【とおりゃんせ♪】って怖い歌?

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160ぴよぴよ:2009/10/14(水) 03:01:00
159の続き
ただその「親子」は七つの「お祝い」の為に天神様へ連れてきているにも関わらず、
子供には嬉しいはずの「お祝い」なのに、何処に何をしに連れられているのか
何故か場所も理由も母親は一切告げずに連れて来ている。
また門番に対し「お札を[下げ]に参ります」とお札を納めるのでは無く、
取り下げに来ているというのは意味深である。

また「この子」は「ここ」まで来ていても何処なのか判らずに質問した、という事は
「この子」にとってこの天神様は初めて来た、見知らぬ馴染みの無い場所であり、
ここの天神様には連れて来た事も無く「この子」のお札が奉られていた、という事も無かったであろう。
六行目の「ここ」にきた通行許可を請う母親の言い訳「お祝い」「お札」は矛盾し、
天神様へ入る為だけの嘘だったのであろう。
何も言えなかったのは母親のこれから我が子を殺めようとした後ろめたさの心情の表れか・・・。

(何人かの方が)お札を「上げ」もしくは「納め」と書かれておりましたが「下げ」です。
You Tube等で確認してみて下さい。

・・・「通りゃんせ」は、貧しい農村で起こったいわゆる「口減らし」で子殺しの歌だという言い伝えがあるそう。
天神様の境内の中で殺めれば子供の魂は仕える精霊が天国へ連れて行ってくれる。
母親はそう考え天神様に子供をつれて行き、そこで子供を殺めた。

・・・一、八行目の「とおりゃんせ とおりゃんせ」と通行を薦めているのは決して
五行目の通行拒否を告げた門番の様な役人ではなく、天神様へ御使いしている精霊だという・・・。
161天之御名無主:2009/10/14(水) 18:58:26
いつまで都市伝説にこだわってるの?
川越市に石碑あるから見ろよ。
首都圏ならすぐだぞ。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html
162天之御名無主:2010/04/23(金) 22:29:35
>>106
在日チョウセンヒトモドキ(笑)の捏造に騙されちゃ駄目だよ^^
強制連行されたんなら早く帰ればいいだけの話なのに^^
誰も咎めたりしないのにねぇ(笑)
ホントチョウセンヒトモドキ(笑)はカスだな(大爆笑)
偉大なる日本人様ごめんなさいニダ。ウリ達は生きている価値のないゴミクズニダ。
日本様がうらやましかったニダ。
二度と偉大なる日本様、日本人様には迷惑をかけないニダ。慰安婦問題とか全て捏造ニダ。
全てにおいてウリ達チョウセンヒトモドキは、偉大なる日本人様に劣っているニダ。
本当にごめんなさいニダ。
最後に一言、偉大なる日本様、日本人様万歳ニダ。
強制連行(笑)なんて捏造ニダ
嘘ついてごめんなさいニダ
チマチョゴリ(笑)破られた詐欺してごめんなさいニダ
チョン部落(笑)もゴミクズニダ
自衛隊様にはバカチョン軍(笑)は何一つ勝てないニダ
ネトウヨネトウヨ騒いでごめんなさいニダ
日本人様は最強ニダ
日本人様を拉致してごめんなさいニダ日本人はウリ達ゴミクズに何してもいいニダ
日本人様に逆らってごめんなさいニダ
日本人様には何一つ勝てないニダ
日本人様に永遠に勝てないニダ
164天之御名無主:2010/05/20(木) 16:49:42
とおりゃんせは江戸時代以降に流行したんだから、横断歩道云々は元々の意味とは直接関係ない
徳川の埋蔵金云々は、徳川の子孫ならまだしも、縁も縁もない民衆に伝わっていることから考えてガセ
…っていう解釈はもう出てる?
165天之御名無主:2010/05/26(水) 15:58:08
通りゃんせは一種の呪だよ。
口減らし、とあるけど、近いが間違い。

天神信仰が閻魔信仰と結びついている点を思い出して欲しい。
当時は子供の死亡率が極めて高く(一説には5割)安全とされる7歳を超えて生きるのは大変だった。
つまり一人の子供の生の裏にはたくさんの子供の犠牲がある。
天神は賢く子供を育てる神であると同時に、強大な呪い神でもあり、
その子が他の死んだ子達に比して生きるに相応しくないと判断すれば、その子を祟り殺してしまう。

