>>261 十二単は、脱皮するみたいに脱げるんだよ。
それでもう少し身軽な格好で厠へ行く。
厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
余談だけど、十二単時代から後期、打ち掛けの場合は、まんま引きずっていく。
専用裾持ちが二三人付いていく他、拭き役専用、監察役だったかな。
ここらは江戸後期で天璋院篤姫の小説なんかに描写あるよ。
もう少し最近なら、九条家の姫とかのも何かレポっぽいので見たな。
264 :
天之御名無主:2009/06/29(月) 10:36:29
>>262 厠については、増田繁夫先生の『源氏物語と貴族社会』をお読み下さい。
紙の使用は、平安後期には確認出来ます。古くは木のへらが使われました。
>厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
>つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
>側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
この点は初耳ですので、私も出典を知りたいところですが。
身分については、あくまでも中流出身の女性からの視点ですが、『源氏物語』の
序盤にあたる「箒木」の巻の内容が、参考になるでしょう。
全くの平民ということは、なかなかなさそうです。最低でも郡司クラス。
平安後期以降は遊女が寵愛を受けたこともありましたし、雑仕女常盤という
のも出て来ましたが。
寺院の建立縁起で、狩りの最中に立ち寄った家の娘と関係を結んだ話があっ
たと思いますが、これも郡司クラスの娘だったと思います。
着物が脱皮するように逃げている絵は、中世の天神縁起に出て来ます。
世尊寺の阿闍梨を中傷した女房の段ですが。日本絵巻大成か全集参照。
×逃げている
○脱げている
失敬
女の人は漆塗りの箱に大小排泄して使用人に捨ててきてもらうそうですが
そういうのはやはり一定クラス以上の裕福な貴族限定なんでしょうか
それって芥川?最後うんこ食べちゃうやつwww
作品名忘れたけど強烈な話だったw
あれは古典で元ネタがあるだろう
美女のうんこを見れば流石に幻滅できる! と思ってうんこ箱を覗いてみたら
甘かずらかなんかで作ったいい匂いのする偽うんこが入れてあったって言う
『平中物語』です。『今昔物語集』にもありますが。
>>261 他スレより。
289 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 10:45:11
>>285 貴人は蒸し風呂に入って体を拭いた。
庶民のほうが川で水浴びで頻繁に入っていたかも。
平安時代の貴族は箱や壺に用を足した。
平安時代に行われた貴族同士の大宴会では、屏風の陰に壺が並べて置かれ、
身分によって用を足す壺が違っていたらしい。
思い通りにならない恋に苦しんだ男が
恋する女の用を足した箱を侍女から奪うという話もある。
用を足す容器のことを樋箱といい、
樋すましと呼ばれる女性がこの容器に入った汚物を所定の場所へ捨てに行き、
洗う役目を担っていた。
【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149638384/285-289
272 :
261:2009/07/20(月) 00:12:26
遅れましたがありがとうございます!
やはり平安時代ではまだまだおまるが基本なんですね~
でも別に幻滅するような話でもないですね
ちゃんと捨てに行ってたんだから最近までのぼっとん便所とぜんぜん変わらない
それどころかおまるのほうが気品があるかも
屏風の陰でってのはちょっとあれですが・・
ま、捨てに行く係の身分に生まれてたら…と考えればガッカリな風習ではあろうな
274 :
天之御名無主:2009/10/12(月) 09:49:48
ふんどしを穿いていたのは
貴族だけなんですか?
農民は下着はつけていたのですか?
一般女性はつけていたのでしょうか?
貴族は表袴や指貫の下には「大口袴」「下袴(したのはかま)」というものを直穿き
(時代が下ると小袖の上から穿く)しており、
庶民でも袴を穿くものは下袴や半袴(膝上のパンツみたいな袴)を肌着としていたようです。
ふんどしの原型である「犢鼻褌(たふさぎ)」を穿いているのは袴も穿かない下層民や
労働階級が多かったのではないでしょうか。
女性は貴族ならやはり袴(長袴)です。
女性が緋袴を穿くのは体を冷やさないように、というほかに経血が目立ちにくいようにという
理由もありました。
身分の低い女性や、もう少し時代が下って袴を穿かなくなった武家・宮中の女性は
「湯巻(ゆまき)」という巻きスカート様の腰巻きを着けました。
276 :
天之御名無主:2009/10/12(月) 12:20:34
>>275 ってことは、身分の低い女性は、湯巻の下には
何もつけていなかったってことですか?
下着って言うのは一番下に着るから下着というのであって
>>276 まあトップスという意味では小袖(肌小袖)の裾くらいは入ってたんじゃないでしょうか?
