1 :
天之御名無主:
自分なりの興味で巫女について調べているのですが、知りたいところがあって質問スレたてました。
傀儡・歩巫女・歌舞伎女なんかの「遊興の巫女」の類については、市立図書館クラスでも書籍に困らないので、だいたいわかったのですが。
・現在の巫女のイメージと同じ位置に当たる『神社巫女』というのは、中世においてはどのようなものだったのでしょうか?
例えば、そこらへんの村娘が就職したの? それとも貴族などの権力者の娘が?
正直、まとまった形の本がないので、実体がイメージできていません。
お薦めの本の紹介でも良いので、なにかあればよろしくおねがいします
2 :
天之御名無主:2005/10/26(水) 21:25:05
安芸の宮島の歴史でも調べるんだね。
3 :
1:2005/10/26(水) 22:08:14
サンクスです。
時代時代とか、神社ごとでの実体の違いはあるだろうなぁ…とは予想していますけど
まずそこから読んでいかないと最初の議論にも付けそうにないですな。
まずは、そこらへんをある程度調べてきます。
またわかんないことあったらスレをあげるかもしれませんが
とにかくサンクス
伊勢神宮には「斎宮(「いつきのみや」又は「さいぐう」)」という巫女?が居た。
皇族の女性がなるものだったらしいが詳しいことは分かりかねる。
6 :
1:2005/10/28(金) 20:03:25
>>5 一理あります。
巫女に関しては、重複スレと言える者があるんだけど…
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/983779665/ こっちの方では「遊興の巫女」に関してのみの話題に終始していて「神社巫女」に関するスレッドが無かったですから
これはこれで、話題が広げられると思ったんで別スレにしちゃいました。
>>斎宮(「いつきのみや」又は「さいぐう」
これと、あと有力豪族の娘や妹を、天皇の元に集めて奉仕させる「釆女(うねめ)」
に関しては、どーも「先行研究」というヤツがあるみたいで、孫コピーでお茶を濁したような感じのする本を複数冊見かけたんだけど
伊勢神宮の誕生や、釆女制度の誕生ってヤツが7,8世紀として
ここから、明治までの間に関する変遷がゼンゼン分からない…。
7 :
1:2005/10/28(金) 21:23:53
>>斎宮
詳細は本の方手元にないのでかけないけど
斎宮の興りの基本的な意義は
しょーじきな話、伊勢神宮ひとつなら、皇族から人を回していけるわけだけど
延喜式に乗っている範囲の神社でも2000あるわけで
そこらへんの神社って、誰が巫女役をやっていたのかなぁ…と。
>>安芸の宮島の歴史
図書館で本が見つからないぃ…。
最悪、文学部キャンパスに電車で1時間半かけて行くんで、絞り込める程度に書籍を上げてもらえるとうれしいのですが…
8 :
1:2005/10/28(金) 21:28:15
ゴメン。ちょっと書きとばしているところあったね
斎宮の興りの基本的な意義は 、天皇への権力の集中を目的として
アマテラスへの祭祀権の集中と独占。というのが目的(みたい)。
日本では祭司に関する仕事に関しては専ら女性の役割なので
王の妻や妹なんかが一族の代表として神と対話していたのが、伊勢神宮にも適応されたカタチってことかな…
9 :
天之御名無主:2005/10/28(金) 22:40:07
全体像ってのは個を知ることではじめてつかめるものだと思うが?
