1 :
歴史の裏側知りたい:
飛鳥の遺跡って変なのばかりあるね。
ショッキングな隠れた事実など在りましたら教えてください。
ちなみに大和三山って火山だったとか・・・
聖徳太子は暗殺されたとか・・・
益田の岩舟はUFOのプラットホームだとか・・等々
大和三山って火山だった>地理・人類学板がむいてます
聖徳太子は暗殺された>日本史板がむいてます
UFOのプラットホーム>オカルト板がむいてます
3 :
天之御名無主 :02/07/23 21:26
>>1 ・「大和三山って火山だった」んです。間違いない。
・「聖徳太子は暗殺された」ことは状況証拠はあるにはある。確証はない。
・「益田の岩舟はUFOのプラットホーム」にしては、ちゃっちいね。今は廃駅だ
そして内緒だが↓
談山神社は藤原氏の不思議が隠されてる。
日本に大変なことが起こる前兆が、ここに現れるとか。
亀石が真西を向くと奈良が泥の海になるといふ。
5 :
折れも飛鳥の不思議な逸話など聞きたいのです:02/07/23 21:38
>>4 なぜ?
そしてあの猿石?アレによく似た石像なんて日本中何処探してもないよな。
6 :
天之御名無主 :02/07/23 21:45
これらの石像物について、古事記などに記述がない。
その後の持統などがあるのに・・
漏れが思うに、石像物を作るある文化・王朝があって、
そこへ突然、大和王朝がなだれ込んできた。
石像物は、そのままに新しい建物が建てられていった。
謎の石像物は未完成のモノが多いのはそのためである。
>>5 亀石の脇にある説明書きに書いてありました。
>7
そうですか。動かぬ証拠だな。
>>6 ただ単に工事好きだった斉明天皇の遺物ではなくて?
酒舟石の裏に巨大庭園跡が見つかったよね。
亀形石とか。薬草園とか。噴水とか。迎賓館?水のテーマパーク?
そういうんじゃなくてオカルトな文化・王朝だったの?モアイみたく?
10 :
天之御名無主:02/07/23 23:05
>3
山の鳴動&木像亀裂age
>9
工事好きというよりは原風水・オカルト好きだったのでは。当時と権力者と
しては当たり前の事でしたが。
>>11 その通りです。以下さらに補足。
天皇はたいへん工事好きで、水工に溝を掘らせ、水路は香具山の西から
石上山にまで及んだ。舟二百隻に石を積み、流れにしたがって下り、
宮の東側の山にその石を積み上げて垣を築いた。渠(みぞ)の工事に
動員された人夫は三万人を超え、垣の工事にも七万余の人夫が使役
された。人々は口々にこれを「狂心(たぶれこころ)の渠」と呼んで
一様に非難した。石の山など築いてもすぐそのはしから崩壊するで
あろうと批判する声も聞かれた。飛鳥には石造物が多いが、その大半
が斉明天皇の時代渠に造られたのではないかと考えられている。
(出典:中公新書1617
笠原英彦著「歴代天皇総覧〜皇位はどう継承されたか〜」)
なんかこのスレ、
>>1 が自作自演してる気がしてきた。
>>3 >>4 >>6 あたり。 あといてもう一人くらい?
マジレスして損した気がしてきた・・・。
>>13 考えすぎのような気もするが、人数自体は少なそうだ(w
>>13 んなことはない。
尤も折れのソースは旅行案内の雑誌だけだが。
ただ聖徳太子暗殺説は梅原猛を読んだ奴からの受け売り。
>>6にしろ
>>12にしろ、作りかけのものをそのままにして放置したのだろうか?
明日香の政都としての機能はそのまま次の藤原京にまでつながるんでしょう?
日本の歴史上、たいていそういう前体制の遺物は整理整頓され片付けられることが多いのじゃないのかな?
17 :
9=12=13=17:02/07/24 15:30
>>14 >>15 そうですか。勘ぐりすぎでした。すみません。
2ちゃんの良心をお二方にみますた。
>>16 飛鳥宮(斉明)〜藤原京(持統)の間に、近江京(天智)時代があり、
「ささなみの志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ」
(柿本人麻呂 万葉集巻1-30)と往時を偲ばれるほどでしたから、
近江京時代の飛鳥の荒廃は仕方のないものであったかもしれません。
また、藤原京は律令国家を意識して中国様式を取り入れた日本初の「計画都市」。
それまでの「宮」は、天皇一代限りの使い捨て、区画道路ではなく自然道路、
大王の住居に各豪族が集まるというようなものでした。
政都としての機能は両都市間では断絶があったと思われます。
世界の歴史上、前体制(勢力交代があった場合)の遺物は徹底的に
排除される傾向が強いのですが、日本の歴史上、怨霊信仰によるものか
逆に前体制の遺物が崇拝対象になったりすることもあります。
ただ、奈良時代のころには畿内の木材・石材が不足傾向に陥っており、
遠くは信濃や阿波から運ばせるようなことになっていたので、旧都の
建造物は解体されリサイクルされるケースも少なくなかったようです。
(大阪城だったかの石垣に墓石やお地蔵さんがあった、とかみたく)
そういう意味で飛鳥の石造物群は、リサイクルに適さないものが残った
のかもしれません。
つまり
>>1なんす。
皆さん、興味深いレスありがとう。
飛鳥は中学校の修学旅行と20代のときに行ったきりです。
京都、奈良と比べるとかなり風変わりな所でした。
日本の歴史からはみ出していると感じました。
会社の研修旅行(単なる社員旅行)で今夏、少し立ち寄ります。
仲間内の話題の中でも、ミステリアスな所として噂になったこともありました。
具体的な内容じゃなく、漠然と、そういう(変わった所だという)話ばかりでした。
今日も昼休みはその話がでました。
あの有名な酒船石は手塚治の「三目が通る」という漫画で出てきたんですね。
全部読んでいないけど、実際の用途は不明だと言うことですね。
飛ぶ鳥の・・というのが「飛鳥」にかかる枕詞。
わしが飛鳥に向かうとき、道案内をして助けたのがヤタノ烏。
これって関係あるのかなあ?
ヤマトタケルが死んで白鳥になったとか、大和(飛鳥、明日香)へ向かったとか。
鳥と飛鳥?
ちなみにわたしゃ酒船石は?です。けど、あれじゃ酒は出来ないよね。
>>18 17です。
>>1氏にも失礼なことを言いました。すみません。
明日香はホント風変わりで、さながら古代テーマパークです。
「遠野物語」の遠野市にも多くの石造物が残っていますが、
似たようなミステリアスさがあります。
実はちゃんとした理由が2つありまして、ひとつはいわゆる「日本文化」と
連続していないこと。明日香も遠野も、いわば日本文化の亜種なんですね。
飛鳥時代には、奈良時代以降の「律令制度」はまだなく、また平安時代の
ような鎖国的「国風文化」とは正反対の海外文明輸入先進都市でした。
多くの帰化人(今はコトバの性質上「渡来人」といいますが)が住み、
数ヶ国語が日常的に飛び交い、見たこともないものを作ったり、
習慣・宗教・文化を持ち込んだり、新しい食べ物をご馳走してくれたり、
それはまさに民俗学的猥雑さの宝庫だったことでしょう。
遠野は、あんな地方の山奥ですからどうしたって日本文化(京文化)の亜種に
ならざるをえない。でも交易の要衝ですから妙なハイカラさも併せつつ、ね。
もうひとつの理由が、昭和55年に制定された
「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」
と呼ばれる法律です。万葉学者の犬養孝らが歌碑を盛んに立てるなどの活動により、
「文化財」として価値を高め、政府を動かした形ですね。まあ、もともと
文化財保護法自体が斑鳩の法隆寺火災(昭和24年)に端を発するわけで、
文化財保護と明日香・斑鳩というのは切っても切れない関係にあります。
ま、明日香に関しては地元民と開発業者からは迷惑がられたとの説もありますが……。
同じことは柳田國男のおかげで民俗学の聖地となった遠野にもいえますね。
ちなみに、酒船石(酒舟石とも)は酒船石遺跡(外国要人の迎賓館的施設だったとの
説があります)の庭園に巡らされた装飾用水路への装飾的導水器具だったと
いまでは考えられております。亀形石造物と呼ばれる水盤の正中線と、山上と山裾と
いう高低差があるものの、直線上に配置されていました。
>>17 >ひとつはいわゆる「日本文化」と連続していないこと。
>飛鳥時代には、奈良時代以降の「律令制度」はまだなく、また平安時代の
>ような鎖国的「国風文化」とは正反対の海外文明輸入先進都市でした。
規制緩和と開放政策ってことですか。それと中央集権国家じゃなく連邦国家的なと
ころですね。もっと(地方)分権的だったってことね。
今日本の進路もそういう方向が望まれてるようにも思いますが・・・
>数ヶ国語が日常的に飛び交い、見たこともないものを作ったり、
>習慣・宗教・文化を持ち込んだり、新しい食べ物をご馳走してくれたり、
>それはまさに民俗学的猥雑さの宝庫だったことでしょう。
↑
かなり豊かな風景が想像できますね。
浪花節・演歌的な辛抱と義理人情に縛られた今の世相とは様子が違う感じがします。
そういう視点から飛鳥を見てみるのも面白いですね。
飛鳥に行く楽しみが、また一つ増えました。
そこでまた一つ疑問も湧くのですが・・・
近鉄線で大阪から奈良へ行った時、右手の方に河内平野、生駒の山々、奈良盆地南
部の順に見えてきました。
あの肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず、山中の盆地に出来たんでしょうね?
仁徳陵も堺の方でしたっけ?そっちにあるし、何かと便利なように思いますが・・
レス三球>>17さん
>酒船石(酒舟石とも)は酒船石遺跡(外国要人の迎賓館的施設だったとの
>説があります)の庭園に巡らされた装飾用水路への装飾的導水器具だったと
>いまでは考えられております。亀形石造物と呼ばれる水盤の正中線と、山上と山裾と
>いう高低差があるものの、直線上に配置されていました。
亀形石造物って2,3年前だったかに発見されたやつ?
その正中線と酒船石のそれがつながるんですか?
とにかくどういう関係に配置されてんのか見に行きたいですね。
それにしてもそんなけったいな石物を見て楽しめたのかなあ?
まあ、日本の侘び・寂びを解する私としては、にわかには感得しかねますな。
やはり現地に行って実際に感じてみるしかないのかなあ。
それと1言主さんの言われる「なぜ河内じゃ駄目なの?」ってことだけど俺
が考えてみるとですね、
(旅行雑誌見ながら、高校の日本史を及第ギリギリの学力で推理)
山の木と鉱石で金属器を生産し、掌握する政権じゃなかったのかな。
石上の神社のご神体は刀だったと思うけど、記憶が定かでないけど。
んーっと「ふつの御霊」=刀?
>>21 > 規制緩和と開放政策ってことですか。それと中央集権国家じゃなく連邦国家的なと
> ころですね。もっと(地方)分権的だったってことね。
ナイスフォローありがとうございます。
浪花節の「難波」はいまや、食べ物屋とゲーセンと風俗とファッションビルと
老いと若きとリーマンとプーと外人とが雑居する、ある意味猥雑の極致ですけどね(w
> あの肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず、山中の盆地に出来たんでしょうね?
歴史上、16代・仁徳天皇〜19代・允恭天皇の時代は大阪に都がありました。
世界最大(最長)の陵墓「大山古墳」(仁徳天皇陵)や、履中天皇陵が大阪にある由縁です。
あと、26代・継体天皇、45代・聖武天皇のときにも大阪に都があった時期がありますが、
この二人は最後には奈良に戻っています。
でもみんな最終的に奈良盆地に収束するのはなんででしょうね?
どう考えても、大阪のほうが交通の便(水利)や平地面積からしても効率がいいはず。
当時は熊襲や隼人、蝦夷らの脅威から内陸部に居を構える必要があったんでしょうか?
もしくは、「連邦国家」ゆえに王家が有力豪族のお膝元に留まる必要性があったんでしょうか?
古代王権のパトロンのひとつに「葛城氏」がありますが、これが奈良葛城山
(一言主神さんの実家ですヽ(´ー`)ノ)周辺を根拠としていましたからね。
>>22 氏の金属器支配というのも面白いなあ。誰か詳しい人教えてください。
> その正中線と酒船石のそれがつながるんですか?
ごめんなさい。うろ覚えなので、酒船石の「溝の一つ」と直線上だったかも?
古代史おれも興味あるけど耳学問と想像を楽しむだけ。
これを巷では「世間話」といふ。
それはそれとして、私が想像しまするに飛鳥の頃って外国の影響は文化
風習の面ではあったとしても、脅威はあったのだろうか?。
いわゆる侵略されるのではないかという怖れ。
25 :
天之御名無主:02/07/26 10:46
理系の素人だけど、参加させて下さい。
アスカに関して、ずっと疑問だったこと。
1.大阪・羽曳野市の飛鳥と大和の明日香の関係は?
2.そもそも「あすか」ってどういう日本語なのさ?
それはさておき、奈良盆地に都を置いたのは防衛上の問題じゃないかと思う。
河内王朝(とんでも説なの?)があったとされる場所って、
奈良に対する防衛がものすごくやりやすそうな所だし。
で、その河内と比べると大和盆地の方が圧倒的に防衛が楽、って理由じゃないのかなぁ。
26 :
はじめまして:02/07/26 12:37
初です。
飛鳥には大変興味があるので突然の書き込み失礼します。
奈良盆地に都を置いたのは風水の関係じゃないのですか?
>>25さんの「あすか」という日本語に由来は
大変気になるところ。地名としては相当古くからあったようですね。
飛鳥時代皇女の名前にもなってるし。
>>23 飛鳥朝は20代の天皇からってことですか。
その後、中大兄・鎌足のクーデターで律令制を導入。
白村江の戦い、大津遷都、壬申の乱、定都藤原京など。
その間、天皇の補佐者を領土基盤豪族から貴族官僚へ。
おぼろげながら記憶をまさぐってもそれくらいしか出てこん。
レスをROMするに、その斉明天皇の工事好き、オカルト好きの痕跡が飛鳥の
風土に色濃く反映されてるように感じました。
その斉明さんって一口で言うと変な人ですか?
>>26 明日香・飛鳥の「あすか」は「あす・か」という語にわけて語源があると
思うッス。
「あす」は「あそ」「あさ」と同じ語源。「火山地」ってことだと思う。
「か」は場所を表す接尾語くらいか。
例として、九州の阿蘇山、三重県の南部の阿曽温泉、富士山は古名「浅間山(あさまやま)」、伊勢神宮の裏山は朝熊山だけど地元の呼称は「あさまさん」
※ちなみに飛鳥の耳成山・香具山は休火山だという。近くの室生寺の山もそう。
だから昔は火山地帯だったんでしょう。
また「あすか」=「あづま」として「東の方」と言う人もいる。
>21
大和王権も米を基盤にしていたでしょ。大和盆地はかつて大湿地で
米造りに向いていたのでは? 河内は弥生時代は大部分海(汽水域)
だったようです。大和川の氾濫とかで生活しにくかったみたいです。
大和盆地は湿地内に川が流れていて、運送もそんなに不都合ないし、
当然防衛上も好都合ですね。
古代人が珍重した水銀朱も三輪山の東側の山々で産出し、宗教的にも
好都合だったようですね。
仁徳天皇の時代に、河内で大土木工事を行い、それから
開けたみたいですね。
30 :
エスパー伊藤:02/07/26 22:37
を教えましょう。
>>19が言うように「飛ぶ鳥の」が飛鳥のいわれ。
ようするに飛ぶんですな。飛鳥の秘密は。
だから飛鳥時代は色々飛んでったんですよ。
久米寺(久米の仙人)、雷山などは、落っこちてきたいわれ、説話など有り。
飛んでるヤツをみたという「鳥見山」「国見山」など。
多武峰(ふたつきの宮跡)、益田の岩船など物見ヤグラだったんだよねこれが。
簡単に飛ぶ方法があったんだよ。
だから遠くの西域の文化だとか文物だとか直輸入よ。
国際都市なんか簡単よ。
じゃ、なぜ飛べたかって?
そりゃ超能力の方法があったんよ。
その後、近所の伊賀、甲賀の忍者に受け継がれていたけどね。
徳川家康が本能寺の変(@京都)に行き合って、這々の体で逃げるとき
伊賀の服部半蔵が現れ、一足飛びに白子浜まで運んじゃったのよ。
その方法は江戸時代まで江戸幕府が抱えていたが、明治維新の時こっそ
り民間の人間に渡ってしまった。
つまり俺だけどね。
裏の世には誤って伝えられてるけど「ヒヒイロカネ」っちゅう金属が飛
び道具つくるそれよ。その精錬の方法は酒船石なんだよね、これが・・。
材料は砂鉄(正確には赤土から取るんだけど)、朱や水銀、青銅。
えっ、信じない?信じてくれなきゃ言うのやめたっと。
>>24耳学問と想像
>>25理系の素人
>>30エスパー 色々な意見があって楽しいです。
このスレ、一投稿あたりが長く、民俗・神話学よりも日本史になりつつありますね(w
sageで進行の方がいいでしょうか?
>>24 > 外国の影響は文化風習の面ではあったとしても、脅威はあったのだろうか?
「外国=日本列島の外」とすると、はっきり言ってあんまりなかったみたいです。
まず朝鮮半島。弥生系日本人はほとんどが元々朝鮮半島出身で、その後も多くの
移民を受け入れていたので、どこからが「侵略」かすでに曖昧だったかもしれません。
当時(4〜6世紀)の朝鮮半島は、新羅、高句麗、百済、加羅の四国分立状態で、
そのうちの「加羅」(半島南端)は何を隠そう日本の植民地でした。
国名としては、「任那(みまな)」ともいいます。日本から見た位置づけは
「内官家屯倉(うちつみやけ)」となります。この植民地を打ち立てたのが、
14代・仲哀天皇の妃にして、15代・応神天皇の母、「神功皇后」です。
ま、伝説上の人物と見なされていますけどね。戦前派は歴史や国語の教科書
でおなじみの人物だそうです。ただし、4世紀末の日本(倭)による朝鮮侵略は
事実で、中国吉林省に残る好太王(広開土王)碑文などが傍証とされています。
これが26代・継体天皇(6世紀初)のころになると支配力が衰え、逆に百済から
加羅四県割譲なんてことを迫られたりします。それでも当時は海が隔てていた
ので朝鮮半島は敵ではありませんでした。
では中国はというと、中国も三国志でおなじみの三国時代以来国内が荒れていまして、
魏晋南北朝時代といって中国全土を統一できるような強大な政権がなかった。
状況が変わったのは、統一政権「隋」の誕生で、これには脅威を感じざるを得ない。
そこで、聖徳太子が「日出る処の天子日没する処の天子に書を致す」なんて
外交のパワーバランスを保つための危険な賭けをしたりしたわけです。
さらに、この頃になると任那も実質消滅。29代・欽明天皇(聖徳太子の祖父)の
「新羅を討ち、任那を再興せよ」という遺言が大王家の悲願となります。
およそ100年後の663年、38代・天智天皇はとうとう新羅出兵を決意。
これが有名な「白村江の戦い」で、唐の大軍にあっさり敗れたのはご承知の通り。
それ以来、「唐」を敵にまわしたことを怯えた天智天皇は滋賀の大津近江京に
引きこもり、防衛設備(水城)や防人で九州方面を固めました。
その後、42代・文武天皇の世になるまでの三十数年、遣唐使などの国交も閉ざされました。
33 :
天之御名無主:02/07/26 23:07
飛ぶ鳥の明日香の里をおきて去なば君があたりは見えずかもあらむ
ですな。
じゃ明日香の由来はなんなんだというとこれがまた諸説紛々
>>27 斉明天皇の工事好きは
仏教が万能でないことに気づきだしたことから、
道教に走っておこったものです。だから、その人自体がへんだった
わけではないのでは。
飛鳥池遺跡が外交使節供応の場所だとか、
道教儀式の場所だとか言われていますが。
>>32みたいだったら、外交〜説はうすくなる??
どう思いますか?
>>25 1.大阪・羽曳野市の飛鳥と大和の明日香の関係は?
クイズ。聖徳太子のお墓はどこにある?
答えは、「大阪府太子町/叡福寺・磯長陵」となります。
知らない人にとっては以外ですよね、大阪なんて。でもこの近辺には
敏達・用明・推古・孝徳など歴代天皇陵も多いのです。なぜか?
明確な答えは難しいですが、この地が奈良と大阪を結ぶ街道筋で
栄えた土地だったということが言えそうです。
日本初の国道(官道)「竹内街道」は、推古時代に完成したと書記に伝えられ、
当麻寺のあたりから二上山麓を横切り、太子町を抜けて羽曳野市飛鳥へ抜ける
重要なルートでした。
さて、羽曳野市、市の名前そのものも古代史にかかわるものです。
日本武尊(倭建命)は死んで白鳥になり各地で目撃されています。
そして最後に羽を休め、遠く飛び去ったのがこの地、羽曳野市。
だから、羽を曳く意の地名となったのだと言われています。眉唾ですが。
で、さらに羽曳野市「飛鳥」ですが、ここは「近つ飛鳥」と呼ばれてました。
お察しの通り、奈良の飛鳥は「遠つ飛鳥」と呼ばれました。遠近は難波から見た場合。
17代・履中天皇の同母弟(後の18代・反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に
参向する途中で立寄った土地を近い方から「近つ飛鳥」「遠つ飛鳥」と名づけた由。
古事記にも記載されています。
市内には「飛鳥川」が流れており(奈良の飛鳥川とはつながっていません)、
のんびりとした風情がどことなく奈良明日香と似ていなくもありません。
そうした風景が奈良明日香と似ていたからこそ、土地や川に奈良への思いを重ねて
同じ名前をつけたのかもしれませんね。
(この時代どこも同じような風景だったんじゃないかという気もしますが……)
>>33 じゃ明日香の由来はなんなんだというとこれがまた諸説紛々
ですね。「飛鳥」が枕詞に由来というのはいいとして、
明日香の由来諸説は下記URLに詳しいですよ。
■明日香村観光開発公社&飛鳥京観光協会
ttp://www.sikasenbey.or.jp/asuka/asuyura.html (概要)
1. 外来説: 渡来人の安住の地「安宿」から
2. 外来説: 古代朝鮮語の「村(スカ)」+接頭語「ア」
3. 外来説: 仏教説話の人物「アショーカ王」の転訛
4. 鳥 説: 鳥は瑞兆として尊ばれたから。「イスカ」という鳥か
5. 地形説: ア(接頭語)+スカ(洲処=川水、海水等によって生じた砂地)
6. 地形説: アス(浅す=川、海等が浅くなる又は水が涸れる)+カ(処)
7. 地形説: アス(崩地)+カ(処)
8. 神聖説: スカ(禊をする[イスケ、イスズ、ミソギ等と同様])=神聖地
37 :
天之御名無主:02/07/27 01:19
話それますけど、古代の地名で個人的な感想なんだけど日本語っぽくないな〜
なんて感じている時があるのですが、”あすか”もそんな感じしました。
それに、漢字の読み方も当て字みたいにみえるもの・・・
38 :
F−K@明日香村民:02/07/27 01:27
私が小さい頃、鬼の雪隠・俎板の近くを通ると霧が出て鬼が出てくる、という話
聞いた事あります。
もっとも誰から聞いたのか忘れたくらいなんで、由来その他を聞かれてもわかり
ません。たんなる俗説だと思うけど。
亀石の話は有名ですが。あれ体育会20人くらい連れてくれば動くような気がす
る。今までやろうとする人間が1人もいないのが不思議。石舞台なんかと違って誰
も見張ってないし。
地元民だけに、遺跡への敬意が少ないです。亀石なんてのぼって遊んでたし。
39 :
F−K@明日香村民:02/07/27 01:36
亀石の話の捕捉。
昔は真東を向いていて、だんだん動いて今の南西向きになったと伝えられてい
ます。つまり伝承上では今もあれは動いているんです。で、真西に達した時にあ
たり一面が水没するという。
>>37 明日香もここ10年ですっかり観光地かしてしまいましたね。
特に、石舞台とか、高松塚古墳の周囲の公園なんてすっかり観光地。
むかしは本当に田んぼの中にポツンと遺跡がある感じで鄙びてたのにね。
41 :
エスパー伊藤:02/07/27 06:55
俺の電波レスに誰も乗ってきてくれないなあ。
あながちホラだけでもないと思うけど・・
飛鳥の由来は可能性として聞いてちょ
>>33、
>>36、
>>37 アスカって地名は次のように変わりました、「あすか」→「明日香」→「飛鳥」
1。「あすか」
地名ってのは最も変わりにくい呼び名です。いったん地名が出来てしまうと、社会
的なコンセンサスが出来てしまう。また変えると都合上大変不便です。
そして地名が出来るのは、地元民の「名づけ・名乗り」じゃなく周辺地域の人々が
呼びやすいように呼ぶんだと思います。
だから、たいていは「地形説」「その場所の機能」。
「あすか」っていうのは元々の呼び名で、地形とか機能をさしてたんでしょうね。
これは私も不明。神武天皇説
>>27も
>>36の「その9」に加えてもいいのでは?
2,明日香
漢字を当てることが好きなんでしょうね。しかもけい佳字(美しい字)を当てるのが。
言霊の影響かも。確か奈良時代にも各地の地名を「佳字2文字で書け」という法律だ
出来たようです。今の人々も漢字を感じで表したがる、日本人の性か・・
とのかく「あすか」じゃ嫌だったんでしょうね。明日香は多分、地元政治家達の作字。
未来都市ってことでしょうか?、←これは想像
3,飛鳥
明日香が飛鳥になったのは、どういう謂われか私にはわかりません。
勝手な想像ですが、やはり「飛ぶ」ことに関係があると思います。
「飛鳥」だから「飛ぶ鳥の」が枕詞になったのじゃなく、「飛ぶ鳥」が関係している
ので枕詞になったのじゃないかな、と思います。
明日香が飛鳥になったのは、飛ぶ鳥が関係してきたから、と想像しました。
ここでは想像許してください、間違ってたら遠慮無く訂正してください。
高校古典では「枕言葉」は「縁語」じゃないので由来、関係はないと習いましたが、
最近の研究では関係は有るみたいですね。
小生の前レス
>>30は「飛ぶ」ってことが、飛鳥にはやたら多いように感じたので・・
ヤマトタケルも羽曳野だけじゃなく、三重県の能褒野で死んで大和へ飛び去った。
それはそうと鳥居が神社前にあるのは日本の神社だけかなあ?
↑調べもせず、安易な質問。私も
>>24さんの姿勢で世間話的に気楽に参加させてく
ださい。想像好きなんで、想像も混ぜますが根拠出処のあることと分けて申し上げ
ていきたいとおもいます、ので。
>>41 エスパー氏、電波とか自分でいうわりに論旨がしっかりしてて面白いですよ。
1. 一般論で、地名の由来は、地形、伝説、位置関係、などなど色々あり、
それがさらにアイヌ語や古代朝鮮語の音訳だったり、意訳だったりもします。
もっとも「コトバ」が姿形を変えずに残るのが地名だと言われますね。
>>27神武天皇氏の2説もいいと思ったんですが、紹介したHP上にはなかったので
HPの概要説明には向かないと思い、あえて抜いちゃいました。再録しますね。
9. 地形説: アス(火山地)+カ(処)
10. 位置説: アヅマ(東の方)の転訛
2. 「明日香」が慶佳字(?)での当て字というのはおそらくそうでしょうね。
万葉仮名であれば「安寸加」とかの方がむしろスマートですもんね。
ちなみに、
>>26で皇女の名前に「飛鳥」は、天智天皇と橘娘の間に生まれた
「飛鳥皇女」(明日香皇女とも)ですね。彼女は逆に地名を名前に冠された
形です。この頃の皇子女には、「地名」(例:大津皇子)や、「関係豪族」
(母方の出身や乳母の出身。例:安倍内親王)の名前を冠されたのですね。
3. 「飛ぶ鳥」を重視するのはアリだと思います。「明日香」に限らず、「羽曳野」
にしても、「斑鳩(鳥の種類)」にしても当時栄えた土地の地名には「鳥」が
関わっているものが幾つかあり、なにか特別な意味があったのかもしれません。
聖徳太子が空を飛んだなんて珍説もありますし。(そりゃ山岸涼子のマンガか)
>>38F−K@明日香村民さん、17=20、エスパーさん、その他みなさまへ
このスレも、旅行雑誌&高校日本史ギリギリの私の知識範囲をかなり超える量とレ
ベルになってきました。雑誌の写真や説明だけでなく現地で確認したいことが多いね。
鬼の雪隠・俎板、益田の岩船、亀石・・、ご紹介アリガトサン。
また、飛鳥の語源についてもご配慮アリガトサン。
「あすか」の語源も実のところはまだハッキリしてないってことですか?
