百合若伝説はパクリ?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1天之御名無主
歌舞伎、浄瑠璃にもなっている百合若伝説はユリシーズからのパクリなのでしょうか?
2天之御名無主:2005/09/24(土) 11:51:26
何をいまさら。
3天之御名無主:2005/09/24(土) 11:54:55
ユリシーズは英語読みだから百合若とは関係ないのに。

今でもこんな感じの人がいるよね。外国語なら何でも英語で考えて珍説発表する人。
4天之御名無主:2005/09/25(日) 11:08:43
らい4ちゃんねる
5天之御名無主:2005/09/25(日) 11:10:06
1は漫画のイリアッドを読め


歌舞伎のこうもり安の話しはチャップリンのライムライトが元らしいけどね。
6天之御名無主:2005/09/25(日) 14:33:24
>>3
今でもこんな感じの人がいるよね。英語しか知らないから、真っ先に、
英語に結びつける人。

希の異型:Ολυσσευς, Ουλιξες
羅:Ulysses, Ulixes
伊:Ulysses
西:Ulises
葡:Ulysses
仏:Ulysses

[u]と[j]は、音韻的にみて転化しても全く不自然ではない。
英語のユリシーズは、ラテン語から。仏語が英語発音に近い。

オデュッセイアとの繋がりは、未だに謎。決着が着いているわけではない。
http://www.musashi.ac.jp/news/20040308.html

幸若舞曲「百合若大臣」は、キリシタン時代と同時代に成立したらしいが、
百合若伝説は、これに先行するらしい。仮にオディッセイアに起源するなら
大陸経由かもしれない。比較文学的にみても、類似点が多く、影響関係が
全く無いとは言い切れない。

>>5
はぁ(゜Д゜)? イリアッド=イーリアス。
7天之御名無主:2005/09/25(日) 15:24:42
>>5
当時の外来語(この場合ポルトガル語だな)における語頭の[u]が[ju]に転化した例ってある?
ま、それでも南蛮人がオデュッセイアの話を持ち込んだという証拠は皆無だけど。

それはさておき、百合若伝説はインドや中国にも類話は多い。オデュッセイアも百合若伝説も、
それよりも以前にユーラシアに広がっていた民間説話から各種モチーフを導入したり削ったりして独自に発達したと見るのが妥当だろ。
西洋中心主義者はマハーバーラタやラーマーヤナでさえホメーロスの剽窃というくらいだからなw
8天之御名無主:2005/09/25(日) 15:26:12
>イリアッド=イーリアス。
「漫画の」ってあるのが読めない?
9天之御名無主:2005/09/25(日) 15:43:47
井上章一の『南蛮幻想』なんかもいいね。

>織田信長の安土城には十字架がまつられていた、織部灯籠は隠れキリシタンの信仰シンボル、
>幸若舞の「百合若大臣」はギリシアの"ユリシーズ"を翻案――確たる証拠もないまま、
>多くの学者、論客たちによって「事実」とされてきた一群の夢物語。
10天之御名無主:2005/09/25(日) 18:11:08
>>8


イリアッドって漫画(小学館刊)にユリシーズと百合若の話しが出てくる。

この漫画ではアトランティスを日本の学者が探すというストーリーだけど

本国では廃れて語られなくなったユリシーズの原型というべき伝説が日本の百合若伝説に残っていたというエピソードが描かれている。


キリスト教徒が日本に持ち込んだ話しを誰かが日本版に翻訳したのではないですかね。

当時イソップ物語も西洋から持ち込まれているし、あながちおかしな話しではあるまい。聖書でも日本風に書き直したバージョンもあるでしょう。
11天之御名無主:2005/09/25(日) 18:21:02
おい

まさか、このスレ続行する気か・・・
126:2005/09/25(日) 22:59:10
>>7
ちと、頭悪いよ。[u] が [ju] や類似音の [y] になるのは、仏語見て
分からんの? 「百合若」自体の名は、ポルトガル人来日に先行
するわけで、仮に「百合若」が オデュッセウスから来ているなら、
景教と同じく、様々な地域を通っているはずで、その間に転化しても
おかしくない。また、「百合若」の呼称が日本の起源であるなら、
羅・葡の Ulysses との発音の類似のために、同化したかもしれない。
そして、それ以前の百合若伝説に、オデュッセイアのエピソードが
結びついて、「百合若大臣」になったかもしれない。

>南蛮人がオデュッセイアの話を持ち込んだという証拠は皆無

こ〜ゆ〜レベルの低い発言は止めた方がいい。

>百合若伝説はインドや中国にも類話は多い

ほ〜、例えば、どれ?