>>1あんたも有名な神社を幾つか回ったことくらいあるだろう。
神社に行ったらご由緒書きを貰い、神主と雑談して地元の話を教えてもらうことだ。
延喜式の神社を500訪ねたら、全体がわかったような気がしてくるとおもうぞ。
巫女の先行研究というより、基本的な神社の分類からはじめたらどうか。
鎮守系の神社、天孫系の神社、地祇系の神社という分けかたは古い国学ですでに(ry
10 :
1:2005/10/29(土) 07:54:38
>>9 理系の学生が、趣味でちょこちょこと読み進めて行っている程度なので
県内ならある程度見てきたことはある…、そんな感じ。
まだ4つ…orz。
>>延喜式の神社を500訪ねたら
10年…、かかりそうだね…。
神社の歴史とかは、確かにチェック甘いです(というか、全分野甘いんだけど
実はてめーがしらねーだけで、こんな本がすでにあったんだよ…
というのを期待していたんだけど、…これは覚悟した方がよいのかな
>9
>神主と雑談して地元の話を教えてもらうことだ。
元々社僧や山伏がいた時代が存在した事や、本地仏の存在も忘れた現代の神社
に、由緒の意義が聞けるとは思えませんが。古代→(中間無し)→近代とすっぽ
抜けた解説があるばかりです。
神主が古代を知る訳でも、古代とされるものは伝わっていても、それが歴史的
事実だとはっきりしている訳でも無い。判断が難しいでしょう。
神仏分離以前と以後では、「伝統」がある意味で変わってしまっている。
一旦廃されてしまって、一から始めたと言ってもいいのではありませんか。
国学の分類法も、学術というよりは復古神道の信仰・志向の産物では。
(国学=復古神道ではありませんが)
明治以降の信仰でもいいでしょうが、それなら延喜式に拘る必要は無い筈。
>10
今の神社をやるのか、何時の時代の神社をやるのか、神社の何をやるのかで、
全く志向が変わって来ますよ。基本的な点を押えたら、一点に集中されては。
今までのお話からすると、山本ひろ子先生や田中貴子先生の御本がよさそう
な気もしますね。一般向けの著作が多い方々です。
12 :
9:2005/11/03(木) 21:35:39
>>11 >>1君は専門を知りたいのか?
大雑把な概要を知りたいレベルだと思ったが。
で、神社の神主さんの話があてにならないってのは同意しても良いが、
そんなのはある程度調べてから「あてにならない」と自分で気づくべきだと思う。
民俗学的フィールドワークなくして文書研究無し。
13 :
天之御名無主:2005/11/04(金) 12:26:09
巫女っていんだろ巫女。
今では萌えとかいわれてるやつら奴ら。
一応神様へのささげものだからさ、
処女なんだよ
でも儀式が終わってささげ終えられた瞬間どうなるか知ってる?
村中で回されるwwwww
しかも、できた子供は身寄りの無い老人に渡したりして跡取りができたって言われて
神様とか言われてるんだってwwwww
「中だし何回ミコミコナース」
ってやかましいわ!!
15 :
1:2005/11/05(土) 17:57:31
どうも、神社史関係の本借りてきて少しづつ読んでいます。
ちょくちょくと、巫女の記述が出てきて、アドバイスの意味とかが分かってきているところかな…
>>9 >>11 ・今、どっちも借りて読み比べているけど、各個の神社の歴史を覚え込んでいった方が近道っぽいかな…
・フィールドワークに関しては…、県外とか無理…。時間的にも、お財布的にも限界あるので、近場以外は、四十路になって落ち着いてきてからの楽しみにでも取っておきます。
・本音の所、専門書に走ると旧かな使いで数百ページの本とか出てきて涙出てくるので、全部合わせても片手の指の範囲に押さえたいなぁ…。
>>13 どっちかっていうと「遊興の巫女」の類の話になるかな…
当時の性風俗とか結婚制度も基本的な知識、程度には押さえているので、別に文化は文化だし、それなりに合理的に見えるんだけどなぁ…
え? ネタにマジレスカコワルイ?
失礼…、釣られちまったよ
巫女というのがそもそも神がかりのための依代であると仮定するならば日本書紀の黄泉比良坂でイザナギイザナミ
両神の仲を取り持った白山菊理媛(しらやまくくりびめ)が巫女の起源だと考えられる。
しかし巫女舞、所謂神楽に関して言うならばその期限は天岩戸のアメノウズメということになり、巫女の分担である祭
りの仕事の起源が様々な神に分散されてしまうということになる。
歴史的に見ても古事記成立以前に巫女という存在があったことは確かだと思われる。
17 :
天之御名無主:2005/11/06(日) 16:24:47
>>13 おまいら落ち着け。
>>13は有名なコピペだ。
民族・神話学の人間は
「文化は文化」で割り切れるが
萌えー萌えーって言ってる奴はそれだけで興奮するんだ!
18 :
天之御名無主:2005/11/06(日) 16:43:20
現在の伊勢神宮の場所を探したのが、天皇家の皇女とのこと
これは俺の考えだが、彼女達(皇女)が最初の巫女だったと思う。
倭媛尊のことか?
