・龍ケ崎市八代町下入代
県道潮来線のバス停から30b程の所に、十三角田という田があった。
この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由は
はっきりしない。
この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する
人があった。
この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり死亡。
親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家
で主人が胃ガンで死亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなく
なり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
地形が変わったためか、今では無事だと言う。
・新利根町芝崎
芝崎の水道という所に、約1f程の田があった。
形が出刃包丁に似ていると言うので「出刃田」と呼ばれ、ここの田を耕作
すると災難が来ると恐れられていた。
これまで何人となく作る人がいたがすぐに止めてしまい、荒れるに任せて
いた。
昭和十年頃、河内町下加納の人が作ったところ、間もなく火災に遭って
自宅を全焼してしまった。
現在は農地構造改善事業によって所在不明となった。
死人もいなくて、なぜ忌み地になったかわからない土地って
風水で言う陰の気が噴出してるところみたいなものかな?
そーいう土地は20年で地運が変わるので時間がたてば大丈夫らしいが。
風水なんてここ12〜13年前、から言われ出した事で、日本の既存の生活文化に
何の関わりもありませんよ。
メディアがデッチ上げた、新しすぎる認識です。(映画「帝都物語」の影響?)
死人が出たからといって忌み地になるというのは違いますよ。
53 :
天之御名無主:03/09/07 15:41
>>50 江戸は四神(玄武・白虎・青龍・朱雀)の守りを作ったのは事実。
古くは平城京・平安京にさかのぼるのだがね?
藻前こそ無い知識で痛すぎ。(・∀・)カエレ!
>>52 ホントにそうじゃないって言うなら、どんな理由がありましょうや・・・?
和泉宗章氏の天中殺や、細木数子の六星占術のように単なる流行です。
それ以前の日本の文化に「風水」の二文字があったなら、私見は
引っ込めますけどね。
>>53 ここは私が立てたスレですが?
何でスレ違いの話題までしてカエレ何でしょう?
お前こそカエレ。(帰るとこがあるならなw)
ナメラスジスレの方、もう動いていないみたいだからこっちにも。
ちょっと気になるのだが、赤城山周辺の忌み地とかの情報キボン
57 :
天之御名無主:03/09/07 18:48
>>53 風水の四神思想が平城京・平安京の時代になかったことを知ってるかい?
それと、江戸の四神相応はコジツケだってことは最近さんざん言われてるが。
四神思想なんて高松塚古墳の昔からあったじゃん。
59 :
天之御名無主:03/09/07 19:31
風水ネタは荒れるなぁ…
忌み地の話しようぜ。
61 :
天之御名無主:03/09/07 20:24
弥生時代には方画規矩四神鏡なんつー
四神を鋳込んだ鏡が渡来してるけど。
有名な景初4年鏡も方画規矩四神鏡。(卑弥呼の鏡?)
62 :
天之御名無主:03/09/07 20:26
>57
平安京に朱雀門ってあったんじゃないのぉ?