地元の人だったらおおよその察しはつくのでは?
明日香が飛鳥として、「飛ぶ鳥」というアイデンテテイみたいなものをもってくる
のはどうもオカルト天皇・斉明さんくらいからか?という推理もできますね。
44 :
天之御名無主:02/07/27 19:58
地元の人は当時から住んでるわけでしょ?
なにか、世に出てない凄い逸話とか無いのですか?
45 :
天之御名無主:02/07/28 11:45
昔「日本の中の朝鮮文化」を読んだときからの疑問なのですが
「神道」「神社」の起源も朝鮮なのでしょうか。
朝鮮にはそれを証明する鳥居などの遺跡があるのでしょうか。
46 :
奈良の名無し:02/07/28 12:14
皆さんレスとご案内ありがとうございます。
元々は私が飛鳥見学の下調べにと面白い話を仕入れようと思って
スレを立てたのですが、かなりタブーめいた部分に触れだしたよ
うなサスペンス気分にさえなります。
特に「アスカ」の語源はミステリアスですね。発音自体は変わら
ずに、漢字だけが変わっていく。アスカ以前の首都?が河内方面
なら、そこからアスカ方面を実際に見てみるとヒントがあるかも
ですね。
日本でアスカっていう地名は他にない(少ない?)し、それとヤ
マトっていうのとどう関係があるのでしょう?
「ヤマトは国の・・青垣山ごもれる・・」っていうくらいだから
奈良盆地全体をいうのでしょうけど、彼らは国内に対してはヤマ
ト(奈良盆地全体)というアイデンテティてを持ち、盆地内では
それぞれの氏(葛城、蘇我など)として別々のアイデンテティを
意識していたのだろうか?と思いました。
そうするとアスカっていうのは、明日香・飛鳥として何を示そう
としていたのかなあ。
斉明天皇が残した石物はそれと関係があるのでしょうか?
>>21 肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず
>>29 仁徳天皇の時代に、河内で大土木工事
私なりの考察。
まず、3世紀はじめに誕生した大和朝廷ですが、発足当初は「地方豪族の連合体の長」ていどの
権力だったと考えられています。支配力が伸長したのは5世紀末、21代・雄略天皇の頃でしょうか。
理由はおそらく「経済力」です。コメは保存がきくため、より多く所有する者が飢饉や戦争などに強く、
頭角を現すようになったものと思われます。
経済格差を決定付けることになったのが、河内(大阪平野)の開発です。
>>29氏のおっしゃる通り、6,000〜7,000年前の地球では温暖化のため海水位が高くなる
「縄文海進」の状態にあり、大阪平野一面が海の底でした。クジラの化石が大阪市内で
見つかった例もあります。4世紀頃でも、まだ河内北部に「河内湖」と呼ばれる巨大な湖が残り、
大阪平野は、北部=低湿地、南部=農業用水の不足、という状況で、開発は遅れていました。
5世紀はじめ、16代・仁徳天皇はそれまでの奈良盆地(纏向[今の桜井市])での開発に限界を感じ、
河内に宮を移す。溜め池や運河開削、堤防補修などの開発工事によって大阪平野南部の農地化が進み
大和朝廷は急速な経済発展を遂げ、支配地域拡大の足がかりとしたのでしょう。
>>27 斉明さんって一口で言うと変な人ですか?
>>34 斉明天皇の工事好きは道教に走っておこった。飛鳥池遺跡が外交使節供応説はうすくなる??
>>43 「飛ぶ鳥」というアイデンテテイはオカルト天皇・斉明さんくらいから
斉明天皇は皇位継承の考え方について転機となった人です。幾つかキーワードを挙げてみましょう。
1. 女性天皇である
2. 皇位を「禅譲」している
3. 重祚している(皇極天皇→斉明天皇[同一人物])
まず1.ですが、女性天皇というのはだいたいの場合において「次期天皇(皇太子)」までの
「つなぎ」として投入されます。「聖徳太子」のつなぎに「推古天皇」というのもその例です。
しかし、聖徳太子については不幸なことに、太子は短命、推古は長命という皮肉によってついに皇位に
つくことのないまま薨去するのです。この事態に一計を案じたのが中大兄皇子。のちの天智天皇です。
645年「大化の改新」(乙巳(いっし)の変)のドサクサに紛れて、母親である「35代・皇極天皇」に
譲位を迫った。それまで皇位というのは今上天皇が死ぬまで続くものでしたが、その習慣を変えさせよう
と企んだわけです。さらに中大兄(と藤原鎌足)のあくどいところは、譲位後の天皇位に自分が
つかなかったこと。「大化の改新」は政治改革に他なりませんから、各豪族の反発は必至です。
火中の栗を拾って、短命政権に終わるよりも、自分は矢面に立たず後ろで糸を引いたほうがいい。
適齢の皇子はみんな戦々恐々となって、候補から脱落するために、いち早く頭を丸める者まで現れる始末。
そんな中で一番ドンくさかったのが軽皇子という人で、「36代・孝徳天皇」として無理矢理即位させ
られてしまいます。
孝徳天皇治世下で、実質的な政権を担ったのが中大兄と鎌足。もうやりたい放題、天皇無視。
自分を蔑ろにする、あまりの専横ぶりに怒った孝徳天皇は憤死といっていいような死に方をします。
で、いよいよ中大兄皇子が天皇即位かと思いきや、慎重派のこの男、まだ早いと先の天皇、
自分の母親である「皇極天皇」を「斉明天皇」として再デビュー(重祚)させてしまいます。
斉明天皇にしてみれば、「女性天皇」ゆえの傀儡政権で、若い頃は蘇我入鹿に操られ(愛人という説も)
老いては息子に操られで、趣味(風水)に走るしかなかったというのもあったでしょう。
しかも、当時の天皇家は改新の諸改革によって財を蓄えていましたし、民衆を直接支配下に組み込むこと
にも一定の成功を収めていたから、一大土木工事も可能だったというわけですね。
とはいえ、この大土木工事、「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)と民衆に揶揄されるほどでしたから
斉明天皇の常識感覚というのはマリー・アントワネット並みだったと言えるかもしれません。
あと、飛鳥池遺跡=外交使節供応施設ですが、皇位継承は推古→舒明→皇極→孝徳→斉明→天智の順で、
推古朝=「遣隋使開始」、舒明朝=「遣唐使開始」、ずっと下って天智朝=「白村江+遣唐使停止」
ですから、斉明朝の飛鳥池遺跡で外国施設を接待していた可能性は大いにありますね。
むぅ。難しい…。
結局、「アスカ」という言葉については専門家でも、
よく解っていないって事ですね。
>35 17=20さん
詳細なレスありがとうございます。羽曳野のアスカは、奈良のアスカより
後に付けられたんですね。
もし、それぞれのアスカがお互いに関係なく命名されたのだとしたら
「両方に共通する特徴」=「アスカの語源」
になるなぁ、と考えていたので…。
叡福寺さんには何度か行ったことがありますが、確か太子は合葬されてるんですよね。
なんだか、変わった感じがするお寺and陵ですね。(スレ違い、ごめんなさい)
51 :
エスパー伊藤:02/07/29 20:23
結局、アスカの語源はわからずじまいという雲行きですね。
私も「んなこたーないだろ」と辞典やら出してみたけど、定説という物はなかったです。
下の↓説明も面白かったけど、自分的にはまだピンと来ない。
http://www4.osk.3web.ne.jp/~nishida5/nisida/dousyu/ronbun/d2_14.htm それだけに想像が許されて面白いのだろうけどね。
「あすか」という地名は奈良盆地には10ヶ所以上有るそうで、他の県では有るか無いか
あっても1ヶ所くらい、と言うのだからなにか謂われや根拠はあるのでしょうね。
松本清張は「火の回路」(ひのみち)で、飛鳥を推理していますが語源には手を付けていませんでした。
このスレで問題にしている石物は、斉明と結びつける17=20さんの意見によく似ていました。
さらに松本氏は「それらはゾロアスター教の影響がある。多武峰の両槻宮に酒船石などを配置して完成させようとしていた。」と言っている。
また「益田の岩船は火壇である」とも言っていました。
つまりはその道の学者も推論さえむずかしいことなので、推理小説家の推理力が頼もしく思えました。
>>49、17=20さん
>斉明朝の飛鳥池遺跡で外国施設を接待していた可能性は大いにありますね。
ゾロアスター教関係者も含まれるのでしょうか?ゾロアスター教そのものじ
ゃなくとも、道教、密教などもゾロアスター教の影響を受けていると言うこ
となので中国・西域風の様子がうかがえそうですね。
>>50、25さん
>叡福寺さんには何度か行ったことがありますが、確か太子は合葬されてる
>んですよね。なんだか、変わった感じがするお寺and陵ですね。
このスレ立てたときからの疑問なんですが、聖徳太子暗殺説もあるみたいですね。
蘇我氏の系図を見ると聖徳太子・山背王子親子と馬子・入鹿親子との対立を経て
「乙巳(いっし)の変」で蘇我一族は無くなっていますね。(ごく一部を除いて)
かなりの勢力のあった氏族だけに一筋縄では理解できぬいきさつがあったことが
予想されます。
聖徳太子の最期の記述に、あまりお目にかかりませんが・・・知られざる事件など
がもし有れば・・などという不届きな考えも頭をよぎってしまいます。
>>エスパーさん
>「あすか」という地名は奈良盆地には10ヶ所以上有るそうで
語源はますます混迷を深めつつですね。
私もエスパーさんの「飛ぶ」というキイワードがきになります。
興味があってこの頃は自分でも調べたりしてるんですが何か「鳥
・飛ぶ」がひっかかりますね。例えば「とり仏師」「白鳳」
「朱雀(キトラ古墳)」などなど、これ全部、鳥ですよね。
>>51 松本清張は「火の回路」(ひのみち)で、飛鳥を推理
へーそうなんだ。読んでみよう。エスパーさんサンキューです。
司馬遼太郎とか海音寺潮五郎とかもなんか書いてそうですねえ。
だれか知ってる人いたら教えてください。
>>52 飛鳥池遺跡で外国使節を接待…ゾロアスター教関係者も含まれるのでしょうか?
月並みですが、「広辞苑(第五版)」によると、
---------------------------------------------
【ゾロアスター教】
前六世紀ペルシアの預言者ゾロアスターの創始した宗教。(中略)
古代ペルシアの国教として栄え、中国には南北朝の頃伝来、
祆教(けんきょう)または拝火教と称。
---------------------------------------------
時代的にはバッチリ可能性がありますね。ただ、その後「隋」時代にも
まだ存続していたかとか、朝鮮半島への布教度合いがどれほどだったか不明ですが。
でも正倉院には、ペルシア風の水差しやグラス、伎楽面などが残されているくらいですから、
ゾロアスター信者(の中国人?ペルシア人?)が来ていても全然おかしくないですよね。
聖徳太子については、梅原猛の「法隆寺論・隠された十字架」が有名ですが、
学会ではいまだにトンデモ説的な扱いのようですね。ちなみにこの説は、不幸な最期を
遂げた聖徳太子一族の怨霊鎮魂のために法隆寺が建てられたという中身です。
聖徳太子が暗殺されたかどうかについては、むかし読んだだけなので忘れました(w
井沢元彦「逆説の日本史」とかも梅原説に近かったような……。うろ覚え。
あと、「あすか」ではありませんが、「やまと」「しきしま」について、
「日本国の別称である大和や敷島がもとは三輪山一帯の古称にすぎな」い
と日本地名研究所所長の「谷川健一」氏は言っております。その語源までは
書いてませんでした。(この板には谷川嫌いが多いようですが(藁))
井沢元彦氏の「逆説の日本史」。今、丁度読んでいます。彼は聖徳太子自殺(心中)
説です。
参考までに、「太子伝暦」という10世紀の資料からの引用の部分を
推古29年の春、太子は斑鳩宮にいた。(太子は)膳部妃に命じて沐浴させ、自分
も沐浴して身を清めた。そして新しい清潔な衣服を身につけて妃に言った。「私は今
夜死ぬだろう。おまえも一緒に死のう」と。妃も新しい清潔な衣服を着て、太子と同
じベッドんい入った。明朝、二人が起きてこないので(寝室の)扉を開けてみると、
二人は既に死んでいた。
ちなみに自殺の理由としては仏教の捨身(釈迦が前世で飢えた虎や悪鬼に身を与え
る話)に対する共感とみてるようです。
55 :
没個性化されたレス↓:02/07/30 08:49
火と水と石の都、飛鳥か。幻想的なイメージですね。
何となく日本風で無いというか。
そういえば、四天王寺の仏像は、後世の仏像よりも派手な、
炎が燃え上がるような背光を持っていますね。ゾロアスターの影響かな?
当時の人って、仏教とかゾロアスターとか厳密に区別がついていたのかな?
>>54 F−Kさん
> ちなみに自殺の理由としては仏教の捨身に対する共感とみてるようです。
これは井沢氏の説ですか?それとも太子伝暦にあるのですか?
私は太子伝暦がどういう立場から書かれたのか知らないのですが、
引用部分を読むと不思議な感じがします。もし、太子を持ち上げるために
書かれた書物なら「太子は偉大な釈迦に共感したので死んだ」とか言って
聖人君子の様な書き方をすると思うのですが、引用部分だけを読むと、
よく解らないが死んだ、という印象しか受けません。かと言って、貶された
書かれ方でもないし…。
57 :
エスパー伊藤:02/07/30 21:02
私的にも飛鳥の語源や聖徳太子暗殺説の真偽などの問題はわからなくなってきました。
もっとも知恵袋は辞書やPCの検索エンジン程度ですのですけど。
少々疲れました(;_;)
朝廷はなぜ、朝という字が付いてるんだ?
古語で、「朝」は「モーニング」と言う意の他に「あした」と読み「明日」の意もある。
「朝(朝廷)」が「明日」というなら「あすか」は朝廷の場所の意もあるかも?と考えてしまった。
なぜ朝廷というか?を調べもせず安易な想像です。詳しい人いたら教えてちょ。
58 :
ヒロヒトラー天皇:02/07/30 21:11
関西人はチョンであーる。
>>57 私も疲れてきた(;´Д`)ハァ
一投稿あたりが長すぎですね。すみません。
ちなみに、私も知恵袋は「辞書」「検索エンジン」がメインだったりします。
というわけで辞書だのみです。大修館書店『漢語林・改訂版』より抜粋。
------------------------------------------------------------
【朝】[二]1. まつりのにわ。天子が政治をとるところ。朝廷。
昔は、朝日を迎えて政治を行った。
------------------------------------------------------------
だそうです。
「朝廷」と「明日香」の関連があるかどうかの答えにはなってませんけど。
10年ぐらい前に明日香村へ行ったとき、
田んぼの脇を歩いていたら、一人の老人が
「藁の干し方が2種類あるやろ」
と急に話し掛けてきて、
「え?」
ととまどっていると、
「原住民の子孫は家形に藁を干し、
渡来人の子孫は船形に藁を干すんや」
と言う。
なるほど確かに田んぼには家形に干してある藁と、
船形に干している藁があった。
「へぇ…」
と言って振り返ると、老人はもう居なかった。
なんだったんだろう。
あすか語源と太子死因は?ということですか。
ますます魅力を増す飛鳥ですね。
太子が死に臨む場面
>>54も何かいわくありげなものを感じさせますね。
私事ですが飛鳥探訪は盆前の暑い盛りに予定しています。なにせ暑い時期で
もあるし涼を取りながら旨いものを食べたく思っています。お薦めの店など
有りましたら教えてください。
> これは井沢氏の説ですか?それとも太子伝暦にあるのですか?
あくまで、聖徳太子の異常な死を推理した井沢氏の仮説です。ただ太子が捨身の
思想に共感していた、とするのは井沢氏独自の説ではなく、上原和という学者の方
の説です。
あと引用はあくまで井沢氏の現代語役
途中で間違ってボタン押してしまいました。続きです
で「死んでいた」との所は原文では「遷化を知る」。かなりニュアンスは違
います。引用部分はここまでですので太子伝暦の作者が、太子の死の理由を
どう考えていたかはわかりません。
64 :
天之御名無主:02/07/31 02:31
お薦めの店=亀石のとなりの自販機
砂漠にオアシスを見た気分になれるという特典つき
ただし、売切れ中だと蜃気楼になるという諸刃の剣。素人にはお薦めできない
あと名物といえば、空き缶を食べるペンギン(故障中)まだあいついるんかな?
しかし、食い物屋ないね明日香は
駅前のコンビニか石舞台前のテントっぽい食堂くらい。暑いこと請け合い
食い物屋がない理由は簡単。営業許可を取るのが難しいからです。
66 :
天之御名無主:02/07/31 02:42
>>65 そうなんだ。知らなんだ
喫茶店とか自販機もあんまり多くないよね
北の方いくと住宅街ぽくてちょっとした駄菓子屋とかタバコ屋みたいのがあるけど
あと岡寺の辺に、みやげ物屋兼食堂みたいのがあったような気がする
まあ、明日香きたら黙って石舞台か高松塚あたりで弁当でも食いなさいってこった
自販機の数よりミカンや柿の無人販売の数の方が多いくらい(藁
>>F−Kさん
重ね重ねありがとうございます。
「遷化」っていうと何となく美化されてる気がします。素人考えですが…。
>>1言主さん
本当に水筒必携ですよ。本当に店が無いんですから。
私はゴールデンウィークに行ったんですが、駄菓子屋で食べた
アイスクリームが最高に美味かったことを覚えています。
69 :
参考までに・・奈良・飛鳥名物:02/07/31 18:06
みなさん、飛鳥のご案内アリガトウ。
うまいもの1押しが、自販機とアイスクリームというのも飛鳥に対する不思
議感をいっそう深めてくれます。(^_^;)
してまた「蘇」というものも味わってみたいと思います。
>>69 飛鳥鍋(牛乳鍋)も飛鳥の昔からあったのでしょうか?
外国使節を歓待したとき、そういうもてなしをしたのでしょうかね。
昨夜は私がカキコ中にレスが入ってたので気がつきませんでしたが
>>60さん
のワラの乾し方に船形・家形の違いというのも不思議ですね。
1400年以上もそういうしきたりで干してきたのかなあ。
伊沢元彦の逆説の日本史は週刊ポストで連載中ですね。喫茶店の雑誌でたま
に読む程度ですが、古代編はほとんどお目にかかっていません。
記憶に残っている部分は、古事記の作者は蘇我氏に対し敵愾心があるという
ことでした。馬子・蝦夷・入鹿という名前も動物名を入れた別称だと。
古事記は大化改新側に立つ記述ですから、蘇我を悪く言うのは当然ですが、
太子の業績をたたえる部分(17条憲法、冠位十二階、仏教)の精神は改新
・律令政治に取り入れていますね。そういう意味では飛鳥政治を肯定する著
述でしょうね。
現在の改革政治のコンセプトにもよく似た所があるように感じます。蘇我氏
はそうすると抵抗勢力ではないか(豪族間の力関係で政治を行うと言う所)
小泉大兄皇子が政治の刷新をするには思い切った「斬り捨て」が必要なので
しょうか(^^;)
彼は最近、抵抗勢力と話し合いを中心にやっているように思われますが。
私個人の仕事環境は旧態とした基盤と能力主義が入り交じった混沌とした状
態です。大兄・鎌足側にも蘇我側にも距離を置きながら少々臆病な考えで、
問題先送りがちにやってます。だから、「明日か」と毎日言ってます。
「蘇」って、聞いたことはあったけど、売ってるとは知りませんでした。
食べたい!食べてみたい!決めました。私もこの夏は明日香に行きます。
まあ、東海圏の人間なので日帰りで行くことも可能なんですが。
井沢元彦の「逆説」シリーズは読み物としては面白いですが、まるまる
信じるにはちょっと疑問点もありますね。特に1〜2巻の古代史編は。
「新説」「真説」というより、タイトルの「逆説」のとおり、著者自身
今の歴史学会に対するアンチテーゼとして書いてるところがあるので、
「史料至上主義」反対の立場から状況証拠だけで論を進めるときが暴走気味。
>>70 だから、「明日か」と毎日言ってます。
山田くん、座布団全部もっててくれ!(w
行政向きのお話に詳しいところからすると公共系ですか。
業務量は変わらないのに人員は削減。できる人間とできない人間の
稼働量格差は広がる一方。でも賃金格差はほとんどナシってところですか。
出る杭が打たれるような文化は変えなきゃイカンですよ、本当。
72 :
天之御名無主:02/08/01 01:18
>>71 飛鳥寺の売店で売ってたな。
イルカの首塚と同じ場所。(こっちは怪しいと思ってるが。)
>72
入鹿の首塚の伝承ー板ぶき宮(大化の改心のクーデターのあった所)で切られた、
入鹿の首がその勢いで飛んで落ちた場所を祭ったーは絶対おかしいですね。数百m
も首が飛ぶわけがない。
ただ、こう考えればどうでしょう。実際は入鹿は命からがら脱出したが首塚の所
で追っ手につかまり首をはねられた。情報伝達が口伝えしかない時代、記録した者
の所は行くまでに、どこかで間違いがあった。
証拠はまったくない私個人の推測にすぎませんが、こう考えれば合理的に説明が
つくのではないかと思うのですが。
75 :
天之御名無主:02/08/01 10:25
17=20さん
>私もこの夏は明日香に行きます。
>まあ、東海圏の人間なので日帰りで行くことも可能なんですが。
天武orヤマトタケルも大和から東海方面へ行軍したんですよね。
その逆行コースは東名阪国道あるいは名古屋から国道一号→三重県関町から国道25号ってとこでしょうか。
途中の名所旧跡をご案内します。
・采女の坂(@四日市)
ヤマトタケルの足が3重4重にも折れてくたくたになった所。(三重県の語源)
また、壬申の乱の行軍中にウノノササラ姫(持統天皇)が、戦争に勝ったら伊勢にアマテラスをお祭りすると誓った所(古事記に記載)。
・白鳥塚(@鈴鹿市、亀山市)
ヤマトタケルが死んで白鳥になって大和めがけて飛び立った所(なぜか2つある。)
・関ロッジ(@関町)、駐車場の看板
ここに書いてある文の要旨は「壬申の乱の行軍中、持統天皇がこの山で野宿して寝たときに神様が夢に出て勝利を予言した。」ということです。
・石山観音(@関町)
山一体が石で、その自然石に仏像が彫られています。古い物で鎌倉期だそうで飛鳥とか関係がないかも知れません。
仏像は山全体に散らばり、100体以上あると思います。それがバーミヤンの洞窟仏(タリバンに爆破された石仏)みたいに、岩壁を彫り抜いてつくってあるのです。
日本ではあまり見られない風景です。作者不詳。
うちの実家周辺のスーパーでは、「蘇」が普通に売られていたyo。
珍しい物だったんだねぇ。ちなみにうちは「近つ飛鳥」。
あと、飛鳥鍋は橿原神宮周辺のホテルなどで食べるのが良いかと思いますよ。
>>71、17=20さん
>行政向きのお話に詳しいところからすると公共系ですか。
なるほど、自分のレス読んでるとそういう想像になりますね。
「私個人の仕事環境・・」をもう少し詳しく言いますと「職場で、鰍趣味にしている仲
間達の関心事は・・」ということです。(^_^;)
「構造改革をした企業を買うべき(改新賛成派)」か、「否、真に成功する企業は日本風
土に根ざした部分がある(蘇我派)」という議論をしてます。私は先が読めないので、こ
れからのことは「明日か」と・・2回目はクドかったですね、スマソ<(_ _)>
>>74 F-Kさん
>数百mも首が飛ぶわけがない。実際は入鹿は命からがら脱出したが首塚の
>所で追っ手につかまり首をはねられた。情報伝達が口伝えしかない時代・・
なるほど・・リアルですね。そして現実感が増すとその場が想像できて・・凄惨ですねえ。
首塚も絶対行って、黙祷してこなければならないなあ。
>>25さん
>うちの実家周辺のスーパーでは、「蘇」が普通に売られていたyo。
>珍しい物だったんだねぇ。
ホント珍しいですよ。【ええっ(@_@)】←これくらいびっくりですよ。
当たり前って思ってる所が盲点になってたのでしょうね。
私もこのスレ立てて、考えがぐらついたのは「聖徳太子は実在した。」という前提です。
大化改新側は実は蘇我氏一族を滅ぼしちゃった。この人殺し事件を妥当とするために蘇我
氏の悪の部分を蝦夷・入鹿と決めつけ、官位十二階・十七条憲法などの良い業績をあげた
のは(架空の)聖徳太子だとでっちあげて、聖徳太子は自殺したんだと書記・古事記をし
て言わしめたんじゃないかと思いました。つまり、蝦夷達こそが後の改新・律令政治の基
礎となる官位十二階・十七条憲法などつくってたんじゃないかと・・・
ということで、私は太子暗殺説から、太子架空説に鞍替えしたのですが(この推理は受け
売りですが)無理かなあ?
>>75さん、ご親切にどうもです。名阪→天理とかが楽かな、やっぱり。
有給休暇があまってるので平日を狙います。(取れれば)
25さん、蘇がスーパーで売ってるんですか!?カルチャーショックです!
蘇ってどんな感じなのでしょうか?暑い中での保存って可能でしょうか?
【味】乳くさい(不二家ミルキー)<ほんのり酸味(サワークリーム)<酸っぱ辛い(カマンベールチーズ)
【食感】とろける(牛乳プリン)<柔らかい(木綿豆腐)<固い(ゴーダチーズ)
1言主さん、太子架空説ですか。私は普通だけど、実在説(病死)だと思うなあ。
「良い業績」乗っ取り事件というと、60代・醍醐朝の「延喜・天暦の治」が最近言われますね。
諸改革のプランナーとして一般に藤原時平が知られているけれど、実は左遷前の菅原道真が
法案整備等までほとんど全てお膳立てしていて、これからという時に失脚させられ、
残る手柄を時平がすべて自分のものにしたために、歴史上の道真の業績が
過小評価されているという、アレ。(どれ?)
79 :
天之御名無主:02/08/02 01:03
私も飛鳥村で 蘇を何回も買っています〜素朴な味わいと少し高めの値段設定・・
たしか・・一個千円ぐらいだったような・・
でも、大好きなのです!ただ十年くらい前に購入した時と味が違うような?
もっと淡白だったような気がします。
私は現在の少し濃厚な方が好きかな。製造元も試行錯誤してるのね・・・
以前 探偵ナイトスクープで飛鳥の蘇から醍醐を作成する企画があったような・・
文献から現在人は誰も食べたことの無い醍醐を作ったのはいいけど・・
失敗作か成功作かも誰にも判断できないのよね〜でも たべてみたい・・
>>79 マジですかっ!?「蘇」から「醍醐」を作れるのですか!?たしかに、
------------------------------------------------------------
譬えば牛従り乳を出し、
乳従り酪を出し、
酪従り生蘇を出し、
熟蘇従り醍醐を出す、醍醐は最上なり
若し服すること有る者は、衆病皆除こる
所有の諸の薬は、悉く其の中に入るが如し (涅槃経)
------------------------------------------------------------
とあるものなあ。スゴイぜ蘇!蘇は無限の可能性を秘めている!(言い過ぎ)
食べてみたい〜o(>_<)o
探偵ナイトスクープも見たかったなぁ、その回。
順序としては、「乳」→「酪」→「生蘇」→「熟蘇」→「醍醐」なんだよね?