20 :
1:2005/11/09(水) 16:50:06
基本的に、学業その他優先なので遅レスは勘弁してね。
>>16 古事記ベースでの解釈だとそうなるのね。なるへそ…。
一応、関連本を読みながら、断片的な知識を組み合わせていくと
古代までの巫女の歴史はこんな感じになると思う
しょせんは理系学生の趣味なので、間違いはあると思う、揚げ足取りも細かいツッコミも歓迎なので以下その方向で…
縄文末期〜弥生
基本的に狩猟採集型の生活の時代。
このころの集落といえば基本的に100人以下、クニの概念も無く、集落や部族という考え方が支配的。
部族の間での「祭り」の最中にトランス状態になる人がシャーマン。
基本的に、神降り(もしくはカンダーリィ)の状態になるのは女性なので神の声を聞くのは女性である事の方が多かった
基本的に専業の巫女というのは存在しない時代。
21 :
1:2005/11/09(水) 16:57:25
弥生初期〜中期
朝鮮半島から渡来した人たちとの混血が進む
大規模水田耕作の技術も渡来して定住化が進む。
また人口が増加して集落の規模が大きくなる。
後に、水利権等の、集落同士の問題から、王権が誕生する。
後に、王権の正当性を証明するために、神の声を聞く代表者としての巫女を囲い込むようになる
このとき、政体の安定のために巫女役を、自分の親族(特に妹)に預ける事になる。
22 :
1:2005/11/09(水) 17:03:00
弥生中期〜古墳時代
魏志倭人伝では、騒乱の時代を収めるために卑弥呼が代表として選ばれたように
群雄割拠の騒乱の時代。
兵士たちの戦意の鼓舞などのために、戦の前線に巫女が出るようになる。
また、巫女という職業じたい、次第に組織化。
王の親族(の女性)で構成される、ピラミッド型の祭祀集団になる。
23 :
1:2005/11/09(水) 17:08:27
大化の改新以降
ここから約100年かけて、有力豪族の部族連盟だった大和の国が
天皇家の中央集権構造に改められる。
神の声を聞く代表者であった豪族の長の妹などを天皇の元へ貢がせて
采女(うねめ)として囲い込む
また、天皇家を代表する祭祀の神として天照を祭り上げて伊勢神宮を建てて
宗教上も、天皇家の中央集権的な国家体制に作り変えていく…
24 :
1:2005/11/09(水) 17:13:07
細かい所はツッコミどころ満載っぽいんだけど、おおよそはこんな変遷…かなぁと思っている。
正直、弥生〜古墳時代が見える文献資料って、中国だと魏志倭人伝くらいで
日本だと古事記みたいな神話のセカイに入っちゃうから、結構摘んでいるところがあるんだけど…
王権誕生以前は沖縄の島とか九州南部の祭りを参考に
王権の誕生以降は、琉球王朝の聞得大君(きこえのおおきみ)の変遷を参考にした
25 :
1:2005/11/09(水) 17:13:38
最後に、長文スマソ。
長文乙
27 :
天之御名無主:2005/11/24(木) 23:29:26
古代のことはいいよ〜。
それより、平安〜近代の歴史を知りたいなー。
28 :
天之御名無主:2005/11/25(金) 02:45:06
酒が米を主体として造られるようになったのは、
縄文時代以降、弥生時代にかけて水稲農耕が渡来定着した後で、
西日本の九州、近畿での酒造りがその起源と考えられます。
この頃は、加熱した穀物を口でよく噛み、
唾液の酵素(ジアスターゼ)で糖化、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という、
最も原始的な方法を用いていました。
酒を造ることを「醸す」といいますが、この語源は「噛む」によるといわれています。
この「口噛み」の酒は『大隅国風土記』等に明記されています。
「口噛み」の作業を行うのは巫女に限られており、酒造りの仕事の原点は女性からであるということが伺えます。
巫女さんの唾液で作ったおしゃけ飲みたい
31 :
1:2005/11/27(日) 08:14:52
>>30 うおぉぉぉ。今までの俺の苦労はなんだったんだぁ!
…ありがとorz
32 :
1:2005/11/27(日) 09:18:17
>かし奈良時代(省略)という記述の後、古代社会を動かした巫女たちは歴史の表面から姿を消すことになる。
って事で概要としてはおっけーなのかな。
一応進められるままに、神社総覧とか神社史とか読んでいると断片的に記述を見かけるんだけど
ま、もう少し調べてみますわ。
っていうかホントサンキュ
33 :
天之御名無主:2006/01/05(木) 08:57:30
結局、今の赤い袴穿いて事務したり掃除したりしてる
神社巫女の起源は一体どこにあるんだ?
まさか明治以降になっていきなり出てきたとか?
