨肉の争いを行い藤原氏が
勝ち同族に血縁関係のある天皇を擁立して政治を動かした。
天皇家はこの四氏の血が流れてるんだと思うが、蘇我氏の活躍や正当性を消す為
に日本書紀は虚言癖があるんだと思う。
>>547 物部家の作った文章には蘇我との抗争の件は書かれていないことについて
549 :
天之御名無主:2010/05/12(水) 20:56:22
wiki蘇我馬子
生誕 欽明天皇13年(551年)?
死没 推古天皇34年5月20日(626年6 月19日)
とあるから75〜76年間の生涯になる。
wiki用明天皇
出生 不明
崩御 587年5 月21日
在位 585年10 月3日 - 587年5 月21日
ともあるから、蘇我馬子が34〜35歳のころに2年間即位して大王(天皇という呼称は無い時代だから)であった可能性はあるね。
>>587の
「用明 亦曰目多利思比孤」「阿毎多利思比孤(アメノ・タリシヒコ)」が用明として即位した蘇我馬子の別名であれば。
しかし最初の遣隋使が聖徳太子の国書を届けた年は607年ということだから、「用明 亦曰目多利思比孤」の日本書紀にある在位時期とは20年の時間差がある。
書記作者のトリックはどこかな。
550 :
天之御名無主:2010/05/12(水) 22:44:39
聖徳太子はいなかった」でぐぐっていたら関氏より先に聖徳太子=蘇我入鹿=蘇我善徳が暗殺されたという同じ説を立てた人がいたようだ。
ttp://www.rui.jp/ruinet.html?c=400&i=200&m=203776 >【高野勉の『聖徳太子暗殺論』ほか】
>ただし、これ以前にもこうした虚構説あるいは架空説は存在しなかった訳ではなかった。
>例えば高野勉の『聖徳太子暗殺論』(1985年)では、聖徳太子と厩戸皇子は別人で実は蘇我馬子の子・善徳こそが真の聖徳太子であり、
>後に中大兄皇子に暗殺された事実を隠蔽するために作った残虐非道な架空の人物が蘇我入鹿であると主張している。
551 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 01:13:43
確かにこれだけ有名な聖徳太子の一族が歴史の表舞台から忽然と消えるというのは
ありえないからね。蘇我一族なら辻褄が合う。
蘇我家や物部家などが古来より正統性があったが、藤原一族に取って変わった
。
例えば源頼朝から三代で源氏将軍が途絶え、親王を将軍として執権として
北条家が権力を握った。その後、同じ源氏の足利家が将軍家になる。
この北条家と藤原家はよく似ていると思う。藤原家も天皇を擁立して
権力を握るけど、生き残った蘇我一族や物部一族などの庶流が虎視眈々と復権を
狙っていたって不思議ではない。
だからこそ古事記や日本書紀などに違いがでたり、聖徳太子を立派な人間として
記述する必要があったんじゃないかな。一方を消す為に一方を美化する行為は
何度も歴史では繰返してる事だしね。
由緒正しい蘇我一族を退けるには、それ以上の正統性が必要になってくる。源氏じゃ
なければ将軍になれないのと同じで、藤原家のトリックが隠されているんだろう。
皇族でなければ皇后になれなかった慣習を崩したのも藤原でしたね
553 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 13:26:06
蘇我家を中心とした古事記と藤原家を中心とした日本書紀というこじゃないか?
古事記の正式名称は、ひょっとして大倭記だったりして(笑)
554 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 13:59:28
天孫族であった、物部氏や蘇我氏が天神族であった中臣氏や大伴氏によって
歴史の表舞台から消え日本書紀が出来上がった。
天神族の血が流れている天孫族を天皇して権力を握るようにしたんじゃないか。
555 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 15:45:31
wikiの記述出して他を説得するような億劫がりは古代史語るなよw
556 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 17:11:40
>>550 どうせなら、民博研究部教授等による、虚構説への反論も紹介しなよw
そちらのが多角的に考証していてよほど腑に落ちる。
557 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 17:35:49
>>555は2ちゃんに原文打ち込むほどよっぽどひま人なのかw真面目に職について働けよw
558 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 18:30:52
>>556 >民博研究部教授等による、虚構説への反論も紹介しなよw
腑に落ちる本人が紹介しなよw
>>556 腑に落ちてる人以外には出来ない仕事だとおもう
560 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 22:09:00
>>557 論拠が文献や論文じゃなくて安直にwikiってのがワロスってことじゃね?
概ね同意だね。
>>559 あ、それ言えてるよなw
・・・というより、分が悪いから紹介しないだけだろね。
561 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 22:11:15
分が悪いってのは、聖徳太子虚構説ね。
一時騒がれたけど、すぐ火が消えたよねw
矢追純一が好きな類の人には楽しめるんじゃない?
562 :
天之御名無主:2010/05/13(木) 23:47:56
>>560,
>>555 生年や没年、在位時期の西暦情報を参照してるだけだろwおまいらみたいなひま人じゃねーのよw
563 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 00:00:05
>>561 教科書の飛鳥時代史の記述から聖徳太子という名前が消えた件についてw
>>563 「教科書」と一括りに言うところが馬鹿っぽいけど、どこの日本史?