「乳」 =ミルク、牛乳 は良いとして、
「酪」 =【広辞苑】牛・山羊などの乳汁を精煉した飲料。また、それから製するチーズなど。
【漢語林】ちちしる。牛・羊・馬などの乳から造った飲料。また、バターの類。
って、一体なんなんだ?「ちちしる」と「チーズ」と「バター」は別物なんですが……。
まあ、この場合は「バター」「チーズ」ってことはないから「精煉飲料」なんだろうけど、
乳/酪の関係が、クリーム/ミルクなのか、ミルク/乳酸飲料なのかが不明だなあ。
「蘇」 =蘇では載ってないので「酥(ソ)」にて調査。
「酥」 =【広辞苑】牛または羊の乳を煮つめて濃くしたもの。煉乳。酪。
【漢語林】牛や羊の乳を製精した飲料。乳酸飲料の類。「酥乳」
[解字]酉+蘇。酒のように発行させたものであるところから、酉を付した。蘇は音符。
おいおいおい。「酪」と「酥」の違いを知りたいのに、酥=酪みたいな
解説はやめてくださいよ>広辞苑。まあ、だいたいモノとしては2種類あるのかな?
(1)加熱濃縮牛乳(煉乳タイプ)、と(2)醗酵牛乳(乳酸飲料タイプ)。こうなると、
「涅槃経」の「生蘇」→「熟蘇」の過程が「加熱」or「醗酵」のどちらか特定が難しいねえ。
とりあえず今回のターゲット「飛鳥の蘇」は(1)加熱説のようですね。
「醍醐」=【広辞苑】五味の第五。乳を精製して得られる最も美味なるもの。仏教の最高真理にたとえる。
【漢語林】醍醐は、牛などの乳を精製して造った、ヨーグルトの類。
「涅槃経」も「熟蘇従り醍醐を出す」ってレシピが淡白すぎるよ!!
皆さんこの違い、判ります?詳しい方いらっしゃいましたら、醍醐の作り方をぜひ教えてください!!
>>78、17=20さん
>太子架空説ですか。私は普通だけど、実在説(病死)だと思うなあ。
いろんな角度から考えるとそれが一番妥当な線ですね。
私の頭ん中に、飛鳥には隠された何かが有る、という思いこみがあるので、どうして
も正史と異なる説があるとその線の可能性を信じてしまう傾向がありますね。
飛鳥に関心を寄せて日も浅いのですが、科目「日本史」の遠い記憶もよみがえります。
当時は単位取るために必死でしたが、今回は史実を味わいながらなので楽しいです。
では、いったい自分は史実の何を味わっているのかなあ?
想像も楽しいけど、日本的という「感じ」(=アイデンテティ?)が飛鳥の中に見つ
けられるか?ということを探っているのも楽しい気がします。
歴史のことはよくワーカラナイながらも、戦国時代以前〜奈良時代までの遺跡とか文化など
は漠然と感じ入る(素直に鑑賞できる)ように思います。
うまく言えないけど、例えてみるなら盆栽の松のグニャグニャした良さ、とか季節感
とか、木目などの清楚な美を表現するとかといった感じです。
飛鳥には、以前のレスでも言いましたように、自分の感じ方を超えたモノがあるよう
にも思うし・・、そうは思うものの、自分の感じ方の連続・延長に有るようにも思う。
飛鳥を偲ぶには、残されたモノは少ないけど早く現地に行って見てみたいモノだと思
います。弁当と自販機用のチャラ銭持って(^_^;)
暑さには気をつけてください。
>>83 こう暑くちゃやってられないね。
我が地元のスーパーをあたってみましたがやはり「蘇」はありませんでした。
でも、「三輪そうめん」はありました。
これもヤマトの名物だね。迷わず買って帰りました。
85 :
天之御名無主:02/08/03 23:54
>>80 81
番組では、一個の祖を煮詰める?て小さじスプーンも満たされない量に醍醐ができていました。
探偵はたしか・・石田 靖だったような?2年くらい前の放送でした。
味についてのコメントは・・「美味しいか まずいか判断できないくらい微量で、醍醐味ってよくわからない」って言っていたように記憶しています。
まあ・・それくらい今も昔も手間暇かけてほんの少ししかできない貴重品って落ちになっていました。
「醍醐」に皆さんご執心ですね。
醍醐って聞いたときにあまりぴんと来ませんでしたが、蘇にもまして不思議な食べ
物なんですね。
加持祈祷に熱心だったのが醍醐天皇です。詳しいことは判りませんが醍醐寺っての
が醍醐天皇の発願によるものらしく、ここでは真言密教(加持祈祷)の大きなお寺
です。吉野の奥の院「大峰山」の奥駆けは修験道の本場の修行ですが、その奥駆け
を主催しているのが醍醐寺です。この醍醐寺のいわれに「醍醐」も関係があるみた
いですね。また、仏教の経文にも出て来るみたいですね。
醍醐と関係有るかどうか判りませんが、ヨガの行者も乳製品の「ギー油」ってのを
利用するようです。10年くらい前に東京に来て、いろいろ話題になったスワミ・
シバリンガムっていう行者さんも健康食品に薦めていました。
詳しいことはヤフーなどの検索器でも調べることが出来ると思います。
※参考までに
ギー油・・・バターを溶かしたその上澄み。深鍋にバターを500グラム程度入れて
中火で焦げないように泡立てる。何度か上澄みをすくい取って、それ
を布製の茶漉しでこしながら蓋つきのガラス器に移す。 長期の保存が
利くから余分に作って他の料理にも使うと良い。インドではこのギー油
を肌にすり込んで美容の目的でも使っているという。
88 :
天之御名無主:02/08/05 02:59
>87
今日の夕方(私も暇よね・・)再放送かな?チベット紀行物 片岡 鶴太郎さんのんを
見たんですが、その時ラマ僧の方達の日課でバター茶を飲んでいたんですが、ギー油とは別物なんですよね?
なんだか仏教僧の起源を感じさせられたので・・・(あくまでもイメージです)
でも、アジアだし 仏教だし シルクロードだし関連ありそうな〜なんて思っちゃいました。
素人の想像ですので気を悪くなさらないでくだしな〜
89 :
日本@名無史さん:02/08/05 10:32
>>88 >素人の想像ですので気を悪くなさらないでくだしな〜
私はここの住人さん達の「想像」がいいと思っています。
私も考古学、史学については素人ですが、そういう正学の話なんておもしろ
くありませんよ。
インドの何という教典だったか?記憶は定かではありませんが、食すること
で叡智と真理が体得できる食べ物に「ソーマ」という物があったそうです。
「蘇」というものがそうかな、と思いましたがソーマは植物と言うことなの
で関係ないかもしれません。
「飛鳥」の語源も想像を刺激されますね。
熊野神社の摂社の1つに「元飛鳥」といわれる神社があるそうです。
これも記憶が遠いもので詳しいことは忘れましたが、これは確かです。
熊野といえば神武天皇が上陸し、大峰山あたりを越えて吉野・大和へと行軍
し、大和に来て初代の天皇となった人ですね。この行軍の案内をかって出た
のがヤタノカラスで、この鳥が熊野神社のその摂社に関係があるといわれて
います。
また、一言主さん
>>87が言われるように、醍醐寺関係の修験道師が山駆けの
修行を夏にしていますが、そのルートの最終地点が、熊野神社なんですね。
いろいろ言い散らかしてしまいましたが、言葉だけは飛鳥ー醍醐はつながり
ましたね。また、ヤタノカラスが日輪とオーバーラップして表現されている
こと、その時代あたりから牛頭大王が信仰に大きく関わりだしていることを
思えば想像力豊かな人にかかればおもしろい小説がかけそうですね。
90 :
天之御名無主:02/08/05 21:45
大神神社のオオモノヌシって蛇のタタリ神だったっけ。
>>90 オオモノヌシって蛇のタタリ神
オオモノヌシ(大物主)は大和三輪山の神様ですね。オオクニヌシと同一視されたりすることもあります。
大和地方の土着神(国ツ神)であったという意味において、オオクニヌシと近い存在なのでしょう。
以下、「日本書記」崇神記の「箸墓古墳」伝説より(意訳)
------------------------------
10代・崇神天皇の叔母にあたる「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととびももそひめのみこと)は
たいそうな霊力の持ち主でしたが、そんな彼女の元へ夜な夜な貴人が訪れるようになりました。
しかし、貴人はいつも夜が明ける前には帰ってしまう。どうしても男の正体を知りたくなった姫は、
明るいところで顔を見せてくれるように頼みます。最初は渋っていた男も、姫の熱心さについに折れ、
「では、私は櫛笥(くしげ)の中に入っていることにしよう。翌朝目が覚めたら開けて見るがよい。
ただし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよ」と言い残し姿を消します。
さて翌朝、男に言われたとおり姫が櫛笥を開けると、なんとそこに入っていたのは白く大きな蛇だったのです。
さすがの姫も驚いて大きな声を上げて櫛笥を投げ出してしまいました。すると、どうしたことでしょう。
蛇は見る見る貴人の姿となり怒ってこう言うのでした。
「私の自らの姿を恥じて隠していた。それをお前が見たいというから見せたのに、
あろうことかお前は私を放り投げたね。約束を破って、お前は私に恥をかかせたのだよ。
かくなる上は、お前にも恥をかかせてやろう」
そういうが早いか男はふわりと三輪山に向かって飛び去りました。姫はそのときになって初めて、
貴人が三輪山の神であったことを知り、その場にへたりこんでしまいました。その拍子に箸が
ホト(陰部)に突き刺さり、姫は死んでしまったのでした。
それで、彼女のお墓を今でも「箸墓古墳」と呼ぶそうです。
ちなみに、倭迹迹日百襲姫命を「卑弥呼」に擬する説もあり、「箸墓古墳」の
学術調査ができれば日本古代史は大きく前進するだろうと言われています。
ただし、例によって宮内庁が周辺調査しか認めないため未だ科学のメスは入っていません。
92 :
天之御名無主:02/08/06 01:46
まあ実際の所、いわゆる「邪馬台国」の人々が
実際に自らを「邪馬台国」人と称したことはないだろうしね。
93 :
日本@名無史さん:02/08/06 12:16
>>92 >実際に自らを「邪馬台国」人と称したことはないだろうしね。
>>41 >地名が出来るのは、地元民の「名づけ・名乗り」じゃなく周辺地域の人々が
>呼びやすいように呼ぶんだと思います。
地名については上記2名さんの言うとおりなのが定説と思われます。
「飛鳥」は、もともとは「あすか」とよばれていて、地元政治家たちが呼称を
変えずに別漢字を当てたというのがエスパーさんの説で、これもほぼ間違いの
ないことだと感じます。
邪馬台国も中国の「魏」の国の政治家達がそう呼んだのでしょう。
この邪馬台国を「ヤマタイコク」と、そう読んだかどうかは?ですが「大和」
を「やまと」と読ませるのよりは発音に忠実ですよね。
邪馬台国が当時の日本にあって中心的な国だった、そして「邪馬台」と近隣か
ら呼ばれていたことはほぼ間違いないでしょう。
ですが魏志倭人伝に記載される他の国々がほとんど2文字でできていることを
考慮すると、「台」の字は地名以外の意味の挿入と考えた方がいいという学者
もいた。
つまり「台」というのは天子(政治をするべき王)がいる場所という意味があ
るそうで、現在も「青瓦台」とかいう政治に関する地名も残っている。
仙台も伊達政宗が政都を意識して命名したとか。命名というよりは、元々の地
名「千代(せんだい)」に仙台という漢字を当てた。
これは、飛鳥という漢字を当てたことと同じような手法ですよね。
伊達政宗も藤原不比等らも同じような感覚を持っていたんでしょう。
(飛鳥の名付け親は不比等かどうかは疑問ですが、同意はしていたでしょうね)
ざっとした推断ですが、邪馬台国の地元名は「邪馬(国)」だったんでしょう。
邪馬台国は、九州に耶麻渓(やまけい)という渓谷がありますが、そのあたり
にあったんじゃないかと私は思う。あるいは、その邪馬国の神武天皇が奈良盆
地へやってきて日本の中心的な国となったので「魏志」で邪馬台国としたのか
もしれません。
じゃないのか
94 :
天之御名無主:02/08/06 12:57
亀型石造物の模型で飛鳥鍋。
95 :
没個性化されたレス↓:02/08/06 20:40
飛鳥スレ
書けば書くほど
混迷し
謎は謎呼び
「やまと」積もりぬ
「みにすか」と
「あすか」は似たり
見えそうで
見えぬが興を
誘うものなり(;´Д`)ハァハァ
97 :
天之御名無主 :02/08/07 13:13
伊勢神宮のルーツは檜原神宮。
これで間違いないでしょうか?
伊勢神宮の紋章は「六ぼう星」って「ムー」の記事にあった。
実際に倉田山の沿道の石灯篭にも彫りつけてある。
桧原神宮はどうですか?
98 :
天之御名無主:02/08/08 23:16
飛鳥の文化遺跡を見ていると、現代日本人の持つ、日本的なものと
古代日本がかけ離れていると感じるのは私だけ?
やっぱ、輸入文化なのだろう、飛鳥文明。
99 :
エスパー伊藤:02/08/10 07:07
>>98 >現代日本人の持つ、日本的なものと
>古代日本がかけ離れていると感じるのは私だけ?
ここにレスされてきた住人さん達もみんなそう感じてますよ。
日本の古代史に「とんでも説」が出てきますが、たいていは飛鳥の遺跡がらみだよ。
>やっぱ、輸入文化なのだろう、飛鳥文明。
飛鳥の文化、遺跡も種類が多いからね。
死者を丁重に弔う事自体は縄文以来の日本的なモノと思われ。
また、アニミズム的な原始的山信仰の痕跡も感じられる点なども私だけではないと思われ。
異論もあるかとも思われますが、私的には日本の縄文時代(無金属・無農作時代)は豊かで長期に
渡りすぎており、それに反して、弥生時代以降は輸入を中心に急激に展開しすぎた、そう感じてい
ます。たぶん、輸入しまくりだったんでしょうね。
そういう意味では飛鳥なんかも輸入に積極的だったしね。
輸入文化だったと言えるでしょう。
問題はあの「亀石」「二面石」「酒船石」「益田の岩船」「猿石」(/_;)
これはじぇんじぇん解りましぇーん
100 :
天之御名無主:02/08/10 09:31
>問題はあの「亀石」「二面石」「酒船石」「益田の岩船」「猿石」(/_;)
>これはじぇんじぇん解りましぇーん
そうなんだよね、あの系統は後代には出てこない。
単発の、職人かね?
あぼーん
皆さん、お久です。
関西旅行の中で飛鳥探訪を9日(金)に行ってきました。
ほぼ一日かけたので、かなり廻りましたが、まだまだ見残した所は多かったです。
事前学習をここでさせて貰ったおかげで、実りある勉強をさせて頂きました。
回った所は、高松塚古墳、藤原京跡、川原寺、板葺きの宮、飛鳥寺・首塚、亀石、
橘寺・2面石、酒船石、鬼の雪隠・俎板、益田の岩船、他に聖なるラインの古墳等。
それと石舞台。
>>99〜
>>101さんが言うようにその石物は不思議な飛鳥の遺跡の中でも特に異彩を放
っていました。
例えば、2面石なんか、お寺の庭石にしてはかなり異物的な感じでした。そして、そ
の裏側はきれいに扁平していて角もくっきりと直線的でした。ですから、前後2面の
置物と言うよりは、壁の一部みたいで表裏がある感じでした。
これって石室か何かの壁みたいって思いました。説明にはそんなことは何も書いてま
せんでしたが。
他にも「何これ?」って思ったのがいくつか有りました。
今帰ったばかりなので、もう少しいろんな事をまとめてから報告します。
103 :
17=20:02/08/11 14:13
エスパーさんや1言主さんというレギュラーに釣られて出てきました。17=20です。
1言主さんおかえりなさい。楽しい旅行だったようで、何よりです。
一昨日は蒸してたけど、日は曇り気味だったからだいぶ過ごしやすかったのでは?
雑談で申し訳ないのですが、実は、私も15日に奈良に行きます。
「蘇」が食べたいばかりに有給休暇とりました。一泊予定でホテルも取っちゃいました(^^;
明日香まで足を伸ばすかどうかは微妙ですけど、とりあえず奈良市内で
大仏殿の特別開扉とか大和大文字とか見てきます。またレポートしますね。
104 :
1言主 報告その1:02/08/11 19:57
>>17=20さん、お久でした。
皆さんにも聞いて欲しいことはたくさんあります。
私的に感じたのは、飛鳥の遺跡は大きく分けて3種類あるように思いました。
則ち、「古墳群」、「宮・寺の遺構群」、「意味不明の石物群」です。
1.古墳群について
とにかく古墳が多かったです。盛り上がっている丘は何でも古墳でした。
高松塚は極彩色の石室壁で有名ですが、古墳自体はちゃっちい、貧弱な物です。
近くにある資料館には、石室内の模写絵があり、説明のお爺さんが解りやすく
話してくれ、1400年の時代を一気にワープした感じがしました。
参考資料に韓国の石室壁の絵があり、あまりにも高松塚のそれに似ているのでび
っくりしました。何となく雰囲気も、漠然と朝鮮半島の影響を感じました。
藤原京〜天武・持統稜が南北線と一致し、その延長線上に高松塚・文武稜・キト
ラ古墳があって、聖なるラインと呼ばれています。これも不思議ですね。
キトラ古墳は発掘中で視察はできないとのこと、でも、これは高松塚以上に保存
状態がいいので楽しみですね。
105 :
1言主 報告その2:02/08/11 20:22
2.「宮・寺の遺構群」について
飛鳥寺・橘寺・川原寺跡、板葺きの宮跡、藤原京跡などを見学。
そのどれもが甘樫の丘を見上げる位置にありました。推古天皇の豊浦宮も近く
にあり、この時代の蘇我馬子の勢いを感じました。
聖徳太子も馬子の甥だったのかな。あの斑鳩の繁栄も蘇我氏の財政の援助かも。
首塚もお参りをしてきました。飛鳥寺の西にありました。その更に西には甘樫の
丘がありました。我が家に走って逃げる入鹿の最期を思うと合掌せずにはおれま
せんでした。
飛鳥寺は日本最古の大仏が鎮座していまして、説明のおばちゃんが怖い顔をして
話してくれました。「よしもと」の桑原和男に似ていました。
他の神将像などもありましたが、奈良・京都の仏像達と比べると作り方や表情に
なんとなく稚拙な感じがして、中学生の工作に似た感じもしました。
飛鳥寺の伽藍は消失し今はほとんどが田んぼで、元の寺域の中に民家や浄土宗の
お寺があったり、時の流れを感じました。
橘寺の南庭に2面石、西の田んぼの畦に亀石。これらは寺・宮跡などとは全く異
質の雰囲気でした。
亀石では自販機が有りました。ジュースがおいしかったです。空き缶を食うとい
うペンギンはありませんでした。野菜・果物無人売り場もあり、御説明の通りだ
と思い、嬉しくなりました。
亀石の顔の下土が濡れていました。誰かが水をかけたみたいでした。近寄ってみ
ると酒のにおいがしました。
これが西を向くとヤマトが水浸しになるとか・・・、かなり西を向いてましたよ。
橘寺の2面石は前レスのように、壁面のレリーフみたいな感じもしました。
寺と不気味な2面石の関係や如何に?
106 :
1言主 報告その3:02/08/11 20:35
3.「意味不明の石物群」について
さきほどの2面石、亀石も寺の中、近辺にありながら寺の雰囲気とは調和し
てないんですよね。
他にも酒船石、益田の岩船、これなんかも?????でした。
聖徳太子時代より後の斉明天皇の仕業と言われていますが、どうしても飛鳥
の文化の中では異端、いや、日本的感性からしても全く異端ですね。
酒船石を見て、まず感じたのは「壊されている」って感じです。両横がクサ
ビを打たれて割られているのが、写真などで見たときより痛切に感じました。
最近発掘されたテーマパーク的水公園みたいな遺跡は残念ながら見ませんで
した。しかし、写真等で見るとこれらの文化の範疇であるという感じはハッ
キリしました。
益田の岩船はかなりかけ離れた所にありました。石の上にある四角穴は思い
の外深く、大きかったです。お風呂みたいでした。
見れば見るほど「これ何?」という不思議な疑問がわいて仕方がありません
でした。
107 :
1言主 報告その4:02/08/11 20:49
ざっと報告してきましたが、まだまだ不思議があります。
また明日書きます。
17=20さん、みなさん、飛鳥へ行かれたら甘樫の丘に立って飛鳥を一覧される
ことをお薦めします。とは言っても、私自身は丘に登りませんでしたけど。
でも、この丘が飛鳥(宮・寺)の中心であることは間違い有りません。私は近
い内この丘に登ってみようと思っています。
実際にその場に立つというのは、ゾッとするほどその気分が押し寄せてきます。
藤原京跡にたたずんで「春過ぎて夏来にけらし・・天の香具山」の歌を口ずさ
んで香具山を見たとき、香具山が身に迫って見え、持統さんが傍にいるような
気配さえ感じました。ああ、飛鳥に来て良かったなあ。
飛鳥は貸し自転車で回る人が多かったです。これも大変ですけど、車で回るの
も駐車場が完全に整備されていないので駐車に困る所もありました。
同僚が車で駆けつけてくれたので、私ら数人で回りましたが文武稜・酒船石な
どは駐車場がなかったので路肩に不正駐車でした。
あっt、蘇を買い忘れた(=_=)、今になって気が付きました。通販ですな。
甘樫の丘で思い出しました。
頂上から大和三山がすべて一望できるのですが、大和三山の言い伝えを聞いた事
があります。
といってもうろ覚えなんですが・・・。たしか2つの山が元は中が良かった(夫
婦だった?)が次第に不仲になり、片方の山が別の山の近くへ引っ越した。という
ようなものでした。
どれがどの山か完全に忘れてしまったのですが、甘樫の丘からみて真北に耳成山
、やや離れて北東に香具山、この2つから遠く離れて西南西に畝傍山。この位置か
ら考えて、畝傍山と耳成山が元の中が良かった山で、不仲になって耳成山が香具山
を慕って近くに動いた。
という話だったと思います。古代人の想像力も凄いものです。
> 最近発掘されたテーマパーク的水公園みたいな遺跡
亀型石と一緒にみつかった石造りの水道状の遺跡の事でしょうか?あれはながく
露出していると自然に崩れてしまうらしく現在は埋め戻されています。
今レンタルビデオ(件本屋)店にビデオ返すついでに奈良のガイドブックを何冊
か見たみたのですが。
中大兄皇子が大和三山を男女みたてた和歌を歌っているそうで先の内容はそこか
らのものみたいです。
110 :
天之御名無主:02/08/12 00:32
8/10から上野・東京都美術館で「飛鳥・藤原京展」をやっている。
>>108 >亀型石と一緒にみつかった石造りの水道状の遺跡の事でしょうか?あれはながく
>露出していると自然に崩れてしまうらしく現在は埋め戻されています。
そうですか。結局探しても見つからないんですね。
そして、その山の好き嫌い物語も意味深ですね。
↓
>畝傍山と耳成山が元の中が良かった山で、不仲になって耳成山が香具山
>を慕って近くに動いた。
三輪山が物部氏だっけ?それぞれの山が各部族の象徴・アイデンテテイとして存在
するなら耳成・畝傍などの山は、どの部族と関係があったのかなあ?
私は飛鳥にいって不思議に思ったのは聖なるライン(藤原京・高松古墳・キトラ古
墳・天武持統稜・文武稜)です。これは持統天皇のこだわりのラインですね。これ
はどの山との繋がりを意識しているのかなあ?
>>17=20さん、>>みなさん。
飛鳥探訪のおり不思議に思ったことなので記しておきます。
鬼の雪隠・俎板は石室の部品だということは、一目して異論はないのですが、なぜ
今まで暴かれた感じで放置されていたんでしょうね。
そして、雪隠の方ですが、道路と雪隠をつなぐ50cm幅くらいの石の道があります。
その石の道と雪隠が鎖で囲ってあるのです。雪隠を囲むのは解るのですが、その石の
道まで人が入らないように囲むのはなぜかなあ?その石の道って新しい物ですし・・
橘寺の2面石はどうみても橘寺とはミスマッチです。完全に不調和です。
そして
>>102にも書きましたように、それは像じゃなく壁か蓋のようなものです。
後ろの部分を見ていただくとその感じは解っていただけると思います。
17=20さん、みなさん、是非見てください。そして、2面石の謎解きをしてください。
>>110 「飛鳥・藤原展」、行ってみたいな。チョット今んとこ無理っぽいので・・
112 :
17=20:02/08/13 01:31
亀レス、スマソです。
>>104-107 1言主さんレポートどうもありがとうございました。
たいへん興味深く読ませていただきました。かなり笑いましたヽ(´ー`)ノ(いい意味で)
私が前に明日香にいったのは、たしか去年の3月頃。花見がてら弁当食べたのを覚えてます。
もうひとつの目的がキトラ古墳で、当時再調査に沸いていたので貸し自転車をかりて
見に行ったら、古墳自体は青いビニールシートをかぶった丘でした(w
あ、でも村役場でパネル展示をしてたかな。
そのもう一個前にいったのが、一昨年の5月。GW中で田んぼ一面レンゲの花がきれいでした。
そのときは例の「亀形石」発掘に沸いていた時期で、実物を見てきました。
同じときに甘樫丘にも登っちゃいました。感想。畝傍山は「星の王子様」の“うわばみ(の絵)”(w
マニアの域かも……。いや、私は万葉集と仏像と民俗学が好きなだけ……。
113 :
17=20:02/08/13 01:40
>>108-109 大和三山の嬬争い歌は万葉集の巻1ですね。13首、14首。
もっと後ろの巻にも似たようなのがあった気がしますが定かではありません。
------------------------------------------------
中大兄の三山の歌一首
13 香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし
古も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬を 争ふらしき
反歌
14 香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)
------------------------------------------------
中大兄皇子(天智天皇)といえば、弟の大海人皇子(天武天皇)と妻(額田王)を
争った(中大兄が大海人から権力にものいわせて奪った?)ことで有名ですから、
暗にそれを歌ったものと解釈されていますね。
「神様のころですら妻争いはあったんだ、現世でも同じだね」と。
同じく巻1では、寝取られた大海人と額田王が不倫歌(に見立てた戯れ歌)を歌っています。
------------------------------------------------
20 あかねさす 紫野逝き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)
21 むらさきの にほへる妹を 憎くあらば 人嬬ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)
------------------------------------------------
ちなみに、上の13の読下しだと「惜し=愛し」で、香具山・耳成山=♂、畝傍山=♀、となりますが、
「畝傍雄々しと」と読下すと、香具山・耳成山=♀、畝傍山=♂、という解釈もしくは
香具山=♀、耳成山・畝傍山=♂、という解釈が成り立ちます。まあ「惜し=愛し」が定説。
その方が中大兄と大海人の関係に近いですしね。この兄弟、仲がいいのか悪いのか、謎の多いふたりです。
114 :
17=20:02/08/13 01:54
>>111 私がいったときは石の舗装道は入れた気がします <<鬼の雪隠
明日香の遺跡は入場規制の方針がころころ変わるんですよね。
たとえば、
20年ほど前は、石舞台は上に登れるような状態でした。
10年ほど前は、石舞台は周りを鎖で囲まれて内部も見られませんでした。
そして現在は、石舞台は「上に乗らないで」の看板はありますが遮蔽物はなにもありません。
そのうち酒舟石や亀石もガラスのショーケース越しにしか見られなくなる日が来るかもしれません。
17=20さん、レスありがとうございました。
高校の古典は苦手でしたけど、私も万葉集は何となく好きなんですよ。
飛鳥や古代史について、私のは聞きかじりの耳学問のみですので、とんでも
ない想像にふけってしまいますが、そこんとこよろしく。(訂正も含めて)
日本書紀・古事記が官撰によるものに対して万葉集は没落貴族を中心にした
在野の書物とか。この書物を作るに至った趣旨は、中央集権国家や新興の藤
原氏等に対する不満があるのかも、という説明を聞いたことがあります。
戦争を厭う防人歌、大王と古くからの貴族との交友を懐かしむ歌。それでい
て「大君は神にしませば・・」と天皇を讃えることも忘れない。「大王」が
「神」と並び称され、天皇と呼ばれ始めたのはこのころとか。
現在のように身の安全が保障されている時代ならば政治批判も平気だが、万
葉時代にあってそれは、国家・天皇礼賛の中にひっそりと忍ばせるだけだっ
たと聞きましたが、4000首以上もの歌にはそれだけでは括れぬ様々なも
のがあるように感じます。
飛鳥と万葉集は車の両輪のように思います。私的には万葉集にも関心が広が
りつつあります。
あぼーん
117 :
天之御名無主 :02/08/13 14:29
飛鳥の名所「石舞台」ってのは馬子の墓で間違いないですか?