34 :
1:2006/01/06(金) 13:01:15
下級神職の女性、という意味でなら、古墳時代末か奈良時代頃にはもういた…、というのが回答になる。
男性宮司の補助のみの職業、という意味では、伊勢神宮の神職が男性中心になった、8世紀頃…ということになるのかな?
紅白の巫女衣装に関しては10世紀頃、とどこかの巫女衣装販売サイトにあったね。
それ以降に関しては、仏教との競争、統合、圧迫とか
各神道の普及とかとかくややこしいけど
神道自体が歴史の表舞台から離れていくから、下っ端の事務職なんていうのが資料に残らないのがとかく痛い、詳しいことが調べにくい。
ということになるのかな…
間違っていたらスマン。
紅い袴の巫女さんか。近所の神社でかなり昔から行われている祭りで舞いをする巫女さんは紅い袴だな。
ちなみに舞をする巫女さんは毎年小学六年生の女子が全員する。だいたい5〜6人?いるかな。
36 :
天之御名無主:2006/01/07(土) 21:48:26
>>35 学術的に興味深いな、高画素のデジカメでいいアングルで、
かわいい巫女さんを撮って、うpしてくれ。
学術的興味がある。
37 :
1:2006/01/08(日) 15:27:52
まったく、
>>35みたいなヲタが来る様になったらこのスレも終わりだな
嗚呼、ちなみに写真はできるだけたくさんお願いしたい
ちなみに俺は学術的興味だがな
38 :
天之御名無主:2006/01/09(月) 00:21:21
おまえら・・・巫女さんが好きならはっきり好きだって言うんだよッッッ!
40 :
天之御名無主:2006/01/09(月) 07:12:19
>>33 > 今の赤い袴穿いて事務したり掃除したりしてる
> 神社巫女
俺は起源よりも江戸以前にそういう形式?の
巫女さんがいたのかどうかのほうが気になる
41 :
1:2006/01/10(火) 12:39:58
江戸時代以前と言う区切りでなら、いたのは確実
ただ、もう少し詳しいこととなると、俺には全くワカラナイ
(俗に言う)十二単の下があんな感じでして、袴を穿くというのは、要するに正装。
14世紀には見られますが、中世には大社の巫女は十二単、在野の巫女は白い衣
というのが目立ち、今の様な装束は、あまり見られません。
近世に下地があったとはいえ、制服化(定着)したのは明治以降の様です。
伏見の稲荷神社で
神楽やら大神楽とかなんとかで
巫女が楽器ひいて踊ってたな。
祈祷料がいるから他人のはらったのをこっそりみてたが
写真撮影禁止ってデカイ立て札ががが
46 :
天之御名無主:2006/01/13(金) 21:07:25
日本で神殿娼婦みたいないわれのあるところってありませんかね
47 :
天之御名無主:2006/01/13(金) 21:40:59
あるよいっぱい。代表的なのは安芸の宮島かな。
当時、「宮島詣」といえば・・・しにいく事だった。
48 :
1:2006/01/14(土) 02:22:35
そういえば宮島の説明で、白拍子の排出先みたいな記述があったけど
…そういうこと?
(白拍子は確か芸能の出来る娼婦扱いで良いはず…
輩出?
50 :
天之御名無主:2006/01/14(土) 10:29:00
安芸の宮島、厳島神社には、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと),
田心姫命(たごりひめのみこと),湍津姫命(たぎつひめのみこと)の
三女神が祭られており、古くから海上安全・商売繁盛の守護神としてあ
がめられてきました。
祭神が三女神が祭られて要る為、「夫婦やカップルで行くと女神様が嫉
妬して、別れるはめになる」といわれましたが、これはウソらしいです。
平氏が神社を整えて以来、宮島には色町があり、女性と一緒に参拝に行
くとそこへ寄るのに都合が悪いから連れて行かない言い訳に使われたの
です。白拍子も大勢、この辺りにはいました。
このあたりは村上水軍初め、三島水軍等、多くの海賊がいましたが、船
に女を乗せないしきたりが元々あったので受け入れられたのでしょう。
さすがに大正頃以降、神社本庁の取締りが厳しくなったようですが。
あと、呉の方の神社の男神とくっついたからもう大丈夫だとか、男神を
勧請してきたから逆に縁結びになるとか色々な話もあります。
>>47 お言葉ですが、「当時」というのが何時であり、どの様な階層の巫女が対象で
あったのか、一次史料が何かを明記された方がよろしいかと。
この手の話は兎角人目を引き易い。その分、訳知り顔の俗説が幅をきかせます。
>>50 近代以降なら、それでも良いでしょうが、神仏分離以前は、本地堂に十一面観
音が安置され、竜宮の第三王女とも同一視されていた厳島大明神が神格であっ
て、宗像三女神云々の知識で参詣された事は、まず無かったのでは。
(現在、観音像は大聖院に移されています)
少なくとも、平氏や白拍子や水軍が出て来る時代ならそうです。
嫉妬云々は、記紀の神格によるものというよりは、弁才天と同一視される様に
なったのが原因でしょう。
色町は、少なくとも近世には栄えていた事が、絵画史料や井原西鶴の『本朝二
十四不孝』から分かりますが、清盛の時代にもうありましたか。
山野って大学で何学科だったの?
