文化・民俗を学ぶ意味を考える

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1天之御名無主
多くの国や地域には自分達の文化を学ぶ教育が為されている。その地域の伝承や習わしなども学校教育やそれ以外の地域のコミュニティで学ぶ機会が与えられていることが多い
しかし最近は都市化による地域コミュニティの崩壊で、そのような機会が失われていることも多い。
そこで民俗や文化を学ぶ意義と重要性とその方法を今一度考えてみましょう
2天之御名無主:2005/10/18(火) 15:58:04
人間的豊かさのため、伝統を受け継ぐため。
でいいんじゃ?

文化・民俗を学ぶことが本当人間的豊かさとやらに貢献するのか?
伝統を受け継ぐこと自体にそんな価値があるのか?

みたいな疑問はあるだろうが、それをこの板で客観的に語るのは難しいと思う。
3天之御名無主:2005/10/18(火) 16:13:20
本当にそれはその地域の伝統なのか?
伝統を継続させることに意味を与えているものは何か?
誰が得をしているのか?
という問題もありますな。
4天之御名無主:2005/10/18(火) 23:58:03
>>3
ヨーロッパ諸国が侵略の際に最初にやったことはキリスト教を広め、民族のメンタリティを根本から変化させることだった。
そうすることで少しずつ取り込んでいき、最期は植民地とした。
文化を守るということは民族のメンタリティやアイデンティティを守るということです。
それを否定することは隷属にしかならない。
いい例が地球市民派と自称する連中だ。地球市民だと称して、欧米の自分の主張に都合のいいとこだけ切り取って切り合わせたフランケンシュタインのような滑稽な姿の主張を信じ。
しかも自分達の民族意識を否定し他国の民族意識を尊重することが良識的な国際人の考えだと信じている。
自己を否定し他者の自尊心のみを尊重するのは単なる隷属主義や敗北主義に過ぎないのにな
5天之御名無主:2005/10/19(水) 00:53:17
>>4
つ アンダーソン『想像の共同体』
つ ホブズボウム『創られた伝統』
6天之御名無主:2005/10/19(水) 13:23:19
>>4は煽りだと思うが、こう積極的に学ぶ意味を主張するのがないってのは詰まらんな。

人間は伝統に価値を見出してしまうものだから、ってのはどうだろうか?
積極的に教え込もうが教え込むまいが、ある一定数の人間はそこに価値を見出してしまう。
それこそが伝統を継続することに合理的な意味を与えられなくても、なんとなくそこに価値を与えてしまうもの。
その人間の本性という需要に答えたものが、文化・民俗教育。

7天之御名無主:2005/10/19(水) 20:01:00
話しを変えてスマンがテレビで日本昔話の再放送が始まりました。
昔好きだったので見ているが、小さい頃と違い素直に見ることが出来ません。
かぐや姫って話は実際どんな出来事をあのようにまとめたのかこのスレ住人の話を聞かせてくれ


@光る竹は何の暗示?
A姫の課題の財宝は何を暗示?
B姫の母国、使者を使わす月とは何?

アニ板では無理そうなのでヨロ(‐д-)y―~~~
8天之御名無主:2005/10/19(水) 22:43:45
自分の好奇心を満たすため。
それ以外に何の理由が必要なんだ?
9天之御名無主:2005/10/19(水) 22:49:03
>多くの国や地域には自分達の文化を学ぶ教育が為されている。
>その地域の伝承や習わしなども学校教育やそれ以外の地域のコミュニティで学ぶ機会が与えられていることが多い
ってんだから、公教育かなんかの話じゃ?
10天之御名無主:2005/10/20(木) 04:45:16
昔は町内会で子供に神楽を教えたりして、民俗の伝承が行われたものだ
欧米は教会やボーイスカウトが子供達にその役割の一旦を担っているが、日本の場合は現在は学校以外にそういった場は乏しいのだよね
こんなことを積極的に勧めるとなれば、どうせまた博物館とか莫大な金が必要だって文部省が言い出すだろうが
何もそんな金は必要ない
消防団とかボランティアを集めて、地域ごとにそういった活動をさせた方がよっぽど効果がある。
定着するまでには時間がかかるだろうが、それまでは自治体の支援とかも必要だろうけど
定着してしまえば長続きするし、やってもいいと思うのだがね
11天之御名無主:2005/10/20(木) 05:25:37
古くから語り継がれてきた民譚には、
先祖の暮らしが育んできた智恵や道徳が含まれている。
「昔のこと」
と片付けるのは簡単だが、人類が存続する以上現世とて一つの過渡期に過ぎない。
古いものだからと言ってバカにして片付けるのは、愚かなことだと思う。

今この大量生産、大量消費の社会にあっても、天然資源から依存しないものは何一つない。
膨れあがった人類が自然と共生し、今後も生きてゆくためには、
かつてあった生活に学ぶことは必要なことだと思う。




学生の頃、要約してそんなことを卒論で書いたっけなー。
12天之御名無主:2005/10/20(木) 12:48:13
現代では教会がその役を背負ってるんだ。
教会は「迷信」「俗信」の仇敵のイメージがあったから驚きだ。
13天之御名無主:2005/10/20(木) 18:19:01
>>12
そんな関係はキリスト教布教と共に消滅している
根強い民族的な習慣とかは、どうしてもキリスト教もある程度は取り入れないと反発しか買わないからな
南米には有色人種に受け入れられるように黒いマリア像も黒いキリストもある。
ギリシャ正教では、土着の偶像崇拝を受け入れるために偶像崇拝だってやったし
キリスト教は確かに他宗教への弾圧の激しい歴史をもつ宗教だが、他宗教を取り入れた部分だって少なくないよ
14天之御名無主:2005/10/21(金) 22:11:57
古代
15天之御名無主:2005/10/21(金) 22:35:30
ゾンビで有名なハイチのブードゥー教もキリスト教と
土着の信仰が融合した特異な宗教形態だな。
16天之御名無主:2005/10/21(金) 23:44:03
>>13
二行目以下は知ってるが、一行目は同意できないな。
民俗習慣の保護をやってたのを知らなかったのは俺の無知だが