ボトムという意味ではそれ以上は無いはずです。
279 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 03:26:03
>>271 昔の貴族はおまるだったみたいだが、庶民はどうだったんだろう。
おまるを洗うのって、真冬は大変だったろうな。
庶民は、室温の上下動を低くして、冬暖かく夏涼しくすごすために、平安時代はまだ竪穴式住居だよね。
大陸のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居では、
家の真ん中に小便をする容器が置いてあって、そこに溜まったもので手を洗ったりする習慣があって、
不潔すぎるって指摘された記録が残っているが、誤解した話が伝わっているような気がしてならない。
アイヌのチセって家の図はいろいろ見たが、トイレは屋外だったのか、書いたものが多くない。
ある古い神道の家では、トイレは大昔から特殊な加工を施したオガクズが入った容器だったらしい。
いわゆる醗酵方式と言われているもので、現代の家庭用生ゴミ処理機と原理は同じ。
ここのサイトでは、バイオトイレという名で紹介されている。
http://www.seiwa-denko.co.jp/care/care.html ここのサイトでは、コンポストトイレという名で紹介されている。
http://takthefool.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_b545.html 使用したらかき混ぜて保温しておくだけ。
乳酸菌などの善玉菌の醗酵をするから、悪玉菌の醗酵のように悪臭がまったく漂わないらしい。
オガクズと混ぜられた便は、4時間ほどで、二酸化炭素と水蒸気と米粒大のミネラルに変わって消滅する。
醗酵温度は最高で80度にも達するため、たとえ伝染病のもとになるような悪い菌がいたとしても、
死滅して、汲み取り式のトイレよりもはるかに清潔らしい。
巫女さんの話では、醍醐と呼ばれるもの(ただし主原料は牛の乳ではなく大豆)を食べているから、
一般の現代人のように臭くなく、赤ん坊の便のような乳酸菌醗酵した臭いなので、
狭い閉ざされた部屋の中で使っても、香を漂わせておけばまったく気付かないレベルらしい。
椅子型トイレと言われても、るまでその部屋に座敷トイレがあると分からなかった。
管理は、半年に一回ぐらいオガクズを入れ替えれば、堆肥として使えるらしい。
醗酵式トイレは、牛や馬を飼ってる小屋の敷き材式トイレとしても使われていて、小屋が臭くないらしいが、
なぜ醗酵式が昔から知られているのに普及しなかったのか不思議でならない。
280 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 04:30:09
で、問題のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居の中央にあった尿を入れておく容器だが、
コンポストトイレの紹介サイトにも書かれているように、水と竹炭などを入れた容器に溜めておくと、
たいして臭わない状態で部屋の中に数日は置いておけるらしい。
漢民族はそういったノウハウを知らないで、堆肥を作るのは汲み取り式便所って発想があるから、
不潔極まりないって、とんでもない誤解が広まったのではないかと思えてくる。
とある古い神道の家では、部屋の中に、
銀のうえに現代風の透明な七宝焼きが施された壷があって、
中は練炭のような黒いものが詰まっていて、電気コードが一本差し込まれていた。
散逸構造生成という技術で作られた高機能性新素材を使っているからまったく臭わないらしく、
説明を受けても、トイレには見えなかった。
「趣味で七宝焼きの壷を作ってますが、海外のデパートで7万円ぐらいで売ってもらったことがあります。
この気化式トイレを改良して、体に装着して携帯出来るようにしたのがこれです」
と説明を受けて、普通の部屋で女狩衣と呼ばれる平安装束の袴やトランクス? を脱いで見せてもらったが、
リボンやフリルが付いた、Iバックの形をした水着をつけているようにしか見えなかった。
「これを装着したまま、乗馬やフィギュアスケートをしても平気なんですよ」
昭和の時代にアレンジされた平安装束の下に、そんな凄いハイテクが隠されていたとは、
にわかには信じられなかった。
気化させているのに臭いがしない理由がかいもく分からないのだが、
バイオテクノロジーとは無縁の、普通の人がやっているコンポストトイレの紹介サイトでも、
それらしいことが書いてあるし、
現代のハイテクではなく、竪穴式住居時代から臭わないようにする方法があったのなら、
凄いと思うし、普及してなかった筈がないような気がしてきた。
281 :
天之御名無主:2009/10/18(日) 04:34:31
「人工肛門を使っている患者さん用に、便を醗酵させて高速分解する携帯型のバイオトイレも開発中ですが、
さらに一歩進めて、腸内に内蔵できる寄生虫型のトイレを研究中です。
うちで飼っているグリーンイグアナにも内蔵しています。
変温動物ですが、分解時の発熱で腸から体が温まるので、
日向ぼっこをあまりしなくても、真冬でも凍死せずに平気で屋外を動き回ってますね」
神社の境内を体長1.8メートルのオスのグリーンイグアナが、歩いているのを見たことがあったが、
まさかそんなハイテクが不可能を可能にしていたとは。
「醗酵によって80度まで発熱してしまう暴走の危険さえ解決できれば、市販できるんですけどね。
腸内内蔵型トイレから電力を取り出して携帯機器を動かすことも出来るし、便利なんですよ」
袴の脇からコードを出して携帯電話やデジカメに充電したり、
ノートパソコンをストラップで吊るして、立ったまま使用してるのを何度か見たことがあったが、
まさか、そんな場所と繋がっているコードだとは知らなかった。
あの人達と一緒に行動しているときに、公衆トイレなどに行ったのを見たことがないので、
なんとなく不思議に思っていたのだが、説明を受けて理由が分かった。
「NASAの宇宙服って、今でもオムツみたいだから、採用してもらいたいんですよね。
でも、食事に気をつけないと、発酵しなくなったり、暴走するんです。
現代人は防腐剤などの入った食べ物を食べちゃうから駄目なんですよ」
神の依り代として清い状態を保つ必要があるため、農薬や防腐剤などで汚染されたものを一切口に出来ないと言って、
外食を全て断っていたが、本当の理由はこっちだったかと気付いた。
現代の平安装束では、バイオトイレが携帯出来るようになっていることは分かったが、
昔の庶民はどうやっていたのか、知りたくなってきた。
農業をやらない、堆肥作りの必要がないアイヌのチセは、発酵式トイレになっていなかっただろうか。
話を聞いているうちに、もしも平安貴族が使ったというおまるから、竹炭やオガクズが出てきたとしたら、
コンポスト方式だった可能性も出てくるのではないかと、ふと思ったのだが真相はどうだろう?