>ユーラシアに広がっていた民間説話

だとしたら、なお更、オデュッセイアと百合若の関連を示してるじゃん。

>マハーバーラタやラーマーヤナでさえホメーロスの剽窃

どの部分か知らんが、その研究者は「剽窃」などとは言ってないだろ。
ガンダーラ美術の成り立ちを思えば、ホメーロスの詩が、インド文学に
影響を与えていても不思議ではない。その逆のインド→西洋だって、
いくらでも指摘されてるしな。(例えば、J. L. ウェストンやバルトルシャイティス)
136:2005/09/25(日) 23:01:46
>>10
そら知らんかった。失敬。イソップ物語の翻訳印刷物(伊曾保物語)が
あるんだから、オデュッセイアの翻訳とは言わなくても、口伝くらい、
あったとしてもおかしくは無いな。
14山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/09/26(月) 08:05:09
言いだしっぺは坪内逍遥。南方熊楠なども協賛しています。>戦国渡来説
初見は『言継卿記』。16世紀半ばとやや早いですが、その時点での筋立て
は不明ですし、主人公の苦難譚は、中世の縁起物には普遍的なものです。
この辺りの経過は、既出の『南蛮幻想』で網羅されていますよ。
聖徳太子=キリスト教徒説などのトンデモ説を否定したものです。
15天之御名無主:2005/09/26(月) 11:18:46
>>14
肝心の百合若はトンデモ説って否定してんの?
この人、法隆寺のエンタシスの本以来、胡散臭さが漂う。
16天之御名無主:2005/09/26(月) 11:35:16
旅研の世界歴史事典にでてた。

>またこの伝説とギリシアのユリシーズ伝説との相似が
>かつて坪内逍遥によって提唱されたが,
>両伝承の甚だしいモティーフの一致に着目し,16世紀の中葉,
>山口にユリシーズ伝説がザビエルの一行の何者かにより
>もち込まれ翻案されたかとする仮説が,
>ジェイムズ= T =アラキ氏によって再び出されている。
>なおまた百合若伝説と外国説話との関係については,
>前田淑氏によって『報恩経』の善友太子の物語の影響が論ぜられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/S/S284L200.HTM

やっぱ、未だに論争中みたいね。
前田淑「百合若説話の成立に関する一試論」ってのが読みたいな。
17山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/09/30(金) 16:55:51
調べておきました。『南蛮幻想』に、先行研究がまとめて掲載されています。
『言継卿記』の記述ですが、これが1551年。ザビエル来日から一年半後
の事で、この時点では既に曲舞として知られていました。
>ジェイムズ= T =アラキ氏によって再び出されている。
ハワイ大学の人ですが、ザビエルがユリシーズ伝説を知っていた「かもしれ
ない」、彼らが日本人に伝えた「かもしれない」、伝来直後に新作舞が製作
され、「百合若」として翻案されていた「かもしれない」というお話。
仮定の上に願望を積み重ねた様な内容です。
また、戦後1536年には百合若が演じられていた事が判明し、今ではほと
んど支持するものが(比較文学の一部を除いて)無い様です。

>14
法隆寺のエンタシスが外来という説も、同書で否定されていましたが。
今でも支持されているのは、教科書ぐらいの様ですよ。
これは、建築史などの本を読んでみても同じ。
1815:2005/10/04(火) 21:15:40
ほぉ、なるほど〜。「かもしれない」という仮定なら、良心的な学者として、
当然のことを言ってると思うのですが。
それで、否定してると解釈されても・・
私も、簡単に調べてみましたが、オデュッセイアと百合若の類似点は、
単なる偶然とは思えないほどのもののようです。

百合若      オデュッセイア

神仏の干渉   神の干渉
凱旋の帰路   凱旋の帰路
島に置き去り  島に置き去り
家臣の造反   貴族の裏切り
家臣への復讐 貴族への復讐
弓で征伐    弓で征伐

1915:2005/10/04(火) 21:17:07
私は美術史専攻ですが、比較文化において、
形態の類似というのは、非常に大きな意味を持ちます。
あるもの同士が「似ている」ということは、同時発生よりも先に、影響関係を疑うのです。
文化に限ると、同時発生なんて、滅多に考えられないものです。
例えば、青海波。現在では、メソポタミア起源が真剣に議論されてます。

