【とおりゃんせ♪】って怖い歌?

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1天之御名無主
かごめかごめ♪のスレを読んでふと気になりました。

とおりゃんせ とおりゃんせ ここは何処の細道じゃ
てんじん様の細道じゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ ごようの無いものとおさせぬ
このこのななつのお見舞いに お札をあげに参ります
いきはよいよい かえりはこわい
怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

歌詞は合ってるか? この続きはあるのか?
どういう状況なのか?

ご存知の方宜しくお願いします。
2天之御名無主:03/01/18 05:45
お爺さんが七歳になる孫の為に天神様の
所にお札を納めに行くが、天神様の社までの道のりは
魑魅魍魎がうようよいて、
行きはお札を持っているから無事に行けるが
帰りはお札を納めてしまうので無防備で
何が起こるかわからなくて危険だ・・・

というような話を聞きました。
2番は知りません
3天之御名無主:03/01/18 15:24
「このこのななつのお祝に〜」かと思ってた
4vvv:03/01/18 15:27
http://www6.ocn.ne.jp/~endou/index2.html
     ★YAHOOOプロフィール★
5でたん:03/01/18 15:49
日本の神の、恵みと崇りを与える二面性を表しているのでは?
天神として祭られた菅原道真の場合で言えば、
もとは怨霊だったのが後に農業の神とされ、さらに時代が下って学問の神となったように。
6天之御名無主:03/01/18 16:52
よく、横断歩道でこのメロディを使っているけど、盲人のため?
だとしたら、
>いきはよいよい かえりはこわい
>怖いながらも とおりゃんせ
なんて歌のメロディ使うなんて、
これを聴きながら歩道を渡っている目の不自由な人の気持ちって
どうなんだろう?

などと考えてしまう
スレ違いだからsage
7天之御名無主:03/01/18 18:38
>>6
そういえば横断歩道に使われてるのは変だ。
実は解釈の違いで、怖い歌じゃないのかも?
いい歌なのかも。
8山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/18 19:00
とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ
ちいと通して 下じゃんせ  御用の無いもの    通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに   お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

私の歌って来たものの方が訛っていますね。
9天之御名無主:03/01/18 23:05
2番はあるの?
10天之御名無主:03/01/19 01:06
この歌は、埼玉・川越の三芳野天神が発祥と聞いた。
この神社に参詣するには役人の厳しいチェックがあり(なんでそんな厳し
かったのかは忘れた)、それを歌ったんだとか。古くは「御用のない者通
しゃせぬ」が「手形のない者通しゃせぬ」だったそうで、関所に関係する
歌という説もあるらしい。関所を出るのは比較的簡単だけど、領内に入る
のには通行手形がないと難しいんだとかで。
歌の雰囲気から、人身御供とかを連想させるけど、江戸時代以降の歌で、
土俗信仰なんかとは関係ないようだよ。
11天之御名無主:03/01/19 01:33
>>10
どうして帰りは怖いの?
12山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/19 09:43
まあ江戸時代に人柱が無かったかといえばそんなことは無いと思いま
すが。京都のスクナヒコを祀った「天使社」から来たという話もあり
ます。いずれにせよ関所というには違和感があるような。
13天之御名無主:03/01/19 13:37
山野野衾ってどこでも偉そうだよな。
14天之御名無主:03/01/19 17:51
そういえば20年以上前に見た「とうりゃんせ」って映画があったなー
当時幼稚園児だった漏れはブルブル震えながら見ていたような

内容は覚えていないがミステリータッチの映画で炎が多用されていたハズ
8年前に製作されたHNK時代劇ではないので念の為

幼少の漏れに初めて恐怖心を植えつけたアノ映画をもう一度見てみたい
15:03/01/19 18:55
16天之御名無主:03/01/19 20:32
>>13
ま、スルーすることですな。
名無しなのだと思って虚心に拝読すれば、肯けることもある。
気になるのなら、2ch専用ブラウザのなかにはコテハンやトリップを
設定することでレスを消去する機能のあるものもあるらしいからそれを
使うのも手だし。

個人的には他板に書き込むときは名無しにして欲しいが。(w
17天之御名無主:03/01/19 21:02
18天之御名無主:03/01/19 21:04
あれ、にてるね、日本と外国の童歌遊び
ttp://hirata.virtualave.net/WARABE.htm

<とおりゃんせ>

歌  A:とうりゃんせとうりゃんせ
    B:ここはどこの細道じゃ
    A:天神様の細道じゃ 
    B:ちょっと通してくださんしぇ
    A:ご用のない者通させぬ
    B:この子の七つのお祝いに お札を上げにまいります。
    A,B:行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらもとおりゃんせとおりゃんせ

2人が門番、その他大勢母は親の後ろに着く。
AとBの対話があり,ABいっしょのところは、門番が向かい合って手をつなぎ手を
上に挙げる。
その下を母親と子供たちが通っていき,最後のとおりゃんせで手を下ろし捕まった
子どもが、門番と交代する。

<ロンドンブリッジ>

London bridge is falling down,falling down
falling down,
London bridge is falling down,my fair lady

2人に橋を造らせその中をくぐらせて回っていく。
歌の最後で橋が落ちたときに中にいた子が橋になる歌の速さに合わせて進む。
19天之御名無主:03/01/19 21:10
通りゃんせ ---- 江戸時代童謡/編曲 本居長世(大正10年9月(1921年)編曲)

 有名な江戸時代から伝わる子どもの遊び歌。
 二人の子どもが向き合い、手を上で合わせて門を作り、この歌をうたいながら
他の子らがくぐり抜ける。歌が最後に至った時、門の中にいた子が次の門の役と
して交替しなければならない。
 同じ江戸期の「お月さまいくつ」(「向う横丁」を参照)も、歌詞を少し変えて同じ
遊びをする。 
 歌詞は、川越城内の「三芳野天神(みよしのてんじん)」をテーマにし、「七五三」の
お参りに出かけて帰る参道の様子を描いていると言われている。
 神社が城内にあったために警護が厳しく、それゆえ「帰りは恐い」という文句が
あるのだという。
 音楽的にも、最後の部分が急に盛り上がるようになっており、遊戯歌としても、
うたうだけにしてもちょっとした緊迫感を誘い出す見事な構成がなされている。
 
  通りゃんせ 通りゃんせ
  こゝは何處の細道ぢゃ
  天~さまの細道ぢゃ
  ちっと通して下しゃんせ
  御用のないものァ通しゃせぬ
  この子の七つのお祝ひに
  お札を納めにまゐります
  行きはよいよい歸りは恐い
  恐いながらも
  通りゃんせ 通りゃんせ

ttp://www.d-score.com/ar/A02091106.html
20天之御名無主:03/01/19 21:19
・「埼玉の伝説」 早船ちよ・諸田森二 角川書店・日本の伝説18 1977年(埼玉伝説散歩/小江戸の賑い・川越)

 初雁城は太田道真・道灌父子の手になるものだが、城を築くにあたり、うるわしくも悲しい一つの物語がある。
 地形的に三方が田で泥は深く、南は底の知れない淵があって、土塁を築くことができずに困っていた。
 ある夜、道真の夢枕に竜神がたち 「この地に築城することは人力では及ばない、神通力が必要だ。明朝、
汝のもとに一番早く来た者を人身御供としてさし出せ」 といった。道真は事の重大さに驚き、不審に思ったが、
いつも一番早く自分のところにくるのは愛犬だったから、ふびんとは思ったが承知した。
 翌朝、いつもより早く起きた道真は、愛犬のくるのを今か今かと待っていた。
 と、そこに現れたのは娘のよね姫であった。これを見た道真は涙を流して立ちすくむばかりだった。われに
かえった父道真は、昨夜の竜神の話をしたところ、娘もまた同じ夢を見て、覚悟をきめ、城のため、人々のために
自分が犠牲になろうと思って来たという。しかし、いかに築城のためとはいいながら、最愛のわが子を人身御供に
できるはずがない。そこで道真は静観することにした。
 しかし、ある夜のこと、人目をしのんで館をでたよね姫は、城の完成を祈りながら淵に身を投げて、みずから貴い
犠牲になってしまったのである。
 初雁城は一名霧隠城ともいわれ、敵の攻撃を受けても、城中の霧吹きの井戸の蓋を開ければ、無限に霧が
たちこめて城といわず町までも包みこんでしまったという。現在野球場の一角に、その霧吹きの井戸は残って
いる(現在は市立博物館にあります)。

 当時この井戸を毎年二月二十五日の天神様の祭日に限り一般にも拝観を許し、両側に白い幕を張って
役人がついていて、通る人をしらべたという。それを歌ったのが、
   ここはどこの細道じゃ
   天神様の細道じゃ
   少し通してくださんせ
   ご用のないもの通しません
   この子の七ツのお祝いに
   お札を納めに参ります
   豆どん豆どん、豆どん豆どん豆どん。
といったものであったという。

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/minwa2.html#saidenkiri
21天之御名無主:03/01/19 21:24
・「[歌]に秘められたウソのような本当の話」 博学こだわり倶楽部編 青春BEST文庫 1991年
     『通りゃんせ』の舞台、川越市ではなぜ帰りがこわい?