おまるって言っても漆塗りの箱だったみたいだけど
『今昔物語集』の「平定文仮借本院侍従語第一」では
平定文が恋する侍従の君に幻滅するために彼女の樋澄まし童から糞便用の箱を奪い取って
中身を嗅いだり舐めたりした(なお中身は野老と甘蔓の汁と香を練り合わせた偽物)話があるが
底に水気が溜まっていた(そしてそれを啜った)という描写があるので
砂やおがくずなどは入ってないものと思われる
>282
それってお料理の話だよね? 鰹節は入ってなかったのかな?
モテない男を笑い者にすることを狙った、ジョークの作り話のようだから、
判断材料にしていいか、疑問があるかも。
おがくずの中に便を入れると、普通の家庭用生ゴミ処理機で残飯を処理するよりも
はるかに速い速度で分解して消滅するのは、便は半ば分解された発酵が進んだ状態だからのようです。
便の臭いが室内に広がらないようにすることを目的に、おがくずを上からかけておく程度の工夫は、
ちょっとしたことで思いつきそうだ。
現に、ある神道の家では、いつ頃からかははっきりしないものの、行っていたようだし。
味噌も糞も一緒、という表現があるけど、
乳酸菌発酵が進んだ状態だと、
事情を知らない人が、漆塗りの箱に入って部屋に置かれているものを、
誤食することがないわけではなさそうだ。
十二単のような身動きが取れない服を着て、トイレにもなかなか移動できないから、
おまるを使うしかなかったとは、不便だな。
>>283 文献資料よりもバイオトイレのお話を続けたいのでしたらしかるべき板とスレへ行かれる事をお勧めします。
まあ、そういった所には専門の方が既に大勢いらっしゃるでしょうが。
>>283 平定文は「今昔物語集」以外にも「十訓抄」「宇治拾遺物語」「平中物語」
などに名の残っている実在の人物で、色好みのプレイボーイとして有名
自分の唱える説を推したいからといって、
提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴するのは
学問系の板における姿勢としてはいかがなものかと
ところで、前からここや民族衣装スレで女神職さんと知り合いだと主張してる人がいるけど、
全国でそう大勢いるわけでもなく比較的特定の容易なそういう人について
こう言ってたとか何してるとか、academy鯖とはいえ2ちゃんに書き込むのって迷惑にならないの?
私だったら即、縁切りたくなるレベルなんだけど
エッチなプレイボーイとして有名だった男性を、ネタとして扱った悪口の猥談が、
アカデミックな資料になりうると主張しても、無理があると思うぞ。
悪口に聞こえる噂の類が、嘘か本当か証明できるものが他にあるのか?
自分の唱える説を推したいからといって
スカトロ系の悪口を真に受けるのに、抵抗を感じるている人を非難するとはどうかと思うぞ。
疑問符が付いて質問形になっているのは、ソースとなる文献を読んでないからではなく、
話があまりにも怪しすぎる内容だからだろう。
そのあたりを理解できずに、しっかり誤読したうえで、
「学問の姿勢」うんぬんに言及して食ってかかるのは、尋常じゃないと感じる。
この言い争いを、どう受け取るかは、個々人の自由だが、
猥談系の嘘の悪口を信じることが学問です、
私の言うことを信じない人は学問に対する姿勢がおかしい人物ときめつけて、
他人を非難する暴論を振り回す愚者が荒らしている、と確信する人々が大半だと思うぞ。
そもそもおかしいのは、
料理を食べたときに、中に砂が入っている描写などがないから、
便をするときにも砂など入ってなかった、と推論する発想を持つ点だ。
最初から、漆塗りの容器には、便とは違うもの、料理が入っていた、という記述が見られるにすぎない。
この記述から、おまるとして使うときにも、砂を入れていなかった、という推論を展開するのは無理がある。
この非論理性に気付かない時点で、文献を正しく読みこなせないことを、自ら証明している。
文献が正しく読みこなせない人物が、学問の姿勢云々と他人を非難しても、意味がない。
料理におきかえるときには、かつおぶしなどで代用できる、
防臭効果と発効分解効果が期待できるおがくずのことが話題になっているのに、
効果が期待できず、漆器に傷が付く砂が入っている話に、
自分勝手に摩り替えて、まったくかみ合わない話を作文して、
議論がおかしくなっていることに気付いていないのも、致命的だろう。
問題点を指摘されていることに気付かないまま、
「提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴している」
と他人を非難するのは、見当違いもはなはだしく、掲示板上でまともな議論ができる人物には見えない。
巫女としか書かれていないものを、
「女神職さんと知り合いだと主張」していると、誤読を流布するのも、異常行動だと思う。
この掲示板には、誤読を繰り返し、曲解を流布し、誹謗中傷を行う始末の悪い荒らしが存在することが、
何年も前から問題視されてきたが、このスレッドでも暴れていることが判明した。
この板の過疎化の原因は、このような愚か者の悪質な書き込みが繰り返されてきたことにあると、
我々は受け止めている。
社会的に排除されるべき人物は誰か、誰の目にも明白だろう。
290 :
天之御名無主:2009/10/21(水) 12:36:00
きっと、可愛い巫女さんのCストリングの水着姿を見るチャンスがないから、妬んで攻撃してるんだよ。
面白おかしく笑わせる目的で、平安時代に書かれた、
はしたない悪口など、絶対信じない人のほうが多いと思うぞ。
平安時代も今も、噂話を作る人の発想はそう変わらない。
プレイボーイに対するひがみから生まれた、
モテナイ男に仕立てあげる、およそありえそうもない臭すぎる下品な悪口を、
真に受けて信じるのが学問で、信じない奴は社会的に排除すべき対象なのか?