エンタシスの問題も、そう簡単に否定できるわけではありません。
影響関係が仮説に留まっている理由は、ヘレニズム圏と日本の間に、
エンタシスをもつ建築が見つからないからです。
つまり中間地点が見つからない。
しかし、「現存しない」ことは、初めから存在しなかったこととは違います。
だから、良心的学者は「かもしれない」と言うのです。
それとぉ「聖徳太子=キリスト教徒説」ってのは、「厩戸皇子」のことかしらん。
聖徳太子がキリスト教なんてのはまず考えられないけど、
この由来がキリスト教伝承にあることは十分考えられますよ。
これも「かもしれない」です。
完全に「無い」と言い切れる証拠がないのです。

失礼ですが、山野さんて、良い意味でアマチュアだとは思うけど、
これまたいい意味でのアカデミックな方法論に通じてないところがありますね。
世界史板とかみると、西洋の知識が結構怪しいし、
外国語もお得意ではないようですので、こういう分野に関しては、
あまり権威ぶらないで、もうちょっと謙虚に考えた方が良いのでは・・・
20天之御名無主:2005/10/05(水) 18:47:13
情報出してくれたヤシに「謙虚になれ」とは何事かと。
お互い立場はイーブンだろ?
失礼だと思うならもっと別の言い方が出来ないか
考えるべきだろうと小一(ry
2115:2005/10/07(金) 06:55:54
学問に対する姿勢の話。
2215:2005/10/07(金) 06:59:50
最近見た中では、サリーがムガール帝国滅亡以後とか、
世界史トリビアスレのギロチン話とか、この板なら、質問スレの賽銭に関することとか、
結構デタラメ飛ばしてるから、あんまり権威ぶらない方が、
本人以外には、有難いんですけどね。
23天之御名無主:2005/10/08(土) 06:15:32
はいはいわろすわろす
24天之御名無主:2005/10/08(土) 17:34:02
>「かもしれない」という仮定なら、良心的な学者として、当然のことを言ってると思うのですが。

「かもしれない」という仮定を立脚点として、さらに「かもしれない」という仮定を繰り返す学者のどこが良心的なんだ?
25山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/08(土) 20:32:21
私もあまり煩い事は申し上げたくないのですが、
>完全に「無い」と言い切れる証拠がないのです。
それを言っていたら、悪魔(の証明と言いますね)も宇宙人も幽霊も「無い」
と「言い切れる」証拠はありませんよ。
寺田寅彦も「可能性」だけなら妖怪の実在する事も認めていましたが、無い
ものの証明を求める事の、どこが学問的なのですか。
26山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/08(土) 20:47:31
少なくとも、現時点ではどの仮説も検証に耐えうる根拠を揃えるに至ってお
らず、『言継卿記』以前の記録まで見つかった今では、戦国期に欧州から伝説
が伝わった可能性は消滅し、それ以前に伝わったと見る事も出来ない。
ただ、それだけの話です。断固として否定する訳では無く、ただ肯定する必
要性が認められないだけ。
似ているからといって、関係がある→証拠を見つけよう、というのであれば、
本末転倒です。
27天之御名無主:2005/10/08(土) 22:58:44
仮説に仮説を重ねて、その可能性があるから事実だなんて言うのはオカルト信者(きちがいでもかまわないが)に良くあるタイプ。

もしドラえもんが実在すると言い張るのなら、ドラえもんを連れてくればすむ話し。否定派がドラえもんがいない証拠を出さなければならない理由もない。

だけど、仮説を唱えている分には別に問題ないと思うけどね。


もし戦国時代でないとするなら、中国の西安(当時の中国の首都ならどこでも)にいたローマ帝国の人間が中国人にこの伝説を伝え、遣唐使等がその伝説

を日本に持ち帰ったとかというのも充分ありえるね。
28天之御名無主:2005/10/08(土) 23:27:41
まあ日本に南蛮人が渡来したのはザビエル以前にもいたのだから、ザビエルだけにこだわるのもおかしな話しだと思うぞ。ネタにつまれば即パクリなんて芸能界(昔でいえば河原乞食)にありがちのことなんだから、すぐに曲舞になってもおかしくない話しだと思う。

ところで、鉄砲が種子島に伝わったのはいつだっけ?1536年より後なら、

戦国時代の南蛮人からの説は否定してもいいと思う。
29天之御名無主:2005/10/08(土) 23:48:26
ああ、なんて生真面目な連中だろう。
どんなスレでも開拓を試みる。
30山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/09(日) 01:07:55
種子島は、1543年です。1542年説もありますが。
船員の教養からしても、可能性は低いでしょう。
31天之御名無主:2005/10/09(日) 03:06:37
じゃあ伝説は中国伝来かなあ。
32天之御名無主:2005/10/11(火) 13:03:07
結局面白い話しはパクリ等や口コミで広がるんだよ。
33堂本剛の過酷な転落人生:2005/10/20(木) 04:19:26