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html#songhiwa


・「川越歴史小話」 岡村一郎 川越地方史研究会 1973年
     24.天神様の細道じゃ
     著者は、わらべ唄「通りゃんせ」の三芳野天神起源説に疑問を呈しています。

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html#sinsyo524
22天之御名無主:03/01/19 21:29
23天之御名無主:03/01/19 21:47
24山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/19 22:15
>18
「せっせっせ」から「通りゃんせ」まで大抵の遊びは似たものが他の
国にもあるそうです。
>20
巡礼中の母子が神託にあった時間に関所を通って人柱にされたという
伝説がありますが、こういう話が元になったものかも。
ここまで行かなくとも、七つで無くなった事により神の加護を受けら
れなくなった子供の危険を訴えたものだとする説もあります。
いずれにせよ怖い話なのは確からしい。
   ∋oノハヽo∈ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ( ^▽^) < 新スレおめでとうございま−す♪
   = ⊂   )   \_______
   = (__/"(__) トテテテ
26天之御名無主:03/01/20 15:47
>>2の言うように、昔から神社仏閣は夜ともなると怪しげな気配を帯びてくるので、
人間は行くものではないとはよく言われていたみたいだよ。
この歌のなんともいえない「怖さ」って、そのへんから来てるのかも。

話が横道にそれるけど、「かごめかごめ」なんかも怖いよね。
世界的にわらべ歌とかおとぎ話には、どこか怖めの雰囲気を持つものが多いけど。
271です。:03/01/20 20:31
みなさん博学なんですね、流石「民・神学板」。
実はこのスレを立てる前は荒らしとかあったらどうしよう・・・
とかちょっとびびっていたんですが、みなさん知的で良識ある方々なので
嬉しいです。
さらに詳しい情報をご存知の方はカキコ宜しくお願いします。
28天之御名無主:03/01/20 21:25
 だれでも知っているこの童謡に、天神様が出てきます。
 歌詞は、「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ 
どうか通してくだしゃんせ 御用の無いものとおしゃせぬ この子の七つのお祝いに 
お札を納めに参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 
とおりゃんせ とおりゃんせ」。

 天神様に七五三のお参りに行くときの歌のようです。では、なぜ帰りはこわいの
でしょうか?。

 正解は、確かなことはわかりませんが、かつては、「御用の無いものとしゃせぬ」の
ところは、「手形の無いものとおしゃせぬ」と唄われていたようで、江戸時代の関所
(特に箱根の関所)の通関の厳しさを唄ったものという説が有力です。
 箱根の関所は、関東の入り口ということで厳重を極め、手形を持たないものは絶対に
通さず、特殊な事情(親の重病や主人の危篤など)の場合のみ哀訴して通してもらえ
ましたが、その帰りには決して通してもらえなかったそうです。

 この他、面白い解釈として、これは人間が母親のお腹の中から生まれてくる時の
ことを唄ったものという説もあります(前にどこかで聞いた話で出典不明)。「細道は
産道、だれでも通れるわけではなく、生まれる意思と目的を持ったものだけが通れ、
しかも、いったん生まれると後戻りはできず、帰るときは死ぬときである。」という解釈
です。ちょっとこわいような、哲学的な解釈です。

 また、この歌の天神様はどこにあるのか、これも定かではありません。
 埼玉県川越市の三芳野神社は「とおりゃんせ発祥の地」とされており、京都八坂神社の
牛頭天王が歌の中の天神様であるとか、京都の北の天満宮の近くに「天神様の細道」が
あり案内板もたてられているとか・・・・・・・・・・・。

ttp://www.konanmachi-stm.ed.jp/kyoui/oboegaki/tenjin.htm
29天之御名無主:03/01/20 22:13
「往きはよいよい帰りは怖い 怖いはずだよ狐が通る」というのを聴いたことがあるなあ。

あと、手と手をあわせて作る門は、鳥居だとも。
30天之御名無主:03/01/20 22:32
31天之御名無主:03/01/25 20:51
天神様ってなんの神様なんだろう?
32天之御名無主:03/01/26 03:06
>>31
天満宮に祀られている菅原道真公じゃない?

祇園天神という説もあるみたいだけど。
33天之御名無主:03/01/28 23:17
道真君を迫害した側の子孫の人間が、天神様へ子供のためにお参りに行く歌かな。
背中を見せると正体がバレるjというからね。そういう光景を庶民が想像して歌にしたなら
長く伝わるのに丁度いいものになるかもねぇ。
34天之御名無主:03/01/31 15:51
菅原道真公にお参りする親と数え七歳の子供…。
お受験か?
35天之御名無主:03/02/10 20:51
オカ板だったかで、子捨ての歌だって解釈を聞いたことあるな。

子捨てが横行していた時代、当然捨てられた子が生きていけるはずもなく、信で
いった訳だけど、天神様(どこのかは不明)に捨てた子だけは健やかに育って
いったと(神社で養ったのか?)
で、そういう子捨てをみはるお役人が「ご用のない者通しゃせぬ」といって、母親が
「この子の七つのお祝いに〜」と真意を偽って通ると。
だから、子供を連れていない(捨ててきたことがばれる)「帰りは怖い」だって。
36のぶ:03/02/11 02:15
スレがたってずっとわからず悩んでいました
先ほど友達から聞いたところ
1。間引きの歌、内容は↑にあったのと似たもの
2。どこかの神社にお参りに行く風習があって、なかなか人の集まるところだったようです。神社から帰る人はお役所さんの検問を受けなければなからかったそうです
37天之御名無主:03/02/12 01:58
私がこの歌で一番疑問に思っているところは
「お札を納めにまいります」
っていう部分なんですが、
七歳になってお札を納めるという風習は正直聞いたことがありません。

もしかしたら、私が知らないだけなのとおもい軽く調べて見たのですが
そのような記述は見つかりませんでした。

一体、札というのは何なのでしょうか?
38天之御名無主:03/02/27 04:18
こんなのがあったので貼っとく
ttp://yumm.free-city.net/to.html
39天之御名無主:03/03/11 02:02
登場する人ともの

★お札を納めに行く人
★多分その子
★通行許可をする人

★天神様
★細道
★札

変な点

>>37七歳になってお札を納めるという風習があるのか
天神様に行くために来ているのに肝心な場所を知らない
天神様の細道がなぜ帰りだけ怖いのか
40天之御名無主:03/03/11 11:04
お札やお守りをいただくのならわかるけどね。
いつから七五三の風習ができたのかは知らないし。
当時からあったのかな?

大まかな場所しか知らず、夕暮れ時ならよくわかんなくなるってのはあるかも。
帰りが夜になるかもしれない。
・・・こんなんじゃ推測にしかならないねー。
41天之御名無主:03/03/11 14:27
「行き」に検問されているのに、「よいよい」とは何事だろう、
参拝客が大勢いて警備が甘いということか?
「帰り」が怖いような立ち入りとは、検問の対象となるような目的で
もぐりこんだが、帰りには発覚の恐れが高いというのか?
帰りが暗くて足元がおぼつかない、と理解すると
「御用の無い者通しゃせぬ」に由来する、
主人公の緊張感が浮いてしまうようにも思える。

そもそも、「七つのお祝い」「お札を納める」という申告自体、
とっさの思いつきで言った嘘の釈明だったのではないか?
警備員は不審に思い、言っただろう「本当にそれが目的なんだな、
では通ってよろしい。納札後、そのしるしを提示しなさい、
帰りの検問で厳しく取調べをするからそのつもりで」

→仮定を重ねるが、そうだとすると
何が目的で細道に侵入するのか?
「ここはどこの細道」「ちょっと通して」この言葉、
大きいたくらみがないこと、を演出していないか?
ならば大きいたくらみがあるんだろう。

上のレスにいくつかこの仮定にふさわしいのもあるが、
皆さんの追究を乞う。




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44天之御名無主:03/03/11 20:47
私も間引きの歌という話を聞いたことがあります。
ちなみになぜ 七つの〜 となっているかと言うと

昔は「七つまでは神様の子」と言われていた。
ゆえに七才になるまでは、捨てに行くことはなく、
七才になってから捨てに行っていた。

ということらしいです。
45天之御名無主:03/03/12 00:09
>>44
なるほどなるほど!

つまり「捨て子」歌。
46山崎渉:03/03/13 12:44
(^^)
47天之御名無主:03/04/07 21:33
カラスだって山に七つの子がいるんさ
48天之御名無主:03/04/07 22:29
>>18
その遊びって、確か、母が天神様にお参りに行くんだけど、
道を間違えて、異世界に入り込んじゃって、亡霊と一緒に
歩かなければならなくなった。って、話を聞いたことがある。
49天之御名無主:03/04/07 22:33
>>48
供養してくれる人がいない人は、死ぬと、自分で供養しなければ
いけないから、死んだ場所と寺や神社を行き来しなければいけない
ため。
50天之御名無主:03/04/07 22:37
>>48-49
その母親はその列に入っちゃったってことは、永遠に歩かなければ
いけないわけだ。ってことは、その遊びでは、門番役のほうが
いいのかな。
51天之御名無主:03/04/09 19:58
どうなんだろね。
52天之御名無主:03/04/10 11:42
>七つまでは神様の子

それって当時の幼児は死亡率が高いから、
「まだ人間になってないんだから、死んでしまっても悲しむことはないんだよ。
神様の国に戻っただけだ」
てな意味じゃなかったっけ。
53天之御名無主:03/04/11 00:48
よって終了。




次は、花いちもんめ あたりで・・・・
54山崎渉:03/04/17 09:18
(^^)
55山崎渉:03/04/20 04:56
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
56山崎渉:03/05/21 22:46
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
57山崎渉:03/05/21 23:32
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
58天之御名無主:03/05/22 16:15
この歌、
御用ってのは命のことだ、っての聞いたことあるよ。
うろ覚えなんだけど。
だから、女の子はもう死んでるんだそうな。
だから・・・っていったいどういう??
59天之御名無主:03/05/22 16:24
セリフを誰が言ったのか考えると面白いかも。

母「とおりゃんせ、とおりゃんせ」(子に)
子「ここはどこの細道じゃ?」(母に)
母「天神様の細道じゃ。」
門番「御用のないもの通しゃせぬ」
母「この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります」

ここまでがストーリーとしての歌で、
後のは、こういうのが「子捨て」だとわかっている当時の子供たちの
囃子歌だったんじゃ・・・?
つまり
子供たち「行きはよいよい、帰りはこわい」

お母さんはそうは言ってるけど、それは捨てられるんだよ、
行きは(子供にとって)よいけど帰りはないよ、みたいな。
60天之御名無主:03/05/22 18:45
「とおりゃんせ」というのは
どうぞ通ってください、という意味か、
通っていいですよ、という意味か、
さあ、通りましよう、という意味か。
或いはどういう意味だろ。
61天之御名無主:03/05/23 17:50
漏れは方言の本で、
「疲れた」と言うのを、
「こわい」と言う地方があるってのを読んだぞ。
そのページに「とうりゃんせ」の事も欠いてあって、
行きは楽チンだけど、帰りは疲れるって意味だと書いてあたよ。
消防用の本で読んだ時も消防だったから確かなことはいえんが。。。
62天之御名無主:03/05/23 23:57
事実とは違うだろうけど、参道と産道をかけてる解釈は好きだな。