ちなみに五味文彦氏他編による山川日本史じゃ、聖徳太子の名を見るけどな。
565 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 01:15:08
>山川日本史じゃ、聖徳太子の名を見るけどな。
まさか美術品としての「伝聖徳太子像」の記載のことじゃないだろうなw
飛鳥時代の政治史中に生まれた直後に話したような非現実的人間が実在して皇太子として政治を摂ったと書いてあったら日本書紀そのままで笑いものだぜw
おいおいw
空威張りするにしても、
まず不用意なことほざいて突っ込まれたことを、フォローしてからにしたらどうだよw
どの教科書から記述が消えたって?w
それと、五味先生に文句垂れるだけの学者先生のようだけど、
日本語が不自由なようなので、最後の一文を説明してください。
すでに提示されてる、聖徳太子虚構説への批判を踏まえた上で。
ぶっちゃけ一文が長すぎて、何が言いたいのかわかりませんw
聖徳太子の政治
603年、冠位十二階の制が定められた。これは徳・仁・礼・
信・義・智の六つをそれぞれ大小にわけて十二階とし、冠の色
と飾りとによって階級を示したものである。これまでの代々う
(改頁)
けつがれる氏姓とはちがって、個人の功労に応じてあたえられ
る制度として、豪族を官吏に編成してゆく第一歩となった。し
かし皇族や蘇我氏には適用されず、豪族も畿内のものにかぎら
れたらしい。
翌604年、憲法十七条が制定された。これは君・臣・民の関
係を示し、臣(官吏)の政治に対する心がまえを説いたものであ
る。その際、政治の基本秩序を儒教にもとめ、それを実現する
心がまえとして仏教精神を強調しているが、現実の政情にてら
したかなり具体的な条文もある。また『天皇記』『国記』などの歴
史書が編集され、やがて”大王”にかわって”天皇”という称号
が用いられるようになる。
(皇室と蘇我氏の関係系図が別掲されている)
以上、該当箇所。
てか、笑える点なんてどこにもないんだが。
>>466 関に限らんだろそんなの。
日本古代史は人物A=人物Bだの神話中の神C=実在人物Dだのをこねくり回してるのがやたら多い。
ただ、論証や責任が無い分だけ気軽な面白さがあるという程度だな
569 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 07:15:05
良書は選んで読みましょうねってことでしょ。
歴史の考証は、なにも衆目を引くような新説をブチ上げることが目的じゃないんだし。
ただ、根拠の弱い仮定(しかもかなり飛躍した論法)の話を、
あたかも真実であるかのように巷間に垂れ流すのはいただけない。害が大きい。
そういう話でしょ。
関氏の古代史観がコンパクトにまとまってる集大成的な本を教えてください。
571 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 09:38:03
荒れる理由は、蘇我家から藤原家に代わっただけの話なのに、
その歴史的転換に支那人や朝鮮人が無理やり参加してやれ朝鮮の先祖がとか
支那の先祖がと嘘付いて自らの劣等感の鬱積を無理やり晴らそうとしている
ところかな。
日本史に朝鮮人、支那人はあんまり関係なのだが? 倭族の朝鮮支配と余族の
大陸支配は定説だからね。世界的に見ても定説です。
572 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 09:46:14
573 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 10:45:08
突飛なこと言い出す半島人については同意だが、
だからといって、言説の中身をみずに十把一絡げで
「日本の教科書は見ない方がよい」とするのは明らかに極論。
出版社や編者を見て自分で判断すべき。
574 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 12:51:08
575 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 14:05:03
LOGINが必要な動画なんか誰も見ないよw
576 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 15:24:07
>>567 >てか、笑える点なんてどこにもないんだが。
バカなやつw
聖徳太子の政治の項目に書いてあることは皆日本書紀の丸写しじゃないかw
日本書紀の記述が歴史的事実かよw
荒唐無稽な神話の世界の住人が現実の天皇の祖先であると臆面も無く嘘っぱちを並べる日本書紀に登場する非科学的超人の聖徳太子が政治を行なったなどと教科書に書くやつも書くやつだがw
それを日本書紀の記述が戦前から教科書に書いてあるから事実であると言い張るさらにおめでたい567みたいなバカもいるんだなw
577 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 18:53:23
>>576 馬鹿はおまえ。
なにも記紀のすべてが真実だなんて学者も言ってないだろw
諸事考究してそういう落とし所になってんだよ。
>>567の記述の内容だって、以前のそれと比べたらだいぶ表現がちがうってことも見えずに、
「記紀の丸写し」と、知ったかの暴論をぶつおまえこそ短見。
>>576 ただ小馬鹿にするのなら誰でもできる。
「教科書の記述から消えた」と断言した
>>563に対して事実を提示しただけだろ。
>>563の発言についての弁明はいまだに無いがね。
あるべき記述なり、反証なり出してごらんよ。
579 :
天之御名無主:2010/05/14(金) 23:36:12
>>578 2ちゃんで聖徳太子が日本書紀作者の作り話で非実在の人物だという関説を追求しているところに、
教科書に日本書紀の記述がそのとおり書いてあるから実在したと言い張るとんでもバカが
現れたからちょっと遊んでやっただけだがw
たかが2ちゃんで弁明とか反証とか、真性バカだなこいつはw
580 :
天之御名無主:2010/05/15(土) 01:16:40
というか何しに来てるの? 在日は半島に帰れよ。
聖徳太子は実在するが、蘇我氏ではないかと言ってるだけだろ。
聖徳太子は、母系に蘇我氏がめちゃくちゃ濃いし
その時代は、母親がお産の時に蘇我一族の家へ里帰りしてたんでしょう。
しばらくは、蘇我一族の家で育てられたとしたら、太子は蘇我氏カルチャーに染まってるだろうな。
582 :
天之御名無主:2010/05/15(土) 01:56:37
>>580 日本書紀が記す聖徳太子という超人は実在しない。実在しない超人の事跡を記した日本書紀は史料じゃない。
生まれも逝去も系図も本当の名も摂政として政治を行った事跡もすべて日本書紀作者の作り出した嘘である。
これが関説であって、彼はさらに蘇我入鹿が本名であると推理した。
その聖徳太子の正体=蘇我入鹿が人間の通常の寿命の範囲内で合理的に成立するかどうかを西暦でチェックしているだけだろw
583 :
天之御名無主:2010/05/15(土) 10:24:14
関氏の古代史観がコンパクトにまとまってる集大成的な本を教えてください。
本多すぎて、関氏が古代史をどうみているのか知るために
どれから手とっていいのかわかりません。
文庫やコンビニ版など大して高くないから
コンビニやブコフで買いあさればよかろう
586 :
天之御名無主:2010/05/16(日) 23:32:02
>>583 日本書紀に書かれたとおりに聖徳太子なる人物が政治を行ったと書く教科書を史実として盲信する度し難い戦前皇国史観バカw
587 :
天之御名無主:2010/05/17(月) 10:38:26
>>586 本旨で応答できなくなると、
話を逸らしたうえ、単なる悪態・中傷に帰着するしか能のない俗物。
挙げ句、なぜか戦前皇国史観とかw
その支離滅裂な単細胞っぷり。地金が見えてるぞw
>>579 > 2ちゃんで聖徳太子が日本書紀作者の作り話で非実在の人物だという関説を追求しているところに、
それは関の説と全然違う
関は非実在だなんて言っていない
実在の人間だけど、ウマヤドノオウジとは別人であろうと言うことを言っている
589 :
天之御名無主:2010/05/17(月) 18:27:23
>>584 「古代史」封印された謎を解く PHP研究所 2005年
古代史の謎100問100答 PHP研究所 2008年
が良いんじゃないかな
591 :
天之御名無主:2010/05/18(火) 09:54:33
PHPで出す本って玉石混淆だよな。
>>589 宣伝乙
てか、いうほどの比較などされていないし、
趣味の域を出ないありふれた個人サイトでした。
関が実在していないと言っているのは山背大兄王
聖徳太子は別人の良い話だけを抽出して美化したって言ってる
聖徳太子に関する、脚色され美化された伝説なんてのは
散々既出のことで、関がどうとか関係ないだろw
常識。
ただし、そのことから厩戸皇子(聖徳太子)が虚構であるとか、別人であるする説を導くのは
論理の飛躍で根拠も弱い、ただの電波。
595 :
天之御名無主:2010/05/18(火) 12:40:32
美化したってのは主張として掲げられたり根拠として使われている話なのだろうか_
596 :
天之御名無主:2010/05/18(火) 12:42:13
上宮聖徳法王帝説という本があるらしいが、聖徳太子はいつ頃出家したんだろうな
日本史上唯一の法王と呼ばれた世俗人?
