803 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 05:05:06
ヤハウェー=エホバ
804 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 10:18:12
>>798 だが、それだけで果たして「チベット族」=「マナセ(エフライム)
族」と言えるだろうか?
「あやとり文化圏」と呼ばれるものがある。日本に昔からある「あやと
り遊び」が南北アメリカ大陸やオーストラリアの先住民にも伝わってい
て、これは太平洋を移動する海洋民族によって各地に伝播したものとさ
れているが、何故か山岳地帯に居て海を知らないチベット族にもある。
また中国神話の伏羲・女?もチベット族のものがオリジナルとされてお
り、これらから、古代には彼等は中国南部の海岸地域にいたが南下した
漢民族に追われて山岳地帯に逃れた、とする学説もある。
だとすると、チベット族が中東地域から移動したとしてもイスラエル
の十支族よりも更に古代から東アジアに居た事になる。それとも、中国
神話が形成された(=漢民族側に奪われた)のは、ごく最近(秦・漢時
代)なのだろうか?
どちらにしろ、遺伝子パターンによる検証は確かに魅力的だがそのま
ま鵜呑みには出来ない。
805 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 11:05:24
>>793 >>708 >>804 一つ可能性がある。
チベット族が、滅亡した「後秦」国の難民として(=「秦氏」)4世紀
に渡来したのでは無く、神武天皇の時代(紀元前7世紀〜1世紀)に中
国南部の海岸地域から東シナ海を渡って九州に渡来した場合だ。
これなら、先に渡来して米作技術を伝えた弥生系倭人とも文化的に共通
しているし(同化・支配がしやすい)、当時は分裂して内戦時代だった
中国にいて実戦経験も豊富だったからヤマトの征服(神武東征)も比較
的容易だっただろう。そして秦氏はチベット族とは別に、紀元1世紀以
降に中東からシルクロードを通過して日本に辿り着いた人達だった。
D遺伝子を持つ部族が、パレスティナから東方へ移住。
↓
中国南部の東シナ海沿岸まで到達し、定住。
↓
周辺部族や漢民族の圧迫を受けて、沿岸部の住民は海を越えて日本列島
に移動。内陸部の者は取り残された為、西方山岳地帯に移動。
↓
D遺伝子を持つ子孫が日本とチベットに別れて増加、それぞれ独自の国
家と文化を建設する。
こんなトコかな?
日本人は新世代の王たる存在
807 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 13:44:31
もし(あくまで仮定だが)チベット(羌)族がアレキサンダーの東征
に参加して東アジアまでやって来たのなら、考えられないことでもない。
アレクサンダーの東征は紀元前3世紀で秦が中国を統一する少し前だし
ギリシャやアレクサンダーの伝説を持ったまま中国の東シナ海沿岸まで
移動してそこから日本列島に渡ったとすれば、
「神武天皇の東征伝説はアレクサンダーの逸話が元ネタになっている」
「天岩戸神話でのアマテラスとスサノヲの関係は、ギリシャ神話でのデ
メテルとポセイドンの話にそっくり」
とする説も、つじつまが合ってくる。
808 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 18:24:45
アレクサンドロスが紀元前3世紀とか
中学校から歴史学び直した方がいいんじゃねえの
似たようなもんだろ
810 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 20:39:08
>>807 始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年。
アレクサンダーがインドに到達したのが紀元前326年。
ゴメン、100年ズレてた・・・・さて補足だけど。
太陽の象徴として「3本足の烏」がある。漢代の史書に登場するが、
3000年前のギリシャ遺跡の壁面にも同じデザインで描かれておりこ
ちらの方が中国よりも古い。そして神武天皇の東征神話にも登場する。
アレクサンダーの死後も東への移動を続け(と言うより「おいてけぼ
り」にされた)東シナ海の大陸側沿岸から倭人の交易ルートを通って九
州に渡来しそこで基盤を固めた後に更に東へ移動して、遂にはヤマトを
征服した。
神武天皇の神話では「三本足」とは書かれていないが、この時に同時に
ヤタガラスの伝説も伝わったのではないだろうか。
「天皇はどこから来たか?」については朝鮮半島を経由した、と言う説
が多いが、南方(中国南部の東シナ海沿岸)から渡来したのではないだ