母親はそうはさせじと天神に参ってコトハギを述べて札を奉納し、天神をいい気にさせて許してもらう。
しかし大抵の場合、子供が死ぬのは親に多くの責任がある。衛生、栄養状態の悪い時代でもあるからそれは尚更で、
母親は死んだ子供達の霊に対し申し訳ない気持ちとともに、強い罪悪感と恐怖を感じていた。
つまりその子達が天神に対し告げ口をして、この子を自分達の仲間にするのではないか、という事だ。
天神の元に子供を連れて行くのはその審判を仰ぎにいくという意味があったため「こわい」となった。

ここで通りゃんせの遊びはどうやるかを思い出して欲しい。
腕が降りて捕まった子は、即ち水子の霊達に捕まった、死ぬ、という意味だよ。
166天之御名無主:2010/05/27(木) 16:33:05
帰りはこわい

ってのは、一種の方言で、硬いって意味でも解釈できる
つまり、帰りには硬くなっている
「この子」の七つのお祝いにお札をもらいに来たが、
あえなく死んでしまった、という解釈

だが、ただ行って帰るだけで死ぬのはおかしいから、これは何かの比喩だろうな
盗賊云々はかなりの眉唾だし、埋蔵金も眉唾だからオミットできる

とおりゃんせってどういう意味なんだ?
「通りますよ」か?
167天之御名無主:2010/05/27(木) 21:05:36
七五三詣での7つ詣りの際のうた。
これらの年齢はいわゆる厄年でもあります。

赤ん坊はあの世からの縁や能力をこの世に持って生まれ、
赤ん坊〜7才位の幼少期まではまだあの世と繋がっているとされます。
それは、何かの拍子であの世に戻り易く、引き込まれて簡単に死んでしまい易いとされます。
別な信仰では幼少期の童子はあの世から特別な能力を持って来て居るとされ、異能のモノ、神仏にちかい特別な存在(鬼神、神童子)とされます。
七五三詣でではあの世との縁切りを行い、この世に定着化させ、普通の世間一般の人となる為の通過儀礼。

お参り前は霊位の高い悪しきモノを祓よける異能のモノですが、
お参りの後は普通の人になりか弱いモノになるのでお気を付けて・・・

天神さまは現在は学問の神様、菅原道真さまと一般的には思われていますが後からあやかった信仰で、
本来は天候や雨などを司る稜威の高い雷神様。
で昔の人の怖いモノの筆頭。
昔からの怖いモノの例えに、
地震。雷(神成/かみなり=神の怒りの鉄槌=いかづち)。火事(火山噴火)。オヤジ(津波のこと)
雷に打たれる=神成に打たれる=神様の逆鱗に触れて鉄槌を下され成敗される。
そゆ事の無いように、更には神様のご加護を受けられますようにと言うこと。

歌詞の細道はサイドウとも読めます。これは寺社の参道の事。
また、参道は人が産まれ出る母親の産道に同じ。
お参りは産道に入って行き、本殿(子宮)で神仏のご加護を頂いて再生し、参道(産道)を下ってこの世に産まれ変わるのと同じ。

・・・・
168竹ノ大イ田力:2010/06/23(水) 04:43:22

「とおりゃんせの歌」の作詞者は「松尾芭蕉」ですよ…

それから、「この子の 〜 参ります」っていう部分は
多分【オリジナル】ではありませんよ…
169天之御名無主:2010/06/23(水) 17:12:48
>>29
往きはよいよい帰りは怖い 怖いはずだよ狐が通る
はどこに伝わってる歌?