598 :
天之御名無主:2010/05/19(水) 10:12:28
梅原猛氏も最新の著書で日本書紀古事記ともに藤原不比等が編んだ不実記載の書であると断定してるね
改変されたと考えられる記述が見られるというのは
記紀ともに散々既出の学説だが、不比等が編んだとするのは乱暴すぎるなw
それと、だといって聖徳太子の虚構説を資けるものでもあるまい。
>>599 改変じゃなくて不実記載
似ているようで全く違う話
>>600 不実記載に置換したとして何か変わるか?w
アリもしないことを書くのと事実を曲げるのは似てるよな
不実 赤松農水大臣は口蹄疫発生という事態を受け、外遊を切り上げて現地入りした
改変 赤松農水大臣は口蹄疫発生という事態を受け、帰国直後に現地入りした(講演の部分をスパッと無かったことにする)
それもそうだが、その別を勘案したところで、
>(だからといって)不比等が編んだとするのは乱暴すぎるなw
>それと、だといって聖徳太子の虚構説を資けるものでもあるまい。
という意見に無理が生じるとは思えない。
604 :
天之御名無主:2010/05/19(水) 16:16:56
いまだに日本書紀が史実を記録した史書だと思ってる皇国史観バカがうようよ涌いてるなw
たとえば日本書紀が記す長屋王などいなかった。いたのは長屋「親王」だ。発掘された木カンが反論の余地なく証明してるw
聖徳太子などいなかったのも同じ事。大王がいただけだ。
いもしない聖徳太子の政治を書いて同じ筆で蘇我入鹿の暗殺を書く日本書紀の記述を歴史と呼べるのはカルト信者だけだろw
稗田阿礼の正体は誰よ?
舎人28歳
古事記の著者
太安万侶が編集者
この情報だけでどうしろと。
606 :
天之御名無主:2010/05/19(水) 20:01:53
「皇国史観」連呼する馬鹿がまた沸いたなw
608 :
天之御名無主:2010/05/19(水) 21:35:21
考古学の知見を無視して捏造書の記紀文献解釈だけで歴史を語る馬鹿がまた沸いたかw
>>605 それ以外の情報を掘り起こさないと、どうにもならん。さあ、伝承の世界へGo!
>>608 その考古学の知見とやらの一端を開陳よろしくw
コピペでもURLでもいいよ^^
こんな過疎スレがえらく盛り上がってると思ったが、
書き込んでいる人は数日前から2、3人だな・・・。
612 :
天之御名無主:2010/05/20(木) 19:05:22
長屋「親王」の木カンという考古学上の証拠ひとつだけで記紀記述が信憑性ゼロ、はQ.E.D.
あほですか
>>610
>>610 ttp://inoues.net/club4/nisinokyo009.jpg あと逆に、日本書紀にバンバン登場していたけど非現実的とか神代のこととして無かったことにされていた出雲の勢力とか・・・色々ある
自分の主張に都合の良い部分だけ信じて都合の悪い部分は証拠不足として信じなかったり・・・ご都合主義だよな
邪馬台国に対しても九州説だ近畿説だとやり合っているけど、「100年近く研究して分かったこと=魏志倭人伝の記述からだと日本のどこにでも比定しうる」という態度って大事だとおもう
>>590 ありがとうございました。
まずは下の読んでみようと思います。
一子の変異工の文章がいい!
つまり、関氏の仮説は継ぎ接ぎの仕方が電波気味ってことでいいわけ?
617 :
天之御名無主:2010/05/23(日) 01:05:17
>>616 世の中の全ての仮説は電波ですよ
立証が電波だと仮説の立証は出来ず、事実に迫れませんが
619 :
天之御名無主:2010/05/26(水) 16:21:20
最大の電波は記紀じゃまいか?
620 :
天之御名無主:2010/05/30(日) 05:39:41
「物部氏の正体」は面白い
どう面白いか書かないと、何も書いてないのと同じじゃないですか。
独り言なら公共のスレに書かないでもらえますか。
情報価値はあるぞ
>>621よりははるかに
>>621 どう面白いかは読んで判断することで、
情報価値としては書名をあげているだけでも>>621よりははるかに公共の役に立つ
書名あげるだけでは全く情報価値はない。
あえて価値を認めるとしても、5行以上の感想が100点だとしたら「面白い」の一言なんて0.001点くらい
サルが寝言言ったのと同じ質量w
書き込みからお里が知れるね
>>621で下手なこと言って叩かれて
>>624で必死に抗弁
0.001点w
サルw
寝言w
質量www
小中学生かお前はw
↑
顔の筋肉だけで無理に笑わなくたっていいんだよ。
必死さが露呈するから。
必死な人が他人を必死認定しても滑稽なだけ
関理論で面白いのは結果としての主張ではなく、主張を導くために掘り起こしてきた傍証たちとその解釈の仕方の部分
「祟り」関連の記載は祟りを受ける心当たりがあったと筆者が見なしていたことと言える、的な部分とか
そういえば上宮王家の人々がたたって出てきたって話ってあるのか?
633 :
天之御名無主:2010/06/01(火) 12:04:15
>「物部氏の正体」は面白い
全国山々谷々津々浦々に一宮神社があるけど、藤原不比等以前の創建社は皆出雲(物部含む)系だのに
吉備地方にだけ主祭神が吉備津彦という出雲系でない一宮が二つもあって、記紀神話の中で特異的な地方になっている。
そこに着目して吉備こそが物部氏の本貫だとしたのがこの本の面白いところで、後は買って嫁w
634 :
天之御名無主:2010/06/02(水) 01:41:48
前方後円墳見たら分かる。近畿と吉備と出雲に大きな墓がある。
普通に考えて権力が集中していた事に。
新羅、百済は倭国を大国と仰ぎ・・・と記述されているので、もし倭国が
九州だとか近畿だけなら大国にはならない。前方後円墳が見られた地域全て
なら辻褄があう。
大倭国は、北海道と沖縄以外の本島と朝鮮半島南部に広がっているということ。
朝鮮半島にはどんな古墳が?
>>634 なんで大きいと権力が集中してたって言えるの?国力が大きかったとか生産力が大きかったとか人口が多かったとかなら分かるんだけど
637 :
天之御名無主:2010/06/03(木) 00:33:44
ここは小学校か?
近畿と吉備と出雲って古代で言えば集中じゃなくて分散じゃね?
>>634 日本のことなのか各地域のことなのかよう分からん書き方やな〜
九州だとか近畿だけなら大国にはならない。
という話と
普通に考えて権力が集中していた事に。
って話は論理的に考えると訳が分からない
641 :
天之御名無主:2010/06/04(金) 18:59:02
関の私見では大国主は住吉さんと同一、でしたっけ?