突拍子もない乱暴な発想を振り回して、
平安時代のおまるには砂が入ってなかったという、
掲示板を読んでいるうちに思いついたような自説を、信じてくれない大勢の人々を攻撃するとは、
アホ話にもほどがある。
もしも、そのにわか作りの自説を信じさせて、認識を広めることに成功したらどうなるよ?
掲示板を用いた誤情報の捏造と流布行為にならないか?
それこそ、学術的な掲示板で絶対にやってはならない行為だろう。
アリエナイ系の暴論を振り回した自分こそ、
いい笑い者になっていることが理解できないでやっているのなら、致命的すぎると思う。
人を攻撃する発言を熱心に連投してるし、粘着害人確定だろう。
迷惑だから学問板から出て行ってほしい。
ちなみに、屋内で便をして灰をかけて消臭することは、人ではなく猫が昔からやっている。
囲炉裏には灰を敷き詰めるのが常識だが、これが、猫にとってはトイレと同じように見えてしまい、
用を足したあと、後足で砂をかける仕草をするのだが、灰は軽いから周囲に飛び散ってしまう。
これが「結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ」と続く戯言の由来だ。
灰をかけるのは、犬猫でも全員できることなのだから、人間が出来ないはずがないと考えるのが妥当だろう。
したがって、平安時代の人は室内でおまるを使っても消臭の工夫をしなかったという珍説は、
ちょっとおかしいと感じる人が大半だと思う。
もちろん、犬猫全てよりも、人間のほうが知能が低いことが実証できれば話は別だが、
そうでない限りは、ヒノキや香木などを削ったものを用いていた可能性を捨て去るべきでないと思う。
平安時代の日本の風呂は、湯を使う湯屋や湯殿とは明確に区別され、
焼けた石の上に生木を乗せて、フィトンチッドを浴びるサウナの健康法がもとになっていて、
そのため風呂という漢字が用いられている。
病魔退散の祈祷などで護摩を焚くのも、フィトンチッドの殺菌作用や健康効果を期待していて、同じ由来を持つ。
香木を練って線香などの形で用いられるようになるまでは、香道ではチップ状、粉末状のものが使われていた。
比較的入手しやすいヒノキチップを用いてトイレの消臭を行う作法ぐらい、誰でもすぐに思いつくことだろう。
世話係がおまるを洗いに運んで行くにしても、臭いまま汁気が多い状態で屋内を持ち歩くことは考えにくい。
おがくずを使って防臭処理する作法が神社に伝わっている事例が報告されている以上、
昔からそういう工夫がなされていた可能性を推理するのは、妥当だと思う。
物証は、今後貴族の屋敷跡から発掘される可能性がゼロではないだろう。
出てくるまでは、いつ頃始まったか不明の作法が残っている、ということでいいと思う。
なにこのスレ気持ち悪い
すごい逆ギレを見たwwwww
294 :
287:2009/10/22(木) 00:49:17
猫トイレとかいうから、部屋の隅のトイレでプルプルしてるやんごとないお方を思い浮かべてしまった
うっかり目が合うと気まずそうにさっさと立ち去っていく
297 :
天之御名無主:2009/10/23(金) 12:26:05
糞尿に見立てた料理を食べる猥談文学が正しいなんて熱心に主張されると、みんな引くよね。
砂を使った、香を使ったという解説が多いから、猥談説は撃沈と見ていいだろう。
天皇も砂を使って猫レベルという情報もあるようだが、真に受けていいのだろうか。
スレッドが気持ち悪い、キモイ、縁を切るといった、
否定的な発言を並べ立てる叩きを繰り返す、バッシングストーカーが張り付いているようだ。
例の巫女さんの一族に関する情報の流通を止めたい意図を持つ人物の発言であることは、
>>294 の書き込みからもからほぼ明らかだが、ストーカーする理由を見極めて対処する必要がある。
これ以上流れると、天皇制の存続を巡る議論に終止符が打たれるような情報が飛び出して、
皇族の息の根を止める結果になることが、
「天皇家が日本一古い家柄なのか」などのスレッドなどでも明らかになったので、
この動きを止める情報工作を考えている連中がいる、と判断するのが妥当だろう。
299 :
天之御名無主:2009/10/23(金) 12:41:55
漆塗りの防水加工が施された木箱で砂を使っていると、あっという間に漆塗装が壊れて、
木がベチャベチャになって、濃厚な悪臭が漂ったり、漏水していく危険がある気がする。
砂を使ったという説も、実際に試してみると簡単に破綻する、
憶測から生まれた空論のような気がしてならない。
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかった。
土に埋めると、便は消えるのに半年かかるが、おがくずを用いた醗酵式トイレの便の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などの醗酵によって、たいした悪臭を放つことなく、
水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、醗酵式の発展がなかったとする定説はかなり不自然で、
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
内輪の掲示板で出て、砂などを用いた方式も並行して実際にテストする人が現れている。
糞尿から発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本でひとつの家庭の電力をまかなえるといった話もあるため、
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題を解決できると考える人もいる。
ある神社に現存する、胡坐で用が足せる醗酵方式のおまるが、