ところで、七五三の七歳って女の子の方やったっけ?
どこか引っかかる。
63あわび:03/05/23 23:57
★オマンコは地球を救う★
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html
64天之御名無主:03/05/24 20:34
>>61
「こわい」とは秋田の方言に良くありますよ
65天之御名無主:03/05/24 22:14
色々と解釈の仕方があるんですね。
66天之御名無主:03/05/25 12:29
「情(なさけ)深い」ことを「情がこわい」というよね。
「強い」のほうだろうけど。

子を捨てたけれど、帰り際に、本当に見捨ててこれるかどうか、
ともとれるかも。
この母子はどおやら「子捨て」に行くみたいだが、
果たして情け容赦なく捨てられるかな、みたいな。
67山崎渉:03/05/28 14:54
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
68天之御名無主:03/06/17 05:53
天神様=北野天満宮
北区の玄琢辺りから北野天満宮に行く時は下り坂だが、
帰りは上り坂が続くので「いきはよいよい かえりはこわい」と友人に言われ
今まで信じていました。
騙された!ウワァァァン━ヽ(`Д´)ノ━!!!
69天之御名無主:03/07/09 23:05
age ?
70山崎 渉:03/07/12 12:37

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
71@@@@@:03/07/12 14:18

◆◇◆◇ 海外サイトだから安心無修正 ◇◆◇◆
http://upbbs.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html

 ↑ 
ココは丸見え! 今ならまだ消されてないよ。たぶん・・・
72山崎 渉:03/07/15 12:28

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
73:03/07/15 12:44
エロサイトに疲れて寝る山崎渉
74天之御名無主:03/07/16 04:56
>>64
今はあまり使ってる地域ないけど、全国で使えるから方言じゃないんだよな。
「こわい」=疲れた
75天之御名無主:03/07/16 09:31
>14
岸田今日子が布団の中で血まみれになって自殺してたり
犯人がナタでギッタギタにして殺してしまう映画じゃなかったけ?
もう20年ぐらい前の映画だけどかなりインパクトがあったなあ・・・

題名 この子の七つのお祝いに

角川書店主催の横溝正史賞の第1回受賞作品だそうな
76天之御名無主:03/07/16 15:38
>>33
たしか菅原道真公は藤原氏にハメられて、
大宰府に流されたという話を聞いた事が…
道真公亡き後に藤原氏の家系の何人かの人が病死したとか…
77天之御名無主:03/07/16 15:40
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78天之御名無主:03/07/16 22:14
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79天之御名無主:03/07/16 22:39
>37-40 めちゃ亀レス
お札を貰ってその効力が切れた(子供が7歳まで生きれた)為、
「納め」てちゃんと処分してもらうのでは…?
正月飾りとか1年以上経ったお守りを神社で処分して貰う事を考えると
無理無い展開だと個人的には思いますです
80天之御名無主:03/07/16 23:19
「とおりゃんせ」とか「かごめ」とかの童謡には実は怖いんだ。
みたいな感じの小説があったな。
長坂秀佳の「黒い童謡」だっけな?

はっきり言ってつまんなかったが。
81天之御名無主:03/07/16 23:45
いきはよいよい かえりはこわい

このフレーズは、死をあらわす言葉。
死ぬのは簡単だが、戻ってくるのは難しい の意
82天之御名無主:03/07/17 00:23
7歳以下(未満?)で死ぬと三途の川で迷うって話あって、
「いきはよいよい かえりはこわい」ってのが
現世に産まれてくることが出来ても、死後成仏できず
魂が三途の川にとどまって輪廻転生することが出来ない。
ということだと聞いた覚えがある。

で、母親が死んだ(殺した?)子の7歳をお参りすることで
その魂が再び輪廻転生の輪に還れることを願ったそうです。

という事で、「怖いながらも とおりゃんせ」は
怖いけれども帰り道を通って、魂が再び輪廻転生出来ますように。
って意味だとかなんとやら。
83天之御名無主:03/07/17 01:00
>>76
死後恨みのあまり雷神と合体して京都に乗り込んで紫辰殿に雷まで落とした。
84天之御名無主:03/07/17 01:05
子供なんて始めからいなかったんだよ。
85?:03/07/17 01:10
86???:03/07/17 01:11
87天之御名無主:03/07/17 01:26
88天之御名無主:03/07/18 12:20
とおりゃんせって部落差別の歌だとして
放送禁止歌になっているそうですね。
ってことは、帰りは怖いっていうのは
行きはお札を納めるという大義名分があるから
安全な道を通してもらえるけれど
帰りは部落の中を通らないといけないから怖いってことかな?
と思いました。

http://jhs.misho.ehime.jp/nakatyu/sonota/tayori6.pdf
89天之御名無主:03/07/18 18:38
>>88
そうなるととおりゃんせ発祥の地=三芳野神社は間違いってなりそうだなぁ。
作られたのは江戸以降らしいし流石に被差別地域に城は作らないだろうし。
地元民としてはちょっと悲しい。とおりゃんせのイベントとかあったのに…
すぐ横に市営プールと公園があったから昔はよく行ったよ。
物見櫓とか懐かしいなぁ…久しぶりに行ってみようかな。
90天之御名無主:03/07/19 02:10
>>89

>流石に被差別地域に城は作らないだろうし

いや逆に、武具や鞍を作るのに皮が必要だからお城の周りに
「カワタ」と呼ばれる被差別部落の人たちを集めていたそうです。
(宮田登 「ケガレの民族誌」より) 

だからお城があるなら発祥の地である可能性は一層高いのではないかと
思われます。
9189:03/07/19 04:00
>>90
成る程…無知な推測スマソ。
そう考えると
行きは札を納めるって理由があるから城の中の安全な道を通れるけど
帰りは被差別部落を…って>>88の推測が正しいのかも。
でも全く関係無いのに『連想させるから』って無茶な理論で差別表現になったりもするからなぁ…
丁度夏休みだし博物館とか行って色々聞いてみようかな。
92天之御名無主:03/07/19 13:44
>>91

>でも全く関係無いのに『連想させるから』って
 無茶な理論で差別表現になったりもするからなぁ…

そうなんですよね。他にも蛍の歌とか(「あっちの水は苦いぞ」のあっち
が被差別部落を差していると解釈され差別だから
禁止とか)の禁止理由を見るとこじつけだろう!と思いますし..。

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94天之御名無主:03/08/04 07:48
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95天之御名無主:03/08/06 18:18
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96天之御名無主:03/08/09 15:30
帰りゃんせ 帰りゃんせ
お宮のご用がすんだなら この道通って帰りゃんせ
お宮のご用はすんだけど かわたれ時にはお化けがでます
帰りのお土産何買うた おすしにお団子 柏餅
おすしをくれねば通らせぬ
おとっさんのお土産上げらねぬ
お団子くれねば通らせぬ
お母っさんのお土産上げらねぬ
取った子返せば通らせる
返しましょう 返しましょう
言ったはずだよ 帰りがこわい...
97天之御名無主:03/08/09 15:33
↑が「通りゃんせ」の返し唄だと聞きましたが、
本当なの?
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99天之御名無主:03/08/10 08:03
>>97
マヂ?age
100山崎 渉:03/08/15 18:25
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
101天之御名無主:03/10/23 01:50
>>96が気になるあげ
102天之御名無主:03/10/23 22:32
>>96はどこかで見たんだけど、どこだったか覚えてない。
103天之御名無主:04/01/01 00:41
諸星大二郎「この唄は異界の門を開く唄なんだ!」

妖怪ハンター
104天之御名無主:04/06/19 23:38
とおりゃんせ とおりゃんせ ここは冥府の細道じゃ
鬼神様の細道じゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ 贄の無いものとおしゃせぬ
このこのななつの弔いに 供養をたのみに参ります
逝きはよいよい 甦りはこわい
こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ
だと思ってたんだが。これって替え歌だろうか。
昔、楠桂の鬼切丸という漫画があってこれで読んだんだけどね。
105天之御名無主:04/06/30 14:52
行きはよいよい=まだ神の内だから加護がある。
帰りはこわい=社会の成員として認められたので自らの行動に責任を持たなくてはならない。

という意味だとばかり思っていました。
いろいろな解釈の仕方があるんですね。
106天之御名無主:04/07/06 18:40
天神は菅公じゃないよ。後で合祀しただけ。由緒ある神社ならそんなこという神主は
いないよ。
107天之御名無主:04/07/06 21:11
このまえ読んだ週刊誌に
日本に強制送還されてきた朝鮮の人たちの歌という説が出てた。

曖昧な言葉で成り立ってるから
どうとでも取れるね。
108天之御名無主:04/07/07 19:52
民俗学と歴史学の違いは、権力構造に対する評価の大小でもある。

「怖い」ものの多くが、実はその時代時代の権力に由来するものであることは、
民俗学、社会学でも多くを認めているところでもある。何故「天神」が怖いかと言
えば、それは祟り神であることに間違いはないであろう。>>106の言うのも興味
深いが、古来祟り神は一つにまとめて合祀されるのが慣わし。御霊神社しかり、
総社もそのような役割があるとも言う。天神とは、もともとは何であったろうか。

妖怪ハンター?


