日本は民俗を語る上でコメは欠かせない。
神社にお供えするのはコメそのものに餅・酒といったコメの加工物だ。
日本の美称は瑞穂の国だ。
最近は漁民や遊芸の民とかがクローズアップされてるが、やはりコメは重要だ。
とにかくコメだ。コメに関する民俗・疑問・トリビア・おいしい食べ方etcなんでもカキコしてくれ。
とりあえず、大阪に住んでる香具師は「お米ギャラリー心斎橋」で販売されている、
古代米の赤米・黒米・緑米のおにぎりを食べてきてから、
その味についてリポートしてくれ。一個百円だそうだ。
今日の日経夕刊の関西版の12面で紹介されている。
どんな味か気になる。
トリビアってかなり広まってるね。
大林多良に言わせると、日本人は歴史的に米食民族じゃなくて、
米食祈願民族だそうだ。
コメばっかりを食べてたんじゃなく、他の五穀や芋なんかもたくさん食べていた。
それは、コメの生産量が需要量をまかなえなかったためで、
みんなコメを食いたくてたまらなかった。
死人の耳元でコメの入った竹筒を振ってコメの音をさして、
弔いをする風習もあったそうだ。
貨幣経済が発達して、色々な記録も残っている江戸時代なら、
コメと五穀と芋の値段とその生産量を比較したりできるんじゃないかな。
日本人のコメに対する思いなんかがそこからわかるんじゃないかな。
どうやって調べたらいいかわからんが。
>>4 今でも鹿児島や山間部では芋正月ってのがありますね。
雑煮に餅の変わりに芋を入れたり、雑煮そのものが無い場合もある。
実家が浜松なんですが、山間部の佐久間・天竜の方だと棚田がある
一方で、そうした芋正月の風習が残されてるみたいです(未確認)。
江戸時代だと米は貨幣みたいな役割も任されてたからね。米の先物
取引みたいなものが始まったのもこの頃からだし。
納豆に葱を刻むと旨いとだけ答えておく。
8 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/31 09:32
>>1 古代米って、見た目はともかく(炊き方もあるんでしょうが)、美味しいものではないですよ。
>>4 日本全域でお米が食べられるようになったのは、前の戦争の配給制度が始まってからだったとか。
>>5 お母さんが青森出身の方で、「ウチはお正月にお雑煮(餅入り)をつくらない」という人にあったことがあります。
>>5 >>8 コメの取れない地域なんかでは、コメ以外を主食にしていたというのを議論の前提として、
そういうコメを食えない人々もコメを食いたがっていた。
コメを普段食えなかった地域では、死んだときはコメの音だけ耳元でならす習慣があったような、
コメを崇拝するというのかな、そういう風俗とか、
コメと稗・粟の値段の差とか、
そういうコメの地位みたいなものが知りたいんです。
子供のころ、たまに粟ご飯が出るとごちそうだった。
逆に珍しかったからかな?また食べたいなー。
11 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/02/01 16:59
>>9 うーん、どうでしょうね。
その手のは長野のを聞いたことがありますが、
米の流通やその土地での食料供給体制のことを考えると、そんなに古いとも思えないんですが。
(江戸時代くらい?)
12 :
天之御名無主:04/02/01 17:04
13 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/01 17:05
>>4 大林太良です。ちなみにハレの日にも米を食べなかったという柳田國男
の「日本人」の定義から外れた集落も存在していました。
>>8 国民全員が毎日米が食べられるようになったのは1960年代に入って
からのようですね。それまでは麦飯が多く、明治生まれからならヒエ飯
の話も聞けます。
>>11 耳で鳴らす云々の習俗は中世以前には確認出来ないようですね。記録に
残されていないだけなのかもしれませんが。
私は
>>4と
>>9にもレスをつけています。
>>8と
>>11のとてたさん。
私が古代のコメのうまさを知りたいのは、品種改良前のコメのうまさを知りたいんです。
コメが穀物の中で一位の座を取るのはよほどおいしいからだと思うからです。
浅学でヒエ・アワ・ムギを食べたことはないんですが。
とにかく、コメの地位は日本の中で異常に高いと思うんです。
山野野衾さん、この板の有名コテハンさんにレスを頂いて光栄です。
例えば石高という言葉があります。
こういうコメの収穫量で国力のランキングをするような、
そういう習慣とういのかな、石高が支配者の収入に直結し兵力に直結するような戦国時代を考えると、
やはり、コメは他の農作物とは格段に違う地位があったと思うんです。
コメというものの地位、そしてコメ作りに関与していた人の地位(逆にいえばコメに関わらなかった人の地位の低さ)、