643 :
天之御名無主:2010/06/05(土) 15:13:17
アメノヒボコは?
644 :
天之御名無主:2010/06/07(月) 01:00:29
今でいう国家という概念でいうと大倭国の範囲は、本州、四国、九州から
朝鮮半島南部まで。 その中に権力が集中した場所があったって事だろ。
論理的だが。 倭族が住む地域を倭国圏と捉えて考えたらその範囲が国家
の範囲。
東に毛人を征すること五十五カ国、
西に衆夷を服すること六十六カ国、陵墓を平らげること海北の九十五国。
王道は安泰に調和し、国土を拡げ、京畿を遠く離れ、累代に亘って朝廷を尊び
歳に誤りなし。
道は百済に直行し、船舶を装飾する。
使持節、都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事
安東大将軍、倭国王を自称した。
という記述があるので高句麗の境まで倭族圏かもしれない。また前方後円墳や
倭式墓は、百済辺りに集中しているけど、実際は、都合が悪いので出てきても
埋め立てたりして隠しているみたいだな。
ソウル辺りでも見つかったみたいだし。
倭国の人々は水稲、紵麻の種をまき、養蚕して絹織物を紡ぐ。
薑、桂、橘、椒、蘇がある。黒雉、真珠、青玉(翡翠)を産出する。
翡翠は新潟の糸魚川周辺でしか取れないので倭国の範囲は広大であった事が
分かる。
>>644 日本では鉄を作る技術がなかった時代に
日本の近畿でも鉄製品が見つかるので、
古代朝鮮は日本列島に権力を及ぼすほどに
広大であったことが分かるわけですね?
分かります、論理的ですw
みんなそろそろ作山古墳とか造山古墳を思い出してあげようぜ
648 :
天之御名無主:2010/06/07(月) 10:19:29
>電波説明があって初めて話が繋がる時点でおかしい話
もともと最大電波の記紀の記述ではまったく論理的につながらなかった話をつなげる論理が一つ見つかったという話
論理的という言葉の意味と使い方を知らないのはkotobankを引っ張ってきた
>>645のほうだねw
644、乙
650 :
天之御名無主:2010/06/07(月) 11:33:22
646のような、在日朝鮮人が電波だな。
今の朝鮮人は、古代朝鮮半島には居なかった。
後から大陸から南下してきただけ。
651 :
天之御名無主:2010/06/07(月) 15:16:48
>>647 >作山古墳とか造山古墳
物部=吉備という説の補強としては、ニギハヤヒの神が天の磐舟からヤマトへ飛び降りたという天の磐舟が
吉備の中山にある石舟神社の石舟の石棺と関連付けできないかどうか、のほうが興味をそそられる話だね。
サイズ的に大王稜と同等に近いってどういうコトなの!?
653 :
天之御名無主:2010/06/07(月) 18:37:21
654 :
天之御名無主:2010/06/08(火) 00:07:51
何気に世界最大のお墓がある日本って凄いよな。
657 :
天之御名無主:2010/06/08(火) 09:24:17
>>657 推理って…同類だと言われているだけのことだと読み取れない訳ねw
657は一体何と戦っているのだろうか
自分が常識だと思っていたものが説明すら出来ない己の無力さとだろうか
まだ夏休みじゃないだろ
>>653みたいな
小学生はちゃんと学校逝けよ
661 :
天之御名無主:2010/06/09(水) 23:12:25
まー2ちゃんはあほだらけだからなw>658,659,660
どれだけ隠しても滲み出る本性w
隠す気すらないんじゃね?
664 :
天之御名無主:2010/06/11(金) 20:45:53
>662
小学生には知性というものがわからんのも無理はないw
まー2ちゃんに知性を求めるほど幼稚じゃないからおまいら勝手にバカ晒しとけw
知識が晒せない人が何を言っても無駄だな
知性を晒そうとしないことと
知性のなさを晒すことは別なんだけどね、
>>664
667 :
天之御名無主:2010/06/14(月) 23:58:04
>>667 そうやってまた知性のなさを晒す
知識や論の引用に相応の運用能力がないと
かえって知性の欠如に見えるよ
通説とか常識とかに則って語るべきところで
関氏本のページを出すのは
やっぱり知性が欠如しているのだろう
670 :
天之御名無主:2010/06/15(火) 08:59:39
オレも人のことは言えないが、お前ら本ばっかり読んでないで、
全国の遺跡見てきたらどうだい?
善徳辺りまで理解してる奴らは、現地での調査した方がいいのではないかい?
地図もいいけど実際に山や谷、海を見てみなさい。
671 :
天之御名無主:2010/06/15(火) 09:02:13
>関氏本のページを出すのは
関氏と他の人を区別する知性も認知力もないのかw哀れなやつw
672 :
天之御名無主:2010/06/15(火) 14:21:57
>善徳辺りまで理解してる奴らは、現地での調査した方がいいのではないかい?
善徳=聖徳太子とすると奈良法隆寺周辺はかなり念入りに不比等一派によって事蹟が隠滅されているはず。
奈良を調査するなら何処がいい?
兵庫県太子町や愛媛県道後温泉は聖徳太子関係の事蹟があるが善徳と結びつけるのはなかなか難しい。
あと備後一宮吉備津神社には厩戸皇子神社の摂社があるがそれは何故かな?
あの時代のことについては事蹟を訪ねてもわかることは少ない。
やっぱりあとは本読んで推理するしかないんじゃね?w
>>670 関に会いたければあそこら辺うろうろすると良いらしい
674 :
天之御名無主:2010/06/17(木) 07:22:07
オレも人のことは言えないが、お前ら学研「ムー」ばっかり読んでないで、
全国の遺跡見てきたらどうだい?
妄想捜査官マクモニーグルすら日本で現地調査してるんだ。
負けちゃダメだ!!
675 :
天之御名無主:2010/06/17(木) 08:33:38
おいおい今古代史的に重要な九州の遺跡には口蹄疫で立ち入れないばかりか
宮崎には家畜の死骸が古墳を破壊して埋められてんだぜw
それに全国の重要な古墳は宮内庁が立ち入り禁止にしていやがるが、こんな非科学的な
迷信妄想因襲国家など世界中見渡しても日本以外に無いぞw
まだこの国は怨霊を利用した藤原一族に支配されてることに気づかない茹で蛙の国なんだなw
現代日本は未開の古代エジプトかいw
>>675 どこの世に、先祖の墓を暴かせて平気な国家があるんだい?
エリザベス女王の墓を暴く許可が英国でも出るんかい?
世界各国で古代墳墓の発掘がなされているのは、墓守が居なくなっているからだぞ
677 :
天之御名無主:2010/06/17(木) 11:53:55
>>676 >エリザベス女王の墓を暴く許可が英国でも出るんかい?
