キリスト教紀元の最初の二世紀、「エノク書」と呼ばれる奇妙な書物が幅広くよまれ、「旧約聖書」
の一部と見なされていた。昔の人にとってそれは一種の冒険小説みたいなものだったらし
主人公――すなわち預言者エノク――は天使たちによって天国を巡るたびに連れて行かれる
が、なぜか天国の中にじごくそのままの場所もある。また、非常にスキャンダラスな記述もある。
――「見張る者」と呼ばれる堕天使たちが、地上の女性との間に性の快楽を求め、暴虐な
巨人の種族を産み落とした、と。
その後、理由は今もって不明だが「エノク書」は姿を消した。教会の弾圧を受けたのか?いず
れにせよ、それはたちまちのうちに、子供の手の届くところに放置してはならない悪書だ
ということになった。
それが再び世に出たのは18世紀末。ジェイムズ・ブルースというスコットランド人が、アビニシア
(今のエチオピア)の修道院でその写本を発見したのだ。ブルースはキルウィングのキャノンゲイト・ロッヂ
に属するフリーメーソンで、彼がこの地を訪れたのは、ここにもたらされたと言う伝承のある契約
の聖櫃の行方を突き止めたいというロマンティックな願望のためだったかもしれない。
ブルースはアビニシアの首都であるタナ湖畔のゴンダールに行き、そこで「エノク書」に出てくる暴虐な巨
人族の直系の子孫かと思われるような途方もない民族と出会った。彼らは生きた牛から切
り取った肉をそのままくらい、敵の睾丸を吊るして槍の飾りにし、宴の最中に床の上で性
交を始めるのだった。ブルースは巨体に髭面だったためか彼らの王に気に入られ、軍の司令官
にされた。
こうして彼らは遠征に出かけ、馬でとある場所にたどり着いた。案内人はそこが白ナイル
の水源だと主張したが、実際には白ナイルよりも小さな青ナイルの水源だった。
ある修道院で、彼は、「諸王の栄光の書ケブラ・ネガスト」と呼ばれる叙事詩を見つけた。それ
によると、ソロモン王はアビニシアに都を置いていたシェバの女王との間に一子をもうけたいという。
彼らの息子は最後にアビニシアに戻ったが、その際に契約の聖櫃を持ってきたというのだ。さ
らに同じ修道院で彼が見つけたのが「エノク書」だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%82%AF%E6%9B%B8 エノク書
著書とされる預言者エノクとは、アダムの孫でノアの曽祖父だ。実際にはそれが書かれたのは紀元
前200年ごろだ。この書には、7つの燃える山が空から降ってきて海におち、大洪水を引き
起こしたという一節がある。アレクサンデル・トールマン教授は、これを紀元前7600年の彗星に関す
る伝承に基づくものと考えた。
(大洪水)は、フリーメーソンリーの古代史では極めて重視されている。ゆえにブルースは、この発見
によって仲間のメーソンたちの間で一目置かれるようになるだろうと考えた。彼はこの本をロン
ドンに持って帰ったが、そこでは彼の冒険譚は、ねたみ深い留守番役たちから疑いの眼差し
で見られることとなった。サミュエル・ジョンソン博士などは公然と彼をうそつき呼ばわりしたほど
である。
彼の名著「ナイルの源流を求めて」(1790)の評判は散々だったが、あまり同情はできな
い。というのも、彼は極貧にあえぐ聖職者を後払いで雇って写字生にしたのだが、後のな
ってその支払いをわずか5ギニーですませようとする詐欺まがいのことを行っているから
だ。ブルースは苦々しい思いを抱いたまま、1994年に64歳で死んだ。階段で足を滑らせ頭か
ら転げ落ちたのだ。
「エノク書」は1821年に英訳された。堕天使たちとその禁断の情交の魅惑の物語は、なんと
かロマン主義運動の時代に間に合ったわけだ。
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,:2008/06/15(日) 18:41:02
ここまで調査を進めた時点で、私はクリストファー・ナイトとロバート・ロマスの共著「ウリエルの機会」(19
99)と言う本とであった。特に魅力を感じたのは、「エノク書」の中の「天の輝きの書」と
呼ばれる部分に関する彼らの解釈だ。
この部分は、基本的に天文学に関する論述である。エノクは天使たちに連れられて北の国に行
く。その場所がどこかを物語る手がかりは、その緯度だけだ。そこでは昼が夜よりも9分
の一だけ長い。昼は10、夜は8の割合だ。
彼らによれば、この寒い国は北緯51度から59度の間にある。その範囲の中には、ウィルトシャー
のストーンヘンジ、アイルランドのニューグレインジ、ヘブリーズのカラニシュを初めとして、多数の先史時代
の天文台がある。
これを造った人々は、その土器の形状から「グルーヴドウエア人」と呼ばれている。ロマスとナイトは
問う、「エノク書」の中で天文学を扱った章に、先史時代の天文台がいくつも存在する緯度が
書かれているのは偶然だろうか?この章の中でエノクは、西にある「堅固な岩」でできた山に
運ばれる。
「かの男たちは私を天の西方に上がらせ、そこで6つのおおきな門を見せた。、、、、太陽は
東方の門から昇る回数と日数に従って、この西方の門から沈むのである、、、けだし主がこ
れらの門をお造りになって、太陽を一年の時刻盤として示されているからである」
ロマスとナイトはストーンヘンジを思い起こした。ストーンヘンジの立石とまぐさ石で作られる形は、まさし