皇室にも伝わっていない秘伝のものだったとなると、
神様(古神道)の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うということか。
凄い物を見せてもらったのかもしれない。
>>296 お前のせいで人面猫状態のやんごとな(ry
うん、昔の新聞ポンチ絵の夏目漱石猫みたいな感じ
まいど日本史板でやればいいような話ばっかだな、ここ
もうちょっと民神板的な話題が欲しいぜ
平安時代のトイレについては西山良平の「都市平安京」で詳しく述べてるそうだから
買うか借りるかして読めばいいんじゃないの
302 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:16:32
平安時代のトイレの状態を把握することで、幾つか重要な事柄を解明できる。
主なものとして、防疫技術、食生活、都市設計、農耕技術、品種改良などがあるだろう。
疫病の発生は、大陸との交流によって天然痘が入ってきて奈良時代に流行したようだ。
飢饉の発生と伝染病の流行は、かなり密接な関係があることが分かっているので、
便の量の把握から食糧事情を探れれば、かなり違ってくるだろう。
京都の祇園の八坂神社で、伝染病の流行が止まったことを祝う祭りが有名だが、
じつは特定の神社には、幾つか特殊な防疫技術が伝わっている。
ひとつは牛頭天王の秘術で、神社から配布される、無病息災のお札は迷信ではなく、
西洋の種痘に匹敵する免疫生成効果を期待できる防疫技術だったことが、すでに解明されている。
もうひとつ重要なのは、便を介した伝染病の流行をどのように阻止するか、という技術だ。
便を下水に流したりすると、あっという間に広まってしまう。
この問題さえなければ、縄文時代からあったとされる、川屋=厠の流水便所が一番いいだろう。
砂を用いて土に埋めて処理するのでは、便の分解に半年かかってしまうため、
地下水を汚染して井戸水が感染源になってしまう可能性が出てくる。
牛や馬を飼うときに、敷き藁をしたり、木材のチップを敷き詰める、糞を処理するときに、
植物と糞を混ぜて積み上げておくと、醗酵式トイレの条件が生まれて、便が高速処理されることは、
簡単に経験的に気付くものだろう。
303 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:17:34
土に埋めると、便は消えるのに半年かかり、
土壌汚染が長期間続いて、飲料水に使われる井戸や川の水が汚染され続け、
伝染病の流行がいつまでも止まらない、深刻な結果を招く。
牛や馬を飼育していれば自然に気付ける、おがくずを用いた醗酵式トイレでの人糞の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などが積極的に働く醗酵によって、
たいした悪臭を放つことなく、水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
おがくずの保温効果が発揮されて、醗酵温度が最高で80度近く達するように管理されているトイレは、
その温度での殺菌効果も期待できるため、特別なことをしなくても、伝染病の蔓延に終止符を打てる。
牛頭天王の秘術として、お札に触れた人々が免疫を得ることが出来る、
本当に無病息災効果を備えたお札を作る防疫技術を伝承してきた、例の巫女さんの一族が管理する神社で、
醗酵方式で便を処理する防疫技術が伝承されてきたのは、偶然ではない可能性が高い。
平安時代のおまるの中身は屋敷の隅のほうに捨てていた、とだけ書いて、
捨てるときに、醗酵を促すためにおがくずや藁などを混ぜたかどうかまでは書かれていないケースが多い。
醗酵方式のトイレに関する知識を持たない研究者がほとんどのため、盲点になっていて、
重要な、疫病を阻止する技術に関する研究などが行われてこなかったと考えたほうがいいだろう。
304 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:21:57
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
305 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 00:30:30
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
306 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:44:07
じつは、日本人は西洋人よりも小柄にもかかわらず、
西洋人よりも食物繊維を大量に摂取するため、便の量が倍以上多かったりする。
たとえば、第二次世界大戦当時、日本軍のトイレの便の量から日本人の数を推定しようとした米軍は、
玉砕後に判明した実人数と、推定人数の差が大きいことに驚いた、といったケースもある。
日本人が肉食を避けるようになったのは、仏教の影響というのが通説のようだが、
獣の肉を食べると、お腹の中の悪玉菌が増えて便が臭くなる問題は、それなりに問題視されたと思われる。
落花生などの木の実を、茶色い薄皮と一緒に食べると、
乳酸菌醗酵が促されて便の臭いだけでなく質も変わる人は多い。
縄文人の主食は木の実だったこともあり、米より木の実のほうが合う体質の人は今でもそれなりにいるらしい。
高級生味噌を落花生にからめて乾燥させたお菓子など、さまざまな工夫が見られる。
また、獣の肉を食べると堆肥にしたときの成分バランスが変わってしまい、
稲に付く病害虫が大量発生することが経験的に知られていた。幾つかの神道の家に伝承が残っている。