そういうことを議論する場、そういうことの情報がわかるスレにしたいんです。
米を年貢として納めたり(但し絹織物などの産物で代用した例あり)
贈り物として「米三石」が贈られたりといった事は古代からありまし
たが、国ごとの石高が測られるようになったのは太閤検地からですね。
近世になると米の商品化が進んで北日本でも芋作に代って稲作が重視
されるようになり、飢饉の一因となりました。
収穫面での効率もあったでしょうが、確かに味は重要です。麦飯やヒ
エ飯を食べていた人間で「不味かった」と言わない人間はおりません
からね。
>>15 山野野衾さん、素早いレスをすけって下さってありがとうございます。
コメのその味のことなんですが、私はコメ以外の穀物を食べた事はありません。
コメはたしかに収穫面での優位性があったと思います。
ムギは陸稲なんか同じですが、ミズホは、古代エジプトとナイル川氾濫と同様に、
水の流れによって養分を補給できるため、ヨーロッパの、
ブタを飼うとこ・休ませるとこ・ムギを植えるとこと、農地を3分割せずにすみます。
しかし、それでしたら、江戸期には北海道のニシンが肥料として大量に本州に運びこまれていたのですから、
少々不利な陸稲の形態でもきちんとした収穫ができたはずです。
つまり、おいしさの面と、なんらかの信仰のうような形で、
コメの優位性があったと思うんです。
こういった問題を真正面から取上げた人なり論文とかないんですかね?
17 :
天之御名無主:04/02/01 22:29
福島瑞穂の国ですか?
18 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/01 22:35
今更柳田・折口でもありませんしね・・・申し訳ないのですが、一寸
思いつきません。神饌としてその共同体でもっとも重要なものが奉
げられ、それが直会で食されたという意味での重要性はあったでし
ょうが。「食物の代表」とするのなら一番やり易いところに位置し
ていたのではないでしょうか。
「年玉」というのも本来は餅でしたが、餅でないなら何なら良かった
んだという話になる。
19 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/02/05 23:00
>>14 うーん、赤米や紫米のような「古代米」にまでなると、雑穀並みの味なんですよ…。
…現代のコメがとても美味しくなっていることもあるとは思いますが(舌が肥えている)。
江戸時代のうるち米(亀の尾とか坊主とか)も、少し古い日本晴の方が美味しい、とききますし。
>>16 陸稲は、焼畑や換え畠で作付されていたかと。
そもそも、水田(灌漑技術の向上)以前は谷地での半水田の形状栽培していたようです。
20 :
天之御名無主:04/02/10 20:52
おとうさん
お金かしてほしいんだけど
ピッカーリ ヒッカーリ コシヒカリ〜♪ お米〜がーうま〜くて〜♪ また食〜った〜また食った〜♪
>>8 古代米を普通の炊飯の要領で炊く場合、事前にたっぷりの水に
一日漬けてから炊かないと芯まで軟らかくならないっす。
キビやアワは、米と一緒にそのまま炊けるっす。
24 :
天之御名無主:2005/05/22(日) 01:11:33
日本はコメの国・瑞穂の国だって、縄文期はクリや漁獲・狩猟が
メインだったんだけど。
弥生以降の侵略者の食いもんじゃねーか。
八尺瓊勾玉わっしょい八咫鏡わっしょい天叢雲剣わっしょい
27 :
天ノ川 創:2006/12/28(木) 13:29:31
アマテラス降臨!
28 :
天之御名無主:2007/01/05(金) 17:10:24
test
ばびぶ
30 :
天之御名無主:2007/03/20(火) 19:39:09
クソスレ復活
31 :
天之御名無主:2007/03/21(水) 12:44:03
日本は福島みずほの国!
32 :
天之御名無主:2007/03/21(水) 12:58:55
あ
>>24 4/4朝日朝刊文化面によれば、弥生人の源たる大陸からの移住者の渡来時期は、
従来言われてきた中国戦国期の動乱避難が契機でなく、北部九州の水稲の痕跡
からみて、もっと古いBC10世紀頃ではないかと。稲作伝播の契機は、その当時
見舞った気候寒冷化ではないかと。北方遊牧民の南下で押し出された農耕民が
渡海渡来したのではと。
その稲作文明が列島を東漸していったわけだが、採集食料が豊かであった東日本の
縄文人が稲作を受容したのは、コメの生産性の高さゆえではなく、儀礼や祭宴の
供物すなわち餅や酒の素材としてではなかったかと。
中尾佐助によると シトギは
東南アジアでは、普通のご飯
36 :
天之御名無主:2009/04/10(金) 00:40:19
>>1 瑞穂の国なら、なんで社民党は政権とれないんでしょう?