キンキでアイドルとして成功

太ったり痩せたりを繰り返しビジュアルが劣化
ヲタが減って主演ドラマがコケ始める

今度はお笑いの方向で・・(憧れのDT松本のしゃべりを真似てクレームが来る。数々の芸人に寄生)

お笑い系ソロ番組「つよちゃん堂本舗」開始

低視聴率で即打ち切り(半年間)

今度はアーティストの方向で・・(憧れのミスチル、椎名林檎の真似。友人と称する人が芸人からアーティストへ一掃)

全11箇所の小規模ソロツアーを試みる

オーラスチケットでさえ売れ残り、焦った事務所が全てのジャニタレのファンクラブ会員に
お粗末な勧誘チラシを無差別に送る。
ライブDVDの売り上げはたった4万枚であぼーん。

現在に至る

34天之御名無主:2005/12/15(木) 02:09:38
ものによっては百合若を百合草若と表記するところから、ユリクセスと連想できるという
論文があるらしい。
前田論文だと、海洋貴種漂流譚の変形で海洋民族一般に共通するストーリーなのだろうと
考察している。伝播の有無については距離をとる感じの論文だった。各地に伝わる百合若
説話をしらみつぶしにした論文で、面白いから手に入るなら読むことを奨める。
図書館に請求したらコピーをくれると思うよ。

で、舞の話が一番オデュッセイアに酷似していて、もし日本に伝わっていたのなら、編集の
参考にしたんじゃないのかな、と思うね。
35天之御名無主:2006/07/29(土) 19:41:35
イソップ物語に、有名な「王様の耳はロバの耳」という話があります。イソップは、古代ギリシアのアイソポス(紀元前600年ごろ)のことですが、これと同じ様な話が平安時代の古典「大鏡」に伝わっています。
「(前略)〜かかればこそ、むかしの人は、もの言はま欲しくなれば、穴を掘りて言ひ入れ侍りけめと、おぼえ侍り」というオチが付いています。
尚、「大鏡」は西暦850年から1025年頃の事が書かれています。
一方、中国には635年、ペルシャ人のアラボンらが首都長安に到着し、以降ネストリウス派キリスト教が伝わっており、781年に「大秦景教流行中国碑」も建てられております。また同時代、日本からの留学生、阿倍仲麻呂などは717年に唐に渡って長安で活躍しております。
また、キリスト教では、イエスは馬小屋で生まれたことになっていますが、日本でも聖徳太子が馬小屋(厩戸)で生まれたといわれることから、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と名付けられています。
こうした類似説話は、地中海東岸地方の物語が伝わったものではないかとも思えます
36天之御名無主:2006/07/29(土) 21:08:17
「百合若」って響きが耽美だな〜
37山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/07/29(土) 22:51:54
>「(前略)〜かかればこそ、むかしの人は、もの言はま欲しくなれば、穴を掘りて言ひ入れ侍りけめと、おぼえ侍り」というオチが付いています。
冒頭で出て来る台詞ですが、これは単に語りたい事があったと言っているだけ
で、「同じ様な話」なんて出て来ていませんよ。驢馬も王様も出て来ない。
38天之御名無主:2007/07/18(水) 19:27:58
百合若のモデルが武内宿禰だって聞いたけど
このスレでは武内の名前は出てないのね。
39天之御名無主:2007/08/12(日) 18:14:17
百合若伝説って、室町時代に幸若舞として脚色されて上演されているけど?
40天之御名無主:2008/04/13(日) 06:49:49
 平家が進めた積極的な宋との交易は、鎌倉幕府の時代になっても受け継がれる。宋の書に
「倭人は鯨波の険を冒し、舳艫(じくろ)相ふくみ、其の物(倭の産物)をもって来りうる」といわれ
るまでになった。日本が宋に送った金は毎年数千両とされる。この日本と宋の交易の高まりは
元の時代にも引き継がれることとなる。
 フビライが日本と宋の交易の実績を見逃すわけはなかった。特に、金の魅惑は大きく、それ
が元寇を引き起こした。フビライにとって、日本に服属させることが最善を意味したが、その可
否にかかわらず、日本との交易が持続する必要があったし、日本の商人にとっても同じであっ
た。この硬軟両用の戦略は2回の元寇の戦間期に史実を見ても明らかである。
 元は、戦間期にあっても、日本船を受け入れる。第1回元寇2年後の1276年、そして翌年、中
国指定港である慶元に渡航した鎮西の商船が帰国して、南宋の首都臨安が占領されたという
情報をもたらしている。同77年には市舶司を泉州などに復活・配置する。翌年には、フビライは
沿海有司に布告して、日本商船の貿易を許可するように命じ、翌々年慶元に入港した日本商
船の4隻に、クビライは特に勅語を下して、貿易を許可している。
 1281年の第2回元寇後、さすがに日元交易は衰退するが、それは一時的なものにとどまり、
回復する。そのなかで、それまでの一般の商人船に加えて、有力な社寺が巨額な造営費を調
達するため、14世紀第2四半期、いわゆる「造営料唐船」を仕立て、元に送り出すようになっ
た。
 1325年建長寺造営料唐船にはじまり、関東大仏(鎌倉大仏)造営料唐船、住吉神社造料唐
船、天竜寺造営料唐船などが続き、医師但馬入道道仙の療病院造営料唐船などが派遣され
ている。「倭寇は密貿易であるのにたいし、これら造営料唐船は朝廷ならびに幕府の認可を得
た官許貿易船であり、次期日明貿易時代の勘合貿易船中の寺社船の先駆をなすものである」
とされる(森前同、p.72)。
41天之御名無主:2008/04/13(日) 07:08:37
 中国では、外国交易船は市舶あるい互市舶と呼ばれ、外国人商人は蕃商と呼ばれた。彼ら
は、中国での交易が終わればおおむね帰国するが、海港に定住あるいは永住するものも出て
きた。彼らは蕃坊と呼ばれる居留地に居住した。彼らの交易と居留を取り締まるため、蕃長司
という役所が設けられた。その長として蕃長が、居留民の実力者のなかから、中国によって任
命された。