>>96も気になるなー
170天之御名無主:2010/06/25(金) 08:47:52
栃木ではこわいは、疲れたという意味だが。
171天之御名無主:2010/06/25(金) 13:13:30
へえ初めて知った
172天之御名無主:2010/06/25(金) 16:50:51
こえなぁ〜

ところでこの歌は淫獣聖戦を思い出す
173天之御名無主:2010/06/26(土) 00:38:09
>>164
徳川の埋蔵金は日光東照宮にあるよ
公にならないのは荒らされたら困るからだろうし発掘できないのは場所が場所だからだろ
174竹ノ大イ田力:2010/07/08(木) 06:09:52

>>168 の続き

 「この子の 〜 参ります」部分がオリジナルでは無いと
思われる理由について

 1.「この子の 〜 参ります」だけ妙に俗っぽく感じる。

 2.この部分だけ韻を踏んでない。
   (「細道じゃ」×2、「せ」と「せぬ」、「よい」と「こわい」)

 3.「七つのお祝い」という大事な用事なのに
  「ここはどこの細道じゃ?」と「天神さま」への道のりが
  わからない様子に矛盾を感じる。
   大事なお参りなら道に迷わんように気合を入れるよね、普通…。

 4.この部分だけ「お参りに行く人」のセリフが
  二節(ふたふし)連続しているのが不自然。歌えばわかる。
  (「二」「四」「六」=お参りする人、「三」と「五」=「土地の人」?)
  >>158 を参照してね。

 つ〜ことで、「六」の部分は「オリジナルの作者」以外の人が
後から付け加えたものと決定して無視したいのですが、
みなさん どうでせう。
175天之御名無主:2010/07/14(水) 03:05:13
すべてあなたの「感じ」だけですか?
176竹ノ大イ田力:2010/07/17(土) 02:27:54

2の「韻」の問題と 3の内容の問題については
考慮の余地があると思いますが…

177天之御名無主:2010/07/17(土) 12:19:08
だからさ、「とおりゃんせ」の起源は埼玉県川越市だって。
178改名 祖我神夷:2010/07/24(土) 00:29:33
竹ノ大イ田力 から 改名しますた

仮にね〜 「この子の 〜 まいります」 を無視すると
ある程度 筋のとおった説明ができると勝手に思ってんだけど…
179祖我神夷:2010/07/24(土) 00:32:25
まず、この歌が江戸時代中期頃から一般に歌われ始めたこと、
歌詞中に登場する「細道」っていう言葉、
歌詞中での登場人物が「細道あたりまで行っている」ってことを考えると…

この歌の作詞者が「おくのほそ道」の作者でもある、
「松尾芭蕉」なんじゃないかと推定できますよね…。
つまり、この歌詞は彼の「体験談」なんじゃないでしょうか?
180祖我神夷:2010/07/24(土) 00:34:57
歴史的に考えると「細道」とは、
「古代道」や「大きな街道」が通っていない道と想像できる…。
「陸奥(みちのく)」の語源が「道の奥」であるのは通説で、
これは、実際に「古代道」の整備が遅れたこと、
または途中で整備が中止になったこと(盛岡の胆沢城付近と
秋田の秋田城付近まで)に由来しています。
181祖我神夷:2010/07/24(土) 00:36:21
「松尾芭蕉」は実際に岩手県の盛岡あたりまで北上したらしいが、
それ以北には進まず、秋田方面に進路を変えている…。
 彼が、「本当は青森付近まで旅をしたかった」と仮定すると、
盛岡あたりの関所(?)で「御用の無い者とおしゃせぬ」と言われたので
進路変更を余儀なくされ、そのために
「行きはよいよい 帰りは怖い」と思ったのでは…。
あまりに印象深い体験だったので、紀行文の題名そのものを
「おくのほそ道」(盛岡・秋田以北の道の意)にしたのでは?
182祖我神夷:2010/07/24(土) 00:37:40
 さて「天神さま」は、「菅原道真」にゆかりのある場所(北野神社or大宰府)か、
「天照大神」の短縮形で「伊勢神宮」のある場所とも考えられるが、
両方とも、早々に「古代道」や「大きな街道」が通った場所であるので、
「細道」の先にある「天神さま」と考えることはできない…。
 よって、芭蕉さんは象徴的な意味、つまり「天神さま」が、
「天照大神」のように古くから権威があり、「菅原道真」のように「祟る神」である
という「性格」を表したかったのではないかと考えられるし、
これは歌詞の中の「こわい」という部分が「その神への畏怖」という
感情であることも暗示してるのかも…。
183祖我神夷:2010/07/24(土) 00:43:37
 また、憶測ですが、
「天神」を「アマガミ」って読んでみると、
東北地方の「エミシ」たちが信仰していたという「荒ぶる神」
若しくは「アラハバキの神」の短縮した形、
「アラガミ」と非常に近い語音になりますが…。
184祖我神夷:2010/07/24(土) 00:49:14
 もし、この歌に秘密がかくされてるとすると
盛岡・秋田以北に、「天神さま」と呼べるような「力をもった神様がいる」
若しくは「そうした神を祀る聖地がある」ってことなのでは?
 こうしたことは、江戸時代どころか
古代から現代に至るまで一般的に知られていない…。
 そうなると「とおりゃんせ」は、「細道」を「通りたい…」という意味であったと
解釈することができますよ。
185祖我神夷:2010/07/24(土) 00:50:38
 豊臣政権時に、北東北のことを何故か「ヒノモト」と呼んでいたようですが、
北東北に「太陽信仰の聖地」があったと仮定してみると
つじつまが合うような気がします…。
 ちなみに、北東北を「ヒノモト」と呼ぶのは本当は公に使ってはいけない「禁句」だった
ような気もしますが、多分、農民出身の秀吉さんは知らなかったのでしょうね…。