・・・・・・・・・・・ふむ。冬はオリオンがきれいだ・・・・・。
109天之御名無主:04/08/03 17:38
この子の七つのお祝いというのは七五三のことらしい。

七五三のお宮参りが住むまでは子供は神様のもので、
死んだ子供の魂は神様の元へ帰っていく。
天神様の境内で殺せば子供の魂は迷わずまっすぐ天国へ行ってくれる。
母親はそう考え天神様に子供をつれてお参りに行き、そこで子供を殺した。

殺した子供を埋め、母親は急いで家へ帰っていく。
決してうしろを向いてはいけない。
少しでも振り向くと子供は母親に呼ばれていると思って
黄泉(死後の世界)から帰ってきてしまう。

殺したはずの子供の幽霊が母親を恋しがってあとをついてこようとする。
それが「帰りは怖い」の理由。
「行き」は「逝き」、「帰り」は「甦り(黄泉帰り)」に通じているのだという。

「通りゃんせ」は、貧しい農村で起こった子殺しの歌だという言い伝えがあるそうだ。


ということをある本に書いてありました。
奥が深いですね。
110天之御名無主:04/08/04 01:09
なんでえ。>>10にとっくに出てるじゃないか。

発祥は川越の三芳野神社で間違いないですよ。
地元民なんで行ったことあります。歌の縁起の看板も地味にあります。
ついでに、天神様はマジで菅原道真公ですが。
確か江戸時代に建てられたから、そんなに古い神社ではないんですよ。
全部の神社が昔からあるとは限らないでしょ。
ただの空き地に新しく作ることもある。政治的に、とか。

「7歳まで子どもは神様のもの」というのは本当で(七五三)、
札を預けると子どもは神様から自立しなきゃならないのも本当だけど、

城の中の神社だったから、七五三の時の年に一回しか入れなくて
だから警備も厳重で役人(権力)怖い、とまあ
えらぶってる怖い役人を子どもたちが皮肉った童謡ですわなあ。
返し歌は聞いたこと無いですが。
よく分かんないけど、童謡に返し歌ってあるもんですかね?(俳句なら知ってるんですが)
少なくとも川越のとは無関係か。

色々含みのある歌詞の上に、音程と全体の歌の流れがなんとなく怖いので
割と創作にも使われてますが(鬼切丸は読んだ。アレ替え歌です)
地元民としちゃ、あんまそういうイメージ沸かないなあ。
川越って米がいっぱい取れる比較的豊かな地域だったし
「貧しくて子どもを…」が由来とは言い難いねえ。
城中の神社の中で一般市民が殺人とかできないし
船貿易で栄えてたからそれ程田舎でもなかったしねえ。
まあ、陰惨なイメージの解釈のが面白くはある。(不謹慎)

そういうの好きな人は春に来ると桜が綺麗です。(大したこと無くて拍子抜けしそうだが)
111天之御名無主:04/08/04 04:01
 通りゃんせ、通りゃんせ、ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ、
 ちょっと通してくだしゃんせ、ご用のないもの遠しゃせぬ、
 この子の七つのお祝いに、お札をおさめにまいります、
 行きはよいよい帰りは怖い、怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ

○この童謡と似たものは全国各地に存在する
○「童謡」という語は、中国の「漢書」、「後漢書」、にならったもので
  「日本書紀」などに用例が見られる
○日本の「童謡」は中国と違って本当の子どもだけが唄うものとは限っていない
○「わざうた」と訓読みしていたことから推測して、
神的な存在としての童子装束者の口を介して表現される、
社会批判や忠言、あるいは言祝をさしていたと思われる。
童謡=風刺歌=忠言歌=呪術歌
112天之御名無主:04/08/04 04:11
通りゃんせの歌に出てくる天神様=菅原道真公
・昔は京で災害や疫病があると、道真公の仕業だといわれた。

日本各地に天神祭りはある
(特殊な例として)
祭りが盛り上がった頃に天神の御輿の下を子どもが列を組んで潜る。
「無事に通り抜けたらその子は丈夫に育つ」
 ↓
「無事に通り抜けられないこともある」=御輿に捕まる=神に捕まる
天神の怒りを鎮めるために、子どもを生贄にしていたという暗喩

今は「七五三」というが、昔、地方では七つのとき以外は祝いをしなかった。
七歳の童女というのは特別に祝福された存在なので、人柱にもっとも相応しい。


以上とある小説から抜粋。私の持っているバージョンには参考文献なし・・・。
113天之御名無主:05/02/16 13:47:51
怖い歌を扱ってるスレがここしかなかったから、ここで質問させて下さい。
一昔前にネピアだったかエリエールだったかのCMに使われてた外国の歌が
呪われてると聞いた事があったんだけど、知ってる人いますか?
外人の赤ちゃんが鬼の格好して踊ってるCMみたい。

私は見た記憶が全くないから気になってるんです。
114天之御名無主:05/03/01 22:21:23
>>1
おいおい、そりゃ埼玉県川越発祥の歌だよ。
よく横断歩道で流れてくるでしょ?以上。
詳細は110でたぶん正解。
池袋から急行で東武東上線で約30分です。
舟運は新河岸川経由で芋とか運んでたんだよ。
三富地区は米作れないからね。
115狼?:05/03/08 19:14:05
部落伝承だったと思うが、七歳未満の子は神の子で、食べ物に不自由する、この世の苦しみから開放するという意味で「送り返す」のだそうな…(ある意味間引き)
そういえばなんかのマンガでとおりゃんせをモチーフにした反魂の話があったなぁ…
いろんな意味、解釈があるそうだが、どちらにしても幼い子供の命をどうにかするような感があるなぁ…
116天之御名無主:05/03/17 03:18:56
川越出身です。
>>10,>>110があたり
オカルトとは無関係。小学生の頃課外授業で神主さんか関係者が語ってくれました。

>>113
>>115

だから漫画とか噂の浅い知識でいうなよ
そういうのが蔓延してっから都市伝説とかマジに信じるやつ出てくるんだよな。
とうりゃんせの歌は答えが出たからFAね。

クリネックスのCMは散々既出、ぐぐるとかいう考えないのか?それに板違い。
ちなみにオカ板では定番のネタだよこれは、ちゃんと怖い音楽スレもある。
使われている曲はMiss JaneのIt's a Fine Day
内容は実に明るい歌詞だがCMでは当時珍しかったアカペラだったのと
子鬼と背景が幻想的だったのもあり視聴者の不安感を煽り、呪いのCMとかいう噂がたっただけ。
出演者が死んだとかいうのもデマです。以上!
117天之御名無主:2005/05/11(水) 23:52:37
↑アホ?
118天之御名無主:2005/05/12(木) 00:42:02
天人とは区別してほしいな。
119天之御名無主:2005/05/12(木) 17:09:34
花いちもんめとかどうなんだろう
けっこう変な歌詞だったよね
120天之御名無主:2005/05/17(火) 20:58:21
昔、「漫画 日本昔話」で「とうりゃんせ」がテーマになってる話があった。
「とうじんぼう」とかいう悪者が村の人間の罠に嵌められて、酔いどれ気分の帰り道に谷底に落とされる話だった。
よく覚えたないけど、ひたすら怖い話だった。
そして流れてくるのが「とうりゃんせ」の歌
これは、怖かったよ。子供ながらにこの話は、実際にあったんだろうな、と怯えたくらい怖い話だった
この歌に関係あるのかな?
121天之御名無主:2005/05/18(水) 22:41:03
埼玉で「とおりゃんせ」?
そんな言葉使う?
>>110
>発祥は川越の三芳野神社で間違いないですよ。
>地元民なんで行ったことあります。歌の縁起の看板も地味にあります。

根拠にならないし、神主さんが語ったからといって。
それじゃどこぞの国が高天原を造ってオリジナルだと言い出すのと変わらない…

>>20のリンクでは

>ここはどこの細道じゃ
>  天神様の細道じゃ
>  少し通してくださんせ
>  ご用のないもの通しません
>  この子の七ツのお祝いに
>  お札を納めに参ります
>  豆どん豆どん、豆どん豆どん豆どん。

だし
埼玉発祥でも、せめて「通りゃんせ」という言葉の由来が必要

>>108が近いところにあるような気もするけど、
>「怖い」ものの多くが、実はその時代時代の権力に由来するものであることは、
>民俗学、社会学でも多くを認めているところでもある。
というのと、
>何故「天神」が怖いかと言えば、それは祟り神であることに間違いはないであろう。

は何で途中で怖いものの対象が変わってる?
権力と天神(道真)なんて相反するもの
貴族にとって天神は怖いものだし、庶民にとって怖いのは貴族
122天之御名無主:2005/05/19(木) 13:23:13
「天神様参りともいい、江戸時代から殆ど全国に普及した遊戯唄で子取り遊びとする地方もある。
一説に、江戸幕府の頃、箱根の関所の通行は厳重を極め、手形の無い者は絶対に通さず、
何か特殊な事情(例えば親の重病、主人の危篤など)の場合、関所に哀訴して通してもらった。
その帰りは絶対に許さなかったことを歌ったもの」と岩波文庫のわらべうたに載ってます。

お札をおさめに参りますの部分は天神さんに願かけてと歌う地方もあるそうです。
つまり七五三のお宮詣りに、どうか願をかけに行かせて下さい!
と歌っているだけなのではないでしょうか?
べつに怖い歌ではないですよ。