農耕と堆肥作りと食生活の関係を研究した人はあまりいないため、今後が期待できる未開拓分野だ。
化学肥料を用いると農地がやせ衰える弊害が、近年重要視されるようになってきた。
世界の穀物庫として知られる、中東の農地が痩せて大打撃を受けた結果、
世界の食糧事情が危うくなったことがある。
アフリカへの食糧供給が不十分になって、大量の餓死者を出したことは、記憶に新しい。
人々の命を守る先人達の知恵を受け継ぐことは重要な意味を持つ。
獣の肉を食べるといった食生活の乱れが、堆肥の劣化を招いて、
肥毒と呼ばれる状態が生まれることは、あまり一般に知られていない。
病害虫の大量発生と肥毒の関係に触れた伝承はあまり多くないので、
古い時代の知識が再現不能になる前に、積極的に掘り起こしていく作業が必要だと思う。
307 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:49:18
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、
醗酵式のトイレの発展がなかったとする見解は、かなり不自然だと感じる。
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
ある掲示板でも出て、砂などを用いた方式も並行して、実際にテストする人が現れている。
現代でも、下水道が行き届かず、汲み取り便所や、簡易的な浄化施設しか設置されていない場所はかなりある。
タンクから汚水が漏れて、同じ敷地内の井戸水が汚染されたり、
浄化施設の性能不足で飲料水に適さない井戸水と評価されてしまうケースはかなりある。
古い時代から受け継いできた醗酵方式で、便が短時間で綺麗に跡形なく分解して土壌汚染が起こらないなら、
不安を抱かずに井戸を使うことが出来て、助かる人は多いだろう。
とくに、夏場の日照りの断水に悩まされやすい地域では、死活問題だ。
便の分解によって発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本程度でひとつの家庭の電力をまかなえるといった、応用面の話も出てきている。
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題、
二酸化炭素の排出と地球温暖化の問題を緩和できると考える人もいる。
巫女さんが何気ない仕草で、携帯トイレから伸びたコードを携帯電話に繋いで充電していたのが印象的だった。
暴走すると危険な可能性があるため、特許の取得や市販に至っていないが、
すでに実用化された技術と見ていいだろう。
今回いろいろ調べていくうちに、
ある神社に現存する醗酵方式のおまるが、皇室にも伝わっていない貴重なものだったことを知って、
古神道の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うことを再認識させられた。
308 :
天之御名無主:2009/10/24(土) 07:50:13
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかったようだ。
今回の話題の盛り上がりに触れて、
京都の伝染病の発生状況と、下水や便の処理方式の変遷について、
各地の牛頭天王(スサノオ)を祭る神社に残る伝承などを、片っ端から本格的に調べ始めた人もいて、
今後の進展が楽しみになってきた。
( ゚д゚)ポカーン
ばか、目を合わせるんじゃありません!
昔のことを知ることで、現代の生活を改善できる。
温故知新の見本のようなスレッドだな。
ここしばらくのトイレ談義のせいで
京都グルメ観光番組みたいので錦小路が出てくるとすごく微妙な気持ちになってしまう
ところで昔の「錦」って黄土色というかアレっぽい色しかなかったの?
314 :
天之御名無主:2009/11/13(金) 01:35:39
平安時代ってタンスは無いの?
どの本にも載ってないけど…
じゃあ大量の着物はどこに置いてたんだ?
行李や長持って選択肢はないのかい
平安時代なら「櫃(ひつ)」だな
つづらや長持は室町時代以降、
箪笥が日本で使われ始めたのは江戸時代後期からだ
昔の日本の家具はポータブルが基本なんだよね
でも桐の装束箪笥ありそうなんだけどなあ
319 :
天之御名無主:2009/11/17(火) 10:15:50
この時代、日本以外ではどんな服装が流行ってたの?
この時代といっても初期から末期まで400年近くの開きがあるんで
321 :
天之御名無主:2009/11/20(金) 23:30:24
つーか、ここスレタイがおかしいだろうよ
平安時代じゃなくて平安貴族にしとけ
いや、立ってる板がおかしいんだよ
ほとんど日本史板で片付く内容ばかりだもの
っていうか庶民詳細不明だし
庶民も絵巻や説話集の端っこに描かれてる姿からだいたいの見当は付けられるけどね
しかし民神板なんだしもう少し習俗や信仰とかに寄った話題も見たいところ
風俗信仰とかなると
なんたら生命のおんみょうなんチャラとか
方違とかがはんらんするぜ。
オカルト板池とかならないか?
アムールのことが書いてあるけれど、ただ単に漢人の住まう地域にくらべ寒かっただけでは?
で熱が少なく発酵しにくかったと感じるけれども
2ちゃんでよく騒がれている㌧スルとかも半島が寒い地域だからできることのような気がしないでもない
寒いとにおわないからね
むしろ東南アジアのトイレ事情も並列して考えるとおもしろそうなのだけど
日本じゃまだ東北アジア扱いだから、世界では
これ以上オガクズ君にかまってやるなよ
なんで髪の毛洗うのに吉凶を占わなければならないんですか?
>>328 それが信仰というものだよ。
てかなんで金持ちになるには
黄色い財布なんだよとか、
平安の人が見てたら笑うんじゃね?
