1 :
天之御名無主:
これらは日本人の精神性を表現していると思うのですが、
古道と民俗学はあるがままの自然体としての日本人の有りかた
の研究という感じがするのですが、武士道となると古道でいう
漢心つまり儒教的影響による作りものというイメージがあります。
どう思われるかご意見お願いします。
2 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 05:36:09
# こ‐どう【古道】別ウィンドウで表示
1 古い道路。旧道。2 古代の、あるいは古来の道義・学問・文化。
>>1 要するにヲシテのことですか?
3 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 06:15:22
そこまでマニアックでなく、古道は本居宣長あたりです。
しかし、ヲシテに詳しかったら教えて下さい。
4 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 06:50:56
日本の本当の文字を覚えよう!
ヲシテを覚えよう!
すべては、ここから始まります。
それは、縄文時代からの国字だからなのです。
これをパスしてしまうのが、誤りの第一歩です。
これをパスしてしまうのが、『秀真伝(漢臭・誤訳ホツマ)』です。
やがて陥る、漢字の呪縛。 あわれな直訳族! 誤訳族!
「トコヨクニ」を、 “常世国”と単純変換(大誤訳)して喜んでいる哀れさ!
そうではありません、
原文の朗読は、声が通って、楽しいです。
さあ、縄文時代の高度な日本発見へ、
ヲシテを朗読しましょう! 日本6000年の旅です!
ヲシテ
http://www16.0038.net/~hotuma_ikeda-m/
5 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 07:03:25
ありがとございます。とりあえずネットで勉強します。
6 :
天之御名無主:2007/03/02(金) 09:33:51
7 :
天之御名無主:2007/03/02(金) 11:38:11
紹介して下さい。
8 :
天之御名無主:2007/03/03(土) 02:58:44
9 :
天之御名無主:2007/03/03(土) 12:50:56
ちょい昔に出たホッマにもヲシテを少しとりあげてた様な気がするが
≫8の方が詳しいですか?
10 :
8:2007/03/03(土) 13:32:51
私は詳しくありませんし、この板にヲシテを語ることのできる人もいないでしょうから、図書館ででも借りてご自分でお読みになって下さい。
11 :
天之御名無主:2007/03/03(土) 17:31:50
度々のアドバイス有難とうございます。
12 :
天之御名無主:2007/04/19(木) 12:17:34
ヲシテとホッマについて、、、
詳細が解らなくて、興味が湧きません。
竹内文書等の関係が有るのでしょうか?
武士道と古道に絡めるのは、、、チョッと言葉が足りなく感じます。
私の世界では、古街道の方に繋げます。
奈良時代の古代道なども含め、やはり民俗学の分野でしょうね!
13 :
天之御名無主:2007/04/19(木) 14:03:36
古代史と民俗学を結びつけるのは、折口残党のみ。
今は、結びつけると嘲笑されることのほうが多い。
14 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 09:36:34
「竹内文書」って何?
15 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 11:50:08
16 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 13:25:38
1です。話しがずれたのでこのスレを捨てたのですが
ヲシテは2の提案で取り入れました。
本当は江戸期に於ける本居宣長と山本常朝の対比等
更に柳田.折口の民俗学と新渡戸稲造の武士道の対比により
日本人の精神性を論じていただきたかっのですが…
17 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 13:54:59
武士は戦国時代でも日本の全人口の5%しかいなかったわけだが、
どうしてそれが日本人の精神性なのかね?
18 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 13:58:20
日本人の大多数は農民だよ。折口や柳田も武士文化より農民をはじめとする
下民の習俗に注目していた。対比もなにも、武士階級は日本のごく一部だし、
まして武士道が誇大に喧伝されあたかも日本の精神であるかのように
政府によって国民を洗脳したのは明治以降の話だろう。
明治時代の洗脳にいまだにハマってるやつがいるとは思わなかった。
日本の精神性は武士道ではなく農民道だよ。農民道。
19 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 14:30:47
三島由紀夫も武士を勘違い!
>>18 >明治時代の洗脳にいまだにハマってるやつがいるとは思わなかった。
そりゃ認識が浅すぎる。
デムパサヨからネットウヨまで、洗脳から覚めてない阿呆であふれかえっている。
21 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 19:28:29
>17 新渡戸稲造が著書「武士道」をアメリカで出したので
外人は日本人が侍だと思い込んで日本に来るが、
侍など何処にも居なくてがっかりすようですね。
>18 貴族社会、武家社会、両時代とも人口が一番多いのは農民ですが
はたして農民が思想.文化等日本人の精神性にどれだけ貢献して
いるのかが問題点だと思います。
そこで武士道と民俗学の対比が成立すると思います。
22 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 21:18:13
つまり人口比率で文化や精神性の特質を考えれば
それを世界的視野に拡げると中国思想若しくは
共産主義が世界の主流となるわけだな?