ろうか。「言った者勝ち」の話だが。
まじな話で沖縄の海底宮殿のできた年代は1万2000年前と
言われている。この時代にすでにあの神殿が作れる技術が
あった。だから伝わってる世界の歴史が偽装の可能性が高い
812 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 23:57:41
813 :
天之御名無主:2007/02/11(日) 23:59:53
>>805 わずかだが、D2遺伝子はスマトラにもあるんだよね
ここらへん経由でも日本にきたかもねえ
814 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 00:04:33
おいおい、このスレは10支族が日本にきたか、なんだから
日本民族の成り立ちの論議は別でやってくれ
もしくは10支族に絞ってネタ提供してくれ
自説をばら撒くだけじゃ収集つかなくなるよw
>>810 >「天皇はどこから来たか?」については朝鮮半島を経由した、と言う説
>が多いが、南方(中国南部の東シナ海沿岸)から渡来したのではないだ
>ろうか。「言った者勝ち」の話だが。
もし、神道と天皇家が10氏族をルーツとしているのであれば、南方では無く
朝鮮半島→対馬→壱岐を経由している可能性が高いと思う。
何故なら、延喜式(平安時代中期に編纂された律令の施行細則)によると、
九州全体で107座ある神社の半数が壱岐対馬にある事、壱岐には古事記に
書かれている神様のほとんど全てが祭られている事から、壱岐対馬は日本の
神道の原点と言っても過言では無い場所であるからである。
816 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 01:36:17
そう、その「神道」と言う祭祀システムの基本を構築したのが4世紀
頃に朝鮮半島経由で日本列島に渡ってきた秦氏。
皇室のルーツである十支族(エフライム族)は中東出身であるYap+
のD遺伝子を持っており、中国の南方から東シナ海を渡って九州南部に
到達。そこから大和へ東征を行ったと考えている。
天皇家は血統と伝説は持っていたが、倭人との風習が混ざり合った為
に本来の意味が失われてしまった。そこで後からやって来た原始キリス
ト教徒である秦氏が、聖書の記述を基に天皇家の祖先神話が中心になる
ように各部族が持つ神々を配置して日本神話を体系化し、「神道」とし
て再構成した。
「見てきたような」ホラ話だけど、こんなトコじゃネ?
「神道」シントウ=シンタウ(ヘブライ語)の最初と終わり
あと勾玉の形が、ヘブライ文字の象形と言ってるものもいる
818 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 12:03:35
勾玉の形・デザインは縄文時代(6000年前)からあるよ。
鏡の裏面にヘブライ語が書いてあるってのも嘘っぽいし。天皇や皇族で
さえ見る事が出来ないものを見せてもらえるとは考えにくい。
古代の日本に、聖書やユダヤ教の知識・文化を持った集団がやってきた
のは間違いないだろう。しかし、それが十支族だったかどうかを確認す
る手段として、今、Yap+やDタイプ遺伝子が注目されているんだが。
D遺伝子を保有する集団の故郷が中東地域だったとして問題は、
「いつ日本にやってきたか?」
だ。北朝イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる前だったら全く無関係になる。
819 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 13:53:58
>>811 >だから伝わってる世界の歴史が偽装の可能性が高い
つーか、神話にはちゃんと乗ってんじゃン。あれはトヨタマヒメの竜宮城跡だよ。
820 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 17:23:12
秦氏が影響を与えたのは間違いないだろう
問題は秦氏が10支族であったかだ
アミシャブの調査だと、チベット近辺はマナセの宝庫なんだがw
それ以前の渡来(天皇の始祖など)については、まだなんとも言えん
>>820 ダライ・ラマ14世はマナセ族なのかな
中国軍から逃げるとき、軽装でヒマラヤ山を越えたそうだが
普通なら死んでるそうだが。
822 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 21:51:32
Yap+のDタイプ遺伝子ってアイヌ人や琉球民族にも多いんだろ?
十支族どころか、ダビデがイスラエル王国を建国する前から日本に伝わ
ってたんじゃないのか?
