シバンで発見された「ツタンカーメン」の墓について、モーリス・コットレルは面白い仮説を述べている。こ
の墓で見つかった人物のひとつは、高さ2フィート(約60センチ)で純金製の「蟹男」だ。
コットレルによれば、かには海と陸の間に棲む生物であり、そこは波が砕け、泡となるところだ。
さて、「ヴィラコチャ」と言う名前は「海の泡」を意味する。そこで彼は、この墓こそが「ヴィラコ
チャの失われた墓」(彼はこの表題の本も書いている)に違いない、と考えた。これはティアワナコ
のヴィラコチャなのであり、メキシコの多くの王たちは自らカツァコアトルを名乗り、中にはヴィラコチャという
王までいた。だがシバンの長は明らかに単なる王を越えているー―彼の墓の装飾からみるか
ぎり、彼は神であり、ヴィラコチャの生まれ変わりであると見なされていた。
コットレルがヴィラコチャに関する最初の洞察を得たのは1980年代半ばのこと。マヤ人が太陽の周囲と、
それが人類に及ぼす影響を発見したと言う自説を追究するためにメキシコを訪れたときだ。コット
レルにとって、バレンケのバカルの墓はこの上ない啓示だった。
碑文の神殿は1773年、ラモン・デ・オルドニェス神父によって発見された。1952年、メキシコの考古学
者アルベルト・ルースは、床に4対の丸い穴があることに気づき、そこに鍵を挿入して石板を持ち
上げてみた。すると瓦礫で覆われた階段があり、ピラミッドの中枢に通じていたのだ。
壁の向こう側に、彼は四角い小さな部屋を見つけた。そこには蓋のついた巨大な石棺が押
し込められていた。この蓋は巨大かつ精密に彫刻された石灰岩の板で、その中央にか描か
れた人物像を、後にデニケンとシャトランは宇宙飛行士であると解釈する。その中にはバカルのミイラが
あった。その顔には美しい翡翠の仮面が被せられていた。彼が死んだのは紀元前683年だ。
コットレルは、この蓋の小型のレプリカを買い、イギリスに戻って腰を落ち着けて研究を始めた。間も
なくコットレルは、この蓋に描かれたさまざまなマヤの神々を特定するためには、様々な方向から
見なければならないと言うことに気づいた。
当然のことだ―何と言っても、石棺の蓋の上では、シンボルはスーツケースみたいにぎゅうぎゅう詰
めにされている。さらに、その縁にもシンボルが細々と書き込まれていたー―蝙蝠にジャガー、
人間と神々、昼と夜、誕生と死。さらに、この蓋は上の隅二つが欠けている。これも何ら
かの手がかりに違いない。
次の手がかりになったのは、X字の文様だった。隅が欠けているために、この文様の上部
はなくなっている。コットレルにユリイカの瞬間が訪れた。もしもこの蓋の右辺に垂直の鏡を立て、
蓋をいわば「2倍」にすれば、「X」はその反射像によって補完されるだろう。
コットレルは透明アセテートで蓋の陽画写真を作った。これを適当に滑らせることで、「X」のみなら
ず、縁の下のほかのシンボルもすべて、写真の鏡像によって補完することができた。
反対側の縁にも同じことができた。半分の図が完全な図となったのだ。
縁にあったもうひとつのシンボルは人間の顔だった。だがその鼻のところに、額から鼻先にか
けて、先端の尖った長いひし形のようなものがあった。だがそのアセテート写真と合わせると、
このひし形は消滅し、2つの鼻の間にある普通の空間になった。さらに、その頭の上には
飛行する蝙蝠の図があったが、これもそれまでは何の図だがわからなかったものだ。そし
て、その2枚のアセテート写真を交差上に重ねておくと、突如、二つの目のある顔が出現した。
2枚のアセテート写真を重ね、様々な角度にずらすことで、さらに多くにお形や顔、鳥、動物な
どが現れた。
もはや疑問の余地はない。この蓋を作った者――恐らくパカル自身――が誰であれ、彼はそ
れに視覚的暗号を満載した。欠けている二つの隅は、その最初の手がかりを与えるものだ
った。
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,:2008/06/04(水) 10:20:24
だがこれはほとんど意味を持たないように思える。紀元前7世紀の時点誰かが透明アセテートで
作る写真を発明していない限り、この奇妙な視覚的暗号に気づくものがいるだろうか?
コットレルは自分の発見に対して専門家の意見を聞いてみようと決意したが、彼は端からトンデモ
扱いされ、にべもなく断られた。先ほどと同じ理由でだ。パカルは透明アセテートの写真などを持
っていなかったのだから、そんな暗号を考えていたはずはない。
だが、パカルには写真は必要なかったのだろう、とコットレルは考えた。多分彼は、「心の目」
ですべてを見ることができるのだと。
心理学者はこのような能力の存在を確認しているー―「直感像」と呼ばれるものだ。中に
はこの能力を生まれつき有している人もいる。すでに見たように、ある巨大数が素数であ
るかどうかを瞬間的に判断することができる数学的天才は、数の領域を鳥瞰することがで
きるようだ。発明家のニコラ・テスラは、最初の交流発電機を頭の中で組み立てたと言う。パカル
もまた視覚像に関するこのような能力を持っていたに違いない。
実際、知的考察によって心が混乱していなかった古代人は、生まれつきそうだったのかも
しれない。だからこそ、彼らは春秋分点歳差に気づいたのだー―彼らの精神は、特定の星
座をいわば「撮影した」。そして50年後に、その位置が異なっていることに気づいた、、、、。
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マヤの聖典「ポポル・ヴフ」は、それを裏づけているようだ。それによると、彼ら古代人はー
ー「才能に恵まれ、見渡せばたちまちはるかかなたまでも見ることができ、この世にある
すべてのことを見ることができ、また知ることができたのである。彼等が目を瞠れば、た
ちまち、まず近辺から、やがて天きゅうや丸い地表までも見渡すことができたのであった。
ずっと遠くに隠れているものでさえも、身動きしないで、居ながらにして、みな、ちゃん
とわかってしまうのであった。居ながらにして世界をちゃんと見渡すことができたのであ
る。まことにその叡智は偉大であった」。
だがつぎに、創造主は考え直す。人間はあまり簡単に手に入れたものには価値を見出さな
い、と言うことに気づくのだ。ゆえに彼は変化を起こす。
「彼らの目が近くにあるものだけしか見えないように、彼等が地表のほんの少ししか見な
いようにしてしまおう」
ゆえに人間は「近視」になり、「日常の些細なこと」に目を奪われ、「虫の視界」にとらわ
れている。
「彼らの目は覆われ、近くのものしか見えなくなった、、、、、、」
メソアメリカ人を、そして彼等が人身供儀を好むという不幸な傾向をどのように考えるにせよ、
彼等が人間の核心をまっすぐに見ていたということには同意せざるを得ない。