・新利根町曽根の河内屋堤
承応三年、常陸川筋の河道が整備され、利根川の東移が実現したが、
この成功により幕府は、関東郡代・伊奈半次郎、大目付・高木伊勢守に
命じ、延長約三五キロメートルの新利根川が開発が始まった。
数万ヘクタールの新田開発のため、利根川の水流を利根町で締切り、
新たに流路を北に替えたのである。しかしこの新川は勾配が急であった
ため、沿岸の村々の大水害を招いてしまった。
このため利根町押付から東村押堀に至る新堀堀削工事する事になり、
寛文三年、大阪の豪商・河内屋治兵衛、並びに京都の豪商・伏見屋が
工事の請負に当たる事となった。
南堤側の普請、伏見屋は工事が順調に進んだが、北堤を請け負った
河内屋は、草が枯れて出来た特有の「ケド土」という土層に突当たり、
あらゆる工法を用いても一夜で跡形もなく堤が流されてしまった。
迫る工期、資金の欠乏。重なる心労の末、河内屋は現在の新利根町
曽根付近に建てた仮小屋の中で、無念の最後を遂げたという。
その後、この河内屋堤の後は田となったが、耕作すると祟りがあると
怖れられ、貧しさに手を出す農家も永くは作ろうとしなかった。
堀川地区に終戦間もない頃、河内屋堤の跡を耕していた家があった。
ある日、父と息子が口論となり、息子が出刃包丁で父を刺し殺す事件が
発生した。この家は現在絶えて、家族の所在を知る者はいない。
この他にも耕している家があったが、余り良い話は聞かないと言う。
いま河内屋の墓地は、新利根町曽根の村道にヒッソリ建っている。
64 :
天之御名無主:03/09/08 03:41
風水の歴史
風水はもともと中国古来の仙道五術の奥義です。
この奥義は森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに
風水羅盤を用いて、王や帝王とその国家の安泰の為に使われていました。
はじめのうちは、国を守る為に主に軍策として利用されていました。
攻め入る軍はどこに陣をおけば効率が良いか、どこから攻めていけばよいか、
またどこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから判断していたのです。
国が安泰となってからは軍策だけでなく、このノウハウを使って、
繁栄する都・国作りに応用され、次第にこの奥義の一端が庶民にまで広がり、
家相や、個人の生まれた時間を元に個人の吉凶を判断するものとなっていったのです。
日本では、最近流行っている「陰陽師」がこの風水の奥義を会得しました。
陰陽師は、中国から伝来してきたこの奥義を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、
風水に基づいた都作りをしていました。
陰陽師は国の重要な地位を確立し発言そのものが国を左右していたのです。
ちなみに陰陽師は「国家公務員」でした。
平安京の碁盤の目のように整然としている都は、完璧に風水に基づき
作られているのは有名です。
日本の歴史に風水が登場しているのは古く、邪馬台国の頃からと唱えている
歴史学者もいるようですが、この辺は定かではありません。
定説では平安時代の頃と考えられています。
諸葛孔明(しょかつこうめい)は希代の風水師で、軍師となれば戦に勝ち、
国主となれば国を適切な方向へ指導していきました。
日本では、徳川家康が博学で薬学などにも秀でていました。
そして、京から江戸に遷都した際、風水の教えに基づき都を作りました。
実際江戸城(現皇居)は風水上では理想の場所にあります。
また、家康が亡くなって日光東照宮にお祀りされていますが、
ここも風水上大変パワーの流れている場所に位置しています。
江戸幕府が300年の長きに渡って安泰に続いたのも、
同じく平安京が長く続いたのもこのような風水の良い影響があったからとされています。
65 :
天之御名無主:03/09/08 03:51
「確かに平家物語にも「左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地なり」と記されている。
だが、実はそれはありえない。というのは、山や道などを四神にそれぞれ当てはめるのは、
中国で10世紀に始まったことだからである。8世紀に造営された平安京が、周囲の山や川などを
