日本神話総合-第1話:天地開闢

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468天之御名無主
17代出雲国造出雲宮向編纂「大葦原人津国紀」一部現代語訳
伊邪凪神が生んだ中の3人の神は、須左之淤大神、天照姫命、月読命である。
伊邪凪神は、須左之淤大神に大葦原人津国、天照姫命に高天原神津国、月読命に深闇原鬼津国を治めよと命じた。
天照姫命は、神の国を治めている自分が人の国を治めるのが妥当だと思い、須左之淤大神を誘惑しようとした。
誇り高き心を持っていた須左之淤大神はそれを跳ね除けたが、天照姫命は須左之淤大神が自分を襲ったと言いふらし、
大葦原人津国征伐を妥当であるとし、実行した。
須左之淤大神は再びそれをも跳ね除けた。
しばらくして、須左之淤大神は大葦原人津国の統治者の地位を御子息大国主命に譲った。
そして大国主命に天皇と言う称号を授けた。
同じ頃、これに対抗して天照姫命も息子邇邇芸命に天皇の称号を授けた。
邇邇芸天皇は大葦原人津国に攻め入った。大国主天皇は果敢に抵抗したが、
惜しくも敗れ、ご自分の領地を邇邇芸天皇に奪われることとなった。
邇邇芸天皇は大層喜んだが、大葦原人津国の広さを知らなかった。
そこで、大国主天皇は御子息邇芸速日命に従者長髄彦を付け、大和の地へと逃げさせた。
こうして邇芸速日命は大和の地で天皇となった。
同じ頃、高天原神津国でも邇邇芸天皇が息子火遠理命に天皇の称号を授けた。
邇芸速日天皇は従者長髄彦の妹を妻としたいと申し出、長髄彦も快くこれを承諾した。
しかし、お二人にはどう言うわけか子供が出来ず、その為長髄彦を養子に迎え、これに天皇の称号を授けた。
同じ頃、高天原神津国でも火遠理天皇から息子磐余彦へと天皇の称号が授けられた。
長髄天皇の下へ磐余天皇が攻め入った。長髄天皇は果敢に戦ったが、
遂に磐余天皇の軍勢に完璧に敗れた。
こうして磐余天皇は大葦原人津国を高天原神津国の領土とし、それを記念して神武天皇と改名した。
こうして、大葦原人津国は代々神武天皇の子孫が治めることとなった。
しかし、9代開化天皇の治世の60年目、
長髄天皇の子孫である彌真岐命が反乱を起こし、遂に10代天皇となった。
彌真岐命は天皇となったことを記念し、須左之淤大神を崇めるという意味の
崇神天皇と名乗られた。