23 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 21:29:50
「日本人の」というからには人口比率こそが最大の論拠になる。
これは思想以前の論理的な結論であり真理だろ。
24 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 21:34:42
>>21 >はたして農民が思想.文化等日本人の精神性にどれだけ貢献して
この一行でお前の認識が間違ってることが分かる。
お前の中にはなにやらわからないが「日本人の精神性」という具体がまず先にあって、
それに対して日本人の最大人口である農民階層のそれをあと付けしようとしている。
お前は日本人の社会構造やその人口比率を一切無視して「日本人の精神性」なるものが
成立すると思ってるわけだ。日本の実像を見ないでお前の理想をまず最初に持ってきている。
そのことがこの一行に集約されているわけだが?
人文科学として研究の順序が逆だ。
まず研究対象となる「日本人」を分析して、そこから浮かび上がるのが「日本人の精神性」
であるはずだろう。「日本人の精神性」とは分析の「結果」であって「前提」ではない。
それが「洗脳」だといってるんだよ。
25 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 21:39:34
よって、日本の最大人口の農民がどういう精神性であったか、
それこそが「日本人の精神性」を形成する上でもっとも大きなファクターになる。
これは論理的必然だ。
「日本人の精神性」などというお題目を持ち出さず、
単に「民俗学と武士道」というのなら別に問題はないだろう。
あるいは、「民俗学と武士道の比較から浮かび上がる日本人の精神性」とかな。
>>1がいってる「民俗学と武士道は日本人の精神性を表現している」というのは
前提ではなく、ひとつの結論のはずなんだよ。順序が逆だ。
26 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 22:08:43
それでは君達は世界の精神性の中心は人口の最も多い中国共産主義と
思っているのだね!
>>24 まあ粗雑な議論だこと。おまえの脳ミソの限界がはっきり出てるなw
古代ギリシアにおいて、ポリスの住民のうちでも実際に市民権を持つの
少数派であった。
したがって、ギリシア市民がその後のヨーロッパの精神性を左右した
という議論は誤りであって、むしろその影響は市民権をもたない女性や
奴隷によるものと解釈しなければならない。
29 :
天之御名無主:2007/04/20(金) 22:33:43
人口対比云々より、たとえば文化の性質等々で語ってちょ!
30 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 00:14:51
31 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 00:17:23
>>1がケツまくって逃げた時点でこのスレ終了だな。
もうちょっとマシなこといえるようになってからこい。
武士道が日本人の精神とか言ってる時点で論外だがな。無批判の極み。
32 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 01:42:16
おれ1だけど
33 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 01:54:09
おれも神道にも農耕儀礼とか多いし、民間信仰とか民俗学とか指示するよ
だけど武士道こそ日本精神って軍国主義の影響かも知れないけど根強い
じゃん。だから比較研究を一緒にしてみませんかというスレを立てた
けど別に嫌ならいいよ。
34 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 02:17:38
ていうか武士だって元々農民でしょ!
35 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 02:32:26
だけど近世以前の日本史の表舞台で活躍してるのはほとんど武士だよね!
歴史を代表する人々が精神文化の中心とも言えるよね。
>>30 あれが議論のつもりかwww
>>31 そうだね。
日本人の定義もださずに、人口最大の農民をみろとかいう
とんちんかんをいいだす気違いが住みついた段階でとどめをさしたね。
37 :
天之御名無主:2007/04/21(土) 11:13:39
おいは西郷どんが好きですばい!