四神とみなしたため吉祥の地として都に選ばれた、とい可能性はない。」
というかスレ違いあげてしまったスマソ
「一方日本では、13世紀ごろから気の流れについての考えが入っているが、
家相、墓相には反映されずに近年まで至っており、風水の上陸によって盛んに
気の流れによる判断がされるようになった」
・新利根町下太田
昔、京塚という小さな塚があった。その一帯は京塚という地名である。
外部から移り住んだ者が、いつの間にか平らに均して屋敷にして
使用していたが、娘が若くして癌で死亡したり凶事が続いたという。
・新利根町堀川
弁天堂の持田で弁天田というのがあった。作ると病気や怪我が
絶えないといわれていた。現在、耕地整理で消滅した。
・新利根町寺内上ノ原(病人畑)
旧阿波街道の道路沿い、窪地で昔から耕作すると災難があると言われて
いた。地主が数10年前まで作っていたが、現在は休耕となって篠が
生えて放置されている。
・東町釜井(薬師田)
国道294号、釜井駅バス停付近に昔、薬師堂が建っていた。
免地30eが民間に払い下げになったが、病人が出ると言われて
荒れていた。現在、国道用地と住宅地になっている。
・東町伊佐部
ここに塔婆の形をした田が5枚続いてあり、塔婆田と呼ばれていた。
この田を作ると祟りのために家から病人・気狂いが出ると言われ、
誰も耕さず荒れていた。現在は耕地整理で均されて消えた。
・東町阿波崎
万願寺下に女郎塚という小さな塚があった。女郎田と呼ばれ、ここを
耕作すると悪い事が続いて発生し、誰も作らなくなった。
・東町阿波崎
墓場田と呼ばれ、元は墓地であったが改葬されて田にした場所で、
深く掘ると人骨が出ると言われている。
ここも作ると怪我や病人が絶えず、永く作ろうとする者はなかった。
・東町市崎(ショウズカ婆の田)
昔、雪の降った翌朝、一人の女が行き倒れになって凍死していた。
ここの田を夜通るとお化けが出ると言いい、子供は夜になると通ら
なかった。
・東町大沼上池
四枚で20e程の田で、首切田と呼ばれている田がある。
昔、日照り続きで凶作に喘いだ時に、隣りの田の持ち主と水を盗んだ
盗まないで争いになり、持っていた鎌で相手を斬り殺してしまった。
その後、その田は祟りで災いが起きると言われ荒れ果て、水が溜まって
池のようになっている。
77 :
【忌み地】- 茨城県稲敷方面の病人田 -:03/09/08 06:46
・江戸崎町松山
明治の廃仏令で無住のまま立ち腐れになった廃寺跡で、50e程の
宅地であるが、しばらく身寄りのない老人が一人で生活していた。
老衰で死んだ後は村で無縁仏として埋葬した。
その後、誰もここに手を付ける者はいなかったが、作業小屋を建てて
利用した人が子供を癌で亡くし、続いて妻が自動車事故で亡くなるなど
悲劇が絶えなかった。
この家では年に何回か土地の供養を行っている
78 :
【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―:03/09/08 06:55
・江戸崎町松山
鹿島神社の近くの三又に道祖神の石祠があり、(やしんほ道祖神)と
呼ばれている。
(やしんほ)とはいやしん坊の事で、何でも欲しがるという意味である。
酒を供えて願を掛ければ利益あるというが、たとえ篠竹一本でも取ると
祟りがあるということで荒れ放題であった。
特別信仰の厚い人が供養の上、清掃して綺麗にした。
・江戸崎町松山
底なし田。これは元、東光寺の免田であったという。
底知れずの深い田で、怖れて耕作する者がいなかった。
ある家で作ったが、妻は病気がちで夫は働かなくなり、家庭不和で
若くして夫婦とも病気で亡くなった。
・龍ヶ崎市愛戸町
愛戸に昔、般若院の病人田と呼ばれる、真中に松の木が生えている
田があった。
一年中陰湿で下草は茂り放題。白い蛇が出るといって近寄る人がなかった。
ここを作った家では気狂いが出たり、病人が絶えなかった。
81 :
天之御名無主:03/09/08 08:27
ごめん、風水ネタ書いたの俺だ。
でも四神とかじゃなくて、気が尾根筋を通って流れるとかいう山岳風水の話。
気の吹き出る穴には真穴(生気の吹き出る穴)と忌穴(生気の結ばない不毛な穴)
があって間違えて忌穴を活用したり、誤った方位で活用すると災いがあるってやつ。
なんか微妙に尾根端の忌み地ってヤツとリンクしそうな話だったんで…