それと同じことだよ。
そんなDrコパレベルの簡略風水と一緒にされてもな
コパだかコッペパンだか知らんが
迷信の類はどれもそんなもの。
流行りすたりがあって、覚めてみれば
なんてあんなことに必死になっていたんだろうと
言う感じなんだよ。
今は分衆化で占いもまじないも、マイブーム止まりだが
あの時代は国家的に迷信に染まっていたからなあ。
>>328 まず髪を洗うには、当然ながら男性は髻を解かねばならず、乾くまでそのままでいるしかないが
当時の成人男性にとっては髻を解くのはもちろん、烏帽子などの被り物を取ることも非常事態であり
(物語などで、狂人を描写するのに一番の特徴となる描写は「髪が解け乱れている」である)
洗髪もどちらかといえば不吉な作業であったから。
女性は女性で、あの異様に長い髪を洗って「くせがつかないよう」乾かすためには
専用の高所に設けた台にずっと寝転がっていなければならず
不自由だわ危険だわ、冬場などは特に濡れた髪から体を冷やして命に関わる事もありえたから。
現代の価値観で迷信と断じるのは勝手だが、当時の人にはそれなりに深刻な理由があった。
この時代、双子はいなかったのかな
>>332 >現代の価値観で迷信と断じるのは勝手だが、当時の人にはそれなりに深刻な理由があった。
理由があるのはわかる。でもそれを根拠のない迷信によって判断するのが違うということ。
たとえばそういう理由なら、当時としての天気予報的もの。
今でいう観天望気の発達したようなもので
洗うあらわないを決めていたとかなら、まだわかる。
しかし・・・
でしょ?
当時、天気予報とカレンダーを管理していたのは陰陽寮でした。
おわかりですね?
>>335 はいわかってますがね
「髪の乾きに最適な日」を選ぶのに
「天気予報」がどれだけのファクターを
しめてたんでしょーねぇ。
今でさえ週間予報も外れまくりなのに
当時は何日も、何週間も前から
髪を洗える日を予定組めたらしいですねえ。
ww
>>332 江戸時代くらいの話だけど、俳句とかで「髪洗う」は夏の季語なんだよね
やっぱ冬場は洗うと風邪引くレベルだったのかな
まあ冬に洗ったら死ねるだろうけど夏ならスッキリして多少は幸せだろう
清少納言だって枕草子で「心ときめくこと」に夏の洗髪を挙げている
ついでなので風俗博物館サポートページの洗髪の項
tp://evagenji.hp.infoseek.co.jp/co-2002-6-6.htm
>夏ならスッキリして多少は幸せだろう
そうそう。
そういう理由で洗うあらわないを、決めるのは
ちゃんと根拠のある科学的選日。
五行とか干支とか・・・の組み合わせで
吉だ凶だとか言うのが迷信。
それが、時を経れば笑い物になるということ。
当時の人に深刻な理由があっても
覚めれば金持ちになるには黄色の財布程度のこと。
そういう見地に立つべき。かの時代の人に
妙に肩入れというかしてる人がいるけど
おかしいよそれ。
>>333 まず、いないってことはあるまい
しかし文献などに残っている例がほとんどないので、社会の中でどういう扱いを受けたのか、とか
そういったことはよく解らない
全く無くはないが稀なことではあるので、時代によって不吉と取られたり逆に吉祥と取られる可能性は大きい
出産時の母体への負担も大きいし、貧しい階層の人には子供が一度に二人も出来たら生活が困窮するので
不吉とされるウェイトの方が高いだろうか
仏教が浸透した時代になると「畜生腹」として忌まれたという話はあり、中世以降の例では
双子の片方を間引いたり寺社や他家にやったりして厄払いをしたらしい
なんかスルーされてるのが気の毒だったのでとりあえず拾ってみたが、もっと詳しい人いたら資料plz
神代を含む記紀の時代にはヲウスノミコト・オオウスノミコトなんかが有名だけど
双子の描写がそこそこあるのに、律令時代から明治・大正にかけての期間は
不自然なくらい歴史上の人物で双子と思われる記述のある人が見られませんね。
(徳川家康に僧籍に出された双子の兄弟がいるという話も、近年になってようやく
表に出てきたようですし)
やはり、仏教が広く信仰されるのにつれて双子以上の多胎が忌まれる傾向も
広まったのではないでしょうか。
特に男女の双子は前世で心中を遂げた者同士の生まれ変わりとされ、
今生で間違いを起こさないよう、片方を殺すか遠いところへ里子に出すかして
いたそうです。
>>328 一番大きな理由としては、髪を洗うということは禊と同じ意味合いを持つ、
いわばハレの行為だったからです。
(もちろん、
>>332のような実際的な理由もあったと思われます)
今で言えば、大安の日を選んで結婚式をしたり、友引の日に葬儀をしなかったりと
いうのと同質の問題ですね。
この時代は、元服と共に位を賜ったのですか?
343 :
天之御名無主:2009/12/15(火) 03:02:48
衣冠束帯っていつごろから着だしたのか知ってる人いたら教えて?
紀貫之は着てたと思うけど、菅原道真はOK?