118 :
天之御名無主:02/08/13 21:47
>>116 よく見かけるな〜お前。
俺の行く所ばっかり書き込んでないか、ストーカーか。
119 :
天之御名無主:02/08/13 22:01
>>111 奈良盆地に各氏族の勢力地が分布していたという考え方について
江戸における大名の屋敷割りみたいなモノだと思います。
当時は、都市という形態がありませんから、盆地内に各氏族ごとに分散して集住していた様です。
葛城(氏)村とか、物部(氏)村とか、中臣(氏)村などのように。
だから、本拠地は近畿周辺にあって、もっと広大だったと思います。
120 :
17=20:02/08/14 15:44
>>115 1言主さん、万葉集について既に十分にお詳しいじゃないですか(w
おっしゃるように、万葉集は在野の歌集といえます。最終的な編者は大伴家持ですが、
「人麻呂歌集」みたいな元ネタとなる歌集や在野の歌を蒐集したものに「家持歌集」的
なものが付け加えられて成立したと考えられています。
そこが「古今集」のように最初から一貫したプロジェクトとは違うところであり、
万葉集ならではの味が出ている理由だと思います。
ただし、柿本人麻呂は当時すでに宮廷歌人として確固たる地位を確立していたようで、
「大君は神にしませば・・」というのも天皇神格化の一翼として、政府命令で意図的に
表現された可能性は高いでしょう。
(草壁皇子の挽歌や「東の野に炎の立つ見えて……」ので有名な安騎野遊猟歌4首など)
>>117 飛鳥の名所「石舞台」ってのは馬子の墓で間違いないですか?
単発質問だけじゃなくて、もうちょっとしゃれっ気のある投稿だとレスしやすいのですが……。
まず、「間違いない」かという点については、断言できないのが現状です。
古墳というのは天皇陵も含めて実は誰が埋葬されているか判っていないものがほとんどで、
副葬品に名前が書いてあったとか、史料にある場所・特徴とぴたりと一致でもしないと
確定が難しいんですね。そういう意味では、聖徳太子(磯長陵)や、天武持統合葬陵
(檜隈大内陵)のように確定できるものの方がレアなんですね。
石舞台の場合でいうと、石室しか残っていないので状況証拠から推測するほかありません。
まず、地理的にはあの辺りの地名を「島庄」(しまのしょう)といいますが、
蘇我馬子は当時「嶋大臣」(しまのおとど)※ と呼ばれたと書記にあることや、
付近から馬子邸宅(嶋宮)跡と思われる「島庄遺跡」が出ていることなどが挙げられます。
(※「嶋」とは庭園の池に浮かべる島のこと。転じて庭の意。ハイカラな馬子は
渡来文化であった庭園を自宅にもっていたようです。旧奈良そごうの向かい側に
いくと立派な奈良時代貴族の「嶋」の復元遺跡(左京三条二坊宮跡庭園)が見られます)
規模的には、元の古墳が一辺80メートルもある大きなものだったことが調査で判っており、
当時、財力・権力ともに相当の有力者であったということは言えるでしょう。
また、古墳の形式が「上円下方墳」もしくは「方墳」と考えられ、これも渡来系※ に
多い様式だと聞いたことがあります。(ここんとこは怪しいです)
(※蘇我氏の先祖はもともと渡来人です)
122 :
17=20:02/08/14 16:30
石舞台の封土(もりつち)が失われた理由としては、長年の風雨による自然流失説や、
古墳であることが忘れられた頃に他の土木工事で掘り起された説、大化改新後に蘇我氏の墓が暴かれた説、などありますが、私は三番目だろうと思っています。
まず自然流失説ですが、古墳の土は「板築」といって薄くひいた土を丸太などで突き固め、
そのまた上に土をひいて……という作業で固められます。これは民家の土間などに残る工法で、
板築された土はコンクリート並みの固さになります。土砂崩れのおこるような地形でも
ありませんし、自然流失するとは思えません。
次に土木工事説ですが、ソースを忘れてしまったのですが、平安時代にはすでに封土が
なかったと言われています。馬子の生きた時代(7世紀初)〜平安末期(12世紀末)まで
最大で600年ちかくあるとはいえ、あれほどの有力者が本当に忘れられるというのは疑問です。
となると、大化改新後に剥がされたというのが妥当な気がしますが、墓を暴く行為に
怨霊の恐怖はなかったのかという疑問は残ります。
ただ、中大兄皇子は知性・教養・決断力・実行力にすぐれ、多くの功績を残した一方で、
ライバルの皇族(有間皇子)を罠にはめて処刑したり、謀反の讒言を真に受けて
それまで功労のあった忠臣(蘇我倉山田石川麻呂)を自殺に追い込んだり、
天皇(孝徳)を蔑ろにして憤死させたりと、猜疑心が強くて酷薄な一面も伝えられている人物です。
自分が滅ぼした蘇我一族の墓を暴いたとしてもそれほど不思議はないかもしれません。
>>119さん
>奈良盆地に各氏族の勢力地が分布していたという考え方について
>江戸における大名の屋敷割りみたいなモノだと思います。
>だから、本拠地は近畿周辺にあって、もっと広大だったと思います。
なるほどね。そう考えると納得いきました。
実際に飛鳥へ行って、かつての飛鳥の政争を思い描くと明日香村の中のヤクザの抗争
に思えてきましたもんね。実際に何度も筑紫に何万もの遠征軍を派遣できる権力があ
ったのは、それだけの地盤があったからでしょうしね。
>>120 17=20さん
>万葉集は在野の歌集といえます。最終的な編者は大伴家持ですが、・・
そうすると大伴家持の考えや好みが反映されているのでしょうか。
私の万葉観は高校時の古典の先生の影響が大のようです。尤もそれがほとんどですし
最初のすり込みは洗脳に近いようですし・・(-_-)
彼の教えによると万葉集は天智と天武の額田王をめぐる破廉恥スキャンダルや防人歌
に見られる政治批判、貧窮問答歌も同じ、このように週刊誌的な反体制的な内容が散
見される、ということだった。また、柿本人麻呂歌「東の野にかぎろいの立つ・・」
なども軽皇子が皇太子として次期天皇になるべき儀式として「かぎろい」の光を浴び
る記事を書いた「暴露本」としての性格もあると言っていた。かなり偏重した教育を
受けてきたもんだと今は思う。しかし、万葉集には得体の知れぬ秘密が隠されている
という教義はいまだに信仰しています。そういう意味で編者・大伴家持を調べると、
彼が何を不満に思い、何を言おうとしていたのか見えてくるかも知れませんね。
あす奈良行きでしょうか、よい収穫を期待しています。
>>117 >>122 明日香と言えば「石舞台」。それほど飛鳥を象徴する遺跡ですね。
しかし、回りに何もなく、あるのは巨岩だけですのでイメージは作りにくかったです。
>墓を暴く行為に怨霊の恐怖はなかったのかという疑問は残ります。
>中大兄皇子は知性・教養・決断力・実行力にすぐれ・・
>自分が滅ぼした蘇我一族の墓を暴いたとしてもそれほど不思議はないかもしれません。
いつも詳しい話をありがとうございます。
このレスを読んで、織田信長が脳裏をよぎりました。彼も宿敵・浅井長政の頭蓋骨を
杯にして祝杯を挙げたり、斬新な政策・策略を駆使したり神懸かり的な「ひらめき」
もあったりしてました。2人とも近親結婚という共通点があり、それも関係するのか
なあと、ぼんやり思いました。
柿本人麻呂は「垣の下の人」ということで、墓守の役人と言うほどの意味だ
とも聞きました。山部赤人と並び称される宮廷詩人ですが活躍した時代はず
れているようです。
有名な歌に「東の野に『かぎろい』の・・」がありますが、この「かぎろい」
も不思議なものですね。
ttp://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/aki.html ↓
かぎろいとは、冬の夜明け前にこの地方で見られる、
日の出前の東の空が美しく輝く現象で、
太陽光によるスペクトル現象の一種だろうと考えられています。
「かぎろい」を写真にすると↓
ttp://www.h2.dion.ne.jp/~kimura-a/newsaiziki/akino.htm この「かぎろい」の街、宇陀町は吉野本葛の店があって「葛粉」を売ってい
るそうですね。昔、風邪を引いたときに本葛かどうかは怪しかったけど葛湯
を食べたら、すぐ元気が出てきて治ってしまったことがありました。いろん
な不思議が阿騎野・宇陀町にもありますね。次回は宇陀町巡りもやってみよ
うと思っています。★★宇陀町の不思議教えて★★というスレッドを立てて
も誰も寄ってこないと思いますので、見所がありましたらここのスレで、お
教え願います。m(_ _)m
125 :
天之御名無主 :02/08/14 22:35
>>124。
>★★宇陀町の不思議教えて★★というスレッドを立てて
>も誰も寄ってこないと思いますので、見所がありましたらここのスレで、お
>教え願います。
折れも耳学問の域を出ないけど、世間話として聞いてみてください。
宇陀って所も歴史の裏舞台の1つではあるわな。
壬申の乱もここを通っていったみたいだし。
山部赤人の墓もあるし、探せばもっといわくありげな物もあるでしょう。
折れ的に不思議だと思うのが、宮内庁の管理する原野もあることだ。
何故だ?
>>123-124 万葉集の秘密ですか。梅原猛みたいですね(w
古代史はいろいろ想像できて楽しいですねえ。
では、今から家でます。出発日覚えていてくださったんですね。
さすがに大宇陀には寄りません。学生のころ真冬の早朝にいったことはあります。
そのときはあいにくの曇り空でしたけど。
★★宇陀町の不思議教えて★★スレッドかぁ、あってもカキコしないなあ(w
ではでは、いってきま〜す。
>>125 (宇陀に)宮内庁の管理する原野もある
へー初耳です。宮内庁管轄の土地・モノって明治〜戦前の
皇室物件をひきついでるのが多いのでそこまで遡らないと判らないかも?
あと、宮内庁はケチなので一度手に入れたお宝は離さない傾向が強いかも。
正倉院御物とか国宝指定すればいいのに、省の所有物ってだけだし。
正倉院の建物自体も「世界遺産」登録のときにいやいや国宝にしただけだし。
というわけで、本当にもう逝ってきます。
飛鳥の事を調べていくと日本最古の書物「古事記」歌集「万葉集」に行き着くのか。
それ以前はもう文献がないので考古学や発掘による木簡などを研究するしかないの
でしょうね。
>>126 >宮内庁はケチなので一度手に入れたお宝は離さない傾向が強いかも。
私も飛鳥を探訪して宮内庁の立て札や禁足地が多いのにはあきれました。
遺跡としては皇室とは縁遠いだろうと思われる鬼の雪隠にまで「宮内庁」という札
を立てコンクリート棒と鎖で囲い込んでいるのには少々興ざめしました。
この分じゃ飛鳥の遺跡・古墳はアカデミックな研究は出来ないんじゃないかと思わ
れました。
私しゃ、高松塚・キトラ古墳(石室模写)を見ると朝鮮半島文化の強い影響を感じ
ました。(といっても、資料館に有る参考資料だけですが)
発掘が進めば日本の古代は朝鮮半島そのままのように思える研究がなされるかも知
れませんね。
私は漠然と日本人としてのアイデンテティを持っています。(深い意味は無く)
ノンポリシーな私でさえそうなのですから、思想的に固い方々が構成されてる学派
学会などの人々がたくさんいらっしゃることを思えば、飛鳥の発掘はゆるゆるとし
ていく、或いはタブーにしていくのが現状ではベターなのかもね。
しかしながら、諸外国と比べ、日本は国的に曖昧な歴史しかないように思います。
一般に諸外国は高校の世界史でも習ったように、「○○年独立」などとハッキリし
ているというか、歴史が浅くて解りやすいのに比べ、日本はいつ出来たか解らない
し、半島の他からも、かなりの移民も予想されていますしね、現在実際に日本に生
まれちゃった私としては日本のルーツをもう少し知りたいものです。
128 :
17=20:02/08/16 11:11
いま奈良にいます。iモードから投稿。今日は京都五山送りにいく予定。
蘇たべました。感想はのちほど。
高松塚のころは既に古墳時代末期だったので、
日本の皇族や貴族の墓ではない可能性が高いでしょうね。
百済滅亡後の亡命貴族居留地は飛鳥だと比定されていますから百済人かもしれません。
天井の宿星図もたしか平譲あたりの緯度での観測図だったように
記憶しています。(出先からなので裏をとれてませんけど)
あぼーん
>>128 >百済滅亡後の亡命貴族居留地は飛鳥だと比定されていますから百済人かもしれません。
>天井の宿星図もたしか平譲あたりの緯度での観測図だったように
>記憶しています。(出先からなので裏をとれてませんけど)
なるほどね。
しっかり調べられているんですね。
私も明日の休みは図書館にでも行って、「天井の宿星図」を自分で勉強してみよう
と思います。
いままでホントにためになる耳学問をさせて頂いたと思います。
京都五山大文字送り火、見てきました〜(^-^)v
船岡山に登って待つこと5時間、
大・妙・法・舟形・左大文字をベストスポットから見れました。
鳥居は地理的に無理でしたが、夜空に浮かぶ
火文字は幻想的な光景でした。
明日香とも民俗学とも関係なくてスミマセンm(_ _)m
132 :
17=20:02/08/17 02:31
>>130 私のカキコは裏が取れてるのと取れてないのが半々くらい(w
記憶に自信のないのは調べてます。
検索エンジンと辞書がメインですけどね。
「蘇」が食べたいばかりで急遽きめた奈良行でしたが
おかげさまで、思わずして有意義な夏休みを
過ごすことが出来ました。
このスレッドに感謝感謝です!
>>131 >鳥居は地理的に無理でしたが、夜空に浮かぶ
>火文字は幻想的な光景でした。
それはよかったですね。
私しゃ、どちらかというと出不精なもんで、まだ京都の大文字焼きはまだ見ていま
せん。(T_T)
夜の火ということで、話は飛鳥になっちゃいますが例の益田の岩船ですけど、エス
パーさんの言われるように松本清張の作品を拾い読みしてみました所、岩船=拝火
台でした。やはり夜の火というのは興をそそるものなのでしょうね。
>>132 >私のカキコは裏が取れてるのと取れてないのが半々くらい(w
いろいろお話を伺って、17=20さんの知識もさることながら、見識と言いますか、
歴史を見る姿勢に人間的な奥行きが感じられて、いい勉強をさせてもらいました。
今日は図書館で、闇雲に本を引き出し、適当に拾い読みしてました。ですから、詳
しくは読んでないのですが、飛鳥それ以前の日本については漠然とですが、大きく
分けて2つの方向で研究がなされているように感じました。
1つは実証的な資料・証拠を収集・羅列する研究。もう一つは、資料・証拠を基に
日本や東アジアの構図を描く研究。(研究というより想像し著述したという方が適
当か)
134 :
17=20:02/08/21 21:13
休暇明けで職場復帰したら仕事がたまってて忙殺されておりました。
このスレもすっかり下がっちゃいましたねえ。民俗・神話学から脱線しがちだったので、スレ寿命でしょうか。
>>133 1言主さん褒めすぎです。この学問板住人は本当にスゴい人もたくさんいると思いますので。
私なんて民俗学好きとかいいながら、吉川弘文館とかの学術書を手に取ったことすらないです(w
さて、遅くなりましたが「飛鳥の蘇」体験記をご報告させていただきます。
奈良市内で買えなかったら「ミルク工房飛鳥」まで行くつもりだったのですが、幸い市内商店街の
JA奈良物産アンテナショップにて「飛鳥の蘇」が売られていたのでこれを購入。
さっそくホテルで試食してみました。
外装はA4版・茶封筒を二つ折にしたような粗末な袋に入っていて怪しげです。
封筒から出すと、意外や意外、目も綾な赤い9.5cm×11.5cmの美しい小箱が出てきました。
表には金紙に墨書で「飛鳥の蘇」と書かれていて高級な感じ。箱の中には6cm×7cmに
厚み2.5cmの物体が白い和紙に包まれており、そっと出して紙をほどきます。
135 :
17=20:02/08/21 21:14
ようやく姿を現したのが蘇(酥)で、色は薄茶色で一見すると味噌かなにかのようです。
表面のところどころに白い粉が噴いているのは製造時の処理過程でついたものでしょうか。
手に取るとしっとりと湿った感じがあり、大きさの割りにしっかりと重さがあります。
茶色い豆腐といった印象。
ナイフが手元になかったので爪楊枝で切ってみました。プロセスチーズのようなものを
イメージしていたのですが、チーズほどにはねっとりとはしておらず、切るときに
ポロポロとカスが出ます。1〜2mmほどの厚さにスライスしてさっそく試食してみました。
口に入れた瞬間は無味無臭。次いで、焦げたようなほろ苦さを感じます。
さらにチーズのような わずかな塩辛さが舌先を襲い、遅れて独特の乳臭い甘みが鼻に抜けました。
噛むと思ったよりザラザラ感があり、「沖縄銘菓・ちんすこう」や
「アイスクリーム・爽」に似た砂をかむような舌触りが残ります。
正確には、噛むというほどの手応えもないままジャリジャリと形が崩れ、あるいは溶けていき、
焦げ臭いほろ苦さを口中に充満させながら舌全体に広がって、飲み込んだあと
喉奥から鼻腔にかけて乳臭い匂いを残す。そんな食べ物です。
ひとことで言うとマズ……、いや、珍味。
私は二度と買わないと思うけど(w
以上、「飛鳥の蘇」レポートでした。
136 :
天之御名無主 :02/08/22 09:00
>>135 >ひとことで言うとマズ……、いや、珍味。
>私は二度と買わないと思うけど(w
蘇は煮詰めすぎた練乳だね。
自分としては疲れたときとか神経が冴えて眠れないときとかに舐めてると割合すぐに平静な気分になりますけどね。
それと酒タバコが好きな人は総じて好きじゃないみたい。
137 :
天之御名無主:02/08/23 11:17
私も以前飛鳥に行った時、「絶対蘇を買って帰る!」とはりきっていましたが、試食してみて…(以下略。
酒たばこ好きとは相性が悪いんですか。私も該当者です。なんか悔しい(w。
138 :
天之御名無主:02/08/23 21:46
17=20さん
携帯電話からでも書き込めますか?
できましたら簡単に教えてください。
あぼーん
私が、今はやっていない喫茶店で蘇を食べた時は、固形のヨーグルトみたいで美味
ではなけど不味くもなかったです。ちなみに酒はほとんど、タバコはまったくやり
ません。
141 :
17=20:02/08/24 10:41
三球
>>141 へえ、そんなことできるんだ。
私的には黒岩重吾の小説に飛鳥をモチーフにしたものが多いのでそれ読んでます。
143 :
天之御名無主:02/08/25 18:19
飛鳥は蘇我氏の本拠地であったのはよく知られていますね。
そこに王朝があったという事は蘇我氏が「大王」だったという事です。
私はその事実を日本書記が隠蔽しているだけと考える一人です。万世一系の為。
正月に飲む、「お屠蘇」と言う酒の由来は、今年こそ蘇我を殺すぞ!葬るぞ!
と言う暗殺者達の誓いの杯だったと言われております。
因みに東日本では「お屠蘇」を飲むと言う風習はありません。
144 :
飛鳥時代の謎:02/08/25 20:53
最大の謎は聖徳太子でしょう。何故、あんなネーミングを必要としたのか?
本名も謎とされている不思議な人物である。何故、何の事績も無い事が分かって
いるのに聖者、賢者といまだに奉るのか?ここにこの国の隠蔽体質が見え隠れ
している。蘇我王家の誰かの投影であることは間違い無いだろう。
30人とも40人とも言われた子や孫とその末裔が歴史上出て来ないのが
おかしく、それを物語っていると思う。蘇我聖徳が本名か?
>145
未熟者よ、その訳は?
147 :
天之御名無主:02/08/25 22:33
日本書記の記述を信じれば、両親の母親が姉妹で父親が同じで嫁が叔父で
ある馬子の娘と叔母である娘と言う家系図は信じられますか?
こんなのは太子だけですよ。更に曽祖父は蘇我稲目。
聖徳太子暗殺説、聖徳太子捏造説は昔からありますね。
聖徳太子暗殺説=梅原猛・伊沢元彦でしょうか?
聖徳太子捏造説はどう(誰)なんでしょう?
149 :
天之御名無主:02/08/26 15:58
厩戸皇子、聡耳皇子、豊耳聡聖徳、法主王、上宮太子、どれが実名なのか?
書記の推古紀には推古天皇をはじめ多くの登場人物は実名がはっきり出てい
る。その主役であり重要人物であればあるほど、その実名は後世に残るものだ。
にもかかわらず、実名が不明と言う事は存在も不明と考えてよいのでないか?
冠位についてもオカシイ。天皇に冠位が無いのは当然としても、太子と馬子
にも与えられていない。冠位が無いということは?存在しなかったのではないか?
馬子こそ天皇だったのか?
あぼーん
151 :
天之御名無主:02/08/26 17:21
聖徳太子=蘇我入鹿。説は迫力あります。
152 :
天之御名無主:02/08/26 18:49
邪馬台国の謎、狗奴国の謎、倭の五王の謎、飛鳥朝の謎、天智、天武朝の謎
から現代に至るまで、こんなに謎の多い不思議な国はどこにも無いだろう。
153 :
天之御名無主:02/08/26 19:18
>152
倭国の建国から滅亡、そして日本の建国に至るまでトンデモなく仰天で
隠蔽、捏造されたドラマがあるのでしょうね。
「いっしの変」において蝦夷は甘樫の丘の居館に火を放ち自刃した。
その時、天皇記、国記の類も燃えたと言われる。
日本最古の書物古事記、日本書紀は奈良期のものだ。
蘇我氏大王説は状況証拠としては成り立つと思います。
神武へ
正確には天皇記、等を自らが燃やしたらしい。それが事実であるならば
国史、大王史を燃やす時は、その王朝が滅亡した時に限り、その時の王が
行える敗者の特権であるらしい。
あぼーん
157 :
天之御名無主:02/08/26 21:49
大化の改新か・・・
いい例じゃないが・・・本能寺の変。
もし光秀がそのまま勝ち通したら・・・
そして、もし光秀がマスコミを牛耳れたら・・・
案外、大化の改新によく似た歴史ができたんじゃないか・・
と思ったりした。
あやしげな サイトで発見 新事実 他の皆にも 教えなくっちゃ
おぼろげな 判断力で 読み解けば 日本史上は 不思議いっぱい
すずしげな 顔で嘘つく 霊媒師 オカルトファンが 飯の種なり
159 :
天之御名無主:02/08/27 09:13
明らかな証拠を故意に隠蔽してあるからには、状況証拠と心理学的な想像しかないのじゃないか?
160 :
天之御名無主 :02/08/27 16:42
私事なんだけど、この頃書き込もうとすると「クッキーが・・・」なんて警告みたいな
文字がよく出るんだけど・・・皆さんそういうことありませんか?
161 :
天之御名無主:02/08/27 21:06
>>159 状況証拠と心理学的な想像
それでいいんじゃないか。
つまり何でもアリだけど、誰も正解じゃない、ってことだな(藁
しかし、「明らかな証拠」とか「故意に隠蔽」といった見てきたような
口ぶりはおかしいだろ?電波呼ばわりされてもしょうがあるまい!?
ま、気になるなら人に疑問を投げかけて終わるんではなくて、
論点を明確にしてだな、自分なりに一つ一つ検証をとれよな。
>>160 この頃書き込もうとすると「クッキーが・・・」
なぜこのスレに書く?電波が多くなったな、このスレッド。
162 :
天之御名無主:02/08/27 22:45
>>160 おれも出るよ。
クッキーがどーのこーの書いてあって、「書き込みは記録され保存され云々」などと書かれては
書き込む意欲も薄れるわねー。
163 :
これだろ クッキー:02/08/27 22:50
こんなん出てくるので気分悪いな
↓
クッキーがないか期限切れです!
クッキーを更新したので、一度戻ってから再投稿してください。。。
書き込みに関しては様々なログ情報が記録されています。
下記の項目が承諾できない場合は、再投稿しないで下さい。
・投稿に関して発生する責任は全て投稿者に帰します。
・公序良俗に反したり、他人に迷惑をかける書き込みは控えて下さい。
・投稿された内容はコピー・保存・引用・転載等される場合があります。
164 :
天之御名無主 :02/08/28 16:51
現在の日本人が日本人としてのアイデンテティを持つに至った始まりはやはり古事記・日本書紀
万葉集からではないだろうか。
聖徳太子に関することも「実在」「聖人」として日本人アイデンテティに組み込まれていること
は否めない。聖徳太子暗殺説・ねつ造説は根拠とするモノはそれを説く文献には記されているだ
ろう。
このスレではあまり言及されていないが、飛鳥・万葉集は古代朝鮮文化に染め抜かれたものであ
り、万葉集などは古朝鮮語そのままだという学者もいる。
韓国の方では日本人がどういうアイデンテティを形成するか、ということが気になるらしい。
そして、かつての(明治〜昭和)国家神道時代の国家観を反転させようと必死だね。
165 :
17=20:02/08/28 23:28
お久しぶりです。17=20です。
このスレ荒れてしまったので、登場するのもこれが最後かも。
>>164 万葉集を古代朝鮮語で読み解くおはなしですけど、
そもそも古朝鮮語ってあんまり判ってないんですよね。
朝鮮は中国の脅威につねに晒されていましたから、書物も漢語のものが多く、
現存する最古の史書「三国史記」(12世紀成立)も漢文で書かれているそうです。
そのため古朝鮮語というのは、逆に日本書紀や、日本語のなかに取り込まれた朝鮮語、
あるいは朝鮮・韓国の地名(地名は変化しにくいため)などを手がかりに復元する
しかないんですね。
万葉集を読み解こうにも元になる言語がこの状態ですから、あとは推して知るべしです。
また、万葉集=古朝鮮語説の多くが発音というものを無視している感があります。
たとえば、現代日本の「サ」行は中世では「シャ」、「ハ」行は「ファ」もしくは「パ」に
近い音だったんですが、そういったところだけは都合よく現代日本語発音を取り入れてたり
とか(他にも「日」と「火」の発音の違いを混同してたり)、はっきりいって
万葉集=古朝鮮語説は、トンデモです。
2ちゃんとはいえ、一応学問板なんだから、もっと調べてから書きましょうね。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/29 01:05
167 :
天之御名無主:02/08/30 16:54
耳成山、三輪山など円錐形のきれいな山を「カンナビ」型の山というのは何故ですか?
168 :
天之御名無主:02/09/04 20:07
>>167 カンナビ→神奈備?
「神と同じ」という意か。
それはそうと談山神社は秋が見頃だよ。
てゆーか、聖徳太子はキリストの話が仏教経由で伝わったんだろう?
日本人最初の仏教徒で馬ヤドで生まれた救世観音(=キリスト)。
これこそが仏教とキリスト教の融合=和をもって尊しとなす
聖徳太子信仰は平安時代の文献にすでにあります。日本にキリスト教が伝わった
の何時でしたか?