エリザベス女王(もちろん先代w)の墓は被葬者がはっきりしているから変質者か盗掘者以外誰も暴かない。
小学生にも劣る非常識なことを書くなよw
>>676 英国の「エリザベス女王の墓」と違ってその古墳の被葬者が誰で本当に今上天皇の先祖の墓かどうかもわかっていないものを、なぜ宮内庁が私物化してるんだ?
それに先祖が古代天皇だとしても戦後天皇は憲法上象徴だから私有財産に対する所有権財産権も本来憲法上認められていない。
宮内庁が古墳を管理するなら古墳の被葬者に関するれっきとした科学的証拠史料と系図を国の内外に広く公開する義務がある。義務を果たせよ宮内庁。
>世界各国で古代墳墓の発掘がなされているのは、墓守が居なくなっているからだぞ
墓守がいなくなっているのは日本の古墳もおんなじだがwそれが証拠に盗掘されまくっているだろw
発掘と盗掘を同列で語るんだったら、盗掘するように学者をけしかけないと不味いだろjk
679 :
天之御名無主:2010/06/17(木) 14:11:11
被葬者がはっきりしていなければ掘り返してOKってどこの人でなしの理論?
>>677 > 宮内庁が古墳を管理するなら古墳の被葬者に関するれっきとした科学的証拠史料と系図を国の内外に広く公開する義務がある。義務を果たせよ宮内庁。
支離滅裂なはか荒らしの理論だな
どこの法律にそんな公開義務が規定されているのやら
宮内庁法
第二条 宮内庁の所掌事務は、次のとおりとする。
十二 陵墓に関すること。
天皇稜(その推定埋葬者はほぼデタラメ)がタブーにされてるおかげで、日本の古代史はまったく研究が進めず、
トンデモ電波が百花繚乱する状態なのは非常に歯がゆいのは確か
683 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 00:21:55
>>681 >どこの法律にそんな公開義務が規定されているのやら
日本国憲法を知らんのかw日本の小学校を出てるのかいオマイw
>>683 関連条文出してみろよw
出来もしないくせに
みにくいのう
科学的証拠史料を国の内外に広く公開する義務
系図を国の内外に広く公開する義務
これが憲法のどこに書いてあるのやらw
687 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 06:47:37
天皇は象徴であると銘記されている。
天皇は象徴であって国民ではない。憲法が定める国民主権の主権を持てない。
主権の中には国籍を持つ権利、私有財産権および相続権、職業に就く権利、納税の義務等がある。
日本国民ではなく象徴である天皇には憲法上主権が無く、日本国土上の所有権財産権の基礎となる戸籍を持たない。
戸籍が無いため日本国土のいかなる土地建物の登記も行えず所有権も相続権もないのが天皇家。
天皇家の祖先の墓が古墳であるなら天皇が墓参をすればよい。
古墳が天皇家の墓だというなら毎年天皇が墓参りすることでのみ正当性が証明される。
英王室がイギリス国教会の墓地にある先祖代々の墓に墓参しているのと同じように。
ところでイギリスに古代の王墓遺跡を王家の所有物私有財産であるとして納税者国民が
一歩も立ち入れないように管理する宮内庁なんてないぜ。
2ちゃんの連中は日本語も読めないから日本国憲法も読めないんだなw
なんだ、この電波?
689 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 08:27:57
小学校くらいちゃんと行けよ、無料なんだからw
>>688
条文出せと言われて一切出せないくせに遠吠えしない方が良い。恥ずかしいぞww
691 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 09:50:55
>>690 宮内庁法の憲法上の根拠条文を先に出してみろw出せなきゃほんとに恥かしいぞwww
立証責任から逃げ回る自称・歴史の達人w
4:主観で決め付ける →宮内庁には義務がある
? 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる →根拠となる物や法律を出さない
? 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める →憲法を持ち出すが5のとおり
?
? 9:自分の見解を述べずに人格批判をする →小学生w
?
11:レッテル貼りをする →小学生の巣
? 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す →だったら皇室法の憲法〜
?
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする →義務w
結構当てはまるな
俺的には詭弁と言うより朝鮮闘法の方がしっくり来る。反権力主義者がよく使うw
流れを元に戻してみんとす
新・古代史謎解き紀行 消えた蝦夷たちの謎 東北編
って面白かった?
695 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 12:23:37
誰が逃げ回ってるって?w
無縁の者は度し難しというが、無知の池沼も底無しのようだなw
それとも2ちゃんに出没する宮内庁の官僚かな?必死だなヲイww
>宮内庁法
>第二条 宮内庁の所掌事務は、次のとおりとする。
> 十二 陵墓に関すること。
まず、「陵墓」の定義が書いてないぜ。なにを根拠に誰が陵墓指定しているんだ?wもちろん宮内庁職員如きに陵墓指定する権限などないけどなw
次に、所掌事務の具体的内容が書いていないが、墓守りのことか?墓守はふつう墓の掃除をして墓参者に被葬者と被葬の経緯を説明するのが仕事のすべてだ。
軍事施設じゃあるまいし立ち入り禁止考古学調査禁止する権限の根拠はどこに書いてある?ww
天皇家もお気の毒に。宮内庁みたいな血筋もない役人風情に日本国憲法で失った天皇家の資産を勝手に私物化されて。
宮内庁官僚は平安時代に天皇の生き血を吸ってのさばった藤原家みたいなものだなw
関裕二もお気の毒に。
>>695みたいな常識もない粘着荒らし風情にスレを勝手に私物化されて。
697 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 12:35:15
↑
この程度の人間が煽っています
指定する権限がないって・・・w
宮内庁が新たに治定したものってどれだけあるんだか
700 :
天之御名無主:2010/06/18(金) 23:03:31
宮内庁が皇后陛下をいじめ続けてきたこと、皇太子殿下ご一家をいじめ続けて
いることは海外にまで知れ渡っている周知の事実。
そんな宮内庁に存在意義などあるのか?