昔見たNHKのVTRでは道真も着てたけど・・・。
>>342 まず、家柄や親の身分によるとしか言えない。
元服じたいは成人の儀式なので男子なら身分を問わずに行うが、
貴族の生まれでなければ位を得て昇殿することは無理。
>>343 衣冠束帯の原型、朝服は飛鳥時代の末期にはもう出来ていたが形は参考にした唐のものに近い。
平安時代に入る頃には日本の気候や生活様式に合わせて袖や袴がゆったりとする寛闊化が進行し、
裾を長く引きずる長大化も同時に伴った。
束帯という名前は唐王朝の官服を指すもので、国内の文献で朝服をその単語で呼ぶようになったのは
源高明(914-983)の記した『西宮記』が初出、但し衣服の形式自体は『延喜式』の編纂された
十世紀前半にはだいたいそれに近いものが出来ていたと思われる。
道真はギリギリ唐風と国風の移行期間の人なので束帯そのものを着ていたかどうかは微妙だ。
(神像や肖像画などは後の時代に描かれたものが多いので、その時代の衣服を着てしまっている)
なお、束帯や直衣、狩衣などの装束は平安時代の後半、十二世紀ごろにモデルチェンジして
生地が張ってシルエットのかさばった「強装束(こわしょうぞく)」が現代まで継承されているけど
それ以前は「柔装束(なえしょうぞく)」という源氏物語絵巻などで見られる形状をしていたので
同じ平安時代でも時期に気をつけないと再現映像とかが変な事になる。
>>344 摂関家の息子は従四位までなら元服時貰えたって本当か?
偉い人のコネ入社でいきなり役職つき、みたいな感じですかね
貴族はみんな筆下ろししたの?
348 :
天之御名無主:2009/12/17(木) 12:33:58
貴族はみんな菊開きしたの??
荒らしのつもりなのか知らんが平安時代の貴族階級では男色は普通のことだったわけで
藤原頼長の『台記』でも読んでろ
350 :
天之御名無主:2009/12/23(水) 05:24:23
僧侶と幼女がセックスしてた時代だもの。違法でもなんでもない。純粋な気持ちからセックス
アグ○ス卒倒
いくら男色そのものが特異だったり恥ずかったりする事ではなかったとはいえ
子孫や家人、宮廷内の人間に読ませることが前提の半公文書である日記に
「今日は身分の低い滝口とやってみたけどすっげえ良かった」とか
「たまには尻に入れられる側になってみたけど案外こっちの方がいいかも」
みたいな内容を書いても問題なかったんだろうか
個人の名誉的な意味で
353 :
天之御名無主:2009/12/24(木) 13:19:07
法治国家じゃなくて放置国家だったから多分大丈夫だったでしょ。
地方の農村なんか言ったら髪型とか現代人に近いものがあるから
今の日本人がタイムマシンで当時の時代に言ったら喜んでセックスしちゃうだろうね。男の子と。
354 :
天之御名無主:2010/01/18(月) 20:12:00
少女が耳のあたりで髪を結ってるリボンのような物の名称って「物忌み」以外にありますか?
京都風俗博物館のサイトでは「物忌み」とだけあるのですが、少女が物忌みの時期
のみに着けるものなのか、子供の魔除け的な意味で成人まで着けているものなんでしょうか?
355 :
天之御名無主:2010/01/18(月) 20:22:06
地方の農村なんか言ったら髪型とか現代人に近いものがあるから
kwsk
「元結い」は後ろの髪をまとめるものだけを言うんだっけ?
いちおうググってみたが結ぶための紙紐・紙縒りそのものを指してもいるようだ
358 :
天之御名無主:2010/02/04(木) 23:02:43
とりあえずageの呪文を仕掛けておきました。
甑と竈ってどっちの方が米飯を作るのに便利だったの?
360 :
天之御名無主:2010/07/25(日) 16:51:51
236 :天之御名無主:2009/02/03(火) 21:35:18
>>234の人じゃないけど、十二単は女帝でもつけた記録があるようだから、
本当に単なる正装なんじゃないかな
亀ですが、十二単といわれる装束は平安時代になってから登場したはずですが
平安時代に女帝はいなかったと思うのですが、上のカキコした人が言う女帝って誰ですか?
皇后のことを女帝と書き間違えたんでしょうか?
江戸時代の女帝のことを言っているのでしょうか?
面倒くさいのでウィキペからコピペ
奈良時代末期から江戸時代初期までの900年近くにわたって女性天皇は誕生しなかったが、
平安時代末期の鳥羽天皇の皇女であった暲子内親王(不婚内親王)が近衛天皇崩御時と
安徳天皇西走時の皇位空白の際の2度にわたって皇位継承候補として名前が挙がっている。
また、即位式の際の礼服御覧の儀の際に女性天皇の礼服が用意されていたこと、鎌倉時代の
文学作品である『とりかへばや物語』には不婚内親王の女性東宮(皇太子)、『我身にたどる姫君』
には天皇の后妃だった内親王の女性天皇が登場していることから、中世前期において実現こそ
しなかったものの、女性天皇の可能性は意識されていたとする考えもある。
実際に十二単(女房装束を平安時代にはこの名前では呼ばなかったが)着たのは
江戸時代の女帝でいいんじゃないの
なんかアマゾンでお勧めされたから
講談社現代新書の「王朝貴族物語」をポチってみたが結構面白かった
いちいち現代サラリーマンの生活と引き比べて説明してくれるのが
解りやすくもあり、微妙にがっかり感もあり