川越の三芳野神社に発祥地の石碑があるのは事実です。
期待して見に行くとガッカリするかもしれないので
初雁球場か本丸御殿(春日局で有名)に行ったついでにでも見てください。
123天之御名無主:2005/05/19(木) 20:55:48
それはどんな石碑でいつ頃からあるのですか?
124神崎月夜:2005/08/29(月) 10:29:53
とおりゃんせの歌の中に「ご用の無い者とおさせぬ」
というのがあるじゃないですか。
行きは、「お札をあげる」という用があるから通してもらえますけど、
帰りはコレと言った用が無いから
通してもらえないらしいですよ。
125:2005/08/29(月) 17:06:53
私が読んだ本には、場所は覚えてないけどやっぱり間引きの歌で「この子の七つのお祝いに」
って部分は七歳までは神のうちって言うように七つのお祝いに天神様に参って子供(直接的な
表現を避けてお札としている)を天神様に返す(首を絞めて殺して埋める)ということでした。
「帰りはこわい」って言うのは子供を置いてきた母親の心理だそうです。なんにせよこういった
童謡はオカルトと結び付けられますね。本来の意味は普通のわらべ歌だったとしても。
かごめかごめも逃げようとした遊女の話とか、姑に流産させられた嫁の話とか。いろんな解釈が可能だからかな?
126:2005/08/29(月) 17:17:54
すいません、>>109と同じ本かも。
127天之御名無主:2005/09/14(水) 11:44:46
昔は一般的に六歳までは神様に護られてる存在で
家の神棚にはそのお守りとなるお札が掲げてあった
しかし七歳になると、そのお札を神様に奉納しなければならないシキタリがあり
お札を納めた後は、子供はいろいろな災厄に見舞われ易いので親としてはそれが恐ろしい、
つまりお札のない帰りは怖い
128天之御名無主:2005/09/23(金) 11:38:00
百家争鳴
129天之御名無主:2006/01/27(金) 17:13:18
学校の授業で、この歌の意味を習ったんすけど、やっぱ>>127
とおんなじことを先生が言ってました。
お札返しの歌ですね。
個人的に、>>125みたいな、
民間伝承にはグロテスクな意味が隠されている
っつー解釈には最近おなかいっぱいなんで、
お札返しのほうが納得いく。
130天之御名無主:2006/09/19(火) 22:20:15
うちの地方ではとおりゃんせではなく、かごめかごめと呼ぶな
131天之御名無主:2006/09/19(火) 22:22:06
あ、ちがった別の歌か。スマソ
132天之御名無主:2006/09/20(水) 19:42:44
>>121
天神信仰は貴族が率先して行なってたと思いますよ。
祟り神っていう面もあるけれど、
学問の神、という性格が強くなっていきます。
祟りの方は死後に位を授けて落ち着いたらしいです。
で、庶民にとって恐いのは貴族と仰いますが、
庶民と貴族って接点が少ないから恐怖の対象としては
成り立たないんじゃないかな、とも思います。
むしろ、所謂貴族なんかよりは下級の役人では?

とりあえず何でもかんでもホラーに考えるより、
川越三芳野神社の方で考えた方が健康的ではあると思う。
133天之御名無主:2007/08/30(木) 18:29:40
何だこの長寿スレ
134天之御名無主:2007/10/23(火) 19:19:25
真意

かごめ かごの中の鳥は いついつ出やる

夜明けの晩に ツルとカメがすべった 後ろの正面だあれ?


→「かごめ」は妊婦の腹の中を指し、いつ生れるか、と問いかけ

→「夜明けの晩」真夜中の暗闇の中、「ツルとカメ」男と女、が「すべった」マグわった

→「後ろの正面」後背位で犯されているので「後ろの正面」とは女の視点からのもの

→「だあれ? 」暗闇で男=子供の父親が誰かもわからない。

→ 不安をかかえて乗り逃げされた女の哀借歌


135天之御名無主:2008/01/11(金) 16:25:38
ttp://www.tamatimes.co.jp/article/986
二番のは本当に漫画での替え歌なのか?
136天之御名無主:2008/07/11(金) 17:16:31
意気揚々と昇天したスサノオは爪を剥がされて哀れな姿になって流された
アマテラスとスサノオの天津神両名が誓約を交わした時に生んだ宗像三女神の次女「市杵島姫命」は道の神

相手の部位を使ったのでその部位の主の子としよう言い出したのはアマテラス
にも関わらず、宗像神社では宗像大神をアマテラスの子として紹介
天津神によるこの子達の親権争いの唄が「はないちもんめ」

かごめもふるさともここ
137天之御名無主:2008/07/15(火) 18:08:01
とおりゃんせ、水子供養の歌というのは既出?
間引きで水子になった子供の七回忌の歌だって聞いたことある。
138天之御名無主:2008/07/16(水) 09:54:31
あの百円入れて動くパンダの乗り物もこの曲のイメージあるよな
139天之御名無主:2008/07/16(水) 11:17:21
140天之御名無主:2008/07/17(木) 06:57:51
>>139
ありがと。
だけど、水子っていうのは生まれる前に堕ろしてしまうことだから神社の境内で殺すわけではないよ。
間引いて堕ろした子供の7回忌を供養するために母親が神社にお札を収めに行く歌っていう解釈。
141天之御名無主:2008/07/18(金) 13:27:15
水子供養は、何十年か前にどっかの坊さんが金儲けの為に広めたって聞いたけど
ソースは2ちゃんねるです
142天之御名無主:2008/07/25(金) 14:17:37
なんにせよ、怖いな
143天之御名無主:2008/07/25(金) 14:45:37
処女膜破る歌だよ
144天之御名無主:2008/08/08(金) 17:58:00 BE:694228673-2BP(0)
「怖い」って言うのは北海道の方言で疲れたという意味だから行きはよいけど、帰りは疲れるって意味って北海道出身のばあちゃん言ってたけど埼玉かららしいのか・・
145天之御名無主:2008/12/24(水) 12:53:21
146天之御名無主:2009/05/24(日) 00:37:26
「りゃんせ」の意味がわからん。誰か現代標準語にしてくれ。
147天之御名無主:2009/05/24(日) 04:52:21
乳幼児死亡率の高かった昔は数え7つまで育つことはめでたいこと。
そのお祝いと関所が結び付いて発生したとも聞いたことがあるが。
もちろん既出だろうけど。
何にしても子供の頃、怖かったよ、この歌。
大正時代に作られた「赤い靴はいていた女の子」も何となく怖かったけど。
赤い靴はどうも実在の特定個人をネタにした歌じゃない説が有力らしいね。
横浜市や北海道は頑なに認めないだろうが。
148天之御名無主:2009/05/24(日) 06:00:35
わらべ歌じゃないけど、
小学生の頃、「島原の子守歌」も不気味だった。
学校の唱歌集に載っていて小1・小2の時にお袋が歌ってくれたが、
子供ながら何か普通の子守歌と違うなぁ?
と感じていたら、子守歌どころか、からゆきさんへの哀歌だった。
今から30数年前だけど、よくもまぁ唱歌集に載せていたもんだ。
149天之御名無主:2009/05/26(火) 11:32:51
>>146
古いいい方で民謡や邦楽などにときおり見られる。
「〜りゃんせ」は「〜またはしなさい。しましょう」の意味。

たとえば「通りゃんせ」なら「通りましょう」。または「通りなさい」。
「踊りゃんせ」なら「踊りましょう」。か「踊りなさい」というほどの意味。
ニュアンスや文脈から見ておそらくそんなものではないかと予想しています。
150天之御名無主:2009/05/26(火) 22:49:26
>>148
あれ昔からの歌かと思ったら創作なんだってね。
151148:2009/05/27(水) 03:38:44
>>150
俺も10年ぐらい前まで、「からゆきさん」全盛期に島原・天草で自然発生?
した歌かと思っていた。戦後に創作された歌だったとは・・・
おまけに、こないだネットでググったら山梨県の民謡を
盗作したものだとかそうじゃないだと論争があるそうな。
それはともかく、暗い悲しげな歌。明るい歌なはずがないけど。
152天之御名無主:2009/05/31(日) 07:19:21
わらべ歌は不気味
153天之御名無主:2009/06/02(火) 03:29:20
のぞみかなえたまえ
154天之御名無主:2009/08/03(月) 18:20:14
天神あげ
155天之御名無主:2009/08/04(火) 16:49:51
わらべ歌って子供が唄うもんだから、もっと単純なんじゃね?
子供が怖がるものって言えばお化けだよ
天神様の細道はお化けが出るけど、行くときはお札を持ってるから平気だけど
帰りはお札を置いて帰るから、お札の守護が無いので怖い

役人が怖いとか、殺した我が子がついて来るから怖い、
我が子が災厄に見舞われないかが怖いってのは「母親が怖がってる」って解釈した場合でしょ
「いきはよいよい帰りは怖い」って怖がってるのは子供では?
156天之御名無主:2009/08/13(木) 17:13:08
子供がうたう歌でも
子供が作った歌とは限るまい
157天之御名無主:2009/08/14(金) 04:34:10
誰が作った歌であろうと構わないが、子供が遊ぶ時に歌う歌である以上
子供目線で、子供が理解出来る内容なのだろう

向かい合った二人が手を繋いで持ち上げた間をグルグル回る訳だが、
歌の内容からして天神様の細道を通ってるのだろう
…で、歌が終わると同時に上げられていた手が下りて一人が捕まる…と
帰り道でお化け(鬼?幽霊?)に捕まった事を表してるのだと思う
158ぴよぴよ:2009/10/14(水) 02:55:37
一 とおりゃんせ とおりゃんせ
二 ここは何処の細道じゃ
三 天神様の細道じゃ
四 ちーっと通してくだしゃんせ
五 御用の無い者 通しゃせぬ
六 この子の七つのお祝いに お札を下げに参ります
七 行きはよいよい 帰りはこわい
八 こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

歌詞の内容には想定される名前・性別・年齢等の登場人物像の表現が無い。
が、唯一六行目に「この子の七つ」という表現から
七才の子供が出てくる。
この六行目から追って解読すると、四行目の通行許可を請う台詞に対し
五行目の返答は断定的に断りを告げている。
それでも六行目では「ここ」を通して欲しい理由を答えている。
四行目と六行目の台詞は同一人物のものだという事が判明する。

四行目の下り「〜しゃんせ」はその昔の丁寧語で女性的表現である事から女性と思われ、
反して五行目は「〜せぬ」という断定的な命令形の強い口調は男性と思われる。
また、四行目の女性であろう「ここを通して欲しい」という願いを請わなければならない事から推測すると
五行目の台詞の人物は「ここ」の通行許可の権限を持つ者=門番のような役人的人物だと思われる。
159ぴよぴよ:2009/10/14(水) 02:58:37

158の続き
また、二行目「ここ」の場所は何処なのか、の質問に対し、
三行目は「天神様の細道」と答えている。
この二、及び三行目の質疑応答の下り「〜じゃ」は、
四〜六行目との下りが全く違い丁寧語・命令語では無い。
むしろ親しみの在る者または顔馴染みの在る者同士の会話の下りである。

また二行目の場所を問う「〜じゃ」の質問に対し、
三行目の返答も「〜じゃ」と口調を合わせて返答している事から
二行目の質問者の年齢は下、三行目の返答者は上と思われる。

