郷土に残っている道祖神(双体)やリンガ・ヨーニなどの性器信仰。
そして夜這いや若衆宿など村の性習俗。あるいは奇祭・奇習など
を教えてください。
『赤松啓介民俗学選集』あたりは読みましたが、いま現在におい
て、各地で、それらが住民たちに、どのように認識されているの
かに興味があります。出来れば、所在地なども含めて、いろいろ
詳しい情報をよろしくお願いします。
今だ!1000ゲットォォォォ!!
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ズザーーーーーッ
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ドッコイショ・・・・・・・・・
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何見てんだゴルァ!!
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(´;) U,U )〜 (;;).
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道祖神は北関東、群馬あたりに多いと聞きます。その理由について
知ってる人いませんか?
6 :
天之御名無主 :03/03/01 19:49
売春が罪悪視されなかった中世で、
女性たちの舞いとそれに続くであろう売春までの流れは、
多分、実に独特な風情があったのではないだろうか、と思われる。
足利尊氏の息子辺りまでは良かったのですが、室町時代に入ると白拍子出身の母を
持つ事があまり公に出来るような雰囲気では無くなった
秀吉の時代に、遊郭として囲われ閉鎖的になってから、
白拍子、くぐつ、遊女のような芸能が発達しなくなった、
鳥打女、歩き巫女、歌比丘尼、菖蒲御前
呪術師・道化・遍歴楽師・乞食・遊女・狂人
「ほかい」「ほいと」という乞食を意味する言葉は「寿(ほ)ぐ人」から来ている
お祝いの言葉(のちに芸能)と引き換えに食べ物をもらい生活する。いわゆるのちの門付芸人
遊女といえば、八百比丘尼は別名白比丘尼といわれるように、白拍子との関係が無視できない
若狭の空印寺に伝わる木像をはじめとして、比丘尼の像はそのほとんどが花帽子をかぶり、手に椿を持っています。
これはまさに白拍子(巫女と遊女、芸能者を兼ねた漂泊民)の姿です。
結婚式で花婿の父と花嫁がセクースする奇習?
というのが,昔,東北のある地方にあったらしいけど,
今はどうなってるの?
領主や地主や司祭は、その土地で結婚する花嫁と結婚式の後の初夜にやれるって権利?
三島由紀夫のエッセイ『不道徳教育講座』には、
メソポタミアの有力国家であったバビロニアでは、
国の全ての女性は、あるイニシエイション(通過儀礼)を
受けなければ大人になれないとされていた。
それは、女神(イシュタル、アシュタルテ)神殿に滞在し、
巫女としての務めを果たすことであった。務めとは、神殿に
詣でた男性信者たちの前に並び、気に入られるとコインを
投げられた。そうして選ばれた巫女は、その男性信者に対し、
女神の施しを代理に行う。つまり、神殿内の一室で愛の行為を
行うのである。
大和岩雄著「遊女と天皇」の読みかじりなのですが、
その第4章がなんと「初夜権と成人式と遊女」です。
日本でも、あります。
女子共有の思想だそうですね。
これによると、昔の日本では、
14歳になってもまだ処女であることは大の恥辱
だそうで、初潮を迎えると早く成女になるように、
娘宿というところに一晩娘をおいて若衆の好きにさせる、
といったような村のおきてをいろいろつくったようですね。
結婚も、その前に村の若衆のかしらに、処女をなくさせてから
嫁にやる、という風習もあったようですね。
今はそういう風習はまったくないのでしょうね。
ただし、最近の女の子の方にこそ、そういう気持ちが
高まっているのかもしれない。
源義経の恋人、静御前の職業である白拍子ってのはホントは娼婦だと
白拍子は水干だろう。
巫女さんとは大分違うが……
それに中世期、遊女と巫女と女芸人の区別なんて紙一重だ。
10 :
天之御名無主:03/03/04 04:51
巫女が零落して娼になったという学説は広く認められています。
しかし何故娼なのかという疑問があります。
私は、元より他人に身体をひらくことが職業の一環であったためと考えます。
雇用者がいなくなったために祭祀を行う役割を解かれただけで、
その役割は今まで通りということです。
新しく娼という仕事を見つけたのでは、ない、と。
また、性規範が緩やかな時代ゆえ、単純に欲望に根ざした売買春は成立しがたいと思われます。
そもそもは性を主目的に対価が支払われたのではなかったのだと考えます。
巫女との性的交合、相手が巫女であることこそが求められていたのではないでしょうか。
依坐を通じたカミと人との交感であり、そのエクスタシーは神聖なものであったのです。
電波という表現を用いましたが、一種の臨死体験と見るのも正しいと思います。
11 :
天之御名無主:03/03/04 05:18
12 :
天之御名無主:03/03/04 05:32
14 :
天之御名無主:03/03/08 16:19
age
15 :
天之御名無主:03/03/09 03:05
ん?
(^^)