みなさんお久です。
このスレも結構伸びてますね。
飛鳥って関心もたれる方が多いのですね。
私は10年以上ぶりに飛鳥へ散策に出かけ、それから早くも1か月。
あの頃は暑い盛りでした。でも、とってもいいところでした。
亀石の南に「聖徳」中学校があって、その名前を見たとたん現在と飛鳥・白鳳の時代が私の中で繋がってしまいました。
実際に現地へ行く、そして見る・触れるというのは頭の理解を超えた感動がありました。
この秋にもぜひ行ってみたいと思います。
談山神社、かぎろい、猿石(前回見忘れた)、稲の刈り束の干し方(船型に干すという)、等々。
他にも見所などありましたら教えてください。
172 :
17=20:02/09/06 19:29
F−Kさんと1言主さんだ。夏貸家。
じゃあ、ひとつオカルトちっくなネタで、
明日香一帯を1mくらい掘ると玉砂利がたくさん出てくるそうな。
斉明時代にあの辺の道が石の舗装道路にしたためです。
けっこう広範囲にわたっているらしい。
っていっても本当に掘ってると捕まります。たぶん。
えー、私は大学時代に役場で働いていた父の紹介で、文化財保存課という所で発掘
のバイトをしておりまして。
17=20さんのお話。私の経験から言うと当たってるところもありますが、違うとこ
ろがかなり多い。
まず明日香時代の地層は一般的に2〜3m掘らないと出てきません。場所によって
かなり違いますので1mでも出てこないとは限りませんが。
それと明日香でも出てくる所はとことん出ますが、出てこない所は何も出ません。
何か建物とかあれば必ず柱とか溝の跡が土に出ますのですぐわかります。やっぱ
り近くに遺跡がある所は何かある事が多いです。
砂利(玉だったかは忘れました)は確かによく出てきました。あれ出ると苦労す
るんです。すべて図に起こして記録しなければいけませんから。桶の底を繰り
ぬいたようなものに糸で5cm四方の桝目を作った道具をかぶせて図にするんです
が大変でした。写真で十分だと思うのですが。
写真といえば、ああいう記録写真は影が写ってはいけないので太陽が雲に隠れた
時にしか取れないのです。で、雲一つない快晴の時は・・・ぼーと何時間も雲が出
るのを待つ、という間抜けな事になります。
1回見事な石敷きの幅3m長さ10m高低差1mほどの、おそらく水を流してい
ただろう庭園の1部が見つかって、何局かTVがきた事もありました。あの時は感動
しましたね。
174 :
17=20:02/09/06 22:31
>>173 おお!F−Kさんスゴいですね。現場を見た人のコトバは説得力あるなあ。
>>172は自分でもオカルト系ネタだと思いながら投稿したのですが、
本当に砂利が出てくるんですねえ。2〜3mですか。なるほど。年月の堆積ですねえ。
大学時代に考古学専攻の教授が発掘のバイト募集してたんですが、
私は参加したことなくて現場の様子とか、苦労話、ルール、賃金など
まったくの素人なので、現場の様子や苦労が伝わってきて勉強になりました。
自分のカキコを読み直せば、たまに訂正したいトコがでてきます。そもそも、「一
般的」なんて言葉を使えるほど経験は無いですね。自分の知ってる範囲内ってコトで。
この話をすれば興味をそそるのはわかっていたのですが、板違い(考古学)と思って
控えていたのです。
>169
もしかしてネストリウス派(景教)が日本にはいってきていた説の事?確かにそう
考える人もいるが・・・。証拠はなんにもないし、トンデモの部類に入るぞ。
ではトンデモをさらに推し進めて、
逆に聖徳太子の話がキリスト教に伝わったとしたら面白そうだなと言ってみるテスト。
もろ出口王仁三郎や竹内文書の世界だが。
二人とも馬小屋で生まれたとっても偉い人という共通点がある。
シルクロード、特に海のシルクロードを甘くみてはならない。
時代は多少ずれるが平安京などは当時最高レベルの国際都市で
ゾロアスター教など様々な宗教や文化が集まっていた。
>>176 門外漢の私には「海のシルクロード」は耳慣れませんが、シルクロードに限らず
海は記録に残らない道として利用されてきたことは想像に難くないですね。
当時の文化は中国から日本へという流れが主流だったと思うけど、その逆?
聖徳太子の話が伝わったのなら、他の文物もあるのかな?
178 :
天之御名無主:02/09/09 13:39
>>177 信じたらあきまへんで。聖徳太子(7世紀)とキリスト(1世紀)じゃ時代が違いすぎますから。
まあ、聖書の成立年代は色々あるそうですが。
文化伝播を考えるのは楽しいですが、ロマンとトンデモは似て異なるモノですから。
まぁね、カキコした漏れ自身ほとんど信じてないからね。
基本的に自分の目や耳や触感で確認できることしか信じない主義だ。
それにしてもアレだな、トンデモといえば
西洋科学教の創生神話「ビッグバン理論」はどうよ?
牧師さんが「光あれと神様が言ったので
光りが生まれうんぬん」といえばトンデモだが
科学者が真面目に言い出すとほんとに聞こえるから
世の中おかしいと思うのだ。
ついでに言えば、ブラックホールをはじめ、科学仮説は
トンデモもはなはだしいものが多い。
とどのつまり、科学は一種の宗教なんじゃなかろうか?
180 :
天之御名無主:02/09/10 22:38
>>179 そうですね。ただ日本じゃそのあたりを気づいてない人(というか、考えてない人)が
多いですから(主流派ですし)。
西欧人にしたら、キリスト教が近代科学・思想の元ネタだってのは自明のことなんですが。
ちょと戻して、飛鳥旅行には近鉄のガイドマップが最適ですね。タダだし詳しい。
181 :
天之御名無主:02/09/11 15:22
>>167 >耳成山、三輪山など円錐形のきれいな山を「カンナビ」型の山というのは何
>故ですか?
カンナビは知らないけど日本のピラミッドって言うのは聞いたことがあります。
広島だったっけ「葦嶽山」(あしたけやま)なんか有名だね。
頂上には火を焚いた跡が発見されるそうだ。
耳成山なんかきれいな円錐形の山だし、頂上を掘れば燃えかすが出てくるんじゃないかな。
182 :
天之御名無主:02/09/11 23:59
亀岩
大阪方面に向けてみたい...
だれかやってくれんかなあ...ホントに●の海になるか
興味津々
183 :
天之御名無主:02/09/12 00:27
>>182 ダメです。
貴重な文化遺産が水没したり、数万の難民が出たらどーすんですか。
184 :
天之御名無主:02/09/13 01:23
ははは。遺跡にも終末論か・・・シュールだな。
ほっといても地球が泥の海になりつつあるのは確かだろうな。
温暖化による海面の上昇。ヨーロッパでの洪水。
破滅に向かって世界は今!?
185 :
天之御名無主:02/09/13 01:36
世界は今!?ってのがいいねー
わっくわくするねー
今日は大阪の「近つ飛鳥」へ行ってきました。
ここは奈良の「遠き(遠つ?)飛鳥」と違って、謎の石物などなく古墳が主でしたけどね。
その古墳も宮内庁の看板があって、近くまで踏み込めず遠くから遙拝するだけでつまらなかったッス。
聖徳太子墓は墓守としての叡福寺・西方寺などありました。
特に西方寺には、蘇我さんという住職さんが代々務めてきたそうです。
初代の尼さんは馬子の娘さんだったとか。
今日私らが本尊に参ったところ、案内のおじさんが出てきてくれて、寺にまつわる逸話など話してくれ
ました。難しい話が多くて詳しいことは判りませんでしたが、信長の焼き払いの話が印象的でした。
何でも当時は、この辺り一帯の寺が全て焼かれたそうで、時の西方寺の住職も本尊一体を担いで、弟子
と共に高野山へ逃げたそうな。そのとき斬りつけられた刀傷が本尊の左股に残っているそうで、それを
今日見せて頂きました。時の住職は凶刃を仏像が代わって受けてくれたと感謝したそうです。
今、西方寺では忙しくないときは、こういう案内もしてくれるそうです。是非御一拝してください。
187 :
天之御名無主:02/09/14 23:28
>>186 アソコは、「名前のイメージ先行」なんですよね。
長いこと楠木党の方が売りでしたから。
188 :
天之御名無主:02/09/15 17:02
斑鳩斑鳩蘇我入鹿
>>187 たしかに南河内の方は楠公の地元だね。
してまた源義家の墓もあったりして、もちろん仁徳稜・応神稜と歴史的舞台としては
かなり濃い土地でした。
大型古墳近辺は駐車場が無くて慌てました。でも大阪の人情の温かさというか「ちょ
っとの間なら庭に置いてき」という心使いもいただき、そういう濃さもありました。
あ〜あ、3日間の休暇もあっという間に終わってしまいました。
この夏といい、この連休といい、私的には充実した国内観光(@飛鳥)でした。
皆様のおかげを持ちまして飛鳥にもかなり詳しくなったと思います。
17=20さん、F-Kさんはじめ、山野さん、神武さん、エスパーさん、25さん、26さん、66さん
日本史さん、トンデモさん、その他名無しさん、皆様、カキコありがとう御座いました。
一応ここで、御礼を述べておきます。<(_ _)>
(知らぬ間にこのスレが落ちてしまうかも判らないので・・とりあえずですけど・・)
私的にはこれから談山神社の紅葉、阿騎野の「かぎろい」などなどこれからも飛鳥を訪ねよう
と思います。そしてもし、このスレが残っていたらカキコもしていこうと思います。もちろん
それ以外にもここはROMしたりカキコは続けるつもりですけどね。ではまた・・・(^^;)
190 :
天之御名無主:02/09/17 06:18
>188
たしかに蘇我入鹿の「そ」をぬいてシャッフルすると斑鳩
になるね。斑鳩の地名の由来誰か知りませんか?
191 :
天之御名無主:02/09/18 23:52
斑鳩か・・・
確か法隆寺近辺のことだと、漏れは思いこんでいるが・・・
法起寺、中宮寺など古い寺がたくさんあったように思う・・・
192 :
天之御名無主:02/09/20 17:46
今また北朝鮮との問題がクローズアップされてる。
今の拉致問題は痛切な切実感がある。
長い時代こうしたことが繰り返されてきたのか(鬱
193 :
天之御名無主:02/09/21 06:07
>>190 斑鳩(鵤・いかる)が群れをなしていたからだそうな。
藤ノ木古墳もここだーね。
あぼーん
195 :
天之御名無主:02/09/28 08:05
斑鳩(鵤・いかる)って何?
196 :
天之御名無主:02/09/28 09:24
三球
>>196 見ました。
かわいい鳥ですね。
自分もどこかで見たことがあるような気がしました。
飛鳥・斑鳩・白鳳・・
この時代は鳥に対する憧憬があったのでしょうか?
神社の鳥居は、鳥を居させるものなのでしょうか?
あぼーん
199 :
天之御名無主:02/09/30 22:04
>>197 参考になったのでしたら幸いです。
「白鳳」は650年に白雉献上を瑞祥としてつけられた年号「白雉」の美称だといわれ
ていますね。
とくに白い鳥は神寵を受けたものとされて、ヤマトタケルやアメノワカヒコ、ホムツ
ワケなどの説話にみられるように、鳥を霊魂(霊魂を運ぶ使者とも)とみなす信仰?
があったようですしね。
「渡り」のメカニズムが不分明だった時代ですから不思議だったのでは?
鳥居はインドのトラーナやボルネオとかストーンヘンジのトリリトンなどに類縁関係
を求める人もいるようですが、他にも諸説あるようです。
語源も諸説あって、「通り入る」の転訛とか、「門居(かどすえ)」の転化。
「鶏がとまり居る」というのも言及されてますね。
あと、詳しいかた、補足お願いします。長文スマソ
200 :
(三重県)四日市市立博物館:02/10/07 15:49
特別展 飛鳥・藤原京展
期 間 2002年 12月21日(土)〜2003年 3月9日(日)
内 容 富本銭が出土した飛鳥池遺跡や亀型石製品で知られる酒船石遺跡など、近年の飛鳥・藤原京にかかわる顕著な発掘成果を紹介します。
料 金 一般1000円、高校大学生700円、小中学生100円
--------------------------------------------------------------------------------
201 :
天之御名無主:02/10/08 01:46
酒船石の近くのクヌギはコクワガタがよく獲れるぞ。
スズメバチが沢山いるので気をつけろ。
健闘を祈る!!
202 :
天之御名無主:02/10/09 16:20
まだ居るの?そのクワガタは。
もっと早く、8月頃に言って欲しかったな。
子供も連れて見に行けたのに・・・
酒船石の近くに限らずクワガタ(こちらの方言ではゲンジと言います)だのカブトム
シはなんぼでもいます。甘樫丘周辺なんて夏の夜は懐中電灯とカゴと網もった親子がい
っぱい。
私の小さい頃は蛍もいたんですが、10年前くらいからいなくなりました。
204 :
天之御名無主:02/10/20 21:50
カブトムシ・クワガタムシ・・・来年の夏を楽しみにして待ちます。
「かぎろい」って、そろそろ見られるの?
205 :
天之御名無主:02/10/22 21:53
談山神社のモミジはまだか?
>>204 「かぎろい」は旧暦の11月くらいだからまだ早いよ。
(今で言えば12月の後半くらいか)
ついでいえば「かぎろい」の名所(人麻呂の歌の場所)は
明日香村ではなく大宇陀町。
詳細を知るなら「かぎろひの丘・万葉公園」でぐぐってみるべし。
今年は寒くなるのが早いような感じですね。
昨年の11月はもっと暖かかったですね。
>>206さんの「かぎろい」って早朝だし12月後半だしかなり寒そうッスね。
早起きは苦手なんですが、飛鳥に関心を持った今年、私もぜひ行ってみたいと思います。
208 :
天之御名無主:02/11/08 14:28
一言主さん
『かぎろい』は大宇陀町役場の観光課?だったかが詳しく教えてくれますyo
209 :
天之御名無主:02/11/16 14:37
談山神社の紅葉は今が見頃だ。
来週はもう無いぞ・・
210 :
天之御名無主:02/12/13 22:30
age
211 :
天之御名無主:02/12/19 08:33
2月の第一日曜に行けば鬼に追いかけられるぞ
212 :
コピペでごめん:02/12/22 09:11
>>204-208 ■《天声人語》 12月22日
足元から寒さが上ってくる。奈良県大宇陀(おおうだ)町の小高い丘の上、日の出前である。
〈ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ〉。万葉歌人の柿本人麻呂が
この有名な歌を詠んだ場所と季節にちなんで毎年行われている「かぎろひを観る会」の会場だ。
「かぎろひ」とは何か。諸説あるが、大宇陀町観光協会は「厳冬のよく晴れた日の、日の出1時間
ほど前に現れる最初の陽光」と解釈している。深紅の光が山々のシルエットを浮き立たせ、振り
返れば月が落ちかかる。人麻呂が雄渾(ゆうこん)に描いた光景に身を置き、1300年前に思いを
はせようというわけだ。
太陽と月の位置や角度など、天文学の考察から旧暦の11月17日午前6時ごろと推定されている。
旧暦だから毎年日が変わる。今年は12月20日だった。前日の雨が出足をそいだのか千人足らずと
例年を下回ったが、東京、千葉、静岡などからの参加もあり、万葉ファンのすそ野の広さをしのばせた。
午前4時すぎからコンサートや朝市が開かれ、芋汁や特産の葛湯(くずゆ)が振る舞われた。写真
愛好家は三脚を並べて「そのとき」を待つ。しかし肝心の天体ショーは雲にさえぎられて見られなかった。
「かぎろひ」出現の確率は低い。町がこの行事を始めた72年以来、きれいに見えたのはたった1度。
まずまずを加えても3度程度という。
〈三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなむ隠さふべしや〉。こちらも有名な万葉歌人
額田王の歌が浮かんだ。「かぎろひ」で町おこしを、と懸命な地元に天気は味方しないものか。
あぼーん
あぼーん
面白い! 長い!
読むの疲れた!
でも、面白い!
216 :
名無しさん:03/01/05 22:18
確かインドにもAskaという地名があるんだよな。
Naraを単語の中に持つ地名も多いらしい。
ヒンドゥー教では宗教成立以前の歴史は認めないから,
インドではろくに研究されていないらしいが。
217 :
天之御名無主:03/01/06 12:44
昔、五島勉が本に書いてたな>インドや世界中にあるアスカ
地上絵で有名なナスカとか
いっぱいあって面白かったがトンデモ本なのは否めない。
218 :
天之御名無主:03/01/06 21:31
アスカ、アラスカ、ナスカ、アステカって、よく似てない?全部環太平洋だしさー。5段活用みたい。。。
(^^)
(^^)
この板まだあったのか(感激
トンデモ説も書き込んでくれて長々と続いていいですね。
>>218 へえ、いろいろあるのですね。他にもありまスカ?
あぼーん
あぼーん
225 :
天之御名無主:03/04/09 22:51
>>218 ナスカの地上絵とアスカの酒船石の模様って似てない?
アスカもナラも朝鮮に起源をもつ言葉だから、日本中にけっこうあるのでは。
百済(クダラ)=クンナラ(わが国) ナラ(国)=奈良
って感じだったと思う。
アスカは、奈良の明日香村(大字、飛鳥を含む)と大阪の近つ飛鳥のほか、和歌山・熊野の海岸に徐福伝説の残る飛鳥神社があったと思う。
>>225 そうゆう目で見たことはなかったな。見直してみよう。
227 :
天之御名無主:03/04/11 14:57
かなりミステリアスになってきた感じ。
あぼーん
229 :
天之御名無主:03/04/12 22:39
>>226 >アスカもナラも朝鮮に起源をもつ言葉だから、
それトンデモ
230 :
天之御名無主:03/04/13 16:00
トンデモって荒唐無稽の妄想ってことかな
そうだとすると日本古代の単語が朝鮮語ってのは根拠があることだからトンデモっていうわけではないと思うが。
昔の隠された真実・・トンデモ風に言うと「封印された真実」ってことになると思うが、そういうものが仮にあっ
たとしてですね、今の僕らがそれを知って、なんか得することがあるのならいいが、単に「へえ、そうなんだ」な
んて感心するだけなら、トンデモなんて馬鹿げているね。
で、なんか得する事実って飛鳥にありそう?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
235 :
天之御名無主:03/04/13 21:03
>そうだとすると日本古代の単語が朝鮮語ってのは根拠があること
へー、詳しく聞かせてほしいな
あぼーん
煽るな。泥沼に落ちるぞ。
古代日本語と古い朝鮮語・満州語・アイヌ語及び南島祖語の関係は
言語学の基本をおさえていないやつと幾ら話してもらちがあかん。
交流があったんだから同じ語彙があるのは当たり前。
同じ語彙がある→同じ言語だった→同じ民族だった
こういう飛躍はよくないと思う。もっとまじめに語らないか。
238 :
天之御名無主:03/04/14 01:47
飛鳥を歴史的にも地理的にも共有する我々日本人がね、飛鳥に関する「何かの事実」を知ってね、人生とか生活が潤うとか考え方や視野が広がるとかね、
そういうことが知りたいんだよね。
日本の古語が、かなり朝鮮半島の言葉の影響下にあるのは中学生でも知ってるんじゃないの?
もっと真面目に語らないか。
239 :
天之御名無主:03/04/14 02:27
飛ぶ鳥(飛鳥)
斑の鳩(斑鳩)
シンボル。
あぼーん
241 :
天之御名無主:03/04/14 12:38
『呪の思想』 白川静・梅原猛対談 読んでみて下さい。中国古代の漢字を軸とした
面白い対談集になっています
242 :
天之御名無主:03/04/14 16:13
アショーカ、あしょーか。
243 :
天之御名無主:03/04/14 20:53
>>241 おもしろそうだが、しばらく時間がかかりそうだ。
どう面白いのか、簡単に言うてくれるとありがたい。
244 :
天之御名無主:03/04/14 21:40
>>238 >日本の古語が、かなり朝鮮半島の言葉の影響下にあるのは中学生でも知ってるんじゃないの?
へー、そうなんだ
影響下にある言葉ってほかにどんなのがあるの?
あぼーん
246 :
天之御名無主:03/04/15 00:39
あぼーん
248 :
天之御名無主:03/04/15 01:03
大和朝廷の生まれた明日香って神秘的だよね
249 :
天之御名無主:03/04/15 04:57
半月城ってネタですか?
250 :
天之御名無主:03/04/16 14:39
>>248 >大和朝廷の生まれた明日香
その源流は北九州のように思われ。
北九州には「やまと」地名が残るが、「あすか」って地名は残っているのかなあ?
(^^)
252 :
天之御名無主:03/04/18 08:18
飛鳥は全国にあります・・詳しくは知らん、っていうか、
今の奈良の方言って、当時の名残はあるの?
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は名古屋弁・三河弁でやりあってたのかな?
清水なんとか、っていう(義範?)人の本に
名古屋弁の秀吉が出てきますね。
スレ違いsage
254 :
天之御名無主:03/04/19 22:36
>>252 いっしの変では、中大兄皇子が「われいんでまえ」と言って入鹿に斬りかかり、入鹿は「いたいやんか。やめてーな」と言って逃げた。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
256 :
天之御名無主:03/04/21 12:20
>>250 飛鳥というのは当て字で、あ、すかと分かれ、意味としては川の土砂
が溜まってできた土地(三角州のような地域)をすべて指すようです。
そのため奈良以外にも「あすか」という地名が残っているのです。
「あすか」は権力者のみがあつかう特別な地名ではないと思われます。
そのとおり。すか、は砂礫地質を指す。
大須賀、横須賀、も同じです。
あ、は冠頭語らしいっす。
258 :
天之御名無主:03/04/22 08:37
>>257 >すか、は砂礫地質を指す。
>大須賀、横須賀、も同じです。
そうですか。
三重県にも須賀っていう地名があるが、そうなのかもね。
白須賀っていう地名もあるし、白塚っていうところも砂礫地帯なんだけど、スカがなまって塚になったのかな?
259 :
天之御名無主:03/04/22 11:57
>>258 >白塚っていうところも砂礫地帯
これは地元の資料館のようなところで聞いた方が早いんじゃないかな。
260 :
考える名無しさん:03/04/22 14:29
>>250 >北九州には「やまと」地名が残るが
どこか教えて
あぼーん
あぼーん
263 :
天之御名無主:03/04/23 08:25
この板、「民族・神話学」のコーナーそのものが人が少ない。
>>260 山と川、山と海・・?
264 :
250じゃないけど:03/04/23 09:32
福岡県 山門(やまと)郡の大和町(やまとまち)や、佐賀県 佐賀郡の大和町(やまとちょう)かな?
それから、大分県の耶馬渓(やばけい)あたりもそう? 大分なら宇佐神宮もあるし。
265 :
天之御名無主:03/04/23 14:24
佐賀県の大和町なら1部で有名だな
267 :
天之御名無主:03/04/24 20:37
やっぱヤマト東遷だね。
268 :
天之御名無主:03/04/24 21:19
ところで
>>263って誤爆なのか?
イマイチ意味がわからん
あぼーん
270 :
天之御名無主:03/04/26 12:34
山と川、山と海・・「やまと」は日本中にあるな。
あぼーん
272 :
天之御名無主:03/05/01 11:15
飛鳥は不思議だ。
なぜ?、あんな辺鄙なイナカが首都だったんだろう?
あぼーん
274 :
天之御名無主:03/05/01 12:59
>>272 たまたま、大和王朝のまとめ役が住んでいただけだし、
現在の首都や平安京と同じようにとらえない方がいいんじゃないかな。
275 :
天之御名無主:03/05/01 22:23
>>272、
>>274 >あんな辺鄙なイナカが首都だったんだろう?
>たまたま、大和王朝のまとめ役が住んでいただけだし・・
あまり飛鳥に詳しくはない門外漢ですが、私見的に思いまするには・・
たまたま、というよりは、やはりいわくアリとして・・・
やっぱ、山中のへんぴな所は、防御上の理由が考えられるが・・・
なんか、大津京のように、半島の脅威を感じていたのでは無かろうかと・・・
反論も含めて、誰かレス付けてーな。
277 :
天之御名無主:03/05/02 11:28
飛鳥時代の政争、たとえば蘇我vs中大兄の対立なども大陸の政争の延長に考える向きもあるように、やはり飛鳥はのどかな平安の都ではなかったんでしょうな。
278 :
中大兄皇子:03/05/05 17:40
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 入鹿さん、迷わず成仏してくださいまし
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
279 :
天之御名無主:03/05/06 00:03
聖徳太子の母親、太子本人、太子の第3婦人が3ヶ月内で連続して亡くなっている。
偶然なんでしょうかねぇ?
あぼーん
あぼーん
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 聖徳太子の母親、太子本人、太子の第3婦人
迷わず成仏してくださいまし
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
あぼーん
>>275 奈良盆地の北のほうは、飛鳥時代の直前まで湖−湿地帯だったそうです。
当時の技術でも「制御」できる河川や、山すその谷地の方が水田として開発しやすかった−人口密集地になったのだと思います。
285 :
天之御名無主:03/05/06 21:56
>>284 『当時の技術でも「制御」できる河川や、山すその谷地の方が水田として開発しやすかった』
大河は制御しにくい。比べて、飛鳥川なんて小川だしね。
また、土地に傾斜が多少はあった方が、水田に水を入れたり、刈り取りには排水がしやすかったり
そういう意味では、大きな平野よりは「山すその谷地」のほうが灌漑に便利だね。
286 :
飛鳥より以前、河内王朝:03/05/08 08:16
は、大きな平野、大きな河川を管理・灌漑できてたんではないの?
>>286 いえいえ。
当時の大和川は北行してましたから。
泉北・南河内の丘陵部での谷地を水田に利用していたようです(ほとんど住宅地になってますが)。
288 :
天之御名無主:03/05/10 21:17
ぬぁるほど
>>287 >泉北・南河内の丘陵部での谷地を水田に利用していたようです
南海線の泉北高速線沿線って、その「泉北」と同じですか?
その泉北高速線から仁徳陵とか大きな古墳に近かったような記憶があります。
ああいう大きな古墳の外堀なんか、灌漑と関係ありそうな気がするけど、どう思われますか?
個人的な思い出ですが、数年前、知人を訪ねて泉北高速線の電車に乗って深井って駅で降りたときのこと、
やっぱ坂とか丘陵とか多かったね。
そして堺市って、ほんとうに人や家が多かったと思います。
古い歴史のある地方なんだね。
ええっとですね…「泉北」は旧和泉の国(大阪府南部・泉州)の北部地域のことで、堺市はほとんどそれにあたります(河内・摂津の部分もありますが)。
近隣の和泉市の池上曽根遺跡から、は巨大建築や井戸が出土・再現されています。
古墳の周濠…たしかに土木工事ではありますが、灌漑工事に応用できていたかどうかは微妙だと思います。
なぜかというと、単純に「掘ればいい」というものではないですから…大阪の大川(旧淀川)なんかも、「古代の工事」とされてはいますが。
それに後世(奈良時代)、見栄えをよくするため、河内・大和の街道沿いの古墳の一部には改修工事をしたそうですし。
さらに後(室町〜江戸時代)には、古墳の堀は用水路やため池・田んぼとして「利用」されたため、原型をとどめなくなってますし。
堺市は、中世の貿易拠点、近世・近代の大阪市衛星都市として発展しました。
あぼーん
あぼーん
292 :
天之御名無主:03/05/14 21:49
「かわち」ってガラ悪いというウワサだが・・・・・・
あぼーん
294 :
天之御名無主:03/05/22 22:07
>>289 >堺市は、中世の貿易拠点、近世・近代の大阪市衛星都市として発展しました。
かわち≒堺市 ってか?
京都から見れば、大阪も東京もガラ悪いどすえ。
>>292 南河内とかですか…まあ、よく聞きますが、歴史はありますよ。南朝遺跡とかも残ってますし。
>>294 >>289は「堺市」の説明です。…元々、「摂津・和泉の境」が町の語源ですし。
百舌古墳群は「和泉国」にあたりますが、「河内王朝」と関連しているとされています(うろ覚えですが)。
また、和泉国は河内国から「分国」されたものですし。
…荒れかねないので「ガラ」のことは話題にしたくないですが、
堺市民曰く「漏れたちは泉州では別。南に逝けば逝くほどガラが悪い」そうですが。
296 :
天之御名無主:03/05/25 09:13
>>295 そうだったのか・・
「堺市民曰く『漏れたちは泉州では別。南に逝けば逝くほどガラが悪い』」。
堺もそうとうだが・・
今後、飛鳥研究上、河内のガラの悪さは関係つけて考えるのはやめた方がいいのか・・
297 :
天之御名無主:03/05/27 21:41
///////// _____ ∧_∧ ニヤニヤ
/∧∧ ∧∧ / (・∀・ )
. /(o-* (-o-*) ( )
/´⌒⌒⌒`ヽ/ ヽ 人
/ / (_) 'J
/ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
299 :
天之御名無主:03/05/31 22:28
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 山崎 死ねえええぇぇぇ
\
 ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ´∀`)
G( こつ
(_,\ \∧∧
(___)`Д゚)・;'
⊂ つ
ノ ノ ノ
(_ノ、_ノ山崎渉
>>296 まぁ、「ガラが悪い」といっても、「言葉遣い」の問題だけなんですけどね。
あぼーん
確かにガラが悪いのは認めるが、京都人は性格が悪いだろ?