 まあ、日本版中華思想を死守したい人にとっては、
受け入れ難い説だとは思いますけど…。
186祖我神夷:2010/07/24(土) 05:17:03
以上、この歌が歌われ始めた時代と、歌詞の言葉の意味をできるだけ重視し、
神話ではなく、歴史的な観点から解釈してみましたがどうでしょうか?
具体的な反論があれば、と〜ってもうれしいです。参考になりますから…。
ちなみに、「かごめの歌」についても、この「北東北回路」を使うと
神話なんかをあまり持ち出さずに、それなりの解釈ができてしまいますし、
「その場所」をもっと具体的に限定することができますよ…。
まあ、いくつかの前提条件は必要になりますが…。
187天之御名無主:2010/07/24(土) 18:32:28
勝手な解釈は、いらない。
188祖我神夷:2010/07/25(日) 03:59:30
え〜っと 参考にしたいので
具体的に批判を指摘して 欲しいのですが…
よろしく お願いします
189祖我神夷:2010/07/25(日) 04:34:55
「川越の三芳野天神」説は なんか 納得できないな〜
「早いモン勝ち」・「言ったモン勝ち」っていう
感じがする…
190天之御名無主:2010/07/26(月) 05:55:50
大和の勢力が東北蝦夷の地を征服する過程で
行きは戦力も整った状況で意気揚々と攻め入るのだが
道半ばで戦力を徐々に失い意気消沈し始め
十分勢力を拡大したところで本拠地に帰るのであるが
戦力が弱体化した中での敵に背中を向けての帰路は
蝦夷の反撃を食らって危険極まりない
行きは良い、帰りは怖いのではないか
191祖我神夷:2010/07/28(水) 23:04:11
え〜っと 歌に ある程度の ストーリー性がある以上
その ストーリーを 重視する 必要があると思います

何が「こわい」のかを 歌詞の内容から 考えると
「天神さま」か 「御用の無い者とおしゃせぬ」と言っている人の態度
が 考えられますが それを いきなり「蝦夷」と関連づけるのは
飛躍しすぎのような 気もします…

なので 私は詳細は保留して >>184 のような
解釈をしてみたのですが…
192天之御名無主:2010/07/28(水) 23:47:16
アテルイとか天狗とか源義経とか
193天之御名無主:2010/07/29(木) 08:31:27
生の国と死の国の往還のことを歌ったものじゃないかな?
「御用のないもの通しゃせぬ」とのセリフは地獄の番人のものだろうが。
194祖我神夷:2010/07/29(木) 09:06:17
>>189 の 補足

とうりゃんせ 「川越の三芳野天神」説 については 実は
根拠が はっきり していない ようですよ…

その神社 言い伝えが 有名であるから と言って
全国に うん千 とある 他の 天満宮に こうした話が
全く なかった とは 限りませんよ…

こうした 考え方は 戦後の「古代史研究」の 礎の一人
津田左右吉 大先生の 「日本の歴史の研究に於ける科学的態度」(s21年)
を読んだ方なら 理解できると思う…
195天之御名無主:2010/07/29(木) 12:47:06
イザナギの黄泉の国へ行く話の、別バージョンか
別の氏族が伝えたバージョン
196天之御名無主:2010/07/29(木) 23:33:24
津田左右吉のどこが科学的なんだよ
197祖我神夷:2010/07/31(土) 00:30:44
>>195 面白そうなので トータル解釈 の 発表キボンヌ…