スレ違いスマソ。
>>81 面白い。そんな話にも興味があります。
よかったら別スレででも聞かせて下さい。
龍ヶ崎にお詳しい方がいらっしゃるようなので、質問させてください。
少年時代の一時期を龍ヶ崎で過ごした者(非地元民)です。
今から20年ほど前、とある習い事の教室で親しくなった他の小学校の子
の家へ遊びに行くことになりました。彼はあまり乗り気ではなく、私が
しつこく「ミヤマクワガタが捕れる秘密の場所を教えろ」と頼んだため
折れたような格好です。
R経済大学の傍を通って山の方へ自転車で進むこと20〜30分、隠れ里の
ような所が彼の住む集落でした。欝蒼と木々が生い茂り、独特の雰囲気
だったと記憶しています。ゴルフ場が近くにあったような気もします。
それから暫くその近辺でクワガタ探しをしていたのですが、地元の少年
の集団に見つかったところ…半ば強制的に僕1人が帰らされました。
なぜここへ(他所者が)来たんだ、と言わんばかりの勢いで。
忌み地とは直接関係ないかもしれませんが、あの独特の排他的な
雰囲気が何に由来するものなのか未だに気になります。
稲敷方面の記事は大変興味津々です。
できたら阿見・美浦方面の話もきぼんです。
>84 オレもその集落に逝った事があるが、
迷子になってしまったよ。暗くなると怖い所だよ。
>>84 横レスですが
小学校ぐらいの子供は仲のいいグループで
ひみつの場所を作る場合があります
そういう場所は、通常、そのグループだけの秘密の縄張りであり
他グループの子供や、よそもの、女子などが入ることは極端に嫌われます
そういう私は県南のT市出身です
私も子供の頃はよくひみつきちを作りました
余談ですが、市内の「自然賞作文コンクール」かなんかで
「ひみつば」とか「ひみつきち」のような作文が時々入選していたようなので
そういうものを調べると、詳しい状況が解るかもしれません
>>86 帰らされた場所がクワガタの捕れそうな「秘密の場所」の近くだったら
不思議はありませんが、移動途中の路上での出来事だったと記憶して
います。このとき、彼が私の来訪を渋っていた理由が「よそ者を集落内
に入れるな」ということだったのかな、と感じました。
そもそも龍ヶ崎は閉鎖的な土地柄で、よそ者扱いされるのには慣れっこ
な私でしたが、その一件だけは妙に記憶に残っています。
あぼーん
地名は記憶にないのですが…彼らの小学校は私服での外出が禁止されていたらしく、
常にオレンジ色のジャージを着ていました。そのとき遭遇した少年たちもオレンジ色の
ジャージだったことを鮮明に覚えています。
90 :
天之御名無主:03/09/11 15:23
で
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>93 ソコって>88の場所なのかい?本人は否定してるが…
あっ! サゲル場所間違えたぁ!ゴメソです。
あぼーん
そういう話題は人権問題板以外は削除対象じゃなかった?
あぼーん
99 :
天之御名無主:03/09/12 23:07
竜ヶ崎消防救助隊 隊長 けんちゃん
当人のヘルメットに書いてあり大笑いしました。
誰に書いてもらったのと尋ねたら、消防署の人に書いてもらったと言っていました。
最近何処から見ても一般の消防隊員と見間違うほど装備も充実し
かなり活躍しているらしい。
装備一覧
・消防自転車 最高速度20km/h 2人乗り
・白い通学用のヘルメットに竜ヶ崎消防救助隊のサイン許可証
・火炎から目を守る黒ぶちめがね 倍率10倍
・炎から上半身を守る為のヨレヨレのジャンパー
・手袋は、作業しやすい軍手
・ズボンは、1000℃の火にも耐えるジャージ
・緊急通信用の電池の入っていないレシーバー
・竜ヶ崎市の地図
・各所に置かれた命の水用MYコップ 市役所や図書館、消防署に装備
・時間の遅れている腕時計
・誘導用のニンジン棒
あぼーん
あぼーん
あぼーん
ダカラ何デ荒スカヨ ・・・_| ̄|○ ←ブクタ
あぼーん
あぼーん
消えまくり
107 :
天之御名無主:03/09/13 16:34
(´・ω・`)ショボーン
108 :
【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―:03/09/14 04:01