民俗信仰を迷信と排撃する活動「も」近世イギリスで行われている>ピューリタン
17天之御名無主:2005/10/22(土) 22:50:54
とは言うものの、ハロウィーンとかどう説明する?
18天之御名無主:2005/10/29(土) 11:51:46
日本人や真の愛国者なら自国の文化や民俗を正確にきちんと学ぶのは当然だろ。最近の自国の文化や歴史、民俗を知ろうともしないバカウヨ見ていると、こいつら本当に愛国者とは思えない。
19天之御名無主:2005/10/29(土) 11:53:19
>>13


黒いマリア像はフランスにもある。念のため。
20天之御名無主:2005/10/29(土) 12:00:51
>>10


ボーイスカウトの元は、薩摩藩で年長者の子供が小さい子供に武芸

他を教える組織があるのを見たイギリス人が自国でそれを真似した組織を作ったのが最初だ。日本にないのではなく、日本が元祖だよ。それが廃れたのは明治政府のせいじゃないかな。

21天之御名無主:2005/10/29(土) 14:25:50
他国どころか自国の歴史、民俗も知らずにウヨサヨの世界に拘泥していく
奴を見てると、そのあまりの認識力の低さにウンザリさせられる。
22天之御名無主:2005/10/29(土) 17:35:20
愛国心は知識じゃない。
23天之御名無主:2005/10/29(土) 19:47:56
日本人の癖に日本の事を知ろうとしない人間を愛国者とは言えない。

国を愛すとは国の歴史を正確に知り、国の文化、民俗、山河を愛することなのだ。

 国の事をよく知ることで、国に対し誇りを抱けるようになるのだ。

 国の事を何一つ知ろうともせず愛国者を名乗るのは、単なる愚か者であり、時の権力者にいいように扱われるのがおち。
24天之御名無主:2005/10/29(土) 20:19:13
時の権力者w
25天之御名無主:2005/10/29(土) 20:45:00
その「国」ってのが、まさに時の権力者によって定義されるものなんだがなw
26天之御名無主:2005/10/30(日) 02:18:13
だから愛国者なんてくだらん。自称愛国者は死ね。
27天之御名無主:2005/10/30(日) 10:49:04
権力に身の安全を保護されててでかい口叩きますね。

強盗にあったらおまわりさんに泣きつくんだろw
さんざん権力批判しといてみっともないですね
28天之御名無主:2005/12/23(金) 01:18:19
自分を知る
29天之御名無主:2006/06/11(日) 20:58:47
岸和田に住んでる友達がいるんだが、あそこの人間はみなだんじりを曳くんだ。
男はみんな、女も高校くらいまで。
ヤンキーっぽいやつも、真面目そうなやつも、夏になると自分の町のだんじりを
一緒になって曳く。青年団での結束が固いらしいし、だんじりを通して地域の交流も盛んなんだって

こういう地域ってまだ日本にもあるんだなぁ。
30天之御名無主:2006/06/11(日) 23:46:27
>>20
その話は本当ですか?
31天之御名無主:2006/06/12(月) 21:47:57
>>20
元ボーイスカウトだったが、その話はしらんかったな。
創設者は確かロード・ベーデンポウエル(うろ覚え)さんだったと思う。
32天之御名無主:2006/08/18(金) 03:22:12
有史以来戦争の歴史は、民族間の風習、思考形態の相違に起因する、お互いの「我」を通そうとし、それを力づくでも相手に押し付け様と譲らない、言わば「価値観の強制」にあるように思う。今日ではメディア、ネットがこれほどまでに普及しているにも関わらず、やっ
ている事は数千年前と然して変わりはしない。こんなに狭い地球の中で、「民族」というカテゴリーにはそれほどまでに他を寄せ付けず、多大な犠牲を払ってでも(あるいはそれ自体が消滅してでも)守るべき崇高な何かがあるのだろうか?民族のアイデンティティーとは
、どの民族を取ってみてもたかだか5.6千年、短いものでは数百年の歴史しか持っていないではないか。それが、命がけで、それ自体の存亡をかけて争うほどの「価値観」を有しているのだろうか?   なぜ一つになれないのか。不思議である。
33天之御名無主:2007/05/18(金) 01:43:28
食育って、なんかうさん臭くねえ。
34天之御名無主:2007/07/03(火) 23:37:56
>>33
胡散臭いんだか、そうでないんだか、どっちだ?
35天之御名無主:2007/07/04(水) 03:18:05
栄養士の権益拡大でしょう。
民俗で、食育ブームにのっている人って、いないですね。
36 ◆VnJ/ROLEX. :2009/05/22(金) 02:29:53
テスト
37天之御名無主:2009/08/02(日) 20:29:40
いろいろある
38天之御名無主:2009/08/06(木) 06:53:59
風習とか短期間じゃあまり変わらないものなんですね
ttp://www.momokuri.info/
39天之御名無主
作家に元ネタをロハで提供するのが民俗学者の仕事です……