>>196 
津田先生は 記紀などの 文献批判(特に神代)をした方ですが
確かに 主張に問題点が無いわけでもない…
でも 戦前・戦中の「皇国史観」で がんじがらめ だった史学会の
連中よりも よほど「科学的な態度」で 研究した方だと 思うよ…

先生の考え方を要約すると
「記紀の内容が 現在まで残っているから それが真実とは限らない」
「残っていない 史料に 真実が述べられていた可能性もある…」
ってな 感じだったと思う…

要は 「とうりゃんせ 川越・三芳天神説」が
一般的に知られているからと言って それが真実とは限らない…
いつ どこで 誰が 作詞したか 明確でない 以上は
いろんな可能性を 捨て去ってしまうべきでない
ってなことを 言いたかったわけなのです…。
198天之御名無主:2010/08/17(火) 12:08:43
わざわざ怖いようにする必要ない。
7つまでは神のうち、と言うのは日本各地で見られる。

子供が7つになり、神の庇護を受けるためのお札を返すから帰りは怖いということ。
 
7つまでに死んだ子供は大人とは別の地蔵だけのお墓にし、
仏にならないようにすることで生まれ変わりやすくする風習もある。
 
いちいち怖く解釈したくなる曲調なのはわかるけど。
199天之御名無主:2010/08/20(金) 01:11:54
ここはどこの細道と聞いてるから、お札を納めるつもりの場所は天神様にじゃない気がする。
咄嗟に出た言葉か。
200天之御名無主:2010/09/04(土) 21:54:46
高田崇史さんが書いている小説、Q.E.D.-式の密室-に面白い解釈が載ってるよ!
前提として三芳野神社発祥説をとってますけど。

読んでない人のためにほぼそのままカキコしますね。
(2ちゃんねる初心者なんで使い方間違ってたらスミマセン)

長くなりますが、付き合いお願いします。

(まず>>10さんと同じ説明。そして以下がそれに対する反論)

「『七つのお祝い』が、表向きの理由――カムフラージュなのは明らかだ。
もしも自分の用事が、本当にお参りに行くだけならば、一度通った関門を戻ってくるのに『こわい』はずもない。
だから、この唄は箱根の関所を通過する際の唄だと解釈しているものもあった」

「まあ確かに、江戸から外には行かれたとしても、再び入ってくるのは難しい――という意味でなら解るが、
それにしても『七つのお祝い』で関所越えというのは納得できないね。
『七つのお祝い』というのは、お宮参りのことだ。
お宮参りで、いちいち箱根の関所を越えて行くということ自体が不自然だ。怪しまれても仕方ないだろうな。
また、この唄は人買い――自分の子供を売りに行く話だ、という説もある。
しかしこれも、ではどうして帰りが『こわい』のかが解らない。悲しい、というのなら解るけれどもね」

「『七つのお祝い』という隠れ蓑を使った別の理由による、天神参りだ。天神様にお参りする、ということが重要なんだ」

以下に続きます。
201天之御名無主:2010/09/04(土) 21:55:45
「天神参り……いや、天神様というのは誰のことかは知っているだろう」

「そう。天満大自在天神。日本の大怨霊の一人、菅原道真だ。
道真は、平安時代、宇多天皇に重用されて、次の醍醐天皇の御代には右大臣の地位まで昇ったが、
この異例の出世を怖れた時の左大臣・藤原時平らの讒言によって大宰府に流されて、延喜三年(九〇三)二月二十五日、その地で病没した。
その後、京の都では相次いで異変が起こる。
まず、内裏中央の紫宸殿に落雷する。
その後には、道真左遷の張本人、時平が死去。
続いて、時平の長男の保忠は、物の怪に取り憑かれて変死。
そして京都を暴風雨が襲い、ついに延長八年(九三〇)には清涼殿を雷が直撃した。
この落雷によって、大納言・藤原清貫らを始めとして、何人もの貴族たちが死傷した。
その精神的なショックが原因で、醍醐天皇は病没する」

「それも全て怨霊のせいだということになって、やがて道真は、天神様として祀られるようになった」

以下に続きます。
202天之御名無主:2010/09/04(土) 22:11:33
「そう。『世をあげて云ふ。管帥の霊魂宿忿のなす所なり』というわけだ。では、なぜその頃の誰もがそう思ったんだろう?」