答えてみろ宮内庁官僚幼稚園児どもw
701 :
天之御名無主:2010/06/19(土) 02:49:22
先ず、不法入国者の在日朝鮮人を強制送還してからだな。
清国の植民地だった朝鮮半島の李氏王朝は、朝鮮女性を強制連行し
宗主国に貢いだ。
朝鮮女性は両班や清国や明国の慰安婦だったのである。しかもなんと、慰安婦は世襲制であった。
また、朝鮮王は、なんと清国や明国の使者に対して土下座をしていたのである。
一国の王が単なる使者に対してである。
朝鮮の奴隷外交は1000年近く続き、生き地獄のような世界だったのである。
702 :
天之御名無主:2010/06/19(土) 08:43:08
>>701 涙目で話を逸らす糖質宮内庁幼稚園児完了乙w
関裕二の古代史論が胡散臭い
704 :
天之御名無主:2010/06/19(土) 21:54:58
藤原氏の記紀が一番胡散臭い
705 :
天之御名無主:2010/06/21(月) 09:50:47
>>702
涙目ではなくて真実だから。現実から目を逸らさないでね。
706 :
天之御名無主:2010/06/21(月) 13:00:32
>>705 宮内庁官僚の悪どさと何の関係があるんだねw
きみこそ宮内庁官僚が藤原氏と同じ天皇家の生き血を吸う存在である現実から目を逸らさないでね。 w
707 :
天之御名無主:2010/06/21(月) 17:25:20
在日が皇室を語るなということ。
708 :
天之御名無主:2010/06/21(月) 19:09:12
藤原氏は関氏古代史論によると百済からの渡来人らしいなw
ある意味、関の論の根幹をなす現象だから、それが完全否定されると全てが崩れる
無視している他国史料の検証とかしてるのかなーとは思う
あの時代の話なので完全ってのは無理ではあるが
(別人・誤認・替え玉・実は替え玉の方が戻ってきたなど妄想の余地は消せないもんな)
710 :
天之御名無主:2010/06/21(月) 22:13:56
>関の論の根幹をなす現象
藤原鎌足=百済王子余豊章 & 蘇我入鹿=聖徳太子
だよなw
これが成立するかどうかを検証するのが知的推理ゲームであり、関裕二の古代史論が「面白い」の源だわなw
711 :
天之御名無主:2010/06/22(火) 00:28:26
>別人・誤認・替え玉・実は替え玉の方が戻ってきたなど妄想の余地は消せないもんな
これは白村江の戦前後の藤原鎌足が別人であったはずはない(別人なら隠せない)からその妄想の余地はないだろw
712 :
天之御名無主:2010/06/22(火) 07:05:25
昨日、山口県の彦島に行ってきた。
シュメール人がいたようだ。
天皇はシュメール人かもしれない。
713 :
天之御名無主:2010/06/22(火) 10:16:08
天皇と彦島の関係はなにか文献や史料があるのか?
>>710 蘇我入鹿の方はどうなんだろ?それを根拠とした仮説ってなんかあったっけ
藤原の方は「だから日本書紀をコリエイトしたのだ」とか「だから一氏族一高官の慣習を破った」とかあるので土台にしちゃってる
715 :
天之御名無主:2010/06/23(水) 08:42:10
百済は今の朝鮮人とは関係がないということを、朝鮮人は理解できないみたい
だな。
全裸道差別という慣習がかの国にはあってだな・・・・
717 :
天之御名無主:2010/06/23(水) 15:15:04
宮内庁は藤原氏同様天皇家の生き血を吸って国土を私有化してることを涙目幼稚園完了は理解できないみたいだな。
718 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 08:19:53
宮内庁は直ちに明治以前の陵墓すべてに考古学調査団の一斉立ち入り学術調査を認めろやw
719 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 18:19:35
支那人、朝鮮人は墓を掘り返すというのが古来からの文化らしいね。
なのでそのような発言してる人は、日本人じゃない場合が多い。
720 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 18:20:55
それから天皇家に対する暴言は、名誉毀損で逮捕されるぞ。
一般人や芸能人じゃないんだから。
罪は当然重くなる。
721 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 19:02:01
天皇家に対する暴言?宮内庁官僚の所業に対する告発は天皇家を尊ぶ発言そのものだぜw
おまえこそ言葉に気をつけろw
>>720
722 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 19:27:09
それに考古学調査団のほうも初期平安時代以後の陵墓には誰も立ち入らないさw
723 :
天之御名無主:2010/06/24(木) 22:15:22
天皇家の墓を発掘する事が天皇家を尊ぶってwww
朝鮮人は馬鹿だな。
>>723 天皇を崇拝するのは自由ですが
天皇は馬鹿だな、と言われたらどう思いますか?
発言に気を付けなさい。
お前ら気持ち悪いよ
726 :
天之御名無主:2010/06/25(金) 08:43:54
大和民族は、倭族、越族、満州族、シュメール族の混血。
朝鮮民族は、ユウロウ族やワイ族系なんだから参加してくるな。
古代朝鮮半島は大和民族が支配していた。 朝鮮族は後から大陸から南下して
きただけの話。 なので日本の歴史とはあんまり関係がない。
727 :
天之御名無主:2010/06/25(金) 16:20:49
民族が違ったら研究しちゃいけないって偏狭な屁理屈は
一体どっから出てくるんだ?
民族や権威の前に盲目になって議論すら妨害するなら、
お前は考古学をやめて街宣車にでも乗って喚き散らしてろ。
朝鮮人がどうのこうのと、大声で同じ事言って来い。似合うぞ。
他民族の文化を研究して発掘調査してた不逞な野郎、
吉村作治は日本人ではないんだろうな。朝鮮人かあいつは。
それにしてもエジプト人は寛大だなあ。
吉村先生はエジプト人だろ言わせんな恥ずかしい
伝統を保っている一族の先祖の墓を暴けなどという墓泥棒の理屈には荷担しない
730 :
天之御名無主:2010/06/25(金) 17:30:11
宮内庁官僚は天皇家とは血筋でもなんでもない馬の骨の集まりだから、
採用試験は
1.実技試験:イギリスの王室の執事試験にパスして3年間王室の執事として務めた英王室発行の職歴証明書が必須。
2.学科試験:日本国憲法を全文暗誦できれば合格。
3.前記の1.2.を共に満たさない者は即クビ。
これだけでいいw
731 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 01:15:29
街宣車に乗って騒いでいるのは朝鮮人だろ。 日本人じゃないよ(笑)
今現在、存在している皇室について調べるのは他民族がする事ではない。
朝鮮王について調べたらよいだろ。 日本に関わるな。
732 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 01:47:25
>今現在、存在している皇室について調べるのは他民族がする事ではない。
だからその理由は?お前には論理性ってものがないのか?
論理より感情優先の文系だから仕方ないか。
街宣車に乗ってるのなんてナニ人でもいいんだよ。
お前がやってる議論の妨害は街宣右翼と同じという事だ。
大体誰も朝鮮人なんて名乗ってないしな。
気にくわない者は朝鮮人認定して、理由なく排除。
お前こそが街宣右翼の張本人の朝鮮人じゃねえのか?w
朝鮮人叩きについては朝鮮人叩きの動物園でやってこい
733 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 07:02:34
朝鮮人は日本の皇室と関係があると勝手に思いこんでいるからこそ色々調べよう
としているが、関係のないものは関係がない。日本人として迷惑。
朝鮮王をもっと調べたらいい。もし日本の皇室と朝鮮が関係なければ
調べようとしないだろ? 関係があると思っているからこそ調べようとする。
それは論理じゃなくて感情じゃないのか?