「ここ」の場所を答えている三行目の年上の人物は
二行目の質問した年下の人物に「ここ」に連れて来るまで場所を知らせずに来ている事がわかる。

三行目の返答した年上の人物が天神様へ年下の人物を連れて来た目的・理由が四・六行目の女性であり、
同一人物である事が判明、年上の女性である。また、二行目の質問した年下の人物が
他の誰でもなく「この子」七才である。

この年上の女性と「この子」七才の関係は「〜じゃ」という口調で話す親しい間柄の関係から、
また「この子のお札を下げに来た」、お札がここの天神様に奉られて在る事を知って来ているであろう事から、
見ず知らずの子を連れて来たというよりは「親子」であろうと推測される。
160ぴよぴよ:2009/10/14(水) 03:01:00
159の続き
ただその「親子」は七つの「お祝い」の為に天神様へ連れてきているにも関わらず、
子供には嬉しいはずの「お祝い」なのに、何処に何をしに連れられているのか
何故か場所も理由も母親は一切告げずに連れて来ている。
また門番に対し「お札を[下げ]に参ります」とお札を納めるのでは無く、
取り下げに来ているというのは意味深である。

また「この子」は「ここ」まで来ていても何処なのか判らずに質問した、という事は
「この子」にとってこの天神様は初めて来た、見知らぬ馴染みの無い場所であり、
ここの天神様には連れて来た事も無く「この子」のお札が奉られていた、という事も無かったであろう。
六行目の「ここ」にきた通行許可を請う母親の言い訳「お祝い」「お札」は矛盾し、
天神様へ入る為だけの嘘だったのであろう。
何も言えなかったのは母親のこれから我が子を殺めようとした後ろめたさの心情の表れか・・・。

(何人かの方が)お札を「上げ」もしくは「納め」と書かれておりましたが「下げ」です。
You Tube等で確認してみて下さい。

・・・「通りゃんせ」は、貧しい農村で起こったいわゆる「口減らし」で子殺しの歌だという言い伝えがあるそう。
天神様の境内の中で殺めれば子供の魂は仕える精霊が天国へ連れて行ってくれる。
母親はそう考え天神様に子供をつれて行き、そこで子供を殺めた。

・・・一、八行目の「とおりゃんせ とおりゃんせ」と通行を薦めているのは決して
五行目の通行拒否を告げた門番の様な役人ではなく、天神様へ御使いしている精霊だという・・・。
161天之御名無主:2009/10/14(水) 18:58:26
いつまで都市伝説にこだわってるの?
川越市に石碑あるから見ろよ。
首都圏ならすぐだぞ。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta.html
162天之御名無主:2010/04/23(金) 22:29:35
>>106
在日チョウセンヒトモドキ(笑)の捏造に騙されちゃ駄目だよ^^
強制連行されたんなら早く帰ればいいだけの話なのに^^
誰も咎めたりしないのにねぇ(笑)
ホントチョウセンヒトモドキ(笑)はカスだな(大爆笑)
偉大なる日本人様ごめんなさいニダ。ウリ達は生きている価値のないゴミクズニダ。
日本様がうらやましかったニダ。
二度と偉大なる日本様、日本人様には迷惑をかけないニダ。慰安婦問題とか全て捏造ニダ。
全てにおいてウリ達チョウセンヒトモドキは、偉大なる日本人様に劣っているニダ。
本当にごめんなさいニダ。
最後に一言、偉大なる日本様、日本人様万歳ニダ。
強制連行(笑)なんて捏造ニダ
嘘ついてごめんなさいニダ
チマチョゴリ(笑)破られた詐欺してごめんなさいニダ
チョン部落(笑)もゴミクズニダ
自衛隊様にはバカチョン軍(笑)は何一つ勝てないニダ
ネトウヨネトウヨ騒いでごめんなさいニダ
日本人様は最強ニダ
日本人様を拉致してごめんなさいニダ日本人はウリ達ゴミクズに何してもいいニダ
日本人様に逆らってごめんなさいニダ
日本人様には何一つ勝てないニダ
日本人様に永遠に勝てないニダ
164天之御名無主:2010/05/20(木) 16:49:42
とおりゃんせは江戸時代以降に流行したんだから、横断歩道云々は元々の意味とは直接関係ない
徳川の埋蔵金云々は、徳川の子孫ならまだしも、縁も縁もない民衆に伝わっていることから考えてガセ
…っていう解釈はもう出てる?
165天之御名無主:2010/05/26(水) 15:58:08
通りゃんせは一種の呪だよ。
口減らし、とあるけど、近いが間違い。

天神信仰が閻魔信仰と結びついている点を思い出して欲しい。
当時は子供の死亡率が極めて高く(一説には5割)安全とされる7歳を超えて生きるのは大変だった。
つまり一人の子供の生の裏にはたくさんの子供の犠牲がある。
天神は賢く子供を育てる神であると同時に、強大な呪い神でもあり、
その子が他の死んだ子達に比して生きるに相応しくないと判断すれば、その子を祟り殺してしまう。

母親はそうはさせじと天神に参ってコトハギを述べて札を奉納し、天神をいい気にさせて許してもらう。
しかし大抵の場合、子供が死ぬのは親に多くの責任がある。衛生、栄養状態の悪い時代でもあるからそれは尚更で、
母親は死んだ子供達の霊に対し申し訳ない気持ちとともに、強い罪悪感と恐怖を感じていた。
つまりその子達が天神に対し告げ口をして、この子を自分達の仲間にするのではないか、という事だ。
天神の元に子供を連れて行くのはその審判を仰ぎにいくという意味があったため「こわい」となった。

ここで通りゃんせの遊びはどうやるかを思い出して欲しい。
腕が降りて捕まった子は、即ち水子の霊達に捕まった、死ぬ、という意味だよ。
166天之御名無主:2010/05/27(木) 16:33:05
帰りはこわい

ってのは、一種の方言で、硬いって意味でも解釈できる
つまり、帰りには硬くなっている
「この子」の七つのお祝いにお札をもらいに来たが、
あえなく死んでしまった、という解釈

だが、ただ行って帰るだけで死ぬのはおかしいから、これは何かの比喩だろうな
盗賊云々はかなりの眉唾だし、埋蔵金も眉唾だからオミットできる

とおりゃんせってどういう意味なんだ?
「通りますよ」か?
167天之御名無主:2010/05/27(木) 21:05:36
七五三詣での7つ詣りの際のうた。
これらの年齢はいわゆる厄年でもあります。

赤ん坊はあの世からの縁や能力をこの世に持って生まれ、
赤ん坊〜7才位の幼少期まではまだあの世と繋がっているとされます。
それは、何かの拍子であの世に戻り易く、引き込まれて簡単に死んでしまい易いとされます。
別な信仰では幼少期の童子はあの世から特別な能力を持って来て居るとされ、異能のモノ、神仏にちかい特別な存在(鬼神、神童子)とされます。
七五三詣でではあの世との縁切りを行い、この世に定着化させ、普通の世間一般の人となる為の通過儀礼。

お参り前は霊位の高い悪しきモノを祓よける異能のモノですが、
お参りの後は普通の人になりか弱いモノになるのでお気を付けて・・・

天神さまは現在は学問の神様、菅原道真さまと一般的には思われていますが後からあやかった信仰で、
本来は天候や雨などを司る稜威の高い雷神様。
で昔の人の怖いモノの筆頭。
昔からの怖いモノの例えに、
地震。雷(神成/かみなり=神の怒りの鉄槌=いかづち)。火事(火山噴火)。オヤジ(津波のこと)
雷に打たれる=神成に打たれる=神様の逆鱗に触れて鉄槌を下され成敗される。
そゆ事の無いように、更には神様のご加護を受けられますようにと言うこと。

歌詞の細道はサイドウとも読めます。これは寺社の参道の事。
また、参道は人が産まれ出る母親の産道に同じ。
お参りは産道に入って行き、本殿(子宮)で神仏のご加護を頂いて再生し、参道(産道)を下ってこの世に産まれ変わるのと同じ。

・・・・
168竹ノ大イ田力:2010/06/23(水) 04:43:22

「とおりゃんせの歌」の作詞者は「松尾芭蕉」ですよ…

それから、「この子の 〜 参ります」っていう部分は
多分【オリジナル】ではありませんよ…
169天之御名無主:2010/06/23(水) 17:12:48
>>29
往きはよいよい帰りは怖い 怖いはずだよ狐が通る
はどこに伝わってる歌?

>>96も気になるなー
170天之御名無主:2010/06/25(金) 08:47:52
栃木ではこわいは、疲れたという意味だが。
171天之御名無主:2010/06/25(金) 13:13:30
へえ初めて知った
172天之御名無主:2010/06/25(金) 16:50:51
こえなぁ〜

ところでこの歌は淫獣聖戦を思い出す
173天之御名無主:2010/06/26(土) 00:38:09
>>164
徳川の埋蔵金は日光東照宮にあるよ
公にならないのは荒らされたら困るからだろうし発掘できないのは場所が場所だからだろ
174竹ノ大イ田力:2010/07/08(木) 06:09:52

>>168 の続き

 「この子の 〜 参ります」部分がオリジナルでは無いと
思われる理由について

 1.「この子の 〜 参ります」だけ妙に俗っぽく感じる。

 2.この部分だけ韻を踏んでない。
   (「細道じゃ」×2、「せ」と「せぬ」、「よい」と「こわい」)

 3.「七つのお祝い」という大事な用事なのに
  「ここはどこの細道じゃ?」と「天神さま」への道のりが
  わからない様子に矛盾を感じる。
   大事なお参りなら道に迷わんように気合を入れるよね、普通…。

 4.この部分だけ「お参りに行く人」のセリフが
  二節(ふたふし)連続しているのが不自然。歌えばわかる。
  (「二」「四」「六」=お参りする人、「三」と「五」=「土地の人」?)
  >>158 を参照してね。