・利根町羽中
病人田と呼ばれる田が白鷲団地の方にあって、深い田の真中で女の笠だけが
浮いていた。
笠を被っていた女が、田植えの最中沈んでしまったといい、この田を買うと
悪い事があるという。
・利根町羽根野台
羽根野と早尾の間に城山という寂しいところがある。
昔、喧嘩で誰かが殺された所だという。
景気の良い人が買ったところ、良くない事が起きたという。
また、切腹山という場所もあり、武士が10人余り自害した所だといい、
ここを持つとやはり良くないという。
・龍ヶ崎市羽黒町
羽黒町から利根町の羽根野にいく道は、昔は昼でも寂しい所だった。
羽黒には大きな木と石を祀った神様があり、誰もさわらない。
やれば必ず病気になると言われ、周りが宅地化された今でもそこだけ
残っている。
土建業者もよく知っているので、ここは手を付けない。
・龍ヶ崎市長沖町
首切り田というのが長沖町のシンタクの田にある。
長沖町の幼稚園の先の辺りだといい、昔は畑で首切り畑と呼んだが
元は処刑場(首切り場)だという。
昭和10年に耕地整理の際、そこを田にして作った人が1年で死んだ
という。
その他、長沖には位牌田といい、寺の持田だった田が2〜3ヶ所ある。
・龍ヶ崎市古城
城山から利根町奥山の観音様に抜ける道は、上がり坂で馬坂と呼んだ。
現在の龍ヶ崎潮来線の一部であるが、その近くに城根と呼ぶ場所がある。
昔、龍ヶ崎城と奥山城の戦いがあり、奥山城主敗退の際に流れ矢を受け
死んだ場所だといい、作った人は必ず田の中で死ぬという。
現在は龍ヶ崎二高の一部になっている。
・龍ヶ崎市川原代町
西道内に稲荷のある篠藪があり、女が夜通ったところ、人の首だけが
出たという。
・龍ヶ崎市下町
代官畑というのが下町の南にある。
旧幕時代、代官の次男がその畑で働いていた娘に言い寄ったが、
拒まれて恨みに思い、罪に落とし入れた上に虐殺してこの畑に埋めた
という。ここを耕作すると不幸になると言われている。
父親の代官も暴政を振るった者で、訴えに来た村民を投獄しては獄死
させたという。
・龍ヶ崎市下町
鏡田という2e程の田が、上町と下町の境にあった。
色々言われているが、大体次の2通りの話がある。
○昔、ここの農家に非常に顔の醜い娘がいた。家人は娘に鏡を見せずに
暮らしていたが、ある日田に映った自分の顔を見て驚き悲嘆し、田に
落ちて死んだとも、自殺したともいわれている。
○並木の所に店があり、下女に顔の醜いタケという女がいた。
毎日田んぼで化粧をしていたが、ある時主人に(悪戯か、故意か)
後から押され、田に落ちて気絶して死んだという。
この田を作ると凶事が起きると言われていたが、戦後ある菓子メーカーが
付近一帯と共に購入、工場を建てた。
当初は経営が上手くいったが、何年も経たずに倒産してしまった。
近所の人は、やはり良いことがなかったと話したという。
現在は幼稚園になった。
・龍ヶ崎市宮淵町
昔、ここの内野という所に、祟りがあると嫌われる病人田があった。
(アヒル小屋)と言われてアヒルを飼っている家があり、そこの者が
耕作したところ病人や怪我人が絶えず、困り果てて作るのを止めた。
農地構造改善事業で今はない。
・龍ヶ崎市貝原塚町
昔、根町の般若院がここの篠藪で覆われた荒れ野にあったと言われ、
大きな塚が寺領の片隅にあったという。
般若経をこの塚に埋めた場所で、祟りのあるとする藪畳だった。
龍ヶ崎ニュータウンとして宅地開発され、消滅した。
発掘をした担当者が事故で怪我をしたという。
また、ニュータウン用地となった場所には念仏塚という塚もあり、
経石が籠一杯出たが、掘った者に不幸が起きて又埋め戻したと言う。
それにしても奥多摩の伝承は「入るな」「(土地を)買うな」ってのが多いね。
なんかオカルトつーより政治的なものを感じる……
>>84 亀レスだけどゴルフ場は、貝原塚ってゆうところに今も存在します。
あとオレンジ色のジャージはおそらく八原小学校だと思う。俺も八原出身
だけどオレンジのジャージ着てた。今はジャージ違うタイプになったみたいだけど
なんで龍ヶ崎覆いの?
こえーべよ
121 :
竜ヶ崎最高:03/09/22 21:32
>>120 心配すんな!
竜ヶ崎の書き込みは嘘八百だよ!
竜ヶ崎は住みやすく人情味のある下町的な町です。
竜ヶ崎を怨む隣町の引きこもりの言うことを信用しないでね!