303 :
天之御名無主:03/06/03 19:57
東北人は性格はいいが、頭が悪い。
あぼーん
305 :
天之御名無主:03/06/04 21:53
明日香村の人たちは阪神タイガースを応援しているのだろうか?
>>305 なんでそんなことを聞く?
おそらく阪神応援していると思うが、巨人ファンもちょっとくらい、いるかも
あぼーん
308 :
天之御名無主:03/06/05 21:46
明日香村の人たちは、自分は天皇の御落胤と思っているのだろうか?
>>308 古い氏族との血縁をしめす系図を持ってる人はいるけど、
系図持ってない人がヘンに威張ったりすることはない。
・・・・と思う。
俺は先祖が明日香だが、今は隣りの町に住んでいるので詳しくは知らん。
310 :
天之御名無主:03/06/06 21:33
奈良or平安時代だったか、日本の地名は漢字2字で示されることとなったと思うが、
「明日香」って、なぜ3字なのか(?_?)
311 :
天之御名無主:03/06/06 22:31
>310
まあ、「飛鳥」というのもあるけど。
漢字2字で表記すべしという規定は国名だけだったんじゃないの?
「木」→「紀伊」、「越」→「高志」etc
あぼーん
313 :
天之御名無主:03/06/10 20:09
そうか『漢字2字で表記すべしという規定は国名だけ』だったのか。
そういえば国名は2字ばかりだね。
でもなんで2字なんだろう(?_?)
中国では1字の国名ばかりのように思うが・・
あぼーん
あぼーん
316 :
天之御名無主:03/06/12 18:22
「明日香」及び「飛鳥」の表記はそれぞれいつ頃から見られるのだろう?
317 :
天之御名無主:03/06/12 18:40
とりあえず日本書紀で「明日香」に出会ったことはないと思うが
とりあえず万葉集で「明日香」に出会ったことがあります。
319 :
天之御名無主:03/06/12 19:59
万葉仮名で「あ」「す」を「明」「日」という表記はないだろう
地名として「明日香」はあるだろうけど
だから奈良時代以前、どう表記されていたのだろう?
[ 明日香と飛鳥 ]
「あすか」という地名の由来は、よくわかっていません。地形を示す「すか」に
接頭語の「あ」が付いたという説や、朝鮮語で安住の地を意味する「アンスク」
が訛ったものだという説などさまざまです。
日本書紀では「飛鳥」、万葉集では「明日香」の表記が多く使われています。
現在の「明日香村」は、万葉集・巻1−78「飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去な
ば君があたりは見えずかもあらむ」の歌からつけられたものです。
ttp://www.asukanet.gr.jp/asuka-daisuki/cont05_04.htm
321 :
天之御名無主:03/06/13 12:49
>日本書紀では「飛鳥」、万葉集では「明日香」の表記が多く使われています。
「多く使われてる」んですか?
少しは違う漢字も使ってるんですか?
あぼーん
324 :
天之御名無主:03/06/13 18:10
>>323 いや、ご親切はありがたいが、
「書記で明日香を見かけた例」
が欲しい。
あぼーん
326 :
天之御名無主:03/06/14 08:38
>>323 万葉集を原文で見たことはないが「不思鴨」→「思ほえぬかも」、には少々驚いた。
不思の部分は漢文的だね。漏れは万葉がなで、日本語の語順で書かれているものだと思って痛。
古事記に「あすか」は出てくるのですか?
327 :
天之御名無主:03/06/14 10:33
そういう部分が多いんだけど、中には判じ物のような書き方が
されている巻もあるのれす。
だから読み下しについては、いろんな説がありまふ。
古事記では履中記のところで河内地方を近(ちかつ)飛鳥(あすか)、
明日香の方を遠(とおつ)飛鳥(あすか)という話など各所にあるべさ。
あぼーん
329 :
考える名無しさん:03/06/14 16:34
>>日本語の語順で書かれているものだと思って痛。
万葉仮名発見
330 :
天之御名無主:03/06/14 16:44
あ
331 :
天之御名無主:03/06/15 09:01
古事記は「飛鳥」という表記だったのか。
漢文調の表記は確か江戸時代の手紙にもあったような。
「候わず」ってのも「不候」なんてのが、文尾にだけあって変な感じだったが
あぼーん
333 :
天之御名無主:03/06/17 18:06
なぜ皆さんは飛鳥・明日香に惹かれるのですか?
飛鳥・明日香からは、何を感じとっているのですか?
335 :
天之御名無主:03/06/18 03:10
>>333 明日香の隣町に生まれついてしまったので、日常的なものとして把握してる。
正直、憧れとか興味とか、大してないです(w
奈良に住んでる以上、少しは古代を語れないとマズイかと思って
義務的に勉強してる部分もあったりする
私はなぜか飛鳥に惹かれるのです。
その理由が自分でもわかりません。
今の飛鳥のたたずまい、不確かな歴史、史跡、多数の古墳、
どれもみな魅力的です。
図書館でヒマ潰しているときも、気がつけば飛鳥を調べてた。
ひょっとしたら私は聖徳太子の生まれ変わりかもしれない。んなことはないか。
337 :
天之御名無主:03/06/18 16:14
学力アップのため小中高大学に落第制を導入しよう
あぼーん
339 :
天之御名無主:03/06/21 09:26
明日香に惹かれますか・・・
それは貴方の中にチョセンが混じっているのではないでしょうか?
明日香にはチョセンの香りがプンプンする。
渡来人の多くは半島だし、高松塚の壁画も半島風の人物画だしね。
現在の地図を見ても、近所にはグルソ山とかソンミ村だとか、これってチョセン語じゃないのか。
あぼーん
341 :
天之御名無主:03/06/23 19:55
>>339 >ソンミ村?
曽爾(そに)村じゃないのか?
ちなみに漏れは三重県だが、一重瞼、のっぺり顔、おもいっきり半島系の顔だ。
342 :
天之御名無主:03/06/23 20:35
あ
>>333 かつて、亀石に萌えたから…だったり(笑)。
344 :
天之御名無主:03/06/23 22:38
飛鳥京・飛鳥寺などの発掘品には、考古学と歴史学の結びつく接点が見
出せて面白いな。神話や伝承も信憑性が高いことが証明されたりする。
歴史ロマンの宝庫だね。斑鳩もいい。
345 :
天之御名無主:03/06/23 23:07
レス読ませて頂きました。
全て読んでいると、織田信長の時代を思い出してしまいました。
それまで無かった南蛮文化を取り入れて、一種独特の文化が生まれましたよね。
それらの内、受け入れられた物は後の時代に溶け込んで残っていきました。
あんな感じに、当時の中国の最新モード(?)を取り入れ、あるものは溶け込んで違和感が無くなり、
受け入れられずに放置された物が、独特の遺物として残ったのでしょうかね。
もし安土城の天守閣や模型が、文献を残さずに残っていたら、同じ様な扱いだったのかなと思いました。
346 :
天之御名無主:03/06/23 23:48
>>339 >近所にはグルソ山とかソンミ村だとか、これってチョセン語じゃないのか。
グルソ山 ってなんですか?
ソンミは
>>341が指摘してるけど、
朝鮮の発音で「曽爾」をソンミと呼ぶんですか?
あぼーん
348 :
天之御名無主:03/06/24 00:33
>グルソ山とかソンミ村だとか、これってチョセン語じゃないのか
これはマジレスですが、韓国の『自称』歴史学者が好きな「日本=朝鮮民族でよく言われる
「日本の地名は韓国語でいっぱい」説なんですが、実は微妙なんです。
日本には帰化人(歴史ですからこう呼びます)が大量に来ていますし、大きな氏族もあったでしょう。
百済や新羅の地名を模した地名があることは、恐らく間違い無いと思われます。
ただ『詩経』を持つ中国語の例でも分りますが、時代によって発音と言うのは、恐ろしいほど変わっています。
その事を考えると、聞きなれない音の地名をそのまま外来語と決めるのは、結構厳しいのです。
良い例が北海道のアイヌ語。エミシの言葉と同系統とも考えられていますが、古代の日本語が、アイヌ語に近い可能性も有る訳なのです。
それと同じく、現在の韓国語が、当時の韓国語と同じ発音のままかと問われると、何とも言えないのです(近い形ではあるのでしょうが・・・)
何分、日本も韓国も発音の文献どころか、資料も少ない(中国が異常)ので、謎としては面白いですが、知りたい人間には歯がゆいですね。
349 :
天之御名無主:03/06/24 00:50
この考え方は、地名が長い時間変化しない可能性から来ています。平安時代の地名など、現在でも使われていますよね。
1000年程度は平気で使われているんです。そして縄文時代に使われていた地名が受け継がれていても、否定が出来ないのです。
田舎に街を作るとします。現地には少数ですが住民がいます。そして工事のさい、場所を指すのに「あそこ」とは言わないと思うのです。
工事関係者は、現地の住民が使っている地名を便宜上使う事でしょう。その地名がそのまま定着してしまう事は、十分に考えられると思われます。
街を作る場合は、平地で、水の確保が容易い所が選ばれます。祖のような良い場所には、当然の如く住人がいたでしょう。
あぼーん
351 :
天之御名無主:03/06/25 18:56
>>346 グルソ山、地図にあった。
吉野の北東方向、三重県境の山。倶留尊山。「グルソ山」って読むのかな。
曽爾村にあるし。
>明日香の隣町に住む
>>335さん
読み方はこれで良いのですか?
曽爾 →「ソニ」
倶留尊山→「グルソヤマ」
あぼーん
353 :
天之御名無剣主:03/06/25 20:13
354 :
天之御名無主:03/06/25 21:55
>>353 HPみたよ。いい所だねえ「くろそヤマ」。
355 :
天之御名無主:03/06/26 11:15
このスレはROMしてるだけで、知識増えますね。
どんどん続けてください。
で、倶留尊山っていわくありげな名前ですが、何かあるのですか?
たとえば、阿騎野って禁足地になってるところがあるとか聞きましたけど、天皇家にかかわる「何か」が飛鳥東方の山の中にはあるのでしょうか?
あぼーん
357 :
天之御名無主:03/06/29 17:24
この土日の休日をゴロゴロと無駄に過ごしてしまった。
明日香が政治舞台であった頃は、こんなグータラは居なかっただろうな。
明日からまた仕事であくせくと味気ない日が過ぎていくだろうが、この点は、今の自分も明日香も同じだろうな。
ああ、もっとのんびりしたいよ。
358 :
天之御名無主:03/06/29 21:42
今日明日香に行ってきたage
あぼーん
360 :
考える名無しさん:03/07/01 01:11
>>357 「ゴロゴロしてしまった」と言いながら「のんびりしたい」とはどういうこと
ゴロゴロとのんびりって違うものなの?
361 :
天之御名無主:03/07/02 01:14
209 名前:名無しかましてよかですか? :03/07/02 01:09 ID:kAEPogmg
目が一重で鼻が低いのが朝鮮民族
目がツリ目でシワが多いのが漢民族
目が二重で丸鼻なのが縄文民族
目が二重だが目と目の間が少しばかり離れているのが台湾民族(小琉球民族)
目が一重であり肌が白いのが北満州民族(女真族)
目が二重であり肌が黒いのが沖縄民族(琉球民族)
210 名前:名無しかましてよかですか? :03/07/02 01:12 ID:kAEPogmg
目が一重であり美人系の顔立ちをしているのが半朝鮮民族
目が二重であるが鼻が低いのが広東民族
目が一重であり肌が黒いのが雲南民族
目が二重であり肌が白いのがアイヌ民族(縄文系)
目が一重であり目と目がよっているのが弥生系(朝鮮系倭人)
、-〜ーーー〜、
ノ 二、_、_ゝ,/,ヘ
) 彳 __ __| |
ノ .イ6| 一 〈 ‐|,ゝ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゝ、 ,ゝ ゝl< アスカラングレーはドイツ人と在日のハーフだったのか、、失望した!
ヒ.i,| \ 「 ‐一| \________
, -/\ \___|
\ \ |\
>>360 土日だけでなく、1週間ずっと、ゴロゴロのんびりしたいんです。
みなさんは、どう?
364 :
考える名無しさん:03/07/02 09:50
アクセク働いてるのに、親からは、のんびりゴロゴロしているように思われて困ってます。
あんまり金にならない自宅SOHOなもので。
あぼーん
366 :
天之御名無主:03/07/02 15:57
>>361 俺はこれ
>目が一重で鼻が低いのが朝鮮民族
>目が一重であり肌が黒いのが雲南民族
>目が一重であり目と目がよっているのが弥生系(朝鮮系倭人)
みなさんは、どう?
私敵には、沖縄系の堀が深く、目のくりっとした美人が好き
あぼーん
あぼーん
369 :
天之御名無主:03/07/07 22:23
age
370 :
天之御名無主:03/07/07 23:06
>>333 激しく亀レスだが、個人的にはやっぱ「日本」ができた土地
だからかな。単なる連合体、日出処の国、日本ってめまぐるしく
カタチができていく様はおもしろい。
日本くらいじゃない。皇帝のような大司祭のような人が現在もいて
(多少いちゃもんつける人はあるにせよ)それをさかのぼると
国のカタチができるところまで、さかのぼって考察できるって
ある意味幸せな国民だと正直思います。
371 :
天之御名無主:03/07/07 23:30
飛鳥だけじゃなくてチャゲの不思議も教えれ
372 :
天之御名無主:03/07/08 00:00
どうでもいいけど削除依頼でどんな風にアドレス打ってもはじき返される
むかつくーーーーーー!!!!!
あぼーん
>>366 板違いなんで、軽く。
目がツリ目でシワが多いのが漢民族
目が二重で丸鼻なのが縄文民族
目が二重だが目と目の間が少しばかり離れているのが台湾民族(小琉球民族)
目が二重であり肌が黒いのが沖縄民族(琉球民族)
目が二重であり肌が白いのがアイヌ民族(縄文系)
少しずつあてはまる。なぁ・・。
二重でちょっとつり目だけど大きいほう。ハナれているかどうかは美容関係者
にお任せ。普通だと思う。
鼻は低くはないけど丸鼻じゃないし、鷲でもないし、上がってもないし
普通かな・・。でも、そんなにシャープじゃないし。
肌は差が激しい、気候によって結構変化が激しい。でも、体毛濃いし。
まぁでも、ハワイの人ぽいと言われたから、南方系が強いんだろうな。
先祖は上杉家の家臣と織田家の家臣だが・・・。
375 :
天之御名無主:03/07/08 20:20
>>372 めざわりなリンクレスが度々ついていた。
それを削除依頼出してして「あぼーん」してくれたのは、あなたですか。
アリガトサン
376 :
天之御名無主:03/07/09 13:25
半島系の顔立ちにも美人はいるが、南方系の二重の美人がいいな。
おれのカカアは色は黒いが、一重の・・で、体はデブだ(鬱
377 :
天之御名無主:03/07/10 11:03
奈良にはウマイラーメン屋が多いな。
彩華(サイカ)とか、
方角は飛鳥とは反対だが、北のほうに「無鉄砲」とか、飛鳥見物の帰りに寄ります。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
379 :
天之御名無主:03/07/13 08:49
にゅーめんウマイ age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
381 :
天之御名無主:03/07/15 22:30
保守
382 :
考える名無しさん:03/07/16 20:18
age
383 :
天之御名無主:03/07/16 20:19
みなさん、おヒサです。
ちょこちょこ名無しで書き込んだりしてましたが、それにしても、このスレが1年も持つなんてね、意外でした。
このたび私、1言主は熊野へ行こうかなあと思ったりしています。
熊野にも「飛鳥」なる地名が多く残っているし、なにか関連があるのかなあと、ぼんやり考え、現地を訪ねてみたくなりました。
また、神武東征の折の上陸地でもありますし(ここに上陸して、奈良で即位した)、してまた中国の方士「徐福」がたどり着いた土地でもあります。
徐福は、一説には「5000人」の団体で来たそうです。
私には神武と徐福が重なって見えたりしてます。
怪しげな雑誌「ムー」だったと思うのですが、徐福はユダヤ語発音で「ヨセフ」となるらしく、キリスト教との関連も疑われるということでした。
また、徐福は秦の始皇帝の命を受けてきたそうで、徐福が日本に土着して「秦(はた)氏」を名乗り、後の服部、羽田氏の祖にも当たるそうな。
熊野の花の岩屋神社は日本最古の神社だそうで、やはり何か日本の歴史の始原にかかわりがあるのかなあ?
この程度のあやふやな予備知識をもとに出かける私に、みなさん、またご助言、からかい等ください。
「一言主と名乗るわりに…… 口数が多いじゃねえか」 (とある漫画より)
386 :
天之御名無主:03/07/20 19:25
熊野、昔から何かのスポットらしいね。
ガバーテ行ってきてください。
ちなみにK・Mは古代の神のコードだからね。
神>Kami
きみ=王>kimi
かね(金属)、弥生時代の象徴
かめ(亀、甕)、亀は占い、甕は弥生土器(かなり大きな土器が焼けた)
こま(駒=馬)、馬も神としてあがめることがある。
こめ(米)、やはり神の供え物、神そのものとして扱う所もある。
ほかにもこんな例は多いけど、つまり弥生になってできたもの、入って来たもので特徴的なものがKMで表現されてるみたいだね。
飛鳥で言えば、久米(くめ)の仙人の伝説があるね。
熊野(kuma野)ってことで、何かあるかもしてないと言ってみるテスト。
かま きま くま けま こま
かみ きみ くみ けみ こみ
かむ きむ くむ けむ こむ
かめ きめ くめ けめ こめ
かも きも くも けも こも
かま──釜 鎌 窯 竈・・・
こま──駒 狛 高麗・・・
かみ──神 守 ~ 髪 皇・・・
きみ──公 君 仁 皇 王 乾・・・
くみ──組 酌み 汲み 與・・・
けみ──閲・・・
こみ──混み 巨海・・・
かむ──噛む 咀 嚼 咬・・・
きむ──金・・・
くむ──組む 汲む 酌む・・・
けむ──煙・・・
こむ──込む 混む 小向・・・
かめ──亀 甕 瓶 科目 鹿目・・・
くめ──久米・・・
こめ──米 篭め・・・
かも──加茂 鴨 賀茂 甲賀・・・
きも──肝 宮・・・
くも──蜘蛛 雲・・・
こも──籠 菰 篭・・・
抜けてました
くま──熊・・・
この板は人が多いとは思えないが、全国版ということもあってか、聞けばかならず意味深いレスをいただけてうれしいっす。
KMを子音に持つ語ですね。
そういえば神事等に関わりが多いような気がします。
きみ=王、ですが、朝鮮語では「金」さん(キムさん)が、王を表すとか・・
きみ=キム=王
KMは朝鮮語との関連がありそうですか?
>>385 >「一言主と名乗るわりに…… 口数が多いじゃねえか」
口数が多いのはすんましぇん<(_ _)>
わたしゃ、このスレを去年立てた者でして、つまりレスの1番目が私でして、ちょっと洒落てみて、明日香に縁がある一言主をもじって名乗ってみたんです。
あれ? キムって中国語でしょ?新羅の金春秋は、朝貢して中国名に変えたからキムになったはず。
391 :
トンでも?:03/07/22 23:32
昔読んだ本に秦氏=ユダヤ人とかってのがありました。
「太秦は秦氏が作った都市で、『ウズマサ』はヘブライ語で○○の意味になる」とか、
「古墳が流行りだしたのは、建築技術に優れた秦氏が入ってからで、
前方後円古墳は古代ヘブライの『○○の壺』を形どったもの」とか
書いてました。
これってトンデモです?
騎馬民族説
393 :
天之御名無主:03/07/23 08:07
トンデモはおもしろい。
歴史もトンデモ風だったら受験勉強も楽しかっただろうに・・
>>391 日本が経済発展しなかったら、日本の起源は半島やらユダヤやら
言われなかったんだろうなと思う。
急に金持ちになって親戚が増えるような感じなのかな・・
>>389 :1言主 さま
>口数が多いのはすんましぇん<(_ _)>
お気になさりませぬよう・・・ ちょっと、洒落てみただけですから。
熊野詣が実りあるものでありますよう、お祈りいたします。
396 :
トンデモ?:03/07/26 01:38
>> 394
なるほど!
なぜだか妙に納得。
397 :
天之御名無主 :03/07/26 04:34
日本もちっとは世界的に有名になったってことか
今朝のニュースでSONYがブランド高感度NO1とかいう記事があったが
>>390 >あれ? キムって中国語でしょ?
んー、中国語だったんだ。そーでしたか。
それにしても、KM説の
>>386さんの話はおもしろかったんですけどね。
もっとも、金=君主説は私の素人考えで、あさはかでした。
それ以外のKMの話しを自分的には、こんな風に考えてみますた。
↓
弥生か古墳時代頃、半島からの技術・文化・物がどんどん伝わってきた。
日本人たちは、それを「一緒くた」にして「K・M」って呼んだ。
金属→「かね」、米→「こめ」、神→「かみ」、紙→「かみ」、土器(瓶)→「かめ」
弥生時代の特徴は「稲作」「金属器」の2つだったと遠い昔の受験勉強でやった記憶がありまして、
それに農耕の宗教としての神道のグッズ「神」「紙」「器(瓶)」、そして農耕するには人々は集団
にならなければならず「組」→「くみ・KM」をくんだ、つまり弥生〜古墳時代の特徴的な文物をそう
言ったんじゃないかなあ?
明治頃にもアメリカから伝わった物を総じて「メリケン(物)」と言った風習が一時期あったそうな。
小麦粉を「メリケン粉」、布を「メリケン」、喧嘩用のグッズを「メリケンサック」等々。
こういう文明開化調の造語が、同じような仕組みで古代にも作られたんじゃなかったのかなあ。なんて
再び、素人思索で考えちゃいました。こういう素人考えは「トンデモ」に近いですね。
でも、悪びれずまた書き込んじゃいました。
>>395 >熊野詣が実りあるものでありますよう
ありがとう。
近いうちに行って来ます。
熊野と言えば「みかん」、昔は柑橘系の果実を「ときじく果の実」?と言ったらしいです。
ひょっとすると「徐福が求めた不老不死の薬は「みかん」だった」かもしれないし、こんな仮説を立てて
地元の人達に聞いてきます。
>>398 「ときじくのかぐのこのみ」はバナナらしいですよ。
.┌┐
/ /
./ / i
| ( ゚Д゚)<そんなバナナ
|(ノi |)
| i i
\_ヽ_,ゝ
U" U
401 :
バナナをバカにするな:03/07/31 22:27
バナナね。
私は好きです。
少し前、TV番組でバナナの薬効をクイズ形式でやってたなあ。
たしか、
・カリウムが多い。→人間には不足しがちなミネラルかな?
・免疫抵抗が高まる。→ガン細胞を移植されたネズミの7割が回復してきた。
バナナを与えられなかった対照群は9割死亡。
・繊維が多い。
・ビタミン豊富、カロリーもある。
最後の項は、記憶が定かでないので、多分そうだったようにも思うし、でも間違ってたらゴメン。
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
403 :
恐怖の人種劣等化工作:03/08/04 06:08
毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、美しく清らかな日本の新生児約100万人のうち、
毎年、約1〜2万人の新生児に
容赦無く劣等人種の血が流し込まれている。
目的は日本人の朝鮮化(不細工・低脳・犯罪者化)だ。
飛鳥ってね、飛島さんて呼ばれるんですよ。とびしまさーん・・・(TдT)字が違うだろぉ!!
405 :
天之御名無主:03/08/12 21:29
でも、弥生・古墳期には数万単位の半島人が移住してきたそうだ。
かなり混血が進んでいるとみていい。
日本古来の紀州犬、柴犬など約10数〜20%くらい大陸系の遺伝子があるそうだ。
日本奥地の甲斐犬などは0だそうだ。
弥生・古墳期に半島から持ち込んだらしい。
悲しいことに俺も朝鮮顔だ(鬱
>>405 0の犬は、北海道犬や琉球犬だと思う。ソースはこちら。
日本犬の系統を遺伝学的に調べている田名部雄一は、種々の標識遺伝子の分布から、
北海道犬(アイヌ犬)と琉球犬が東南アジア系の犬と共通の遺伝子をもつことをつきとめた。
また最近の海外調査によって、台湾、バリ島、カリマンタン(ボルネオ島)など、東南アジアに
広く分布する犬も北海道犬や琉球犬と同系であることが判明した。
これに対して本州や九州に住む秋田犬、柴犬、紀州犬などは、モンゴルや朝鮮半島などに
分布する北アジア系の犬群に属することがわかった。中でも興味をひくのは柴犬で、朝鮮系
遺伝子の頻度がきれいな勾配を示し、山陰系柴犬 -->美濃柴犬 -->信州柴犬の順に低くなる。
つまり日本犬の分布を全体としてみると、北海道と沖縄地方に東南アジア系の犬が分布し、
本州・四国・九州には北アジア系の犬が分布していることになる。また本州の西から東へ
かけての遺伝的勾配も存在する。
これらの事実は、日本人の形態や遺伝子頻度の分布にきわめてよく一致し、また本州と
北海道については南北逆転現象がみられる。したがって、東南アジア系の犬はおそらく
縄文人の祖先が連れてきたものであり、北アジア系の犬は弥生時代以降、渡来人によって
もたらされたものと思われる。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm048.html
日本犬は、「南方系」と「南方と北方との混血系」に大きく分かれます。
昔、日本には、南方系のモンゴロイド(蒙古型黄色人種)が伴っていたイヌが、当時の
日本全土(沖縄から北海道まで)、樺太、千島にいました(縄文犬)。
やがて、北方系のモンゴロイドが別のイヌを連れて本州に渡来してきました。そこで、
本州では、ヒトもイヌも南方系と北方系の混血に向かいます。本州のイヌの祖犬(やがて、
柴犬、紀州犬、甲斐犬、四国犬などに分岐)の形成です(弥生犬)。
一方、そのまま沖縄で生きてきたイヌは、琉球犬の祖犬となります。
また、和人に追われて北海道に渡った東北アイヌのイヌは、北海道アイヌのイヌと交わり、
北海道犬の祖犬となります。
(北海道犬博物館
ttp://ainu-dog.web.infoseek.co.jp/nihondog.html)
犬のフォローありがとさん
>>407、
>>408 甲斐犬も半島系の血が混じっていたのか。
漏れも三重県だからやっぱり半島系が混じっているのか。
半島系の遺伝子を持つ自分ではあるが、在日の問題を考えるときかなり傍観者的に考えてきた。
そして、どちらかというと右よりの考えの傾向が強い。
これからもそうだろう。
あなたたちどう?
>>409 そもそも日本に渡来した時点で、オレらのご先祖は半島と袂を分かって
いるわけだし。
まっとうじゃない在日の態度を考えると、せいぜい良くて傍観者。同胞意
識なんか無いね。
それでいいんじゃ?