>35
歴史を代表する人々が精神文化の中心とするなら、世界史をみると現在は欧米人の
活躍が主だから、欧米が世界の精神文化の中心ってことになるぞ。
世界とか日本とか一括りにしすぎなんじゃないか。
歴史をみると世界も日本も時々によって覇権や王朝や国のあり方は全然違う。
日本史でも国(日本)にたいする考え方は奈良平安鎌倉戦国江戸明治と違うんだから、
影響の過多はいえても簡単に日本人の精神文化は何々とは決められないだろう。
39 :
天之御名無主:2008/01/31(木) 22:14:55
40 :
天之御名無主:2009/07/01(水) 12:37:32
なんといいませうかそのお
41 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 00:28:56
武士道といっても、信長は武士道とは言っていません。
武辺道と言っていました。
これは、現在の武士道とは違うもので、もともと信長が禅僧から学んだ、道家、老荘思想に近いもので、実は、当時の侍の思想とは違う系統のものでした。
本来、国人領主たちは儒家を学び儒教の思想によって、君子としてのたしなみ、礼節と忠義など、現代の私たちになじみのある武士道的な考え方を教養としてもっていました。
主君に忠節をつくし、危機にさいしては、主君と枕を並べていさぎよく討ち死にすることこそ忠義であるという考え方です。
これに対して、武辺道とは根本に武力をもって民衆を保護するという布武の思想があり、民衆を防衛し、国を繁栄させるために合理的に指導者としての義務を果たすことこそ、武辺道であるという発想です。
儒家が支配者の誇りと礼節を中心とした支配者の思想なら、武辺道は、庶民の生活防衛のための指導者の心得、民衆中心主義の思想でした。
道という考え方自体が老荘思想に近い考え方であり、むしろ、当時は儒家とは対立するものでした。
そういう点でも既存の儒教思想の教育を受けた織田信勝らの常識を信長の武辺道の哲学は否定するものであったようです。
このことが、信勝を中心とする国人領主たちから、君子ならざる行い、と信長を否定する発想の根本になっていきます。
信長から見た、当時の儒家思想は、建前中心主義で、口先できれいごとを言う割には二枚舌。
良い格好を口で言って、礼節だけとりつくろっているが、実務的実効性がないじゃないか、礼儀作法や国人領主同士の交流ばかり重視して、民衆の生活の保護や自分たちの官僚としての義務を放棄しているじゃないか、という風に映っていたようです。
42 :
天之御名無主:2009/10/22(木) 00:29:45
ですから、信長の武辺の道とは、布武、つまり、武力の力で、自国民を保護、防衛する。武辺道とは、そのための官僚の道徳という発想であったようです。
官僚としての実務を放棄しない、交友におぼれて民に難儀をかけない。
国土防衛に全力を尽くすという、官僚としての道徳、民衆の生活重視の思想であったようです。
当時の武士たちが恥やメンツなど、人から見てどう見えるか、笑い物なることを恥じるなど、他人の目を気にした発想であったのに対して、
信長が提唱した武辺道は「ひとからどう見られようとも、自分の果たすべき義務を果たす。」「人が見ていなくてもさぼらず、自分の義務を果たす」という自分の内面と向き合う思想でした。
これは、本来、中国から渡来した老荘思想とまったく同じものではなく、かなり信長的にアレンジした思想であったようです。
また、時代の流れとともに、日本では、老荘思想や道の観念は大きな変動をくりかえしていったようです。
しかし、信長の死後、この老荘思想を中心とした道の思想は、本来の国人たちが馴染んできた儒教思想に圧迫されてゆき、江戸時代になると変質し、本来の意味での信長が目指した武辺道は消滅していったようです。
しかし、人としての清廉をもとめる。
人が見ていなくても、ズルをしたり、怠けたりしない、モノを作るとき、見えない所まできっちり作り込むという神人から工人に受け継がれた職人気質という形で、信長の道の思想は後々まで受け継がれることとなります。
そして、日本のモノづくりの基幹になる思想となってゆくのです。
43 :
天之御名無主:2009/10/29(木) 23:05:25
剣道は柔道とともに、体力が必要であることはむろんであるが、柔道は一見強さうな人は実際に強いけれど、
剣道は見ただけでは分らず、合せてみてはじめて非常に強かつたりする“技のおもしろさ”がある。
それにスピードと鋭さがあるので僕の性にあつてゐる。また剣道は、男性的なスポーツで、
そのなかには日本人の闘争本能をうまく洗練させた一見美的なかたちがある。
西洋にもフェンシングといふ闘争本能を美化した格技があるが、本来、人間はこの闘争本能を
抑圧したりするとねちつこくいぢわるになるが、闘争本能は闘争本能、美的なものに対する感受性は
さういふものと、それぞれ二つながら自己のなかで伸したいといふ気持があるものです。