「だって、道真は大きな恨みを呑んで亡くなっているから――」

「しかし清涼殿への落雷は、道真の死後、二十七年も経ってからのことだよ。
政争に敗れて、大宰府に流されたことが、それほどまでに大きく恨みを残すことになるんだろうか?」

「でも、その地で失意のうちに亡くなっているんですから……」

「それにしても異常な執念深さじゃないか。生前の道真の印象とは、随分かけ離れて見えないか?」

「……じゃあ、どうして?」

「俺は――、この怨恨というのは、道真一人のものではないと思ってる」

「……奥さんや、子供たちや、菅原氏?」

「違うね。もっと大きな集団だ」

「菅原氏よりも、大きな?」

続きます。
203天之御名無主:2010/09/04(土) 22:21:21
「そう。菅原氏というのは、元々は土師氏という氏族だった。
土師氏は、野見宿禰から始まる。野見宿禰の名前は?」

「相撲の始祖だ。そしてまた、天皇や皇后の薨去に伴う殉死を廃止させるために、
生きている人間の代わりに埴輪を埋めることを初めて考え出した人物だ」

「この功績を認められて、宿禰は垂仁天皇から『土師』という姓を下賜された。
なにしろその埴輪を造るために、野見一族が総力を挙げて死にもの狂いで働いたらしい。
その結果、見事に身代わりの埴輪は完成して、この悪習――強制的な殉死――はなくなったわけだ……。
しかしこれは、なぜだろう?」

続きます。
204天之御名無主:2010/09/04(土) 22:36:06
「なぜ、宿禰たちがそんなことを考え出して、そして、一族を挙げてまで必死になって埴輪を造ったのだろう?」

「それは……殉死なんていう、酷い悪習をなくそうとしたからでしょう?」

「どうして?」

「だって――残酷じゃないですか! 本当に自分が望んでのことならば、誰も止めはしないでしょうけれども、
でも実際は違ったということを、私も聞いたことがあります」

「どう違う? 事実その頃は、本当に純粋な殉死――天皇や主君を後を追って自分も死ぬ、という例ばかりではなくて、
いざその時になってみると、位の高い人たちほど嫌がった。
その結果として彼らは、自分の周りにいる身分の低い人たちを、無理矢理に自分たちの身代わりとして差し出し――」

身分の低い者たちに強制された、身代わりの殉死というのは――おそらく宿禰たちにとって、他人事ではなかったということだ。
つまり自分たちも、いつ何時、殉死の命令が下されるかも知れず、しかもそれに対して全く抗うことすら許されなかった……。
そういう立場に、宿禰たちも置かれていたということだ。

続きます。
205天之御名無主:2010/09/04(土) 22:50:13
「沢史生氏も指摘しているように、宿禰たちの一族は身代わりの埴輪を必死に造らなければならなかったほど、
低い身分だったというわけだ。まさに、命懸けで……。
それに、その功績を認められて宿禰が下賜された『土師』という姓だって、
今でこそ立派な姓だが、その当時の人々にとっては余り良い名前とは言えなかったようだしね」

「『師』はいいとしても、『土』はどう読んでも『は』とは読めない。
『埴』からきているとされる『ハニ』と読んだところで、これはあくまでも和訓だ。
漢音では『ショク』、呉音では『ジキ』となってしまう。
つまり、これは朝廷が悪意を以て下賜した姓――当て字だと考えていいだろうな。
それに、元々の『野見』だっておそらく同じだろう。
『叩頭奉る』といえば土下座して地べたに頭を擦り付けることだからね。
当時の朝廷の人々からしてみれば、我々庶民なんて、全員がそんなレベルだったということなんだよ」
206天之御名無主:2010/09/04(土) 23:10:29
「実際にこの頃は、現代の想像を超えるような身分差別があった。
簡単に言ってしまえばインディアンや、アボリジニ――先住民族と後住民族――と同じだ。
後から入ってきた人々が、以前からそこに住んでいた人を追い出す。
そして、自分たちの残虐な行為を正当化するために先住民族を卑しめる、というパターンだね。
とにかく――当時の貴族階級においては、御所への昇殿を許された五位以上の人間だけが『人』であって、
それ以外の人間は『人』と見做されてはいなかった」

