売春婦の歴史は古い。
とはいえ当初は金銭で春を売ったりはせず、宗教的な行為として行われていた。
古代、神に仕える巫女は、神がかりができて神の代言者であると信じられていた。
その一方、男たちは巫女とセックスすることによって神と交流できると考えられていたため、巫女は決して不浄なものではなく、むしろ神聖な存在と思われていたのである。
その結果生まれた子供はみんなで共有して大切に育てられた。
例えば桃太郎やかぐや姫などの昔話の主人公というものは、年老いた両親が神様に願をかけて生まれた子供であったり、拾われてきた子供であったりする。
昔は、跡継ぎがいないということは、老体になって働けなくなれば、土地を取り上げられることを意味していた。
だから跡取りがいないというのは、今以上に切羽詰まった悩みなのだ。そこで、解決策として、神社の神主の子種を頂いたり、巫女さんに子供を生んでもらったりする。
巫女さんといえば、いわゆる売春婦の先駆け。
どこの誰ともわからぬ子供を生むこともあったが、その子供は神の子とされ、こういった老夫婦の手に渡されたのである。
ってほんと!???
>1
日本じゃありませんが、サルゴン一世などそういった出生話の持ち主でした
ね。巫女の母が父無し子の自分を産んで川に流したが、遊牧民の族長に拾わ
れて成長し、王となったという話で。
上記の話を「飾らない記録」と解釈なさる方もおられますが、父=神であり、
川で死ななかった者=英雄と見ると途端に胡散臭くなりますね。
それで巫女さんと娼婦さんを結びつけるのは強引と思う。
片や宗教的な物、片や金銭的な物・・・。そりゃ巫女さんだって、生活資本を
依存してたから、報酬と言えば報酬だろうけど・・・。うーん。
巫女が零落していって娼婦になったってのはそこそこ定説
じゃないのですか?網野さんなんかが言ってません?
おいおい遊び女における民俗学の位置かよ。
無理にそれっぽい題名にしなくていいよ。
意味不明だ。
イシュタルの神殿とか
「遊び女に関する民俗学的考察」もしくは「民俗学における遊び女の考察」
ぐらいが妥当だったじゃない?
日本には、姦淫するなかれ、とかいうキリスト教の戒律からは、
ものすごく縁遠く、非常におおらかだったようです。
巫女が、どういうタイミングで売春をするのか、よく
わかりませんが、
歌、踊り、などの芸術、芸能を職とする人は、
それだけではなんともならず、売春と対になっていたようです。
よく知っている人がいたらおしえてほしい。
歴史の隙間を埋めたのは、マリアであり天照であり、阿国であり、ファーティマであり、全て遊び女である。
彼女らは、妓芸の職能民であり、網野は吉原のソープ嬢さえ職能民と位置付けそうないきおいです。
あぼーん
巫女っていうのはそもそも「神の売春婦」で、
外から来た人=神と交わって、子供が出来たとかそういう話
をどっかで見た気がする。
それがだんだんと神聖視されなくなってきたのではないかな?
>>9 そう。文化は彼女たちから生まれてきた。
吉原は、確かに多くの伝統芸能の流れの現時点での末端である。
でも、いまの吉原に、どういう文化があるか。
文化とは誰もが簡単にできるのではなくて、それなりの
特殊性が必要でしょう。
文化と言ってもよいほどの究極のセクシャリズムがある、と
いえるのかなぁ?
>>12 文化とは何か、定義をする必要があるのでは?
>>13 そうですね。
文化=「固有の美」、だと思っています。
「固有」=ある地域や人とかに限定された特殊なもので、一般化
されにくいもの。
「美」=なにかに接したとき、思わず快哉を叫ぶような
満足感、もしくはそれが自分の想像や予測をはるかに超えたときの
感動。
15 :
天之御名無主:02/07/19 23:17
「異界」という言葉がありますね。
吉原などの遊郭は、異界なのでしょうね。
非日常なハレの世界。
ではいまの遊郭=ソープに、
将来に残せるような「遊び」があるか。
もしあれば、それが文化かも。
(^^)