飛鳥に関係ないからsage
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
412 :
天之御名無主:03/08/17 08:52
「日本人と半島人は別」というスレも立っているね(内容は知らん)。
渡来系の日本人→
>>410日本に渡来した時点で、オレらのご先祖は半島と袂を分かっている。
在日半島人→
>>410「在日の態度」日本に同化しようとしない。半島人としてのアイデンテテイをふりかざす。
たしかに両者には大きな隔たりがある。
そう言う意味では、部落もよく似ているなあ。
同和、同和と言いながら同化しようとはせず被害者としての立場に固執し、利権を守ろうとする。
いつまでも○○センター、○○館なる拠点を公費でつくり、同和地区のシンボルとしてアイデンテテイを保とうとする。
今政治改革では、この2つもやっちゃって欲しいよ。
こいつら利権にあぐらかいてる点では、道路公団とよく似てるよ。
>>412 >今政治改革では、この2つもやっちゃって欲しいよ。
何もかもいっぺんには出来んやろ。
何かもやろうとすると、全員が敵に回るんだから。
一個ずつ切り離してやるべきだった。
石原行革大臣は一個ずつやってたら、一個終わった時点で「はい、終わり、もうこれ以上させません」
ってことになるから、全部まとめてやるんだと言い張ってたんだが・・・・
一個くらいちゃんと民営化してくれよな。
416 :
天之御名無主:03/08/18 07:53
明日香の政治改革は何だったんだろう?
大化改新は半島との関係をにらんだ中央集権化だったと思う。その中心は税制・徴兵制など、だと思うが、
じゃ、あの石物群はなんだろう?
中大兄の母(?天皇)が、たわぶれ心にやったお遊びだったのだろうか?
417 :
天之御名無主:03/08/19 09:54
ガーデニングに凝ったんじゃない?
『日本書紀』には、斉明天皇は「運河を造るのに3万人をムダに働かせ、200隻の船を
浮かべ、7万人を使って石を運び石の山を造った」なんて大土木事業好きの女帝と
批判的に描いていますね。「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)でしたか?
何年か前の「発掘された日本列島」展では、当時、日本は唐からの侵略に備え、高い
文化を持っていることを誇示する必要があったために造営したのではないかと、考察
されていましたね。
419 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/08/19 21:21
「ショーウインドゥ外交」ですね。
かつての社会主義国の首都に、立派な建造物が立ち並んでいるのと同じ…。
古墳にも、「大きく見える」よう改修工事をしとところもあるそうです。
420 :
天之御名無主:03/08/19 22:29
ナチスとかポーランドとか北とか。
かつての日本にもそーゆー部分はあったかも。
全体主義と共産主義と社会主義と民族主義は重なってる部分が多い。
421 :
そのころ俺のご先祖は、何だったんだろう?:03/08/23 13:38
奴卑、奴隷でなかったことを祈りたい。
せめて高市皇子くらいであってほしい。
422 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/08/23 23:06
>>421 それはムリのような。
飛鳥時代まで遡れば(もっと前でも)、大抵の日本人は縁戚関係にあるでしょうから。
423 :
天之御名無主:03/08/23 23:41
阪○優勝記念にだれか亀石を動かすやつはいないのか?
連中は水に漬かりたいんだろう?
>>424 亀石を動かしても、甲子園や道頓堀まで水に漬からんのでは・・
426 :
天之御名無主:03/08/26 03:15
飛鳥寺の飛鳥大仏
右から観るのと左から見るので表情が変わって見える
427 :
天之御名無主:03/08/26 09:25
>>426 それで、あなたそんなにしげしげと見ていたのですね。
その日は何度も、あなたは「右から観るのと左から・・」と感想をおっしゃっていましたが、
お供物のバナナを無意識に手にとって食べるのは、やめて欲しかったです。
428 :
天之御名無主:03/08/27 09:42
.┌┐
/ /
./ / i
| ( ゚Д゚)<そんなバナナ
|(ノi |)
| i i
\_ヽ_,ゝ
U" U
429 :
天之御名無主:03/08/27 21:49
431 :
天之御名無主:03/08/28 08:30
香具師でも釣り師でも、私はありません。
奈良県明日香村の風土に接すると涙が止まりません。
吉野はさほどではありません。
明日香村東の阿騎野もかなり胸に迫る感じがあります。
みなさんはどうですか?
ちなみに私は県外(三重)です。
432 :
天之御名無主:03/08/28 19:26
>431
アレルギーじゃないかな。稲科植物の
堤さやかちゃんの引退記念作です。
可愛らしい顔に大きなオッパイ少女っぽいパンティーがそそります。
絡み自体はいたってノーマルですがこの子がやっているだけで下半身に血が集まります。
本気で感じている姿はやっぱいいですね。
モロ見え動画を無料でゲッツ!!
http://www.pinktrip.com/
434 :
天之御名無主:03/08/28 22:49
435 :
天之御名無主:03/08/29 08:50
>>433,
>>434 なんで?ここだけに貼るの?、
ここ人少ないよ。多くて3人くらい、あなたを入れて数えても(^^;)
436 :
天之御名無主:03/08/31 19:22
漏れは神だ!!
∧_∧
( ・∀・)
/○ つ
∬ (_(_⌒)
,;;:.,●.: しし'
ブリュブリュ
ガーデニングと言えば、馬子は別名「嶋大臣(しまのおおおみ)」らしいね。
自宅に池掘って中之島を作ってたそうな。庭園の走りだな。
438 :
天之御名無主:03/09/02 21:52
金正日もガーデニングが好きだ。
「明日香村」の名存続へ、合併に参加せず
奈良県明日香村の関義清村長は5日、同県橿原市など周辺6市町とつくる
任意合併協議会で、来年1月に発足予定の法定協議会には参加しないことを
正式に表明した。6市町側も了承し、高松塚古墳など飛鳥時代(6―7世紀)の
文化財の宝庫である「明日香」の名前が残ることになった。
関村長は同県三宅町で開かれた協議会で「議会、住民の心情、全国のみな
さんの声を重く受け止め、改めて法定協議会は不参加としたい」と述べた。
明日香村の合併については、学識者らでつくる「飛鳥古京を守る会」(会長=
山崎馨・神戸大名誉教授)が全国的な反対運動を展開し、約3万5000人の
合併反対署名を集めた。7月の住民アンケートでも47%が合併に反対していた。
(2003/9/5/20:57 読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20030905it12.htm
440 :
天之御名無主:03/09/14 22:28
あげ
441 :
天之御名無主:03/09/14 23:10
>>437 島の庄遺跡からは四角い池が出たんだっけ?
かしこうけんの先生に「朝鮮半島には四角池もけっこうあるらしいですね」
と振ってみたら、「当時の流行(はやり)」とあっさり片付けられてしまったw
学者は、必ずしも蘇我氏渡来人説ばかりではないらしい。
442 :
天之御名無主:03/09/16 10:26
>>441 あの頃のテクノクラートは東西の漢氏を筆頭に渡来系ばっかだろ。
大陸や高句麗や百済の影響もあったと思うけどね。
でも石舞台も方墳だし、はやりではあったのかもw
443 :
天之御名無主:03/09/16 20:26
法隆寺の西館(?)の門から見ると、大和三山を含む飛鳥の辺りが正面に見くだせる方角にある。
法隆寺西の館は聖徳太子の政庁であったと言われる。
私はここに立って、太子の飛鳥・蘇我氏に対する姿勢を感じた。
つまり、かなり強圧的な姿勢だ。
風水的に見ても、盆地を囲む山々は、青龍・白虎・玄武をなし、南の朱雀を大和三山に見立てることが出来る
まさに王宮の地である。座敷にたとえると上座に座った主だな。
太子没後、蘇我氏が山背大兄皇子を執拗に追い回し、殺害した理由がよくわかったような気がした。
444 :
天之御名無主:03/09/28 21:41
柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺 っていう俳句の釣り鐘って、法隆寺にあったよね。
445 :
天之御名無主:03/09/29 00:37
>>444 ⊂⊃ #ミ
, '"  ̄ ヽ.# ミ
ル)"ノノルλ
ルil ゚∀゚ノリ ヾ ヽ ∵:ガッテンガッテン
〃 ]]つつ-++##### ∵ガッテンガッテン
/_ 〉〈 ゝ ∵∩:,
し'ノ □
ゾロメだね。
ひさしぶりにきました。残ってたんですね。一回消されてませんでしたっけ。
で遅レス。
>>305 >>306が正解、飛鳥というより関西全体の傾向で巨人そのほかのファンも結構います。ちなみに私はサッカーファン。
>>308 飛鳥に生まれ育ち30年以上、聞いた事ありません。京都のように歴史を優越意識に使わないのが奈良の人間の特徴です。
日ユ同祖論ですが、失われた10部族は周辺の民族に同化して消えたというのが定説らしいです。それを「誇りあるユダヤ人がそう
簡単に消えるわけがない」とどっかお隣の国が言いそうな理由で、無理な理由をつけて候補を探していると。
もっとも確実な証拠はありませんから、オカルトとして楽しむ分には支障ないかも。
448 :
天之御名無主:03/10/03 19:05
446のFKさん
「さんま」は奈良出身と聞いたが・・
飛鳥ですか?
飛鳥近辺の有名人って、中山みきさんぐらいしかいませんか?
449 :
天之御名無主:03/10/04 11:18
天理教の?
450 :
天之御名無主:03/10/04 19:29
飛鳥は百済寺もあったくらい朝鮮文化が色濃いだけ。
さんまは奈良市のほうじゃなかったですか?
453 :
天之御名無主:03/10/11 07:29
飛鳥って・・なんか・・なんとなくっていうか・・そういう感じで・・懐かしさを感じるんだよね。
私的には東京・静岡・名古屋・滋賀・京都・大阪を転々として暮らしてきたけど、どこも単に住ん
でいたという記憶しかない。その他の地方も訪ねたことはあるが、さほどでもなかった。
私には飛鳥は縁もゆかりもない所ですが、いざいって見ると磁石に引きつけられてようにビリビリ
と何かつながったような妙な感じを受けてしまった。
F-K氏はそんな感じを判ってくれますか? って・・変な質問だな^^;
困ったな、住んでる人間にとっては純粋に「地元」でしかないんで。
地元が良く言われたり関心もってもらえたりするのは嬉しいけど、特別な思いはないでしょ、普通。
こういうのは国内旅行板の奈良スレあたりにカキコしたら共感してくれる人が多くいるんじゃないですか?
455 :
天之御名無主:03/10/14 20:40
>>453 なんとなくわかる。
俺も名古屋から東京に引越し、最近鎌倉に小旅行にいったら、
なんとなくとんでもない懐かしさに襲われた、縁もゆかりも
ない土地だったんだけどね。
あとあと聞いたらウチの家系のルーツは鎌倉と縁が深いようで
案外飛鳥もそういうもんがあるのかもしれませんな。
まだ行ってないので、なんともいえませんが。
456 :
17=20:03/10/18 04:04
このスレまだあったのですね。ちょっと感動です。
最初の頃に何度か投稿させていただいた者です。ご無沙汰しております。
1言主さんやF−Kさんもご健在のようで嬉しい限りです。
先週の日曜(03/10/12)に飛鳥いってきました。
今回は万葉文化館でほとんどの時間を過ごしました。
万葉文化館は「飛鳥池遺跡 *」の真上に作られたため、埋蔵文化財関連の
センセイ方にはそれはそれは評判の悪い施設でして、コンセプトが
「(文化財の)保存に努めるとともに、
(中略)遺跡と共存する総合文化施設をめざしています。」
らしいのですが、「共存」というよりも、あれはどっちかというと「一体化」して
しまっている感がありました。わざわざ遺跡の上に建てなくてもねえ……。
でも、まあ実際、それなりに内容の濃い博物館なので楽しめたんですけどね。
あと、遠目にですけれど、飛鳥在住の日本画家・烏頭尾精氏を見ました。
ラッキーでした。
457 :
17=20:03/10/18 04:05
*飛鳥池遺跡
古代の工房跡といわれている。日本最古の流通貨幣「富本銭」が
見つかったことで有名。金・銀・銅などの金属類やガラス類(玉)などの
加工が行われていたらしい。また、「天皇」と書かれた木簡が出土して
おり、天皇号使用の最古の例となるなど、古代史を塗る変えるような
発見が相次くなど、貴重な遺跡として注目されていた。
458 :
17=20:03/10/18 04:15
>>441,442
「あの頃のテクノクラートは渡来系」っていうのは言い得て妙ですね。
蘇我氏が朝鮮半島と結びつきが強かったというのはほぼ定説のようです。
ただ、朝鮮半島人を祖先にもつからなのか、対朝鮮交渉担当の日本人として
なのかは議論のあるところですが。
蘇我氏先祖である蘇我石河宿禰〜満智までの実在はともかくとしても、
満智の子と伝えられる「韓子」やその子の「高麗」という名前からすると
血縁関係もあったのかも知れませんね。
459 :
17=20:03/10/18 04:42
>>450 細かいことですけど、百済寺は飛鳥(明日香村周辺域)ではなく、
磐余(桜井市西南部)にあったと推定されています。(現・吉備池廃寺)
発願は聖徳太子に由来すると伝承されており、当初は「熊凝精舎」
(くまごりしょうじゃ)と呼ばれる寺院であったようです。
このお寺はたびたび寺名が変わっていて、引越しも何度かしています。
熊凝精舎→百済寺→高市大寺→大官大寺→大安寺→吉備池廃寺
同じ寺とはわかりませんね。ふつうは。
ちなみに450さんの指摘は正しくて、
もともと百済寺の名は周辺の地名に由来するらしく
(香具山の東北から西北一帯が百済と呼ばれていたらしい)、
この地名の由来が百済人居住によるもののようですから、結局のところ、
古代飛鳥に朝鮮文化が色濃かったことは間違いないようです。
460 :
ASUKA:03/11/06 19:28
あすかは理想郷という意味。
インドにはそのままアスカ、ペルーのナスカ、フランスのラスコー。
元々同じ民族だった人達が、望郷の意味を込めてアスカと付けた。
どこが元のアスカだったかは分からないけど、日本も重要な場所だったんでしょう。
461 :
天之御名無主:03/11/06 21:43
462 :
天之御名無主:03/11/13 21:07
>>21 >浪花節・演歌的な辛抱と義理人情に縛られた今の世相とは様子が違う感じがします。
バカか、お前は。
こういう事を言い出すから面白みがなくなるんだよ。
今の世相とは様子が違うって言うが、もっとひどかったらどうするんだよ。
463 :
天之御名無主:03/12/15 23:10
464 :
天之御名無主:03/12/21 23:49
超意表をつかれた。昔からああなのかと思っていた。
住井 周囲がね、こう山に囲まれていてね。
もっともあすこは、今の石舞台はあれ作ったんですがね。
あれは昭和八年に発掘したんですよ。
古田 はあ、そうですか。
住井 それまでは田んぼと、屋根が田んぼとすれすれだったんです。
でその下に、こう立体になっているとこと、
私が子供の時はわからなかったんです。
田んぼとすれすれに屋根の石が二枚ね。で。
平らだから石舞台、石舞台と言ってそこで遊んどったわけです。
林 石が少ししか出てなかったんですか。
住井 ええ、屋根の部分だけ。屋根の部分が田んぼの水面と
平らだったんです。ほしたらなんだか下があるようだと、
で掘ってみたらまだ下があった。まだあった、で発掘したのが、
し終えたのが昭和九年ですね。
古田 そうですか。
林 京都大学の浜田耕作という人が発掘責任者だったんですね。
465 :
天之御名無主:03/12/21 23:58
これもマジなの?
住井 私は天皇家は中国系と思ってるんですがね。
飛鳥へ入ると中国系の村がね、
完全に中国から渡来した村がありますよ。
古田 なるほど
住井 でそこには天皇家の御陵がありますよね。
古田 ああそうですか。
住井 あの夫婦墓がありますね。天武・持統の。
あれがある檜前ってところは中国から来た人たちの村ですよね。
私子どもの頃、親戚がね、姉が飛鳥に嫁に行っていて、
その村にも知り合いがあって、そこで遊んだものです。
あの飛鳥の人たちは大和盆地の真中の人とはちょっと違いますよね。
石舞台はそのとうり。高松塚も昭和47年までただの藪に埋まってました。明日香全体の公園
化が進んだのは15〜20年くらい前から。
檜前にかんしては「はあ?」って感じです。
そもそも天武・持統天皇陵のある大字は野口だし。中平田(高松塚のあるトコ)
・栗原(文武天皇陵)の大字をはさんで檜前。
://asukakyo.jp/meguri/map_c.html (天武・持統天皇陵)
://asukakyo.jp/meguri/map_e.html (檜前寺跡)
の地図参照
>>飛鳥の人たちは大和盆地の真中の人とはちょっと違いますよね
どっか違いますかね。同じだと思いますけど。
あぼーん
468 :
天之御名無主:04/01/09 22:32
>>466 石舞台については以前からああいう感じで露出していた
みたいなことが前提な記述を結構読んだので目からうろこでした。
檜前に関しては話者が結構な年の方で、しかも今も住んでるわけじゃなく
早くに関東の方へ出ていっているため、地名の記憶違いで
夫婦墓のあるという「野口」が正しいかもしれませんね。
>>飛鳥の人たちは大和盆地の真中の人とはちょっと違いますよね
ではなく「あの飛鳥の人たち」で、その村(=野口?)の人たちが自分たちと
体格からなにから圧倒的に違っていたという回想です。
飛鳥近辺の有名人といえば、トライ陣形のトヨエツとか。ご実家がパチンコ屋だったと思う。
470 :
天之御名無主:04/01/17 20:19
黙示録に出てくる4つの生き物
1、人
2、雄牛
3、獅子
4、鳥
斑鳩と飛鳥=黙示録の鳥=卍
卑弥呼が存在したかもしれない場所・・・
472 :
天之御名無主:04/02/21 23:37
>>471 そういえば、最近のニュース(2004/02/19)で、
「陵墓参考地で初のレーダー探査 宮崎・西都原古墳群」 というのがあった。
北九州一帯は、高千穂や宇佐八幡の例をあげるまでもなく、
ヤマト王権とのゆかりが深いし、邪馬台国北九州説もあるから、
これによって、本当になにか判るかもしれないと少し期待。
レーダー探査じゃあ被葬者が卑弥呼かどうかまでは判らないだろうけどさ。
知り合いの兄妹で、兄・大和、妹・明日香ってのがいた。
なんかすごくステキだと思った。
>>472 しかも「周壕、外堤とその周辺に限り例外的に認めた」であって墳丘の探査はされないわけだし。
475 :
天之御名無主:04/02/26 23:01
益田の岩船って、あれなに(?_?)
上に登ってみたけど、お風呂が2つって感じ。何に使ったのだろう?
石を削ったり掘ったりするの大変だっただろうな。
明治以降に作られた物だとしたら納得するが・・
476 :
天之御名無主:04/02/27 17:08
477 :
天之御名無主:04/03/10 20:46
乗りたい
「島大臣」蘇我馬子の邸宅跡か 奈良・明日香村島庄遺跡
ttp://www.asahi.com/culture/update/0311/012.html --------------------------------------------------------------------------------
蘇我馬子(そがの・うまこ)の墓とされる奈良県明日香村の石舞台古墳の西隣にある島庄(しまの・しょう)遺跡で、
飛鳥時代の大型建物跡群が見つかったと11日、同村教委が発表した。7世紀前期、中期、後期の三つの時代の
建物跡があり、このうち前期の建物跡が、その規模から日本書紀に度々登場する馬子の邸宅跡の可能性が高い
という。30年来の調査で馬子ゆかりの人工池「勾(まがり)の池」跡が近くで見つかっており、その池との配置が
「馬子邸宅説」の根拠になった。
479 :
天之御名無主:04/03/14 18:56
どして馬、イルカとか動物の名前が付いてるの?
また蝦夷なんて異民族みたいな名前だったり・・・
きっとこれは、改新側が意図的に付けた蔑称だ。
間違いない(^_^)/
480 :
天之御名無主:04/03/14 21:57
wgr
>>479 藤原不比等の子供の‘うまかい’や、孫の鳥養や魚名も蔑称でしょうか?
482 :
天之御名無主:04/03/15 22:39
>>479 忌みよけの意味もあるからねー。
虫麻呂なんてどう解釈する?
483 :
天之御名無主:04/03/17 23:08
恵美の押し勝つなんてのは愛称でつか?
昔の人は、名前をどのように考えていたんだろう?
ちなみに「はしのえみ」はタイプだw
>>475 古墳用石材を途中で放棄したもの…では。
ショックサイエンス。プラズナーが狙ってるから注意汁!
486 :
天之御名無主:04/03/26 21:48
このスレも息が長いね。
細々と1000逝きそうな雲行きだね。
今年の夏で丸3年。
頻繁に飛鳥へ足を運んでいましたが私も、この頃は腰痛で遠出無理の状態。
飛鳥へはず〜っとご無沙汰しております。
なんたって健康・丈夫が一番ですね、皆様のご健勝をお祈りしています。
>>475 >>484 益田の、あの大石は、もともとそこにあったのを加工したのか?、あるいは運び上げたのか?
いったいどうなんでしょうね?
487 :
天之御名無主:04/03/26 22:23
>>479 壬申の乱で勝った側にも同じような名前が一杯いるよ。
ちょっとは原典を(他のところも)読んでから言え、
その辺りだけダイジェストか漫画か知らんが読んで妄想をするな。
488 :
天之御名無主:04/03/27 00:38
>>487 同じようなってどんな名前や、実例あげてみ。
「同じよう」かどうか判定しちゃる。
>>475>>484>>486 猪熊センセの本にはサイメイと書いてあったような。
ひびが入ったので放棄してケンゴシに葬ったとか。
489 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/03/28 23:19
益田岩舟、「烽火台」という説も聞いたことがありますが、
「燃やした跡が無い」というところがなんとも…。
酒船石や亀石、猿石みたいに「『テーマパーク』の名残」みたいな石とは違いますし…。
490 :
天之御名無主:04/03/29 23:30
誰だったかな、それ。
「ゾロアスター教の拝火壇」を唱えたのは・・・・松本清張かな?
遠い昔、奈良県立図書館においてあった本でそんなの読んだ記憶があるんだが。
491 :
天之御名無主:04/03/30 17:53
>>488 置始連兎(うさぎ)、鴨君蝦夷(えみし!同じ名だ)、曽根連韓犬
(からいぬ)、土師連馬手(うまて)、小墾田猪手(ゐて)、
出雲臣狛(こま)、これらは「勝った」側の名前だからな。
ちゃんと原典にあたれよ、アホ。
492 :
天之御名無主:04/03/30 18:10
493 :
天之御名無主:04/03/30 23:53
nn・・ナトークした・・ことはしたが、あまり気分良くない・・腹いせに亀石の向きを変えてもいいか?
495 :
天之御名無主:04/04/03 00:41
洪水はかんべんしてくれ。俺は橿原市なんや。
飛鳥川の流れをみてもわかるとおり、明日香より低いんや。
>>490 >>492 元ネタは松本清張だったんですか…知らなかったです。
>>494 大和海原(やまとうなばら)が出現するのでダメです。
けれど、なんでこんな伝説が残ったのやら。
>>496 伝説かどうか?迷信かどうか? ためしに石を動かしてみたくなったが・・
いままでそんな気持ちになって、石を動かした奴っていると思うのだが・・
どうなんだろう?
498 :
天之御名無主:04/04/07 23:05
行くたびに挑戦するが、ムリ・・・
499 :
天之御名無主:04/04/08 21:37
やっぱりいるもんだw
トン単位の石だから、人力でするのは難しいでしょうけどね。
501 :
天之御名無主:04/04/10 13:11
みんなで力を合わせて、亀石→ (-_-)/ こういうふうに「てこ」をつかってやってみよう。
502 :
天之御名無主:04/04/10 16:55
文化財保護法にひっかかるんではないかと
503 :
天之御名無主:04/04/11 08:16
みんなで力を合わせてやればなんとかできる。
地元橿原市の495さんは、てこの棒を用意しておいてください。
とてたは他スレから応援を募ってください。
他の人は腕立て伏せを練習して腕力をつけておいて下さい。
やる気のない502さんは・・そうだな、・・見張りくらいはしてください。
警察を手配して差し上げます
申し訳ないが俺は法にうるさい公務員なのでね
505 :
天之御名無主:04/04/11 22:53
亀石って指定文化財?
ていうか破損するならともかく、向きを変えるだけでも引っかかるのかな?
506 :
天之御名無主:04/04/12 20:24
502にはないしょで
507 :
天之御名無主:04/04/12 22:55
亀井氏が向きを変えるのは自然災害待ちでしょ。
フォッサマグナで日本列島がぽっきり折れれば
亀井氏も向きを変える。
508 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/13 00:15
509 :
天之御名無主:04/04/13 19:50
夜は人いますか
みんなおふざけで書いてるんだと思ってたけど、
もしかしたら本当にUFOとのコンタクトだの、古代先進文明だのを信じてるような
デムパさんが書いてるんじゃないかと、いま、ふと心配になった・・・
511 :
天之御名無主:04/04/14 19:27
2ちゃんに書き込むヤシは、ことを起こすことが目的ではなく、書き込むこと自体が目的なんだ。
もしくは
>>510みたいな反応を楽しんでいるだけだ。間違いないw
本人が言ってるんだから確かだ(鬱)・・しかし他のヤシはどうか知らないが・・
ほんとにしたいヤシなら、くだくだ語ってないで、書き込んだらさっさとやっちまうよw
512 :
天之御名無主:04/04/14 21:27
ときどき噛め医師の鼻が濡れているときがある
誰かが噛めに水をかけているのか、犬が・・・をかけている
513 :
天之御名無主:04/04/15 19:37
>>511 物理的に無理だという話をしているわけだが
514 :
本当にUFOとのコンタクトだの、古代先進文明だのを信じてるような:04/04/16 20:31
漏れは洪水が恐いのでしたくないのだが・・
515 :
天之御名無主:04/04/18 17:51
奈良、京都といった名所は古都とは言っても、まだ生々しく現代とつながったものを感じるし、いまも息づいている都市だ。
それに比べ、飛鳥、斑鳩あたりは、すでに終わってしまった時代を感じる。
肩の力が、すーっと抜け、なぜか「ほっ」とします。
益田の岩船の周りは、鬱蒼と竹や木々が茂っていて、遠くが見晴らせなかったのが残念でした。
以前、10数年前はもっとスッキリしていたように思うのだが、なんとかならないものだろうか?
公務員の502さん、受け持ちは違うかも知れませんが、たのみます<(_ _)>。
>>515 ご質問にお答えいたします。
おっしゃるとおり、あの岩舟周辺、以前は非常に見晴らしが良かったのです。
残念ながら、今は北東方面は竹が伸びすぎて、畝傍山方向の景観が悪くなり、
また東方面は植樹された杉が伸びすぎて、下からも岩舟が見上げることが
出来なくなってしまいました。
さて、一番大きな問題はあそこが、奈良県の指定による「貝吹山景観保全地区」
であり、奈良県行政のやる「景観保全」の方向が「景観の確保」ではなく、
「景観の放置」になってしまっていることです。
橿原市は、橿原市の観光のためにも県行政を変える方向で取り組むべきです。
第二に、あそこは県の指定を受けているのですが、ほとんどすべてが古い地主の
所有する細かく分割された私有地なのです。
樹の伐採などは、当然地主の許可を得なければなりません。
以前、岩舟のあるすぐ下のニュータウン住民有志が、岩舟の景観保全に自主的に
取り組もうとしたことがあります。
行政が金を出さないなら、自分たちでやろうと、許可関係を調べました。
一つ目の障害は、分割された土地の各地主に連絡をとるのが大変だということ、
また、連絡が取れたとしても、植樹している杉を切らしてくれるのか、
また、切らせてくれたとしても樹の処分などを考えると相当な経費がかかること
になるが、そこまで住民ができるのかといった点でした。
もう一つは、やはり県指定地であるということで、下草を刈る程度のことは
住民が勝手にやっても問題なさそうなのですが、樹を伐採して景観を変える
ということになれば、県の文化財担当者が確認し、知事の許可を得なくては
なりません。
どちらかというと、県の許可より地主さんの許可の方が難しいし、
金の出所もまた、問題になります。
「法律の壁」ですか…「特区制度」とかでなんとかなればいいんですが。
岩舟という点から少し離れますが、以前、「貝吹山遊歩道計画」
というものがあったそうです。
南妙法寺町から貝吹山の頂上まで、観光ルートを整備しようという計画です。
金は県が100%出すことになり、山の中の道自体は私有地ではなく、
「橿原市の管理する道」という認識で話が進み出したのですが、
地主の反対にあって計画は立ち消えになりました。
道自体が市の所有であったとしても、山頂付近は私有地ですから、
所有者が「勝手に知らない人に入られて荒らされたくない」といえば、
行政は引くしかないのです。
とはいえ・・・・長い目で見れば、このまま景観行政が進まないというのも
困りますよね。
デリケートな部分をはらむ問題なので、これ以上のことは
地元、白橿町選出の市議会議員にでもお尋ねください。
519 :
天之御名無主:04/04/18 23:23
明日香は「村」であって欲しいよね
>>519 どこかと合併しても「村」を名乗り続けることはできるわけだが。
カメルーンで有名になった大分県の中津江村がそうゆう方向で調整中。
また、どこかと合併しても古都保存法の指定が解除されるわけではなく、開発の対象にはならない。
521 :
天之御名無主:04/04/20 19:51
いつの写真かわからないが、雑誌「ムー」の付録に益田岩船が出ていた。
子供が座って遠くを見ている。
下の方には造成中の団地が見える。
こんな風にすっきりだったらいいのにな。
また酒船石も陰気くさいくらいヤブの中だ。
それが飛鳥と言えばいえなくもないが・・
522 :
天之御名無主:04/04/20 19:55
紀伊国屋書店渋谷店の大谷さん、かわいい
523 :
天之御名無主:04/04/21 19:24
これ書くとdデモって言われるだろうけど
昔読んだ五島勉の飛鳥本はおもしろかった。
「アスカ」という地名がインドにあるらしいということで
現地に飛んでいくことから始まり、
アスカの近くにナラと言う地名の場所があったり、
「アスカロード」という広い道を発見したり、
空飛ぶ岩舟の伝承を聞いたり、
タクシーでサザンの桑田似のインド人と同席したりと
内容たっぷりだから、おもしろいよ。
524 :
天之御名無主:04/04/22 02:07
こんなスレはじめて見っけた、近つ飛鳥に住んでます。
こっちの飛鳥の最寄り駅は「上ノ太子」って駅名(あとずけですが)
あと、何故か源氏三代のお墓もあり、ヤマトタケルの白鳥伝説もあります。
ただし、何も観光化されてない…
地元の歴史の資料を見ながらでないと、ただの田舎。
はじめの方にあったけど、たしかに田の稲刈り後、地元では屋根型?にしてる!
