水木しげる自伝に記録される「慰安婦狩り」の実態

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1天之御名無主:2007/03/28(水) 21:52:28
戦争体験者の本読むとこういう描写はいくらでも出てくるわけですが、いまさら慰安婦強制はなかった、とか言う珍説が出てくるのは、こういう真実の目撃者が亡くなって記憶が風化していっているということなんでしょうね。
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終戦後、ぼくが武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)へ通うために、金がなくて、月島で魚屋をやっていたころの話である。
 仲間に山野という男がいて、彼はぼくの顔を見るたびに、姑娘の話をするのだった。姑娘とは、中国語で娘さん″というような意味だが、中国大陸で戦った兵隊にとっては、なんとなくなつかしい呼び名である。
 ある日、山野氏が例によって姑娘の思い出を話しはじめた。
 ―そうやなあ、わしが分隊長で、ある村に行ったときのことや。村長の娘がえらいべッピンやと聞いたもんやから、兵隊連れて、早速おしかけたんや。なにしろ、そのころは、娘探すのが仕事みたいなもんやったからな。ところが、村長は「そ
んなもの、おらへん」といいはる。あたりまえやな、いるちゅうと、日本兵は娘をつれていってしまうんやから。それから、どうされるかは、いくらノンビリした中国人でもわかるわな。(中略)せっかく来たのに手ぶらやなんて、おもろうないわな。
ムシャクシャしてるので、倉の中に一発ブッ放した。
 そしたら、あんた、倉の箱の中で、コトッと音がしてだれかおるような気配がする。すぐ開けさせて調べたら、おった、おった、ものすごい美女がおるねん。どうやら村長の娘らしかったが、広東の大学を出て帰ってきたところだったらしいわ。
 村長以下、涙を流しながら連れていかんでくれ″いうとったが、俺も含めてみな若い。なにいいくさる! てなもんで、引き連れて帰ってきた。
 俺の部屋に一カ月くらいおったろうか、ある夜、妙に真剣な顔で、
あなたと、一度契ったからには、妻となり、どこへでもついていきます〃といいよる。
 俺の中隊に出発命令が出たのに、
一度、日本人の男に抱かれた女は、帰る所がない〃
 というて、俺の側から離れへん。(水木しげる自伝『水木しげるの不思議旅行』)
2天之御名無主:2007/03/28(水) 22:14:40
近代史板に持って行った方が、盛り上がるんじゃない。
水木しげるは、この板に出てくることもあるけど、
従軍慰安婦問題を本格的に議論する人は、余りいないんじゃないかな。

オーラル・ヒストリー論ということならば、民俗学とも関わるのだが。
3天之御名無主:2007/03/28(水) 22:35:54
板違い
終了
4天之御名無主
片輪なのに自分のやりたい職業に就くために遮ニ無ニなれるって、
えらいエネルギーと生きるガッツがあるよなあ…
どこか他人に対してよそよそしい考え方あるし、戦地でタフになったのか?