53 :
天之御名無主:2006/01/15(日) 07:45:08
神殿娼婦といえば、古代メソポタミアだけど、
あれと日本の巫女を同列に考えるのはどうかと。
実家にいないので、出典もとを明示できないけど、
田植えの前に、田のそばで男女に性行為をさせる風習が、
関東では明治時代でも行われていたそうな。
類感呪術っていまさらフレイザーでもないけど、
筑波山の乱交も、類感呪術の匂いを感じる。
まぁ、言いたいことをまとめられないけど、
直感的に、神殿娼婦と巫女の性は異質だと思う。
歩き巫女とか、ああいうのは、もう完全に、俗なものだと思う。
梁塵秘抄とかの巫女の見るとね。
みこみこ
>>48 平清盛が厳島の巫女に娘産ませて後白河に入内させたなんて話もあったような
白拍子かどうかは知らんが
56 :
天之御名無主:2006/02/28(火) 07:15:12
死や生理が穢れとされたり、処女じゃなきゃ巫女になれ
ないって言われるけど、昔もそうだったの?
とりあえず平安時代はそうかな。
出産を穢れとしたから中宮は出産の段になると宿下がりしたし。
58 :
ミコ:2006/03/01(水) 13:11:09
マコ甘えてばかりでゴメソね
59 :
天之御名無主:2006/03/01(水) 23:56:55
西洋の魔女も「巫女」なんじゃないか?もしや。
ウィッチはシャーマンというよりメディスンマンなんじゃないか
61 :
1:2006/03/03(金) 20:11:15
ども、久しぶりのカキコだわ。
んー、どうだろ。
メディスンマンで解釈すると医療と秘術を持っている所では共通するけど、実質部族を治めるような権力と結びついていない点で違うと思う。
精霊(後に悪魔に格下げされる)と話をする立場の人間としては、巫女と共通するけど、文化の違いがあるからね。
ウィッチはウィッチで、巫女は巫女なんじゃないかな。結局は。
62 :
1:2006/03/03(金) 20:22:14
あー、こんな事書きたくて来たんじゃないんだけど。
えっと、中世の神社史を読んでまわっていての自分の仮説
8世紀後半から9世紀に、仏教の地方への布教により、神社の衰退(神身離脱)で、需要が減少。神社関係の人間は野に下る
江戸中期に国学の影響で再び神社関係に注目が集まり、神社復興
後の明治の国家神道へ…
という風に流れているとして
8世紀頃に野に下った神社巫女が、旅をしながら芸能を行う傀儡なんじゃないのかな?
確か傀儡は、新羅滅亡の時に亡命してしてきた人達だとか、興りは定かでないけど、自分にはこれが一番自然に見える。
63 :
1:2006/03/03(金) 20:24:24
あともう一個
誰か江戸中期〜明治までの
国学と神道、神社の関連に関する本とか話とか知らないかな?