朝鮮族に近い民族は、漢民族、モンゴル、オロチョン、エベンキなど大陸に
生きていた民族。
大和民族に近い民族は、台湾族、回族、チベット、セルビア、ポルトガル、ロシア
など遺伝子で分かってきている。
734 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 11:56:15
おいおい蘇我入鹿=聖徳太子はどうなったんだw
735 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 19:19:45
台湾族て何すか?
736 :
天之御名無主:2010/06/26(土) 22:44:42
>>733の理屈でいくと
吉村作治はエジプトの王権と大和民族を結び付けようとしていたんだな。
頭おかしいだろw
>もし日本の皇室と朝鮮が関係なければ調べようとしないだろ?
いや普通に調べるだろ。お前ほんと、中卒だろ。
737 :
天之御名無主:2010/06/27(日) 00:49:27
エベンキと朝鮮人は一番近い存在なのでエベンキをもっと研究したらよい。
それか山東省辺りの漢民族。
蘇我一族は、倭族で朝鮮半島南部を支配していたという事。
738 :
天之御名無主:2010/06/27(日) 01:02:26
なんか日本中のトンデモ大集合みたいなスレになってんなw
739 :
天之御名無主:2010/06/27(日) 09:15:18
宮内庁は皇族がやるべきじゃないのか? GHQに離脱させられた旧宮家も
含めて。
皇室の品位を保つ為には、一般人にすると在日とか入って色々面倒になりそう。
740 :
天之御名無主:2010/06/27(日) 09:28:21
大陸は他民族が支配し、元々そこに住んでいた人々が他民族
に同化していった歴史の繰り返し。なので文化や宗教が入れ替わる。
日本は、他民族が上陸しても倭族に同化していった歴史。なので
文化や宗教は数千年変わらない。
741 :
天之御名無主:2010/06/27(日) 17:33:12
742 :
天之御名無主:2010/06/28(月) 01:31:25
戦前は、侍従長が置かれ、徳大寺実則・河瀬真孝・東久世通禧の3人が任命された
名誉職だからいいのでは? 徳川一族や華族などが歴任したんだから違和感ないけど。
743 :
天之御名無主:2010/06/28(月) 08:34:08
侍従長じゃなくて、実際に天皇家の日常の身の回りをお世話する下っ端侍従職はどうするんだ?
>>732 価値論題を始める奴らこそ、文系w
理系のくせして価値論題を挑むなんて馬鹿としか言い様がないw
745 :
天之御名無主:2010/06/28(月) 20:51:18
>>742 >戦前は、
ちょ、おま、何歳?w
戦後60年だぜいまw
746 :
天之御名無主:2010/06/29(火) 00:33:57
侍従職は、身元調査の上一般からだろうな。
戦前の話したからって年齢を考えるってどんだけ偏ってる頭なんだよ。
747 :
天之御名無主:2010/06/29(火) 08:28:40
憲法が全然違うだろうがw
戦前どおり違和感ないってどんだけ憲法破りな偏ってる頭なんだよ。
それとも日本の義務教育うけていないのか?ならしょうがないがなw
748 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 05:30:29
今の日本国憲法って英文から始まるんだよ?
さっさと変えるべき。
749 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 09:55:56
英文で始まろうと今の憲法が日本国憲法。
自国の憲法を無視して日本国民でいられると思ってるのか?
750 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 11:35:19
日本の義務教育は、北朝鮮から勲章を貰っている日教組に牛耳られている。
今の日本国憲法はGHQによって押し付けられた憲法である。
今の憲法に対して賛美している人達は、支那人や朝鮮人としか思えないな。
本当に日本人なのか?
日本人が作った憲法こそ日本国憲法だろうが。 2週間でアメリカが作った
憲法がそんなに素晴らしいと思っているの?
何が自由と権利だよw 日本は権利と義務の社会なんだよ。自由は数千年の
昔から存在しアメリカ独立戦争なんて日本には無かったから、態々書かなくても
よい代物。
751 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 14:35:22
752 :
天之御名無主:2010/06/30(水) 16:15:30
>>750 憲法を捻じ曲げて解釈して守らなくてよいと勝手に放言し、天皇家の生き血を吸って恥じるところが無い。
まさに非国民、まさに法匪の所業だねw>宮内庁涙目幼稚園完了
753 :
天之御名無主:2010/07/05(月) 11:49:31
レベルが低すぎてコメントする気がなくなる・・。
754 :
天之御名無主:2010/07/05(月) 21:23:39
法匪とは官僚のための言葉だよwこんくらいの教養はあるだろうw
図星過ぎて反論できないだけだろ涙目幼稚園宮内庁w泣きながらママんとこへ帰えってオシメ換えて貰いなw
しょんべんたれの憲法も覚えられないようなガキはもうここに来るんじゃないぞ、シッシッw
斎藤忠って人のが何冊か本屋に平積みになってたけど、おもろい?
目次見るとタリシホコ帝がどうのこうのと書いてあった
読解力が無く、ただ単に気持ちの悪い言葉にだけ脊椎反射していった結果たどり着いたもの→「法匪とは」
757 :
天之御名無主:2010/07/06(火) 19:36:35
758 :
天之御名無主:2010/07/06(火) 19:46:56
759 :
天之御名無主:2010/07/07(水) 09:45:00
朝鮮人は本当に劣等民族だよね。 嘘、捏造を繰返してお金を請求し
そのお金は自ら生み出したとまた嘘を付く。
竹島を不法占拠し自国領と叫ぶ。戦後、土地を奪ってパチンコを始めたのと
全く同じ。 遺伝子がそうさせるんだろうな。
支那の奴隷の方がよっぽどお似合いだよ。折角、日本が独立させてあげたのにね。
感謝どころか日本に噛み付く。
キチガイ民族。
法匪などという辞書を引けばすぐに分かるような言葉に関して、何かそれで他人を辱めることが出来ると思っているやからの跳梁跋扈
>>758 おもろいサイトですね。
「「脊椎」とは、要するに「背骨」のこと。」って言い切ってる辺りがとても面白いです。
常人には思いつかない感覚です。
類は友を呼ぶとはよく言ったものじゃないでしはょうか。
762 :
天之御名無主:2010/07/07(水) 12:43:51
>>761 >類は友を呼ぶとはよく言ったものじゃないでしはょうか。
日本語にない表現ですが、どの辞書引けば意味がわかるのでせうか?w
764 :
天之御名無主:2010/07/07(水) 14:45:17
>>763 もしもし、漢字は本来の日本語ではありませんよwひらがなかたかなが由緒正しい日本語ですw
761の「ないでしはょうか」は大辞泉でも大辞林でも引けませんがなにか?www
763は日本の小学校ちゃんと出ていますか?
