【忌み地・忌み山の話】

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・東京都多摩市連光寺の某所。
 もと墓地の跡と言われている。この土地は昔より持つと所有者に
 悪い事があり、長く持っていた人がいない。
 今もいる人で若い嫁を亡くし、その前に住んでいた人は子供が
 みんな亡くなってしまった。それ以前は寺方の持ちものだったという。
 またある某家では先祖が請け負った仕置き場があり、そのための小屋が
 あった跡が悪いという。
 土地が安いので、知らぬ人はみな買うのだという。
・東京都多摩市南貝取
 とちのき公園は以前、栃ノ木谷戸と呼ばれる魔所であった。
 事故の多い場所で、以前ここに栃○という家があったが絶えてしまい、
 その跡地を買うと良くないと言われていた。
・東京都多摩市落合
 厳耕地(ゲンゴウジ)という広い農地があった。
 ここに佐五右衛門という男が屋敷を構えていたが、ある時ゲンゴウという
 法印が訪ねて来、理屈を並べて泊り込み、そのまま居付いてしまった。
 そのうち佐五右衛門の女房と良い仲になり、主人に酒を飲ませて井戸に
 放り込み殺してしまった。
 その後二人は磔にされ、死体は同じ井戸に放り込まれた。
 跡地は畑になり、安く売りに出ていたが、町田市小山田の某氏が
 所有者になったところ、悪い事が続くので石碑を建てたという。
 後に整地された。大○証券多摩総合研修センターの辺りだったという。
・東京都町田市小山町
 相原町との境付近で、町田街道より百メートルぐらい登った丘の上に
 台地状の畑地がある。
 昔大きい屋敷があり、栄えていたが何かの理由で滅亡してしまった。
 他所から来た者がこの土地を手に入れたが、忽ち災難が相続き、占者に
 観て貰ったところ、敷地内の石の祟りだと言われた。
 家も全て取り払われたが、この石だけは今も畑の中にあるという。
・町田市山崎町
 昔、ここに(勘松の田地)という耕地があった。
 山崎勘松という眼病で失明した者がいたが、親より与えられた田畑と
 財産を兄に奪われたのを契機に諍いが起こり、兄の逆恨みから謀られ、
 検校への道も閉ざされてしまった。
 勘松も素行の悪い者であったが、村中を怒り喚きながら最後は自宅で
 縊死してしまった。
 その後兄の一家8名が次々に急死し、勘松の田地は怖れて誰も手を出す
 ものはいなかった。
 近年になって、○中○四郎という人が理由あってここを買い取ったところ、
 たちまち重病に罹り、子供らと協議の上、上小山田の養樹院に納めて
 勘松の供養をしたところ、全快したという。
・町田市根岸町
 日向根トンネル(日向根隧道)の付近を崖根(ママネ)と呼び、昔より
 怪しい事が多い場所だといわれてる。
 隧道ができる以前は、今より雑木が繁茂する暗い崖地で、中世の横穴墓
 などが発掘されたりしていた。
 境川に面した日向根部落のある老女が、近在の法事に出た晩にここを
 通りかかると、背後で大勢の男の声が聞こえたという。
 ここに「ナンジャモンジャ」と呼ばれる樹があり、区画整理の工事で
 伐ったところ、木の根が数枚の板碑を抱えていたといい、地域の有志が
 堂を建てて合祀してある。