122 :
天之御名無主:03/09/23 02:01
なんかお隣の国の地域争いの縮図的な地域なんですね。
123 :
天之御名無主:03/09/23 14:43
龍ヶ崎住民ですが、なかなか興味深いものがありますね。
自分でも調べて見たいのですが、どうやって調べるのですか?
図書館で民俗学や伝承文献の本を見ればいいいのでしょうか?
124 :
天之御名無主:03/09/23 15:56
>>123 図書館に行けば「ケンちゃん」いるぞ!
竜ヶ崎のことはケンちゃんに聞けば早いよ!
・龍ヶ崎市宮渕町
堀田と呼ばれていた地区に、江戸時代の総代名主の屋敷跡があった。
御白州もあり、罪人の仕置きも行われた場所で、昔は蔵からお化けが
出るとか女の泣き叫ぶ声がするという噂もあった。
近辺住民の子供らなど、夜は恐怖していたらしい。
ある家で次男が分家の際、この跡地の一部を買って家を建てた。
すると夜は夢の中に恐ろしい姿の人や光景が出て悩まされ、とうとう
精神を患い入院してしまった。
人に勧められ、お寺で供養してもらってからは平穏無事であるという。
・牛久市島田町
かろうど畑という畑が鹿島神社近くにある。
この地域の人などによく知られた祟りある畑で、昭和50年頃までは
一人暮らしの老人が野菜を作っていたが現在は荒れている。
付近の人は貰ってもいらないと忌み嫌われている畑で、幾人もの
人を不遇な目に遭わせてきた話がある折り紙つきの因縁畑である。
「かろうど」とは唐棺の事だと指摘する人もあり、昔は古墳があったと
いわれている。
以前まで畑の中に藁で出来た粗末な祠があったらしい。
・牛久市島田町
小野川の土堤に近い場所に薬師様の田というのがある。
以前ここに薬師堂があり、地元では祟りがあるとの事で誰も作らなかった。
20年程前、龍ヶ崎市大塚町の青年たちが何かの資金稼ぎの為に共同で
作り始めたが、先立った者が何人か死ぬという事故が起き、そのまま
耕作を止めてしまったという。
・龍ヶ崎市若柴町
ここにも薬師様の田んぼといわれる田がある。
大羽谷津の松原近くにあり、この田に入るとデキ物が出来るといって
タニシ取りになど行かなかった。(利根流域は住血吸虫の害があった)
この近くには昔化け物がよく出たといい、ある人が刀で斬ると消えて
しまった。
血が流れていたので跡を着けてここまで来ると、古道具を埋めた所だった。
掘ったら刀傷のある箪笥が出てきたという。
129 :
天之御名無主:03/09/27 08:20
けんちゃん よしこ 龍ヶ崎の有名人 知らない奴はモグリ
奥多摩の川井でカブの工房と追突じゃいゴラ!ヽ(`Д´)ノ
オレのV100、フロント逝っちまってんじゃねーかゴラ!
ナニが「パパタチュケテ〜」じゃゴラ!携帯で呼ぶなら親より警察呼べヴォゲ!
ぬふぅわにが祟り山の祟りじゃゴラ!あのガキブチコロ━━━━━━ス!
131 :
天之御名無主:03/09/30 01:46
けんちゃん よしこ?
どこで会える?
有名人か?
132 :
dragon:03/09/30 13:43
利根町のある部落では、とうもろこしを作ってはいけないとか、
スイカを作ってはいけない、とかいう迷信があった。
作ると祟りがあるらしい。
龍ヶ崎市立野地区の情報くれー
133 :
天之御名無主:03/09/30 19:06
21世紀だっちゅーの、にね。
もち、中世的現実を日々送りたがっているあなた方を
尊重いたします。
なんで忌地が茨城ばかりなの?日本全国にもっと強力な忌地
があるんだろう?
135 :
天之御名無主:03/10/02 01:04
神奈川の鎌倉って結構忌ってます。鎌倉時代に処刑場だった所に建った家の事ですけど、そこに住んだ家族は事故や一家離散に見舞われたという。実際俺そこに住んでましたけど、母親が亡くなって一時一家離散したかな。場所のせいかはわかりませんけど。スレ違い?