ココが埋まれば、自分の中で大体道筋が立つんだ…
64 :
天之御名無主:2006/03/03(金) 20:25:47
メディスンマン=は男性、女性両方に使われるかな。
日本で巫女=女性なのはミクロネシアなど南洋諸島の影響が大きいらしい。
それにたいし男性シャーマンはツンドラ、遊牧民の影響らしいね。
巫女盗撮魔がタイホーだってよW
66 :
天之御名無主:2006/03/09(木) 17:58:59
>>1 「自遊人」の2005年(?)1月号に神道とか仏教に関することが
結構書いてあったような気がする。
巫女の歴史はわからんが、明治頃の国学と神道が少しだけ書いてあったような
68 :
天之御名無主:2006/05/20(土) 02:14:30
巫女万歳保守
70 :
天之御名無主:2006/10/28(土) 02:14:34
巫女、甘えてばかりでごめんね
71 :
天之御名無主:2006/11/02(木) 14:40:26
現在のいわゆる巫女がおかれるようになったのは、昭和15年のことだそうです。
神社関係者からの情報なので、ほぼ間違いないと思われます。
いや、枕営業てのは生保レディだけじゃないよ。もちろん客とのパワーバランスだけどね。
おれの場合は野○證券の営業のコと箱根に一泊旅行。
一橋卒の大人しそうな子だった。あんまり証券会社の営業なんて
向いてないタイプだったけど、けっこうイイ体してたので(w)、おれも下心あって
かなり注文だしてやってたのよ。つうか営業成績の半分くらいは俺の注文だったと思う。
だから誘ったら断れないだろうと自信があったw。だって野○は成績わるいとすぐアレだからね。
旅館にチェックインして、「とうぜん分かってるよね?」と聞いたら、うつむいて「はい」と答えたので
とりあえず一緒に風呂に入ることにした。脱衣場ですでにビンビンに勃起してもうた。
だって服ぬいだら想像してた以上にナイスボディだったし、緊張してる顔が妙に色っぽいんだもんw
でフェラしてもらったのだが、あんまり男に慣れてなかったんだろうな。
すげー下手くそで全然気持ちよくない。一生懸命さは伝わってきたんだけどね。
で、「もういいよ」て言ったら、「すみません」てちょっと涙目になってて
なんだか可哀想になったから、交代して今度は俺がフェラしてやった。
そしたらプルプル体を震わせてすぐにイっちゃったよ。マッチョのくせに。すげー勃起した。
73 :
天之御名無主:2006/11/03(金) 22:44:07
ま、翼賛体制の一環だね。
なんの話ですか
三連休だからって誤爆が多いな
76 :
天之御名無主:2006/11/06(月) 00:18:50
>>72 今度は俺がフェラ????お舞いモーホーか?
>>72 >交代して今度は俺がフェラしてやった。
そういう落ちか。
あと、どーせ、張る板間違えたんだろ?
78 :
天之御名無主:2006/11/07(火) 00:26:38
コピペにマジレスするなよ
79 :
1:2006/11/07(火) 15:12:14
>> 野郎歌舞伎
これで板らしくオチがついた…かな?
巫保守
81 :
1:2006/11/29(水) 22:33:06
なんというか久しぶりだけど、自分なりに少しづつ読んでいるので、夏休みの宿題発表の感覚で…
以前、>62 で神社巫女からはぐれたのが傀儡って言っていたけど、同じ説を発見(中山太郎説だったかな?)。嗚呼、案外的外れな考えてもなかったのね。
新羅から渡来した人の説を紹介していたけど、出典は滝川政次郎説というのを確認。一応学会の主流では無い…ようです。
遊興の巫女の起源説は諸説あれど、下級神職の巫女の一部が、芸能を覚えて野に下っていったのが主流っぽいかな。
基本的には、現在の神社のしきたりその他は、伊勢神宮等の資料の残りの良い神社から復古神道の学派が読み集めたものを使ったものが下敷きというので確定みたいです。
問題は、だれが、何処で、いつというのと、どの様に広がっていったのかなんだけど、正確な流れは読めませんが水戸学派ではなくて、平田学派が復興した可能性が高いようです。
それで出版されたものが広まって、現在の神社のしきたりその他に影響を与えたのかと。
江戸中期には国学の影響で、記紀神話に関係する神社の復活なんかが起こっているので、この前後にはそれなりの回復があったようだから、平田篤胤か直に教わった弟子あたりを探せば出てきそうな気がする。
>>71 昭和15年って、開戦の前の年じゃん。
一定の信憑性はあるけど、具体的に何を持って巫女が置かれたのかを言っているのかが分からないので、なんとも言えないかな。
開戦の前年というより翼賛団体が多く成立した年だな。
それまでは伊勢神宮を頂点とした一つのまとまりではなかったということではないかと。
83 :
天之御名無主:2006/12/04(月) 09:24:17
84 :
71:2006/12/13(水) 23:39:49
昭和15年は皇紀2600年にあたり、この奉祝のために全国の神社で
舞の一斉奉納を行う目的で巫女が配置されたとのことです。
85 :
1:2006/12/31(日) 00:30:25
>71
なるほどー、結構参考になりました。
ところで、正直書かれた本が全然見あたらなくって困っていた平安〜江戸中期までの変遷、自分なりの仮説です
(あくまで仮説ですので出展はありません
古墳、奈良時代にピラミッド型の階層組織を作る
↓
また、祭司や踊りなどの技能を高めて専門家していき、神職に携わる物の村を作る
↓
各豪族ごとに代表する神を崇めていたりしたものも、神社の権威の時代ごとに徐々に低下
↓
神社の権威の低下により(経済的に)抱えられなくなってきた下級神職が次第に野に下る
↓
踊りなどの技能を持った一部の下級神職が、傀儡等の起源となる
↓
時代を下りながら、神社の権威はさらに低下、さらにドロップアウトしていく集団が色町の女などの起源などにもなる
という風に考えているんだけど…、おかしいかな?