文字と言語を混同するのは半島人の修正です。悪い友達を持ってはいけませんよw
766 :
天之御名無主:2010/07/07(水) 18:21:45
>>765 しかし宮内庁涙目幼稚園お漏らし官僚の法匪脊髄反射習性はどうすれば修正できる?www
とりあえず宮内庁官僚業務はとっても務まらないから、ゴジラの館でしょうがくせいコースからやり直したら?
ひらがなでかいてやればどんな低能な涙目幼稚園お漏らし官僚でもにほんじんであればよめるだろうw
古式ゆかしい日本語を使うのがアイデンティティなら濁点や半濁点は恥ずかしくて使えないはず・・・だよな?w
768 :
天之御名無主:2010/07/07(水) 21:27:22
>>767 おいおいゴジラの館の小学生コース未修了者の分際で日本語を語るなよ、PCレベルの数少ない当用漢字でさえまともに使いこなせてない無教養者の法匪お漏らし涙洟汁愚者愚者官僚くんwww
懲戒免職喰らう前にさっさと辞職したほうが金のためだぜwww
煽ろうとして失敗して恥ばっかり晒してるのがいるなあ
どんだけマゾなんだw
770 :
天之御名無主:2010/07/08(木) 05:44:35
>>769 あんだけ誤字脱字無知無教養タイポ不器用の日本人の恥をめいっぱい晒してまだ蛙の面にションベンかwww
茹で蛙とはよくいったものだwまあすべからく銭の亡者は恥など知らぬと相場が決まっているがねw
餓鬼道に落ちるとはそういうことなんだよ、かわいそうだがしかたがないね金蠅のごちそうはウンコなんだからw
(金蠅スマソ銭の亡者餓鬼官僚なんかの最下品に譬えて迷惑かけたが許してくれよ)
最後に教えてやるがw日本語を正しく使えるようになるためには小学校からやり直すといいぜw
「煽る」も「失敗」も「恥」も「晒す」も「マゾ」も全部使い方間違ってるからw日本の恥そのものじゃん
>>769w
771 :
天之御名無主:2010/07/08(木) 20:41:22
日本の伝統芸「内ゲバ」のお稽古ですね、よくわかりますw
772 :
天之御名無主:2010/07/09(金) 17:09:45
本来あんたら何がしたい?揉めたいが為の言いがかり?取り敢えずケンカしたいの?
773 :
天之御名無主:2010/07/13(火) 21:11:02
ん?漏れは天皇家を苦しめる宮内庁をぶっ潰して日本国の明るい将来を開こうとしてるだけだぜw
>>773はバカの一つ覚えでみんなの印象に残りたい・かまってもらいたいだけ。
コミュニケーションに飢えた引きこもりのかまって君です。
775 :
天之御名無主:2010/07/14(水) 08:08:45
引きこもりがコミュニケーション取れないのに無理やりかまってもらおうとワラワラと集まってる2ちゃんが哀れなんでw
ちょいと賢明さとはどういうものかを可哀相な低能宮内庁ヒッキー官僚に教えてやってるだけだがw
あいかわらずこのありさまです
2chで構って貰うことで宮内庁が倒せるなんて、さすがはにちゃん
官僚や宮内庁なんて社会の上層階級の超勝ち組が2ちゃんやるわけない
視野が狭く思考パターンが貧相な、社会の底辺バカウヨ君は腐るほどいるが
真剣に相手をしてやるな、調子に乗るぞ
関仮説の中では「神武天皇=応神天皇&神功皇后=壱与&武内宿禰=大物主」の当たりがセットになっていて楽しい
大田田根子=神武?継体?とか思えちゃったりして問題かもしれませんが
781 :
天之御名無主:2010/07/16(金) 18:48:48
久々来た。
荒れてた。
関、歴史街道の下書きできたか?
何冊か読んだけど
1・話があっちこっち飛びすぎて頭が混乱する
特にヤマト建国のあたりの時間軸が
一度関説を纏めた年表みたいなの出してほしい
2・文章が攻撃的すぎる
うっかり藤原氏に関係する人が読んだらとかいらない心配してしまった
もう少しソフトな言い方できないものか
3・可能性でしかないものを絶対の事実のように語る
現場を見ることができない以上どんなに蓋然性が高い説でもこれが真実とは言いきれないのに断言してるのか微妙
例えば赤兄が流罪で済んだのは密かに天武の味方だったからと説明してるけど
流罪が重いか軽いかは人によって感覚違うし天武が同族(関説では)のよしみで恩赦をあげただけかもしれない
どうかと思ったのはこの3つかな
説事態はこんな考え方もあるんだって感じでおもしろかった
あと中大兄皇子の幼名(本名)が葛城皇子で葛城氏や葛城山との関係がありそう
(名前の繋がり重視の関説基準でいくとあると断言されてもおかしくない)
なことにはどんな説明ついてる?
やっぱ別人説?
>>782 > 一度関説を纏めた年表みたいなの出してほしい
オレも希望w
> 3・可能性でしかないものを絶対の事実のように語る
逆に、多くの学者のこう・・・持論を明確にせず、行間を読んでくれ的な態度に辟易している人もいるので、どれがいいという解は無さそうな部分だとも思います。
> (名前の繋がり重視の関説基準でいくとあると断言されてもおかしくない)
繋がり重視と言うよりも、目に見えない関係をあぶり出す時にはそれをよく使ってる感はあるね
でも葛城が葛城氏の地盤だったのは6世紀まででは?
784 :
天之御名無主:2010/07/21(水) 07:14:46
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ィ彡三ミヽ `ヽ ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
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ノ _/ / / |:. :.:.:.:.:.:.:|
785 :
天之御名無主:2010/08/06(金) 12:14:19
日本最大の銅鐸出土を誇る出雲の扱いの悪さったら、もう
荒神谷遺跡の発掘で何か古代史の解釈は変わったん?
786 :
天之御名無主:2010/08/13(金) 19:22:53
関裕ニぐらいなことは俺はすぐに思い付いた。スサノオが蘇我氏で、
アマテラスは推古天皇だとかいうやつだろ?
俺の想像では、蘇我氏は当時の貴族達が嫌がるような政治改革を目論んで、
推古天皇の夫になることによって、その野望を実現しようとした。推古天皇を
力ずくで犯すことによって夫になろうとした、いささか強引な方法ではあっ
たが。だが、中臣鎌足らの反対派貴族達によって潰されたと見る。
後に道鏡が藤原氏によって追放されたのと似たケースだったのではないかな?
だが、こういう想像はいくら面白く、読者の興味を惹いたところで、証明する
までには到底いたらないだろう。何十億という資金と、遺跡発掘の権利がなけ
れば、調査は不可能だし。
関裕ニは小説を書いてみれば良いと思うよ。
>>786 > 関裕ニぐらいなことは俺はすぐに思い付いた。スサノオが蘇我氏で、
> アマテラスは推古天皇だとかいうやつだろ?
的外れw
788 :
天之御名無主:
古代史はほら吹きの巣窟だ。