 「宋時代には、支那政府は概して蕃客の通商を奬勵した。自然在留蕃商を優遇して、たとひ
彼等に多少の犯則非法の行爲があつても、大抵は不問に看過した」という。こうした居留地管
理は他のシルクロ−ド海港においてみられたものと同じであるが、中国にあっては彼らの出資
によつて城普請を行ったり、警備艦を作つたりすることがあった。
 これら定住蕃商のなかにあって特記されるのが、13世紀後半宋元交代期、泉州で活躍した
蒲寿庚(ほじゅうこう)であった。彼は土生蕃商と呼ばれた、定住蕃商が中国で生んだ子であ
り、アラブ人またはペルシア人でイスラーム教徒であった。
42天之御名無主:2008/04/13(日) 15:11:12
仏哲(ぶってつ、生没年不詳)は、奈良時代の渡来僧。仏徹とも書く。
林邑(りんゆう)国(ベトナム南部)ユエの出身。
インドに入り菩提僊那に師事して密呪に秀でた。唐開元年間(713年−741年)
菩提僊那とともに唐に入り、当時日本から唐に入っていた僧理鏡らの招きにより、
726年(天平8年)師の菩提僊那・唐の僧道センとともに来日した。
大宰府を経て京に入り、奈良大安寺に住した。
中国経由で日本に渡来した林邑僧仏哲が伝えたチャンパの舞踊は林邑楽として
今日まで雅楽の中に伝承されている。
14世紀から15世紀に掛けて交易国家として繁栄した琉球王国はチャンパ王国(占城)
と通好関係があった(歴代宝案)

43ついでに芥川龍之介先生の説(神々の微笑)によれば:2008/06/07(土) 18:44:47
「私はつい四・五日前、西国の海辺に上陸したギリシャの船乗りに遇いました。
その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。
私はその船乗りと、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。
目一つの神につかまった話だの、人を豕にする女神の話だの、声の美しい人魚の話だの――
あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇った時から、この国の土人に変りました。
今では百合若と名乗っているそうです」

やはり百合若=ユリシーズ説は鉄板……か?
44天之御名無主:2008/12/13(土) 15:24:06
南方熊楠も 百合若=ユリシーズ説を採る
45天之御名無主:2009/08/24(月) 21:50:01

劣等ニッポン民族が、オリジナルを作り出せるはずない――

と、辛淑玉あたりが「ユリシーズ起源説」を言い出しそう
46天之御名無主:2009/08/25(火) 01:49:33
悪毒王=悪路王。
百合若大臣=坂上田村麿
47天之御名無主:2009/12/15(火) 14:59:49
>7
>オデュッセイアも百合若伝説も、それよりも以前にユーラシアに広がっていた民間説話から各種モチーフを導入したり削ったりして独自に発達したと見るのが妥当だろ。

つ アルパミシ
48天之御名無主
百合若伝説って
沖縄の水納島(だったかな?)にも民話として存在してるよ