どちらにしろ、遊興の巫女と神社巫女はそこまで断絶的な物じゃなくて、文化的にも人材としても相互交換的な所があった可能性を強く感じるんだけど
86 :
天之御名無主:2007/01/04(木) 00:03:13
こいつは「巫女の日」「巫女デー」を商標登録し巫女産業を牛耳ろうとしています。
商標の取得理由は「安易な巫女イベントの増加の防止」とのこと。
HPでおごりを指摘しても理論すり替えばかりします。
またHPでは盗撮まがいのことも。
論客を自負する皆さん、一言言ってやりましょう。
http://jupiter.miko.org/
巫保守
88 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 22:03:45
巫女は昔売春もしていたような
89 :
天之御名無主:2007/03/01(木) 22:50:59
貧農の娘も遊郭に売り飛ばされて売春をしていたでしょう
90 :
天之御名無主:2007/03/05(月) 16:50:10
>>89 売春は日本でも西洋でもデフォ
性に関する考え方が大らかな所はあるな
91 :
天之御名無主:2007/03/09(金) 23:01:13
でもあれ?
たしか性病ってコロンブスが新大陸発見して発情しちゃって
持ち帰ったのが、こう世界に拡まったんだっけ?
じゃなきゃ、昔っから売春売春して性病で死んでる人が多かったら
そんな風習消えそうなんだもんね
92 :
天之御名無主:2007/03/13(火) 07:57:27
うんそうだね
93 :
天之御名無主:2007/03/13(火) 18:04:24
>>91 売春禁止してるイスラム圏でも売春婦いるからw
昔のニュー即でアフガニスタンが世界一売春婦が安い国になったとあった
戦争に負けると悲惨だね
>91 性病は梅毒だけじゃないお
95 :
天之御名無主:2007/03/14(水) 20:06:21
そうだっさ
96 :
天之御名無主:2007/03/14(水) 22:24:39
NHKテレビおもろいな
97 :
天之御名無主:2007/04/15(日) 13:00:16
>>61 そーだよなー。イチはヰチじゃないんだよなー。
イタコが下半身の世話してたってのは聞いたことあるけど、確かに神社の
巫女さんがなにやってんだか、わかんねーよなー。
女保守
99 :
(σ・∀・)σ:2007/04/24(火) 23:17:47
正月に神社でアルバイトした者ですが
お札売ったり、お賽銭の所で棒の先に紙がついたやつ振ったり、御守り売ったりした。
私が小学生の祭のときにはは神様に捧げる舞(?)をやりました。
の保守
102 :
1:2007/08/03(金) 20:51:26
あらあらあら、このスレ生きていてくれていたんですねー。
しばらくぶりです。
> 89
時代にもよるところはあると思いますよ。
個人的な予想ですが、おっぴらに売り飛ばす様な時代になったのは江戸時代初め、吉原の成立直後くらいからなんじゃないでしょうか?
すこし質問
江戸時代中期から、復古神道等の学派が中心となって現在の神道の基礎を作ったけど
明治以降から、政府の神社関連の要職には吉田神道と平田学派の人が多く入ったようなので、現在の神社のしきたりその他はこの2つの影響が大きいと見て良いのでしょうか?
そこらへん勉強不足で…。
103 :
天之御名無主:2007/08/05(日) 14:09:47
>現在の神社のしきたりその他はこの2つの影響が大きいと
見て良いのでしょうか?