「三位以上になれば父祖兄妹子孫が、五位以上は父子までが調・庸・雑徭などが免除になるという規定があった。
これらが『人』だ。それでもまだ六位から初位までの人間や、百姓や雑色人はまだ良かった。
その下に、賤民があったからね。彼らこそ悲惨な生活を強いられていた」

「だから宿禰たちにしてみればまだ、姓をもらえただけ良いほうだったわけだ。
しかし、さすがに時代が下って、土師古人の代になった時に、古人は朝廷に改姓を願い出た。
光仁天皇の御代、天応元年(七八一)のことだ。
せめて、自分たちの住んでいる土地の名前にしてもらえないか、と懇願した結果、ようやくのことで『菅原』という姓を下賜してもらった」

続きます。
207天之御名無主:2010/09/04(土) 23:38:40
「道真は、この古人から四代目にあたる。
その間、土師氏――菅原氏は、ただひたすら学問に励み、道真の父・是善は、参議・従三位まで昇った。
続いて道真は、ついに右大臣まで昇りつめる。
その時、時平を始めとした公卿たちから、非難の声が上がった。
そして道真に、右大臣辞任を迫った。もちろんその理由はといえば……」

「土師氏ですか……」

「出自が卑しすぎるというわけだ。実に唾棄すべき理由だけど、これは事実だ。
平安時代の貴族――藤原氏が、どういう人間たちだったかという一つの証拠にはなるね。」

「藤原氏の専横に対して、道真は必死に戦っていた。
その道真が、時平らの陰謀によって無実の罪で左遷され、配流になり、しかも悲惨な暮らしを強いる中で病死した。
だから庶民は怒った。
そして、京都を襲う天変地異を道真――自分たちの怨念として語り継いできたんだ。
長い間虐げられてきた恨みを、天満大自在天神の怒りとして、藤原氏にぶつけたわけだ。
そこで天神参りが生まれた」

「圧政を強いる朝廷に対して現実的には何の抵抗もできない、弱い立場の人々。
そんな自分たちの怒りや恨みを汲み上げ、そして天罰を下してくれる神――天神に祈るわけだ。
それが天神参りの原型だ。
道真が、学問の神なんていわれるようになったのは、もっと世の中が平和になったずっと後世のことだ」

続きます。
208天之御名無主:2010/09/05(日) 17:50:07
「だから『通りゃんせ』に戻って言えば、城内云々の軍事的な意味合いもあっただろうけれどそれと同時に、同じくらいの比重で『天神参り』ということが関係していたんだろう……。
人々が祈る相手は、天神の道真。その祖先をたどれば、彼らと同じ『人未満』の庶民――あるいは、それ以下だった。
だから同じ悲しみや苦しみを共有しているはずだ。いや、むしろもっと何倍も強かっただろう。とすれば、きっと祈りが通じるに違いない。
それは朝廷の人々にとっては、いかにも都合が悪い。もちろん、幕府にとってもね」

「だから、できれば通したくはなかった――」

「天皇や皇帝のふるまいが、天の意志に適っていないと天変地異が起こる、という『天人相関思想』や『天譴災異思想』も流布していた時代だ。
それなのに最も強力な雷神である天神に何かを祈られちゃ、朝廷や幕府だってたまらなかっただろう。本当に、天変地異が起こらないとも限らない。
だから、そんな場所へは、用のない者は、できる限り通したくはなかったさ」

「でも人々は危険を顧みずに、嘘をついてまで通って、お参りしていたんですね。
そして、その嘘が露見してしまうと、とても厳しく罰せられてしまうから――帰りはこわい」

「実際は、おそらく『お札をおさめ』てもいなかったんだろう。危うい嘘をついたというわけだ。
しかしそれでも――自らの身を危険にさらしてまでも――何かを祈りに行かざるをえないほどの事情があった。そういう唄だね、『通りゃんせ』は。単純な唄だ。深読みすることもない」
209天之御名無主
以上が高田先生の怨霊史観に基づく『通りゃんせ』の解釈です。
皆さんはこの論考についてどう思われますか?

(昨日のうちに全部、投稿できなくてすみません。
連続投稿ですか?というエラー報告がでたため、載せられませんでした。)