・江戸崎町の潰れ屋敷跡
昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、
下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自殺未遂を
起こしたりと祿な事がない。
困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、
湯船に漬けて殺して敷地に埋めたのだと云う話だった。
ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると
火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いた
ところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを
幸いに、大分損を承知で売り渡した。
その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
ところが一方、買った家では主人が胃癌で急死。倅は若くして中風に罹り、
不幸が次々に襲ってきたという。
堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、
売却に成功してからは平穏無事だという。
32 :
天之御名無主:03/09/02 22:15
>>31 で、学校で学ぶ子供はみんなドキュソになってしまったのね。
33 :
天之御名無主:03/09/03 00:08
不動産屋さんに商売に必ず失敗する土地のブラックリストがあるらしいね。
呪われてるのかな?
忌み地の話ではないが、前述の茨城県稲敷郡江戸崎町下君山から、上君山へ
向かう国道408号には他にこんな怪談もある。
これも昭和の初め頃の話で、小雨がしとしとと降る寂しい夕方に火の車が
現れるという話があった。
火の車は近付いてくると、側によって「乗ったか?乗ったか?」と声を掛ける。
返事をしないと何時までもまとわりついて「乗ったか?」と決して去らない。
そこで「乗ったあ!」と答えると、まっしぐらに走り去る。
行く先は多分、上君山の「いも薬師」だろうという。
※「いも薬師」は別名:「車堂」と呼ばれている。
国道に面した、雨よけのあるだけの奥行きのない木造の祠堂である。
何故「車堂」と呼ぶのかは、はっきり分からない。
35 :
天之御名無主:03/09/03 08:22
忌み地って昔の人は尾根端、谷くち、お宮前、お寺裏っていってたよね。
TVでスーパーの万引きの番組あります。よく出るのがカゴヌケ
と言う物で、レジ通らずまとめてさらうと言う訳です。
関西方面のスーパーで思い当たる所有ります、ほかよりあまり安くないですが、
けっこう客が入っています。近くの主婦はよく行くと思います。
大昔どこからか話あったそうで、その人をスーパーネゴシエイター言うそうです。
アク禁掛けられて携帯からレス打てません。
よって暫く休止です。
了解。
>>35 え・・・。漏れの家はお宮の真ん前にあるわけだが・・・ガクガク(((゚Д゚;)))ブルブル
まぁさ、お宮から古木のある庭、稲荷にかけて時々何か通るけどさ。
火の玉とか、この世の人でない人とかさ。悪い気配しないからいいけどさ。
>39
忌み地にご在住ですか、そうですか…
合掌。
41 :
天之御名無主:03/09/04 18:34
千葉県茂原市のそばに呪われた新興住宅地があるそうな。
千葉県大栄町の地蔵原はマジやばい。
42 :
天之御名無主:03/09/04 20:54
地名が地蔵・・やだ・・
「悪谷」という名の場所はやばい、と柳田が言ってた気がする。
他にあったかも。
くっそー、アク禁がまだ続いてやがる。FOX★め!
・旧幕時代から維新の頃まで、稲敷地方の庶民の生活には、加持祈祷などの
呪術的信仰が非常に盛んに行われていた。
その面影は今では推し量るべくもないが、医療や福祉のない時代に、
救いを求める民衆に対し、多額の祈祷料を欲しいままに求める修験道の
僧達が跳梁跋扈していた。
ある者は出鱈目な祈祷や託宣で築いた財を食い物にされ、また先祖からの
土地を売り払いして祈祷に費やし、一家滅亡に至る例も珍しくなかった。
様々な人々から搾取し、隆盛を誇っていた修験道の寺院も、明治の廃仏毀釈
の折に衰退し、今ではその風潮も忘れ去られたに均しい。
・牛久市奥原町
ここにかつて薬師寺、地蔵院の二寺があった。
この寺は修験道の寺院で、明治維新の際に廃寺となり、その持田は民間に
払い下げられることになった。
地蔵院は持田40f余り、地味も豊かで収穫も良かったが、なぜかこの
田を作ると凶事が起き、地元の人は誰も作る人がいなかった。
人手を巡り、多村の者なら障りなかろうと買った者がいたが、やはり凶事
に悩まされ手放したと言う。
薬師寺は持田50fほど有り、古文書によれば旧藩士に払下げられた後に
次々と持ち主が代わり、ある家では長男・次男と続いて事故死したという。
安値に釣られて買った竜ケ崎市内の不動産屋が、たび重なる災難に困り
果て、某寺院に寄進してしまった。
・龍ケ崎市八代町下入代
県道潮来線のバス停から30b程の所に、十三角田という田があった。
この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由は
はっきりしない。
この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する
人があった。
この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり死亡。
親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家
で主人が胃ガンで死亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなく
なり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
地形が変わったためか、今では無事だと言う。
・新利根町芝崎
芝崎の水道という所に、約1f程の田があった。
形が出刃包丁に似ていると言うので「出刃田」と呼ばれ、ここの田を耕作
すると災難が来ると恐れられていた。
これまで何人となく作る人がいたがすぐに止めてしまい、荒れるに任せて
いた。
昭和十年頃、河内町下加納の人が作ったところ、間もなく火災に遭って
自宅を全焼してしまった。
現在は農地構造改善事業によって所在不明となった。