おおまかそれでOKだよ。
神社のしきたりは本来神社とその神社がある地域によって
各々で変わってくる。拍手を打つ回数、忌明けの期日からして
全く違うもんだったのを政府は神社を統一管理したかったのか
統一性を持たせてしまった感が強いかな。
でも統一性を持たす以前のしきたり等は神社には残らなくても
その地方の風習として残って今に至っていることが多いから
(これが原因で新しく来た神職が古くからいる地元氏子と
神事やしきたりを巡って衝突なんてことも水面下では
よくある話。神職が地元出身じゃないとそりゃ大変)
そのあたりに興味があるなら神事だけじゃなくその地域の
風習も合わせて調べてみるとおもしろいよ。
過疎スレ
105 :
1:2007/09/28(金) 16:14:15
あはは、それくらいがちょうどいいのかもしれませんね
一応ここまでの流れとして
・現在の巫女の一般的なイメージの多くは明治以降にできたもので、明治政府での神社政策によるところがおおきい
・それらの政策は、平田派の復古神道の学者や吉田神道などの江戸時代に勢力を伸ばしたところの影響が大きい
がわかったのは大きいかも
ただ一番わからないから調べたかった中世(8世紀〜安土桃山)までは、結局思ったほどの収穫はなかったかな
現在の神社のしきたりは、古代までに出来上がった文化に、仏教が混ざってさらに明治になってわけわかんない神道がそれらを上書きしようとしてできたミックスジュースなんですよね。
今のところは
・そのミックスジュースの中から、中世における神道をできる範囲で遠心分離したい
・この流れの中で巫女という存在はどのように変化していったのか
が自分としての個人的テーマかな。
106 :
1:2007/09/28(金) 16:21:01
107 :
天之御名無主:2007/10/30(火) 19:15:24
108 :
1:2008/07/08(火) 10:15:01
自分なりの一定の結論です
雇用情勢は、基本的に中世が辿った神社の歴史に大きく依存していると考えるのが自然です。
荘園制度の中から、荘園の管理をする層などから武士が誕生する
(以下鎌倉まで省略)
↓
鎌倉時代から武士の時代。武士層が地元に定着した武士層が、いちゃもんを付けてはじわじわと地元の神社の荘園などを取り上げてゆく。
↓
おおよそ神社から刈り取れる範囲を刈り取る。(地域にもよるが、ここまでが鎌倉〜南北朝あたりまで)
と言う流れがあるので、基本的には神社側としては神事を行えて必要最低限神社が管理、維持できる程度の収入と下部組織しか持っていなかったと思うので
大がかりな組織でない以上。巫女というものは若干名しかいなかったと思います。
ここからは状況からの推測なのですが巫女自体は氏子組織からの希望者(カンダーリィ等の宗教体験をして目覚めてしまった人)の受け入れで
丁度人がいなかった場合など歩巫女などの遊興の巫女の類を受け入れたりしていたのではないか
何人いたのかは神社側の需要程度だったのではないかな…と考えています。
すいませんつっこめません
でその若干名が、なんかさいころ振ったりバックギャモンしたりしてたわけなのだな
わからん香具師は、増川広一 さいころ 盤上遊戯を嫁
こっちでなくてー ワカー ワカの資料ー
110 :
天之御名無主:2009/06/06(土) 20:55:25
突然だけど巫女の祖先の?アメノウズメって世界最古の着エロじゃね?
でもアメノウズメさんってもしモデルがいたら森三中の大島みたいな芸人
だったのかね。まあ、仲村みうみたいな美少女が脱いでもかわいくて
笑いが取れるかも
以上不謹慎な書き込みでした
太陽盗人の神話は解決方法にエロギャグが用いられる事が割りと多い
この系統は日=火とするなら、南北米まで伝播していて、
そこまで辿らなくても、アイヌにも飢餓の悪魔が太陽を隠した際に
なんたらカムイの妹が脈絡なく脱いでくぱぁしたら、悪魔が恵比須顔で帰っていったって話も
112 :
天之御名無主:2009/08/22(土) 19:51:17
アラブの千夜一夜物語のようによるはエロスと結びついていて
昔から夜の世界は女性が主役になっているのかもね。
さながら巫女は夜の太陽みたいなものかな?
巫女に関してだけど柳田國男を読むと女性は神様に関して
シンパシーを持つというか共鳴することがあるみたいだね。
感性があるからだろうか、巫女もそんな人がなったのかもね
まあ、柳田の言う事は話6割くらいに聞いとけ
シンパシーつぅかヒステリーじゃね
115 :
天之御名無主:
巫女装束のエロさは異常