 つ〜ことで、「六」の部分は「オリジナルの作者」以外の人が
後から付け加えたものと決定して無視したいのですが、
みなさん どうでせう。
175天之御名無主:2010/07/14(水) 03:05:13
すべてあなたの「感じ」だけですか?
176竹ノ大イ田力:2010/07/17(土) 02:27:54

2の「韻」の問題と 3の内容の問題については
考慮の余地があると思いますが…

177天之御名無主:2010/07/17(土) 12:19:08
だからさ、「とおりゃんせ」の起源は埼玉県川越市だって。
178改名 祖我神夷:2010/07/24(土) 00:29:33
竹ノ大イ田力 から 改名しますた

仮にね〜 「この子の 〜 まいります」 を無視すると
ある程度 筋のとおった説明ができると勝手に思ってんだけど…
179祖我神夷:2010/07/24(土) 00:32:25
まず、この歌が江戸時代中期頃から一般に歌われ始めたこと、
歌詞中に登場する「細道」っていう言葉、
歌詞中での登場人物が「細道あたりまで行っている」ってことを考えると…

この歌の作詞者が「おくのほそ道」の作者でもある、
「松尾芭蕉」なんじゃないかと推定できますよね…。
つまり、この歌詞は彼の「体験談」なんじゃないでしょうか?
180祖我神夷:2010/07/24(土) 00:34:57
歴史的に考えると「細道」とは、
「古代道」や「大きな街道」が通っていない道と想像できる…。
「陸奥(みちのく)」の語源が「道の奥」であるのは通説で、
これは、実際に「古代道」の整備が遅れたこと、
または途中で整備が中止になったこと(盛岡の胆沢城付近と
秋田の秋田城付近まで)に由来しています。
181祖我神夷:2010/07/24(土) 00:36:21
「松尾芭蕉」は実際に岩手県の盛岡あたりまで北上したらしいが、
それ以北には進まず、秋田方面に進路を変えている…。
 彼が、「本当は青森付近まで旅をしたかった」と仮定すると、
盛岡あたりの関所(?)で「御用の無い者とおしゃせぬ」と言われたので
進路変更を余儀なくされ、そのために
「行きはよいよい 帰りは怖い」と思ったのでは…。
あまりに印象深い体験だったので、紀行文の題名そのものを
「おくのほそ道」(盛岡・秋田以北の道の意)にしたのでは?
182祖我神夷:2010/07/24(土) 00:37:40
 さて「天神さま」は、「菅原道真」にゆかりのある場所(北野神社or大宰府)か、
「天照大神」の短縮形で「伊勢神宮」のある場所とも考えられるが、
両方とも、早々に「古代道」や「大きな街道」が通った場所であるので、
「細道」の先にある「天神さま」と考えることはできない…。
 よって、芭蕉さんは象徴的な意味、つまり「天神さま」が、
「天照大神」のように古くから権威があり、「菅原道真」のように「祟る神」である
という「性格」を表したかったのではないかと考えられるし、
これは歌詞の中の「こわい」という部分が「その神への畏怖」という
感情であることも暗示してるのかも…。
183祖我神夷:2010/07/24(土) 00:43:37
 また、憶測ですが、
「天神」を「アマガミ」って読んでみると、
東北地方の「エミシ」たちが信仰していたという「荒ぶる神」
若しくは「アラハバキの神」の短縮した形、
「アラガミ」と非常に近い語音になりますが…。
184祖我神夷:2010/07/24(土) 00:49:14
 もし、この歌に秘密がかくされてるとすると
盛岡・秋田以北に、「天神さま」と呼べるような「力をもった神様がいる」
若しくは「そうした神を祀る聖地がある」ってことなのでは?
 こうしたことは、江戸時代どころか
古代から現代に至るまで一般的に知られていない…。
 そうなると「とおりゃんせ」は、「細道」を「通りたい…」という意味であったと
解釈することができますよ。
185祖我神夷:2010/07/24(土) 00:50:38
 豊臣政権時に、北東北のことを何故か「ヒノモト」と呼んでいたようですが、
北東北に「太陽信仰の聖地」があったと仮定してみると
つじつまが合うような気がします…。
 ちなみに、北東北を「ヒノモト」と呼ぶのは本当は公に使ってはいけない「禁句」だった
ような気もしますが、多分、農民出身の秀吉さんは知らなかったのでしょうね…。

 まあ、日本版中華思想を死守したい人にとっては、
受け入れ難い説だとは思いますけど…。
186祖我神夷:2010/07/24(土) 05:17:03
以上、この歌が歌われ始めた時代と、歌詞の言葉の意味をできるだけ重視し、
神話ではなく、歴史的な観点から解釈してみましたがどうでしょうか?
具体的な反論があれば、と〜ってもうれしいです。参考になりますから…。
ちなみに、「かごめの歌」についても、この「北東北回路」を使うと
神話なんかをあまり持ち出さずに、それなりの解釈ができてしまいますし、
「その場所」をもっと具体的に限定することができますよ…。
まあ、いくつかの前提条件は必要になりますが…。
187天之御名無主:2010/07/24(土) 18:32:28
勝手な解釈は、いらない。
188祖我神夷:2010/07/25(日) 03:59:30
え〜っと 参考にしたいので
具体的に批判を指摘して 欲しいのですが…
よろしく お願いします
189祖我神夷:2010/07/25(日) 04:34:55
「川越の三芳野天神」説は なんか 納得できないな〜
「早いモン勝ち」・「言ったモン勝ち」っていう
感じがする…
190天之御名無主:2010/07/26(月) 05:55:50
大和の勢力が東北蝦夷の地を征服する過程で
行きは戦力も整った状況で意気揚々と攻め入るのだが
道半ばで戦力を徐々に失い意気消沈し始め
十分勢力を拡大したところで本拠地に帰るのであるが
戦力が弱体化した中での敵に背中を向けての帰路は
蝦夷の反撃を食らって危険極まりない
行きは良い、帰りは怖いのではないか
191祖我神夷:2010/07/28(水) 23:04:11
え〜っと 歌に ある程度の ストーリー性がある以上
その ストーリーを 重視する 必要があると思います

何が「こわい」のかを 歌詞の内容から 考えると
「天神さま」か 「御用の無い者とおしゃせぬ」と言っている人の態度
が 考えられますが それを いきなり「蝦夷」と関連づけるのは
飛躍しすぎのような 気もします…

なので 私は詳細は保留して >>184 のような
解釈をしてみたのですが…
192天之御名無主:2010/07/28(水) 23:47:16
アテルイとか天狗とか源義経とか
193天之御名無主:2010/07/29(木) 08:31:27
生の国と死の国の往還のことを歌ったものじゃないかな?
「御用のないもの通しゃせぬ」とのセリフは地獄の番人のものだろうが。
194祖我神夷:2010/07/29(木) 09:06:17
>>189 の 補足

とうりゃんせ 「川越の三芳野天神」説 については 実は
根拠が はっきり していない ようですよ…

その神社 言い伝えが 有名であるから と言って
全国に うん千 とある 他の 天満宮に こうした話が
全く なかった とは 限りませんよ…

こうした 考え方は 戦後の「古代史研究」の 礎の一人
津田左右吉 大先生の 「日本の歴史の研究に於ける科学的態度」(s21年)
を読んだ方なら 理解できると思う…
195天之御名無主:2010/07/29(木) 12:47:06
イザナギの黄泉の国へ行く話の、別バージョンか
別の氏族が伝えたバージョン
196天之御名無主:2010/07/29(木) 23:33:24
津田左右吉のどこが科学的なんだよ
197祖我神夷:2010/07/31(土) 00:30:44
>>195 面白そうなので トータル解釈 の 発表キボンヌ…

>>196 
津田先生は 記紀などの 文献批判(特に神代)をした方ですが
確かに 主張に問題点が無いわけでもない…
でも 戦前・戦中の「皇国史観」で がんじがらめ だった史学会の
連中よりも よほど「科学的な態度」で 研究した方だと 思うよ…

先生の考え方を要約すると
「記紀の内容が 現在まで残っているから それが真実とは限らない」
「残っていない 史料に 真実が述べられていた可能性もある…」
ってな 感じだったと思う…

要は 「とうりゃんせ 川越・三芳天神説」が
一般的に知られているからと言って それが真実とは限らない…
いつ どこで 誰が 作詞したか 明確でない 以上は
いろんな可能性を 捨て去ってしまうべきでない
ってなことを 言いたかったわけなのです…。
198天之御名無主:2010/08/17(火) 12:08:43
わざわざ怖いようにする必要ない。
7つまでは神のうち、と言うのは日本各地で見られる。

子供が7つになり、神の庇護を受けるためのお札を返すから帰りは怖いということ。
 
7つまでに死んだ子供は大人とは別の地蔵だけのお墓にし、
仏にならないようにすることで生まれ変わりやすくする風習もある。
 
いちいち怖く解釈したくなる曲調なのはわかるけど。
199天之御名無主:2010/08/20(金) 01:11:54
ここはどこの細道と聞いてるから、お札を納めるつもりの場所は天神様にじゃない気がする。
咄嗟に出た言葉か。
200天之御名無主:2010/09/04(土) 21:54:46
高田崇史さんが書いている小説、Q.E.D.-式の密室-に面白い解釈が載ってるよ!
前提として三芳野神社発祥説をとってますけど。

読んでない人のためにほぼそのままカキコしますね。
(2ちゃんねる初心者なんで使い方間違ってたらスミマセン)

長くなりますが、付き合いお願いします。

(まず>>10さんと同じ説明。そして以下がそれに対する反論)

「『七つのお祝い』が、表向きの理由――カムフラージュなのは明らかだ。
もしも自分の用事が、本当にお参りに行くだけならば、一度通った関門を戻ってくるのに『こわい』はずもない。
だから、この唄は箱根の関所を通過する際の唄だと解釈しているものもあった」