823 :
天之御名無主:2007/02/12(月) 22:36:33
天皇陵発掘許可でた
>>820 またいってんのかよ。
大避神社−秦氏創建−大避−ダビデがあるかぎり、
10支族で無いんだよ。ダビテは2支族の南ユダ国に10支族が
居なくなってから出てきた人物。
秦氏はそれを知っているからダビデ神社大避神社建てたの。
だから秦氏は2支族。
当時のユダヤ人なんでも一緒。だから10支族も
ダビテを知っているとするな。
10支族も秦氏から聞いて知ったかもしれないが、
他支族の長を神社まで建てないよ。
秦氏が来たのは、4世紀ごろだよね。
10氏族の移動が始まったはのは、紀元前660年ごろ。
827 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 17:47:35
828 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 19:56:16
>>826 >10氏族の移動が始まったはのは、紀元前660年ごろ。
ほぼ皇紀と同じだな。
829 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 20:07:36
結論。>1は来てない。
来たのはエルサレム教団。原始イエス教。
830 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 20:38:16
霊視です。
そう考えると矛盾も消えていきます。
十字架や新約が定着する以前のイエス教です
>>827 じゃあちがうって、説明してみろ。
少なくとも825以上に納得(??)できそうな
説明できるんだろうな?
>>825 無茶苦茶だなw
旧約聖書によれば、王朝が南北に分裂したのはソロモン王の死後
世界史を履修していないアホ世代はこれだから困る
834 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 22:39:15
良い古代イスラエル史の教科書が日本語でも読めるのだから、読んだら?
まあ、それ以前に、聖書を通読したほうが良さそう。。。
836 :
天之御名無主:2007/02/13(火) 23:05:54
こら〜
いくらネタスレとはいえ適当なことばっかりいうでない〜
エルサレム教団を秦氏とする説はあるけどね。
ヘレ(だっけ?)から旅立った教団の足跡が
上手く追えると面白いんだけど。
ただ十支族が秦氏と言うのは、おれも?だ。
滅亡して離散してから、日本へくるのに
時間がかかりすぎ。
放浪だからという説明もあるが、それなら途中に
もっと遺跡痕跡が残っているはずだ。
ゆっくり何百年も、少しずつ移動しながら暮らした
痕跡がね。
10支族は、秦氏以前の渡来ユダヤ人で、
秦氏はエルサレム教団の渡来人としたほうが
時間的にはスンナリいく。・・と思うがどうよ?
838 :
天之御名無主:2007/02/14(水) 14:11:48
秦氏は長期放浪などしてないだろ
諸説あるが、中央アジアの弓月国が故郷
ググッてからカキコせよ
秦氏の子孫とはっきり分かっている家系って残っているの?
ペラだよ。
エルサレム教団ではなく、あるとすれば、ペルシアにいたネストリウス派だろ。
841 :
天之御名無主:2007/02/14(水) 15:05:30
>>839 羽田(元)総理の家系。
雅楽の東儀秀樹の家系。
など。
あとは、島津、長宗我部。
宮中で雅楽やってる林氏というのもそう。
844 :
天之御名無主:2007/02/14(水) 16:09:44
イエスも所属してた原始エルサレム教団エッセネ派共同生活グループ
「ヤハダ」、八幡、八波多、八秦??
正月、ヤッパタって魚の刺身食ったけど、あれもエッセネ派出身?
うかうか魚も食ってられんな
ユダヤの野郎め
838は秦氏が放浪してたなんて、言ってませんが?
>>838 >840
ネストリウスが日本へきた(としても)・・のは、だいぶあとでしょ。
「カルケドン公会議」で異端として追放されたのが、451年だよ。
チンギスハーンの側近にも信者が居たとも言われているが、
漢民族には635年。おそすぎるよ。
838は秦氏が放浪してたなんて、言ってませんが ×
837は秦氏が放浪してたなんて、言ってませんが ○
849 :
天之御名無主:2007/02/14(水) 20:39:18
ジューフィッシュ=ユダヤ人の魚=ハタ科、ハタ、クエ(しま模様の魚)
ユダヤ教徒は宗教儀式の時などに、しま模様の物を身につける。
ハタって、波多、秦??
ハタハタ=秋田=戸来=ユダヤ人
ハタ坊=日の丸=民族主義者=ユダヤ人
たしかに、どっからどうたどっても、秦はユダヤ人ということだな
851 :
天之御名無主:2007/02/14(水) 22:57:57