136 :
天之御名無主:03/10/02 11:34
忌地<いやち>. 連作障害が起こる土地
ぐぐってもこの意味の情報しかないね。
土着民でない漏れには調べようがない。
137 :
天之御名無主:03/10/02 12:13
サルガッソーは忌み地ですか?
138 :
天之御名無主:03/10/02 20:37
鎌倉と言えばユーミンが屋敷を建てようとした所から
大量の人骨が出てきたらしいが、あの話はどうなったのかな?
test
140 :
天之御名無主:03/10/03 15:50
141 :
天之御名無主:03/10/03 18:41
>123
龍ケ崎市史民俗調査資料書(龍ケ崎市発行)という本がある。
現在のところ4部あり、上記の市内の伝承を大半は記述されている。
ただし老人の語り草をそのまま記述してあり、訛りを解釈できないと
大変読み辛い文章である。その他、幅広いジャンルの龍ヶ崎の民俗が網羅されており、
その分野に興味ある人にとっては貴重な文献と言える。
もちろん図書館に蔵書されてある。ただし貸出禁だ。
142 :
天之御名無主:03/10/03 20:30
>>141 けんちゃんに頼めば貸出厳禁の本でも貸してくれるよ
彼は竜ヶ崎の有名人だからね
市長よりも名前は売れているし役場関係も顔パスだしね
143 :
天之御名無主:03/10/03 22:58
>135
鎌倉の由比ヶ浜って昔、処刑した囚人の埋葬地だったんですよね。
そう、処刑場や古戦場跡地みたいな場所は祟地多いですね。
なんか京都や奈良方面にはもっと多くの埋もれた話がありそう。
144 :
天之御名無主:03/10/04 01:19
>>143 そうですよ。埋葬地だけじゃなく処刑場自体あったとか。霊感があるという人はあの辺り近付きたくはないんだとか。小坪は有名だけどただの心霊スポットか。とにかく戦国時代の都付近はろくなもんじゃないです。
勝手なイメージで悪いんやけど
北関東って陰惨な土地なんやろか?
茨城とか埼玉(特に入間川の周辺)いうたら猟奇的事件が多いのんとちゃうかな
147 :
天之御名無主:03/10/04 10:18
>>145 もともとが荒地を開墾して中世以降に作られた土地らしい
>>141 >龍ケ崎市史民俗調査資料書(龍ケ崎市発行)という本がある。
現在のところ4部あり、上記の市内の伝承を大半は記述されている。
確かに龍ケ崎市史民俗調査資料書からも引用はありますが、大半では
ないですよ。(3〜4つ位ですね)
他はネタと被っていただけでしょう。(何しろ地域限定ですから)
美浦村でそういう話がある所ってあります?ト○セン関係でこっちに来たんで昔話を知らない
もので。
因縁があったりするかどうかは、知らないけれど、
京都の山科区には、御陵血洗町なんて、怖い町名があります。
「忌」とは関係ないけど、滋賀県の栗東か草津には、伊勢落野神
という地名があります。お伊勢さんから落ちてきた神様が、平家
よろしく落人部落の様に、住み着いた土地って事でしょうかね?
>>149 探しましょう、そして紹介してください。ここはそういうスレです。
皆様からの質問ばかしで埋め尽くしたくはないのです。
>149 美浦村でないが、
○見ののJO池の魚は釣ってはいけない、とガキの頃祖父たちから言われた。
その池の隣りにはお寺や墓場があるのでそれが何か起因してるのでは…。
それとそこは忌み池と呼べばいいのか…?
153 :
天之御名無主:03/10/18 06:01
RKUの池になんで地蔵様あるの?
のろわれてるの?
いまんとこ西日本の話があまり出ていないけど、
これらってひょっとして同和問題なんかも関連してきますか?
どうもこの辺りの民間伝承は穢れとかと絡んで来て
こっち方面もいろいろと絡んできそうな気がする。
(そのためあまり表に語られる事も無し)
155 :
天之御名無主:03/10/19 17:04
RKUの池って?
流経大?
157 :
天之御名無主:03/10/21 05:23
RKUはRKCに変更