「まあ確かに、江戸から外には行かれたとしても、再び入ってくるのは難しい――という意味でなら解るが、
それにしても『七つのお祝い』で関所越えというのは納得できないね。
『七つのお祝い』というのは、お宮参りのことだ。
お宮参りで、いちいち箱根の関所を越えて行くということ自体が不自然だ。怪しまれても仕方ないだろうな。
また、この唄は人買い――自分の子供を売りに行く話だ、という説もある。
しかしこれも、ではどうして帰りが『こわい』のかが解らない。悲しい、というのなら解るけれどもね」

「『七つのお祝い』という隠れ蓑を使った別の理由による、天神参りだ。天神様にお参りする、ということが重要なんだ」

以下に続きます。
201天之御名無主:2010/09/04(土) 21:55:45
「天神参り……いや、天神様というのは誰のことかは知っているだろう」

「そう。天満大自在天神。日本の大怨霊の一人、菅原道真だ。
道真は、平安時代、宇多天皇に重用されて、次の醍醐天皇の御代には右大臣の地位まで昇ったが、
この異例の出世を怖れた時の左大臣・藤原時平らの讒言によって大宰府に流されて、延喜三年(九〇三)二月二十五日、その地で病没した。
その後、京の都では相次いで異変が起こる。
まず、内裏中央の紫宸殿に落雷する。
その後には、道真左遷の張本人、時平が死去。
続いて、時平の長男の保忠は、物の怪に取り憑かれて変死。
そして京都を暴風雨が襲い、ついに延長八年(九三〇)には清涼殿を雷が直撃した。
この落雷によって、大納言・藤原清貫らを始めとして、何人もの貴族たちが死傷した。
その精神的なショックが原因で、醍醐天皇は病没する」

「それも全て怨霊のせいだということになって、やがて道真は、天神様として祀られるようになった」

以下に続きます。
202天之御名無主:2010/09/04(土) 22:11:33
「そう。『世をあげて云ふ。管帥の霊魂宿忿のなす所なり』というわけだ。では、なぜその頃の誰もがそう思ったんだろう?」

「だって、道真は大きな恨みを呑んで亡くなっているから――」

「しかし清涼殿への落雷は、道真の死後、二十七年も経ってからのことだよ。
政争に敗れて、大宰府に流されたことが、それほどまでに大きく恨みを残すことになるんだろうか?」

「でも、その地で失意のうちに亡くなっているんですから……」

「それにしても異常な執念深さじゃないか。生前の道真の印象とは、随分かけ離れて見えないか?」

「……じゃあ、どうして?」

「俺は――、この怨恨というのは、道真一人のものではないと思ってる」

「……奥さんや、子供たちや、菅原氏?」

「違うね。もっと大きな集団だ」

「菅原氏よりも、大きな?」

続きます。
203天之御名無主:2010/09/04(土) 22:21:21
「そう。菅原氏というのは、元々は土師氏という氏族だった。
土師氏は、野見宿禰から始まる。野見宿禰の名前は?」

「相撲の始祖だ。そしてまた、天皇や皇后の薨去に伴う殉死を廃止させるために、
生きている人間の代わりに埴輪を埋めることを初めて考え出した人物だ」

「この功績を認められて、宿禰は垂仁天皇から『土師』という姓を下賜された。
なにしろその埴輪を造るために、野見一族が総力を挙げて死にもの狂いで働いたらしい。
その結果、見事に身代わりの埴輪は完成して、この悪習――強制的な殉死――はなくなったわけだ……。
しかしこれは、なぜだろう?」

続きます。
204天之御名無主:2010/09/04(土) 22:36:06
「なぜ、宿禰たちがそんなことを考え出して、そして、一族を挙げてまで必死になって埴輪を造ったのだろう?」

「それは……殉死なんていう、酷い悪習をなくそうとしたからでしょう?」

「どうして?」

「だって――残酷じゃないですか! 本当に自分が望んでのことならば、誰も止めはしないでしょうけれども、
でも実際は違ったということを、私も聞いたことがあります」

「どう違う? 事実その頃は、本当に純粋な殉死――天皇や主君を後を追って自分も死ぬ、という例ばかりではなくて、
いざその時になってみると、位の高い人たちほど嫌がった。
その結果として彼らは、自分の周りにいる身分の低い人たちを、無理矢理に自分たちの身代わりとして差し出し――」

身分の低い者たちに強制された、身代わりの殉死というのは――おそらく宿禰たちにとって、他人事ではなかったということだ。
つまり自分たちも、いつ何時、殉死の命令が下されるかも知れず、しかもそれに対して全く抗うことすら許されなかった……。
そういう立場に、宿禰たちも置かれていたということだ。

続きます。
205天之御名無主:2010/09/04(土) 22:50:13
「沢史生氏も指摘しているように、宿禰たちの一族は身代わりの埴輪を必死に造らなければならなかったほど、
低い身分だったというわけだ。まさに、命懸けで……。
それに、その功績を認められて宿禰が下賜された『土師』という姓だって、
今でこそ立派な姓だが、その当時の人々にとっては余り良い名前とは言えなかったようだしね」

「『師』はいいとしても、『土』はどう読んでも『は』とは読めない。
『埴』からきているとされる『ハニ』と読んだところで、これはあくまでも和訓だ。
漢音では『ショク』、呉音では『ジキ』となってしまう。
つまり、これは朝廷が悪意を以て下賜した姓――当て字だと考えていいだろうな。
それに、元々の『野見』だっておそらく同じだろう。
『叩頭奉る』といえば土下座して地べたに頭を擦り付けることだからね。
当時の朝廷の人々からしてみれば、我々庶民なんて、全員がそんなレベルだったということなんだよ」
206天之御名無主:2010/09/04(土) 23:10:29
「実際にこの頃は、現代の想像を超えるような身分差別があった。
簡単に言ってしまえばインディアンや、アボリジニ――先住民族と後住民族――と同じだ。
後から入ってきた人々が、以前からそこに住んでいた人を追い出す。
そして、自分たちの残虐な行為を正当化するために先住民族を卑しめる、というパターンだね。
とにかく――当時の貴族階級においては、御所への昇殿を許された五位以上の人間だけが『人』であって、
それ以外の人間は『人』と見做されてはいなかった」

「三位以上になれば父祖兄妹子孫が、五位以上は父子までが調・庸・雑徭などが免除になるという規定があった。
これらが『人』だ。それでもまだ六位から初位までの人間や、百姓や雑色人はまだ良かった。
その下に、賤民があったからね。彼らこそ悲惨な生活を強いられていた」

「だから宿禰たちにしてみればまだ、姓をもらえただけ良いほうだったわけだ。
しかし、さすがに時代が下って、土師古人の代になった時に、古人は朝廷に改姓を願い出た。
光仁天皇の御代、天応元年(七八一)のことだ。
せめて、自分たちの住んでいる土地の名前にしてもらえないか、と懇願した結果、ようやくのことで『菅原』という姓を下賜してもらった」

続きます。
207天之御名無主:2010/09/04(土) 23:38:40
「道真は、この古人から四代目にあたる。
その間、土師氏――菅原氏は、ただひたすら学問に励み、道真の父・是善は、参議・従三位まで昇った。
続いて道真は、ついに右大臣まで昇りつめる。
その時、時平を始めとした公卿たちから、非難の声が上がった。
そして道真に、右大臣辞任を迫った。もちろんその理由はといえば……」

「土師氏ですか……」

「出自が卑しすぎるというわけだ。実に唾棄すべき理由だけど、これは事実だ。
平安時代の貴族――藤原氏が、どういう人間たちだったかという一つの証拠にはなるね。」

「藤原氏の専横に対して、道真は必死に戦っていた。
その道真が、時平らの陰謀によって無実の罪で左遷され、配流になり、しかも悲惨な暮らしを強いる中で病死した。
だから庶民は怒った。
そして、京都を襲う天変地異を道真――自分たちの怨念として語り継いできたんだ。
長い間虐げられてきた恨みを、天満大自在天神の怒りとして、藤原氏にぶつけたわけだ。
そこで天神参りが生まれた」

「圧政を強いる朝廷に対して現実的には何の抵抗もできない、弱い立場の人々。
そんな自分たちの怒りや恨みを汲み上げ、そして天罰を下してくれる神――天神に祈るわけだ。
それが天神参りの原型だ。
道真が、学問の神なんていわれるようになったのは、もっと世の中が平和になったずっと後世のことだ」

続きます。
208天之御名無主:2010/09/05(日) 17:50:07
「だから『通りゃんせ』に戻って言えば、城内云々の軍事的な意味合いもあっただろうけれどそれと同時に、同じくらいの比重で『天神参り』ということが関係していたんだろう……。
人々が祈る相手は、天神の道真。その祖先をたどれば、彼らと同じ『人未満』の庶民――あるいは、それ以下だった。
だから同じ悲しみや苦しみを共有しているはずだ。いや、むしろもっと何倍も強かっただろう。とすれば、きっと祈りが通じるに違いない。
それは朝廷の人々にとっては、いかにも都合が悪い。もちろん、幕府にとってもね」

「だから、できれば通したくはなかった――」

「天皇や皇帝のふるまいが、天の意志に適っていないと天変地異が起こる、という『天人相関思想』や『天譴災異思想』も流布していた時代だ。
それなのに最も強力な雷神である天神に何かを祈られちゃ、朝廷や幕府だってたまらなかっただろう。本当に、天変地異が起こらないとも限らない。
だから、そんな場所へは、用のない者は、できる限り通したくはなかったさ」

「でも人々は危険を顧みずに、嘘をついてまで通って、お参りしていたんですね。
そして、その嘘が露見してしまうと、とても厳しく罰せられてしまうから――帰りはこわい」

「実際は、おそらく『お札をおさめ』てもいなかったんだろう。危うい嘘をついたというわけだ。
しかしそれでも――自らの身を危険にさらしてまでも――何かを祈りに行かざるをえないほどの事情があった。そういう唄だね、『通りゃんせ』は。単純な唄だ。深読みすることもない」
209天之御名無主
以上が高田先生の怨霊史観に基づく『通りゃんせ』の解釈です。
皆さんはこの論考についてどう思われますか?

(昨日のうちに全部、投稿できなくてすみません。
連続投稿ですか?というエラー報告がでたため、載せられませんでした。)