ふくしまさんは おはなばたけのひとだから
秋津島は、
お芋さん文化圏から 根性(テンナンショウ科に属するサトイモ dioscorea属に入るヤマイモ)
でなんとか御芋さんを、
雑穀文化圏の高めのとこ(雑穀文化圏は、草刈に暇取られるので、
なんちゃってモノカルチャーにならないと文化が発展しない)から、アワヒエキビ米を
なぜか麦文化圏から 大麦をもらってるんだけど、
お花畑文化圏から お花もらってないから、
お花畑の社民党の人は、皮肉にも政権取れないのよ つうか万年野党モードだし
照葉樹林文化圏だから もともとおコメを受け取れる素地はあったのよ。
戦後は大体 サヨがトス上げしてウヨ系が実行する
でやってたので、まあ一応 みずほさんの国ではある。
つまり、じつは日本は
福島瑞穂 という 女帝によって占められている
たぶんブラックラバーで全身を締め上げて ピンヒールで腿レンジのブーツ履いて、
お腰につけたぺにばんを、時の首相のけつにぶち込んでるんだろう。
女帝福島瑞穂は。
パヤオは中尾佐助氏を
「京都の人だから強引に『稲作文化なんてないんだ』という説を」
やっていた ので その説で楽になった とする
ちなみに中尾氏は京都大学の人で、出身は愛知県である
中尾氏の 料理の起源では、
米を表す言語と調理法で、料理法の進化を強引にまとめてみますた
と、やっていた。
稗麦価食ってる人は 前期炊き干し法(いわゆる一般的な炊き方@和風)によるご飯を、
「えー なんか 蛆虫食ってるみたいでまずいー」
といっておったそうぢゃ。
インド人と朝鮮人とシナ人は 後期炊き干し方 という方法でご飯を炊く
お水をどばーっと使う ので、ぱさぱさになる
雑穀を食ってる系の日本人も、これで雑穀を炊く ので、
>>44こういうことになる。
で、中尾佐助氏によれば、
お鮨は、前期炊き干し方で炊いたおコメに酢を打った、照葉樹林文化圏としてはエポックなもの
で、シャリ は朝鮮語(後期炊き干し方によるご飯)の伝播したものとする。
もちろん、かの国があれするわけがない(中尾説でも)ので、おそらくインド起源な筈なのだが、
中尾氏はサリー(インドご飯)とツサール(朝鮮御飯)の中継地点を シナ語に求められなかった
みずほさんの
はえぎわが
きになりまつ
さなぶりー
48 :
天之御名無主:2009/11/14(土) 11:29:44
瑞穂の国なので、法治国家の要たる福島瑞穂様は、どうあろうとも、
・国はリヴァイアサンである
・従って法律という拘束具で国を縛るべきである
・そうすると 警察が暴力の装置を携帯するのはもってのほかである
という 法治思想をお垂れ遊ばす
福島先生が強姦されても多分 強姦者の人権を守るおそらく
昔海外のある国で、日本米のようなべちゃべちゃ米は1kg100円で、
シナの長細い香りつき米(パラパラ)が1kg360円で売られていたお
その価格評価が日本人の感覚と真反対だったわけだがwww
ほほう
51 :
天之御名無主:2010/07/30(金) 12:44:19
中尾佐助 料理の起源は、 まず、
昭和十八年 将校待遇だった中尾氏が、満州で中国人の料理人に、
粘り気を取ったぽそぽそ飯を無理矢理食わされた 話から始まる
日本人が、何回
洗った米を水に浸して、しばらく置いた後に炊き、ひっくり返して
という炊き方の指導をしても、頑として受け付けなかった という。
52 :
天之御名無主:2010/07/30(金) 18:49:47
そりゃあ米の種類も調味料も料理法も全く違うんだから当然でしょ。
日本の料理には日本の米とその炊き方が正しいに決まってるし
中国やタイなら現地の米と現地の炊き方が正しいに決まってる。
もちろんである!
で、調味料も調理法も地域のよって全く違う のと、
伝播 と、
あっちからきた香具師をうちでアレンジ する という人間の営みが合わさって
照葉樹林文化圏 の特徴である鮓は
大陸系は ネタにスを打つが、島(日本である!)は酢を飯に打つ
という違いが出る。
池橋宏先生は、照葉樹林文化圏に批判的である。
照葉樹林文化圏は、言い出しっぺによれば
お芋さん文化圏(マレー半島起源)の北端の端っこで、
(ニジェール川流域起源)サヴァンナ系農耕文化圏の東の果である。
池橋氏はこの、「中東起源」の稲が伝播説について批判し、
お芋さん畑から、栄養繁殖の稲が発生した
とする。本当にする。