あと、沖縄の血が半分混ざってるんで、私は外人みたいな顔してる…
525 :
天之御名無主:04/04/22 21:18
ブドウ畑の真ん中か。
漏れも源氏三代の墓へ行ったことがあった。
>ヤマトタケルの白鳥伝説もあります。
>たしかに田の稲刈り後、地元では屋根型?にしてる
こういう情報期待してる。
>沖縄の血が半分混ざってるんで、私は外人みたいな顔してる…
彫りが深くて目が大きい・・・か・・つまり、2枚目と言いたいのか・・
ここにいる奴は、のっぺり顔、細いつり目、半島系の3枚目(鬱
あまり自慢しない方がいいぞ。
そう!ここはぶどう畑ばっかです。
あと、2枚目では無いんだなこれがw
親もこの辺は渡来人の村やったみたいと言ってました。
近くに石切場があったらしいとも。
もう絶版になっている建築書「日本建築の美」の帰化人の文化という項のにも、
〜二上山のふもとに石切場(今は鹿谷寺跡の十三重の塔)があり〜
と載っていました。
あと、近くに「ハチブセ山」があるんですが、
そこは昔(時代は知りません)罪人処刑場だったそうです…
そう学校の先生が言ってただけで、文献を見たわけではないんですが。
知り合いが消防のころ、遠足でそこへ行っていて、
友と暇つぶしに土堀りして遊んでいたら、文字が刻まれた石の階段が
出てきて慌てて埋めなおしたそーです、怖かったらしい。
先生もそんなとこ連れていくなよ!
小さい古墳がそこらにあったり、あんまし良いとこじゃ無いですね。
ブドウ畑ね。
陶芸家の加藤唐九郎が、(著書で)「果樹園の下には耐火度の高い土がある」と言っていた。
私が調べたところ、果樹園の下にはたいてい赤土(壁土)があって、その土は1000度以上の耐火度がありました。
縄文土器は600度程度、弥生で800、土師器で1000度を超えるくらい。
古墳時代以降の土器は1000度以上でしょうか、それなら果樹園地帯と関西の古代文化が栄えた地域は重なりますね。
524さん宅の下には、耐火度の高い赤土が豊富にあるでしょうね。
ちなみに、現在の市販の陶器は1250〜1300度です。これくらいの温度にも赤土は形が崩れずに耐えますが、赤土は鉄分が多いので、真っ黒になってしまいます。
私の暮らす東海地方も古墳が多いですよ。
道路工事の作業が遺跡にぶつかると気持ち悪いくらい土器片、陶器片が出てきます。
それを届けると発掘調査になるので、工事が遅れる。そのため土建屋さんは、突貫作業でその土を運び去って証拠隠滅にするとか。
その突貫工事を聞きつけると、マニアがかけつけて形の崩れていない土器を求めて掘りあさる。
そんな土器は、高価に売れるとか。
「文字が刻まれた石の階段」などはマニア垂涎のお宝でしょうね。
それは秘密にして、盗掘を防ぎましょう(^^;)
>>525 私も半島系の顔だと思います、つーか大陸系ですな(^^;)
近くの工場にタイの人が働いているのですが、よく間違われる。
飛鳥時代の頃にやってきた末裔なのだろうか?
私も飛鳥に郷愁を覚える。
一言主の「一」は「1」だったんじゃないのか?
過去レスをかなりあぼーんしてしまったのはもまえの仕業か?
読みにくくなってしまったじゃねーかゴルア
530 :
天之御名無主:04/04/24 07:50
亀石は重いので盗まれる心配はない。
531 :
天之御名無主:04/05/04 17:19
亀型石なら、やりようによっては盗めるかもしれない
532 :
天之御名無主:04/05/06 02:18
猿石なら、さらに手軽に盗めるかもしれない。
盗んじゃだめよ。
533 :
天之御名無主:04/05/06 20:34
そんな物いらない
534 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/05/06 21:42
>>531 掘り返さないと無理でしょう。
>>532 猿石は江戸時代に元からあった場所から動かされたそうです。
535 :
天之御名無主:04/05/09 22:49
猿石は意外と高く売れるかもしれない
でも、盗んで売ったらだめよ
どこに売ろうかなー
本心じゃないよ
ばーい
ばい
・・・。
教えてください奈良の大仏
保守
このスレへ久々のカキコ。
------------------------------------------------------------
奈良県明日香村が“丸ごと”世界遺産目指す
ttp://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-040630-0019.html ------------------------------------------------------------
極彩色の壁画で知られる高松塚、キトラの両古墳をはじめ、数々の歴史遺産を持つ奈良県明日香村が
30日までに、村丸ごと世界遺産登録を目指すことを決めた。
04年度予算に調査費55万円を計上し、5年後の実現を目標に、近く文化庁と今後の活動など
------------------------------------------------------------
明日香村をとりまく環境の変化を、世界遺産登録で払拭する狙いでしょうか。
環境変化の要因として、まず第一に町村合併の件。
これは橿原市などとの合併を明日香村が拒否する形となっていますが、
ひとつには村民の明日香文化への誇りゆえであり、もうひとつには保護地区としての
既得権益(税制優遇等)を守りたいというコンサバティブな思いがあるようです。
第二が、農業立村の限界。
明日香村には保護地区となって以来、村復興計画みたいのがプロジェクトとして
あるわけですが、かつて農業立村を主要産業において景観保護を唱えていたものが、
数年前の第三次計画から観光立村へと移行してきています。
農業人口および農業収益の減少という現実への対応です。
第三が、観光客の減少。
かつての高松塚古墳ブームをピークに明日香村への観光客は減少傾向にあります。
ただし、最近の酒舟石遺跡やキトラ古墳、万葉記念館などで盛り返しつつは
ありますが、これを一過性のものにしないためにも、やはり世界遺産という
お墨付きが欲しいのでしょう。
545 :
17=20:04/06/30 23:45
しかし、世界遺産登録にはいくつかの規定があり、
明日香村の登録は正直むずかしいようにも思われます。
規定のひとつに、唯一性を問うもの、つまり類似した世界遺産が存在しないことがあります。
実は、奈良市街一帯が世界遺産登録されるときにも、京都市街一帯との違いが議論になりました。
しかしこのときは奈文研の方をはじめとする学術関係者の努力で、平安時代の貴族文化と
奈良時代の古代律令文化の違いに関する論文などで、遺産登録を勝ち取った経緯があります。
ひるがえって、奈良時代と飛鳥時代の違いというものが世界レベルで理解されるのか、
という疑問があります。また地理的にもあまりに近く、飛鳥時代を代表する法隆寺などは
すでに世界遺産に登録済みという負い目もあります。
しかし、希望はあります。世界遺産登録のほかの規定に、国をあげての推薦であることや、
維持管理費用を安定供給できることというのがあるのですが、これはつまり先進国に有利というか、
甘い規定なのです。金持ち日本国が本気になってユネスコに訴えかければ、あるいは
世界遺産登録も可能かもしれません。
私は個人的には登録されてほしいと思っています。l
登録されてほしいと思う反面、静かな山地のままでいてほしいとも思うな。
なんせ人が集まるところはガンガン開発されちゃうし。
明日香って静かな山地だったっけ?
>>547 546ではありませんが、
飛鳥川をほんの20分も徒歩でさかのぼれば
静かな山地とまではいえなくも、里山のたたずまいです。
しかしさすがにあの辺りは普通の観光客は足を向けない。
遺跡もなにもないところですが、大和の自然風土という
飛鳥時代から変わらないであろう風景を偲べる場所のひとつです。
550 :
天之御名無主:04/07/08 21:19
age
>>549 ありがとうございます。
明日香村のHP、流石に詳しいですね。
また行きたいけれど、夏はきついから…。
552 :
1言主:04/09/23 00:36:43
このスレ、時々落ちてませんか?
今日見たら、再び上がってまして変な気持ち。
17=20さん、F-Kさん貴重なレスありがとう。
これから、ますます飛鳥から目が離せませんね。
保守ageのついでに、談山神社の紅葉期待宣伝
554 :
天之御名無主:04/10/15 21:02:10
紅葉は11月。
555 :
天之御名無主:04/10/16 04:45:44
世界遺産に固執する必要ないと思うが・・
556 :
天之御名無主:04/10/16 22:22:48
明日香は結構世界遺産に必死ですよ
僕は明日香村の隣の高取町の者なんですが最近まで合併話がでていたのですが「世界遺産に登録されるには合併するのは不具合」ということでその話は無くなりました
557 :
天之御名無主:04/10/17 00:22:47
>>556 俺、橿原市民なんだが、本当にそんな理由だと思ってたら相当おめでたいぞ。
明日香が合併を拒否したのは明日香法の公共事業が後4年分残ってるからだろうが。
559 :
保守:04/11/27 03:10:10
560 :
天之御名無主:04/12/06 01:15:05
明日香村のとある信号。
交互信号の為、すすめ20秒 止まれ4分
562 :
天之御名無主:2005/04/11(月) 23:31:49
飛鳥、明日香、正しくはどっち?
563 :
天之御名無主:2005/04/11(月) 23:43:24
飛鳥がタイプ
やっぱりCHAGEだろ?
565 :
天之御名無主:2005/04/13(水) 21:52:05
アスカとナスカの関係について
566 :
天之御名無主:2005/04/13(水) 22:44:34
567 :
天之御名無主:2005/04/14(木) 19:50:38
大陸(中国・北朝鮮)に不安を抱えた現在は、明日香の時代と似ているだろうか?
首都を岩手県あたりに移さなくていいか、おい。
568 :
天之御名無主:2005/04/27(水) 22:07:35
大陸に位置する南北朝鮮は中国の軍事力と国境で目の前で対峙し、さぞかし脅威だろうな。
その点、日本は海という緩衝帯があってのんびりしたもんだ。
明日香の時代、天智天皇もそんなにあわてて大津遷都などしなくとも良かったのでは?
じゃ、今はどうしよう?
大陸と断交するのじゃなく、少々見苦しいが反日運動を甘んじて受けながらも、民間レベル、経済レベルで交流を深め、
日本の実情を知らしめ、中国人民に共産党の洗脳を明らかにさせ、反政府運動を工作すればいいんとちゃう?
中国は分裂の危機をいつもはらんでいる。
なかなかまとまらない国だ。そこにつけ込め。
で、義経の飛鳥での足跡って、吉野隠れとか、吉水神社くらいしかないの?
569 :
天之御名無主:2005/08/21(日) 12:05:39
暑いな^^(*_*;)
570 :
天之御名無主:2005/08/21(日) 20:12:51
古代の朝鮮語で「安住の地」を意味する「アンスク(安宿)」が転じて、
「アスカ」となったのだとか。
571 :
天之御名無主:2005/08/27(土) 21:00:57
アパートがあったの?
572 :
天之御名無主:2005/09/02(金) 21:53:42
稲刈り
573 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:06:04
飛鳥資料館に、亀石のレプリカがあるが、設置する際に、
ある人が西に顔を向けようと言ったら、関係者に猛反対され
結局今の向きに設置されたとか。
古代朝鮮語?
判明したの?
せいぜい中世までしかさかのぼれんと思ってた。
575 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:10:07
思ってただけでは、屁のつっぱりにもならないのが歴史だぞ。
>570 >574
地名の由来というのは惜しいところまでいったとしても、
それをひとつに絞り込んだり、真相にたどりつくっというのは難しいと思います。
アスカについては、既に過去ログ >36-42 で一通りの説が出尽くしていますね。
古代朝鮮語が解明されていない件についても >164-165 で既出です。
ただし、日本書紀中の逸文や地名など、若干ではありますが、
古代朝鮮語を知る手がかりも残されています。
ちなみに、アスカの語源が 「安宿」 であるとするのは、あながち的外れとは言えない
かもしれません。 「宿」 を 「スク」 と読むのは朝鮮語の訓と考えてよいと思います。
奈良の大仏で有名な、聖武天皇のお后で 「光明皇后」 という人がいますが、
このひとの諱が 「安宿媛(あすかべひめ)」 と言います。(日本続紀) ほかにも類例
として安宿王(あすかべのおおきみ)(安宿奈抒麻呂(あすかべのなどまろ)とも)という
名前の人物がいたことが知られています。(万葉集20-4301,4452,4472)
「あすかべ」 の 「べ」 は不明ですが、少し遡った時代に泊瀬部大王(はつせべ)(=崇峻)や、
穴穂部間人大后(あなほべのはしひと)(=聖徳太子の母親)などといった名前がありますから、
「部」 はその人物の所領(食封)に関係するものかも知れません。つまり、光明皇后は
飛鳥に領地をもっていた(不比等から与えられた)のかもしれません。
ただし、光明皇后の時代には飛鳥はすでに現在のような表記(飛鳥/明日香)で定着して
いたようですから、たとえ 「安宿」 が地名だったとしても、いわゆる 「飛鳥」 と同一場所とは
限らないということも考えておく必要があるでしょう。
アスカが安宿であったとしても、アスカは「飛ぶ鳥」とは何の縁も意味もないのかなあ?
⊂⊃ /~~\ ⊂⊃
...............,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘.............
578 :
誰か教えてください:2005/09/16(金) 19:57:43
このスレ、本当に不思議っす。
日本の草創期だけに、飛鳥は興味が尽きない。
そして、初恋の飛鳥ちゃんは今どうしているだろう?
アスカって名前自体が、魅惑ですよね。
>>60 >10年ぐらい前に明日香村へ行ったとき、
>田んぼの脇を歩いていたら、一人の老人が「藁の干し方が2種類あるやろ」
>と急に話し掛けてきて、
>「原住民の子孫は家形に藁を干し、
>渡来人の子孫は船形に藁を干すんや」と言う。
>なるほど確かに田んぼには家形に干してある藁と、
>船形に干している藁があった。
これってネタ?
実際に見たいです。
今頃どうですか?
見ることできますか?
579 :
天之御名無主:2005/09/16(金) 22:18:26
>>578 明日香村周辺でも、稲の干し方は色々ある。
私が見た限りでは、船形に明日香村は干してある。
山越えての宇陀では家形だったと思う。
580 :
誰か教えてください:2005/09/17(土) 13:25:32
>>579 早速のレスありがとう。
一度見てみたいのですが、稲刈りシーズンは終わりましたか?
モルモン教徒だ
582 :
天之御名無主:2005/09/17(土) 14:57:50
>>580 稲刈りのシーズンも何も、まだ9月入ったばかり。
明日香、橿原周辺は比較的田植えの時期が遅いため、稲刈りも
必然的に遅い。
10月中ごろからの刈り入れだったと思う。
今頃は明日香は畦道に彼岸花が満開ですね。
583 :
580:2005/09/17(土) 22:05:46
>>582 お知らせありがとう。
十分間に合いそうで良かった。
毎年のように飛鳥あたりに散策に行くので、今年は、ぜひそのころ見てきたいと思います。
彼岸花もいいなあ(^^)
584 :
天之御名無主:2006/01/17(火) 19:28:32
冬の飛鳥もいい。
でも、ここ数年、辺りが整備されすぎてきている。
農道の中に、ポツポツと遺跡があった頃が懐かしい。
585 :
天之御名無主:2006/03/10(金) 20:10:03
この板、過疎杉。
このスレもなかなかdat落ちしないw
586 :
天之御名無主:2006/03/13(月) 17:12:39
隣の元橿原市民だけど飛鳥スレってあったんだ。5年も続いてることにびっくりした
>>203 ガキのころはよく飛鳥にゲンジ採りに行ったわ。懐かしい。
コクワぐらいならいっぱ採れたなあ。ミヤマも芋峠のほうに行けば結構採れた。
あのへんは当時(20年前)とあんまり変わってないしまだまだ採れるんじゃないかな。
ああ、オオクワも一度だけ採ったことがある。今は開発されて住宅地になってるけど。
たしか欽明天皇稜の近くの森だった。
蛍ってもういないのか・・・飛鳥蛍って村か県か国かの保護対象になってたようなきがするんだけど。気のせいか・・・
稲渕の棚田のあたりで川沿いの竹林に蛍が群れてクリスマスツリーのようになってたのを今でも思い出せる。
俺は橿原のニュータウンっ子だったけどふるさとっていう言葉を聞くとなぜか明日香の情景が浮かんでくる。
ガキのころに自転車で飛鳥まで行って泥々になって遊んでたからな。虫採ったり釣りしたり川遊びしたり・・・
587 :
天之御名無主:2006/03/13(月) 18:20:43
あ、それと観光客の人に俺のお薦めスポットをひとつ
飛鳥川上流の女淵
石舞台から飛鳥川に沿って芋峠のほうへ、飛鳥川上坐神社を越えてもっと奥に行けば小さな集落があってその先にある。
この辺りは人もほとんど来ないし周りの景色も素晴らしい。
女を連れて行くのもいい
588 :
天之御名無主:2006/03/15(水) 15:00:00
石舞台のそばに蘇我のものらしい遺跡が見つかったね。
589 :
天之御名無主:2006/03/15(水) 15:09:01
590 :
天之御名無主:2006/03/22(水) 11:05:19
591 :
天之御名無主:2006/03/26(日) 18:40:04
明日香の猿石と、済州島の石像が同じ顔。
592 :
天之御名無主:2006/03/26(日) 18:47:03
>>591 明日香の石造物は渡来人が作ったとの説が強いのだから、似ていて当たり前。
高松塚古墳の壁画の女性は、日本に最近多い中国人女性とそっくり。
594 :
天之御名無主:2006/03/31(金) 23:32:42
>>587 「飛鳥川上流の女淵」ですか、要チェックですね。
今度行くときには訪れてみたいですね。
でも手元の地図では見えないです。
石舞台の前の道を、東というか談山神社の方へ行くのですか?
飛鳥の石造物の「鬼の雪隠」と「鬼のまな板」は、石室(古墳)の箱とフタだったらしい。
なんで外されてるのかは不明だけど。使われなかったまま放置されたのかな?
盗掘されて放置されたんじゃないかな。
597 :
天之御名無主:2006/04/06(木) 08:07:51
その後、鬼が便所に使ったんだ。
鬼の雪隠と俎板は運んでいる最中に割れてしまったため、
放棄されたとの説があります。
大雨で崩れ落ちたのでは>雪隠
じゃあ盗掘されて割れて放置されて大雨で崩れ落ちたということにしよう。
601 :
天之御名無主:2006/05/06(土) 16:08:15
今の飛鳥はいい季節だよ
今の飛鳥は、陽気もいいし散策にはいいかな。
でも、人大杉。
冬枯れの飛鳥はのんびり回れるかな。
603 :
天之御名無主:2006/05/07(日) 03:21:38
>>602あんたほんまに明日香に来たことあんのか?
ゲンセツでもない限り広大な明日香が人多すぎなんてありえないw
もし本気で言ってるなら明日香を局地的にしか知らない証拠
人口:6,662人(女性3,492人 男性3,170人)
■人口密度(面積2,124平方キロメートル):276.2人
>>603 この時期の観光客の人数のつもりで書いたのだが。
明日香村の人口はここ30年ほとんど変わっていないのは知ってる。
605 :
天之御名無主:2006/05/08(月) 03:53:02
>>604 明日香ファンなら普通の観光客が行くようなところは避けたらええやん
というつもりで書いたのだが
明日香つってもけっこう広いっすよ!
606 :
602:2006/05/08(月) 22:16:53
>>605 明日香じゃ栢森から飛鳥川の源流部へ歩いてみたり、畑から冬野まで行き
そこから談山神社まで歩いてみたり、御破裂山まで車で上ったりしてます。
まあ、テーマパークじゃないんだから、歩いて回れるようにはなってませんよねw
608 :
天之御名無主:2006/05/22(月) 22:06:48
そうそう何度も出かけて見に行く場所ではないな>飛鳥
しかし、漏れは一度行っただけで、なぜか脳裏に焼きついて忘れられない数々の場所がある。
それから数年ごとに出かけている。
609 :
天之御名無主:2006/05/22(月) 22:24:12
住みたい
610 :
天之御名無主:2006/05/23(火) 10:22:41
後1月位で蛍でる?
611 :
天之御名無主:2006/05/23(火) 22:20:55
お化けみたいに言うなw
612 :
天之御名無主:2006/05/26(金) 20:00:51
日本書紀と古事記は具体的にどう違うのですか?
日本書紀:神代〜持統天皇
古事記:神代〜推古天皇
なんだけど岩波文庫では
日本書紀:5巻
古事記:1巻
↑差がありすぎなんですけど
613 :
天之御名無主:2006/05/26(金) 20:07:58
614 :
天之御名無主:2006/05/26(金) 20:57:15
615 :
天之御名無主:2006/05/26(金) 22:27:50
616 :
天之御名無主:2006/06/19(月) 14:20:43
>>614 心霊スポットというよりは、デイトスポットに向いている。
ただし夏は暑すぎ。
心霊スポットデートに行く奴なんて頭の悪い奴とかヤンキーくらいだろw
618 :
天之御名無主:2006/08/08(火) 19:23:08
毎日暑いな。
619 :
なか:2006/10/02(月) 18:15:46
>1言主 よ!
宇陀町なんてないぞ!昔は大宇陀町だったが今は宇陀市。
だから大が抜けているんだよ。それこそ不思議だっつーの。
620 :
天之御名無主:2006/10/02(月) 22:24:02
日本をニホンといったりニッポンといったり、大をつけて大日本といってみたりするのと同じ。
621 :
天之御名無主:2006/10/20(金) 19:41:09
過去レスに、稲わらを船型に作る作らないとかいう風習があったように思うが・・
そういうの今でもあるの?
622 :
天之御名無主:2006/10/27(金) 21:11:42
もう稲刈り終わり。
来年見て調べてみてよ。
623 :
天之御名無主:2006/11/10(金) 19:41:19
談山神社のモミジは、いまどうですか?
624 :
天之御名無主:2007/01/04(木) 10:09:37
もう無いよ。
ブーブー
626 :
天ノ川 創:2007/01/09(火) 19:56:31
1
飛鳥は太宰府の事なんだよ
628 :
天之御名無主:2007/01/18(木) 23:53:59
アスカとナスカ
>>627
奈良の飛鳥の遺跡は都なの?
630 :
東アジアニュース速報+:2007/02/04(日) 18:26:48
631 :
天之御名無主:2007/02/28(水) 01:53:11
あげたろ
633 :
天之御名無主:2007/04/10(火) 22:19:41
飛鳥って元都にしては、ひなびた田舎だった。
つうか最初からひなびてはいたと思いますが。古代都市とはそんなもんでしょう。
635 :
天之御名無主:2007/07/21(土) 23:41:11
ひなびたままでよかった。
今は、10年前と比べ整備されすぎ。
公園みたいで、興が半減。
一昔前は、田舎の生活風景の中に、遺跡が入り込んでいてよかったと思う。
636 :
天之御名無主:2008/04/12(土) 12:19:18
638 :
天之御名無主:2008/05/10(土) 19:40:15
良スレage
確かに整備されたな。十数年ぶりに行って驚いたw
明日香好きだー
随分前のレスだが、大和と明日香の兄妹裏山シス
息子の名前候補に両方あったが(アスカは飛鳥で)画数が悪くて諦めた。
640 :
天之御名無主:2008/05/15(木) 00:26:56
亀石のフィギュアがついてるストラップ作って売ればいいのに。
それでも西向けちゃマズイですか?w
641 :
天之御名無主:2008/05/18(日) 01:40:57
ムーにゾロアスター教と関連づけてたな
ちょっとまえにテレビの世界遺産でイランのゾロアスター遺跡みたときは
おれも酒船石は遺跡にあるハオマ酒ずくりの道具だとおもったんだが
ムーによると酒船石は実験によるとうまく水が流れないから違うとやっってて
残念やった*+むしろ周りの建造物の地図らしい←つまんね
ゾロアスタキョウにはハオマシュが絶対に必要という弱点も逆に現れたぞ
飛鳥=ゾロアスターキョってものならないな。
642 :
天之御名無主:2008/11/29(土) 12:19:51
飛鳥そしてまだ見ぬ子へ
643 :
天之御名無主:2009/05/18(月) 08:50:27
飛鳥の蘇というものはうまかったッ!!
秋野だったかに大国屋というクズの老舗があって、ここのくず粉はなんというか魔法のような力があって
滋養強壮バツグンで風邪引いていても一つ飲めばどんな病人も床をけって立ち上がるという・・
644 :
天之御名無主:2009/05/18(月) 10:07:09
>>641 ゾロアスター教は大麻も使ってるけど。そのせんは?
645 :
天之御名無主:2009/05/22(金) 23:27:37
当麻寺(タイマデラ)って、やっぱ関係あるのかな。
646 :
天之御名無主:2009/06/08(月) 23:47:07
647 :
天之御名無主:2009/07/15(水) 21:29:01
飛鳥の蘇って生キャラメルみたいだ。
しかし、生キャラメルほど売れていない。
飛鳥自体も奈良市に比べ売れていない。
残念なことだ!!
648 :
天之御名無主:2009/08/01(土) 09:22:24
酒船石は古代イスラエル地方の縮小図を古代ユダヤの尺度で現したもの!
649 :
天之御名無主:2010/07/25(日) 00:28:36
酒船石やぶ蚊多かった。
650 :
天之御名無主:2010/07/25(日) 08:44:38
九州のかなりの田舎の草に埋もれかかった小さな遺跡など見に行ったが、大メジャーな飛鳥には未だ行った事がない!
しかしNHK連続テレビ小説『あすか』は毎朝欠かさず観ておった!
竹内結子がホントに可愛かったのは『あすか』まで。せーぜー大目に見て『ランチの女王』まで!
651 :
天之御名無主:
大メジャーな飛鳥って、そういや遺跡って、まぁ普通はど田舎の端にあるもんだわな。
そういうのから比べたら、日本最大の遺跡都市かもね。
奈良では遷都の祭りみたいなもので盛り上がっていたが、飛鳥もおなじように盛り上がっているのかな?
奈良まで行って、飛鳥のことは思い浮かばなかった私が聞くのも失礼な話ですが。