く石の「門」である。
1960年代初頭から、イギリスの天文学者ジェラルドホーキンズは、ストーンヘンジが石器時代のコンピュータであ
り、18・6年以上の周期における日の出と月の出の位置を計算するために用いられたのでは
ないか、とする研究を開始した。彼の「ストーンヘンジ解読」(1965)はただちにベストセラーと
なったが、天文学者の中には疑いを表明するものも居た。実際には彼の説は現在ではおお
むね定義として認められており、1970年代には、アレクサンダー・トム教授による古代ストーンサークルの
研究がホーキンズの説を補強した。
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,:2008/06/15(日) 18:42:43
その基本は、サークルの中心に立つことによって日の出(あるいは月の出)を正面に見ること
ができ、それが「指標」の背後のどの位置にあるかによって季節を計算することができる、
というものだ。
ロマスとナイトは、ヨークシャーの丘の上に「ウリエルの機械」を建造してみることにした――それは最終
的に、小さな天文台というべきものとなる。彼らは何度も何度もこの場所に通い、その中
心に立って地平線上の日の出や日の入りの位置を観測し、そこに指標を置いていった。
一年間がんばって、一組の互いに向かい合う柱の円い列ができた。こうして彼らは――古
代の「ヘンジ」の建造者たちもそうだったのだろうが――1年が分と至によって正確に四等分
されるわけではない、と言うことを知った。地球の公転軌道は長円形なので、冬至から夏
至までは182回の日の出があったのに対して、夏至から冬至までは183回あったのだ。春
分と秋分についても、同様の不均衡が見られた。
この研究によって、古代の巨石建造者たち――石器時代のアインシュタインたち――が、その基本
単位として「巨石ヤード」を選んだ理由が明らかになった。この単位を発見したのは、考古
学者アレキサンダー・トム教授で、その長さは32・64インチ(約83センチ)だ。実際には、トムが
すべての巨石建造物に見出した基本単位は本来16・32インチ(約41・5センチ)だったの
だが、これを現在のヤードに近づけるために意図的に2倍にしたのである。
ロマスとナイトは、彼らの「機械」が一年の長さ(冬至から次の冬至まで)を366日としている
ことに気づいた。そこで彼らは「巨石度」と呼ぶべきものを定めた。これは地球の1公転
の366分の一にあたる。そこで指標の位置を1巨石度に合わせたところ、恒星が一つの
柱から次に移るのに3・93分かかることが分かった。
巨石建造者たちが時計代わりに振り子を用いていたことはほぼ確実だが、振り子の周囲は
言うまでもなく、紐の長さによって決まる。そしてロマスとナイトは、3・92分の間に振り子
を366回振動させるために必要な紐の長さは、ぴったり16・32インチであることを見出
した。これこそ「石器時代のアインシュタインたち」がその基本単位として16・32インチを選ん
だ理由に違いない。ロマスとナイトは、トムを悩ませた問題を解き明かしたのだ。
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,:2008/06/15(日) 18:44:15
だが、ウリエルの「機械」は(実際にはそれは、簡単なウッドヘンジというものになっていたが)、
単に日の出や月の出の計算機としてのみならず、彗星観測のための天文台としても用いる
ことができた。つまり、単純にいえば、ある彗星が地球に衝突するかどうかを判断するこ
とができたのである。ロマスとナイトによれば、これは古代の天文学者にとっては非常に重要な
目的だった。
ストーンヘンジの駐車場にある、東西方向に配置された2つの柱穴は、最初期のストーンヘンジが紀元
前8000年ごろに作られた事を示している。これはトールマンの彗星衝突よりも3世紀以上も
前だ。この彗星はスコットランド全域に砂の層をもたらし、スノウドンの山頂に貝殻を運んだ。さら
にその1000年後にも2つの柱穴が作られていることを示す考古学的証拠もある。
ロマスとナイトの発見は、巨石ヤードを否定する論者たちに対する回答をもたらした。会議派達に
よれば、何千平方マイルという広い地域にわたって、そして何十世紀という広い年代にわ
たって、共通して用いられていた基本単位などありえないという。つまり彼らは、石なり
木なりによって、「巨石ヤード」の原器のようなものが作られ、それが注意深く複製されてい
た、というようなことを想像し、そんなことはありえないと考えたのだ。
だが実際には、古代人は単に丘の上に2本の木の柱を立て、その間隔を1巨石度とし、そ
して恒星が柱の一本からもう一本まで移動する間に、振り子が366回振動するように紐
の長さを調整するだけでよかったのである。そうすれば、その長さは1巨石ヤードとなるの
だ。
これらすべてのことがはっきりしたのは、「歴史上の度量衡」と言う本を読んだときだ。著
者はA・E・ベリマン、重さと長さにとりつかれたエンジニアだ。
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,:2008/06/15(日) 18:47:12