三島由紀夫
「文武両道」より
44 :
天之御名無主:2009/10/29(木) 23:06:10
さらに剣道には伝統といふものがある。稽古着にしたつて、いまわれわれが着てるものは、
幕末の頃からすこしも変つてゐない。また独特の礼儀作法があつて、スポーツといふよりか、
何か祖先の記憶につながる――たとへば相手の面をポーンと打つとき、その瞬間に
さういふ記憶がよみがへるやうな感じがする。
これがテニスなんかだと、自分の祖先のスポーツといふ気はしない。
だから剣道ほど精神的に外来思想とうまく合はない格技はないでせう。
たとへば、共産主義とか、あるひはほかの思想でもいいが、西洋思想と剣道をうまく
くつつけようとしてもうまくくつつかない。共産党員で剣道をやつてゐる者があるかも知れないが、
その人は自分の中ですごい“ギャップ”を感じることでせう。
僕は自分なりに小さい頃から日本の古典文学が非常に好きでしたし、さういふ意味で、
剣道をやつてゐても自分の思想との矛盾は感じない。
三島由紀夫
「文武両道」より
45 :
天之御名無主:2009/10/29(木) 23:06:54
戦後、インテリ層の中で、「これで新らしい時代がきたんだ、これからはなんでも
頭の勝負でやるんだ……」といふ時代があつた。その頃僕は、僕を可愛がつてくれた故岸田国士先生に
「これから文武両道の時代だ……」といつてまはりの人に笑はれたことがある。
当時、先生のまはりにゐた人達にしてみれば、新らしい時代がきたといふのに、なんで
古めかしいことをいふと思つたのでせう。
元来、男は女よりバランスのくづれやすいものだと僕は思つてゐる。
女は身体の真中に子宮があつて、そのまはりにいろんな内蔵が安定してゐて、そのバランスは大地に
しつかりと結びついてゐる。男は、いつもバランスをとつてゐないと壊れやすく極めて危険な動物です。
したがつてバランスをとるといふ考へからいけば、いつも自分と反対のものを自分の中に
とり入れなければいけない。(私はさういふ意味で文武両道といふ言葉をもち出した)。
さうすると、軍人は文学を知らなければならないし、文士は武道も、といふやうになる。
実はそれが全人間的といふ姿の一つの理想である。
三島由紀夫
「文武両道」より
46 :
天之御名無主:2009/10/29(木) 23:07:45
その点、むかしの軍人は漢学の教養もあり、語学などのレベルも高かつた。私はいま二・二六事件の
将校のことを研究してゐますが、当時の将校は実に高い教養の持主が多かつたと思ふ。
末松太平といふ方の「私の昭和史」(みすず書房刊)なんかみると、実にすばらしい文章で、
いまどきのかけ出しの作家などはちよつと足元にも及ばない。
ああいふ立派な文章を書くには、よほどの教養が身につかなければ書けないものです。
また、文士も、漢学を学び武道に励むといつた工合で、全人間的ないろいろな教養を身につけてゐた。
ところが大正に入り昭和になつてくると、この傾向はだんだんやせ細つてきてバランスが崩れ
片輪になつてきた。そして大東亜戦争の頃の日本人の人間像といふものは、一見非常に
立派なやうですが、実際はバラバラであつた。近代社会の毒を受けたかたちの人間が多かつた時代です。
つまり先にいつた文武両道的な――自分に欠けたものをいつも補ひたい気持、
さういふ気持がなくなつてゐたのです。
最近はさらにかういふ考へ方がなくなつてゐる。また余裕もないだらう。
三島由紀夫
「文武両道」より
47 :
天之御名無主:2009/10/29(木) 23:08:42
…しかし、僕は思ふのだが本を読むにしても本当に読む気があれば必ず読めるものだ。
とかくいまは無理をするといふことを一般に避けるやうになつてきてゐる。
そこで、またバランスのことにもどるが、一般に美といふ観点からも“バランス”は大事である。
古いギリシャ人の考へは、人間といふものは、神様がその言動や価値といふものをハカリでちやんと
計つてゐて、一人一人の人間の中の特性が、あまりきはだちすぎてゐると、神の領域にせまつてくる、
として神様はピシャつと押へる。
すべての面で、このやうに一人一人の人間を神様はじつとみてゐるといふのですね。
…このやうな考へ方は、当時ポリス(都市国家)といふ小さな社会で均衡を保つた政治生活をおくる
必要から生れたものと思ふが、なかなかおもしろい考へ方です。
人間が知育偏重になれば知識だけが上がり、体育偏重になれば体力だけがぐつと上がる。
――これはバランスがくづれるもとで、神様はこのことを、蔭でみてゐて罰する。
だから理想的に美しい人間像といふのは、あくまで精神と肉体のバランスのとれた、
文武両道にひいでたものでなければないといふわけです。
三島由紀夫
「文武両道」より
48 :
天之御名無主:2010/08/19(木) 11:00:41
押借強盗はもののふのならひ
50 :
天之御名無主:
三島はとろい。ギリシャを理解してないよ。
なっちゃんには分かるかな?w